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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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車で北海道⑮小樽市総合博物館(2015.7.12)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 国道231号線は留萌と札幌を日本海沿いのルートで結んでいるが、全線が開通したのは1981(昭和56)年11月のことである。そして、映画「駅 STATION」が公開されたのが、奇しくもこれと同じ1981年11月のことだった。
 映画は1968年の短いエピソード(直子)の後、主に1976年(すず子)から1979年(桐子)までの出来事を描いている。この中で、高倉健演じる三上刑事が故郷の雄冬(おふゆ)に帰るシーンがあるのだが、まだ道路の通じていなかった雄冬へは、増毛から出る小さな連絡船を利用していたのが印象的だった。暑寒別岳の山塊がそのまま海に迫り出したような雄冬岬の周辺は、断崖絶壁の連続でずっと陸の孤島のままだったのである。

 実際に走ってみると、断崖の縁にトンネルなども連続し、荒々しい自然に阻まれた難工事だったことが想像された。いまも途中に工事区間などが何箇所かあって、開通後も落石や崩落、冬場の雪崩などで通行止めになることも多かったようだ。
 雄冬には小さな集落が崖下に一列に並んでいたが、港の方はけっこう広く整備されていた。
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 山側の高いところに展望台が出来ているようだったが、行かなかった。国道沿いにかなり立派な滝が見えて、脇に駐車帯も整備されているところもあったが、ちょうど工事規制区間の手前で入りにくかったこともあり、これも通過してしまった。
 道路沿いには眺めの素晴らしいところもたくさんあったが、車の停められるところはほとんどなく、運転しているわけだから、写真も一枚もないのである。

 断崖を縫って行く厳しい区間をようやく抜け、風景に広がりが出てきた石狩市厚田というあたりで、国道沿いに夕日の丘パーキングというのがあったので、入って小休止した。すぐ下が、狭いながら海水浴場になっていた。
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 北海道はすっかり夏になってしまった感じだった。

 小樽の町並みに入ったのは午後2時半ぐらいだったと思う。最後に、小樽でどうしても行きたいところがあったのである。
 フェリー乗り場を通り過ぎ、小樽運河の前も通過する。晴天の日曜日なので、運河や周辺の観光スポットは想像以上の人でごった返していた。こんなに人が出るのかと、少し驚いた。

 中心市街地を抜けたあたりに小樽市総合博物館があった。名前に「鉄道」の文字が入っていないので見落としていたのだが、行ってみると想像していた以上に充実した施設で、恐らく日本でも有数の鉄道博物館なのではないかと思った(まあ、大宮の鉄博にもまだ行ったことがないので、本当は比較などはできないのだが)。
 建物がちょうど逆光になってうまく写せていないので、建物の中のきっぷ売り場と改札口から。
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 料金は夏期400円、冬期300円となっているところが北海道らしい。入館券は硬券のきっぷだった。ただ、どうせやるなら鋏を入れるところまでやってほしかった。
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 因みに、中学生以下は無料で、1000円の年間パスポートというのもあるようだった。小樽に住んでいたら絶対買うだろう。小樽市民がうらやましいと思った。

 館内に入ると、いきなり蒸気機関車「しづか」号というのが展示されている。
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 1880(明治13)年に北海道で最初に走った「義経」「弁慶」などと同型の、7100形というアメリカ・ポーター社製の蒸気機関車で、1885(明治18)年以降、道内で実際に運用され、のちに廃車になっていたものを修理復元したものらしい。
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 運転台にも自由に入れるようになっているから、親子連れなどが楽しげに出入りしていた。内部もきれいに修復されていて、よく駅前などに「保存」と称して放置されているものとは比べものにならないのである。
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 すぐ後ろには、これもきれいに修復された豪華な客車が展示されていた。
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 アメリカから輸入された客車を手本に、1892(明治25)年に初めて北海道で製造された一等客車・い1号だという。
 これも内部を見ることができ、実際にソファに腰掛けることもできるのである。
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 館内にあったのはこれだけだが、この博物館の見どころ(見せ場)は何と言っても屋外であろう。広い敷地いっぱいに、とても見切れないほどのバラエティーに富んだ展示車輌が並んでいた。
 車輌だけではない。ここは元々、北海道の鉄道発祥の地と言われる旧手宮(てみや)駅の構内だった場所で、手宮駅時代の鉄道施設の一部が残されているのである。これらは国の重要文化財に指定されているらしい。

 見事な煉瓦造りの機関車庫と転車台。
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 まず左が機関車庫一号。
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 1908(明治41)年ごろに作られたもので、右側の2口が当時から残る部分、手前の扉が閉じている3口は復元された部分のようだ。
 右にあるのが機関車庫三号。
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 1885(明治18)年に作られたもので、現存していたけれど老朽化が著しかったため、最近全面的な保存修理工事を行い、最も設備が整っていた明治30年代末の姿に甦らせたものだという。
 転車台。
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 あとで実際に動かすところを見ることができた。
 この写真で、転車台の右奥に置かれている黒い無骨な車輌はラッセル車である。
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 複線用ラッセル車キ550形というもので、雪を片側に掻き分けられるようになっている。というようなことは、実は帰ってから確認できたことで、現場ではいろんなものに目移りがしてしまって、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、とにかくせわしなく見て回るのに精一杯だったのである。
 このラッセル車は実はこんなふうに2台並んでいたのであって、
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 右側のものが雪を両側に掻き分ける単線用ラッセル車だったのだ。ゆっくり余裕を持って見ていけば、なるほどと理解できるような展示をしてあったのだが、機関車庫や転車台の方に興味が行ってしまって、しっかり確認する間もなくそちらに移ってしまったのである。

 機関車庫の中を順番に見て行くと、そこにもすごいものがいっぱい並んでいて、もう困ってしまってお手上げ状態になってしまった。
 機関車庫三号、一番右から。
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 1956(昭和31)年に作られたキハ03形というもので、ディーゼルエンジンを始めほとんどすべてバスの部品を使って作られた、いわゆるレールバスの先駆けとなった車輌のようだ。北海道で走ったものだから、寒さ対策は施されていたと書かれていたが、評判は芳しくなかったようだ。前からしか見られなかったのが残念だった。
 真ん中の口は空で、左側の口には蒸気機関車。
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 これが何と、1895(明治28)年に北海道で作られた国産2番目の蒸気機関車で、同年の日清戦争勝利を祝って「大勝(たいしょう)号」と名付けられたものらしい。現存する国産蒸気機関車としては最古のものだという。こんな大変なものがこんなあっさりと置いてあるのが驚きである。
 これは横の方に入って行けるようになっていて、
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 運転台にも入れるようになっていたが、何か気持ちが焦っていて見ないで出て来てしまった。
 一つ一つゆっくり見始めたら、とても全部は回り切れそうになかった。後から考えると、それでもいいと考えた方が良かったような気もするが、その時はそういう気分にはなれなかったのである。

 機関車庫三号と一号の間には、昔は当然二号が建っていたようだが、現在はなくなって野外に2台の大きな車輌が置かれていた。これらはいずれもジョルダン車と呼ばれる除雪車の一種らしい。
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 現場には説明がなかったので帰ってから調べてみると、除雪用の翼を左右に大きく広げて、操車場などの幅広い範囲を除雪するのに用いられたもののようだ。雪の抵抗を大きく受けるため、深い雪の時は使えないとあった。いろいろな除雪車があるのである。
 右側の1台のアップがこれ。側面に大きな羽根が付いているのが判る。
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 機関車庫一号の、扉が開いた右の2口には、マックレー車と、
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 ロータリー車が収まっていた。
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 前に名寄市の北国博物館で見た「排雪列車・キマロキ編成」の「マ」と「ロ」である。

 ところで、わたしはいま館内の売店で帰りがけに買った博物館の公式ガイドブック(800円)を見ながらこの文章を書いているのだが、
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 後から確認すると、もっと丁寧に見てくれば良かったということばかり出て来て反省しているのである(いつも行き当たりばったりで出かけて行くからこういうことになるのだが)。この機関車庫の周囲にも、当時からの貯水槽や危険品庫などがまだ残っていたことを知って、気付かなかったことが(仕方がないのだが)残念でならないのである。

 まあ、それはそれとして、この機関車庫の左手の方にさっきから気になっていた駅のホームのようなところがあって、小さな蒸気機関車が小さな客車を3輌つないで停まっているのである。
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 あたりに家族連れの小さな子どもたちが集まって来ていて、やって来た順に後ろの客車に乗り込んでいる。行ってみると小さな時刻表が出ていて、
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 このあと、この「列車」の本日最後の運転が行われるらしいのだ。館内の放送なども「皆さんお集まりください」と呼びかけていて、館内にいた子どもたち(とその親たち)はみんなこれに乗車するようだった。
 わたしは恥ずかしいから、何となく周囲に展示された他の車輌(1966年製造のDD13と73年製造のDD16)などを撮影して、
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 発車間際に「列車」のところに戻り、
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 この一番後ろのオープンタイプの客車に乗車させてもらった(もちろん年齢は関係なく誰でも乗っていいのです)。男の子を連れた父親が席を詰めてくれて、外側を向いているベンチ型の座席に座ることができた。童心だか何だか判らないが、奇妙な気分である。

 この蒸気機関車アイアンホース号は、1909(明治42)年にアメリカのポーター社で製造されたもので、長らく中米グアテマラでバナナやパイナップルの輸送に使われた後、今度はアメリカのテーマパークなどでこれも長らく走った後、1996(平成8)年からこの小樽に移って運行を開始したのだという。
 運行と言ってもたかだか200メートル足らず、時間にして数分のことなのだが、これの素晴らしいところはこの後にあったのである。

 往復運行をしてくれるのだ。この意味が判るだろうか(鉄道ファンならみんな判るよね)。線路が円を描いて一周するというのではない。直線の線路を往復するのである。こんなところは日本中どこにもないのではないか。
 乗客は一旦、客車からこちらのホームに降りる。線路に先にはちゃんと(これも本物の)転車台が付いているのだ。機関車が切り離され、ゆっくり転車台に乗っていく。
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 中央に停止すると転車台が回り出す。
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 天竜二俣駅のような(あれももちろん楽しかったけれど)ちょっとだけ動かすというのではない。ほぼ180度転回して転車台本来の役割を見せてくれるのである。
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 転車台は本線の横の側線に接続し、機関車はその側線に入って行く。
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 このあと機関車は側線の先の方に走って行き、少しして再び本線に戻ってバックで進入して来るのである。
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 客車との接続が行われ(来た時とは逆に、後尾だった客車と接続されることになる)、
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 また乗客を乗せて、最初の駅に向かって発車して行く。
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 つまり、むかし日本中の大きな駅ではどこでも行われていた機関車の方向転換と付け替え作業を、すべてそのまま行って見せてくれるのである。こんなすごいところがあったとは驚きだった。

 わたしは復路には乗車せず、沿線でアイアンホース号の勇姿を撮影した。だが、ここから先は写真がない。急に思い立って、初めて操作する(このカメラで)動画で撮ってみたのである。だが、どうやら動画はブログには載せられないらしい。
 あとで見てみたら、初めてにしてはまあそれなりに撮れていたと思う。いまはこんなコンパクトカメラでもこういうことが出来てしまうのだと、いまさらながらに驚いたのである(むかし、重いビデオカメラを担いで撮影したベータや8ミリビデオ時代は何だったのだろうか)。

 動画撮影を終えて、線路に沿ってぶらぶら戻って行った。途中にこんな石碑が建っていた。
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 ここが北海道の鉄道発祥の地となった旧手宮駅のゼロキロポスト(説明板ではゼロマイルポイントとなっていた)だったらしい。
 だが、実はこんなところでのんびりしていてはいけなかったのである。アイアンホース号にはまだ続きがあったのだった。

 最初の駅に戻ったアイアンホース号は、乗客を降ろしたあと切り離され、さっきの機関車庫の前にあった転車台に載せられていたのである。慌てて見に行くと、転車台は少しだけ角度を変え、さっきの機関車庫一号の一番左の口にアイアンホース号を入庫させているところだった。
 再び動画で撮影したから写真はない。しかし、こんな場面まできっちり見せてもらえるとは思ってもいなかった。充実感と満足感でいっぱいになった。

 家族連れはアイアンホース号乗車を最後に、ほとんど家路についたようだ。あたりはすっかり閑散としてしまった。だが、わたしはまだたくさん残っている展示車輌を、時間を気にしながら急ぎ足で見て回った。時間は全然足りなかった。
 次の2輌は、いずれも1968(昭和43)年製造のディーゼル機関車、DE10と、
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 DD51。
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 車輌形式につけられた1つ目のアルファベットDは動力方式・ディーゼルを表し、2つ目のアルファベットDやEは動軸の数を表しているらしい。Dは4軸、Eは5軸である。
 これらの機関車はうしろに様々な種類の貨車や客車を従えているのだが、とても一つ一つ見ている時間はなかった。ただ、このDD51の後方に黄色く小さく写っている車輌、これは小さいどころか非常に大きなものだったので、足を止めて見てしまった。
 手前の白く塗られた貨車が長物車と呼ばれるチキ6000形、後方の黄色い車輌がソ34形という操重車(クレーン車)だという。
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 クレーンの部分を長物車が受け止めるかたちになり、この2輌は常に一体となって使われていたらしい。
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 旅のあちこちで出会った板張りの短いホームで、この車輌の通過にもし遭遇してしまったら、ちょっと想像できないくらい怖い感じなのではあるまいか。とにかく凄い重量感だと思った。
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 最後尾には車掌車(緩急車)が接続されていた。
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 なお、帰ってから公式ガイドブックを読んでみると、DD51とチキ6000の間に連結されていた2輌の車輌は、客車のように見えたので通り過ぎてしまったのだが、実は宗谷本線・豊富駅前に保存されていたのと同じ救援車だったことが書かれていた。ここに展示された編成は、実際に列車転覆事故などの際に出動した救援列車の編成を再現したものだったことが判ったのである。
 うーん、そうだったのか。もっとしっかり見てくればよかったと、また思わずにはいられなかった。

 まだまだいろいろあったのだが、最後は泣く泣く切り上げるしかなかった。ここにいたのは2時間ぐらいだったと思う。最低でも半日は必要で、一気に見るのは疲れるから、何回かに分けて見られればそれがベストだろうと思った。
 博物館の外観(日が陰って、帰りに写したのはまあまあなので載せておく)。
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 小樽港のフェリーターミナルは、小樽市街・小樽運河などを挟んで、総合博物館とは反対の方角になる。着いたのは午後5時を回っていたと思う。
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 一旦、仮の駐車場に入れるかたちになり、少しして乗船に向けての整列駐車になった。車を整列させてから、ターミナル2階のレストランに行って夕食(あんかけ焼きそば850円)にした。ビールはまだ飲めない。
 食後の一服をして、埠頭の方を少し歩いて、
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 午後6時半から乗船になった。船は往路と同じ「らいらっく」だった。
 午後7時30分、らいらっくは小樽港を離れた。たくさんのカモメが船の周囲を舞っていた。
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 7月13日(月)、午前5時45分撮影。
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 新潟港到着は午後3時30分だった。新潟市内を走る時、車に表示される外気温は38度Cの猛暑を示していた。
 家に帰って車のメーターを確認。総走行距離は1934キロ、新潟までの距離(往復で約670キロ)を引くと、北海道で走った距離は約1260キロだった。案外少なかったなと思った。

 今回の旅日記、まとめるのにずいぶん時間がかかってしまいましたが、これでおしまいです。読んでくださった方、ありがとうございました。
by krmtdir90 | 2015-07-30 12:18 | 鉄道の旅 | Comments(2)

車で北海道⑭駅めぐり・留萌本線3、増毛散歩(2015.7.12)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 きょうの午前中は留萌本線の残り、留萌・増毛間にある駅をめぐる。
 留萌駅を出ると、留萌本線は終点の増毛駅に向かって、海沿いの小さな集落を縫うようにたどって行く。ほぼ並行して国道231号が走っているので、途中駅を訪ねるのは比較的容易である。ただ、中には広場もなく狭い道しか通じていない駅などもあって、車の駐車場所に困るというようなこともあった。総じて駅間距離は短く、1キロ足らずで次の駅というようなこともあった。

瀬越(せごし)駅

 黄金岬から瀬越駅へは、海岸線の一般道を走った。カーナビの指示に従い、左折して簡易舗装の細道を戻ると留萌本線の踏切に行き当たり、その右側に瀬越駅があった。
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 わたしは写真の右手から入って来た。左手は、踏切を渡ったところで道が左右に分かれ、坂を上るといずれも国道231号に出られるようになっている。
 駅は、国道から海に降りて行く斜面の途中に作られているのである。
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 ホームからは海がよく見えた。
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 右手の、ちょうど人家の向こうのあたりが広い駐車場になっていて、ここに海水浴場ができているのである。まだ朝早いのだが(8時半前)、日曜日ということもあってか、すでにたくさんの車が停まっていた。
 この瀬越浜の海水浴場は大正時代からあったもののようで、瀬越駅は海水浴客のために開設された季節営業の仮乗降場が始まりだったらしい。
 ホームにはコンクリート製の小さな待合所があった。
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 中のこの椅子、誰か近所の人が寄付したのだろうか。
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礼受(れうけ)駅

 瀬越駅を出て少し行くと、国道231号は留萌本線の線路を越え、海岸線の一般道と合流して、海と線路との間を走ることになる。
 礼受駅は、国道の人家の間をちょっと左に入ったところにあった。車掌車利用のダルマ駅舎である。
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 さして広くない無舗装の駅前に、駅利用者のものと思われる車が3台停まっていた。その車が写り込まない角度を探して撮影。この駅も海が見える駅である。
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 代わり映えはしないが、いままでも全部写して来たから一応、駅舎内部。
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 ついでに、この駅あたりで運賃表と時刻表を。
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阿分(あふん)駅

 前の礼受駅が市境ギリギリで留萌市の駅、この阿分駅から先は増毛町の駅になる。ここは、国道から人家の間の細い道を少し入って行く感じになる。
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 少し坂になった踏切の左側である。
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 海抜18メートルの表示がある小さな待合所。
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 中を覗いたら、砂利と人工芝の間から雑草の塊が生えていた。夜などに知らずに来たら不気味だろうと思った。
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 この駅、実は道を挟んで目の前に小学校の校舎が建っている。
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 増毛町立阿分小学校だが、増毛町のホームページなどで調べてみると、今年の3月で閉校になってしまっていた。最後まで在籍していた子どもたちは、1駅先の信砂駅に近い町立舎熊小学校で新学期を迎えたのだろうか。通学距離はみんなずいぶん遠くなってしまったのだろう。

 ホームは、車輌1輌分の長さにとても足りないと思われる板張りホームで、学校があるために海や国道は見えないのである。
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 実は、駅めぐりを開始して少ししたあたりからトイレに行きたくなって困った。駅舎は簡素なものばかりでトイレはついていないし、このあともそれは期待できそうもなかった。期待できないとなると緊張は高まってきて、人家の途絶えた道端しかないかと悲壮な気分になっていたところで、思いがけず救いのガソリンスタンドにぶつかった。
 内陸に入って行く道とのT字路があって、その角に給油機が(確か)1台しかないような小さなスタンドが建っていた。年の行った男性が一人でやっているらしく、小さな事務所には(当たり前だが)ちゃんとトイレがついていた。
 ENEOSの柳田商事・舎熊SSというお店で、ハイオクは156円だった(ここで満タンにしたガソリンが最後まで持ったので、自宅に帰ったわたしの車にはしばらくの間、増毛町のガソリンが入っていたのである)。

信砂(のぶしゃ)駅

 このあたりで線路は海岸や国道から少し離れ、内陸に入ったところをたどるので海は見えなくなってしまう。入って行く道路沿いに集落はあるが、駅のある踏切を越えると、人家も疎らになってしまうようだ。
 20年あまり前に駅の位置が動かされたようで、全体の印象が何となく新しい。ホームの表面は板張りだったが、その他の部分は鉄骨などが使われていた。
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 ホームの長さは車輌1台分が確保されたようだ。
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 待合所は工事現場などで見かけるプレハブの小さなもので、
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 中はこんな感じ。
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 移設前の駅はこの踏切の少し先の方にあったらしい。
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舎熊(しゃぐま)駅

 信砂駅と舎熊駅は駅間が0.8キロしか離れていない。駅としては、舎熊駅の方が1921(大正10)年の開業時に作られた駅で、信砂駅はずっと後、1963(昭和38)に開設された仮乗降場が始まりだったようだ。
 舎熊駅には元はちゃんとした木造駅舎があったようだが、いまはそのコンクリート基礎の上にダルマ駅舎がちょこんと置かれている。
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 駅前の広場の周囲には複数の人家が建っていて、国道からの入口の向こうには海が見えている。
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 普通は閉まっているデッキ内側についたドアが(写真では見えないが)開け放されていて、覗いてみると、
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 いました。駅寝の男性。
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 たぶんわたしが来たことは物音で判っていたと思うが、全く動く気配はなかった。ちょっと迷ったが、わたしはあくまで駅舎の内部を撮影しに来たのであって、そこにたまたまあるはずのないもの(人)が写ってしまったということなのだと考えた。ここに掲載するのもそういう理由からである(まあ、顔が判るわけでもないし、ね)。
 それにしても、こんな最後になって出会うなんて、やっぱりツイていた?ということだろうか。ホントにいるんだね、こういう旅人。

 舎熊駅の駅舎は、そういうわけで、ちょっと特別な駅舎として記憶されることになってしまった。壁には海抜6メートルという表示があった。
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朱文別(しゅもんべつ)駅

 国道を左折して入って来た道。
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 正面に国道が通っていて、その向こうに海が見えている。踏切の左側に朱文別駅がある。車は踏切を越えたこちら側に停めた。
 踏切から見た駅。板張りの短いホームである。
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 道端から見た駅。
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 待合所は、阿分駅や次の箸別駅にあるのと同じもので、木造の外面に鉄板を張ったものである。
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 内部に床はなく、砂利が敷かれている。
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 待合所の前から。
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 ホームからだと人家が邪魔をして海は(左方向)見えなかったと思うが、どうもこのあたりの記憶ははっきりしない。
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 ホームの下や待合所の脇に放置されている球は、漁で網を浮かせるために用いられた浮き玉というものらしい。
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箸別(はしべつ)駅

 国道231号からちょっと入ったところだが、あたりには人家などがけっこう並んでいる。無舗装の大きな広場があり、正面の高くなったところに線路が通っているようだ。15段ほどの階段を上った右側にホーム、左側に待合所がある。
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 広場の右手に完全に崩れ落ちた廃屋がある。
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 左手には、たぶん以前は待合所だったと思われる傾いた小屋が残っていた。内部には周囲と同じ雑木が生えてしまっているようだ。
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 階段を上って。
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 ホームの姿は線路を越えたところからでないと写せない。板張りの短いホーム。
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 ホームと待合所を一緒に写そうとすると、待合所の先のところから狙うかたちになる。
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 待合所内部。
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 建物は阿分駅・朱文別駅と同じものだが、ここは床がコンクリートで固められていた。
 ホームに上がってみる。この旅で最後の、板張りホームの感触である。
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 ホームからだとすぐ下にある、この崩れた家の残骸が放つ印象は強烈である。
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 待合所の向こうで線路が鉄橋を渡っているのに気付いた。
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 ホームからは家々の屋根越しに海が見えている。ちょっと望遠で。
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 手前を横切っている道路が国道231号。これも橋を渡っているようで、脇に箸別川という看板が出ている。そちらに行ってみることにした。
 箸別川は小さな川だが、留萌本線の鉄橋をすぐ目の前に見ることができた。
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 こちらが国道の橋。次が終着駅・増毛(ましけ)である。
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増毛駅

 箸別駅を出たあと、国道は線路を横切って高台の方から増毛の中心部に入って行く。線路を横切る手前で、そのまま海沿いを行く道が分岐していた。ナビはそちらを選んで、直接増毛駅の前に出るつもりらしい。このルートは正解と言うべきで、増毛の港をずっと右に見ながら進んで行き、海に近い増毛駅前にポンと出ることができた。
 前に鉄道で来ているから様子はよく判っている。
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 いまは車止めに切られた線路が1線残るだけだが、昔は広い構内だったと思われる手前のところが駐車スペースになっている。そこに車を停めて外に出た。
 まだ10時前で、結局1時間半ほどで駅めぐりを終えてしまったことになる。距離が短かったこともあるが、基本的にはわたしがせっかちだということの証明のような気がする。しかし、要は満足できればいいので、それでいいのである。

 増毛駅の駅舎はあまり好きではない。しかし、無視するわけにもいかないので、1枚だけ載せておく。
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 この右半分は土産物屋、左に張り出している部分は(カットしたが)トイレである。
 駅舎よりも、駅前のランドマーク、富田屋旅館と風待食堂がいい。
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 風待食堂は、元は多田商店という雑貨屋だったらしい。富田屋旅館と同じく、1933(昭和8)年建築の古い建物で、1981(昭和56)年公開の映画「駅 STATION」で(烏丸せつこが演じたすず子の働いていた食堂として)使われ、その時の外装を残したまま、現在は増毛の観光案内所になっているのである。
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 中には若い女性が一人で店番?をしていて、前にも買ったことがある「増毛町来町証明書」というカードを、また100円で買ってしまった。
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 日付スタンプを押してくれるところがいいのである(ただ、図柄が同じだったかどうか確かめたいと思った前のカードがどこに行ってしまったものか、探しても見つからないのである。まあ、そんなものかもしれないね)。
 ロケの時の写真や新聞記事などが、壁一杯に貼り出されていた。
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 もうずいぶん昔の映画だが、いつまでも映画史に残り続ける名作と言っていいのだから、いつまででも写真で壁を飾っておいていいのだと思った。

 思っていたより時間があるので、少し町の中を散歩することにした。まず、前回来た時は休館日に当たってしまい見られなかったここ、国の重要文化財に指定されている旧商家・丸一本間家に行ってみた。
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 400円払って中にはいると、入口にいた女性が「ご案内しましょうか」と言ってくれた。せっかくだからお願いして、説明を聞きながら内部を見て回った。
 本間家の初代は1875(明治8)年、ニシン景気に沸く増毛で荒物雑貨の商売を始め、本業の呉服商からニシン漁の網元、海運業、酒造業と次々に事業を拡大し、驚異的な財をなすとともに、以来この地で代々続く名家として現在に至っているらしい。増毛の酒蔵・国稀(くにまれ)酒造は、当初この本間家の醸造蔵から始まったもののようで、現在の社長は本間家の何代目か(聞いたけど覚えていない)に当たる人なのだという。そうだったのか。

 案内されるままに写真もたくさん撮ったが、中から3枚だけ。
 呉服商が本業だったので、正面の店先は呉服商のものになっている。
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 呉服蔵の床に作られた、呉服のむれを防ぐための換気口。
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 国稀の酒造りの発祥となった醸造蔵の入り口。中は空っぽだった。
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 せっかくだから、国稀酒造にも寄ってみた。
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 鉄道旅と違って、勧められても試飲出来ないのが辛いところである。きょうは前回のような観光バスの姿はなかったが、日曜日で天気もいいので、このあたりのメインの町並みには思いがけずたくさんの人が出ていた。酒造にも入れ替わり立ち替わり見学者が入って来ていた。

 海寄りに、ニシン漁の船が展示されている施設があるというので行ってみた。
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 石造りの立派な建物である。この中いっぱいに一艘の船が置かれていた。
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 説明板によれば、これは枠船(わくぶね)という種類の船で、2人ほどが乗り組んで定置網の上に留まり、網に掛かったニシンを船底一杯に吊り上げ、浜まで運んだものなのだという。

 海沿いの道。
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 お昼が近づいたので、目についた店で握り寿司を食べた(写真はあるが、握り寿司は握り寿司なのだから載せるまでもない)。美味しかったが、一緒にビールが飲めなかったのが辛いところである。

 12時過ぎに増毛の町を後にした。このあと、断崖絶壁の続く海沿いの国道231号線を走り、一路フェリー乗り場のある小樽を目指して行く。

留萌本線廃止のニュース

 この問題は、やはりここで触れておいた方がいいだろうと思う。
 実は、JR北海道が留萌本線の廃止を検討しているというニュースは、ホテルかもい岳温泉で見た北海道新聞で知った。この時の記事は第1報ではないようだったので、帰ってからインターネットで調べてみた。すると、北海道新聞が6月27日に配信したニュースに行き当たった。
 それによると、JR幹部が5月下旬に秩父別町を訪れ、これから公式の協議会を設置して、沿線自治体と廃止に向けた調整を行いたいとの意向を伝えたということらしい。また、留萌本線の中でも特に利用者の少ない留萌・増毛間16.7キロを、2018年度までに先行して廃止したいという方向性も伝えたようだ。

 北海道新幹線の開業が間近に迫ったここに来て、JR北海道は何か一気におかしな方向に舵を切ろうとしているように思える。上白滝を始めとする無人駅切り捨てもそうだが、運行本数を減らすだけ減らして利用客がいない状況をみずから作りだし、在来線の駅や線路の持っている可能性を掘り起こす努力を放棄するような姿勢は、到底容認できるものではない。

 増毛で丸一本間家を案内してくれた女性とたまたまこの話題になり、彼女も利用しにくいJRのダイヤ設定を怒っていた。
 実際、日曜日のこの日、増毛の町には車で観光に訪れた人々をずいぶんたくさん見かけたのだが、彼女はJRがそういう人々に利用しやすいような時刻表を作っていないと指摘した。町の人々は観光客を集めるためにこんなに努力しているのに、JRはそういうことを全然考えていないように見える。乗客獲得などハナから諦めていて、頃合いを見計らって廃止することしか考えていなかったように思えるのだと言う。留萌・増毛間の先行廃止についても、彼女は増毛が置き去りにされて留萌が終着駅になってしまうのが悔しいのだと言っていた(増毛はこんなにがんばっているのに)。

 一度廃止してしまえば、その線路や駅は二度と元に戻ることはない。赤字路線であることは承知の上で言いたいのだが、それでもすでにここまで減ってしまった鉄道路線をさらに減らしてしまうことは、大袈裟な言い方かもしれないが、観光立国を目指そうとするこれからの日本にとって、取り返しのつかない観光資源の損失になると思うのである。そういう大局的見地から、JR北海道を経営支援する施策が必要とされている。新幹線でつながるのを契機にして、JRは東日本と北海道を経営統合するというような大胆な視点が必要になっていると思う。
 とりあえずいまは沿線自治体に、何とかこの動きを止めるよう抵抗してもらいたいと願うばかりである。鉄道と駅を失ったら、その町の未来は非常に困難なものになってしまうと思う。

 さしもの長い連載も、次回でやっと終わりになる予定です。
by krmtdir90 | 2015-07-28 21:38 | 鉄道の旅 | Comments(4)

車で北海道⑬駅めぐり・留萌本線2(2015.7.11~12)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。なお、今回は短い回になります。

藤山(ふじやま)駅

 峠下駅を出たあたりから国道233号が留萌本線と寄り添うようになっており、幌糠駅周辺ではまとまりのある町並みを形成していたが、この藤山駅あたりでは人家は点在する程度になってしまっている。
 駅舎の造りは、正面から見るとなかなかお洒落な印象があって、新しく建てられたもののようにも見えるのだが、
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 こちらの面は古い下見板張りになっていて、
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 ホーム側に回ってみると、昔からの木造駅舎だということが判るのである。
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 さらに、こちらの面を見てみると、
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 ホームに残ったコンクリート基礎の跡から、こちら側にひとつながりの横長の木造駅舎があったものなのだが、その事務室部分を取り壊して待合室だけを残すかたちに直し、駅舎正面を化粧し直したものだったということが判るのである。
 駅舎内部は大半が待合室になり、
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 この左に、ホームに出入口の付いた狭い倉庫(たぶん)があるという構造になっているようだった。
 ホームの脇の方には、コンクリート製の通信中継機室というのが建っていた。
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 ここでは、ちょうど列車が発着するのに出会った。
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 藤山駅16:29発の深川行きだった。

大和田駅

 大和田駅は車掌車再利用のダルマ駅舎である。
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 こういう駅舎だと、どうしても周囲に何もない寂しい場所のように見えてしまうかもしれないが、
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 それは撮影する角度のせいであって、決してそんなことはない。
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 それなりに人家は点在しているし、1枚目の写真ももう少しカメラを引いてみれば、ホームの向かいにちゃんと人家が写っているのである。
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 宗谷本線で使われている車掌車と同じタイプの駅舎内部。
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 明日回るところにもダルマ駅舎はあったが、留萌本線のそれは、すべて宗谷本線と同じ片側デッキの車掌車を利用したもので、内部の作りも基本的に同じかたちになっていた。

留萌駅

 留萌駅に着いたのはちょうど午後5時頃だった。
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 前に一度来た時には、3時間以上の滞在時間があったのに、生憎の雨で町を自由に散歩することができなかった。
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 留萌は海沿いの町だから、海が近いとどうしても雲が出やすいのか、一日中続いていた青空はけっこう雲に隠されてしまったが、別に天気が悪くなるというわけではない。
 前に来て判っていたのだが、一応中の方も写して来た。
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 前回ニシンそばを食べた駅舎内の駅そばも健在だった(今回は食べなかったけれど)。
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 さて、今晩の宿はホテルノースアイという(今回の旅では一番小さい)ビジネスホテルで、チェックインは17:29だった。
 北海道で泊まる最後の晩だからと外に食べに(飲みに)出たが、残念ながらこの晩はあまりいい結果にはならなかった。店の選択を誤ったということもあるかもしれないが、それ以上に、この日が土曜日だった(しかも天気も良かった)ということが大きかったようだ。2軒回ったのだが、どちらも地元のお客で席は一杯で、しかも家族やグループで来ているお客ばかりなので、わたしのような一見の一人客は、座れても何となく居場所がないような感じだったのだ。
 まあ、仕方がない。そういうこともある。

 ホテルから徒歩圏内に飲食店は点在しているようだったが、道路の感じはどこも非常に寂しい感じで、看板は出ていてももうやっていない店も多いようだった。
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 この最後の写真、左の黒いビルがホテルである。

7月12日(日)。
 7時40分ぐらいにチェックアウトした。
 走り始めて最初に、前に来た時に傘を差しながら雨の中を歩いて行った港の方を寄り道した。
 埠頭入口の踏切から、留萌本線の短いトラス橋越しに留萌駅跨線橋を望む。
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 左の使われていないトラス橋(昔、港と結んでいた廃線のもの)が印象に残る。
 留萌港の埠頭。朝から釣り人の姿なども見える。きょうも晴れて、暑くなりそうだ。
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 次に、せっかくだから黄金(おうごん)岬の方を回ってみることにした。
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 夕日の名所らしいが、まだ午前8時を少し過ぎたくらいだ。
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 再び走り始めてから、右手の海の向こうに遠く見えている山並みが気になって、もう一度車を停めて撮影。海の彼方にうっすらとだが、雪が消え残っているのも見えていて、これ、たぶん暑寒別岳だと思う。
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 増毛や雄冬(おふゆ・映画「駅 STATION」の三上刑事の故郷である)の背後に聳える標高1492メートルの山並みである。
by krmtdir90 | 2015-07-27 17:30 | 鉄道の旅 | Comments(0)

車で北海道⑫駅めぐり・留萌本線1(2015.7.11)

 *ずいぶん長い連載になってしまって申し訳ないのですが、読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 石北本線はまだ上川駅の先があるのだが、これから旭川駅までの区間は、北海道第2の都市・旭川の通勤通学圏内になってしまい、列車の運行本数はそれほど増えるわけではないが、駅として興味深いものは見られなくなってしまうのである。よって、今回の石北本線の駅めぐりは、上川駅で終了ということにする。

 さて、今晩の宿泊地は留萌市である。きょうの午後と明日の午前中を使って、あとは留萌本線の駅をめぐろうと思っている。上川駅を出る時にカーナビにセットしたのは、留萌本線の最初の駅・北一已(きたいちやん)である。
 カーナビはとにかく便利なのだが、その反面、任せてしまうとあとでどの道を通ったのか判らないということも起こってくる。途中、旭川の市街地は周縁部の方を抜けたと思うのだが、結局たどったルートはよく判らなかった。

 留萌本線は函館本線の深川駅を起点とし、日本海側の留萌を経由して増毛駅までを結んでいる、全長66.8キロの路線である。本線と言いながら走っているのは普通列車だけで、運行本数も少なく、これもまた近年、JR北海道によって廃止が取り沙汰されている路線なのである。
 わたしは以前(2013年5月)、この線を列車で一度往復していて、その時は深川に一泊して深川駅にも行っているので、今回は起点の深川駅は省略してスタートすることにした。

北一已(きたいちやん)駅

 いろいろな鉄道関係の書籍などで見ると、ここにはなかなか風情のある木造駅舎が建っているはずだった。行ってみると、駅舎はあったが、外壁をかなり大幅に補修してしまったようで、無塗装の下見板張りの壁面は見られなくなってしまっていた。
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 入口は風除け(雪除け)の二重構造になっていて、
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 内側のドアは木枠のものだった。
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 駅舎内部の待合室。
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 反対側の、出札窓口などがあったと思われる面は、大きな板で全面を張ってしまってあった。こちらの作り付けベンチなどはかなり古い感じで、相当使い込まれたことが感じられる。

 中の様子を見ていたら、どこかで小さな警報音が鳴りだした。最初、何の音なのか判らなかったのだが、見ると外のホームにキハ54の姿が見えたので、あわてて外に出て撮影した。
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 それにしても、やって来るのに気付かなかったのは大失策である。時刻表を確認すると、北一已14:23発の深川行きだった。

 改めて駅舎の外壁を見てみたが、こちらの面も塗装された板張りにすっかり変わっていて、写真などで見ていた下見板張りはどこにも残っていなかった。
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 残念だったが、傷みが相当ひどかったようだから、仕方がなかったのかもしれないと思った。2013年の時に車窓から写した写真を見直してみると、あの時点ではまだ半分ぐらいは元の状態が残っていた。来るのが少し遅かったのである。
 なお、ここのホームは駅舎より少し高くなっていて、ホームへは階段を数段上がるようになっていた。
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 また、駅の周囲は主として広々とした田園地帯だったが、決して辺鄙なところではなく、全体としては人家もある町はずれといった印象のところだった。
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 この北一已駅は深川市の駅、次の秩父別(ちっぷべつ)駅は雨竜(うりゅう)郡秩父別町の駅ということになる。

秩父別駅

 ということで、秩父別の駅前には住宅が中心のそれなりの町並みが出来ている。
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 駅前にもたくさんの自転車が停まっている。
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 ここにも風格のある木造駅舎が建っているのだが、行くと外壁の下半分にブルーシートが張られていて、右側の方は壁板が剥がされて柱が剥き出しになっていた。工事している人に聞いてみると、同じように補修するだけですと言うので、ひとまずは安心した。
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 板が剥がされている部分を内側から見るとこんな感じ。
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 出札窓口などがあった部分はやはり壁板になってしまっていたが、窓口前の張り出しとチッキ台は残っていた。
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 ホームの方に出てみた。
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 いい駅舎なので、できるだけ雰囲気を壊さないようにして、大切に残してほしいと思った。

北秩父別駅

 秘境駅ランキングで、留萌本線では一番高位の64位に入っている駅である。通過してしまう列車が多く、停車するのは上り4本、下り2本だけである。
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 近くに人家はなく、一面広がる田園地帯の中にぽつんと建っている駅だったのだろう。だが、見て判る通り、すぐ背後を深川留萌自動車道というのが通ってしまったことによって、周囲の風景は一変してしまった。
 駅の姿を撮ろうとすると、角度を変えてもどうしても背後に写り込んでしまうのである。
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 しかし、駅としての佇まいは大変魅力的なものを持っていると思う。板張りの短いホームに、塗装されていない木造の待合所が付いている。
 待合所に掛かった木の札の文字も消えかかっている。
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 入口も風雨にさらされた木枠の引き戸である。
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 中は特に何かがあるというわけではないが、きれいに清掃されていて塵一つ落ちていない。
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 無理に秘境という言い方をしなくてもいいのではないかと思った。
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 このままここに、できるだけ長く残してほしい駅、なのだと思った。
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 北秩父別を出ると間もなく、留萌本線の線路は石狩川の支流である雨竜川を渡る。雨竜川橋梁の緑のトラス橋が道路の向こうに見えていた。
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 雨竜川を境にして、雨竜郡沼田町に入って行く。

石狩沼田駅

 沼田町の町並み。正面に小さく見えているのが石狩沼田駅である。
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 前の道路から駅前へはゆるやかに上る感じになっていて、駅舎を撮ろうとすると少し見上げるようなかたちになってしまう。
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 建物は鉄骨を組んだ無骨な作りで、鉄骨の錆がちょっと汚れた印象になってしまうのは残念だった。駅前には自転車がけっこう停まっている。
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 待合室。出札窓口はこの左側に(写っていないけれど)あったと思う。
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 ホームに出てみる。車窓からだとこの部分だけしか見えなくて、駅全体のイメージが掴めなかったのである。
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 ホームの端の方に行ってみるとこんな感じで、右側に線路を外されてしまった島式ホームの跡が残っていた。
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 こちらのホームを反対の端の方へ歩いて行ったら、かつて構内踏切がつながっていたと思われる階段跡があった。島式ホームの方にも階段が切ってある。
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 階段というのはどうも人をその気にさせる。立入禁止のロープなどもないようだし、渡っていいんだよと言われているような気がするではないか。
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 手前のコンクリートの枠は、待合室でも建っていた痕跡だろうか。
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 かつて、札沼線がこの駅まで通じていた時には、駅舎側のホームは札沼線の発着に使われ、この島式ホームの方が留萌本線に使われていたらしい。その頃は2面3線だったわけで、留萌本線の交換可能駅として利用されていたようだ。

真布(まっぷ)駅

 道道1007号沿いにぽつんと見えている。
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 広々とした田園地帯の中で、まわりに人家は(高速道路なども)見当たらない。秘境駅ランキング72位の駅である。
 板張りの短いホームに、塗装されていない木造の待合所。
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 駅の印象は北秩父別駅と非常によく似ているが、待合所のかたちは違っている。
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 中はやはりきれいに片付いていて、片流れ屋根で天井が高い分、広く感じる。
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 通過してしまう列車もあるが、停車する列車は北秩父別駅よりは多く、上り6本、下り5本である。利用者がいるのかどうかは判らないが、列車で訪ねようと思えば訪ねることはできる駅だと思う。
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 ここも、秘境と言うには若干イメージが違う気もするが、文句なしにいい駅だと思った。
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恵比島(えびしま)駅

 明日萌(あしもい)駅ではない。恵比島駅である。
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 この木造駅舎は、1999(平成11)年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」で使用されたセットで、右側の板でカムフラージュされたダルマ駅舎が本物の恵比島駅である。

 もうずいぶん昔の放送だが、いまでも訪ねてくる人がけっこうあるようで、わたしがいる間にも、年寄り夫婦を連れた中年夫婦や若いカップルといった人たちが車を乗り付けていた。そういう人たちにとっては、左の駅舎こそが本物の駅であり、ここはドラマの中の明日萌駅なのであって、右の恵比島駅に興味を持つ人は全くいないようだった。
 広場の左手には、駅長宅として使われたという木造家屋のセットも保存されていて、広場の正面には、道路を隔ててこれも木造の中村旅館という看板が掛かった建物があって、いまはこの駅を訪ねて来る人を当て込んだ茶店(喫茶店?)になっているようだった。

 わたしはテレビドラマを見る習慣が全くないから、この「すずらん」というドラマがどんな物語なのかも知らないし(まあ、インターネットで調べてだいたいは判りましたが)、この駅舎の有難味は全く理解できないのである。
 しかし、前にキハ54に乗ってここを通った時、駅舎の窓から主人公と覚しき少女が外を見ているというのは気付いていたから、一応中に入ってその人形を確認することにした。
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 前回見た時には(2013年5月)黒っぽい洋服に赤いマフラー姿だったが、きょうは夏らしい着物姿になっていた。ちゃんと着替えさせてもらっているのだ。
 駅長室の机には、駅長さんらしい人形も座っていた。
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 こういうリアルに作られた人形というのは、近くで見るとけっこう不気味なものである。

 こちらから見ると恵比島駅の姿は見えなくなってしまうが、
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 わたしとしては恵比島駅を見に来たのだから(実は、明日萌駅の方の写真もけっこう撮ってしまったのだが、そちらは意図的にカットして)、こちらをちゃんと載せておかなければならない。
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 当然ながら、運賃表や時刻表はこちらに掲示されているが、鉄道に乗ってここを訪れる人は果たしてどのくらいいるのか気になった。
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峠下(とうげした)駅

 恵比島駅を出ると、留萌本線は恵比島峠という峠を越える。鉄道はトンネルでの峠越えだが、道道549号はそんなことはしない。峠と言っても低いものだから、一応山道だが全くたいしたものではない。峠の先は留萌市である。
 峠下駅は文字通り峠を下った先にあり、道道に面した無舗装の広場に建っていた。
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 峠を下りたとはいえ、まだ山あいの駅という感じで、あたりに人家などは見られない。秘境駅ランキング99位の木造駅舎である。
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 入口の前には庇が張り出していたか、あるいは風除け室がついていたのだろうか。
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 内部はけっこう広く待合室が取られていて、こちらが出札窓口や手小荷物取扱窓口のあった面であろう。張り出し部分はそのまま残っている。
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 ホームに出てみる。
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 かなり広い敷地を持った駅である。2面2線になった向かいのホームは千鳥配置で、ずいぶん向こうの方にある感じである。
 歩いて行くと、駅舎の向こう側に木造の小屋が建っていた。戸口の上に荷物保管庫という木札が打ち付けてあった。
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 構内踏切。
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 向かいのホームにも行ってみたが、やはり構内が広いから、そちらからだと駅舎は遠くなりすぎてしまい、写真を撮るなら踏切のあたりからがちょうどいい感じだった。
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 使われている2線の外側に大きく外れた側線が残っていて、その間の部分の雑草が刈り取られていた。
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 そこに入って行って、駅舎を正面から撮影した。こちらの面を見ると、木造駅舎として非常にしっかりした姿で残っていると思った。
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 再び駅前に戻って、上の写真の右手から駅舎を見るとこういう感じ。
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 この横(左)に荷物保管庫があって、左下の地面の影は保管庫のものである。灯油の備蓄タンクやBS用のTVアンテナがあるが、ここは主に冬季の保線要員の詰め所として利用されているようだ。
 
幌糠(ほろぬか)駅

 幌糠駅は宗谷本線と同じタイプの車掌車を再利用したダルマ駅舎である。
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 正面からの写真を見ると、こんな駅舎だし、まわりに何もないところのように感じられるかもしれないが、駅前に接した道路の両側には、新しい人家や倉庫などがしっかりした町並みを作っているのである。道路に出て、左右を写した写真がこれ。
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 何かいままでになく普通の町並みで、このところずっと何もない原野とか田園地帯、崩れかけた廃屋や寂れた駅前などばかり見てきたような気がするので、普通の何でもない町並みというのが妙に新鮮に感じられた。
 このあたりは、留萌市内陸部の一つの中心になっている町並みなのだという。
 ホームの方から駅舎を撮影すると、駅前の側にそうした家や建物の姿が自然に写り込んでくるのである。
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 駅舎内部。
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 町並みの印象からすると、小さくてもいいから、車掌車ではないちゃんとした駅舎に建て替えてあげたい気がした。

 本当はこの回で留萌駅までたどり着きたかったのですが、また写真の枚数が増えてきてしまい、中途半端なところですが、このあとは回を改めてということになってしまいました。
by krmtdir90 | 2015-07-26 21:17 | 鉄道の旅 | Comments(0)

車で北海道⑪駅めぐり・石北本線2(2015.7.11)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 旭川紋別自動車道・丸瀬布ICの入口を過ぎると、国道333号線に車の姿はほとんど見られなくなってしまう。無料で供用されている高速道路がほぼ並行に走っているのだから、普通に考えれば国道を利用しなければならない理由はないのである。

 このあと、国道と石北本線の線路は、標高830メートルの北見峠に向かって徐々に高度を上げて行くのだが、その途中に、名前に「白滝(しらたき)」と付く駅が続けて4つ並んでいるのである。このあたりは2005(平成17)年に遠軽町と合併するまでは白滝村だったところで、中心をなす白滝駅以外は、停車する列車の数が極端に少ない秘境駅として知られている。
 ただ、列車で訪ねるのは難しくても、車なら国道からちょっと入ればいいだけなので、行くのは比較的簡単な駅なのである。

下白滝(しもしらたき)駅

 秘境駅ランキング22位の駅だが、無舗装の砂利道を入って行くと、駅前に何と車が4台も停まっていた(右手にも2台並んでいる)。
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 駅舎の入口には、わたしと同じような鉄道ファンと思われる青年が一人ウロウロしていた。ただ、彼はカメラを手にして降りて行ったわたしの姿を見て、わたしのフレームに入らないようにさりげなく(無言で)気を遣ってくれて、しかも馴れ馴れしい態度は一切見せることなく、少ししてから去って行ってくれた(あとに好印象が残った)。

 しかし、残った車はどうしようもない。
 特に、この駅舎の直前に停まった黒いセレナは許し難い。この時は意識できなかったのだが、横の窓のカーテンが開いていることに気付くべきだった。この駅は保線要員の詰め所のように使われているらしく、残りの車はそういう人たちの通勤車ということだったようなのだ(結局、このセレナは最後まで動くことはなく、駅舎正面の写真はこれが写ってしまったもので我慢するしかなかった)。

 さて、駅舎の前から、入って来た道の方を見る。
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 左の家は廃屋、右の家が唯一の人家で、牧畜業らしい建物が周囲に並んでいた。
 駅舎内の待合所。ホームとの間に鉄パイプの改札口。
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 壁の時刻表。
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 下りが1本、上りが3本しか停まらない。この時間設定だと、想定されている乗客は遠軽高校に通う高校生で、帰りだけ早帰り・普通・遅帰りの中から選べるようになっている、ということだろうか。

 ホームに出て、そちらから駅舎を写していると、
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 この時間(9:27)に来るはずはないと思っていた普通列車がやって来た。
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 しかし、この列車、写真だと停車しているように見えてしまうが、
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 停車しないで走り去った。
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 あとで調べてみると、この列車は白滝駅9:16発・遠軽行きの区間列車で、旧白滝・下白滝の2駅は通過してしまうのだった。なるほど。
 駅舎正面の車はツイていなかったが、こんなのに出会えるとは、悪いことばかりではなかったのである。

 この駅は2面2線の交換可能駅になっていて、千鳥配置の2つのホームは構内踏切でつながっている。向かいのホームにも行ってみた。
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 構内踏切と言っても至って簡単なもので、
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 これだと線路脇などに入って行くことにあまり抵抗感を感じないで済むような気がした。
 構内には側線の一部なども残っていた。
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 こちらからだと、駅舎の姿がなかなかいいなと思い(中央の引き戸が開いているのに注意)、
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 正面に行ってシャッターを切ると、ちょうど中から保線要員の方が姿を見せたところだった。
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 線路際にいるわたしをチラと見ただけで、何も言わず下り方向に歩いて行ってしまった。
 ちゃんと戸を閉めて行ってくれたので、きちんとした姿で取り直し、もう一枚。
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 駅を立ち去りながら、ふと思い立って車を停め、やや離れたところから駅舎を撮影した。
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 これだと邪魔なセレナも気にならず、これがベストショットかなと自己満足した。
 ただ、これを撮っている間、すぐ横の人家で飼われているらしい黒い犬が、どうも放し飼いにされているらしく、わたしのまわりをのそのそ歩き回るのが不気味だった。

旧白滝(きゅうしらたき)駅

 秘境駅ランキング23位だが、この駅は国道333号からもよく見える位置にある。
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 国道脇に車を停めて入って行く。
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 1面1線のシンプルな駅である。左手奥に建物が幾つか見えている。
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 倉庫(納屋?)に囲まれて、人家があると考えていいのだろうか。
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 ここは、駅舎と呼ぶには小さい木造の待合所が建っている。
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 その内部。
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 壁の時刻表。
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 下白滝駅とわずかに時刻がずれているだけで、停車する列車は同じく下り1本、上り3本のみ。

 いろいろな位置から。
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 旧白滝というのは地名である。駅名にもなったその「旧」という意味は、かつて白滝一帯に入植した人々の中で、このあたりだけあまりに土地が悪かったため、人々がいまの白滝のあたりに移転してしまい、他の白滝に対して「旧」白滝になってしまったというのだが、そんなふうに単純化できないようなものも、何となく混じっているような気もした。

白滝駅

 この駅舎は1989(平成元)年に改築されたものだという。
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 合併前の白滝村の中心だったところで、それなりの家並みはあるが、そこにどれだけの人の生活が残っているのか、閑散とした印象は拭えない気がした。
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 駅は無人駅だが、駅舎にはいると、ホームに通り抜ける部分の右側に、ガラスで仕切られた割と広い待合室が作られていた。
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 時刻表を見ると、普通列車はもちろん、特急オホーツクも半分は(上下4本ずつ設定されている中の2本ずつ)停車することになっていたが、それでも決して多い本数とは言えない。
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 構内は2面3線になっていて、向かいのホームとは構内踏切でつながっている。
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 向かいのホームには風雨をしのぐ待合所もあり、駅としては非常に整備されているという印象はあったが、
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 果たして利用者がどのくらいいるものなのか、逆に心配になってしまう感じがした。

上白滝(かみしらたき)駅

 上白滝駅は駅前にちょっとした広場があって、けっこう開放感がある。
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 ここは秘境駅ランキング26位に入っている駅だが、決して人里離れた駅というわけではない。駅前には複数の人家が見えているし、車も停まっていてちゃんと人の生活が営まれている。
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 秘境の理由はこの時刻表にある。
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 ここに停車する列車は一日に上下1本ずつしかない(この時刻表を撮影したくて石北本線に来たようなものなのだ)。こんな駅が存在するのである。

 さて、駅を見ていくことにする。この駅舎は1932(昭和7)年の開業以来のもので、もちろん改修はされているが、木造駅舎としては昔の雰囲気をよく残しているのではないだろうか。
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 中は壁の貼り替えなど、だいぶ変わってしまっているようだが、
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 こちらの張り出した台の部分は手小荷物を置いたチッキ台の名残ではなかろうか。
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 ホームとの境には鉄パイプの改札口がある。
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 ホームの方から見た改札口。柱や壁はむかしのままと思われた。
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 実は、駅舎の中を見ている時に、思いがけず列車の近づいて来る音に気付いた。急いでホームに出てみると、特急オホーツクが通過して行くところだった。
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 赤い尾灯が点いているから、これは走り去る後ろ姿である。でも、何とか撮れてよかった。もし逃していたら、後々まで尾を引いてしまったと思う。

 正面からの姿もいいが、ホーム側からの姿もなかなかである。
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 ホームを歩いているうちに、ちょっと誘惑に勝てなくなってしまった。
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 ホームの向こうの斜面になったところから線路に降りた。
 線路脇から1枚。
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 線路上から1枚。
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 最後に、上白滝駅の運賃表。
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 この次の駅は上川駅なのだが、運賃は740円である。隣駅まで740円!
 このあと、石北本線は難所とされた北見峠を越えて行くのだが、駅間距離は34.0キロもあるのである。これは東京なら山手線をほぼ一周する距離である。
 以前、上白滝駅に停車する唯一の上り列車で旭川に向かったことがあるのだが、始発の遠軽を16:12に出た列車は(単行ではなく、2輌編成のキハ40だった)、上白滝を17:08に発車し、次の上川駅に到着したのは18:16だった。何と1時間8分を要したのである(途中の信号所で交換待ち停車などがあった)。因みに、この列車は上川駅でも37分間停車して、旭川に着いたのは20:05になっていた。

奥白滝信号場

 上白滝駅と上川駅の間には、以前は4つの駅があったらしい。上白滝側から順に、奥白滝、上越(かみこし)、中越(なかこし)、天幕(てんまく)の各駅である。この内、天幕駅以外の3つの駅は、どれも列車交換が可能な駅だったため、駅としては廃止された後も、信号場として活用されることになったのである。
 信号場となったあとも、駅舎やホームの跡などはいまでも残っているらしいので、できれば見に行きたいものだと思った。これは始めから計画していたことではなかったが、こちらに来て走っているうちに、元は駅だったわけだから、国道を注意して走って行けば、駅への入口は見つけられるのではないかと考えた。駅名は地名から採られたものなので、駅はなくなっても地名は地図上に残っていて、だいたいの場所の見当もつけられるのである。

 というわけで、それらしい砂利道を見つけて入って行った。
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 駅名標などはどこにもなかったが、間違いなかった。
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 右側に付いていたと思われる入口などは完全に塞がれているが、これは確かに奥白滝駅だった駅舎である。あとで調べてみると、廃止されたのは2001(平成13)年7月のことだったという。

 向こう側に線路があるわけだが、駅舎の両側は雑草が高く生い茂っていて侵入を阻んでいた。だが、ここまで来てそれに負けているわけにはいかない。何となくこちらから入って行くことにした。
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 草むらに何がいるか判ったものではなかったが、不思議と怖い感じはしなかった。ホーム側は窓の出っ張りなどがそのままになっていて、まだ駅だった頃の面影を留めているように思えた。
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 比較的新しく作られた感じの倉庫のようなものもあった。信号施設などを入れるために新設されたものかもしれない。
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 ホームの線路側のところに石やコンクリートの土止めはなく、そのまま急傾斜でずるずる下っている感じだった。
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 一カ所、ちょっと雑草が倒れたようになっていて、人が降りていった形跡のように見えないでもない箇所があった。
 こういうところで線路に降りるのはやはり危険だと感じて、一度は戻ろうとした。しかし、結局は誘惑に勝てなかった。もう一度雑草を分けて入って行き、思い切って線路上に飛び降りてしまった。あー、やっちゃったと思った。ただ、危険なことをやっているという罪の意識はあったようで、あちこち動き回ったりはせず、急いで写真を数枚撮っただけで引き返した。
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 国道に戻ってから少し反省した。あんなところで飛び降りて、もし足でも挫いてしまったらどうするつもりだったのだろう。もう若くはないのだから、自分の行動には責任を持たなければいけない。自制するところは自制しなくてはいけないのだと思った。

 奥白滝信号場までが遠軽町(旧白滝村)の範囲で、このあと国道は北見峠を越えて上川町に入った。石北本線や旭川紋別自動車道はトンネルで峠越えをするのだが、国道はそうではなかった。けっこうカーブなども連続したが、他の車に出会わないのだから、マイペースでのんびり走ることが出来た。
 次の写真は峠のどちら側で撮ったものなのか不明なのだが、一番上が旭川紋別自動車道、その下が石北本線の鉄橋、そして一番下わたしの走っている国道333号線となっていて、峠越えの交通手段3つの揃い踏みという写真である。
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 今回調べていて判ったのだが、明治の中頃、初めて北見峠越えの道路を開削したのは、当時の空知集治監・釧路集治監の別館として開設された網走監獄(のちの網走刑務所)の囚人たちだったということである。過酷な労働で200人以上の犠牲者を出したことから、一時期「囚人道路」と呼ばれたこともあったらしい。
 いま、高速道路が作られてしまったために、この国道を利用する人はほとんどいなくなってしまったのである。

行けなかった上越(かみこし)信号場

 以前、上越信号場で交換待ち停車を経験したことがある。その時見た信号場は、古い木造駅舎は残っていたものの、両側をトンネル(シェルター)に挟まれた山の中にあって、道路はかなり上の方を走っているような感じだった。ので、ここに行くのは今回は無理だろうなと思っていた。実際、それらしい入口を見つけることは出来なかった。

中越(なかこし)信号場

 わたしのように気をつけていなければ通り過ぎてしまうかもしれないが、旧中越駅の駅舎は国道から直接見えるところにあった。
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 手前に「第二次中越官設駅逓所跡」という石碑が建っている。駅逓所(えきていじょ)というのは、まだ鉄道が敷設される以前の明治の開拓時代に、北海道の各所で開設された一種の宿場のようなものだったらしい。中越駅は1929(昭和4)年に、その駅逓所のあったところに設置された駅だったようだ。駅としての業務を停止したのは2001(平成13)年7月で、その後は信号場として運用される一方、保線要員の詰め所としても利用されているらしい。
 右手の草むらの中に、石碑とも言えないようなこんな記念碑が建っていた。
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 この右手のところからホームの方に入って行った。
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 ここはほとんど雑草もなく(定期的な管理が入っているのだろう)、こちら側の入口はサッシの引き戸がそのまま使われている感じだった。確かにいまも利用されていることが窺えると思った。ここには、線路に降りて行ける階段が付いていた。
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 こういう状態になっていると、線路に入るのにも特に抵抗感はなく、列車が来ることだけを気をつけていればいいので、けっこうゆっくり余裕を持って見て回ることができた。
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 結局また線路に入っているのだから、全然反省していないじゃないかと思うかもしれない。しかし、この階段の存在は大きいと思う。階段がそのまま残っているということは、なんか降りていいよと言われているような気がするではないですか。ねっ。
 そういうわけで、ホームがどういう状態で設置されていたのかは不明だったが、構内には2線ではなく3線が通っていた。駅舎側(右側)の2線が使われていて、左側の1線は表面に錆が出ているので使われていない感じがした。
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上川駅

 正午前に上川駅に着いた。ここは前に、30分以上あった停車時間を利用して駅前に出たことがある。えらく平べったい駅だったという印象がある。
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 ここはスキージャンプの高梨沙羅選手のふるさとである。
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 駅舎の中も一応見てきた。有人駅だが、窓口が開くのは昼間(8:00~16:35)だけらしい。
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 駅前の食堂でラーメンを食べた(その写真はあるが省略。こんなものを載せるから枚数が増えてしまうのだ)。

 上川を出て間もなく、道路が石北本線の線路を越えていくところがあって、駅がよく見えたので車を停めて写真を撮りに行った。駅前からも見えていたのだが、大雪山の山々がよく見えた。
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 車に戻ろうとすると、ちょうど特急オホーツクがやって来たので、もう一度それを写しに行った。
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 網走始発・札幌行きの上りオホーツク4号で、上川駅の発車は12:31だった。このちょっと古めかしいキハ183系の特急車輌は好きだ。

ショックなニュース(つけ足し)

 実は、昨日のうちにアップするつもりでこの回をまとめていたのだが、途中インターネットでいろいろと各駅のことを調べていたら、北海道新聞が22日(水)に配信したニュースに気づいて愕然としたのである。

 JR北海道の旭川支社長らが21日、遠軽町役場を訪ね、来年3月のダイヤ改正に合わせて、オホーツク管内遠軽町にある石北線の無人駅、上白滝駅・旧白滝駅・下白滝駅の3駅を廃止する意向を伝えたというのだ。JRは経営合理化の一環として、利用の少ない数十の無人駅を廃止する方針を示しており、すでに同じ石北線の金華(かねはな)駅(北見市)の廃止方針も明らかになっているのだという。
 JRは同時に、遠軽町に石北線は今後も維持すると伝えたらしいが、ついに来る時が来てしまったという気がした。それにしても、なんというタイミングだろう。

 この問題はまた改めて考えたいと思うが、国鉄を民営化する時、最初から明らかだった地域間格差を無視して分社化を行ってしまった矛盾が、ここへ来て後戻りできない袋小路に、JR北海道を追い込んでしまったという面があると思う。
 もちろん、わたしが見て回った3駅の状況を考えれば、早晩廃止されるのも仕方がないことだったのかもしれない。だが、それにしてもという思いはどうしても残るのである。ここまで運行本数を減らしてしまえば、仮に利用したいという人がいても利用できるわけがないではないか。少なくともわたしは、鉄道で行けるものなら鉄道でこれらの駅に行きたかったのである。それだけは、はっきり言っておきたいと思う。
 書き始めるときりがなくなりそうだから、とにかくきょうのところはここで止めておく。
by krmtdir90 | 2015-07-25 12:26 | 鉄道の旅 | Comments(2)

車で北海道⑩遠軽町、駅めぐり・石北本線1(2015.7.10~11)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 どうも計画性がなくやっているので、前回・前々回と写真の枚数が増えてしまい、読んでくださる方はページの読み込みに時間がかかって仕方がなかったかもしれない。もっと写真を厳選すればいいのだろうが、そうすると選ばれなかった写真たちは結局パソコンの中で忘れられてしまうことになるので、取りあえず時間はあるのだから(ただ少々疲れてきているのは確か)、なるべく丁寧に拾い上げてやりたいと思うのである。
 展開上あまり小間切れにはしたくないので、どうしても1回分が長くなってしまうのだが、それでも切れ目が変なところになってしまうのはあまり好ましいことではないだろう。

 そういうわけで、今回の最初は宗谷本線・和寒(わっさむ)駅である。東六線駅を訪ねたあと、それで終わりにするつもりだったのだが、和寒ICに向かう途中で国道から見えてしまう駅なので、つい立ち寄らずにはいられなかったのである。
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 このすぐ前を左右に通っているのが国道40号(この近さだと寄りたくなるよね)。
 寄った以上、駅舎の中に入り(無人駅である)、
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 ホームの方にも出てみたが、
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 跨線橋でつながれた向かいの島式ホーム(千鳥配置)の方には行かなかった。
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 滞在時間は5分ぐらい。それでも素通りするよりはずっといいと思う。
 とにかく、これで宗谷本線の駅めぐりは完全に終わりとなった。

 ここからあとは写真もないしメモもない。
 和寒ICから道央自動車道に乗った。たぶん午後5時を過ぎていたと思う。比布JCTで旭川紋別自動車道(無料区間である)に入り、現在開通している終点の丸瀬布(まるせっぷ)ICまで走った。途中、白滝(しらたき)PAで一回休憩を入れた(えらく侘びしい感じのPAだった)。カーナビに入っている地図が古くて、途中未開通区間になったりしてカーナビは困っているようだったが、わたしは別に困らなかった。
 丸瀬布ICを降りてからは国道333号を走り、そのあと国道242号に入って、南から遠軽の町に入って行くかたちになった。想像以上に広がりのある町並みだと思った。

 この日の宿はホテルサンシャインと言い、遠軽駅に近い大通り沿いに立地していた。レシートで確認すると、チェックインは18:44になっていた。
 ホテルにレストランもあるようだったが、今夜はやはり外に出ようと思い、部屋に置いてあったこの小冊子で入念に検討(徒歩圏内にけっこうお店があった)した結果、
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 選んだのは「やすべえ」という居酒屋さんだった。
 ここはいいお店だった。
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 ちょっと無断で店内を写させていただいたのだが、カウンターの背中には4人掛けのテーブルが個室風に仕切られた席が幾つかあって、そちらには男同士の2人連れと、あとから女同士の2人連れも入って来ていたと思う。程よい混み方で(静かな人たちだったし)寛ぐことができた。

 ご主人はカウンターの中、女将さんは接客という分担になっているらしく、奨められて最初に頼んだシマエビが山盛りになって出て来て、これが大変美味しかった。昔、家族で行った野付(のつけ)半島の付け根あたりの店で黙々と北海シマエビを食べたのを思い出した。これががシマエビ初体験だった。今夜のはサロマ湖で採れたものだと言っていた。
 こんなふうに何を食べたか一々書いても仕方がないのでやめておくが、どのつまみも大変美味しくて満足した。徳利に入れて出される冷やの地酒も(男山だったと思う)美味しかった(よく枡に入れたコップに溢れさせるスタイルがあるが、これはあまり好きではない)。
 時々、小学校高学年ぐらいの男の子が奥から顔を出していたが、お二人のお孫さんということなのだろうと思った。母親が脇の厨房(洗い場?)を手伝っているようだった。

 というわけで、
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 このお店のおかげで、遠軽の夜はなかなかの好印象が残ったのである(この写真の撮影時刻は21:08、翌日に影響の残らないちょうどいい時間だなと思った)。

 7月11日(土)。
 8時前にホテルをチェックアウトし、荷物を積み込んだあと車をホテルの駐車場に残し、ちょっと遠軽駅まで往復の散歩をした。

 実は、遠軽の町にはちょっとした「借り」があった。
 このブログを始めて間もない2013年5月、鉄道旅の途中で遠軽駅に下車したことがある。1時間あまりの乗り継ぎ時間があったのだが、何となく外に出て、写真を撮ったり前の通りをぶらぶらしたりしているうちに、雨がポツポツ降ってきて、急ぎ足で駅に戻ったのである。その時の旅の様子は、このブログに載せた初めての鉄道旅日記になった。
 遠軽には、むかし顧問をした演劇部の卒業生でPORIとKAIという2人が結婚して住んでいるのだが、そのPORIがその記事にコメントを寄せてくれた。それに対してわたしは、遠軽駅には駅そばも駅前食堂もなく、あっても営業が成り立たないだろうなどと、あまり考えもなしにずいぶん失礼な返事を書いてしまったのである。
 すぐに折り返しのコメントが来て、駅そばはあるはずだし、駅前の通りにもお蕎麦屋さんがあるはずだと抗議された。慌てて撮って来た写真を拡大して確認してみると、彼女の言う通り、どちらもちゃんと写真に写っていたのである。わたしがぼんやりして、見落としていただけだったのだ。彼女には早速謝罪の返事を書いたが、その時以来、次に遠軽に行くことがあったら、それらの店をちゃんと確認しに行って、できればそこでお蕎麦を食べなければならないと思って、そのことがずっと心に引っ掛かっていたのである。

 昨夜は、よほどその駅前のお蕎麦屋さんに行こうかとも思ったが、蕎麦屋ではあまりゆっくり飲むことはできないからと「やすべえ」の方に行ってしまったのだが(それはそれで大正解と言ってよかったのだが)、遠軽の町を出発する前に、この懸案の「借り」を返しておかなければならないと考えたのである。

 朝の遠軽駅。
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 駅舎の右手にある、独立した小さな建物が駅そばである。朝早いから、まだ開いてはいないようだった。
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 駅前通りにあるそば処「藤月(とうげつ)庵」。
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 ここも朝ではまだ開いていない。蕎麦を食べるには、遠軽に泊まるのではなく、昼間に来なければ難しいと思った。いずれにしても、この前来た時に気づかなくてごめんなさい。
 なお、「藤月庵」はすぐ右手にあるやきとりの「弘吉(ひろよし)」とともに、昨夜調べた「えんがる・おすすめ飲食情報」の冊子にも載っていた。

 ホテルの駐車場を出発したのは午前8時15分くらいだったと思う。
 きょうも快晴である。きょうはまず、石北(せきほく)本線の秘境駅などを訪ねながら旭川方面に向かうつもりである。
 石北本線は旭川(路線としての起点は新旭川駅)と網走を結んでいる、全長234.0キロの幹線である。遠軽駅でスイッチバックするかたちになっていて、ここから網走方面にも行ってみたい駅はいろいろあるのだが、全部行くことはできない以上カットするしかない。旭川方面には、何としても行ってみたい駅が並んでいるのである。
 この区間というのは、昨日走った旭川紋別自動車道が出来てからは、線路(駅)と道路が完全に切り離されてしまうことになったが、元々は国道333号(途中から273号)がずっと線路に寄り添いながら通じていたのである。きょうはそちらをたどりながら駅めぐりして行こうと思っている。

 凄い駅は丸瀬布ICよりも先になるから、それまでは何と言うか、寄り道というような感じになってしまうのだが、それでも通り道なのだから、ちゃんと立ち寄ってやろうと思っている。

瀬戸瀬(せとせ)駅

 国道333号を左折して入って行く。右に見える建物は廃屋である。
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 入って来た道を逆に見る。正面が国道で、そちらには人の住んでいる家も存在している。
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 駅舎は1988(昭和63)年に改築されたもののようだ。
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 待合室は特徴のない殺風景なものだった。
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 壁の運賃表と時刻表。
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 時刻表を見ると、上下4本ずつしか停車する列車がないことが判る。だが、この少ない中の1本、8:36の白滝行きにこのあと遭遇することになる。
 ホーム側から見た駅舎。
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 やって来た北海道カラーのキハ40、単行。やはり、この車輌は好きだ。
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 誰も降りず、誰も乗らない。
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 この駅は2面2線、2つのホームは跨線橋でつながっている。
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 発車して行った。
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 何となく気持ちが先の駅に向かっていて、ここでは跨線橋や向かいのホームには行かなかった。

丸瀬布(まるせっぷ)駅

 平成の大合併で2005年に遠軽町と合併したが、それまでは丸瀬布町という独立した町だったので、小さいながらちゃんとした町並みがある。これが駅前の通り。
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 駅舎。
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 大変立派な建物だが、これは2000(平成12)年に建てられた丸瀬布生涯学習館というもので、駅は右側の入口を入ったほんの一部の狭いスペースを待合室として使っているだけである。
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 構内は広く、島式ホームの1面2線の他にも、両側にまだ側線が残っていた。
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 林業が盛んだった頃は、相当活況を呈していた駅だったのだろう。
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 構内の方から見た駅舎(駅はこの左側のところをほんの少し使っているだけだから、駅舎と呼ぶのが何となく憚られる感じもあるのだけれど)。
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 きょうは写真の枚数も少ないところで、ここで一旦区切ることにする(ちょっと中休みですね)。明日からまた、怒濤の駅めぐり・後半戦がスタートします。乞う、ご期待!
by krmtdir90 | 2015-07-23 21:35 | 鉄道の旅 | Comments(2)

車で北海道⑨駅めぐり・宗谷本線5(2015.7.10)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 兜沼駅から道道を少し戻り、左折して道道763号というのに入って日本海側に抜けた。しばらく海沿いの道(道道106号)を走って、天塩川の河口まで行こうと思ったのである。
 晴れていれば、右手の海上に(利尻水道越しに)利尻富士の姿が見えるはずだったが、残念ながら空はすっかり雲に覆われてしまっていた。

 右は海、左は荒涼としたサロベツ原野が広がる直線道路である。ほとんどすべての車が高速道路並みのスピードで走っている。途中にこんなトンネルがあった。
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 入口の上部に「浜里パーキングシェルター」と書かれている。内部には、道路脇に待避エリアが切ってあって、冬季の暴風雪(地吹雪)などに見舞われた際、緊急的な待避場所として使われているもののようだった。実際に体験したいとは思わないが、恐ろしいものなのだろうなと思った。
 少し行くと、今度は風力発電の風車が整然と並んでいるのが見えてきた。
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 このあたり、降りてみるとやはり風はずいぶん強く、確かに風力発電には最適な土地なのだろうと思った。
 風車の列の途中で、右手にパーキングスペースがあったので入ってみた。
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 ここはトイレも設置されている一般道のPAで、サロベツ原野駐車公園という看板が立っていた。右手にはもちろん海が見えているが、曇り空の下ではあまり爽快感はなかった。
 道路の向かい側に、風車の方を指してこんな看板が出ていた。
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 見回しても、建物らしきものは看板の左奥に小さく写っている箱のようなものしか見えないから、たぶんこれなのだろうと思う。箱の前に白い車が一台写っているが、この大きさ(小ささ)を基準にしてみれば、このあたりのスケールの大きさが感じ取れると思う。

 幌延町のホームページでオトンルイ風力発電所を調べてみた。風車は全部で28基あり、1基あたりの出力は750キロワット、総出力21000キロワットを発電すると書いてあった。幌延風力発電株式会社と幌延町の関係とか、供給先の北海道電力との関係などについてはよく判らなかった。このあたりは利尻礼文サロベツ国立公園の中だと思うが、この風車がもっとたくさん並ぶことには特に抵抗感はないような気がした。
 ホームページを見ていたら、この幌延町にはもう一つ重要な施設が立地していることに思い至った。日本原子力研究開発機構の幌延深地層研究センター。原発から出る高レベル放射性廃棄物の地層処分について研究している(と称している)施設である。どのあたりにあるのかよく判らないが、当初これは中間貯蔵施設として計画されていたものであり、今後実際に廃棄物が搬入されることはないと町は強調しているようだが、先のことは誰にも判らないのである。

 実はさっき、旅の途中あちこちで貰って来たパンフレットなどをひっくり返していたら、こんなものが混ざっていたのに気がついた。
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 判っていたら寄り道していたかもしれない。名前からしていかにも胡散臭い気配が漂っているし、どんな施設かは想像できてしまう気がするが、その誤魔化しの実態を見て来るのも意味があったかもしれないと思った。まあ、もう遅いけど。

 さて、道道106号はさらに南下して天塩川と出会う。天塩川はその河口の手前で大きく南に向きを変え、海との間に南北10キロほど続く巨大な砂嘴を発達させた。道道106号はしばらくその砂嘴の中を走り、手塩河口大橋という橋で天塩川を越え、さらに南下して天塩町の町並みに入って行く。
 天塩町は通過するだけのつもりだったのだが、町の中で偶然こんな建物を見つけた。
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 ちょっと気になったので、少し寄り道して行くことにした。正面に回ると、ずいぶん立派な建物である。1951(昭和26)年に建てられた旧役場庁舎を再生利用したものらしい。
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 入館料は200円。なかなか興味深い展示だったと思う。
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 資料館の前の通りから海(河口)の方向を見る。
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 海辺の町の、道の向こうが不意に何もなくなって、そこに海があることを感じさせる景色というのは魅力的だと思う。

 このあとは、国道232号をさらに南下し、遠別町の少し手前で道道119号というのに入り、内陸を目指した。宗谷本線・佐久駅のところで国道40号と出会い、昨日走ったところを逆にたどって音威子府に達した。正午を少し回っていたが、きょうもまた駅そばというのも芸がないので、とりあえず駅めぐりをスタートさせて、あとは成りゆきに任せることにした。
 音威子府・美深間で残っている6つの駅は、どれも国道40号からそれほど離れていないので、基本的に国道を行くことになるから何とかなると考えたのである。

 なお、日本海側から山を越えて内陸に入って来るうちに、いつの間にか雲が切れて晴れ間が覗くようになっていた。このあとも、雲はあるものの基本的に晴れの暑い天気に戻ってしまった。

咲来(さっくる)駅

 咲来駅は、廃屋の目立つ集落の道の先にあった。
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 いまは雑草が生い茂っているが、かつてはかなり広い敷地を持った駅だったように感じた。いまは、薄い黄色に塗られた小さな待合所があるだけである。
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 ベンチの花瓶に(造花ではない)花が生けられていた。
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 音威子府・美深間の駅の配置が判るので、運賃表を載せておく。咲来と天塩川温泉が音威子府村の駅、豊清水から先が美深町の駅になる。
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 いまは1面1線の駅だが、右側の防雪林との間隔の広さを考えると、この間にホームや側線があったことが想像されるのである。
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 駅に入って来た道を逆に眺める。右手の建物は夏の間、ライダーハウスとして利用されているものらしい。
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 出口のところから左に向かって、センターラインと歩道のついた広い舗装道路が通っていて、両側にけっこう建物が並んでいる。ところが、その多くがいまはもう使われていないもので、かつてはそれなりの賑わいを見せていたであろう集落は、(もちろん人の住む家も残ってはいるものの)ひっそりと静まりかえっているのである。
 これは農協の建物だったのだろうか。ART IN SAKKURU 8.17~9.20という掲示は、ここで何か催しが企画されているのだろうか。
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次は元郵便局。
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 元消防署。
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 調べてみると、ここはオホーツク沿岸の枝幸(えさし)町と結ぶ道路の起点にもなっていたので、まだ林業の盛んだった頃は、駅も大きく町もずいぶん栄えていたということらしい。いまはもう、見る影もなくなってしまっているのだが。
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天塩川温泉駅

 国道を右折してかなり行くと、踏切の横に天塩川温泉駅があった。
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 木造の短いホームに、特徴的なかたちの待合所がついている。
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 待合所の中には、なぜか一段高くなったスペースがあり、
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 これはどう考えても、ここで一晩お休みくださいという意味にしか取れない感じがする。
 反対側には、普通どこの駅でも見かけるありふれた4人掛けのFRP(強化プラスチック)成型のベンチが2脚(都合8人分)置かれていて、さらに壁際にはガス(だったと思う)ストーブまで設置されているのである。何か、よく判らない待合所だった。
 駅の周囲には人家などは見当たらず、温泉を名乗る駅にしては、何とも意外性のある駅なのである。秘境駅ランキングでも60位にランクインしている。
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 というわけで、これは駅名の由来になった温泉施設を見ておかなければならないと思った。
 踏切の向こうはT字路になっているのだが、その正面に「←天塩川温泉」という小さな(実に控え目な)看板が出ているのである。徒歩だと15分ぐらいかかるだろうか、田舎道を行くと途中で天塩川を渡るかたちになり、その先に見えてきたのはけっこう立派な建物だった。
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 わたしが温泉ファンだったら日帰り入浴ということになるのだろうが、ほとんど興味がないので写真だけ撮って引き返した。
 戻る時、狭い橋の真ん中あたりに車を停めて、天塩川を写真に撮った。撮っている間、他の車は通らなかったと思う。
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豊清水駅

 国道を逸れて、舗装の途切れた先の踏切を渡り、
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 左にカーブする砂利道をかなり走って、
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 ここにたどり着いた時、アッと思った。この駅は降りたことがある。
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 以前、この駅で割と長い交換待ち停車にぶつかったことがあり、わたしはこの駅前まで降りて来たことがあったのである(2013.9.9だった)。
 この、骨組みだけになってしまった倉庫の痕跡も記憶にあった。
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 だが、その時は気付かなかったバス停留所の古い標識を見つけた。
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 右側の道路標識(自動車通行止め?)は、いま確認するとその時の写真にも写り込んでいるのだが、その時は全く意識していなかった。
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 駅舎の中は記憶になかった。入っていたとしても、特徴のない待合室だから記憶に残らなかったのだろう。
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 ホームは島式ホームの1面2線。
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 秘境駅ランキング29位の駅である。

恩根内(おんねない)駅

 国道40号とは反対側に駅舎があり、駅前にはささやかな集落がある。
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 駅舎は1993(平成5)年に、車掌車から昇格して作られたもののようだ。少し離れて、利用者のものと思われる自転車が1台置かれている。
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 中は明るくスッキリした作りで、反対側の壁に作り付けの木のベンチがある。
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 駅名標と駅舎の間に見えている、すぐ駅前の赤い壁の家は、比較的新しくまだ十分住めそうに見えるが、窓に板が張り付けてあり、表札もなく、どうやら無人になっているようだった。
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 この駅ではキハ54の普通列車に出会うことができた。
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 稚内方面からやって来た上り列車だった。
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 ホームが広いから、余裕を持って撮影することができた。
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 13:29発・名寄行きだった。
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 国道40号に戻ると、すぐに天塩川を渡った。少し走ると「道の駅びふか」というのがあったので、入って昼食にした。確か生姜焼き定食を食べたと思うが、写真を撮っていないので早くも記憶がはっきりしなくなっている。まあ、どうでもいいことだけれど。

 駐車場の向こうの国道沿いにパトカーが1台停まっていて、たくさんの人たちが交通安全の幟を持って並んでいた。暑いのに動員された町のナンとか協会の人たちなのだろう。
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 そういえば、どのあたりだったかは忘れたが、他の場所では道路際の広場のようなところにやはりパトカー数台が停まっていて、同じような人たちが集まっている中に誘導され、この近辺では有名らしい運動選手の女の子2人に(紹介されたがよく判らなかった)、ティッシュやガムの入った袋をニコニコ手渡され、報道陣と覚しき数人にそこを撮影されてしまった。あれはもしかすると、テレビのローカルニュースか何かで流れたのだろうか。
 いずれにせよ、明日(11日・土曜日)から交通安全週間?だとか言っていたから、少し気をつけなければいけない。

紋穂内(もんぽない)駅

 「もんぼない」ではない。「もんぽない」である。秘境駅ランキング39位の駅で、周囲に人家などは全く見えない。
 国道を左折して天塩川を渡り、さらに右折して細い道をしばらく行くと駅前に出た。
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 上の写真のすぐ右手のところに赤い乗用車が止まっていた。いままでのような業務用のバンではなく、明らかに自家用車である。わたしは反対側に車を停めて外に出たが、ジロジロ見るわけにもいかないので、中の様子は判らなかった。まいったなあと思いながら、そちらを避けるようにして2、3枚撮影した。
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 煙草に火を点けてホームの方に行こうとしたら、思いがけず女性が一人降りて来て話しかけてきた。
 駅舎と一緒に撮ってあげましょうかと言う。いや、自分は写らなくていいのだと断ったが、女性はさらに何やら話しかけてくる。
 要するに、15分後ぐらいにやって来る列車で友人が訪ねてくるので、それを車で迎えに来たのだが、こんな寂しい場所で一人で待っているのが不安だったようだ。よかったらそれまでお話でもしていませんかと、まあそんなような感じなのだと思われた。最近、近くの畑で熊が目撃されたというようなことも言っていた。

 何だか不思議な出会いだなあと思いながら、感じの悪い人ではなさそうなので、お相手させてもらうことにした。
 話しているうちに、連れ合いの男性が学校の先生をしていることが判って、しかも組合員で、さらにわたしと同じ少数派の組合に属している(わたしにはもう過去の話だが)らしいのも判ってきて、彼女の方は先生ではないらしかったが、考え方はなかなか自由闊達な感じがして、まあ、あまり具体的なことを書くのは失礼なのでやめておくが(細かいことは忘れてしまったし)、けっこう感覚的に重なるところの多い楽しい会話ができたのである。
 このあたりで、住む人がいなくなった家を借りて住んでいるらしい。東京にしばらくいたこともあるが、こっちに住んでしまうと、もうあんなところにはとても住む気にはなれないと言っていた。「天塩川、いいですよね」と言うのには、全面的に共感した。

 14:45、稚内行きのキハ54がやって来た。
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 友人の女性が降りて来たところを、めったにないことだからと彼女が携帯で撮影しているところ(この写真、掲載するのを許してください。こんな秘境駅でこんな場面に出会うことなんて、ホントに、まずほとんどあり得ないことなんですから)。
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 キハ54は去って行き、彼女たちも去って行った。
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 あとはランキング39位の紋穂内駅。駅舎の中はきれいに清掃されていたが、少し殺風景な感じだと思った。
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 駅舎の周囲に咲いているこの花、マーガレットでいいんだよね。花の名前はよく判らないのです。
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 さっきは赤い車が停まっていて気付かなかったが、自転車が2台置いてあった。この駅も利用者がいるということなのだ。。
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 これが紋穂内駅の入口のところである。
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初野駅

 国道40号から左折した道路が踏切に突き当たる、その横に初野駅があった。こちらは自転車が3台。
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 プレハブの待合所と、木製のホームに比較的最近取り付けられたようなパイプの柵。
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 待合所と、その中。
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 ホームの木の感触を確かめながら。
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 初野駅の次が美深駅だから、これでこの区間もつながったことになる。時刻は午後3時を過ぎている。あとは士別剣淵ICまで行って高速に乗ればいい。きょうの宿は遠軽町である。
 国道40号を走り、名寄を過ぎて、風連のあたりで給油をした。石谷商事風連SS、ハイオクは155円だった。道の駅もち米の里なよろに寄って一服した。さらに士別を過ぎるあたりでムラムラと?その気になった。
 宗谷本線をスタートさせた北剣淵駅の2つ先に、秘境駅ランキング77位の東六線駅というのがある。せっかくここまで来ているのだから、ここに寄ってから、次の和寒ICで高速に乗ればいいではないか。何と言うか、ほとんどビョーキみたいなものである。

東六線(ひがしろくせん)駅

 剣淵駅を飛ばしてきているのだが、それはいい。
 国道40号から右折して、見通しのいい田園地帯の道をずっと行くと、踏切の脇に期待通りの小さな駅が見えた。
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 表面を波板の新建材で補修された待合所には「東六線乗降場待合室」という看板が掛けられている。「乗降場」という言い方が、仮乗降場として発足した駅の出自を物語っている。
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 内部には床がなく、砂利が敷き詰められていて、なぜか真ん中に白いバケツが伏せて置いてある。剥き出しの木の壁と、三方に作られた木のベンチがなかなかいい。
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 ホームは木造の短いもので、背後にまだ伸びている途中という感じの防雪林が並んでいろ。
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 防雪林の丈が低いから、ホームに立ってもあまり囲まれている感覚はなく、意外に開放的で明るい感じがした。
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 最後につけ足しで寄った駅だが、寄ってよかったと思った。
 時間が午後4時半を回っている。
by krmtdir90 | 2015-07-22 23:53 | 鉄道の旅 | Comments(0)

車で北海道⑧駅めぐり・宗谷本線4(2015.7.9~10)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 ずっと宗谷本線に寄り添うように流れて来た天塩川は、幌延駅のあたりで直角に流れの向きを変え、このあと西に流れて日本海に注いでいる。宗谷本線はこれから、文字通り最北の原野を北上して行くことになる。
 しばらく線路から離れていた国道40号線は、次の下沼駅のあたりで再び合流し、ほぼ並びながら幾つかの駅をたどって行くのである。その部分だけでも、きょうのうちに訪ねてしまいたいと思っている。

下沼駅

 駅前で車から降りたら、ちょうどキハ54がやって来るところだった。絶妙のタイミングである。で、まず最初にその様子を撮影。
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 あとで確認すると、下沼駅17:51発の稚内行きだった。
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 稚内方面の普通列車はこれが最終で、このあと特急が1本あるけれど、この駅には停まらないのである(なお、上り方面はまだあって、18:07に名寄行きが、20:16に幌延行きが設定されていた)。
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 ここは秘境駅ランキング34位の駅である。だが、入って来る道の途中には人家があって(次の写真の向こうの方に小さく写っている)、必ずしも忘れられた駅と言うわけではないようだった。
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 駅舎の中はこれまでになく人の気配が漂っていて、最近ここに一泊した人がいたのではないかと思われた(だけど、ゴミはちゃんと持ち帰らなければいけないだろう)。
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 トイレは閉鎖されていたが、壁などにいろんな飾りがあったりして、このあたりを(バイクなどで)放浪する若者にとっては、けっこう知られた宿泊場所になっているのかもしれないと思った(バンケ沼とかサロベツ原野なども近いし)。
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 外面の塗装はここも相当劣化していて、塗装した鉄板というのはやはり定期的に塗り直さないと、見た目もよくないし絶対にまずいと思った。
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豊富駅

 下沼駅は幌延町の駅、豊富駅は豊富町(天塩郡)の駅である。豊富町は稚内の手前にある最後の町で、町並みもちゃんとあるし、駅や駅前もそれなりのしっかりした姿をしていた。
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 駅の右手には観光案内所もあったが、もう午後6時を過ぎているので、さすがに開いてはいなかった。
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 駅舎の中に入ってみた。
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 ここは無人駅だが、昼間は左の白いドアのところが喫茶店になっているようで、人の出入りなどもけっこうあるのではないかと思った。
 ホームに出てみた。車中からだといつもこの部分だけしか見えないのだが、
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 きょうは全体を見渡すことができる。ここは2面2線の駅で、2つのホームは跨線橋でつながっている。
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 跨線橋に上って、向かいのホームにも行って来た。
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 跨線橋からは2つのものが見えた。1つは利尻富士。
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 きょうは一日中、雲一つない快晴だったから、海岸線を走ったらきっときれいだったろうなと思った。まあ、行くつもりはなかったけれど。
 もう1つは、駅前からちょっと入ったあたりに保存されている古びた車輌。
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 で、このあと見に行ってみた。
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 傷みが相当ひどく、こういう野外に保存される車輌というのは、定期的に補修してやることができないのなら、適当な段階で片付けてやった方がいいのではないかと思った。説明板なども設置されていなかったが、帰ってから調べてみると、救援車輌オエ61-67というもののようだった。救援車というのは、災害時などに現場に派遣され、復旧作業等の拠点となる車輌だったらしい。

徳満(とくみつ)駅


 きょうはこれで最後にしようと、徳満駅をカーナビにセットした。国道40号を走って行くと、途中に非常に見通しのいいところがあったので、車を停めて利尻富士を撮影した。
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 以前、稚内の居酒屋で隣り合わせになった地元のおばちゃんが、利尻富士は雲がかかってしまうことが多く、全く雲一つない状態で見えることはめったにないと言っていたのを思い出した。きょうは最後までツイている。

 ということで、徳満駅。秘境駅ランキングでは98位の駅である。
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 調べてみると、15年前まで木造駅舎が残っていたらしいが、現在はプレハブの小さな待合所と独立したトイレになってしまった。
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 このプレハブは小さいながら、スーパーハウスという名のユニットハウスで、庭先に勉強部屋などとして建てられたりすることがあるものらしい。
 中を覗いてみると、床板の感じなどが靴を脱いで上がりたくなるようなもので(脱がなかったけれど)、ここも何だか寛いで一泊できそうな気がした。
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 入口の方の壁にはいろんな飾りなども掛けてあって、月めくりのカレンダーがあるのには笑ってしまった(ちゃんと7月になっていたし)。
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 壁の運賃表に並んだ駅名を見ると、ずいぶん来たなと感慨深いものがあった。
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 外に出て、ホームの側から道路の方を眺める。向こうに人家があるのが判ると思う。道沿いに数軒はあったと思う。
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 すでに午後6時半を過ぎていて、このあたりはすっかり日が陰ってしまった。
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 日没も近いのだろう。カーナビにホテルの電話番号を入力した。あとは国道40号を稚内に向けて走るだけだ。

稚内市(泊)

 ホテルにチェックインしたのは午後7時17分だった(クレジットカード支払いの控えレシートによる)。今回の旅で、ちょっと変化をつけて奮発してみたのがここである。ANAクラウンプラザホテル、昔の全日空ホテルである。
 部屋の窓からの夕景。
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 計画では外に食べに行くつもりでいたが、遅くなったし疲れたのでホテル内で済ませた。こうなるのなら、もう少しランクを下げたホテルにしておけば良かった。和食の店を選んで、まあいろいろ美味しいものを食べてしまったのだが、けっこうな散財になってしまった。

 7月10日(金)。
 部屋の窓からの朝の景色。
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 防波堤ドームとホテルの威容。
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 写真では判らないが、昨夜も今朝もとにかく風が強くて、気を抜くと飛ばされそうである。太宰治ふうに言えば、まさに「稚内ってのは、風の町だね」という感じである。
 稚内駅。
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 きょうは、まず昨日省略した駅を回らなければならない。ノシャップ岬を回って、海沿いを南下して行こうと思っている。そうすると南稚内駅には行けないことになるのだが、過去2回の鉄道旅で下車している駅なので、今回は無理する必要はないと判断したのである。
 で、ノシャップ岬。
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 海の彼方に利尻富士が見えているが、確かに雲がかかってしまっている。
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 とにかく風が強くて、飛ばされそうである。その海からの湿気を含んだ風によって、雲がどんどん湧き出している感じで、朝のうちは晴れていたのに、このあと空はすっかり雲に覆われてしまったのである(朝の天気予報では、全道的に晴れマークが並んでいたのだが)。
 道道254号から106号へ。
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 この左側の、荒涼とした丘陵地帯の奥を宗谷本線の線路が走っているのである。

抜海(ばっかい)駅

 秘境駅ランキング43位。抜海駅は最北の無人駅、最北の木造駅舎である。有名な駅だから、インターネットや鉄道書籍などでいろんな情報や写真などに接することができる。だから、ホームに停まった時、車中から目にする駅舎の素晴らしい印象と比べて、正面の方は新建材で補修されてしまっているので、もう一つパッとしない感じだというのは知っていた。
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 しかし、実際に来てみると、駅舎が西向きに建っているために、冬の厳しい季節風を正面からまともに受けてしまうかたちになり、ホーム側より傷みも早かったということが理解されるのである。1924(大正13)年の開業以来の駅舎だというから、こんな最果ての想像を絶する自然環境の中でよくここまで持ちこたえて来たと思う。それだけで十分凄いことなのではないかと思うのである。

 駅に入って来る正面の道。昔は人家などが建っていたこともあるのだろうが、いまはもう何もない道である。
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 入口のサッシを開けると、そこは雪切り室と呼ばれる小さな空間(風除け室)になっていて、駅舎に入る木の扉には赤い縁取りが施されていた。
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 それを開けて中に入ると、出札窓口や手小荷物取扱窓口などは塞がれてしまっていたが、前に張り出した台の部分は残っていて、全体が明るいクリーム色で塗装されていた。
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 反対側は待合所になっていたが、古いベンチなどはなかった。
 ホームへの出口の方も二重構造になっていて、扉や窓は先ほどと同じような赤い縁取りになっている。
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 ここを出ると、改札口の木の柵が一つだけ残っていた。
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 そしてホームに出る。これがホーム側の戸口である。
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 構内踏切を渡って、向かい側のホームに行ってみる。
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 やはり木造駅舎としては、こちらから見た方がいい姿なのは確かだと思う。
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 さて、こちらのホームで煙草に火を点けてしばらく待った。
 やって来た。8:38発・稚内行き普通列車。
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 誰も降りず、誰も乗らず、キハ54は発車して行った。
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 あと、こちらの角度から2枚。
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 それと、中に置いてあった駅ノート、ちょっとその何と言うか、そういう気分になってしまって、恥ずかしながら数行だけ足跡を残して来てしまいました。
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勇知(ゆうち)駅

 抜海駅から次の勇知駅へは、道道510号で内陸に入って行く感じになる。
 この駅は、車掌車の外面を別の素材で覆ったタイプのダルマ駅舎だった。
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 駅の周囲には小さな集落の家並みがあり、
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 駅のすぐ目の前には上勇知診療所という、これも小さいながら立派な建物が建っていた。
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 鉢植えの花などもいっぱい置いてあって、駅前に自転車は停まっていなかったが、利用者もたぶんいるだろうと想像できる駅だった。
 駅舎の中もよく整っていて、好感度はかなり高い感じがした。
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 線路際や、
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 ホーム上にきれいな花が咲いていて、
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 この花、名前を調べました。ルピナスです。いろんな色があるようです。
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兜沼(かぶとぬま)駅

 駅舎は小さいが新しい感じのすっきりした建物で、調べてみたらJRになってから、1988(昭和63)年に建て替えられたものだという。
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 待合室は右の部分だけで狭いが、
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 外に出てみると、ホームなどはよく整備されている印象を受けた。
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 ここは2面2線の駅で、向かいの小さなホームとは構内踏切でつながれていた。
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 そちらからの眺め。
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 曇ってしまったが、晴れていれば映える駅舎だろうと思った。

 ホームに立つと、駅名の由来にもなった兜沼がわずかに見えるのだが、せっかくだからそちらの方を回ってみることにした。
 駅に入って来る道。
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 正面に見えている赤い屋根などは廃屋のようだが、その左奥には何軒か生活が営まれている家が建っている。
 表の道道(区切りが不明で、何号だか判らない)に出ると、それなりの広がりを持った集落があった。郵便局なども見えている。
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 少し右に行ったところに大きな石碑が建っていた。豊富町発祥の碑と書いてある。
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 書き忘れたが、勇知駅までが稚内市の駅、兜沼駅は豊富町の駅だったのである。
 下の碑文を読んでみると、豊富町一帯の開拓はこの兜沼周辺から始まったもののようで、入植当時の苦難の様子などを述べたあと「入植から百年、先人の功績を讃えるとともに、豊富町の歴史を後世に残すべく」平成14年にこの碑を建立すると書かれていた。うーむ、そうだったのか。
 なお、写真の左に写っている木造の建物には兜沼郷土資料室という看板が掛かっていたが、閉館日という札が下がったまま、ずっと開いていないような雰囲気が漂っていた(開いていたらごめんなさい。札が丸く反ってしまっていて、何となくそんな気がしてしまったので)。

 さて、兜沼の方だが、行ってみると車が一台も停まっていない駐車場があり、窓などがすっかり閉まった案内所らしき建物があり、奥が林間の広い公園のようになっていた。車を停めて入って行ったが、何だか広いばかりで、作業員のような人はいたが、人影も全くなく、開放的に兜沼を見渡せそうな場所もどう行けばいいのかよく判らなかった。で、まあそれなりに水面が見えるところで数枚だけ写真を撮って戻って来てしまった。
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 晴れていればまた気分も違ったかもしれないが、空はすっかり曇ってしまっていたのだ。

 とにかくそういうわけで、兜沼駅の次は昨日の最後に行った徳満駅だから、これでこの区間はつながったことになるのである。あとは美深・音威子府間で残っている6つの駅を訪ねることになる。
by krmtdir90 | 2015-07-21 22:27 | 鉄道の旅 | Comments(0)

車で北海道⑦駅めぐり・宗谷本線3(2015.7.9)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

歌内(うたない)駅

 天塩中川駅からこの歌内駅へは、天塩川の西岸を走る国道40号には戻らずに、川の東岸を宗谷本線の線路と一緒に走っている道道541号というので行くことが出来た。
 道道から歌内駅に入る入口のところ。
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 前を横切っている道路が道道541号で、駅への入口の道は舗装されていない。秘境駅ランキングでは61位の駅だが、反対方向を見るとこんな感じで、少ないながら人家も残っている。
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 駅舎は片側デッキの車掌車で、車輌そのままの表面に塗装を施したものになっていた。ただ、年月が経つうちに塗装は劣化し、ひび割れや赤錆がずいぶん目立つ感じになってしまっている。
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 実はこの駅では、上の写真のすぐ右手に、白い業務用のバンが停まっていて、左のホーム上に保線要員のようなユニホームを着た若い男性が一人、何やら線路上に小さな機械を立てて作業をしていた。まいったなあと思いながらも無視するわけにもいかず、話しかけてみると、この先の線路を歩いて点検している別の保線作業員と何か通信のようなことをしているらしい(専門的なことは知らないし、彼もまいったなあと思っていたのか、説明はよく判らなかった)。
 この左の線路に設置されているのがその機械で、向こうから見ると小さな赤い光が規則的に点滅しているのである。
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 気にしていても仕方がないから、駅舎のまわりを歩きながら撮影した。
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 何となく見られているという意識があったのかもしれない、いつもより念入りに見て回ってしまったような気がする。
 これが内部。
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 地面に残ったコンクリートの跡を見ると、ここにもけっこう大きな木造駅舎が建っていたようだ。
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問寒別(といかんべつ)駅

 前の歌内駅は中川町の駅で、次の問寒別駅からは天塩郡幌延(ほろのべ)町の駅になる。
 駅に入って来る道路には傾きかけた廃倉庫なども見えたが、人家もけっこうあって、車も何台か停まっているのが見えた。
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 駅前も広く、舗装はされていなかったが、小さな郵便ポストがぽつんと立っていた。
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 駅舎は歌内駅と同じ車掌車だが、こちらはすぐそばに人の生活が感じられる駅前なのである。
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 ただ、表面の傷みはここも相当進んでいて、
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 さらにトイレも使えなくなってしまっているようだった。
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 最近作られたように見える小さな花壇があって、きれいに咲いた花々が植えられていた。
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 ここもけっこうしっかりした木造駅舎が建っていた痕跡があって、
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 その時代に来たかったなと、今さらながら強く感じたのである。
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糠南(ぬかなん)駅

 問寒別駅から次の糠南駅へは、線路に沿って延びる名もない一般道を走った。途中、天塩川の支流の問寒別川という川を渡った。並行している宗谷本線の鉄橋が見えた。車を停めて撮影しに行った。
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 実は糠南駅でキハ54と出会うことになったのだが、少し時間がずれていればこの鉄橋を渡るところに遭遇する可能性もあったのである。まあ、偶然がそこまでうまくいくことはないよね。

 糠南駅は秘境駅ランキング12位の駅である。札沼線の豊ヶ岡駅より一つランクが上で、今回の旅で訪問する駅の中では最高の秘境駅ということになる。あたりには人家もなく、周囲は荒れた牧草地?と原野に囲まれていた。ただ、けっこう開放的な場所ではあると思った。
 舗装はされているが細い道を入って行き、踏切を渡って回り込むかたちになっていた。踏切からホームが見えた。
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 ズームしてみる。
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 回り込む道は土の道である。
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 車を降りて近づいて行く。
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 板張りの短いホームと、スチール物置に窓を切った感じの小さな待合所が付いている。
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 ホームに上がって物置、もとい、待合所の扉を開けてみる。
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 中にはベンチ代わりのビールケースと、木箱の上に厚手の布をかぶせたイス?が置いてあった。脇にビニールケースに入った駅ノートがぶら下がっている。

 踏切の警報機が鳴り出したので、急いでホームに出た。そちらからキハ54の単行がやって来るのが見えた。
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 停車するとほとんどホームからはみ出してしまい、停車中の写真は撮れなかった。
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 あとで待合所の時刻表を確認すると、糠南駅16:15発の旭川行きだった。見ると、糠南駅に停車する列車は一日に上下合わせても5本しかなく、2本しかない上り列車のうちの1本だったことが判った。このあたりの小さな駅は、普通列車が通過してしまうこともあるのである。

 ここで秘境駅ランキングのことを少し書いておきたいと思う。
 このランキングは、秘境駅訪問家を自称する牛山隆信氏がみずからのホームページ上に公開しているもので、評価項目として秘境度・雰囲気・列車到達難易度・外部到達難易度・鉄道遺産指数の5項目を設定し、各20点満点で評価した数字を合計したものを総合評価としている。
 もちろんランキングなどというものは一種のお遊びに過ぎないし、牛山氏自身もこれは「筆者の独断的な判断によるもの」と断っている通り、訪問したそれぞれの思いがランキングの順位とずれていることを楽しむ、というような側面もあっていいという気もするのである。ずれていようが何だろうが、こうした駅に人々の目を向けさせた牛山氏の功績は変わらないし、遅れて鉄道ファンになったわたしにとっても、こんな視点があるということを教えられたことは大きかったと思っている。

 わたしは牛山氏に感謝しているのである。だから気楽な無責任さで言わせてもらうとするなら、糠南駅の12位は評価が高すぎるという気がした。このスチール物置は何と言っても減点である。わたしは木造の駅舎・木造の待合所を過大に評価する傾向があり、ホームの作りや周囲の雰囲気も大きなウェイトで判断してしまうのだと思う。
 そう考えると、これまでのところでは札沼線の豊ヶ岡駅や、今朝最初に訪ねた北剣淵駅などが、わたしの心にストレートに響いた駅だった気がする。このあとも、ランキングはあくまで一つの参考として、あるいは一つのきっかけとして、残る駅をたどって行きたいと思うのである。

雄信内(おのっぷない)駅

 雄信内駅は大好きな駅である。ランキング73位は低すぎると断固として言っておきたい。
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 数年前、鉄道で宗谷本線を旅した時、たまたまこの駅で数分の交換待ち停車があり、急いで外に出て、この駅舎を目にした時の感動は忘れられない。
 1925(大正14)年の開業以来の駅舎で(数年後に火事で焼けて再建されたという説もあるようだが)、ドアや窓がスチール製に替えられていたり、あちこち改修はされているものの、まだ木枠の窓が残っている部分もあって、雪や寒さの厳しい自然の中にあったことを思えば、よくこの状態で残ってきたものだと思う。
 いまは車掌車利用のダルマ駅舎などになってしまった多くの駅にも、かつてはみんなこういう駅舎が建っていたのだと思うと残念でならないが、わずかでもこういうかたちで残っている駅舎があるのは嬉しいことである。

 前に降りた時は大急ぎでよく見られなかったが、きょうはゆっくり駅舎の中なども見ることができる。
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 出札窓口があったと思われるところは(左)、ベニヤで塞がれて掲示板になってしまっているが、右の小荷物取扱窓口の方は引き戸が取り替えられているが、荷物を受け渡した台の出っ張り(チッキ台)は残っている。
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 作り付けのベンチなども、開業時からこうだったとは思えないが、この作りになってからもずいぶん長い間(多くの人が座って)使い続けられたことが判って、それだけで心打たれるものがある。

 ここは2面2線の列車交換可能駅になっている。ホームや構内踏切の方もゆっくり歩いてみた。
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 左の方に側線が延びていて、
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 その先にラッセル車が留置されていた。
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 この駅は、冬季には除雪作業員の待機場所として利用されているもののようだ。

 駅前の道の方に歩いて行ってみる。
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 幾つか建物はあるが、すべて廃屋のようだった。他に人家は確認できない。
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 雄信内駅の木造駅舎、いつまでも残ってほしい駅舎だと思った。

安牛(やすうし)駅

 雄信内駅から先、宗谷本線の線路と天塩川の間に道道256号というのが通っていて、このあと幾つかの駅はそこから入って行くようになる。
 安牛駅は道道256号を右折したあと、しばらく入り込む感じになっていた。
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 道路にはセンターラインがあり、左側には歩道もついているのだが、両側は荒れた草地や茂みばかりで、廃屋すら見えなかった。
 駅前に行くと、白い業務用のバンがハッチを開けた状態で停まっていて、男性の作業員が一人、左側の倉庫のようなところに入って何かしていた。
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 声をかける感じでもなかったので、ここではお互い無関係のままで終わりになった。

 さて、この安牛駅の塗装の剥げ方はちょっと無惨と言うしかない感じである。
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 本来なら左上のところに書かれているはずの駅名も、痕跡が判らないほど消えてしまっている。すぐにどこかでペンキを買って来て塗り直してやりたい気分になった(もちろんそんなことは出来るわけないので、JR北海道さん、いくら利用者がないからといって放置しないで、何とか早く塗り直してやってください!)。
 内部は一応きれいになっていて、
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 ホーム側のこちらの面はそれほどでもないけれど、それでも劣化はかなり進んでいると思った。
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 この駅は秘境駅ランキング49位に入っている駅で、向こうに工事の人がいるのは気になるけれど、それがなければ確かに人の気配は全くしない駅だと思った。
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 もう一度、駅に入って来る道路を眺めた。
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 駅には木造駅舎が建っていて、たぶん駅員もいて、この道の両側にもそれなりの人家が並んでいた時代もあったのだろう。時の流れとはいえ、恐らく想像を超えた厳しい気候やいろいろなことが、ここに人が留まることを許さなかったということなのだろうか。

南幌延(みなみほろのべ)駅

 秘境駅が続く。ランキング56位の駅である。
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 このホームのすぐ向こう側が道道256号で、左奥から走って来ると道路からも駅の存在が判るのである。右折するとすぐに踏切があり、それを越えたところに車を停めた。道道の左側には牧場らしい人家も見えた。
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 木造の短いホーム。これだけかと思って、ホームを歩きながら写真を撮っていると、踏切の向こう側に雑草に埋もれたような小屋があるのに気付いた。
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 これが待合所であるらしい。
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 しかし、周囲には完全に雑草が生い茂り、入口のところも雑草が阻んでいる感じで、
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 蛇でもいたら嫌だなと思いながら近づいて、木のドアを開けようとしたが固くて開かない。鍵がかかっているようには見えなかったから、無理をしたら開いたかもしれないが、何となくこの雰囲気が気持ちを萎えさせた。
 一応ドアのガラス越しに中を覗いてみた。
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 壁に運賃表や時刻表が掛かっていたから待合所には違いなかったが、入りたい気分には到底なれなかった。

上幌延(かみほろのべ)駅

 秘境駅ランキング55位の駅。
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 道道からちょっと入ったところ、この手前のところに人家が一軒あって、その家のものと思われる白い車が停まっていた。ただ、人家はそれ以外には見えなかった。
 ここの塗装はそれほど剥げてはいなかったが、劣化はしているようで、駅名の文字が消えかかっていた。
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 中はきれいだったが、安牛駅と同様トイレは使えないようになっていた。
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 ここも昔は木造駅舎があったことを窺わせるコンクリート基礎が残っていたが、昔を想像するのはどんどん難しくなっているような気がした。
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 日がだいぶ傾いてきていて、駅舎の影が長く引くようになってきている。
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幌延(ほろのべ)駅

 幌延駅は特急も停車する幌延町の玄関駅である。普通列車で旅をしていると、ここでけっこう長い停車時間を取ることがあるので、この駅は降りたことがあるし、駅の様子も判っていた。だから省略してもよかったのだが、素通りせずに立ち寄ったのは、ちょうど考えどころのタイミングだったからである。
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 時刻はすでに午後5時半を回っている。稚内はまだかなり先だから、きょうのうちに残りの駅を全部訪ねて行くのはもう無理になっている。ここで切り上げておけば、このすぐ近くから始まる自動車専用道路の豊富バイパスというのを使うことができて、国道40号をショートカットすることができるのである。それでも到着は6時過ぎになるだろう。
 だが、そうしてしまうと、明日回らなければならない駅が増えてしまって、日程も非常に忙しいものになってしまう。

 まあ、気持ちはすでに決まっていたのだが、きょうできることを明日に延ばすなかれ、である。まだ陽射しはあるのだし、この時間になってもまだ信じられないくらいの快晴なのだから、きょうのうちにもう幾つか回ってみることにした。われながらこの精勤ぶりは信じがたい気もするが、面白くて夢中になってしまうと止まらない性格なのである。
by krmtdir90 | 2015-07-20 22:10 | 鉄道の旅 | Comments(2)

車で北海道⑥駅めぐり・宗谷本線2(2015.7.9)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

智恵文(ちえぶん)駅

 利用者の自転車が2台停まっている。ここは車掌車(緩急車)を再利用したダルマ駅舎である。
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 駅前はけっこう広くなっていて、入って来る道の途中には人家などもあった(ただし、右手前の建物は廃墟のようだが)。
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 実は、今回の旅で初めて気がついたことがある。札沼線の駅に使われていた(石狩金沢駅・本中小屋駅・中小屋駅)車掌車は、3つとも車輌の両側にデッキがついていたが、ここのは片側にしかデッキがついていない。そして、このあと宗谷本線で出会ったダルマ駅舎は、すべて片側デッキのタイプだったのである。
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 当然のことだが、車掌車にもいろいろな種類があり、再利用に際しては、路線によって車輌の選択に一つの傾向があったということかもしれない。また、設置する時に(あるいは設置後かもしれないが)、ここのように外面を別の素材ですっかり覆ってしまう場合と、車輌としての外面をそのまま残して塗装する場合と、やり方にも両方あることが判った。
 内部の作りも非常にスッキリしていて、少なくとも宗谷本線においてはすべてこの作りに統一されているようだった。
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 正面に2つあるドアは右側がトイレになっていて、このあと全部を確認したりはしなかったが、ここはちゃんと使えるようになっていた。
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 で、使わせてもらいました。
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 地面に残されたコンクリートの痕跡で、かつて建っていたのであろう木造駅舎のかたちが想像されるのは悲しい。
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 かつてはそれなりに栄えたこともあった駅だったのかもしれない。
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 次の智北駅に向かう時、道道252号というのを走った。途中にトイレがついたパーキングエリアがあった。北海道では一般道でも、道の駅とは別にこうしたPAが所々に設置されている。手許の道路地図には「ちえぶん沼PA」と記載されていた。
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 柵の向こうに見えているのが智恵文沼。天塩川の蛇行の跡が大きく取り残されてできた湖沼である。「熊出没注意」の看板がリアリティがある。

智北(ちほく)駅

 道道252号を(線路の向こうの道を左から)走って来て(手前に)右折すると、すぐ踏切の横に智北駅があった。
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 秘境駅ランキング85位の駅である。
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 確かに周囲に人家などはなく静かな雰囲気の駅だが、
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 プレハブの待合所やコンクリート板のホームなどが比較的新しい感じで、雰囲気としてはもう一つという気がする。
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 調べてみると、1991(平成3)年に周辺の道路整備に伴って、駅の位置を100メートルほど動かしたのだという。
 待合所の中。プレハブだとどうも有難味がない。
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南美深(みなみびふか)駅

 南美深駅のすぐ手前のところで宗谷本線の鉄橋が見えた。帰って調べてみると、この川は天塩川支流のベンケニウップ川だったようだ。
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 なお、この川まで(右側)が名寄市で、この先は中川郡美深町に入って行く。

 南美深駅は秘境駅ランキング58位の駅だが、舗装道路に面したけっこう開放感のある場所にあった。車は前の道を右方向から走って来たのだが、まず緑色に塗られたトタン板で全面を補修されたものらしい、木造の待合所が目に入った。
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 左が踏切になっているから、ホームは待合所の向こう側右手にあるようだ。
 車を停めて、まず待合所の方から見ていくことにする。中を見ると、やはり老朽化が相当進んでいる感じで、作りつけのベンチなどもないから、古い物置小屋の中というような雰囲気である。
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 ホームとの位置関係はこうなっている。
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 ホームと待合所は通路で結びついていないから、こちらの一般道路を回り込んで行くかたちになる。どことなくつながりの薄い両者なのである。
 短い板張りのホームである。
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 これまでのところでもけっこう板張りホームがあったから、次第に新鮮さが薄れてくるような気もするが、ダメだダメだ、この歩いた時の足裏の感覚はこちらでしか味わえない貴重なものなのだから、もっと味わって歩いておかなければ。
 などと思いながらホームを歩く。人家なども見えている田園地帯の中の駅である。
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 この最後の写真、拡大するとわたしが写っているのだが、ブログではたぶん判らないだろう。

美深駅

 美深町の玄関駅で、バスターミナルも兼ねた立派な駅舎が建っている。
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 ここは有人駅で、みどりの窓口も置かれているようだ。特急などもすべて停車する。
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 売店を兼ねた観光案内所もあった。だが、申し訳ないがわたしは先を急いでいる。
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 これが駅前の様子。
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 この写真の撮影時刻が12時52分である。この日の計画としては、この先の音威子府(おといねっぷ)駅でぜひ有名な駅そばを食べたいと思っていた。だが、まだこの先に6つも駅が挟まっている。これは、途中駅はきょうは省略して、音威子府駅に直行するタイミングだと思った。
 そうと決めたら、美深に長居は無用である(美深の皆さん、ごめんなさい)。ただこのあと、美深の町のコスモ石油(園部商会美深SS)で給油をしましたよ~(ハイオク157円だった)。

音威子府村(駅への途中で)

 音威子府村役場。
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 道(国道40号)を挟んで、役場の前にあった村立音威子府小中学校。
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 帰って来てから音威子府村のホームページなどを覗いてみると、音威子府村は「北海道で一番小さな村」と書いてあった。北海道で人口が一番少ない自治体という意味のようだ。6月30日現在で、人口794人(男402人・女392人)、世帯数495世帯とあった。
 また、小中学校は昨年4月から小中併置校に移行したらしく、学校のホームページによれば現在の児童生徒数は22名ということだった。

 また、あれこれ調べているうちに知ったのだが、音威子府村には村立の北海道おといねっぷ美術工芸高等学校というのがあって、道内各地を中心に118名の生徒が集まって(寄宿舎生活をしながら)学んでいるらしい。1950(昭和25)年に名寄農業高校音威子府分校として開校、3年後に定時制の音威子府高校となったものの、その後何回も廃校の危機を乗り越え、1984(昭和59)年に全日制工芸科に学科転換を行い、2002(平成14)年から現校名になって、着実に実績を積み重ねてきたようだ。
 生徒は入学と同時に住民票を村に移すことが義務づけられており、村の人口の15%はここの生徒と教職員で占められているらしい。例の「地方消滅」の若年女性人口変化率は-72.3%で、決して低い数値ではないが、この高校の存在は、過疎の村の大胆な挑戦として注目に値するものだと思った。

音威子府駅

 バスターミナルを兼ねた音威子府駅の駅舎。
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 駅前の様子。
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 これが有名な駅そば・常盤(ときわ)軒。
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 天玉そば520円。
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 この真っ黒な麺が音威子府そばの特徴である。撮影時刻(食べ始め)は13時38分。遅い昼食になってしまった。
 鉄道旅の途中で、この音威子府駅はけっこう停車時間があることが多く、改札を出てこの店の前に来たこともあるのだが、閉まっていたり食事としてのタイミングが合わなかったりで、これまで食べる機会がなかったのである。

 前のテーブルで食べ始めたところに、ちょうどキハ54が入って来るのが見えた。時刻表を見てみたら、ちょっと停車時間があって、発車は13:55となっていた。これはドンピシャリではないか。
 食べ終わってから外に出て、ホームの方に行ってみた。ここは駅舎とホームが少し離れている。きっぷはないから、柵の外である。
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 ホームの左側がずっと先まで行けるようになっていた。
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 食後の一服をしながら待っていると、おもむろにヘッドライトが点いた。
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 音威子府13:55発・稚内行き・キハ54単行は、ほぼ定刻に発車して行った。
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 この列車には過去に乗ったことがある。このあと幌延駅で35分の停車などがあったりして、稚内駅到着は16:57になるはずである。

 さて、こちらも出発することにする。駅前の道の途中で一旦停車して、そちらから一枚。
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 車の通行は少ないから、センターラインに立って写すこともできるのである。

 音威子府駅を出て間もなく、国道40号線は天塩川を渡った。車を停めて、橋の真ん中まで歩いて行って撮影した(真ん中までは行っていないですね)。
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筬島(おさしま)駅

 秘境駅ランキング66位の駅だが、広場の左手に工事現場にあるような仮設のプレハブが建っていて、いま人がいるかどうかは判らなかったが、明らかに使われている状態になっていた。
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 駅舎は智恵文駅と同様、車掌車の外面をすっかり化粧し直している。
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 中の作りも智恵文駅と全く同じである。トイレが使えるかどうかなどは確認しなかった。
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 ここの壁にはちょっと見慣れないポスターが貼ってあった。
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 かつて、廃校になった音威子府村の筬島小学校跡にアトリエを構え、この地を拠点に活動した砂澤ビッキという彫刻家がいたらしい。彼は1989(平成元)年に亡くなったようだが、そのアトリエが記念館(エコミュージアムおさしまセンターBIKKIアトリエ3モア)として公開されているということらしい。そんな彫刻家がいて、この近くにそんな施設があり、いまでもそこを訪ねて来る人がいるらしいことに少し驚いた。興味は湧いたが、今回は寄り道する余裕はない。

 車掌車の駅舎は、かつて木造駅舎が建っていたのであろう四角いコンクリート基礎の上に載っているように見えた。砂澤ビッキ氏が活動していた頃は、まだ木造駅舎が残っていたのだろう。
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 駅の前にはけっこう建物があったが、どれが使われているものなのか判然としなかった。
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 宗谷本線は天塩川の東岸を走り、国道40号は西岸をたどっているから、筬島駅への往復には天塩川に架かる筬島大橋という橋を渡ることになる。帰り道、橋のたもとに車を停めて、また天塩川を写しに行った。行って来る間、たぶん一台も他の車に出会わなかったと思う。
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 天塩川は護岸工事などもほとんど施されておらず、いかにも最果ての地を流れる川という感じがあって、何となく心惹かれるものがあるのである。

佐久駅

 筬島から次の佐久駅までは駅間距離が18.0キロあって、宗谷本線の中では最も離れている駅である。途中はほとんど山の中で、国道沿いにも何もなく、天塩川も珍しく渓谷になっているところがあったりしたようである。宗谷本線と天塩川は基本的に北の方角に向かっているのだが、音威子府と佐久の間というのは、大きく西の方にカーブしている部分になる。
 この途中で音威子府村から中川郡中川町に入り、佐久駅はその最初の駅ということになる。駅のあたりで線路と川は再び北に向きを変えるのである。

 佐久駅の駅舎は「佐久ふるさと伝承館」という立派な建物になっていて、
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 中には昔の生活道具や農機具などが雑然と飾られていた。
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 建物は立派だが、駅としては無人駅である。構内は2面2線で、島式ホームの方には側線も残っている。
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 側線には黄色い除雪車が留置されていた。
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 駅前の通りには人家もあったが、一方で使われているのかどうか定かでない倉庫や建物なども目に付いた。
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天塩中川駅

 ここはつい最近、駅舎の改修工事が行われたらしく、木造のしっかりした駅舎がまた一段と立派なものになっていた(昨年11月に、町として約5000万円の改修費用をかけて完成したらしい)。
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 内部もずいぶんきれいになっていたが、基本的に駅員の配置されている駅ではないから、出札窓口風に作られたガラス張りの部屋も、右側の入口の方に交流プラザというよく判らないプレートが掛けられていた。
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 この駅舎に、人の賑わいが戻って来ることはあるのだろうか。町としての思いは伝わってくるが、このまま何の変化もなく古びて行くのだとしたら、ちょっと悲しすぎるのではないかと思った。
 ホーム側から見た印象も、以前来た時(2013年9月)に車窓から写した写真とはずいぶん感じが変わってしまっていた。
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 構内は2面2線の交換可能駅で、特急も停車する。
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 駅舎のどちら側にあったか記憶が定かでないのだが、たぶん保線基地と思われる建物の入口に天塩中川駅事務室という表示があった。
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 駅前の道にアーチが架かっている。歓迎・ふるさと中川町。
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 逆の側には、元気発信!なかがわ。
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 町のホームページを見てみると、5月31日現在(古い!)の中川町の人口は1705人(男859人・女846人)、世帯数は866世帯とあった。町内に小学校と中学校は一つずつあり、2013(平成25)年5月現在のデータ(古い!)で、小学校の児童数は70人、中学校の生徒数は23人だった。駅舎の改修もいいけれど、ホームページのデータが更新されていないのはどうかと思った。
by krmtdir90 | 2015-07-19 22:26 | 鉄道の旅 | Comments(4)


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