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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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埼玉県高校演劇・西部A地区春季発表会(2016.4.29~30)

 4月29・30日の2日間、埼玉の高校演劇・西部A地区の春の大会を観に朝霞コミュニティーセンターに行って来た。
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 今年は7校で2日間という余裕のある日程だったので、それぞれの舞台をじっくり楽しませてもらった。以下、各校の舞台について簡単な感想を書かせてもらう。

1日目(29日)
新座高校「昭和みつぱん伝-浅草橋場二丁目物語-」
 部員が少なくなると最後は2人芝居に行き着く。だが、2人出ずっぱりで60分間を演じ切るというのは並大抵のことではない。キャストの2人はセリフもきちんと入っていたし、最後まで乱れることなくやり切ったのだから大したものである。変に力んだりおかしな動きに逃げたりしないで、自然であろうとすることから生まれる2人の表情や動きは好感が持てた。
 セリフのやり取りのテンポとか間がまだ硬い感じで、これが掴めればずっと良くなると思った。いまはまだセリフが噛み合っていないし、間も不自然で間延びした感じになってしまっている。稽古で目指している方向は間違っていないと思うので、秋に期待したい。

和光国際「JOIN US!」
 広島の方の教員が書いた台本だそうだが、台本がダメだから生徒が生きてこない典型的な舞台だと思った。ストーリーや人物の設定が曖昧で、本番前日の稽古場で一体何が問題になっているのかが書けていない。だから、演出、部長、主演の女子などの苛立ちや焦りは少しも噛み合わないし、他の部員たちとも関係していかない。転校生・聡子の抱える問題も稽古場の問題には絡んでいないように思えた。こんな中途半端なものを選んだらセリフのやり取りも作りようがない。
 いじめの記憶を被爆の記憶にリンクさせるなど無理なこじつけと言うほかなく、頭でっかちな教員が、本人だけ判った気になって机上で組み立てただけの迷惑な台本だと思う。
 母親がわが子を捨てて逃げるシーンを平気で演じさせる(再現する)無神経とか、天に届いた豆の木を母親が登り詰めるところを歌で盛り上げたり、天上で母親が死んだわが子に再会する安直さ(これで何が表現できたと言いたいのだろう)など、被爆者の思いなど実は何一つ書けていない台本だと感じた。

細田学園「第一次学校戦争」
 生徒創作だと思って顧問に質問したら、当の顧問の創作だった。生徒が書いたのなら、セリフの切り取り方などに光るところがあるかなと思ったが、顧問創作では話が別になる。ストーリーの組み立て方から始まって、台本というものをほとんど一から勉強する必要があると思った。書こうとする意欲は良し、ただ(一般論として)自分には才能はないというところから出発しないと、勢いだけで書いては生徒を意味もなく踊らせることにしかならない。
 若い人だから、いまは生徒の会話などは切り取れるかもしれないが、台本として登場人物となる生徒を設定し、それを絡み合わせ、ストーリーを展開させるのは簡単なことではない。

2日目(30日)
朝霞「カナリア」

 ただ思わせぶりなだけの支離滅裂な台本だと思った。登場人物がいかなる比喩にも象徴にもなり得ていないし、その言葉や展開が全体としても部分としても、何らかのものを表現できているようには思えなかった。引きこもり青年の無意味な妄想の羅列のようにも感じられて、最初中割幕の前で演じられた解釈不能のやり取りの一部始終が、その後のストーリー?に引き取られたようにも見えなかったし、要するに次から次へと思いつきのシーンが並んでいくだけなので、これではキャストもどういう喋りをしたらいいか掴みようがなく、単調なセリフまわしを続けるしかなかっただろう。
 朝霞はたまにいい台本に出会うといい芝居を見せてくれる時もあるが、台本選びに一貫した姿勢が見られないから、当たりどころが悪いとどうにもならないことになったりする。今回はそちらになってしまったと思った。

新座総合「恋愛計画書」
 これも若い顧問の創作だったようだ。一応ストーリーらしきものを作ってあったが、台本とするにはこれもまだまだ勉強が必要だと思った。
 ただ、ここは台本を云々する以前に、部活として芝居作りの過程をきちんと把握し直す必要があると思った。だいたいキャストはまだ全然セリフが入っておらず、こんな段階では立ち稽古にすら満足に進むことは出来ないだろうと思われた。こんな状況で舞台に出て来てしまうのは無謀と言うしかないし、何より観客に対して失礼である。部活として猛省が必要な舞台だったと思う。

朝霞西「朝日のような夕日をつれて 21世紀版」
 すでに伝説的になっている台本を、作者自身が現代に合うように書き直した新版であるらしい。数年前に出たもののようだが、名作が見事に甦ったと思った。朝西はこれを半分ほどカットして上演したようだが、台本としてきちんと成立していたと思った。
 5人のキャストは台本の要求にしっかり応えていたと思う。やや息つく間もないものになってしまったが、テンポも動きも実にキレよく最後まで走り切った。これだけやれれば大したものである。その上で、今後に向けて感じたことを述べておく。
 この勢いを維持したまま、さらに滑舌を磨いてほしいというのが第一。もちろん全員の課題だが、特に社長のエスカワ、熱演なのだがそれが発声の力みにつながってしまうことが多く、言葉として聞き取れないところがけっこうあったと思う。ゴドー1・2をやった女子は若干線が細く、発声のパワーに欠けるきらいがあるので頑張ってほしい。あと、最初と最後の群読を始め、全体にセリフのトーンが少し低くて籠もる感じがあったように思うので、もっと突き抜ける感じが出たらずっと良くなるのではないかと思った。

新座柳瀬「Angel in Broadway!=Prequel“The Clap Game!”=」
 ブロードウエイを舞台にしたギャンブラーたちの様々な駆け引きと恋のお話。今回は事前に顧問が言っていたように、練習不足というか、これから細部を作っていく前の段階で本番になってしまった感じで、一応やり取りや動きなどは固まっていたが、全体に表情がなく淡々と段取りが進んで行くように見えて物足りなかった。まあ、こういうこともあるのだ。コピスの続編の方はこんなことにならないよう、ぜひがんばってもらいたいと思った。
 キャストの中に一人男子が交じっていて、ブロードウエイの顔役の片方を演じていた。普通に男子が男役を演じてしまうと、他の男役を演じている女子がどうしても弱点が目立ってしまう。今回はその結果、主役のネイサンとスカイが線が細く見えてしまったのは残念だった。
 あと、顧問のブログに発声練習を変えることが書いてあったが、今回のキャスト全体にセリフに力がないように感じたのはそのせいだったのか、単なる練習不足のせいだったのか。いずれにせよ、次作に期待。

 今回、朝コミのロビーで、新座北時代の演劇部OGのMさんとOさんに会えたのは嬉しかった。2人はたまたま別々に来ていたのだが、こんなこともあるのだ。もう卒業して15、6年ぐらい経っているようだ。卒業生を出す時いつも、卒業したらもう他人だと言ってきたわたしだが、歳を取ったのかもしれない、思いがけない再会に率直に胸が震えた。
by krmtdir90 | 2016-04-30 23:59 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(7)

ウズベキスタンの旅⑤ブハラ散歩1(2016.4.17~18)

 午後3時過ぎにブハラの町に着いて、ホテルに入る前に一カ所だけ見学が設定されていた。
 古びた民家などの間を抜けて行くと狭い駐車場があり、バスを降りると地方都市などでたまに見かける感じのささやかな遊園地だった。
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 エッと思ったが、この間を抜けて行くと、木立の向こうにイスマイール・サーマーニ廟が建っていた。
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 892年から943年にかけて建造された、中央アジアに現存する最古のイスラム建築であるらしい。
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 地中に埋もれていたためにモンゴルなどによる破壊を免れ、1925年に発掘されたものだという。これまでサマルカンドで見てきた建築と異なり、タイルの豪華な装飾もなく、大きさも大したものではない。しかし、煉瓦の積み方を工夫することで、見事な模様を浮かび上がらせているのが素晴らしい。
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 まず、周囲を見て回る。これは左の側面である。
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 入口は右側面にあり、ガイドの先導で中に入った。
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 9世紀にブハラを占領していたサーマーン朝の王族(イスマイール・サーマーニの一族)の霊廟であるらしい。

 実は、このイスマイール・サーマーニ廟を始めとして、建物内部の写真撮影には料金がかかるところが多かった。ここが入口で、右にいる係員の女性がそうした料金の徴収などを行っていた。
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 支払いをすると小さな紙切れをくれるのだが、ずっと見張られているわけでもないから、払わなくても大丈夫のような気がしたが、こんな遠い国の史跡に来て写真を撮るのだから、せこいことは考えず全部きちんと払いました。
 どこで貰ったのがどれだったか判らなくなってしまったが、これがその証明書(紙切れ)。
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 だいたいが5000スムだったと思う。

 ここでウズベキスタンの通貨について触れておく。こちらではスムというのが通貨単位なのだが、日本円とは桁が大きくずれている感じで、1000スムが約40円ということだった。撮影料の5000スムは約200円ということになる。
 これが広く流通している1000スム紙幣(表裏)。
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 もっと少額の紙幣やコインなどもあるらしかったが、そうした小さな単位が必要になることはほとんどないようだった。
 ウズベキスタン国内では円とスムの両替は不可能で、成田で円をドルに替えて持って行き、ドルからスムに両替するかたちになっていた。いずれにしてもスムに両替して貰うと、この1000スム紙幣がどっさり手渡されるのにはまいった(どっさりでもすぐになくなってしまうのだが)。

 見学を終えて、ホテルに向かうバスの窓から。
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 バスが一時停車したら、
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 この右手の店先にいたおじさんがこちらに向かってナンを見せながら何か言っていた。
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 確かにサマルカンドのナンとは違うなと思った。

 ブハラでの宿、ホテル・アジア・ブハラ。
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 午後8時半ごろ、ホテルの前に煙草を吸いに出たら、上弦より少し太った月と木星が並んで光っていた。ホテルの前は(ちゃんとした)広い道路で、向かいのこの建物は小さなモスクのようだった。
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 この時はきれいに晴れていたのだが、夜半から明け方にかけてまた雨が降った。

 ホテルでは2晩続けて停電があった。事前情報で、電力事情が悪いから停電があるかもしれないと聞いていたので、念のためと思って小さな懐中電灯を持って行ったのだが、本当に役に立つとは思わなかった(停電はかなり長い時間続いた。しかも2晩!)。
 水事情にも触れておく。こちらでは水道の水は飲用には適しないということだった。毎日、ミネラルウオーターのペットボトルが1本ずつ配られた。
 シャワーのお湯も、利用が集中するとダメになるようで、ぬるいお湯がちょろちょろという感じになってしまった。試しに早朝にやってみたら、今度は熱いお湯がふんだんに出て、バスタブに湯を張って思う存分ゆったりすることができた。

 翌朝(18日)になると、また天気は回復していた。8:00にロビーに集合して、ブハラ旧市街の見学に出発した。ホテルは旧市街の真ん中にあるようだ。
 最初はバスでアルク城に向かった。少し手前でバスを降り、歩いて行くと、ボラハウズ・モスクというのがあった。アルク城に君臨した歴代ブハラ・ハン(ブハラ王)専用のモスクで、1712年に建てられたものだという。
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 手前には低いものだがミナレットが建っていた。
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 サマルカンドの項では特に触れなかったが、こういう塔のことをミナレットと呼ぶ。
 前にはハウズと呼ばれる池もあった。
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 ボラハウズ・モスクと道路を隔てて向かいに、歴代ブハラ・ハンの居城であったアルク城が建っている。
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 両側に城壁が続いているのだが、あとで右手の方に歩いて行くので、城壁の様子はその時に。
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 さて、われわれは8時半ごろにアルク城に着いたのだが、城門の詰め所のようなところに行くと、何やら訳あってこの日は9時まで入場制限がかかっていて入場できないと言う。
 何とかならないかと係の人と話すわれわれのガイドのバティールさん。
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 結局、指示は曲げられないと9時まで表で待たされた。
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 待たされたけれど、入ってみると中にはあまり面白いものはなかった。外観の大きさに比べて、中は狭い範囲しか案内されなかったような気がして、帰ってから調べてみると、見えなかったところに破壊されたままの広い部分があるということらしかった。城そのものは7世紀には存在していたらしいが、外敵による破壊と修復を繰り返し、最後は1920年にソ連軍に破壊されてしまったようだ。

 城内のモスク。
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 ハンの謁見の間。玉座の置かれたところ。
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 この空間は中庭のようになっていて、玉座正面の入口の前にはこんな壁が立っている。
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 謁見が終了した者は、ハンに背を向けることなくそのまま後ずさりして、この壁にぶつかったら横にずれて退出したものらしい。
 ここは家畜を飼っていた場所だと言っていた気がするが、記憶がはっきりしない。
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 城壁から外を見下ろす。
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 こちらは城門の右手にある広場で、レギスタン広場と言うらしい。レギスタン広場はサマルカンドにもあったが、レギスタンというのは「砂地」という意味のようだ。

 アルク城を出て、レギスタン広場を横切り、右手の城壁を回り込んで歩いて行った。
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 城壁が途切れた先で交差点を渡り、
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 両側がバザールのようになった道を歩いて行くと、
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 広場のようなところに出た。向かい合わせに立派な建物が建っているのだが、それを一つのフレームに収めることはできない。

 で、まず左の方から。ミル・アラブ・メドレセ。1536年建造。
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 ここはソ連時代にも活動が認められていた数少ない神学校の一つらしい。
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 アーチの両側に2つの青いドームを持っている。
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 広場右側は、カラーン・ミナレット(1127年建造)とカラーン・モスク(1514年建造)。
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 わたしはこのカラーン・ミナレットが興味深かった。
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 基底部の直径は9メートル、高さは46メートルあるという。
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 煉瓦の積み方を変えることで様々な模様を浮かび上がらせている。
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 ミナレットというのは本来、信者にお祈りを呼びかけるための建物だったようだが、砂漠から来る旅人にとっては重要な道しるべともなっていたらしい。また、18~9世紀には死刑台としても使われ、袋詰めした囚人をこの上から投げ落としたというから恐ろしい。

 ミナレットの方から見たカラーン・モスクの入口。
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 ミナレットに気を取られていて、モスク入口を正面から撮ったものがないことに気付いたが後の祭りである。
 ガイドの先導でモスクの中に入った。
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 中庭はかなり広く、周囲を奥行きのある回廊で囲まれている。 
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 正面の礼拝所の奥に青いドームが見えている。
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 ドームの頂きには三日月形の美しい飾りが付いている。
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 このドームは、モスクの中にいる限り全体の姿を見ることはできないようだ(前の広場では全然見えない)。だが、写真を整理していて、さっきこちらに来る時に渡った交差点の写真に、裏側からだが全体がしっかり写っていることを発見した。ドームは外から見えることに意味があったのかもしれない。

 礼拝所の中に入った。
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 今回の旅でだんだん判ってきたが、この正面の凹みはメッカの方角を向いていて、右側に置かれた階段は導師が座る説経壇というもののようだ。
 周囲の回廊の中にも入ってみた。
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 礼拝所を出たところからモスク入口の方を見る。
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 向かいのミル・アラブ・メドレセの青いドームが見えている。カラーン・ミナレットも見える。

 カラーン・モスクを出たところで、お爺さんが何かを売っていた。
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 ツアーのみんなで取り囲んでしまったのだが、ナンを焼く前の生地に模様をつける道具らしい。大小様々なものがあったが、一番小さいのを何となく買ってしまった。
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 何スムだったか記憶にないが、安かったと思う(比較するものがないのだから、ホントは高いか安いか判らないのだけれど)。お爺さんは93歳だということだった。

 ここでの見学はこれで終わりだが、広場への入口の道の向かいにあったこのお店。
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 建物の上に桟敷のようなものが載っているが、夕方に再びここを訪れてティータイムを催すという計画(参加自由)になっていた。ここからの眺めはその時に。

 さて、ブハラの見どころはけっこう一カ所に固まっていて、このあともずっと歩いてホテルに帰れる近さなのだという。
 少し行くと、前方に奇妙な建物が現れた。道路の交差点を丸屋根で覆った、タキと呼ばれるバザールである。
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 ここが交差する道の中心で、
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 四方に出入口がついている。
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 いろいろなお店が並んでいて、これはスザニという刺繍入りの布などを売る店。
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 こちらはミニチュアの楽器の店。ちゃんと演奏できるものであることを一生懸命証明している。
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 これは女性陣は、あとで絶対に来たいと思っているのだろう。
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 タキを抜けたところで、再び歴史的建造物が2つ、向かい合わせに建っていた。。
 これがウルグベク・メドレセ(1418年建造、1585年修復。中央アジア最古の神学校)。
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 ウルグベク・メドレセはサマルカンドにもあったが、こちらはかなり規模が小さいようだ。しかし、こうしてその名を冠した建物が各地にあるということは、ウルグベクという人物が当時それだけ大きな仕事をしたということを意味しているのだろう。
 こちらはアブドゥールアジス・ハン・メドレセ
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 左の塔の上に大きな鳥の巣があった。
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 コウノトリの巣だという。コウノトリはこちらでは幸運の鳥とされていて、ブハラの象徴の鳥となっているようだ。

 左にウルグベク・メドレセ、右にアブドゥールアジス・ハン・メドレセがある通りの先の方。
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 こちらへは行かなかったが、何となく迷い込んでみたくなるような通りではないだろうか。
by krmtdir90 | 2016-04-28 22:29 | 海外の旅 | Comments(0)

ウズベキスタンの旅④鉄道の旅サマルカンドからブハラへ(2016.4.17)

 バスは11時ごろ、サマルカンド駅に着いた。今回のツアーでは、これからブハラまで鉄道を利用して行くことになっている(しかも、スーツケースはそのままバスでブハラに持って行くというところが素晴らしい)。わたしとしては大いに期待が高まるところだった。
 これがサマルカンド駅。
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 入口で、空港で行われるような手荷物検査があった。
 事前情報で駅や鉄道施設は撮影禁止と聞いていたから、最初は遠慮しながらカメラをいじっていたが、どうもかなりフリーに撮れるみたいなのが判ってきて、一応鉄道ファンとしてあまりマニアックな動きはしないようにしながら撮影した。

 駅舎内部。
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 左が外からの入口。手荷物検査の機械も写っている。右がホームへの出口。中央の丸いところが地下道への階段になっている。
 待合所。ここにいるのは全部ツアーのメンバーである。
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 ホームへの出口を出るとこんな感じ。
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 このすぐ前に、タシケント・サマルカンド間を結ぶ高速鉄道アフラシャブ号が停まっていた。
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 この車体はスペイン製ということだった。
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 構内は、駅舎に接した広い単式ホーム(いま立っているところ)と左に見えている島式ホームの2面3線構造で、貨物などのための側線が何本か通っているかたちのようだ。
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 奥に跨線橋が写っているが、どういう使われ方をしているのかは判らない。こちらはタシケント方面で、タシケント・サマルカンド間は電化されているようだ。
 向こう側の側線に貨物を牽引した電気機関車が入って来た。
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 島式ホームのこちら側の線(単式ホームを1番線とすれば2番線になる)に、反対側(ブハラ方面)から客車を牽引した機関車が入って来た。
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 異なる型の機関車である。実は、帰ってからいろいろ調べて、ブハラ・サマルカンド間は非電化であることが確認できた。したがって、この機関車はディーゼル機関車ということになる。
 しばらくして見ると、先ほどと同じ電気機関車に付け替えられていた。
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 このあと、この列車は気付かないうちに発車して行ったようだ。

 そうこうするうちに移動の時間になった。地下道を通って島式ホームに向かう。地下道は暗く、歩きながらシャッターを切った写真はぶれてしまって使えない。
 ホームに出た。
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 例によってほとんど高さのないホームである。さっきの数え方で行けば、われわれの列車はどうやら3番線に入って来るようだ(こちらは逆のブハラ方向)。
 なお、ウズベキスタンでは軌間は1520mmの広軌である。多くの路線が旧ソ連時代に整備されたものなので、シベリア鉄道などと同じ広軌になっているようだ。
 われわれの乗る列車が入って来た。
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 牽引しているのは電気機関車である。停車時間は15分ほどあったようだが、われわれはすぐに乗車して座席の割り振りなどを行っていたので、実はこの間に機関車の付け替えが行われていたことには気付かなかった(さっきの付け替えとは逆に、電気からディーゼルに付け替えられていた)。

 客車内は、進行方向右側に通路があり、左側にコンパートメントが並んでいた。コンパートメントは3人用と6人用があり、3人用は進行方向向きに独立したイスが3つ並んでいた。6人用はそれが向かい合わせになっている。座席指定ではなく各自で席を決めるかたちだったので、先に乗った人からいい席を取ってしまう感じで、まいったなあと思っていたら、たまたま一番端の3人用がまだ空いていたので、迷わずその窓側2席を確保した(結局、残った1席にはガイドの青年が座ることになった)。
 これがそのコンパートメント。かなりゆったりしている。
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 手前に同じようなイスがあと2つ並んでいる。テーブルは2人目のところまでしかない。
 通路についていたサモワール。
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 シベリア鉄道と同じ感じだが、使えたのかどうかは判らない。
 窓の横にサマルカンド・ナンを売る売店があった。
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 向こうに見えている高速鉄道アフラシャブ号は、結局最後まで動くことはなかった。

 12:00、特に合図などもなく、列車は静かに動き出した。これから3時間弱の列車旅である。
 動き出して間もなく、構内に停まっていた機関車。
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 パンタグラフが付いているから電気機関車だが、何となく古い型のような気がする。
 発車して数分後、人だかりが見えた。
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 きょうは日曜日だし、これは地元の人たちのバザールなのではなかろうか。
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 この日の昼食は、車内でお弁当ということになっていた。これがそれ。
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 袋の中にはパン(ナン)も付いている。まあ、こんなものかなという感じ。パックのジュースは外国のジュースということで孫へのお土産になった。

 さて、あとは車窓の風景ということになる。
 発車して15分ぐらいして、踏切と監視塔?。
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 しばらくの間、左側に建設中のような線路が並行していたが、この看板でなるほどと思った。
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 帰って調べてみると、サマルカンド・ブハラ間を電化して例の高速鉄道を延伸させる計画があるらしかった。だが、この線路はもう少し行くと途切れてしまった。なかなか思うようにはいかない面もあるのかもしれない。

 平原の遥か彼方、小さい黒い点が散らばっているのが判るだろうか。これ、放牧された牛である。牛と羊はけっこうあちこちで見かけた。
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 何もない平原のようなところが続いた。
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 たまに小さな町並みが見えたりもした。
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 これは川というより水路(運河?)といった感じである。
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 側線が走って駅のように思えるところもあったが(駅舎などは反対側だったのか見えなかった)、停車はしなかった。
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 途中、青空が覗くこともあったが、また黒い雲に覆われて、とうとう雨が降り始めた。
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 雨は20~30分くらい降っていたと思う。

 ようやく止んだかなと思うあたりで、列車は途中唯一の停車駅ナヴォイに停車した。駅舎を少し行き過ぎたところで停まった。この車輌は窓が開かないので、うしろの乗降デッキのところに行ったら、係員らしいおじさんが手振りで写真を撮るのかと言うから、そうだと頷くと、どんどん撮れ(或いは早く撮れ)と身振りで言ってくれたのは嬉しかった。
 というわけで、これがナヴォイ駅。
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 デジタル記録の撮影時間は14:04、もうかなりブハラに近付いているのだ。
 発車して間もなく。
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 ナヴォイの町並みは駅舎のある反対側(通路側)に広がっていて、こちら側(コンパートメントの窓側)にはこんな工場らしきものしか見えなかった。
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 ナヴォイ駅を出ると、あたりは緑の見えない荒涼とした平原(砂漠)が続くようになった。国土の8割近くが乾燥して砂漠化しているというウズベキスタンの姿が見えてきたのである。
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 この放牧されているのは羊のようだ。
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 トラックが走っている。
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 この奥に並んだ客車の列は何だろう。車種が全部違うようだし、間に貨車が一台挟まっている。
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 ブハラが近付くころ、彼方にかなり広い水面が見えた。
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 川か湖か。
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 やがて列車は速度を落として、駅構内に入って行く。
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 タンク車を牽いているディーゼル機関車。
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 到着した。到着予定時刻は14:57だったが、どうやら10分ほどの遅れが出ているようだ。
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 実はホームに降りて、初めて機関車がサマルカンド駅とは替わっていることを確認し、最初に書いたようないろいろなことがようやく納得できたのである。
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 本来ならば機関車の前に行って、そちらからの写真を(型番表示なども)撮りたいところなのだが、それだとけっこうマニアックな感じになってしまうと思い、前の方には作業員が何人かいるし、何となく遠慮してここまででやめておきました。

 それともう一つ、ここはブハラ駅ではなくてカガン駅ということを帰ってから知った。ブハラ市内には駅はなく、中心部から12キロ離れたここが最寄り駅になっているのだという。
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 さて、この駅には駅舎がなかった。
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 左のフェンスの間から、みんなぞろぞろ外に出て行く。
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 外は工事現場のような、土が剥き出しのひどいところで、水たまりを避けながら歩いて行くのである。
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 どうやら駅舎そのものが改築中のようで、この左側の緑のフェンスに囲まれているところがその現場であるらしかった。
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 駅前広場は一応あって、向こうにわれわれの乗るバスが見えてきた。やれやれである。
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 空はいつの間にか雲が切れて、日射しが戻って来ていた。 

 ここで、車中で同席したガイドのバティールさんと話したことに少し触れておく。彼は東京外語大の修士課程を卒業した27歳の既婚の好青年で、6月に初めての子どもが生まれる予定だという。ウズベキスタンでは結婚前も結婚後も親と同居するのが普通になっていて、若い人の結婚率は高く、そのうち約7割が見合い結婚であるらしい。人口統計上、若い人の比率が非常に高く(帰って調べてみたら、14歳以下が34%とあった)、これからの国の発展に希望が持てているように見えた。
 そういえば、いたるところで小さな子どもの姿をたくさん見かけたように思う。子どもが多い国だなという印象は確かにあった気がする。日本などから見るとうらやましい国だと思った。
by krmtdir90 | 2016-04-27 18:01 | 海外の旅 | Comments(0)

ウズベキスタンの旅③サマルカンド散歩2(2016.4.16~17)

 次に向かったのは、中央アジア最大のモスクと言われるビビハニム・モスクというところ。民家の間の舗装されていない道を歩いて行った。
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 こんな狭い道にも車が入り込んでくる。
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 (この大きなドームは一番大きなモスクの裏側になり、中に入ると見えなくなっていたことにさっき気がついた。)突き当たりを左に折れ、長い塀を回り込んで行く。
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 正面に出た。
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 ツアーというのはガイドの先導で進んで行くから、ここはもう少し離れて門の全体を写したいなと思っても、どんどん先に行ってしまうから付いていくしかない。ここは、帰りに振り返りながら写したものがあるので、順序を入れ替えて、だんだん近づいて行くかたちに並べ直してみる。
 この右端のところから歩いて来たのである。
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 そして、門の正面の全景。
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 中に入った。中庭はかなり広い。
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 3方にモスクが建っているのだが、正面(西側)が最大のようだ。
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 だんだん当たり前のようになってしまったが、この精緻なタイル模様はやはり大したものだと思う。
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 中庭中央に置かれたラウヒと呼ばれる、巨大なコーランを置くための書見台。大理石で出来ているらしい。
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 中庭右手(北側)のモスク。
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 左右のモスクには美しいドームが付いている。
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 中庭左手(南側)のモスク。
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 こちらは大規模な改修工事中だった。
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 別の角度から。
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 なお、このビビハニム・モスクが建てられたのは1404年のことだが、その後荒廃が激しくなり、現在のものは全面的に改修復元されたものらしい。
 これは、正面の門を中庭側から見たところ。
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 外に出る。
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 ビビハニム・モスクの向かい側に、道路を隔ててビビハニム廟というのが建っている。モスクとほぼ同じ時代に建てられたものらしい。
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 さて、ビビハニム・モスクを出るとすぐ左側に、シヨブ・バザールという巨大な市場が隣接している。気分を変えて、今度はここを散策することになる。
 これが入口。
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 中にはいると、こちら側は通路も広くきれいに整備されている感じだが、
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 進んで行くと、
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 屋根からはみ出した店なども連なる、もう少し雑然としたエリアが広がっていた。
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 ナンを山積みにして売っている。
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 ナンにも土地によって特徴があるらしく、この平べったいのはサマルカンドのナンとは言えないという。(ガイドの説明による)こちらが正しいサマルカンドのナン。
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 ガイドと添乗員がこのサマルカンド・ナンを一つ買って、切り分けてもらってわれわれに試食させてくれた。
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 まだ焼き立ての感じが残っていて、大変美味しかった。

 午前の見学はこれで終わり。午後1時半、遅い昼食に入ったレストラン。
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 今回の旅では食事の写真は一枚もない。根がせっかちな質なので、口を付ける前に一々写真を撮るということがちゃんと出来たことがない。今回は最初から全然撮る気がなかったのである。
 食事の方は基本的にウズベキスタンの伝統的な料理が中心だったが、率直に言って、珍しいけれどそれほど美味しいという感じはしなかった。

 3時頃ホテルに戻った。
 このあとは自由行動になっていて、次の集合17:30まで、希望者は添乗員がまだ見ていない町歩きに連れて行ってくれると言っていたが、われわれは疲れてしまったので、部屋などでのんびり過ごした。

 ということで17:30、ロビーに集合して再び徒歩でレギスタン広場に向かった。18:00から1時間ほど、ウズベキスタン観光省主催の「サマルカンドの夕べ」という歓迎行事が、ウルグベク・メドレセの中庭で開催されるのだという。これは他社も含めて、今回の直行便でこちらに来たすべてのツアー客を対象として行われるものらしい。
 ところが、昼間はあんなに晴れていたのに、いつの間にか(ホテルを出るあたりから急激に)空はすっかり不吉な黒い雲に覆われてしまった。風もひんやりしてきて、何だかいまにも降り出しそうな気配なのである。
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 で、ウルグベク・メドレセの中庭。扇形に椅子が並べられて、みんな開演を待っている。
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 こちらがメインステージになるようだ。
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 そして、何とも最悪のタイミングで、開会の挨拶が始まると同時にかなりしっかりと雨が降り出してしまった。
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 観客はみんな、周囲の建物の凹み部分に避難して、雨を避けながら立って鑑賞することになってしまった。急な天候の変化で、雨具を用意している人はあまりいないようだった。
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 プログラムの最初は民族楽器による音楽で、これは奏者のイスを凹みの下まで下げて、雨を避けながら演奏してくれた。
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 何曲か披露してくれたが、その間中雨は普通に降り続いた。
 だが急なにわか雨には違いなく、次第に小降りになる感じもあったので、その後の歌や踊り、ファッションショーなどは(予定通り)小雨の中で決行された。
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 19:15ごろ、すべてのプログラムが終了する頃になって、雨はようやくほとんど止んた。皮肉な天候だったが、これもまた思い出ということで。
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 レギスタン広場に出ると、3つのメドレセは美しくライトアップされていた。
 広場右手のシェルドル・メドレセ。
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 広場正面のティラカリ・メドレセ。
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 そして会場になったウルグベク・メドレセ。
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 そのままバスで食事会場のレストランに行った。
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 食事中また本降りになったりしたようだが、ホテルに戻る頃にはまた小降りになっていた。

 結局、夜の間中雨は降り続いていたようだ。翌朝(17日)、出発する頃には止んでいたが、舗道などはすっかり濡れていて、まだ暗い雲が垂れ込めていた。
 この日は午前中に、さらにサマルカンドで2カ所見学をした。このあとの区切りの関係で、そこまでをこの回に含めてしまうことにする。

 17日の最初に行ったのはウルグベク天文台跡というところ。1908年に発掘されたもので、円い天文台の基礎と観測に使用された六分儀の地下部分が残っているのだという。
 天文台は小高い丘の上にあるので、ゆるやかな石段を上っていく右側にあったウルグベクの像。
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 これが天文台跡。
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 円い基礎部分の大きさが判るようになっている。
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 丘の向こうに町並みが見えている。
 中にはいる。
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 これが残っている六分儀の地下部分。
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 これで11メートルほどあり、実際には手前に弧が延長されて、高さ40メートルくらいあったものらしい。この上部の明かり取りの穴に注目。
 あとでフリータイムの時に反対側に回り込み、この男の人が覗き込んでいる穴から
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 写したのがこの写真。正面がさっきの見学場所である。
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 さて、天文台跡の横に小さな資料館が建っていた。ここもガイドの案内で見学した。
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 天文台の復元模型。
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 同じく、六分儀の復元模型。
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 この地下部分がさっき見た遺跡である。
 ウルグベクはまだ望遠鏡もなかった15世紀前半に、六分儀を使った観測によって、恒星時の1年を365日6時間10分8秒と計算していたらしい。これは現在の正確な値と比べても、誤差1分以内に収まっているのだという。すごいことである。

 次にアフラシャブ博物館というところに行った。
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 ここまで、ティムール朝時代の建造物を中心に見て回ったが、ここにはそれ以前の様々な資料が展示されていた。特に熱心に説明されたのが、7世紀の宮殿跡から発掘されたフレスコ壁画の断片だった。子細に見ると、当時の上流階級の生活の様子や中国など周辺諸国との関係も見て取れるらしい。
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 さて、以上でサマルカンドの見学は終了である。このあとバスは郊外にある鉄道のサマルカンド駅に向かった。

by krmtdir90 | 2016-04-26 18:45 | 海外の旅 | Comments(2)

ウズベキスタンの旅②サマルカンド散歩1(2016.4.16)

 サマルカンドはタシケントに次ぐウズベキスタン第2の都市である。古くから中央アジアのオアシス都市として繁栄と壊滅を繰り返してきた。13世紀にモンゴル軍によって徹底的に破壊されたが、14~15世紀にティムール帝国の首都となって復興し、当時の建造物が多く残っていることから2001年に世界文化遺産に登録された。
 宿泊しているアジア・サマルカンドはその旧市街の中にある。ホテルの前の道路は観光バスがやっと入れるくらいの簡易舗装の狭い道で、向かいには一般民家の土壁などが続いている。次の写真の撮影時刻は6:38と6:40である。朝食が7:00からだったので早めにロビーに来て、玄関前で朝の一服をしていたのではなかったかと思う。
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 9時にロビーに集合して、最初に徒歩でレギスタン広場に向かった。ここには、サマルカンド旧市街の中心をなす壮大な建造物が残っている。
 徒歩だったので、横の道(正面右側)から広場の中央に出て行ったので、広場全体をフレームに収めることは出来なかった。

 向かって左側(西側)にあるウルグベク・メドレセ。1420年建造。
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 メドレセとは神学校のことで、講義室や寄宿舎が一体となった建物だったようだ。ウルグベクはティムールの孫の天文学者だったらしい。それにしてもすごいスケール、見事なタイル模様である。
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 同行した現地ガイドの先導で中に入った。この中庭には夕方にもう一度来ることになる。
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 どのメドレセでも、中庭に面したアーチの部分にシルクやスザニ(刺繍した布地)などの民芸品を売る店が入っていた。
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 ウルグベク・メドレセ全景。違う角度から。
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 次は広場正面(北側)にあるティラカリ・メドレセ。1660年建造。
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 ここも中に入った。
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 左手にひときわ目を惹く青色のドームの下が礼拝所になっていた。
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 その内部は金箔が豊かに使われ、青と金の精緻な模様の荘厳さは目を見張る感じだった。
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 これはすごいと率直に思った。
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 広場右側(東側)のシェルドル・メドレセ。1636年建造。
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 イスラムの模様は偶像崇拝を否定する立場から、人や動物を描くことはタブーとされていたにもかかわらず、その禁を破って描かれた人面とライオン(虎に見える)のデザイン。
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 ここは外観の説明だけで中には入らなかった。ティラカリ・メドレセの方からだと完全な逆光だった。
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 フリータイムに中に入ってみたら、補修工事中だった。
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 それでもいろんな店は開いていた。
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 店番の少女。
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 広場で見かけた人々。こういう恰好をしているのは高齢者だけである。
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 高校生くらいの30人ほどのグループ。
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 遠足か何かだろうか。
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 最後に広場正面の少し高くなった展望テラスのようなところに行った。ここでも、もっと広角のレンズでないと左右のメドレセは切れてしまって、全景を収めることは出来なかった。
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 反対側の道路から観光バスに乗った。大した距離ではなかったが(せいぜい7、8分)、バスの窓からサマルカンドの町並みを何枚か。
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 この小型のバスが市内を走る乗り合いバス。右の黄色に塗られた車はタクシーである。車は右側通行なので、当然のことながら左ハンドルである。見かける車種は圧倒的にシボレーが多く、8~9割がシボレーだったのではなかろうか。
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 横断歩道が非常に少なく、人々は広い道路をどこでも平気で横断していた。センターラインのない道路も多く(車線の区切りなどは皆無)、日本の感覚からすると危ないなあと思うことも多かった。
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 さて、次に向かったのはシャーヒズィンダ廟群というところ。ティムールゆかりの人々の霊廟が立ち並ぶ一画である。
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 バスを降りて、門に向かって歩く。
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 門の入口のところで。
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 中にはいると、最初ちょっと階段を上るようになっている。たまたま人影が途絶えたところで写しているが、実際はお参りする人と観光客とでかなり混んでいた。
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 この階段の右手の廟は青い2つのドームを持っている。
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 道の両側に多くの霊廟が建っている。ガイドブック(地球の歩き方)には主な11の廟について解説してあるのだが(われわれのガイドも説明してくれていたと思うが)、特定したところで仕方がない気がするので、とにかく良さそうな写真を選んで並べておくことにする。なお、ガイドブックによれば、すべての廟が11~15世紀に立てられたもののようだ。
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 狭い道の両側なので、全体をフレームに収めるのは難しい。この青い装飾の廟の一つで、中に入って見学した。
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 さらに行くと、
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 右側が広くなったところに出た。
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 こうなっているとかなり余裕を持って撮影できる。
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 さらにもっと奥に進むと、どうやら突き当たりが最後の廟になるようだ。
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 ここでも中に入った。中はごった返していた。壁際のベンチに土地の人が座ってお祈りをしていた。人は写らないようにして、天井の方を写してきた。
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 あとでフリータイムになってから戻ってみると、まったく人影が途絶えていた。
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 この突き当たりの廟のところで左に折れて行くと、一般の人々の現代の墓地が広がっているというので行ってみた。このあたりはアフラシャブの丘というところで、見晴らしのいい南側一帯が広大な墓地になっていた。
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 こちらのお墓は、どれも墓石に故人のリアルな肖像がレリーフされている。文化の違いというか、そういう習慣なのだろうが、何となく異様な感じがしないでもない。
 何やらお祈りをしているらしい老婦人たちがいた。
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 左奥に見えているのがシャーヒズィンダ廟群の裏側になる。
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 フリータイムの終わりに、帰り道で写した何枚か。
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 廟群の表の通りで。これからお参りに行くらしい家族。
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by krmtdir90 | 2016-04-25 22:38 | 海外の旅 | Comments(0)

ウズベキスタンの旅①直行便でサマルカンドへ(2016.4.15)

 今回の旅は、ワールド航空・JTB・阪急交通社の3社が合同で飛行機をチャーターしたもので、往きも帰りも乗客はすべて日本からのツアー客だった。日本とウズベキスタンの間には、成田・タシケント(首都である)間に週2便(夏期)の定期便があるようだが、今回の往路は普段就航していないサマルカンドへの直行便になっているのがセールスポイントだった。
 ツアーコースはワールド航空だけで5コース設定されていたが、選んだのはシルクロードの王道コースとも言うべき「サマルカンド・ブハラ・ヒワの旅/8日間」というものだった。何と言うか、かなり衝動的に行きたいと思ったのである。

 ウズベキスタンを始め中央アジアの国々について、事前知識はほとんどゼロと言って良かった。ガイドブック(地球の歩き方)は買ったけれど、どうも事前勉強というのもあまり得意な方ではないので、いつもの鉄道旅と同じようにかなり行き当たりばったりで出掛けて行ったのである。
 一応まとめておくと、中央アジアのウズベキスタン・カザフスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギスといった国々は、いずれも旧ソビエト連邦に属していたが、1991年のソ連崩壊によって独立した国々である。すべてが海のない内陸国だが、このうちウズベキスタンだけは、海に出るために国境を2度越えなければならない二重内陸国というものになっているらしい(他にはリヒテンシュタインがあるだけ)。
 ウズベキスタンの国土面積は日本の約1.2倍、人口は約3000万人、イスラム教徒が大半とされるが、衣食に関する戒律は非常に緩やかで、女性は頭髪や足首を隠していないし、お酒もまったく自由に飲める状況にあった(ほとんど行ってから知ったことである)。

 ということで、成田空港。サマルカンドという行き先表示は、普段見ることのできないものなのだろう。
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 ウズベキスタン国営航空の機体。ボーイング767というもののようだ。
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 座席は横に2・3・2の配置で、往きは窓側のA・Bに割り振られたので、後半、窓からの素晴らしい眺めに出会うことになった。

 決して飛行機の旅が大丈夫になったということではない。あの狭い座席に押し込められる感じは断じて許せないし、機内食なるものもまったく好きになることはできない。往路9時間20分、復路7時間50分は、依然として苦痛以外の何ものでもなかった。
 ただ、飛行機は後半、中国北西部のタクラマカン砂漠・天山山脈、さらにその西方に連なるパミール高原の上空を飛んだようで、天気も良かったので、いままで見たことがないすごいスケールの景観を見ることができた。
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 着陸態勢に入った。地上が近付いてくる。
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 日本とウズベキスタンの時差はマイナス4時間なので、機中で時計の針を4時間遅らせた。日程表では16:25(現地時間。日本時間だと20:25)、実際にはもう少し遅かったようだが、サマルカンド空港に到着した。
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 タラップが待機している。
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 これが空港ビルのようだ。
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 こちらは管制塔だろう。
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 タラップを降りて空港ビルへ歩いて行く。小さな空港なので、すぐ近くである。
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 サマルカンド空港は本来は国際空港ではないので、入国手続きなど受け入れ側の態勢が整っておらず、どことなくぎこちない対応になっているようだった。
 ガイドブックや出発前の注意では、空港や駅などは撮影禁止になっているということだったので、最初は恐る恐るカメラを構えていたが、どうもあまりそういう気配は感じられず、後になるにつれて堂々とシャッターを切れるようになった。ただし、この段階ではまだ遠慮していて、これが外への出口だが、空港ビルの外観などは写していない。
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 バスでホテルへ。今回のツアーは各都市で2泊ずつする日程だったが、いずれも現地資本のアジアホテルというところ(チェーンになっていたようだ)に泊まった。最初のアジア・サマルカンドでは、到着時に民族音楽?らしき歓迎が行われていた。ウズベキスタン観光省協賛のツアーなのである。
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 今回は禁煙の部屋を希望したので、夕食後に玄関の外で煙草を吸いながら一枚。
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 撮影時刻は19:42(現地時間。日本時間では23:42)だった。疲れた。
by krmtdir90 | 2016-04-24 17:35 | 海外の旅 | Comments(0)

旅から帰って

 ウズベキスタンから22日(金)に帰国したのですが、帰りの飛行機が機中泊でほとんど眠れなかったため、帰宅後は睡眠不足を解消することが最優先となってしまいました。23日(土)もまだぼんやりしていましたが、すぐにしなければならない洗濯・買い物・通院などで一日が終わってしまいました。
 きょう(24日)になって、ようやく写真の整理などに取りかかりましたが、いつものコンパクトカメラ(Nikon・COOLPIX/S9600)で1500枚以上も撮ってしまったので、これは容易なことではないなと早くも一休みとなってしまいました。
 このあともいろいろしなければならないことや予定が入っているので、まあのんびりやるしかないだろうと腹をくくっています。何とかきょうのうちに旅日記の1回目がアップできるといいのですが、どうなるでしょうか。以上、とりあえずの報告です。
by krmtdir90 | 2016-04-24 11:45 | 海外の旅 | Comments(0)

旅の空(2016.4.16)

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昨日から妻と旅に出ています。これはホテルの中庭で煙草を吸いながら撮りました。どこの空だと思いますか。

日本との時差がマイナス4時間なので、この写真は今朝8時過ぎに撮りましたが、日本では12時過ぎだったはずです。

答えは、ウズベキスタンのサマルカンドです。
シルクロードの遺産をたどる旅です。我ながらまさかこんなところまで来るとは思っていませんでした。

22日に帰る予定です。帰ったらまた旅日記をアップするつもりですが、きょうはとりあえずの報告です。

実は今回、スマートフォンにして初めて、旅先(ホテル)でWi-Fiに接続するやり方を教わって(というか、添乗員さんに全部設定してもらって)、この記事はスマートフォンから投稿する初めての記事になります。
写真もスマートフォンで撮りました。

さて、サマルカンドにあるスマートフォンから、果たしてうまくアップできるのでしょうか。では、やってみます。

by krmtdir90 | 2016-04-16 20:35 | 海外の旅 | Comments(2)

岐阜への旅②明知鉄道(2016.4.10)

 2日目は太陽の位置が判る感じの薄曇りで、ホテルから駅まで15分ほど歩いた。
 朝のJR恵那駅。
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 駅前の通り。ここを歩いて来たのだが、開放感のある落ち着いた町並みだと思った。
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 JR駅舎の右手に明知鉄道の恵那駅がある。
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 こぢんまりした改札口。右手にこれもこぢんまりした待合室、左手に明知鉄道物販コーナーというのがあった。
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 改札口で1380円のフリーきっぷを買った。
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 終点の明智駅まで往復で1380円だから、途中下車をすれば若干お得になるというだけのきっぷだが、記念になるしまあいいだろう。きょうは午前中、この明知鉄道を楽しむつもりである。
 なお、明知鉄道は旧国鉄・明知線25.1キロを継承した第三セクターで、全線非電化の単線である。

 ホームにはすでに、単行の小さなディーゼルカーが停まっていた。アケチ11形という車輌のようだ。
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 前から見るとこんな感じ。
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 車内はセミクロスシートである。
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 発車の20分以上前に撮影したから人影がないが、発車する頃にはけっこう座席が埋まった。わたしはロングシートの最前部に座った。

 9:28、恵那駅を発車。きょうは朝からけっこうやる気になっていて、すぐに「かぶりつき」に立って、結局最後までその位置を確保して、全部の駅を撮影した。
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 発車直後。左が中央本線の線路。こちらは右に分かれていく。
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 最初の停車駅、東野(ひがしの)駅。右側の建物は恵雄会という医療法人の介護施設のようだ。
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 沿線ではけっこう桜が満開である。
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 次の飯沼駅。
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 この角度では判らないが、この駅は普通鉄道としては日本で最も勾配が急な場所にある駅である。33パーミル(‰)というのだが、これは水平方向に1000メートル進むと、その間に33メートル上っていることを示している。鉄の線路に鉄の車輪という鉄道は、基本的に傾斜には弱い特徴を持っている(車輪が空転してしまう)が、33パーミルというのは本来駅の設置が認められない値のようだ(特例で認められた駅ということになる)。
 明知鉄道は人里離れた山奥を走るわけではないが、25キロほどの間に2つの峠越えがあるという、急勾配と急カーブの連続する山間の路線なのである。激しいアップダウンやカーブの様子は「かぶりつき」から充分に把握することが出来た。

 トンネルもけっこうあった。
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 次の阿木(あぎ)駅は2面2線のかたちをしているが、右側の線路とホームは明知鉄道になってからは使用されていないようだ。
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 引き込み線に廃車になったアケチ1形というのが留置され、現在は倉庫として使用されているらしい。また、駅舎は(看板が出ているが)歯科医院として利用されているようだ。
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 鉄橋を渡ったりもする。
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 次は飯羽間(いいばま)駅。
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 次の極楽駅は2008年12月開業の新しい駅のようだ。
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 近くにスーパーマーケット・バローというのが出来たので、そこが建設費の半分を負担して開設したということらしい。
 なお、いま乗っているアケチ11の車体がこのバロー(valor)の広告ラッピングになっている。

 この路線の中心駅・岩村駅に入って行く。
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 千鳥配置のホームを持つ2面2線の駅である。ここで行き違いになる恵那行きの列車も入って来ている。
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 この車輌はアケチ10形のようだ。
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 この駅は帰りに下車する予定である。

 次が花白温泉駅。
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 開いたドアからちょっと手を出して。
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 山岡駅。ここにも廃車になったアケチ1形が留置されている。
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 付随する立派な建物は「山岡かんてんかん」というものらしく、このあたりが寒天の産地であることをPRする施設のようだ。
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 野志(のし)駅。
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 ここも急勾配に設置された駅で、30パーミルというのは飯沼駅に次いで、日本で2番目の急勾配ということらしい。左側の畑(水の入っていない水田?)の面と比較すると、確かにかなりの下り勾配になっていることが判ると思う。

 さて、何だかあっという間だったが、終点の明智駅が見えてきた。
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 車止めなどはなく、正面がそのまま車輌基地になっているようだ。
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 10:17、明智駅着。
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 この車輌が22分後に折り返すので、その間に駅の周囲を見て回ることになる。
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 駅舎内部。ここは有人駅である。
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 駅前の様子。
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 駅舎外観。見事な桜である。
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 駅舎の右手に、喫茶室や物販コーナーのある明智駅前プラザという新しい建物があったが、行ってみなかった。
 明智駅の駅名板。
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 日本大正村というのは一定の敷地を持った施設ではなく、街全体として大正時代の雰囲気を保存・再現しているということらしく、少し散歩すればそういう建物に出会うことができたようだ。知らなかったので(時間もなかったし)行ってみることはしなかった。

 ということで、恵那行きとなったアケチ11形は10:39、明智駅を発車した。
 野志駅で、ホームにある待合所を写してみた。ホームに接する部分を見ると、かなり斜めになっているのが判ると思う。
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 岩村駅に入って行く。
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 下車したが、ここで列車交換があるはずなので、こちらのホームで待っていた。
 行き違いになるアケチ10形がやって来た。これも恵那駅で折り返して来たようだ。
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 11:00、恵那行きのアケチ11形の方が先に発車して行った。
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 ほどなく、明智行きのアケチ10形も出て行った。
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 さて、岩村駅。
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 改札口と古い駅名板。ここは有人駅である。
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 待合室。
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 駅事務室だった部分には食堂が入っているようだ。
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 駅舎外観。
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 ここで1時間ちょっとの時間がある。岩村には岩村城趾というのがあって、そこに続く古い町並みが残っているというので行ってみることにした。
 駅前を少し行くと、いきなりこんな感じの町並みが始まった。
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 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているらしい。高山の上三之町のような賑わいはないが、現在の人々のの生活が窺えるような、落ち着きのあるいい町並みだと思った。
 古い道標があった。名古屋に通じるという意味だろうか。
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 歴史を感じさせる看板。いまもカステラ屋さんを営業しているようだった。
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 しばらく行くと道路を直角にずらしたいわゆる枡形があり、横に庚申堂というのがあった。
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 枡形の先も町並みは続いていた。
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 この右側の建物は岐阜信用金庫という看板が出ていた。町並みの雰囲気を壊さない配慮が窺える。
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 古い商家の勝川家。
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 内部は公開されていて、ちょっと覗いてみたが、時間がないのですぐに出て来てしまった。残念。
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 浅見家。
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 木村家。
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 ここも公開されていた。しかも勝川家同様、入場料を取っている様子もなく、時間があればぜひ上がってみたかったが仕方がない。

 けっこう来てしまったが町並みはまだ続いていて、もう少し行くと女城主という銘柄の酒蔵・岩村醸造というのがあるようだったが、戻らなければならない時間になってしまったので諦めた。
 しかし、思っていた以上に素晴らしいところで、もっとゆっくりしたかった(城趾にも行きたかった)と残念な気持ちが残った。まあ、仕方がない。

 再び岩村駅。
 手動の転轍機が残っていた。まさか使われているわけではないだろうが、埃などもなくきれいな状態で保存されているようだ。
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 最近復元されたらしい腕木式信号機。同様のものが左の方にもう一基残っている。
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 次の恵那行きがやって来た。
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 これは急行・大正ロマン2号というもので、3輌編成だった。先頭車輌はアケチ13形である。前2輌は閉鎖されていて、後尾の1輌が普通車になっている。
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 恵那駅に着くとこれが折り返しの大正ロマン1号・明智行きとなり、この2輌が予約客を対象にした食堂車になって運行されるのである。明知鉄道が力を入れている「恵那グルメ」というイベント列車で、覗いてみるとすでにテーブルやお弁当がきれいにセットされていた。
 乗車した3輌目の車輌はアケチ14形というもので、ロングシートだった。12:03、岩村駅発車。

 途中、阿木駅にだけ停車して、12:29、恵那駅に着いた。
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 恵那駅では待っていた予約客(団体客?)がすぐに乗車を始めた。2輌目の車輌が一回り小さいサイズに見えるが、これはアケチ6形というちょっと古い車輌のようだった。
 ちょっと中を写させてもらいました(スミマセン)。
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 これで明知鉄道の旅はおしまい。やっぱりこういう小さなローカル線がいいなと思いました。

 あとは帰路ということになるが、恵那の町で昼食を食べなければならない。観光案内所を覗いてみたら中の人に話しかけられて、どこか美味しい食事はないかと聞いたら、こんなチラシを渡されて「えなハヤシ」というのを紹介された。
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 裏面に9店舗が並んでいて、その中で駅に一番近いという店で「オムハヤシ」900円を食べた。
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 まあ、ハヤシライスはハヤシライスなわけで、ただご飯が古代米になっていて、なかなかさっぱりした感じでよかった。

 恵那駅で青春18きっぷの5回目に日付印をもらった。
 JRのホームから明知鉄道を見るとこんな感じ。ここが乗り換え口になっているようだ。
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 さて、名古屋からやって来た13:56発の中央本線・中津川行きに乗車。湘南色の211系電車、8輌編成、ロングシート。
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 14:07、中津川駅着。
 中津川駅、駅舎外観。
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 駅前の様子。
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 中津川駅14:25発、中央本線・篠ノ井線直通・松本行きに乗車。
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 313系、2輌編成、転換クロスシート、ワンマン運転。2輌になってしまったので、車内はほぼ座席が埋まる感じで、途中立っている人も出た。

 16:20、塩尻駅で下車。  
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 塩尻駅はJR東海とJR東日本の境界駅になっており、中央本線の線路としてはここでスイッチバックするかたちになっている。
 橋上駅で、その通路から南の方角を見ると線路の形状がよく判る。
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 右にカーブしている線路が名古屋方面で、JR東海が管轄するいわゆる中央西線、左にカーブしているのが東京方面、JR東日本の中央東線になっている。
 塩尻駅外観。
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 松本からやって来た塩尻16:58発の中央本線・大月行きに乗車。
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 見慣れた長野色の211系電車、6輌編成、ロングシート。ここまで来るとテリトリーに戻って来た感じがあって、何となくホッとするような気分になる。

 19:47、大月駅着。19:54発の東京行きに乗り継ぐ。中央線のE233系電車はここまで乗り入れているのである。20:43、西八王子駅着。
 今回の旅はこれでおしまい。
by krmtdir90 | 2016-04-12 18:56 | 鉄道の旅 | Comments(0)

岐阜への旅①高山本線(2016.4.9)

 青春18きっぷが2回分残っていたので、期間の最後に一泊旅に行って来た。ちょうど土日に重なったので、同じような「18きっぱー」がたくさんいるようだった。

 せっかく土曜日なので、土日にだけ運行される八王子発7:19のむさしの号を利用した。8:12、大宮駅着。
 大宮駅8:38発の北陸新幹線・かがやき521号に乗車。
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 旅の1日目の目標は高山本線に乗り通すことである。本線を名乗ってはいるが、岐阜・富山間225.8キロの全線が非電化単線である。

 時刻表を見ると判るのだが、特急(ワイドビューひだ)はそれなりに便利に走っているのだが、普通列車は非常に使いにくいダイヤになっている。観光地・高山に行こうとすると、岐阜からでは6:53→10:11の次が11:45→15:26になってしまう。JRは普通列車の旅を出来なくしようとしているのではないかと勘ぐりたくなるではないか。
 富山からだと10:32→12:28という一応手頃なのがあって、これを使うためにまず富山に向かうことにしたのである。ところが、今度は北陸新幹線のダイヤが難しいことになってしまう。わたしが乗ったかがやき521号が富山に到着するのは10:27である。乗り換え時間は5分。新幹線に遅れが出れば非常に厳しいことになり、もし乗り継げないことになると、次は14:05→16:17まで待たなければならない。

 で、とにかく新幹線は定刻に富山駅に着いた。ところが、高山本線とはJR同士だからと簡単に考えていたのが間違いだった。並行在来線が第三セクターに移管されてしまった結果、直接の乗り換え口は作られておらず、一旦改札を出るかたちになった。第三セクター(あいの風とやま鉄道)の改札口は見えているが、JRが見つからない。脇の方に案内カウンターがあったので聞いてみると、同じ改札だと言う。見ると確かに「あいの風とやま鉄道・JR」となっている(9文字と2文字だからね、全然目立たないよ)。
 改札口で女性の駅員に「高山線に乗るなら急いでください」と言われた。判っているんだけどね。で、1・2・3番線という矢印のエスカレーターを歩いて上った。ホームに出たら両側が1・3番線になっていて、ずっと先の方が切り欠きの2番線ホームになっていた。膝が痛いので走れないのだけれど、とにかく早足でそちらに向かいながら根性で一枚。
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 前方に回ったり、車止めがどうとか、考えている余裕はなかった。後部ドアから乗車すると、すぐに発車した。確かに10:32である。結果的に何とか間に合ったけれど、新幹線のホームも長かったし、どこかで気を抜いていたらダメだったかもしれない。やれやれ。

 この5分間でだいぶやる気を削がれてしまった。
 記録しておくと、この列車は途中の猪谷(いのたに)行きで、キハ120の2輌編成、ワンマン運転、車内はセミクロスシートだった。猪谷駅はJRの境界駅になっていて、富山・猪谷間はJR西日本、猪谷・岐阜間はJR東海の管轄になっている。したがって、普通列車はすべて猪谷駅で乗り継ぎを行うようになっている。キハ120はJR西日本がローカル線中心に運用している小型ディーゼルカーなのである。
 乗客はそれなりにいて、わたしは(乗ったのがギリギリだったし)1輌目後部のロングシートに座った。

 外は晴れていて、富山平野の彼方に雪を頂いた北アルプスなどが遠望されていたが、(わたしはちょっとぐったりしてしまって)写真は撮っていない。結局、この区間では3枚しか撮らなかった。
 1枚目。キハ120のドアはバス用部品の折り戸になっている。
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 駅を2枚。千里(ちさと)駅。
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 越中八尾(えっちゅうやつお)駅。
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 キハ120は窓が開かないから、画面には関係ない光が写り込んでしまっている。

 11:20、猪谷駅着。2輌編成を前から見ると、前面の塗装色が違っていた。
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 ひっそりした山間部の無人駅だが、構内は広く、側線が何本も通っていた。
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 ホームは島式の1面2線で、前方の反対側に11:23発の高山行きが待っていた。
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 JR東海の標準型ディーゼルカーで、キハ25という。2輌編成で、車内はロングシート、ワンマン運転だった。

 列車は定刻に猪谷駅を発車。川沿いを走りながら次第に山の中に分け入って行く。
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 この川は日本海に注ぐ宮川である(富山平野に入ると神通川と名前を変える)。トンネルなども連続するようになり、駅間距離も長くなっているようだ。
 猪谷の次の杉原駅。
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 今度の車輌も窓は開かないから、写り込みは無視するしかない。
 次の打保(うつぼ)駅で、列車の行き違いがあった。この駅の前方にはポイントを守るスノーシェルターがあった。
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 その中から姿を現したのは、富山行きの特急ワイドビューひだ3号。JR東海が運用するキハ85系という車輌のようだ。
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 宮川の流れをもう一枚。
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 飛騨細江(ひだほそえ)駅。
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 ここで運転席後部の遮光スクリーンが開放された。遮光スクリーンはトンネル通過時に車内の光がフロントガラスに反射するのを避けるためのものだから、この先トンネルはもうないということである。列車は飛騨古川などの家並みを抜けて行く。次の飛騨国府で普通列車との行き違いがあったが写真はない。
 次の上枝(ほずえ)駅(高山の一つ手前)で再び列車行き違い。
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 やって来たのは特急ワイドビューひだ5号・飛騨古川行きだった。
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 やはりキハ85系だった。
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 終点・高山駅に入って行く。
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 12:28着。
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 ホームや駅舎全体が大規模な工事中らしく、狭まったホームから地下道を通って出たこの改札口も仮のものらしい。
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 駅前に出て、工事中の駅舎の方を見る。右手のプレハブが仮の駅舎と待合室など。観光案内所もたぶん仮のものだろう。
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 さて、乗り継ぎということで言えば、岐阜方面に向かう次の普通列車は14:48までない。つまり2時間20分、この高山を散歩しなさいということなのである。
 まあ、ちょうどいい時間と言うべきかもしれない。はるか昔になるが、高山には修学旅行を連れてきたことがあって、下見なども含めて(高山陣屋・屋台会館・日下部民芸館など)めぼしいところはみんな行ったことがあるのである(もっとも、もうほとんど忘れてしまっているが)。だから、取りたてて行きたいところがあるわけではないが、昼食だけはここで済まさなければならない。

 観光案内所でぶらり散策マップというのを貰い、とりあえず古い町並みのある上三之町あたりに行ってみることにする。徒歩約10分というところらしい。
 途中に飛騨国分寺というのがあったので寄ってみた。本堂の前に、重要文化財・聖観世音菩薩像という看板が出ていたが、興味が湧かなかったので覗いてはみなかった。
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 本堂の前の大イチョウ。樹齢1200年の雄株と書いてあった。葉をつけたら素晴らしいだろうと想像した。
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 三重塔。
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 ブログをやるようになって、縦構図の写真を撮ったあとに、何とか横構図でも撮れないかと考えるようになった。この2枚はそちらを採用してみた。

 宮川に掛かる鍛冶橋。この向こうが古い町並みになる。
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 橋からの眺め。川の水が非常に透明である。
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 上三之町の入口の標柱。
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 すごい人である。
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 ここに来る途中でも思ったのだが、外国人が大変多い。半分以上、いや6~7割は外国人だったのではなかろうか。すごいことになっていると思った。

 さて昼食だが、高山と言えば朴葉味噌ぐらいしか思い浮かばなかったのだが、いまはそんなものは全く流行っていないらしく、飛騨牛が大ブレイクしているらしかった。たぶん人気店なのだろう、行列ができているところもけっこうあった。
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 まいったなあと思いながら歩いていると、あまり人が寄らない感じのとうふ料理の店というのが目に付いた。
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 入ってみると、お客はカップルが一組だけ、あとからけっこう入って来たが、席が全部は埋まらなかった。で、これが注文してみた湯葉定食(ちょっとピンボケですね)。
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 値段をメモしていないのだが、確か1400円ぐらいだったと思う。混雑していないのが何よりで、食事としてもそれなりに満足できるものだったと思う。

 酒蔵、舩坂(ふなさか)酒造店。深山菊、甚五郎といったお酒を造っているようだ。
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 その真向かいにあった酒蔵、原田酒造場。山車(さんしゃ)が代表銘柄のようだ。
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 今回は試飲をしたり、宅配便で送ったりする気は起こらなかった。 

 上三之町の出口が近い。
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 右に折れて、赤い欄干の中橋(なかばし)を渡る。
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 渡った正面(写真では手前)が高山陣屋だが、もちろんパス。
 帰りは来た時とは別の道を通って帰った。途中で見かけた、火の見櫓のように見える木造の建物。特に説明看板などはなかった。
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 再び高山駅。仮設の待合室にいると、西洋系の外国人の姿が目に付く。カップルとか友人同士とか、自分たちでコースを組み立て、自分たちできっぷを買って旅行しているのだろう。東洋系の外国人はツアーで、観光バスで高山陣屋あたりの駐車場に乗り付けているように思われた。外国人観光客にもいろいろあるのだなと思った。
 さて、ホームに出ると、前の側線にキハ25の4輌編成が出発準備を整えて停車していた。
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 少しして左の方に動いて行き、こちらの線に移って入線してきた。
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 14:48発の美濃太田行きである。車内は転換クロスシートで、乗客はすべてのシートが(1人にせよ2人にせよ)埋まるくらいいた。

 この区間、実は写真は1枚しかない。高山市内で人混みの中を観光してしまったし、かなり暖かな(暑いくらいの)陽気で眠くなってしまったのである。列車は高山駅を出て2つ目、久々野(くぐの)駅のあたりで分水嶺を超えたらしく、今度は流れの向きが逆になる飛騨川に沿って下って行ったようなのだが、その途中にある景勝地、飛水峡である(ちょっと写り込みがひどい)。
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 決して熟睡していたわけではないが、何となくウトウトしながら下呂などを過ぎ、17:07、美濃太田駅に到着した。

 美濃太田駅の写真もない。今夜の宿泊地は中央本線の恵那にしてあるのだが、普通の旅行者ならここから太多(たいた)線で多治見に抜けてしまうところである。太多線もまだ乗ったことのない路線だし、疲れているからよほど計画変更してしまおうかと悩んでいたのだと思う。だが、それでは高山本線が完乗できない。また乗りに来ればいいじゃないか、でも途中で切り上げるのはスッキリしない、まあ何と言うか、乗り鉄としての基本的考え方について問われていたのかもしれない。
 結局、計画通りにすることにして、17:27発の岐阜行きに乗車した。この列車は多治見から太多線経由でやって来た岐阜行きで、この区間はこういう列車がかなり走っているようだった。運行系統としてはむしろ、高山本線は美濃太田で終わっていて、多治見・美濃太田・岐阜を結ぶ列車が大半を占めているようだった。
 キハ75の3輌編成で、車内は転換クロス、時間的に座席はほぼ埋まる感じで、写真というような気分には全くなれない区間だった。

 そして18:04、岐阜駅着。とにもかくにも高山本線は完乗となった。乗り継ぎの向かいのホームから、いま乗って来た高山本線の3輌編成を撮影。
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 JR東海の車輌はみんな似た感じで面白みがないが、キハ25とキハ75では前面の感じが違っているようである。

 さて、このあとは岐阜駅18:08発の東海道本線特別快速・豊橋行きで名古屋へ。313系電車の8輌編成、車内は転換クロスで、座れたが座席はほぼ埋まっていた。名古屋着は18:27。

 最後は中央本線快速・中津川行き。これも313系電車の8輌編成、転換クロスだった。
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 名古屋18:47発。座席は最初は埋まっていたが、徐々に下車していき、恵那ではかなりガラガラな感じになってしまった。
 19:52、恵那駅着。
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 ホテルは徒歩15分という感じだったので、面倒だからタクシーに乗った。600円だった。

 高山の酒蔵で買ってきたワンカップ。寝酒にしたが、度数19%の原酒で大変旨かった。
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by krmtdir90 | 2016-04-11 23:19 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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