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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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上田電鉄別所線・塩田平散歩(2014.8.27・28)

 妻と別所温泉に行ってきた。阪急交通社のフリープランというもので、宿泊と往復の新幹線がセットになっている。長野新幹線は初めてだし、上田から先、上田電鉄別所線を各自利用して別所温泉まで行くというのがいいと思ったのである。

 送られてきた新幹線のきっぷは、往路(27日)は東京駅12:24発・あさま523号。今年3月から運用が開始されたE7系12輌編成だった。
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 高崎・上田間が初めて乗る区間だったが、ほとんどがトンネルなので車窓を楽しむのは無理、全然面白くない区間だった。
 13:49、上田駅着。あっという間だった。スピードを追求するのもいいが、新幹線と引き換えに在来線(旧信越本線)の横川・軽井沢間の線路を廃止してしまったのは、JRの愚挙と言う以外言葉が見つからない。このため、群馬と長野を結ぶ線路は新幹線しかなくなってしまったのである。

 上田駅・北口(お城口)。
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 壁面左奥にJR上田駅という表示があるが、この駅のJRは新幹線しか存在しない。新幹線開業と同時に旧信越本線の軽井沢・篠ノ井間はJRから見捨てられ、第三セクター・しなの鉄道として存続したのである。写真右手前を入ると階段とエスカレーターがあって、橋上南北自由通路になる。それに面して、しなの鉄道上田駅と上田電鉄上田駅があるのである。
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 上田電鉄の窓口で「別所線・信州の鎌倉シャトルバス・セット乗車券」という長い名前のきっぷを購入した。2日間有効で1130円というのは、別所温泉に一泊して塩田平を回ろうと考えている者には、かなりお得で使いやすいきっぷなのである。
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 ただ、最後に(28日)上田駅の改札で、いつものようにきっぷを記念に貰いたいと言うと、わざわざ無効のスタンプを押されてしまった。日付がはっきり押してあるのだから、こんなことをするのは全く無意味と言うべきで、笑顔で「どうぞ。また来てくださいね」と言った方がずっといいのではないかと思った。
 なお、写真右は、この別所線と上田の町を舞台にした「サマーウォーズ」というアニメ映画があったらしく、聖地巡礼のファンのためのロケ地巡りマップとでもいうべきものの表紙。きっぷが縦長で余白があったので、関係はないけれど一緒に写してみた(そういえば、別所線の終点・別所温泉駅で、明らかにテツとは雰囲気の違う男子を2人ほど見かけた)。

 別所線上田駅ホーム。
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 丸窓電車で有名になったからだろうか、ホームの窓も丸窓が意識的に取り入れられているようだ。このあと発車時間が近づくと、けっこう乗客の数は増えた。

 14:26発の別所温泉行き電車。1000系という、東急から譲り受けた面白みのない車輌だった。まあ仕方がない。先頭の方から撮影したかったが、ホームの長さギリギリに停車していて撮影不能、車止めのある後部からの写真になってしまった。
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 側面にあった上田電鉄のマーク。
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 なお、この電車は2輌編成で、車内はロングシートだった。別所線は全線が単線だが、電化はされている。

 発車すると左へカーブを切り、すぐに千曲川を越えた。鮮やかな赤に塗られたトラス橋・千曲川橋梁である。
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 別所線は上田・別所温泉間11.6キロをほぼ30分足らずで結ぶ小さな路線である。途中駅は13あるが、ほとんどが小さな無人駅で駅間距離も短いので、発車するとすぐに次の駅に停車する感じである。起伏のない塩田平を行くのだが、線路は右に左にけっこう回転半径の小さいカーブを繰り返す。周囲は開けていて人家も多く、全体として生活密着路線という雰囲気が強いが、われわれのような観光客の利用もかなりあるように見える。

 ほぼ中間に近い下之郷(しものごう)駅で電車行き違いが行われた。
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 1面2線の島式ホームを持った有人駅で、こちらが入っていくとすでに上田行き電車が停車していた(右)。こちら1000系電車に対してこれは前のタイプ、7200系と言われる車輌の2輌編成である。
 ここには上田電鉄の車輌基地も併設されていて、左の留置線にも7200系が停まっている。これは、いわゆる丸窓電車よりは新しいものだが、ドア脇の2つの窓が丸窓に改造されているのである。

 さて、窓も開かないし、乗客もけっこういる。何よりも妻と一緒だから、あまり積極的に写真を撮る感じにはならない。
 14:54、終点・別所温泉駅に入って行く。左側に、元祖・丸窓電車が静態保存されているのが見えた。ホームの柵の外には、カメラを構えたテツの姿も見える。
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 車止めの奥は狭く、立ち入り禁止になっていた。
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 駅は前の道から階段で下がった低いところにあった。
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 駅舎はなかなかオシャレな木造建築だったが、
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 正面入口の上に掛かった古びた駅名板の下に「別所温泉旅館組合」の文字が。
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 調べてみると、現在は別所温泉観光協会に窓口業務を委託する簡易委託駅になっているようだが、大正10(1921)年に直営駅として開業して以来、温泉街とは深い絆で結ばれた駅だったようだ。
 駅舎内部。
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 事務室には袴姿の和装の女性(観光協会の職員だろう)がいて、電車到着時には改札に立ち、それ以外の時は観光案内や別所線グッズの販売などを行っているようだった。

 さて、駅前の階段を上がると右手の方、線路が途切れた車止め正面になる高くなったところが、狭い草むらだが入って行けるようになっていた。で、そちらから1枚。手前が車止めだが、それは見切れてしまって、そうすべてがうまくはいかない。
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 さっき見えた保存された丸窓電車の方に行ってみることにした。ちょうど、われわれが乗ってきた1000系2輌編成が、折り返し上田行きとなって発車していった。
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 で、これが「丸窓電車」として親しまれたモハ5250形電車。丸窓はやや縦長の楕円形で、両サイドのドアの戸袋窓であるようだった。
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 これは他の鉄道会社から譲渡されたものではなく、昭和3(1928)年の新造から昭和61(1986)年の廃車時まで、ずっとこの別所線で運用されてきた車輌であるらしい。ドアのところまで道がついていたのでちょっと期待したのだが、施錠されていて中にはいることはできなかった。

*塩田平散歩①(27日)
 上田盆地の千曲川左岸(西側)一帯を塩田平(しおだだいら)と呼ぶらしい。別所温泉のあたりが含まれるのかどうかよく判らないが、まあどちらでもいいだろう。

 宿に入った時間が早かったので、生憎小雨がぱらつき始めていたが、宿の傘を借りて有名な北向観音(きたむきかんのん)に行ってみた。長野の善光寺と向かい合うように、本堂が北向きに建っているのでこう呼ばれているらしい。
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 堂内では、何やら団体客のような人たちが読経の最中だった。
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 もう少し歩くと安楽寺という、これも由緒あるお寺があるらしかったが行かなかった。帰ってきてから、国宝(!)に指定されている八角形の三重塔があったことを知ったが、もう後の祭り。

*塩田平散歩②(28日)
 雨はほとんど降らなかった。翌日も曇りだったが、急に秋が来たような涼しさで、外を歩いて回るには絶好過ぎる天気だった。
 別所温泉駅横のバス停から、例のセット乗車券の信州の鎌倉シャトルバスを利用する。だが、10:10にやって来たのは何の変哲もない路線バス、前にささやかなヘッドマークを付けてはいたが。
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 10:21、中禅寺バス停で下車。ここから「信州の鎌倉」を散歩する。

 ②-1、中禅寺(ちゅうぜんじ)。
 天長年間(824~834)創建と伝えられる真言宗の古いお寺らしい。もちろんその時代からの建物などが残っている訳ではないが、これが現在の本堂。
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 この左手に、国指定重要文化財の薬師堂というのがある。鎌倉時代初期に建てられたもので、中部・関東地方では最古の建造物とされているらしい。均整の取れた分厚い茅葺き屋根が印象的である。
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 中を覗くと木彫りの薬師如来座像があって、これも国指定重要文化財になっているようだ。あたりを確認したが、撮影禁止という表示は見当たらなかったので、ちょっと写させてもらった。
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 写真に撮ってもどうなるものでもないのだが、まあ一種の野次馬根性というか、こういうのって一体どう言えばいいんでしょうかね。そして実はここでも、写真右隅に少し欠けて写っている小さな神将立像も国指定重要文化財だったことを後になって知った。そちらには気が回らなかった。何とも面目ない。
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 薬師堂正面にあった、これが一応山門ということらしい。くぐると両側に、赤く塗られた一対の金剛力士像が立っていた。

 ②-2、塩野神社(しおのじんじゃ)。
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 ウォーキングマップなどには名前は載っているが、詳しい説明などはついていない。通り道なのでちょっと寄ってみたが、説明看板によれば江戸時代中期に建てられたもののようだ。あちこち名高い建造物があるから目立たないが、これ一つだったらそれなりの注目を集める建物だろうと思った。

 ②-3、龍光院(りゅうこういん)入口の大ケヤキ。
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 樹齢600年だという。幹の向こう側に黒門というのが隠れている。龍光院そのものはこの右手の急坂を登らなければならないようなので、ちょっと行ってみたけれど引き返しました。

 ②-4、塩田城跡(しおだじょうせき)の石碑。
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 鎌倉時代中期に北条義政から3代60年、塩田北条氏と称してこの地を治めた城跡のようだ。歴史のことはよく判らない。石碑の左手に山道が上の方に続いていたが、もちろん行ってみることはしなかった。

 ②-5、前山寺(ぜんさんじ)。
 塩田城跡石碑の横から山道をショートカットするルートがあって、それを辿って前山寺の横の道に出たら、ちょうど鐘楼で正午の鐘が撞かれているところだった。
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 正面に回って、階段の上の山門から境内にはいる。
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 これが本堂。
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 ここは弘仁3(812)年に弘法大師空海が開創したと伝えられるお寺で、紆余曲折ののち江戸時代になってから真言宗のお寺になったらしい。国指定重要文化財の三重塔があることで知られる。これがそれ。
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 塔としては随所に未完成を思わせる箇所が見られるらしいが、それでいながら調和の取れたその姿から「未完成の完成塔」と呼ばれているようだ。よく判らないが、美しい三重塔だと思う。

 ②-6、信濃デッサン館。  
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 窪島誠一郎氏による私設の美術館。夭折の画家たちの作品が展示されている。
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 チケットの裏面に印刷されていた窪島氏の言葉を転記しておく。
 美術館に「美しいもの」があるのではない
 あなたが「美しいもの」を見つける場所が美術館なのだ
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 22歳で死んだ村山槐多(むらやまかいた)の作品が印象的だった。片隅の展示ケースに、京都の府立中学時代に一級下の少年宛に書き送ったピンクの紙の恋文がひっそりと置いてあった。
 なお、館内にあった立原道造記念展示室というのは数年前に新設されたようだ。
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 ②-7、槐多庵(かいたあん)。
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 信濃デッサン館の別館ということらしい。チケットを見せるとそのまま入館できる。ここには現代の若手画家の作品が展示されているようだ。
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 ウォーキングマップには記載がなく、予定外だったので駆け足で館内を一周しただけ。現代風の非常に印象的な建物だった。
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 ②-8、無言館。
 同じく窪島誠一郎氏による私設美術館。戦没画学生慰霊美術館である。
 道路から少し引っ込んだ高台にあり、坂道を登って行くと道端にこんなものが。自問坂。
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 無言館は坂を左に辿った先にある。この正面右手には「傷ついた画布のドーム」という無言館の第2展示館が建っていた。そういうものがあるとは知らなかったので、結局そこは時間がなくて見ることができなかった。
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 こちらも、チケット裏面の窪島氏の言葉を転記しておく。
 口をつぐめ、眸(め)をあけよ
 見えぬものを見、きこえぬ声をきくために
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 数年前、九州の知覧特攻平和会館に行った時も感じたことだが、旅行者はどうしても限られた時間の中でこうした施設を見て回ることになるのだが、こういうところでは一週間でも十日でもいいから、散歩の途中にでも短い時間必ず立ち寄ってみるというような、ゆるやかな鑑賞の仕方をしてみたい気がするのである。「口をつぐめ」と言われれば確かにそうなのだが、居住まいを正して心して鑑賞しなければならないというだけでは、本当の意味で心に沁みてくることは難しいような気がした。
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 印象的な絵がたくさんあった。必ず作者名とともに、どこで何歳でどういう死に方をしたのかが示されている。絵にまつわる短いエピソードが掲示されているものもある。
 正面の「祖母の像」という絵は、特に印象に残ったものの一つ。
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 これで散歩は終了。
 坂を下りて公園を横切ったところにある無言館入口バス停に、シャトルバスは5分遅れでやって来た。そのため、別所線・塩田町(しおだまち)駅での乗り継ぎ時間がギリギリになってしまった。バスの中でははらはらした。

 塩田町駅。
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 14:01発の上田行きがやって来た。昨日と同じ1000系の2輌編成で、結局7200系には乗ることができなかった。
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 14:22、上田駅着。

 新幹線(復路)は、上田駅14:42発・あさま530号。往路と同じE7系の12輌編成だった。16:12、東京駅着。
by krmtdir90 | 2014-08-30 13:47 | 鉄道の旅 | Comments(0)

高校演劇2014⑥地区大会を審査する

 今年も地区大会(埼玉)の審査員をやらせていただくことになった。近年は、わたしのようなOB顧問を主体に審査員を選ぶしか方法がなくなっているらしい。
 原因の一つは、県が祝日(9月は15日と23日)の出張を許可しなくなってしまった(どういう理由なのかわたしは知らない)ということで、全部で11ある地区の大会日程が、みんな祝日を外した特定の日にちに集中するようになってしまい、現役顧問の中から審査員を出すのが非常に困難な状況が生まれているようなのだ。
 こちらは幸い、いまのところは元気だし基本的にはヒマだから、事務局から声がかかれば、審査員選びの苦労もよく判るので、これまでの恩返しというか罪滅ぼしというか、とにかく引き受けることにしようと思っている。

 しかし、わたしは現役顧問だった頃は、部員がいる限りは毎年地区大会には参加していたが、演劇をコンクールにして勝敗をつけることにはずっと違和感を持ち続けてきた者なので、そのあたりのことを一度きちんと整理しておきたいと思う。

 このわたしの違和感というのは、演劇には統一的な審査基準(勝敗を判定する基準)が存在しないということから来ている。高校演劇の場合、上演時間1時間以内というのが唯一の決まりで、それ以外にはルールらしいルールもないし評価の観点も多様である。演劇は元々が勝敗を争うものではないから、無理に基準を定めることができないのは当然のことである。
 それにもかかわらず、様々な矛盾をはらんだまま毎年コンクールが行われ、全国大会にまでつながる道がそれなりの注目を集めて長い間続いてきたのは、それが演劇のようなマイナーな部活動を活発化し、高校生の中に定着させていく大きな役割を果たしてきたからだと思われる。
 美術や書道、文芸や写真といった、やはり統一的な審査基準を持たない文化系の部活動が、同じような全国規模のコンクールを組織して、一致して全国高等学校総合文化祭というかたちを取るようになったのも、恐らく同じような意味合いが大きかったのだろうと思う。近年では、マンガやダンスといった時代を反映した部活動にも、同様の全国大会が行われるようになっているようだ。

 最初から勝敗を争うことで成立するスポーツならば、もちろん内部的には様々な問題を抱えていることは知っているが(例えば私立校が優秀な生徒を集めてしまう問題とか)、それでも試合に勝ち上がることで全国大会につながっているという、そのシステムには疑問を挟む余地はないような気がする。勝敗を決する試合のルールは統一的なものがある訳だし、勝っても負けてもその結果はみんなが納得して受け入れることができるのだと思う。
 ところが、演劇を始めとした上記のような文化系部活動では、それぞれ表現のあり方が多様であるところにその面白さがあるという側面があって、試合というような勝敗を争う形式は本来は存在しないのである。にもかかわらず、歴史上の歌合(うたあわせ)・句合(くあわせ)といった例を持ち出すまでもなく、人間というのは古来何でも勝ち負けの対象にして楽しみたいという性癖を持っているようで、けっこうみんながそれを受け入れて熱中しているのは確かなことなのである。

 歌合や句合の場合、判者を務めるのはその道の権威と誰もが認める人であって、判定とともにその根拠が示されると、始めから一定の権威の元に集っている参加者は、みなそれを納得して受け入れるようになっていたらしい。句合の時代になると、状況によって衆議判(しゅうぎはん・合議によって判を下す)ということも行われたようだが、審査員を複数にするというのはその流れに従ったやり方である。
 埼玉の場合、11ある地区を所属校数や実施日程などを見ながら5つのブロックにまとめ、各ブロックに2名の審査員を配置するというやり方を取っている。だが、いくら複数にしたところで、それぞれの権威というか背景がよく判らない人を並べたのでは、一座の納得を得るのは困難なことだろうと思われる。割り振る事務局の方もそのあたりのことは判っていて、組み合わせの作り方に毎年苦労の跡が窺えるのである。
 だが、自分も含めて敢えて言ってしまえば(身も蓋もないと言うなかれ)、少なくとも高校演劇の世界では単一の権威などありえないし、どんな組み合わせを作ってみたところで、みんなが納得する審査員など元々ありえないというのが出発点になるような気がするのである。

 演劇の多様性の前ではこれはある意味仕方のないことで、選ばれた審査員各人の背景もバラバラだし、どういう審査員が割り振られるかで推薦される学校も違ってくるという一面はどうしようもないのである。そして、現役顧問だった頃はそのことがどうにも引っかかって、選ばれても選ばれなくても、何かスッキリしない気分をいつも引きずっていたような気がする。
 でも考えてみると、それは悪いことではないのではないか、むしろそれが高校演劇をコンクールにすることの面白さなのだと考える方がいいのではないかと思うようになった。
 むしろ、問題はもっと別のところにあるような気がしたのである。たとえば、確かに強い学校というのは存在するが、それが一つの権威のようになって、そこを選んだりそこが選ばれたりすることに誰も疑問を挟むことがないというのが一方で当然のことのようになっていたら、それは決して高校演劇の健全な姿とは言えないだろうと思ったのである。

 大切なことは、どんな芝居にも必ず賛否両論があり得るということなのではないか。審査員というのは、ありもしない権威に寄りかかるのではなく、観点の違いによって評価というものが変わるのだということを、どこまで率直に示すことができるかというところに存在を賭けなければならないと思うようになったのである。
 もちろん、観点さえしっかりしていればどんな乱暴も許されるなどと言うつもりはない。客観的に見て妥当な線というのは恐らく存在するのだろう。でもだから、逆にその線を越えていると判断できるのであれば、その先どこが選ばれるかは時の運なのだと言ってしまったら不謹慎だろうか。
 問題は、審査員が下す判断というのは、その瞬間に生徒や顧問にとっては動かすことのできない絶対的な意味を持ってしまうのだから、審査員としてその判断に対するどんな批判や異論にも対処する責任は確認されなければならないのだと思う。

 そういう意味で、覚悟のない審査員は排除されなければならない。本来勝敗など存在しないところに勝敗を持ち込むのだから、その矛盾を正面から受け止めて、そのことを言葉にして伝えていく努力が必要なのだと思う。当たり障りのないところを褒めてお茶を濁すというような姿勢は、審査員としてあってはならないことだと思う。
 かつて、わたしがまだ(新座北で)現役の顧問だったころ、もしかすると勝てるかもしれないと思って参加した秋の大会が一度だけあった(もう正直に言ってもいいだろう)。ただ、その時の審査員は(誰だったかは忘れた)、核心を外した些末な(的外れと言ってもいい)印象批評を並べるばかりで、なぜこれを選ばないのかについては全く触れることがないということがあったのである。退職を機に審査員をという話があった時、この時の経験がわたしの背中を押したのは確かなことである。あんな審査がまかり通っているのなら、わたしの方がまだ少しはましなことができるのではないかと思ったのである。
 それ以来、今年で6回目になる。実際のところ、自分がどこまでやれているのかは自分では判らない。だが、講評で核心を外すことだけはあってはならないと自戒するばかりである。

 高校演劇の審査というのは、統一的な審査基準というものがないのだから、どうやったところで公平などということはありえない。地区によって発表会場の条件も違うし、審査員の好みというようなことも無関係とは言えないだろう。現役顧問が担当する場合は、様々な思惑というようなものももしかすると関係してくるかもしれない。
 しかし、だからこそ評価の観点についてはしっかり責任を持たなければならない。われわれはプロではないのだから、その観点もまた多様であって、自分の中でもそれは一つにまとめられるものではないと思う。違う審査員だったら違う結果になるかもしれないが、それでもその時、様々に揺れ動くわたしの観点の中から、その時の自分はどういう観点を大切なものと判断したのかという問題になるのだと思う。絶対的な観点などないというのも、また一つの真実なのである。
 2校を選ぶ代わりに10数校を(ブロックによっては20校以上を)落とさなければならないのだから、そちらの学校に納得してもらえるだけの観点を示せるかどうか、それでもこれが、高校演劇審査の重要なテーマになっていなければならないと思う。

 今年は22日に行われた打ち合わせ会を欠席してしまったので、資料と上演台本が昨日事務局から宅急便で届いた。今年は台本20冊である。実際の重量も重いが、審査することを思うと別の意味でこの上なく重いのである。
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by krmtdir90 | 2014-08-26 18:25 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(7)

「春の庭」(柴崎友香)

 芥川賞こんなものか、というのが率直な印象。
 ブログを始めて以来、取り上げる本の中に直木賞作家は混じるが芥川賞作家はいなかったので(実際、読んでいなかったのだから仕方がない)、今回のはあまり難しくなさそうだから、ちょっと読んでみるかという気を起こした。

 比較的すらすらと読むことはできたが、全体としてあまり面白いとは思わなかった。面白いところを見つけることができなかった。
 選評を読むと、高木のぶ子氏や宮本輝氏、山田詠美氏あたりが評価したのだろうか。町や建物といったものに対するこだわりと、描写の仕方に特徴があるのは判ったが、それはそれほど特筆すべき美点のようには思えなかった。

 と言うか、この人はそれほど文章がうまい人だとは感じられなかった。場面の作り方や人物の表現の仕方が、描写としてはあまり的確性があるとは思えなかったのである。
 描写が内包するイメージに豊かな密度が感じられず、間延びしているようなのも特徴的な美点としてしまえば文句のつけようもないが、わたしには平板な説明的表現が案外多いような気がして、描写力というか文章力というか、とにかくそういうものが抜きん出ているとは思えなかったのである(村上龍氏が指摘している“「”の問題も、その一端だと思う)。

 主人公(太郎)の造形に面白みがなく、様々な登場人物もそれほど魅力的には描かれていないと思った。いろいろなエピソードが、思わず惹きつけられてしまうような自然なものになっていない気がした。
 一例を挙げれば、最初のあたりにある「雲を眺めていると、太郎は、雲の上にいる自分を想像した。いつもした。」から始まる一連の描写。後の方でも同じ内容が繰り返されるのだが、これが主人公の造形に効果的に寄与しているとは思えないのである。むしろ、主人公の内面のリアリティを、逆に胡散臭いものにしているような気さえする。
 また、ラストのエピソード、「水色の家」から女性の遺体が発見され、それがテレビドラマか何かの撮影だったという展開など、一体何を表現したかったのか、わたしのような凡庸な読者には全く意味不明と言うしかなかった。

 選評全体を覆う冷めた雰囲気などからすると、該当作なしが一番妥当な線だったような気がするのだが、該当作がないと儲からない出版社サイドの事情などが、選考に影響を与えているということがあったりするのだろうか。
 選者の顔ぶれも、しばらく遠ざかっていたうちにずいぶん知らない人が混じり、選評も核心をズバッと突くような文章は見当たらなくなって(昔からそうだったか?)、芥川賞は今後もマークする必要はないかなと思わされたのである。
by krmtdir90 | 2014-08-11 13:06 | 本と映画 | Comments(2)

一日フリーきっぷ考(フラワー長井線)

 先日掲載した山形鉄道フラワー長井線の「土・休日フリーきっぷ」を見直していただけないだろうか(7月31日の記事の5枚目の写真。何かこういう単語に細工をすると、クリックするだけでそのページや写真に切り替わるやり方があるようだが、わたしはそういうことができない。申し訳ない)。下の利用に関する決まりの中に「大人1名につき小学生以下2名まで」という記載が読み取れるだろうか。わたしも使っている最中は気付かず、帰ってきてから気付いたのであるが、これは素晴らしいサービスだということについて、ちょっと書いておきたいと思う。

 思い返してみると、どの区間だったかは忘れたが、小さい男の子を連れた父親がちょっとしたピクニックの感じを漂わせて乗っていたように思う。たった1000円で、この男の子に夢のようなワクワクした時間を体験させることができるのである。わたしも近所に同じような鉄道があったら、孫を連れて絶対に乗りに行くだろうと思った。だが、東京近郊のわたしの家に近くには、残念ながらこういうのどかな、しかし必死に経営努力をしなければならないような鉄道はないのである。

 地方の小さな第三セクターや私鉄の路線に乗るようになって、この全線乗り降り自由の一日フリーきっぷに関して、営業努力にもどうやら2つの正反対の立場があるらしいことが判ってきた。
 一つは、こうしたフリーきっぷを縮小ないしは廃止してしまった路線である。きっぷの値段を、往復運賃と同じに設定している路線も多い。確かに往復1520円(フラワー長井線の赤湯・荒砥間の場合)取れる区間を1000円で乗り放題にしてしまったら、大変な損失と考えてしまう頭の固さはどこにでも存在するのだろう。
 しかし、さっきの男の子の父親はたぶん、いや絶対に1520円のところが1000円で自由に乗れるきっぷだから遊びに来る気になったのではないか。貧乏性のわたしもその口の一人だと思う。このフリーきっぷがなければ、乗ってもらえなかったかもしれない乗客なのである。

 たとえ乗客が全然いなくても、ダイヤ通りに運行させなければならないのが鉄道というものだとすると、たとえ1520円を1000円にしても乗ってもらった方がいいに決まっているではないか。これがもう一つの、恐らく正しい立場である。
 こういう割引きっぷでは、最初に十分割り引いているのだから、その利用は本人に限るというのが普通の考え方のように思う。しかしこれも、割引きの日にはぜひお子さんを(お孫さんを)連れて遊びに来てください。お子さん2人まではいいですよという、フラワー長井線の太っ腹の考えの方が正しい行き方なのは明らかなことだと思う。男の子の記憶には、お父さんと乗ったフラワー長井線の記憶がいつまでも残って行くに違いないのである。

 繰り返しになるが、どんなに売り上げが少なくても、定時には必ず一定の費用をかけて走らせなければならないのが鉄道なのだから、大人1人に無料の子ども2人をつけても、運行費用が変わってしまう訳ではないのである。ならば、せこいことは言わずに、乗せてあげればいいじゃないか、乗ってもらって楽しい時間を過ごしてもらった方がいいではないかというのが、フラワー長井線の考え方だと思う。
 わたしはこの考え方を断固支持する。遠回りのように見えるが、こうして鉄道好きな少年と父親が誕生するかもしれないと考えれば、こんな素晴らしいことはないのではないか。

 経営基盤の脆弱な地方の鉄道では、少しでも売り上げを伸ばしたいと考えて、フリーきっぷなどもどうしてもギリギリの料金設定をしてしまいがちなのだろう(その気持ちはよく判る)が、割り引くところは思い切って割り引く、いただくところはきちんといただくという、メリハリをつけた営業努力というものが必要なのではないかと思った。
 フラワー長井線は、雪の季節にもう一度乗りに来たいと思う路線だった。その時も、このおおらかなフリーきっぷが続いていてくれることを願うのである。
by krmtdir90 | 2014-08-08 10:05 | 鉄道の旅 | Comments(2)

リニア中央新幹線は中止すべきだ

 高速道路のSAに寄るたびに地図をもらってくる。最新版の7月発行のもの(中央自動車道)では、圏央道が東名の海老名JCTにつながっていた。高尾山にトンネルを掘ることに反対運動もあったが(確か署名もしたと思う)、通ってしまえば家から一番近い高尾山ICを利用するようになってしまった。
 関越・中央・東名がつながったことによって、圏央道の通行量も一気に増えたように思う。物流という面から見れば、これは確かに画期的なことで(東北道までつながればもっと画期的になるのだろう)、高尾山の自然に少しくらいの悪影響が出たとしても、そんなものはたいしたことではないということになるのだろう。

 調べてみると、東京と名古屋を結ぶ自動車専用の高速道路・東名が全線開通したのは昭和44(1969)年で、同じく東京・名古屋間を山間部で結ぶ中央道の全線開通は昭和57(1982)年のことだったらしい。
 地図を見ると、海沿いの開けたところを通した東名は、当時としてはほぼ最短に近いルートで二つの都市を結んでいるのに対して、中央道は山梨県から長野県にかけて大きく北に迂回するルートを取っているのが判る。山間部で比較的平坦な開けたところを通そうとすると、必然的にこういうルートになったのだと思われる。距離や時間はロスしても、高速道路が山間部の市町村を通ることによってもたらされた恩恵は大きいものがあったと思われる。

 この中央道の迂回している区間、正三角形の2辺のように見える区間には、意外なことに山間部なのにトンネルが(トンネルと言えるようなトンネルが)一つもない。正三角形ABCと考えると、東京方から走って行って、Cが笹子トンネル、Aが諏訪湖、Bが恵那山トンネルとなり、C→A→B区間の景色の変化の素晴らしさは、トンネルに遮られることなくすべて見ていくことができるのである。
 中央道を建設した頃は、効率一辺倒で地形など無視してしまえというような傲慢さは、まだあまりなかったのだと思う(技術的な問題はあったのかもしれないが)。

 なぜこんなことを書いたかというと、例のリニア中央新幹線のルートをこの地図上で描いてみたからである。正三角形の底辺にあたるBC間には、中央道が迂回するしかなかった南アルプス・赤石山脈の3000メートル級の山々が連なっている。だが、リニアはそこも長大なトンネルで貫いてしまうのだという。糸魚川静岡構造線や中央構造線も串刺ししてしまうというのだ。
 効率や経済効果といった単一の観点で、こんな傲慢な計画が現実のものになろうとしている。アリバイ作りの環境アセスなどいくらやったところで、環境が受ける負荷など誰も完全に想定できる訳がないのだから、後で少々の不都合が出てきても、とにかく作ってしまえば後のことはいいという感じがして仕方がない。

 莫大な建設費用が動くことで潤う連中は、都合の悪いことは押し隠して、絶対安全のバラ色の未来をキャンペーンするのだが、その根底にあるのはまず建設ありきの無謀さ、傲慢さといったものであり、そうしたものに目をくらまされる前に、しっかり考えておく必要があることは多いと思う。原発がバラ色を描けなくなってしまった昨今、ある部分の人たちにはリニアは格好の助け船の一つなのである。
 地図を見ていて思うのだが、山岳地帯というのは長い間、道路や鉄道にとっては大きな障害だったけれど、トンネル掘削技術の進歩とともに、いまやほとんど不可能はないという段階に到達したように見える。しかし、だからこそいま立ち止まって、ホントにそんなところまでやってしまっていいのかどうか、謙虚に考えてみる必要があるのではないかと思う。またとない日本の自然を、日本人はこれまで経済至上主義でいやというほど痛めつけてきたのである。そのことを、そろそろ立ち止まって反省しないと、取り返しの付かない段階に来てしまっているのではないだろうか。

 いろいろなものを調べてみると、リニアに関しては現在までに、看過していいとはとても思えない様々な問題点や危惧が指摘されている。しかし、建設主体であるJR東海はもちろん、様々な業界団体から利権絡みの圧力を受ける政府も建設推進に前のめりで、本来これらの問題点や危惧について十分慎重であるべき環境省も、建設前提のアリバイ作りとしか思えない通り一遍の弱々しい勧告でお茶を濁しているのが現状なのである。
 ウィキペディアから、環境省勧告の一部を含む部分を転載させていただく。
 「『本事業のほとんどの区間はトンネルで通過することとなっているが、多くの水系を横切ることとなることから、地下水がトンネル湧水として発生し、地下水位の低下、河川流量の減少及び枯渇を招き、ひいては河川の生態系に不可逆的な影響を与える可能性が高い』とした上で、『水量の変化等、本事業が水資源に影響を及ぼす可能性が確認された場合、応急対策を講じた上で恒久対策を講じること。また、湧水については、水質、水量等を管理し、適正に処理すること』が勧告された。」(『』内が勧告の文言)

 こんな勧告は、建設途中に何らかの不都合が発生したとしても、それに対して何一つ有効性を持たない言葉の遊びに過ぎないことが、一目瞭然ではないか。
 「応急対策」はその場しのぎの杜撰な誤魔化しで、事故から3年半にもなるのにいまだに「恒久対策」が取れていない福島第一原発の汚染水問題をどう考えているのだろう。原子炉に毎日流入し続ける地下水は、3年半経っても「管理し、適正に処理すること」ができていないではないか。
 そうなっても、一旦始めてしまったら後戻りすることは考えられず、都合のいいデータだけを並べて「アンダーコントロール」と嘘をつき通すつもりなのだろうか。建設費用は当初の算定を大幅に越えていくが、利権に群がる輩には費用が増加するのは儲けにつながるから大歓迎なのである。
 また、仮に開通したとしても、その後も毎年かかっていく維持管理費用も膨大なものになると予想されている。そんな費用があるのなら、地方の赤字路線の赤字分を補填することなどいとも簡単なことなのである。

 様々に述べられている問題点の中で、わたしが特に注目する点が二つある。
 一つは、これが多額の経済効果をもたらすという、(この種の大プロジェクトでは必ず前面に出て語られる)まことしやかな予測の信憑性である。
 東京と名古屋が40分で結ばれてしまうということには、確かに一定の経済効果はあるかもしれない。しかし、そのことによって必ずもたらされるマイナスの経済効果の可能性というものに対して、この種の予測は総じて想像力が不足しているのではないかということである。
 それでなくても人口減少に歯止めがかからず、経済活動は漸次縮小の一途を辿るだろうと言われている中で、地方の疲弊が進み、多くの自治体が早晩立ち行かなくなるだろうと予想されていることに対して、こういう予測は何の解決策も見通しも語ろうとはしないのである。東京・名古屋40分というのは、その流れを一層加速させ決定的にする「効果」しか持たないのではないだろうか。

 東京・名古屋間の所要時間は現在の東海道新幹線でほぼ1時間40分である。それで十分ではないかと、どうして言えないのだろうか。リニアは40分と言ったところで、始発の品川駅まで移動し乗り換えなければならないこと、名古屋から先に行くためにはまた新幹線に乗り継がなければならない手間等を考えれば、さして時間節約にはならないのではないか。
 また、リニアという異なる方式の鉄道である限り、新幹線との相互乗り入れで利便性を向上させる道は最初から閉ざされているのである。兆という想像もできない単位の投資をして、それに見合う(割高運賃を支払っても乗る)利用者があるのかという疑問も消えない。その利用者は東海道新幹線から流れてきた利用者が大半と考えられるから、その分新幹線の利用者は減ってしまうのである。
 首都機能移転に道を開くなどと夢のようなことを持ち出す向きもあるようだが、様々な利害が複雑に絡み合うそんなことが、簡単に進むなどとは誰一人信じてはいないだろう。

 もう一つ、これがリニアの最大の問題点だと感じるのは、この超伝導リニアという方式が乗客1人を1km運ぶ時に必要となる電力消費量が、新幹線の3倍と予測されていることである。新幹線も膨大な電力を消費しているらしいが、それより遙かに消費量の多い方式をいま導入することが、果たして正しい選択と言えるのかどうか。
 具体的な数字がなかなか見つからないのだが、仮に東京・名古屋間が運行を開始して、ピーク時の往復運転本数などを想定して予測すると約27万KW、大阪まで延伸した場合を予測すると74万KWを消費するという数字が見つかった。JR東海が国土交通省に提出した資料にある数字だという。
 74万KWというのは、事故を起こした福島第一原子力発電所2~5号機の1機あたりの最大出力78万KWに匹敵する数値である。原発に頼らなくてもいい社会を目指すなどときれいごとを言いながら、こんなとてつもない電力を消費する計画に、国はどうしてゴーサインを出すことができるのだろうか。

 また、この方式は車体の磁石から強力な電磁波を発生させることが必要になるらしいが、この電磁波が人体に及ぼす影響というようなものについては、ほとんど明確になってはいないのだという。実際に走り始めてから、人体実験でデータを集めようと考えているのだろうか。
 先にも少し述べた、全体の9割近くを占めるトンネルの環境への影響なども、結局本当のところはやってみなければ誰にも判らないのだから、危惧や反対意見があるのははそれはそれとして、責任問題になるのだけは注意深く避けながら、とにかく工事を始めてしまえば何とかなると考えているように思えて仕方がない。
 トンネル掘削によって生じる膨大な残土の保管場所、利用方法なども、まだ何一つ決まってはいないのである。核のゴミの最終処分場、除染で出た汚染土の行き先も決まらないまま、再稼働に向けて地ならしを進めているのと非常によく似た構図と言わなければならない。

 この国の鉄道として、スピード競争はここまでにします、これ以上は環境破壊を行いません、いままでと全く違った価値観の鉄道に発想を転換していきます。こういうふうに、勇気を持って言わなければならない時期が来ていると思う。
 国鉄からJRに切り替わる時、JRから見捨てられて全国に散らばった第三セクターや弱小私鉄で頑張っている社員と、JR東海の経営陣以下全社員を一度入れ替えてみたら、リニアなどという傲慢な発想は絶対に出てこないだろうと思う。いや、彼らもまた、経済至上主義に毒されたこの国の政治体制や社会構造の犠牲者なのかもしれない。
 だとしても、とにかく南アルプスにトンネルを掘るなどという、人の道に外れたリニア中央新幹線の無謀を許しては絶対にいけない。たかが鉄道の分際で(敢えてそういう言い方をする)、自然に対してそこまで傲慢になっていいはずがないのである。
by krmtdir90 | 2014-08-07 16:04 | 鉄道の旅 | Comments(0)

続・東北の旅⑦左沢線・陸羽東線・帰路(2014.7.27)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 一転して、きょうはどんよりした曇り空である。予報では、雨マークと晴マークが混在する変わりやすい天気ということのようだった。日射しがないので、それほど気温は上がらないだろうと言っているのが救いである。
 因みに、ホテルでテレビを見ていたら、昨日の気温は米沢で36.2度、山形で37.5度だったという。通常、気温の測定というのは、芝生の上、地面から約1.5メートルに設置された風通しの良い、直接日射しを受けない百葉箱の中で行われるものなので、実際に昨日わたしが体感した気温はもっと高かったに違いない。やれやれである。

 さて、きょうは最終日であるが、ホテルは早めにチェックアウトして、但し荷物はホテルに預けたまま、まず左沢線(あてらざわせん)を往復してこようと思っている。左沢線は奥羽本線の北山形駅と終点・左沢駅を結ぶ全長24.3キロの盲腸線で、全線が非電化の単線である。全ての列車が山形駅を起点として運行されている。
 山形駅7:50発、左沢行き。キハ110系の4輌編成で、途中の寒河江(さがえ)駅で2輌を切り離すという。左沢線専用の、鮮やかな空色の塗装が施されている。しかし、車内は残念ながらすべてロングシートだった。
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 次の北山形駅で早速、交換待ち停車があった。ホームが広かったので、車輌の側面全体を写すことができた。なかなかオシャレな塗装だと思う。FRUITS LINERの文字が見えるが、JRは左沢線にフルーツラインの愛称を与えているらしい。
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 北山形駅は奥羽本線との分岐駅だが、ホームはすでにY字に分岐したかたちになっていて、付け根の方が跨線橋で繋がっている構造のようだ。
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 行き違いになる山形行きの4輌編成が入って来た。
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 この車輌は窓が開かないし、どうしようかと迷っているうちに、次の東金井(ひがしかない)駅は過ぎてしまった。しかし、迷っていても生産的ではないので、日曜日で車内も空いていたし、運転席横の通称「かぶりつき」を活用することにした(ロングシート最前部に座っていて、駅が近づくと立って行って撮影する)。
 で、次の羽前山辺(うぜんやまべ)駅。
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 羽前金沢(うぜんかねざわ)駅。
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 羽前長崎(うぜんながさき)駅。
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 羽前長崎・南寒河江間で、列車は最上川を越えた。
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 鉄橋に、フラワー長井線と同じ「最上川橋りょう」の文字が書かれていたので、帰ってから調べてみると、こちらの最上川橋梁も、元は同じ明治20(1887)年架橋の東海道本線・旧木曽川橋梁から移設されたもので、二つの橋梁は同じ出自を持った双子の橋だったことが判ったのである。二つの最上川橋梁は、2008年に仲良く土木学会選奨土木遺産というものに指定されたらしい。
 それにしても、第三セクター・フラワー長井線の方は、何とか利用者増に結びつけたいと沿線の見どころなどを一生懸命PRしているが、JRの方はそういうことがないから、成り行きによっては全く見落としていたかもしれないのである。

 南寒河江(みなみさがえ)駅。
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 寒河江(さがえ)駅。
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 ここで山形行き(ホーム向かいに停車中)との行き違いがあり、こちらの車輌は2輌が切り離されて2輌編成になった。

 西寒河江(にしさがえ)駅。
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 羽前高松(うぜんたかまつ)駅。
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 柴橋(しばはし)駅。
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 終点・左沢の一つ手前の駅だが、線路はこのあたりで急に山の中に入るような感じになり、ここはやや急な斜面の途中に駅が作られている。別に秘境という訳ではなく、階段を下りていけば左下の方には家が並んでいるのだが、ちょっと見るとずいぶん寂しいところのように見えてしまう駅である。

 柴橋駅を出た後、幾つかトンネルを抜けてから、列車は終点の左沢(あてらざわ)駅に入って行った。
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 8:44着。12分後に折り返しになるので、ゆっくりしている訳にはいかない(それでも、例の峠駅よりは2分長いのだから、余裕といえば余裕でもある訳だが)。

 終着駅で車止めはあったが、その先は一段高くなった駐車場のようになっていて、どうもかなり回り込まないと行けない感じである。また、行ったとしても高い位置から狙うことになるので、あまり思い通りの写真にはならないと判断した。終着駅定番のショットはカットすることにする。
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 で、駅舎外観と駅前の道。
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 駅は2002年にリニューアルされたようで、右の平屋部分が駅、左の円錐屋根の部分は大江町交流ステーションというものらしい。

 ホームに、このあたりの名産であるラ・フランスをかたどったらしい駅名板があった。
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 乗って来た車輌がそのまま、8:56発の山形行きになる。
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 発車して間もなく、トンネルに入る直前のところで、右の車窓から最上川がU字形に大きく蛇行するところが見えた。
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 実は、帰りの左沢線で写した写真はこれ1枚だけである。左沢を出る時はまだ空いていたのだが、2つ目の羽前高松駅でかなりたくさん乗って来て、4つ目の寒河江駅でまたかなりの乗車があった。ロングシートは全部埋まってしまい、座れない人も出てきた。その後は駅に停車するたびに乗客が増えて、ついにつり革も一杯になって、間の通路やドア周辺も人が一杯になってしまった。向かいの座席が見通せないのだから、まるで東京の通勤電車のような感じである。とても写真どころではなくなってしまった。
 9:40、山形駅に戻った。

 ホテルに戻って荷物を受け取り、再び山形駅。10:18発、奥羽本線・新庄行きに乗車。701系5500番代の2輌編成、ロングシート。
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 奥羽本線は青森・福島間を、弘前・大館・秋田・大曲・横手・新庄などを経由して結ぶ長大な路線だが、今回乗車した福島・新庄間が未乗区間だったので、これで全線完乗ということになるのである。

 11:32、新庄駅に到着。
 新庄駅は奥羽本線の途中駅だが、線路はここで途切れてしまっている。ここが山形新幹線の終着駅なので、新幹線用の標準軌(1435mm)の線路がここで終わるということなのである。
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 少し後ろに下がってみると、こういう↓感じ。いま乗って来た奥羽本線の普通車輌が2番線に入っていて、右側の1番線が山形新幹線用のホームということになる。
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 そして、後ろを振り返るとこう↓なっている。ここから先は在来線の狭軌(1067mm)の線路に変わるのである。奥羽本線としては本来、2番線から4番線に線路が繋がっていなければならないのだが、軌間が異なってしまった以上、ここを繋ぐことはできないのである。
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 改札口の方から見たところ。この通路が標準軌と狭軌の線路を隔てているのである。
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 4番線ホームに行ってみた。左側のホームは同じ平面にある奥羽本線のホームだが、向こうが標準軌の2番線、手前が狭軌の4番線になっている。JRが、福島・新庄間の奥羽本線を山形線と呼び替えようとしている理由がここにあるのである。
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 構内は広く、いろいろな施設があるようだ。
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 改札口。
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 出てすぐのところに、こんな飾りが。
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 さて、このあと乗り継ぐ陸羽東線(りくうとうせん)の発車まで、まだ1時間以上ある。適当に昼食をとらなければならない。
 その前に、駅の外観と駅前の様子。
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 駅の左手が最上広域交流センターゆめりあという施設になっていて、その中に食堂もあったので、手軽にそこに入って地鶏ラーメン(いくらだったか忘れた)というのを食べた。
 食べ終わって外に出て、ゆめりあの前の喫煙スペースで煙草を吸っていたら、急に風が強まりだした感じで、日射しが出たり黒い雲が流れたり、非常に変わりやすい天気の典型になってきているようだ。

 再びホームにはいる。H形になったホームの4番線の外側が5番線になっていて、12:57発の陸羽東線・鳴子温泉行きが入線していた。
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 キハ110系の2輌編成、内部はセミクロスシートである。
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 車輌は陸羽東線の専用塗装になっていて、前面と側面に「奥の細道・湯けむりライン」という陸羽東線の愛称を示すロゴが描かれていた。
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 陸羽東線は、新庄と東北本線の小牛田(こごた)を結んでいる非電化単線の路線で、わたしは初めて乗る路線である。

 ちょうど発車する頃になって、窓ガラスに不吉な音がして、とうとう降り出してしまった。にわか雨には違いないが、ちょっとツイていない感じである。

 開かない窓ガラスに雨が伝い始めた。せっかく車内は空いていて、比較的自由に写真が撮れると思っていたのだが、これでは思い通りにはいかないようだ。このタイプの車輌では、駅などを撮影しようとすると後部運転席横の「後ろのかぶりつき」が頼りなのだが、行ってみると早くも雨滴がつき始めている。
 発車して最初の駅・南新庄駅。とりあえず雨滴を避けて撮影。
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 左の線路は奥羽本線(標準軌)のもので、この駅を過ぎるあたりまで陸羽東線は奥羽本線と並んで走るのである。もちろん南新庄駅は陸羽東線の駅で、奥羽本線の方には駅はないのである。

 一駅飛んで東長沢(ひがしながさわ)駅。
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 頼みの運転席横もすっかり雨滴に覆われてしまって、この先はちょっと、のんびり行くしかないようである。

 新庄を出てから7つ目の最上(もがみ)駅で、列車の行き違いがあった。雨滴が邪魔と判っていても、つい撮りに行ってしまうのである。
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 新庄から10番目の駅・堺田(さかいだ)駅で、座席の窓越しにこんな表示板が見えた。奥羽山脈・分水嶺・秘境の駅・堺田……。
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 分水嶺とか秘境駅とか言われたら、どういう状況であれ動かない訳にはいかない。
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 家に帰って調べてみると、例のランキングに陸羽東線から唯一123位にランクインしていた。

 皮肉なもので、分水嶺を越えたら天気は急速に回復してきた。鳴子温泉駅は堺田駅から2つ目の駅なのだが、その10分ほどの間に雨はやみ、雲間から太陽まで姿を見せてきたのである。

 13:59、鳴子温泉(なるこおんせん)駅着。
 跨線橋を渡り、反対側のホームに停車中の同じキハ110系2輌編成(14:10発)に乗り継ぐ。向こう側が乗って来た車輌で、原板を拡大してみるとまだ水滴が付いているのが判る。
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 荷物を置いて座席を確保してから、ちょっと外に出てきた。この駅舎を撮影している時は日が陰り、一時的にパラパラと雨が降ってきた。
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 ホームに戻り、喫煙スペースで一服。また日射しが戻った。全く目まぐるしい天気である。
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 このあとは雲はあるものの大体よく晴れていた。
 鳴子温泉駅から2つ目の川渡温泉(かわたびおんせん)駅。
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 開業100年とあるが、駅舎は何だかつまらない駅舎になってしまったものだ。

 次の池月(いけづき)駅で、列車行き違いの停車。時間はあまりなかったが、雨で思うようにいかなかった鬱憤晴らし(?)の気分で、駆け足で外に出てきた。別にどうということもない駅だったけど、ね。
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 山間部を抜けてしまったので、このあとは晴れたけれど熱心に撮影する気分にはならなかった。
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 陸羽東線は古川(ふるかわ)駅で東北新幹線に接続しているが、降りてしまっては陸羽東線を乗り通したことにはならない。
 で、15:10、終点・小牛田(こごた)駅に到着。
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 東北本線・小牛田、15:49の始発で仙台まで行き、そこで新幹線に乗るつもりである。
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 4輌編成で、ホームに到着してみると、前2輌がE721系(セミクロスシート)、後2輌が701系(ロングシート)の異種連結だった。わたしはもちろんE721のボックス席を確保した。
 16:35、仙台駅着。

 仙台16:56発の東北新幹線・はやぶさ76号に乗車。途中ノンストップで、18:06大宮着。大宮18:22発の武蔵野線経由・むさしの号に乗車。19:16八王子着。

 今回の旅、最後の写真はお決まりの新幹線ではなく、大宮始発のむさしの号。
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 土日に東北から帰ってきた時は、これを利用すると時間も節約できて、非常に快適なエンディングになるのである。
by krmtdir90 | 2014-08-02 22:57 | 鉄道の旅 | Comments(2)

続・東北の旅⑥山形鉄道フラワー長井線3(2014.7.26)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 13:45、長井駅⑨で下車。ホームの隅に不思議な植物が生えていた。
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 ここはフラワー長井線の中心駅で、山形鉄道の本社もここに置かれているようだ。
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 構内踏切を渡って、駅舎入口からホームの方を見たところ。この左側にちょっと写っている建物が山形鉄道本社である。
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 有人駅だが、改札口に柵などはない。この左手が山形鉄道の旅行センターということで、JRのみどりの窓口と同じような業務をしているらしい。
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 右手にきっぷの自販機1台、小さな売店と駅そば、待合所などがあって、待合所では子どもたちを集めて工作か何かをしているようだった。その奥のドアを出ると、簡単な野菜の直売スペースになっていた。
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 駅舎の外観。雰囲気のある木造駅舎だが、開業時からのものではないようだ。
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 このすぐ左にある山形鉄道の本社。
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 駅前の通り。
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 ここは長井市の中心駅でもあるようで、この道を真っ直ぐ行くと500メートルほど先に長井市役所があるらしい。
 何だか申し訳ないのだが、このあたりの市や町の名前は全く馴染みがないので、帰ってから少し調べてみた。フラワー長井線に関して言うと、赤湯駅から梨郷駅④までが南陽市、西大塚駅⑤が川西町、今泉駅⑥から白兎(しろうさぎ)駅⑫までが長井市、蚕桑(こぐわ)駅⑬から終点・荒砥駅⑯までが白鷹(しらたか)町ということだった。

 さて、上の写真の左端に写っている小さな喫茶店で遅い昼食にした。入口のソフトクリームの横に後ろ姿で偶然写っていた、この女性が一人でやっている店のようだった。
 カレーセットを頼んだのだが、このカレーが思いがけず美味しかった。カレーだからと写真を撮らずに食べ始めてしまったことを後悔した。味の描写は自信がないが、何と言うのだろう、きちんとしたカレーらしいスパイスが効いていて、辛めだけれど割とさっぱりした感じのカレーだったと思う。

 メニューを見たら、昔からこの町で長く親しまれ、数年前に惜しまれながら閉店した「園カレー」というカレーがあったらしいのだが、その味を、この店の女主人が関係者に取材しながら復刻したものなのだという。うーむ、そうだったのか。
 そういえば、こういうセットでよく付いてくる野菜サラダのドレッシングが、既製品のものではなく、一口で手作りのドレッシングと判るあたりにも、細やかなこだわりが感じられた。
 で、食べ終わった頃、思いがけずサービスと言って出してくれた冷たい麦茶。
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 何だか大きく写ってしまったが、とても小さめのグラスで、そのささやかな感じがなかなか好感が持てた。なお、もみじの葉の下に小さなおせんべいが2個(2枚という大きさではなかった)付いていた。

 改めて写しておくことにする。このお店。長井駅から徒歩1分、カフェ山の下です。
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 駅に戻り、ホームに出てぶらぶらした。
 駅舎と山形鉄道本社の建物。
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 ホームの屋根は木造で、かなり古そうなものだった・
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 滞在時間68分。14:53発・上り赤湯行きがやって来た。YR-888、スウィングガールズ号だった。ロングシートだが、車内は空いていた。
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 西大塚駅⑤を過ぎて、梨郷駅④との間でフラワー長井線はもう一度最上川を渡る。四季の郷⑮・荒砥⑯間の最上川よりも、こちらの方が上流ということになる。
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 梨郷駅④を出て、次のおりはた駅③はまだ写していなかった。
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 15:18、最後の訪問駅・宮内(みやうち)駅②に下車する。
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 構内踏切を渡って駅舎の方へ。
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 改札を出る。
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 この駅は10年あまり無人駅の時代が続いたが、平成22(2010)年に再び有人化され、その時、人間の駅員のほかにウサギの駅長と駅員を赴任させて話題になった駅である。まあ、フラワー長井線に乗りに来た以上、この駅ではちゃんと下車して、彼らに会っていかない訳にはいかないだろうと思ったのである。

 改札の横にこんな看板が出ている。
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 もう一度改札を入って、この自転車が止めてある奥が入口のようだ。
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 ドアを開けて中にはいるとこんな感じになっている。
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 冷房は苦手なのか、窓を網戸にして風を通し扇風機も回しているが、きょうの暑さは如何ともしがたいのか、駅長以下3匹は何となくだらけた雰囲気である。
 左のケージが駅長のもっちぃ(女・白ウサギ)、真ん中が駅員のぴーたー(男)、右のケージは開いていて、駅員のてん(男)は外に出してもらっている。もっちぃのケージの前に寝そべっているのがてんである。
 右の壁に「わたしたちは平成22年5月27日に置賜(おきたま)農業高校で生まれました。きょうだいは5羽います。その中から私達を人間の駅員さんが譲りうけました」という自己紹介が貼ってあった。
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 駅員のぴーたーとてんはけっこう動き回っていたが、
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 駅長のもっちぃはずっとこの姿勢のまま、全然動こうとしなかった。落ち着きがあるというか、何というか……。
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 さて、この駅では次の上りまで89分も滞在時間があるのだが、まさかずっとウサギを眺めている訳にもいかない。左の方で事務を執っていた人間の駅員さん(女性だった)にお礼を言って、外に出た。外は相変わらず日射しがあり、相変わらず猛烈に暑い。

 駅舎の外観と駅前の道。
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 右手の方にもう1本道が延びているのだが、どちらの道にもちょっと入れそうな店などは見あたらない。最後に少し町並みを散歩などと軽く考えていたが、とにかくこの猛暑は全くの想定外と言うほかなかった(想定外という言い方は厳しい現実の前では、何の言い訳にもならないことを思い知らされた)。
 とにかくきょうはここが最後なのだから、もうどうでもいいやと(でも駅前の案内地図は一応確かめてから)、ちょっと投げやりな気分で歩き始めた。

 由緒のありそうなお寺が二つあった。
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 さらにずんずん行くと大きな鳥居があった。案内地図ではこの先に、熊野神社というのがあるらしかった。それなりの描き方をしてあったから、まあそれなりの見どころがあるのだろうと思ったのである。
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 参道のような道を(別に両側に店などが並んでいる訳ではない)さらに行くと、いかにも神域という雰囲気の小高い森があって、
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 案の定、石段があった。
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 登りたくなかったが、来てしまった以上、登らなければ何のために暑い中を来たのか判らなくなってしまう。登り切ったらまた横に次の石段が、などというのだけはやめてほしいと思いながら登ったら、石段はなかった。
 思いがけず、素晴らしい社殿が建っていた。
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 全然期待していなかったから、ちょっと感動してしまった。ちゃんとお賽銭を上げて、ちゃんと作法通りにお参りしました。

 汗びっしょりになりながら駅に戻ってきて、案内地図も一応写しておくことにした。駅前の道を真っ直ぐ行くと卍が二つ、さらに右上方に鳥居と熊野神社。
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 さて、そろそろ帰りの時間が近づいてきた。最後にもう一度、もっちぃ駅長に会っていこうと中に入ってみると、さっきと寝そべる向きが変わっていた。動くところは見られなかったが、駅長も動いたのである。
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 ホームから駅舎を見る。朝もほとんど同じアングルで写したが、光線の具合が違うので、全然違った雰囲気に見える。
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 16:47発・上り赤湯行きがやって来た。
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 最後に南陽市役所駅①を撮影。
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 市役所の敷地に面してホームがあり(左の建物が市役所)、文字通り市役所へ0分の駅である。これで全部の駅を撮影できたはずである。

 16:52、赤湯駅着。
 山形鉄道・赤湯駅の方に行ってみた。朝と違ってほぼ正面から太陽が当たっていて、全く違う感じで撮影することができた。
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 JR側の駅舎に行き、大きい荷物をロッカーから出して、クーラーの効いた待合室でしばし休憩。真夏の駅歩きはやはり相当大変だということが判った一日だった。
 17:48赤湯駅発、奥羽本線・山形行きに乗車。
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 18:21、山形駅着。
 山形駅は大きすぎて、うまくフレームに入り切らなかった。
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by krmtdir90 | 2014-08-01 22:10 | 鉄道の旅 | Comments(0)

続・東北の旅⑤山形鉄道フラワー長井線2(2014.7.26)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 12:16、西大塚(にしおおつか)駅⑤で下車した。
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 山形鉄道フラワー長井線には、開業当初からの木造駅舎が2つ残っている。この西大塚駅がその一つで、ホーム側の窓ガラスに「100年駅舎・1914年」という貼り紙がしてあった。
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 1914年というのは大正3年で、この前年に赤湯・梨郷(りんごう)④間で営業を開始した路線は、この年に長井駅⑨まで延伸し、西大塚駅⑤もこの時に開業したものらしい。

 ホーム上から、駅舎の両サイドを見る。
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 中にはいる。一部アルミサッシに替えられたところがあり、待合室の壁なども貼り替えられているようだが、概ね昔の姿がよく残っていると思った。
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 窓口などは開業当初のままだと思う(前の白いベンチが邪魔なのでどかそうかとも思ったが、けっこう重かったし、そういうことをしているところに誰か来たらいやなのでそのままにした)。
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 窓口のガラスはきれいで、中の様子も見ることができた。よく埃だらけの物置状態になっている駅もあったりするが、ここは非常にスッキリ片付いていて、何かに使われることでもあるのだろうか。
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 駅舎外観と駅前広場。
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 駅は大きく見れば田園地帯の中にあるが、周囲には、ホームの向かい側を含めて駅を囲むように人家が建っている。駅舎とトイレの間には自転車も何台か停まっていて、しっかり利用され大切にされている駅だと思った。

 赤湯方面に少し歩くと踏切があったので、線路の向かい側の方にも行ってみた。こちら側の人家数軒はどれも比較的新しい建物だった。
 そちらからも駅を撮影したが、なかなかいい佇まいだと思った。
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 滞在時間24分。12:40発・下り荒砥行きがやって来た。
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 フラワー長井線の一日の運行本数は上り下りとも12本で、昼間は運転間隔が空くので、逆方向の乗車をうまく絡めると滞在時間も調節できるし、滞在できる駅も一つ増やすことができるのである。次は、この列車で羽前成田(うぜんなりた)駅⑪まで戻ることにする。

 この1輌には高校生がいっぱい乗っていて、駅に停まるたびに少しずつ降りていった。夏休みだから、ちょうど午前中の部活を終えて家に帰る時間帯なのだろう。
 時庭(ときにわ)駅⑦。ごく普通の人家のような駅舎である。
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 南長井(みなみながい)駅⑧。
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 13:05、羽前成田(うぜんなりた)駅⑪着。この駅は線路を挟んで見事な防雪林がある。
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 開業当初からの木造駅舎・その2である。
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 長井線が長井駅⑨より先に延伸したのは大正11(1922)年で、この駅が開業したのも同じ年ということになる。西大塚駅⑤よりもやや新しい駅舎だが、それでも現在まで残っているというのは素晴らしいことだと思う。
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 あちこち補修はされているようだが、特に素晴らしいのは、窓などがすべて木枠のままで、どこもアルミサッシに替えられていないということだろう。

 待合所のイスなどは後から置かれたものと思われるが、すべてを木で作られたものにして、今風の安っぽい素材を入れなかったところに、こだわりのようなものが感じられて好感が持てる。
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 窓口などは完全に昔のままで、非常にきれいに保たれていると思う。
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 窓口の上には国鉄時代の運賃表や掲示も残されていた。
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 ここも窓口のガラスはきれいで、中も整理整頓が行き届いていた。石油ストーブなどがあるところを見ると、冬場の除雪作業などの拠点になるのかもしれないと思った。
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 改札口の向こうに防雪林の緑が見えて美しい。紫陽花の花は、残念ながら少し盛りを過ぎてしまっていた。
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 駅舎と駅前広場。右に見えているのは屋根付きの屋外休憩所という感じで、左には土のままの10台分くらいの駐車スペースがあった。
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 駅舎を出たところに、ここだけ木ではないベンチと灰皿が置かれていた。こうなっていては1本吸わない訳にはいかない。
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 駅前の道(たまたま日が陰って、この1枚だけ色調が全く変わってしまった)。
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 この道をちょっと行って左に折れたところに、吉川記念病院という6階建て(たぶん)の大きなビルが建っていて、こちらからよく見えるのである。
 窓口に置いてあった駅ノートをパラパラ見ていたら、この病院に通うためしばらくこの駅を利用させてもらいましたとか、長い間通ったけれどきょうがこの駅を利用する最後になりますなどという、ちょっと他の駅ノートとは毛色の違った書き込みがあって、何となく面白いと思った。

 巨大な防雪林と小さな古い駅舎。
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 滞在時間35分。13:40発・上り赤湯行きがやって来た。
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 この1輌も高校生でいっぱいだった。しかし、今度は乗車5分である。
by krmtdir90 | 2014-08-01 21:29 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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