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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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「原発棄民」(日野行介)

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 映画「大地を受け継ぐ」を観たあと、現在の福島のことを書いた本が読みたいと思っていたら、行きつけの書店で、出たばかりのこの本が目についたので購入した。「フクシマ5年後の真実」という副題がついている。
 この本は、原発避難者の現状を生活基盤となる住宅問題を主な切り口として報告したものである。著者は毎日新聞の記者で、特別報道グループというものの一員として原発事故の問題を追及し続けてきたらしい。毎日新聞はわが家の購読紙で、こうした企画記事をよく掲載していると思っているが、そうしたものをこんなふうに一つにまとめてくれると、全体像が掴めてよく理解できると思った。

 まず最初に、年間被曝線量というものをどう考えるかという問題があるようだ。
 事故前のわが国はこの被曝限度を、年間1ミリシーベルト以下としてきた(この値には、自然界から受けるとされる年間2.4ミリシーベルトは含まれない)。これは国際放射線防護委員会(ICRP)が発表している一般人の限度値に基づくもので、ほぼ世界基準となっているものである(ICRPは併せて、放射線作業従事者は任意の5年間の年平均で20ミリシーベルト、ただしどの年も50ミリシーベルトを超えないものとしている。当然のことながら、従事者は成人であって子どもではない。言うまでもなく妊婦でもない)。
 福島の事故後、わが国は緊急時の避難指示基準として、被曝限度を年間20ミリシーベルトに引き上げる決定をした。その時のことは覚えているが、子どもたちもいるのにそんなに引き上げて大丈夫なのかと思った記憶がある。もちろん当時の状況を考えれば、ある程度基準を引き上げるのは仕方がないと思ったが、その後5年が経つ現在に至るまで、この20ミリシーベルトという値は1ミリシーベルトに戻されていないのである(確か事故直後、同時に福島の原発作業員については限度値を250ミリシーベルトに引き上げたが、これはその後50ミリシーベルトにまで戻されたようだ。ただ、現場の線量管理の杜撰さがたびたびニュースになっていたと思う)。

 問題なのは、1ミリシーベルトという値が存在したことを、いつの間にか忘れてしまっている(あるいは故意に忘れようとしている)ように見えることである。そもそも緊急措置であったはずの20ミリシーベルトがそのまま維持され、いまではそれがあたかも「安全基準」であるかのようになって、様々な「復興施策」の基準値になってしまっている点である。つい先日のことで記憶にも新しいが、丸川何とかという環境大臣が「1ミリシーベルトには何の根拠もない、反放射能の人たちがワーワー騒いでいるだけ」などと、信じられない低劣な発言をしたことが思い出される。。
 国や自治体にとって、原発避難者というのは20ミリシーベルトによって線引きされ、避難指示を受けた人々を指している。しかし、事故が起こる前の元々の被曝限度は1ミリシーベルトだったわけだから、仮に20ミリシーベルト以下であっても、子どものことなどを考えて不安だから避難するという人が出たのは当然のことだったと思う。だが件の大臣は、こうしたいわゆる自主避難者が(ワーワー騒いで)いるから復興が進まないのだと言いたかったのではないか。自公政権に戻ってからの政府は、折に触れて「復興の加速化」を打ち出しており、ここに来て、2017年3月末までに避難指示をすべて解除し、原発避難を終わらせる政策を打ち出している。

 指示による強制避難者にとってさえ唐突で一方的な「加速化」が、避難者個々の状況を少しも勘案しないかたちで進められようとしている。そこではさらに、20ミリシーベルトを納得しない自主避難者を「自分勝手で特別な人たち」であるかのように扱い、復興を妨げている邪魔者なのだという風潮が作り出されようとしていると、著者は指摘している。
 事故から5年が経とうとしているいま、確かに事故に直接関係がなかった(被曝線量や避難の問題と)大半の国民の意識の中で、福島の記憶が薄れていってしまうのは仕方がないことかもしれない。いま大半の地域で、年間被曝線量は1ミリシーベルト以下なのであり、そういう人々は時の経過とともに、20ミリシーベルトだって大丈夫なんじゃないかと思い始めている。そういうふうに言いくるめてしまう風潮が、あちこちで確実に作り出されているように思われる。何と言っても、自分が生活しているのは1ミリシーベルト以下の地域なのである。国が安全だと言っているのだから、ちょっとぐらい値が高いから嫌だなどとワガママを言わずに、そろそろ納得して終わりにした方がいいのではないか、というふうになってしまっていないだろうか。

 実際、低線量被曝が身体に及ぼす影響については、科学は明瞭な因果関係を描き出せてはいない。仮にガンを発病することがあったとしても、福島の事故との関連性が特定されることはほとんど期待できないだろう。だからといって、20ミリシーベルトという基準を受け入れられない人を誰が非難できるのだろう。避難者が納得できない「収束」などというのはあり得ないはずではないか。
 様々な意味で「納得できない」避難者がたくさんいることを、この本は各方面から取材して紹介している。そして、そうした避難者の心情や切実な要求に応えようとしない国や自治体の実態も、様々なかたちで描き出している。
 驚くべきことだが、いまに至るまで、避難者の数がどこでも正確に把握されていないこともこの本は指摘している。正確な人数がどこにも存在しない、そのことを誰もおかしいと思わない「復興計画」なのである。数の把握というのは実態の把握であり、避難者一人一人の存在を視野に収めることを意味している。それを行おうとしてこなかった国や自治体というのは、いったいどこを見て「復興」を考えてきたのだろうか。損害賠償とか生活保障とか、数の把握はそういう面倒なことと密接につながっているから、金の問題や責任の所在と関わってしまうようなことは、なるべく曖昧にしてはっきりしない部分を残した方が得策と考えていたのではないか。

 そしていま、避難指示解除による強制避難者の強制帰還が始められようとしている。避難指示がなくなれば、国や自治体にとっての避難者はいなくなるということである。残るのは、納得できないと言ってごねている自主避難者だけということになる。これまで国や自治体は、様々不十分な点はあったとしても、自主避難者に対しても住宅支援など一定の生活支援策を取ってきてはいた。当然のことである。しかし、それをもうやめるのだと、1年後に一方的に打ち切るのだということを決定したのである。
 国(いまの自公政権)は、とにかく早く「福島」を終わりにしたいのだ。「避難」している人間はいないという「かたち」を作りたいと考えているのだ。それが自分たちの「復興政策」の成果なのだと誇りたいのだろう。概数10万としか把握されることのない避難者の、その一人一人の思いは置き去りにされてしまうということなのだ。これがいま福島で進められている「復興」のかたちなのだとしたら、そんなものはおかしいという声をもっと大きなものにしなければならないと感じる。

 子どもたちの将来に、20ミリシーベルトという被曝限度を残すことはできない。1ミリシーベルトというのが、この国では(そして、世界の多くの国々で)ずっと続いてきた「根拠ある値」だったことを忘れてはならない。時の政権がいかに空疎な「安全神話」を撒き散らそうとも、被曝限度1ミリシーベルトが回復するまでは、福島の避難は終わらないし、終わらせることはできないのではないだろうか。
 被曝線量の問題というのは、たぶん人道上の問題と言うべきなのではないか。そう考えて政治が行われなければおかしいと思うのである。。
by krmtdir90 | 2016-02-28 10:27 | 本と映画 | Comments(2)

久し振りの飲み会

 今年に入って初めての飲み会があった(朝霞台・千年や)。
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 個人的な事情でこの年度末、埼玉から新潟に異動する顧問がいて、西部A地区やコピス演劇フェスのメンバーで送別会をしたのである。これからさらに活躍が期待されていた顧問だったから、思いがけないことで残念だったが仕方がない。最後だから、悔いのないようにやり合ってきた。おかげで、わたしは久し振りに身体の不具合を少し忘れることができた。新潟に行っても、大いに個性を発揮してやってほしいと思った。
 埼玉の人事は数日前に発表があったようで、知り合いの顧問の幾人かも異動先が明らかになっていた。演劇部のない学校に行く人もいるが、コピスの実行委員でつながっているのだから、何とか部活を立ち上げて(コピス出演を目指して)やってほしいものである。それにしても、いまの部員たちに、いつどんなふうに言うのか、辛いところだろうなと思った。
by krmtdir90 | 2016-02-27 13:09 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

映画「オデッセイ」

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 この映画は、散歩がてら地元の映画館(ニュー八王子)の普通のスクリーンで観た。立川まで行けば3D方式の上映が観られたのだが、わたしはそういうものには興味が湧かない。立体的になったからといって、映画そのものの価値や評価が上がるというものでもないだろう。
 SFはもともと好きな方で、この映画の監督がリドリー・スコットだったので、久しぶりに観てみようという気になったのである。リドリー・スコットは、かつて映画ファンだった者には、何とも懐かしい名前である。「エイリアン」(1979年)や「ブレードランナー」(1982年)に衝撃を受けた記憶はいまも残っている。調べてみると、生まれは1937年で、この映画(2015年)を撮った時は78歳だったようだ。

 彼は、わたしが映画を離れていた間もずっとコンスタントに作品を発表し続けていたらしく、いまやハリウッドでは押しも押されもしない「巨匠」となっているようだった。この映画は、売れる大作が撮れる「巨匠」の、いかにもハリウッドという感じのSF娯楽大作になっていた。
 もちろん、それは観る前からある程度予想できたことで、宇宙開発の近未来を描くSFということで、わたしは十分楽しむことができたと思う。ただ、かつて「エイリアン」や「ブレードランナー」の特異な空想世界に酔ったことのある者には、ああした斬新で幻想的な空想美術が見られなかったのは少し残念な気もしたのである。しかし、今回の映画がNASAの全面協力で作られた火星探査ものである以上、その空想世界(そのイメージ)が、科学的裏付けによってかなり制約を受けてしまうのは仕方がないことだったのだろうと思った。

 赤い砂漠と赤い岩肌がどこまでも続いている火星表面のイメージは、なかなかのものだと思った。だが、たまたま昨日「アラビアのロレンス」を見返してしまったのは、この映画にとっては不幸なことだったかもしれない。あの砂漠のイメージと比べると、本物と偽物と言ったら言い過ぎかもしれないが、こちらはどうしても見劣りしてしまう気がした。
 こちらはデジタルによって撮影され、技術的にはずっと進歩しているはずなのだが、火星の荒涼とした大地の広がりを写しても、どうも画面全体がのっぺりとして平板な感じになっていたように思われた(3Dだったら立体的に見えたかもしれないが、言いたいのはそういうことではない)。時間によって変化する風景の微妙な表情とか、砂や岩の表面から受ける質感といったものが、どうしても作られたものという感じがしてしまって仕方がなかったのである。
 比較するのが間違っているのかもしれないが、これはデジタル撮影のせいであって、デジタルというのはそういうものなのだと了解するしかないのかもしれないと思った。

 「エイリアン」や「ブレードランナー」に見られた空想イメージの自由な飛翔には、当時どんな映画でも見たことのない新鮮な驚きがあった。作りものという感じはあったが、空想そのものの美的な広がりが全体のリアリティを支えていたように思う。
 この映画は、どうしても科学的リアルに基づく空想にするしかないので、いろいろな意味で非常によく作り込んではいたが、イメージの奔放さに欠けてしまうのは仕方がないことだったのかもしれない(まあ、最初から判っていた「ないものねだり」はこのくらいにしておく)。

 その上で、このストーリーはハリウッド的娯楽大作として、非常に面白く組み立てられていると思った。火星の基地にたった一人で取り残されてしまった宇宙飛行士(マット・デイモン)という設定が面白いし、そのサバイバルと地球からの救出劇というのは、終始絶望的状況が山積で、なかなかスリリングだしドラマチックなものになるのは明らかである。
 これが月面だったら、ロケットはせいぜい3日で到着してしまう。だが火星となると、一気に100日を超える航行が必要になってくるのである(地球と火星の位置関係で、所要日数は大きく異なってくる)。通信手段が回復しても、電波の到達にさえ3~22分もかかってしまうのである。したがって、サバイバルも救出作戦も、数百日という気の遠くなるような時間を見据えた戦いとならざるをえない。そのあたりを、この映画は常にアメリカ的ユーモアを忘れず、一つ一つ乗り越えていくのである。映画としては、最後には(危機一髪で)助かることが判っているのだから、こういう話は大好きである。

 細かなことを言えば、そんなにうまくいくはずがないと思えるところもけっこうある気がするが、そういうツッコミ探しは野暮というものだろう。2時間22分、十分堪能させてもらいました。
by krmtdir90 | 2016-02-24 18:17 | 本と映画 | Comments(0)

映画「アラビアのロレンス」再見

 黒澤明の「七人の侍」が、4Kデジタル技術(どんなものなのか、わたしは全く判らないのだが)で公開時の状態に復元されたというニュースをやっていた。この「アラビアのロレンス」も同じやり方で復元されたものらしい。フィルムの劣化というのが避けられないものであるなら、こうしたかたちで往年の名画を保存していくことは、緊急にやらなければならないことだと思う。
 だが一方で、そうした処置が過去の映画フィルムのどのあたりまで行われているのかというのも気になってしまう。誰もが名画と認めるものが初めてニュースになるようでは、幾多のユニークな作品群が日々劣化するままになっているのではないかと心配になってくるのである。「雨のニューオリンズ」とか「八月の濡れた砂」とか、あれらのフィルムはいまどこでどうなってしまっているのかと、不安な気分にならないではいられないのである。

 「アラビアのロレンス」は、この技術で復元されたものが今週の月曜日(22日)にBS2で放映された。デッキに録画しておいたものを、きょうの午後、CDにダビングしながら観たのである。きょうはダビングだけで同時に観るつもりはなかったのだが、最初のあたりを何となく観ているうちに、ついつい最後までテレビの前を離れられなくなってしまった。
 こんな凄い映画だったのかと、改めて再認識させられた。わたしがこれを観たのはたぶん学生時代だったと思うのだが、映像の凄さはたくさん記憶に残っていたが、映画そのものの凄さは恐らく判ってはいなかったのだろうと思った。初見のあとで再見した記憶はないから、何十年ぶりの再会だったのだろう。テレビの小さな画面を通してだったが、いろいろなことが蘇り、そして初見の時には気付かなかった様々なことが確認できたと思った。
 3時間半というのは簡単な時間ではないが、その気になればこれからいつでも再会できるというのは、やはり技術の進歩に感謝すべきなのかもしれない。

 それにしても、昔は(年寄りそのものの言い方になるが)こんな凄い映画が作られていたのだ。こんな凄いスケールの映画は、もう二度と作られることはないだろうと思った。CGなどという偽物を作り出す技術ではなく、すべてが現場で実際に作られた映像なのである。デジタルではない、アナログの70ミリフィルムがその本物のすべてを写し取っていたのは凄いことではないか。この砂漠の映像の素晴らしさは、とうてい言葉で語ることのできないものだと思った。
 ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、アレック・ギネス、……みんなまだ若くて精悍な姿を見せている。今回再見して、この映画には女優が一人も出ていなかったことに初めて気付いた(そう言えば、「戦場にかける橋」もそうだったか)。モーリス・ジャールの重厚な音楽も懐かしかった。当時、こういう大作にはみんな、音楽だけで映像のない「Overture(序曲)」があり「Intermission(途中休憩)」がついていたことも思い出した。

 初見の時にはたぶん理解できていなかったロレンスという人間像が、今回はよく判ったような気がした。ロレンスのアラブへの愛と挫折、そんなふうにまとめてしまっては身も蓋もないが、デビッド・リーンが描き出した人間たちの姿がどれも鮮明に見えた気がした。
 20代と60代で鑑賞眼に差があるのは当然かもしれないが、こうして昔観た時曖昧なままに忘れてしまっていた映画に、遅ればせながら初めて出会うというような経験もあるのだと思った。ここに描かれたロレンスの屈折というものは、恥ずかしながら今回初めてきちんと理解することができたように思う。そして、すべてのものを呑み込んでしまう砂漠の雄大なスケールも、その人間ドラマがあってこその映像なのだと再認識させられた。
 デビッド・リーンは個人的には「ドクトル・ジバゴ」が一番好きなのだが、この「アラビアのロレンス」は、たぶん彼の最高傑作であるのを認めないわけにはいかないと思った。
by krmtdir90 | 2016-02-23 22:22 | 本と映画 | Comments(0)

映画「大地を受け継ぐ」

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 ドキュメンタリーには違いないが、よくありがちな、方向性のある編集によって監督の姿勢とか主張が前に出てくるようなものではない。対象となるものをただ見詰めるだけで、余計なことは一切しようとしない。文字通りそこにあるものを淡々と撮影しただけ、かたちの上ではきわめて簡素なドキュメンタリーだったと思う。上映時間86分、監督・井上惇一。

 2015年5月、「ごく一般的な16歳から23歳までの学生」(11人)がマイクロバスに乗り込む。初対面の人も多いように見える。彼らが向かったのは福島県須賀川市、福島第一原発から65kmのところにある一軒の農家である。その家の居間でテーブルを囲み、彼らはこの地で農業を営む樽川和也さんの話を聞く。映画の大半はその時の様子を撮影したものである。
 数台のカメラを回していたようだが、ほとんどは話をする樽川さんと、傍らで時折控え目に口を挟む母・美津代さんの2人のショットである。カメラは、ほぼ正面から2人を捉えた単一の構図のまま動かず、話を聞いている11人の表情が時々挟み込まれるが、基本的に樽川さんとお母さんの話す様子をずっと写し続けるだけである。
 つまり、とにかく話を聞く、ほとんどそれだけのドキュメンタリー映画なのである。ナレーションなどもない。

 先祖代々受け継いできたこの土地で、長年有機栽培に取り組んできた樽川さんのお父さんは、2011年3月24日、原発事故を受けて農作物が出荷停止になったというファックスが届いた翌朝、畑の脇にある木で縊死してしまったという。「お前に農業を勧めたのは、間違いだったかもしれない」という言葉が、息子である和也さんに残された。
 それから4年あまり、放射能に汚染されてしまった畑で農業を続ける樽川和也さんとお母さんは、どんなことを考え、どんな思いで現実を受け止めてきたのか。それは、決して整理されて話されるわけではない。終始抑え加減で訥々と語る(時に沈黙する)2人の話と、その表情の変化を、カメラはとにかくずっと見詰め続けるのである。恐らく、そこで語られた言葉はほんの限られたものにすぎない。その奥に、言葉にならないたくさんの思いが隠れている。それを受け止めるのは、2人を囲んだ11人の学生たちの視線である。

 話の中で印象に残ったことはいろいろある。農業被害に対する東京電力の損害賠償のやり方が、事故前に比べて事故後の売り上げが減少した分についてだけ賠償を行うというふうになっているため、とにかく出荷をして、売れなかったという実績を作らなければ賠償金が支払われないことになってしまうという話。
 そのため、検査をして基準値以下であれば、生活のために出荷するしかやりようがない状況が生まれているという。基準値以下と言っても、畑は確実に汚染されていたのであり(表面の土と下層の土を入れ替えるだけ、実際には攪拌することで数値を下げた、つまり薄めただけで放射能そのものは減っていないと説明されている)、自分で食べたいとは思わないと、樽川さんは正直に語っている。「土こそ命」と言って有機農業に取り組んできたお父さんの後で、そういう矛盾に満ちた農業を続けるしかない樽川さんの、生産者としての思いは屈折するしかない。基準値以下であれば、現状として出荷しても何の責任もないと言えるのだが、作った者としての罪の意識は消えないと言うのである。

 「風評被害などというものではない。これは現実なんです」という樽川さんの言葉は重い。あとで学生たちの質問の中で、親が福島のものは買わないようにしていることをどう思うかと問われて、お母さんは「その気持ちはよく判る」と、繰り返し噛みしめるようにして答えるのである。生産者として、こんな辛い答があるだろうか。それでも彼らは、基準値以下だから大丈夫なんですとは口が裂けても言わないのである。言えないのである。放射能に汚染された土地で、現実に生産を続ける者のギリギリの「矜恃」が感じられて言葉を失う。
 一旦耕作をやめてしまえば、畑は一、二年で使えなくなってしまうと言う。先祖から受け継いできた畑を、自分たちの代でダメにしてしまうことはできないのだと言う。最後のタイトルバックに、のどかな春の陽射しを浴びて農作業に精を出す2人の姿が映し出される。いままさにそこにある福島の苦悩を聞いた後では、その光景はすべてがなかったかのようで、いかにも明るすぎるのである。

 話を聞いた学生たちが16歳から23歳までというのは、震災当時は12歳から19歳だったということである。この子どもたちを話の聞き手にしたというところに、この監督がこの映画に込めた大きな願いがあるような気がした。チラシのコピーに「知らなければ、何も始まらない。だから、ボクらは福島へ向かった」と書かれている。
 プログラムには彼ら11人の、帰ってきてからの感想文が載っている。たぶんこれは、監督がこの映画に仕掛けた唯一の作為なのだろう。彼らが何を感じ、何を受け取り、何を受け継いだのかは判らない。だが、映画がそこに未来を託そうとしていることはよく判った。間もなくあれから5年が経とうとするいま、それは映画の観客であったわたしにも、何を記憶し、何を受け継いだのかという問いかけとして残されたのだと思う。

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 ポレポレ東中野という奇妙な名前の映画館はずっと気になっていた。自主制作の映画や、きわめてマイナーな映画ばかりを公開し続けている映画館である。右手の階段を下りて行くと、地下2階に暖かな雰囲気の空間が作られていた。
by krmtdir90 | 2016-02-22 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「恋人たち」

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 この映画を観たのは19日である。その日のうちに感想を書こうと思いながら、あれこれ考えているうちに時間がどんどん経過してしまった。
 始め、この映画に登場してくる人物たちは、率直に言ってあまり積極的に寄り添いたいとは思えない感じがあった。それぞれの切実さはよく描かれていると思ったけれど、共感はしにくい感じが強かったのである。ところが、いざ書き始めてみると、実はそうではなかったのではないかという気がしてきて、改めてもう一度、最初から考え直してみようという気分になって、結局ゼロから書き直してみることになってしまったのである。

 この映画には3人の主人公が登場する。プログラムのイントロダクションから抜き出しておけば、次のような3人である。
 通り魔殺人事件によって妻を失い、橋梁点検の仕事をしながら裁判のため奔走する男、アツシ。そりが合わない姑、自分に関心を持たない夫との平凡な暮らしの中、突如現れた男に心が揺れ動く主婦、瞳子。親友への想いを胸に秘める同性愛者で、完璧主義のエリート弁護士、四ノ宮。
 しかし、それぞれが紡ぐストーリーというのは、基本的に独立していて互いに無関係である。3人は個々のストーリーの中でだけ、みずからの小さな人間関係を生きている。それらは映画全体として一つのストーリーに構成されることはなく、終始バラバラなまま交互に進行していくだけである。
 相互の関連付けは全くないわけではなく、瞳子のストーリーに出てくる詐欺まがいの「美女水」というペットボトルは、アツシのストーリーにもちょっとした小道具として登場しているし、アツシと四ノ宮の間は、アツシが妻の事件で依頼した弁護士の一人が四ノ宮だったという関係が設定されてはいる。だが、それはそれだけのことであって、それが四ノ宮でなくてもアツシのストーリーは成立するという意味で、そこからお互いのストーリーがリンクしていくことにはならないのである。

 一見すると、何とも不思議なストーリー構成と言うほかないが、観ているといつのまにか、世の中にはいろんな人間がいるんだし、いろんなことがあるんだなという気分になってきて、それぞれのストーリーにその都度つき合っている自分を発見することになるのである。みんなそれぞれに生きているんだなという感じである。しかし、その生活の有り様というのは、わたしにはとても身近に感じられるようなものではなく、感情移入とか共感とかいう感覚とはかなり遠いところにあるように感じられたのである。
 わたしは彼らと距離を置いて、観察するように見ていたのだと思う。傍観的と言ってもいいが、そういう少し冷ややかな見方をする観客に対して、この映画はリアルな映像の積み重ねで、ほぼ完璧に応えてくれていたのだと思った。観終わって時間が経つにつれて、この完璧さは尋常なものではないという感覚がにわかに大きなものになってきた。この映画が刻々作り出していたリアルは、映画として他にあまり例がないような凄いものだったのではないかと思うようになったのである。

 ここに描かれる彼らの人生というのは、どれ一つとしてプラスに語れるようなものではなく、そこに掬い上げられている彼らの感情というものも、様々な不満とか心の歪みとか、とても順風に営まれているようには感じられないものなのである。もちろん三者三様ではあるのだけれど、彼らそれぞれの感情の微細な動きの一つ一つを、この映画は実に克明に描き出していたのだと思った。
 たとえば、アツシという男の心の痛み、絶望の深さは、他者から簡単に想像できるようなものではないにしても、そこにこの人物が存在しているということを、この映画は驚くようなリアルさで写し取っていたと思った。アツシに関するどのシーンでもいいのだが、その様々な表情や無表情といったもの、また様々な感情の揺らぎや虚しさ、そして怒りといったものを、こんなリアリティで画面に定着させるのは容易なことではないと思われたのである。それはアツシが一人でいる時の存在感であり、また他の人物と絡み合う時の存在感でもある。

 アツシの周囲に登場する人物たちも、短い出番をみんな見事に描き出されていた。それぞれがちゃんとした存在感を持っているから、それと絡むアツシの方も、きちんと反応し存在感を出すことができるのだと思った。橋梁点検会社「太陽」の同僚たち、片腕のない先輩の黒田とか、赤い飴玉をくれる女事務員とか、そうした絡みがアツシの内面にどんなふうに届いているのか、あるいは届いていないのかを、映像は実に丁寧に拾い上げていると思った。
 滞納している国民健康保険の支払いに訪れた区役所の窓口で、いかにも小役人という感じの職員とやり取りするところ、その押し問答から生まれる感情のリアリティは凄かった。アツシの内側にふつふつと湧いてくる怒りを、この映像は見事に写し取って見せている。沸点に達する直前、ギリギリのところで暴発を思いとどまるアツシの感情の振幅を、まるごとスリリングに眼前させてくれるのである。
 終わり近くに、絶望感に囚われて剃刀で手首を切ろうとするアツシが映し出された時には、わたしは生理的な恐怖感でじっと座り続けることができなかった。

 主婦の瞳子というのは美人でもなく、身体などの線もすっかり崩れた中年女で、登場人物として特に魅力を見出すことの難しい人だと思った。だが、この映画はここでも、その冴えないが切実な生活感といったもの、その虚しさとか救いのなさといったものを、淡々としかし的確に画面に定着させていくのである。身近に共感することは難しくても、こういうふうに正攻法でリアルに映し出されてしまっては、最後まで見届けるしかないではないか。
 瞳子の生活する家の状況、姑や夫との修復不能な関係の絶望感などは、この相手役の存在感があってこそ感じられたものだと思う。この状況から脱したいという潜在意識が背中を押したのだろう、優しくされた詐欺師の男の許に、小さなスーツケースを持って出て行こうと決意する瞳子の、笑いたくなるような切実な表情や仕草を、この映画は残酷なまでに切り取っていると思った。
 一方、同性愛者の四ノ宮というのは、わたしにはどうしても好きになれない感じで、最も距離を感じる登場人物だったが、映画としてきちんとその存在感が描けていたのは認めるしかないと思った。だが、四ノ宮のストーリーだけが、この映画の中ではずっと異物感を残し続けていたように感じた。同性愛というのは、どうもわたしにはよく判らないのである。

 結局、この監督はこの映画で何をやろうとしていたのだろうか。画面のあちこちから、停滞した絶望感のようなものが滲み出しているように感じられたが、その描き方というのは意外にも少しもべたついたところがなく、むしろストーリーの中に生じる様々な事態(生きていく上での不具合というようなもの)を、不用意に批評したり決めつけたりはしないで、あくまで乾いた距離感を持って見詰めているような気がした。
 ここには現代日本の、様々な意味で生きにくい現実が写し取られているし、どうしてこんなことになっちゃったんだという、ちょっと大袈裟な言い方になるが、社会状況に対する怨念のようなものも埋め込まれているように感じられた。通り魔殺人などというものが現実にいつ起こっても不思議ではない状況は確かにあるし、それはアツシに決定的なダメージを与えているのである。瞳子のやり場のない不充足感に結婚詐欺の男が簡単に侵入して来るというのも、何とも言いようのない現代の不条理のように思われるのである。同性愛も少しも珍しいことではないし、突然出てくる覚醒剤というようなものも(きわめてリアルなかたちで2回も出てくる)、ちょっと手を伸ばせば簡単に手を染められるところに存在しているのである。

 ここに描かれた現実というのは、総体としてみれば、何とも暗く絶望的で救いがないかたちで提示されていると思う。だが、この監督はそうしたものを、決して悪意に満ちた回復不能な現実として描いているのではないと思った。もちろん安易な希望を持ち込むことなどできないが、これらのストーリーは最後のところで、ほんの少し現実を反転させられるのではないかという気配を、さりげなく忍び込ませているのである。
 たとえば、男に騙されたことが判って、元の姑と夫の許に戻るしかなかった瞳子に対して、夜の性行為の要求サインを出す無口な夫が、コンドームが切れているから買いに行くと言う瞳子に対して、「なくてもいいじゃないか、夫婦なんだから」というようなことをボソッと言うシーン。何もないと思っていた夫との間に、微妙な関係性の変化があり得ることを示して見せるのである。一人一人を縛り付けている絶望的な状況(人間関係など)は、そう簡単に変わるものではないにしても、この先ずっと変わらないというわけでもないのではないかということである。

 映画の最後は、どう転んでも絶望から脱することはできないのではないかと見えていたアツシが、どうやら一歩前に足を踏み出したのではないかと感じさせるシーンで終わっている。橋梁点検の終了時に指差して行うルーティーン「右よし、左よし」に続いて、アツシは道路の橋桁に区切られた狭い空に向かって、小さく「よし!」と口にするのである。続くクレジットタイトルの終わりには、それまでずっと何年間もカーテンで閉じられていたアツシの部屋の窓が開け放たれ、明るい陽光と爽やかな風が吹き通るイメージが付け加えられている。
 それまでの(何年もの間続いてきた)重苦しい毎日を考えれば、この変化はきわめて唐突に訪れたように見える。少し前までは、アツシは絶望の底から覚醒剤に手を出そうとし、剃刀でみずからの手首を切ろうとさえしていたのである。
 しかし、考えてみると、一方でそんな極限まで追い込まれた精神状態にありながら、もう一方で、心の治癒に向けた準備が少しずつ積み重ねられていたということがあるのではないか。もちろん絶望がすべて過去のものになってしまうわけではない。それでも、最後の最後に自分の手首を切ることができなかったアツシの中では、もう一度前に進みたいという切実な想いが徐々にふくらんでいたのではないかということである。それを、この監督は最後のところで静かに肯定してみせるのである。

 それは思い通りにならない毎日、自分で自分をどうすることもできない、次々に溢れ出してくる、制御できないマイナスの力に対して、少しずつ少しずつアツシの内側に積み重ねられていたのだと思う。アツシのことを折に触れて心配してくれていた橋梁点検会社「太陽」の同僚たち、片腕のない先輩の黒田とか、赤い飴玉をくれる女事務員とか、そうしたものがアツシの心に、僅かずつであっても確かに届いていたのだということを、この監督は最後に明らかにしてくれるのである。
 どんなに思い通りにならない人生であっても、人はその場所で(行きつ戻りつしながら)生きていくしかないのであり、その徒労になりかねない絶望的な積み重ねの振幅の間に、微かな肯定の光を見出さなければ映画ではないと、この監督は考えているのかもしれない。
 観ているあいだずっと、重くて辛くて耐え難い印象は続いていたが、この監督の真正面から彼らを見詰める眼差しに、このラストを予感させられる何かがあったのかもしれない。観終わった後の気分は、予想外に暖かく気持ちの良いものだった。

 この映画はは、昨年(2015年)のキネマ旬報ベストテンで日本映画第1位となり、毎日映画コンクールなど、多くの映画賞で高い評価を受けたものらしい。11月からの公開は一旦終了していたようだが、各種映画賞に輝いたということで、今月に入ってから幾つかの映画館で再公開されることになったようだ。
 20年近く映画館から離れていて、最近また少し通い始めた者としては、再公開があるのならこの機会に、最近のキネ旬第1位というのがどんな映画だったのか、ちょっと確かめておきたいような気分になったのである。

 実は、監督の橋口亮輔という名前には何となく覚えがあって、調べてみたら、長編第1作が1993年の「二十才の微熱」というものだったようだ。この公開年はわたしがまだ映画を観続けていた頃だから、そこから考えると、わたしはたぶんこの映画を観ていると思うのだが、例によって記憶からは完全に飛んでしまっていた。
 今回の映画では、主役の3人を始め、脇役たちの幾人かも、監督自身が主宰したワークショップを通じて抜擢された素人だったらしい。それぞれの存在感を生かして、宛て書きとして書かれたストーリー(脚本)が素晴らしかったということなのだろう。それにしても、彼らからこういう迫真の演技を引き出したというのは、橋口亮輔という監督の才能は驚嘆に値するものだと思った。ちょっと遠くまで出掛けて、観ておいて良かったと感じた。

 今回は、南町田の109シネマズというところで観た。新宿などでもやっていたようだが、どこも時間限定の上映なので、探したらここが12:45からということで、一番いいかなと思ったのである。南町田駅というのは、横浜線の長津田駅で東急田園都市線というのに乗り換え、西の方角に3つ目の駅だった。こんなことでもなければ、絶対に行くことなどなかったはずの駅である。
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 駅前には、グランベリーモールという郊外型のお洒落なショッピングモールが広がっていて、その中に10のスクリーンを持つ広い映画館が入っていたのだった。「映画館散歩」という、新しい楽しみがあるかもしれないなと思った。
by krmtdir90 | 2016-02-21 17:34 | 本と映画 | Comments(0)

映画「サウルの息子」

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 新宿のシネマカリテは水曜日が割引デーになっているようで、行ってみたらシニア割を使うまでもなく、全員が一律1000円になっていた。誰でも通常より安く観られるわけだから、12:05の回は7~8割の座席が埋まっていたが、終わって出てきたら次の回は満席になっているらしかった。
 劇場のスクリーンサイズはビスタビジョンなっていて、クレジットタイトルなどはビスタサイズで映し出されたが、本編の映像はすべてスタンダードサイズだった。タイトルがビスタサイズである以上、スクリーンはビスタサイズになったままだから、本編の間は両サイドにずっと何も写らない部分が残っていた。それを意識させる(写っていないところを想像させるという)作戦があったのかもしれない。

 この映画はナチスのホロコーストを扱っている。プログラムのイントロダクションには1944年10月と書かれていて、場所はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所(ポーランド)ということになっているが、映画の本編でそうしたことが説明的に明らかにされることはなかった。
 ただ、冒頭に字幕で「ゾンダーコマンド」というものが説明されていた。これは、ナチスがユダヤ人収容者の中から一定の人数(男性)を選別し、数ヶ月の延命と引き換えに、ユダヤ人虐殺を手伝わせ、死体処理などにあたらせた特殊作業班のことだという。映画はそんなゾンダーコマンドの一人である、サウル・アウスランダーというハンガリー系ユダヤ人の一人の男に密着する。この映画の斬新さは、文字通り「密着する」としか言いようのないその描き方の特異さにあると思う。

 カメラは常にこのサウルという男とともに動き、彼の周辺だけにとどまり続け、彼と彼が見聞きできるきわめて狭い範囲だけを画面に映し出していく。周囲の状況はその多くがカットされ、観客が見ることのできる視野は極端に限定されてしまい、さらにその多くの場合が、ピントがずれてぼやけてしまったり、移動やブレのため明瞭な像を結ばないのである(手持ちカメラが多用され、ピントが合う範囲を意図的に狭めた撮り方をしているようだ)。カメラは、普通の映画のようにストーリーを紡いでいくための映像を作ることはなく、むしろ不明瞭な、何が起こっているのか判然としない映像ばかりを、スクリーンに積み重ねていくのである。
 このカメラの扱いはこの映画の独創であり、全編がそういう描き方で貫かれることで、この映画は逆にこれまで観たことがないような強烈で緊迫した映像を作り上げたと思った。

 サウルの眼前で起こっていることは、サウルの表情のアップやバックショットの背景として、おぼろげに映し出さるだけである。それでも、それは眼前で確かに起こっていることなのであって、サウルを含むゾンダーコマンドたちは、移送列車で到着した大量のユダヤ人を追い立て、衣服を脱がせて全裸にし、シャワー室と偽られたガス室に送り込む。そうしたことが行われていることは、ゾンダーコマンドであるサウルの映像の背後に確かに見えているのだが、その全体像はあくまでぼんやりとして掴み所がないのである。
 カメラはこの後も一貫してこういう撮り方をしていくのだが、その映像のきわめて限られた感覚に比べて、音の方は実に鮮明に、その場の様々な音声をくまなく拾い上げていく。大きなものから小さなものまで、非常に重層的に聞こえてくるように作られている。観客席の背後などを含め、四囲から微かな話し声や呻き声などが聞こえてきたりして、観客はサウルの聴覚をほぼ完璧に実感できるようになっているのである。
 サウルにとっては、目にするものも聞こえてくるものも、その異常さに麻痺して次第に実感を失ってしまっているのだろうが、音の鮮烈さを観客に際立つように残したのは、この映画のきわめて意図的な戦略というものなのだろう。それは異様な迫力を持って観客に迫ってくるように思われた。

 視覚的に限られた映像と、すべてが聞こえてくる感じの音との組み合わせが、観客の感覚と想像力を極限まで広げてしまう気がした。閉じられたガス室の中の様子は、閉じられたドア越しに洩れてくる音だけで表現されることで、強烈なインパクトを与えるものになっていたと思う。しかし、何ヶ月もこういう作業に従事させられているサウルの表情からは、何も読み取れるものはないのである。その恐ろしさは、この映画が描く固有の感覚である。
 ゾンダーコマンドたちは命じられるままに、こちらの部屋に残されたユダヤ人たちの衣服を機械的に片付け、金目のものを取り分けていく。次には、すべてが終わったガス室から死体の山を運び出し、床に残った汚物や血の跡を水で洗い流していく。さらに次には、死体を焼却し、その灰を川に捨てに行く作業なども行われている。カメラはそういう現場にいるサウルの姿を執拗に追いかけるが、サウルを離れてこれらの所行の全体像を捉えようとはしないのである。

 逆に、こうしたやり方で際立ってくる現場感覚というのは尋常ではない気がした。大きなスクリーンにすべてのものを映し出すのとは真逆のやり方で、この映画は多くのものを直裁には写さないことで、スタンダードサイズの小さなフレームに恐ろしい臨場感を作り出していると思った。
 プログラムに載っていた監督のインタビューを読んでいたら、この映画の撮影方法について、次のように語っていることを知った。
 すべての段階で伝統的な35ミリ・フィルムと現像のプロセスを用いました。この世界を有機的な映像として表現するには、この方法しかなかったのです。我々の挑戦は観客の感情の琴線を打つことで、それはデジタルでは決して得られないものです。
 なるほどな、と思った。この映像の質感はデジタルのものではない。監督のネメシュ・ラースローは1977年生まれのハンガリー人で、この映画が長編映画の第1作だったのだという。

 映画は、彼らがガス室から死体を搬出する時、一人の少年がまだ息絶えていないことに気付くところから、サウルの内面に起こった小さな揺らぎを追いかけていくことになる。やって来た医師(彼もナチスに使われているユダヤ人である)によって、少年はすぐに絶命させられてしまうのだが、この時サウルは、この少年が自分の「息子」だという感覚に捉えられてしまう。
 彼はこの少年の遺体をユダヤ教の教義に則って、焼却するのではなく(ユダヤ教では火葬は禁忌であるらしい)きちんと埋葬してやりたいという思いに取り憑かれてしまう。ナチスの命令のままに、ただ過酷な作業を受動的にこなしていただけのサウルの内面に、説明のつかない「熱狂」が生じるのである。彼は少年の遺体を盗み出し、密かにそれを保管するとともに、移送されてきたユダヤ人の中にユダヤ教の聖職者である「ラビ」がいないかと探し回る。それは彼や彼の仲間を様々な危険にさらすことになるのだが、サウルの内に灯ってしまった狂気としか言いようのない「火」は、彼の行動を後戻りできないかたちで押し流してしまうのである。

 映画では、これと並行して、ゾンダーコマンドたちによる武装蜂起と脱走計画が進行しているのだが、どうやらサウルはこの計画に深く関わっているらしいことが見えてくる。だが、少年の埋葬に取り憑かれてからの彼は、その計画のことは完全に視界から外れてしまうようなのだ。このあたりの経過についてはここでは詳しく触れないが、結果的に仲間たちと脱走に成功したサウルは、泳いで川を渡る時、そこまでは担いで何とか運んできた少年の遺体を、流れに持って行かれることになってしまうのである。
 川を渡り切ったあたりから、カメラの位置はややサウルから離れるようになり、客観的な状況を少しずつ映し始めることで、ラストが近いことを感じさせていたと思う。仲間たちと森の中の小屋で小休止するのだが、その時サウルの目には、入口の向こうに一人の少年が立っているのが見えるのである。(確認はできないのだが)それは、あの遺体の少年の拘束される前の姿のようにも見えた。サウルの口もとに不思議な微笑のようなものが浮かび、走り去る少年とともにカメラがサウルを離れて外に出て行った後、背後に何発かの銃声が聞こえ、(サウルたちの死を暗示して)画面は突然途切れて映画は終わるのである。

 サウルは少年の遺体を埋葬してやることはできなかったが、川に流すことで遺体のかたちは(焼かれることなく)とどめたのであり、サウルの「願い」は半ば叶えられたことになったのだと思う。全編が過酷で悲惨きわまりない状況を描いた映画であり、サウル自身も死によってしか救われることはなかったのだが、彼が最後に見せた微かな笑みによって、絶望的な状況下での人間的な矜恃の一つが回復されたことを示していたのだと思った。
 それにしても、ただただ見続け感じ続けるしかないこの映像と音の執拗さは尋常なものではない。身体が硬くなり、観終わった時の疲労感はかなりのものだった。とにかく引き込まれ、最後まで引きずり回された感じだった。現実の地獄と比べれば、恐らく映画は映画に過ぎないのだが、しかし映画でなければできない体験をさせてくれる映画だと思った。デジタルだの3Dだの、最先端の映像技術など使わなくても、こういう映画がまだあり得るということを鮮やかに示したものだったと思う。
by krmtdir90 | 2016-02-18 13:10 | 本と映画 | Comments(0)

映画「俳優 亀岡拓次」

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 けっこう期待して観に行ったのだが、結果は残念ながら「もう一つ」といった感じだった。なぜそういうことになってしまったのか。

 脇役俳優を主役に据える設定というのは、目の付けどころとして秀逸だし、ストーリーとしてもいろんな切り口が期待できそうな気がした。原作は同名の小説で、作者の戌井昭人という人は、芥川賞候補に5回も名前が出ながら、まだ受賞には至っていないということらしい。わたしは原作を読んでいないが、何となく興味惹かれる小説ではあるような気がした。
 映画のホームページにあるイントロダクションには、この映画は次のように紹介されている。

 俳優・亀岡拓次。それは映画やテレビドラマなど、誰もがどこかで見かけたことがある役者。だけどパッと名前が思い浮かぶことはない。泥棒、チンピラ、ホームレス……演じた役は数知れず。声がかかればどこにでも、どんな役でも駆けつける。37歳独身で、彼女もナシ。趣味はお酒。ひたすら撮影現場と酒場を行き来する日々を送っている。恋に奥手で、生き方は不器用。

 そんな男が恋をしたというのだから、これは面白い映画になりそうな気がするではないか。キャスティングもなかなかのもので、亀岡を演じた安田顕、脇役仲間の泰平をやった宇野祥平を始め、みんな実に存在感のある役者を揃えているのである。山崎努や三田佳子といった大物も含めて、みんな実にいい芝居をしていたと思う。
 だが、それが生かし切れていない、こんなにいい顔ぶれが揃っているのに、こんなにいい設定(ストーリー)が用意されているのに、それがちゃんと撮れていないと感じた。そして、それはすべて監督の責任に尽きるような気がした。
 監督の横浜聡子という人についてわたしは全く知らないのだが、何やら斬新さとか斜に構えることを意識しすぎているのではないかと感じられて、もっとオーソドックスな、自然体の映画の撮り方をしてもらいたいと思った。

 映画というものはまず何よりも映像であり、映像の基本は何よりもリアリズムである。カメラはまずすべてのものをリアルに映し出してしまう。そこのところを大切にしなければ、どんなテクニックも空しいものになってしまうということである。
 デビュー以来、若々しい「才気」といったものを評価されてきた監督のようだが、リアルな映像の部分が案外凡庸で、ただ写しているだけといった印象があり、編集についても映画の基本的な方法が判っていないような感じがした。

 たとえば、亀岡はいろんな地方の撮影現場に行き、夜は土地の飲み屋でくだを巻くのだが、その地方のローカルさを示すカットが全く用意されていない。亀岡が一方的に恋してしまう若女将(役名は室田安曇・麻生久美子)がいる居酒屋は、長野県の上諏訪にあるという設定なのだが、それを明確に表す外のカットが全く用意されていないから、その店はどこにあっても成立してしまうような気がしてしまうのである。
 店内に真澄の壜が置いてあっても、それだけでは全く不十分と言うしかなく、ローカルであることをきちんと描くというのはどういうことなのか、そういう映画のセオリーを、この監督は全く判っていないという気がした(山形でのシーンも同様で、夜の飲食店街などは東京のどこかと言われても全く違和感は感じなかった)。

 そういうところが丁寧に描けていないから、いろんなエピソードが重層的になっていかず、亀岡が小さなバイクを飛ばして東京から諏訪まで彼女に会いに行くことになっても、ストーリー的に全然盛り上がってこないのである。ついでに言えば、このバイクの走行シーンがスクリーンプロセスで処理されていたのには、唖然として言葉もなかった。
 いくら何でも、今どきスクリーンプロセスというのはないだろう。亀岡の夢?として描かれる2人のダンスシーンも同様の処理で、この映像的安直さにはどんな批評的意味もありえないと思った。

 お忍びで来日したという外国人監督によるオーディションのシーンなどもそうだが、この監督は映像のリアルということに対して全く勉強不足のまま、当人だけが斬新のつもりで安直な逃げの撮影をしていると思った。そのことに当人は気付いていないのだろうか。
 しがない脇役俳優の日常と恋を描くにあたって、その素材の面白さを考え抜いて、どう撮ればそれが生かせるのかといったことに対して、この監督はオーソドックスなリアリズムというものに、もっと謙虚な姿勢を持つべきではなかったかと思う。設定やストーリーが十分に面白いのだから、もっと正攻法できちんとした映画を撮るべきだったのではないかという気がした。
by krmtdir90 | 2016-02-16 21:11 | 本と映画 | Comments(0)

「空海」(高村薫)

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 一日がかりの感想文にするつもりはない。一応読んだ記録として、簡単に述べておくだけにする。

 この本を手に取ったのは、空海に興味があったからではない。興味の対象は著者・高村薫の方であって、近作にはすっかりご無沙汰になってしまったが、彼女が空海というような対象をどんなふうに語っているのか知りたかったのである。
 本書は、共同通信社が2014年4月から15年4月まで地方新聞に配信し、「21世紀の空海」というタイトルで連載されたものを加筆してまとめたもののようだ。東京に住んでいる人間は読むことができなかった連載なので、ちょっと気になったということもあったように思う。

 わたしは高村薫の小説を少し集中して読んだ時期がある。今回、その痕跡を本棚から探してみた。文庫本ではなく、すべて単行本だった。
 確か「レディ・ジョーカー」上・下が最初だったと思う。この本だけが初版本で、奥付は1997年12月だった。細かいことは忘れてしまったが、とにかくこれでこの作者に捉えられてしまったということである。あとはどういう順序で読んだか覚えていないが、高村薫の発表順に並べれば「神の火」「マークスの山」「照柿(てりがき)」となる。奥付を見ると、いずれも何刷かを重ねた後のもので、日付は1996~98年になっていた。
 これは、わたしがT高校からN高校に転勤になり、何となく腑抜けた毎日を送っていた数年間に当たる。やめていた煙草を再び吸い始めたのもこの頃だった気がする。

 「レディ・ジョーカー」は1995~97年に週刊誌に連載されたものだったようだが、この単行本が出たあと、高村薫はしばらく小説を発表しなくなってしまう。そのきっかけについて、高村薫は今回の「空海」の冒頭にこう記している。

 1995年1月、私は大阪の自宅で阪神淡路大震災に遭遇した。それを機に、私の42年の人生は文字通り根底から変わった。いかなる信心にも無縁だった人間が突然、仏を思ったのである。正確には仏らしきものと呼ぶのがせいぜいの、茫洋とした感覚に過ぎなかったが、とまれ、長らく近代理性だけで生きてきた人間が、人間の意思を超えたもの、言葉で言い当てることのできないものに真に直面し、そのことを身体に刻んだのだ。以来、手さぐりで仏教書をひもとき、仏とは何かと考え続けて今日に至っているが、それでも信心なるものにはいまなお手が届かない。

 こうして書き写していると、高村薫という人の書き付ける言葉の的確さをひしひしと感じる。言葉はすべて正確に選択され、その意味するところで正確に筆者の思いを伝えている。曖昧なところや、適当に切り上げてしまうところがない。言葉に対する誠意とでも言おうか、「近代理性」という面白い言葉を使っているが、彼女の文章の誤魔化しのない明快さは、どのような状況に置かれてもしっかり貫かれているのだと思った。
 この「空海」という本は、阪神淡路大震災から始まる彼女の思考遍歴の一つの到達点なのだろう。彼女は続けて東日本大震災の被災地を訪ね、そのあと初めて高野山を訪ねることで、ようやく「空海」への旅を開始するのである。

 弘法大師空海に何の興味も持っていない者としては、「それでも信心なるものにはいまなお手が届かない」と書く彼女を信じてみたい気がしたのである。高村薫の中に捨て難く存在する「近代理性」が、空海という「宗教」をどんなふうに語ってみせるのか。
 中に踏み込むと一日がかりになってしまいそうだからやめておくが、率直に言って非常に面白かった。空海という存在については、その生涯(私生活)がほとんど明らかになっていないらしいが、高村薫はわずかに残された数少ない手がかりから、実に客観的で鮮明な空海像を構築していると思った。
だが。
 わたしにはその空海像よりも、それを描き出す高村薫の思考の跡の方が興味深かった。本書の終わりあたりでは、彼女は元オウム真理教信者やハンセン病患者の許を訪れて、弘法大師空海から現代につながる「宗教」の有り様を考察してみせるのである。

 彼女が再び書き始めた小説は、以前わたしが読んでいた頃のそれとは全く異なる相貌を示しているらしい。わたしはそれらを読んでいないのだが(どうも小説としては真面目?すぎる印象があって、読む気にならなかった)、新聞などで時折見かける彼女の発言などを通じて、高村薫は依然として続いていることは確認してきたように思う。
 この「空海」という本は、小説ではないけれど、彼女の健在を鮮やかに示して見せた一冊だったのではないかと思った。
by krmtdir90 | 2016-02-12 21:03 | 本と映画 | Comments(0)

大衆演劇の「立川けやき座」に行ってきた

 去年(2015年)の8月、立川に大衆演劇の新しい常打ち小屋がオープンしたらしい。この情報を仕入れてきたのは妻で、彼女は大衆演劇というのを観たことがないので、近いのだからぜひ行こうと誘われて、きょうは中央線に乗ってちょっと昼の部を覗いて来た。
 わたしにしたところで、ずっと昔に十条の篠原演芸場に行ったことがあるだけで、大衆演劇というのがだいたいどういうものなのかは知っていても、昨今の大衆演劇の状況については何一つ知りはしなかったのである。それにしても、いまどき大衆演劇の専門劇場を新たに作ったりして、果たして商売になるのだろうかと心配になったが、高齢者が増えていることなどを考えると、案外的を射た目の付けどころなのかもしれないという気がしてきた。

 立川駅北口から徒歩6分とあったが、初めて行く高齢者としては、改札口を出たところから10分ほどかかる感じではなかろうか。これが「立川けやき座」の外観である。
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 元々ここにあったビルの、空いてしまった1階を改装したもののようだが、なかなか雰囲気のある外装になっていると思った。夜になるともっと雰囲気が出るのだろう。

 昼の部は12:30~15:30となっていたが、12時前には着いてしまった。聞いてみると、開場は11:30だということで、入ってみるとすでに4~50人ほどのお客が座ってお弁当などを食べていた。なるほど。
 これは1部と2部のインターバルに写した場内の様子。入場時とお客の雰囲気は違うが、小屋の雰囲気は判ると思う。
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 元は(たぶん)ビルのワンフロアだったわけだから、天井は低く、幕が開くと舞台の天井も基本的に同じ高さということになる。まあ、そういうことは大衆演劇にとってはどうでもいいことで、それよりもしっかりした花道が作られているのが素晴らしいことなのだろう(お客の陰になってしまったが、花道は左に直角に折れていて、そちらに出入口がついている)。
 とにかくオープンしたばかりだから、場内は何もかもが新しく、考えてみればどんな歴史ある芝居小屋だって最初はみんなこうだったんだろうなと思った。

 これが「立川けやき座」のパンフレット。3つ折りになっていたものを開いた外側。
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 料金は1600円である。子供900円とあるが、子供連れで観に来るお客がいるのだろうか。

 開演時に客席には7~80人のお客が入っていただろうか。観ているうちに次第に判ってきたことだが、お客の大半は常連客といった感じの人たちで、さらに少なくとも半分ぐらいはいわゆる「追っかけ」と言われるようなお客だと思われた。われわれのような初心者は(まあ誰でも最初は初心者だったことがあるとしても)珍しかったのではないだろうか。
 お客は高齢者が多かったけれど、案外バラエティーに富んでいる感じで、けっこう若い女性などもいるようだった。男女比は(予想通り)、8:2(あるいは9:1)ぐらいで女性優位だった。

 こういう小屋は月替わりで劇団が入れ替わることになっていて、2月は「劇団新(あらた)」というのが出演していた。ここで内容についてあれこれ触れるつもりはないが、なかなか楽しめる3時間だったと思う。
 1部のお芝居と2部の舞踊ショーの間に30分ほどの休憩が入ったが、団員が出てきてチケットを売り歩いていた。枚数によっていろんなおまけが付くらしく、10枚買うと座長の写真が入ったマグカップが貰えるということで、買う人がいるのかと思っていたらちゃんといたのには驚いた。
 こうした小屋では、一つの劇団が1ヶ月休みなく昼夜2回公演をこなすとして、同じ出し物になることは一度としてないということらしい。10回でも20回でも、毎回違った舞台を見せてくれるのだから、病みつきになって通い詰めるお客がいても不思議ではない。

 それにしても、こうした大衆演劇の劇団というのは、単位となる1ヶ月をどのようにでも演じ切れるだけのネタを持っているということになる。驚くべきプロ集団なのである。
 で、これが今月のチラシ。
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 2月は28日の昼の部が最後で、この日の夜から翌29日の一日だけが移動日ということになり、その翌日3月1日にはたぶん次の小屋で初日を迎えているのだろう。座長以下10人ぐらいの劇団らしかったが、好きでなければとてもやれないことだと思った。 
by krmtdir90 | 2016-02-11 21:59 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)


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