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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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八王子散歩・拾遺編

 まだ紹介していない八王子のあれこれ。

 まず、八王子ラーメン。醤油味のシンプルなラーメンだが、薬味として長ネギではなく玉ネギのみじん切りを使うのが特徴。市内に注目店はたくさんあるようだが、散歩の途中でわたしがよく立ち寄る店・その1。吾衛門(ごえもん・千人町)
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 昼時には表に行列ができる。これは11時の開店直後である。
 中華そば500円。メニューにはラーメンではなく中華そばとあり、注文も「中華」と言う。
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 わたしがよく立ち寄る店・その2。弘富(ひろとみ・明神町)
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 ラーメン600円。看板にある通り、スープは煮干しの香りが特徴。
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 次は、(車で)定期的に買い出しに行く製造直売の店・その1。峰尾豆腐店(裏高尾町)
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 中央高速と圏央道がクロスする八王子JCTが見えている。前の道は国道20号から分岐した旧甲州街道で、手前の方にさらに行くと小仏峠(車は行けない)に通じている。看板の「するさしの」というのは「摺指の」で、このあたりの古い地名である。
 ここの豆腐は、絹はなく木綿のみである。一丁140円。
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 わが家は昔から(少なくとも数十年は)ここの豆腐である。寄せ豆腐なども売っているが、普通の豆腐でも十分に柔らかく美味しいので、めったに買うことはない。生揚げはよく買う。がんもどきは時々買う。

 定期的に買い出しに行く製造直売の店・その2。小堀栄養納豆店(天神町)
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 経木納豆115円。普通サイズの大豆を使用した、昔ながらの納豆である。店などに卸すものは赤い三角の紙袋に入るのだが、ここで買うとそういう面倒なことはしていない。
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 納豆に関しては、ここの納豆にこだわっているのはわたしだけで、家族はみんな普通に売っている小粒納豆の方がいいらしい。
 わたしのこだわりの根っこにあるのは、子どものころ、自転車に乗った納豆売りというのが毎日町内にやって来て、売っていたのがまさにこの経木で包んだ三角の納豆だったのである。小粒納豆なんて、昔はなかった。

 ユーロード(旧放射線通り)沿いに、昔からある店・その1。都まんじゅう(旭町)
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 お菓子としては特にどうということはないカステラ風生地の焼きまんじゅうだが、ずっと昔からここにある店で、店先のガラス越しに機械で自動的に製造される様子が見えるのである。子どものころその様子が面白くて、前を通ると必ず眺めていた記憶がある。

 ユーロード(旧放射線通り)沿いに、昔からある店・その2。竹の家(たけのや・中町)
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 ラーメン580円。めったに行かないから写真はない。でも、とにかく昔からここにあったラーメン屋で、取りたてて旨いというわけではないが、とにかく昔ながらのラーメンには違いない。

 ユーロード(旧放射線通り)を少し入ったところには、昔の花街があった一画がある(中町)。
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 路地に沿って黒塀などを整備したものらしいが、午前中に行ってみると、6000円と大きく表示されただけの(あとは何も書いてない)怪しげな店の前で、若い男がスマホをいじりながら開店待ちをしていたりする。
 路地から出た中町の通り。
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 見えている信号が三崎町の交差点。その先、道路が上っているところが昔から「陸橋(りくばし)」と呼ばれていた、JR中央線を跨ぐ線路橋である。

 国道16号(東京環状)がJR中央線と交差する踏切から、望遠で八王子駅を見たところ。上を跨ぐ鉄橋が「陸橋(りくばし)」である。
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 八王子駅を出た下り電車が陸橋の下を通過してやって来る。因みに、右側の2本の線路は手前が行き止まりの引き込み線である。
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 最後は、わたしの最寄り駅。東側の踏切から見た西八王子駅。奥が高尾方面になる。
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 橋上駅になってから、駅としての姿はつまらないものになってしまったが、ここからの眺めは駅らしくて好きである。おわり。
by krmtdir90 | 2015-01-29 16:17 | 日常、その他 | Comments(2)

「原発と大津波・警告を葬った人々」(添田孝史)

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 この本の前に「原発ホワイトアウト」「東京ブラックアウト」(若杉冽)の2冊を読んだ。ずっと気になっていた本だが、何となく際物めいた胡散臭さを感じて、これまでは買わずに通り過ぎていたものである。図書館で本を借りる習慣がわたしにあれば、この2冊などは買う必要のない本だったと思う。まあ、それはそれとして。
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 帯に「現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!」とあって、文字通りそれが売りになってベストセラーになったものである。「この小説は95%ノンフィクションだ!」とも謳われている。福島第一原発の事故が全く収束しない中、残った原発をめぐって日本の中枢でどんなことが起こっているのか、告発というか暴露というか、いずれにしても容赦なくそれを描き出すために、小説という(作り物ですよという逆説の)手段が必要とされたのだろう。
 したがって、この2冊はその告発(暴露)の中身に意味があるのであり、これらが小説としてどうなのかを問うても仕方がない性質の本である。だが、わたしとしてはやはりそこのところが大いなる不満として、読んでいる間中感じられていたのは事実である。しかし、「告発ノベル」などというものは元々がそういうものであり、その緊急性とかタイミングといったことが最重要なものなのだと、これは許容してやらなければいけないことだったのだろう。

 確かに、ここに描き出されたいわゆる原発マネーをめぐる腐敗の構図というのは、みんながある程度想像していたこととはいえ、それよりも遥かに広がりがあって、根が深く悪質で退廃したものであることが明らかにされている。小説の出来としては低調であっても、再稼働への歩みが着々と進められる状況を前にして、作者が時間にせかされながら、いま言わなければとんでもないことになってしまうと感じてこれを書いた、その切実な思い(絶望的な気魄)というのは行間から溢れていると思った。
 ただ、この2冊の本には救いはない。この中身に救いがないから告発になったので、それは当然と言えば当然なのだが、読み進みながら一方で、何かちゃんとしたノンフィクションの告発本を読みたいと強く思ったのである。

 「原発と大津波・警告を葬った人々」(添田孝史)は、ちょうどいいタイミングで新聞の書評欄に載っていた本である。昨年11月に出た岩波新書で、著者は元朝日新聞記者、2011年からフリーとなって福島の事故を追いかけてきたらしい。
 本書は、著者が国会事故調査委員会の協力調査員として触れることが出来た、東電や電事連の内部文書を丹念にたどり直すことで、あの津波が福島第一原発にとって、決して「想定外」ではなかったことを明らかにしようとしたものである。「ホワイトアウト」「ブラックアウト」の2冊が、フィクションとして描き出した様々な根回しや圧力といったものが、福島第一原発の津波対策において、巧妙な責任回避の手続きとともに、現実に行われていたことが明らかにされているのである。これはこの上なく重い告発である。「警告を葬った人々」がいたにもかかわらず、その経過も所在も明確にされず、責任も問われていないのが現実なのである。

 福島の事故に関しては様々な切り口が考えられる中で、著者は「津波想定」という一点に視点を据えることによって、何度も対策を講じるチャンスがあったにもかかわらず、経営側に都合の悪い「想定」に蓋をして、対策を怠ってきた「人々」が確かにいたことを明確に描き出す。
 福島第一原発が建設された頃というのは、まだプレートテクトニクス理論も確立途上で、津波についてもそのメカニズム等について判っていないことも多かったので、その時点で高い津波を想定するのは難しかったとしても、その後の研究成果に基づいて、対策を見直す機会はいくらでもあったのである。それが少しでも実施されていれば、あの事故はなかった(あるいはずっと軽微なものになっていた)はずだという指摘は、現に起きてしまったことに「たら・れば」を言ってみたところで仕方がないとはいえ、痛恨の極みと言うしかない。

 本書18ページに「福島第一原発と津波に関する年表」というのが載っている。それによれば、福島第一原発の設置許可申請が行われたのは1966年のことで、この時の「津波想定」は3.1メートルとなっていた。営業運転開始は1971年で、その後2011年の事故に至る約40年の間に、「警告」をきちんと受け止め、対策を取れる機会が何度も訪れていたことが示されている。北海道南西沖地震と津波(1993年)、阪神淡路大震災(1995年)、スマトラ沖地震と津波(2004年)、新潟県中越沖地震(2007年)など。
 実際、国内外で大きな地震や津波が発生するたびに知見は深まり、特に津波の危険性に対する認識は飛躍的に高まったと言えるのである。一方で、平安時代に東北を襲った貞観地震・貞観津波(869年)の研究も進み、1986年には仙台平野の内陸4キロの地層から貞観津波の堆積物が発見されるということもあった。震源域の想定でもより福島に近いところに修正されるなど、新しくなる知見に対して謙虚な受け止めが行われていれば、早急な対策が必要なことは誰の目にも明らかだったのである。しかし、原発を推進する側にはそうした姿勢は皆無だった。

 2000年の時点で、当時の通産省(現在の経済産業省)が電事連に調べさせた「津波に関するプラント概略影響評価」というのがあったらしい。31ページにそれが載っている。国内の全原発について津波の想定値を求め、その1.2倍、1.5倍、2.0倍の津波高さで各原発がどう影響を受けるかを調べたものである。この時、福島第一原発の想定値は約5メートルで、このたった1.2倍の水位になるだけで、冷却水の海水ポンプが止まってしまうことが明らかになっていたのである。
 だが、対策は取られなかった。さらに2008年には、当時の原子力安全・保安院の指示で津波想定の見直しが図られ、福島第一原発では15.7メートルというシミュレーション結果が出されていたのである、この時、東電の原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏(事故時の福島第一原発所長)が、これを葬る役割を果たした一人だったというのは皮肉な話である。
 費用がかさむ対策を先延ばしするために、彼らがどのような手口を使って安全をないがしろにしてきたのか、読めば読むほど暗澹たる気持ちにさせられる。

 いずれにせよ、過ちは少しも反省されてはいないのである。にもかかわらず、九州電力川内原発の再稼働を突破口として、もう一度過ちが繰り返されようとしている。津波想定に限らない、避難計画を始め様々な事故想定の甘さ・杜撰さは少しも改められてはいないし、再稼働の責任の所在一つを取っても、全く明確になってはいないのである。
 本書には東電の責任を示す様々な内部文書とともに、安全対策の節目において結果的に東電の横暴を許すことになった、2人の人物へのインタビューが採録されている。1人は、福島第一原発が全国の原発の中で津波に対する余裕が最も小さいことが明らかになった2000年当時、東電と深く関わりがあった土木学会原子力土木委員会津波評価部会主査であった首藤伸夫・東北大名誉教授。もう1人は、2002年まで原子力安全・保安院原子力発電安全審査課長だった本部和彦・大成建設常務(東大公共政策大学院客員教授)である。まあ、何と言えばいいのか、想像通りのその面の皮の厚さには唖然とさせられるばかりである。

 「原発ホワイトアウト」では、テロリストによる送電線鉄塔爆破が引き金となって、東電柏崎刈羽原発をモデルにしたと思われる原発がメルトダウンに至る。ここでは大雪に見舞われた正月元旦という、対策がきわめて取りづらい最悪のケースが設定されているが、事故はどういう状況で起こってもおかしくはないのだから、起こってしまえばどんな「想定外」にも対処しなければならないのである。
 だとすれば、福島第一原発において「想定」されていたことさえ無視し続け、何十年も安全をないがしろにしてきた「人々」に、この先この国の運命を託すことなどとてもできないと思うのである。東電や電事連だけでなく、政治もキャリア官僚も同じ穴のムジナだとすると、この国の未来はいったいどうなってしまうのだろうか。「原発と大津波」においては、最後のあたりにこれからに向けた提言のような書き方が見られるが、まだまだ切り込んでいかなければならない闇は多くあることも実感されるのである。
by krmtdir90 | 2015-01-28 17:15 | 本と映画 | Comments(0)

「ふくわらい」「舞台」(西加奈子)

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 昨日、本屋を覗いてみたら、ようやく増刷できたようで、「サラバ!」上下が並んでいた。だが、「通天閣」のあと、これに行く前にこの2冊を読んでしまったので、ちょっと西加奈子は休憩にしたい気分になっていて、購入はしなかった。
 「ふくわらい」は2012年8月刊、初めて直木賞の候補になった作品だが、受賞は逃したものらしい。「舞台」は2014年1月刊、「サラバ!」の一つ前の作品である。

 もちろん2冊は全く異なる内容だが、何となく似ているように感じられるところもあって、どうやら西加奈子ワールドとでも言うようなものが存在する気がした。「通天閣」も含めて、「ああ、この人はこういう書き方をするのか」と、この人の書く文章の「技」といったものが、読んでいる間ずっと意識されていたように思う。
 「ふくわらい」の中で、主人公の女性編集者が「言葉を、それを誰が作ったのか分からないのですが、それらを組み合わせて、文章が出来る。誰かがそれをすると、私は、その誰かの感情を、なぞれるような気がするんです」と言うところがあるが、西加奈子の場合、読者が「なぞれるように」させている作者、というものが非常に気になってしまう人だと思った。この人の場合、その文章はかなり個性的な力を発揮していると思った。
 淡々としているように見えて、それがいつの間にか「ぐいぐい」といった感じに変化していく、あっという間にギアが切り替わっている、その感覚はきわめて特異な印象を与える。

 登場人物もけっこう特異な人たちで、特異な人たちだからこういう文章になるのか、こういう文章だから特異な人たちを呼び込んでしまうのか、そのあたりははっきり判らないが、こういう登場人物というのは、かなり好悪がはっきり分かれるのではないだろうか。わたしはもうだいぶ年を取ったから、こういう人たちはあまり好きではないが、興味深いというかたちで許容範囲に入れることはできるのである。
 「舞台」の帯に「生きているだけで恥ずかしいーー。自意識過剰な青年の、馬鹿馬鹿しくも切ない魂のドラマ!」とある。あの「人間失格」(太宰治)の主人公・葉蔵と、「葉」の字が共通している「舞台」の主人公・葉太は、29歳という設定ながら、十代の少年のような自意識でみずからを不自由にしている、不器用で小心者の男である。小説の中でもあまり付き合いたいとは思えない人間で、物語の展開も何となく「作られ感」が強すぎるように思えて、あまりいいとは思えなかった。終わり方も、もう一つ突き抜ける感じが足りないような気がした。
 今回の読書で、わたしは「舞台」の方はあまり買わない。

 「ふくわらい」は、「舞台」よりはずっと面白かった。だが、マルキ・ド・サドから取られたという鳴木戸定という名の主人公の、生育歴とでも言うべきものがあまりにも特異すぎるため、その人物造形の極端さが理解しにくいきらいがあったと思う。ただ、途中から登場するプロレスラー作家・守口廃尊というキャラクターが非常に面白く、その他の脇役たちも、主人公と絡むことによって面白さが出てきていたと思う。主人公の側から言えば、個性豊かな脇役たちと絡むことによって、主人公の面白さもどんどん現れてきたように思った。
 「通天閣」もそうだったが、こういうぶっ飛んだ脇役たちを散りばめられるところに、この作者の大きな魅力があるような気がした。「舞台」がつまらないのは、主人公と彼が乗り越えるべき相手・父との関係だけで物語が進んでいき、脇役らしい脇役が全く出てこないからだと思った。周囲の目を異常なまでに気にする主人公に対して、脇役が少しでも絡めば主人公の破れ目がどんどん広がって、ずっと面白い話になったような気がした。まあ、作者がやりたかったのはそういうことではなかったのだろうと思うけど、ね。

 「ふくわらい」で描かれる、自分の周囲とうまく馴染むことが出来ない、不器用だがいろいろな意味で自分に誠実な(正直な)登場人物たちの姿は、なかなか興味深く面白いと思った。小説ではけっこう整理されてしまうことが多いが、実際の人間というのはそう簡単に整理したり決めつけたりできるものではないだろう。こいつ、いったい何なんだ?というような感じ。そういうのを書かせたら、この作者はまさに独壇場という気がした。
 お互い戸惑ったり、行き違ったりして、そう易々とお互い理解し合えるわけではないのだということを、この作者はごく自然に納得させてくれる。それでいながら、そういう状況から登場人物たちが突き抜けていくところを、最後にはしかと見せてくれるのである。そのあたりが西加奈子ワールドというものだろうと思った。特異な個性が際立つ登場人物たちが、そこでは何とも純粋で愛すべき存在のようにも思えてくるのである。

 ただ、読むのにけっこう力が要る小説なのかもしれない。始まりからずっと、これはちょっと付き合いきれないと感じさせる登場人物たちだと思う。でも、読み終わると何だかホッとして、読後の印象は不思議と悪くない(かなりいい)のである。面白い作家だと思った。
by krmtdir90 | 2015-01-26 13:24 | 本と映画 | Comments(0)

近ごろ鉄道の旅に出ていない理由(わけ)

 しばらく鉄道の旅に出ていない。興味を失ったわけではないが、結果的に昨年9月以降は出掛けていない。冬の青春18きっぷ(12.10~1.10)も利用しなかった。

 理由の一つは、軟弱と言われそうだが、寒いのがいやだからである。
 リタイアしてからは、暑かろうが寒かろうが職場に行かなければならないということがなくなったから、どうしても易きに流れる傾向が身体に染みついてしまった。雨や風にも、いまは無理する必要は全くないのである。そして、暑いのと寒いのとどちらが気持ちを萎えさせるかというと、年を取るにつれて寒さの方がより耐え難い感じが強まった気がするのである。
 今年は、このあたりではまだ大雪はないが、列島各地ではけっこうあちこちで大荒れの天気が報じられたのも影響しているだろう。計画のようなものがなかったわけではないが、予報などでマイナスの要素が出たりすると、ついつい億劫な気分が勝ってしまうことになるのである。こんなことでは老いの進行が早くなりはしないかと、不安な気分もあることはあるけれど、もともと根がぐうたらな人間なのだと思う。

 理由はもう一つあるような気がする。このところ次々に伝えられる鉄道に関するニュースが、鉄道大好きというわたしの気持ちをどうにも逆なでするするものばかりなのである。JR各社が、鉄道好きな人間の思いを全く忖度しないような方向ばかり出してくるので、何と言うか、鉄道は面白いと脳天気に楽しんでいるのがはばかられるような、人の気持ちをこんなに裏切り続けるJRってどうなのよと言いたいのである。
 何か具体的な必要があって乗っている鉄道ではないから、乗りに行く気分というのは、鉄道と一緒に楽しみたいだけなのである。現場の鉄道員(ぽっぽや)さんたちのことではない、JRという鉄道会社の中枢にいる人たちが、鉄道というものを少しも大切に思っていないことが問題なのである。鉄道というネットワーク全体の持つ可能性を、全く考えていないことが問題だと思うのである。

 トワイライトエクスプレスと北斗星が廃止されることが決まった。北斗星はこれまでに何回か乗っているが、トワイライトには結局乗れないままになってしまいそうである。
 廃止されるのではという予測があった頃、駅のみどりの窓口に、1ヶ月前の10時発売開始を頼みに何度も足を運んだがきっぷは取れなかった。個室でなければ取れたかもしれないが、それでは意味がなかったのである。
 発表があった後は、早朝、駅が開くあたりで「10時打ち」の予約が入ってしまうようで、9時ぐらいに顔を出したのでは3番目、4番目になってしまうと言われた。仮に1番を確保できても、駅員によるとこのところ全然取れていないということで、日本中の駅で10時になると一斉にやってるんですからねと言われた。北斗星も全く同じ状況らしい。

 試しにヤフーオークションを見てみると、きっぷはけっこう出回っていて、どれも5倍以上の高値で取り引きされているようだった。予定がつかなくなったので出品したなどと言っているが、どれも取れてすぐ出品したような、日にちに余裕のあるきっぷばかりが並んでいた。最低でも1万円が5万円になる当たり馬券が手に入るのだから、金儲けしたい人には早朝の駅窓口に行くことくらい何でもないことなのだろう。
 昨年あたりから、駅のみどりの窓口はわくわくする場所ではなくなってしまった。乗る気のない人間まできっぷを争奪しているのだとすると、そんなところに混ざるのはバカバカしくなってしまうのである。それならと、高値でも何でもとにかく最後に乗りたいんだという人がいても仕方がないとは思うが、わたしはそういうのはいやなのである。そんな状況を作ってしまったことに、JRは責任がないとは言えない気がした。

 日本各地で寝台特急が次々に廃止されていた頃とでは、いまは比較にならないような可能性が生まれているように思う。JR東日本と西日本はそれぞれ、JR九州のななつ星に倣った豪華寝台列車を投入することにしているが、大多数の庶民が利用できる寝台特急を維持することは、そんなものより遙かに重要なことではないのだろうか。スピード一辺倒の新幹線や飛行機では味わえない、スローな旅への需要はこれから増えこそすれ減ることはないのではないかと思う。
 何よりも、そういう旅を富裕層だけの専有物にしてしまうような、豪華寝台列車の運行だけでは片手落ちと言わなければならない。少なくともトワイライトと北斗星は、廃止発表以前から個室のきっぷはずっと人気が続いていたのである。車輌が老朽化したと言うなら、もう少し現代のニーズに合った、個室にシフトした新造車輌を投入すればいいだけなのである。

 トワイライトと北斗星の廃止には、北陸新幹線と北海道新幹線の開業が関係している。今年3月に北陸新幹線が開業する予定だが、それと同時に北陸本線の金沢・糸魚川間がJR西日本から切り離され、第三セクター2社に移管されることが決まっている。トワイライトはJR西日本が運行する列車だから、自社区間が大阪・金沢間に減少してしまうのが問題だったようだ。だが、それならJR東日本や北海道との共同運行にするとか、存続させようという気持ちがあれば、やり方はいくらでも考えられたはずなのである。
 ここではもちろん、新幹線開業とともに並行在来線を切り捨ててしまうという行き方も問題にされなければならない。北陸本線は、いやしくも日本海側を縦貫する主要幹線なのである。かつて東北本線の盛岡・青森間を切り捨てたのと同じことが、今回も行われようとしているのである。

 廃止の理由としてもう一つ、青函トンネルで行われる北海道新幹線の走行テストなどが挙げられているようだが、これなど無理やり後付けした理由のための理由にすぎない。運行ダイヤを少し動かせば簡単に解決できる問題であり、それよりも新幹線開業とともに行われる新函館北斗・函館間の在来線の第三セクター化や、その後の札幌延伸時に在来線を切り捨てる都合などから、早めに引導を渡して置いた方がロスが少ないと判断されたのではないか。
 新幹線が通ることによる経済効果ばかりが言われるが、JRという鉄道会社が、それと同時に数々の鉄道財産や鉄道の可能性を切り捨てようとしていることを、黙って見過ごすことはできないと思うのである。現在の政府も、長崎新幹線を含めた各新幹線の延伸開業前倒しに予算をつぎ込むことを決定している。本当にいま、そんなことに予算を投入する切迫した意義があるのか、しっかり考えてみようというような政治もどこにもないのである。

 リニア中央新幹線が着工されてしまったことも許し難い。リニアについては以前に一度書いているので繰り返さないが、人口減少が現実としてどんどん進行していることに対して、この計画がどれだけの必要性を主張できるのかはなはだ疑問だと思う。
 許し難いと思うことは鉄道以外にも一杯あるから、鉄道に関してだけはできれば気持ち良く楽しみたいと願っているのである。このところ鉄道雑誌や旅雑誌が、取っ替え引っ替えさよならトワイライトだの北斗星だの、芸のない特集を垂れ流しているのも気が滅入る。そういう特集を組めば売れるのかもしれないが、わたしは金輪際買うものかと思っている。

 ただ、鉄道旅が嫌いになったのではない。いまは、とにかく早く暖かくなればいいなあと、トワイライトも北斗星も、なくなるのなら早くなくなってしまえと思っているのである。先のことは言っても仕方がないし、春になったらその時残っているものだけでも大切にして、またのこのこ出掛けるつもりではいるのである。
by krmtdir90 | 2015-01-21 16:47 | 鉄道の旅 | Comments(0)

「通天閣」(西加奈子)

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 「なんなんだーっ、これはーっ!」と、叫びたくなるような本だった。「いやはや、なんとも……」と、あきれてしまうような本だった。「そうなのか、この人はこういう書き方をするのか」と、とにかくびっくりするしかなかったのである。
 西加奈子、この人は注目だなと思った。

 今期の直木賞が発表されたのが一昨日(15日)で、昨日の散歩で隣駅の本屋に寄ってみたら、入口近くに急ごしらえらしい西加奈子コーナーができていた。だが、肝腎の本が間に合わなかったと見えて、受賞作「サラバ!」はポップはあるものの本は見当たらず、代わりに買ってきたのがこの文庫本の「通天閣」だった。「祝・直木賞」の帯もまだ掛かっていない。
 単行本が出たのは2006年で、翌年この本で、この作者としては初めての文学賞になる織田作之助賞大賞を受賞したらしい。この人の作家デビューは2004年で、「通天閣」は第4作になるようだ。デビューから今回の直木賞まで、すでに10年あまりが経過していることになるが、読んだのはこれが最初である。

 飾らない率直な語り口と言うのだろうか、文章が上手いというのではないが、言葉の選び方が乱暴なように見えて実は底力があり、非常に鋭く的確な書き方をしているのだと思った。
 大阪・通天閣のすぐ近くに住む二人の主人公の日常が、全く無関係なかたちで交互に語られていくかたちになっている。その二人の有様というのは、彼らと関わり合う様々な脇役たちの日常も含めて、何ともうだうだと冴えない、みっともなくてうらぶれて無様な、あほくさくてバカみたいでくだらない、まあ何と言うか、どうしようもない人たちのどうしようもない人生としか言えないようなものなのだ。ところがそれが、この作者の筆にかかると、何だか判らないが「しょうがないなー」という感じの、可笑しくて切なくて憎めない人々のように見えてきてしまうのである。

 一人は、百円ショップやコンビニに卸す、大小ふたつの懐中電灯がセットになった「ライト兄弟」という訳の分からぬものを生産する工場に勤める、44歳の中年男。若い頃、7つ年上の子連れの女と数年だけ結婚していたことがある。こいつはいま、周囲の様々なものに不満を感じ、毒づき続ける内なる声が延々と連ねられていくのだが、それは生きている実感がない、一日一日がただ過ぎていくだけという、「生きている」のではなく「こなしている」だけの、味気なくつまらない自分の人生への苛立ちのようなものである。
 もう一人は、芸術家志望の恋人にニューヨークへ行かれて(逃げられて)しまい、「私たちは、別れたわけではない」と日々繰り返しながら、場末のいかがわしいスナックで(ホステスになる勇気はなく)チーフという中途半端な役回りで働いている、一応20代と思われる女。小説の中頃で、彼女は予想通り恋人に(電話で簡単に)捨てられてしまうのだが、夢も希望もないその後ろ向きとしか言いようのない人生は、この先もうどうにもならないものに思えてしまうのである。

 さらに、普通に考えれば何の魅力もない、しかし何とも多彩でぶっ飛んだ脇役たちも次々に書き込まれ、主人公二人と彼らにまつわるエピソードがとにかく面白いのである。面白いけれど切ない。切ないなどと言うと、作者は甘やかした書き方をしているのかと思われそうだが、そうではない。出てくる連中一人一人に対して、厳しい視線は(冷たいと言ってもいいかもしれない)一貫してあるのだが、それでいてどこか温かいものがあり、矛盾するけどそれでいいんだときっぱり宣言しているようなところがあるのである。この語り口。
 こういうふうに語られてしまうと、こいつらをいったい最後にどう決着つけるつもりなんだと、ついつい引き込まれて読んでしまう感じだった。

 この「決着」は、想像をはるかに超えた、と言うより誰も絶対に想像できないような圧倒的?なものだった。こんなのありなのかというような、いや、こんなのありだからこそ、こいつらの人生も捨てたものじゃないのだという、これ浅田次郎とは全然違うけれど、これはやはり「奇蹟」じゃないかという気がしたのである。
 だいたいこの主人公二人は、ずっと交互に語られているのに、いつまでたっても全然出会う感じがないし、関係がありそうな気配すら全くなかったのである。ようやく最後近くになって、二人は導かれるように同じ場所(通天閣の下)に行くけれど、それは物理的にはせいぜい10メートルほどの距離に近づくだけで、お互いは無関係な他人のまま、通常の意味で目を合わすことも言葉を交わすこともないのである。しかし、彼らは出会った。お互いを認識することはないままに、けれども決定的に出会ったのである。
 驚いた。まさか、こういう手口を使うとは思わなかった。これは小説の「奇蹟」と言うものだろう。やられたと思った。

 登場人物のすべてを、そのどうにも救いようのないつまらない人生のすべてを、どれ一つ価値のないものはないのだと肯定してみせる、その正面突破の決着のつけ方は清々しい。
 昨日と今日、今日と明日とで何かが劇的に変わるわけではないだろう。この登場人物たちのこれからに安易な希望を語ることなどできない。それでもこの小説の決着は、どいつもこいつもそんなに捨てたものじゃないなと思わせてくれる。それは、それだけでけっこう凄いことだと思ったのである。
 いい本を読んだと思った。いい本というか、何だか不思議な本だった。

 最後の展開については具体的に触れないように書きました。とにかく、圧倒的に思いがけない展開ですから、ね。
by krmtdir90 | 2015-01-17 20:45 | 本と映画 | Comments(0)

2冊の「鉄道員(ぽっぽや)」(浅田次郎)

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 またポカをやってしまった。
 浅田次郎は、確か「蒼穹の昴」というのを読んだ記憶があって、単行本があるはずだと捜してみたら、その上下2巻と一緒に「鉄道員(ぽっぽや)」の単行本がちゃんとあるのを発見した。文庫本を買う必要はなかったのである。奥付は1999年2月(第29刷)となっており、どうやらわたしは映画「鉄道員(ぽっぽや)」を見たあと、すぐにこれを購入していたようなのだ。映画の高倉健の写真が入った帯が巻かれていた。
 だが、どうも読んだ形跡はない。ページを繰ったような跡が全くないし、表題作だけは読んだのかもしれないが、その他の7編については、今回読んでみてもすべて初めて読む物語だと思った。1999年と言えばわたしはまだ働いていた頃で、中でも年齢的に一番忙しく働いていた時代だったかもしれない、読書をする余裕もあまりなく、買ったきり読まずに忘れてしまった本などもあったのである。いま思うと、たぶん表題作も読んでいないような気がした。

 「蒼穹の昴」の方は読んだ形跡があり、西太后などが出てくる清朝末期の話だったと記憶はあったが、物語の筋などは全く覚えていない。浅田次郎はこの「蒼穹の昴」(1996年)で初めて直木賞の候補になり、これは受賞を逃したが、次の「鉄道員(ぽっぽや)」で見事受賞を果たしたのだという。いずれにしても、彼の最良の作品がこのあたりにあったのは確かなことのようだ。短編集「鉄道員(ぽっぽや)」は、なかなかのものだと思った。
 その後のこの人の作品は全く読んでいないのだから、本当はこんな言い方はできないのかもしれないが、読ませる力と言ったらいいのだろうか、読者の琴線に触れてくる書き方を確実に手中にしている人だと思った。泣かせる書き方というか、つまりストーリーの作り方の巧さ、それを描き出す文章の巧みさというようなことである。単行本購入直後に読んでいたら、ひねくれ者のわたしはこの「泣かせ」に少し距離を置いてしまったかもしれない。だが、年を食ってしまったいまは、いろいろなものをずいぶん素直に受け入れられるようになったと思う。

 文庫本「鉄道員(ぽっぽや)」の解説は北上次郎という人が書いている。知らなかったのでウィキペディアで調べてみたら、「本の雑誌」の発行人・目黒孝二氏のペンネームの一つだと判った。椎名誠が好きで「本の雑誌」をずっと読んでいた時期があり、「蒼穹の昴」を読んだのはそのラインからだったかもしれないと思い当たった。
 その北上=目黒氏が、「本書はリトマス試験紙のような作品集だ」として、この本が「たちまち本好き仲間の間で評判になったものの、『すごくよかった』と熱烈に語る短編がなんと人によってことごとく異なるのである」と述べて、「鉄道員(ぽっぽや)」「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」の4編を挙げている。だが、この4編は確かにわたしも「すごくよかった」のだけれど、「オリヲン座からの招待状」が仲間に入れられてないのは、わたしとしてはどうしても納得することができないのである。ずいぶん長いあいだ映画好きだったわたしは、たかだか数年くらい鉄道好きになったからと言って、「鉄道員(ぽっぽや)」を一番にすることはやはり気が引けるのである。

 わたしの映画遍歴の始まりは、どれも遙か昔になくなってしまった立川名画座・立川中央・立川セントラルといった映画館だったが、残念ながら映写室というものに入った経験は一度もない。だが、こういう一戸建ての古い映画館に対する郷愁はいまでも残っている。また、客席から見上げた映写室の小窓への憧れ、その奥は選ばれた人間だけが仕事する秘密の世界のように感じられたのである。じゃんけんで子ども2人をいつも映写室に入れてくれたという設定など、それだけで心を掴まれてしまう感じがするのである。
 オリヲン座の最後に立ち会う主人公の夫婦や、映写技師・仙波の造形も見事だし、オリヲン座の表に満開の桜を配したりするところも憎い作りと言うべきである。うまく騙されてしまうと言ったら語弊があるかもしれないが、小説の読者というのはある意味うまく騙されたがっているとも言えるわけで、浅田次郎は何ともぬけぬけとそれをやってくれる作家なのだと思った。

 「鉄道員(ぽっぽや)」「角筈にて」「うらぼんえ」に登場する「奇蹟」は、主人公たちの願いをそれぞれ実現して見せたものだが、それをそうしたかたちで抵抗なく書ききってしまう、書いて読者を納得させてしまう、そのある種の力技というようなものに驚くのである。単行本の帯に「あなたに起こる、やさしい奇蹟」というキャッチコピーが付されているが、読んだあとに、読者を意味もなくやさしい気持ちにさせてしまう作品たちだと思った(中で「悪魔」だけは異質で、これだけはこの作品集にはそぐわない気がした)。
 「うらぼんえ」の祖父の幽霊は、孫のちえ子に辛い思いをさせている夫とその一族を向こうに回して、相手の不実をスカッと追及してくれたのかと想像していると、実はそうではなく、ただただ何とか孫を大切にしてやってほしいとお願いするばかりだったというのである。兄嫁の口からこれが明かされた時、この展開は読者としてははなはだ意外で、しかし少ししてみると、この展開こそがこの主人公には一番よかったのだと納得させられてしまうのである。ラストでちえ子は、不意に「子供を産みたい」と思うのだが、現在の夫との離婚とか様々に想像される面倒な現実を一気にすっ飛ばして、その先に全く唐突に開いたようなこの思いは、ストンと読者の心に落ちてくる。何とも不思議な後味という気がした。

 「オリヲン座からの招待状」に出てくる夫も、考えてみればずいぶん勝手な男に違いないが、この男が最後にする決断の唐突さが、この夫婦はいろいろあったとしても恐らくダメだろうと感じていた読者の気分を、ありえないギリギリのところで裏切ってくれるのである。後味の良さというのはいろいろなかたちがあると思うが、小説を読む者には何より大切なものだと思う。
 「悪魔」の後味は良くない。「伽羅」の後味もかなり屈折したものである。だが、そういうものがあってもまあいいだろう。そういうものも含めて、浅田次郎という作者の、様々なものを書き分けてみせる筆力の冴えは凄いものだと思った。だいたい作者なりのカラーが定まってしまう場合が多いのに、この人はそういうこととは完全に無縁であるように思われた。新たに他の作品を読んでみようという気にならないのは、そういうことも少し関係しているかもしれない。

 小説「鉄道員(ぽっぽや)」では、走っている気動車はキハ12ということになっている。この形式の車輌は国鉄がJRになる以前にすべて廃車とされたようで、映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影時にはもう存在しなかった。そこで、現役のキハ40に改造を加えてキハ12風の車輌を作ったらしい。確かに正面から見たところとか、側面窓の印象がわたしの知っているキハ40とは違うと思ったが、そういうことだったのかと得心した。
 小説では地の文でも会話でも、必要なところはすべてキハ12と言っているが、ラストだけ単にキハという言い方に変わっている。さりげない書き分けだが、鉄道ファンとしても小説の読者としても納得できるのである。映画のセリフでは、上記の経緯からすべて単にキハとだけ言っていたと思う。

 オリヲン座のラストショーで上映された「幕末太陽傳」(川島雄三監督・1957年)という映画は、高い評価のある映画だというのは知っていたが、残念ながらわたしは観る機会のないまま今日まできてしまった映画である。これはちょっと、浅田次郎氏に宿題を出されてしまったような気分になっているのである。
by krmtdir90 | 2015-01-15 12:23 | 本と映画 | Comments(0)

映画「鉄道員(ぽっぽや)」

 亡くなった高倉健の主演映画が、年が明けてからもけっこうテレビで放映されている。こまめにチェックしていたわけではないし、全部見てやろうという意欲があったわけでもないが、これだけはやはり録画しておいて、数日前に再見した。

 原作の「鉄道員(ぽっぽや)」を含む浅田次郎の短編集「鉄道員(ぽっぽや)」が直木賞を受賞したのは1997年上半期で、この映画「鉄道員(ぽっぽや)」が公開されたのは1999年のことである。このころはわたしはもうそんなに映画を見なくなっていたが、この映画は(原作は読んでいなかったが)確かに見ている。いい映画だったという漠然とした記憶と、広末涼子の不思議な?表情が印象に残っていた。
 今回久し振りに見直して、やはりいい映画だったと再確認することができた。監督・降旗康男、撮影・木村大作というのは、あの「駅STATION」(1981年)の時と同じコンビで、この「鉄道員(ぽっぽや)」では特に木村大作のカメラが際立っていたように思った。

 初めて見た時、わたしはもちろんまだ鉄道ファンだったわけではないので、この映画の良さを十分に受け止めることはできなかっただろうと思った。まず何よりも、そのくらいこの映画に映し出された鉄道の映像というのは素晴らしいものだった。これこそが、登場する佐藤乙松はじめ鉄道員(ぽっぽや)たちのバックボーンなのであり、それをこんなに美しい映像でフィルムに定着させた木村大作の功績は大きいと言わなければならない。
 すっかり鉄道ファンになってしまったわたしは、降りしきる雪の中に姿を現す単行のキハ40の朱色の車体に心が震えた。雪に埋もれた終着駅の車止め、雪のホームに直立して、雪まみれの気動車を迎えまた送り出す、制服(制帽と外套に軍手)姿の健さんはとにかくかっこいいの一言だった。定年を目前にしたという設定から考えると、この健さんの作りは少しかっこよすぎる(若すぎる)のかもしれないが、映画が一つの「夢」であるならば、このかっこよさはその最上の表現の一つと言っていいと思う。任侠もの以外の映画で、健さんの最もかっこいい姿が定着された映画だろうと思った。

 乙松(健さん)とずっとコンビだった、もう一人の鉄道員(ぽっぽや)・仙次を演じた小林稔侍も実にいい芝居を見せたと思う。夜、駅舎の奥の部屋で二人が新年の酒を酌み交わすシーンは、酔った彼の芝居でふくらみのある温かい場面になったと思う。高倉健は相手役の名演を引き出す名手なのかもしれない。妻の大竹しのぶは、その役柄から地味で線の細い芝居になったが、折に触れて口ずさむテネシーワルツのメロディーが印象的で、特に結婚後17年して初めて子どもを授かったことを乙松に告げるシーンは非常に良かった。健さん、もう少し優しくしてやれよとじれったくなった。これはどちらの名演と言ったらいいのだろうか。
 生後二ヶ月で死んだ赤ん坊・雪子(ユッコ)の「幻(と言うか、奇跡)」を演じた3人(山田さくや・谷口紗耶香・広末涼子)は、これこそ映画の奇跡と言いたいような、透き通りそうな美しい存在感を持って、恐らく生涯に一度きりではないかと思わせる印象的なイメージを、3人がひとつながりとなってこの映画に刻み込んだと思った。この「奇跡」を映像化することは、少し考えればほとんど不可能に違いないとも思えるが、この映画がそれを見事にやってしまったことに驚きを禁じ得ない。監督・降旗康男はただ者ではない。

 架空の幌舞駅が根室本線の幾寅駅で撮影されたことは有名で、木造駅舎は映画のために手を加えられたかたちで保存され、駅前にも「だるま食堂」を始めとした建物などが残っているらしい。わたしはこれまで何度か通り過ぎて、窓から写真なども撮ったが、まだ降りてみたことはない。映画を再見して、降りてみたい気もするが、映画のイメージがあまりに素晴らしかったので、もういいという気もするのである。
 現実の幾寅駅は終着駅ではないし、単式ホームの1面1線の駅である。映画のあと、少し観光を意識しすぎているきらいもあるし、仮に降りるとしても雪のない季節になるだろうし、幌舞駅と幌舞線のイメージはあくまでも映画の中に作られたイメージなのだから、いまはやはりそれを大切にしておいた方がいいような気がしている。

 実はきょう、散歩がてら隣駅の大きな本屋に行って(近所の本屋にはなかった)、原作の文庫本を買ってきたのである。8つの短編が載っている本だが、「鉄道員(ぽっぽや)」というのは40ページ足らずの作品なので、さっきちょっと読んでみた。
 原作に非常に忠実な映画化で、原作にある会話などが映画のセリフとしてかなり生かされていた。のみならず、映画は原作をふくらませた部分もけっこうあって、それがどれも成功していると思った。原作を先に読んでいたらどう感じたか判らないが、原作は原作でよく書けているとは思ったが、これは映画の方が明らかにその先に行ったと思った。これだけ見事な映像を見せられると、映画の強さはやはり比べものにならないと感じたのである。
 残り7つの短編は、もちろんこのあと読んでみるつもりでいる。
by krmtdir90 | 2015-01-12 18:04 | 本と映画 | Comments(0)

お酒を買いに(2015.1.10)

 天気もいいので、今年最初の買い出しに行ってきた。
 今回は山梨県はカットして、諏訪周辺から佐久へ。せっかく行くのだから、お酒だけでなくいろいろ買ってきた。一人ドライブで438キロを走ったので、少し疲れた。

 中央高速・諏訪湖SA(下り線)からの諏訪湖。
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 結氷しているかと期待していたが、していなかった。部分的に薄い氷が張っている状態のようだ。もう十数年前になるか、氷の上を歩いて人工島・初島まで行ったことがある。温暖化の影響か、近年ではなかなか全面結氷することはなく、御神渡り(おみわたり)も見られなくなってしまった。

 塩尻ICで下りて、最初にここに行った。三澤珈琲・塩尻店(塩尻市金井)。
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 国道153号沿いだが、周囲は畑などもあるような田舎である。小さな喫茶室が併設されていて、そんな辺鄙な場所なのにけっこうお客がいる。店内に自家焙煎設備があって、売れているので豆の回転もいいのだろう、煎りたての豆がいつも量り売りで手にはいる(特選ブレンド・100g340円)。買い出しでは少し遠いがいつも足を伸ばして、大量に買ってきて冷蔵庫で保管している
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 国道20号で塩嶺峠を戻り、岡谷を抜けて下諏訪町へ。お酒・その1はここ、御湖鶴(みこつる)の菱友醸造(下諏訪町)。
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 暮れに来た時に手に入らなかった「生粋しぼりたて純米酒」、一升瓶2本と四合瓶2本を購入。この蔵では普段は火入れしたお酒しか扱わず(それはそれでけっこう旨いのだが)、これは酒造りの期間にだけ出荷される稀少な生酒なのである。

 新年だし、すぐ近くなので諏訪大社下社秋宮に初詣してきた。参拝のついでにお酒を買ったのではない、お酒を買ったついでに参拝してきたのである。
 正面の神楽殿。ここに参拝をする。日射しがあるので影が強くて見にくいが、両サイドの奥に御柱(おんばしら)が立っている。右が一之御柱、左が二之御柱である。三、四は奥にあって見えない。
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 神楽殿の奥にある幣拝殿。右に写っているのが一之御柱。
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 駐車場に通じる脇のところに、温泉の湯を引いた御神湯が湯気を上げている。
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 昼食。国道20号のバイパスと、諏訪大社上社本宮の参道がクロスする飯島交差点の近くにある、こっちに来るとたいてい立ち寄るハルピンラーメン諏訪本店(諏訪市四賀飯島)。
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 ニンニクラーメン卵入り800円。
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 名前にニンニクとつくが、生ではなく秘伝のタレ(けっこうピリ辛)の中に入っているということで、臭いは全くない。チャーシューも入っているが、中に隠れてしまった。因みに、卵なしなら650円。平日だと小さなご飯がつけられるが、土日はこのサービスはない。

 茅野市山寺上のAコープで川中島納豆を購入。
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 この納豆は非常に大粒の大豆を使用しており、わたしの好みに合致している。こちらではけっこう見かける納豆なのだが、店によって値段がまちまちで、ここは(ほかにもあるかもしれないが)95円(税抜き)で買える。

 国道152号(大門街道)で白樺湖(すっかり結氷していた)から大門峠を抜け、少し行ってから国道142号(バイパス・有料の新和田トンネルの先)に抜ける道に入る。間に小さなスキー場などもあるが、基本的には山越えの寂しい道である。雪もあり、日陰は凍っていて滑る。冬タイヤが古くなっているようで、少々ふらつくがまあ大丈夫。
 途中、道路を横切る鹿に出会った。
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 国道142号への出口近く、人家もちらほらという感じの寂しい場所に、とうふ工房・築屋(きずきや・長和町和田男女倉〔おめくら〕)がある。
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 ここは、ご主人一人がどこからか通いでやって来てとうふ作りに励んでいる。すぐ向かいに黒耀の水という湧水があって、このあたりは豆腐作りにもいい水が湧いているところのようである。因みに、越えてきた山は縄文時代には黒耀石の一大産地だったようで、途中に黒耀石体験ミュージアムというのがある。
 ここの絹豆腐(250円)はなにしろ絶品で、そう簡単に行けるところではないが、訪ねるだけの価値はあると思う。
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 なお、密封フィルムに印刷された製造者のところは株式会社になっていて、住所は佐久市になっているのだが、そのあたりどうなっているのか、聞いてみようと思いながら、まだ聞いたことはない。

 国道142号というのは旧中山道である。これを走って佐久の方に抜けて行く。中山道の宿場だったところを辿るかたちになり、少し入ると古い建物や松並木などがけっこう残っていたりする。和田宿はその一つ。次の下諏訪宿まで距離が長く、間に和田峠という難所が控えていたため、往時はかなり栄えた宿場だったようである。旧本陣などが残っていて、以前見学したことがある。
 和田宿ステーション特産物直売所(長和町和田)。なぜか道の駅にはなっていないが、規模や機能は全く道の駅と変わらない感じである。
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 地元の主婦たちが共同で仕込んでいる黒耀みそというのがあって、普通はもっと明るい色の2年物だけしかないが、3年物があったので購入。
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 この味噌との出会いは、昔ここでステーション祭りというのにぶつかったことがあって、大樽からビニール袋への詰め放題というのをやっていたのである。聞くと、2年で出荷していたのを作りすぎて残ってしまったので、詰め放題の大盤振る舞いになったらしい。考えてみるとこれが3年物だったわけで、変に甘くないここの味噌が、わが家としては非常に良かったのである。2年物でももちろんおいしいが、3年物の方がより味噌らしい風味だと思う。

 中山道の街道筋には、昔からの小さな酒蔵がいまもけっこう点在している。以前かなり回ったが、贔屓にする感じにはならなかった。
 笠取峠を越えると、浅間山が見えてくる。道の駅・ほっとぱーく浅科からの浅間山。
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 ここでは花豆を購入。
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 形が不揃いとことわっているが、300g500円はかなりお買い得である。これは妻にお願いして煮てもらうしかない。自分ではやれない。

 最後に国道141号に入り、お酒・その2、臼田駅近くの佐久の花酒造(佐久市下越)へ(写真は前に掲載したことがあるので省略)。この日は珍しく、アンテナショップが開いていて、おばさんが石油ストーブに当たりながら店番をしていた。
 新酒の季節なので、またいろいろ見かけないのが揃っていたが、中から初めての「純吟・手詰め直汲み」(生酒)というのを1本と、いつもの「純吟・無ろ過生酒」を1本購入。
 「手詰め直汲み」というのは、普通は行う搾ったお酒を一旦タンクに入れる工程まで省いてしまい、搾ったものを直接瓶詰めしたということのようで、まあ飲んで違いが分かるかどうかは自信がないが、稀少だと言われれば買いたくなってしまうのである。
 おばさんは、酒粕をおまけにつけてくれた。また気が向いたら、粕漬けを作ってみるか。
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 ということで、この日購入した4本のお酒。「手詰め直汲み」は一番右の一本である。
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 わたし専用の小型冷蔵庫は、最初一升瓶が3本しか入らないと思っていたが、無理をすれば4本入ることが判って、いまはギリギリの豊かな状態になっている。
by krmtdir90 | 2015-01-11 16:21 | 日常、その他 | Comments(0)

「帝国の慰安婦」(朴裕河〈パク・ユハ〉)

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 この本の感想を書くのは難しい。様々な立場があり、様々な動きがあり、それらが対立し、お互いを否定し合うことで先鋭化し、複雑に絡み合っている現況があるからである。しかし、だからこそ、いまこの本が韓国だけでなく日本でも出版された意義は大きいと感じた。両国民が問題を正確に把握し、認識を共有するための足掛かりになりうる本だと思った。

 状況が両国民の感情的な対立に発展しつつある中、冷静にことの本質を整理し、両国の和解の道筋を探ろうとする朴裕河氏の公平な態度にまず敬意を表したい。
 この本が整理してくれた慰安婦問題に関する「事実」こそが、解決に向けた出発点にならなければならない。「解決」とは、それぞれが都合のいい「選択された事実」に拘るのではなく、あくまで「客観的な事実」を確認し合うことからしか見出せないものだろう。一方的な決めつけで捨象されてしまう「事実」を丁寧に指摘したところに、この本の大きな意味があると思った。

 「帝国の慰安婦」という書名とともに「植民地支配と記憶の闘い」というサブタイトルがつけられていることに、筆者の視点が集約的に表されていると思う。
 朝鮮半島(現在の韓国と北朝鮮)は、1910(明治43)年の日韓併合から1945(昭和20)年の敗戦まで、日本(大日本帝国)の植民地にされていた。朝鮮人慰安婦の問題というのは、この「帝国の植民地支配」を抜きに捉えることはできないものである。植民地とされ、日本の一部(日本人)とされた朝鮮の人たちが、宗主国・日本に対してどのように振る舞う必要があったのか、そうしたことを視野に入れない慰安婦像は「事実」に反すると考えられている。

 筆者は、元慰安婦とされる人たちの証言を丁寧にたどり直すことで、現在世に流布する慰安婦像が「歪められた記憶」に基づくものであることを明らかにしていく。慰安婦が筆舌に尽くせぬ苦難を強いられた被害者であることを大前提としつつ、そのイメージがなぜ歪められてしまうのかを解明しようとする。
 現在の日韓両国の状況を考えれば、様々な非難に晒されるであろうその作業を、しかし、筆者は自ら信じる真っ直ぐな思いで完遂してみせる。それは並大抵のことではなかったはずである。

 植民地時代、人々がどのように振る舞ったのかは千差万別に違いないが、その「記憶」の中には、解放後に「消してしまいたい記憶」もたくさん含まれていた。
 慰安婦問題が顕在化した時、被害者である彼女たちの証言は当然千差万別であったが、それを受け止め支援する人たちにとって、必要のない(消してしまいたい)部分は削ぎ落とされ、必要な部分だけが拡大され強調されるということが起こった。それは、一人ひとりが植民地の民であった過去と訣別するために、ある意味仕方がない面はあったとしても、韓国が進むべき道、またこの問題の解決のためにはプラスにはならなかったと認めている。
 筆者の誠実さと勇気に、日本人の一人として心からの敬意を表したいと思った。

 日韓どちらにとっても、見たいところだけ見て決めつけるような態度からは、解決の道筋は見えてこないことを確認しなければならない。筆者が様々な困難を超えて、韓国側にある誤解や考え方の誤りを指摘してくれたことに応え、日本側も問題の本質を率直に振り返り、植民地支配の加害者としての責任を引き受ける必要があるのだと思う。
 この本の終章は「新しいアジアのために」と題されている。慰安婦問題を大きなパースペクティヴの中で解決したいと考える、筆者の思いが強く表れた文章で心に響くものがある。長くなるが、その一部を書き抜いておきたいと思う。

 戦後日本は平和憲法を掲げ、戦争を起こさないという価値観を守り続けてきた。大多数の国民が「反戦」意識を保てるように教育してきたのも、高く評価すべきだろう。しかし、「帝国」として存在したーー植民地を支配したーーことに対する反省意識は、反戦意識ほどには日本国民の共通認識にならなかったと言えるだろう。日本が、日本人の犠牲を中心においた戦争記憶だけでなく、〈他者の犠牲〉に思いをはせるような、反支配・反帝国の思想を新たに表明することができたら、その世界史的な意義は大きいはずだ。
 過去において帝国主義的な侵略を行ったのは日本だけではない。しかし西洋発の帝国主義に参加してしまった日本が反帝国の旗を掲げるのは、西洋発の思想によって傷つけられたアジアが、初めて西洋を乗り越えることになり得る。支配思想ではなく、共存思想をアジアが示す意義もある。
 慰安婦問題と歴史問題を考えるのは、戦争と構造的支配がいまなお続いていて、貧困で弱い人々が動員される現実がいまだ続いているからである。国家が国民を、男性が女性を、大人が青少年を、戦争に利用するのはやめるべきだ。民族の違いや貧困という理由だけで他者を支配し、平和な日常を奪ってはならないという新たな価値観を、慰安婦問題の解決に盛り込みたい。
 不和は日韓の保守を右傾化させ、冷戦的思考は基地を存続させる。そのような現在の状態を抜け出さない限り、日本の軍国主義を批判してきた人たちが、結果的にアジアを軍事大国にするだけだ。日韓の基地問題を解決するためにも、日韓の連携は必要だ。真の〈アジアの連帯〉は、日本の帝国主義に先んじて始まった西洋の帝国主義と、彼らが残している冷戦的思考を乗り越えることで可能になる。そのときアジアは初めて、西洋を追いかけてきた〈近代〉を乗り越えることにもなるだろう。
 敗戦と開放以降も本質的には解除されなかった数十年にわたる曖昧な関係と敵対感情を、またもや次世代に引き継がせるのは、いまを生きる大人たちの無責任さを語るものでしかない。いまこそ、日韓が長い間かかえてきたそれぞれのトラウマを治癒することを始めるべきだ。

by krmtdir90 | 2015-01-08 13:48 | 本と映画 | Comments(0)

八王子散歩・七福神めぐり

 いい天気なので、正月だし散歩がてら七福神めぐりをすることにした。2年前に一度やっているので、2回目である。七福神めぐりといっても、八王子の場合は市名の「八」にちなんで、吉祥天を加えた八福神めぐりになっている。
 八つのお寺のうち五つは、わたしの普段の散歩コースに隣接しており、うち一つは2階のベランダから見えている町内のお寺である。今回もここからスタートすることにする。

1,宗格院(そうかくいん・千人町)・寿老尊
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 300円で色紙を買い、200円で朱印を押してもらう。以後、すべてのお寺で200円ずつ払うことになる。別に朱印を受けずにお参りするだけでいいのだが、わたしの感覚はお参りよりスタンプを集める方が楽しいのである。
 寿老尊は、上の写真の左手にある小さな地蔵堂の中に飾られている。
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 このお地蔵さんは、わたしが子どもの頃はお寺の外の道端にあったが、道路が整備される折にお寺の中に移されたものである。毎年8月に「お地蔵さんのお祭り」というのを行い、区域の数十軒には赤飯と子ども向けのお菓子が配られる。

2,吉祥院(きっしょういん・長房町)・吉祥天
 きょうは姿が見えなかったが、宗格院の住職が前回、最初に山の方から回った方がいいよと助言してくれたので、今回もそれに従った。山と言うより低い丘なのだが、最初に上りの道を歩いてしまう方が確かに気分的に楽な気がする。
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 ここは、本堂はあまりお寺らしくないコンクリート製の建物で、吉祥天は屋外に比較的最近祀られたもののようである。
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 ちょっと上に見晴台があって、鳥居や妙な石像が立っていたり、よく判らない。左に見えている山が高尾山である。
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3,了法寺(りょうほうじ・日吉町)・新護弁財天
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 国道20号(甲州街道)に面している。このお寺は、なぜかアニメふうの宣伝イラストが飾られていて、通称「萌え寺(もえでら)」などと呼ばれている。
 弁財天は、本堂階段脇のガラス戸越しに見るかたちになる。小さい上に光の具合で、奥に宝剣を持っている姿は陰になってしまってよく見えない。
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4,善龍寺(ぜんりゅうじ・元本郷町)・走大黒天
 国道20号を本郷横丁交差点で左折した、通称秋川街道沿いにある。
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 ここだけは、大黒天は本堂の中にあり、靴を脱いで本堂に上がって参拝するかたちになる。
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5,信松院(しんしょういん・台町)・布袋尊
 ここは、JR中央線の線路下を抜ける道路で南側に出た、通称南大通り沿いにある。南大通りはわたしの散歩コースで、春には早咲きの桜が(木は小さいが)美しいお寺である。
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 布袋尊は、本堂下の半地下のようになったところに祀られている。非常に存在感のある姿で、お腹をさすると福徳を授かるということで、ガラスに丸い穴が開いていて手が入れられるようになっている。わたしも一応、ひと撫でしてきました。
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 門の脇に、八王子ゆかりの松姫の小さな像が立っている。
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 松姫は甲斐の武田信玄の六女で、武田氏滅亡後、落ちのびていた八王子で出家し、信松尼と称して、この地に草庵を結んで晩年を過ごしたのだという(にわか勉強)。

6,金剛院(こんごういん・上野町)・福禄寿
 JR中央線南側の線路沿いにある大きなお寺。
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 この左手に福聚堂という小さなお堂があり、十一面観世音菩薩像(奥)とともに福禄寿が祀られている。
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7,本立寺(ほんりゅうじ・上野町)・毘沙門天
 ここも大きなお寺で、南大通りに面して立派な南門が開いている。
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 毘沙門天は、本堂内の正面すぐのところに立っていた。
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 再びJR中央線を越えて町中に戻る。この踏切が本立寺踏切という名前なのを、きょう初めて知った。
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8,成田山伝法院(なりたさんでんぽういん・南新町)・恵比寿天
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 国道20号から少し入った位置にあり、非常に狭い敷地のお寺である。しかし、成田山の遙拝所ということで、普段からお参りする人もあるらしい。
 恵比寿天は、左手にある小さな恵比寿堂の中に、なぜか大黒天と並んで祀られている。
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 帰りは、買い物などをしながらJR八王子駅に出た。
 国道20号の八日町交差点から、八王子駅に向かって斜めに入って行くユーロードという歩行者専用道路(昔は放射線通りと呼んでいた)。
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 正面奥に見えているのが駅ビルである。昔はデパートのそごうだったが、いまはユニクロや無印良品などが入るショッピングビル・セレオになっている。

 ということで、これが全部踏破?したことを証明する、朱印を押した色紙。最後に回ったお寺で日付を入れてくれる。何となく満足な気分になれる。
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 きょうの散歩歩数は、いつもより少し多めの13126歩だった。おわり。
by krmtdir90 | 2015-01-05 18:22 | 日常、その他 | Comments(2)


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