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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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また、お酒を買いに(2015.2.21)

 また、お酒を買いに山梨・長野の方に行ってきた。ガソリン代や高速料金を考えると、ずいぶん不経済なことをやっているのかもしれないが、基本的にドライブするのは好きだし、外でお酒を飲むことを考えれば別に高いとは思えないのである。

 中央高速・初狩PA(下り線)からの富士山。
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 手前を横切る筒状のものがリニア中央新幹線の実験線である。景色の見えないこんな筒やトンネルの中を走って、どんなに速くてもちっとも面白くないだろうと思う。

 甲府昭和ICで高速を降り、国道20号をしばらく走る。韮崎あたりから富士川の上流の一つ・釜無川を遡るかたちになるが、右手には七里岩と呼ばれる崖がずっと続いている。これは大昔、八ヶ岳の噴火で流れ出た溶岩流の先端らしい。
 昔の甲州街道はほぼ国道20号を辿るのだが、時々旧道が脇に分かれたりまた合流したりする。そんな一つ、台ヶ原宿の旧道沿いにある酒蔵、七賢の山梨銘醸(山梨県北杜市白州町台ヶ原)。
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 創業は1750(寛延3)年だと言う。明治の頃には、天皇巡幸の際の行在所(あんざいしょ)になったりしたようだ。左手にそれを記した石碑と案内板が立っている。
 ここで一升瓶を2本購入。

 斜向かいに1902(明治35)年創業という和菓子の金精軒がある。
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 信玄餅が代表的なものだが、季節に合わせて出てくるお菓子もなかなか美味しい。きょうは草餅と桜餅を購入。ここのは餡があまり甘くなく、上品な風味で、甘いものを食べる習慣がなかったわたしが、酒買いのついでに何の気なしに立ち寄ったことから、初めてそういうものに目覚めることになった店なのだ。

 昼食。金精軒の向かい、七賢の並びに、蔵元直営レストラン・臺眠(だいみん)がある。お店は階段を上がった2階である。
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 一人で入ったのは初めてだった。すごく混んでいる時もあるが、きょうは開店(11時半)と同時に入ったからか、お客が全然いなかった。ここは、お冷やとして瓶詰めした七賢の仕込水を出してくれる。いただいたのは麦とろ定食1620円。素朴な美味。
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 窓から甲斐駒ヶ岳が見える。
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 七里岩に上っていく道で長坂に抜け、さらに国道141号(佐久甲州街道)に向かう。県道32号・長坂高根線と言うらしいが、途中、周囲が開けて素晴らしい眺めの場所があったので、ちょっと車を停めて写真を撮った。
 まず富士山。
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 次は八ヶ岳。右手の、雪で一番白くなった尖った峰が最高峰・赤岳である。
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 そして甲斐駒ヶ岳。ちょうど飛行機雲がかかっていたので、これは縦の構図で。
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 国道141号に出てからはずっと北上して行くが、山梨・長野の県境、清里・野辺山のあたりで標高1300メートルを越す高原地帯を走る。道路は何ともないが、両側の畑などはすっかり雪に覆われていた。
 八ヶ岳の主峰・赤岳。
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 途中右折して、JR小海線の八千穂駅に通じる道に入る。千曲川を越えて、きょう二つ目の酒蔵、井筒長(いづつちょう)の黒澤酒造(長野県南佐久郡佐久穂町)。
 蔵の手前に、喫茶やギャラリーを併設した直売所がある。ここでも一升瓶2本を購入。
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 創業1858(安政5)年。蔵は右手の坂の上にある。
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 右側に酒の資料館というのがあって、自由に見学することが出来る。かなり前に一度見学したことがあると思う。
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 入ってすぐのところに仕込水が流れていて、古い井戸の跡などがあったりする。
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 さらに北上して、臼田の手前あたり、千曲川の向こうに浅間山が見えている。きょうは噴煙は上がっていないようだ。
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 中央高速ばかり走ってもつまらないから、かなり遠回りになるのだが、上信越道→関越道→圏央道と回って帰ってきた。圏央道が通って、前よりずっと便利になったのは事実である。今回は368キロの一人ドライブだった。

 というわけで、きょう購入した4本のお酒。左の2本が七賢、右の2本が黒澤酒造のものである。
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 一番左の白黒山廃純米というのは火入れしてあるお酒で、これだけは常温保存でいい。まだ燗酒の気分になるときもあるだろうということで購入。次の水色の瓶はしぼりたてなま生という本醸造生酒だが、アルコール度数が15%に調整されているのがやや不満。
 七賢では新酒の季節に毎年、竹林の七賢人の名前をいただいた7種の生酒を出すのだが、今年から一升瓶に詰めるのを止めてしまったというので、(四合瓶だと何となく割高感があって買う気にならず)楽しみが減ってしまった感じである。
 黒澤酒造の方は、新酒の季節に訪ねたことがなかったことに思い至った。2本とも初めて買うもので、度数調整をしていないらしいのがいい感じである。緑色の瓶の新酒しぼりたてというのは19%で、本醸造生原酒とある。一番右の百姓物語というのは、名前がちょっとどうなのよという感じがするが、地元産あきたこまちを使用した純米酒の無濾過生原酒で、度数は18%だった。

 いまのところ、まだ前回買ってきた佐久の花が数日分残っているが、その次はどういう順に開けていくか、楽しみはこれからも続くのである。
by krmtdir90 | 2015-02-21 23:59 | 日常、その他 | Comments(3)

映画「スウィングガールズ」

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 去年の夏、山形鉄道フラワー長井線に乗りに行った時、スウィングガールズのラッピング車輌が走っているのに出会った。調べてみると、映画が公開されたのは2004年のことで、その時作られた車輌だとすれば、もう10年も走り続けていることになる。ラッピングはかなり色褪せていたが、サックスを吹く女の子の黒いシルエットがオシャレだと思った。この映画、やっぱり見なくちゃと思ったのはこの時である。
 大学生だった頃、授業にほとんど出ないで毎日ジャズ喫茶(渋谷の百軒店の先に「ありんこ」という小さな店があった)に入り浸っていた。その後のめり込むことはなかったけれど、あながちジャズに縁がなかったわけではない。あと、2004年という時期を振り返ってみると、浴びるほど見ていた映画ともすっかり縁遠くなってしまって、この映画はかなり気になっていたのだが、結局見に行くことはないまま時が過ぎてしまったのである。

 先週の土曜日、たまたまBSフジでこの映画が放映されることを知り、録画しておいて翌日初めて見ることができた。民放だからCMが入るのは仕方がないとして、気になったのは105分という映画の長さに対して、放送時間が2時間だったことだった。ギリギリ微妙なところだが、たぶん少しカットされているのではないかと思った。はっきりしていたのは、恐らく最後に流れたであろうクレジットタイトルがなかったことである。何となく中途半端な気分が残った。
 すぐに感想を書きたいと思ったのだが、カットがあるかもしれないことが気になって躊躇していた。ところが昨日、インターネットで何気なしに検索していたら、Dailymotionというサイトに、英語字幕がついた本編が2分割ながらアップされているのに気付いたのである。収録時間を見ると、53:42+52:16=105:58となっている。これは、ノーカットで見られるということではないか(つなぎの部分が若干ダブっていた)。早速、2度目の鑑賞ということになった。ラストの楽しいクレジットタイトルも見ることができた。

 これは愛すべき映画である。
 何度も見たくなる、素敵な映画である。
 公開時のキャッチフレーズが「ジャズやるべ!」というものだったらしいが、「行こうよ、全国!」よりこちらの「ゆるさ」の方がわたしは好きだと思った。

 東北・山形の高校が舞台(全編がのどかな山形弁?で展開する)。夏休みの数学補習に集められた落ちこぼれ女子高校生たちが、食中毒で入院した吹奏楽部のピンチヒッターとして、最初は補習をサボるために始めたビッグバンドジャズの魅力に、次第ににのめり込んでいく姿を描いた青春映画である。
 実は、TV放映を見た後、みんなが感想を(レビューって言うんですね)投稿するサイトをちょっと覗いてみた。案の定と言うべきか、ストーリー展開のご都合主義、強引さといったものへの、そんなのありえないというような否定的な指摘がけっこう散見された。昔だったらわたしも気になったのかもしれないが、今回、不思議なくらいそういうことはどうでもいいんだと思えたのである。
 展開のリアリティとかそういうことは二の次にして、この映画が描きたかったのは、誰にとっても思い通りにならない現実の中に、降って湧いたような「奇蹟の瞬間」、その嬉しい時間、その二度とないような嬉しい気分、というようなものではないかと思ったのである。

 決して否定的な意味ではなく、途中マンガみたいな描き方だなと何度も思った。それはそれでいいのではないかと思った。むしろ、積極的にそういう部分を受け入れたい気分になってしまったのである。たぶん、少しでもあざとさとして感じられてしまったら即刻アウトだったと思うのだが、そう思えなかったのはどうしてだろう。
 たとえば、お話の滑り出しからして無理無理の乱暴な設定なのだ。野球部の応援に出掛けた吹奏楽部のお弁当を、補習の最中だった女子高校生たちが届けることになる経緯とか(ここで山形鉄道フラワー長井線に乗るのだが)、最初車中であんなに騒いでいた十数名の彼女たちが、突然みんな眠りこけて下車駅を通り過ぎてしまったり、仕方なく次の駅から炎天下の線路を歩いて戻ろうとしたら、1時間以上来ないはずの(そういうセリフがある)戻りの列車がやって来て(乗り越して戻る彼女たちの背後から来たのだから逆方向に間違いない)、全員土手下に転げ落ちてお弁当がぐちゃぐちゃになってしまったり。それなのに、球場に着いたらお弁当はほとんど崩れてはいなかったようで、それを吹奏楽部部員たちは何の疑いもなく食べて(しかも試合の途中に応援を中断して)、一人残らず食中毒で入院ということになってしまったり・・・。

 まあ、いい。たどり始めたらきりがなくなってしまう。でも、これはそういうマンガみたいな映画なのだと思えばいいのだ。これがストーリー展開として無理筋なんてことは、作者たちは当然わかってやっているに決まっている。それに対して、そんなの乱暴だと目くじら立てて白けてしまうより、この映画はそれでいいんだ、そういう行き方をする映画なんだと認めてしまえばいいのだと思った。そうすると、この映画独特の心地よい語り口がスッと了解できるようになると思った。
 その特徴の一つは、この作者たちが登場人物たちを描く時、やや遠目に設定された演出の距離感というようなものではないかと思う。ドラマチックに描くことへの照れのようなものが、最初から最後まで一貫してゆるゆると流れているように感じた。ドラマチックになってしまいそうなストーリーを注意深く避けていく感じ。そういうストーリーを信じていないから、嘘くさいと言われても気にならないのではないか。描きたかったのはたぶん、ある種成り行きだけで出来上がってしまった「嬉しい時間」なのである。

 エンディングの潔さにそれが表れている。最後、「シング・シング・シング」の演奏を終えた時、主要キャスト5人のアップを一人ずつ(独立して)見せて、それだけで(あとは何もしないで)スパッと切ってしまった見事な終わり方。凡庸な監督ならば、この後、彼らをドラマチックに絡ませたりしないではいられなかっただろう。
 先に読んだレビューの中には、楽器の演奏があんな簡単に出来るようになるわけがないとか、練習の苦労がほとんど描かれないのは決定的な弱点だなどという意見がけっこう見られたが、この映画はそういうふうに見る映画ではないのだ。
 やっとどうにか演奏らしきかたちが出来てきたものの、まだまだ思い通りにならないことだらけの5人のメンバーが、竹中直人演じる数学教師が実は熱狂的なジャズマニアであることを知り、やっと指導者に出会えた嬉しさで、帰り道の横断歩道で流れる「夕空晴れて」のメロディーがジャズになることを発見する、何とも素晴らしいシーンがあるではないか。このシークエンスの感動的なワクワク感こそが、この映画の核心なのではないか。

 この主要の5人がいい。キャラクターもくっきりデッサンされていて、文句なしに好感が持てる。演じたのは、上野樹里(テナーサックス)、貫地谷しほり(トランペット)、本仮屋ユイカ(トロンボーン)、豊島由佳梨(ドラムス)、そして平岡祐太(ピアノ)である。
 最終的にバンドを構成するのは17人になるのだが、そこに1人だけ男子生徒を混ぜたのが見事な作戦勝ちだったと思う。
 彼は野球応援に出掛ける時、退部届を用意しているような吹奏楽部の落ちこぼれだったが、一人だけ食中毒の原因となった弁当を食べはぐれ、その成り行きから、一癖も二癖もありそうな女子生徒たちをビッグバンドジャズの世界に連れて行く、案内人のような役割をせざるをえなくなるのである。気の弱い彼とトンデモ女子生徒たちのやりとりが何とも言えず可笑しい。芝居が下手などというわかった風のレビューなど無視していいのだ。彼が、「SWING GIRLS」というバンド名の後に、密かに「& a boy」と書き加えるシーンが微笑ましい。

 気弱な彼と天然ボケの上野樹里の間に、ほんの少しだけホンワカしたムードを漂わせたのも絶妙だと思った。成り行きから全員の雪合戦になってしまったシーンで、雪の上に倒れた上野に微妙に思わせぶりな表情をさせ、彼(平岡クン)が勘違いした次の瞬間に「ばーか」と外してみせるこの呼吸。こういうドラマはここまでですよとスッキリ切り捨てたところが潔い。そういうことは、この映画にとっては(ジャズに熱中することにとっては)どうでもいいことなのである。
 脇役もなかなかいい。野球応援に吹奏楽部を引率するのに、「試合、負けてくんねえかなあ」と呟く音楽教師・白石美帆(友人にハワイ旅行を誘われていたらしい)のとぼけた味。また、例の数学教師・竹中直人は、実はとてもジャズを指導できるような人ではなかったことがあとでばれてしまうのだが、作者たちはそれをア・ボーイの平岡クンだけに止めて、ガールズの16人や白石先生には判らないようにして話を進めるのである。こういう優しい配慮も含めて、すべての登場人物に誰一人悪い人はいないところも素敵だと思った。

 この映画が練習の苦労をほとんど描かなかったのは事実だが、ラストの発表会のシーンで彼女たちが見せた演奏は、すべて吹き替えなしの生演奏だったことは、映画公開時には周知の事実になっていた。彼女たちはクランクインの時点ではみんな完全な素人で、夏から冬へ、撮影が進むのと並行して猛特訓を重ねてここまでやれるようになったのだという。その過程をドキュメントにしてもいいくらいのものだが、そんな野暮は最初から眼中になかったのだろう。
 最後の曲「シング・シング・シング」の演奏は見事だった。音楽的にどうだったのかは知らないが、主要キャスト5人が次々とソロのアドリブを披露するところはとりわけ感動的で、物語においても事実においても、彼らがゼロから出発してここまで来たという軌跡が鮮やかに浮かび上がって、観客の心をしっかり掴んだと思った。

 監督の矢口史靖(しのぶ)という人は、「ひみつの花園」「ウオーターボーイズ」といった異色作で注目を集めていた監督らしいが、わたしはそれらを見ていないから、これ以上話を広げていくことはできない。だが、この「スウィングガールズ」で見せた彼の演出は、簡単なように見えて恐ろしく計算されたものだったような気がするのである。いい映画に出会ったと思った。

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by krmtdir90 | 2015-02-19 14:52 | 本と映画 | Comments(0)

「酒場詩人の流儀」(吉田類)・「居酒屋を極める」(太田和彦)

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 去年読んだ本の中から2冊。
 この2冊は何というか、わたしの「夢」のようなものである。わたしはお酒は好きだが、決して強いわけではない。どちらかと言えば弱い方だと思っている。だから、居酒屋というものに一人で通う習慣もないし、誰かと居酒屋に入った経験も非常に少ない。お酒が弱くても、別に行こうと思えばいくらでも行けるわけだが、わたしの中で「弱い」ということが常に引っ掛かってしまい、たぶんあまりくつろぐことができないだろうと思うのである。
 だが、興味はある。それなら、いまからでも遅くはないのかもしれないが、何と言えばいいのか、この年になってからでは、初心者として多少の緊張を楽しむ感じにはなかなかなれない気がする。これまでの人生で、居酒屋というすばらしい「文化」に馴染めなかったことは少し悔しい気もするが、好きなお酒のことだから、いまさら無理をすることはないとも思うのである。

 鉄道であちこち一人旅を楽しむようになって、泊まるのは大体ビジネスホテルが多いから、夕食は外で食べることが多くなる。これは居酒屋探訪を始めるにはうってつけの好機なのかも知れない。だがそんなわけで、いわゆる食事が主でお酒が従というようなお店や、せいぜい「居酒屋もどき」といったところで満足をしている。気が小さいだけなのかもしれない。だが年をとると、みずから劇的に前進することには強いブレーキが掛かってしまうものだと思う。
 だったらこんな本は買わなければいいのだが、見つけるとつい買いたくなってしまうところに、わたしの複雑な思いというのがあるということなのだろう。ちゃんとした居酒屋には行かないけれど、「もどき」でも何でも、お店で食事をしながら少しだけお酒をいただくというような場面で、それなりの礼儀というか作法というか、まあそんな大袈裟なものではないかもしれないが、ふと思い出すような本ということでいいのではないかと思っている。

 「酒場詩人の流儀」の吉田類氏は、帯に写真が載っているが、BS・TBSで放映されている「吉田類の酒場放浪記」という番組のレポーターをしている人である。わたしは別にこの番組を熱心に見ているわけではないが、ごくたまにやっているのにぶつかって見てしまうことがある。すると、その力の抜けた立ち居振る舞いやゆるい会話、酔ってだらけた笑顔などが楽しくて、こういうふうに飲めたらいいのになあと思うのである。
 本書は氏が日本各地を旅して、TV番組同様、酒場を放浪したり酒にまつわる出会いをしたり、行く先々での小さなエピソードなどを、時にお得意の俳句を交えたりしながら綴って見せた短文集である。一つ一つが短い文章だから、気軽に読むことが出来る。だが、中身はなかなか光るものがあるなと思った。

 元は「新潟日報」「北海道新聞」という2紙の地方新聞に連載したものらしく、関東甲信越と北海道、それに氏の出身地である四国(高知)に関するものが大半を占めているが、氏の興味の赴くところは実に多岐に渡っていて、そのどこにもそこはかとないユーモアが漂っているのである。氏の暖かく誠実な人柄の現れと言うべきだろうか。
 俳句をたしなむところからも判る通り、非常に繊細で行き届いた言葉遣いをする人で、行間から香るある種の品格といったようなものが素晴らしいと思う。一方で時折語り口を崩し、より喋り言葉に近づけた「だから愛おしいじゃあないか」とか「よし、歩いてやろうじゃあないか」とか、あるいは「偶然出会った二人の舞妓さんは、『うちら、横浜どすえ~』と、祇園言葉でハモらはった(あれっ)」というような茶目っ気を見せてくれるのも楽しい。

 もう一冊、「居酒屋を極める」の太田和彦氏は、元々は資生堂のグラフィックデザイナーをしていた人らしいが、好きが昂じて、いつの間にか居酒屋探訪を中心とした30冊近い居酒屋関係著書(巻末に著者自身が整理している)を持つことになった「孤高の居酒屋評論家」(帯にそう書いてある)ということのようだ。これまで積み重ねてきた居酒屋をめぐる実践的なあれやこれやから、その核心を要領よくまとめてみたというのがこの本である。
 もちろん、どんなところでどんなふうに飲もうが各人の自由であるというのが大前提となるが、それでも出来ることなら誰でも楽しく心地よく飲めた方がいい。そのためにはどうすればいいかを、堅苦しい講釈ではなく、軽い読み物として綴った一種のハウツー本という感じの一冊である。軽いけれど、そこには「居酒屋道」とも言うべききちんとした筋が通っていると思う。

 第1章は「さて、今宵はどこに座ろうか」と始まっていて、店選びのコツ、初めての店でどこに座るか、注文の仕方・考え方といったものが順次語られていく。決して偉そうに能書きを押しつけるのではなく、こんなふうにしたら(考えたら)楽しくなるんじゃないですかという感じの、場数を踏んだ人だから言えるある種の提案といった書き方になっていて、いつの間にか納得させられてしまうのはさすがである。
 また、たとえば、「ひとり酒では何をすればいいのか」を考察した項とか、「主人、女将とはさらりと話す」のがいいと戒めた項とかは、居酒屋の作法だけに限らない、もっと一般的な場面を想定しても、なるほどなるほどと深く共感させられるところがあるのである。
 最後の第5章、阪神淡路大震災と東日本大震災の後、人々に居酒屋がどんなに必要とされていたかを語った項は、何と言うか、しみじみと感動的な話だと思った。

 読んでいると(こうして感想を書いていると)、別に居酒屋を目指すわけではないのだが、何となくまたローカル線に乗りに行きたくなる本だった。 
by krmtdir90 | 2015-02-17 16:51 | 本と映画 | Comments(0)

「わが町・新宿」(田辺茂一)

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 この本が単行本として最初に世に出たのは1976(昭和51)年で、1981(昭和56)年には文庫にもなったようだが、その後ずっと入手困難な状態が続いていたらしい。これを昨年12月、紀伊國屋書店が復刊したもので、その際、所縁ある文化人による「紀伊國屋書店と私」という文章28編も附録として付け加えられた。
 田辺茂一氏は言わずと知れた新宿紀伊國屋書店の創業者であり、1981(昭和56)年暮れに76歳で死去するまで、いろいろな意味で(いろいろなところに)大きな足跡を残した人である。本書は氏が70歳になった前後、当時のサンケイ新聞に連載した同名の読み物をまとめたもので、明治・大正・昭和と変遷する新宿という町の様子などが生き生きと綴られている。

 わたしが知っている新宿は、昭和の終わりの20年ぐらいと平成の始まりの10年ぐらいということになるが、この間、新宿紀伊國屋書店にはどれだけ足を運んだか判らない。いまは1階にも売り場を広げているが、当時はエスカレーターを上がった2階から上が書店になっていて、4階の紀伊国屋ホールも含めて(画廊や喫茶室もあったが、それらには縁がなかった)、他の書店にはない一種独特の文化的香りというようなものがあったと思う。
 エスカレーター下にプレイガイドがあって、映画の特別鑑賞券(前売り券だが、当時は公開が始まってからも入手できた)や芝居のチケットなどをずいぶん購入した。友人などと新宿で待ち合わせる時は、必ずこの場所だったと思う。雨の日も駅から地下道を通って行くことができたし、書店で待ち時間を潰すこともできたからである。

 当然と言えば当然のことだが、本書で田辺氏はみずから興味のあることしか語っていない。1968(昭和48)年10月の新宿騒乱とか、翌年の西口地下広場フォークゲリラなどには全く触れていないし、当時の「若者の町」としての新宿にもほとんど踏み込んではいない。田辺氏はすでに還暦を過ぎていたし、そういう新宿にはあまり興味がなかったのだと思う。
 わたしは新宿の町をずいぶん歩き回り、紀伊國屋書店にも年中出入りしていて、そこの社長がこういう人だというのは知っていたが、当時のわたしとしては興味を抱く対象にはならなかった。氏は1969(昭和49)年、大島渚監督の「新宿泥棒日記」という映画に、紀伊國屋書店社長というそのままの役で出演していたが、それを見てもわたしは、何だかなあという通り一遍の印象しか持つことができなかった。ATG新宿文化やその地下にあった蠍座にはよく行ったが、こうしたものにも本書は全く関心がないのである。

 つまり、田辺氏の「わが町・新宿」とわたしの「わが町・新宿」とは、接点らしい接点は全くと言っていいほどないのだが、それでもこの本はなかなか面白い本だったと思う。新宿がまだターミナルでも盛り場でもなかった明治の終わり頃から、大正、昭和、太平洋戦争で焼け野原となり、そこから復興するまでの道のりについて、極私的とも言っていい視点で思いつくままに語っているのだが、巧まぬユーモアと不思議にあっけらかんとした語り口は、非常に好感の持てるものだと思った。
 町の歴史というものを、こういうふうに語ってくれると興味も湧くし、実際興味深いエピソードが次々紹介されていて、飽きることがなかった。

 田辺氏の生家は紀伊國出身の薪炭問屋であったが、惣領息子でありながら家業を継がず、同じ敷地内に書店を開業したのは1927(昭和2)年のことだったという。幼少時代からこのあたりまでの描写が特に面白く、町の様子や人々の有様がきわめて具体的に描き出されている。
 書店を始めてからの幅広い交友関係も、氏の懐の広い人間性が窺えて感心させられる。様々な文芸誌や同人誌などを主宰したり後押ししたりしたらしいが、金のある者としてそうした文化的営みをバックアップするのが、決して嫌味にならない自然な行為として、氏の若い時代からの生き方の一部になっていたようだった。この人間としての器の大きさが行間に窺えるようで、それが読後の印象をすっきりした後味のいいものにしていると思った。別にどうということのない読み物だが、楽しく読める本だったと思う。
by krmtdir90 | 2015-02-16 14:18 | 本と映画 | Comments(0)

「硝子の葦」(桜木紫乃)

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 久し振りの桜木紫乃だった。
 本屋の文庫本のエリアには、どこも新刊や注目の文庫本が平積みされたコーナーというのがある。先日その中に、この「硝子の葦」が混ざっているのを見つけた。調べてみたら、WOWOWが相武紗季主演でテレビドラマ化したということらしい。テレビドラマを見る習慣はないから(それにわが家はWOWOWは映らない)、それはどうでもいいのだが、ちょっと久し振りに桜木紫乃でも読んでみようかという気分になったのである。
 文庫本になったのは昨年の6月、単行本が出たのは2010年9月だったようだ。「ラブレス」(2011年)の一つ前に出された本である。

 あえて分類するなら、ミステリーということになるのだろうか。帯の惹句にも「度肝を抜く大どんでん返し、驚愕の結末!/傑作長編ミステリー」とある。
 以前、桜木紫乃を続けて読んでいた頃、同じようにミステリーに分類されるであろう「凍原」(単行本2009年・文庫2012年)というのを読んだが、これはあまり面白いとは思えず、感想文も書く気にならなかった。単行本の発刊順で言うと、「凍原」が3作目、「硝子の葦」が5作目ということになる。「氷平線」(2007年)でデビューした後、彼女はミステリー的な書き方にかなり傾斜していた時期があったのではないかと思う。

 しかし、「このミステリーがすごい(このミス)」ベストテンというものがあるが、「硝子の葦」は残念ながら、2010年の16位にやっと入っているにすぎない。ただ、これは何となく理解できるような気がするわけで、この小説はミステリーとしての要素をしっかり持っていながら、そこに収斂することを意図的に回避しているような印象を受けるのである。
 そして、恐らくそこのところがこの小説の読ませどころであり、ラストの「どんでん返し」も、決して謎解きのために書かれているのではないように思えるのである。ラストは確かに「驚愕」には違いないが、それは通常の意味での決着(完結)とはならないような書き方になっている。桜木紫乃は戦略としてそうした書き方を選んでいると思う。

 ここから先はいわゆるネタバレになるので、そのつもりで読んでほしいのだが、主人公・幸田節子の焼死(自殺)が、実はみずからの殺人(母殺し)を隠蔽するために仕組まれた狂言であって、彼女は全く別人となって生き延びているという「どんでん返し」は、決してミステリー的明晰さで書き込まれているわけではないのである。
 ラストで澤木昌弘が追いかけるパン職人は、少し前のところで「目も鼻も口も、似ても似つかぬ別人である」と描写されながら、彼の「節ちゃん」という呼びかけに対して、節子以外ではありえないという反応を示すのである。節子以外ではありえないという書き方を、桜木紫乃は明らかにしていると思う。しかし、その間の謎を埋めてくれる説明や描写は存在しないし、そこは書かれないままで終わってしまうのである。

 さらに、普通の謎解きミステリーならもっとウェイトが大きくなるはずの都築という刑事も、一貫して末端の脇役といった位置から動くことはなく、登場機会も極端に少なく、彼が果たしてどこまで謎を解いたのかも読者には不分明のままなのである。
 それでいながら、この刑事は決定的なラストシーンにもう一度登場してくる。しかし、それは登場したというだけで、少なくともこの最後の場面の中では(その限りでは)澤木やパン職人とは絡むことはないのである(もちろん、この直後に絡む可能性は否定できないが)。つまり、このパン職人が仮に生まれ変わった節子だったとしても、彼女の殺人が最後まで隠しおおせるのか否かはまだ判らないという終わり方になっている。

 だからこそ最後の澤木の「祈り」がこちらに沁みてくるのだが、通常のミステリーとして考えて見ると、この終わり方は説明不足で曖昧という印象を与えることになるのかもしれない。だが。
 わたしは良かった。読み終わって、えっ…と思って、最後のあたりと、最初のあたりと、あとめぼしい部分を何カ所か読み返して、これはよく書けていると納得した。桜木紫乃の文章の巧さを堪能できたと思う。

 この文庫本の解説は池上冬樹という人が書いているが、その中で桜木紫乃がこの「硝子の葦」について、「削ぎ落とす快感に目覚めた小説です」「削って削って、ここまで削ってもまだお話になっている、ここも削っちゃえ、とかなり削りました」などと語っているのを紹介している。これは非常に面白い指摘で、なるほどと納得させられる点が多いのである。書くにあたってそういう意識があったのだとすると、それは見事に成功していると思った。
 実は「ラブレス」の感想文を書いた時(2013.12.2)、長編としての骨格を持った小説なのに短編的な書き方をしているようで、全体として物足りない(もっと書き込んでほしい)印象を受けたと書いたことがある。「ラブレス」が「削りすぎ」という印象は変わらないが、一つ前のこの作品で、桜木紫乃がそういうことに意図的に取り組んでいたのだとすると、何となく判ったところもあるような気がしたのである。

 「硝子の葦」は、登場人物がみんなきわめて特異な生を生きていて、その関係も一筋縄ではいかない歪みを含んでいる。ストーリーも何とも重くドロドロしたもので、節子が関わるもう一つの殺人に至る展開なども、いかにも暗く救いのないものなのである。
 しかし、読んでいる感覚としては辛いという感じはほとんどなく、ドライと言っては少し違うかもしれないが、事実の経過がある意味淡々と書かれている感じがするのである。書き方がハードボイルドと言ってもいいかもしれない。桜木紫乃という作家は、きわめて特徴的で魅力的な文体を持った作家だと思うが、この作品において彼女は、初めてそれをしっかりと意識し、みずからの中に獲得したのだろうと思った。それはたぶん、書き方の問題であると同時に、登場人物たちの捉え方の問題でもあったのだと思う。

 ホテルローヤルが出てくるのには驚いたが、名前が一緒というだけで、あの「ホテルローヤル」(2013年・直木賞受賞作)とは何の関係もない設定になっている。作品年次としてはこちらの方が先なので、ラブホテルの建物の造りとか経営の実態とか、実家がホテルローヤルだったということは、恐らくこの作品の方が援用されていることは多いのかもしれない。
 情景描写は相変わらず素晴らしく、この作品では特に街や湿原に流れる霧の描写が印象的だった。描かれる大半は夏の出来事なのに、妙にひんやりとした質感を随所に与えていると感じた。ラストシーンに降りしきる雪の夜を配したのも効果的で、全く関係はないが、昔見た映画「シェルブールの雨傘」のラストシーンを思い出してしまった。最後の一行は、何となく視覚的に、エンドマークを出してやりたいような気がしたのである。
by krmtdir90 | 2015-02-09 11:50 | 本と映画 | Comments(0)

高倉健、もう一度(3冊の雑誌から)

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 このところ、様々な雑誌などで高倉健の追悼特集が組まれていたが、もちろんそれらに片っ端から付き合えるわけではないし、取り上げるのは3冊の雑誌だけである。グラビア中心の追悼本なども、わたしにとっては最初から興味の外にあったと言っていい。

 青土社のユリイカが発刊(正確には復刊)されたのは、わたしがまだ大学生だった頃である。現代詩手帳とともに若い頃はけっこう購入していたが、いつの間にかどちらも買わなくなってしまった。今回は、実に何十年ぶりかで買うことになってしまったのである。
 キネマ旬報の方はやはり大学生の頃から、こちらはわたしが映画ファンだった30年弱の期間、ずっと途切れることなく買い続けていたものである。それでも、買わなくなってすでに20年近い月日が流れた。したがって、これも全く久し振りの対面ということになった(キネ旬は次の2月上旬号で菅原文太の追悼特集を組み、映画雑誌としての筋を通して見せたが、わたしは文太の映画は数えるほどしか見ていないので、こちらは購入しなかった)。

 キネマ旬報(1月下旬号)の特集は75ページほどのもので、率直に言って期待したようなものではなかった。再録の文章や対談・インタビューなどが多く、それはそれで面白いものもあったが、書き下ろしの文章が総じて通り一遍、上っ面を撫でただけという感じばかりでつまらなかった。冒頭が長嶋茂雄へのインタビューで、彼に高倉健の思い出を語らせるというのでは、その先のコンセプトも推して知るべしとなってしまったように思う。
 思い出語りというようなものでは、惜しい人をなくしたという情緒的な反応の先に進むことはきわめて難しく、いろんな人の文章も全体としてはそのレベルに止まっているような気がした。映画の雑誌なのだから、高倉健の映画についてこれを機に、もう少ししっかり論じ直してくれることなどを期待したが、冒頭2本目の山田宏一「高倉健讃」にあるような、映画雑誌であるが故にだろうか、高倉健の功績を基本的に讃美しなければならないというような、責務?のようなものから自由になれなかった印象を受けてしまった。

 キネ旬の特集で面白かったのは結局、再録された横尾忠則との対談(68年)と、2本のインタビュー(75年の高田純と77年の高平哲郎によるもの)だったように思う。高倉健は生前、彼が(特に後期の)映画で演じた役柄が作り出したイメージから、実生活でも同じように寡黙な印象を与えがちなところがあるが(CMで有名になった「不器用ですから」に代表される)、これらの対談やインタビューでは、実は全然違う飾らない多弁な人だった一面を見せてくれるのである。
 高倉健が万人に受け入れられる「寡黙ないい人」というイメージを確立するのは、1975年に東映を退社してしばらくしてからのことであり、これらのインタビューなどの高倉健の肉声は、それ以前のものであるところにその理由があったと思われる。特に、若かりし日(大学時代)の羽目を外した行状を正直に語っているところなど、「いい人」ではなく「いい奴」だったんだと思わせてくれて、何だかホッとさせられるところがあったのである。

 あと、特集の最後に置かれた和田誠の文章は、典型的な思い出語りには違いないが、高倉健の人となりとそのファンであった和田誠の味がにじみ出ていて、なかなかいいと思った。

 ユリイカ(2月号)の特集は、本誌270ページ中210ページを超える本格的なもので、読み応えもあり、さすがユリイカ、この感じなんだよなあと、いたく懐かしかったのである。高倉健の映画俳優としての「変遷」を、単なる懐かしさでなぞるだけのキネ旬と違って、こちらはそれぞれの筆者の視点を「変遷」の各時代に絞り込むことによって、その時その時の高倉健の俳優としての姿を的確に描き出してみせることに成功している。追悼というのはこういうものだろうと思ったのである。
 巻末に、磯田勉という人(この名前は知らなかったが、最近の映画批評の人らしい)によるきちんとしたフィルモグラフィーがついていて、キネ旬の甘さと比べて、ユリイカの本気度がよく伝わってくる気がした。前置きのように記された文章で、この人は東映退社後の軌跡は全部省略して(もちろんフィルモグラフィーでは省略していない)、デビューから東映退社までの高倉健について要約的に辿って見せている。そこが大切なのだと言いたかったのだと思った。

 こちらの特集の冒頭は、任侠映画のヒーローとしての高倉健を論じた渡辺武信の文章だった。この人はわたしが若かった頃、すでに現代詩手帳などで活躍していた詩人・評論家で、何とも懐かしい思いで読んでみると、あの頃の若く青臭い雰囲気が鮮やかに甦ってくる感じがして、うわあ、全然変わっていないなあとびっくりしてしまった。調べてみると1938年生まれということだったが、80歳も近い高齢とは思えない若々しい文章で、高倉健の本質を的確に論じていると思った。
 文章はこういうふうに始まる。

 2014年晩秋に逝った高倉健が20世紀後半以降の日本映画界における希有のスターとして位置づけられることに異論はない。しかし没後の報道を瞥見すると、「自分の出番がないロケ現場では厳寒でも焚き火にあたらなかった」「中国ロケで素人俳優の夥しいテイクにも快く対応した」などなど、“いい人”だったことを示す逸話ばかりが目立ち、それはまあ“健さん”という親しみを込めた呼び名にも似合うのだが、芸人、俳優としての高倉健には関係のないことではないかと思ってしまう。ここから先は映画ファンとしての私の好みにもよるので、必ずしも論理的には言えないが、東映任侠映画のスターとして開花した頃の高倉健は、魅力的なヒーローではあっても決して“いい人”ではなかった。

 渡辺武信は、“いい人”高倉健の「父性」の対極に、任侠映画・高倉健の「(暴発の予感を孕んだ)少年性」を置いて文章を展開しているのだが、これを特集の冒頭に配したユリイカ編集部の姿勢は明らかと言わなければならない。「映画ファンとしての・好みにもよるので、必ずしも論理的には言えない」とことわりながら、「いい人=高倉健」への違和感がこの特集の基調であることを旗幟鮮明に宣言してみせるのである。
 大半がよく知らない筆者の文章だったが(ユリイカやその類の雑誌とはすっかり縁遠くなってしまったので)、その多くが高倉健を本気で論じようとしているのが気持ち良かった。なるほど、そういう見方があるのかと、ずいぶん眼を開かされるところがあったと思う。それにしても、「好みにもよるので、必ずしも論理的には言えない」って、あの頃からいまに至るまで、大切なのはそういうことなんだよなあと思うのである。

 東映時代の高倉健と、プロデューサー・俊藤浩滋の関わりにスポットを当てた伊藤彰彦の文章も面白い。高倉健が東映任侠映画のスターとなっていく過程から、その終焉と実録路線への転換を契機に東映を去るまでの期間を、いろいろ興味深いエピソードとともに丁寧に辿り直している。。
 また、「親分さんには何の恨みもございませんが、渡世の義理で、死んで貰います」というセリフから、高倉健における「精神と身体の分離」を論じる廣瀬純の文章も興味深い。ここには「これから身体が然るべき仕方で動くがその動きは精神の何事かを反映したものではないということが予告されている」として、その「実践」の姿を「一方には敬語を用いた丁寧な言葉遣いと徹底的な無表情、長い無言があり、他方には容赦なく殺戮へと傾斜する身体、遅延も躊躇もいっさい知らない身体の爆発がある」と描写して、映画俳優史における高倉健の新しさというのは、この「冷たい言葉と熱い身体、冷たい音声と熱い映像。精神/身体の分離は音声/映像のあいだの絶対的温度差として実現され表現される」ところにあったと述べている。高倉健は「ひとつの体温で統合された登場人物に自己同一化するのではなく、二つの温度に引き裂かれた登場人物のその分裂をそっくりそのまま体現すること」に、その特徴があったと語っているのである。

 各文章を次々に取り上げてもきりがないのでやめておくが、あと一つだけ。
 高倉健・鶴田浩二と三島由紀夫について論じた城殿智行の文章の最後、「幸福の黄色いハンカチ」のラストを茶化して、「せめて健さんがひとこと『何か目印を』と頼んだら、風にはためく無数のレインボーフラッグの下で池部良が待っていた、という話にできなかったものだろうか」というのには思わず笑ってしまった。こういう一種の乱暴狼藉も、当時の映画批評の中には確かに存在していたのである。

 最後の雑誌・旅と鉄道は、2011年11月に復刊された隔月刊の鉄道雑誌である。わたしが鉄道ファンになった時期とちょうど重なっていたので、以来ずっと買い続けている雑誌である。この3月号に、17ページほどの高倉健追悼企画(2本)が載っていた。
 鉄道雑誌らしく、1本は高倉健の映画の中から鉄道に縁の深い映画を取り上げ、撮影されたのはどこの駅かとか、写っている列車は何という形のものかとか、なかなか楽しい蘊蓄が繰り広げられている。「網走番外地」(第1作)の冒頭、囚人たちが列車で網走駅に到着するシーンでは、釧網本線の藻琴駅や北浜駅を昔の網走駅に見立てて撮影が行われたというのは初めて知った。

 もう1本の企画は、「健さんの故郷を行く・筑豊から小倉へ鉄道紀行」というもので、一種の「聖地巡礼」だと思うのだが、これがことのほか面白かったのである。
 高倉健は、みずからの生い立ちやプライベートをあまり詳しく公表していなかったらしいが、1931(昭和6)年、福岡県中間(なかま)市の生まれで、高校時代までを筑豊炭田の一角であったこの地で過ごしていたようだ。母校は、折尾駅にほど近い県立東筑高校で、通学列車は蒸気機関車の牽引する旧型の客車列車だったはずだとか、下校時には当時から続く折尾駅名物のかしわうどんで空腹を満たしていたに違いないとか、健さんが利用していた時代のこのあたりの鉄道事情にも思いを馳せながら、現在の筑豊本線などをルポしているのである。

 また、軍人上がりの父親が、福岡県の南の外れにあった宝珠山(ほうしゅやま)炭坑の幹部として単身赴任していたため、小中学生時代の夏や冬には、鉄道で何度も訪ねていたらしいという情報を受けて、そちらにも探訪の足を伸ばしている。現在の最寄り駅は日田彦山線・宝珠山駅だが、当時はまだ日田彦山線は全通しておらず、筑豊本線の筑前山家(ちくぜんやまえ)駅から父の部下に送り迎えしてもらっていたというようなことも、明らかにされている。
 少年時代から高校生時代の高倉健の足跡を辿ることに、現在いかほどの意味があるのかは判らないが、高倉健のファンでもあり鉄道ファンでもあるわたしには、これはこの上なく興味をそそられる紀行文だったと思う。ちょうど1年ほど前にこのあたりを訪ねているが、炭坑全盛なりし時代の面影はほとんど失われていたし、高倉健につながる知識などももちろん全くなかったから、この文章を読んで、そうだったんだと、何というか非常に不思議な気分になったのである。
 鉄道雑誌に徹したこういう追悼の仕方も、思いがけず新鮮なやり方だと思った。
by krmtdir90 | 2015-02-06 15:34 | 本と映画 | Comments(0)


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