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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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映画「オーバー・フェンス」

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 函館を舞台にした映画がもう一本公開されていた。そして、これは良かった。こういうのが好きなのだと思った。
 5回も芥川賞候補になりながら受賞叶わず、1990年10月、41歳で自死した佐藤泰志の最後の候補作の映画化だという。彼の小説は2010年に「海炭市叙景」、2014年に「そこのみにて光輝く」が映画化されていて、映画の企画者たちにとっては、この「オーバー・フェンス」が「函館三部作」の終章と位置付けられていたものらしい。わたしは「海炭市叙景」の原作を読んだことがあるだけで、他の作品を(「オーバー・フェンス」も)読んだことはないし、これらの映画も見てはいない。だから、書けるのはこの映画のことだけで、原作や他の映画との比較などはできない。

 主人公の白岩(オダギリジョー)は40歳ぐらいのバツイチの男で、妻子と別れたあと故郷の函館に戻り、職業訓練校(建築科)に通いながらも目標のない孤独な生活を送っている。ヒロインの聡(蒼井優)は昼間は函館公園の遊園地でアルバイトをし、夜はキャバクラでホステスをしていると設定されている。
 映画は一言で言ってしまえばこの2人の「恋物語」なのだが、一方で職業訓練校に通う様々な過去を持った男たちの姿を克明に描くことによって、一種の屈折した「青春」群像劇ともいうべき側面を作り出している。この側面がことのほかいいのである。

 実際、職業訓練校に通っているということは、みんな過去に手痛い失敗を経験しているということであり、訓練を受けているからと言って、彼らの先に何らかの見通しがあるわけでもないのである。日々の訓練校の生活に漂う鬱々とした澱んだ空気を、この監督(山下敦弘)は非常に丁寧に掬い上げている。お互い過去の挫折やいまの立ち位置には触れないようにして、それでも同じ授業を受け、喫煙室でよもやま話をしたり、放課後ソフトボールの練習をしたりする中で、それぞれの距離の遠近を確かめているような感じ。一線を踏み越えないように気を遣いながら、徐々に醸成されていく連帯意識のようなものである。
 この映画は説明をしない。映像として写し取られたものの積み重ねが、自然に彼らの状況を明らかにしていく。その巧みさは、監督と脚本(高田亮)がぴったり呼吸を合わせて作り出したものに違いない。この描き方に思わず引き込まれた。

 この群像の中に主人公・白岩を置き、そことの関わりの中でヒロイン・聡に出会うというかたちにしたことが2人の恋を鮮明にし、ストーリーの展開を豊かなものにしたと思う。
 白岩の人物造形は原作とかなり離れたものになっていたらしいが、聡の方は原作をまったく離れた映画独自のイメージに作り上げられていたらしい(原作を読んでいないから、プログラムの評言などからの情報なのだが)。聡は潔癖性のような情緒不安定の面を持った少女だが、不意に鳥の求愛ポーズをダンスにし始めるような、その感情表現の振幅の中で時折見せる無垢な印象が白岩の心を惹きつけていく。しかし、そのことは彼の行動としてことさら強調されることはなく、白岩は珍しいものでも見るように聡を見詰めているだけである。

 もちろん、この「恋」は一筋縄では行かない。白岩がバツイチの過去に囚われていることは明らかだし、聡の過去や現在も(ヤリマンと馬鹿にされたり)思い通りにならない屈折を抱え込んでいるのである。そんな2人が初めて距離を縮める夜の小動物園のシーンに、監督・山下敦弘は不思議なファンタジーを用意する。白頭鷲(ハクトウワシ)の求愛のダンスを踊る聡とそれを見る白岩の上に、白い無数の鳥の羽根を降らせるのである。この表現をわたしは手放しでいいとは思わないが、とにかくこの晩2人は不器用ながら結ばれることになる。
 そして、その終わった後の展開が、白岩と聡の隠れていた闇の部分を浮かび上がらせることになってしまう。詳しくは書かないが、聡の突然の感情的暴発によって、彼女の鬱屈した潜在意識と白岩のバツイチの真相が明らかになるのである。そのことがお互いの現在を傷つけ、聡の激しい拒絶によってこの恋は一旦は終わりを告げる。

 しかし、この映画は2人の恋だけを描いているのではない。代わり映えのしない訓練校の日常があり、訓練校の若手2人(原とシマ)に白岩が誘われた焼き肉屋のシーンが続く。同席した若い女2人とシマ(松澤匠)の会話にキレかかる白岩。取りなすように、別の店で飲み直そうと白岩を連れ出す原(北村有起哉)。こうして要約してみても何も表すことはできないと思うが、映画の流れの作り方の絶妙さは見事なものなのである。
 次に、眠りこけた白岩が小さな男の子に揺り起こされるカットで、彼が原の家に泊まってしまったことが明らかになる。引きのカットになると、彼の妻が朝食の用意をしている。お互いの素性や生活などには踏み込まないはずの訓練所の人間関係の中で、思いがけず明かされる一人の男の事実である。ストーリーの本筋とは関係がないこうしたシーンが、映画を実に豊かなものにしている。

 映像というのはたった一つのカットですべてを映し出す。この家庭の生活程度がどんなものなのか一目で判る。この家庭が温かなものであることが自然に伝わる。軽薄に見えた原という若い男が、どんな思いで訓練所に通っているのかといったことまで想像されてしまうのである。それに比べて自分は、と白岩が考えたかどうかは判らない(たぶん考えただろう)。
 書き始めるときりがなくなってしまうが、朝食時の男の子の悪戯で原の背中に立派な刺青があることが判ったりする。市電に乗って訓練所に向かう2人の会話で、原が若い時の無軌道を照れながらちょっとだけ明かす。見ながら、巧いなあと思わずにはいられなかった。プログラムの末尾に採録シナリオが掲載されていて、帰ってから読んでみたが素晴らしい本だと思った。脇役にもまったく手抜きがなく、それを的確に映像化して積み重ねた監督の力量にも感心した。

 映画は訓練所の日々を軸にして、それぞれに印象的な多くのシーンを積み重ねていく。大学を中退した過去を持ち、仲間と打ち解けようとしない不器用な森(満島真之介)という男のエピソード。白岩をキャバクラに誘い、聡との出会いのきっかけを作る代島(松田翔太)という掴み所のない男。老後の楽しみで通っているとしか言いようのない飄々とした勝間田(鈴木常吉)という老人など。みんなに小さな見せ場が用意されていて、単純な脇役にならないよう、それぞれの抱え込んでいるものに想像が向けられるような作りになっている。
 もちろん白岩の日常はじっくり描き込まれているが、そういう意味でミステリアスな部分を残していたのが聡ということになるのだろう。それが見えてくる過程が映画の芯であり、恋の行方ということになるのだが、ストーリーとしては白岩が吹っ切ることができない妻(優香)の存在にも決着をつけることが必要だったことになる。

 久しぶりに会う妻は明るく落ち着きがあり、かつて生まれたばかりの子どもに枕を押しつけて殺そうとしたなどということは、観客には到底信じられないのである。見えてくるのは、白岩が彼女を追い詰めていたという事実である(このことは少し後で、聡の存在を思いながら自転車を走らせる白岩の心の独白として、画面外から短く語られることになる)。
 この妻との再会シーンを聡に盗み見させ、ロングの2人(白岩は泣いている)の手前に走り去る聡の赤い車を切り取ったカットは素晴らしかった。白岩と聡が一旦終わった恋をどのように再燃させていったのかについては、ここでたどり直すことはしない。蒼井優が素晴らしい表情の振幅を見せて、聡というヒロインの魅力を演じ切ったのは確かであるが、それを引き出した監督と脚本の力も大きかったと思われる。

 映画は訓練所のソフトボール大会がクライマックスになっている。聡が白岩の誘いに応じて応援に来るのかどうか、白岩が聡に約束したホームランを打てるのかどうか、この2つが最後に設定されたストーリーの「壁」なのだが、もちろんこの映画がハッピーエンドに終わるだろうという予感は、これまでの展開や描き方の中に周到に埋め込まれていたから、あとはそれをこの監督がどう見せてくれるのかという一点だったと思う。
 聡の登場は美しかった。ワクワクした。蒼井優が聡の可愛さを全身で表現していた。アップを使わずややロングにして、彼女の動きのすべてを距離を取って写し取ったカメラが秀逸だった。
 白岩が打った打球は、その軌跡を追う多くの人々の表情で表現された。それは間違いなくオーバー・フェンスすることを信じさせてくれるものだったが、そのことが判明する前に映画は終わるのである。フェンスを越えていくことが様々な登場人物にとって明らかな比喩になっている以上、そこを描かないのがこの映画の奥ゆかしさなのだと思った。見終わったあとに爽やかな満足感が残った。いい映画だったと思った。   
by krmtdir90 | 2016-09-28 17:54 | 本と映画 | Comments(0)

映画「函館珈琲」

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 題名で釣られてしまった映画である。題名に函館みたいな素敵な町の名前を入れて、それに珈琲と来たら釣られる人間は絶対いるだろう。ただし、これはローカルとマニアックの狭い世界に観客を限定してしまうことにもなり、わたしは釣られたけれど、釣られる人はそんなに多いとは思えない。
 1995年に始まった函館港イルミナシオン映画祭というものがあり、その一環であるシナリオコンクールで函館市長賞というのを受賞したシナリオの映画化らしい。そういうことがずっと行われていて、そこから地域の応援を得てオリジナルのストーリーが映画化されるのは素晴らしいことだと思うが、それと映画の善し悪しとはまた別のことである。

 映画を見ながら、これはいろんな意味で説明的な映画だなと思った。たとえば登場人物たちの来歴について、曖昧ではあるがそれぞれに説明がつけられている。また、カットの割り方やシーンの作り方も一々説明的だし、この監督(西尾孔志)は映像を自由に駆使して表現を重ねていくような、映画製作の技術をまだ手に入れていないと感じた。
 一方、出来上がった映画からシナリオ(いとう菜のは)の元の姿を想像するのは難しい。登場人物のことなどはシナリオにも説明的な要素があったのだと思うが、監督がそれをどう料理するかというところで、シナリオはどのようにでも姿を変え得るものだからである。シナリオが手許にないから断定はできないが、この映画が説明的で、もう一つ魅力に欠けると感じられてしまった責任の多くは監督の方にあるだろうと思った。

 シナリオはアマチュアが書いたものとしては、きわめれ良質のストーリーを作っていたのではないか。珈琲を始めとしてトンボ玉、テディベア、ピンホールカメラ、バイクといった、用意された小道具は陳腐な感じもするが、雰囲気作りにはそれなりの役割を果たしていたと思う。ストーリーとしては、大きな事件は何も起こらない一方、絶望的状況も運命的幸運も訪れない。若い男女が一つ屋根の下に生活しても恋愛一つ生まれない。たぶんこの作者は、昔からよくあった若い人間の「自分探し」を、函館というローカリティーの中で描こうとしたのだろう。
 そういう意味で、特段ユニークというストーリーではないし、人物の設定やその絡み方、展開の仕方などもアマチュアが精一杯考えて組み立てた感じがする。でも、映像にするに当たって、もう少し魅力的にすることはできたのではないかと思った。説明的な映像を撮り、説明的な編集をしてしまったのは監督なのだろう。

 ストーリーの最後で、東京に帰ることを決意した桧山(黄川田将也)が、荻原(夏樹陽子)の説得で一転して函館に残り、喫茶店を開店してそこのマスターに収まるという展開はどうなのだろう。函館で開催されたコンクールのシナリオで、函館の映画祭が後押しした映画化では仕方がないのかもしれないが、そんな簡単に解決してしまうの?という疑問が残ったのも事実である。
 みんながいい人であり過ぎて、そのことを押し売りするような大団円は、喫茶店の繁盛する様子や執筆を再開する桧山の様子を映し出しても、何となく嘘くささが先行して納得できなかった。全体を淡々と描くのはいいのだが、登場人物の捉え方が表層的で類型的と言うしかないのは、恐らくシナリオと監督の両方にあった弱点なのだろうと思った。
 登場人物に「函館は時間の流れ方が違う」というようなセリフを言わせてしまうのも、その感覚は判るのだけれどやはり興醒めだし、そういうことは言わずにその感じを出して欲しかったと思った。
by krmtdir90 | 2016-09-27 13:15 | 本と映画 | Comments(0)

高校演劇2016・比企地区秋季発表会(2016.9.24)

 24日、東松山まで小さな旅をしてきた。埼玉県高等学校演劇連盟・比企地区秋季発表会が、東松山市民活動センターで開催されたので、コピス仲間の東京農大第三高校の舞台を応援に行ったのである(ただ見ていただけだけど)。

 これが東武東上線東松山駅。
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 これが会場の東松山市民活動センター。
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 せっかく行くのだから、農三だけでなく午後に上演した4校の舞台を見せてもらった。以下、上演順に感想を。

鳩山高校「オリオンは高くうたう」
 高校演劇における内木文英氏の名作と言われているが、いまとなってはさすがに台本として古くなってしまった感は否めない。しかし、鳩山の生徒はたった4人のキャストで、一生懸命この台本に取り組んでいた。でもセリフも身体も固くて、まだまだ足りないところはいっぱいあると思ったが、それを具体的に指摘するのはわたしの役割ではないだろう。これからもがんばってください。

東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」
 昨年の「もしイタ」で大きく成長した農三が、再び畑澤聖悟氏の台本に挑んだ。昨年も難しい台本だと思ったが、今年のはそれに輪をかけて難しい台本だと思った。実際の上演で、舞台上にストーリーの芯を通すのが非常に難しい本だったのではないだろうか。
 しかし、農三の生徒諸君はそれを見事にやって見せてくれた。放射性廃棄物、いわゆる核のゴミの問題について扱った、きわめてメッセージ性の高い台本だと思うが、台本の中に仕掛けられた様々な要素をきちんと消化して、笑いの中にもしっかりとした主張を浮かび上がらせていた。
 見に来て良かったと思った。細部に磨きをかければまだまだ良くなると思った。細かな感想は飲みながらF先生に伝えてあるので、ここにもう一度くどくど書くことはしない。でも、県大に向けて大いに期待したい舞台だったと思う。

松山高校「ここでは死ねない!?」
 2人芝居だが、このキャストは演技というものについて大きな思い違いをしているような気がして仕方がなかった。自分たちが納得しているだけで、客席には何も届いてこない。だから、これ以上書くことが思い浮かばない。

松山女子高校「千里だって走っちゃう」
 女子だけで男女入り混じった台本をよくやったと思うが、全体として見ると雑然としている印象が強かった。どういう作りにしたいのかということが絞れておらず、力の入っているところと抜けているところが混在している感じがした。キャストは熱演だったし、一生懸命やっていることは伝わってくるのだが、どうも一生懸命やることばかりが自己目的化してしまい、何のためにそれをやるのかという冷静な計算が足りなかったような気がした。

 日程終了後、審査員をやったSさん・Tさんと、東松山名物のやきとり屋で飲んだ。途中から農三のFさんも合流して、楽しい時間を過ごした。
 と、これで終わるはずだったのだが、終わりごろになってわたしの体調が悪くなってしまって、みんなに迷惑をかけてしまった。結局、Fさんに面倒をかけて、東松山のビジネスホテルに一泊してしまった。最初に小さな旅と書いたのはそういうわけだからである。
 飲み過ぎたわけでないので、やはり体力が落ちているということなのだろうか。う~む。

by krmtdir90 | 2016-09-25 22:05 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(5)

映画「後妻業の女」と原作「後妻業」(黒川博行)

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 映画「後妻業の女」(監督、鶴橋康夫)を見たのは9月15日である。この映画は黒川博行作品としては初の映画化だったらしい。テレビドラマになったものはたくさんあるようだが、あの疫病神シリーズが映画化されていないのは意外な気もした。ただ考えてみると、活字だからこそ生まれる黒川作品独特の雰囲気は、すべてをリアルに映し出してしまう映像となると、その美点がかなり歪められ失われてしまうかもしれないと思った。
 映画「後妻業の女」は原作が黒川博行だから見に行ったのだが、率直に言ってそれほど面白い出来とは思えなかった。大竹しのぶ、豊川悦司、永瀬正敏といったところは大変存在感のあるいい演技を見せていたと思うが、映画全体から黒川博行らしさというようなものはあまり感じられず、題材のえげつない風俗的側面ばかりが際立っているような感じで、あまり楽しいものとは思えなかった。

 小説「後妻業」は「破門」で直木賞を受賞した黒川博行の受賞第一作だったが、店頭で単行本を見た時、題材に興味が持てず購入する気になれなかった作品である。今回の映画化を機に文庫本になったらしく、映画の写真を配した全面帯を掛けられて書店に平積みされていた。映画を見て面白かったら読んでもいいかなと思っていたが、実際は面白くなくて逆に原作を読んでみようという気になってしまった。黒川博行はこんなものではないだろうと思ったのである。

 映画は後妻業の女・小夜子の年齢を少し若くして、大竹しのぶをキャスティングしたことからも判る通り、あくまでそこにスポットを当てたストーリー展開になっている。原作の方は予想通り、探偵・本多(映画では永瀬正敏)を中心に、小夜子を追い詰めていく側に力点のある展開(書き方)になっていた。小夜子と結婚相談所所長・柏木(豊川悦司)は向こう側にいて、その悪の所業の数々が徐々に明らかになる過程を、黒川博行独壇場のスピード感で描き出していくのだった。
 やはりそうだよなと思った。映画では、上映時間の関係もあったのだろうが、9番目の夫・中瀬耕造(津川雅彦)の部分に絞り込んで描いていたため、本多が小夜子と柏木の過去に一つ一つ遡っていき、見えていなかった事実が次々に暴かれていくスリリングな展開は犠牲になってしまったのだ。原作を読んで、黒川作品の面白さが再確認された。

 ただ、黒川博行の書くものとしては若干の物足りなさが残ったのも事実である。映画で小夜子は死なないが、原作では死ぬ。これまで多くの男たちを殺してきたのだから、原作の展開としては死なせるしかなかったのだろう。しかし、疫病神シリーズを始めとして黒川博行の世界では、どんなに欲の皮の突っ張ったえげつない人間を描こうと、人は死なないことが読後の爽快感につながっていたと思う。そういう意味で、この「後妻業」の読後の印象はあまり良くなかった。
 本多が追いかけるのは小夜子に関わった男たちの死の真相であり、そうであればそこで交わされる関西弁の会話からも、黒川作品特有のユーモアは生まれようがないのである。映画では笑いのあるシーンがけっこう作られていて、客席からも時々苦笑のような笑い声が聞こえていたが、それはもちろん黒川博行が作り出してきたユーモアとは異質のものである。無理に作られた品のない笑いのような気がして仕方がなかった。
 疫病神シリーズで二宮と桑原が作り出した笑いには、2人には似つかわしくない言い方かもしれないが品があったと思う。2人が懐かしい。
by krmtdir90 | 2016-09-22 10:54 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

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 フランスで大ヒットした「社会派ドラマ」だという(監督、ステファヌ・ブリゼ)。ヴァンサン・ランドンという俳優が演じるティエリー・トグルドーという51歳の男が主人公。工作機械の操作員をしていた彼が会社からリストラされてすでに1年半が経過したが、依然として次の就職口が見つからず失業状態が続いているという設定である。ハローワークに通い、研修を受けて資格を取ったり、何度も面接を受けたりしたようだが、そう簡単に実を結ぶものではない。フランスの失業率は近年、ずっと10%近くで高止まりしているらしい。
 映画は、このティエリー・トグルドーの「憂鬱」な日々をドキュメンタリーのように写し取っていく。その映画としてのスタイル、映像表現の仕方はきわめて特徴的なものである。

 まず、画面サイズがシネマスコープだった。題材的にはスタンダードかビスタサイズではないかと思っていたが、そうではなかった。この横長の画面で、その撮影はほとんどがワンシーンワンカットの長回しで行われていた。
 ワンシーンがワンカットというのは、いまの映画としてはきわめて意図的に行われたものと考えるべきだろう。しかも、その大半がバストショットなど人物のみを切り取っていて、時々左右にパンしたりすることはあるものの、カメラを引いてその場面全体を示すことはほとんどないのである。いわゆる説明的なカットの排除も、この映画の大きな特徴になっている。

 映画の冒頭は、いきなり係員に何か文句を言っているらしいティエリーの姿を映し出す。そこがハローワークであることは話の内容からすぐに判るのだが、最初にその建物を写したり、部屋の様子を説明的に写したりすることはないのである。カメラが少しパンして係員の方に向くこともあるが、おおむねティエリーの姿が中心に写され、あまり表情のない彼の(喋る様子や相手の言葉を聞く)表情をずっと見詰め続けるのである。
 そうすると観客は、そのやり取りから彼の置かれた状況について基本情報を得ると同時に、彼がこれまで何度も何度も足を運んだこの場所でどんな思いに苛まれていたのかということについて、自然に想像を巡らさずにはいられなくなるのである。

 また、ティエリーには妻と知的障害があるらしい高校生の息子がいるが、これも説明的な(家の外観を写したり部屋の様子を捉えたりするような)ショットは一切なしで、3人が食事をするシーンがいきなり始まるのである。3人は食卓を囲んでいるが、このシーンではティエリーは左端にほとんど見切れていて、息子の左肩越しに妻の正面が捉えられているという、不思議なアングルのワンカットでシーンが作られていく。
 息子が障害者であるというのはティエリーにとって一つの負担ではあるのかもしれないが、そうした事実を越えて、家族は彼の「憂鬱」の救いでありささやかな憩いであることが、ワンカットの長回しのうちに次第に見えてくることになる。ティエリーは見切れた位置から、妻と息子をそういうふうに見ていることが判ってくるのである。

 その他のシーンを含めて、どのシーンでもティエリーの思いが判るだけの時間を、シーンの尺が保証してくれている。どのワンシーンも十分すぎるほど長めに取られているから、観客の想像力はティエリーの思いを十分に考えることができるのである。
 だから、映画の始まりから中盤にかけて、シーンの数はそんなに多くはない。むしろ非常に少ないシーン数(しかし尺としては非常に長いワンシーンの積み重ね)で、ティエリーの置かれた状況と彼の思いを鮮やかに浮かび上がらせて見せるのである。

 これまで、解雇された仲間たちと会社を相手取った裁判について準備してきたようだが、長期に渡る闘争で気力の続かなくなったティエリーが、仲間を抜けたいと表明するカフェでのやり取りのワンシーン。また、再就職のためのセミナーのようなものに参加して、自らの模擬面接の映像に対して他の参加者や講師から厳しい批評を受ける、心が折れそうになりつつも必死に我慢しながら聞き続ける彼の姿を捉えたワンシーンなど。
 一回見ただけでは全部のシーンを振り返ることはできないが、基本的に表情もさして豊かではなく言葉も少ないティエリーの内面が、長回しのワンカットにこだわることで実に鮮明に映し出されていく。これは、この映画の選んだ手法の勝利と言っていいのではないだろうか。
 こうした方法で浮かび上がってくるのは、拡大する格差社会の中で、ティエリーは失業という最悪の事態に直面して心理的に追い込まれているという事実である。それは決して大仰な身振りで表現されているのではない。むしろきわめて淡々と、しかしわれわれにも身近な日常的リアリティを持って表現されているのである。

 映画の中盤を過ぎたあたりで、ティエリーはようやくスーパーマーケットの監視員という職を得るのだが、採用に至る過程などは一切省略して、映画はいきなり監視員になったティエリーの姿にシーンを繋いでしまう。ネクタイを締めスーツ姿で売り場を巡回したり、監視カメラをチェックして万引きを発見したりする仕事である。
 彼がこの仕事をどう感じているのかはしばらく判らない。ティエリーは無表情な男だし、口数も極端に少なく、新しい同僚とすぐに打ち解けるような男ではないからである。しかし、ようやく職を得たことによって家族にはホッとした雰囲気が流れたことを、妻とダンスを踊るところに障害のある息子が割り込んでくる微笑ましいワンシーンで表現する。
 ただ、息子については、成績が下がって進路希望の実現が難しくなったという話し合いを、担任を交えてする学校のシーンが挟み込まれたりして、すべてが順調というわけにはいかないようだ。

 映画の終盤近くになると、淡々と進んできたティエリー・トグルドーの物語は徐々にざわつき始める。監視員の仕事の様子が克明に映し出され、特に万引き犯を裏の小部屋で問い詰めるシーンが2例ほど連続する。ティエリーが問い詰めるわけではないが、そこに同席することで自分の立ち位置が確認されることは、けっこう負担になっている感じが読み取れるのである。
 肉を盗んだ老人は、買い取るお金がないことから警察に通報されることになる。無一文の社会的弱者であっても、事情を斟酌して許すという選択肢はない。勤続20年のレジ係が割引クーポンを不正に集めていたということが発覚し、この小部屋で店長から解雇を言い渡される場面にも、ティエリーは同席することになる。この女性が数日後、店内で自殺するのである。
 映画としては、会議室のようなところに従業員が集められ、本社から来た人事担当から彼女の自殺はこちらとは無関係であるという話を聞かされるシーンが置かれ、それを聞くティエリーの固い表情が映し出されるのである。

 続く葬儀のシーンの長回しが捉えるティエリーの「憂鬱」な表情は、彼の中に大きな疑問が生まれていることを感じさせる。会社という大きなシステムの中では、小さな不正(会社にとっての不都合)であっても容赦なく切り捨てていく現実がある。そして、好むと好まざるとに関わらず、その手先のようになって動かざるを得ない自分とは何なのか。
 しばらくして再びレジ係の女性が連れて来られ、自分のポイントカードをスキャンさせてお客のポイントを横取りしていた事実が発覚する。上司に報告すると同僚が出て行ったあと、残されたティエリーにレジ係の女性が小さく「あなたでも上司に報告する?」と聞くのである。
 一瞬の間があった後、ティエリーは無言で小部屋を出て行く。ロッカールームで私服に着替える。外に出て自分の車に乗り、社員用駐車場を出て行く。ここで映画は唐突に終わる。

 ティエリー・トグルドーはこの先どうなるのだろうか。職務を放棄したことは確かなのだから、レジ係の女性がどうなるかは別にしても(万引き犯ではないから、逃げられてしまうことはない)、厳しく問い詰められるのは確かなことである。彼はこの仕事を辞めてしまうのだろうか。再びあの苦しい失業状態に逆戻りするのだろうか。
 巨大なシステムの中のちっぽけな歯車が、人間的な矜恃を守ることは簡単なことではない。無責任な感想なら、彼には後のことなど考えず、会社を辞めてそれを守って欲しいと言えるけれど、そんな単純な問題ではないことも明らかなのである。ティエリーが消えても、すぐに別の誰かがその仕事を引き継ぐことになるからである。
 重い問いを残す映画だった。
by krmtdir90 | 2016-09-21 14:09 | 本と映画 | Comments(0)

高校演劇2016・西部A地区秋季発表会(2016.9.17~18)

 17・18の2日間、埼玉県高等学校演劇連盟・西部A地区秋季発表会(朝霞コミュニティーセンター)にお邪魔してきた。今年は審査員はお役御免になったので、野次馬気分での気楽な観劇だったが、発表会そのものはコンクールの地区予選になっているから、感想文はそれなりの気遣いをして書かなければならないだろう。とはいえ、今回は審査員の講評に違和感を覚えることはほとんどなかったので、それを踏まえつつ、基本的にはいつもと同じに率直に書かせてもらうことにする。では、上演順に。

細田学園高校「桜井家の掟」
 昨年の春、途絶えていた演劇部を復活させ地区復帰を果たした細田学園が、今年は部員も増えて、登場人物の多い本格的な舞台作りに挑戦した。
 まず、舞台にしっかり壁パネルを立てたことを評価したい。大変だからと壁を省略してしまう学校も多い中で、こうした地道な作業を続けることには大きな意味があると思う。ただ、せっかく作るのであれば、9×6の基本サイズに取り組んで欲しかったし、出入口の作り方とか窓の切り方などについても、事前にしっかり考えた方が(勉強した方が)良かったのではないかと思った。
 一方、キャストはまだ修行が必要だと思った。照れが克服できていないし、セリフのやり取りもまだまだできていなかった。台本をしっかり読み込み、覚えたセリフをちゃんとやり取りにしていくためにどんなことが必要なのか、生徒と顧問でよく話し合い、たぶん稽古の仕方も工夫する必要があるのだろうと思った。

朝霞西高校「ベターハーフ」
 鴻上尚史の台本だが、難しい台本を選んでしまったものである。率直に言って、高校生には太刀打ちできない本ではないかと思う。もちろん背伸びすることを否定はしないが、それでも自分たちなりに実現できる切り口を見出してから取り組むのでないと、きわめて中途半端なものしか作れない結果になってしまうと思った。
 コピスの時から代替わりして、今回は2年生1人、1年生3人でキャストを組んだ。しかし、まだ基本的なセリフ術とも言うべきものが身に付いておらず、向かうべき方向は判っていたのかもしれないが、セリフのやり取りなどもまだギクシャクして苦しい感じがした。
 いろんなイスを並べた舞台にも統一感がなく、照明のエリア明かりもうまく作れていなかった。力のある学校なのだが、今回はもう少し身の丈に合った台本選びをするべきだったのではないかと感じた。残念な舞台になってしまった。

和光国際高校「あの雲は夏の名残り」
 顧問創作のようだが、この台本には問題が多かった。講評で審査員も指摘していたが、台本全体で何を描きたかったのかが絞り切れておらず、細部の作りにも綻びやご都合主義、問題のある表現などが散見された。それに気付けない生徒も問題なのではなかろうか。
 和光国際には柔道部があるのかどうか知らないが、この台本の描き方(ストーリー展開)は柔道に一生懸命取り組んでいる生徒に対して失礼だし、彼らの努力を傷つけていると感じた。相手校の振るう陰湿な暴力や審判を笑いものにするような戯画化は、柔道関係者を侮辱するものとして看過できないと思った。顧問も生徒も、そういうことに気付かなかったのだろうか。
 本来、舞台作りのノーハウは判っている力量のある生徒たちだと思うが、技術的にどんなにしっかりしたものを作っても、舞台上でこんなことをしてはいけないということが判らなくては、誰も評価はしてくれないだろう。こうしたやり方で観客を感動させられると思ったら大間違いだし、ぜひみんなで考えてほしいと思った。

新座高校「パヴァーヌ」
 新座高校の芝居作りの方向性は間違っていない。今回の台本でも、キャストの生徒たちは舞台上にとてもリラックスしたいい雰囲気を作り出していた。セリフのやり取りやストーリーの山場の作り方などで、いつも物足りないところは感じてしまうのだが、やろうとしている方向はきちんと見せてくれているので、見終わった後に彼らに対する共感が残るのである。
 今回、講評の中で審査員に「アキの死因を考えたか」と質問され、「考えていなかった」と答えるしかなかったところに、新座の芝居作りに足りなかったことが見えたのではないかと思う。
 いつもいい台本を選んでいるのだから、顧問と生徒でもっともっと台本を読み込み、セリフや動きの意味を突き詰めることが必要なのだろう。それが足りなかったことが、いつも感じる物足りなさの理由だったのだと思う。部員も増えているようだし、顧問の先生も熱心にやっているから、次の舞台を期待して待ちたいと思う。

朝霞高校「ハルシオン・デイズ」
 いまの朝霞では、鴻上の台本は無理ではないかと思った。鴻上の台本をどう読み、どう作ればいいのかということが判っていないし、自分たちなりの切り口もまったく作れていなかった。キャストもまだまだだし、舞台の作り方も疑問だらけのものになってしまった。
 月の映像を映し出すあのスクリーンは必要だったのだろうか。骨組みの角材を剥き出しにして(黒く塗ったからいいというものではない)、重しの砂袋も丸見えで、サス明かりが点いた後の芝居では無用の長物と化してしまう。製作にはずいぶん時間がかかったと思うが、だからといって実際に使ってみた後で、こんなものは邪魔なだけだと気付けない芝居作りでは仕方がないのではないか。
 単サスの使用などもあまり効果的とは言えず、そんなことよりキャストを(テンポややり取りなどを)しっかり作らなければどうにもならないだろうと感じた。伝統の朝霞はどうしちゃったんだ。

新座総合技術高校「第52回オカルト部会議」
 生徒創作である。キャラやストーリーがゲーム(あるいはマンガやアニメ)のように発想されているので、芝居の台本にはなっていないことに気付かなければいけない。どんなことでも可能なゲーム世界と異なり、舞台で演じるには様々な制約があるということである。セリフとはどういうもので、どういうふうに書かなければいけないのかといったことについて、もっと勉強してほしいと思った。
 キャストが精一杯工夫を凝らしていたことは判ったが、舞台の制約(それは舞台の可能性の源泉でもあるのだが)が判っていないことが当人たちの意図を裏切ってしまい、結果的には非常に内向きな自己満足に終わってしまったように思う。
 生徒創作の意欲を否定はしないが、周囲の大人がそれらの錯覚を指摘してやらないと、意欲は空回りして成果のないものになってしまうのではないかと感じた。

新座柳瀬高校「Love & Chance!」
 顧問が日ごろ標榜する「後に何も残らない」正統的なラブコメディとして、きわめて完成度の高い台本だと思った。キャストもみんな(凹凸なく)しっかり作れていて、いつものように耳に快い発声でセリフをやり取りしてくれるので、安心して見ていることができた。
 問題はやはりラストの作り方だった。目指しているのは大衆演劇なのだから、観客にカタルシスを与えてくれる作りをしなければいけない。シルヴィアとドラント2人だけのエンディングでは観客は納得しないのではないか。ストーリーがそこで閉じるのは判るけれど、観客はアルルキャンとリゼットのカップルにより大きな拍手を贈りたいのだ。そのあたりの見極めができていなかった。ラストはオルゴン伯爵を始め全員を舞台に出して、しっかりしたフィナーレを作って欲しかった。
 あと、音楽のことはわたしはあまり判らないのだが、今回はラストを含めもう少し魅力的な(ワクワクする)音楽が欲しかったように感じた。

 日程終了後の飲み会の席で、審査員が選んだ地区の上位2校が発表された。2人の意見が一致して5分もかからず決まったということだが、わたしの感想とも一致していて納得できるものだった。ブロックとしてはこのあと他地区の結果を待たなければならないが、何とか2校がこのまま県大に行ってほしいと願っている。皆さん、お疲れさまでした。
by krmtdir90 | 2016-09-19 21:25 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(3)

映画「健さん」

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 映画俳優・高倉健について、20人以上の関係者にインタビューして構成したドキュメンタリーである。それはもちろん高倉健の素晴らしさを跡付ける作業であるが、彼のどういう部分にスポットを当て際立たせるのかという点で、作者の考え方が色濃く反映されるものになるはずである。
 この映画の監督・日比遊一はニューヨーク在住の映像作家(写真家)で、30年もの間、かの地を拠点に活動を続けてきた人らしい。このことは当然、この映画の視点をどこに置くかということに大きな影響を与えている。普通に日本国内にいて高倉健を見続けてきた批評家や映画監督とは、明らかに異なる切り口が設定されていると思った。それは高倉健を、国際的に見ても希有な映画俳優だったと証明しようとする姿勢である。監督はプログラムのインタビューで、「日本には三船敏郎以外にも、こんな素晴らしい俳優がいるんだということを伝えたかった」と述べている。

 この視点から、この映画では高倉健が出演した外国映画が、かなり大きなウェイトを占めて取り上げられている。アメリカ映画の「ザ・ヤクザ」(1974年/シドニー・ポラック監督)や「ブラック・レイン」(1989年/リドリー・スコット監督)、中国との合作映画「単騎、千里を走る。」(2006年/チャン・イーモウ監督、降旗康男共同監督)などである。
 「単騎、千里を走る。」で高倉健と共演したチュー・リンが、高倉健にまつわる日本各所を(たとえば東映の撮影所とか、彼が主演の任侠映画を上映する場末の映画館とか、彼が通った福岡の東筑高校とか、いずれも一人無言で)訪ねて回るシーンが映画の節目節目に挿入され、高倉健を追悼するイメージとしての役割を果たしている。また、「ブラック・レイン」で共演したマイケル・ダグラスへのインタビューは、本編の中核を成すようにやや長めに配置され、この映画のワンシーン(別れの場面)がきわめて重要なものとして(高倉健の演技の鍵を握るシーンとして)取り上げられている。

 この他にも、マーティン・スコセッシ、ポール・シュレイダー、ヤン・デ・ボン、ジョン・ウーといった蒼々たる面々が高倉健の魅力について語っており、監督・日比遊一の意図は非常に明快なかたちで貫かれていると思った。それはもちろん素晴らしいことだが、日本映画における俳優・高倉健という視点が若干手薄になってしまったことは否めない。
 降旗康男、山田洋次、評論家・川本三郎といったところがそれを語っているが、監督・日比遊一がそこを深掘りしようとしていないのは明らかだし、そういう意味でバランスを取ろうという姿勢は最初からなかったということなのだろう。だから、この点を物足りないと感じたのは事実だとしても、それをこの映画に求めるのは筋違いになると思われる(なお、細かな発言内容は忘れてしまったが、この中で山田洋次の高倉健理解は、表層的でピント外れの印象を受けたことは書いておきたい。わたしは「幸福の黄色いハンカチ」を認めていないのだから、これはまあ仕方がない)。

 日本側のインタビューで監督・日比遊一が力点を置いたのは、生前あまり知られることがなかった私人としての小田剛一の姿を浮かび上がらせることだったと思われる。そのために選ばれたのは、梅宮辰夫、立木義浩といった有名人の他に、八名信夫、山下義明、西村泰治といった、無名だが(若い頃、脇役として高倉健の映画に出たことなどが縁となって)何十年の長きにわたり高倉健と交際があった人々である。
 彼らは様々な場面での高倉健との思い出を語ってみせるが、特に梅宮辰夫の紹介するエピソードや、現在は京都でガソリンスタンドを経営する西村泰治の語る高倉健の素顔は印象的である。また、高倉健が行きつけにしていた喫茶店の主人夫婦の言葉や、実妹が(実際に出演して)語る家族にしか判らない思い出なども紹介されていて、こうしたところから浮かび上がる小田剛一としてのイメージは、高倉健の人間的温かさといったものの総体をよく記録に残したと思った。
 これまで高倉健の人間的魅力というのは案外ステロタイプでしか語られてこなかったことを考えると、この点は、監督・日比遊一がこの映画で初めて描き出した大きな成果の一つに違いない。

 なお、この映画は9月6日に鑑賞したものです。旅行記連載の途中に書きたくなかったので、遅くになってからのアップとなりました。
by krmtdir90 | 2016-09-16 13:10 | 本と映画 | Comments(0)

チェコとドイツの旅⑪ベルリン3(2016.8.25~26)

 いよいよ最終日になってしまった。
 この日は余裕のある日程になっていて、午前10時にホテルを出発した。快晴である。午前中はベルリンの壁などを見学することになっていたが、バスは途中でクロイツベルク地区のビクトリア公園とマルクトハレ市場というところに立ち寄った。
 公園は丘の上まで行けば眺めも良かったらしいが、入口のあたりにちょっと行っただけで終わりになってしまい、市場の方も最近きれいに改装されたということで、あまりお客もいなくて面白いところではなかった。写真も数枚ずつしかないので、ここは省略する。

 ベルリンの壁は市内に数カ所残っているらしいが、まず行ったのは、最も観光地化されているシュプレー川沿いのイーストサイドギャラリーと言われる場所だった。壁の崩壊後、残された1キロあまりの壁に世界各国のアーティスト118人に思い思いの絵を描いてもらい、オープンギャラリーとして保存しているところだという。
 広い通り(ミューレン通りと言うらしい)でバスを降りると、道の向こう側にそれが見えていた。
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 いろんな絵があるようだが、中で一番人気なのがこれだという。
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 左が旧ソ連共産党書記長のゴルバチョフ、右が旧東ドイツのドイツ社会主義統一党書記長ホーネッカーである。東西に分割されていた時代の両国の密接な関係を戯画化したもののようだ。

 横断歩道で壁のある側の歩道に渡り、壁が切れている左手のところまで行った。
 そこにはさっきの「キス」が実際に行われたものであることを示す証拠写真が掲げられていた(たぶん友好親善のキスと思われるが、その友好親善こそ問題だったと言いたいのだろう)。
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 このすぐ左側で壁は一旦途切れ、
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 そこには観光客向けの小さな土産物屋があり、
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 この左側にシュプレー川の河川敷が広がっていた。
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 絵はこちら側にも描かれているが、これは後から描かれたもので、ギャラリーは通りに面した方を言うらしい。
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 ここで壁の厚さが判るのだが、思ったより薄い印象を受けた(高さもあまりないと思った)。
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 実際には壁は間を置いて二重に作られていて、有刺鉄線なども張られ、厳重な警戒も行われていただろうから、簡単に乗り越えられるものではなかったはずである。
 壁に沿って一つ先の横断歩道まで歩いて行く。歩道にこんな表示がしてあった。
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 この歩道からだと、近過ぎて写真に撮るのはかえって難しい。
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 おどけた身なりで楽器を演奏する若者がいる。
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 向かいの歩道に渡ってから、これもけっこう注目された絵のようだが、落書きされてしまっている。
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 結局、行ってみた感想は、何だか想像以上に観光地化されてしまっていて、実際ドイツ国民の間にも壁に絵を描かせたのは間違いだったという意見もあるようだし、落書きなどもあちこちに見られて、この雑然とした雰囲気はちょっとどうなのよ?という感じがした。

 ここでは、横断歩道を渡る時、例の信号機のアンペルマンを写してきたので載せておく。
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 次は、ゲシュタポ本部があった跡地に作られたという、トポグラフィー・オブ・テラーという展示施設に行った。
 バスを降りたすぐ足元の道路に、壁の位置を示す標識が埋め込まれていた。
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 ここには、壁がよりリアルなかたちで残されていた。
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 リアルというのは、1989年の壁崩壊時に人々によって破壊されたりした形跡が、そのまま剥き出しの鉄骨や穴として残っているという意味である。補修して絵を描いてしまうより、この方が見る者の想像力に訴えるところは大きいのではないかと思った。
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 敷地内にあったゲシュタポ本部の建物などは大戦末期の爆撃で破壊されてしまったが、戦後になって地下室の発掘調査が行われたらしい。壁のこちら側にその様子が保存され、解説パネルなどとともにオープン展示されていた。
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 ただ、われわれはそちらには行かず、敷地内に立っているこの展示館の方を見学した。
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 ここにはナチスが行ったユダヤ人狩りなどの歴史が、写真など多くの資料で総覧できるようになっていた。
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 しかし、付いている解説などが(当然ながら)ドイツ語と英語だったので、わたしには読むことができなかったのが残念だった。
 早めに外に出てオープン展示の方に行こうかとも思ったが、それほどの時間は取られておらず(それに解説も読めないわけだし)あきらめた。少し心残りだった。

 さて、見学を終えて昼食を食べに行ったレストラン。
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 今回の旅では、昼食でも夕食でもビールをよく飲んだ。本場だから美味しい気がしたが、そのことを強調できるほど判っていたとも思えない。
 トイレ脇のドアを出たところにあった喫煙場所。
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 ビルの裏側にぽっかり空いた感じの空間だった。空が青かった。
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 午後は、ティーアガルテン地区の文化フォーラムにある絵画館に行った。
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 最初、ガイドの先導で幾つかの絵を見たあと、けっこう余裕のある自由見学になった。館内は幾つもの小部屋に分かれていて、部屋ごとにまとまりのある展示が行われていたようだった。ここもフラッシュを焚かなければ撮影は自由だったので、撮ってきた写真の中から幾つかを掲載する。

 まず、クラナッハ(1472~1553・独)。ヴィッテンベルクのところで名前が出てきた、ルターの肖像画や聖マリエン市教会の祭壇画を描いた人である。
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 この中央の絵は「若返りの泉」といい、左から連れて来られた老婆たちが真ん中の泉で泳いで右に上がると、みんな若々しい美女に変貌しているという、何だかよく判らない絵である。
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 両側に展示されていたのは「ビーナスとキューピッド」という絵のようだ。

 次は、ブリューゲル(生年不詳~1569・オランダ?)の「ネーデルランドの諺」。
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 「二匹の猿」は小品だが、変わった絵なので載せておく。
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 レンブラント(1606~1669・オランダ)の「自画像」。
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 これもレンブラントのはずだが、題名が判らない。
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 次が、フェルメール(1632~1675・オランダ)。この絵画館で最も知られた絵の一つだろう。「真珠の首飾りの女」。
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 非常に美しい絵だと思う。
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 同じくフェルメールの「紳士とワインを飲む女」。
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 一通り館内を回ったが、あまりにたくさんの絵があるし、美術の知識がある訳でもないので、入館時に貰ったこのチラシに載っている絵を探しに行くことにした。
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 ボッティチェッリ(1445~1510・伊)の「歌う天使と聖母子」。
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 カラヴァッジオ(1571~1610・伊)の「愛の勝利」。
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 ティツィアーノの(生年不詳~1576・ベネチア)の「ビーナスとオルガン奏者」。
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 ホルバイン(1497~1543・独)の「商人ゲオルク・ギーゼ」。
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 こうして今回の旅の観光(見学)はすべて終了した。このあとはバスに乗って空港に向かう。
 途中で戦勝記念塔のすぐ下を通った。
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 デンマーク、オーストリア、フランスなどとの戦争に勝利し、ドイツが統一された1872年に建てられたものらしい。
 このあと、少し時間の余裕があるからと、バスは2カ所で写真ストップを行った。
 最初に行ったシャルロッテンベルク宮殿は改修工事中で、足場が組まれてしまっていた。
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 次に行ったのは、1936年にベルリンオリンピックが行われた競技場。完全な逆光になって、それなりに美しい姿を見ることができた。
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 以下は復路の行程になる。
 ベルリン・テーゲル空港は、首都の国際空港としては非常に手狭な感じで、手続きなどにずいぶん時間がかかった。
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 19:30を過ぎた頃から搭乗になったと思う。
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 機内から見たテーゲル空港。
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 20:15発、トルコ航空TK1724便は定刻を少し遅れて飛び立った。
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 機内でプラス1時間の時差修正を行い、26日の00:05にイスタンブール・アタテュルク国際空港に到着、乗り継ぎを行い、次のトルコ航空TK052便は01:40に離陸した。やはり疲れていたのか、帰りはかなりしっかりと熟睡した。
 さらにプラス6時間の時差修正があったので、26日の時間は機内でどんどん流れ、成田が近づく頃には窓の外はすっかり夕暮れになっていた。
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 26日の19:10、飛行機は夜の成田空港に着陸した。

 今回の旅で初めてヨーロッパに足を踏み入れたが、ゴシックだのバロックだの、わたしの勉強不足もあったのかもしれないが、ヨーロッパの古い教会や宮殿といったものにはあまり興味が湧かないことが判った。写真を整理しながらあれこれ調べていても、こういうものからはワクワクした気分が生まれてこなかった。次の海外旅行があるかどうか判らないが、このあたりが確認できたのは良かったと思った。おわり。

by krmtdir90 | 2016-09-14 20:54 | 海外の旅 | Comments(0)

チェコとドイツの旅⑩ベルリン2(2016.8.24)

 午後は一応自由行動ということになっていたが、2人の添乗員が2つのプランを提案してくれた。一つはバスでホテルに戻り、徒歩で近くのカイザーヴィルヘルム教会とドイツ最大のデパートKaDeWeを訪ねるというもの。もう一つはバスを途中下車して、シュプレー川の遊覧船に乗ったあと電車と徒歩でホテルに帰るというもの。われわれは迷わず遊覧船と電車を選択した。
 で、ここが遊覧船乗り場。
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 自由参加なので各自できっぷを購入した。
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 左がパンフレット。真ん中がきっぷ。パンフレットを開くと幾つかのコースがあるらしいが、われわれが選んだのは一番手っ取り早い往復1時間のコース。10人以上だったので割引が効いて、1人11.20ユーロだった(普通は12ユーロだったらしい)。なお、右は帰りに乗った電車のきっぷです。
 船は出発すると、この見えている橋の先の川幅が広くなったところでUターンして、そこから遊覧開始となった。
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 右が乗船場。もう次の遊覧船が入っている。左はベルリン大聖堂。
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 大聖堂のすぐ下を通過して行く。
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 こちらは博物館島。
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 前の鉄橋を電車が通過した。
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 続いて別の電車も。
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 これらはいずれも左から右へ走って行った。短い運転間隔からして、どうやら複々線になっているのではないかと推測した。
 これはまだ博物館島。
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 前の橋の上に、奇妙な箱形の車が停まっていた。
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 原板を拡大してみると、箱の中で人形劇が演じられているように見えるのだが、その人形を人間がやっているらしい。どうもよく判らないが、新種の大道芸を見せる移動舞台なのかもしれない。 
 橋を抜けて振り返ると、これが博物館島の先端部に位置するボーデ博物館。
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 ここで博物館島の中州は終わりになったのである。
 少し行くと、また別の鉄道橋が見えてきて、その左側が駅になっているようだ。
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 遊覧船はスピーカーで両岸の見どころなどを案内しているらしいのだが、もちろんこれはドイツ語だからまったく判らない。これを整理しながら、インターネットで見られる詳しい地図などで確認しているのだが、どうやらフリードリヒシュトラーセ(フリードリヒ通り)という駅らしい。
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 更に船は進み、
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 これはベルリン中央駅である(添乗員が教えてくれた)。
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 更に進んで、
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 戦勝記念塔が見えてきたところで、船はゆっくりUターンを始めた。
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 これは、先にUターンする別の遊覧船。
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 このあとは復路の風景。
 奇妙な乗り物に乗った若者たちが集まっていた。
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 このあと彼らは一斉に右方向に走り出した。これは一種の自転車のようなものらしく、5~6人がテーブルを囲むように内側を向いて座り、スタートとともに全員でペダルをこいでいた。進行方向に背中を向けている者もいるわけで、代表してハンドルを操作する者もいるのだろうが、けっこうスリリングな(でも訳の判らぬ)競争だと思った。
 日光浴。
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 ドイツ連邦議会議事堂。
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 朝、バスを降りたところで見た建物だが、川からだと裏側が見えていることになるらしい。
 フリードリヒシュトラーセ駅を往路とは反対側から。
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 博物館島に戻って来た。ボーデ博物館のドーム。
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 テレビ塔。高さは368メートル。
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 このあと再び元の船着き場に戻り、1時間の遊覧は終わった。天気も良かったし、日射しは強かったが気持ちのいい1時間だった。

 さて、このあとは電車を使ってホテルに戻るのであるが、参加者の中には疲れてしまったのでタクシーで戻りたいと言い出す人が出て、そうなるとその方がいいと便乗する人もいて、その人たちを送り出すのに少し待ち時間ができた。
 テレビ塔が見えている。
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 二階建てバスが走っている。
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 これは観光客を乗せる三輪車だろうか。
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 結局、予定通り電車で帰るという者は5人になってしまった。添乗員の先導で駅に向かう。

 実はこの時、わたしの中にはベルリン市街の地図はイメージされておらず、きわめて受け身的に見学地を回っていたのである。さっきの遊覧船からの風景にしても、ほとんど帰って来てからいろいろ調べて、ようやくなるほどと理解されたことばかりだった。だから、いま歩き始めても、われわれがどういう路線の何という駅から何という駅まで乗るのかといったことも、まったく判ってはいなかったのである。
 ただ、ベルリンの鉄道網についてはウィキペディアに非常に詳細な記述があって、この乗車の全貌がいまはきわめて明快に理解されたので、以下それに基づいて説明していくことにする。

 ベルリン市内を走っている電車は、Sバーンと呼ばれる都市鉄道網を構成している。様々な路線が設定されているが、われわれが乗車したのはS7という、ポツダムに向かう東西高架線(市街線)だった。
 乗車駅はハッケシャー・マルクト駅(Hackescher Markt)といい、この道の先の左手にあった(左が高架の線路になっている)。
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 ここにはトラム(路面電車)の線路も通っていて、ちょっとワクワクした。
 ハッケシャー・マルクト駅の入口。
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 1882年開業の歴史ある駅のようで、高架を支える煉瓦などが趣深い。
 皆さんどんどん中に入って行ってしまうのだが、ふと見ると、ちょうどトラムがやって来るところだった。
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 これは写すしかないと思って、置いて行かれることを覚悟して撮影した。
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 このあと中に入ったが、皆さんの姿は見えない。ちょっとして添乗員が来てくれたので助かったが、言い訳するのが少々恥ずかしかった(そんなわけで、エスカレーターでホームに上がるところなどは写せていない)。
 ホームに出て、
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 あっという間に電車が入って来た。
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 ベルリンは大都会だから、Sバーンも頻繁にどんどん走っているのである。慌ただしくて、危うく写し忘れるところだったが、
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 これ、ホームに設置された、きっぷを通す機械である。これに通していないと、きっぷは通用するようにならないらしい。なお、駅には改札口はなく、すべてゾーン制運賃の信用乗車方式が採られているようだ。因みに、時々やって来る検札で不正乗車が発覚すると、非常に高額の罰金を徴収されるということだ。

 さて、乗車して、最初の区間は座れなかったが、次の駅で乗降があり、席が空いたので座った(車内はロングシートだった)。ここが、遊覧船から見えていた、川沿いのフリードリヒシュトラーセ(フリードリヒ通り)駅(Friedrichstraße)だったようだ。
 次がベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)だった。添乗員が教えてくれたので、ちょっと恥ずかしかったが後ろを向いて撮影した。
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 ついでに、写した写真を確認するようなふりをして、車内の様子も撮影させてもらった。
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 この電車は自転車持ち込み可になっているようで、別に折り畳んだりしなくても遠慮することなく、ごく当然のように場所を占拠していた。
 このあと停車していった駅名はウィキペディアで判るので、一応記録しておくことにする。次がベルヴュー駅(Bellevue)、以下ティーアガルテン駅(Tiergarten)、動物園駅(Zoologisher Garten)、サヴィニー広場駅(Savignyplatz)である。

 サヴィニー広場駅で下車。
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 なお、この車輌は481形と呼ばれるもので、第三軌条方式で集電しているので、電車だけれどパンタグラフや架線はないのである。
 ホームの反対側に逆方向の電車が入って来た。
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 左を見ると、向こう側にも線路が走っていて、複々線になっているのが判ると思う。
 さて、階段を下りて、
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 地下道を通って出口へ(外から中を振り返っている)。改札などはない。
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 外に出ると、細い通りの両側に飲食店があり、
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 そこを出て振り返ると、駅名表示があった。
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 これで、約15分ほどのSバーン乗車体験はおしまい。

 このあと徒歩でホテルに戻った。
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 途中、スーパーなどに寄り道する人もいて、われわれも一旦部屋に戻ったが、またすぐ散歩に出てしまった。朝、バスの中で現地ガイドが紹介していたチョコレート専門店に行ってみようと思ったのである。歩いてみると意外に遠かったが、何とか見つけることができた。
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 ここでお土産のチョコレートをたくさん購入した。帰ってから自宅用を食べたが、非常になめらかで上品な味の美味しいチョコレートだった。高かったけれど。

 さて、この晩は最後の晩なので、夕食はバスでレストランに行くことになっていた。途中の車窓にベルリン・コンツェルトハウスの建物が見えた。
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 人がたくさん集まっていたので、今晩はコンサートでもあるのだろうか。
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 で、これが夕食を食べたレストラン。
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 食後に外に出てみると、道の向かいに小さなワインクラブがあり、路上に出したキーボードを女性がずっと演奏している。とてもロマンチックな雰囲気で、いいなあと思いながらシャッターを切ったのだが、けっこう暗かったので(酔ってもいたし)ピンボケになってしまった。でも、まあいいか、きょうの最後はピンボケ写真で。
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by krmtdir90 | 2016-09-13 14:44 | 海外の旅 | Comments(0)

チェコとドイツの旅⑨ベルリン1(2016.8.24)

 ベルリンの朝は快晴だった。
 こちらに来て感じたのは、プラハもベルリンも晴れれば日なたはかなり暑くなるが、空気が乾いているので日陰にはいると非常に爽やかで、ほとんど汗をかくということはなかった。朝はけっこう気温が下がるので、日中との気温差はある感じだったが、総じて過ごしやすい気候だと感じた。

 午前9時にホテルを出発、バスでまずブランデンブルグ門に向かった。少し離れたところでバスを降りると、ドイツ連邦議会の議事堂が建っていた。
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 門に向かう路上で、かつてベルリンの壁があった位置を示す石のライン(センターラインの手前)を確認。
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 道路の向こうの塀に並んでいる十字架が気になるが、説明があったのかもしれないが聞き逃している。
 さて、ブランデンブルク門。
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 手前をくぐって行く。
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 何の気なしに撮ったこの像は、帰ってから調べてみると、門の内側の女神ミネルウァの像というものだった。もう一つ、内側の神マルス像というのがどこかにあったらしいが、この写真はない。
 正面に出た。
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 ベルリンのシンボルとされるだけあって、実に美しい門である。
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 完成したのは1791年。門の上には、四頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が載っている。
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 もう少し正面から。
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 これまで様々な変遷があったようだが、第2次世界大戦の時には、ベルリン市街戦で大きく損傷し廃墟となった。戦後は、東西に分割されたベルリンの境界線が門のすぐ向こう側(西側)に引かれ、門自体は東ベルリンの西端となった。1957年、東ベルリンによって門は修復されたが、4年後の1961年、ベルリンの壁が作られて門は通行禁止となってしまった。
 壁が崩壊したのは1989年だが、その後周辺の再建も進み、門も2000年から改修工事と清掃が行われ、現在のような立派な姿に甦ったようだ。
 いまわれわれが立っているのは旧東ベルリン側で、正面からこちら側に(東に向かって)有名なウンター・デン・リンデンの大通りが続いている。
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 ただ、菩提樹の並木は戦後に新たに植えられたもので、まださほど大樹には育っていないようだった。また、少し行くと並木はかなりの区間伐採されていて、この通りの下に地下鉄を通す工事が大規模に進行中だった。そういうことで、この通りはちょっと期待外れだった。

 おのおの写真を撮ったりしていると、一台の小さな乗用車が広場に入って来て停まった。
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 1957年から1990年まで、東ドイツで生産販売されていたトラバントという車だった。ボディがボール紙で作られていると言われ、共産主義圏の経済的立ち遅れと製造品質の低さを象徴するような車だったらしい。ボール紙というのは少し言い過ぎだが、ボディの材質は繊維強化プラスチックに実際に紙パルプを混ぜ込んだものだったようだ。
 それでも当時、東ドイツで唯一の大衆車だったこともあり購入希望が殺到し、一方で車の普及を良く思わない政府が生産を押さえたため、申し込みから納入まで10年以上もかかったのだという。
 運転手が降りて来た。
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 毎日ここにやって来て、東西分割時代の遺物とも言うべきこの車を観光客に見せて、寸志を頂いているという人らしい。われわれが近寄って行くと、早速ボンネットを開けていろいろと説明を始めた。
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 奥にある茶色っぽいのはガソリンタンクで、ガソリンタンクがエンジンルームに同居しているという、ちょっと考えられない恐ろしい構造になっていた。
 これが運転席。
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 屋根やボディを叩いてみると、何とも軽い安っぽい音がした。表面はそれなりのコーティングが施されているようだったが、内部の天井は確かに段ボールのような質感の面が剥き出しになっていた。
 後ろから見たところ。
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 窓に貼ってある言葉を翻訳アプリに入れてみると、「違法なストリートレース、私と一緒にしません!」と翻訳されて、後半部分が「しませんか」という誘いなのか、「わたしはしません」という決意なのか、どうももう一つはっきりしないのである。まあ、どっちでもいいけど。
 トラバントのロゴ。
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 601Sというのは型式で、1964年以降の製造であることを表しているようだ。

 このあと、待っていたバスでウンター・デン・リンデン通りを東に走り、フンボルト大学の手前でバスを降りた。菩提樹の並木が途絶えるところに、フリードリヒ大王の騎馬像が建っていた。
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 この右手にフンボルト大学がある。
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 マルクスやアインシュタイン、グリム兄弟などが通ったベルリン最古の大学らしい。
 道路を隔てたこちら側にはベルリン国立歌劇場があった。
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 またバスに乗って(直線距離にすると大した距離を移動しているわけではないのだが)、今度は博物館島(ムゼウムスインゼル)というところに行った。ベルリンの市街を流れるシュプレー川の中州に、歴史ある5つの博物館・美術館が集まっているのだという。
 左手に新博物館の建物があり、右手には旧国立美術館(ナショナルギャラリー)の建物がある。
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 2つの建物の間を進んで行くとと、われわれが入るペルガモン博物館があった。
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 この博物館は博物館島の中では最も新しく、1930年に作られたものだという。古代ギリシャ、ローマ、中近東などの遺跡の一部をそのまま移築して展示しており、そのスケールの大きさには驚かされた(館名となった「ペルガモンの大祭壇」が改修工事のため見られなかったのは残念だったが)。
 始め現地ガイドの説明で何カ所か回り、その後、日本語のイヤホンガイドを渡されて自由見学となった。展示の脇に番号が表示されており、ガイドのボタンでその番号を入れてやると解説が流れてくるのである。非常に盛り沢山の展示があったが、その中から幾つかを載せておく。
 まず、入口を入ってすぐのところにあった、古代バビロニア(現イラク)のイシュタール門。
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 いきなりのスケールで、とても全体を収めることはできない。左手の彩色煉瓦で描かれた動物たち。
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 次の部屋に進むと、正面にちょっと高くなったテラスのようなところがあり、
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 反対側全面が古代ミレトス(現トルコ)の市場門になっている。
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 テラスから見るとこんな感じ。
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 やはり左右は切れてしまって、全体は入らない。
 手前の床に復元されたモザイク画。
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 あとは順不同。ウマイア朝(現ヨルダン)のムシャッタ宮殿の外壁。
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 その他、展示物いろいろ(一々メモしたわけではないし、カタログがあるわけでもないから、有名なもの以外は調べる手立てがないのである)。
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 もっとあったが、まあ、あとは省略。

 午前中の見学を終え、バスで再びウンター・デン・リンデンに戻り、大通りに面したこのレストランで昼食。
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 前のあたりは菩提樹が切られてしまい、完全な工事現場と化している。
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 レストランの左手の店に、大々的に宣伝されていたこの人のかたちのデザイン。
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 これ、アンペルマンと言い、旧東ドイツの歩行者用信号機で使われていた信号デザインだったらしい。統一後、旧東ドイツの様々なものが(遅れている、劣っているとされて)消えていく運命をたどったが、このデザインのかわいさが人々の中に「救出運動」を巻き起こし、一旦ほとんどが西ドイツ風の普通の信号機に置き換えられたものが、現在では再びこのデザインに変えられて復活しているらしい。
 同時に、アンペルマンコレクションというものが誕生し、キーホルダー、Tシャツ、カバンなどにこのデザインを配したり、様々なグッズが発売されて人気を博しているらしい。この店はそうしたものを揃えたアンペルマンショップだったようだ(中を覗く時間はなかった)。
(このあと写真の枚数が増えそうなので、この日も2回に分けることにします)
by krmtdir90 | 2016-09-12 23:02 | 海外の旅 | Comments(0)


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