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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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チェコとドイツの旅②プラハ2(2016.8.18)

 出発前に、ホテルの向かいにあるビルのショッピングアーケードを抜けて、その先の通りまで行ってみた。ここにはトラム(路面電車)が走っていた。
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 通りの向こう側にもショッピング街があるようで、数分おきに通勤客がまとまって出てくるところから、奥に地下鉄の駅があるのだろうと想像した。帰ってから調べてみると、B線とC線が交差するフロレンスという駅だった(見に行く時間はなかった)。
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 プラハ観光の2日目。
 この日バスで最初に行ったのは、いわゆる旧市街への入口に建つ市民会館。日本で言う市民会館とは大違いの、アールヌーヴォー様式の立派な建物だった。
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 こちらが正面。ちょうど正面玄関が影になってしまった。
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 市民会館の左手には、昔の城門の一つである火薬塔が建っている。この向こうが旧市街になる。
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 ツアーは開館前に市民会館の中に入り、2階の小さなホールを借り切って、30分ほどのミニコンサートを楽しむことになっていた。
 ここのメインホールはスメタナホールと呼ばれ、プラハで最も由緒あるコンサートホールらしい。入口はカーテンが閉まっていたが、少し隙間が空いていて中の様子を覗き見ることができた。
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 で、ミニコンサート。わたしは全く門外漢なのだが、ギターが入っていても弦楽四重奏と言っていいのだろうか?
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 終わって外に出ようとしたら、横のチケット窓口が開いていて購入する人が立ち寄っていた。
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 このあとは火薬塔の下をくぐり旧市街へ。
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 きれいに整備された石畳の道を行くと、
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 前方が開け、右手にティーン聖母教会の2つの尖塔が見えてくる。
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 観光客でごった返す旧市街広場。左が天文時計の塔で、右が聖ミクラーシュ教会である。
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 広場で楽器を演奏する人たち。
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 後ろに見えている聖ミクラーシュ教会はバロック様式だという。
 で、一番目につく天文時計だが、
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 正面から見るとこんな感じ。
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 文字盤が重層的になった中心の時計は15世紀から時を刻み続けているというが、どう読めばいいのかまったく判らない。高いところにある時計は現在の時刻を指している。いま11時15分前だが、11時になると中央の2つの小窓が開いて何やら仕掛けが見られるのだと言う。観光客も集まり始めていて、あたりの店を覗いたりしながら時間をつぶす。
 こちらまで来ると、広場の向こうのティーン聖母教会の尖塔もよく見えるようになっている。因みにこれはゴシック様式。
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 さて、11時になって、
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 仕掛けはよく判らなかった。窓が開いて、その奥で「キリスト12使徒の行進」が行われたらしいのだが、前に飛び出すわけでもないし、影になってしまってよく見えなかった。

 次は、さらに歩いて、ヴルタヴァ川(モルダウ川)に架かるカレル橋まで往復するという。
 さっきより細くなった石畳の道を行く。
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 けっこう曲がっていたり小さな角があったりするので、観光客の流れがないと迷ってしまいそうなところだ。
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 全身銀色で石像の真似をする大道芸人。
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 やっと見えてきた。
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 トラムの線路がある道の信号を渡ると橋である。
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 カレル橋のたもとに出た。
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 すごい人である。この橋塔はゴシック様式。
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 この像は誰だったか。
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 14世紀に作られた橋なのだという。
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 20分ほどフリータイムが作られたと思う。橋の中程まで行って来ることにする。
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 両側の欄干には15体ずつ計30体の彫像が並んでいる。最も有名なヤン・ネポムツキー像は橋の中程にあった。
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 台座のレリーフの部分が金色に変色しているのは、ここに触れると幸運が訪れるというので観光客がみんな触っていくからだという。古今東西どこでもこういうのがあるんだね。
 さて、橋の上からの眺め。
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 観光船は航行している。
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 プラハ城、聖ヴィート大聖堂も見えている(向こうからも見えていたのだから、当然こちらからも見えるということだ)。
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 橋の上で音楽を演奏している人たち。
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 再び元の道をたどり、市民会館まで戻って来た。
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 市民会館の正面玄関左側がカフェレストランになっている。
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 ここで昼食を取った。
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 早めに外に出て食後の一服中。
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 こちらでは、屋外であればけっこう自由に煙草が吸える感じだった(もちろん携帯灰皿持参で、周囲の様子を見て迷惑にならないように吸いましたよ)。
 市民会館向かいのこの建物も劇場のようだ。
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 この大道芸は何と言うのだろう。ワイングラスに入れた水の量の違いで音階を作り、縁を指でこすって音楽を奏でるのである。
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 さて、午後は自由時間になっていて、希望者はトラムに乗って美術鑑賞に行く(ほとんどの人が参加したのではなかろうか)。
 市民会館前の道路から続いている広場を横切って、トラムの停留所へ。向かいの停留所に全身金色の大道芸人が。
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 トラムは9000番代が低床式新型車輌、ステップを上らなければならない旧型車輌は8000番代になっているらしい。
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 旧型車輌にはいろいろ違いがあるようだ。これがわれわれの乗る24系統。
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 何という停留所から何という停留所まで乗ったのかは判らない。とにかく下車した停留所の先に国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿があった。宮殿とは思えないガラス張りの現代的な建物だった。
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 ここでチェコの代表的画家アルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩展」が開かれているのである。
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 一応希望参加だからチケット(写真中央)は各自で買った。チェコの通貨はユーロではなくチェココルナ(Kč)というもので、360チェココルナは2人分である。なお、写真の右はトラムのキップで、24チェココルナは1人片道である。キップはホテルの売店で事前購入したのだが、実際に乗車すると誰かに見せるわけでもなく、下車時に回収されるわけでもないから、そのあたりがどうなっているのかよく判らない。

 さて、アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)だが、彼は一般的にはアールヌーボーを代表するグラフィックデザイナーとして知られている。
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 フランスで大成功を収めたミュシャは1910年、故国チェコに帰り、20年をかけて20点の大作絵画による連作「スラブ叙事詩」を完成させた。スメタナの「わが祖国」を聴いて構想を得たといわれ、スラブ民族(民族的にそのような民族はなく、言語的な分類に基づく空想上の統一民族)の想像上の歴史を20シーン描いたとされている。

 ミュシャのことや、この「スラブ叙事詩」のことはほとんど知らなかった。20点の絵画はどれも素晴らしいもので、圧倒的な存在感を示していた。十分な鑑賞時間が取られたので、じっくり見て回ることができた。こういうところには珍しく、フラッシュを焚かなければ写真撮影もOKだったので、一応全部を写してきた。ここにはその中から、わたしが最も興味を惹かれた一点を掲載しておくことにする。
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 タイトルは英字表記で「The Abolition of Serfdom in Russia」とあった。「ロシアの農奴制廃止」と訳すのだろう。調べてみると、スラブ人最大の国家であるロシアの農奴制廃止(1861年)はミュシャにとって大きな希望と映っていた(そのように描く予定だった)が、1913年に現地取材で訪れたロシアで庶民の生活困窮が全く改まっていないのを目の当たりにし、その悲惨な現実を反映した暗い色調に変更して描くことになったようだ。
 これは810×610cmの大作だが、他もほとんどこれと同じかこれに近い大きさだった。大きさが実感できるよう、人物が写り込んでいるものをあと一点掲載しておく。
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 この中央のものも大きさは810×610cmで、タイトルは「Master Jan Hus Preaching at Bethlehem Chapel(ベツレヘム礼拝堂でのマスター・ヤン・フスの説教)」というものである。

 さて、美術館前の道路で、トラムの車輌の比較研究。
 旧型車輌の8200番代と8400番代。塗装だけでなく、車輌の細部に違いが見られる。
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 低床式車輌でも、9000番代は明らかに少し古い感じがする。
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 9200番代と9300番代では、やはり微妙な違いがあるようだ。
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 この最後の9329が、われわれが乗った帰りのトラム。

 ということで、再び市民会館前に通じる広場に帰って来た(市民会館はこの左手になる)。
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 再集合まで少し時間があったので、市民会館のカフェで冷たいものを飲んだり、広場の露店を冷やかしたりして時間をつぶした。
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 この下に地下鉄の駅があるようなので、ちょっと行ってみた。
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 ここが入口。駅名は何と読むのか、わからない。
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 入ると右手にキップの自販機。
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 改札口は無人だが何か黄色い機械がついている。
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 出口の方はフリーパスに見える。ホームは更に深いところにあり、エスカレーターでつながっているようだ。
 これが路線図。
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 黄色のB線と赤のC線が交わっている赤丸が今朝駅近くまで行ったフロレンス駅、いまいるこの駅は(読み方は判らないが)そのすぐ左にある駅のようだ(ずいぶん近くにいるのだ)。なお、黒い実線で描かれているのはトラムの路線と思われる。

 さて、午後3時30分に再集合した後、プラハに別れを告げ、バスでリトムニェジツェという町に向かった。ここの船着き場でクルーズ船に乗船することになったのである。リトムニェジツェはすでにヴルタヴァ川(モルダウ川)がエルベ川に合流した後の下流にある町である。
 で、これがリトムニェジツェに停泊したエルベプリンセス号。
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 船から見た船着き場。何もないところである。遠望される塔は聖ステファン大聖堂というらしい。
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 船室からの眺め。
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 本来なら船内の様子などをあれこれ紹介したいところだが、残念ながらそういう気分は湧いてこない。とてもきれいで機能的に作られたいい船だったんですがね。
 船内のレストランで夕食を取ったあと、ラウンジで船側による歓迎の集いが開かれた。明日からはここを拠点にして観光に出るかたちになる。
by krmtdir90 | 2016-08-31 17:52 | 海外の旅 | Comments(4)

チェコとドイツの旅①プラハ1(2016.8.16~17)

 今回の旅は、ツアーとしては期待外れのものになってしまった。本来ならチェコのプラハからドイツのベルリンまで、モルダウやエルベといった川をリバークルーズして行くはずだった。ところが、少雨のため川の水位が低下して、ほとんどの区間が航行不能になっていたのである。
 ツアーが始まってからこのことを知らされたが、こうした場合でもツアーそのものは催行中止とはならず、船への宿泊を一部残しながら他はホテルに切り替えて、バスで予定の観光地を回るかたちになってしまった。リバークルーズそのものが目的だったのだから、この変更はきわめて不本意なものと言わなければならないが、たぶん細かい字でぎっしり書かれた契約書面の中にそんなことも書いてあったのかもしれない。
 いずれにせよ、水位が足りないと言われては諦めるしかなく、まあ可能なかたちで実施されるものを楽しむしかないだろうと気持ちを切り替えた。基本的に天気には恵まれたのだから、大雨で航行不能になるよりはよかったということなのだろう。

 出発の日(16日)は台風7号がやって来た日だった。激しい風雨の中を飛行機(トルコ航空TK053便)は特に何の支障もなく、22時30分に成田空港を飛び立った。
 最近は膝や足首など、あちこちに不調を抱えるようになってしまったので、高いなあと思いながらビジネスクラスを確保した。わたしは初めてだったが、妻は2度目だと言っていた。確かに完全に横になって足を伸ばして寝られるのは良かったが、機内食など煩わしいことも多く(寝台列車のようにマイペースというわけにはいかないので)、行きはあまり眠れなかった。
 機内でマイナス6時間の時差修正を行い、翌17日の4時40分にトルコ、イスタンブールのアタテュルク国際空港に到着した(所要時間12時間10分)。乗り継ぎが必要なのである。
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 到着した時にはあたりはまだ暗かったが、出発時(7時15分)にはすっかり夜も明けて快晴になっていた。
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 この空港は今年6月末に死者36名を出す自爆テロが起こったところである。不安がなかったわけではないが、乗り継ぎエリアには厳重なセキュリティがかかっているから、外部の不審者が入り込む余地はないという旅行社の言葉を信じることにした(まあ、それでも起こる時は起こるのだろうと思ったが)。

 乗り継ぎ便(トルコ航空TK1767便)はエコノミーになっている。途中で、かなり近いところを飛行する別の機影が見えた。
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 所要は2時間45分、さらにマイナス1時間の時差修正を行ったので、プラハ国際空港に到着したのは17日の午前9時だった。
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 長い飛行で疲れているのだが、まだ一日は長い。バスでプラハの町の観光に出発した。走り出してすぐ、プラハにはトラム(路面電車)が走っていることを発見した。で、いきなりですが、その写真から。
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 車輌は古いタイプと新しいタイプがあるようで、どちらも2輌編成だった。

 最初に訪れたのはプラハ城である。
 城と言っても、丘の上の広大な敷地の中に様々な建物が建っているということらしい。ここが入口。左側に持ち物チェックを受ける関所があり、観光客の行列ができている。
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 中に入って歩いて行く。この正面の建物の入口両側に、空色の制服を着た2名の衛兵が直立不動で立っていた。
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 その建物の通路を抜けて行くと広場に出た。
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 さらにもう一つ通路を抜けると別の広場になり、
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 この左手、観光客が見上げている先に聖ヴィート大聖堂が建っていた。
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 近すぎて、縦構図にしてもとても収まらない。
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 この左下が入口になっているが、観光客の長蛇の列が聖堂の左側にずっと続いていて、その後ろに並ばなければ中には入れない。
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 巨大な外壁のあちこちに、ガーゴイルと呼ばれる不思議な化け物?が顔を出している。
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 雨樋の役目をしているというのだが、何か魔除けのようにも思われる。
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 中に入る。ここからは建物の構造上、どうしても縦構図が多くなってしまう。
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 入ってすぐのところが無料のエリアで、この左手に有料エリアへの関所ができている。そこから周囲の回廊のようなところを一周できるようになっている。現地ガイドの説明を聞きながら見て回った。
 周囲の窓がすべてステンドグラスになっていて、外が晴れているからどれも美しく輝いている。中で最も有名なものが、チェコの画家アルフォンス・ミュシャによるものだという。
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 その他のステンドグラスも写真に撮ったが、実物の感じは伝わらないと思う。
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 これは告解室。
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 これはヤン・ネポムツキーという14世紀の司祭の墓碑らしい。
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 パイプオルガン。
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 中央あたりから後方を見たところ(前方正面の方はちゃんと撮って来なかった)。
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 左の方に太陽があり、ステンドグラスを通った光が壁に反射している。これはきれいだったので、近くに行った時に撮って来た。
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 中の見学を終えて外に出る。右手に回り込んで行くと、大聖堂正面の広場に出た。こちらからだと(広場の隅の方まで下がれば)大聖堂全体がフレームに収められた。
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 それにしても凄い建物である。聖ヴィート大聖堂はゴシック建築の代表例であるらしい。
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 さて、このあとは大聖堂の右手の方に抜けて行った。プラハ城内には、まだ色々な建物があるようだった。
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 こちらから見た聖ヴィート大聖堂。正面の広場は左奥になる。
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 次に、同じくプラハ城内の黄金の小道というところに行った。昔ここに錬金術師を住まわせたことからついた名前らしいが、カラフルに塗られた小さな家が並んでいて、いまは手作りの小物や土産物を売る店などになっている。
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 この左手の薄い空色の家は、かつてプラハ出身の作家フランツ・カフカが2年ほど住んだ家だという。
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 中はカフカの著作を網羅した小さな書店になっていた。この入口右手の小さなプレート。
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 これは少し先にあった手作りの人形を売る店の窓。
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 プラハ城の最後は市街を見渡せる展望台に行った。
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 明日行くことになるカレル橋も見えている。
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 このあとレストランで昼食。バス移動の車窓から、トラム(路面電車)。
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 午後は丘の上のヴィシェフラド地区というところに行った。ここは古い城跡公園のようで、ここが入口になっている。
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 ゆるやかな坂道を上って行くと、見えてきたのが聖ペテロ・パウロ教会。
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 この向こう側が墓地になっていて、チェコの有名な芸術家たちのお墓があるのだという。
 まず、交響詩「わが祖国」の「モルダウ」を作曲したスメタナのお墓。
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 この斜向かいにチェコの偉人たちの記念碑的な霊廟があり、
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 向こう側の側壁に画家アルフォンス・ミュシャの名前が刻まれていた。
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 少し離れた回廊のようなところには、交響曲「新世界より」のドヴォルザークのお墓が。
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 聖ペテロ・パウロ教会は、建物全体を収められるところはなかった(探せばあったのかもしれないが、ツアーではそういうわけにはいかない)。
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 このあと、また展望台のようなところに行った。
 まずトラム。
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 そしてモルダウの流れ。
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 なお、モルダウというのはドイツ語名であって、チェコ語ではヴルタヴァ川である。
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 遠く木々の間にはプラハ城の聖ヴィート大聖堂も見えていた。
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 この日の観光はこれで終わり。
 本来ならこの日からクルーズ船に乗船のはずだったが、船はプラハには来ていない。1泊目はこのホテルに宿泊となった。
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by krmtdir90 | 2016-08-30 12:31 | 海外の旅 | Comments(0)

旅から帰って

 昨日(26日)の夜、成田に帰って来ました。家に着いたのは11時半ぐらいでした。睡眠時間がおかしくなっていて、せっかく家に帰って来たのに昨夜はほとんど眠れず、きょうも一日中ボーッとしていました。典型的な時差ボケのようです。
 夜になってから写真の整理を始めたのですが、なかなか捗りません。そんなわけで、今回の旅日記はのんびりだらだらやろうと思っています。きょうは、とりあえず旅の空の続きということで、これはチェコのプラハの空です。
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 とうとうヨーロッパに足を踏み入れてしまいました。若い頃に覚えた国名は確かチェコスロバキアだったのに、ソ連の崩壊とともにチェコとスロバキアの2つの国に分離独立したことを今回初めて知りました。
by krmtdir90 | 2016-08-27 21:21 | 海外の旅 | Comments(0)

旅の空

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しばらく更新していなかったのは、16日に成田を発って妻と旅に出たからです。Wi-Fiの事情や日程のタイミングが合わず、報告が遅れてしまいました。
この空は数日前のヴィッテンベルクの空です。いまはベルリンにいます。時差がマイナス7時間なので、いまは夜の10時半を過ぎたところです。眠くなりました。
26日の夜に帰ります。では、おやすみなさい。

by krmtdir90 | 2016-08-24 05:21 | 海外の旅 | Comments(0)

歌舞伎見物・八月納涼歌舞伎「権三と助十」

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 八月納涼歌舞伎は三部構成で、第一部の「権三と助十」で中村獅童が主役の権三を演じるというので、妻と久し振りに見に行って来た(13日)。幾つかの映画で印象的な役を演じていた中村獅童の、ホームグラウンドである歌舞伎は見たことがなかったのである。

 「権三と助十」は大正15(1926)年に初演された、岡本綺堂作の新作歌舞伎である。古典歌舞伎にもそれなりの面白さはあるが、こうした新しい作品ではセリフの意味が全部聞き取れるし、何の障害もなく芝居として楽しむことができるのはやはり格別だと思う。
 大岡越前守が江戸の町奉行であった頃の、神田の裏長屋を舞台にした庶民が主役の世話物である。様式化されてはいるが、舞台全体を飾り込んだ長屋のセットが思いのほかリアルで秀逸だった。その中で、長屋住まいの日常が季節感豊かに生き生きと描かれている。この時季に長屋総出で行う井戸替え(井戸浚い)のモブシーンが楽しいアクセントになっていると思った。
 発声練習などでお馴染みの「あめんぼ赤いなあいうえお」のラスト、「わいわいわっしょいわゐうゑを/植木屋井戸替えお祭りだ」に出てくる「井戸替え」の様子が見られて楽しかった。

 権三と助十はこの長屋に住む駕籠かきのコンビだが、予想した通り権三は中村獅童にぴったりのはまり役だった。助十の市川染五郎ともども、喧嘩っ早く気が強いように見えて案外小心者、それに加えてぐうたらな権三を伸び伸びと演じた。染五郎の方は第二部の「東海道中膝栗毛」で弥次さんをやっているせいか、声が若干かすれ気味だったのが残念だった。
 女房おかんの中村七之助や家主六郎兵衛の坂東彌十郎なども好演で、こうした周囲の演者との絡みから権三のキャラクターがくっきり浮かび上がった。獅童と七之助が見せた夫婦の会話(夫婦喧嘩)は特に面白く、さすがだなと感心した。
 脚本としては、終わり近くになって左官屋勘太郎(片岡亀蔵)と権三・助十らとの対決など、展開上鍵となるやり取りや駆け引きの見せ場も多く、感心しつつ堪能した。

 なお、もう一本の「嫗山姥(こもちやまんば)」の方は、正徳2(1712)年初演の近松門左衛門の浄瑠璃を歌舞伎化したものらしいが、この時代のものになるとさすがに、義太夫節も役者のセリフも残念ながら意味としてはほとんど聞き取れず、解説やあらすじを読んでももう一つピンと来ない感じで、眠らずに見ていたけれどもあまり面白いものではなかった。
by krmtdir90 | 2016-08-14 15:07 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

映画「帰ってきたヒトラー」

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 2015年制作のドイツ映画(監督:デヴィッド・ヴェンド)である。タイトルが際物めいた感じがして、まったくノーマークだった。ちゃんと探せば、面白い映画はあるものだ。吉祥寺オデヲン座という映画館は初めて行くところだったが、観客もけっこう入っていた。

 タイトルにヒトラーと入っているだけで、何となく安易な映画作りが行われているのではないかと思ってしまった。チラシには「現代に甦ったヒトラーが、モノマネ芸人としてブレイク」などど書いてある。ヒトラーのそっくりさんを使った、軽いコメディなのかと思ったら全然違った。いや、随所で(笑おうと思えば)笑えるし、確かに一種のコメディには違いないのだが、笑っていられない深刻で重いテーマが潜んでいた。
 原因は分からないが、とにかく現代にタイムスリップしてしまったヒトラーが、SNSやテレビを通じて現代の大衆に受け入れられていくさまを描いている。彼はヒトラー本人なのであって、モノマネ芸人というのは周囲が勝手にそう解釈して安心しているだけである。ヒトラーの方は現代の諸相にカルチャーショックを受けながらも、基本的には大真面目に現代のドイツを見ていくことになる。そのギャップが笑いを生み、社会風刺にもなっているのだが、この映画は単にそこにとどまろうとはしていない。

 このヒトラーはモノマネではないし、もちろんパロディでもない。オリヴァー・マスッチという舞台俳優が入念な特殊メイクで演じたようだが、彼は現代に紛れ込んでしまったヒトラーを演じるにあたり、戸惑いながらもどんなことを考えどんなふうに行動したかを、ヒトラー本人の誠実さで跡づけて見せている。笑いを取ろうとの下心など微塵もないのである。
 ヒトラーという存在は、現代ではまったく疑問を差し挟む余地のない絶対悪として、ある意味きわめて単純化された価値観の下に否定されている。彼が行った歴史上の所行は許されるものではないが、悪の化身というあまりに明快な決めつけは、却って事の本質を遠ざける結果になっているのかもしれない。とりあえず決めつけておけば安心なのだ。
 この映画のヒトラーは、(ヒトラー本人なのだから)当然あの頃と同じ考えで現代のドイツの状況を把握し、国民の中に蔓延する行き詰まり感を感じ取ると、あの頃と同じ真っ直ぐな愛国心と情熱で現代の大衆に語りかけるのである。ドイツは沈没しかかっている、いまこそ変革が必要だと。

 この映画の撮影の当たって、監督のデヴィッド・ヴェンドはメイクしたヒトラー役のオリヴァー・マスッチを連れてドイツ各地をめぐり、様々な人々と接触させてその様子を記録したらしい。その映像は映画の前半でストーリーの中に生かされているのだが、ドキュメンタリーのように映し出される人々の生の反応がきわめて興味深い。
 この様子をヴェンド監督は「多くの人々がヒトラーを見て嬉しそうだった。まるでスターと遭遇したような感じだった。彼らはこれが本物のヒトラーであるはずがないとわかっていたけれど、彼らはヒトラーを受け入れ、ヒトラーに心を開いたんだ」と語っている。ヒトラーと肩を組んで自撮りしたり、笑顔で話しかけたりハグしたりする姿が捉えられている。もちろん彼は演じられたとはいえヒトラー本人なのだから、その表情は硬く困惑したままだが、人々のこの反応は監督にとっても俳優にとっても意外なものだったようだ。
 もちろん苦々しく思ったり拒絶したりという反応もあったようだが、それ以上に、各地で出会った多くの人々がヒトラーに向かって政治への不満や怒りを訴えることに驚いたという。監督は「我々の社会の中心が右派に傾きつつある」と述べている。

 この映画は現代の社会に、ヒトラーのような強く信頼できる存在への渇望が内在していることを描いている。それは極端な主張を展開する一部の人々のことではない。普段は目立たない市井の穏健な人々の考え方の中に、半分冗談のような設定が仕掛けられると、それが堰を切って溢れてくるような危うさとして存在しているのである。
 しかもこの映画は、そのことを一段高いところから批評的に見ているのではない。正直に言うと、観客としてのわたしはこのヒトラーに、何とも言い難い共感のようなものを感じる時があったのである。具体的には忘れてしまったが、現代の問題を指摘する彼の言葉が不意に胸に響いてしまった。この映画はこのヒトラーを、ステレオタイプではない生の人間として描いている。それはつまり、この現代においてもヒトラーは生きられるということを意味している。生きられるだけの人間的魅力をこの男は持っていること、そしてそれを密かに待望する心情が大衆の中に存在することを、この映画は観客に気付かせてしまうのである。
 映画の終わり近く、ヒトラーが言う「私を選んだのは普通の国民だ。選挙で優れた人間を選び、国家の運命を託したのだ」という言葉は象徴的である。

 もちろん、こういうことを前面に出して主張している映画ではない。あくまでもコメディ映画としての芯は動かない。登場人物としてのヒトラーの人間的魅力は、現代に放り込まれた彼の困惑とか行き違いから生じる言動の可笑しさや、根は堅物なのに案外柔軟に現代に対応していく様子などから、自然に浮かび上がってしまったものである。
 人間的魅力を感じることができたから、大衆は彼を選んだのだということを思い出させてくれる映画だった。そして、そういうことは現代でも十分に起こり得ることなのである。こういう優れて現代的な視点を持ったコメディ映画が、ほかならぬヒトラーを題材にして、当事国ドイツで作られたことに驚きを感じた。
 映画の力を痛切に感じた映画だった。ドイツでは徹底した反ナチ教育が行われているようだし、日本でも反戦平和は基本中の基本であるとしても、そんな形式的なお題目やスローガンは人心の奥には到底届かない。だが、この映画は現代社会が抱える危険な傾向を鮮やかに映し出して、わたしに「怖いな」と率直に思わせてくれるものを持っていた。
by krmtdir90 | 2016-08-11 18:20 | 本と映画 | Comments(0)

「帰郷」(浅田次郎)

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 先日、感想文の中で巧い作家として浅田次郎の名前を出していたから、それで書店の新刊書の棚でこの名前が目に止まったのかもしれない。6編を集めた短編集で、つい最近(奥付は6月30日第一刷)出たばかりらしい。ちょっと読んでみる気になった。

 6編はいずれも、先の戦争で落命したり、生還しても運命を狂わされた日本兵を描いている。浅田次郎の生年は1951年だから、そうしたものを書かなければならない特段の理由は見当たらない。しかし、様々な時代背景や様々な場所を縦横無尽に描いてきた氏にしてみれば、そういうものを少し書いてみようと思ったとしても不思議とは言えない。いずれにしても、氏の筆力をすれば描けないものなどないと言ってもいいはずだ。
 ただし、短編集「鉄道員(ぽっぽや)」の時に感じた衝撃はもうなかった。それはそうだろう。作家として恐らく最良だった作品を基準にして、それと比較されたらかなわないということだ。巧みであって当然というような読み方をされたら、いくら浅田次郎といえども荷が重いかもしれない。もちろんこの短編集「帰郷」にも、実に巧みな作品が集められていたとは思う。だが、それぞれが当然作者によって作られたストーリーだとして、その「作られ感」がやや目につく感じがした。決して鼻につくほどではないのだけれど、作者が仕掛けた鍵になる技巧が結果的に目立ってしまうといった感じである。

 たとえば、集の最後に置かれた「無言歌」。戦争末期の沈没した特殊潜航艇の中で、最早助かる見込みのない2人の中尉の最後の時間を描いている。それぞれが「何ともここちよい夢を見た」というかたちで、思いの残る女性についての美化された出来事が「夢の情景」として語られる。死を目前にしたこの発狂しそうな状況下で簡単に眠りが訪れるとは考えにくいから、これは現実の眠りの中で見た夢ではなく、実際には2人がそれぞれの思い出を相手に語っているということなのだろう。
 だが、実際の状況として耐え難い恐怖と苦痛が2人を苛んでいるはずなのに、作者が設定した小説的仕掛けによって、それらの「雑念」はきれいさっぱり捨象されてしまっている。そのため、彼らの「思い出」はきわめてピュアなかたちで読者の前に置かれるのである。そこにあるはずの彼らの「無念」までが、何となく純化された姿で感じられるのである。
 さすがに、これは少し違うのではないかと思われた。とりたてて美化しようという意図があったとは思わない。小説としての後味をどう作るかという工夫だったのかもしれないが、2人が置かれた絶望的状況下で語られる小説なのだから、若干の違和感が残ったのは事実である。

 4編目の「不寝番」に仕掛けられた技巧は、2つの時空が交錯するというものである。富士の裾野の演習場で不寝番に立った陸上自衛官が、次の担当に引継ぎを行うと、それは先の戦争時の陸軍兵士だったという仕掛けである。そこで時空の破れ目が生じ、過去の陸軍上等兵の男と現在の陸自の士長の男が出会って会話することになる。他はすっかり寝静まった深夜に、2人は次第にその異常に気付いていくが、しばらく言葉を交わしたのちに、何事もなかったように2人は不寝番の引継ぎを終わらせ、それぞれの思いを胸に無言で星を見上げるのである。
 どうしてそんなことが起こったのか、途中で無用の詮索は行われないが、過去から来た男は先の戦争で(すでに)命を落としたのではないかと、何となくピンと来るように書かれている。

 死なないで下さい、という懇願がどうしても声にならず、片山(引用者注:現在の自衛官)は顎を振って泣いた。
 戦争は知らない。だが、ゆえなく死んで行った何百万人もの兵隊と自分たちの間には、たしかな血脈があった。
 ジャングルの中や船艙の底や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分が、情けなくてならなかった。

 たぶんここには、この集に収められた6編を書こうと思った浅田次郎の思いが吐露されている。この6編に登場するかつての兵士たちは、交差した時空の隙間から止むにやまれぬ思いで顔を出して来たのだ。「不寝番」は技巧そのもので書かれた小説と言っていいが、2人の交錯する思いが実に控え目な表現で書かれているのがさすがである。そういう意味で、集中で最も浅田次郎らしい作品になっていると思った。

 冒頭に置かれた表題作「帰郷」は、技巧というより最後の「どんでん返し」で読ませる作品だが、いかにも浅田次郎らしい泣かせる話になっていると思った。こういう書き方が私の考える浅田次郎なのだが、一番最後の文章の閉じ方はもう一つかなと思った。それでも、この集中でこれが最もいいなと思ったのは確かである。泣かせる話が好きなのである。
 6編全部について書くのはやめておく。「鉄道員(ぽっぽや)」の方をちょっと読み返したくなってしまった(たぶん読まないけれど)。
by krmtdir90 | 2016-08-07 18:22 | 本と映画 | Comments(2)

映画「カンパイ!世界が恋する日本酒」

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 昔から夏場というのは地味な映画があまり公開されなくなってしまうので、シネコンなどのラインナップを見ても面白そうなものは見当たらず、興味を覚える映画を探すのが一苦労なのである。ミニシアターなどに行くと、入口に大量に置いてある(マイナーな映画の)チラシをつい貰って来てしまうので、その中から探し出したのがこの映画である。
 日本酒に関するドキュメンタリーだということは判ったが、チラシからではもう一つ内容が掴みづらい映画である。だが、よく判らないというのは、最初から内容や方向性が見えてしまう映画と違って逆に楽しみでもあるわけで、ハズレの可能性もあるけれど、そこはまあ日本酒は大好きなのだからその時はその時と思って出かけて来た(3日)。
 渋谷のイメージフォーラムというのは、昔は確か別の場所にあったような気がするが、いまは宮益坂を登り切った先を少し入ったところにあった。渋谷駅は大規模な再開発工事が進んでいて、通い慣れた学生時代の面影はもうほとんど残っていなかった。昔は何とも思わなかった渋谷の坂が難儀に思えて(暑かったし)、我ながら歳を取ったのだなと再確認させられた。

 監督の小西未来(こにしみらい)という人はアメリカ在住の45歳の映像ジャーナリストで、この映画が長編第1作になるらしい。クラウドファンディング(不特定多数の出資者から援助を募る)という方法で資金調達をしたのだという。2015年制作の日米合作映画となっているが、挿入される字幕(地名)などはすべて英字表記になっている。英字タイトルは「KAMPAI! FOR THE LOVE OF SAKE」である。
 映画は日本酒に魅せられた3人の男を追ったものである。イントロダクションから3人の簡単な来歴を転記しておく。外国人として史上初めて杜氏(とうじ)となり、京都の木下酒造で意欲的な新商品を次々に世に送り出しているイギリス人、フィリップ・ハーパー。日本酒伝道師として国内外で日本酒ワークショップの開催や本の執筆などを通し、日本酒の魅力を世界に発信し続けるアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・ゴントナー。そして、自ら宣伝マンとして世界中を飛び回り日本酒を広めて回る、岩手の老舗酒蔵・南部美人の五代目蔵元、久慈浩介。
 この3人は直接的な接点があるわけではなく、それぞれ別の場所・別のかたちで日本酒と関わっているのだが、それを(3部構成にはしないで)同時進行的に重層的に描いていく方法を取っている。その他の人間も必要に応じて登場してくるが、それらが総体として「日本酒に恋する人間たち」というものを鮮やかに浮かび上がらせるのに成功している。 

 イギリス人フィリップ・ハーパー氏とアメリカ人ジョン・ゴントナー氏は、いずれも当時始まったばかりの外国語青年招致事業(JETプログラム)に応募して1988年に来日したようだ。高校の現場にいたからよく覚えているが、外国語指導助手(ALT)のことである。日本酒のことなど何も知らず何の興味もなかった若い彼らが、まったく偶然の巡り合わせから日本酒の世界に深い関わりを持っていく経過は非常に興味深い。
 一方で幼い時から酒蔵の息子と言われ続け、それが重荷で酒蔵を継がない生き方を模索していた久慈浩介氏は、留学先のホストファミリーから酒蔵に生まれた僥倖を切々と説かれ、実家に戻って杜氏として一から酒造りに取り組んでいくことになる。
 こうした経過が3人の口からばらばらに語られていくのだが、蔵元の出身であった久慈浩介氏を含めて、この3人は伝統的な日本酒の世界からはアウトサイダーであったことに、監督の小西未来は強く興味を惹かれたらしい。当初、久慈浩介氏一人を主人公としたドキュメンタリーとして発案されたようだが、特定の銘柄のPR映画のようになるのは本意ではないということから、いまのような構成の映画に落ち着いたもののようだ。結果的に非常に面白い映画になったと思う。

 映画に出てくる酒蔵については知らなかった。調べてみると、フィリップ・ハーパー氏が杜氏を務める木下酒造があるのは京都府京丹後市だった。京丹後市は平成の大合併で出来た市で、酒蔵があったのは日本海から入り込んだ久美浜湾に面した久美浜町というところのようだ。地図では京都丹後鉄道(まだ乗っていない)のかぶと山駅が近いように描かれていた。銘柄の玉川というのは聞いたこともないし、飲んだこともないと思う。
 久慈浩介氏の南部美人は岩手県二戸市の酒蔵で、この名前は聞いたことがあるから、飲み屋で一度くらい飲んだことがあるかもしれない。だが二戸市には行ったことがないし、ここのお酒もちゃんと購入して飲んだことはないのである。いまはインターネットでも購入できるようだが、わたしは原則として酒蔵を訪ねて購入するのを楽しみとしているので、ちょっと難しいところである。
 この南部美人は東日本大震災のあと、世の中でお花見や飲酒を自粛しようという風潮が広がった時、逆に被災地のお酒を積極的に消費してくれることが支援になるのだとネットに発信して話題になったようだ。わたしもこの時のことを何となく覚えているが、この現場の思いはよく理解できた。震災では久慈氏の友人にも亡くなった人がいたようだが、震災を経てさらにがんばろうと決意したことについても氏は丁寧に語ってくれている。

 映画の終わり近くで、福島県浪江町で磐城壽というお酒を造っていた鈴木酒造店というのが紹介されている。ここで杜氏をしていた鈴木大介氏という人が久慈浩介氏と東京農業大学時代の同級生であり、さらにフィリップ・ハーパー氏が杜氏修行をした奈良の梅乃宿酒造で、4年間にわたって一緒に修行したという縁もあったようだ。
 鈴木大介氏の案内で、カメラは津波ですべてが流失してしまった酒蔵の跡地に案内される。堤防を挟んだすぐ向こうが海という、酒蔵としては非常に珍しい立地だったようだ。堤防の上からは福島第一原発が見えていて(距離は7キロだという)、町のホームページで調べてみると、一帯は現在は避難指示解除準備区域になっているようだ。
 もちろんこんなところでの蔵の再開は考えられないから、鈴木酒造店はいまは山形県長井市で新たな酒造りを行っているらしい(磐城壽の銘柄名はそのままにしている)。フラワー長井線の沿線のようだが、ここのお酒も聞いたことがなかったし飲んだこともなかった。いろいろなところにいろいろなドラマが隠れているのである。

 この映画が紹介し、ここに登場する人々が「恋している」日本酒はもちろん米と水だけで造った純米酒である。しかし、流れは徐々に純米に向かっているとはいうものの、日本酒全体に純米酒の占める割合はまだ2割程度であるらしい。醸造用アルコールを添加したお酒が大半なのである。
 いつの頃からか(弱いくせに)日本酒が大好きになってしまったわたしは、そのあたりのことが判ってからは、家で飲むお酒は酒蔵を回って純米を選ぶようにしてきた。いま専用冷蔵庫にあるのは、上諏訪の酒蔵・舞姫で仕入れてきた純米吟醸の3本である。口が開いているのには「翠露」という名前がついていて、「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」というので今年金賞を受賞したものだという。わたしはコップ酒だが(ワイングラスなどしゃらくさい)、冷やしたこのお酒はことのほかおいしく、確かにワイングラスに合うだろうなということは判る気がする。
 暑いと、夏はビールもいいかななどと浮気してしまうこともあるが、この映画を見た後ではやはり日本酒が飲みたいと思うのである。何だかあまり感想文になっていない文章だが、このあたりで早いとこアップしてしまって、今夜もゆっくりやることにしよう。
by krmtdir90 | 2016-08-04 18:40 | 本と映画 | Comments(0)

「海の見える理髪店」(荻原浩)

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 今回はたぶん世の注目が芥川賞の方に向いてしまい、損な巡り合わせになってしまった直木賞受賞作である。わたしの場合も積極的に食指が動いたわけではなく、書店の平積みで「コンビニ人間」と並んでいたから何となく買ってしまったということである。
 買った以上は読んでみたが、率直に言ってそれほどのものとは思えなかった。この作者のものをもっと読んでみようという気にはならなかった。

 帯に「胸に沁みる家族小説集」と謳ってあるが、表題作を始め6編を収録した短編集である。それなりに巧みであることは判ったが、その巧みさに舌を巻くというほどではないと思った。直木賞の短編集に限っても、浅田次郎(鉄道員〈ぽっぽや〉)や桜木紫乃(ホテルローヤル)など、もっと巧い人はいるし、それらよりも明らかに一段下のような気がした。
 いずれも家族の中における様々な「喪失感」のようなものを描いていると思うが、ストーリーの構成や結末の作り方、登場人物の造形や描写の仕方といったところに、ちょっと非常に微妙な言い方になるのだが、何か「いかにも」という感じがして面白くなかった。と言うか、そうした読ませどころになると、作者が小声で「巧いでしょう」と囁きかけてくるような気がして、ふーっと冷めてしまう感じがしたのである。

 巧いことは巧いのだけれど、微妙にそれを際立たせようとし過ぎているのかもしれない。たとえば、6編の中ではそれなりに面白いと感じた「海の見える理髪店」「時のない時計」「成人式」といった作品。これらの終わり方は非常に印象的ではあるのだけれど、ほんの少し書き過ぎているところがあるのかもしれないと思った。どこがどうとは言えないし、どうもよく判らないのだけれど、そこまでの持って行き方がまずいのか、文字通り言葉の過剰なのか。
 それと、理髪店の主人(海の見える理髪店)や時計屋の主人(時のない時計)がお客に向かってみずからの来歴を物語るという構成も、何となく無理があるような気がしてしまった。「理髪店」の方は最後に「種明かし」があるのだが、そうだとすれば、お客(僕)のそれまでの反応は違ったものになるだろうという気がした。彼は判っていてこの店に来たのだから。
 この3編の中では、「成人式」の展開はちょっといいかなと思ったことは事実である。

 残る「いつか来た道」「遠くから来た手紙」「空は今日もスカイ」は上の3編より少し落ちるように感じた。この前2編は、主人公の思いがもう一つ書けていないと思った。
 「いつか」は、主人公の書き方に鮮明さが欠けるし、心理的推移が何となく一貫していないように思えて、スッとこちらに入ってくる感じがしなかった。
 「遠くから」は、その道具立てから「鉄道員(ぽっぽや)」所収の「角筈にて」や「うらぼんえ」をちょっと連想したが、あの見事さには遠く及ばないと思った。何よりも、ポイントである「遠くから来た手紙」のことがちゃんと書き切れていないのではないだろうか。
 「空は」は、小学3年生の女の子の一人称で書かれているが、これもまたそれなりに書けているのかもしれないが、わたしにはどことなく嘘くさい書き方だなと思えて仕方がなかった。それらしく書いているが実はそれらしくないといった感じである。

 どうもこの作者は、残念ながら私の感覚とは合わなかったということかもしれない。まあ、そういうこともある。
by krmtdir90 | 2016-08-02 14:18 | 本と映画 | Comments(0)

「コンビニ人間」(村田沙耶香)

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 先日、2016年上半期の芥川賞・直木賞が発表された時、作者・村田沙耶香については何も知らなかったが、このタイトルを見て読んでみたいなと思った。芥川賞は時々、話題性が先行してブレイクするような作品が受賞することがあるが(お笑い芸人・又吉直樹の「火花」がそうだった)、このタイトルはそれだけで話題性十分だと思った。野次馬としてはこういうのは外さずに読んでおきたいのである。

 芥川賞受賞作には時代状況をストレートに反映した作品というのも多い気がするが、それがどの程度の普遍性を持っているかがポイントになっていると思う。コンビニという、現代の生活インフラとして驚異的な浸透を果たした(いまや最もありふれた)場所を舞台にして、芥川賞を取ってしまうようなストーリーをどう構築してみせるのか、これは読書の動機としてなかなか興味深いものだったと思う。
 コンビニというところで、それを成立させ維持していくために日々どんなことが行われているのか、その内側を探訪するのは利用者としてはけっこう楽しいことであるに違いない。そんなところからスッと小説の中に入って行けるのは、この作品の強みだと思った。読み始めたら面白くて、まったくどこにも引っ掛かることなく一気に読み終えてしまった。読みやすさは直木賞並み?だが、しかしこれは確かに芥川賞だなと思った。

 現代の生きにくさといったものが何とも軽やかに、しかし実に鋭い視点で描かれていたのではないだろうか。周囲から「普通ではない」とされることで疎外感を味わう主人公が、完璧なマニュアルによって回転していくコンビニのバイトに生き方の指針と安定を見出していくという設定は、率直になるほどと納得させられた。マニュアルがなければ生きられないというのは否定的に捉えられることも多いが、マニュアルがあることが生きる救いになるということもあり得るのだ。
 主人公のプロフィールは次のようなものである。
 古倉恵子36歳、未婚。少女時代に自分の感性が「普通ではない」ことを知らされ、自意識を殺し防御的姿勢で生きることを選ぶ。大学卒業後も就職せず、コンビニバイトを始めて18年目。これまで男性経験なし。

 ストーリーはそんな主人公が、コンビニという「職場」で「楽しく」働いているさまを生き生きと描き出すことから始まる。普通に生きることができなかった主人公が、コンビニバイトという仕事に光明を見出す初日の感想は次のように描写されている。
 そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
 この感覚は新鮮である。周囲の世界に違和感を感じ続けた主人公にとって、みずからの危うい感覚や判断が問われることのない、完璧なマニュアルの存在が救いとなったことがよく判る感想になっている。「世界の部品になることができた」という感覚は、彼女にとってひどく切実なものだったのだと思う。

 だが、それから18年が経過したいま、そのコンビニで嬉々としてバイトを続けている主人公は、いつの間にか再び「普通ではない」存在として周囲に受け止められるようになっている。就職して結婚して子供が産まれてといった、「普通の生き方」を着々と進んでいる旧友たちとの再会の場面などに、主人公の現在のあり方は決定的に「ズレている」ことが露呈するのである。コンビニバイトであっても、周囲にとけ込めない主人公がとにかく働き始めたことを当初は喜んでいた家族も、そこから一歩も動こうとしない彼女のことをいつか諦めてしまったようにも見える。
 こうした「普通の世界の人たち」とのズレは、戯画化の一歩手前のところで、いかにもありそうなリアリティを持って描き出されている。主人公が大真面目である以上、彼我の「ズレ」は滑稽ではあっても笑いの対象にはなり得ないのである。

 全体の3分の1を過ぎたあたりで、白羽という(読者にとってはまったく不愉快な)男の登場でストーリーは大きく動き出すことになる。バイトの新入りとしてコンビニにやって来たこの男の醸し出す不穏な空気は、店長を始めとする他のメンバーの顰蹙を買い、結局「普通ではない」ものとして店から追放されて(クビになって)しまう。
 だが、読者として彼に感じる不気味とか不愉快といった感情は、現代社会にはこの手の厄介な敗残者(ダメ人間)が確かに存在していて、ネット上などに自己本位の勝手な理屈を撒き散らしたり、場合によると極端な反社会的行動でニュースを賑わせたりしている実感から来ているのだろう。主人公とは真逆に、世界からの疎外感が彼の自意識を病的に肥大させ、その被害者意識で結果的にみずからの居場所をなくしてしまったような存在である。

 ところが、この男に対して恐らく誰もが持つに違いない否定的反応が主人公には見られない。最初は意外な気もするが、みずからの自意識を限りなく縮こまらせている主人公からは、この男の攻撃性のようなものは理解しがたいことなのかもしれない。
 この両者の対比が、普通であることと普通でないことの境界線をぼやけさせ、まったく思いがけない展開にストーリーを転がしていく。このあたり、作者の仕掛けた巧妙な手口(設定の巧みさ)が見事に決まっているところだと思う。結果的に、普通であることと普通でないことの対立はより鮮明になり、主人公は白羽という男に引きずられながら、最終的には「コンビニ人間」である自分の「普通」に戻って行くことになるのである。展開の意外性からすれば、これは十分に説得力のある終わり方だと思う。
 だが、このラストが主人公にとってのハッピーエンドのように見えてしまうところが、この小説の一番怖いところなのかもしれないと思った。
by krmtdir90 | 2016-08-01 13:29 | 本と映画 | Comments(0)


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