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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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ベトナムの旅④ハロン湾(2016.11.15~16)

 11月15日(火)、ハロン湾へ。
 ハノイの朝は薄曇りだった(と思う)。このホテルには敷地の余裕が一切ないから、部屋の窓からは隣のビルや裏通りなどが見えるだけである。朝の6時過ぎ、窓から見下ろした裏通りの様子。
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 この建物の感じ、われわれには何とも奇妙なものに見えるが、これが道路に面した家の建て方としては基本形になっているようだ。あとでガイドに聞いたら、間口4メートル、奥行き10メートルぐらいが標準サイズであるらしい。1階は店舗になるように作られているが、必ずしも店をやるということではなく、一応そうしておいて、何かうまい話があれば他に貸したりして賃料収入を得ることもあるようだ。生活空間はだいたい2、3階を使うことが多く、それより上の階は必要に応じて使う部屋などになっているらしい。昼間になると、上層の開放的な部分に洗濯物が干されたりするようだ。

 さて、この日は8時にホテルを出発して、バスでハロン湾に向かうことになっていた。所要時間は、途中1回のトイレ休憩を含めて4時間ほどだという。
 最初のうち、3人乗りバイクなどを撮ろうと狙っていたのだが、撮れたと思って確認するとみんなぶれていて、もうバイクの写真はあきらめた(掲載しない)。車窓の風景もだいたいうまく撮れないので、数枚撮っただけでやめてしまった。結局、載せられる写真は途中休憩の土産物屋だけである。
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 入口の上に日本語の看板が出ている。ハロン湾に行くツアーは途中で必ずトイレ休憩を取るから、けっこう大規模な土産物屋がこのあたりに幾つかあって、店によって日本人が得意だとか中国人や欧米人が得意だとか、いろいろ特徴を出してバスを取り合っているということらしい。トイレを済ませた一人一人に店員がぴったり貼り付き、幾つ買うと幾つおまけが付くとか一生懸命売り込むのである。まあ、土産はどこかで買わなければならないものだから、けっこうみんなまとめ買いをしてしまったようだ(われわれも)。バスに戻った時、みんなが店の大きな袋をぶら下げていたのは可笑しかった。

 ベトナムの通貨はドンというものなのだが、出発前に添乗員の言うところでは、現地ではUSドルがけっこう使えるらしく、旅行中どうしてもドンでなければならない場面は添乗員が対応するので、両替はUSドルにしておけばいいということだった。実際この店でもドルで買うことが出来たし、食事時のビールの精算もすべてドルで行われたので、結局ドンを使う場面は一度もなかった。
 ただ、どこの買い物だったか忘れたが、一回だけおつりがドンで来たことがあって、この紙幣が2枚だけ記念品として残された。
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 日本とは桁が大きく違い、10000ドンは日本円では50円ぐらいである。

 空はすっかり晴れてしまった。12時を回ったころ、車窓の奥にハロン湾の特徴的な島影(岩影か)が見えてきた。
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 ハロン湾の観光クルーズはコースや時間など様々なものが設定されているようだが、今回われわれのツアーは、ハロン湾を航行するものとしては比較的大型のクルーズ船を一隻チャーターして、2泊3日のハロン湾めぐりを楽しむことになっていた。
 これがそのオウコー号という船。
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 この乗船場で、もう一つ別のコースのグループと合流して、全部で29人(+添乗員2名、ガイド2名)のツアーになることになっていた。そちらのグループの到着が少し遅れ、12時半からの予定だった乗船も少し遅れた。入口で歓迎の太鼓などが用意されていた。
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 乗船後は、1階レセプション(要するに受付カウンターのような役割をするテーブルが置かれていた)で鍵を受け取って各自の船室(キャビンと言うのか)へ。一応中の様子を見たあと、すぐに3階のレストランに集合。乗組員の紹介と安全設備などの説明があった後、やや遅い昼食となった。で、昼食のビール。
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 食事が始まるころ、船はゆっくりと動き始めた。食事中だったので、出航の様子などを写すことはできなかった。
 だが、しばらくして闘鶏岩というものが見えると添乗員が知らせてくれて、食事はまだ終わっていなかったのだが、みんな食事を中断して見に行った。
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 無数にあるハロン湾の岩に名前をつけ始めたらきりがないと思われるが、どうも名前があるのはこの岩一つだけらしく、ハロン湾の代表的な目印になっているようだ。それにしては、どうということもない岩だったけどね。

 さて、こんなふうにして、最初やや慌ただしい雰囲気の中でハロン湾のクルーズは始まった。
 帰って来て写真の整理をしながら、今回は説明的に使えるショットをほとんど撮って来なかったことに気付いた。どうしてそうなったのか判らないが、このオウコー号の船内の様子なども、そういうわけで視覚的にわかりやすく説明できないことになってしまった。
 船室の写真も一枚もない。こうした船の場合、船室は1、2階に配置されていて、1階をメインデッキ、2階をアッパーデッキと呼び、部屋の作りや料金に差があるのが普通である。オウコー号では部屋の広さや作りにはまったく差がなく、ただ上の階になるだけで2万円ほど差がつけられていた。われわれとしては部屋に差がないなら安い方がいいということで、迷うことなくメインデッキの部屋を選択した。それでまったく不都合や不満は生じなかった。

 3階にはレストランと屋外のバーがあり、周辺にいろいろな椅子が置かれていた。さらにその上がサンデッキになっていたが、晴天が続いて暑かったため、そこに行くことはほとんどなかった。バーの周辺だけWi-Fiに接続できるようになっていたが、電波は弱く、航行している時や停泊する場所によってつながらないことも多かった(今回の旅行中、ようやく外でのWi-Fi接続のやり方をマスターできたと思う)。
 喫煙は船室のベランダ部分が可になっていて、あとは3階のバー周辺に喫煙エリアが作られていた。ただ、今回のツアーではわたし以外に喫煙者を確認することはできなかった。

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 クルーズの間、船内では非常に盛り沢山なプログラムが組まれていた。もちろん参加は自由なのだが、船室に閉じ籠もっていても仕方がないので、冷やかし半分でなるべく顔を出すようにした。
 またそれとは別に、下船観光というのが3回ほど組み込まれていて、この日は3時半からいきなりカヤック体験という恐ろしいものが入っていた。テンダーボートに乗ってバンチャンビーチというところに行き、スタッフの指導でカヤックを漕ぐのだという。こんなアクティブなプランが入っているとは思わなかった。もちろんこれも参加自由なのだが、乗船して最初のプログラムだし、カヤックに乗らずビーチに行くだけというのもアリのようなので、一応行ってみることにした。

 自慢ではないがわたしはまったくのカナヅチで、妻も水泳はあまり得意ではないということで、わが家は毎年、海とはとんと縁のない夏を過ごしてきた。この歳になって、こんなところで溺れる(可能性がある)なんて絶対にイヤである。皆さんがけっこう積極的に挑戦なさっている姿を横目に、岩場を少し歩いてカヤックがゴールする砂浜の方に先回りした。まあ、カヤックに乗らなかった人も4分の1くらいいたのでホッとした?が、こちらにもちゃんとスタッフが付いて案内してくれて、砂浜では敷物にする大きなタオルを配ってくれたり、行き届いた配慮に感心した。
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 カヤックをやっている皆さんの写真はない。こちらはやらなかったのだから、やった人たちのことを記録する必要はないのである。
 再びテンダーボートで船に戻る。これはテンダーボートから写したオウコー号。
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 なお、テンダーボートというのは、この右寄りに写っているエンジン付きの小型連絡ボートのことである。

 船に戻った。夕暮れが近づいている。
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 日帰りのクルーズ船などが航行するハロン湾の中心部分を抜けて、オウコー号は東側に広がるバイトゥロン湾という区域に入って来たようだ。このあたりでは、泊を伴うやや大きめの他のクルーズ船の姿が見えている。
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 日没は見逃している。何をしていたか記憶がはっきりしないが、シャワーを浴びていたのかもしれない。

 5時半から3階のバーで、ベトナムティーの紹介と淹れ方講座というのがあった。
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 引き続き6時からハッピーアワーという時間になり、バーの裏側のところで二胡などの演奏が始まった。
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 この時間帯、飲み物を1杯頼むと2杯目が無料になるのだという。つられてビールを2杯飲んでしまい、7時からの夕食ではワインを頼んだが、この日はちょっと飲み過ぎてしまった。
 月が見えた。満月を少し過ぎていたのではなかろうか。
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 なお、夜9時からレストランで映画「インドシナ」(カトリーヌ・ドヌーブ主演だ)の映写会があったようだが、疲れていたので行かなかった。

 11月16日(水)、終日ハロン湾。
 朝6時45分。
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 夜から朝にかけては雲が出るようだった。二晩ともそうだったので、日の出の写真は撮れなかった。だが、雲は次第に取れていき、この日もほぼ快晴の一日になった。
 クルーズ船は夜の間は動くことはなく、投錨して一夜を明かす場所というのはだいたい決まっているようだった。
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 この日は、まず7時からサンデッキで太極拳のレッスンがあるという。妻は週一回太極拳に通っている人だから、行くというので付いていった。やる気はなかったのだが、何となくつき合いでやってしまった。朝から身体を動かして、すがすがしい気分になれたのだろうか。
 7時半から朝食。
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 9時から2回目の下船観光プログラム。ティエン・カイン・ソン鍾乳洞というのに行くという。上陸後に岩場の階段があるということだったが、往復はテンダーボートなので行ってみることにした。
 テンダーボートでは救命胴衣を着用する。
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 これが岩場の階段。
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 ここが鍾乳洞の入口。
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 手前に女性の添乗員(合流した別グループの担当)が立っているが、その後ろのところに狭い入口がある。
 入ってしまうと中はけっこう広がりがあり、所々に照明が点いている。
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 暗いかなと思って最初はフラッシュを焚いていたが、
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 フラッシュを使うと全体がのっぺりした感じになってしまうので、後半は使うのをやめた。夜景モードにするとけっこう写るようだった。
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 上の写真、右下の光が出口である。出たところが小さなテラスのようになっていて、海が見えた。けっこう上っているのである。
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 右手に、さらに岩山の上の方に行ける道があったが、誰も行こうと言う人はいなかった。

 再び鍾乳洞の中を通って戻る。出口(右)の方を振り返ったところ。
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 以下、夜景モードで撮影し、少し補正を加えた。
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 鍾乳洞としては小さなもので、入口と出口の間は50メートルもなかっただろう。
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 入口に戻って来た。
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 岩場の階段を下りて小さな砂浜へ。テンダーボートが待っている。
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 階段の上り口。
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 最初左の方に上って行ったが、そのあと右の方に回り込んで行ったような気がするが、よく覚えていない(高所恐怖症としてはまったく余裕がなかったのである)。
 以上で鍾乳洞探検は終了。
 帰りのテンダーボートから、オウコー号を。
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 すっかり晴れてしまった。
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 11時15分から、操舵室とエンジンルームの見学というのがあった。
 まず操舵室。船長みずからいろいろと説明してくれた。
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 この左手にあるのがレーダー。右寄りの手前にある小さな黒い取っ手のレバーが舵である。
 昔の映画などで、取っ手が幾つも付いた大きな輪をくるくる回しながら「面舵いっぱーい」などとやるのを見たことがあるが、いまはああいう舵はなくなってしまったらしい。
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 次はエンジンルーム。
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 中は暑いし、エンジン音がうるさくて説明はよく聞こえなかった。エンジンはヤンマー製だということが判った。

 12時からレストランで昼食。もちろんビールは飲んだが、船内ではずっと同じ「HANOI BEER」の瓶だったので省略。
 午後は、1時半からレストランでフルーツカーヴィング教室、2時半から同じくレストランでベトナム語とベトナム文化講座といったものが行われたが、興味がなかったので(ちょっと覗いたりはしたが)参加しなかった。妻は船内スパの予約を取って、フェイシャルケアとかいうものに出かけて行った。わたしは船室でちょっと昼寝をしたり、ベランダで煙草を吸ったり、あちこち歩き回りながら写真を撮ったりした。のんびりした、豊かな時間だったと思う。

 午後のハロン湾(厳密にはバイトゥロン湾の海域だったようだ)。
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 日がだいぶ傾いてきた。
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 日没。
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 日没が終わったあと、レストランでベトナム料理教室・揚げ春巻きの作り方というのが行われた。
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 試食があるかなと思って最初から参加していたら、試食の時だけやって来てちゃっかり食べていく人もいた。
 6時から、バーで昨夜と同じハッピーアワー。今夜はビール1本だけにしておき、夕食の時にもう1本飲むようにした。

 7時から夕食。この日はレストランではなく、階上のサンデッキの方にテーブルなどがすっかり用意されていた。天気が悪ければできない企画だから、今回の旅はホントに天気に恵まれたと思う。薄雲が出たようで星はあまり見えなかったが、月はしっかり見えていて、何とも豪華でロマンチックな時間を過ごした。
 この夕食会の全景を撮っておけばよかったと思ったが、後の祭りである。ただ、余興のようなかたちで行われた船長とスタッフによるベトナムの踊り、それから例の3人の奏者による二胡などの演奏だけは収めてあった。
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by krmtdir90 | 2016-11-30 20:44 | 海外の旅 | Comments(0)

ベトナムの旅③ホイアン・ハノイ(2016.11.14)

 11月14日(月)、ホイアンからハノイへ。
 この日は非常に余裕のある日程で、ホイアンのホテルを発って、ダナンからハノイへ飛行機で移動するのが中心の日程になっていた。
 海外旅行に出るようになって、わたしが愛用している旅行会社はワールド航空サービスというところなのだが、ここは顧客をほぼ高齢者に絞り込んでいて、他の旅行社よりもかなり割高になるが、料金を抑えるために訳の判らぬ寝具店や宝飾店などに連れて行かれることもなく、日程の組み方もゆとりがあって、その中でそれなりの自由度も確保されているので、何と言うか、すっかり気に入ってしまったのである。宣伝する気はないが、諸々のことを考え合わせると割高も納得できる気がしている。

 ホイアンの天気は快晴である。
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 朝のうちは涼しい感じもあるが、すぐに暑くなるのだろう。ただこの日は、前日までと比べると湿度が若干低めのような気がした。

 さて、この日のロビー集合は10時15分となっていた。チェックアウトなのでスーツケースの整理なども必要だが、時間があるので希望者は朝の散歩ということで、添乗員が旧市街の方に連れて行ってくれるという。何度も歩いているが、暇なので行ってみることにした。
 また市場に行ったが、朝の時間帯(8時半過ぎ)なので、昨日と違って非常に活気に溢れていた。
 まず、昨日はぶれてしまって載せられなかった食事の出来るスペースの写真を載せておく。。
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 ここは真ん中の通路部分なので、両脇の方には食事中の人もけっこういた。
 建物の先に抜けて行くと、屋外市場にも人がたくさんいて、
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 一応屋根がついている肉や魚の売り場もみんな営業中で、商売も佳境という感じだった。
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 野菜などはテントやパラソルの下だったが、たくさんの品物が所狭しと並んでいた。
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 ベトナムでは都市部は別にして、冷蔵庫で保存するという習慣はあまりないらしく、朝のうちに市場に来てその日その日の食材を買って行くという家庭も多いらしい。肉や魚の売り場も冷蔵とかはあまり考慮されていないようだから、朝から午前中のうちに売り切ってしまうことを考えているようだった。とにかく日中は必ず暑くなるのだから、ベトナムでは朝の涼しいうちにいろいろなことを済ませようという感覚が人々の中にあるのだと思う。市場もそれに対応して、朝のうちが混雑のピークになっているのだろう。

 ところで、ベトナムの小学校は朝7時に始まるという話を聞いたので、帰ってからちょっと調べてみた。都市部と地方の格差が激しく一概に言うことは出来ないが、学校の収容能力などが不足しているため、7時~11時、13時~17時という2部制授業を行っているところが多いようだった。ベトナムでは義務教育は小学校(5年制)だけのため、7時からの4時間授業だけで一日が終わる子どもは、塾などに通える富裕層の子どもとの間に大きな学力差が生じているらしい。
 様々な問題状況に踏み込むときりがなくなるので止めておくが、とにかく朝7時から学校が始まるというのは事実だった。通学は親や祖父母がバイクで送り迎えするのが普通で、その時間帯に子どもを乗せた2人乗り、3人乗りのバイクが多く見られるということらしい。いずれにしても、ベトナムの人々の朝が非常に早いというのは確かなことのようだ。

 また別の話だが、クーラーのある家でも余程のことがない限りそれを使うことはないのだそうだ。電気の使用量が一定値を超えると料金が一気に高くなるように設定されているため、富裕層以外はできるだけ電気の使用を控える工夫をしているらしい。家を開放的な造りにしたり、家の前の路上で涼んでいる人が多いのはそのためもあるようだ。
 ベトナムの人々の生活は非常に興味深いことも多いが、一旅行者としてはあまり付け焼き刃的な知識を並べるのは失礼かもしれないので、このくらいにしておく。

 散歩の帰りに、3泊したホイアン・ヒストリック・ホテルの正面を一枚。
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 バスは11時にはダナンの市内に入った。飛行機の時間の関係で、早めの昼食になるという。これがダナンのレストラン。
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 お昼のビール(ピントが後ろに合ってしまってピンボケだが、また違う種類なので載せておく)。
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 ダナン空港。
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 われわれが乗るベトナム航空VN174便。
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 13:40、ダナン空港発。15:00、ハノイ空港着。
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 バスで今晩のホテルに向かう。
 ハノイ市内でまず目を引いたのが、道路沿いに建つ建物の姿。
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 それぞれ道路に面した間口はかなり狭く、押し合うように3階、4階と上に向かって伸びている。1階は店舗のような作りになっているが、やっている形跡もなくシャッターを閉めた建物も多い。この作りはこのあともけっこう見かけた。
 あとはやはりバイク。さすがに車の姿も多いが、バイクはその間を縫って縦横無尽に走っている。存在感はやはり圧倒的にバイクである。
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 ハノイのホテルは旧市街の雑然とした道路に面していた。
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 車寄せなどのスペースはまったくないから、バイクと車がひっきりなしに通る道路の向かいに一時停車した。バスを降りてから、道路を横切るのはマジ!怖かった。スーツケースなどは係の人が運んでくれたが、やはり道路を横切って運ぶのは大変だっただろう。
 正面玄関の階段を上がったところから道路を振り返ったところ。
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 道路の向かい側に行ってホテルの全体を撮りたいところだが、とてもそんな危険を冒す気にはなれない。われわれのバスもなかなか前に進めないようだ。

 このホテルはシルク・パス・ホテルと言い、ハノイでは中級のホテルだと思うが、やはり市街地の真ん中なので間口は広くなく、奥に向かって広がっているようだった。機能的ではあるけれど部屋は狭く、スーツケースを2つ広げるのは少々苦しかった。コースの中では中継地点での一泊ということなので、旧市街の雰囲気を間近に感じられたのは良かったと思う。
 夕食はバスで外のレストランに行ったのだが、バスはホテルの前に長く停まっていられないから、どこか他の場所に待機していたのをタイミングを見計らって呼び、サッと乗車してすぐ発車するという段取りになっていた。
 バスを待ちながら、ホテル前の道路の夜の様子。
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 走り出してから一カ所、凄い渋滞に捲き込まれた。全然前に進めない。
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 バスは僅かな隙に左折して、少し迂回したようだ。このバイクと車がひしめく中をバスで通るというのは大変なことだと思った。
 これがレストラン。
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 夜のビール。
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 この日は夕食後にもう一つ日程が入っていた。ユネスコの世界無形文化遺産に登録されているベトナム最古の伝統芸能(雅楽)「カーチュー」の演奏を聴きに行くというものである。レストランの前から再びバスで移動。下車した広い通りから脇道に入って行くと、
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 ここが小さな劇場の入口。タンロン・カーチュー・クラブというところだったようだ。
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 入るとさらにこういう建物があって、外の喧噪とのあまりの落差にびっくり。
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 中には20席ほどのイスが用意されていた。
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 古いお寺の建物を演奏場所として使っているらしい。
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 最初、リーダーらしい女性(黒い服)がカーチューについて説明した(現地ガイドが通訳)あと、演奏が始まった。
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 曲が変わる時に奏者が入れ替わっているが、↓これがカーチューの基本の演奏形態のようだ。
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 帰ってから調べた結果で説明を加えるが、中央の女性がダオヌォンと呼ばれる歌い手で、独特の節回しで歌いながら、手にしたスティックで下の板を叩きながらリズムを取っている(楽器名はファィック)。右の女性が弦楽器で、ダンダイーと言う楽器らしい。左の男性は打楽器で、チョンチャウと呼ばれる太鼓である。
 いろんな楽曲が歌われたが、どれも哀調を帯びた節回しが独特で、聞き入ってしまった。
 最後に、演奏に合わせて歌と舞いが披露された。
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 終わりのご挨拶。
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 これはなかなか好企画だったと思った。

 外に出たのは午後9時頃だった。
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 この時間になっても道路には人がたくさん出ていて(もちろんバイクも走っている)、両側の店から歩道にはみ出した小さなイスと小さなテーブルで、多くの人たちが涼みながら飲食したり談笑したりしていた。庶民的で、経済的には決して豊かではないのだけれど、この独特の活気がベトナムなのだと思った。
by krmtdir90 | 2016-11-28 17:45 | 海外の旅 | Comments(0)

ベトナムの旅②ホイアン(2016.11.13)

 11月13日(日)。ホイアンの一日。
 ホテルの正面、車寄せのところに噴水のある四角い池が作られていて、そこにいろんな色の睡蓮の花が咲いていた。
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 天気は、雲はあるものの晴れ。気温は、朝晩は25度くらい、昼間は30度を越えていたかもしれない。湿度があるのですぐに汗をかいてしまう。

 9時にロビーに集合し、徒歩でホイアン旧市街の散策へ。
 ホテルの前の道は車やバイクの往来があって、横断するのがけっこう難しい。ハノイの街なかなどと比べて量はそれほどでもないのだが、基本的にバイクは速度を落としてくれないし、途切れるのを待っていてはいつまで経っても渡れない。次第に判ってきたのは、急いで渡るのではなく、ゆっくり一歩を踏み出すのがコツであるらしい。こちらが急な動きをしなければ、バイクは避けてくれるから早足にならずに渡り切ればいいのである。
 子どもを乗せた2人乗りバイク。子どもも慣れたもので、あまり感動が感じられない。。
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 しばらく歩くと、
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 ホイアン市場に突き当たる(左手の建物)。
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 ここで右に折れて行くと、いわゆる旧市街のメインストリートになる。

 最初に訪ねたのが福建会館という建物。
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 入口を入るとこんな門があり、
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 その先にこんな建物があった(1773年創建)。
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 旧市街には「…会館」という建物が幾つかあるようだが、中国から来た華僑の人々が同郷人の集会所として作ったものだという。寺院のように見えるが、調べてみると仏教とは関係がなく、中国の道教の女神である天后聖母(媽祖・マソ)を祀ったものらしい。
 天井からたくさん下がっている不思議な形状のもの、
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 これ、渦巻き線香というものらしい。
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 祭壇は「何だかなあ」という感じ。中央にいるのが天后聖母だろう。
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 実は、この建物の奥にもう一つ建物があって、ホイアンにやって来た福建省人の先駆者たちが祀られていたようだが、興味が湧かずよく見ていない。
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 街並み、その1。
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 この最後の店の向かいに、海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)というのがあった。
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 昔の代表的な2階建て民家を整備したものらしい。
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 博物館と言っても、展示内容はたいしたことはなかったと思う。現地ガイドの説明はあまり聞いていなかったので、例によって帰ってからあれこれ調べているのだが、ホイアンの港は海のシルクロードの主要な中継点になっていたようで、最盛期には数百人(一説には千人とも)の日本人がこのあたりに暮らしていたらしい。江戸時代になって、鎖国政策のため日本人はみんな引き上げてしまったが、建物の作りなどに日本的な建築様式の影響が見て取れるという。
 こちらでは隣家の建物の壁と完全に密着した建て方が多いが、下の写真の中庭の右手は隣家の壁を生かして装飾を施したもののようだ。 
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 この左手から2階に上がって、ベランダから下の通りを見下ろす。
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 再び、街並み、その2。
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 この最後の写真は、日本で言うとお盆の供養をしているように見える。調べてみると、ベトナム人にとって先祖(死者)の供養は非常に大切なこととされ、旧暦の1日と15日には多くの人が寺に参拝に行き、特別な日には庭先や前の路上に簡単な祭壇を設けて、いろいろなものをお供えして供養を行うらしい。どうもこれは、たまたまそういう場面に遭遇したということのようだ。

 街並みの突き当たりに、来遠橋(らいえんばし・日本橋とも言う)という屋根付きの小さな橋があった。代表的な観光名所になっているようで、見物客でごった返していた。
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 1593年に、この地に住んでいた日本人によって架けられたと言われているが、詳しいことは判っていない。1986年に修復工事が行われたらしい。
 ツアーの記念写真や各自の撮影タイムを取ったあと、橋の中へ。
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 橋の中程に、向こう側に張り出すかたちで小さな寺(祠)が付設されていた。狭いところで、人もたくさんいたので入口の写真などはない。これが内部の祭壇。
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 来遠橋からの眺め。
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 左右に流れているのがトゥボン川。この手前の橋から1、2枚目の写真を撮った。

 ここで、ベトナム戦争との関連について簡単に触れておく。ホイアンは東西交易の中継港として長く栄えてきたが、19世紀になるとダナン港にその座を奪われて衰退していったようだ。ベトナム戦争時には、1965年にアメリカ海兵隊がダナンから上陸し、ここに大規模な米軍基地を建設したことから、ダナンが軍事上の主要拠点となり激しい攻防戦の最前線となった。そのおかげと言うと語弊があるが、結果的にホイアンはほとんど戦火にさらされることなく、古い街並みや歴史的建造物がそのまま残ることになったらしい。1999年、この街並みはユネスコ世界遺産に登録された。

 さっき歩いた道より一本川寄りの道を逆にたどって行く。
 道端の竹細工売り。
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 これは非常に精巧に作られていて、欲しいなと思ったのだが、壊さずに持って帰れる自信がなかったのであきらめた。
 今晩のランタン祭に向けて、準備が進んでいるようだ。
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 で、ここはタンキーの家(進記家)という、200年ほど前に建てられた、広東出身の漁師の家。
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 日本と中国の建築様式がミックスされているとのことだったが、中は狭く、観光客ですし詰め状態だったので、
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 ガイドは説明しようとしていたが、みんな早々に中を通り抜けて外に出てしまった。
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 そこはトゥボン川の川沿いの道で、少し歩くと遊覧船の船着き場があった。
 遊覧船と言っても小さなもので、添乗員・ガイドを合わせて17人のわれわれにはちょうどいい大きさだった。これに乗るのだという。
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 船はトゥボン川の下流に向かってゆっくり進み始めた。
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 川の水は茶色く濁っているが、よく晴れているし川風が気持ちいい。
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 しばらく行くと、漁をしているらしい小舟がいた。
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 われわれのような遊覧船が来ると、その前で投網漁をやって見せ、なにがしかのチップを貰っているのだと、お金を手渡しながらガイドが種明かしをした。いろんな商売があるのだ。
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 やがて船は大きな中州の先で向きを変え、岸と中州に挟まれた水路のようなところを通って戻り始めた。
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 何やらいろんな作業船がいる。
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 川岸の幹のないヤシの木。
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 ヤシの木というと幹を高く伸ばした姿が一般的なイメージだが、自生したものの中にはこんなふうに幹を伸ばさないものも多いのだという。

 遊覧船は元の船着き場には戻らず、少し手前のところで岸に着いて下船した。川沿いのレストランでトイレを借りることになっていたらしい。
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 ここは夕食を食べに来たレストランとつながっていたようだ(正式の入口は反対側の道沿いだった)。

 このあと、短い距離だったがバスで移動(だったと思う。もう記憶が薄れている)。ここが昼食を食べたレストラン。
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 お昼のビール。
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 午後は自由時間になっていた。希望者はガイドが引率して世界遺産のミーソン遺跡に行く(有料)ということだったが、何となく興味が湧かず希望しなかった。で、ホテルの部屋で1時間くらい昼寝をしたあと、添乗員がもう一度、市場や旧市街の方に案内するというので付いて行くことにした。
 これが市場の入口。左の屋根のところに掘り抜き井戸があった。
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 中に入った。手前は広いところに小さな店が並ぶ食堂のようなスペースで、全体を写真を撮ったのだがぶれてしまって使えない。要するに、↓こんな感じの店で食べたいものを買い、周辺に雑然と置かれたテーブルで食べるかたちになっているようだった。
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 奥は細かな食料品雑貨などの店が並んでいた。
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 冷やかしながら通り抜けて反対側に出ると、野菜や果物、肉や魚など生鮮品を並べた屋外市場になっていた。
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 時間的に、ほとんどお客はいないようだった。早仕舞いした店なども目に付いた。
 このあと脇道から午前中に歩いた街並みに出て、三々五々ショッピングをしたり散策をしたりした。妻とあちこち店を覗いて回ったが、実際にこういうところで買い物をするのは難しそうだと思った。
 メインの街並みはさっき写したので、ここでは脇道のお店を。
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 犬が昼寝をしていた。
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 ベトナムでは犬はよく見かけたが、猫はまったく見なかった。ガイドに聞いてみたら、いないわけではないが犬の方が好まれているということだった。

 さて、この日は月に一度、満月の晩に行われるホイアンのランタン祭である。
 午後8時に明かりが消されるということだったが、それまでの過ごし方がツアーの腕の見せどころだったのだろう。5時45分にロビーに集合して、バスでまずレストランへ。
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 夕食後は徒歩で旧市街の小さなカフェへ。
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 ここの2階を借り切って、デザートとお茶をいただきながら二胡の演奏を聴くという企画だった。
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 左の奏者が持つ二胡は中国の伝統楽器だが、右の奏者の長い箱がついた一弦の楽器が興味深かった。ベトナムの民族楽器でダン・バウというものらしい。このあとも旅の期間中に何回か、この組み合わせの演奏を聴く機会があったが、音楽のことはよく判らないがなかなかいいものだと思った。

 演奏が終わって、8時半ごろ店の外に出た。雲はあるものの、月もきれいに出ている。
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 写真ではよく判らないが、上の方が少し欠けていて、厳密には月齢14日くらいではなかったかと思う。お祭りを日曜日に合わせたということだったかもしれない。
 だが、ツアーのタイトルにもなっていたランタン祭はやや期待外れだった。ちょっと考えれば判ることなのだが、たくさんの観光客が押し寄せているわけだし、イメージの中の静かな月明かりの夜というのは望むべくもなく、街路の明かりは消えていたようだが、営業している店の明かりは点いているところも多く、メインの通りやトゥボン川の周辺は人がたくさん出ていて、風情も何もあったものではなかった(写真もうまく撮れなかったし)。
 昼間行った来遠橋はライトアップされていた。何となく興醒めだった。
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 来遠橋から川沿いに出る角地で、野外芝居のようなものをやっていた。
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 川沿いの道では、川に流す灯籠流し(のようなもの?)の舟(のようなもの?)を売っていた。
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 トゥボン川に架かるアンホイ橋というのを渡って向こう岸に行った。川面には灯籠?の光が点々ときれいなのだが、三脚もないし暗いのでどうしてもぶれてしまう。
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 向こう岸も人混みと喧噪はなかなかのもので、ランタン祭のイメージとは結びつかないが、観光客向けのランタンを売る店が並んでいるところが美しかった。
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 有名になりすぎるとこういうことになってしまうのだなと思った。
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 ということで、ホテルに帰り着いたのは9時半をかなり回っていたと思う。疲れた。 

by krmtdir90 | 2016-11-26 22:16 | 海外の旅 | Comments(0)

ベトナムの旅①往路・フエ(2016.11.11~12)

 11月11日(金)。ベトナムへ。
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 成田空港8時10分集合というのは、7:56成田空港着の成田エクスプレスの利用を想定したものと思われる。高尾始発のそれはわが最寄り駅には停まらないから、5:45発の上り電車で一駅進み、八王子駅で5:55発のそれに乗車することになった。家を出たのは早朝5時半過ぎで、冷たい雨が降っていた。
 成田エクスプレスに乗るのは初めてだった。JRはかなり割高だが、一度乗ってしまえばあとは乗り換えなどの煩わしさがないのがいいと思った。成田でも雨は降り続いていた。

 ベトナム航空VN311便は10:00に成田空港を飛び立った。ベトナムとの時差はマイナス2時間なので、機内で腕時計の針を2時間戻した。所要時間は5時間55分、13:55にハノイ・ノイバイ国際空港に着陸した。
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 ハノイの天気は晴れ、気温はよく判らなかったが、たぶん30度近くあったのではなかろうか。湿度がかなりある感じで、日本の夏に似ていると思った。
 ハノイの空港は国際線と国内線のターミナルビルが離れている(850メートル)ので、シャトルバスで移動することになった。
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 こちらが国内線ターミナル。
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 15:50発のベトナム航空VN181便でダナンに向かった。17:10、ダナン空港に到着。
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 ダナンは雨だった。バスでホイアンに向かう。1時間はかからなかったと思うが、暗くなってしまったし、雨も降り続いていたので、車窓の様子などはよく判らなかった。ベトナムは南北に長い国なので、北部(ハノイ)と中部(ダナン・ホイアン)で天気がまったく異なることも多いようだった。

 宿舎のホイアン・ヒストリック・ホテルに入ったのは19時ごろだったと思う。雨が降っていたし、この日は早起きした上に一日が2時間余計の26時間だったので、疲れていて写真などは撮っていない。

 11月12日(土)。フエ訪問の一日。
 われわれのツアーはホイアン・ヒストリック・ホテルに3連泊した。このホテルは旧市街に近い町なかに位置しているが、敷地は非常に広く、3階建ての宿泊棟が何棟もプールのある中庭を囲んでいた。
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 レストランも離れになっていて、昨夜はここに行くのに傘が必要だった。
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 雨は止んでいたが、どんよりした曇り空だった。予報では時々雨の可能性もあるという。ホイアンやフエといった中部のこのあたりは、10月をピークとした明瞭な雨季があり、11月はまだ雨季が明けていないのである。旅行会社がくれた資料によれば、ホイアンの11月の月間雨量は366ミリ、フエのそれは598ミリとあった(因みに東京は89ミリ)。
 ついでに調べておくと、ホイアン・フエは北緯15~16度、ハノイは21度に位置していて、沖縄の那覇が北緯26度であるのと比べるとはるか南であることが分かる。むかし学校で習った知識に照らすと、ベトナムは高温多雨の熱帯モンスーン気候に属しているようだ。

 さて、この日はホイアンやダナンより北にあるフエの町を一日がかりで訪問する。バスで片道3時間ほどかかるらしい。8時にロビーに集合して出発した。参加15人のこぢんまりしたツアーなので、バスの座席も余裕がある。
 車窓の景色は変化に富んでいて飽きることがなかったが、バスの窓越しにこれをカメラに収めるのは非常に困難であることが判った。席の移動も簡単にはできないし、バスの旅というのは写真撮影にはまったく向いていないと思った。面白いと思った景色をほとんど撮り損なったような気がする。
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 ダナンの海。
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 ダナンの町を抜けると山越えの区間になった。海抜496メートルのハイヴァン峠である。
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 10年ほど前に全長6.3キロのトンネルが出来て、ダナン・フエ間の所要時間が大幅に短縮されたようだ。この峠は天気の境目にもなっているらしく、峠を越えたあと、フエに着くころには幸運にも雲間から青空が覗く感じになって、結局このあとの旅の期間中、最後まで傘が必要になることは一度もなかった(妻は日傘としてけっっこう使っていたようだが)。

 ハイヴァン峠を越えた先にランコー村という小さな村があり、砂嘴のようなところに道路が通っていて、その内側に海が大きく入り込んでいるようだった。
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 村を少し過ぎて、道路沿いの小さなドライブインでトイレ休憩を取った。
 駐車場からの眺め。
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 塀を隔てて、すぐ隣に何かの養殖池があった。ベトナムだと何となくエビが連想されたが、実際のところは判らない。
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 犬がいた。けっこう人なつこい犬だった。 
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 再びバスの車窓。
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 道路と並行して、鉄道線路が見え隠れしていた。だが、撮影できたのはこの一枚だけ。
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 ハノイとホーチミンを結んでいる南北縦貫線、通称「統一鉄道」である。
 帰ってからベトナムの鉄道について調べてみたが、現在、飛行機や海運、バス・トラックなどと比べて、交通機関の中で鉄道の占める重要度は低いように思われた。鉄道網が整備されたのはフランスの植民地だった20世紀初頭で、その後は独立戦争や南北分断、ベトナム戦争などで破壊と復旧が繰り返され、施設の更新は遅れ老朽化も進んで、現在はきわめて難しい状況に追い込まれているようだった。幹線であるはずの統一鉄道も単線のままで、国内に電化された区間は存在しないらしい。
 見た感じでは日本と同じ狭軌(軌間1067mm)のように思えたが、実際はそれより狭いメーターゲージ(軌間1000mm)というものが採用されているらしい。気動車は導入されておらず、性能の悪いディーゼル機関車が客車を牽引するかたちになっているが、速度が出ないために速達性に勝る他の交通機関に押されている。運行本数も少ないようだ。

 フエの市内にはいった。市内を流れるフォーン川。
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 交通量が一気に増えてきた。その大半がバイクである。
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 ベトナムに来て何より驚いたのが、圧倒的なバイクの量だった。都市間をつなぐ道路ではあまり目立たなかったが、都市部にはいるとその凄さは想像をはるかに超えていた。日常の足として自家用車はまだ普及しておらず、市民の大半はバイクで動き回っているのである。2人乗りも多く、3人乗り、4人乗りもけっこう見かけた。
 この3人乗り、4人乗りというのはだいたい若い家族で、日本ならコンパクトカーに乗っているところだと思った。3人乗りでは両親の間に子どもをサンドイッチするのが基本形だが、スクーターなどでは前に子どもを立たせている場合もあった。注目すべきは4人乗りで、前に大きい方の子どもを立たせ、次が父親(運転者)、その後ろに小さい子どもをサンドイッチして、後部に母親が乗るかたちになっていた。こちらでは別に特別なことではないらしく、流れに乗ってかなりのスピードですいすい走っているのには驚いた。写真に撮りたいと狙っていたのだが、あとで3人乗りは何とか撮ったが、4人乗りはとうとう撮ることができなかった。

 フエで最初に向かったのが「阮(グエン)朝王宮」。阮朝(1802~1945)はベトナム最後の王朝である。
 これはまず旧市街への城壁の門。バイクや車も中に入って行く。
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 中は広い公園のようになっていて、右手に大砲が幾門か置かれていた。阮朝初期に製造されたものらしい。
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 左手には阮朝のフラッグタワー(旗台)。当初は木製だったようだが、現在のものは1969年に建てられた鉄筋コンクリート製。
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 阮朝王宮は堀に囲まれており、その堀(左側)に沿って整備された遊歩道。
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 結婚したばかりと思われるカップルが記念写真を撮っていた。
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 王宮への入口、王宮門(午門・ゴモン)。
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 ここから先が有料。王宮門を入ったところで、門を背に太和(たいわ)殿を望む。
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 同じような細い柱の門がもう一つあり、
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 これが太和殿。
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 即位式や皇帝の誕生日などに使用された建物だという。ベトナム戦争で完全に破壊され、現在の建物は1970年に再建されたもの。 
 左右に金色の狛犬?のようなものがいた。これは左のもの。
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 屋根の龍の装飾。
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 中に入る。
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 正面に玉座がある。
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 中を回り込んで、建物の裏側に抜ける。太和殿の先は妙に広々としていて、
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 両サイドで徐々に復元は行われているようだが、中にあった王宮の敷地全体の模型からすると、ほとんどの建物は失われたままであることが判った。
 裏側から見た太和殿。
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 外側の方に抜けて行くと、ベトナム戦争時の爆撃で破壊されたまま放置された部分が広がっていた。
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 この先に閲是(えつぜ)堂という、かつて宮廷舞踊などを皇族が楽しんだ建物(劇場)が復元されていた。
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 中に入って見学した。
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 脇に様々な仮面が展示されていた。舞踊の際に被ったものと思われる。
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 これで阮朝王宮の見学は終わり。帰りは最初の駐車場には戻らず、王宮の外側の道をしばらく歩いた。
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 昼食場所のレストランから迎えのマイクロバスが来て、向かった先がここ。イータオ・ガーデンという、ガイドブックの最初に紹介されるような宮廷料理の名店だったらしい。
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 ベトナム料理の牛肉入りのフォーを写真に撮ったのだが、全然美味しそうに見えないので省略。なお、このレストランの中庭で煙草を吸いながら撮った青空が、13日にアップした最初の旅の空でした。

 さて、午後は再びバスに乗って、まずフォーン川沿いのティエンムー寺というところに行った。
 駐車場から歩いて行く途中にいろんな露店が並んでいた。
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 これが正面。
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 階段の手前が車やバイクが入って来る狭い道路で、反対側はフォーン川に落ち込む崖のようになっている。これ以上は下がれないので、写真を撮るのはけっっこう怖い場所なのである。
 1601年創建の古いお寺で、この塔はトゥニャン(慈悲)塔と言うらしい。
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 塔の奥のこの門を抜けて行くと、
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 本堂があった。これはダイフン寺と言うらしい。
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 堂内正面に金の布袋様がいて、
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 上がって行くと奥にお釈迦様が祀られていたようだが、あまり興味が湧かず、写真は撮っていない。
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 このあと外に出て、左手の方から敷地の奥の方を一回りした。いろいろあったけれど興味が湧かず、写真は撮っていない。
 なお、このお寺はベトナム戦争中、住職が政府に抗議して焼身自殺したことでも有名で、そのことを記したコーナーなども屋外に設置されていたが、もちろん日本語で書かれていたわけではないので、そのまま通り過ぎてしまった。そういうニュースは記憶にあったが、その場所だったからと言って、ドラマやアニメの聖地巡礼でもあるまいし、何となく不謹慎な気がして写真を撮る気にならなかったのである。

 このあとバスが向かったのは、フエ市郊外の山道をたどった先、小高い丘の上にあるカイディン帝陵というところだった。階段がたくさんあるというのは聞いていたのだが。
 まずこの階段を上がり、
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 さらにこの階段を上がる。
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 数年前ならまったく何ということもない階段なのだが、膝がおかしくなってからはこの程度でもかなり神経を使う。途中に踊り場がないのが辛い。ただ、まだ上り下りできるのだから良しとしなければいけないだろう。
 上り切ったところにこんな建物があり、
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 右手に、象や、
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 いろんな石像が並んでいた。
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 さらにこんな装飾のある階段を上ると、
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 これが最後の建物。啓成殿と言うらしい。
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 カイディン帝は阮朝第12代の皇帝(1916~25)で、この陵は生前から建設が始まり、1931年に完成したものだという。
 内部には皇帝の像や写真などが飾られた祭壇があった。遺体は地下に埋葬されているらしい。
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 上からの眺め。撮影時刻は午後3時51分である。
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 これでフエ訪問の日程はすべて終了した。再びバスで3時間余り、途中であたりはすっかり暗くなり、ホテルに帰り着いたのは午後7時をかなり過ぎていたと思う。

 ホテルの夕食時に頼んだビール。こちらでは必ず缶や壜で出て来た。
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 ベトナムのビールはいろんな種類があったが、刺激は若干弱いものの、日本のビールに似ている感じで美味しかった。まあ、毎日暑くて汗をかいていたからね。
by krmtdir90 | 2016-11-24 22:04 | 海外の旅 | Comments(4)

北海道の鉄路を守るために(その2)

 18日(金)、JR北海道は同社単独では維持困難な路線を正式に発表した。対象となる線区は1237キロで、同社が運行する在来線の5割以上に上っている。
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 毎日新聞に載った図版を転載させてもらうが、赤で表示された4線区は「廃止してバス転換」、青の9線区は「路線を維持するのであればその費用負担を地元自治体と協議」となっている。想定されていたこととはいえ、こうして正式発表がなされた以上、JRが目指す2019年度中の合意形成に向けてスケジュールが進んで行くことになるのだろう。
 この問題については過去にもこのブログで取り上げているので、背景などについて再度確認することはしない。だが、はるか以前から予想されていたこの結末に対して、これまで何の対策も取って来なかった国と北海道の責任は重大ではないだろうか。この期に及んでも国や道の動きはほとんど見えていないし、このままJR北海道と地元自治体に対策を丸投げしたまま、貴重な鉄路が失われていくのを何もせずに傍観していようというのだろうか。
 北海道の動きが現実となっていけば、他のJRの赤字ローカル線にも波及していくことは目に見えている。いま北海道のこの流れを止めないと、将来に大きな禍根を残すことになると声を大にして言っておきたい。稚内や網走から鉄路が消えることなど、とうてい容認できるものではない。

 さすがに今回ばかりは、各方面から危機感に基づく様々な解説記事や主張が出て来てはいる。目に付いたものは読んでみたが、それらを踏まえてわたしなりの考えを少し書かせてもらうことにする。

 まず、いくら車社会になったからといって、基幹となる公共交通機関として、鉄道の役割が消えてしまうことはありえないということを確認しなければならない。高校生の通学の足であり、高齢者の重要な移動手段であり、中長距離を移動する場合の車に代わる選択肢である。観光の足としても、近年は鉄道の旅が世界中で見直されてきているらしい。
 もちろん、沿線住民の減少によって、これらのローカル線がもはや維持不能の赤字状態に陥っていることは承知している。どうあがいてみても回復できないところに来たので、会社としては今回の発表をするしかなくなったわけだが、この問題の責任を最初から経営破綻が見えていたJR北海道のこととして座視してきた国と北海道が、このまま知らん顔を決め込んでいいとは思えないのである。JRとしては当面沿線自治体と協議するしかないのかもしれないが、いまはまず国や北海道が率先して、現存する鉄道線路はすべて維持するのだという大枠を示さなければいけない時だと思う。地方創生だの何だの、中身のないスローガンを並べるだけでなく、それにしっかりと実態を与える必要があるのではないだろうか。稚内や網走だけでなく、鉄道のなくなった町はさらに人口減少が進むことになるだろう。果たしてそれでいいのかどうか。

 どこかに書いてあったことだが、道路というのはその建設から保持、その後の維持管理まで、基本的にすべて国や県(道)や地方自治体が行っているのが普通である。国道・県道(道道)・市道といった呼び方がそれを表している。道路の維持管理にどれほどの税金が投入されているのかは知らないが、少なくとも鉄道線路の維持管理に必要な金額よりはるかに多い金額が道路に注ぎ込まれていることは確かである。
 一方で、鉄道線路の維持管理はすべて鉄道会社が自前で行っている。道路よりはるかに少ないと言っても、経営難の会社にしてみれば馬鹿にできない額なのである。赤字というのは、この部分の費用が削れないことが大きく影響している(JR北海道はずいぶん前からギリギリに切り詰めており、それが原因で何度も事故や不祥事を起こしたことはまだ記憶に新しい)。
 今回の発表で、地元自治体との協議に向けてJR側が提起している「上下分離方式」というのが、この点を改善していく有力な考え方として注目されている。これは、線路や車輌などの鉄道施設(下)は自治体が保有して維持管理に当たり、鉄道会社は主として運行(上)や営業に関わる部分を担うというものである。EU諸国やアメリカなどではほとんどこのかたちに切り替わっており、世界の鉄道事業はこの経営形態に一新されているのである。
 ただし、このインフラ(下)部分を予算規模の小さい沿線自治体(町や村)が支えていくということでは、人口減少に直撃され自治体間の格差なども顕在化していることから、それは無理→廃止・バス転換ということになりかねない。ここはどうしても国や北海道が前に出て、地方創生の見地から鉄道という基幹の交通インフラのあるべき姿を考え、一括してこの部分を支えるシステムを構築すべきではないだろうか。新幹線の函館乗り入れや札幌延伸にばかり目を奪われて、北海道全体の在来線をどう維持するのかという問題には、あまりに関心がなさ過ぎたのではないか。

 今朝(22日)の新聞には、昨日(21日)、JR北海道社長が南富良野町と訪ね、8月の台風被害で不通となっている根室本線新得・東鹿越間の復旧工事を断念すると伝えたようだ。この区間は上の地図では赤色の区間に含まれているから、早晩廃止される方向は出ていたのだが、事態は有無を言わせぬかたちでどんどん進行しているのである。滝川・釧路間を結ぶ最長運行時間普通列車2429D(現在は2427D)は、もう二度と走ることはなくなってしまったのだ。
 急がなければならない。こうした問題をしっかり考え、提起できるような骨のある政治家や政党はないのだろうか。新幹線やリニアにばかりうつつを抜かし、こうした地方の足について忘れてもらっては困るのである。北海道を「上下分離方式」のテストケースとし、道路維持よりはるかに安く済む保線や施設の維持管理に必要な費用を捻出しなければならない。道路(バス)は鉄道の代わりにはならないことを認めるべきである。交通弱者の側に立った建設的な施策が待たれている。
by krmtdir90 | 2016-11-22 16:09 | 鉄道の旅 | Comments(0)

高校演劇2016・埼玉県大会(2016.11.19~20)

 11月19・20日の2日間、彩の国さいたま芸術劇場に埼玉県高校演劇中央発表会を見に行ってきた。前日にベトナムから帰って来たばかりで、かなり疲労は残っていたが、1、2校でちょっと睡魔に襲われたのは事実だが、基本的に居眠りすることもなく、10校の舞台をしっかり見させていただいた。以下、幾つかの学校についてだけ書かせてもらうことにする。

 農大三高の舞台「翔べ!原子力ロボむつ」を「コピーじゃないか」と否定する人がいたらしい。審査員がどう考えていたかは知らないが、何をもって「コピー」と判断するのかはきわめて不明確なものであり、台本に忠実であろうとすればおのずと似てしまうところは出てくるものだと思う。また、この言い方をする人は、既成台本をやる場合は(審査する場合も)すべてオリジナルの舞台を見ていなければならないという、無理な要求を前提にしていることに気付かなければならない。
 畑澤聖悟氏のこの台本は、基本的には何もない舞台上で、役者の(集団であれ単独であれ)動きとセリフだけでストーリーを展開させていくものである。しかも、それは非常に完成度の高いものになっているため、演じる学校は自分たちなりの個性や改変を加えることが難しい本だったように思う。昨年の「もしイタ」もそうだったが、地域に根ざした問題を扱っているために、たとえば言葉一つを取っても、その土地の言葉を忠実に「コピー」するしかないのである。
 地域性の高いこうした台本をそこから遠く離れたところで取り上げるのは、それだけで大きな困難を伴う作業である。しかも、農大三高の選んだ2本の台本は、高校生が舞台として成立させることがなかなか難しい台本で、どこの高校でも簡単に手を出せる種類のものではなかったと思う。津波に襲われることは絶対にない、原発とも放射性廃棄物(中間貯蔵施設や最終処分場)ともまったく縁のない埼玉の地で、積極的にこれを取り上げようとした農大三高の挑戦は正当に評価されなければならないと思う。実際、彼らは水準を遥かに超えた舞台を作り上げていたのである。
 高校演劇(部活動)が教育の一環であるなら、この舞台を作っていく過程で彼らがこの問題で多くのことを学び、この上演を通じて客席にもその問題意識を届けられていたことが認識されなければならない。審査員は誰もそのことに触れていなかったが(地区審査に行ったSさんは触れていた。さすが!)、仮に「コピー」から出発していた部分があったとしても、青森県と埼玉県の遥かな隔たりを彼らが一生懸命跳び越えようとした意欲は否定されるべきではないと思う。わたしの中では、この舞台が最優秀だったことを言って置きたい。

 現実の方で最優秀になった秩父農工科学の「流星ピリオド」については、あまり語りたいことがない。審査員が述べていた「これを評価する理由(らしきもの)」はどれも納得できるものではなかったし、この舞台の良さがわたしにはまったく伝わってこなかった。舞台上で生徒たちにこんなことをやらせてどんな意味があるのかが判らなかった。LINEという「現代風俗」を取り上げたことは新しく見えるが、そこにある問題意識は案外底が浅く薄っぺらで、最後の唐突な飛び降りのシーンを含めて、「思わせぶり」と「作為的衝撃」だけの表面的描写に終始していたように思う。審査員のどなたかが今回も「総合的力量」の言葉を使っていたと思うが、この手の「神話」に審査員が依然として囚われているようでは生徒が不幸だと思った。

 新座柳瀬の「Love&Chance!」が関東大会に駒を進めたことは、この地区(西部A)にずっと寄り添ってきた者としてはこの上なく嬉しいことである。高校演劇にとっては確かに異端の舞台だが、こういう楽しい世界があるのだということをアピールできたのはとても良かったと思う。地区大会の時はまだ見え隠れしていた弱点が見事に修正され、楽しいだけで後に何も残らない(幸せな気分だけが残る)王道コメディの一つのかたちが完成していた。
 わたしの中では、この舞台はもう一つの最優秀である。客席を完全に捲き込んで、ちょうど5年前の「I Got Rhithm!」を彷彿とさせたが、あの時は成り行き任せの思いがけない展開というところがちょっとあったと思う。しかし、今回は違う。すべてが作者の作戦であり、意図的な計算によってこれが実現されたことは素晴らしいことである。もちろん、芝居には無数の想定外が起こり得るのだが、長年標榜してきた「大衆演劇」のツボを立派に獲得していたのは確かだと思う。生徒たちも地区大の時よりまた一段と成長して、実に伸び伸びと役を演じていたのが印象的だった。
 今後(関東後)に向けて一つだけ書いておきたいと思う。部員が少ない中ではなかなか大変なことなのだが、大道具はやはり生徒に作らせる方向を模索してほしい。今回のように大道具の美しさを褒められたりすると、ほとんど顧問が作ったものでは申し開きができないと思った。少なくとも半分以上は生徒が作るのが高校演劇だと思っている。しっかり教えてやれば、男女にかかわらずけっこうやれるものです(時間はかかるけれど)。

 今年の県大会は、出場10校中4校を「コピス」の仲間が占めた。ずっとコピスのフェスティバルに関わってきた一員として、これは素直に喜んでいいことだと思っている。上記の農大三高・新座柳瀬に、「生徒総会」を演じた県立坂戸、そして「男でしょ!」をやった星野である。
 こうして並んでみると、4校の舞台はいずれも他に抜きん出た個性を持ち、それぞれが独自で多様なかたちでお客さまに楽しんでもらおうという、一本の芯のようなものが通っていたのではないかと思う。お客さまがいて初めて自分たちは存在できるということ、これは明らかにコピスの経験によって培われた感覚であり、われわれが大いに誇っていいことではないだろうか。コピスのフェスティバルは内向きの自己満足(どことは言わないが)とは無縁なのである。
by krmtdir90 | 2016-11-21 16:09 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(6)

旅から帰って

朝7時ごろ、成田に帰って来ました。機内では眠れなかったので、11時過ぎに家に着いてからはずっとだらだらしていました。
夕食は、マグロのお刺身➕湯豆腐➕お酒(日本酒!)。やっぱり日本が一番です。
けっこう疲労しているようなので、今夜は早寝します。旅日記は県大会の感想の後になりますか。
では、おやすみなさい。

by krmtdir90 | 2016-11-18 20:26 | 海外の旅 | Comments(0)

ハロン湾の空

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ハロン湾の空です。ずっと好天に恵まれています。こちらは完全な夏です。間もなく11時になります。
by krmtdir90 | 2016-11-16 12:47 | 海外の旅 | Comments(0)

また旅の空

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11日(金)に成田を発って、また妻と旅の空です。
これはベトナム中部の町フエの空です。昨日の昼食を食べたレストランの中庭で、煙草を吸いながら撮りました。こちらはまるで真夏のようです。汗だくになっています。
いまはホイアンのホテルの部屋で、1時間ほど昼寝タイムです。2時からまたホイアンの町歩きに出ます。時差がマイナス2時間なので、日本では間もなく4時でしょうか。
18日(金)に帰ります。19、20日の県大会にはもちろん行くつもりですが、たぶん疲労は残ると思うので、つまらない芝居だと寝てしまうかもしれません(笑)。
では。

by krmtdir90 | 2016-11-13 15:29 | 海外の旅 | Comments(0)

映画「続・深夜食堂」

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 「深夜食堂」という原作マンガが人気を集め、連続テレビドラマになってけっこう注目を集めていたことなどは何も知らなかった。テレビドラマを見る習慣がなかったし、マンガにもずいぶん昔に興味を失っていた。だが、これはその後映画化もされ、2015年1月に公開されていた。今回の映画はその続編ということになる。
 実は、わたしはこの劇場版の第1作にまったくの偶然から出会っている。2015年5月22日、カナダのトロントから帰る飛行機の中で、眠れない機中泊の時間潰しに座席の背の小さなモニター画面で見たのである。眠れないとはいえひどく疲れていたし、飛行機のゴーゴーという音がうるさくて、イヤホンの性能もあまり良くなかったようで、セリフは聞き取りにくいし、まあ言ってしまえば、考え得る最悪の状態での出会いだったと思う。しかし、何というか、それでもこれはなかなか良くできた映画だということは判ったのである。演技にも演出にも、こういうものにありがちな過剰なところがないのが気に入った。やり過ぎないし語り過ぎない、このゆるい感じが妙に心地よく記憶に残った。

 続編が公開されると知って、映画館のスクリーンといういい条件の下で、一度きちんと出会っておきたいと思ったのである。しかし、これは見る前からだいたいどんなことが展開するのか想像できてしまう映画である。わたしのような者でもそうなのだから、見に来ている人はみんなそのつもりで見に来ているのだろう。これなら大丈夫という安心感があり、マンガやテレビドラマと連動した新しいかたちのプログラムピクチャーになっているのだろうと思った。
 実際、見ていて裏切られることはなかったし、客席の雰囲気もとてもいいものだったと思う。実に自然な笑いが出ていたし、わたしもそういうところでは気兼ねなく笑いを洩らすことができた。映画の方が控え目だと、客席というのはそこに寄って行きたくなるのである。

 上映時間の108分が3つのパートに分かれていて、深夜食堂「めしや」を訪れたお客の3つの物語が並んでいる。テレビドラマは30分物だったようだが、そこで何回となく繰り返されてきたパターンを、一話につき少し長めに時間を取って描いたかたちになっているのだろう。映画だからといって改まったところがないから、マンガやテレビドラマから来た観客もわたしのような初心者も、安心して気が許せる感じになるのだと思った。
 そして、何よりもこの映画が成功した大きな理由は、「めしや」のマスター(小林薫)と常連客が作り出す何とも言えない雰囲気の良さにあるのだと思う。考えてみれば、午前0時に開店する店というのも何やら訳ありな気配があるし、そこを訪れるお客たちというのも、みんながなにがしかの事情や屈託などを抱えているのである。だから、この店に暗黙のルールがあるとすれば、それはそれぞれへの気遣いであり気配りというものなのだろう。テレビドラマが始まったのは2009年だったようだから、マスターを始めお客相互のあうんの呼吸やゆるゆるとした居心地の良さいうものが、時間をかけてしっかり醸成されてきているのだと思った。

 お客(それを演じる役者)たちはこの空気の中に身を置くことで、自然に心が素直になっていくように感じられた。いま流行りの「癒し」という言葉は好きではないのだが、癒されながら自分自身の弱さにも向き合うことができるようになるのである。その時、マスターの小林薫が基本的に受け身で、多くを語らないところが絶妙だと思った。ほんのちょっと、しかし明らかな戦略として「ちょっとだけ」やり過ぎてしまう演技や演出が多い中で、この匙加減というのは案外稀少のような気がした。監督の松岡錠司はテレビの時からこれに関わってきた人のようだから、ある意味手慣れたものだったのかもしれないが、変な色気を出していないのが好感が持てると思った。
 いろんな意味でルーティンが魅力になっている映画として、渥美清の「男はつらいよ」(山田洋次)を思い出してしまったのだが、いまにして思うとあれはやり過ぎと感じさせるところも多かったように思えて、個人的にはこの「深夜食堂」の方がずっと好きである。テレビなどのマスコミのやり方がどんどん過剰になっている現代だから、逆にこういう控え目が新鮮だし、いいなと感じさせられるのだと思った。シリーズとして育てて行ってもらいたい映画である。
by krmtdir90 | 2016-11-09 21:32 | 本と映画 | Comments(0)


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