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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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スマートフォン

 親類の者がソフトバンクの店で働くようになったので、長年お世話になってきたドコモからソフトバンクに乗り換えて、これを機にとうとうスマートフォンを購入してしまった。
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 写真右がこれまで使っていたガラパゴス携帯で、左が新しいわたしのスマートフォンである。携帯電話をケータイと略すあたりまでは認めてきたが、それがいつの間にかガラケーと(何となく侮蔑的な響きの呼称で)呼ばれるようになり、我も我もとスマホにうつつを抜かすような風潮を苦々しく思ってきたのだが、とうとうそれに手を出すことになってしまった。

 このところ、携帯とタブレットの2回線を所有するかたちでやってきたのだが、旅に持って行くにはタブレットはやはり重いし、2つを持ち歩くのはどう考えても無駄なことだと納得できるようになった。最近、画面の大きいスマートフォンが出回るようになってきたことも大きい。
 わたしが選んだのはAQUOSのXXというもので、画面の大きさは5.7インチだが、重量はそれほど重い感じはしない。実際に手にしてみて、これならタブレットは必要ないと思った。
 ただ、帰って来て新聞の夕刊を見たら、シャープが経営再建のために液晶事業を切り離す方向で調整を進めているという記事が載っていた。買ったばかりのこの液晶画面の未来はどうも暗いようなのである。わが家はテレビもAQUOSなので、何となくいいかなと思っていたのに。

 さて、そういうわけで、昨日の夕方からわたしの携帯は新しいスマートフォンの方に切り替わってしまった。したがって、番号は変わらないが、メールアドレスは変わってしまっている。こういう場合、関係する皆さんにはすぐにでも通知を出さなければならないのだが、そこはそれ、もう仕事で使っているわけではないし、めんどくさいなあと思っているうちに、だらだらときょうも一日が終わろうとしているのである。
 何となく他にすることもあるし、スマートフォンにしたからといってすぐに熱中して、一刻も早く使い方をマスターしようというような気分にはならないのである。とりあえずインターネットのページを開いてみて、わたしのブログがスマートフォンではどんなふうに見えているのかを確認したら、それで一段落という気分になってしまった。

 ただ、まだこれからドコモのお店にタブレットなどの解約に行かなければならないので、本当ならきょう行くべきだったのだが、面倒なので明日でいいかなとなってしまった。働いている時は無理をしていたが、もともと面倒なことはさっさと片付けてしまうという性格ではないのである。こうして書いてしまったから、明日は絶対行くことにしよう。
 新しいスマートフォンについては、別に急ぐ必要もないのだから、のんびり使い方を吟味していけばいいのではないかと思っている。しかし、メールアドレス変更通知は明日出すことにしよう。

 なお、メールアドレスは要するに、@以下が「docomo.ne.jp」から「softbank.ne.jp」に変わるというだけのことなので、この記事を読んでくださった関係者の皆さんは、よかったら通知を待たずに変更していただけるとありがたいのですが(笑)。では。
by krmtdir90 | 2015-08-29 20:12 | 日常、その他 | Comments(2)

シベリアの旅⑨バイカル湖、帰国の途(2015.8.15~16)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 夜のうちに雨が降った。朝、出発の頃にはほとんど止んでいたが、天気予報は依然として雨と曇りになっていると言う。この日はいよいよバイカル湖である。

 9時にホテルを出発した。イルクーツクからバイカル湖畔のリストビヤンカ村に向かう道路は高速道路ではなかったが、ほとんど直線が続くのでバスはずいぶん飛ばした。100キロぐらいは出していたと思う。基本的に1車線の対面通行だったが、走行する車も少なく見通しがいいので、それでも後続の車がびゅんびゅん追い越して行った。
 道路はほぼアンガラ川に沿っているようで、右手の車窓に時折川面が確認できた。ほとんどが森と林と草原の景色だった。

 約1時間で、途中にあるきょう最初の見学地、タリツィ木造建築博物館というところに到着した。18~19世紀の伝統的なシベリアの木造建築を移築して、アンガラ河畔の広い敷地に保存しているというところらしい(内部にも、当時の生活様式などが保存・展示されていた)。野外の施設なので、雨が止んでいるのが何よりありがたいと思った。
 これが受付がある入口の建物。
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 白樺の林を抜けて行く。
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 土曜日なので、ロシア人の一般客も来ているようだった。天気が良ければもっと混んでいただろうと言う。結局降らなかったのだから、予報のおかげでわれわれはゆっくり見学することができたことになる。

 ここでは、ガイドの先導でずいぶんいろいろな建物を見て回った。だが、写真は思いつきで撮っていたからまるで一貫性がなく、カタログのようなものがあるわけでもないので、記憶もごちゃごちゃになってはっきりしないのである。
 様々な民家を見たと思うが、時代や地域、貧富の差などによっていろいろ差異があったのだろうと思う。そのあたりはいまとなってはよく判らないし、とにかく民家(だいたいが農家)で撮った写真については、2つの家に絞ってしまうことにする

 家屋は基本的にハンドカットのログハウスで、母屋の前庭を囲むように別棟や納屋など、附属の建物が建っていて、それら全体を丸太を重ねた塀が取り囲んでいるというのが基本的なかたちだった。家ごとに、どの建物がどういう役割でといった説明があったと思うが、メモを取りながら撮影したわけではないから、どれがどうだったかはもう判らないのである。
 とにかく、こういう感じの入口から中に入る。
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 この家はかなり裕福な家だったようで、前庭は板が敷き詰められていた(もちろん土のままの民家もあった。泥濘を避けるために部分的に板を敷いたりはしていたようだが)。
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 左が母屋で、前のベンチに楽器が置かれている。入口に青い服の女性が立っているが、彼女はわれわれが母家の中を見学して出て来たところで、この楽器を弾きながら歌を一曲聴かせてくれた。楽器の名前を聞いたが忘れてしまった。
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 母屋の向かいに建っていた附属の建物。
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 母家の中の構造は、幾つかの家を見てだいたい理解できたが、それをここで説明するのも疲れるので省略する。いずれにせよ、どの家屋にも中心にペチカが設置されている。
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 中にはいろいろな生活用具などが置かれていたが、これは昔のサモワール(湯沸かし器)。
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 水を入れる胴の部分の中央に縦に管が通っていて、そこに上から石炭や炭といった固体の燃料を入れて湯を沸かす仕組みになっているらしい。シベリア鉄道の車内にあったような現在のサモワールは、ほとんどが電熱式になっているようだ。
 衣裳なども飾られていた。この正面のドレスは花嫁衣装で、確かロシア民謡にあったと思う「赤い(緋色の)サラファン」である(メロディーが思い出せない)。
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 普段の撮影はフラッシュを使わないのだが、これだけは色をきれいに出したいので使用させてもらった。

 また別の民家。
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 ここは赤ん坊がいるという設定になっているらしく、これは揺りかご。
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 遊具。室内用の乳母車、あるいは手押し車という感じだろうか。
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 ペチカとサモワール。サモワールは居間の方にも別のものが置かれていた。
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 次は、教会である。
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 まず右の、小さな教会。
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 中に入ったと思うのだが、狭かったので(たぶん)写真はない。写真がないと、記憶も甦ってこないのである。
 覚えているのは、この窓のことである。
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 まだ板ガラスがない時代、代わりに何を使っていたでしょうか?というガイドの問題に、みんなで近寄って確かめたからである。答えは雲母で、この教会にはそれがそのまま残っていたのである。

 左の、大きな教会。
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 ここは中で撮った写真がある。
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 しかし、鮮やかに記憶に残っているのは中にいたこの2人の男性である。
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 アカペラで、素晴らしい男声二重唱を聴かせてくれた。木造の建物の中だから特に良く響いたのかもしれないが、惚れ惚れするようないい声だった。

 次は、小学校。
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 教室。
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 出入口は後方になり、後ろの壁にはペチカが設置されている。ただし、焚き口は教室の外側にあって、そちらに先生の部屋があった。
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 上の写真の右に白く写っているのがペチカの一部で、ペチカは教室と先生の部屋の両方を暖められるようになっていた。なお、部屋の感じからすると、先生はここに住み込んでいるようである。
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 他にも先住民・ブリヤード人の住居など、いろいろ見たが省略する。
 敷地を抜けた先にアンガラ川の流れがあった。
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 雲が所々薄くなって、太陽の在りかが判るような感じになってきた。雨の心配もなくなってきているようで、気温も上がってきた。

 戻って行く途中、催し物広場のようになったところでクラフト市が開かれていた。この日は週末だからということのようだ。
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 現在整備中だという教会の前の仮設ステージでは、午後から歌や踊りが披露されるらしく、衣装を着けた少女たちがリハーサルをしていた。
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 お店を冷やかしているうちに、わたしはここでアザラシのかたちをした土笛を買ってしまった。
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 右の方に置いてある灰色のやつで、青い魚を捕まえて寝そべっているところがなかなか可愛かったのである。試しに吹かせてもらったら簡単に鳴らすことができたし、横の穴を押さえたり放したりして音色が変えられるのも気に入った。300ルーブルはちょっと高いかなと思ったが、値切り方が判らないのだから仕方がない。
 猫がうろついていた。
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 この野外博物館には2時間ほど滞在した。曇っていて良かったのかもしれないと思った。陽射しがあったら暑くなって、たぶんまいってしまっただろう。

 再びバスに乗ってバイカル湖へ。湖畔の道路に出たところで、まず昼食のレストランに直行した。
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 ここはビールが壜で出てきた。3匹の熊の絵が描かれている。
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 最初に出てきたオームリの塩漬け。これは美味しかった。
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 ウォッカに合うのだろうなと思った(ビールにもよく合った)。なお、次の料理の写真までは撮ったのだが、その後が続いていないので省略。
 食後、早めに外に出て、レストランのベランダで食後の一服をした(今回のツアーでも喫煙者はわたし一人だった。模範的な高齢者はみんな煙草は吸わないのである)。
 これはレストランの脇の道。
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 リストビヤンカ村は元々は貧しい半農半漁の村だったようだが、バイカル湖観光の拠点として発展したため、村の様子もすっかり様変わりしてしまったようだ。家並みにも新しく建てられた家などが目につくのである。

 観光用の船などが係留された船着き場へ向かった。これからバイカル湖クルーズである。
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 来るのが少し早かったようで、チャーターした船の準備が整うまで少し待った。近くに水辺まで下りられるところがあったので行ってみた。これが世界一きれいだと言われるバイカル湖の水。
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 船はこの船。乗船が始まった。
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 乗り終わるとすぐに出航した。
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 後部は四角いテントに囲まれたサロンのようになっていて、多くの人はそちらに席を占めたが、全員が座ると窮屈な感じなので、4、5人は前部の吹きさらしの甲板に行った。そちらにも3人掛けのベンチがあって、風を受けながら写真を撮ったりして行くのが楽しかった。小さな船だったが、波はほとんどないので全く問題はなかった。
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 この船は、上の写真に写っている船とほとんど同じと思われるが、こちらは後部甲板の部分がテントで覆われているということである。
 湖の広い方を写しても何もないから、結局岸の方を写していくことになる。しかしそれでは、まるで海のようなバイカル湖の大きさは判らないのである。
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 かなり行ったところで、何を思ったか船は岸の直立した岩壁に向かって真っ直ぐ突っ込んで行った。
 
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 最後のところでスピードを落としたが、そのまま右舷が岩肌に衝突した。岩が砕けて、前の甲板に散らばった。船員が出てきて岩のかけらを差し出しながら、ロシア語で何か言っている。ガイドが通訳してくれたが、これがバイカル湖の岩だ、記念に持って行けと言っているらしい。どうやらすべて予定の行動で、観光客向けの少々荒っぽいサービスだったのである。
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 やがて船は方向転換をして船着き場に戻って行く。
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 帰りは向かい風になったようで、前の甲板は風を非常に強く受けるようになってしまったので、後部のテントの中に入って静かにしていた(こういうふうにみんなが集まると、大声で生き生きと話の花を咲かせる人たちがいるのである)。
 ほぼ1時間で船着き場に戻った。写真には面白いものがないが、なかなか面白いクルーズだった。

 このあと、バスでちょっとずつ移動して、リストビヤンカ村の何箇所かを訪問した。
 まずニコリスカヤ(聖ニコライ)教会というのに行った。1846年に創建されたロシア正教の木造の教会である。
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 木造の壁などは新しく貼り替えられているのだろうが、こぢんまりした大変美しい教会だと思った。
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 中に入ったが、例によって中の写真はないのである。
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 次に、日本人墓地に行った。
 敗戦後、多くの日本人がシベリア各地で抑留されたが、劣悪な環境下で過酷な労働に従事させられ、この地で亡くなった日本人の墓地がこの村にあるというのだ。せっかく近くまで来たのだから、これにお参りしようというのである。
 バスを降りて、ゆるやかな上りになった村内の道を少し歩いた。やや高くなったところから見たリストビヤンカ村の家並み。
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 日本人墓地は、この道の先にあるロシア人墓地の一角にあった。
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 みんなで花とお線香を供えた。
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 石柱のプレートにカタカナで60名の日本人の名前が刻まれていた。
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 バスに戻る途中、古い木造家屋。
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 塗装色で、青や緑が使われているのが多いように思う(イルクーツクで写した写真でもけっこうあった)。ロシア人の好みの色なのだろうか。

 最後にバイカル湖博物館というのに行った。
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 興味深い展示が多かったと思う。文字は読めないからガイドの説明と、あとは帰って来てからインターネットなどで調べたのだが、バイカル湖の成り立ちというのがとりわけ興味深かった。
 この湖は世界で最も古い古代湖(湖の寿命が一般に数万年とされる中で、1000万年というようなはるかに長い期間存在し続けている湖)で、ユーラシアプレートとアムールプレートという2つのプレートの境界をなす地溝帯の陥没部にあるため、いまも年に数センチずつ引き裂かれ広がり続けているのだという。そのため、このあたりは地震も多く、次の写真はそのことを示したパネルである。
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 博物館には湖に棲息する固有生物の水族館エリアというのがあり、オームリやバイカルアザラシなどが水槽の中を泳いでいた。何枚もシャッターを切ったのだが、すべてぶれてしまってうまく写すことができなかった(撮れていれば、パネルの写真などよりずっとよかったのだが)。

 博物館前の道路沿いにあったバス停留所の待合室。
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 最後に、バイカル湖夕景。撮影は午後4時54分だから、夕景と言うには少し早過ぎるが。
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 朝来た道でイルクーツクに戻る。途中で買い物ストップがあった。
 近所にもあるSPARに、こんなところで出会うとは思ってもみなかった。
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 前の道路。
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 イルクーツク市内に入り、そのまま夕食会場に向かった。昨日行った130地区にあるブリヤート料理のレストランだった。
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 ここも前菜の写真だけですが。
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 午後8時半ごろ、ホテルに戻った。

 このあとは帰路の行程ということになる。
 再集合の10時半まで、2時間ほどのあいだに風呂に入り、荷物をまとめる。部屋に入って間もなく、とうとう雨が降り始めた。昼間は降らなかったのだから、あとはいくら降ってもかまわない。結局、われわれは非常にツイていたと言うべきだろう。

 22:30、ホテルを出発。雨は本降りになっていて、イルクーツク空港で、旅のあいだ一度も使うことのなかった折り畳み傘をとうとう開くことになってしまった。
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 空港の中で8月16日に日付が変わった。

 0:45発、アエロフロート航空5653便でハバロフスクへ。
 深夜のフライトだから機内食はないだろうと思っていたら、しっかりとあった。半分ぐらい残してしまった。機内で時差の修正(+2時間)を行ったので、飛行時間は3時間20分だったが、到着時間は6:05になっていた。
 朝のハバロフスク空港。快晴だった。
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 国内線ターミナルは国際線より規模が大きい感じだった。
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 乗り継ぎ時間が5時間半ほどあるので、バスで市内の小さなホテルに向かった。そこで、改めて朝食。さらに、2時間ほど部屋で休憩できるような段取りになっていた。短い時間だったが、これはありがたかった。
 その後、再びバスで、今度は国際線の方へ(国内線と国際線がどういう位置関係になっているのか、結局よく判らなかった)。しばらく待ち時間があった後、
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 11:50発、シベリア(S7)航空567便で成田へ。
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 飛行時間は2時間45分、途中-1時間の時差修正があったので、成田到着は13:35だった。
 八王子まで、直通のリムジンバスというので帰った。時間が合えば、成田との間を結ぶ交通手段としては、これが一番快適だと思った。
by krmtdir90 | 2015-08-28 23:59 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅⑧イルクーツク散歩(2015.8.14)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 イルクーツクという地名が記憶に刻まれたのは大学時代のことである。
 大学の劇研の公演を友人に誘われて観に行ったのだったと思う。上演されたのは「わたしのかわいそうなマラート」という芝居で、アレクセイ・アルブーゾフというソビエトの劇作家の作品(書かれたのは1965年)だった。登場人物はたった3人(男2・女1)、場所はレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)のアパートの一室、そこで1942年(独ソの攻防戦の最中に3人は出会う)・1946年・1959年にまたがる3人の愛に関する物語が展開し、1960年1月1日の夜明けを前に終わるという、上演時間2時間半ほどの舞台だった。
 芝居の出来がどんなものだったかは全く記憶にない。ただ、作品には強く惹かれるものがあり、未来社のてすぴす叢書というのに入っていた原作の戯曲を、早速購入して読んだのが始まりである。

 そして、同じ叢書に同じ作者の「イルクーツク物語」(書かれたのは1959年)というのが入っていることを知り、これも続けて購入して読んだのだったと思う。アンガラ川の巨大な水力発電所の建設現場で働く人々やイルクーツクの町の人々など、こちらはたくさんの登場人物が出てくるが、やはり中心をなすのは女1・男2による凝縮された愛の物語だった。
 旅に出る前に書棚の隅から探し出して、久し振りに読み直してみたが、戯曲としては「マラート」の方が数段上というのは変わらないと思った。しかし、単なる見知らぬ土地に過ぎなかったイルクーツクという地名に、忘れ難いドラマチックでロマンチックな印象が付加されたのは、若い時に読んだこの(これらの)戯曲のせいだったと思う。わたしにとってイルクーツクは、ハバロフスクやウラン・ウデとは違う特別な町だったのである。

 朝、外を見ると快晴だった。きょうは一日、イルクーツク市内の見学である。
 部屋は5階にあって、アンガラ川が見えていたが、ホテルの前のガガーリン通り(初めて地球を一周し「地球は青かった」の名言を残した懐かしいソ連の宇宙飛行士の名前がついている!)の並木と、アンガラ川に沿って整備された公園の木々がけっこう視界を遮っていて、イルクーツク駅の建物などは見えないようだった。
 ただ、線路は見通せているらしく、発着する列車や貨物列車などの姿は確認することができた。その中に、4輌編成の電車が走っているのが認められた。恐らく地元の人のために運行される、各駅停車の区間列車だろうと推測した。
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 朝食後、9時の出発までまだ時間があったので、妻と川岸の方に行ってみることにした。
 最初にイルクーツク駅である。
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 帰ってから(昨日)インターネットなどを調べていて判ったのだが、下車後にわれわれが通り抜けたのは駅舎の一番端の部分で(上の写真では中央左寄りに4連ある白い建物の左端、またはさらにその左側の建物)、前回に駅舎全景として掲載した写真は駅舎のごく一部しか写せていないことが判ったのである。駅舎の本体(と言うか、歴史ある建物の部分)はもっと奥の方にあったようで、上の写真ではやや右寄りの一段低くなった部分(真ん中に2つの丸屋根が見えている)あたりに、立派な旧駅舎があったらしいのである。
 いまとなってはもうどうしようもないが、そちらを見られなかったのは残念と言うしかない。

 川岸の公園は遊歩道が整備されていて、散歩する市民の姿などもちらほら見える。
 こちらが上流(つまりバイカル湖方面)。
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 因みに、バイカル湖には336の川が流入しているが、流出している川はアンガラ川だけである。アンガラ川は北に流れてエニセイ川に合流し、シベリアを縦断して何と北極海に注いでいる。すごいスケールの川なのである。

 この日なたぼっこをしていた鳩たちは、散歩でやって来た小さな犬に吠えられて、迷惑そうに場所を移動した(逃げて飛び立つ感じではなく、一時的に場所を変える感じ。毎朝のことで、慣れていたのかもしれない)。こちらでは散歩の犬はロープを外しているようだ。
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 これがホテル。
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 水際まで下りられるところがあったので、行ってみた。
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 昨日、駅からホテルに来る時に渡って来た橋(名前は判らない)。
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 川向こうの線路に4輌編成の電車がやって来た。
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 反対方向からも4輌編成がやって来て、すれ違った。乗りに行きたいと切に思ったが、もちろん叶わぬ夢である。
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 9時にホテルを出発して、最初に行ったのはキーロフ広場というところ。バスを降りて、現地ガイドの先導で散策する(ハバロフスクからシベリア鉄道もずっと同行したガイドは、ホテルの夕食まで一緒に過ごし、深夜の飛行機でハバロフスクに戻ったということだった。ツアーの最後にもう一度ハバロフスクで合流するようだ。新しくイルクーツクから同行するガイドもロシア人女性だったが、こちらの方がやや説明の仕方などが堅苦しい感じがした)。
 18世紀に建てられたロシア正教のスパスカヤ教会。壁面の大きなイコンが特徴らしかった。中には入らなかった。
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 いろいろ説明があったがあまり覚えていない。全景の写真はあとで。
 近くにあったポリスキー教会。こちらは重要な教会ではないらしく(カトリックの教会だったようだ)、説明はほとんどなかった。
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 これはイルクーツク州政府の建物、と言っていたような気がする。
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 広場の中央のあたりに永遠の火というのが燃えていた。その向こうに見えている胸像は誰か、説明はあったと思うが覚えていない。
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 さらに奥の少し高くなった橋は2車線道路を跨いでいて、
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 その先がアンガラ川になっていた。
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 橋を渡ったあたりから見たバガヤヴリェーンスキー聖堂。
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 これもロシア正教の教会で、現在修復が進められているので外観のみ。あとで前のところまで行ったのだが、写真は近すぎてうまく撮れていないので、逆光だがここからのものを載せておく。
 こちらは火力発電所の建物。ただし、いまはもう使われていないということだった。
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 このあたりのアンガラ川は、ホテルの前あたりと違って流れはかなり速いようだった。
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 川を背にして、コサック兵士の像が立っていた。
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 キーロフ広場周辺を一巡りして、スパスカヤ教会のところに戻って来た。最初に何枚も写真を撮ったのだが、帰りに撮ったこの一枚の方がいいので、ここで全景の写真を載せておく。
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 バスで次に向かったのは、ズナメンスキー女子修道院というところ。
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 礼拝に行くらしい母と子ども。ロシア正教だから、女子はスカーフで頭を隠している。
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 ここにはデカブリストの乱でこの地に流刑となり、イルクーツクの文化に大きな影響を与えて没したデカブリストたちのお墓があるらしい。いろいろ説明があったが、どうも詳しすぎてもう一つ有難みが湧いてこない。説明というのは難しいものである。
 周囲の木々が邪魔をして、建物の全景を写すのは難しい。
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 ここは中に入ったが、中は撮影禁止なので写真はない。ちょうどミサが行われていて、非常に厳粛な祈りの雰囲気を体験することができた。宗教というようなものを軽んじて生きてきたわたしのような者も、真っ直ぐな信仰の現場に対しては居住まいを正すしかなかった。

 さらにバスにちょっと乗って、次にカザン大聖堂というところに行った。これもロシア正教の教会らしいが、非常に装飾的でカラフルな(逆光で鮮やかな色がもう一つ出ていないが)建築で、いろいろな教会の姿があるものだと思った。
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 ここでも中に入った。しかし、どの教会も撮影禁止で、中の写真が一枚もないのは残念なことである。様々なイコンや天井などの見事な装飾など、写真がないと個々の教会の印象は混じり合ってしまい、どこがどうだったのかはよく判らなくなってしまうのである。
 確かこの教会では、脇の方の祭壇の前で、生後間もない赤ちゃんの洗礼式が行われていたと思うが、もしかすると他の教会で出会ったものだったかもしれない。

 バスの窓からトラム(路面電車)を見かけたので一枚。
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 このあと寄ったところは、添乗員は写真ストップという言い方をしていた。道端にバスを停め、歴史的な建物などを短時間ずつ見ていった。
 これは、屋根の庇などにレースのような装飾を施した、レースハウスと呼ばれる木造建築。
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 何か由緒ある建物だったようだが、わたしはこういうふうに観光用にきれいに整備されてしまった建物よりも、脇の方にあった何でもない木造家屋の方が(現に人が住んでいると思われる)興味深かった。
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 こんなアパートや、
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 トラムの方が面白いと思った(ちょっとお尻が切れてしまったが)。
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 次の写真ストップ。デカブリストの乱に加わり、この地に流刑となったヴォルコンスキーという人が住んだ家だという。
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 デカブリストの乱というのは大昔に世界史で習った気もするが、帝政ロシアの専制政治打倒を掲げて青年貴族将校たちが武装蜂起した事件で、鎮圧された後、指導者5名は処刑され、100人以上がシベリア流刑になったものらしい。
 ヴォルコンスキーの家の向かいにあったこの教会、説明はなかったと思うが、帰ってから地図などで調べてみると、スパソーブレアブラジェンスカヤ教会というものだったと思われる。特に重要な教会というわけではなかったのだろう。
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 このあとバスは、トイレ休憩のために一旦ホテルに戻った。ロシアでは(イルクーツクやハバロフスクでは)観光客などのためにトイレが整備されているという場所が少なく、先ほど行ったズナメンスキー女子修道院のトイレが使えなかった(特に女性には。詳細は不明)ということらしい。昼食で行く予定のレストランの予約時間まで、時間がかなり余ってしまったということもあったようだ。

 その後、アンガラ河畔に立ち寄った。今朝散歩したもう少し先のあたりに公園の中心部分があり、そこにシベリア鉄道の敷設に尽力したというアレクサンドル3世の像が立っていた。
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 広場のようになったところに子供用の小さなゴーカートが十数台並んでいて、小さな子どもが運転して遊んでいた(お金を払って乗るかたち)。
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 よく見ると、これはラジコンで操縦するようになっているらしく、写真の左の方に写っている子どもの乗ったカートは、すぐ後ろのお父さんらしい人が操縦しているのだった。けっこうスピードを出したり急転回をしたり、これは親子どちらにとっても楽しいだろうと思った。
 対岸の線路に貨物列車がイルクーツク駅に入って行くのが見えた。
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 バスを乗降した通りの向かい、この建物は図書館、
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 こちらは郷土博物館ということだった。
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 昼食を食べたレストラン。
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 右のドアはKABUKIという日本食の店のもので、2階がそれにあたるようだったが、われわれは1階のイタリア風という方に入った。あまりイタリア風だとは思わなかったが(結局はロシアだなという感じがしてしまった)。

 表がカール・マルクス通りというメインストリートなので、食後に15分ほど散策タイムが取られた。
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 次の写真の左の歩道に立っている2人のロシア人女性が、わたしたちが道路を横断して行くといきなり話しかけてきた。しかも日本語で。
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 日本人ですかと聞くからそうだと答えると、やっぱりという感じで嬉しそうにした。中国人と見分けられたのは立派である。彼女たちが自己紹介をして、しばらく日本語で立ち話をすることになった。左側がお母さんで右側はまだ十代のハーフの娘さんだった。
 日本の男性と結婚してしばらく日本に住んでいたが、福島の事故のあと母娘だけイルクーツクに帰ったのだと言う。娘さんはまるっきり日本人のように話した。高尾山に登ったことがあると言っていた。お母さんの日本語はややたどたどしかったが、われわれに付いているガイドよりは上手いと思った。彼女は日本語ガイドの面接に行くのだと言い、一緒にバスのところまでついて来て、こちらのガイドにいろいろとアドバイスをもらっていた。
 偶然の成り行きとはいえ、なかなか楽しい出来事だった。2人の大きな写真もあるのだが、妻も写っているし掲載は控えておくことにする(トリミングするのも変なものだし)。

 次に中央市場というところに行った。
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 例によって食料品などを中心とした庶民の市場だったが、ここは内部撮影禁止ということで、中の写真はない。ひそかに2枚ほどシャッターを切ってみたが、どちらもぶれてしまってうまく写せなかった。
 市場も面白いが、それ以上に周辺のこういう建物の方が面白いと思った。
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 最後に行ったのが、イルクーツクの古い町並みを再現したという、130地区と呼ばれる観光スポットだった。整備された歩行ゾーンにカラフルな木造建築が並び、レストランや喫茶店、みやげ物屋などが入っていた。わたしが一番避けたいと思うような場所だったが、ここで1時間近い自由時間が取られていた。
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 一方の突き当たりに大きなショッピングビルがあったので、一応そこまでは行って来た(一応中にも入ってきた)。
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 こういうところの雰囲気は日本のショッピングセンターなどと変わらない気がした。

 スタートした集合地点に戻ったが、まだ30分も残っていた。妻は日陰で休んでいると言うので、わたしは単独行動で周囲の探索をして来ることにした。ここにある木造建築はみんな偽物だが(まあ、こういうのが好きな人も多いのは判っているが)、バスでここに来る途中、本物の古い木造家屋などを見かけていたからである。快晴で陽射しが強く暑かったが、こういうフリーの散歩の方がわたしは性には合っている。
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 ずいぶん古いものもあるが、厳しい気候の中でよく残ってきたなと思った、いまも人が住んでいるのなら、こういう家の内部がどんなふうなのかぜひ見てみたいと思った。

 4時過ぎにホテルに戻った。この日の夕食は外に出ることになっていたが、再集合までまだずいぶん時間があった。わたしは何だか勢いがついてしまったみたいで、一人でホテルの周囲の(古い人家がありそうな方向へ)散歩に出掛けることにした。
 30分ほど歩いただけだが、けっこうあるものだと思った。
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 ずいぶん古そうな家もあるが、庇などの精巧なレース状の装飾はどれも見事なものばかりで、それぞれにまだ普通に人が住んでいるのだとすると、それだけで素晴らしいことだと思った。
 木造の家屋もいろいろあって面白いが、アパートなどの佇まいにもどことなく日本とは違った印象があって興味深い感じがした。
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 日本から遥か離れたシベリアの町を散歩しているのだと思うと、それだけで何でもない町の風景に感慨が湧いてくるのである。ホントにイルクーツクに来るなんて、思っても見なかった。

 夕食は外のレストランに行ったが、建物も料理もあまり印象がなく、写真も面白くないので省略。天気は下り坂で、明日は雨と曇りの予報になっていると言う。うーむ。
by krmtdir90 | 2015-08-26 18:12 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅⑦シベリア鉄道5・イルクーツク到着(2015.8.13)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 添乗員作製の時刻表と地球の歩き方所収の途中駅一覧には、ウラン・ウデ駅を出て次の短時間停車駅・ムィソーヴァヤ駅までの間には、通過駅が9つあると記載されていた。ところが、前回触れたそれ以外と思われる簡単な乗降場のような駅が、やはりけっこう短い間隔で目につくのである。
 気になり始めると放っておけず、何とかうまく写真に収めたいと準備はしていたのだが、なにぶん線路際にサッと現れてすぐに通り過ぎてしまうので、なかなか捉えることができなかった。幾つか通り過ぎた後で、2線が3線に広がったところに現れたホームを、やっと何とか写すことができた。確認すると、駅名標がうまく写り込んでいた。
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 地球の歩き方の駅名一覧にはロシア語表記が併記されているから、これと付き合わせてみることで、この駅(乗降場)が9つの通過駅には含まれていないことが確認できた。

 さらに昨夜、ウラン・ウデについてインターネットであれこれ調べているうちに、ようやく利用価値のある「weblio地図」というページにたどり着いたのである。かなり詳細なところまで調べられる地図で、シベリア鉄道の線路と駅もしっかり載っていた。しかも素晴らしかったのは、駅名については日本語(カタカナ)とロシア語の両方が記載されていることだった。
 ウラン・ウデ駅を出発して、スクロールしながら線路をたどっていくと、9つの駅以外の駅もすべて載っていることが判った。嬉しくなって、ムィソーヴァヤ駅までの途中駅を一生懸命メモ用紙に書き写した。この地図のカタカナ表記は、地球の歩き方などのカタカナ表記とは若干ズレがあるようで、ムィソーヴァヤ駅はミソヴァヤ駅となっていたが、これが同一の駅であることはロシア語表記から確かめられるのである。

 結局、ウラン・ウデ駅とムィソーヴァヤ(ミソヴァヤ)駅の間には、21もの駅が確認できたのである(ただ、ムィソーヴァヤ駅の一つ手前にあるはずの通過駅・ボヤールスキー駅だけが、この地図には記載されていなかった。このあと撮影した写真の中にボヤールスキー駅はあったので、駅の存在は確認されるのだが、どうして地図に載っていなかったのかは不明のままである)。
 ともあれ、これによって1枚目の写真がソスノヴィ・ボルという駅であることが明らかになったのである。

 「weblio地図」というページが見つかったことで、このあといろいろなことが思いがけず判明したりすることになった。少しして列車は割と大きな川を鉄橋で越えたのだが、この川がセレンガ川という川であることも判った。複線の線路それぞれが別の鉄橋で川を渡ることも、地図は正確に示していたのである。
 セレンガ川の前に、もう一つ駅があった。
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 9つの駅以外の小駅のようにも見えたのだが、地図によれば、ソスノヴィ・ボル駅とセレンガ川の間にはもう、9つの駅の一つ・モストヴォイ駅しかないことが判り、上の写真がそれであることが特定できたのだった。

 セレンガ川を渡る鉄橋。
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 複線の線路はそれぞれ別の鉄橋で川を渡っている。トラスの形が異なっていたり、古さに差があるように見えるのは、一方は単線から複線になる時に新たに架けられた橋だからだろう。
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 セレンガ川は、モンゴルから流れ出てバイカル湖に注いでいる川のようだ。
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 セレンガ川を過ぎてすぐのところにあったこの駅は、9つの駅以外のペトゥホフカ駅である。
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 次のこの駅は駅名標が写り込んだ。これも9つの駅以外のコロス駅である。
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 しばらくしてから撮った下の駅は、手掛かりがなく駅名を特定することはできないが、左の方に駅舎らしき建物が写っているので、9つの通過駅の一つであろうと思われる。
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 いよいよ車内での食事も最後になった。昼と夜は毎回ビールを飲んでいたから(ロシア語ではビーヴァと言うらしい)、添乗員やガイドはすっかりそういう人だと記憶してしまったようだ。
 食後に、添乗員がウラン・ウデ駅で購入したらしい、バイカル湖名物のオームリ(バイカル湖に棲息する白身の魚)の燻製をみんなに振る舞ってくれた。
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 天気はどんどん回復していて、このあとハイライトのバイカル湖岸を行くころには、薄雲はあるもののすっかり晴れてしまった。

 9つの通過駅の中で、最後のボヤールスキー駅(「weblio地図」には載っていないが、駅舎の駅名表示を拡大すると判読できるので、間違いはない)。
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 ボヤールスキー駅を過ぎるとバイカル湖が見え始めた。
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 湖はコンパートメント側の車窓にあったから、ここからは上部の窓を開けて、例の当てずっぽう撮影で行くことにした。列車は湖岸にぐっと近づくかと思うとすっと内陸に入ったりと、変化があって飽きることがなかった(腕が痛くなるので、撮影は休み休み行った)。
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 湖岸にはけっこう車が入っている場所もあって、グループでキャンプを楽しんでいるようだった。水着姿の人もたくさん見かけた。
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 バイカル湖は琵琶湖の46倍もの面積を持っているようで、向こう岸も見えるはずはなく、結局は海と同じで、撮影していると次第にマンネリになってくるというのも事実である。
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 12:56到着予定の短時間停車駅・ムィソーヴァヤ駅に約10分遅れで到着した。廊下側(バイカル湖の反対側)に建物がある様子だったので、上部の窓の脇から手を出して撮影した。
 附属の建物はいろいろあるが、なかなか駅舎にならない。
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 次の2つは駅の外の建物のようだ。
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 どうやら工事中のフェンスに囲まれたこの建物が駅舎で、
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 その横のこちらが(たぶん)仮の駅舎ということのようだった。
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 下車した人たちが構内踏切のある方へ歩いて行く。
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 やや高さのあるきちんとしたホームなので、線路を渡ることは考えないらしかった。

 湖に面した集落。
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 この薄いピンクの花はたぶんヤナギランである。
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 信州・霧ヶ峰の八島湿原で見た時に名前を覚えた、わたしが名前の判る数少ない高山植物の一つなのである。これはバイカル湖畔のあちこちの線路際に咲いていた。

 廊下側の窓から。バイカル湖とは反対側の景色。
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 こんなところにも小さな駅(乗降場)があった。
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 昼食の時、添乗員にこれらの駅のことを話してみた。恐らくこういう駅に停車しながら運行している普通列車があるはずだが、そういうものについて、例えば日本の駅などに置いてある駅の時刻表のようなものはないのだろうかと相談してみた。
 面倒なことを言う人だと思ったかどうか判らないが、彼女はガイドと一緒に車掌のところに聞きに行ってくれたらしく、あとで車掌が持っている時刻表(運行マニュアルのようなものらしく、厚さのある冊子だった。ロシア語だからもちろんよく判らないが、それにはこうした長距離列車の時刻などは載っているが、各駅停車の区間列車のようなものは載っていないようだった)を借りて報告に来てくれた。結論はここでは判らないということだったが、ちゃんと対応してくれたのには感心した。
 彼女はイルクーツクでも新しいガイドに聞いてくれたようで、ロシアのインターネットでは調べることができるけれど、印刷された駅の時刻表のようなものはなさそうだと教えてくれた。

 15:12、短時間停車駅・バイカリスク駅に到着。さっきの遅れは解消していた。撮影は廊下側の窓から。
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発車したのでコンパートメントに戻り、そちら側(バイカル湖側)を見るとバイカリスク駅の側線がまだ続いていて、貨物列車がちょうどいい離れ方で停車していた。で、ちょっと撮影してみたのだが、見当のつけ方がやや低かったようで、もう少しで頭が切れてしまうところだった。でも何とか撮れていたこれは、明らかにディーゼル機関車である。
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 調べてみると、運良くインターネットで見つかった。側面のТЭМ18ДМというのが車輌形式で、796というのが車体番号のようだ。ТЭМ18形というのは、ソ連崩壊後の1992年以降に製造されたディーゼル機関車で、ТЭМ18ДМ形はそれをさらに-50度Cの寒さにも耐えられるよう改良した機種ということらしい。-50度Cに対応しなければならないのだから、ロシアの鉄道は大変だと思う。

 空はすっかり快晴になってしまった。いつの間にか向こう岸が見えるようになっている。バイカル湖の西端が近づいてきているのである。
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 列車はバイカル湖に別れを告げて、湖の最西端にあるスリュジャンカⅠ駅に入って行く。最後の短時間停車駅である。
 建物はコンパートメント側にある気配だから、例の当てずっぽう撮影で挑戦した。最初のうちはうまく撮れていたが、
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 メインの駅舎では見事に失敗してしまった。
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 列車は駅舎を通り過ぎたはるか先の方に停車したので、もう後の祭りだった。フォローする方法もなかった。

 ガイドブックなどによれば、この駅で電化方式が交流から直流に変わるので、機関車交換があると書かれていた。添乗員も同じようなことを言っていた。しかし、それならば短時間停車では済まないはずだから、変だなと思っていた。実際のところは停車2、3分で発車してしまったから、交換は行われなかったようである。
 イルクーツク駅に到着してから先頭を確認してみたら、昨日チェルヌィシェフスク・ザバイカリスキー駅で付け替えた青い機関車がそのまま連結されていた。あれは交直両用機関車だったのだろうか。それ以外は考えられないと思った。
〔あとでさらにインターネットを見ていたら、ロシアには交直両用機関車は存在しないはずだから、方式を直流から交流に変換する工事を行ったのではないか、という推測が書かれたページにぶつかった。なるほど、そういうこともあったのか。〕 

 スリュジャンカⅠ駅を出ると、列車は大きくカーブを描きながら次第に高度を上げ始める。
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 こもあとイルクーツクに向けて、シベリア鉄道は急峻な山越え区間に差しかかるのである。右に左にカーブを繰り返しながら徐々に高度を上げていくのだが、長大トンネルで山をぶち抜いてしまおうという考え方は、建設時はもちろん(20世紀初めの建設時にはトンネル掘削技術がまだ未発達だったのかもしれないが)現在でもないのであろう。どうも記憶がはっきりしないのだが、途中にトンネルはほとんどなかった(あってもごく短いもの)ように思う。

 この区間の風景写真はない。線路際に崖が迫っていたり、見通しのあるところでも車窓の変化が目まぐるしく、なかなか撮るチャンスが来なかったのである。
 ただ、例の乗降場のような小駅はこんな区間でも見かけた。
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 ロシアでは庶民の多くがダーチャという別荘を所有しているようだが、こうした山中にもダーチャらしき建物や人家などがあったりするらしく、もう「weblio地図」で調べることはしなかったが、決して未開の山の中ではなかったのである。
 しかし、山の中だったからだろうか、簡易な待合所が附属しているホームもあった。

 最高所を過ぎて線路が下り勾配になると、間もなくホームの周囲にも家々の姿が戻って来た。
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 イルクーツクの郊外といったところだろうか。
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 早めに下車の準備をする。使用したシーツや枕カバーなどは自分で外して車掌に返却することになっているらしい。添乗員やガイドが手伝ってくれる。マットレスも畳んでおく。スーツケースは廊下に出しておくと、旅行社が頼んだポーターがバスまで運んでくれることになっている。

 やがて、アンガラ川が見えてきた。バイカル湖から流れ出てイルクーツク市街を貫く大きな川である。
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 大きな橋が架かっている。手前に見えている線路は工場か何かへの引き込み線だろうか。
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 川面にボートなどが浮かんでいるようだ。
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 今宵のホテル、イルクーツクホテルも見えている(左の白い建物)。
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 18:35、ほぼ定刻に列車はイルクーツク駅に到着した。下車したところで添乗員の音頭で、列車をバックにツアーの集合写真を撮った。その後は、ツアーだからすぐに移動を始めてしまい、ゆっくりあたりの写真を撮っているわけにはいかない。でも、やはり撮らないわけにはいかないのである。
 われわれの列車の先頭機関車。やはり青い電気機関車が連結されていた。
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 この中央奥が駅舎だろうか。
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 完全な逆光だし、間に別の列車などが停まっていて、こちらからはよく判らなかった。
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 この駅は跨線橋ではなく地下道で駅舎につながっているようだ。
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 ホームの右側に停まっているこれは電車のようだ。編成も短そうだし、これがあの小さな駅たちをつないでいる区間列車なのかもしれない。
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 地下道の階段にエスカレーターはなかった。階段を上って駅舎の中に出たところで、地下道を写そうとしたら上の電光掲示板が目に入って、思わずそちらを写してしまった。
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 しかし、ここに表示されているのは発着する列車の時刻などに違いないのだが、拡大して見てみても、どうもどういう順序でどういう情報が表示されているのかが、雑然としている感じで皆目見当がつかないのである。
 みんなの後を追いながら、駅舎内部の右と、
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 左と。
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 出口の手前にゲートのようなものがあるが、別に何かをチェックしているということでもなさそうだ。
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 ツアーだから仕方がないが、あっという間に外に出てしまう。
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 駅舎を出た左の方にバスが待っていた。ここまで来て、ようやく少しゆとりができる。スーツケースが全部運ばれてくるまで待たされたのだが、こういう時間がないとゆっくり写真も撮れないのである。で、改めて駅舎全景。
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 駅舎の向こうの方はどんな具合になっているのか、よく判らない。もう少し正面の方から見てみたいのだが、どうもそんな行動がとれる雰囲気はないのである。まあ、仕方がない。
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 前の道路にはトラム(路面電車)の線路が通っている。トロリーバスも走っているようだ。
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 アンガラ川を渡ってホテルに向かった。ホテルはイルクーツク駅の対岸、斜め向かいといった位置にあったが、部屋の窓からはちょうど木が邪魔をして駅舎は見えないようだった。
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 ホテルのレストランで久し振りにゆっくりした食事をして、部屋に入って3日振りの風呂に入り、この晩はさっぱりした気分でゆっくり休みました。 
by krmtdir90 | 2015-08-24 22:16 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅⑥シベリア鉄道4(2015.8.12~13)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 シベリア鉄道の窓ガラスは汚れがひどく、ガラス越しに撮る写真では汚れがかなり気になっていた。窓ガラスは上下2分割されていて、上部の幅の狭い部分が手前に45度ほど倒れるようになっているので、ここからカメラを出して撮影できれば、問題は解決するのである。
 通路側の窓は、横から腕が入れられるので比較的容易に撮影することができた。しかし、他の乗客の目もあるし、ずっとそちらでスタンバイしているわけにもいかないから、できればコンパートメント側の窓でこれをやりたいのである。ところが、こちらは上段ベッドが邪魔になって、横から腕を入れることができず、上から下へカメラを入れるしかやりようがないのだ。これはかなり苦しい姿勢を強いられることになり、ちょっと使えないかなと思っていたのである。

 ただ、前回ちょっと触れたが、モニター画面を見ないでもいいと考えて、当てずっぽうでシャッターを切っていくのであれば、それほど難しいことではないと気付いたのである。基本的に風景を撮りたいわけだから、だいたいの見当で何枚も撮っていけば、失敗もあるかもしれないがうまく撮れるものも混じるはずだと考えた。フィルムの時代には枚数に限りがあってそんなやり方は考えられなかったが、デジタルになったいまは失敗したものは消してしまえばいいだけなのだ。

 チェルヌィシェフスク・ザバイカリスキー駅を出てしばらく行くと、なかなか特徴ある地形が連続するようになった。そこで試してみた成果が以下の写真である。1回に数枚撮っては具合を確認し、また試みるというのを何回か繰り返し、22枚撮った中から選んだ8枚である。
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 2枚目はちょっと下の方に向け過ぎて丘陵の部分が欠けてしまったが、おおむね狙い通りに撮れたのではないかと思う(掲載する際、傾きはフォトショップで修正した)。ただ、苦しい角度で腕を入れているのは変わらないから、そういつでもやれる方法ではないし、咄嗟のシャッターチャンスにも対応できるものではないのである。

 それにしても不思議な光景である。車の通る道は見えているものの、基本的に人の手が加わってはいない土地だと思われるが、夏の盛りなのに草もほとんど伸びておらず、川べりの茂みも非常にささやかなものにしかなっていない。樹木もきわめて丈の低いものがぽつぽつ点在するだけで、きっと全体として植物の生育には不向きな土地ということなのだろう。
 年間の気候の変化がどのようなものか調べる術はないのだが、恐らく雪や氷に閉ざされた期間が長過ぎて植物が育たないのだろうと想像できるのである。

 次の8枚は、短時間停車駅・クエンガ駅に入って行くところである。
 夕日の方向に幾つか人家が見え始め、
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 次第に集落(と言うにはまばら過ぎる感じもするが)の中に入って行き、
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 駅構内にさしかかり、
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 駅舎が見えてくると、途端にこのやり方は通用しなくなってしまった。近距離のものはモニターを見ながらフレームを決めてやらなければ、うまく写すことはできないのである。速度を落としながら駅舎の前を通過するところはことごとく失敗し、停車してから何とか撮った2枚がこれ。
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 この後の方の写真は、前回に掲載したカーブで後方車輌を写した時と同じである。大きく傾いた原板をフォトショップで修正し、大幅にトリミングして見られるようにしたものである(これ以上傾きを調整すると、駅舎の頭が欠けてしまうギリギリのところで手を打った)。でも、何とか駅舎を写すことができたのである。

 この日最後は、短時間停車駅・シルカ駅。
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 撮影時刻は20:20になっていて、運行に数分の遅れが出ているようだが、全く問題にならない範囲だろうと思われる。

 前日と違って、この日は昼間もそれほど暑くはならず、夕方から気温も下がってきたようなのでよかった。夜中に雨の音でちょっと目が覚めたりしたが、おおむねしっかり眠ることが出来た。
 夜の間に、カルィムスカヤ駅、チタⅡ駅という2つの下車可能駅があったのだが、ほとんど気付かなかった(妻は気付いていたらしいが)。

 8月13日(木)。朝、起きたら雨が降っていた。
 午前7時過ぎ、短時間停車駅・バダ駅。
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 これは駅舎ではなく官舎か何かではないかと思う。ただ、窓はこういう感じだから、汚れは少しは洗い流されるかもしれないが、しばらくは我慢ということである。

 8時に前日と同じように、添乗員たちが朝食を運んできてくれた。
 雨は次第に小降りになってきている。
 8時過ぎに通過した駅、ノヴォパヴロフカ駅。
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 撮った時には駅名などは判らなかったが、試しに原板を拡大してみたら駅名表示が読み取れた(もちろんロシア語の表示だが、「地球の歩き方」にある駅名一覧にロシア語表示が載っているので調べられるのである)。

 8時50分の少し前に短時間停車駅のペトロフスキー・ザヴォート駅に停車した。コンパートメントからだとこんな感じなので(右寄りに跨線橋のようなものが写っている)、
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 ドアを開けて通路側を見てみた。雨はほとんど止んでいるようだったので、窓の上部を開けて(手前に倒して)隙間からカメラを出して撮影した。
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 中央の建物は跨線橋に付随した階段などのある建物で、その奥の建物が駅舎のような気がする。向こう側のホームと駅舎は広い階段でつながっているようだ。左端の奥に、この列車の後部客車が写っている(こういうことは、写している時に気がついているわけではなく、写真の整理をしながら見ていて判ってくることなのである。これが楽しくて、時間がどんどん経ってしまうのです)。

 朝食を持ってきた時、添乗員が、もう少し行くと時差が切り替わるので、適当な時に時計の修正をお願いしますと言っていた。ペトロフスキー・ザヴォート駅を出ると、ヤクーツク時間からイルクーツク時間になるのである。-1時間なので、時計の針を戻す(日本より1時間遅れということになったようだ)。
 駅を出ると、時間は7時50分に戻ったのである。

 したがって、次の短時間停車駅・ノヴォイリインスキー駅の到着時間は8:38ということになる(この後の記述は、この時間の続きということになる)。写真はうまく撮れなかった。
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 ノヴォイリインスキー駅を出て、次の停車駅のウラン・ウデ駅までは所要1時間30分弱、間には6つの通過駅があった。
 いまわたしがこれを書きながら参照している資料は3つあるのだが、1つは添乗員が作製してくれた時刻表、2つ目はガイドブック「地球の歩き方」に掲載された沿線ガイド(途中駅一覧)、3つ目がウィキペディアにあるシベリア鉄道の主要駅一覧というものである。この1と2では通過駅は6つで共通しているが、3では2つの駅が省略されて4つが掲載されている。
 これらの途中駅について、日本の鉄道だとウィキペディア(日本語版)でどんな秘境駅でも詳細を調べることができるのだが、シベリア鉄道ではこれができないのである。今回の乗車区間ではハバロフスク駅、ビロビジャン駅、ウラン・ウデ駅の3駅が参照できる(写真も付いているが、説明は非常に簡単)だけで、イルクーツク駅さえページが作られていないのである。

 なぜこんなことを書いているかというと、ノヴォイリインスキー駅とウラン・ウデ駅の間で、ちょっと気になるものを見つけてしまったからである。上に書いたように、6つの通過駅がどんなものなのかを調べる手立てがないので何とも言えないのだが、どうもこの6つの駅ではなさそうな、簡易な乗降場のような駅を幾つか見つけてしまったということなのである。
 この区間というのはけっこう集落などもあって、比較的人が住んでいるところが見られた区間なのだが、そうしたところで、線路際に非常に幅の狭い簡単なホームが設置されているところがあるのに気付いた。駅舎など附属の建物はなく、ただ短めの(長さはまちまちだったが)ホーム(としか思えない施設)だけが置かれているのである。2線(複線)を3線にして(そのホームのための線を増やして)設置されている場合が多いようだった。どれも古いものではなく、比較的最近に作られたもののように思われ、駅間距離も短いようだった。
 こういう地元の人の利用だけを想定した小さな乗降場(駅)というのがあって、そういうのを細かくたどりながら走る普通列車(区間列車)のようなものが、たぶんあるのではないかと推測した。

 ただ、気付いたとはいえ、どれも線路際に急に現れ、あっという間に通り過ぎてしまうので、うまく写真に写すことはできなかった。こんな感じなのである。
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 また、こういう簡易な乗降場なのか、それとも6つの通過駅の一つだったのか、判断できないものもあったので載せておく。
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 なお、こういう小さな乗降場(駅)については、ウラン・ウデ駅を出たあとも見かけたので、あとでまた触れることにする。

 あとは、途中で見かけた寂しい町並みなど(悪天候だったので、いっそうわびしい印象になってしまったかもしれないが)の写真を少し載せておくことにする。見えている道路で、舗装されているのは最初の2つぐらい(それもきわめて簡易な)であることに注意してほしい。
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 最後の1枚は、もうウラン・ウデの町に入っていると思う。

 下車可能停車駅、ウラン・ウデ駅。時刻表の10:04より若干早く到着したようだった。雲はまだたれ込めているが、雨はすっかり止んでいた。よかった。
 停車時間は26分となっている。この後はもう下車駅のイルクーツク駅まで途中下車できる駅はない。
 ここではホームの先頭寄りにCy形蒸気機関車というのが静態保存されているというので、最初にそれを見に行くことにした。
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 非常によく手入れされている感じで、運転席横に付けられたマークにCCCPというソビエト連邦の略称が残っているのが印象的だった。
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 正面の赤い星が、いかにも旧ソ連の機関車という感じを際立たせている。
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 次に、すぐ横にある、われわれの列車を牽引するЭП1П形電気機関車を撮影する。
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 その後は後方に向かって歩きながら、駅の建物を確認していくことにする。
 これは附属の建物。ロシア語は全く判らないから、表示がされていても何の建物なのかは判らない。
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 これはトイレ。トイレを表すロシア文字は何となく覚えてしまった。
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 これは売店。
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 ここは食堂などが入っている建物のように見える。
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 次が駅舎である。
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 跨線橋の手前の左手に、外に通じている通路があった。外に出るのは、ホームをもう少し先まで見てきてからにしようと思う。
 駅舎。
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 全体をうまくフレームに収めるのはかなり難しい。
 正面の出入口のところには、黒い制服姿の男性が立っている。
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 ツアーの他のメンバーがこの人と一緒に写真を撮ってもらおうとしたら、シャッターの瞬間に(照れて?)横を向いてしまったと話していたので、わたしたちもやってみたら、やはりそっぽを向いて写っていた。
 駅舎の右端のところに、クマの親子のモニュメントが立っていた。
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 駅舎を通り過ぎた向こうにも、売店や附属の建物が並んでいた。ずいぶん大きな駅なのである。
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 これが附属の建物の最後のようだ。やはり食堂が入っているように見える。
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 戻ることにする。向こう側から見た駅舎。
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 駅舎の左手から外に出られる通路がある。
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 外に出てみた。
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 駅舎の外観。
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 再びホームに戻る。
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 一旦13号車のところまで戻り、その先の15号車の上あたりを跨いでいた跨線橋に上ることにした。ところが、上まで行かないところで構内放送がかかり、間もなく発車だから車内に戻るようにと(ロシア語で)言っているらしい。こういう大きな駅では数分前にそうした放送があるというのを(どこだったか忘れたが)一度経験していたので、階段の途中で慌ただしく数枚写しただけで下に降りた。
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 この跨線橋は、外のかなり向こうの方に出られるようになっているようだ。駅の両側を結ぶ自由通路にもなっているのだろうと思った。
 10:30、列車は定刻にウラン・ウデ駅を発車した。
by krmtdir90 | 2015-08-23 20:26 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅⑤シベリア鉄道3(2015.8.12)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 夜中にちょっと目が覚めて、窓の外を見たら星がいっぱい見えた。肉眼で見える限りの星が見えていたのではないだろうか。そして、ちょうど窓枠に切り取られるようなかたちで、北斗七星の柄杓が見事に見えていたのである。あんまり見事すぎて、朝になると夢だったのではないかと疑わしい気分になってしまった。

 朝7:00、列車はほぼ定刻通りエロフェイ・パーヴロヴィチ駅に到着した。添乗員作製の時刻表によれば、停車時間は21分とある。下車すると、朝の空気は冷たくて気持ちがよかった。空は晴れているが、全体に薄雲がかかっている感じである。
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 停車したのは駅舎側から2本目の線路だったが、降りたところはホームと言うより、線路と線路の間にちょっと簡易舗装を施しただけの狭い幅のスペースで、高さもなく舗装も傷んでいて、こういうところで乗降するのかと少し驚いた。
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 駅舎は歴史がある感じはしなかったが、かなり立派なものではあった。
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 駅舎の左手から外に出られるようになっていたので、とりあえず外に出てきた。
 駅前という感じは全くなく、道路と言うより単に道と言った方がいい感じのものがつながっているだけで、車なども停まっていないようだった。駅舎正面にも小さな通用口といったドアがあるだけで、普通にイメージする駅舎の正面玄関とはずいぶん違っていると思った。
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 この向かいに、何だかよく判らない小ぶりの記念碑のようなものが建っていた。
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 茂みを隔ててアパートなどが建っているようだったが、とにかくよく判らない不思議な駅前だと思った。

 構内に戻り、煙草を吸ったりしながらあちこち歩き回った。線路内に立ち入ってもいいのだということが判ると、自由にアングルが決められるので何だか拍子抜けするところもあるのである。
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 この左手にある建物、小さな駅なら駅舎という感じもするが、ここでは何か附属の建物ということなのだろう。
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 駅舎側の線路の向こうの方に停まっていた機関車が、ヘッドライトを点灯してこちらにやって来る気配なので、元のホーム(ホームとは言えないよね、この感じ)に戻り列車に戻った。
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 車内での朝食は、ビュッフェで用意したものを、8時に添乗員やガイド、ウェイトレスなどが各コンパートメントに運んでくれるかたちになった。食堂車がなくなってしまったので苦肉の策だったのだろう。簡単なものだったが、暖かい卵焼きを持って来てくれたのはよかった。
 食事には紅茶が付くのが基本らしく、レモンの輪切りとティーパックの入ったカップを置いていき、各車輌に付いているサモワールのお湯で各自飲んでくださいということだった。こちらでは紅茶もコーヒーも砂糖をたっぷり入れて甘くして飲むのが普通らしく、置いていくシュガーパックが10グラム入りなのには驚いた。ビュッフェの時には、ウェイトレスにさらにもう1本欲しいかと聞かれた(そういう素振りをされた)。
 インスタントコーヒーのパックを渡されたこともあったが、これも最初からたっぷりの砂糖が入ってしまっているもので、申し訳ないがとても飲めたものではなかった。

 煙草のことも書いておく。車内はすべて禁煙だったが、シベリア鉄道では乗降口のあるデッキでは吸えるという話しだった。ロシア人が実際に吸っているところを見れば安心だったが、そういうところには出会わなかったので、とりあえず行って吸ってみることにした。
 1回目は吸っているあいだ誰にも出会わなかった。2回目の時、たまたま通りかかった男性の車掌に咎められた。いや、吸っていいはずだよと(弱々しく)抗弁してみたが、日本語とロシア語では通じるわけもなく、持参の携帯灰皿で火を消したら、ちょっとこっちへ来いと連結部分のドアを開けるのである。エッと思い、面倒なことは嫌だよと尻込みしていると、どうやらこの部分で吸えと言っているらしい。なんだ、そういうことなのかとホッとした。彼はニヤリと笑って行ってしまった。
 で、3回目からはドアを開けて、そちらに煙を出すようにして吸うようにした。ただ、わたしは我慢ができないスモーカーではないから、車内で吸ったのはたぶん5回ぐらいだったと思う(停車して車外に出ても、撮影が忙しくて吸わない時もあったくらいである)。

 次の下車可能停車駅はアマザル駅で、9時過ぎの到着だった。停車時間は18分。
 下車すると、駅舎ははるか後方のようだった。
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 歩いて行くと、途中でこんなふうに(たぶん)水の補給を行っていた。
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 線路を渡って駅舎側のホームには、小さな台を置いて物売りの人が出ていた。
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 手前の人だかりがそうなのだが、煙草をくわえた女性が横切ったので隠れてしまった。奥にもう一人いるので感じは判ると思う。売っているのはパンやピロシキといった簡単な食料のようだった。右手のプレハブみたいな2つの施設は、キオスクのような売店だった。
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 駅舎はホームから階段を下りたところにあった。
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 駅舎の右手に黒っぽいものが寝そべっているのが判るだろうか。これ、放し飼いの黒ヤギである。
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 なぜこんなところにと思うが、よく判らない。
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 駅舎正面。
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 こちら側には出入口がない。改札は列車のところで車掌が行い、駅で改札を通るという考え方がないわけだから、駅を通り抜ける必要もないのである。
 駅前。
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 駅構内で線路に自由に立ち入れるというのは日本ではあり得ないことなので、ついこの位置から写したくなってしまう。
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 広軌の広さを何度も確認する。
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 次の下車可能停車駅はモゴチャ駅で、時刻表では11:04到着の予定だった。ところが、少し手前で2度ほど臨時停車があり、約20分遅れでの到着になった。ここまでずっと定時運行を守ってきたのだが、まあそういうこともあるということである。
 停車時間は15分が予定されていたが、そういうわけで短縮されるかもしれないから注意してくださいと添乗員に言われた。ただ、ここまでで停車中の様子はかなり掴めていたから、ホームの様子を見ていればまず問題はないだろうと思った。
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 下車しても駅舎の姿は見えなかったが、向こうに見えている白っぽい建物あたりが怪しいと見当をつけて、線路を渡って行ってみた。
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 それはキオスク風の売店で、
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 その手前から左に降りて行く階段があった。見ると、小さな(仮設のようにも見える)駅舎らしき建物があり、その右手が工事現場のようになっていた。
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 どうやら駅舎本体は改築中で、これはそれが完成するまでの仮の駅舎ではないかと推測した。階段を下りて、前の方に回り込んでみた。これはどう見ても仮設の建物である(一人で納得している)。
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 駅舎の左手のあたりの外の様子。
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 あとはホームなどをぶらぶらした(なんか、いつのまにか線路に入りたくなってしまうんですね)。
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 結局、停車時間は予定通り15分確保された(1分ぐらい短かったかもしれない)。

 モゴチャ駅を出て5分後ぐらいに撮影した車窓の風景。モゴチャの町はずれといったところだろうか。
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 窓ガラスの汚れは、走行を重ねるにつれて一層ひどくなっているような気がした。撮るたびにストレスを感じるのもバカらしい気がして、この日はあまり熱心に車窓の写真は撮らなかった。

 カナディアン号の時のような、思わず惹きつけられてしまうような景色がなかったということもある。比較するのもおかしなものだが、シベリア鉄道は建設以来、貨物輸送はもちろんだが旅客輸送の面でも一貫して幹線としての役割を担い続けており、電化複線ということからも判る通り、線路はよく整備され、駅のあるところにはそれを中心とした町が形成されているというようなこともあると思う。シベリア鉄道は決して未開の地を走っているわけではないのである。
 人の手が入っていない区間も通るけれど、保線のためと思われる小屋は一定の間隔で必ず存在しているし、常に架線を吊った支柱が車窓を横切り続けるというのは、それだけで開けている土地を走っているような印象を受けてしまうのである。
 カナダを横断した時のような、風景の劇的な変化といったものもここにはなく、ある意味単調と言っていい感じで、通過駅であってもそのたびに現れる町や村や集落の存在といったものが、まばらであっても人の営みを感じさせ、シベリア=未開といったこちらが勝手に作ったイメージを裏切ってしまうのである。別にイメージにこだわるつもりはないけれど、予想とは少し違っていたというのが正直な感想なのである(別の季節だったら違っていたかもしれない)。

 こういう長い編成の列車が大きなカーブに差しかかる時、どうしても撮りたくなる写真というのがある。汚れたガラス越しでは無理なことは判っていたが、ちょっと思い立って、コンパートメントの前に倒した窓の隙間から何とか撮れないものかと挑戦してみた。カメラをかなり外に出さなければダメだから、上から腕を入れているかたちでは水平を確保するのは困難だった。斜めでもいいと決めて、8枚ほどシャッターを切った。
 家に帰ってから、フォトショップで傾きを修正し(3回ほど繰り返した)、思い切って小さくトリミングして出来上がったのが次の写真。
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 けっこう見られるものになっているではないか。何となく満足である。

 もう一つ手に入れたテクニックがある。上から手を入れた状態で撮影する際、モニターを確認しようとするから無理が生じるのであって、モニターは見ないで適当に方向や角度だけ決めてシャッターを切れば、失敗もあるかもしれないが、案外うまく撮れるものも混じるのではないかと考えた。次の一枚はそうやって写したものである。
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 本格的に取り組んだのはもう少し後なので、そこで成果を見て欲しいと思う。

 この日は陽射しのある時間帯もあったが、午後はだいたい曇りという感じになったので、車内は昨日のような暑さにはならず、おおむね快適に過ごすことができた。昼食時にビールを飲んだので、午後は少し昼寝などもしてしまい、途中に短時間停車駅も幾つかあったのだが飛ばしてしまった。別に無理をすることはないのである。

 夕方にもう一つ下車可能な停車駅があるのだが、その前に短時間停車駅、ブシュレイ駅。
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 そして下車可能駅、チェルヌィシェフスク・ザバイカリスキー駅。今回乗車した区間で最も長い名前の駅である。
 驚いたのは、時刻表にある通りの17:07、定時の到着だったことである。モゴチャ駅での20分遅れは走行中に完全に回復してしまったのである。さすがロシア、さすがシベリア鉄道である。
 停車時間は30分。シベリア鉄道が時間というものに非常に厳格であることが判ってきたので、この時間は有効に使えそうである。

 広い駅である。駅舎はかなり後ろの方のようだ。
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 本日最後の下車可能駅なので(厳密には深夜に2回ほど下車可能駅はあるのだが)、乗客もみんなホームに降りている。
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 売店などもたくさんあるようだ。
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 これが駅舎。
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 この像の人物は、ロシア革命に大きな影響を与えた思想家、ニコライ・チェルヌイシェフスキーという人のようだ。レーニンも愛読していたらしい。
 駅舎をバックに記念写真を撮っている人もいる。
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 駅舎の中にも売店があるらしい。
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 パラソルの売店もある。清涼飲料の自販機もある。犬まで紛れ込んでいる。

 こちらからは外に出られそうもないので、ぶらぶら戻ることにする。駅舎の中もちょっと覗いてみたが、係員にロシア語で声をかけられずに通り抜ける自信はなかったので断念した。
 駅舎の右手にこんなところがあった。喫煙スペースのような気がする。
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 別に決められた場所でなくても、みんなホームのあちこちで勝手に吸っているのだが、こういう場所があるならここで吸った方がいいに決まっている。ロシアではゴミ箱と灰皿の区別が明確でないようで、ハバロフスクでも路上のゴミ箱を覗いてみると、ゴミと一緒に吸い殻もいっぱい捨ててあった。ここも、女性の足元にあるゴミ箱はそんな感じだった。もしここが喫煙スペースだったとしたら、これは灰皿であって、そこに区別なくゴミが捨てられているということになるのか、よく判らない。

 煙草を吸いながら見ていると、道路を隔てたこの家は何かのお店のような感じで、人が出たり入ったりしている。
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 道路を何やら農業用らしい車が通る。駅前の道だが舗装はされていないようだ。
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 喫煙スペースの右に売店が並び、
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 何だか判らないが附属の建物が並び、
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 この右手のところから外に出られるようだった。狭い道がついている。
 行ってみると外に出られた。正面に物売りの女性たちが5人も待っていた。
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 わたしの姿を見ると一斉に何か話しかけてくるが、もちろんロシア語だから(まあ、見ていけとか買ってくれとか言っているのだろうが)全く判らない。曖昧な笑いと手振りで誤魔化して写真だけ撮らせてもらう。
 で、これが駅前の道。
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 舗装されていない道を、砂埃を巻き上げてバイクが一台走り去る。
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 駅舎正面。
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 前を通り過ぎて、向こうから見たところ。
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 この道の先に、どんな町があるのだろう。
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 もっと先の方に行ってみたい気がしたが、もちろんそんなわけにはいかない。

 再び構内に戻り、今度は気になっていた跨線橋へ。
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 ずいぶんたくさんの貨車や列車が停まっている。
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 前方を見ると、わたしが乗っている列車の前方、機関車がいつの間にか青い色のものに替わっているのに気がついた。
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 どうやら、わたしが駅舎などを見に行っている間に機関車の付け替えが行われたようだ。現場は見られなかったが、このあとはこれを見に行かなければならない。
 急いで上から見た駅前の様子を写して下に降りた。
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 さっきの物売りの女性たちも見えたが、ここまで出てくる乗客はほとんどいないようだった。構内をうろついていた黒い犬と、その飼い主らしい上半身裸の男性が女性たちと立ち話をしている。ここは恐らく、構内での商売が認められていないということなのだろう。

 新しく付けられた電気機関車を見に行く。青い塗装のかっこいい機関車である。
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 ЭП1Пというのが形式で、063というのが車体番号だと思うのだが、インターネットで調べても見つからない。わが愛用のウィキペディアも、ロシアに関しては全く手薄で(日本語版は)ほとんど役に立たないのである。まあ、仕方がない。

 17:37、列車は定刻にチェルヌィシェフスク・ザバイカリスキー駅を発車した。というところで(写真の枚数も増えてしまったので)この回は終わりということにする。
by krmtdir90 | 2015-08-21 23:26 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅④シベリア鉄道2(2015.8.11)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 昼食時に時差の修正を行った。ウラジオストック時間からヤクーツク時間になるということで、-1時間、日本と同じ時間に戻ったのである。

 朝のうちは曇り空で気温もかなり低かったのだが、雲はどんどん取れていき、陽射しが戻って来るにつれて次第に暑くなってきた。窓の上部を開けて(手前に45度倒して)風を入れていたが、午後はさらに気温が上昇して、うーん、これは参ったという状況になった。参ったと言っても、とにかく冷房は付いていないのだからどうしようもない。
 コンパートメントは進行方向右側に並んでいて、シベリア鉄道は基本的に西に向かって走っているから、これは北側ということになり、一応直射日光は避けられるものの、陽射しをもろに受ける廊下の気温はぐんぐん上がってしまい、風を通すためにドアを開けておくかどうか、判断の難しい感じになってしまった。
 われわれは、暑ければすぐに冷房というような便利な生活に慣れ切ってしまったが、昔は大変だったということを再確認した。

 短時間(2分ほど)停車駅、クンドゥル・ハバロフスキー駅はコンパートメント側にあった。
 ここは、駅舎との間に大型の機材やタイヤなどを積んだ貨車が停車して視野を遮っていたのだが、ちょうど目の前の貨車の機材の陰に、一人の青年が隠れるように横になっていた。見ていると、青年は立ち上がってひとしきりあたりの様子を窺うような素振りを見せ、また元の位置に戻って寝てしまった。どうやら無賃乗車をしているのではないかと思った。
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 映画などでは見かけたことのあるシーンだが、ホントにそんなことをしている現場に行き合わせるとは、さすがシベリア鉄道だと(何がさすがなのかよく判らないが)感心した。
 なお、この2枚の写真、1枚目は汚れた窓ガラス越し、2枚目は前に倒した上部の窓の間からカメラを出して撮影したものである。違いは明らかだが、廊下側の窓と違ってコンパートメントの場合、上段のベッドが邪魔になって横から腕を入れることができず、上からしか入れられないので腕を非常に苦しいかたちに曲げなければならず、簡単には使えない方法であることが判った。

 短時間停車駅、アルハラ駅。
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 停車位置がちょうど跨線橋の下になってしまい、停車中は橋脚が邪魔になるので、この2枚は停車直前と発車直後に写したもの。コンパートメント側なので、ガラスの汚れがひどい。

 次の停車駅、ブレヤ駅の手前で川を渡った(2線が別々のトラス橋になっていた)。
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 帰ってから調べてみると、アムール川の支流のブレヤ川だったようだ。アムール川の大きさを体験してしまうと、他の川はみんな大したことないような気がしてしまうが、このブレヤ川はけっこう大きな川だったと思う。

 短時間停車駅、ブレヤ駅。
 けっこう大きな駅で、付属の建物も多く、人の姿もあった。給水塔??
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 この左手に静態保存された蒸気機関車があったが、その写真だけピンボケになってしまい載せられない。
 これが駅舎。
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 跨線橋。
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 附属の建物。
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 なお、この駅は反対側に何本も側線があり、貨車などが停まっていた。貨物輸送の拠点なのかもしれない。

 通過駅、チュカン駅。
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 気付くのが遅く、シャッターのタイミングがずれてしまった。でも、通過駅だからね。
 こういう小さな駅と周囲の様子をゆっくり見てみたいと思った。

 短時間停車駅、サヴィタヤ駅。
 駅舎は反対側(進行方向左)にあったようだが、こちら側(進行方向右)に車輌基地があるような感じで、それを写していたので駅舎の写真は撮れなかった。
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 いろんな貨車。
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 風景。
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 原生林とか荒れ果てた大地というようなものはなかった。基本的には平坦な土地が続き、人の手が入らない草原や林はあったが、総じて風景のスケールというものはあまり感じられなかった。白樺を中心とした茂みなどはあったが、幹は細く丈も低いものばかりで、樹木が大きく育つ環境はないように感じられた。
 木の葉の色が何となく若い感じがして(深い緑はなく、みんなまだ黄緑に近い感じ。日本だと5、6月頃の色合い)、春が遅く、夏にきちんと成長し切る前に寒くなってしまうということなのかもしれないと思った。

 短時間停車駅、エカテリノスラフカ駅。
 駅舎。右奥に見えているのは恐らく給水塔と思われる。
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 駅舎の左側にある無舗装の駐車スペースのようなところから、下車した乗客が徒歩で出て行く。
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 附属の建物。
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 駅名表示板。こういうものを見かけたのは初めてのような気がする。
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 奥の建物は駅附属のものかどうか判らない。
 こちらは普通のアパートのような気がする。
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 駅近くの民家。前の写真もそうだが、見えている道路はみんな舗装されていない。
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 小さな川を渡る。このトラス橋は道路のものである。
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 沿線の小屋。
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 町が途切れて何もない区間になると、ほぼ5キロ間隔ぐらいで、線路際にこういう小屋があるのに気付いた。煉瓦や石造りもあれば木造のものもあって、作りは様々だったが大きさはだいたい同じくらい、小さな物置といった感じで、新しそうなものも古くて壊れそうなものもあった。
 いろいろ考えた末、これは保線のための道具をしまったり、保線要員の休憩などに使う小屋ではないかと推測した。とにかくずっとこういう小屋があったのだから、鉄道関係の小屋には違いないと思う。これ、たぶん当たっている気がする。

 通過駅。駅名は不明。
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 駅舎は反対側にあったのだろう。たくさんの引き込み線や停車した貨車などを考えると、貨物の方では割と重要な駅だったのではあるまいか。

 2度目の下車可能停車駅、ベロゴルスクⅠ駅。停車時間は30分である。
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 この手を上げている像の人は誰だろう。レーニンさんだろうか。
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 30分あるということは外に出られると考えていいだろう。一応駅舎の中を覗いてみたが、
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 正面の男がこちらを睨んでいるような気がするし、きっぷを持っていないのだからここを通り抜ける勇気はなかった。何か言われても、とにかく言葉が全く判らないのだから。

 列車の方を見ると、機関車が切り離されているところだった。
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 どうやらここで機関車の付け替えが行われるらしい。ということは、時間が読めるということである。替えの機関車がやって来るまでに外に出てこようと思った。
 駅舎の左手の柵の扉が開いていて、そこから人が自由に出入りしているようだ。

 で、駅舎外観と駅前の通り。
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 たぶんそんなことはないはずだが、急に扉が閉められてしまうことがあるかもしれないと考えてしまうと、どうも柵のところから離れる気にはなれず、道路を渡って駅舎の正面に行きたかったが自粛した。
 ほんの数分で構内に戻った。
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 付け替えられる機関車がやって来た。
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 切り離されたのと同じЭП1形電気機関車で、切り離された方の車体番号は155だったが、こちらは301である。同じように見えても違う機関車なのである。
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 そう、突然ですが、こんなふうにみんな平気で線路の中に入るのです。
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 連結完了。だが、まだ停車してから10分ぐらいしか経過していない。
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 今朝、ハバロフスク駅ではうまくフレームに収まらなかった機関車でが、ここでは余裕を持ってアングルを決めることができる(ただ、連結し終わると同時にパンタグラフを畳んでしまったのが残念)。
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 次は、手前の線路に別の機関車が入って来た。
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 どんどんこちらにやって来る。
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 パンタグラフが見えないし、形状からしてディーゼル機関車ではないかと思うが、調べてもよく判らなかった。
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 そのまま通り過ぎて、行ってしまった。

 今度は、反対方向から列車が入って来るようだ。渡れなくなると困るので、線路を渡って元のホームに戻った。
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 やって来たのは、こちらと同じような長距離列車だった。
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 最終的にこういう状態になって、この時間の「出し物」はすべて終わりになったらしい。
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 わたしも自分の(左側の)車内に戻った。間もなく、ほぼ定刻通り(17:54)こちらの列車は動き出した。実り多い?楽しめる30分だった。

 短時間停車駅、セーリィシェヴォ駅。
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 通路側の、手前に倒した上部ガラス窓の隙間から撮影。だんだんコツが掴めてきた。ただ、逆光はどうにもならない。中央にあるのは給水塔と思われる。

 短時間停車駅、スヴァボードヌイ駅。
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 ここはどちらが駅舎なのか判らない。たぶん前の方だと思うのだが。
 この駅は、ちょうどビュッフェで夕食の途中に停車した。立って行って窓越しに撮影して席に戻ろうとすると、ウエイトレスの2人が自分たちも写せと言う。この2人、陽気なロシア女性です。
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 日没が近づいたが、暑さは全く収まらない。
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 シャワーがないというのは苦痛の極みだが、ないものはないのだから仕方がない。水で濡らしたタオルで顔や身体を拭き、ビールの酔いが残っているうちに着替えて横になるだけである。
 午前中の早い段階でベッドの状態を作ってしまっていたのはよかった。乗車後すぐに、ビニール詰めされたタオルと枕カバー、シーツ、さらに上掛け用の厚手のシーツを車掌が配って歩いたのである。上段ベッドにあったマットレスを自分で敷いて、ベッドメイクはセルフサービスだった(もちろんあとは、下車するまでそのままの状態になった)。

 寝しなこそ暑かったが、夜になると気温はどんどん下がっていったようで、明け方にはちょっと寒いくらいだった。やはりシベリアなのである。
 夜中にも停車駅はあったようだが、ほとんど気付かなかった。
by krmtdir90 | 2015-08-20 18:49 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅③シベリア鉄道1(2015.8.11)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 シベリア鉄道と言うと、一般的にウラジオストック・モスクワ(駅としてはヤロスラヴリ駅)間を結ぶ路線を言うが、運行されている列車は様々なものがあるようで、代表的なものについては(たとえば有名なロシア号などは)時刻などを調べることができるが、そうでないものはよく判らないのである。
 東の方では北京やウランバートルからシベリア鉄道に入って来る列車があるし、西の方は途中からモスクワ以外の都市を目指す列車も走っているようだった。添乗員を通じて聞いてもらったところでは、インターネットで(もちろんロシア語の)調べることはできるようだが、日本のような時刻表というものは存在していないようだった。

 今回われわれが利用するシベリア鉄道はロシア号ではない。添乗員の話では、ハバロフスク・イルクーツク間に関して言うと、ロシア号の時間設定は非常に利用しにくいものになっていて、ハイライトとなるバイカル湖岸を走る時間も夜間になってしまって面白くないらしいのである。そのため、今回このツアーで選ばれたのは特急207号という列車で、これはウラジオストック始発だがモスクワには行かず、途中(たぶんエカテリンブルク駅)からシベリア鉄道を外れてウリヤーノフスクに向かう列車ということだった。
 添乗員が事前にロシアのインターネットから作製したという、この列車のハバロフスク・イルクーツク間の時刻表を配ってくれたので、この区間のすべての駅名と停車駅、停車時間などが判ったのはありがたかった。

 ロシアの鉄道の時刻表示は、時差による混乱を防ぐために一般にモスクワ時間に統一して表示されているので、そのままでは非常に利用しにくいものになってしまう。添乗員の作った時刻表は、これを現地時間に換算し直し、その時その時の時刻を併記してくれたので、大変使いやすいものになっていた。
 添乗員は若い女性だったが、なかなか気さくで有能な人だと思った。ただ、聞いてみると、英語は喋れるがロシア語は全く話せないということだった。添乗先を決めるのに、現地の言葉を喋れるかどうかは考慮されないのだと言っていた。現地ガイドが付くわけだから、うまく連携を取っていけば十分やっていけるということになっているらしい。
 そのため今回の旅では、ハバロフスクの現地ガイド(ロシア人女性だった)はシベリア鉄道にも同乗して、イルクーツクまで行くことになっていた。

 われわれが乗る207列車は、ハバロフスク駅に40分停車して、8:09に発車することになっていた。これに乗るため、この日は朝6時30分から朝食、7時にホテル出発というタイトな日程が組まれていた。朝は人一倍のんびりしたいわたしとしては酷な日程だったが、これから始まる楽しみを考えれば文句などあろうはずもない。

 ハバロフスク駅。撮影時刻は7:28である。
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 現地ガイドが駅舎に入り、乗車手続き?をしてくる間、駅舎の外で待った。
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 駅前広場に立つこの像は、17世紀にアムール川からこのあたりを探検したエロフェイ・ハバロフという人物のようだ。
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 ガイドが戻ってきたが、駅舎の中を通ってホームに出るのかと思っていたらそうではなく、駅舎左手のこの跨線橋から直接ホームに行くようだった。
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 ガラスを通して中の階段が見えるだろうか。ロシアではエスカレーターなどはあまり普及していないようで、けっこうよく階段を上り下りした印象がある。
 きっぷなども渡されなかった。朝ホテルで配布された資料ですでに号車番号や部屋は判っていたので、ツアーを一括した乗車票のようなものがあったのかもしれない。

 跨線橋から見た駅舎。
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 このホームのようだ。列車はすでに到着している。下車した乗客が階段を上って来ている。
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 階段を下りる。
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 ホームはほとんど高さはなく、舗装はされているが表面はけっこう傷んでいるようだ。
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 わたしたちは13号車なので、その位置を確認し、わたしはとりあえず先頭の機関車を撮りに行った。今回、客車は15号車までで、その15号車が先頭になっていたから、機関車はすぐ先の所にあった。ので、余裕で行ってくることができた。
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 ただ、ホームの舗装は機関車の手前で終わっていて、その先はぐっと幅が狭まっているので、前から機関車全体の姿を写すのは難しかった。
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 隣の線路の方にちょっと足を踏み出せば良かったのだが、ここはロシアである、空港で制止された一件もあるから自粛した(実はこのあと、ロシアでは線路に入ることはほとんど問題にはならず、みんな平気で線路内を歩いたり、跨ぎ越したりしていることが判ったのだが。このあたり、どうもよく判らない国である)。
 シベリア鉄道はロシアを貫く幹線なので、全線が複線で電化されている。したがって、機関車は電気機関車である。型番などはキリル文字が使われるので読み方からしてよく判らないのだが、この機関車、一応ЭП1形というもののようだ。
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 なお、ロシアの鉄道の軌間は1524mmの広軌である。近くで見ると、日本の狭軌(1067mm)を見慣れた目には、さすがに広いなと感じた。
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 13号車の表示。
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 客車への乗降口。踏み台などは用意されていない。
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 向こう側に立っている金髪の小柄な女性が13号車の車掌だった(各号車ごとに車掌が乗っている。女性が多かったが、号車によって男性もいたようだ)。なお、途中どこの駅だったか判らなかったが、別の女性と入れ替わっていた。

 次に車内。
 廊下。
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 コンパートメント。わたしたちは5号室で、車輌のほぼ中央だった。
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 これはハードクラスと呼ばれる2等寝台で、向かい合わせの2段ベッドの間に作り付けのテーブルが張り出している。かなり手狭であるが、今回はこれを2名で使用し、上段ベッドは荷物置き場などに使用することになっている。上の狭い窓の部分が手前に45度ほど倒れるので、そこから風を入れることはできるが、冷房はないから晴れるとけっこう暑くなった。

 車輌ごとにサモワールという湯沸かし器がついていて、いつでも熱湯が利用できるようになっていた。
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 サモワールのすぐ前、右手のドアが車掌室になっている。奥(デッキ寄り)のドアはトイレで、車内に洗面台の設備はないから、トイレ内の小さな蛇口の水を使うしかなかった。また、長距離を走る列車なのに、シャワーなどの設備もついていないのである。このあたりの考え方はどうもよく理解できない。なお、トイレは車輌の反対側にももう一つ付いていた。
 付け加えておくと、トイレはタンク式ではなく、ペダルを踏むと水と一緒にそのまま外(線路上)に排出されるという、昔ながらのスタイルだった。そのため、駅に停車する際には施錠されて使用禁止になった。何ともおおらかと言うしかないが、車掌が折に触れて清掃しているらしく、いつ使ってもきれいだったのは気持ちがよかった。

 さて、話しばかりしていても仕方がない。
 8:09、定刻に列車は何の合図もなく動き出した。いよいよ2泊3日、シベリア鉄道の旅の始まりである。
 ハバロフスク市内をしばらく走った後、列車はアムール川を越える。添乗員の説明では、アムール川には鉄橋のほかにトンネルもあって、どちらを通るかは判らないということだった。ガイドブックにはモスクワ方面の列車は原則としてトンネルと書いてあったのだが、この列車は原則を外して鉄橋を渡ってくれた。
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 トラス構造の鉄橋を渡る時、車窓から川を写そうとすると、どうしても鉄骨が写り込んでしまうことが多く、とにかく当てずっぽうにシャッターを切って、あとでうまく避けてくれたのがあれば見つけものという感じになってしまう。そういう一枚。
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 添乗員が作ってくれた時刻表があるので、それを見ながら停車駅をたどってみようと思う。最初の停車駅、イン駅。この時刻表では、停車時間が短い場合(ほとんどが2分停車)は「短」と記載してあって、この駅はそれに当たる。
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 コンパートメントの窓から外を見ていたが、駅舎らしきものは確認できなかった。この場合は反対側(通路側)だった可能性があり、後でそちらを確認しても(前から3輌目の車輌だから)通り過ぎてしまっているというケースも出てくる。イン駅のこの建物は小さすぎて駅舎とは思えないのだが、後ろにある塔のような建造物が、よく判らないが印象的である。上が木造のように見えるし、窓のようなものも付いているので、給水塔にしては妙な感じがするのである。

 次からはコンパートメントのドアを開けて、両側を注意していくようにした。気配を読むのである。次のビロビジャンⅠ駅は通路側にあった。
 これは駅舎ではない。
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 これも駅舎ではない。
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 これが駅舎である。かなり立派な駅舎だ。
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 この駅から乗車するお客か、それとも出迎えに来た人か、とにかく人の姿がある。
 駅舎寄りの線路には電車が停まっていて、
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 これが行ってしまった後、
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 こちらの列車から下車したお客が踏切を渡って行った。
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 調べてみると、ビロビジャン市は人口8万人ほどの町だった。

 だんだん様子が掴めてきた。この駅は停車しなかったが、通過時刻から推測してイズヴェストコフヌィ・サヴォート駅と思われる。
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 この駅はコンパートメントから撮影した。
 この列車の窓はかなり汚れている。通路側も汚れているが、特にコンパートメント側がひどいように思える。しかし、気にしていたら車窓の写真は撮れないし、それではこの先いかにも退屈なことになってしまう。まあ、普段だったら許せないが、この際は気にせず撮影していくことにする。

 次は停車駅、チョープロェ・オーゼロ駅。
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 それにしてもこの汚れは許し難い。停車してから汚れの少なそうなところを探して撮影する。
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 停車しても、乗降のない駅もあるのである。

 通路側の窓から(進行方向左側)。停車せず通過したこの建物、側線に貨車などが停まっていて、たぶん駅だと思うのだが、添乗員が作ってくれた時刻表には記載がなく、一緒に参照しているガイドブック(地球の歩き方)にも載っていない。
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 信号所という位置付けなのだろうか。インターネットで調べても、このレベルの情報は全く見つからないのである。

 これも通過駅。しかし、この駅は載っている。ビラカン駅である。
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 コンパートメント側(進行方向右側)からの撮影なので、窓の汚れが目立つ。
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 こんな廃墟(だと思う)も見えた。
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 ビラカンの町並み。
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 次は停車駅。イズヴェストコーヴァヤ駅。
 これは鉄道官舎のようなものだろうか。アパートか何かのように見えるが、壁の表示にイズヴェストコーヴァヤとあるのである。
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 こちらが駅舎。
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 この駅は通路側(進行方向左側)なのだが、試しに窓の上部、手前に45度倒れる窓の隙間からカメラを外に出して撮影してみた。
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 非常に苦しい角度でモニターも見にくいのだが、コンパクトカメラだから何とか可能という感じで、他の人に見られているとちょっと恥ずかしい気はするが、状況に応じて使える方法だと思った。

 昼食の時間になった。添乗員がしきりに恐縮していたのだが、このツアーの企画段階ではこの列車には食堂車が連結されていたらしいのだが、その後に簡単なビュッフェのようなものに替えられてしまったらしい。狭いカウンターのような席が8席の簡易なスタイルになってしまっていて、14人のツアーでも2回に分けなければ食べられなくなってしまったのである。
 料理の方もダウンしてしまったらしく、一応、前菜→スープ→メインというかたちで出てきたが、内容に関してはちょっといただけない感じのものだったと思う。
 これは前菜(というか、サラダ)と水とロシアのビール。
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 食事中に、初めての下車可能な停車駅に着いた。オブルチエ駅である。停車時間は15分。食事を中断して外に出ることにする。ほかの皆さんも降りてくれたので、肩身の狭い思いをすることもなくありがたかった。
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 15分という時間はけっこう微妙な時間で、初めての下車だから様子も判らず、構内踏切から向かいのホームに渡ってみたが、駅舎の外に出てくるのはやはりはばかられる感じがあった。
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 構内踏切のところに立っている女性が、われわれの現地ガイドである。わたしが向かいのホームに渡ってしまったので気にしていたようだ。集団を離れて勝手な行動をするメンバーはとりあえず要注意なのだろう。
 広軌の線路は、中に立ってみるとやはりずいぶん広いなと思った。
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 どこからか犬が一匹紛れ込んでいた。
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by krmtdir90 | 2015-08-19 22:45 | 海外の旅 | Comments(0)

シベリアの旅②ハバロフスク散歩(2015.8.10)

 *読んでくださる方、できれば①から順番に読んでくださると嬉しいのですが。

 ロシアでは、ホテルであっても水道の水は飲用には適さない。部屋には飲料水のペットボトルが置いてあり、添乗員も1日1本ずつ配ってくれる。レストランなどでもボトル1本が必ず付いているから、旅行中不自由することは全くなかったが、世界にはそういう(飲み水に不自由する)ところが実際にあるのだということを初めて体験した。
 バスタブにお湯を溜めてみると、最初は真っ茶色に濁ってしまったので驚いた。使っているうちに色は薄くなったが、濁りは最後まで消えなかった。これはイルクーツクのホテルでも(濁り方はやや軽微だったが)同様だった。

 部屋の窓からアムール川が見えた。ただ、窓からだと隣の建物などが邪魔になるので写真はない。朝食の後で中庭の方に出てみた。やはり木々が邪魔をしているのだが、その間から見えていたアムール川。
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 中庭から見たパルスホテル。
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 夜の間に雨が降ったようで、この時もまだ微かな霧雨が顔に当たっていた。

 出発の頃には、空はどんよりした曇り空だったが雨は上がっていた。きょうは一日、ハバロフスク市内の見学である。途中、晴れ間などが覗くこともあって、基本的に一日中曇り空だったが、傘は全く必要なかった。

 最初に行ったのが、栄光広場というところ。
 栄光広場に面した道路。この手前でバスを降りた。
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 アムール川に向かって半円形に開いた大きな慰霊碑があった。
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 ここには第2次世界大戦の独ソ戦で亡くなったハバロフスク地方出身者3万2千人あまりの名前が刻まれ、中央に永遠の火というものが燃えていた。
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 沖縄の平和の礎(いしじ)に似ていると思ったが、こちらは基本的に戦死した兵士の栄光を讃えるという趣旨なので、根本にある考え方は異なっていると思った。
 上の慰霊碑と向かい合うように建っていたもう一つの慰霊碑。
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 こちらには第2次世界大戦以外で亡くなったハバロフスク地方出身兵士の名前が刻まれているようだった。祖国のために戦って死んだ兵士の栄光を讃えるというのがこの広場の趣旨なのである。

 広場の奥の方(少し高くなっている)に歩いて行く。さっきの半円形の慰霊碑の後ろに見えていた教会、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂である。
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 ソ連崩壊後の2003年に建てられたロシア正教の新しい教会らしい。
 なお、右手に写っている灰色のビルは放送局で、いまはどうなっているのか知らないが、かつては短波で日本向けのモスクワ放送を発信していたところのようだ。入口のところに掲げられた「KYOKUSHIN KARATE(極真空手)」の横断幕が目を引く。何か大会が開かれるようだ。

 さて、スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。これはどうしても縦の構図になってしまう。
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 高さ70メートルは極東ロシアで最も高さのある教会だという。
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 中に入ったが、内部は撮影禁止ということで写真はない。ロシア正教の教会ではイコンと呼ばれる聖画像が飾られているのが特徴で、様々なイコンが壁面一杯に並んでいた。男性は帽子を取り、女性は帽子やスカーフで頭を隠すというのが、ロシア正教の作法であるらしかった。
 大聖堂の左手、道路を挟んだ向こう側に神学校が併設されていた。
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 前に立っている若い神父と若い女性は、ずいぶん長い間(われわれが大聖堂に入る前から、見学して出て来てもまだ)話し込んでいた。アップの写真もあるのだが、覗き見するような感じなので掲載は控えておく。

 次に行ったのは、アムール川展望台。
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 天気が曇りのせいもあるが、水の色は灰色(土色)に沈んでいた。
 アムール川はこの数十キロ先から上流部が中国との国境線になっていて、中国名は黒竜江である。環境保全の意識が欠けた中国側の開発により、川の汚染が深刻度を増しており、ロシアはアムール川全域を遊泳禁止としている。
 水遊びに最適な砂浜なども見えているが、近寄る人はいないようだ。
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 左手奥にスパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂の丸屋根が見えている。なお、冬季にはアムール川は完全に凍結し、対岸まで歩いて渡ることもできるようになるらしい。
 なお、アムール川はこのあと北に流れ、オホーツク海に注いで、北海道沿岸に押し寄せる大量の流氷を供給することになる。近年はこのアムール川の汚染の影響で、オホーツク海の汚染も問題になっているようだ。

 展望台の入口に、1847年から東シベリア初代総督を務めたムラヴィヨフ・アムールスキー(1809~1881)の像が立っていた。
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 この一帯がムラヴィヨフ・アムールスキー公園と呼ばれ、市民の憩いの場になっているらしい。

 次に、公園の中を歩いて郷土博物館というところに行った。途中に何やら興味深いものが置かれていたりするのだが、ツアーだと現地ガイドの説明がないところは通り過ぎるしかなく、最初のこれは初期の自動車のような気がするのだがよく判らない。
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 なぜこんなところに大砲が並んでいるのか、これもよく判らない。
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 郷土博物館入口。左が旧館、右が(ほとんど写っていないが)新館で、われわれはガイドの説明について主に旧館の方を見て回った。
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 展示内容は極東の歴史文化、自然などに関するもののほか、先住民の生活様式など。
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 このカヌーの表面には白樺の樹皮が張られている。
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 再びバスに乗って、次は中央市場に行った。
 これが入口。手前が車の入口で、向こうが歩いて入るところ。
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 入るとしばらく露店が並ぶ。日用雑貨、おもちゃ、衣料品、工具、釣り具など、何でもありという感じ。売っている人の中には東洋系の顔の人もけっこういた。
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 八百屋。野菜は少ない様子で、果物は輸入も多いらしく、全体に値段は高めという感じがした。
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 奥にはホームセンターのような建物があり、その中にもたくさんの店が入っていた。
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 パン屋さん。
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 魚(鮭?)の燻製を売る店は幾つもあった。
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 生魚を丸のままで売っている店もあった。イクラなども売っていた。蜂蜜の店、ケーキ屋さん、チーズ専門店、もちろん缶詰や壜詰などを扱う食料品店など。要するに庶民の台所といった感じの場所だった。
 驚いたのが肉屋さん。カウンターの上にいろんな肉の塊が生々しく置いてある。注文を受けて、目の前で切り分けるらしい。何と言うか、日本ではとても考えられない売り方である。
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 市場の前の通り。観光バスが停まっていられる場所はないから、どこかで待っていたバスを呼ぶのである。
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 なお、車は右側通行で、道路の両側にはたくさんの車が斜めに駐車している。路上駐車が当たり前になっているらしい。車は日本車が非常に多く、ロシアの車というのはほとんどないらしかった。少なくとも8割が日本車だったのではなかろうか。
 ハンドルは右ハンドルのままというのが多く、大部分が泥や埃にまみれている感じだった。あとで判るのだが、こういう大きな町は別にして、郊外や地方では生活道路はほとんどが未舗装のままだったので、洗車などしても仕方がないということだろうと思った。

 次は、お昼を食べたレストラン。
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 今回の旅ではなるべく料理の写真を撮ろうと思っていたのだが、前菜は撮るもののその後はつい忘れて口を付けてしまい、結局まともに撮れたものは一度もない。ロシアのビールというのがけっこう美味しくて、昼も夜も例外なく飲んでしまったので、それも原因だったと思う。でも結局、目の前に料理が来てしまうと待てない性格なんでしょうね。
 レストランの前の交差点。
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 午後、最初に行ったのがレーニン広場。
 レーニンの像が見下ろしている先(左手)に広場がある。
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 広場の方から、道路を隔ててレーニン像。後ろの建物は何だったか。
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 この広場の売りは大きな噴水だったようだが、この日は生憎休止中だった。
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 広場を囲んでいる立派な建物の中で、これは何か官庁の建物だと言っていたような気がするが、よく判らない。
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 こちらは確か国立の医科大学と言っていたような気がする。
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 さて、最後はアムール川クルーズである。この船をチャーターしてあるということらしい。
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 特に船着き場というようなものはなく、ムラヴィヨフ・アムールスキー公園から川岸の砂浜に降りたところにぽつんと停まっていた。川が大きいから船がずいぶん小さく見えるが、決してそんなに小さい船ではなかった。
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 船は下流に向かって行く。
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 同じような遊覧船とすれ違った。
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 これは火力発電所らしい。
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 前方にアムール川鉄橋(ハバロフスク橋)が近づいてきた。
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 この橋は日本の瀬戸大橋などと同じ鉄道・道路併用橋で、鉄骨の上が道路、下(中)がシベリア鉄道の線路になっている。
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 鉄橋にかなり近づいたところで向こう岸の方を見ると、何と鉄橋に貨物列車がやって来るではないか。何という幸運!
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 かなりゆっくりしたスピードで(アムール川があまりに大きいのでそう感じられたのかもしれない)列車が鉄橋を渡り切るまで、しっかり見届けることができた。
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 そして、船も橋の手前でUターンして戻って行く。
 途中、向こう岸のように見えていたのが実は巨大な中州で、その向こう側にも流れがあることも確認できた(写真ではあまりよく判らないけれど)。
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 出発した岸が近づいてきて、午前中に行ったアムール川展望台とムラヴィヨフ・アムールスキーの像が見えた。
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 約1時間ほどのクルーズだった。岸には出発の時はいなかったもう一艘の船が停まっていた。たぶん行きにすれ違った船に違いない。
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 川岸の砂浜と土手の上の遊歩道。
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 午後4時頃にはホテルに戻った。
 道路側から見たパルスホテルの正面玄関。格式あるこぢんまりしたホテルなのが判ると思う。
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 夕食まで時間があるので、添乗員とガイドが希望者を近くのマーケットまで連れて行ってくれるという。もちろん行ってみることにした。
 煉瓦造りの雰囲気のある建物が並んでいる。手前の建物は図書館だという。
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 図書館の脇の出口の所に、図書の入れ替えで不要になった本が並べてあり、自由に持って行っていいようになっているらしい。帰りにちょっと覗いてみたが、もちろんすべてロシア語の本なのでどうにもならない。
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 この建物がマーケット。
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 店内の写真はない。何となくロシアの缶ビールとサラミを買ってしまったが、この晩は飲む気にならず、サラミは翌日のシベリア鉄道の車中で、ビールはイルクーツクまで持って行って冷やし直して飲んだ。
 帰り道。
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 ハバロフスク市内にはトラム(路面電車)とトロリーバスが走っていた。トラムの写真は撮れなかったが、トロリーバスの方は何枚か写すことができた。
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 ずいぶん古いものも走っているようだった。
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 夕方になって雲の切れ間も見えてきて、明日は天気が回復しそうな気配である。
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 夕食後、午後8時半過ぎ、ホテル中庭に面した喫煙スペースから。
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by krmtdir90 | 2015-08-18 22:01 | 海外の旅 | Comments(5)

シベリアの旅①ハバロフスクへ(2015.8.9)

 シベリアに行って来た。「シベリア鉄道と世界遺産バイカル湖の旅」というツアーで、回ったのは具体的に、ハバロフスク、シベリア鉄道(2泊3日)、イルクーツク、バイカル湖といった所である。
 きょうの午後から写真の整理を始めたのだが、ガイドブック(地球の歩き方)はあるものの、インターネットなどに参照できる資料が少なく、よく判らないことが多くて閉口している。

 成田空港14:25発、シベリア航空(S7航空)ハバロフスク行き。
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 ボーイング737-800型という機体のようで、エコノミーの座席数は150人あまり、座席の配置は3×3で、発券の際に窓側・通路側の希望を言えるということだったので、迷わず窓側からの2席を確保した。妻はあまりこだわる人ではないので、窓側に座るのはわたしの方である。
 座席は主翼のやや後ろといった位置で、窓は小さかったが外の景色を楽しむことができた。
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 日本海に出てしばらくすると、眼下は厚い雲にすっかり覆われてしまい何も見えなくなってしまった。前日にインターネットで調べたところでは、ハバロフスクはこのところ雨や曇りのぐずついた天気が続いているようだった。

 飛行機が降下を始め、厚い雲をようやく抜けると、ずいぶん地表に近いところになっていた。
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 ハバロフスクは東経135度にあり、これは日本の標準時の基準となる明石市と全く同じ経度なのだが、なぜか+1時間の時差が発生している。機内で時計を1時間進めたので、飛行時間2時間55分でハバロフスク空港に到着した時刻は18:20となっている。
 なお、ハバロフスクの緯度は北緯48度で、これは日本最北にある稚内市の北緯45度よりずっと北(330キロ以上)になる。

 ハバロフスク空港は一応国際空港のはずだが、何となく地方空港の寂しさのようなものが漂っている感じで、思いがけず、タラップを降りてバスでターミナルビルに運ばれるかたちになっていた。雨は降っていなかったが、つい先ほどまで降っていたような形跡があった。
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 バスに乗る前にちょっと写真を撮っていたら、係官のような制服の男が早足でやって来て、撮ってはいけないと(ロシア語で)制止されてしまった。制止されただけでそれ以上は何もなかったが、入国して最初の経験だったので(厳密に言うとまだ入国はしていない)ちょっと怖かった。

 入国手続きにもずいぶん時間がかかった。入国審査(パスポートチェック)や手荷物検査も、何をこんなに勿体つけているのかよく判らないが、係官の態度がいかにも偉そうな感じで、一つ一つ命令されているような感じがして印象が悪かった。社会主義国・ソビエト連邦は崩壊したとはいえ、民主主義的な仕組みとか感性というようなものは、そう簡単に浸透するものではないのかもしれないと思った。
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 上の写真で一番右端に写っていたのがターミナルビルで、手続きを終えて外に出た時には1時間以上が経過していた。これが外観。
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 隣に建っていたこの建物が、帰ってから調べてみると旧館の建物だったようだ。
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 空港からの出口の道路。
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 バスでホテルに向かったのだが、通った道がたまたまそういう道だったのかもしれないが、路面や両側の歩道なども凹凸が激しく、水たまりなどもあちこちに見えて、建物なども古いものばかりで、外見的な貧しさというようなものは明らかな気がした。

 連泊したパルスホテルというのは、旧迎賓館を改装した市内一番の高級ホテルだったようで、外国の要人がハバロフスクを訪れた際には必ずここが宿舎になるということだった。館内にはそうした訪問者の写真が廊下などに飾ってあって、中にビートルズの写真もあったから、ビートルズも泊まったことがあるホテルだったのだろう。小泉元首相も泊まったというから、探せばその時の写真も飾られていたかもしれない。

 この日は機内食を夕食に替えるというスケジュールだったので、旅慣れた人たちは日本からおむすびや食料を調達して行ったらしいが、われわれはそういう準備もなく、お腹がすいたのでホテル内のレストランに行ってみた。
 ホテルそのものが大きなものではないので、レストランも(高級な感じだったが)規模は小さく、ロシア人の2人連れがいただけで他にお客はなかった。始めはメニューを見ても全く判らず、英語は併記されているものの料理の説明というようなものはなく、注文できないままずいぶん重い時間が流れた。お客が少ないからウェイトレスもそろそろ限界という雰囲気のところで、お願いしておいた添乗員が来てくれて事なきを得たが、まあ無謀といえば無謀だったかもしれない。
 だが、夢中だったので写真を撮っていないのだが、今回の旅行で一番美味しい料理だったと思う。生ビールがあるというので大と小を頼んだのだが、大が2つ来てしまい、添乗員は行ってしまった後だったから違うと伝える方策もなく、でもまあいいかという感じで初日からなかなか楽しい経験だったのです。

 ホテル内は全館禁煙だったが、中庭に通じるドアの外に灰皿のある喫煙スペースがあったので、特に不便は感じなかった。
 中庭から見たホテル外観。中央のドアを出たところに灰皿があった。
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 とりあえず、きょうはここまで。 
by krmtdir90 | 2015-08-17 22:31 | 海外の旅 | Comments(0)


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