18→81


主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新の記事
最新のコメント
記事ランキング

<   2014年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧

続・東北の旅④山形鉄道フラワー長井線1(2014.7.26)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 朝から強い日射しが照りつけている。テレビはこの夏一番の猛暑になるだろうと繰り返している。だが、計画ではきょうが一番外を歩くことになっているのだ。ホテルの部屋は涼しいが、ここは覚悟を決めて行動を開始しなければならない。

 きょうは青春18きっぷは利用しない。今晩の宿泊地は山形なので、使う必要がない距離なのである。まず、米沢→赤湯・320円のきっぷを買ってホームへ。
 米沢8:06発・山形行き。701系5500番代の4輌編成、車内はロングシート。
e0320083_17134658.jpg

 8:21、赤湯(あかゆ)駅着。跨線橋を渡っていたら放送が聞こえたので、少し待って、やって来た山形新幹線を撮影した。つばさ128号・東京行き。
e0320083_17142115.jpg
 赤湯駅は最近、新しく建て替えられてしまったらしい。
e0320083_17144740.jpg
 駅前はいままでと変わらないから、駅だけが何か浮いている感じがしてしまった。
e0320083_1715212.jpg

 ここで大きな荷物はコインロッカーに入れ、きょうは一日、山形鉄道フラワー長井線を楽しむつもりである。土日限定のフリーきっぷが発売されるので、今回の旅はこの日を基準に計画したのである。
 JRの横に山形鉄道の自販機が1台だけあったが、フリーきっぷは車内で購入してくださいと書いてある。改札口でJRの駅員に言うと、そのまま中に入れてくれた。
 で、これがフラワー長井線のフリーきっぷ、1000円。
e0320083_17162561.jpg
 ちょうど折り返しの列車が入って来たところだったので、ホームに下りて購入した。赤湯・荒砥間は普通に買うと760円だから、ずいぶんお得感があるフリーきっぷである。

 乗客はあまりいないようだし、発車までまだ時間があるので、もう一度跨線橋に上がり、反対側の出口に行ってきた。趣のあるログハウスの、山形鉄道・赤湯駅があった。
e0320083_17172651.jpg
e0320083_17175152.jpg
e0320083_1718211.jpg
 残念ながら外観は完全な逆光になってしまい、うまく写すことができなかった。帰りにもう一度来てみよう。

 さて、これがこれから乗るフラワー長井線の車輌である。2輌編成なのは朝だからで、昼間はすべて1輌の運行だった。
e0320083_1719378.jpg
 これが赤湯駅の車止め。
e0320083_1719342.jpg
 車止めの方から見た2輌目の車輌。
e0320083_1720227.jpg
 フラワー長井線の車輌はすべて同じ塗装のようだが、車内はセミクロスシートのものとロングシートの2種類あるようだった。
 この2輌目はYR-882で、セミクロスシートだった。
e0320083_1721327.jpg
 1輌目はYR-888で、少し古びた感じがするが、特別塗装が加えられた「スウィングガールズ号」だった。
e0320083_1721486.jpg
e0320083_17221670.jpg
 「スウィングガールズ」は2004年に公開された日本映画で、東北の片田舎の落ちこぼれ女子高校生がひょんなことからビッグバンドを組み、スウィングジャズにのめり込んでいくという青春映画(だったはずである)。このあたりでロケが行われたらしい。わたしは公開当時、絶対観たいと思いながら結局観に行かずに終わってしまった映画である。
 ただ、残念なことにこちらはロングシートだったので、わたしとしては2輌目のクロスシートを選ぶしかなかった。

 ところで、この日わたしはフラワー長井線を単純に往復したのではない。ちょっと行ったり来たりしながら、めぼしい駅を巡り歩いたのである。これをどういうふうに記述するのがいいか考えたのだが、やはり基本的には時系列にしたがって書くのが自然だろうという結論になった。
 ただ、そうすると掲載する駅の順序はバラバラになってしまうので、駅の位置関係を明らかにするために、赤湯駅から数えて1つ目の南陽市役所駅を①、16番目になる終点・荒砥駅を⑯と表記して、その位置が判るようにしてみた。因みに、こうすると米坂線との接続駅・今泉駅は⑥ということになる。

 発車前の運転席横から進行方向を見たところ。
e0320083_17241653.jpg
 8:52、赤湯駅を発車。最初はとりあえず、終点の荒砥⑯まで行ってしまうつもりである。

 宮内(みやうち)駅②。赤湯行きの1輌と行き違い。この駅は、きょう最後に訪れる予定である。
e0320083_17251967.jpg
 梨郷(りんごう)駅④。日射しが強いので、光と陰が強烈で、こういう日の撮影は非常に難しいものだと感じる。
e0320083_1726099.jpg
 青空と田んぼの緑。今回の旅で何度となく車窓に見えた風景である。何ということもない風景なのだが、これがこの上もなく美しいと感じるのである。
e0320083_17295417.jpg

 あやめ公園駅⑩。第三セクター・フラワー長井線になって、平成14(2002)年に新設された駅である。
e0320083_1731127.jpg
 白兎(しろうさぎ)駅⑫。これもフラワー長井線になってから、平成元(1989)年新設の駅。
e0320083_17313526.jpg
 蚕桑(こぐわ)駅⑬。駅は新しくなってしまったが(屋根と幟の向こうに、蔭になってしまったが小さな駅舎がある)、立派な防雪林が駅の歴史を感じさせる。
e0320083_17322296.jpg
 鮎貝(あゆかい)駅⑭。
e0320083_17325059.jpg
 四季の郷(しきのさと)駅⑮。平成19(2007)年新設の、フラワー長井線では最も新しい駅である。
e0320083_17331939.jpg

 四季の郷駅を出ると、列車は終点・荒砥駅の手前で最上川を越える。
e0320083_17354717.jpg
e0320083_17361682.jpg
e0320083_17364426.jpg
 この最上川橋梁は、明治20(1887)年架橋の東海道本線・旧木曽川橋梁を転用したもので、国内最古の現役鉄道橋の一つなのだという。

 9:48、荒砥駅着。
 まず、車止めの先に行き、終着駅定番のアングルで撮影した。
e0320083_17373283.jpg
 写した直後に、車輌はホームを離れて行ってしまった。
e0320083_1740727.jpg
 このあと、線路が分岐するポイントのところまで戻り、右手の引き込み線の方に入り直して、さっきの車止めの横にある山形鉄道車輌基地に一旦入って、1輌ずつに切り離したあと、YR-882だけが再び分岐ポイントの方に向かっていった。
e0320083_1746876.jpg
 このあとYR-882はもう一度本線の方に戻って、それからホームに入ってきて、荒砥10:23発の赤湯行きとして運用されたはずである。わたしはこれには乗らず、1本あとの赤湯行きを利用する予定なので、最後までは見ていなかった。

 で、これがホームの方から駅舎の中を見たところ。
e0320083_17464371.jpg
 改まった改札口の柵などはない。平日の昼間は社員が配置され、土日は委託駅員に切り替わるかたちのようだ。いずれも朝と夜間は無人になる。
 中に掲示されていた旅客運賃表。駅の並びが判ると思うので載せておく。
e0320083_17473643.jpg
 わたしはこのあと、西大塚⑤→羽前成田⑪→長井⑨→宮内②の順で訪問しようと考えている。

 荒砥駅の外観と駅前広場。
e0320083_1748169.jpg
e0320083_17484851.jpg
e0320083_17491954.jpg
 駅舎は平成15(2003)年にリニューアルされたもののようだ。駅は新しいが、駅前に商店などはなく、人家も疎らな田舎ののんびりした風景である。

 さて、計画ではこのあと、さっきの最上川橋梁まで歩いて行ってみることになっていた。距離としてはたいしたことはないのだが、このかんかん照りの下では、正直どうしようか最後まで迷った。結局、奮起一番行ってきましたが、日陰などは全くなく、高齢者の無謀な行動と誰かに言われても言葉を返せなかったと思う。

 駅前の道を右にどんどん行くと、上を跨いでいる県道に階段で上れるようになっていた。県道に上がって右に進むと、フラワー長井線の線路を跨ぎ、最上川を渡る橋に続いていた。
 右手には荒砥駅が見えている。YR-882がホームに入っているのが判る。
e0320083_17511918.jpg
 左手には最上川橋梁が見えている。
e0320083_1752392.jpg
 何も遮るもののない日射しを受けながら、さらに最上川の土手まで歩いた。
e0320083_17524555.jpg
 土手伝いに橋梁に近付いて行った。
e0320083_17532743.jpg

 そろそろかなと腕時計を見ていると、やって来た。荒砥駅を発車した赤湯行きの1輌。
e0320083_1754944.jpg
 ところが、どう撮るかなど何も考えていなかったことに、その時になって気付かされた。予想以上のスピードで(実際はそれほどのスピードではなかったかもしれないが)、YR-882はあっという間に鉄橋を渡り終えて行ってしまった。
e0320083_17545698.jpg
e0320083_17552627.jpg
 汗だくになりながらここまで来たのに、わたしは撮り鉄には向いていないと思い知らされた。まあ、何事もやってみなければ判らないものなのである。

 最後にもう一枚。最上川橋梁。
e0320083_1756523.jpg

 さて、猛烈な暑さの中を再び駅に戻ったのは10:40過ぎだったろうか。次の赤湯行きは11:42だから、まだ1時間ほどある。
 しかし、時間はあってもこのかんかん照りでは、駅の周囲を少し散歩などとのどかなことはやっていられないだろうと思った。さてどうしたものかと思案しながら、待合所のイスに座ってポカリスエットで水分補給をしていたら、ちょうどトイレから出てきた初老の委託駅員さんが話しかけてきた。
 どこから来たのかという定番の質問から始まって、ぽつぽつ言葉を交わしているうちに、こっちに来て少し涼んで行かないかということになった。すぐ脇に小さな駅事務室があって、そこはクーラーが効いていたのである。
 せっかくだから言葉に甘えて、この委託駅員さんの話し相手になることにした。

 歳は70半ばと言っていたが、とにかく元気で話し好きな人だった。次から次へと繰り出される話題は全く途切れることがなく、ほとんどの時間わたしは聞き役一辺倒で、ずっと楽しく涼ませてもらうことになった。
 普段は数キロ離れた山あいのお寺の住職をしているということで、委託駅員は土日を3人のローテーションで回しているから、3週に1度のボランティアなのだという。娘さんが結婚して八王子(!)に住んでいるというのが話しの糸口になったと思う。あとは家族のこと、お寺の経営のこと、修行のこと、お酒にまつわる失敗談など、とにかく止まるところを知らなかった。

 申し訳ない気分もあったが、そろそろ折り返しの列車がやって来るから、その前に一服したいのだと話の腰を折り、休ませてもらったことに感謝しながら外に出て、ホームの灰皿のところで1本吸っていると、そこまで出てきてまたひとしきり話し込んだ。
 きょうは雲がかかってしまったが、この先に飯豊山(いいでさん)が見えるのだと言われたその方向、雲の隙間に雪の残る山肌の一部がうっすらと見えたような気がした。
 最後に名刺をくれた。わたしも記念に、一枚だけ写真を撮らせて貰った。しかし、許可をいただいた訳ではないから、恐らく文句など言わないだろうとは思うけれど、ここに掲載するのはやめておくことにする。いつまでもお元気で!

 というわけで、荒砥駅11:42発・上り赤湯行き。YR-886、車内はセミクロスシートだったと思うが、メモし忘れているのではっきりしない。
e0320083_1893063.jpg
 これで一気に西大塚(にしおおつか)駅⑤まで戻る計画である。

 途中、一つ手前の今泉(いまいずみ)駅⑥に停車した時、昨日この駅をあちこち歩き回ったのに、なぜかこのフラワー長井線のホームにだけ降りなかったことに気付いた。どうしてだったのかよくわからない。だが、今回の旅でそこだけが妙な心残りになってしまったのである。
e0320083_18112457.jpg

by krmtdir90 | 2014-07-31 18:17 | 鉄道の旅 | Comments(0)

続・東北の旅③米坂線は途中が不通・今泉駅(2014.7.25)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 米沢駅前の様子。
e0320083_14111100.jpg

 峠駅から戻ってきたが、きょうのメイン・米坂線の発車までまだ1時間半もある。一旦ホテルに戻って休憩することも考えたが、ホテル往復で日なたを歩かなければならないし、面倒なので駅の周辺でウロウロして過ごすことにした。
 そして、何の気なしに発車時刻などを知らせる電光表示を見上げたところ、10:29発の米坂線の行き先が坂町(さかまち)ではなく羽前椿(うぜんつばき)になっているのに気付いたのである。駅員に聞いてみると、7月9日の大雨の影響で羽前椿・小国(おぐに)間が不通になっていて、バスの代行輸送になるのだと言う。言われてみると、改札を出たところにあまり目立つとは言えないこんな掲示が出ていた。
e0320083_14113926.jpg

 実は、明日乗る予定の山形鉄道もこの大雨で不通になり、こちらは7月20日に復旧したことをホームページで確認していたのだが、JRの方は何となくノーマークだったのである。
 現場の状況が判らないから一概に言うことはできないが、弱小第3セクターは早く復旧させなければすぐに倒産に結びつくような切実さがあるのに対し、JRはこんな赤字路線が動かなくても全く困らないし、もしかすると別に復旧を急ぐ理由はないというような気分があるのかもしれないと思った。最近、JRに対してはついつい厳しい言い方になってしまうのだが、バスの代行輸送がほとんど同じ所要時間で可能なのだから、この際バスに転換してしまいましょうなどと言い出すことがないよう願っている。

 まあ、こうなっては仕方がない。一応、18きっぷも代行輸送の利用ができることを駅員に確かめてから、代行輸送というものがどんなものか一度経験するのもいいかもしれないと思い直して、予定通り坂町まで行って来ることにした。

 右手前が車止めになっている米沢駅4番線ホーム。10:29発・米坂線・羽前椿行き。さっきの掲示で、代行輸送を利用する場合は羽前椿駅まで行かず、手前の今泉駅で下車するようにと書いてあった。
e0320083_14122469.jpg
 キハ110系の2輌編成である。今回は乗り通せなくなってしまったが、米坂線は山形県の米沢と新潟県の坂町を結んでいる非電化単線の路線である。
e0320083_14125819.jpg

 さて、列車はほぼ定刻に発車したが、何となく途中駅などを撮影する気分が湧いてこない。気勢を削がれるというのは、こんな感じのことを言うのだろうと思った。
 ただ、車窓に広がる一面の田んぼの緑は非常に美しかった。
e0320083_14133094.jpg

 10:58、今泉(いまいずみ)駅着。下車すると駅員の誘導があって、あわただしく駅の外へ。わたしは身軽だが、大きな荷物のある人は大変だ。
 駅前には大型の観光バスが待っていた。これが小国駅に直行するバスだという。もう一台、小型のバスもいて、それは途中の各駅を経由して小国に向かうということのようだった。
e0320083_1414048.jpg

 せっかくだから、大型の一番前の眺望のいい席を確保した。
e0320083_1414514.jpg
 帰ってから調べてみると、今泉から坂町にかけては、国道113号線(通称・小国街道)というのが米坂線とほとんど付かず離れず通じていることが判った。これを機に、JRがバス転換を言い出す条件は整っているのである。

 右の窓になったり左の窓になったりしたが、米坂線の線路がけっこう間近に見え隠れしていた。
e0320083_14152480.jpg
 駅も見えた。原板を拡大してみると、羽前沼沢(うぜんぬまざわ)という駅名板の文字が読み取れた。
e0320083_14155445.jpg
 駅舎はこの建物のようだ。
e0320083_14162599.jpg
 具体的な不通箇所は判らなかったが、この区間はやはり山間部で、道路の方もけっこうトンネルを出たり入ったりした。
e0320083_14164949.jpg

 バスは11:43頃、小国駅に到着した。
e0320083_14173418.jpg
e0320083_141866.jpg
 また誘導があって、11:48発の列車が停まっているから乗り換えるようにということだった。
e0320083_14191388.jpg
e0320083_14194175.jpg
 向こう側のホームだから跨線橋の上り下りがある。
e0320083_14201123.jpg
 けっこう急かされる感じでみんなが乗り終わると、少ししてから放送があって、各駅経由の代行バスの到着を待つから発車はしばらく見合わせるということだった。焦る必要はなかったのである。

 不通になって2週間にもなるのに、JRの段取りは悪すぎるという印象を持った。年寄りや重い荷物を持った人もいるのだから、少なくとも改札を入ってすぐのホームに列車を待たせておくくらいの配慮はできるのではないかと思った。
 怒ったところで仕方ないから、わたしはまあ、ゆっくりしましたけどね。

 今度の車輌はキハE120形というもので、やはり2輌編成だった。
e0320083_14212943.jpg
 側面に、磐越西線のイメージキャラクターだというオコジョのイラストが描かれていた。
e0320083_14215557.jpg
 これが車内。
e0320083_14222166.jpg
 結局、この列車は約20分遅れで小国駅を発車した。

 坂町駅着は時刻表では12:24になっているが、実際は12:43頃だったと思う。
e0320083_14225754.jpg
 間もなく、向かいのホームから羽越本線の普通列車が発車していった。乗り換えでまた急かされた人がいたのではないだろうか。
e0320083_14232945.jpg

 他の乗客よりかなり遅れて改札口に行くと、このあとどういう計画なのかと駅員に聞かれた。13:34発の米坂線で戻るのだと言うと、その列車は運休で、代行バスが出るので13:30までにここに戻って来てほしいと言われた。何だかよく判らないが、言われたようにするしかないのだろう。あと40分ほどである。
e0320083_1424898.jpg

 これが坂町駅の外観。よく晴れていて、日射しが痛いほどだ。
e0320083_14244215.jpg
 広場の片隅にD51の動輪があった。
e0320083_14251716.jpg
 駅前の通り。右手のいこい食堂で肉野菜炒め定食を食べた。
e0320083_14255342.jpg

 食堂を出ると、駅前に代行バスが停車していた。
e0320083_14262748.jpg
 駅の待合室には代行バスに乗る乗客が30人ぐらいいて、少しして駅員がやってきて、大型バスが米沢駅直通、うしろのワンボックス車が途中駅を経由するバスになると説明した。わたしは当初からの計画で、途中の今泉駅で1時間あまりぶらぶらしたいと思っていたので、ワンボックス車の方に乗った。乗客は7人だった。
 13:35頃、坂町駅を発車した。

 すぐ次の越後大島(えちごおおしま)駅で女性2人が下車した。
e0320083_14273114.jpg
 その後、小国駅まではすべての駅を経由して、降りるお客がいなくても乗ってくるお客がいないか確認していた。大型バスの方も、ワンボックスが戻ってくるのを国道の方で待っていたようである。ほんの僅かな可能性でも、13:34発の小国行きが動いていたとすれば、それを利用して小国に出て、代行バスを乗り継いで米沢に出たいという乗客がいる可能性は、ゼロとは言えないということなのだろう。

 どのあたりか判らないが、米坂線の鉄橋がすぐ近くに見えた。
e0320083_14282027.jpg

 今泉駅に入って行くところの踏切で、ワンボックスはストップした。左手に今泉駅のホームが見えていて、15:06発の米沢行きが発車するところだった。
e0320083_1429057.jpg
 運休になった13:34坂町駅発の列車が動いていて、途中の不通区間もなかったとしたら、ここでこの列車になっていたはずなのである。タッチの差で接続できなかったことになる。
 わたしは初めからここで途中下車して、1本あとの列車で米沢に帰るつもりだったから、予定通り今泉駅で下車した。ところが、車の中ではずっと居眠りをしていた男性がわたしと一緒に下車して、接続しなかったことを知ってあわててワンボックスに戻るということもあった。

 ということで、今泉駅の外観と駅前の道、そして改札口。
e0320083_14295449.jpg
e0320083_14302596.jpg
e0320083_14305341.jpg
 午前中にここで代行バスに乗り継いだ時は、何だか気分的に慌ただしくて、駅の印象は全く残っていなかった。いまは非常に静かで、ゆったりした空気が漂っている。

 この駅で滞在時間を作ったのは、ここがあの宮脇俊三氏の名作「時刻表昭和史」で、昭和20(1945)年8月15日の舞台になった駅だからである。真夏の日射しが照りつける駅前広場で、19歳の宮脇氏が父とともにラジオから流れる玉音放送を聞き、放心したように止まってしまった時間が、いつもと同じようにやって来た蒸気機関車の運行とともに再び動き出すように感じる、あの感動的なシーンの駅だったからである。
 もちろん駅舎などは昔のままではないし、狭い駅前広場も昔は恐らく舗装などされてはいなかっただろう。しかし、あそこに書かれていたのは紛れもなくこの駅であり、ここであのシーンが起こったのである。これは、わたしにとってちょっとした「聖地巡礼」だったのかもしれない。

 それともう一つ、ここが明日乗る予定の山形鉄道フラワー長井線が米坂線と接続する駅だったということもある。奥羽本線・赤湯駅を出た長井線はこの駅で米坂線に接続し、少しの区間米坂線と線路を共有したあと、再び別れて荒砥駅に向かうのである。
 宮脇俊三氏はかの日、赤湯から当時の国鉄長井線でこの駅に来て、あのシーンのあと米坂線で坂町に抜け、羽越本線で疎開先の村上に戻ったのであった。きょうは宮脇氏と同じようにこの先の区間を走ることはできなかったが、彼がそこに変わらない「日本の国土があり、山があり、樹が茂り、川は流れ、そして父と私が乗った汽車は、まちがいなく走っていた」と描写した、その思いの片鱗は感じることができたように思う。

 さて、少し駅の周囲を歩いてみたが、とにかく日射しが強くて、長く外に止まる気にはなれなかった。
 手前がフラワー長井線のホーム、奥が米坂線のホームである。米坂線のホームにはすでに、わたしの乗る16:26発の米沢行きと思われる2輌編成が停まっていた。
e0320083_1432449.jpg
 長井線も米坂線も、いまは2輌程度の短い編成しか運行していないから、もう長いこと使われていないホームの先端の方。手前が長井線、奥が米坂線のホームである。
e0320083_14331010.jpg

 跨線橋からの眺め。手前のフラワー長井線のホームの屋根は、この古さからして、もしかすると昭和20年当時からのものではないかと思う。
e0320083_14334995.jpg
 反対の小国・坂町方面の眺め。
e0320083_143451100.jpg
 手前の2本の線路がフラワー長井線の線路、向こうの2本が米坂線の線路である。さらに左の側線の線路を含めて、すべての線路が先の方で一つにまとまっているのが見える。この先しばらくの区間、両線は線路を共有していることが判る。

 米坂線のホームには灰皿があった。これはくわえ煙草で撮影。
e0320083_14353478.jpg
 停車中のキハ110系はすでにエンジンがかかっていて、試しに開閉ボタンを押してみたらドアは開いて、まだ発車まで30分以上あるのに車内は冷房で涼しくなっていた。しかし、暑いけれどまだ車内に閉じこもる気にはなれない。

 坂町・荒砥方面。
e0320083_1436199.jpg
 フラワー長井線のホームには、さっきから男子高校生が一人、暑さに耐えるようにじっと列車の到着を待っている。
e0320083_14365225.jpg
 米沢・赤湯方面。右が米坂線・米沢方面、左がフラワー長井線・赤湯方面である。
e0320083_14372733.jpg

 16:21頃、フラワー長井線の2輌編成がやって来た。
e0320083_14381274.jpg
 しばらく停車するようだ。わたしも米坂線の乗客になった。
 16:26、米坂線・米沢行きは発車した。
e0320083_14384667.jpg
e0320083_14392145.jpg

 最後に、無人の後部運転席横から少しだけ駅の写真を撮った。
 犬川(いぬかわ)駅。
e0320083_1440121.jpg
 羽前小松(うぜんこまつ)駅。ここで高校生が20人ほど乗って来た。
e0320083_14402955.jpg
 中郡(ちゅうぐん)駅。
e0320083_14405715.jpg
 成島(なるしま)駅。
e0320083_14412377.jpg
 このあと、西米沢、南米沢と停車して、南米沢ではまたかなりの数の高校生が乗ってきたが、17:02、列車は米沢駅に着いた。
by krmtdir90 | 2014-07-30 14:42 | 鉄道の旅 | Comments(0)

続・東北の旅②奥羽本線・峠駅の10分間(2014.7.25)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 この日は米坂線(よねさかせん)の方に行くつもりでいた。ところが列車が10:29発と遅いので、朝のうちに米沢の町を歩こうかと思っていた。しかし実際に来てみると、この町はポイントがどうもはっきりせず、お城も残っていないし、歩いて回るには少々広がり過ぎているような感じがした。
 それに、朝から晴れて早くも非常に暑いようだし、どうしようか決めかねていたのだが、昨日通った奥羽本線の衝撃的な駅のどれかに、朝の通勤時間帯なら行って来られるのではないかと不意に思いついた。時刻表に当たってみると、大沢駅か峠駅なら可能なことが判明した。大沢駅なら20分ほど、峠駅なら10分ほど滞在することができる。すぐにホテルを出れば間に合うことも判って、ホテルは連泊なので荷物などは持つ必要がないので、とにかく急いで出発した。

 米沢駅。8:08発の福島行き。719系5000番代の2輌編成である。
e0320083_13321876.jpg
 電車は深い山の中にぐんぐん分け入って行く。
e0320083_13324541.jpg
 2つの駅を比較すると、峠(とうげ)駅の方がずっと興味があった。10分という滞在時間はいかにも短いが、迷っていても仕方がない。

 8:25、峠駅に到着。わたしのほかに、地元の女性が2人下車したようだ。
e0320083_13333566.jpg
 こんな朝早くから峠の力餅の売り子が出ている。話を聞いてみたい気もするが、時間が限られているのでとりあえず後回しにする。
 電車は行ってしまった。
e0320083_13341427.jpg

 これが駅名板。
e0320083_1334391.jpg
 ホーム関連の施設はどれも新しい感じがするが、帰ってから調べてみると、以前はスイッチバックの部分がシェルターに覆われた屋外の駅だったらしい。しかし、平成2(1990)年の山形新幹線開業時に、スノーシェルター内の本線上に現在のホームが作られ、スイッチバックや旧駅の施設は廃止されてしまったもののようだ。

 ホームから米沢方向を見ると、本線の左側に、ゆるくカーブしたシェルターが分岐していて、これは恐らくスイッチバック時代の遺構だと思われるが、白いワンボックス車が停まっているので、そちらが外への出口になっているらしい。
e0320083_13384685.jpg
 で、とにかく構内踏切を渡って、そちらの方に行ってみることにする。

 構内踏切の途中から、米沢方向の本線シェルター出口。
e0320083_13393817.jpg
e0320083_13401856.jpg
 同じく踏切の途中から、反対の福島方向を見る。ホームの先の線路は、シェルターに覆われたまますぐトンネルに入っているようだ。
e0320083_13414748.jpg

 さて、構内踏切を渡り切って左側のシェルターの方に行くと、ずっと先の出口とは別に、すぐ左の所に横への出口が開いていた。
e0320083_13423787.jpg
 まず、その出口から出てみることにする。一段高くなった茂みに中に、新しそうな小さなログハウスのようなものが見えている(時間がないから、行って確かめることはできない)。
e0320083_13431858.jpg
 シェルターの外壁に峠駅の駅名表示があった。
e0320083_13435624.jpg
 余計な表示や飾りなどは一切ない、不思議に美しい眺めである。
e0320083_13442439.jpg

 シェルターの先の出口の方に行ってみる。そちらからの眺め。信号機などがそのまま残っている。
e0320083_13451096.jpg
 出口の先には建物があって、左手前の方は廃墟のようだが、奥の建物はちゃんとした現役で、どうやらここが峠の力餅の販売元であるらしい。
e0320083_13454757.jpg
 食事処・営業中の看板が出ているから、行ってみたかったが時間がない。中から出てきた男性はそのままシェルターの中に入って行き、ホームの方に行ったようだ。店の人だろうか。
e0320083_13461758.jpg

 思いつきの訪問だから仕方がないが、とにかく時間がない。戻ることにする。
 左側に狭軌の線路が一部分残っている。
e0320083_1347493.jpg
 さっきシェルター内に停まっていた白いワンボックスは、いつの間にかいなくなっていた。わたしと一緒に下車した女性2人の迎えの車だったのだろうか。やや離れた山中に秘湯の一軒宿があるようだから、そこで働いたりしているのかもしれない。
e0320083_1347437.jpg

 再びホームに戻る。
e0320083_13482383.jpg
 ホーム待合室。待合室のすぐ向こうに、さっき峠の茶屋から出てきた男性の姿がある。また、すぐ右手の奥の方に、さっきわたしが到着した時、確か待合室の中にいたお婆さんの姿も見える。
e0320083_13492498.jpg
 待合室の中の駅時刻表。
e0320083_13494891.jpg

 もう戻りの電車がやって来た。定刻通りである。
e0320083_13503542.jpg
 杖のお婆さんの向こう側が力餅の売り子、さらに左にもう一人別の男性もいた。この駅、けっこう利用者がいるのである。
e0320083_13511486.jpg
 峠駅8:35発、米沢行き。719系5000番代、2輌編成。
e0320083_13514572.jpg
 10分はあっという間だったが、実際に来て降りてみないと判らないことや見えない景色があるのである。充実の10分間だったと思う。8:52、米沢駅に戻った。

 戻る途中のおまけ。
 今度は様子が判っているので、次の大沢駅でも昨日と比べてずっと落ち着いて写すことができた。昨日と重複になるが、載せておくことにする。大沢駅、2枚。
e0320083_13523997.jpg
e0320083_13531168.jpg

by krmtdir90 | 2014-07-29 13:54 | 鉄道の旅 | Comments(2)

続・東北の旅①米沢への行き方(2014.7.24)

 今回、1日目は青春18きっぷで米沢まで行く。
 以前、同じきっぷで東北本線をひたすら北上し、盛岡まで行ったことがあったが(朝出て夕方には着くということだとそのあたりが限界だった)、今回はそれよりはずっと近いので、いままで乗ったことのないルートを辿ることにした。常磐線と磐越東線である。

 で、朝の上野駅。入線してきたのは、7:32発の常磐線・勝田行きである。
e0320083_22242848.jpg
 E531系という近郊形交直流電車のようだ。放送によると、これは15輌編成で、途中土浦駅で5輌を切り離すものの、残りの10輌で終点まで行くということだった。常磐線は本線ではないが、利用客の多い主要幹線なのである。そろそろ通勤時間帯になるが、都心から離れていくので混む感じではない。
 時間があるので、ホームを歩きながら少し見ていくと、途中にダブルデッカー(2階建て)のグリーン車が2輌挟まっていた。それ以外、普通車はロングシートばかりのように見えたが、10号車がセミクロスシートだったので、迷わず乗車してボックス席を確保した。最初から旅の気分が味わえるとは思っていなかったので、これはよかった。

 途中、我孫子(あびこ)までは快速運転なので、小さい駅は飛ばしていく。荒川を渡り、江戸川を越えると千葉県に入る。さらに利根川を過ぎると茨城県である。上野を出てから1時間も経っていないが、東京近郊とは言えこちらの方面には全く縁がなかったから、車窓の風景なども新鮮で楽しかった。
 ただ、夜行列車や新幹線で遠くまで一気に動いてしまうのと違うから、どうもなかなか気分が乗ってこないということはあったようで、この日はまめに写真を写すことはしていない。土浦駅での車輌切り離しも、10号車に乗っていたのだからその気になればすぐに見られたはずだが、結局見には行かなかった。

 終点の勝田は水戸駅の一つ先の駅で、その先に行くには水戸駅で始発に乗り継ぐことになる。ということで、9:32、水戸駅で下車する。同じホームの向かい側に、接続の9:34発・高萩行きが待っていた。415系という交直流電車である。奥に見えているのはキハE130系で、水郡線の気動車と思われる。
e0320083_22282886.jpg
 わたしはこの高萩行きには乗らず、一台遅らせて水戸駅の様子を見ていくつもりである。先を急いでも、午後に乗る列車の関係であまり意味がないのである。

 水戸駅は橋上駅で、改札口を出ると南北自由連絡通路に面している。天井からの吊り広告で、今年の全国高等学校総合文化祭が茨城で行われることを思い出した。
e0320083_2229098.jpg
 両方の出口に行ってみたが、どちらも2階にあたる連絡通路が、そのままの平面で駅前ロータリーを覆うようなかたちになっている。こちらは北口の方。
e0320083_22293751.jpg
 北口の写真を選んだのは、こちらに黄門さまと助さん格さんがいたから。
e0320083_2230061.jpg

 10:05発のいわき行きに乗車した。さっき乗らなかったのと同じ415系電車の4輌編成だった。車内はロングシート。仕方がない。

 さて、いわき駅までの途中、どこかで一駅寄り道する余裕がある。事前に何も調べてこなかったので、11:20、勿来(なこそ)駅で下車してみた。何となく、昔の歌枕「勿来関(なこそのせき)」のことが頭にあったのである。
e0320083_22304727.jpg
 駅舎はどうということもないものだったが、駅前に源義家(みなもとのよしいえ)の「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)の歌碑があり、義家らしき馬上の武人の銅像が立っていた。まあ、これもどうということもない。
e0320083_22311419.jpg

 ホームで次の電車を待ちながら、ちょっと胸を突かれたのがこの番線表示。
e0320083_22314169.jpg
 「いわき・竜田方面」と「竜田駅」の文字がそこだけ新しい。たぶん5月までは、ここは「広野方面」「広野駅」となっていたのだろう。もちろん、東日本大震災までは「いわき・仙台方面」となっていたはずの表示である。
 そして、もし原発事故がなかったら、時間はかかっても復旧は見通せたはずなのだから、わざわざこんな断り書きを入れた新しい表示板に掛け替えただろうか。かたちの上では「運休」であっても、もう一度「いわき・仙台方面」に戻ることはないのではないかという、そんなことを考えてしまう表示だった。

 特急スーパーひたち・上野行きが通過していく。震災前は何本かが仙台始発だったが、いまはすべてがいわき始発で運行されている。
e0320083_22321440.jpg
 入れ替わるように、11:41発のいわき行きが入って来た。E501系という交直流電車の5輌編成で、これも車内はロングシートだった。
e0320083_22324489.jpg
 書き忘れたが、常磐線は勿来駅から福島県に入っている。

 12:15、いわき駅着。次に辿る磐越東線(ばんえつとうせん)までは1時間弱の乗り換え時間である。
 ここも橋上駅で、改札を出ると南北自由連絡通路になっている。
e0320083_22331866.jpg
 南口を出ると、ここも水戸駅同様、ロータリーを覆うように広いブリッジが各方向に下りられるようになっている。
e0320083_2234193.jpg
 外を歩いて食事場所を探すのが面倒で、昼食は駅そばですませてしまった。

 連絡通路から見下ろすと、恐らく磐越東線を走るのであろうオリジナルカラーのキハ110系2輌編成が待機しているのが見えた。磐越東線は非電化の単線なのである。
e0320083_22343766.jpg

 いわき駅6番線に入線してくる、13:13発の磐越東線・郡山行き。待機していた車輌である。
e0320083_2235862.jpg
 車内はセミクロスシートだが、窓は開けられない。あまり動き回るのは止して、のんびり乗って行くことにする。時刻表を数えてみると、いわき・郡山間には駅は14あったのだが、写真は非常に少ない。

 いわきを出てから2つ目の、小川郷(おがわごう)駅というのがなかなかいい感じの木造駅舎だったのだが、準備もしていなかったし窓も開かなかったので写真は撮っていない。詩人の草野心平がこのあたりの出身だったようで、生家が近くにあるという表示が出ていた。

 どの区間で撮ったのか、後部運転席横から。
e0320083_22355884.jpg
 今回は新しいコンパクトカメラ(Nikon COOLPIX S9600)を持ってきているので、試し撮りという感覚だったかもしれない。

 いわきから7つ目の神俣(かんまた)駅で、列車の行き違いがあった。14:03、こちらが発車するのとほとんど同時に、いわき行きの3輌編成も発車していった。
e0320083_2236537.jpg
 いわきから9つ目の大越(おおごえ)駅。
e0320083_22372982.jpg
 その次の磐城常葉(いわきときわ)駅。
e0320083_2238467.jpg
 駅名板の下部にある「ゆうゆうあぶくまライン」というのが磐越東線の愛称らしいが、これは阿武隈川に沿って走るということではなく、阿武隈高地(そういう呼び名があるとは知らなかった)を走るということを表しているらしい。

 郡山の2つ手前、三春(みはる)駅で列車行き違い。向こうの2輌編成はサイドに何かラッピングがあったようだが、内容はよく判らなかった。
e0320083_22384543.jpg
 郡山の1つ手前、舞木(もうぎ)駅。ちょっと読めないね。
e0320083_22391740.jpg

 ということで、14:48、郡山(こおりやま)駅着。
 階段を上って隣のホームへ。14:53発の東北本線・福島行き。
e0320083_22395032.jpg
 701系という、東北地方で広く見られる通勤形交流電車のようだ。塗装は何種類かあって、秋田や弘前の方では濃いピンクの帯だった。車内はロングシート、3輌編成だった。

 この電車では、1輌目の運転席に一番近い席に座っていたのだが、この見慣れない薄いグリーンの箱に注目。
e0320083_22402316.jpg
 どうも、この時間のこの電車に取り付けられることが決まっているものらしい。電車が駅に停まるたびに、ホームで待っていた駅員が乗ってきて、A5サイズぐらいのちょっと厚みのある黒っぽい鞄のようなものを、この箱に入れて行くのだ。取っ手の下が扉になっていて、蓋を開けて鞄を入れると、その下の板のような部分をぐっと引き出して元に戻す。板の上に置かれた鞄は下の部分に落ちるのだろう。すると、取っ手の上の右寄りにある、小さな口からレシートのようなものが出てきて、駅員はそれを持って降りていく。
 これが駅ごとに繰り返されるのである。よく判らないが、どうも売り上げか何かの現金回収箱というようなものではないかと想像した。違っているかもしれないが、これに興味を奪われているうちに、15:40、電車は福島駅に着いた。

 福島駅16:04発、奥羽本線・米沢行き。719系という交流電車の2輌編成、車内はセミクロスシートである。
e0320083_224366.jpg
 ここから先、米沢・山形を経て新庄までは、ミニ新幹線方式の山形新幹線が走る区間である。したがって、福島・新庄間の線路は標準軌に改められていて、この区間を走る普通車輌も標準軌用の台車に改められている。5000番代というのがそれで、たまたまこれが5001番の車輌だった。
e0320083_22435311.jpg
 JRでは、福島・新庄間の奥羽本線を特に山形線と呼んでいるようだが、複線になっている区間の方が少なく、単線区間の方が多いままである。また線形が厳しいため、秋田新幹線・こまちのようなロングノーズの流線型車輌は導入できない制約があるらしい。

 さて、運転席横から標準軌の線路を見る。確かに広い。
e0320083_22443277.jpg
 左手には東北新幹線の福島駅ホームが高架になっている。
e0320083_22454496.jpg
 福島を出た山形新幹線の線路は左にカーブを切り、高架を下りてこちらの線路と合流することになるのである。

 ところで、この車輌には女性の車掌が乗っていて、車内アナウンスは女性の声である。最近ではそれほど珍しいことではなくなったが、鉄道=男の職場というイメージが壊れているのはいいことだと思う。
 なお、この日乗った路線でワンマン運転だったのは磐越東線だけで、あとは全部車掌の乗る普通の運行形態だった。

 奥羽本線の福島・米沢間というのは、山越えの非常に厳しい区間だというのは知っていたが、実際に乗ってみて(福島・新庄間はまだ乗っていない区間だった)その厳しさを実感した。スイッチバックなどは、新幹線が入って標準軌にする時にすべて解消したようだが、ここを新幹線が走っているのかと驚くような箇所が少なくなかった。

 福島駅を出て2つ目の庭坂(にわさか)駅。こうして見ると、線路の間隔は確かに広いと感じられるようだ。
e0320083_22465998.jpg
 次の赤岩(あかいわ)駅。秘境駅ランキング12位の駅である。
e0320083_22473273.jpg
 駅名板が2種類あるようだ。
e0320083_22475892.jpg
 窓が開けられないので、駅の全貌というものは非常に把握しにくい。

 次の板谷(いたや)駅で山形県に入ったはずである。この駅はホーム全体がスノーシェルターに覆われていたと思うが、そういう状況に対して準備が出来ていなかったので、写真は撮れていない。

 次の峠(とうげ)駅もシェルターに覆われた駅。ランキングでは48位である。ここは準備して、開閉ボタンでドアを開けて素早く撮影した。
e0320083_22485631.jpg
e0320083_22493510.jpg
 思いがけず、駅売りの人がいた。調べてみると、近くの茶屋の人が峠の力餅というのを売りに来ているらしい。極めて短い停車時間に、買う人がいるのだろうか。

 次の大沢(おおさわ)駅もシェルターの中だった。
e0320083_22501094.jpg
e0320083_2250357.jpg
 ランキングは124位だが、実際に降りてみなければ周囲の様子は判らない。だが、どれも衝撃力の非常に高い駅だった。

 16:51、米沢駅に着いた。
 車輌の幅に対する標準軌の線路の幅を再確認。
e0320083_22511246.jpg
 少し待てば新幹線が来ることを確認し、ホームの隅にある喫煙スペースで待っていると、やって来たつばさ143号・山形行き。
e0320083_2252034.jpg
 左に停まっているのがわたしが乗ってきた車輌である。折り返し・福島行きになるようだ。

 ということで、再び東北の旅である。

 何だか妙にオシャレな米沢駅外観。
e0320083_22574136.jpg
 きょうは一日中曇り空だったが、夕方になって熱い日射しが照りつけてきた。天気は回復して、明日からは非常に暑くなるらしい。
by krmtdir90 | 2014-07-28 22:58 | 鉄道の旅 | Comments(0)

只見線のこと

 JR只見線はまだ乗っていない路線である。東日本大震災のあった平成23(2011)年7月に新潟・福島豪雨のため不通となり、3年経ったいまも、会津川口・只見駅間が不通になったまま復旧のめどが立っていなのである。
 わたしが鉄道に興味を覚えたのは最近のことだが、只見線は早い段階から乗ってみたいと思っていた路線の一つだった。全線復旧したら乗りに行こうと待っているうちに、月日だけが経過してしまった。

 最近になって、JR東日本が只見線を復旧する気がないらしいことを新聞で知った。いろいろ調べてみたら、JRが試算した概算の復旧費用が85億円ということで、JR東日本は、民間企業なのだからそんな大金を使って赤字路線を再開することはできないと言っているらしい。
 沿線自治体は、鉄道は地域に不可欠の交通手段であるとして、一貫して早期の復旧をJRに働きかけているようだが、費用の大半を沿線の方で用意しなければ、JRとしては復旧工事は始めらないということのようである。

 こんなバカげた話があるだろうか。都合が悪くなった時だけ民間の損得勘定を持ち出し、鉄道の公共的使命など全く考えていないのである。彼らにとっては、赤字路線は営業努力の対象でも何でもなく、何かあれば切り捨てても何の未練もないお荷物に過ぎなかったのである。
 民営化されたJRという会社には、儲からない路線はチャンスがあればいつでも切り捨てるという頭しかなく、只見線を襲った豪雨はその絶好の機会としか映っていないように見えるのである。只見線は日本でも五指に入る絶景路線ということだが、損得しか見えない彼らには、そういう路線を守り育てていくという視点など微塵もないのだろう。

 大型公共工事には前のめりになる国も、道路整備や新幹線などにはどんどん補助を付けるくせに、たかが(と敢えて言わせてもらう)85億円の予算補助ができないのである。安全などあり得ない原発の安全のためと称して、桁違いの血税が浪費されているのにである。
 全国に張り巡らされた鉄道線路は(すでにずいぶん失われてしまったが)、国として守っていかなければならない大切な文化遺産ではないだろうか。経済一辺倒の政治はいい加減に終わりにしなければならないと思う。

 自民党の石破幹事長が鉄道ファンだという記事をどこかで読んだ記憶があるが、国民にとって本当に大切なものは何なのかということを、原点に帰って考えてもらいたいと思う。
 地方の特色あるローカル線が豪雨被害のたびに廃線となり、新幹線と高速道路が主要大都市を結ぶだけになってしまった国土など、一体何の価値があると言うのだろう。

 先日全線復旧した三陸鉄道のことを考えれば、JRの経営姿勢がおかしいことは誰の目にも明白ではないか。線路が失われてしまったら、どれだけ貴重な生活や文化が失われるのか、想像力を失った経営や政治は罪悪と言うべきである。
 JR東日本は立派な黒字を計上している会社なのである。先日はまた、足湯を備えたサロンカーを新幹線に新造するなどという、信じがたいバカな計画を発表していたようだが、たった85億円をかけて日本を代表する美しい鉄路を守ることもできなくて、鉄道会社の矜恃はどこに行ってしまったのかと問いたいのである。

 JR東日本、早く只見線を復旧させてもらいたい。わたしもいまは元気だが、いつまでこうして鉄道旅が続けられるかは判らないのである。
by krmtdir90 | 2014-07-09 21:52 | 鉄道の旅 | Comments(0)

東北の旅⑨秋田内陸縦貫鉄道2(2014.6.30)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 阿仁合(あにあい)駅に戻ってきたが、待ち時間はまだ30分以上ある。
 時刻表を見ていたら、急行もりよし2号・鷹巣行きというのが間もなく来るはずである。見に行くことにした。広場に出て、秋田内陸縦貫鉄道本社の建物の向こう側が、線路にかなり近づけて見通しのある場所になっている。
 やって来た(13:11着)。ライトブルーのAN8807号だった。
e0320083_2121346.jpg
 何年か前まで急行はAN8900形という車輌の2輌編成だったようだが、いまは8800形1輌での運行になってしまったらしい。内陸線のホームページを見ると、急行料金は50キロまでは160円、それを超えると320円である。

 停車時間は3分。乗客数人が乗り込んだ後も、ホームには十数人が残って発車を待っている。どうやら誰かそれなりの人が、転勤か何かでこの町を離れるということではなかろうか。恐らくこの人たちはその見送りに来たのであろう。
e0320083_2135969.jpg
 バンザイをしないかなとひそかに待っていたが、さすがにそれはなく、ちょっと手を振る程度の別れだった。
 行ってしまった(13:14発)。この車体色もけっこういいと思った。
e0320083_2143857.jpg

 さて、わたしの乗る角館行きは13:43発で、10分前くらいに改札が始まった。と言ってもいまのところ、わたしの他にやはり旅行中と思われる夫婦の2人連れしか見えない。
 AN8804号。調べてみると、これがいろいろな色に塗り分けられる前の、オリジナルの塗装だったようだ。いまはこれ1輌だけが残っているらしい。
e0320083_2153640.jpg
 駅名表示板を撮ってなかったことに気付いて、一応パチリ。
e0320083_216197.jpg
 ここで角館行きに接続する13:41着の列車が鷹巣からやって来た。黄色い塗装のAN8801号である。
e0320083_2174924.jpg
 乗り継ぎ客が数人こちらに乗って来たが、座席はまだ余裕である。角館行きは定刻13:43に阿仁合駅を発車した。

 この車輌には女性アテンダントが乗っていて、沿線の説明をしてくれたり小さなワゴンを押して車内販売をしたりしていた。
 で、萱草(かやくさ)駅を出て少し行くと案内があり、列車はスピードを落とした。阿仁川の上流に架かる大又川(おおまたがわ)橋梁の通過である。
e0320083_2185531.jpg
 反対側の窓からは、並行して走る国道105号の橋脚なども見える。
e0320083_2192076.jpg
 実は、この橋梁は内陸線の有名な撮影スポットになっているらしく、乗っていては判らないが、赤く塗られた橋梁の鉄骨とカラフルな内陸線の車輌が山の緑や雪景色にマッチして、多くの撮り鉄を集めているのだという。でも、撮り鉄というのはいくら集まっても、鉄道会社の赤字解消にはほとんど貢献していないらしい。困ったものである。

 笑内(おかしない)駅。阿仁合駅を出て3つ目の駅である。奇妙な駅名だが、このあたりの地名で、元々はアイヌ語が発祥であるらしい。
e0320083_21123376.jpg
e0320083_2113324.jpg
 次の岩野目(いわのめ)駅。
e0320083_21132896.jpg
 秋田杉の山間を行く。
e0320083_21135321.jpg
 次は比立内(ひたちない)駅。
e0320083_211445100.jpg
 この先、7つ目の松葉(まつば)駅までの区間が、平成元(1989)年、最後に開通した区間ということのようだ。

 奥阿仁(おくあに)駅。
e0320083_211697.jpg
e0320083_21163436.jpg
 阿仁マタギ駅。ここで、山行の帰りとおぼしい登山装備の6,7人が乗車してきた。
e0320083_21171031.jpg
e0320083_21174058.jpg
 ここは北秋田市・旧阿仁町最後の駅である。マタギとは、主に東北地方の山間部で古来からの方法で集団により狩猟を行う者たちのことで、このあたりは昔からそうしたマタギ集落が広く点在していた土地なのだという。

 阿仁マタギ駅を出ると、間もなく列車は十二段トンネルという長いトンネルに進入した。ここではアテンダントの説明が熱を帯びた。
 全長5697m、ロングレールの高規格トンネルで、ほぼ直線で作られているため、どこまで行っても後ろの入口の光が見え続けるのだという。なるほど、いつまで経っても、小さな点のようになって見えている。
 さらに、途中20秒間ほど、後ろの入口と前の出口の光が同時に見られる区間があるのだという。言われた通り、確かにそれは確認できた。若干傾斜がついているため、入口の光はやがて見えなくなってしまったが、何とも驚きのトンネルだった。

 このトンネル内の出来事は写真に撮ることはできなかったが、トンネルを出たところは一応写しておいた。十二段トンネル出口である。
e0320083_2119642.jpg
 十二段トンネルは内陸線の中で最も標高の高い地点で(調べたが何メートルかは判らなかった)、鷹巣からずっと標高を上げてきた線路は、このトンネルから先は角館まで徐々に標高を下げていくことになる。時折沿線に見え隠れする川の流れも、これまでとは逆向きになるのである。寄り添う川は、秋田市内で日本海に注ぐ雄物川の支流、桧木内(ひのきない)川である。

 トンネルを出て最初の駅、戸沢(とざわ)駅。ここからは仙北市である。
e0320083_21211199.jpg
e0320083_21213891.jpg
 次の上桧木内(かみひのきない)駅は1面2線の島式ホームを持つ列車交換可能駅で、交換待ち停車が行われた。
e0320083_21223098.jpg
 この駅はホーム上に待合室があるだけで、下の広場には自転車置き場しか見えなかった。
e0320083_21232396.jpg
 しかし、待合室の中は明るくきれいに整頓され、一晩くらいならここに泊まってもよさそうな気がした。
e0320083_2124313.jpg
 行き違いになるオレンジ色のAN8803号がやって来た。
e0320083_21243084.jpg

 左通(さどおり)駅。
e0320083_21251275.jpg
 羽後中里(うごなかざと)駅。
e0320083_21254669.jpg
e0320083_21261170.jpg
 阿仁合駅を出て以降、途中の笑内駅からここまで、停車駅は全部撮影してきたが、ここで休憩時間に入ってしまった。まあ計画的にやっていることではないから、そういうことも仕方がないのである。
 ただ途中駅を4つ飛ばして、角館の一つ手前、羽後太田(うごおおた)駅だけ思い出したように写している。別にどうということもない駅だったが。
e0320083_2127373.jpg

 15:10、角館(かくのだて)駅の内陸線ホームに着いた。右は新幹線などが発着しているJRの1番線ホームである。
e0320083_21275441.jpg
 内陸線の角館駅出口。
e0320083_21282050.jpg
 中はこんな感じ。
e0320083_21285091.jpg
 外に出て、内陸線の角館駅駅舎。
e0320083_21294785.jpg
 と言うか、実際に使われている出口はこの写真の右側にあり、こちらの建物は待合所というか休憩所というか、とにかく駅機能とは直接関係のない観光客向けスペースのようになっていた。わたしが入ろうとすると、地元の男子高校生5,6人がドヤドヤと出てきた。

 さて、JR角館駅。
e0320083_21312319.jpg
e0320083_21314543.jpg
 いつ建てられたものか知らないが、いかにも観光客を意識したこの小洒落た雰囲気は好きになれない。駅前の様子もいかにもといった感じで、写真は一枚も撮っていない。

 改札口。
e0320083_21352790.jpg
 電光掲示板に「こまち」ばかりが並ぶ中、「普通」が一台だけ紛れ込んでいる。これ、乗ってあげたいなあと非常に強く思った。

 で、最後は秋田新幹線・こまち26号。角館、15:51発。
e0320083_21362281.jpg
 帰りは、18:38、大宮着。
 18:47、大宮発の武蔵野線経由・むさしの号で、19:46、八王子着。おしまい。
by krmtdir90 | 2014-07-07 21:37 | 鉄道の旅 | Comments(0)

東北の旅⑧秋田内陸縦貫鉄道1(2014.6.30)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 最終日。きょうも一日、変わりやすい天気ということのようだ。
 弘前駅のホーム。右がわたしの乗る9:02発、奥羽本線・大館行き。左に五能線に向かうリゾートしらかみの車輌が停まっていた。
e0320083_17472278.jpg

 弘前駅を発車してすぐ、次の石川駅で交換待ち停車があった。行き違ったのは特急つがる1号・青森行き。
e0320083_17482065.jpg
 だが、この写真では特急の上方に注目してほしい。すぐ上を深緑色の鉄橋が跨いでいて、左右の高架に続いているのが判るだろうか。これは、昨日乗った弘南鉄道大鰐線の線路なのである。昨夜のうちにマークはしていたのだが、こんなかたちで写真に収められるとは思っていなかった。朝からツイている。

 9:44、大館駅着。10:01発・秋田行きに乗り継ぐ。
 10:17、鷹ノ巣(たかのす)駅着。下車する。
 改札を出たところ。
e0320083_17485967.jpg
 駅前の様子。
e0320083_17492386.jpg
 JR鷹ノ巣駅の外観。
e0320083_17494630.jpg

 きょうはこれから秋田内陸縦貫鉄道に乗って角館まで行こうと思っている。94.2キロを走る第三セクター線である。一般的には「(秋田)内陸線」と呼ばれており、「あきた♥美人ライン」という恥ずかしい愛称がつけられているらしい。

 さて、JRの駅舎と並んで左側に内陸線の駅舎が建っている。同じ「たかのす」だが、こちらは鷹巣駅という表記になる。
e0320083_17502594.jpg
 これが内部。
e0320083_17505887.jpg
 窓口で、途中の主要駅である阿仁合(あにあい)駅までのきっぷを買った。土日祝日にはフリーきっぷもあるらしいが、きょうは月曜日である。きっぷは残念ながら硬券ではなかった。
e0320083_17513255.jpg

 改札口は別だが、中に入ればホームはJRと一緒である。左に進むと、鮮やかな黄緑色のディーゼルカーが停まっていた。もちろん1輌である。
e0320083_17521227.jpg
e0320083_17524186.jpg
 車内はこんな感じ。
e0320083_17531111.jpg
 まだ余裕がありそうなので、もう一度ホームに下りて写真を追加。
e0320083_17534515.jpg
e0320083_17541819.jpg
 この車輌はAN8800形と呼ばれるもので、9輌あるうちの8805号である。

 10:29、接続の関係とかで少し遅れたが、阿仁合行きは鷹巣駅を発車した。外は少し雨がぱらついている。以後、日射しが覗いたり一転雨になったり、天気は目まぐるしく変化した。
 全線ではけっこう長い時間乗ることになるので、途中駅撮影制覇はやめにして、気ままに撮影していこうと思っている。

 この内陸線の基本の風景は次の二つである。
 一つは、両側に迫ってくる秋田杉の美林。
e0320083_1755560.jpg
 もう一つは、林を抜けて山間の平地に開けた田んぼや畑。
e0320083_17553686.jpg
 あとは、駅に停まるたびに山あいの集落を縫っていく。幾つかの村や町が、平成の大合併でいまは北秋田市と仙北(せんぼく)市の二つに統合されてしまったようだ。

 合川(あいかわ)駅。鷹巣を出て4つ目の駅である。
e0320083_17561746.jpg
 1駅飛んで、米内沢(よないざわ)駅。
e0320083_17564592.jpg
 駅舎に書かれた縦書きの駅名が「よないわ」になっているのは、原板を拡大してみると濁点が削られた形跡があり、ここを利用している高校生あたりがイタズラしたのではないだろうか。
 なお、合川・米内沢両駅で表に立っている人は、簡易委託を受けた委託駅員と思われる。

 次の桂瀬(かつらせ)駅。
e0320083_17572865.jpg
 この駅は無人駅で、この人たちは委託駅員ではない。ここから若い娘さんが乗ってきたのだが、それを見送りに来たのである。久しぶりの里帰りで土日を実家で過ごし、娘さんはどこかの都会に帰るところなのだろう。

 次の阿仁前田(あにまえだ)駅で交換待ちがあった。
e0320083_17582629.jpg
 内陸線の車輌はいろいろな塗装色があるようで、黄色というのも周囲の緑に映えるのではないかと思った。
e0320083_1759083.jpg

 阿仁前田駅を出て間もなく、田んぼアートが見えるという車内放送があって、列車はスピードを落とした。お爺さんとお地蔵さんだろうか、なかなかうまいタイミングで写せないものである。
e0320083_17593799.jpg
 阿仁合駅の手前でもう一度、田んぼアートがあった。今度は月を見ている十二単の平安朝女性ということか、色の違いをどうやって作っているのか判らないが、なかなか見事な出来映えだと思った。
e0320083_180945.jpg

 終点・阿仁合駅に入って行く。右手に内陸線の車輌基地が見える。
e0320083_1804739.jpg
 11:24、阿仁合駅着。ホーム向かいに停まっているオレンジ色の車輌が、こちらと接続している11:37発の角館行きである。
e0320083_1855047.jpg
 わたしはこれには乗らない。ここで一台見送って、この駅でゆっくりしようと思っている。次の角館行きは13:43発で、2時間以上の間が空くのである。

 わたしが乗ってきた黄緑色の車輌は、一旦バックして左側の線路に入り、
e0320083_1864682.jpg
 そのまま車輌基地の車庫の中に入って行った。
e0320083_187286.jpg
e0320083_187558.jpg

 オレンジ色の車輌はAN8803号だった。
e0320083_1885510.jpg
 発車を見届けようと思っていたが、年を取ってわたしはますます短気になってしまったような気がする、待ちきれなくなって駅舎の方に入ってしまった。
e0320083_1892874.jpg

 駅舎外観と駅前の様子。
e0320083_1810178.jpg
e0320083_18102979.jpg
 駅舎の中。改札のこちら側にに大きな熊のぬいぐるみが座っている。
e0320083_1811792.jpg
 この右手がトイレへの入口と観光案内所。左手がレストラン・こぐま亭である。
e0320083_18114541.jpg
 このさらに左、出入口の脇には売店も営業している。

 こぐま亭で昼食にする。ランチにしようか迷ったが、せっかくだからメニューを見て、一番上に書いてあった馬肉シチュー黄金ライス添え1000円というのにしてみた。
 サラダぐらいつけてほしい気がして、やっぱりランチの方が良かったかなと思った。
e0320083_1813335.jpg

 食べ終わって外に出たら、何とも最悪のタイミングでポツポツ降り始め、一気に猛烈な土砂降りになってしまった。近頃の天気はどこか異常だ。
e0320083_1814755.jpg
 ところが、急激な雨はまた急激に止む。15分ほどで雨はどこかに行ってしまった。

 駅前広場の右手にあった内陸線資料館。入館無料。
e0320083_18145357.jpg
 中は無料相応の展示だったが、この町のインフォメーションとしては必要十分の内容はあったと思った。
e0320083_18152495.jpg
 いまは北秋田市になっている旧阿仁町は、江戸時代の初め頃から金銀銅(特に銅の生産量は日本一だったようだ)を産出した阿仁鉱山で栄えた町だったということ、また、秋田内陸縦貫鉄道は第三セクターに転換した時点ではまだ鷹巣・角館間はつながっておらず、平成元(1989)年に初めて全線が開通したということなど。
 しかしながら、帰ってから調べてみると、全線開通は沿線の悲願だったにもかかわらず、その後も赤字決算が続いて、毎年のように存続かバス転換かという議論が巻き起こっているのだという。

 さて、これが資料館右手、駅舎左手にある内陸線の本社である。せっかくこんな素晴らしい路線を開通させたのだから、どんなことをしても頑張って存続させてほしいと思うのである。
e0320083_1817520.jpg

 またいつ降り出すか判らないが、とにかくいまは止んでいるのだから、近くをすこし歩いてみようと思った。駅前広場の大きな案内地図を見て、正面の道を右手に辿って行くことにした。
 少し行くと、旧阿仁町役場、現在の北秋田市阿仁庁舎があった。
e0320083_18174455.jpg
 さらに行くと、右手の少し引っ込んだところに阿仁伝承館というのがあって、けっこう興味を覚えたのだが、近寄ってみると月曜休館の掲示が出ていた。
 しかし、そのすぐ右手に煉瓦造りの雰囲気のいい家が建っていて、旧阿仁鉱山外国人官舎という説明看板が立っていた。
e0320083_18182558.jpg
 説明によれば、明治15(1882)年にドイツ人の鉱山技師によって建てられたもので、国の重要文化財に指定されているもののようだ。観光パンフレットなどでは阿仁異人館と書かれているが、こんな昔、こんな山奥に建てられた建物としては、きわめて異彩を放っていたのではあるまいか。

 この周囲には同様の説明看板が幾つか立っていて、それぞれ興味深い遺構が残されていた。いずれも、阿仁鉱山の跡地からここに移して保存したもののようだ。
 その1。坑夫の試験石。石に残る穴は、鉱山の発破作業で爆薬を詰めるためにタガネで掘られるもので、その腕前で坑夫の賃金に差がつけられるので、この石でその技術を試験したものなのだという。
e0320083_18195580.jpg
 その2。鍰(からみ)。砕いた鉱石を溶鉱炉で溶かし、銅などの金属と不純物に分類した後に出る残滓を固めたものらしい。帰って調べてみると、一般にはスラグと呼ばれるもので、産業廃棄物の一つだという。看板の説明では、家屋の土台や石垣などに利用されたとあった。
e0320083_18212967.jpg
 その3。金比羅大権現。こんぴらさんは海の守り神で、こんな山奥になぜという気がするが、かつて鉱石の輸送には水路が唯一の交通手段であり、その安全祈願に鉱山で祀られたもののようである。
e0320083_18223183.jpg

 さて、伝承館の先に内陸線の踏切が見えたので行ってみた。
e0320083_1823620.jpg
 踏切から見た阿仁合駅の構内。
e0320083_18233957.jpg
 踏切を渡って少し行くと、川べりに出た。阿仁川である。
e0320083_1824624.jpg
 阿仁川は鷹ノ巣駅の西方、奥羽本線の前山・二ツ井間のあたりで米代川に合流し、能代市内で日本海に注いでいる。内陸線は合川駅のあたりから、ほぼこの阿仁川に沿って高度を上げてきているのである。

 そろそろ戻ることにする。
 古くから栄えた町だったので、歴史のありそうなお寺なども見える。光明山善導寺。
e0320083_18245835.jpg
e0320083_18252288.jpg
 これが駅から辿ってきた道。左が消防署である。
e0320083_18254980.jpg

by krmtdir90 | 2014-07-07 18:27 | 鉄道の旅 | Comments(0)

東北の旅⑦弘南鉄道大鰐線(2014.6.29)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 五所川原駅13:20発、五能線・弘前行きが入線してきた。
e0320083_152346100.jpg
 外観からは判らないが、これは片運転台のキハ48形の2輌編成で、乗車口のところが独立したデッキになっていて、客席とはドアで隔てられているのである。

 14:05、弘前駅着。
 今晩宿泊予定のホテルに荷物を預けて、町へ出て遅い昼食にする予定だった。ところが変わりやすい天気、バケツをひっくり返したような土砂降りになってしまった。すぐ目の前に見えるホテルまで行くのも躊躇われる感じなのである。仕方なしに連絡通路や駅ビル(規模は小さい)をウロウロして、雨が小止みになるのを待った。適当な食堂もなく、仕方なしに駅そばの昼食ということになってしまった。
 食べ終わって外に出ると雨脚は少し弱まっていたので、とにかくホテルに行って荷物だけは預けてしまうことにした。

 予定ではこのあと、弘前を起点とする弘南(こうなん)鉄道というのに乗ろうと思っている。弘南鉄道は2つの路線があり、JR弘前駅から黒石(くろいし)駅までの弘南線と、弘前駅からは離れたところにある中央弘前駅からJR大鰐温泉駅に接続した大鰐(おおわに)駅までの大鰐線である。
 最初に大鰐線に乗り、大鰐温泉・弘前間をJR奥羽本線で戻り、そのあと弘南線を往復するというのが、一番ロスの少ない乗り方のはずだった。しかし、この雨では気持ちが萎える。だからといって、15:00のチェックイン時刻を待って、早くからホテルに引き籠もるのもバカげている。

 ということで、傘を差してとにかく中央弘前まで歩いてみることにした。降り方は普通の降り方だが、風はないのでそんなに濡れてしまう感じはない。
 ただ、思ったより距離はあった。途中、交通規制が行われている道路があり、向こうから何となく祭りの後という感じの人々が歩いてくるのに出会った。帰ってから調べてみると、このあたりの道路を通行止めにして第15回よさこい津軽という催しが行われたらしい。生憎の天気で、よさこいを踊った人たちはみんなびしょ濡れになってしまったのだろう。
e0320083_15271771.jpg
 中央弘前駅に行くにはちょっと脇道に入っていく感じになるようだ。その途中にあった、弘前昇天教会聖堂という由緒ありそうな教会。説明板には大正10(1921)年の竣工とあった。
e0320083_15285394.jpg

 さて、教会のすぐ先を右に折れると、あった。弘南鉄道・中央弘前(ちゅうおうひろさき)駅。
e0320083_1529275.jpg
 何と言うのだろう、ちょっと昔の場末の映画館を連想させるような駅舎である。左側に、これもまた非常に大衆的な匂いのする食堂が入っている。
e0320083_1530058.jpg
 前の道路は少し坂になっていて、道幅は広くないのにけっこう車の往来が激しい。それにしても、この思いがけない駅の佇まいは、雨の中をかなりの距離歩いてきた甲斐が十分あったというか、これを見られただけで大きな収穫があったという気分になった。

 発車まで、あと20分あまり。20席ほどある待合所のベンチはすでに一杯で、この鉄道が地域の足としてしっかり根付いていることを感じさせた。
e0320083_1532033.jpg
 こちらが窓口と改札口。
e0320083_1534278.jpg
 中を覗くと、すでに15:30発の大鰐行き、2輌編成の電車が停まっていた。弘南鉄道は2路線とも単線だが、電化はされているのである。
e0320083_1535440.jpg
e0320083_15352751.jpg
 これがきっぷ。自販機があるので、きっぷはごく普通のペラペラしたきっぷだった。
e0320083_1536513.jpg

 改札は5分前からと決まっていたのだろうか。雨が降っているし、屋根のないところに出て写真も撮らなければならないから、けっこう慌ただしい。
e0320083_15372026.jpg
e0320083_15375187.jpg
e0320083_15381315.jpg
 この車輌は元東急の7000系と言われる車輌で、弘南鉄道所有になっても型番変更は行っていないようだ。車内はロングシート。つり革に東急百貨店や109の広告がそのまま残っていた。

 15:30、発車。2輌の座席は大体埋まっている。乗客もいるし雨も降っているから、途中駅の撮影は最初から放棄している。
 走り出してから思ったのだが、とにかく揺れる。
 ちょうど連結部に近いところに座ったのだが、二つの車輌がそれぞれ違った動きをするので、連結部を通り抜けるのが怖いくらいである。この揺れ方は、線路の状態が相当悪いということなのだろうか。

 ほぼ中間の津軽大沢(つがるおおさわ)駅で、交換待ち停車があった。非常にスムーズで時間はなかったが、停車位置が良かったので、ちょっと窓を開けて駅舎を撮影した。
e0320083_1539231.jpg
 駅に停まるたびに乗客は少しずつ降りていき、終点が近づく頃には1輌目には誰もいなくなってしまった(2輌目には家族連れなど7,8人が終点まで乗っていた)。
e0320083_15395497.jpg

 15:58、終点・大鰐駅に到着。ホームの向かいに、塗装の違う2輌編成が停車していた。
e0320083_15404129.jpg
 写真の左側がJRの大鰐温泉駅構内になっていて、そちらとは背後の跨線橋でつながっている。右に見えている弘南鉄道の北口は弘南鉄道だけのもので、JRには北口はないようである。
 この北口に入ると、こんな感じになっている(入って、ホームの方を振り返った)。
e0320083_15415570.jpg
 ここを出ると、線路脇に屋根のない通路が続いていて、その先に簡単な北口駅舎があるらしい(降っていたし、行ってみることはしなかった)。
e0320083_15423598.jpg
 こちらからJR側を見たところ。奥のホーム、中央から右にかけてがJRの駅舎、左のオレンジの明かりが弘南鉄道の南口である。
e0320083_15431079.jpg
 車止めと跨線橋。
e0320083_15434333.jpg
 跨線橋はJRと弘南鉄道で広さが違う。JRの方は幅が倍になる感じである。
e0320083_1544936.jpg

 跨線橋を下りたところにある弘南鉄道出口(こちらは南口とはなっていなかった)。
e0320083_15444163.jpg
 内部。
e0320083_15452123.jpg
 傘を差して外に出て、これが弘南鉄道・大鰐駅の駅舎。すぐ横に大きなワニの人形があるので、その小ささが一層際立つように思われる。
e0320083_1546099.jpg
 こちらがJR大鰐温泉駅の駅舎。右端にワニの人形が写っている。
e0320083_1547284.jpg
 駅前の様子。
e0320083_15474212.jpg

 駅に入って、窓口と改札口。
e0320083_15481145.jpg
 JR1番線ホームで。
e0320083_15484438.jpg
e0320083_1549725.jpg
 16:18発、奥羽本線・弘前行きが入って来た。
e0320083_15494068.jpg
 16:29、弘前駅着。
 雨は相変わらず降り続いていて、弘南線の方はもういいかなという気分になってしまった。一応、弘前駅自由通路の反対側に下りて、弘南鉄道弘南線の改札口は見てきたが、きょうはこれで終わりということにした。

 ホテルに入ってから、今夜は最後なので少し飲みたいなとあれこれ考えているうちに、18時あたりに外を見てみると、どうやらほとんど止んでいるようである。
 で、ガイドブックに載っていた、津軽三味線のライブを聞きながら飲めるという山唄という店に行ってみた。店は階段を上った2階にあった。
e0320083_15505129.jpg
 ライブが始まる時、マイクを手にした若者がわれわれを見て「大人の休日倶楽部パスもいよいよ明日が最後ということで…」と始めたのにはびっくりした。うーむ、そうなのか。われわれの年代、考えることはみんな似たり寄ったりということだったのか。
e0320083_15514265.jpg
 ということで、楽しく飲んで帰って来ました。夜の弘前駅です。
e0320083_15522714.jpg

by krmtdir90 | 2014-07-06 15:52 | 鉄道の旅 | Comments(0)

東北の旅⑥津軽鉄道2(2014.6.29)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 津軽鉄道・芦野公園(あしのこうえん)駅は、現在の駅舎の横に木造の旧駅舎がそのまま残っていて、喫茶店として営業しているらしい。これは行ってみなくてはと思った。

 これが現駅舎。何の面白みもない駅舎である。
e0320083_2115468.jpg
 この向こう(左)に、「cafe 驛舎」旧駅舎があった。
e0320083_21154372.jpg
 すっかり喫茶店の雰囲気になってしまっているが、確かに建物は昔の木造駅舎である。
e0320083_21161611.jpg
店内はこんな感じ。
e0320083_21164588.jpg
e0320083_21178100.jpg
 名前に釣られて「昭和の珈琲」520円をいただいた。ちゃんとサイフォンで淹れた珈琲だった。

 壁にはこんな時刻表が貼られていて、芦野公園発のきっぷはここで購入できるようになっている(もちろんここを通らずに、無人の現駅舎の方から乗車して、車内で精算しても構わないのだが、それでは硬券のきっぷは手に入らないのである)。
e0320083_21174724.jpg
 このドアがホームへの出口。
e0320083_21181787.jpg
 雨はまた普通の降り方になってしまったが、傘を差してかなり早めにホームに出た。ホームの方から見た旧駅舎(cafe 驛舎)。この駅で下車して、このドアから入って来るお客もいるのだろうか。
e0320083_21185137.jpg

 ホームから津軽中里方面。
e0320083_21193787.jpg
 津軽五所川原・金木方面。
e0320083_21201696.jpg
 駅名表示板と現駅舎。
e0320083_21205431.jpg
e0320083_21212637.jpg
 現駅舎待合室。
e0320083_21215554.jpg
 現駅舎側からホームに上がるところ。
e0320083_212231100.jpg
 線路を隔ててホームの向かいには芦野公園の木々の緑が広がっている。太宰の銅像なども立っているらしいので、天気なら行ってみるつもりだったが、雨では仕方がない。
 ホームの先に公園に通じる小さな踏切があったので、そこまでは行ってみた。踏切から見た芦野公園駅。
e0320083_21231559.jpg

 上り・津軽五所川原行きがやって来て、11:42、発車して行った。次の金木駅で下り列車と交換するはずである。
e0320083_21234768.jpg
 11:48発の下り・津軽中里行きがやって来た。
e0320083_21241588.jpg

 乗っていた乗客は初老の男性2人。この車輌にはアテンダントが乗務していたが、全く手持ちぶさたの様子だった。わたしは無人の後部運転席横に立って、残りの駅を撮すことにする。
e0320083_2125022.jpg
 川倉(かわくら)駅。
e0320083_21254129.jpg
 大沢内(おおざわない)駅。
e0320083_2126112.jpg
 深郷田(ふこうだ)駅。
e0320083_21263928.jpg
 運転席横に備えてあった太宰治全集。さすがである。
e0320083_212721.jpg

 11:59、終点・津軽中里(つがるなかさと)駅に到着。
e0320083_21274240.jpg
e0320083_21281855.jpg
e0320083_21284789.jpg
e0320083_21291195.jpg
 日本最北の私鉄と言われればその通りで、北海道には私鉄は存在しないのである。

 改札の内側。
e0320083_21294840.jpg
 駅舎外観。
e0320083_21304467.jpg
 白く塗りつぶされた看板から、前はここに生協が併設されていたことが判るが、現在は空いたスペースで土産物や物品販売が行われていた。
e0320083_21314831.jpg
 雨は降り続いている。折り返しの発車まで30分ほどあるので、普通なら駅の周囲を歩いたりするのだが、この降り方ではそんな気にはなれない。

 少しすると悲しいことが起こった。観光バスが一台、駅前に入って来たのである。やはり中からはツアー客の皆さんがゾロゾロ降りてきた。ツアーは雨でも関係ないのだ。あたりはいっぺんに騒がしくなってしまった。
 これでは完全に占領されてしまうなと思いながら、添乗員に聞いてみると金木までだと言う。まあ、我慢するしかないだろう。来る時に途中駅は撮影してしまったから、それが不幸中の幸いというものである。

 改札が始まった。車内はこういう状況である。
e0320083_21324690.jpg
 駅員が一般客のわたしのために(わたしの他にももう一人いたようだ)、ロングシート部分の1本を一般客用に確保してくれたが、わたしは体良くことわって運転席横の「かぶりつき」に立つことにした。雨で視界は良くなかったが、その方が気が楽である。
e0320083_21334929.jpg
 12:32、津軽五所川原行きは発車した。今度もアテンダントが乗っていて、さっきと違ってお客が多いので張り切って沿線の説明をしていた。

 芦野公園駅に入って行くところ。
e0320083_21343172.jpg
 交換駅・金木駅に入って行くところ。
e0320083_21354337.jpg
 ツアーの皆さんはドヤドヤと下車して行った。添乗員がすみませんでしたと挨拶して降りていったのは気持ちが良かった。替わって乗ってくるお客もあったが、ここでボックス席の方に座ることができた。やれやれ、である。

 最後に、来る時は慌ててうまく撮れなかった十川駅を「かぶりつき」から写して、津軽鉄道の旅は終わりになった。
e0320083_21362542.jpg

 13:08、津軽五所川原駅に戻ってきた。雨はほとんど止んでいた。
e0320083_2137052.jpg
e0320083_2138291.jpg
e0320083_21383259.jpg
e0320083_2139138.jpg

by krmtdir90 | 2014-07-05 21:39 | 鉄道の旅 | Comments(2)

東北の旅⑤津軽鉄道1(2014.6.29)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 ホテルの窓から見た岩木山。
e0320083_2030557.jpg
 カメラのデジタル記録では5:53の撮影である。暗い雲がたれ込めていて、このあと出発の頃になると、山の姿はほとんど見えなくなってしまった。まだ降ってはいないが、間もなく降り始めるということで、きょうは一日中雨の予報である。まあ、仕方がない。

 津軽鉄道本社の建物。
e0320083_2031164.jpg
 そのすぐ右、JR五所川原駅との間に津軽鉄道・津軽五所川原駅がある。
e0320083_20314644.jpg
 こちらが改札口と待合所。
e0320083_20321894.jpg
 こちらが窓口である。
e0320083_2032413.jpg
 窓口の中には女性がいて、聞いてみると一日フリーきっぷのようなものはあるがけっこう割高なので、わたしの計画ならその都度きっぷを買った方が安いということだった。
 で、金木(かなぎ)までのきっぷ550円を買った。ここも硬券で、鋏を入れてくれた。この日津軽鉄道で買ったきっぷ3枚を、まとめて次に載せておく。
e0320083_20331571.jpg

 改札が始まった。一旦JRのホームに出て、跨線橋を渡って一番向こうの津軽鉄道のホームに向かうことになる。跨線橋の先端にコインロッカーが幾つかあるのを昨日のうちに確認していたので、そこに大きな荷物を預けた。
 ホームには2輌編成のディーゼルカーが停まっていた。後ろ1輌は回送車輌ということで閉鎖されていた。
e0320083_20343989.jpg
 運用される車輌は津軽21形と言われるもので、現有5輌のうちの105号だった。前後と側面に「走れメロス」という愛称が書かれている。
 これが車内。標準的なセミクロスシートである。
e0320083_20353886.jpg
 きょうは日曜日だが、まだ早いのか乗客はほとんどいない感じである。もう一度ホームに降りて、あたりをゆっくり見て回った。
 これが駅名表示板。
e0320083_20361089.jpg
 ここには津軽鉄道の機関区というものがあり、周囲には廃車としか思えない古びた車輌などが留置されたりしていた。
e0320083_20365385.jpg
e0320083_20372068.jpg
 雰囲気として感じるものはあるが、こうした車輌一つ一つの由緒といったものにはあまり興味がないので、端から全部写真に撮るようなことはしなかった。

 8:10、走れメロス号は津軽五所川原駅を発車した。乗客はたった3人、わたしのほかに女子高校生2人のみ。今にも降り出しそうな空模様だが、まだ降ってはいない。

 途中駅を全部撮影するかどうか、何となくボーッとして決めかねているうちに、最初の停車駅・十川(とがわ)駅になってしまった。慌ててシャッターを切ったが、この車輌は窓が開けられないタイプなので、座席からだとやはり反射した光が写り込んでしまった。
e0320083_2038546.jpg
 せっかくだからやはり撮影しようと決めて、このあとは運転席横のいわゆる「かぶりつき」に立つことにした。

 五農校前(ごのうこうまえ)駅。
e0320083_20384416.jpg
e0320083_20391421.jpg
 その名の通り青森県立五所川原農林高校の最寄り駅で、女子高生2人はここで下車していった。早くも乗客はわたし一人になってしまった。
e0320083_20395215.jpg

 次の津軽飯詰(つがるいいづめ)駅は、いまは運用されていないようだが、列車交換が可能な1面2線の駅である。前後のポイント部分には、雪を防ぐスノーシェルターが付いている。
e0320083_20403037.jpg
e0320083_2041960.jpg
e0320083_2041347.jpg
e0320083_2042285.jpg

 毘沙門(びしゃもん)駅は鬱蒼とした森の中にあった。周囲には人家なども見当たらず、調べてみると、例の秘境駅ランキングで103位に入っていた。
e0320083_2042431.jpg
e0320083_2043791.jpg

 森を抜けると再び人家が戻ってくる。
 嘉瀬(かせ)駅。前の毘沙門駅までが五所川原市で、この嘉瀬駅からは金木町である。
e0320083_20444565.jpg
 左の側線に何やら落書きされた古い車輌が留置されている。調べてみると、1997年にTVの企画でこの地を訪れたSMAPの香取慎吾氏が、地元の小学生とともにペイントしたものらしく、しばらく運用されたのちに廃車となってここに留置されているものらしい。
 ここでお婆さんが1人乗車してきた。
e0320083_20453342.jpg
e0320083_2046027.jpg

 嘉瀬駅を出ると田んぼが広がり、その向こうに金木の町並みが見えてきた。
e0320083_20463812.jpg

 金木(かなぎ)駅に入って行く。いまも現役で利用されている腕木式信号機にカラスが止まっている。
e0320083_20472615.jpg
 ここは、現在は津軽鉄道で唯一列車交換が行われている駅で、2面2線の有人駅である。また、タブレットとスタフを併用した閉塞が行われているということだが、このあたりの詳しいことはどうもよく判らない。
e0320083_2048857.jpg
 わたしはここで下車する。さっき嘉瀬駅で乗ってきたお婆さんも下車していった。一旦、乗客がゼロになってしまった訳だが、このあと交換待ちで10分あまり停車している間に、果たして新しい乗客が現れたかどうか。
e0320083_20483675.jpg

 外に出てみた。この駅舎は10年ほど前に新築されたもののようだ。
e0320083_20491016.jpg
e0320083_20494273.jpg
 交換列車も入って来たようなので、駅舎の右手からそれぞれの発車を見送ることにする。まずわたしが乗ってきた津軽中里行き(手前)が発車。
e0320083_20501225.jpg
 ほどなく津軽五所川原行きも発車して行った。雨はまだ降り始めていない。
e0320083_20511187.jpg

 さて、わたしは太宰治の熱心な読者という訳ではないが、やはり金木に来たのだから、ゆかりの場所を幾つか訪ねてみようと思っている。

 最初に行ったのは太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)というもので、駅からは5分ほどだが、有名な斜陽館とはちょっと離れたところにあった。
e0320083_20515997.jpg
 前の道は右手奥が金木駅で、わたしはそちらから歩いて来たのである。この建物の左側が新座敷への入口になっていて、右手は太宰関連の品を売る小さな店になっている。この建物の奥に、元は斜陽館脇の文庫藏と並んで建っていた新座敷がほとんどそのままの姿で残っていて、こちらの建物から直接入って行けるようになっているのである。

 昭和23(1948)年6月(太宰が死んだ同年同月である)、斜陽館を含む津島家の大邸宅を売却することになった時、この新座敷だけ現在の場所に曳屋(ひきや)して、長兄(文治)家族の居宅としたものらしい。
 観光バスで金木を訪れるツアー客はここに立ち寄ることはないらしく、わたしが見学している間も他の見学者は一人もなかった。中にいたガイドの青年が、太宰の文庫本を片手に家の中を丁寧に案内して説明してくれた。

 太宰は、この家がまだ斜陽館脇に建っていた昭和17(1942)年秋、危篤の母を見舞うため妻子を伴ってここを訪れていて、その時のことは小説「故郷」に詳しく書かれている。お母様はこの十畳の部屋に寝かされていて、太宰が涙をこらえたのはこちらの部屋です、といった具合。
 太宰は昭和19(1944)年の小説「津軽」の旅でも生家を訪ねており、さらに昭和20(1945)年7月から同21(1946)年11月まで、こちらに疎開してこの新座敷で生活したのだという。
 放蕩を重ねた太宰と生家を守る長兄との確執が徐々に氷解して、和解に向かっていく舞台となった建物なのである。疎開の1年3ヶ月あまりの間に、太宰はここで23作品を執筆したのだという。

 奥が危篤の母が寝かされていた十畳間、手前の六畳は疎開の間太宰が書斎として使用した部屋だという。
e0320083_20543724.jpg
 次は、母を見舞った際、太宰が涙をこらえて歩き回ったという洋室。
e0320083_20551568.jpg
 左の戸棚の上に、ちょうどこの場所で撮られた古い写真が飾られていた。一番左が16歳の太宰だという。
e0320083_20554384.jpg
 洋室の前のサンルーム。
e0320083_20561443.jpg
 サンルームを表から見たところ。
e0320083_20564920.jpg

 室内を見学し終えて外に出る時、外観も見たいと頼むと、さっきの青年が横の駐車スペースの引き戸を開けて中に入れてくれた。
e0320083_20573330.jpg
 小説「故郷」は読んだことがなかったので、同時期に書かれた同系列の作品「帰去来」とともに、帰ってから読んでみた。実際に目にしてきた部屋で展開された出来事だと思うと、何か不思議な感じがした。巻末の解説で奥野健男は「書かずもがなの作品」と断じていたが、そう言ってしまっては身も蓋もないではないかと思った。

 さて、このあとは定番の斜陽館である。入館する時になって、とうとうポツポツと降り出した。
e0320083_20595392.jpg
e0320083_210428.jpg
e0320083_2111777.jpg
 まだ時間が早いようで、ツアー客などにもぶつからずゆっくり見ることができた。だが、さっきの新座敷を見た後では、こちらは正直あまり興味が湧かなかったのも事実である。太宰治誕生の部屋というのがあったり、いろいろ資料などが展示されていたが、ちょっと覗いてみただけで熱心に見て回った訳ではない。わたしは太宰のファンというわけではないのである。

 仏間。小説「帰去来」で、十年ぶりに生家を訪ねた太宰が最初に通された部屋として出てくる。
e0320083_2121191.jpg
 当時「店」と呼ばれていた金融業執務室。
e0320083_2124371.jpg
 すぐ横に二階と結ぶ階段がある。
e0320083_213930.jpg
 庭。雨は本降りになってしまった。
e0320083_2133844.jpg

 斜陽館を出ると、道を隔てて観光バスなどが入れる駐車場になっていて、その先に津軽三味線会館というのがあった。斜陽館で、こことの共通入館券だと100円引きになるというのに釣られてしまったので、雨の中行ってみた。
e0320083_2144098.jpg
 あと5分ほどで生演奏が始まるというので、ホールに行ってみた。観客は十数人ほど。演奏は30分ほどで、それなりに興味深かった。最後に雪まで降らせてくれた。終わってから覗いてみると、小さな雪籠が二つバトンに吊ってあった。
e0320083_2151382.jpg

 外に出ると、幸運にも雨はすっかり小降りになっていた。近くに、幼い太宰が子守のタケに連れられてよく遊びに来たという雲祥寺があるので、行ってみることにした。まあ、別にどうということもないお寺だったけれど。
e0320083_218645.jpg
e0320083_2183387.jpg

 このあとは、金木の隣駅・芦野公園駅まで歩いてみるつもりである。本降りのままだったら考えてしまったかもしれないが、このくらいの降りなら、傘は必要だが予定通り行動することにする。
by krmtdir90 | 2014-07-04 23:59 | 鉄道の旅 | Comments(2)


カテゴリ
以前の記事
画像一覧
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
メモ帳
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
ブログジャンル