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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ウェストサイド物語」

 テレビのBS10チャンネルは、スターチャンネルという有料の洋画専門チャンネルになっているらしい。昨日(28日)は、ここで4本の名画を特別に無料放送するという広告が、朝刊のテレビ欄の下に載っているのを偶然発見した。うち3本(「シャレード」「ウェストサイド物語」「太陽がいっぱい」)に非常に触手が動いたので、急いでハードディスクの容量を空けて、とりあえず録画することにした。

 いまの時代、観たい映画があればレンタルでいつでも観られることは判っているが、何と言えばいいのだろう、映画というのはそういうものではないという、身体に染みついた感覚(偏見?)というものがわたしの中には消えがたく残っている。映画というのは本来映画館で観るものであり、どんなに観たい映画であっても、上映している映画館がなければ観ることはできないということである。その希少性というものが、映画を特別なものにしていた時代というのが確かにあったと思う。
 それはいまの便利さと比べれば不自由極まりないことなのだが、長いあいだご無沙汰していた映画が名画座などにかかったりした時の嬉しさは、ちょっと言葉にできないようなものだったと思う。いま、こういうふうに懐かしい映画がテレビ放映されるのを思いがけず発見する気分というのは、あの時代のあの嬉しさに似たものがあると思った。

 「ウェストサイド物語」は、わたしの映画遍歴?の文字通り「始まり」の一本である。中学を卒業して、高校に入学する前の春休み、初めて自分一人の意志で、一人で電車に乗って都心のロードショウを観に行った。有楽町にあった丸の内ピカデリーだった。
 これまでずいぶんたくさんの映画を観てきたが、わたしにとって「ウェストサイド物語」は一本だけの特別な映画であり、ずいぶんたくさんの映画館に足を運んできたが、丸の内ピカデリーは一館だけの特別な劇場なのだった。たぶん2000本以上の映画を観てきていると思うが、「ウェストサイド物語」は考えるまでもなく、わたしの中の映画ベストワンだと思っている。

 この映画をこれまで何回観たのだろう。初公開時のロードショウは、70ミリフィルムに対応した選ばれた劇場の大スクリーンだけで上映されたのだが、その後は普通の35ミリフィルムに焼き直され、二番館・三番館、そして名画座へと下りて行った。のちに、確かニュープリントでのリバイバル公開もあったと思う。テレビ放映も何回かあったはずである。
 その後は、いまに続くレンタルビデオの時代がやって来て、その気になればいつでも観ることができるようになったのだが、そうなるとそれを利用する気分には一度もならなかったのである。今回の再会まで、かなりの月日が流れたのだと思う。わたしもずいぶん年を取ってしまった。しかし、この映画を初めて観た時の衝撃というか、それまで知らなかった全く新しい世界が目の前に一気に広がった感覚というのは、いまになっても鮮明に思い出すことができる。

 居間に行けば大画面のテレビもあるのだが、昨日は夜になって自分の部屋の(32インチの)テレビで一人で再会した。誰であろうと、邪魔が入るのは何としても避けたかったのである。たぶん、何十年ぶりという再会だったと思う。
 冒頭の真っ暗な画面に、仲間と呼び合う口笛の音が数回流れただけで胸がドキドキした。縦棒だけでデザインされたタイトル前の静止画像に、劇中歌われる様々なナンバーをアレンジしたオープニング曲がかぶさり、その縦棒が空撮のマンハッタンのビル群とぴったり重なり合った時の衝撃。その後に展開するこの映画のオープニングシークエンスは、恐らく何十回、何百回観たとしても衝撃力が失われることはない、わたしのような年取った人間も年甲斐もなくドキドキさせられてしまう、若々しい感性を呼び戻してくれるような、他に見ることのできない素晴らしい映像と音楽の連続だったと思う。

 もちろんオープニングだけではない。この映画のすべてのシーン、映像、音楽、カット割り、テンポの緩急、そして役者たちの演技と歌、ダンスといった、すべてのものがわたしの映画の(様々なものを受け止める)原点になっていると思った。
 中学時代のわたしは理科部天文班に属する科学少年だったのだが、高校に入っていきなり軟弱な文系少年に変貌してしまった、その大きなきっかけになったのがこの映画だったと思っている。中学生の頃、渋谷にあった東急プラネタリウムに毎月のように通っていたわたしは、高校生になってからは、伝統あった天文部にも入部することなく、立川の洋画専門の映画館(3館あった)にしょっちゅう出入りするようになり、小説を読んだり詩(らしきもの)を書いたり、授業をサボって演劇部!の部室に出入りしたりするようになってしまったのである。

 そのことを後悔しているわけではない。この映画のおかげで、たぶんとても面白い生き方を発見できたのだと思っている。そういう意味で、この映画は単なる懐かしい映画というだけではない、わたしの過去にあった様々なことがらにストレートに結びついている、とてつもなく大きく重要な影響を持った映画だったのだと思う。
 ここでいろんなシーンに触れ始めれば、たぶん際限がなくなってしまうだろう。何十年ぶりの再会であっても、ほぼすべてのシーンは鮮明にわたしの中に刻まれていたし、一つ一つのシーンがどういう画としてどういうふうに展開するのか、そこにセリフや音楽がどう絡んでくるのかといったことが、観ながら次々と甦ってくるのは何とも嬉しいことだった。

 原作は1957年初演のブロードウェイミュージカルで、映画は1961年10月にアメリカで初公開され、2ヶ月後の同年12月に日本でも公開された。日本ではその後、1963年5月まで511日間というロングラン公開となった。監督はロバート・ワイズとジェローム・ロビンス。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の物語を、ニューヨークの下町にリアルにに展開させたミュージカル映画である。舞台を観ているわけではないが、恐らく映画版の素晴らしさは舞台とは関係なく屹立していたのだろうと思う。

 ところで、この番組をハードディスクに録画したものは、DVDに一回だけダビングすることができるが、ダビングするとハードディスクの方は消えてしまうようになっていることを初めて知った。何だかよく判らないが、すごい時代になってしまったものである。
 ところで、もう一つ、わたしが初めて買ったLPレコードは「ウェストサイド物語」のサウンドトラック盤だった。いまではそれを再生できるシステムをわたしは持っていないのだが、そのレコード盤はわたしの部屋にちゃんと保管してある。それだけでいいのである。
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by krmtdir90 | 2015-11-29 21:55 | 本と映画 | Comments(0)

四万温泉(2015.1125・26)

 11月25・26日に、妻と四万温泉に行って来た。毎年この季節になると、何となく温泉に行きたくなるのである。
 朝から暗い雲の垂れ込める生憎の空模様で、宿にいる間はずっと雨が降り続いていた。まあ宿で湯に浸かっている分には雨だろうと関係はないのだが、現地で散歩もしなかったし、道中でもどこにも寄り道しなかった(道の駅には立ち寄ったが)。写真もほとんど撮らなかったので、ここに載せるまでもないかと思っていたが、このブログには一応個人的記録という側面もあるので、ごく簡単に載せておくことにする。

 山の方の温泉というのは、おおむね温泉は素晴らしいが食事の方はもう一つという感じがあって、ここも(頑張ってはいたが)食事はそういう感じだったと思う。
 だが、泊まった積善館という宿は、元禄4(1691)年創業の由緒ある宿だったようで、現存する日本最古の湯宿建築という本館と、それに付随する元禄の湯というのが、昔からの湯治場の雰囲気をよく残していると思った。
 われわれが泊まったのは、昭和11年建築(増築)の山荘と呼ばれる建物だったが、室内は当時の雰囲気を残しながら使いやすく改修されていて、なかなか贅沢な晩を過ごさせてもらったと思う。

 本館の建物(雨の中、傘を差して撮っている)。
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 前を流れる新湯(あらゆ)川。
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 本館玄関。
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 玄関の内側。
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 右手に帳場がある(湯治客や立ち寄り客のための帳場で、われわれ宿泊客は佳松亭という新しい建物の方のフロントを通るようになっていた)。
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 四万温泉に行くのは初めてだったが、鄙びた山あいの何もない温泉地という雰囲気が、なかなか好感が持てると思った。掛け流しの湯が熱めだったのもわたしには良かった。
by krmtdir90 | 2015-11-27 12:00 | その他の旅 | Comments(0)

「チェルノブイリの祈り-未来の物語」(スベトラーナ・アレクシエービッチ)

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 本書の著者、スベトラーナ・アレクシエービッチが今年のノーベル文学賞を受賞したので、急遽増刷が行われ帯をかけられて書店の店頭に平積みされたようだ。目に付いたので買ってきて、早速読んでみた。月並みな言い方で気が引けるが、とにかく凄い本だと思った。
 本書が世に出たのは1997年のことで、翌1998年12月には日本でも岩波書店から翻訳出版されていたらしい。東日本大震災で福島の原発事故が起こると、それを契機に2011年6月に同書店より文庫化されたようだ。しかし、その時にはこの本はわたしの視野に入って来なかった。
 著者のアレクシエービッチはベラルーシの首都・ミンスクに住む女性ジャーナリストで、ジャーナリストがノーベル文学賞を受賞したのは初めてのことだったらしい。

 旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機が爆発したのは1986年4月26日のことである。
 爆発と同時に大量の放射性物質が広範囲に飛散したが、当初ソ連政府はこの事実を内外に公表せず(パニックや機密漏洩を恐れたとされる)、数日間は周辺住民の避難措置も講じられなかった。そのため、多くの住民が高線量の放射性物質に晒され被曝させられる結果となった(事故はスウェーデンを始めとするヨーロッパ各地で異常な放射線量が測定されたことから、28日になってソ連も事故を認めざるを得なくなるという経過をたどった。ほぼ1週間のうちに、日本を含む世界中の国々でも異常値を記録した)。

 本書はこのチェルノブイリ原発事故について、その経緯や被害状況といったことを調査したり検証したりしたものではない。そうしたことに関しては文字通り最小限の「情報」が、巻末に僅か4ページほど述べられているだけである。
 この事故の全貌は、これまで無数と言っていい本や映像などで明らかにされ続けてきたと言っていい。もちろん、いまでもすべてが明らかにされているわけではないし、これからもそうした追究は行われていかなければならないが、しかし、たぶん本書のような切り口でこの事故を捉えようとした試みは一つも行われてはこなかった。そこにこの本の、優れて今日的な意義があるのだと思う。

 人はみずから忘れたいと思うような出来事について、多くの場合は口を閉ざし自分から積極的に語ろうとすることはない。それは「いま」という時点で、その一人一人の個人の存立に関わる、徹頭徹尾個人の内部に属することだからである。人はそうしたものをみずからの内に秘め、抱え込み蓋をして、そのまま死ぬまで生きていこうと考えている。
 そうしたことを一つ一つ丹念に掘り起こし、その核心の部分を一切の虚飾なしに淡々と記録していくという作業は、途方もない困難と長期にわたる取材が必要だっただろうと思われる。チェルノブイリの事故に、様々な場所で様々なかたちで関わった人びと、みんな異なる年齢・性別、職業・立場、考え方や生き方などを持った人びとである。そうしたたくさんの「普通の人びと」が、何を感じ何を考え、何を忘れようとし何を忘れまいとしているのかを、この本は記録しようと試みるのである。

 彼らが何をしたかではない。いや、何をしたかという事実が語られているところもある。しかし、この著者が聞き出したいと思い、記録しなければならないと考えているのはそういうことではない。この事故によって、人びとが突如として直面することになった多くの死、多くの絶望的な状況の中で、人びとがどんな衝撃を受け、それをどんなふうに受け止め、どんなことを感じ、どんなことを考え、それ以後の世界をどんなことを思いながら生きてきたのかということなのである。
 恐らく語ってくれなかった人もたくさんいたのだろうと思う。しかし、一方でこれほど多くの人びとの「語り」を引き出し、これほど多様な「思い」を記録したことの意味はとてつもなく大きいのではないか。どのような詳細な調査やデータが明らかにされようとも、これらの「証言」と関係なく存在することはできないからである。

 何もしなければ、時間が経つにつれて恐らくすっぽりと抜け落ちてしまっただろうと思われる「普通の人びとの真実」が、ここにはくっきりと姿をとどめている。長い「語り」もあれば、きわめて短い「語り」もある。それらはアレクシエービッチの手で書き留められ、その過程で恐らくかなり多くの部分が削ぎ落とされたのではないかと思う。その「思い」を受け止め、その「思い」を黙考することの中で、「思い」の核心に触れるところだけが残されたのだろう。長いものも短いものも、その一つ一つが読む者を捉えて放さない力を持っている。 
 描かれている異常な事態に衝撃を受けるという点はあるかもしれない。しかし、この本の本当の衝撃はそこではない。人びとが抱えてしまった「思い」の深さ、その語られたり語られなかったりする絶望や悲しみの深さに言葉を失う気がするのである。記録するアレクシエービッチの「共感」の姿勢が、読む者を打つのだと思う。

 印象に残ったところを少し書き抜こうと思ったが、そんなことはとても無理なことだとあきらめた。どの言葉も重いのだ。重すぎて、とても幾つかを選び出すことなどできないと思った。だが、この内容に少しも触れずにこの文章を終えることはできない。とにかく、思いつくままに幾つかの点に触れておきたいと思う。

 まず最初に。この事故が旧ソビエト連邦という、高度に中央集権化された共産主義(一党独裁)国家で起こった事実は重いと思った。そこでは、どんな言い訳がなされようと、国民というのは国家によって管理され、国家に忠誠を尽くすことが至上の価値とされていたのである。事故に直面した時、そのことが国民にどのような生き方を生み出したのか(強いたのか)が、本書の「語り」の各所におのずと明らかにされている。
 事故の絶望的な状況は国家によって伏せられ、その危険性を知らされないまま国家への盲目的な献身を要請された時、漠然とした不安を抱きながらもそこに身を委ねていった多くの人びと(「ソビエト的ヒロイズム」という言葉も使われている)。事故直後のそうした犠牲がなければ、被害はさらに信じられないくらい広範で悲惨なものになっていたに違いないという事実。それらを前にしながら、なお「ロシア人の性格は、なりゆきまかせだ」(恐らくソ連という国家体制がそれに拍車をかけた)と断じる「歴史家」の「語り」の悲しみは深い。

 国家体制の故なのか、それとも人間が本来的に持つ性情の故なのか、「事実(真実)」が隠され、一方で「事実(真実)」に直面することを避けようとしてしまう人びとの姿。チェルノブイリ事故の様々な「事実」に裏切られるしかなかった人びとの「思い」が次々に語られていく。
 事故から多くの月日が流れる中で、放射能汚染によって住民が強制移住させられ、無期限の立ち入り禁止区域とされた土地に住み続ける、「サマショール(自発的帰還者)」と呼ばれる人びとがいるのだという。ここにはその幾人かの「語り」も記録されている。その多くは中高年者(先の短い老人)だが、中にはチェルノブイリとは何の関係もない、他の地域(国)からの逃亡者(脱出者)も混じっているらしい。恐ろしい放射能汚染地域であろうとも、彼らにとってはここが唯一の「自由」の土地なのだという。

 チェルノブイリ原発は、ベラルーシとの国境に近いウクライナのプリピャチというところにあり、この一帯は放射能汚染のためゴーストタウンとなっているらしい。ただ、事故後に拡散した放射性物質は、風向きの関係でウクライナよりも隣国ベラルーシの方向に流され、高濃度の汚染地はベラルーシの方に広がる結果となってしまった。巻末の「情報」には、放出された放射性物質の70パーセントがベラルーシに降ってきたと記されている。
 したがって、ベラルーシにおいては、現在も国土の多くの部分が汚染されたままである。このあたりのことを、巻末にある「情報」の記述から書き抜いてみる。

 人口1000万人の小国ベラルーシにとって事故は国民的な惨禍となった。大祖国戦争(1941~45)のとき、ファシストのドイツはベラルーシの619の村を住民とともに焼き払った。チェルノブイリのあと、わが国は485の村や町を失ってしまった。そのうち70の村や町は永久に土のなかに埋められた。戦争ではベラルーシ人の4人に1人が死んだが、今日ではわが国の5人に1人が汚染された地域に住んでいる。その数は210万人で、そのうち70万人が子どもである。(中略)
 長期にわたる低線量放射線の影響の結果、わが国では、がん疾患、知的障害、神経・精神障害、遺伝的突然変異を持つ患者の数が毎年増加しつつある。

 身体に多数の複合異常(肛門無形成、膣無形成、左腎無形成など)を伴って生まれた女の子の母親の「言葉」が記録されている。多くの子どもたちの「声」も記録されている。いつも暗い顔をしている子どもたち、日常的に死について語り合う子どもたちに対し、何もすることができず立ちつくす教師の「苦悩」が語られている。
 本書の冒頭には、事故直後の初期消火に駆り出された消防士の妻の「語り」が置かれている。結婚して間もなかった夫は、数時間後に病院に収容され、2週間後に急性放射線障害で死亡した。また本書の最後は、事故から半年後に事故処理作業に招集され、戻ってから発病し、長期の想像を絶する苦しみの後に亡くなった夫に、ずっと寄り添い続けた妻の「語り」で閉じられている。

冒頭の「語り」に続いて、「自分自身へのインタビュー」という項目が5ページほど載せられていて、この中で、著者・アレクシエービッチは次のように述べている。

 この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。見落とされた歴史とでもいえばいいのかしら。わたしの関心をひいたのは事故そのものじゃありません。あの夜、原発でなにが起き、だれが悪くて、どんな決定がくだされ、悪魔の穴のうえに石棺を築くために何トンの砂とコンクリートが必要だったかということじゃない。この未知なるもの、謎にふれた人々がどんな気持ちでいたか、何を感じていたかということです。チェルノブイリは私たちが解き明かさねばならない謎です。もしかしたら、21世紀への課題、21世紀への挑戦なのかもしれません。人は、あそこで自分自身の内になにを知り、なにを見抜き、なにを発見したのでしょうか? 自らの世界観に? この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。

 三年間あちこちまわり、いろいろ話を聞きました。原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者、サマショール(強制疎開の対象となった村に自分の一存で帰ってきて住んでいる人)、職業も運命も世代も気質もさまざまです。神を信じている人、いない人、農民、インテリ。チェルノブイリは彼らの世界の重要なテーマです。内も外もチェルノブイリの悪影響を被っている。大地と水だけじゃない、彼らの時代すべてが。

 アレクシエービッチはそれを克明に描き出してみせた。この上なく誠実に、彼女は「証言」の一つ一つを最も静かな訴えになるように配置している。どんなに激しい内容を持つものでも、冷静な説得力をおのずと持てるように並べてみせた。この配列の仕方は、一つ一つが読む者の上にゆっくりと下りてきて、自然に心に積み重なっていくように置かれている。
 書き抜こうとすると際限がなくなってしまうと思った。どれもこれも印象的で、ほんのちょっとした言葉の中にも、とても語り尽くせない「思い」が詰まっているように感じた。
 だが、一つも書き抜かずに終わる気にはどうしてもなれない。原発の建物が見えるプリピャチの町に住んでいた一人の女性の「証言」。

 それが起きたのは金曜日の夜から土曜日にかけてのことです。朝、だれもなにひとつ疑ってみませんでした。私は息子を学校におくりだし、夫は床屋に行きました。昼食のしたくをします。まもなく夫が帰ってきて「原発が火事らしい。ラジオを消すなという命令だ」という。いい忘れましたが、私たちはプリピャチ市に住んでいました。原発のすぐ近くに。暗赤色の明るい照り返しが、いまでも目のまえに見えるんです。原子炉が内側から光っているようでした。ふつうの火事じゃありません。一種の発光です。美しかった。こんなきれいなものは映画でも見たことがありません。夜、人々はいっせいにベランダにでました。ベランダのない人は友人や知人のところに行ったのです。私のアパートは九階建てで、見晴らしが抜群でした。子どもたちをつれだして抱きあげ「さあ、ごらん。覚えておくんだよ」。それも、原発で働いている人たちが。技師、職員、物理の教師が‥‥。悪魔のちりのなかに立ち、おしゃべりをし、吸いこみ、みとれていたんです。ひと目見ようと何十キロもの距離を車や自転車でかけつけた人たちもいた。私たちは知らなかったのです。こんなに美しいものが、死をもたらすかもしれないなんて。確かににおいはありました。春のにおいでも、秋のにおいでもない、なにかまったくほかのにおい。地上のにおいじゃありませんでした。のどがいがらっぽく、涙が自然にでてきました。

 共産主義国家・ソビエト連邦が崩壊したのは最終的に1991年12月である。チェルノブイリの被害を最も大きく受けたベラルーシが独立を宣言したのは、これに先立つ1990年7月のことだったという。当初、共和制の国として出発したものの、1994年の選挙で選ばれたルカシェンコ大統領がその後ずっと政権を握り続け、現在はルカシェンコ与党の一党独裁となって久しいという状況が続いているらしい。
 訳者あとがきによれば、独裁者・ルカシェンコは「ベラルーシにはチェルノブイリの問題は存在しない。放射能にさらされた土地は正常で、ジャガイモを植えることができる」と宣言しているらしい。アレクシエービッチのこの本も、最も出版されなければならないベラルーシ国内においては、いまだに出版されてはいないのだという。

 国民は何も知らされないまま、さらに20年近い時間が経過してしまった。この本に「記録」された人びとがいまどうしているのか、どこでどんなふうになっているのかは全く判らないのである。その間に、わたしたちのすぐ身近なところで起こった原発事故も、時の流れのなかで徐々に忘れられ始めているように見える。
 福島第一原発2号機が、チェルノブイリと同様に放射性物質の大量放出を起こす寸前まで行っていたこと、そのギリギリのところで、幸運としか言いようのない偶然の巡り合わせによって、奇跡的に踏み止まったに過ぎないことを忘れてはならない(「福島第一原発事故7つの謎」第6章)。

 わたしのような者が言っても仕方がないことかもしれないが、いま、この「チェルノブイリの祈り」は、できるだけ多くの人に読まれなければならない本だと思った。この本に「未来の物語」という副題が付いているのは、もしかすると福島を忘れたいと思い始めている(ように見える)日本人に対する、アレクシエービッチからの警鐘なのかもしれないと思った。
by krmtdir90 | 2015-11-24 13:54 | 本と映画 | Comments(0)

モツ煮込み日和

 きょうは朝から寒々とした曇り空で、何となく絶好のモツ煮込み日和?ではないかと思ってしまった。妻と灯油を買いながら近所のスーパーへ買い出しに行き、必要なものを購入してきた。前回の時にこのブログに載せたから、それからほぼ一年ぶりということになる。

 これは家族にもけっこう評判がいいので、どうせやるなら大量にと思い、豚モツ800グラムの袋を2つ買ってきてしまった。真空パックみたいにギュッと詰まったものだったので、たいしたことはないと思ってしまったが、帰って鍋にあけてみたらえらい大量だったので驚いた。
 確かに2つで1.6キロなのだから、ちょっと考えれば判ることなのだが、後先を考えず気が大きくなってしまうところが、昔から直らないわたしの欠点なのである。でも、とにかく買ってしまった以上、一気に作ってしまわなければならない。一度に作れるほど大きな鍋はわが家にはないから、とにかく家にある中から大きそうな鍋2つを選び、ガス台に並べて同時進行で作ることにした。

 前回失敗した部分、最初に1時間以上、モツが柔らかくなるまで茹でる作業をきちんとやろうと思った。だが、どうせ2つの鍋に分けるのなら、この段階から分けた方が良かったのかもしれない。いや、絶対分けるべきだったのだ。
 わたしの料理バイブル「おつまみ横丁」にも「たっぷりの水」とちゃんと書いてあった。後先を考えず何とかなると思ってしまうところが、昔から直らないわたしの欠点なのである。
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 下茹でだからと1つの鍋で済まそうとしてしまった。1.6キロのモツの量というのは、1つの鍋の水の量に対してさすがに密度が高すぎたようで、時間は経過してもなかなか柔らかくなってくれない。火加減も少し弱かったのかもしれないが、結局柔らかくなるまで倍の2時間くらいかかってしまった。大量に作るというのは簡単なことではないなと思った。

 入れる野菜の下ごしらえも、当然大量になるのだからずいぶん手間がかかった。昼食を間に挟み、2つの鍋に材料を分け入れて、何とかモツ煮込みとして煮始めたのは2時近くになってからだった。味噌を溶き入れて味付けをし、ある程度煮込んで火を止めたのが3時過ぎ、いやはや疲労困憊してしまった。やはり身の丈に合った分量にしておくべきだったと後悔した。
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 もう少ししたらまた鍋の前に立って、30分くらい、いや1時間くらいか、とろとろ火を通さなければならない。まあここまで来ていれば、あとはもう問題はないはずである。あとはもうのんびりやればいい。
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by krmtdir90 | 2015-11-20 18:05 | 日常、その他 | Comments(0)

イチョウの季節(八王子散歩)

 わが家からJR西八王子駅に行くには、その手前で甲州街道(国道20号線)を横断するのだが、毎年この季節になると、道路沿いのイチョウ並木が鮮やかな黄色に色づいて、何とも華やかな景色を見せてくれる。並木は、わたしが横断する交差点よりもう少し東寄りの追分交差点から始まり、西に向かってJR高尾駅の入口まで続いている。
 今回の八王子散歩は、このイチョウ並木をたどってみることにした。日照の関係で黄葉の進み具合も様々なものがあるから、見頃がどのあたりなのかはその年々で判断が難しい。陽射しはあるもののかなり薄雲が広がっていて、写真に撮るには快晴よりもこのくらいがいいのかなと思って、カメラを持って高尾駅まで歩いてみた。
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 途中に歩道橋が3カ所。普段は歩道橋を渡ることなどないのだが、一応全部上って上からの眺めも確かめてみた。だが、上からのアングルというのは写真としてはあまり面白いものが撮れないことが判った。
 だが、歩道橋の上で、すぐ横の木にギンナンの実がついていることを発見した。
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 ギンナンの実は黄葉が始まる前に落ちてしまうのが普通で、まだ残っているのは珍しいのではないだろうか。イチョウの木には雌雄があり、実をつけるのは雌の方らしい。
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 だいたい1ヶ月ぐらい前がギンナンの実のピークだったと思う。実が落ちる頃というのは何とも言い難い悪臭があたりに漂う。わたしはやったことがないが、これを拾いに来る近隣住民の姿を見かけたりすることもある。素手で触れるとかぶれるので、みんなビニールの手袋をつけて拾っている。

 高尾警察署前のあたり。警察署の建物は右手にある。正面に見えている山は高尾山。
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 多摩御陵入口。御陵への参道は右手。
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 多摩御陵は大正天皇の陵であるが、昭和天皇の武蔵野陵が造営されてからは、武蔵陵墓地という名前が正式なものになったらしい。しかし、地元民の間ではここは依然として多摩御陵と呼ばれている。道路標識などもそのままである。
 参道の両側はケヤキ並木になっているが、甲州街道のイチョウ並木は、昭和2(1927)年に多摩御陵が造られたのに伴い、昭和4(1929)年に植えられたものであるらしい。
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 保育園の子どもたちがお散歩している。
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 左・町田街道、右・高尾街道との交差点にも歩道橋がある。
 その歩道橋の上から。
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 正面の高尾山がかなり近付いてきた。
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 間もなく高尾駅入口である。
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 なお、こんどの週末(21・22日)、沿道で八王子いちょう祭りというのが行われる。けっこうな人出があるのだが、今年は町会の当番に当たっているので、気が重いことだが、分担で半日ほどテントに詰めなければならない。天気に恵まれるといいのだけれど。 
by krmtdir90 | 2015-11-17 23:59 | 日常、その他 | Comments(0)

高校演劇2015⑲埼玉県大会(2015.11.14・15)

 14・15の2日間、埼玉県高等学校演劇中央発表会(県大会)を観に、今年も与野にある彩の国さいたま芸術劇場に行って来た。
 10校の舞台を観せていただき、審査員講評と結果発表を聞いてから客席を後にした。連盟の飲み会の方に出ると言うSさん(坂戸)・Tさん(筑坂)と、こちらで飲みに行くメンバーとで少し立ち話をしていたら、ロビーにもステージの音声が流れていて、審査員・S氏による審査経過なるものが聞こえてきた。例年は数分で終わる話が今年はやけに長かった。聞くともなく聞いているうちに、これは審査員の発言としてちょっと問題なのではないかと感じるところがあった。今年はまず、そのことから書かなければならない。

 最初からきちんと聞いていたわけではないから、もしかすると誤解している部分があるかもしれないが、要するに演劇を観る(評価する)という行為は一人一人違っているのが当然というようなことを言っていて、これはその通りだからかまわないのだが、それがいつの間にか、自分の見方というのはかなり偏っているかもしれないというような方向に進んで行き、どうもこれは自分が下した審査結果への自己弁護なんじゃないのと思っているうちに、「だからわたしに審査をさせてはいけない」というようなフレーズにぶつかったのである。
 一瞬、わたしは自分の耳を疑った。エッ、そんなこと言うわけ?と思った。それを言ったらおしまいなんじゃないのと思った。だったら自分が審査員を引き受けなければいいだけの話である。連盟から幾ら支出されているのか知らないが、この人は(たぶん万単位の)謝礼(報酬)を当然のように受け取って審査を引き受けているのである。それでいながらこんな発言をされたら、そんな人に落とされた学校はたまったものではないだろうと思った。プロとしてはそれなりの実績があるのかもしれないが、高校生の演劇を審査するということで言えば、こんな不誠実な態度は許されるものではないだろうと思った。

 審査結果についてはそれぞれの観点があるわけだから、当方の予想と異なる結果が出てもまあ仕方がないと思うようにしてきた。しかし、今年は上記の「不誠実」と併せて、どうしても触れておかなければならないことがあると思った。
 今年度の関東大会は地元開催ということで、1校プラスの3校が進出できることになっていた。1位(川越)・2位(芸術総合)については、異論はあるものの(特に2位については)仕方がないかなと思うことはできた。だが、3位(戸田翔陽)の選定には全く納得できなかったと思う。もう少し言うと、3位の選考俎上に並んだという戸田翔陽・浦和一女・浦和北の3校に、農大三高が絡んでいなかったことが理解できなかったのである。ここでも問題ありと感じたのは、審査員・S氏の農三に対する講評での発言である。

 S氏は自分もかつて高校野球をやっていたとかで、まず球児たるもの「イタコ」の力を借りて勝利を目指すというようなことは高校野球に相応しくない(そんなことを考えるのは間違いである)と指摘した(細かいフレーズは覚えていないが、主旨としてはほぼそういうことを言ったと思う)。考えてみると、これは台本の基本設定に関わる重要な点で、こういうことを言ってしまったら、この台本を選んだ時点でその学校は選考対象外になってしまうということではないのだろうか。
 きれいごとを言わないでもらいたいと思った。劇中に出てくる「あーせいこーせい(光星?)学院」のような私立校が、特待生制度で日本中から力のある生徒を掻き集め、「金」の力を借りて勝利を目指していることは問題にはならないのだろうか。前年の地区予選1回戦で60対0のスコアで惨敗し、部員も9人を切ってしまってやる気を失っている(もちろん金もない)弱小野球部が、藁にもすがる気持ちで「イタコ」の力を借りることが、そんなに非難されなければならないことなのだろうか。
 断っておくが、わたしはこの台本が被災地巡演などで大きな話題になった作品だから、批判されるのがおかしいなどと言っているのではない。批判するのなら、演じた高校生がきちんと納得できるようなかたちで批判しなければまずいと言っているのである。

 何よりこれは、現実にそんなことがあるわけもない、一つの「夢物語」として組み立てられた台本なのだということを忘れないでほしい。ラストシーンで、東日本大震災で亡くなった懐かしい人びとが、主人公・福島から来たカズサの前に(「イタコ」の力で)甦ることも併せて、「夢」の力が現実の「絶望」を乗り越えていく大きなきっかけになるという、悲しくも切実な再生の物語ではないのだろうか。S氏の言は、そこのところを意図的に見ようとしないだけでなく、真正面からこのテーマに向き合おうとしていた農三の生徒たちに対する、悪意に満ちた難癖に過ぎないとわたしは思う。
 実際、劇中の彼らは、「イタコ」の力を借りて勝ち進んだ決勝戦の延長15回、力尽きた「沢村栄治」に代わって自分たちの力だけで戦うことを決意したのではないか。「あーせいこーせい学院」相手に、彼らは15対0で潔く敗れ去ったのである。前年、1回戦の相手に60点も取られていた彼らは、「イタコ」の力に導かれながらとは言え、最後は自分たちの力だけで、金の力に任せた最強の「あーせいこーせい学院」を僅か15点で押し返したのである。

 S氏はまた、野球をやっていた者からすると(よほど自分の経験を絶対だと言いたいらしい)、農三の生徒のピッチングフォームやバッティングフォームがなっていないというようなことも言っていた。もっととことん(何十日もなどと言っていた)練習しなければダメだとも言っていたように思う。聞いていて、正直わたしは呆れてしまった。こんなことを言い始めたら、高校演劇の演技など大半が成立しなくなってしまうだろう。そんなことを言ったら、川越がやったカツオ漁船の乗組員たちは、ちゃんとしたカツオ漁船の乗組員になっていたのだろうか。芸総がやったレスビアンのシーンのために、彼女たちは何十日もレスビアンを突き詰めなければいけないのだろうか。
 バカもいい加減にしてもらいたい。わたしは、1・2位の学校や3位候補の俎上に上った3校を軽んじるつもりは全くない。どの学校も、それぞれ精一杯練習してここまで来ているはずである。それを認めた上で、どうして農三だけがこうした些末で(敢えて些末という言葉を使う)偏った講評になるのかを聞きたいのである。農三が、様々な困難が予想されるこうした重いテーマの台本を選び、それと正面から格闘した事実は舞台から見えなかったとでも言うのだろうか。これだけ多くの生徒たちを舞台に上げ、ここまで見事に動けるところまで練習した成果を、俎上にも上げようとしない理由が講評で明らかにされたとは、わたしにはどうしても思えなかったと言いたいのである。

 わたしの中で、今年の1位は農大三高だった。だが、結果的に川越が1位になったことには文句はない。そういう観点は理解できるし、わたしも基本的にはそういう観点に立っている人間だからである。しかし、顧問のAさんが書いた台本としては、昨年の「いてふノ精蟲」の方が優れていたと思うし、舞台の出来としてもずっと魅力的だったと思っているのである。今年の本ももちろんいいし、役者もずっと上手くなっていたが、どちらが上かと言われれば、このわたしの印象は変えようがないと言うしかない。頑固と言われるかもしれないが、わたしは昨年これが選ばれなかった県の審査をまだ納得していないということである。

 わたしと向陽のNさんとで審査し、Dブロックから推薦した浦和一女と浦和北が3位候補として残ったのは嬉しいことだったが、それよりも戸田翔陽が上とされたことには全く納得していない。この台本が手許にないので、きちんとした批判ができないのは残念だが、少なくとも3人の審査員で解釈が分かれたというラストシーンの問題は、看過できない疵と考えなければおかしいのではないだろうか。舞台を作った側にとっては、「その向こう側に」出たのか出なかったのかは明確に考えられていたはずだし、そこが食い違うようでは舞台として失敗だったと言うしかないだろうと思う。
 結局、台本における登場人物の設定が曖昧で、きちんとした芝居の構造が作れていなかったということになるのではないか。向こう側に出るために、主人公にはどういう過程が必要なのかが少しも描けていなかったということなのではないだろうか。主人公がどう変化したのかが判らないのだから、それまでの舞台上の様々な仕掛けも、思わせぶりなラストも、観客にストンと入って来るものにはなり得ていなかったと言うべきである。こんな台本に奨励賞が出るようでは、創作脚本賞も地に落ちたと感じた。
 2位になった芸総の舞台については、西部Bの地区大で観せてもらった時と同じく、こうした空疎なスタイリッシュはわたしは評価できないというのは変わらないと思った。大人である女子大生とまだ16、7の高校生の差は、一見近いように見えるが決定的に遠いのだと思った。どの役者も、情感を持たない(持てない)人形のように見えて仕方がなかった。

 最後に、われわれが推薦した2校について簡単に触れておく。Nさんとわたしとで印象がかなり違っていたのが面白かったのだが、一女の舞台は、わたしは地区大と比べてかなり残念な結果になってしまったと思った。結局、演技をしないことを(つまり「素(す)」であることを)意図的に演じるという練習を、もっと徹底してやらなければいけなかったのではないだろうか。演技をしないことに対する意識が、中途半端なままここまで来てしまったのではないかという印象を受けた。全体に声が小さく、大声を出すと演技してしまうことになるというような誤解もあったのかもしれない。わたしには何とも不満の残る舞台になってしまったように感じられた。
 浦和北は舞台がきちんとスケールアップされていて、役者も地区大より安定感のある演技が出来ていたと思った。ありがちな演技のパターン化もなく、きちんとそれぞれの役を演じることができていたのではないだろうか。この台本を面白いと思っていないわたしとしては、相変わらずその印象を覆してくれたとは思えなかったが、この(つまらない)台本でここまで出来れば十分合格点(台本に共感できていないから、これ以上の褒め言葉は書けなくてごめんなさい)だと思った。

 というようなことで、今年も審査結果に大いに不満が残った結果、飲み会の方は非常に論点の多いものになり、大いに盛り上がることになった。農三のFさんを励ます会のようになってしまったことは残念だったが、これからもこういう場をできるだけ続けていきたいものだと思った。
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 今年の会場・一期一会(いちごいちえ)というお店。今年は写真を撮っていないので、これは去年撮影したもの(ただし、去年は混んでいてここでは飲めなかった)。
by krmtdir90 | 2015-11-16 18:34 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(6)

「霧(ウラル)」(桜木紫乃)

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 「ホテルローヤル」以後の桜木紫乃をちゃんと追いかけているとは言えない。けっこうコンスタントに新作を出していたようだが、読んだのは「蛇行する月」一冊だけだった。どうも当たり所が悪かったのか、それがあまり面白い出来とは思えず、他の新刊本を見かけても積極的に触手が動かなかったのである。この「霧(ウラル)」も、店頭に並んだのを見てすぐに購入したわけではない。

 扉を開くと、本文の前にいきなり見開きの「道東・北方領土地図」というのが載っている。国後島・択捉島を始め北方4島が全部含まれた広域図の右下には、根室半島の拡大図と根室市街地のさらに詳しい拡大図も付いている。物語の舞台になるのが北海道最東端に位置する根室の町なのである。時代背景は昭和35年から41年にかけて、したがって広域図には、(この小説には何の関係もないが)この時点ではまだ廃線になっていない標津線や相生線の線路なども記入されている。
 国後・択捉・歯舞・色丹の4島は、1945(昭和20)年8月8日に対日宣戦布告をした旧ソ連によって、8月28日から9月5日の間に占領されたものである。にわか勉強ではこのあたりの経過についてはよく判らない点も多いのだが、とにかく当時4島に居住していた約17000人余りの島民は様々なかたちで島を逃れ、根室を始めとする道東などに移り住むことになったようだ。物語の始まりは、それから15年が経過した根室の町である。

 桜木紫乃としては珍しく(と言っていいと思う)、時代背景や社会背景といったものがしっかり書き込まれた小説である。根室は戦争末期、7月14日の空襲で市街地の大半を焼失する壊滅的被害を受けたようだが、そこから立ち直り水産業を中心とした町として復興していた。当時の根室には元島民だったという人間もたくさん住んでいたし、天気ならば海峡の向こうには敗戦によってソ連領となってしまった島影が見えていて、海峡に引かれた見えない国境線が、漁業民や町の人びとの生活のあり方に様々な影響を落としているのである。
 そうした背景をきちんと押さえた上で、今回桜木紫乃は珍しく(と言っていいと思う)、日の陰った片隅にひっそり生きるような登場人物ではなく、町の中核にあって町そのものを左右するような力のある登場人物たちを描き出すのである。主人公は、根室で古くから水産会社を営む地元有力者の家に生まれた3姉妹であり、その次女・珠生(たまき)の波乱に満ちた人生を中心に据えながら、男と女、様々な登場人物たちの数奇なドラマを展開させるのである。

 ちょっと離れているうちに、桜木紫乃は確実に一つ新しいステージに進み出たような気がした。物語の語り手として、どんどん脂がのってきたのではないかと思った。特有の研ぎ澄まされた文体で描き出される人間模様は、これまでになくスケールアップされた印象があり、表現の凝縮された鋭さにはさらに磨きがかかった感じがあった。語りの緩急・強弱のつけ方なども、約300ページというのは一応長編と言っていいと思うが、「ラブレス」の時などと比べるとずっと安定感があったと思う。
 とにかく、じっくり楽しませてもらった感じである。主人公・珠生をめぐる人間関係が、例によって一筋縄では行かない屈折した展開を見せるのだが、脇役だったはずの三女・早苗を始め、長女・智鶴や喜楽楼の女将・龍子といった女性陣がどんどん鮮明になってくる過程は、さすが桜木紫乃という感じで面白かった。今回は男性陣もくっきりと造形されていて、珠生の相手・ヤクザ稼業でのし上がる相羽重之、その腹心の木村、使い走りの保田、さらに成り上がりの水産会社社長・三浦といったところも、それぞれの役どころを丁寧に書き込まれていると思った。

 ただ、女性陣がそれぞれの底知れぬ闇を抱えながらどんどん変化していくのに対し、男性陣は設定された役回りからほとんど外れることがなく、女性が自由自在に動き回っているのに、男性は約束された性格付けや動き方からなかなか逸脱できない不自由さを感じた。智鶴が嫁いだ相手・大旗などはずっとつまらないステロタイプのままで、こういう長編になってくると、桜木紫乃の得手不得手(男性女性の描き方の得意不得意)がどうしても見えてきてしまうような気がした。桜木紫乃は女性を描く小説家なのである。
 女性陣の中で相羽の愛人・スミだけが、この物語の中では一人だけよく判らない描き方になっていて、物語の展開のカギになる存在なのだが、どうもそちらの役割が優先されてしまった感じで、人物造形に若干手抜きがあったような気もした。

 いずれにせよ、主人公・珠生の「成長」物語として見れば、彼女が「階段」を上がるごとに描かれる鮮やかな場面が実に印象的(爽快と言ってもいい)で、そのたびに「うおーっ、やってくれるじゃないの」というような、物語につきあう快感を十分堪能させてもらった。そういう場面はたくさんあるが、例えば、珠生が初めて煙草を吸い、自分専用のライターを購入するシーンとか、また、相羽とスミの殺害現場(あれ、ネタバレかな)で、制止する警官に向かって「『相羽組』の相羽珠生だ」と啖呵を切るところ、など。
 ところで、この終わり近くの殺人事件については、この物語はその経過に明確な決着をつけていない。それが明らかになったところで、珠生が置かれてしまった位置というか、ラストシーンで珠生が進む道には何ら変化は生じないのだということだろう。このある種突き抜けた終わり方に、桜木紫乃の小説家としての潔さというようなものを見る気がした。ミステリー的な謎解きではなく、興味があるのはこの女が最後に立った立ち位置なのだということ。これが桜木紫乃なのだと思った。

 安易に考えると、これは映画化にぴったりの物語のようにも思えるが、これはたぶん違う。絶対に、ストーリーをなぞるだけのつまらない映画にしかならないから、やめたほうがいいと思った。それと、謎解きを含んだ続編が書けそうな気もしたが、これもやはりやめておいた方がいい気がした。
 あと、「霧」と書いて「ウラル」というのは何なのか、調べてみたが判らなかった。どなたかご存じでしたら教えてください。
by krmtdir90 | 2015-11-13 21:23 | 本と映画 | Comments(2)

映画「起終点駅ターミナル」

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 正直に言うと、映画はほとんど期待していなかったのである。ただ、桜木紫乃作品としては初めての映画化ということだから、まあ気が向いたら観てもいいかな程度のものだったと思う。
 桜木紫乃の書く小説は、どれを取っても小説としての完成度が高く、鮮やかで濃密な物語空間をすでに言葉によって形成してしまっているので、どんな映像化であっても、恐らくそのイメージを裏切ることになるしかないだろうと思っていた。

 だが、予想は見事に外れた。
 この映画は桜木紫乃の小説世界を裏切ることなく、そうかと言って何かを過剰に付け加えることもなく、ある意味淡々とその世界をスクリーンに映し出してくれた。桜木紫乃の小説を読んでいるのと同じような感覚で、映画の時間に身を任せることが出来た。映画は映画なのだけれど、なんだか小説を読んでいるような心地よさ(しかもそれが確かに桜木紫乃の小説なのだ)を感じた。
 いい映画を観たと思った。帰りに、つい720円のプログラムを買ってしまった。

 「起終点駅ターミナル」は2012年4月に刊行された短編集で、単行本としては「ホテルローヤル」の一つ前に位置するものである。6編が収録されているが、その表題作の映画化ということになる。原作は、ページ数にして54ページほどの作品である。
 桜木紫乃作品は女性が主人公になるものが多いが、「起終点駅ターミナル」は男性、それも内なる罪を抱えてひっそり生きる(という点はやはり桜木紫乃か)65歳の初老の弁護士という、ちょっと毛色の違った主人公設定になっている。初の映画化作品にこれが選ばれたというのはちょっと意外な気もしたが、映画制作サイドのこの選択眼は間違っていなかったと思った。

 主人公・鷲田完治に佐藤浩市、副主人公・椎名敦子に本田翼というキャスティングは、映画である以上、美男美女を配することになるのは当然のことだが、なかなかよく考えられた人選だと思った。わたしは映画から遠ざかってもう20年近くになるので、若い役者などは全く判らないのだが、敦子のイメージが原作より可愛らしくなってしまうのは、まあ仕方がないのかなと了解した。本田翼という役者は、こういう敦子もありかもしれないと思わせてくれた。佐藤浩市は実際には55歳のようだが、肩や背中で男の老いをよく演じていたと思う。
 脇役では泉谷しげる・中村獅童ぐらいしか知らなかったが、完治のかつての恋人・冴子をやった尾野真千子を始め、みんなしっかり脇を固めていたように思う。驚いたのは、役名すらないようなチョイ役までよく目配りがされていて、納得できる存在感を持っていたことである(敦子を覚醒剤に引き込んだ男が、助けられたあと弁護人になった完治に突っ掛かるところとか、完治が弁護人として接見する万引き常習の女、あるいは完治の隣家に住むボケ気味の老人と、その様子を見に時々訪ねてくる青年、など)。

 スタッフの方も全く知らなかった。監督・篠原哲雄、脚本・長谷川康夫という2人は、フィルモグラフィーを見てみると、わたしが映画を離れた2000年代になってから活躍し始めた人たちのようで、その作品に知っているものは一本もなかった。
 しかし、この両名は素晴らしい才能の持ち主だと思った。原作の「起終点駅ターミナル」は、もちろんしっかりと完成した素晴らしい小説なのだが、そこからあまり離れないところで(ここが極めて重要な点だ。映画になっても桜木紫乃は桜木紫乃のままで)、映画という表現でもう一つの魅力的な「起終点駅ターミナル」という作品を作って見せたと思う。

 家に帰って原作を読み直してみたが、小説にある設定やセリフなどはほぼすべてそのまま生かされていて、一つ一つの場面が実に丁寧に映像化されていた。原作は50ページちょっとの短編だから、削られたところはほとんどなく、2時間弱の映画にするためには、新たに付け加えられた部分というのがかなりあったと思う。
 だが、それらの登場人物やシーンが実に的確にこの物語をふくらませており、桜木紫乃がそうしたものを書いたとしても全くおかしくないような、きわめて効果的な働きをしていると思った。つまり、付け加えられたものが余計なことをしたと感じられてしまうことは全くなく、どれもがスッとこちらに入ってきたのは見事なことだった。
 泉谷しげるが演じた先輩弁護士・南というのは原作にはない役だが、これなどがその好例である。彼は完治の離婚調停を担当し、以来ずっと完治のことを支えてくれた人という設定になっているが、引退して娘のいる函館に行くことになり、完治と別れの酒を酌み交わす場面が挿入されている。ありふれた居酒屋チェーンのテーブル席で、彼に「ひとつやふたつよ、あの世に持ってかなきゃならんことだってあるんだ。人は、それを背負って生きていくんだな」というような、物語のカギになるようなセリフを言わせているのである。桜木紫乃は削って削って、最小限のことしか書かない人だから、小説では絶対そこまで書くことはないと思われるが、映画だったら(泉谷しげるだったら)ここまではありだろうという、原作を解釈したギリギリの線を示して見せていると思った。

 720円で購入したプログラムは、非常に内容の濃い読み応えのあるものになっていて、上に引用した泉谷のセリフはこの中に載せられていたものである。
 プログラムには、主演の佐藤浩市や本田翼へのインタビューや、けっこう読み応えのある2つの特別対談が掲載されていた。その一つ、監督・篠原哲雄と脚本・長谷川康夫のよる対談で紹介されていて、佐藤浩市の言葉でも触れられている、完治が背負っている過去に対してのこの映画の描き方というのが興味深かった。

 原作では物語の中盤に挿入される昔の恋人・冴子との経緯は、映画では少し描写をふくらませて、メインタイトルの前にプロローグのかたちで置かれることになった(プロローグとしてはずいぶん長いものになり、タイトルが出るまで10分以上かかったのではないか)。
 原作では、完治は裁判官を辞め妻子を捨てて冴子と一緒になることをかなり早く決意していたが、冴子の自殺によって一旦は平然と元の生活に舞い戻るというように書かれていた。ここを映画は、完治は冴子への告白直前まで逡巡していた(むしろ別れる方に傾いていた)という描き方に変えた。さらに、目前で鉄道車輌に轢かれた冴子を直視することが出来ず、その場を慌てふためいて逃げ出す無様な完治の姿を切り取って見せるのである。
 完治が生涯背負い続けなければならない「罪」としてはどちらも成立していると思うが、その違いは、小説には小説の、映画には映画の描き方があるという意味で、なるほどと納得できたと同時に、それぞれがその表現を見事に完結させていたことに驚いたのである。

 もう一つ、映画では5歳で別れた息子・恒彦に関わる部分が大きくふくらまされていた。息子のその後の消息を思いがけずもたらす若手判事(原作では篠原、映画では森山)は、原作では最初のあたりに一度出てくるだけだが、映画では登場シーンが(確か)3回に増えていて、その中で息子の現在の様子はより詳しく完治に伝えられることになった。完治の中にずっと潜んでいた別れた息子への(そして妻への)思いが、小説よりも鮮明に見えてくるようになっていて、幼かった息子がイクラを一粒一粒嬉しそうに食べたというような思い出が明らかにされ、敦子が持ってきた筋子からイクラの醤油漬けを作るシーンに関連付けがなされたりしていた。
 息子の結婚披露宴への招待に関するエピソードも、映画では経過がかなりふくらまされ組み立て直されていて、何よりも完治がする最後の(出欠の)選択は正反対に変えられていた。
 原作では、完治は逃げていた敦子の男を敦子と共に見つけ、警察に届けたあとで、その日の夜に招待状の返信用ハガキの欠席に丸をつけるのだが、これの選択に響き合っていたのは明らかに、敦子の「先生、私、この人を見つけたとき、頼むから死んでてくれって思ったんです。もう、思わなかったことにできませんよね」という言葉だったはずである。

 ところが映画では、敦子のセリフは全く同じ位置にそのままあるものの、出欠選択の決断はぐっと後の方にずらされていた。息子からは何度か電話はあるものの(その都度曖昧な断りを言ってはいたが)、招待状は隣家のボケ老人が自分のところに取り込んでしまっていたという「行き違い」があり、彼の手許に届くのは敦子の旅立ちを釧路駅に見送って帰宅した直後、しかもそれは式の前日だったという「仕掛け」が設定されるのである。これは見事な設定変更と言うべきである。
 敦子が完治のところに現れたのは早朝の午前5時で、彼女が乗ったのは始発の特急6:26発のスーパーおおぞら2号と思われる。家に帰った完治が、仕事前に様子を見に来た隣家の息子に謝罪されながら招待状を手渡されたのが、恐らく7時少し前ではなかったか。
 部屋に戻って中を確認した完治は、心乱されながら朝食を食べる。やおら立ち上がり、冷蔵庫から敦子が残していったイクラの壜詰を取り出し、イクラご飯にして食べ始めるのである。映画独自に設定された(幼い息子がイクラが好きだったという)伏線が鮮やかに結びついたのである。完治の目から涙が溢れ、食べ終わった完治は吹っ切れたように出発の準備をするのである。礼服に着替え、もう1本あったイクラの壜を保冷剤と一緒に袋に入れる。この場面で完治の選択に響き合っていたのは、もちろん敦子の旅立ちであったことは明らかだろう。

 表にヤクザの中村獅童(役名は大下一龍)が来ているのは原作のラストと同じである。しかし、場面の意味合いは全く異なっている。完治はブツブツ言っている一龍のアウディで釧路駅まで送らせるのである。いつになく前を向いたような完治の勢いに押されながらも、中村獅童の存在感が最後に見事に生きたと思った。
 完治が釧路駅から乗った列車は、8:38発のスーパーおおぞら4号と思われる。釧路を出て、その日のうちに東京までたどり着くことの出来る最後の特急列車である。

 先に触れたプログラムのもう一つの特別対談は、作者・桜木紫乃と原作の編集担当だった小学館の幾野克哉という人だった。この対談が非常に面白い内容になっていて、このラストの変更について二人が喜んでいるのが非常に印象的だった。
 桜木は「いちばん嬉しかったのは、映画が人の再生のお話になったことですね」と述べ、「映画のようなラストに書き直したいくらいですよ」とまで言っている。幾野は「こんなに原作と映画のラストが違っているのに、両方とも良い!というのがすごいですよね」と述べ、桜木は「ほんとうにね。ラストを変えても、鷲田完治は鷲田完治のまま。あのラストにするために、完治が別のことを言ったり、思ったり、別の過去を持ったりしなくていい」と答えている。確かにこれは、映画化として希有の成功例と言っていいのではないかと思った。

 敦子と完治の別れのシーンは、内容的には似ているとも言えるが、描き方はくっきりと違ったものになった。原作では、車を降りた敦子が助手席のドアのところで「わたし、先生が好きです」と言う。これはこれで全く悪くないと思う。だが、映画では敦子が完治に抱きつくかたちに変えられている。正確なセリフは忘れたが、敦子が何かあったらまた来てもいいかというようなことを言う。すると完治は「だめだ。絶対に来るな」と言下に拒絶するのである。これもまた、すごくいいと思った。
 原作の方が、敦子や完治の「再生」ということに対して、やや悲観的な気配を漂わせていたように見えたのに対し、映画ははっきりと肯定的な方向に向いている感じがした。ストーリーの展開はほぼ全く変わっていないのに、映画がそういうかたちにラストを変えた(そして、それが十分な説得力を持った)ことが、何と言っても大きな驚きだったのである。

 記憶に残る、いい映画だった。ただ、「駅」を題名とする映画としては、駅や線路、鉄道車輌などの描き方はもう少し何とかしてほしい気がした。率直に言って、それらは映像としては少々物足りないように思えたのである。
by krmtdir90 | 2015-11-10 17:04 | 本と映画 | Comments(0)

「サラバ!」上・下(西加奈子)

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 この本が2014年下半期の直木賞に決まったのは、今年1月15日のことだった。翌日、行きつけの書店を覗いてみたら、急ごしらえの西加奈子コーナーは出来ていたが、肝心のこの本の増刷が間に合わなかったらしく、とりあえず店内から掻き集めたらしい西加奈子の他の本が並んでいるだけだった。仕方なく、その中から文庫本の「通天閣」を買ってきて読んだら、脳天を殴られたような強烈なショックを受けた。また書店に出掛けたが、まだこの本は並んでいなかった。今度は「ふくわらい」と「舞台」を買ってきて読んだ。しかし、面白かったけれど「通天閣」にはとうてい及ばないと思った。そうこうするうちに、書店にようやくこの本が並ぶようになったが、何となく3冊読んで一休みというような気分になってしまい、結局そのままになってしまっていた。
 先日、相変わらず店頭に並んでいるこの2冊を見て、そろそろ読まないと読まないままになってしまうかもしれないと思い、やっと買ってきて読んでみた。十分面白かったけれど、やはり「通天閣」にはとうてい及ばないと思った。

 西加奈子の作るストーリーというのは、読者の予想を遥かに超えた思いがけない展開を見せるところに面白さがあり、その展開を有無を言わせずぐいぐい押し切ってしまう、一種の荒技といったところに真骨頂があると思うのだが、上下合わせて700ページを超す長編となってくると、その展開の無理が少々気になってしまうような、エネルギーの隙間というか、読んでいてふと立ち止まってしまうようなエアポケットが生じている気がした。
 例によって十分魅力的な人物造形がなされ、その展開はいつものように十分刺激的で予想外なのだが、どうもストーリーの後半(下巻)になってくると、何となく作者の中で作られた予定の展開に持って行こうとする作為、ストーリーの辻褄合わせとでも言うべきものがちょっと気になってしまうところがある感じがした。特に下巻の後半あたりは、西加奈子としては思いがけず、文章の歯切れの良さといったものが失われ、表現がくどくなり説明過多になっている割に、人物たちのイメージは妙にぼやけてしまったように思えて仕方がなかった。

 実際、上巻から下巻にかかるあたりまで(1~4章ぐらい)は非常に面白く読んだ。次々に登場してくる人物がどれもくっきりとした姿を持ち、語られるエピソードもそれぞれ奇想天外とも言うべき側面を持っていて、これがストーリーとしていったいどういうふうに展開させられるのか、十分期待が持てたしワクワクさせられたと思う。広げられた風呂敷の大きさとユニークさは、なるほどこれが(他の誰でもない)西加奈子ワールドなのだと納得していた。
 そこから考えると、これだけ広げられたストーリーの収斂のさせ方は、率直に言って期待外れだったし、きちんと収斂させられていないのではないかという気がした。と言うか、西加奈子の書くストーリーの特質は収斂などではなく、誰も思い付かない未知の領域に突き抜けていくようなところにあると感じていたから、この終わり方は(ネタバレはさせずに書きます)ちょっと、オイオイそうなっちゃうの?という感じで全くいただけなかった。

 こんな終わり方はある種の楽屋落ちというものだし、作者が納得しているだけで、読者に対しては何の説得力もないのではないかと思った。結局、西加奈子はこの「僕」という一人称の主人公と、様々に絡み合う「家族」たちのストーリーを、最後には持て余してしまったということではないかと思った。途中までずっと面白く読んだので、最後の失速?が非常に残念な気がした。
 それにしても、あの「通天閣」は凄かった。そのことがいっそう際立つ気がした。
by krmtdir90 | 2015-11-08 17:55 | 本と映画 | Comments(0)

「談志が死んだ」(立川談四楼)・「赤めだか」(立川談春)

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 「談志が死んだ」というのは回文である。知らなかったが、この回文は談志の生前からしかるべき所には流布していたものらしい。
 実際に談志が死んだのは2011(平成23)年11月のことで、本書「談志が死んだ」の単行本が出たのは2012年12月だったらしい。今年、11月新刊の一冊として文庫本になり、棚の前に平積みされているのを行きつけの書店で見つけ、何となく買ってきてしまった。そんな回文があったことが面白かったのである。

 落語を聞くという趣味はなかった。この歳になると、若いうちに少しは聞いておけばよかったと思わないでもないが、あまり興味が湧かなかったのだから仕方がない。
 それでも、立川談志という存在は知っていたし、その行状が気になる興味深い芸人の一人だったのは確かだった。ビートたけしと似たような感じと言ったらいいだろうか、だから彼が日本テレビ「笑点」の初代司会者であったことや、参院選に出馬して最下位当選したことなどは記憶にあるし、師匠の小さんと袂を分かち落語立川流を創設して家元を名乗ったというような経緯も、何となくだが知ってはいたのである。ビートたけしが講談社のフライデー編集部を襲撃したとか、バイク事故で九死に一生を得たというようなことを知っていたのと同じことである。この時代を生きてきた者なら、恐らく誰でもが知っていた「事件」だったのである。

 だから正直に言って、本書を購入した動機は落語家・立川談志への興味と言うよりは、一つの時代と共にあった(お騒がせ芸人?という)存在としての立川談志への興味、というようなものではなかったかと思っている。事実、著者の立川談四楼というのが、談志と小さんの対立を決定的なものにした、落語協会真打昇進試験で不合格にされた当事者の一人だったというのも、本書を読むまで全く知らなかった(記憶していなかった)のである。
 立川談四楼は1951年の生まれ、18歳で談志門下に入ったというから、40年以上の長きにわたり師匠・談志と接し続けてきたことになる。本書が切り取っているのはその最終盤あたりの出来事である。晩年の談志は喉頭癌との闘病を余儀なくされたようだが、身体が思い通りにならなくなった談志の焦燥や不安といったようなものを、本書は鮮やかに描き出している。

 カバーの惹句には「偉大な師匠の光と影を古弟子が虚実皮膜の間に描き尽くす傑作長編小説」とある。解説の杉江松恋という人(どういう人なのか全く知らなかった)も、これは「紛れもなく小説である」と述べている。ここに書かれた内容の多くは事実だろうが、そこには当然著者による細かな取捨選択があり、誇張したところや敢えて触れなかった事実などもあるだろうということである。
 一見したところ、時代の寵児として自信満々に駆け抜けた感のある立川談志の思いがけず弱い部分とか、言動や外見から誤解されやすい優しさや繊細さといった部分などを、丁寧に掬い上げているような気がした。結果として、ここには人間・立川談志の光と影(矛盾をはらんでいるようにも見える人間的魅力)が見事に描き出されていると思った。弟子は師匠に惚れ抜いているから弟子であり続けられるのだろうが、そのあたりの複雑な思いが自然に見えてくる文章だと思う。

 本書の中で、談志の弟子・立川談春が出版した「赤めだか」という本にまつわるエピソードが、かなり大きな部分を占めて述べられている。立川談春は1966年の生まれ、17歳で談志の弟子になったというから、談四楼は談春にとっては兄弟子ということになる。すでに談四楼は本業(落語)のほかに小説なども書いていたようだから、その関係で「赤めだか」を褒めた書評をどこかに書いたということらしい。それが談志の目に止まり、理由不明の逆鱗に触れ破門を言い渡されてしまうという話である。
 この「赤めだか」という本を、以前わたしは読んでいることを思い出した。探してみたら確かにあった。奥付を見てみると、2008年4月が初版第1刷で、同7月の第4刷というのがわたしの持っている単行本だった。当時、マスコミなどでかなり評判になった本ではなかったかと思う。内容はほとんど忘れてしまっていたが、パラパラ見ているうちに結局もう一度読み直してしまった。

 こちらの帯には「破天荒な名随筆」と書かれている。だが、内容的にはこちらの方が「談志が死んだ」よりずっと「小説」なのではないかという気がした。談春みずからの生い立ちから始まり、主に弟子入り、前座時代を語った自伝的内容なのだが、そこには取捨選択、誇張や省略といったものが「談志が死んだ」よりはるかにたくさん施されているように思えた。2作を続けて読んだから、いっそうそういうふうに感じられたのかもしれない。
 談春が「赤めだか」を出版したのが42歳の時、談四楼が「談志が死んだ」を出したのは60歳になってからだから、このあたりの差は大きいかもしれないと思った。しかも、談四楼は師匠の死を受け止めた後でこれを書いたのに対し、談春は師匠存命中(しかもこの時には病魔に直面していた)にこれを書いたという違いがある。

 「赤めだか」の文章には、屈折や躊躇を通過した形跡があまりないと思った。若さに任せて(42歳は決して若いとは思わないが)ストレートに書いている感じが強い気がした。それが当時評判を取った大きな理由でもあったのだろうが、これを談志が「ウソだらけだ」と激怒したのも何となく判るような気がしたのである。
 内容の多くが事実だったとしても、これは随筆と言えるようなものではなく、もっと小説なのだという書き方を談春はしなければいけなかったのではないだろうか。「談志が死んだ」も「赤めだか」も、どちらも「自伝的語り口」を取っているように見えるが、談四楼の客観的でバランスの取れた書きぶりと比べて、談春の文章はかなり自分寄りに書かれているように見えたのである。その分、周囲に対する配慮が少し自分本位に流れていたのかもしれないと思った。まあ、どちらも人間・談志が透視できる面白い本ではあったのだけれど。

 談志が「赤めだか」の何について怒っていたのかは、いまとなっては結局わからないのだが、そのあたりのことを談四楼が「談志が死んだ」に書いてくれたことは、立川談志の人間像を考える上で、非常に大きな意味があったという気がした。
by krmtdir90 | 2015-11-03 18:29 | 本と映画 | Comments(2)


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