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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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高校演劇2014⑩-2 Cブロック審査経過(特に西部B地区について)その2

*記事の長さに字数制限があることを初めて知りました。そういうことで2分割になってしまったこと、ご了承ください。

(承前) その1から読んでください。

 以上、ここまでが東部北(28日)の審査に行く前に、先日の西部B(19~21日)の審査の観点をわたし自身のために整理しておこうと、ほぼ書き上げていた文章である。東部北の結果によっては、かなり書き直さなければならないこともあり得ると思っていたが、結局ほとんどこのままのかたちで今回の観点は維持されたと思っている。
 東部北にとっては残念なことだったが、西部Bでわたしが俎上に残した、総合的力量としての入間向陽・芸術総合、その学校なりの芝居の魅力としての所沢・所沢西、この4校に並ぶか肉薄していると感じられた学校はなかったのである。西部Bの4校はすでに述べた通り、かなり不満の残る問題点の多い舞台だったにもかかわらず、東部北にはもっと不満の残る問題点の多い舞台しかなかったということになる。これは、違う審査員が行ったとしても恐らく同じ判断になっただろうと思った。したがって、上記の文章を書き直す必要はないだろうと判断して、そのままここに掲載することにしたのである。

 あと今回は、審査でペアを組んだT先生との間で、意見が割れる(あるいは割れているのだろうと推測される)場面がけっこうあった。例えば、セリフのやり取りに関して、わたしができていると評価した学校について、T先生はできていないと判断されていたり、逆のケースもあったりして、話し合いの焦点が定まらず、なかなか観点の問題にまで深まらなかったのは残念だった。だが、この文章ではそのあたりのことには一切触れずに書き進めた。したがって、ここに述べた審査経過は、当然のことながらすべてわたしにとっての審査経過であることを断っておきたい。(2014.9.29)
by krmtdir90 | 2014-09-30 00:29 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇2014⑩-1 Cブロック審査経過(特に西部B地区について)その1


 芸術総合は、生徒と顧問の作り出す芝居作りの総合的力量を考えれば、間違いなく県下で1、2位を争っている学校だと思う。もちろん内部的にはいろいろな苦労があるのだろうが、わたしの印象では3、4位あたりとは明らかな差があり、それ以下の学校とはかなりの差があると言っていいだろうと思っている。その芸術総合を選ばないという審査結果について、最初にきちんと書いておかなければならないと思う。

 まず、審査というのは、その時その時の各校一回限りの舞台成果に対して行うものであり、各校の芝居作りの総合的力量を比較するものではないということが確認されなければならない。
 そうでないと、勝てる学校というのは上演以前にほとんど決まってしまうことになり、それ以外の学校はどうあがいたところで太刀打ちできないことになってしまうからである。生徒は顧問を選ぶことができないのに、顧問の力量や指導姿勢には決定的と言っていい差が存在するし、学校間の格差や設備の差も越えることのできない壁として存在しているからである。

 審査して結果を出さなければなければならない側からすると、少し(いや、かなり決定的に)物足りないと感じる時でも、総合的力量があるとみんなが認める学校を選んでおけば、そういう学校は県大会までの間にそれなりのかたちに修正してくるだろうし、審査側も無用の批判を受けなくて済むということがあると思う。
 だが、こういうことがあまりまかり通ってしまうと(わたしはこれを高校演劇を蝕む悪しき権威主義と呼ぶのだが)、芝居作りが本来持っている自由な発想とか面白さといったものが失われ、演劇の多様性は痩せ細っていくことになってしまうと思うのである。

 審査は確かに、そこに現れた舞台成果だけでなく、各校の潜在的力量を比較してしまう側面があるのを否定はしないが、そちらに寄り過ぎて総合的力量の比較にすり替わってしまうと、判断を誤る危険性が高くなってしまうのではないだろうか。審査員たるもの、判断に迷うような時でも、そこに安易に逃げ込むことがあっては絶対にまずいと思っている。
 総合的に見れば上位校より遙かに劣っているとしても、各校の置かれた条件の下で、ある突出した力量が遺憾なく発揮されているというような舞台、つまりその舞台が、様々な欠点を超えてその学校なりの芝居の魅力を見事に見せてくれてしまったというような場合。そういうことはけっこうあるような気がするのだが、そういう学校を勇気を持って拾い上げ、それを総合的力量より上位に評価する柔軟性を失いたくないと思うのである。

 ただ、これは一面危険な罠でもある。目新しく思いがけないものに目を奪われて評価を誤るような可能性を、これは決して肯定するものではない。わたしはむしろ、一見地味で見過ごしてしまいそうなところで、その学校がその時点で取り組み得る限られたこだわりを貫き、可能な努力をきちんと最後までやり切ったような舞台を、見落とすことなく積極的に認めてやりたいと思うのである。
 総合的力量があると誰もが認める学校の舞台が、残念ながら今回はその学校の芝居の魅力を作り損ねていると感じた時、それでも総合的力量があるのだからと選んでしまうのではなく、もし他に、問題点は多いがその学校なりの芝居の魅力を十分に見せてくれた学校があったら、一回限りの公平な視点で、俎上の学校の芝居の魅力をきちんと比較してやるべきだと言いたいのである。

 芸術総合を選ばなかった基本的姿勢というのはそういうことである。以下、具体的に書いていく。


 今回、芸術総合が選んだのは、栃木の高校の顧問創作で「和田食堂物語」(岩渕誠・作)という、臓器移植の問題を扱った台本だった。台本としてもう一つ書き切れていない印象があったが、この場合そのことは問題にすべきではないだろう。問題は、芸術総合がこの本を舞台にする時、どうも力点の置き方を誤ったのではないかと思える点なのである。
 台本は、臓器移植の様々な問題につながっていくようなエピソードを、思いがけない切り口を含め種々設定した上で、それらを同時進行的に交互につないでいくスタイルを取っている。この「つなぎ」の部分を、どうスマートにスタイリッシュに作るかというのは、確かに大きな要素であるには違いない。だが、そこはこの芝居の魅力を下支えする要素ではあっても、決して肝ではなかったということなのではないか。

 芸術総合は「つなぎ」を実に見事にやって見せていた。生徒はよく訓練されていたし、照明・音響を始めとするスタッフワークも素晴らしいものだった。審査員によってはそれをよしとする人もいるかもしれないが、わたしにはそれがこの舞台の魅力になっているとはどうしても思えなかったのである。それは芝居の魅力の核心ではない。
 様式は様式に過ぎない。舞台の魅力を作り出すのは、もっと生身の人間のあれやこれやでなければおかしいのではないか。彼らは自ら作った無機質で硬質な様式に引きずられてしまったようで、思い切って人間的であるべき様々なエピソードになっても、様式の残滓を払いのけられなかったように思えたのである。
 一見したところ、いかにもそれらしく会話しているように見せているのだが、それはその人物の内面を反映した言葉にはなっていない、気持ちと気持ちが対峙するやり取りにはなり得ていないと感じたのである。これは大きな問題点ではないか。

 力のある彼らのことだから、もしかするとそれは意図的にそうしていたということがあるのかもしれない。しかし、もしそうであったとすれば、この各エピソードのセリフのやり取り、例えば食堂のシーンや教室のシーン、病室のシーンや野球部男子のシーンなど、いかにも生き生きとやっているように見せていながら、その作り出す空気は妙に固くよそよそしいもので、そこから生まれるべき会話の魅力、芝居の魅力を作り損ねていたように思えて仕方がなかったのである。
 講評では、一例として野球部男子のところを取り上げたが、女子が演じているという前提があっても、何らかのかたちで野球部男子というものの持つそれらしさといったものを、もっときちんと強調してくれないと、そこに内在する葛藤というようなものは客席に届いて来ないのではないだろうか。このあたりの作り込み具合に、芝居作りの作戦ミスというか、重点の置き方の決定的なズレがあったような気がしてしまうのである。

 率直に言って、どのエピソードでもいい、例えば臓器移植の順番を待つ病気の女の子、移籍制度の変更を知った野球部男子など、彼らが抱え込んでしまった割り切れない思いとか切ない思いというようなもの、或いは最後のあたり、死んだ母親の臓器(眼球?)を移植に供してしまった姉妹の会話、あんなに様式的な処理の仕方ではなく、同じ言い方になってしまうが、何とも言い難い彼らの「切ない思い」を少しでも見せてくれていたなら、それだけで全然違った舞台になっていただろうと思うのである。
 今年、もしかすると役者の力量は若干落ちていたのかもしれない。だが、それは原因ではないと思う。作る側として、「切なさ」というような感情に対する視点がどの程度あったのかが問題なのだと思う。「切なさ」というような情緒的なものを、もしかすると軽んじる芝居作りをしていたのではなかったか。それが、結果的に客席を遠ざけてしまう原因になっていたのではないだろうか。

 間違えてほしくないのは、情緒を安売りしろと言っているのではない。安易な情緒や意味のない笑いを垂れ流す舞台は、わたしも大嫌いである。だが、どんなに理知的に構成されたように見える台本であっても、観客の琴線に触れていく一歩目のところでは、情緒や笑いというようなものを無視することはできないのではないかということを言いたいのである。
 臓器移植の前提となる死の判定に関する問題は、頭(理性)では理解できても気持ち(情緒)ではなかなか納得できないというところに、大きな未解決の問題が存在していると思うのである。不十分なところはあるにせよ、この台本はそこのところを描こうとした台本ではなかったのだろうか。各エピソードに登場する人物の「気持ち(思い)」が描かれなければ、或いはそこを描こうとするのでなければ、恐らく芝居として成立しない台本なのではないかと思ったのである。どうだろうか。

 どんなに美しい舞台を作っても、芝居として大切なのは、やはり登場する様々な人間たちが作り出す様々な場面の面白さということになるのだと思う。芸術総合の舞台は、結果的に、賞状の一言に使った「スタイリッシュ」ではあっても、芝居としての核心の面白さは少しも作れていない、客席が芝居の魅力を感じることのできない舞台になってしまった気がするのである。


 さて、こうなると次に、わたしが「問題点は多いがその学校なりの芝居の魅力を十分に見せてくれた学校」として、どこを俎上に残したのかということになってくるだろう。
 西部B地区では上演順に、入間向陽、所沢西、所沢の3校だった。このうち、入間向陽はやはり過去に実績のあるそれなりの力量を持った学校だと思うので、ちょっと後に回ってもらうことにして、まず所沢西と所沢について見ていきたいと思う。

 暫定2校に残したのは所沢の方なので、まずそちらから考えていくことにする。
 所沢がやったのは、これもどこかの高校の顧問創作で、「ぽっくりさん」(亀尾佳宏・作)という、率直に言って「和田食堂物語」などよりはるかに問題点の多い台本だったと思う。初読の時、ネット台本と大差ないと思ったというのは言い過ぎだとしても、個人的には全く好きになれない台本の一つだった。
 だから、所沢を最後まで残すにあたっては、その点が大きな障害として意識されたのは事実である。一言で言えば、設定があまりに安直でご都合主義ではないかと思ったのである。深夜の教室で怪談話に興じる3人(注)が、実は集団自殺を企ててここに集まっていたのだというのだが、終わり近くになってそれが急に明らかにされた時、これはあまりに唐突な展開で説得力に欠けていると感じた。そう言われてみればなるほどと思えるようなそれまでの書き込み(伏線)も、この台本からは全く見つけることができないと思ったのである。

(注)台本では4人だが、所沢はキャストの1人が出演できなくなったため、急遽3人に作り直して上演したらしい。ここはあくまで上演された舞台について論じたいと思うので、上演時の3人ということで論を進めることにする。

 学校の怪談という、高校演劇ではベタ過ぎる素材からして魅力に欠けるし、「ぽっくりさん」を登場させてからの上記の展開の無理さ加減、さらにラストあたりのメッセージのいかにもという感じなど、聞くとけっこう上の大会まで行った台本らしいが、わたしにはどう読んでも魅力を感じることのできない台本だったのである。
 だが、台本が問題が多いから認めないという態度は、少なくとも高校演劇においては間違いと言わなければならない。台本の善し悪しは舞台成果に重大な影響を持つものだと思うが、そこが拡大され過ぎると新しいものも出て来にくくなるし、台本選定の段階である程度結果が出てしまうというような選考は、やはりすべきではないだろうと思う。
 そういう意味で、退職後に審査員を引き受けてからは(現役の頃はそうでもなかった)、わたしは台本の中身に踏み込むことは可能な限り避けるようにしてきたし、元々好悪の激しい自分の性格にもできるだけ蓋をするように努めてきたつもりである。

 このあたりまでを一応の前提とするとして、それでも実際の舞台を観るにあたっては、所沢の台本はつまらない(問題の多い)台本というのは頭の片隅にはあるわけだから、観劇のスタートラインが厳し目になってしまうのは仕方がないことだったと思う。
 そういうわたしを所沢の舞台が有無を言わせず掴んでしまったのは、結局キャストのセリフのやり取りの見事さに尽きるだろうと思う。この台本がネット台本と違っていたのは、やはり教員が書いただけあって(教員でも書けない人は書けない)、高校生のセリフのやり取りだけはそれなりにしっかり書けていたということになるのではないか。出だしからずっと続くこのハイテンションは、これまた個人的には好きではないし違和感もあるのだが、そういう認め難い要素はあっても、とにかく書けていたということは確かなことなのだと思う。
 そして、所沢のキャスト4人(3人+ぽっくりさん)は、それを豊かな表情と思い切りのいい動きで、最後まできっちりとやり切ってしまったのである。それは15校中ピカ一だったと言っていいし、県レベルで見てもそうあることではないと感じたのである。

 この成果を、台本に問題が多いからといって無視してしまうことはできないと思った。もちろん相対的な評価だから、もっといい台本、いい舞台があれば落とすことになるのは仕方がないが、それでも成果は成果として高い評価を与えておくべきだろうと思ったのである。
 ただ、所沢の彼らがどの程度意識していたのかは判らないが、今回のこの台本のセリフのやり取りというのは、やり取りとしては比較的平易なパターンで繰り返されるやり取りであり、本当を言えば、彼らにはもう少し緩急や強弱のある、もう少し内向の屈折といった含蓄のあるやり取りに取り組んでほしいという希望を持ったのも事実である。率直な感想として、これだけ出来るのであれば、こんな台本で満足するなよと言いたい気がしたのである。

 あと、今回見せてくれたセリフのやり取りは、これ以下ではもちろんダメだが、これ以上やり過ぎても一気にダメになる可能性があることは意識しておいた方がいいと思った。こういう舞台というのは、案外1回限りの成功というケースもあったりするから、もし再演ということになった時は、そのあたりの加減が非常に難しいことを指摘しておきたいと思う。


 次は所沢西である。所沢西は「Regret~忘れられない武士のうた~」(北條小百香・作)という生徒創作台本で、台本を読んだ時、正直に言ってこれはダメだと思った(こういう言い方は、審査員打ち合わせ会で事務局の方から、講評では絶対にしないでくださいと言われている言い方なのだが、この文章は講評ではないし、このブログでは思うところを率直に書きたいと決めているので許してほしい。わたしの趣旨は、ぜひ全体を読んで判断してほしいと思う)。

 石田三成と大谷吉継を主人公にした戦国歴史群像劇ともいうべきもので、史実などもしっかり調べて、生徒としてはストーリーもそれなりに組み立てられていて、よくここまで書いたものだと率直に感心した。だが如何せん、あまりに壮大なストーリーにしてしまったため、話の骨組みを辿るのがやっとで(よく辿ったとは思ったが)、場転は連続するし、舞台の制約というものに配慮がほとんどなされておらず、これではとても見られる舞台にはならないだろうと思ったのである。
 結果は見ての通りで、審査員によっては全然ダメと言う人もいるかもしれないが、残念ながら?わたしはどんどん引き込まれてしまったのである。面白かった。正直に言うと、わたしは15校中でここが一番ワクワクした。わたしはこういう全力投球のチームワークには弱いのである。
 舞台としての問題点を挙げ始めれば、恐らくきりがないと思う。にもかかわらず、それを超えた魅力はどこから生まれたのだろうか。

 まず第一に、舞台に登場するすべてのキャストの熱量が揃っていたことがあると思う。恐らくスタッフの熱量も同じだったのだと思う。つまり、キャスト一人一人は当然力の差もあるし、デコボコしていて当たり前だと思うのだが、それを云々する以前に、みんなが同じような熱量でセリフを言い、同じような熱量でセリフを受け、同じような熱のある動きで絡み合ってくれたのは特筆すべき点だと思った。
 これは力みとは違う。舞台に対する各自の思い切り方が揃っていたということかもしれない。みんながいろいろなことを(例えば殺陣などでも)思い切ってやっていて、それがこちらにストレートに伝わってくる感じと言ったらいいだろうか。それがキャスト全員のものとなった舞台というのは、案外少ないように思うのである。
 第二に、こうした生徒創作の舞台などにありがちな、行き過ぎたギャグや必然性のない動きといった、客席に媚を売るような下心が全く感じられなかったことがある。もちろん歴史物とはいえ生徒が書いたものだから、マンガチックな処理を行うところは散見されたのだが、台本段階では危ないなと思っていたそういう箇所も、実際には極めて節度のある芝居に収められていて、少しも嫌味なものにはなっていなかったのである。これも、今どきは案外珍しいことに違いない。

 キャストの位置取りの悪さからシーンがうまく組み立てられなかったり、台本の書き方がバランスを欠いたり不十分だったりして、シーンのつながりに無理が感じられてしまったり、問題はいろいろあったとは思うが、全員が醸し出す熱気のようなものが不思議な統一感を作っていて、けっこう複雑なストーリーだったと思うのだが、曲がりなりにも最後まで客席を引っ張り切ってしまった、とわたしには感じられたのである。
 いや、客席のことは置くとしても、少なくともわたしは引っ張り切られてしまったと思ったのである。しかし、そうだとすると、芝居というのは一体何なのだろう。この舞台が様々な点で未熟なものであることは、もちろん言われるまでもなく判っているつもりである。でも、面白かったんだからしょうがないじゃねーか、という感じ。
 審査である以上、こんな乱暴な言い方は封印されなければならないが、舞台がこういう熱量を見せてくれた時、芝居の出来など別にして、おーっ、やったなぁ、というような、そういう感性は忘れたくないと思ったのである。

 最終的には、わたしも大人だし、それなりの妥当な判断でなければ全体の理解は得られないことは判っていたので(それに何より、ペアを組んでいる相方の同意を得るのは無理だと思ったので)、俎上には残したものの、暫定2校に残すことについては早々に諦めるしかなかった。


 さて、最後に、ではなぜ入間向陽は残ったのかということになる。
 入間向陽は今年も顧問創作で、「恋待駅」(成井稔+Koyo劇・作)という、ローカル線の駅のホームを舞台にした、鉄道好きのわたしとしては何とも嬉しくなるような設定の物語だった。
 だが、この点ははっきりさせておかなければならない。それだから評価が甘くなったというようなことは絶対にない。むしろ、見る目はいっそう厳しくなっていたはずで、にもかかわらず、この舞台装置のリアリティと雰囲気、電車の発着を表現する音響・照明は見事だったと、この点だけは他と切り離して、まず最初に評価しておきたいと思う。

 問題は今年もセリフのやり取りにあった。今年、西部B地区を2年連続で審査することが決まった時、前年度の舞台との比較はできるだけしないようにしようと決めていた。前年の舞台が印象的であればあるほど、それが浮かんできてしまうのはどうしようもないことだったが、生徒は違っているのだし、今年は今年だけで独立したものとして考えてやらなければ、生徒は(顧問も)不愉快だろうと思ったのである。
 しかし、入間向陽の場合は、舞台全体としては今年もそれなりにまとめているのに、問題の所在が全く前年と同じ点だったのである。これをどう考えたらいいのか。比較はしないと言いながら、どうしても関連させて考えざるを得ないと思った。力んでしまって、セリフが台本の要求しているやり取りになっていかない。しかも、今年は物語を展開させていく主役2人がそうだったから、台本の持つ面白さが全然出てこないように感じたのである。
 向陽の上演順は前記3校より前だったから、見終わった時、他の学校次第ではあるとしても、2年連続では認める訳にはいかないと、前年の舞台を想起しながら(反則だとは思いながらも)思ってしまったのは事実である。

 作者は顧問なのだから、生徒がやっているやり取りが台本に自分が書いたやり取りとかけ離れていることは、誰よりも判っているはずではないのか。だったら、どうして何とかしないのか。どの程度まで手を入れるかは顧問としての姿勢が問われるところではあるが、このままにしていいとはどうしても思えなかったのである。うまいへた以前に、少なくともやり取りイメージについてヒントぐらいはきちんと与えてやらなければ、生徒は基本的な方向が見えないまま芝居作りを進めてしまうことになるのではないか。
 昨年は、問題の所在は判っていても、生徒の力不足でそこに到達できていないのだと思っていた。だが今年は、もしかすると問題の所在をきちんと押さえ切れていないのではないか、その点に関する顧問の方向付けがどういうわけか不足しているのではないかという印象を持ったのである。これでは良くなるものも良くならない。
 脇を固めた2年生は、それなりに達者にセリフを操れるようになった印象もあるわけで、1年生と2年生の主役コンビがうまく機能していない点は、顧問として(作者として)何らかのきっかけを作ってやるべきだったと強く感じたのである。

 さて、審査にあたっては、しかしそれはそれとしてということになる。最終的な問題は、この舞台がどういう芝居の魅力を見せてくれていたのかということである。相方が俎上に残していなければ、わたしとしてはこれを積極的に押す気にはなっていなかった。前年と同じじゃないかというのが、前年を持ち出すことはしないと決めてはいても、やはり割り切れない思いとして引っかかっていたからである。
 だが、前年を絡めるのはもうここまでにする。
 今回の舞台、脇を固めた3人の2年生はよかったと思った。全員が複数の役をこなさなければならないので、役によっては(警官など)厳しいものもあったし、また役によっては若干セリフが走り過ぎになってしまうものもあったが、総じてここまでやれればほぼ合格点だろうと思った。作者と顧問が同一人物だから言いにくい面があるのだが、少なくともこの点を評価するとすれば、台本の面白さの2、3割?は作れていたかもしれないと思った。

 恐らくこのあたりが、今回の芸術総合と入間向陽のわずかな差だったのだと思う。率直に言えば、芸術総合の台本より入間向陽の台本の方がしっかり書けていると思うし、個人的にも好きだということも関係していただろうとは思う。しかし、判断としてはあくまで台本は横並びであり、それぞれの台本のいいところをどれだけ引き出すことができたかという判断だったと思う。ともに成果ははなはだ不十分だったとしても、それでもその向こうに、台本の持つ面白さを何とか浮かび上がらせてくれたのは、入間向陽の舞台の方だったと感じたのである。
 結局、問題点にしっかり取り組んでもらった上で、もう一度どちらの舞台を観たいかと言われれば入間向陽になると思った。大きな不満の残る今回の舞台であっても、この台本を元にして作るべき芝居というのをイメージした時、その魅力の片鱗(2、3割?)は、入間向陽のキャストは何とか見せてくれていたと思ったのである。

 芸術総合のところで、審査員が違えば結果が違っていたかもしれないと言及したのは、あの「つなぎ」の様式的な美しさを芝居の魅力の片鱗と勘違いする人も、恐らくいるだろうと思ったからである。そういう意味で、わたしのゼロ評価は厳しいものだったことは認識しているつもりである。
 しかし、関連して触れておくなら、両校ともその力量を遺憾なく発揮して(全く方向性は逆だったが)実に見事な大道具を設置してくれた。両校とも道具が演技エリアを区切るかたちになっていたのも共通していたが、入間向陽は大道具が芝居の内容としっかり結びついて、エリアの作り方も効果的だったのに対し、芸術総合は大道具で区切ったことで演技エリアが狭くなってしまったところがあり、自然な芝居をやりにくくしてしまったように思えた。そんなところも評価の差につながっていただろうと思う。
    (その2に続く)
by krmtdir90 | 2014-09-30 00:24 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(8)

高校演劇2014⑨秋の地区大会・2

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 昨日(28日)は、東部北地区の審査だった。パストラル加須という立派なホールで5校の上演を見せていただき、終了後は先生方の反省会(飲み会)にも参加させていただいた。わが家から遙か遠い会場だったので、朝は早かったし、乗り過ごさずちゃんと帰れるか自信がなかったが、何とか12時過ぎに無事帰宅した。きょうは眠い。

 東部北は確か3年前にも伺っているのだが、その時も推薦校を出せず、残念ながら今回も同じ結果になってしまった。埼玉の外れの小さい地区なので、なかなか刺激が少ないのか、芝居作りの基本的な部分でのレベルアップが望まれると思った。
 しかし、日本海庄屋での顧問反省会は小規模ながら大変率直な雰囲気で、こうした顧問の横のつながりが続けば、必ず地区のレベルも上がっていくだろうと思った。翌日の勤務のことを考えればなかなか大変なことだが、上演後のこうした飲み会というのは非常に大切なことだと思う。

 さて、ということで、今年のCブロックは、先週西部B地区で暫定的に決めておいた入間向陽と所沢の2校で決着となった。今年は飛び抜けた学校はなく、推薦した2校も問題点の多い上演だったと思うので、11月の県大会までにさらに稽古を重ねて、次の上演ではぜひ上位に食い込んでほしいと期待している。
 今年も、審査のポイントになった点について、間もなくこのブログに掲載するつもりなので、ぜひ読んでいただけたらと思っている。眠い。
by krmtdir90 | 2014-09-29 10:12 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

言い訳、いいわけ?

 本当なら、北陸への旅の続きを一気に整理してしまう予定だった。だが、いまはもう一つ、印象が薄れないうちにどうしても書いておかなければならない文章が引っ掛かっているのである。西部B地区の審査経過。

 その日のうちに暫定2校を選ばなければならないということで、大いに迷った審査だった。あくまで東部北地区の結果次第だとしても、すでに13校を落としてしまったという事実は厳然として存在しているのである。
 率直に言って、今回は自信の持てる審査ではなかった。それでも審査員を引き受けた以上、その責任として2校と13校の間に絶対的な線を引いてしまったのである。その根拠はどのようなものだったのか、これは何よりもわたし自身のために、きちんと整理しておかなければならないことだと思ったのである。

 少し書き始めたものの早々に中断してしまい、こういう時は全然違う文章(旅行記)に熱中した方がいいと、過去の経験が示していたのである。案の定、大糸線の写真を整理しながら、一方で数日前の舞台のことがあれこれと浮かんでは消えていった。
 きょうは朝から、そっちを書き継いだ方がいいのではないかという予感があった。さっきまで、審査していた時のわたしの気持ちについて、けっこう整理して書き進むことができた。だがその結果、きょうのところは旅の続きはお休みということになってしまった。

 このあとどうするかは、いまのところ未定である。明日・明後日は、ちょっと身内に不幸があった関係で、のんびりパソコンに向かっている時間はないだろうと思う。
 いずれにしても、28日の東部北がどうなるか判らないし、審査経過の文章もどうまとまりがつくものか、一向に予想はつかない。
 旅の整理も早くしたいし、ただこういう忙しい感じは久し振りで、久し振りの充実感だなあなどと思いながら、もうウイスキーを飲み始めてしまうのである。
by krmtdir90 | 2014-09-25 21:00 | 日常、その他 | Comments(0)

北陸へ小さな旅②大糸線2(2014.9.9)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

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 大糸線・南小谷(みなみおたり)駅は、松本側の電化区間がJR東日本、糸魚川側の非電化区間がJR西日本の管轄となる境界駅で、駅としては東日本に属する直営駅(有人駅)である。
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 駅舎はあまりパッとしたものではないが、すぐ前を姫川が流れていて、対岸の国道148号線沿いに人家などが続いているようだった。
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 駅前広場に続く線路沿いに小さな土産物屋と食堂があり、ここで昼食にした。
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 入口に「熊汁」という札が出ているのが判ると思うが、やはり興味があったので、おろしそばと一緒に頼んでみた。
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 要するに豚汁の豚肉が熊肉になっただけで、確かに歯応えなどが違う感じはあったが、取り立ててどうということもないものだったと思う。貴重な肉なのかもしれないが、600円は高い。

 時間はけっこうあったのだが、国道の方に行ってみる気にはならなくて、松本寄りのすぐ先に小さな踏切があったのでそちらに行ってみた。
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 左側が駅舎になる。ホームには特急あずさのE257系と、松本から乗って来たE127系が、先ほどのまま停まっていた。
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 糸魚川行きはこの中間の線路に入って来て折り返すのだろう。

 さて、あとは煙草を吸ったりトイレに行ったり。
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 折り返し、14:20発の糸魚川行きがやって来た。
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 これはキハ120という小型気動車で、JR西日本の、特に中国地方のローカル線で見かける車輌である。ここから西日本の管轄になるのだということを、いきなり実感させられた。
 なお、キハ120の中でこのカラーリングは岡山色と言われるもので、確か姫新(きしん)線や津山線でこの色の車輌に乗った記憶が甦ってきた。ドアがバス用折り戸の転用だったことも思い出した。
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 車内は半分がロングシート、半分がクロスのボックス席(4つ)という配置で、糸魚川行きで運行される時は前半分がロングシートになるようだ。乗客もそれほどいないし、ボックス席にはこだわらず、比較的行動の自由のきくロング部分の右最前部を確保した。
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 南小谷駅を出ると間もなく、大糸線はトンネルや鉄橋、スノーシェッドなどが連続する険しい谷間の区間に入って行く。
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 南小谷の隣、中土(なかつち)駅。
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 線路は、ずっと寄り添う姫川を鉄橋で何度も渡り、川の流れは車窓の右になったり左になったりした。
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 次の北小谷(きたおたり)駅。
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 ホームの右手に、まだ建ったばかりのような建物が見えているが、調べてみるとこれは村営の小谷村授産所北小谷事業所というもので、小さな駅舎はこの向こうに隠れてしまったようだ。
 なお、授産所という施設について、恥ずかしながらわたしは全く知らなかった。ウィキペディアによれば、「身体障害者や精神障害者、ならびに家庭の事情で就業や技能取得が困難な人に対し、就労の場や技能取得を手助けする福祉施設」なのだという。

 北小谷駅を出ると、大糸線で最も長い真那板山(まないたやま)トンネルというのを抜けるが、その先しばらくは長野と新潟の県境に沿って進んで行く。
 平岩(ひらいわ)駅。
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 平岩駅はギリギリで新潟県(糸魚川市)にあるらしいが、線路は一旦長野県側に戻り、鎌倉山トンネルというのを通ってから完全に新潟県側に抜けて行くのである。

 このあたりが大糸線の中で、地形的に最も厳しい区間のようだった。
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 小滝(こたき)駅。
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 しっかりした木造駅舎と保線作業員らしい人影が見えているが、ここは大糸線の中で唯一、例の秘境駅ランキングにランクインしている駅である。2012年版で98位、2014年版では101位だった。

 このあと、厳しい地形は徐々にゆるんできて、姫川の川幅も次第に広くなり、まだ狭いながら田園風景なども広がるようになっていく。
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 踏切があり、人家が建ち並ぶ人里に戻ってきた。
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 根知(ねち)駅。2面2線の行き違い可能駅。
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 ここで交換待ち停車があった。
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 ちゃんとした木造駅舎が残っていて、駅正面の方に行きたかったが、ここもあまり時間がなく、あきらめるしかなかった。
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 頚城大野(くびきおおの)駅。
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 姫川(ひめかわ)駅。
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 姫川の名前がついているが、根知駅あたりから線路は川の流れを離れている。

 終点・糸魚川駅に入って行く。北陸新幹線の高架駅がほとんど完成した姿で見えている。
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 車止めのある切り欠きホームの4番線に入って行く。
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 15:20、糸魚川駅着。
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 結局、運転席横の通称「かぶりつき」から、南小谷・糸魚川間の全駅を撮影することができた。ただ、決してそこにかじりついていた訳ではない。ちょうど1時間の乗車時間だったのだが、そこにいたのはトータルでせいぜい20分程度だったと思う。まあ、それが多いのか少ないのかは判らないが、そこに立つこと自体に気後れを感じていた頃を思い出すと、ずいぶん進歩したものではある。
 ただ、もちろん気分が乗らなければやらないし、他の乗客の数や様子を見た上での行動だから、いつでもそれができるということではないのである。この日は、いろいろな条件がいい方に揃っていた感じで、大変楽しい時間を過ごすことができたと思う。

 糸魚川駅外観。
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 駅前風景。
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 向こうに何もなく、日本海が広がっていることを感じさせる景色である。

 さて、この日はこのあと、糸魚川15:31発の北陸本線・富山行きに乗車。北陸色の413系3輌編成。
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 発車して間もなく、電車は姫川を渡った。
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 もう写真を撮るつもりはなかったのだが、窓が開けられる車輌だったので、親不知(おやしらず)駅で1枚だけ。
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 16:54、富山駅着。同17:13発の金沢行きに乗り継ぐ。521系。何輌だったか。
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 17:32、高岡駅で下車。
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 きょうはここで1泊する。
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by krmtdir90 | 2014-09-24 18:25 | 鉄道の旅 | Comments(0)

北陸へ小さな旅①中央東線・大糸線1(2014.9.9)

 18きっぷが2回分残っていたので、利用期間の最後の2日間で小さな旅に出てきた。忙しくて整理が後回しになっていたが、こういうのは遅れれば遅れるほどやるのが億劫になってしまうし、記憶が薄れないうちにまとめてしまおうと思う。

 北陸へのツアー旅行の行程表などを見ると、いまのところ上越新幹線の越後湯沢から北越急行経由で北陸に向かうのが最も一般的なルートになっているようだ。北陸新幹線が開業すれば、これらのツアーはすべて新幹線利用に切り替わってしまうのだろうか。
 だが、わが最寄り駅を起点に考えてみると、東京や大宮に出て行くのはけっこう時間もかかるし、距離的にも遠回りになってしまうのである。最短距離でルートを設定するなら、中央本線・篠ノ井線を使って松本駅から大糸線に入るのが最短ということになるはずである。18きっぷの旅なのだから、当然このルートを採用するのが最も自然な成り行きというものである。

 で、西八王子駅7:01発の甲府行きに乗車。長野色の115系電車、6輌編成だった。わが最寄り駅のいいところは、E233系の通勤電車に混じって時々やって来るこの下り電車に乗車すると、それだけで気分が変わって、いきなり鉄道旅が始められてしまうということである。
 ちょうど通勤通学時間帯で、車内はけっこう混んでいたが、これは仕方がない。115系はセミクロスシートだが、立川始発の電車への途中乗車になるから、無理してボックス部分に空席を見つけて座る感じではない。ドア脇の2人掛け(ロング?)部分に座って行く。

 中央東線は全線電化で、茅野・岡谷間が単線になるものの、そこまではすべて複線になっている。したがって交換待ち停車は基本的にはないが、追い抜かれ停車は何度かある。
 まず、塩山(えんざん)駅。ここでこの日最初の1枚を撮影した。長野色の115系。
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 追い抜いて行ったのは特急スーパーあずさ1号・松本行き。E351系というものらしい。
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 8:38、甲府駅着。同8:53発の松本行きに乗り継ぐ。211系電車の3輌編成、ロングシートの座席は発車時点でほとんど埋まった。
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 日野春(ひのはる)駅で追い抜かれ停車。
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 10分ほど時間があったので、跨線橋を渡って外に出てきた。この木造駅舎は、かなり手直しはされているようだが、明治37(1904)年の開業以来のものであるらしい。
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 また、この駅にはコンクリート製ながら、同じく開業時に設置されたという給水塔が残っている。
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 追い抜いて行くのは特急あずさ3号・南小谷(みなみおたり)行き。大糸線まで直通するあずさが1日1本だけあるのである。これはE257系という車輌のようだ。
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 青柳(あおやぎ)駅で再び追い抜かれ停車。今度は5分しかなかったが、小さな駅だったので急いで外に出てきた。無人駅だった。
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 走り去るスーパーあずさ5号・松本行き。E351系。
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 茅野(ちの)駅を出ると単線区間に入り、次の上諏訪(かみすわ)駅で思いがけず交換待ち。時間は短かったが、上り特急あずさ12号と行き違った。
 岡谷駅の手前で複線に戻り、塩尻(しおじり)駅からは篠ノ井線に入って行く。10:58、松本駅に着いた。大糸線への乗り換え時間は10分。

 車止めのある松本駅6番線ホームに、すでに11:08発の大糸線・南小谷行き2輌編成が入線していた。
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 これはE127系100番代という大糸線向け電車のようで、車内は片側がロングシート、もう一方(山側)がセミクロスシートという特殊な座席配置になっていて、車窓の北アルプスの景観が見やすいような配慮がされている。ただ、車内はすでに満席に近く、わたしは2輌目の片側ロングの方に座ることができたが、発車時には座れない人も出る盛況だった。したがって、座席を確保してから車外に出ることがためらわれ、車止めを入れた写真はうまく撮れなかった。

 大糸線は松本と糸魚川(いといがわ)を結ぶ全線が単線の路線だが、南小谷までは電化されているJR東日本の区間、それ以遠は非電化でJR西日本の管轄区間になっている。
 松本駅を出てしばらくは市街地、その先は安曇野と言われる比較的開けた地域を抜けて行く。松本を出て10番目の駅である穂高(ほたか)駅でかなりの乗客が下車し、次の有明(ありあけ)駅で車掌が下車して、以降はワンマン運転になった。車内もだいぶ余裕ができて、そろそろ席を立ったりできそうな雰囲気になってきた。

 松本を出て15番目の駅である信濃松川(しなのまつかわ)駅で交換待ち停車があった。こちらが入って行くと、反対側にいた電車はすぐ発車して、
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 こちらもすぐに発車してしまったので、ホームに降りる暇もなかった。あまりスムーズな交換もつまらないものである。
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 この日は、東京は一日中曇り空だったらしいが、甲府盆地からこちらは雲はあるもののずっと青空が広がっていて、ちょっと期待していたのだが、右側(西側)の車窓に広がるはずの3000メートル級の山々はみんな雲に覆われてしまって、見ることはできなかった。
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 周囲の田んぼでは稲がすっかり色づき、間に交じるそば畑には白いそばの花が盛りを迎えていた。
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 信濃大町(しなのおおまち)駅。
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 乗客は減っていき、2輌目最後部、無人の車掌室脇の特等席とシートの間を行き来して、けっこう自由に撮影ができるような状況になった。

 一駅飛んで信濃木崎(しなのきざき)駅。
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 信濃木崎駅を出ると間もなく、進行方向左側(西側)に山あいの湖が見えてくる。仁科三湖(にしなさんこ)のうち一番南に位置する木崎湖である。
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 木崎湖は南北に細長い形をしていて、次の稲尾(いなお)駅は、湖のほぼ中間に位置している駅である。写真では、湖は右手にある。
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 次の海ノ口(うみのくち)駅は、木崎湖の北辺に位置する駅である。
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 少し人家の途切れる区間があり、次の簗場(やなば)駅。
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 何となくこの駅の佇まいに惹かれるものがあり、最後部でシャッターを切り続けていたので、この西側(写真だと右手)に三湖の一つ、一番小さな中綱湖(なかつなこ)があったようなのだが、全く気がつかなかった。

 仁科三湖のうち一番大きく、一番北側にある青木湖。
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 帰ってから調べてみると、仁科三湖は糸魚川静岡構造線の地溝上にある構造湖群というもので、青木湖は流入河川を持たない湖である。水深は深く(58m)、湖底から大量の湧水があると考えられている。流出河川は中綱湖から木崎湖をつなぎ、南に流れて行く農具川(のうぐがわ)という川で、信濃川水系の最上流部を形成する流れの一つになっている。

 青木湖のすぐ北側の小さな峠が、北に向かって日本海に注ぐ姫川(ひめかわ)との分水嶺になっているらしいのだが、南に向かっている農具川も最終的には信濃川となって日本海に注いでいるので、この分水嶺は日本海と太平洋を分けているという訳ではない。
 信濃川は長野県内では千曲川だが、長野市の東で千曲川に合流する犀川の上流部というのは、地図で調べると非常に面白い流れ方をしている。農具川は大町の南で高瀬川に合流し、さらにどんどん南に流れて、安曇野のあたりに来たところで、梓川・奈良井川といった支流を集めて南から北に流れる犀川に合流、ここでほぼ180度流れの向きを変えてしまうのである。この犀川は、南に向かって流れていた農具川や高瀬川のわずか10キロほど東側を、完全に逆向きに(北に向かって)流れて千曲川に合流して行くのである。

 さて、仁科三湖を過ぎて、南神城(みなみかみしろ)駅。
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 次の神城駅で松本行きと行き違い。ここもほとんど停車時間はなかった。
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白馬(はくば)駅。
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 信濃森上(しなのもりうえ)駅。
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 信濃森上駅を出て少し行ったあたりから、大糸線は姫川の流れに寄り添うようなかたちになり、流れの右に出たり左に出たりしながら、ともに日本海を目指して行くのである。
 第一姫川橋梁。
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 白馬大池(はくばおおいけ)駅。
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 やっと写せる感じになってきた。これが車内。2輌目後部から見たところ。右のロングシートに置いた荷物がわたしのものである。
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 千国(ちくに)駅。
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 かつては2面2線の交換可能駅だったことがあるのだ。
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 第三姫川橋梁とスノーシェッド。
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 12:59、終点・南小谷(みなみおたり)駅に着いた。
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 2面3線の駅だったが、駅舎側の単式ホームに、日野春駅で追い抜かれた南小谷行きあずさ3号の車輌が停まっていた。上りあずさ26号・新宿行きとして当駅を発車するのは14:22である。
 次の糸魚川行きまでは、まだ1時間20分ほどの待ち時間がある。外に出て、とりあえず昼食である。
by krmtdir90 | 2014-09-23 23:13 | 鉄道の旅 | Comments(0)

高校演劇2014⑧秋の地区大会・1

 19日(金)から21日(日)まで三日間、西部B(所沢・入間)地区の審査のために所沢市中央公民館に行ってきた。15校の舞台を見せていただき、講評をして、いつものようにこの地区としての暫定的な2校を選出してきた。28日(日)に行われる東部北地区5校の舞台を見た後で、Cブロックとしての最終的な2校を決定することになる。

 まだ審査途中だから詳しいことは書けないが、今年は昨年と違って、この段階では有無を言わせぬ飛び抜けた学校というのはなかった。昨年も感じたことだが、西部Bというのは地区としての全体的なレベルは高く、バラエティーに富んだ舞台が並んで、この三日間は非常に楽しいものだったのは確かである。しかし、率直に言わせてもらうと、今年は過去に実績のある有力校があまり期待に応えてくれなかった感じで、選考を非常に難しいものにしてしまったと思う。
 15校中4~5校が最終議論の対象となったが、今回は審査員が違えば違う結果になった可能性がかなり高かったのではと感じる結果になった。そのあたりのことは、最終的な結果が出た後で、今年も可能な限り書かせてもらいたいと思っている。

 とりあえず、一週間の中休みである。また体調を整えて、今度は家から非常に遠い地区なので、一週間後には遅刻しないように行ってきたいと思っている。
by krmtdir90 | 2014-09-22 13:34 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

高校演劇2014⑦地区大会スタート

 明日から地区大会の審査に行く。西部B(所沢・入間)地区というのは昨年も行った地区で、同じ地区に続けて行くのはいいことではないが、事務局の方もいろいろ大変みたいで、行ってくださいと言われれば、こちらは言われた通りどこでもいいですよということになる。
 西部Bは昨日から仕込みとリハに入っているようだが、本当は本番の審査などより、仕込みとリハの現場で動いている方がずっと楽しいことが判っていて、そういう時間はわたしには二度とないのだと思うと悲しいが、それでもその成果を責任ある立場で見せてもらえるというのは、いまとなっては嬉しいことであるに違いない。

 三日間で15校を観る。15冊の台本をさっき読み終わった。台本を送ってもらったのはずいぶん前だが、旅に出たり旅の写真を整理したりで、今年は何となく10冊ほどが後回しになっていたのである。現役時代に審査員をやった時は、忙しくてなかなか全部の台本を読むことはできなかった。いまは基本的にヒマだから、必ず全部に目を通してから舞台を見せてもらうことにしている。何と言うか、そう決意したのである。
 読むことは概ね楽しいと言っていい。もちろん読むことが苦痛な本もあるが、それでも、この本をどんなふうにやるつもりなのだろうと考えると、結局どんな本でも面白くなってしまうのである。ちゃんとやれば面白くなりそうな台本が、今年は去年より多いように感じた。

 埼玉の地区大会は明日が最初で、明日やっているのは西部B地区だけだが、明後日は3地区、日曜日には5地区に増え、全部のブロックがスタートする。高校演劇の秋である。現役顧問でなくなってみると、県大会よりも関東大会よりも、わたしは地区大会が一番好きだと思う。
 がんばれ、若者。
by krmtdir90 | 2014-09-18 21:16 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(1)

また東北の旅⑨盛岡散歩(2014.9.4)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 鉄道旅は昨日で終わりなのだが、盛岡に何泊もするのに盛岡を全然見ないというのは失礼な気がして、計画段階で1泊追加して、きょうの午前を盛岡散歩の時間とした。
 盛岡市内は想像以上に見どころが多く、半日では足りない感じだったが、飽きることなくたくさん歩いたので、帰った翌日は足が痛かった。

 8時にホテルをチェックアウトし、大きな荷物はそのまま預けて外に出た。きょうは曇り空で、空気がひんやりして半袖では寒いくらいである。しかし、歩くには汗も出ないし絶好の散歩日和と思い直した。
 駅の観光案内所(昼間の時間しか開いていない)には、早い時間に盛岡に戻った一昨日のうちに行って、地図をもらって説明を聞いてきていた。すでに大体のルートは出来上がっている。開運橋から北上川の遊歩道を行き、一つ上流の旭橋を渡った。

 最初に訪ねたのは、啄木新婚の家。
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 近くまで来てから、時間が早すぎたかと不安になったが、着いてみたら開館は8:30からとなっていて、5分ほど早かったのだが、ちょうど中を掃除していた男性に声を掛けてみたら、快く招き入れてくれた。幸先のいいスタートである。
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 ここはけっこう部屋数もある家だが、啄木一家はその内の2部屋を間借りしたということらしい。
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 わたしが上がって来た玄関から、突き当たりに見えたこの四畳半が、啄木と妻・節子の部屋ということだった。
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 この左に八畳があり、そこが父・一禎、その妻・カツ子、妹・光子の住んだ部屋、右手に一家が使用した玄関が付いていた。
 啄木一家がここに住んだのは僅か3週間ほどだったようだが、この間の経過についてはいろいろあるので、最初からでちょっと気が引けるが、説明板をそのまま掲載しておくことにする。
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 このあと、中央通りというメインストリートを東に向かって歩いた。
 盛岡地方裁判所の前にある国の天然記念物・石割桜。花の季節ではないからどうということもないが、大きな石の割れ目から幹が生えているというのが珍しいらしい。
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 岩手県庁。
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 この正面に、県警本部・検察庁などを挟んで盛岡城跡公園があるのだが、石垣と庭園しかないようなので、あまり興味が湧かずカットすることにした。

 城跡公園とは逆方向に道を辿り、本町通りというのに出て少し行くと、北上川の支流・中津川に架かる上の橋(かみのはし)に出た。
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 この橋は、盛岡城築城に合わせて慶長14(1609)年に架橋されたもので、もちろん橋そのものはその頃のものではないが、欄干を飾る青銅の擬宝珠(ぎぼし)が当時からのものであるらしい。
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 上の橋を渡って少し行くと、左に重厚な黒い土蔵作りの建物があった。明治44(1911)年に建てられた、旧井弥(いよ)商店という呉服問屋の店舗のだった建物らしい。
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 現在は盛岡正食(せいしょく)普及会という自然食品の店として使われているようで、中に入ってみたら店番の女性がいたので、少し話を聞かせてもらってきた。
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 このあたりから中津川の左岸(東側)一帯は、紺屋町(こんやちょう)・鍛冶町(かじちょう)・紙町(かみちょう)といった盛岡城下の町人町だったところで、いろいろと歴史ある建物が残っているのだという。

 歩き始めて最初に目に付いたのは、これは別に歴史的建物ではないが、菊の司酒造という酒蔵。建物は古くはないが、ホームページを見てみたら、安永年間(1772~78)から続く歴史ある酒蔵ということだった。
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 面白かったのは、道を挟んで正面にあったこのお店。
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 一応酒屋さんだと思うのだが、貼り紙の一つに「コップ酒やっております。菊の司酒造のおいしいお酒、各種あります。お気軽に・・」とあって、左の少し開いた入口から、ちょっとしたテーブルとイスが見えているのである。非常に心が騒いだが、いくら何でもまだ朝の9時半過ぎである。我慢した。

 さて、ここからが歴史的建物。
 まず、紺屋町番屋。大正2(1927)年に建てられた、洋風建築のハイカラな消防番屋である。
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 次は、茣蓙九(ござきゅう)という文化13(1816)年創業の商家。
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 説明板によれば、江戸末期から明治中期、明治末期と、次々に建て増しされたものらしい。
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 最初は燈明用の燈芯や藁工品などを扱ったらしいが、現在は竹製品や日用雑貨などを売っているらしい。何となく気軽な感じになれなくて、ここは中には入らなかった。
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 盛岡信用金庫本店(旧盛岡貯蓄銀行)。昭和2(1927)年の建築。
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 そして、これが一番有名な建物だったのだが、岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館。
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 観光案内所で聞いていたので落胆はしなかったが、保存のための修理ではまあ仕方がない。

 肴町(さかなちょう)アーケード街入口。
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 ちょっと覗いてみたが、なかなか栄えているようで、人の往来も多いようだった。

 もりおか啄木・賢治青春館。
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 この建物は、明治43(1910)年に建てられた旧第九十(だいくじゅう)銀行本店本館というもので、国の重要文化財に指定されているらしい。
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 ここまでの旧井弥商店・紺屋町番屋・茣蓙九・盛岡信用金庫などは、盛岡市の保存建造物指定を受けているものだが、さっきの見られなかった岩手銀行旧本店とここは、ワンランク上ということになるらしい。よく判らないけれど。

 啄木・賢治の名前をつけているが、2人に関する展示は貧弱なもので(入館無料だったが)、どうも建物の利用の仕方に試行錯誤があるようで、喫茶コーナーがけっこう場所を取っていたり、2階の展示スペースでは欧米のポスター展なるものが開かれていたり、統一感のあるコンセプトが感じられないように思った。

 さて、ここからは少しずつ盛岡中心部を外れていく。
 八幡町(はちまんちょう)新番屋(八幡地区コミュニティ消防センター・右)。
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 ここには明治14(1881)年に建てられた、紺屋町番屋などより古い和洋折衷の旧番屋があったようだが、老朽化のため平成15(2003)年に建て替えられてしまったらしい。望楼に昔の姿をとどめたもののようだ。惜しいことをした。
 なお、この八幡町のあたりは旧花街だったところで、町並みはすっかり新しくなってしまったが、スナックなどが点在して何となく名残があるような気もした。上の写真の左の建物は、別に何か特別なものという訳ではなく、小さなスナックなどが雑居しているビルのようで、ただ横サイズの写真にしたくて意味もなく並べてみただけである。

 盛岡劇場。
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 この地には、大正2(1913)年開館の旧盛岡劇場というのがあったらしい。東北を代表する文化の拠点として、大正ロマンを象徴するような施設だったという。花巻農学校の教師だった宮沢賢治もチャップリンの活動写真や少女歌劇を観るため幾度となく通い詰めたらしい。このエピソードをどこかで読んで、なくなってしまったことは知っていたが、何となく来てみたのである。
 旧盛岡劇場は昭和58(1983)年に廃館となり、解体された後、平成2(1990)年に新盛岡劇場として新築されたのがこの建物だという。

 十六羅漢と五智如来像。
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 小さな公園になったところに、計21体の石像が安置されていた。由来等が書かれた看板があったが、内容については省略。

 目的の鉈屋町(なたやちょう)の近くまで来たのだが、その手前で素通りできずに立ち寄ってしまった蔵元。あさ開(びらき)。株式会社になっているらしい。
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 盛岡の地酒としてけっこう名前が通っているが、ここは観光バスなども立ち寄ったりするのか、ちょっと広めの地酒物産館というのが併設されていて、うーんどうかなと思ったが、入ってしまうともうダメで、お客はいなかったが店の人は2、3人待っていて、試飲などと言われてしまうとどうにもならなかった。
 蔵元となると、市場には出てこない限定のお酒などがあったりするので、結局、加水していないという南部盛岡の蔵出し原酒(度数19~20%)という1升瓶2本、純米蔵内原酒(度数17~18%)というのを、これは500ml瓶のみというのでこれも2本、宅急便で送ってしまいました。いま、蔵出し原酒の方を毎晩いただいています。

 蔵元・あさ開の方から鉈屋町に入って行くと、ちょっと整備された一角があって、もりおか町家(まちや)物語館というのがあった。この界隈の観光案内施設として最近整備されたものらしい。
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 館内に置いてあった案内地図をもらい、中の方を覗くと、何だか昭和の雰囲気漂う部屋があって、正面の懐かしいポスターに釣られて上がっていったら、
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 この奥の部屋の右手がそのまま事務スペースになっていて、3、4人の方が机に向かって仕事していた。わたしが慌てていると、どうぞゆっくりしていってくださいと言われたが、どうもそういう訳にもいかず、早々に外に出てきたのでした。

 物語館の左にあった、大慈寺(だいじじ)地区コミュニティ消防センター(新番屋)。旧番屋をみんなこんな感じに建て直しているらしい。
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 さて、鉈屋町界隈というのは、奥州街道や北上川舟運の起点として、江戸から明治時代にかけては大いに栄えた場所だったらしい。明治23(1890)年に鉄道の盛岡駅が開業すると、市の中心はそちらの方に移り、次第に往年の賑わいを失っていったもののようだが、近年、いまも多く残る町家の暮らしや建物を保存活用して、新たな観光スポットとして売り出していこうとしているらしい。
 緒に就いたばかりでそれほど知られてはいないようだが、まだ変に手を加えられていないので、なかなかいい雰囲気の、見どころの多い町筋だと思った。
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 町家の間に、大慈清水(だいじしみず)という用水施設があった。
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 近くの大慈寺(だいじじ)というお寺の湧水(現在は井戸利用)を引き水したもののようだが、いまも近隣の人々の生活用水として利用されているらしい。
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 ひな壇形式の石の枡を水が一つずつ流れてくるようになっていて、一番上の屋根の付いた枡が飲料水、二番目が米とぎ場、三番目が野菜・食器洗い場、四番目が洗濯物すすぎ場というように表示されている。
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 非常に澄んだきれいな水で、置いてあった柄杓で一口飲んでみたが、喉が渇いていたこともあって大変おいしい水だった。
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 このすぐ隣(右手)の町家が公開されているようなので入ってみた。お住まいになっている女性が町家の構造などを丁寧に説明してくれたが、そこにいきなり小学生らしき一団がどやどやと入って来て、室内は一挙に占拠されてしまった。社会科見学か何かで前もって予約してあったようだが、他のお客がいることに引率の先生は少しは気を遣わなければいけないのではないだろうか(この左でカメラを構えている、あなたのことですよ)。わたしは早々に退散した。
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 これが外観。左手が入口、右手はお休み処になっているようだ。
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 もとは八百屋だったらしい。常居(じょい)という生活空間の中心は吹き抜けにして、大きな神棚を祀るのが特徴で、冬は寒いけれど神棚の上に2階は載せないという考え方だと言っていた。  

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 北上川の川岸に出た。
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 見えている橋は明治橋と言うようで、ホテルの前にあった開運橋よりもかなり下流になる。開運橋から明治橋までの間で、北上川は中津川・雫石川の2つの川と合流している。

 町家筋からはやや離れたところにある、木津屋(きづや)本店。
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 寛永15(1638)年創業という老舗のようだ。現在は文具・紙製品・オフィス機器などを扱っているらしい。この建物は天保5(1834)年建築のもので、左側面のうだつが特徴的である。ちょっと覗いてみたら、中はちゃんとしたオフィスになっているようだった。

 大慈寺山門に向かう道の途中に、青龍水(せいりゅうすい)というもう一つの用水施設があった。さっきの大慈清水よりも小規模な感じだが、ここにはタンクを持って水を汲みに来ている人がいた。
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 ここでも一口飲ませてもらっていたら、あっという間に3人になっていた。ここの方が人気なのだろうか。
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 青龍水に入って行く道の入口のところに、豆腐の製造直売をしている小さな店があった。酒蔵・あさ開にしても、このあたりは名水の湧く土地柄なのである。
 また、このあたりには由緒のありそうなお寺が幾つも並んでいたが、並ばれてしまうとどうも興味が持てなくなってしまい、何枚か写真に撮ったが全部省略。

 そろそろ盛岡駅に向かって戻って行かなければならない。
 肴町(さかなちょう)アーケード街出口。
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 実際のところ、入口出口の区別があるはずはないが、さっき入口と言ってしまったので、こちらはその反対側という意味である。

 中津川に架かる下の橋(しものはし)。
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 上の橋の3年後に架橋されたこの橋には、元々擬宝珠がついていなかったらしいが、間にある中の橋が明治43(1910)年に洋風の橋に掛け替えられたため、そちらから移したものだという。擬宝珠には慶長16(1611)年の銘があり、やはり相当古いものであるようだ。

 下の橋を渡ると、その先は盛岡城跡公園に通じるのだが、橋のたもとにちょっとしたスペースが整備されていて、宮沢賢治ゆかりの地という説明看板とともに、歌碑やこの賢治清水というのが流れていた。ここでも一口飲ませてもらった。
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 ゆかりの地という意味は、賢治が盛岡中学(現盛岡一高)から盛岡高等農林(現岩手大農学部)に進んで3年になった時、盛岡中学に入学することになった弟とともに、この下の橋のたもとの家に下宿したのだという。現在は当時の井戸の跡だけが残っているが、この清水はその近くから引かれているものらしい。
 で、その井戸の跡。
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 この周囲、いまは駐車場になっています。

 盛岡城跡公園入口。せっかく前を通ったので。
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 旧宣教師館。
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 市の保存建造物に指定されている大正時代の純洋館ということだが、新しく塗装し直したようで、そこらの建て売り住宅と変わらないように見えてしまったのですが。スミマセン。

 不来方橋(こずかたばし)という、開運橋より一つ下流で北上川に架かる橋を渡る。
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 ずいぶん歩いたけれど、やっと出発点に帰ってきた。見えている橋がすっかりお馴染みになった開運橋。左の東横イン(901号室)が4日間お世話になったホテル。
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 ホテルで荷物を受け取り、駅前の通りへ。この店、専門店のようなので、ここで最後に盛岡名物・じゃじゃ麺の昼食にする。
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 じゃじゃ麺というものを初めて食べた。うどんのようなもっちりした麺で、上に乗った特製味噌をぐちゃぐちゃかき混ぜて食べるのだが、正直に言ってあまりおいしいものとは思えなかった。
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 食べ終わったら、特製味噌が皿にくっついているところへ、テーブルに籠に入れて置いてある生卵を一つ割り入れて掻き回し、店員を呼ぶと一旦皿を持って行って、熱いスープを加えてチータンタンなるものにしてまた持ってきてくれる。これを飲み終えて終わりとなるのだが、面倒な割にどうということもないと思った。まあ、食べ物の好き嫌いというのは人それぞれだから、これがおいしいという人がいても全然かまわないのだけれど。
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 帰りの新幹線は、盛岡駅13:50発の秋田新幹線こまち20号で、これは新青森からやって来る東北新幹線はやぶさ20号と、盛岡駅で一緒になるのである。盛岡から乗るのだからこまちでもはやぶさでもどちらでもいいのだが、はやぶさは5列シート、こまちは4列シートだから、座り心地はこまちの方が圧倒的に上なのである(まあこんなことは判っている人にはとっくに判っていることで、いまさら改めて言うまでもないことなのだが)。

 ホームに上がると、ちょうどこまちがやって来たところで、はやぶさとの連結作業が厳かに行われているところだった。これは盛岡駅でなければ見ることができない光景なので、やはりじっくり見学させてもらいました。
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 新幹線は16:04、東京駅に着いた。

  
追記:
 最近、こうして旅の写真を整理しながら、インターネットであれこれ関連する事柄を調べるのが楽しくなってしまって、ついつい文章も長くなり、掲載する写真の枚数も多くなって、これではせっかく読んでくださる方に、読み込みに時間がかかってしょうがないと言われてしまいそうなのですが、ひとつながりになっているのを分割してしまうのも気が進まないし、もう少し写真を厳選すればいいのですが、それもなんだか残念な気がして、相変わらず一つの記事が長過ぎるのは判っているのですが、どうも改める気になれなくて、今回もずいぶん長い記事になってしまいました。考えてはいるんですけどね、どうも反省が足りない性格なのです。どうかそのあたり、承知して今後ともお付き合いください。

by krmtdir90 | 2014-09-15 22:12 | 鉄道の旅 | Comments(0)

また東北の旅⑧釜石散歩・釜石線2(2014.9.3)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 快速はまゆり3号は13:54、終点・釜石駅に着いた。
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 ここは普通の駅名標なのかなと思っていると、
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 改札に通じる地下道の階段のところにあった。
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 JRのホームから少し離れて、三陸鉄道南リアス線のホームがあった。塗装の異なる2輌編成が停まっている。今回は、こちらの方に乗る予定はない。
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 駅の外に出ると、広場と道路を隔てて新日鐵住金釜石製鐵所の巨大な建物が目に飛び込んできた。釜石は製鉄の町だということをいきなり実感させられる。
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 これがJRの駅舎。
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 東日本大震災の時、このあたりは地震でも津波でもそれほど大きな被害にはならなかったらしい。この駅舎も倒壊することなく持ちこたえ、2年ほど前にリニューアルされたということだ。
 この右側に三陸鉄道の釜石駅があった。
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 中は非常にこぢんまりしていて、壁の時刻表を見ると、停車中だった2輌編成が少しすると発車するようだった。見えるところに行って、走る姿を写真に収めようと不意に思い立った。JRの前にあった大きな案内地図で見当をつけて、前の道を左に向かって歩き出した。
 最初の信号を左折すると、南リアス線のガードの下をくぐり、線路の向こう側に回り込んで、甲子川(かっしがわ・帰ってから名前を調べた)という川を渡って、市街地に通じる橋の上に出た。南リアス線も少し先でこの川を渡るらしいので(4連のトラス橋が見えていたのだ)、橋の上で来るのを待つことにした。
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 来た。
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 あっという間に行ってしまった。おわり。

 さて、帰って調べてみると、わたしが撮影していた橋は大渡橋(おおわたりばし)という橋で、通っている道はこの先、釜石港に通じる市のメインストリートだったらしい。だったらしいと書いたのは、このあとほぼこの道に沿って歩いて行ったのだが、津波ですっかりやられてしまった痕跡がまだ至るところにあって、復興にはほど遠い現状を目の当たりにしたからである。
 復興というのは、本当に容易なことではないのだなと感じた。当事者でも何でもない人間が、ほんの1、2時間見て回っただけで、言えることなど何一つないと思った。

 正直に言えば、今ごろになってこうして被災地に入り、そこを歩き回ることに後ろめたい気持ちがあったのは確かである。震災の後、何とかしなければと思いながら何もできず、あしなが育英会に僅かな寄付を送ったことがわたしのできた唯一の行動だったのだが、結局当事者でない人間にできることなど高が知れていると実感するしかなかった。
 しかし、いま日本のあちこちを鉄道で旅しながら、こっちの方だけ避け続けるのはおかしなことだし、あまり余計なことは考えずに、野次馬なら野次馬でもいいから、ただ率直な気持ちで見て回ればいいのではないかと考えるようになったのである。

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 藤勇醸造はこの地で明治の頃から続く醤油の醸造元らしい。ホームページを見ると、津波の被害のことや会社再開への歩みなどがブログになっていた。この津波到達の高さを示す青いマークは、あちこちの建物で見かけた。

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 この手前の3階建てのビルは、メインストリートが突き当たるような位置にあった。1階部分は駐車スペース、2階部分は多くの窓がベニヤで塞がれていて閉鎖されているようだが、3階は使われているらしく、1番左にはNHK釜石報道室の文字が見えている。
 このビルの前を右に行くと、突き当たりに釜石港湾合同庁舎というのが立っていた。
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 津波到達の青いマークはずいぶん上の方にある。
 この向こうはすぐ釜石港の海なのである。左手のところから、港を見ることができた。
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 しかし、海に近づけたのはここだけだった。
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 このあと、埠頭の方へ行ってみたいと思ったのだが、ずっと工事中の立ち入り禁止区域になっていて、全く近づくことはできなかった。

 ちょっと地図で確認しておきたいと思う。
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 不明瞭な地図で申し訳ないのだが、左の方にある釜石駅を出て、前の道をちょっと右へ、大渡橋南という信号を折れて南リアス線のガードをくぐり、すぐ川を渡るここが大渡橋である。
 わたしはこの黄色の通りを右に向かって歩いてきたのである(藤勇醸造はちょっと横道に逸れたが)。黄色い道が右に折れて、突き当たりに合同庁舎が記載されているのが判るだろうか。
 ここから直接下の方に抜けて行く道はないので、もう一度只越町2とある交差点まで戻り、そこから薄いオレンジ色の道(国道45号とある)をずっと下の方へ辿り、突き当たりの松原という交差点まで行って、そこからまたオレンジの道(不明瞭だが国道283号とある)を、ちょうど三角形を閉じるようなかたちに歩いて、釜石駅前に戻ったのである。

 只越町2から下に向かう道路は、松原交差点の手前で川を渡る、その手前の信号のところまで、通過するだけの車を高架上に逃がす形になっていて、わたしは高架下の、埠頭と同じ平面上にある道路の方を歩いたのであるが、車もほとんど通らず、片側に一応狭い歩道が付いていたが、歩行者にも一人も出会わなかった。

 埠頭の一部が新日鐵住金の構内になっていて、そこだけは港湾施設が稼働しているように見えた。
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 しかし、他の部分はまだまだという感じが漂っていた。
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 松原交差点の手前の橋(矢の浦橋と言うらしい)。正面が松原交差点。
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 橋の上から、河口の方向。
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 同じく、上流方向。
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 右奥に見えているトラス橋(4連)で川を渡った南リアス線は、手前のトラス橋でもう一度川を渡り、元の岸の方に戻っている。

 松原交差点から、三角形の最後の一辺を辿って駅の方向に戻る。
 この高架は南リアス線。
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 山の方に向かう横道。
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 右の道端の青い看板には津波避難場所とあって、赤い矢印が山の方を指している。

 右から左へ、南リアス線のルートを辿る。
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 この4連のトラス橋、最初に大渡橋から見たのとは逆方向から見ていることになる。

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 右手に見えている信号が、最初に大渡橋の方(この写真では右)に折れた信号。三角形の出発点に戻って来た。釜石駅はもうすぐである。

 さて、釜石の散歩はこれで終わり。けっこう歩いた。

 釜石駅のホームには、15:57発の各駅停車・花巻行き単行が停まっている。
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 早めにホームに入ったので、セミクロスで6つあるボックスシートの1つ、進行方向に向いた席を確保したが、発車時刻が近づくと乗客がどんどん増えて、座席は全部埋まり、ボックス席もみんな4人掛けになってしまった。
 しかも、乗客はこれまでと違って観光客は少なく、スーツやYシャツ姿の、出張で釜石に来てこれから帰るところといった男性客がけっこういるのである。わたしのボックスも、そういう3人で埋まってしまった。写真など、きわめて撮りにくい状況となってしまったのである。

 したがって、次の松倉(まつくら)駅や洞泉(どうせん)駅の写真は、座席に座ったまま、開かない窓越しにたまたま窓の横に来たものを、ただひっそりと写したものである。
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 しかし、次の陸中大橋(りくちゅうおおはし)駅ではどうしても立って行かなければならない。往路の時、確認していたのである。ここには、釜石鉱山の鉱石積み出しに使われていたホッパーが残っている。
 隣席に声を掛け、後部に立って行った。思いがけず、ここで列車行き違いになっていた。
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 ホッパーの写真は、ほぼ満足できるかたちで撮ることができた。
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 このあとは座席の窓越しに、うまい位置関係になった時だけ、ひっそりと写したものである。外も次第に暗くなってきているので、車内の光が写り込んでしまうのは仕方がない。
 上有住(かみありす)駅。
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 平倉(ひらくら)駅。
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 そして、綾織(あやおり)駅。
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 タクシーで立ち寄った時に停まっていた自転車がまだある。利用者はまだ帰って来ていないようだ。

 荒谷前(あらやまえ)駅。
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 柏木平(かしわぎだいら)駅。
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 小山田(おやまだ)駅。駅舎は反対側だったが、こちら側にかつての相対式ホームの跡が残っていた。
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 次の新花巻駅で、新幹線に乗り換える多くの乗客が下車した。車内はがらんとしてしまったが、もうあと2駅である。

 18:01、終点・花巻駅着。
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 乗り換え時間が15分ほどあったのでちょっと外に出てきたが、花巻駅舎は改修工事にはいっているらしく、全面にシートが張られ、撮影しても仕方がない状況になっていた。

 東北本線ホームの喫煙スペースの横に、花巻鹿おどりという人形が立っていた。煙草を吸いながら待っていたら、18:16発の盛岡行きがやって来た。
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 18:56、盛岡駅着。最後の晩なので、また飲みに出かけた。
by krmtdir90 | 2014-09-14 20:29 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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