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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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映画「セールスマン」

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 イランの正式国名はイラン・イスラム共和国と言うようだ。イスラム圏の国々について、その実態や相違点といったことをわたしはほとんど知らないと思う。この映画は先般、アメリカのアカデミー外国語映画賞を受賞したにもかかわらず、トランプ政権が打ち出したイランを含む特定7カ国からの入国制限に抗議して、イラン人である監督のアスガー・ファルハディと主演女優のタラネ・アリドゥスティが授賞式をボイコットしたことで話題になった。ニュースに接しても、両国の歴史的経緯やイラン国内の状況をよく知らないから、もう一つわかりにくいところが残るのが歯がゆい気がした。
 この映画はイランの首都・テヘランを舞台に、現代のイラン・イスラムの生活や社会状況などを様々な面から映し出してくれる。もちろんそれは、ストーリーの背景としてということなのだが、知らなかったそういう事柄に生々しく触れることができるのは、映画というものの持つ素晴らしい側面だと思う。こんなことを書くのは、この映画がイスラムのことを何も知らなくても引き込まれてしまう、緊迫感溢れる上質の心理サスペンス映画になっているからである。観客としては、まったく有無を言わせぬその展開をまず堪能すればいい。その上で、「あれ、変だな。こちらでは、そういうふうになってしまうの?」といった場面に、現代のイラン・イスラムの抱える諸問題が的確に反映されていることを知るのである。

 最も大きな違和感だったのは、事件を警察に届けるという選択肢が彼らの中で排除されていることだった。確かに夫のエマッド(シャハブ・ホセイニ)は何度か警察に行こうと言うのだが、妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)は一貫してこれを拒絶している。また、夫の不在中の出来事に、被害を受けた彼女を病院に運んでくれた隣人たちも誰一人そういう発想は持っておらず、警察に届けてもロクなことにならないと夫を止めたりするのである。
 これは性犯罪被害の場合にありがちな対応とも思えるが、実際どれだけのことがあったのかは妻の口から語られている訳ではないのだし、病院に行かなければならない怪我を負っている事実があるのだから、当然警察による現場検証や捜査といったことが始められなければならないはずだという感想を持ってしまう。だがそうならないのは、イラン・イスラムが持っている社会的通念や矛盾が大きな影響を与えているということなのである。
 この夫婦は近代化が進む首都・テヘランに住む中産階級で、小さな劇団に所属してアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を上演するような文化人である。夫・エマッドは昼間は高校の国語教師をしており、生徒たちからも支持されているような進歩的な人物であるらしい。にもかかわらず、彼らの心理的な底流として、イスラムの感じ方や考え方が濃い影を落としていることが露わになってくるのである。映画は妻・ラナに起こったことを最後まで具体的に明らかにすることはないのだが(映画がそれを描くことはイスラムのタブーに触れることなのだろう)、それが性的な事件であったことが判るだけで、女性が被る心理的抑圧と男性が追い込まれる恥辱の感覚は、イスラム社会では到底容認できない絶対的なものになってしまうようだ。結局、このことが夫を執拗な犯人捜しに向かわせるのだが、それと同時に2人の関係は急速にすれ違って行くことになってしまう。

 「セールスマンの死」の稽古風景や上演の様子が映画の中には何度も出てくるのだが、特に興味深いのは、ウイリーが出張先のホテルの部屋に息子・ビフの訪問を受け、バスルームに隠れた浮気相手の女が見つかって気まずくなってしまうシーンだった。ここでは当然女は半裸で登場しなければおかしいのに、彼らの舞台では赤いコートを着て帽子を被った姿なのである。検閲があるらしいイランでは、「セールスマンの死」を上演することは可能でも、このシーンをそのまま上演することはできないことが示されている。そのあたりの事情はこの映画でも同じであって、アスガー・ファルハディ監督はこの稽古の途中で息子の役者が吹き出してしまうように描いて、これがいかにナンセンスな処理かということを際立たせていた。
 また、この場面で笑われた女の役者が予想外の怒りを爆発させ、彼女の男の子を連れて稽古から帰ってしまうという描き方をしていた。イスラムの彼女は、こうした娼婦のような役を演じることに納得はしていないのが背景にあるような気がした。彼女はいつも子連れで劇団に参加していたようで、もしかすると事情のあるシングルマザーだったのかもしれない。
 エマッドとラナの2人が新たに入居した部屋の前の住人が、娼婦まがいの「ふしだらな商売」をしていた子連れの女だったことが判ってくるのだが、ラナが見舞われた事件の遠因になったと思われるこの女がシングルマザーだったことが想像され、直接何の関係もないのだが、妙に響き合うような設定になっているのである。役者の女性の男の子が一晩だけエマッドとラナの部屋に泊まりに来るシーンがあるのだが、この子が前の「ふしだらな」住人の子どもが残した壁の落書きに、何の躊躇もなく落書きを加えていく様子が捉えられていた。イメージが重なるように、きわめて意識的に作られたシーンのように感じた。

 「セールスマンの死」の内容は、この映画の人物設定やストーリーとは何の関連も持っていない。だが、セールスマンのウイリーを演じるのが夫のエマッドで、妻のリンダを演じているのがこちらも妻のラナであることには、かなり重要な意図と作戦が隠されているような気がする。
 実際のところ、両者の置かれた状況や運命にはこれといった類似点は見当たらない、というか、むしろまったく関係のないストーリーなのだが、両者が何となく響き合い重なり合っている印象は確かに存在すると感じた。劇中のウイリーはみずからの居場所が失われたことを認識して自死するが、映画のエマッドは依然としてラナとの芝居を続けているものの、2人の関係はもはや元には戻らないことが強烈に暗示されて終わるのである。
 どうなったのかをこの映画は明確にしようとはしない。そもそもの事件の具体的状況が、被害者のラナの口から最後まで鮮明にならないことを始め、一度も姿を見せることがない前の住人の「ふしだら」の内実やその子どもとの生活の様子、またその住人と関係を持っていたらしい「犯人」がラナに対してどうしたのかも、エマッドのあれだけ強烈な追及の前でも明らかに語られることはないのである。もちろんそれは、ヒジャブに象徴されるイスラムの女性観と社会的タブーの下で、映画と言えどもそうしたものを描けないという制約から来るものでもあるだろう(このあたりのことは、わたしにはどうもよく判らない)。だが結局、神の立場にある監督がそのことを明確にする必要はないと判断しているのである。それを明確にしなくても、2人の関係は決定的に後戻りできないところに行ってしまったのであり、同様に「犯人」が最後に落命したのかどうかも明確にする必要はないと考えているようである。

 映画では、セールスマンのウイリーが自死に向かって一気に追い込まれていく、舞台上のラストの部分は描かれない。棺桶に横たわるウイリー(エマッド)に向かって、妻のリンダ(ラナ)が語りかけるシーンが映し出されるのみである。逆に映画は、復讐に向かって一気に突き進んでいく夫・エマッドの姿を克明に映し出している。怒りに支配された彼の耳には「これ以上やったら、私たちの仲は終わりよ」というラナの言葉も響かない。
 「犯人」の男が、家族のトラックが空いている時にそれを運転して細々と衣料を売り歩く、貧しい老人の「セールスマン」だったことも「セールスマンの死」に響き合っているかもしれない。観ている時にはまったくそのことは考えなかったのだが、エマッドの追及に「家族にだけは内緒にしてくれ」と哀願した老人は、心臓発作を起こしたことで、駆けつけた家族の前で事実は明かされないまま病院に送られてしまう。
 映画の「セールスマン」というタイトルがこの老人を指しているという見方もあるようだが、わたしにはそういうふうには感じられなかった。老いたセールスマンの末路という意味では重なるところがあるかもしれないが、そこを繋げただけではそれで終わりのお手軽な謎解き映画になってしまうだろう。わたしにはやはり、舞台で「セールスマン」のウイリーと妻を演じていた男と女が、いつの間にか落ち込んでしまった心の陥穽、その「自分でもどうしようもなかった悲劇」を描いた映画という視点が大きかったように思う。自分は知的であり能力もあると信じていた人間が、思いがけない出来事や経緯から人生を狂わされていく、そういう意味では全員がウイリーとつながっていたのだという見方は、やはり少し乱暴が過ぎるだろうか。
(立川シネマシティ1、6月23日)
by krmtdir90 | 2017-06-29 16:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白」

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 北朝鮮と中国の国境地帯がどのような感じになっているのか、実際のところ何一つ知らないのだ。だが、脱北者はとにかく何らかのかたちでこの国境を越えるしかなく、一旦中国に入った上で各自でその先の目的地を目指すことになるようだ。脱北者は当然パスポートも身分証明書も持っていないから、ここから先の脱出を現実的・具体的なものにするために、様々な手配や手助けをしてくれる「脱北ブローカー」という存在が必要になってくるのだろう。
 この映画は、中国側で脱北ブローカーをしているマダムB(べー)という北朝鮮出身の中年女性を主人公にしたドキュメンタリーである。最初のあたりで彼女の仕事ぶりが映されるのだが、彼女のやっていることは当然非合法だから、カメラを回すのにもいろいろ制約があったようで、この部分は不明瞭で断片的な映像が続くばかりで非常に判りにくかった。しかし、この映画は彼女の仕事に密着して、その知られざる真実を暴き出すというようなことに力点を置いているわけではなく、数奇な運命に翻弄されたとしか言いようのないマダムBという女性の生き方を、可能な限り画面に写し取ろうと試みたものなのである。それは驚くべきものと言うしかない。

 現実にそういうかたちの脱北があり得るのかどうかよく判らないのだが、北朝鮮に夫と2人の息子がいる彼女は、十年前に一年間だけ出稼ぎするつもりで国境を越えたのだという。ところが、中国側に入ったところで脱北ブローカーに(仕事があると)騙され、貧しい農村へ嫁として売り飛ばされてしまったらしい。彼女はそこで、逃げるより中国人の夫と義父母との生活を受け入れ、北朝鮮と中国の両方の家族を養うために脱北ブローカーになったのだと言う。
 彼女の中国人の家族との生活が映し出されるが、よく判らないながらこの家族が彼女を中心に回っていることは確かに見て取れる。彼女は図太く逞しく、携帯電話で指示を出して人を仕切り、オートバイに乗ってブローカーの仕事に出かけて行く。彼女は脱北した女性をカラオケ店に送り込んで売春させたり、北から入って来た麻薬を売り捌いたりしたことがあるという。身分を隠すしかない脱北者にとって、生きていくためにはそういうことに手を染めるしかなかったのだと言う。
 彼女が売られた中国の家は、最初は北朝鮮での生活よりもっと貧しい生活だったようだが、いまは彼女の稼ぎによってそれなりのかたちになっているように見える。北朝鮮に家族がありながら、彼女がここで生活し続ける理由はよく判らない。彼女と中国人の夫との口喧嘩の様子なども写されるが、食事の場面や家族との些細なやり取りなどから感じ取れるのは、彼女がここでの生活に馴染んでそれなりの充足を得ているように見えるということである。

 彼女は北朝鮮に残した家族とも連絡を取っており、息子たちの将来を案じて数年前に彼らを韓国に脱北させたようだ。だが、韓国での生活が安定しない息子たちを心配して、みずからも韓国に向かうことを決意する。中国の家族は彼女を理解して送り出してくれるのだが、義父母との別れ、夫との別れなどがあったあと、中国籍を持たない彼女は新たな脱北者と同じように、中国大陸を縦断してラオスからタイのバンコクに向かう過酷なルートをたどることになる。
 監督はこの旅に同行して撮影を続けたようだ。だが、脱北者はバンコクに着くとタイ警察の保護下に置かれるが、韓国籍の監督は不法入国で逮捕されることになってしまったらしい。映画は上映時間72分と短いものなのだが、そこに記録された様々なカットを撮るために(カットとしてはごく短いカットだったりするのだが)、膨大な時間と危険が冒されたことが窺われるのである。
 この映画はナレーションや字幕などで状況を説明することをしないから、判りにくい場面なども多々見受けられるのだが、観客としては片時も目を離せない感じで、その場面の背後にある様々なことを想像しないではいられなかった。監督は韓国籍のユン・ジェホという人で、今年37歳という若手だが、フランスで学びドキュメンタリーの方面で注目されている新人らしい。この映画は2016年製作の韓国・フランス合作映画となっている。

 このあと映画は、10カ月の間を置いて、韓国・ソウルの街で北朝鮮の家族と生活する彼女の様子を映し出す。少ないカットしかないからよく判らないが、家の中での彼らの様子を見ると、北朝鮮の夫や大きくなった息子たちと彼女はあまり心が通い合っているようには見えない。彼女はこちらで、店舗などに設置された浄水器を清掃して回る仕事に就いたようで、その仕事の様子なども映されるのだが、脱北ブローカーとしてエネルギッシュに動き回っていたかつての彼女の面影はすっかり消えてしまったようで、妙に生気のない彼女の姿に驚かされるのである。家族はこちらで、北のスパイではないかという嫌疑をかけられたりしたらしく、韓国という国は脱北者にとって決して住みやすい場所ではないらしいことが見て取れる。
 映画の筋のようなものをたどり始めて後悔したのだが、マダムBという女性のたどった人生はあまりにもいろいろなことが詰め込まれていて、とても整理して並べることなどできないものだと痛感した。監督のユン・ジェホは、彼女を始めその周辺の人々に対しても、よくこんなに心を開いてくれるまで寄り添ったものだと驚きを感じるのだが、それでもこの現実の前では何も言えずに立ち尽くすしかなかったということが見えてしまうのである。編集の中で、恐らくとてつもない量の映像が除外されていったのだろうと感じられた。

 ナレーションや字幕を入れれば生かせたかもしれない映像を、たぶんこの監督は潔く捨てたのだと思う。それは、この女性の生き方は言葉で簡単に説明できるものではないからである。72分はマダムBという女性の、ほんの断片に過ぎないのだと思う。だが、それはとんでもなく重い断片だった。
 映画の終わりは、カラオケ店で一人マイクを持って歌うマダムBの姿である。歌詞は覚えていないが、とにかく女の幸せについて歌ったものだったと思う。彼女は中国を出る時に、韓国でパスポートを取得したら中国に帰って、中国の夫と正式に結婚するつもりだったとどこかで語っていた。だが、そうはならないまま画面はぷつんと途切れてしまう。
 彼女のその後はプログラムに載った監督のインタビューで明らかにされているが、現在はソウルの郊外でバーを経営し、それぞれの家族に仕送りを続けながらも、どちらの家族とも一緒になる道は選ばなかったのだという。彼女なりの筋を通しているということなのかもしれないが、こんな波乱に満ちた人生を見せられては、簡単にそれを論評することなどできるものではないと思った。
(渋谷イメージフォーラム、6月22日)
by krmtdir90 | 2017-06-23 21:24 | 本と映画 | Comments(0)

コピスみよし2017第16回高校演劇フェスティバル(2017.6.18)

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 今年もたくさんのお客さまにおいでいただき、大成功のうちに幕を閉じることができた。わたしは前日(17日)のリハーサルから、本番当日の6校の舞台まですべてを観させていただいたので、とりあえず簡単な感想を書いておくことにする。いつものことだが、感じたことを遠慮しないで率直に書かせてもらうので了解していただきたい。

坂戸高校「修学旅行」
 坂戸高校はこのところずっと連続してコピスに出演しているが、この間にはっきりした部のカラーが出来上がった感じがあって、今回も見事な仕上がりを見せてくれたと思う。前にも書いたかもしれないが、わたしはこの手のハイテンションな舞台作りは実は苦手なのだが、坂戸に限っては「こういうのもありだよなァ」と不思議と納得させられてしまうのである。坂戸は「ここまでやるか」という、やり過ぎになるギリギリ一歩手前のあたりまでキャラクターを立たせて演じるのだが、それが個々のバラバラ感につながってしまうのではなく、互いに響き合って全員で活気溢れる舞台を成立させてしまうのである。これは簡単にできることではない。
 今回、朝一番という難しい上演だったにもかかわらず、朝から満席になった客席をぐいと掴んだまま、ゆるむことなく最後まで引きずり回して?くれたのは素晴らしかった。こんなふうに反応があると客席にいても楽しいし、やっている側も楽しかったのではないかと思う。コピスのフェスティバルが標榜する「お客さまに楽しんでいただく舞台」を、一本目から実現してくれていたと思う。主役の5人はもちろん、それ以外の脇役もしっかり造形できていて、スタッフも含めて全員の力が結集した好舞台になったのではないだろうか。坂戸の舞台によって、畑澤聖悟のこの台本はやはり素晴らしい台本だと再認識させられた。

朝霞高校「酔・待・草」
 竹内銃一郎の傑作台本だが、自分たちとしてこれをどう上演するのかという読み込みが不足していたように感じた。マリヴォーと違って著作権フリーの作品ではないのだから、時間の関係でカットするのは仕方がないとしても、勝手に現代に移したりセリフを変えたりすることは避けなければならない。少しはまずいと思ったのか、プログラムに顧問(たぶん)が言い訳のような「解題」を書いていたが、こんなものを書くくらいなら判りにくいセリフに註をつければいいだけの話しで、そのくせ台本の展開に重要な意味を持つ「全国こども電話相談室」については一言も触れていないのは片手落ちではないだろうか。ケータイやスマホの普及した時代にこの番組が成立するとは思えないし、実際2008年にこの番組は終了しているのである。電話がどこか別の世界とつながっているというワクワクする感覚は、ケータイのような日常化したかたちでは表現できないものだと思う。サンダンスがかける課長への電話口で、仲間がいろんな物真似をして彼をおちょくるというようなことも、ケータイの時代にはもうリアリティが生まれないような気がした。もう一点指摘しておけば、原作で「静かな湖畔」が歌われるのは、「もう起きちゃいかがと郭公が鳴く」という歌詞が、女が眠るように倒れている場の状況と響き合っているとは考えなかったのだろうか。いずれにせよ、台本に対するリスペクトを忘れた改変からは何も生まれないことに気付かなければならないと思う。
 台本の話しばかりになってしまったが、キャストの作り方も方向性が定まっておらず、妙な戯画化を施した部分がまったく客席に届いていなかったことも反省しなければならないと思う。

筑波大坂戸高校と助っ人たち「階段パフォーマンス」
 昼休みのお楽しみとしてすっかり定着した「階段」を、今年も次につないでくれたみんなに感謝である。今年は観客もいままでで一番多かったのではなかろうか。前日のリハではノリが悪くて少し心配したが、本番ではみんな表情豊かに楽しく踊ってくれたのでホッとした。セリフの部分で、もう少し観客の反応を見てから喋れたらもっと良かったのに(もったいないことをした)と思った。来年は舞台の方に出演校として戻って来られたらいいね。

新座柳瀬高校「Love & Chance!」
 「全国」に向けた新キャストの最初の舞台ということで、期待もあったが心配もあった。でも、いまの時点でこれだけ出来ていれば、おおむね上出来の部類に入るのではなかろうか。顧問のMさんとはいろいろ話したが、とにかくまだ一ヶ月以上あるのだから、これから変われる余地はいっぱいあると考えるべきだろう。
 入れ替わったキャストは、現段階ではとてもがんばっていると感じた。特に1年生で抜擢されたリゼットとルイーズは、表情も豊かだし伸び伸びやれている感じで良かったのではなかろうか。リゼットはセリフや動きも多く、物語を転がす重要な役回りだから大変だと思うけれど、自然に出てくる感情の流れを大切にして、これからも思い切ってやってほしいと思った。シルヴィアには2年生が入ったが、2年生ということで少し責任の重さを感じ過ぎているのかもしれない。「感情を大切にして、思い切って」というところで、やや自分を押さえて「形」に逃げてしまっているところが感じられた。この役の華やかさは「形」だけでは生まれない。気持ちの部分をもっと素直に出せるようになればずっと良くなると思うので、何とかきっかけが掴めるようにがんばってほしいと思った。
 一方で、役が替わらなかったキャストもマンネリに陥らず、新鮮な気持ちでやれているようなので安心した。7月20日の壮行公演、期待しています。 

朝霞西高校「ある日、ぼくらは夢の中で出会う」
 正直、ちょっと眠くなってしまった。原因は幾つかあるが、わたしの側のことを別にすれば、キャストのテンポが単調で変化に乏しかったことが大きかったと思う。この台本の要求しているテンポは違っていると思うが、春に観た時「これもありかもしれない」と思ったのだから、この点についてはその前提で今回も観ていた。だが、唯一女子が演じたカトウを始め、全体としてセリフに勢いがつけられなかったことが大きかったのではないかと感じた。勢いというか力というか、とにかくやり取りが総じて元気がない印象があって、セリフが客席まで届いてこないような気がした。カトウが遠慮していてはこの芝居は転がって行かないし、もっとみんなが前に出ようとする姿勢を見せないと、客席を引っ張っていくことはできないだろうと感じた。みんないいものを持っているのに、それが出し切れていないのは残念な気がした。
 あと、照明が暗かったのも残念だった。リハの時から感じていたのだが、長方形に切ったエリア明かりが、アイディアはいいのだが如何せん暗くて立体感に乏しく、キャストを見せるという意味では成功していなかったように感じられた。

星野高校「リトルセブンの冒険」
 この手のファンタジーは星野好みの台本なのかもしれないが、料理の仕方をよほどしっかり考えてから取り組まないと、ただセリフとスジをなぞっただけで終わりになってしまうと思った。ストーリーの展開が早いのだから、逆に一つ一つのシーンがもっと強い印象を残すように作られていなければならなかったのではないか。たくさんいる登場人物のうち、ミラード公爵やクリスタニア女王などはそれなりに強烈なキャラクターを作っていたが、レッドローズや、何よりもリトルセブンの面々がまったく作り切れておらず、その他の面々も含めて、シーンを成立させるセリフのやり取りがちっとも面白くならないのである。たぶんアクが強すぎると感じるくらいでないと、この舞台は面白くならないような気がした。そういうものが星野に本当に合っていたのかどうか。
 どのシーンを例にしてもいいのだが、たとえば最初にレッドが逃げて来て、追っ手の2人に捕まってしまい、サンが2人に酒を勧めるところ。一つ一つのセリフや仕草にどんな意図や思惑があるのかが意識できていないし、すべてがそういうもののぶつかり合いとしてやり取りされなければ、それぞれのキャラクターは出てこないし、そうしたことをもっと強烈に発散しないと、結局何も表現されないまま通り過ぎてしまうことになってしまう。シーンを構成する全員が一丸となってそのシーンを演じてくれないと、ストーリーは痩せ細るばかりなのである。エピソードの積み重ねがあまり客席のワクワク感につながっていなかったように感じられたことを、ぜひ考えてみてほしいと思った。

東京農大第三高校「翔べ!原子力ロボむつ」
 この舞台を観るのは4回目になるが、緊張感のある非常にいい舞台に仕上がっていたと思う。おかしな言い方になるが、部員全員がこの台本を演じることに使命感と自信を持っていることが感じられた。この一体感は素晴らしいものである。以前からずっとがんばっていたが、昨年の「もしイタ」から農大三高は明らかに変わったのだと思う。それは上演以外の場面でも、廊下やロビーで見かける彼らの姿からも感じられるような気がした。
 「もしイタ」の時もそうだったが、回を重ねるたびにドラマの部分が充実してきているのは大したものだと思った。今回もサツキ・ミナヅキの2人が力尽きるところを、これまで見事に重なっていた2人のセリフを微妙にずらして表現したところなど、細かいところへの配慮や作り込みが感じられて感心した。カズキも今回が一番いい出来だったのではなかろうか。
 物語の前提となる放射性廃棄物に関する情報を観客に届けるところも、きちんと意識して丁寧にセリフを言っていることが感じられて良かった。台本に書かれた重いテーマは、この舞台を通じてしっかり観客に伝えられたのではないだろうか。「それにしても、いったいどうするんだ十万年も」と、みんなが考えないではいられない舞台になっていたと思う。
by krmtdir90 | 2017-06-21 21:09 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(4)

映画「冬冬(トントン)の夏休み」

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 ユジク阿佐ヶ谷でやっていた台湾映画特集の最終日、いろいろ用事などがあってきつかったのだが、せっかく台湾映画に興味を持ったのだし、ここで観ておかないと次のチャンスがあるかどうか判らないので、ちょっと無理して出かけて行った。
 製作されたのは1984年、日本初公開は1990年だったようだが、2016年にデジタルリマスター版が「恋恋風塵」とともにリバイバル公開されたらしい。デジタル技術によって復元された、製作時のみずみずしい色彩に触れられるのは素晴らしいことだ。
 ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督のこの2作を観ると、傑作と言われる「非情城市」が観られないのが残念でならないが、それは現時点では仕方がないことである(いまはDVDで観ることを考えればいいのかもしれないが、映画はスクリーンで観たいというこだわりは捨てたくないし、DVDに興味の範囲を広げることには躊躇もある)。したがって、あくまでわたしが知っているホウ・シャオシェンの範囲内で感想を述べたいと思う。

 映画は小学校の卒業式シーンから始まる。はきはきと答辞を読む女の子のアップはあるが、主人公の冬冬(トントン)がアップになることはない。距離を取って映し出された子どもたちの中にたぶんいたはずだが、そこを強調していないのだから、このシーンは主人公を紹介する意味合いは持っていない。それよりも、6月に卒業式が行われて学年が区切られる台湾において、これは夏休みの始まりを意味していることが大きかったのだろう。
 夏休みは毎年やって来るが、小学校を卒業した子どもにとっては、初めて経験する「宙ぶらりんの」特別な夏休みである。9月から中学生になることは決まっているが、それは実感としてはまだまったく感じられるものではないだろう。だが、小学校を終えたということは、疑いもない単純明快な子どもの範疇からははみ出してしまったことを意味していて、これまであまり意識したことがなかった様々な事柄が、不意に彼の「子ども」的なものを揺さぶるのである。
 冬冬(トントン)自身がそういうことを認識していたとは思えないが、ホウ・シャオシェンはそれを明確に意識し、周囲にいる大人の存在を初めて(よく判らないままに)感じ取り始めた少年の姿を、この映画の中にリアルに描き出そうとしている。

 描き出すというのは若干語弊があるかもしれない。彼は意図的な強調や説明的な整理はしていないし、そこには一定の距離を置いて眺めた事実だけが置かれていくのである。ノスタルジーというのがこの映画を端的に示すキーワードのように思えるが、ホウ・シャオシェンがそういう方向に傾いていたかというと、決してそんなことはないように思われる。
 彼は情緒に流れる表現を注意深く避けているし、子ども時代を懐かしさで染め上げようとしているわけでもない。冬冬(トントン)の意識がそんなことを受け止めていたわけではないかもしれないが、彼の中で「子ども」の終わりが始まっている、あるいは「大人」の始まりが忍び込もうとしている、そういう事実をホウ・シャオシェンが見詰めようとしているのは確かなことだと思う。したがって、ここには何かを感じ始めている冬冬(トントン)が確かにいるが、それがどういうものなのかは彼の中で定かになってはいないのである。
 この映画に何とも言えない懐かしい雰囲気が漂っているのは、それはあくまで結果であって、ホウ・シャオシェンはそういうものを売りに出そうとはしていないと思う。

 卒業式で「仰げば尊し」が歌われたことに驚いた。ラストシーンで「赤とんぼ」のメロディーが流れたのにも驚いた。半世紀に及ぶ日本統治の痕跡がこんなふうに残っているのかと、認識を新たにした。冬冬(トントン)たちが夏休みを過ごす祖父の家は、(「牯嶺街」を観ていたから驚きはしなかったが)統治時代に日本の軍属が住んでいたと思われる家屋だし、台北駅で偶然出会った同級生との会話で、夏休みに東京ディズニーランドに行く友だちもいるらしいことが出てきていた。TDLの開園は1983年だから、映画製作時(84年)にはきわめてホットな話題だったはずである。
 経緯はどうであれ、日本の過去と現在に対する人々の意識が、韓国などとはまったく異なることに驚きを感じるのである。「湾生回家」を観た時にも感じたことだが、台湾の人々にわだかまりはないのだろうかと不思議な気がする。少なくともこの映画の中で、ホウ・シャオシェンはそうしたことをまったく意識していないように見える。それは嬉しいことだし、映画の世界にスッと入り込めて親近感を覚えてしまうのは、そういうことも関係しているだろうと思う。
 「恋恋風塵」同様、この映画でも鉄道がたくさん出てきて楽しかった。ホウ・シャオシェンはマニアとは違うかもしれないが、たぶん鉄道が好きなのだなと確信した。台湾の鉄道は多くが日本の統治時代に建設されたもので、線路は日本と同じ狭軌だし、駅の佇まいなどにもどことなく惹かれるものがあるように思う。

 小学校を卒業した冬冬(トントン)はまだ幼い妹の婷婷(ティンティン)と2人、夏休みを田舎の祖父の家で過ごすことになる。母親が病気で入院し、父親が看病で付き添わなければならなくなったためである。初めて両親と離れ、祖父母の許に預けられて過ごすひと夏の出来事を、映画はこの2人(特に冬冬トントン)に即しながら淡々と写し取っていく。夏のきらきらした田園風景が美しい。そこには「よそ者」も簡単に受け入れてしまう素朴な子どもたちの世界があり、対照的に何やら複雑な大人たちの事情も少しずつ見え隠れしている。
 ここに組み込まれているエピソードはどれも非常に印象的なもので、どうということもないと言ってしまえばどうということもないものなのだが、その一つ一つが「ああ、こういうことがあったよな」と感じさせるようなリアリティと普遍性を持っているのが素晴らしいと思った。そして、どれも過剰な描き方をしていないことがこの映画の美点であって、それが結果的にとても豊かなものをそこに表現していると感じた。
 こういう、控え目でありながら多くのことを語っているという映画表現のあり方は、(エドワード・ヤンにも共通した)台湾ニューウェーブの大きな特徴だったのかもしれない。「草原の河」のソンタルジャ監督なども、あのヤンチェン・ラモの描き方でこの映画の影響を受けていたような気がするのである(事実は判らないが)。

 観る者それぞれの子ども時代の記憶と、不思議に響き合うような要素がこの映画の中にはいっぱい散りばめられている。個々の事実やシチュエーションは異なっていても(異なっているのが当然だ)、その時の感覚や気分といったものが鮮やかに呼び覚まされてしまうように映し出されていく。そういう微妙なものが表現されていることに、驚きとともにこの監督の特筆すべき才能を感じるのである。一つだけ書いておけば、寒子(ハンズ)と呼ばれる知恵遅れ(と思われる)の娘など、ああ、子どものころには近所にこういう感じの人がいたなと、誰もが思い当たる節があるのではなかろうか。
 また、子どもを描きながら、子どもの目に映る大人を正確に点描することは簡単なことではない。祖父母や叔父に関するエピソードなどは、そこに大人の様々なストーリーが存在することを、この映画ではごく自然に感じさせてくれるのである。婷婷(ティンティン)はまだ判らないかもしれないが、冬冬(トントン)はこのひと夏で目にした様々なことによって、確実に成長の階段を上がっているのである。それが、少しも特別な描き方をされることがないところがいい。

 母親が手術後に重体に陥ったという知らせが届いた時も、心配と不安でどうしようもない兄妹の姿を決して大仰に捉えようとはしていなかった。2人の中にはこの夏の間中、母親の病気のことが重くのしかかっていたはずだが、それを敢えて感じさせるようなことはしていないのである。翌朝、一命を取り留めたという連絡が来たことも、描き方としては実にさらっと通り過ぎてしまう。このあたりのさりげなさは、逆にいろいろなことを観る者に想像させる結果になっていると思った。
 夏休みの終わりに父親が車で2人を迎えにきて、ここで描かれる別れのシーンも淡々としていて好感が持てた。車が走り去るところに「赤とんぼ」のメロディーがかぶさるのだが、日本の楽曲がこんなふうに自然に使われてしまうことが不思議な気がした。観る者にノスタルジーを感じさせる大きな理由になっていると思った。
 「台北ストーリー」にホウ・シャオシェンが出ていたが、この映画で冬冬(トントン)の父親役をやったのがエドワード・ヤンだったようだ。台湾ニューウェーブの一体感を示す出来事だと思う。
(ユジク阿佐ヶ谷、6月16日)
by krmtdir90 | 2017-06-20 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅③予讃線、松山路面電車(2017.6.12~13)

 6月12日(月)続き
 予讃線・松山駅に着いたのは12:53である。
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 このあと、高松駅21:26発のサンライズ瀬戸に間に合うように普通列車で行くとすると、松山駅15:02発の観音寺行きに乗車しなければならない。したがって、松山での自由時間は2時間ちょっとということになる。この時間の間に何ができるか。
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 まず、とりあえずは昼食を取らなければならない。何か目当てがあるわけではないから、時間節約のために駅の建物の一部であるこのお店に入って、
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 スパゲッティーナポリタンとコーヒーのセットを食べた。食後に外に出てから撮ったこの写真の撮影時刻が13:34。もう残り1時間半を切っている。
 松山駅外観。
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 この反対側に伊予鉄道の路面電車の乗り場があった。
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 結局、そんなに時間があるわけではないから、残りの時間でこの路面電車に乗ろうと考えた。

 実は、わたしは1994(平成6)年にこの松山に来たことがある。一度だけ出ることができた演劇の全国大会がここで開催されたのである。本大会は8月だったが、4月の抽選会の時に松山城や道後温泉など、めぼしいところはすでに行ったことがあって、記憶はすっかり薄れているが、今回特に行きたいところも思いつかなかったのである。

 乗り場へは横断歩道で行くことはできず、地下道を通って行くようになっていた。乗り場の方から見た松山駅全景。
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 右手に見えるホームが降車専用になっていて、
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 ほどなく、この車輌がこちらのホームに入って来た。
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 13:39発、道後温泉行きである。環状線など幾つかの路線があるようだが、最初にこれが来たのだからこれでいい。
 帰ってから調べてみると、この車輌はモハ2100形(2106)というこの路面電車では一番新しい車輌だった。2つのドアに挟まれた中央部分が低床式の座席になっていて、両運転台とその後部が床高になっている。この高床部の右側に2人分の座席がついていて、ここが前方の展望を楽しむには最適の「かぶりつき」席となっている。当然そこを確保。
 これがその「かぶりつき」からの眺め。
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 すぐ左側に運転手さんがいるが、こちらからは見えないようになっている。もう少しズームをかければ、手前の障害物は写り込まない。
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 正面の茂みは松山城のある城山公園のもので、公園内にあるNHK松山放送局のテレビ塔が見えている。確かこの並びに全国大会の会場になった松山市民会館があるはずである。
 しばらく行くと、城山の上に建つ松山城の姿も見ることができる。
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 降車口の上部に掲示された路線図。
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 左下のJR松山駅前と右上の道後温泉を往復したのである。なお、掲示にある通り、乗車料金は全線一律160円だった。

 さて、「かぶりつき」に座ったのはもちろん景色を眺めるためではない。行き違う路面電車を撮影するためである。現在、運行されている車輌には3つの形があるようだが、以下、形別にまとめて掲載することにする(復路で撮影したものもある)。
 まず、いまわたしが乗っているモハ2100形。2002~07年に導入された低床式の車輌で、現在10輌が保有されている。
 2101。
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 2107(復路撮影)。
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 2110(復路撮影)。
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 次はモハ2000形。この形は5輌が在籍し、1978年の京都市電の廃止に伴い京都市交通局から譲渡されたもの。1979年から運用を開始している。
 2002。
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 2004(復路撮影)。
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 3つ目がモハ50形。現在23輌が保有されているが、大きく前期形と後期形に分けられるようだ。まず前期形。1951~57年に製造されたもの。
 54。
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 59。
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 後期形。1960~65年に製造されたもの。
 77。
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 76(復路撮影)。
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 70(復路撮影)。
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 終点・道後温泉駅に入って行く。
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 前の電車がまだホームにいるので、少し待った。ここは左が降車ホーム、右が乗車ホームになっているようだ。
 帰ってから伊予鉄のホームページで時刻表を調べてみると、この電車の道後温泉着は14:04となっていて、ほぼ定時の運行が行われたようだ。JR松山駅前と道後温泉間は25分かかることになり、ここではちょっと周囲の写真を撮るだけで、ゆっくりしている時間はない。
 まず前方の構内踏切を渡りながら、
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 先の方には次の発車の2104が待機している。
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 これがわたしの乗って来た2106。来年は愛媛で国体が行われるようだ。
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 外に出る。
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 ここには風格のある駅舎が建っているらしいのだが、何か工事が行われているらしく、残念ながら全体が工事用シートで覆われてしまっていた。
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 駅前の様子。
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 車輌待機場所。
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 シートに覆われた建物内部のホームへの入口。
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 14:10発、JR松山駅前行き。
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 来た時と同じ車輌だった。また「かぶりつき」を確保した。同じ運転手さんだったら嫌だなと思っていたが、違っていたのでホッとした。
 帰りはちょっと大胆な気分になっていて、そ知らぬふりをしながら車内の様子を一枚。
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 わたしの座っている席と点対称の位置にある高床の座席には、サラリーマンらしい若い男性が座っている。

 さて、復路では有名な坊ちゃん列車とすれ違った。
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 軽便鉄道時代に伊予鉄で使用された蒸気機関車をディーゼル機関車に改造したもので、うしろに2輌の客車を牽いている。
 それと、松山駅前に近い大手町駅前電停を出たところで、踏切の通過待ち停車があった。
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 伊予鉄道では市内線と呼ばれる路面電車のほかに、郊外電車と呼ばれる普通の電車路線を運行している。この高浜線というのがここで路面電車の軌道とクロスしているのである。上りと下り、2本の電車の通過を待った。
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 JR松山駅前に戻って来た。
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 右折して、降車ホームに入って行く。
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 時刻表では14:34着。数分遅れたようだった。
 これで松山での自由時間は終了した。復路の運転手は若い人で、運行中の諸確認をきちんと(小さな)声を出してやっていたので、路面電車の運行時に運転手がどういう確認をしているのか判って面白かった。路面電車専用の信号機の所在なども、その都度確認できて良かった。路面電車を満喫できたと思う。 

 松山駅前にあった正岡子規の句碑。
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 「春や昔、十五万石の城下哉」。病を得てからの1895(明治28)年の作らしい。

 松山駅は2面3線の駅である(構内には車輌基地が置かれているので、側線がたくさん走っている)。跨線橋を渡った島式ホームの2番線に、15:02発の普通列車・観音寺行きが入線している。
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 JR四国の7000形という電車である。伊予市駅からこちら、高松までは電化区間である。
 内部はロングシートとボックスシートが点対称に配置されたセミクロスシート。
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 2輌編成なのでまだ車内はガラガラである。それでも2輌ということは、恐らくこのあと下校する高校生の利用が想定されているのだろう。終着の観音寺まで、約3時間半の道のりである。

 発車して間もなく、3つ目の堀江駅で思いがけず廃貨車利用の駅舎にぶつかったが、停車位置が悪くうまく撮れなかった。
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 けっこう海に近いところに出たりする。
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 大浦駅で追い抜かれ停車があった。
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 走り去ったのは松山発・特急しおかぜ24号・岡山行き。2014(平成16)年に登場した、8600系というJR四国最新の特急型電車である。
 大浦駅、15:45発車。

 このあとしばらくは写真がない。今治駅で10分の停車時間があり、その間に大量の高校生が乗り込んできたのである。予讃線もこのあたりに来ると、四国でも最も開けた地域を縫っていくことになり、多くの高校生が鉄道を利用して通学しているようだ。16:28に今治駅を出たあと、16:40の伊予桜井、16:51の壬生川(にゅうがわ)と、新たな高校生が乗車してきて、もちろん下車していく生徒もいるが、車内はおおむね高校生に占領された状態が続いた。わたしのボックスにも礼儀知らずの男子高校生が入って来て、しばらく我慢の時間が続くことになった。
 17:07着の伊予西条駅で多くの高校生が降りて行ったが、
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 まだ乗車する者もおり、さらにここで後ろ1輌が切り離されてしまったので、車内の混雑はあまり緩和はされなかった。17:10、伊予西条駅発車。
 17:23、新居浜駅でも下車と乗車があったが、このあと次第に高校生の姿は減って行った。17:49、県境に近い伊予三島駅に着くころには、車内はすっかり空いて元の静けさを取り戻した。ここで行き違いや追い抜かれのために、19分の停車時間があるという。気分転換にゆっくり外に出て来た。
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 跨線橋の下のホーム上に喫煙スペースがあったので、煙草を一本吸った。18:08、伊予三島駅発車。
 次の川之江駅(18:13)で愛媛県(伊予)の駅は最後になった。高校生は基本的に県境を越えることはないのである。高校生は地方のローカル線にとって大切なお客さまだから、その姿が見えるというのは嬉しいことには違いないが、あまりたくさんいるとどうしても態度が大きくなって、一般客には迷惑なところもあるなと思った。

 香川県(讃岐)に入って最初の駅、箕浦駅で交換待ち停車があった。ここがまた廃貨車利用の駅舎で、こんどはしっかり撮影することができた。
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 道路を一本隔てて、すぐ向こうは海(瀬戸内海)である。ただ、停車時間は短かったから外に出たりはしなかった。行き違ったのは普通列車・伊予西条行き。
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 18:20、箕浦駅発車。
 18:30、観音寺駅到着。乗り継ぎ時間が12分あるので、外に出て来た。
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 18:42発、高松行き普通列車。
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 2輌編成だが、後ろ1輌は回送扱いで閉鎖されている。いよいよ先が見えてきた。

 19:00を回ったあたり、詫間駅と海岸寺駅の間で列車は海にぐっと近づいた。瀬戸内海の夕暮れである。
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 このあとあたりは急速に暗くなっていった。19:22発の多度津駅で、閉鎖されていた後ろ1輌が開放された。予讃線はここまでがずっと単線、ここから先ようやく複線になるのである。
 19:51、少し遅れたが列車は高松駅に到着した。
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 これで予讃線と内子線を(伊予灘線の部分を残して)普通列車で乗り通したことになる。あと四国で乗っていないのは、その伊予灘線と予土線だけになった。

 さて、夜の高松駅。
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 一旦、外に出て来た。
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 駅ビルの2階の「手打ちうどん杵屋」という店で夕食にした。店員の女の子が今晩のお薦めだというので、冷やしちくわ天とろ玉うどん730円というのを食べた。
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 最後に讃岐うどんが食べられて満足した。駅前広場の喫煙スペースで一服してから、駅ビル1階の土産物売場で買い物、さらにセブンイレブンで明日朝のサンドウィッチや水などを購入してから、改札を入った。駅員さんに聞いたら、サンライズは30分前に入線するという。
 で、確かに30分前にやって来たサンライズ瀬戸。
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 写真を撮ろうとしたら、あっという間にヘッドライトが消えてしまった。不満だが仕方がない。
 帰りは14号車24番なので、またしても先頭車輌である。ホームの一番先まで歩いて行かなければならない。しかし、30分前なので時間はたっぷりある。
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 一旦車内に入り、荷物を置いてホームに出る。ホーム先端部には喫煙スペースがあるので、ここで最後の一服(喫煙車輌は染み付いた臭いが嫌なので、今回は往きも帰りも禁煙車両を取っている)。
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 一番外側の9番線ホームに停車中のサンライズ瀬戸。
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 ヘッドライトが点くのはたぶん発車間際だろうから、待っているのも馬鹿らしいので、これはフラッシュを焚いて撮影。
 14号車。2階のスクリーンの開いている窓がわたしの部屋である。
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 部屋に入って、寝酒のウイスキーを飲み始めたあたりでサンライズは高松駅を発車した。夜の瀬戸大橋を渡り、岡山駅で「出雲」との連結が行われ、結局大阪あたりまで何となく眠れなかった。

 6月13日(火)
 富士山は今回も見えなかった。富士・沼津間で撮影したこの日のサンライズ。
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 東京駅、7:08着。
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by krmtdir90 | 2017-06-19 22:57 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅②予讃線・内子線、内子座(2017.6.12)

 6月12日(月)
 前の晩はけっこう早く寝たのだが、やはり寝台夜行の疲れがあったのか、朝は6時ぐらいまで寝てしまった。でも、爽快に起きて朝風呂にもちゃんとはいることができた。
 ホテルの窓から、朝の宇和島城天守閣(アップ)。
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 天気予報は四国全域で晴れマークが中心になっていて、暑くなりそうだがとりあえずはホッとする。きょうは宇和島から高松まで、普通列車を乗り継いで予讃線と内子線をたどって行くつもりである。帰りのサンライズは21:26発なので、時間はたっぷりある。

 宇和島駅改札口。
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 宇和島は終着駅なので、頭端式の櫛形ホームである。2面3線の単式ホーム1番線に停車しているのは、8:40発の特急・宇和海8号・松山行き。向かいの島式ホーム2番線に停車しているのが、わたしの乗る8:45発の普通列車・松山行きである。
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 この車輌はキハ54形だが、北海道で見かけるキハ54形とは外装・内装ともに大きく異なっている。こちらはドアがバス部品転用の折り戸になっているほか、窓サッシなども簡単な構造になっていて、内部はロングシートでトイレが付いていない(トイレがないことは放送で繰り返し強調されていた)。
 3番線ホームに当駅終着の単行が入って来た。
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 この車輌はキハ32形だった。54形と比較すると車体がかなり短い。九州で見たキハ31形と並んで、究極のローカル線向け気動車という感じである。なお、この32形はJR四国にだけ残っている車輌のようだ。
 ホームの先端の方に喫煙スペースがあったので、まだ発車まで間があるので一本吸った。
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 さて、キハ54の車内はこんな感じ。
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 わたしはこの最前部右手の、進行方向が一番よく見える座席を確保した。

 1番線の宇和海8号が先に発車し、8:45、わたしの乗ったキハ54も発車した。
 車内はすいていたのだが、一つ目の停車駅・北宇和島で一人の老婦人が乗車してきて、わたしのすぐ横の席に座った。ワンマン運転だから、普通は後ろから乗車して前から下車するのだが、この人はホームのかなり前寄りで待っていたので、運転手が前扉から乗車させてあげたのである。すいているのだからもう少し離れて座ればいいのにと思っていたら、悪い予感通りこの方がわたしに話し掛けてきたのである。
 わたしは話し掛けやすい雰囲気があるのだろうか。最初は無愛想に答えていたのだが、途中から諦めてお相手することにした。要するに、普段鉄道を利用したことがまったくなく、この日は初めての病院を訪ねて下宇和駅まで行かなければならないのだが、不安でたまらないということらしい。料金表示の駅名を見ると、下宇和は4つ目の駅のようだから、そのくらいならお話ししてもいいかなと思ったのである。
 まあ、けっこう楽しくお話しさせていただいたと思う。と言っても、話していたのはほとんどこの方の方で、わたしはもっぱら聞き役だった。ご家庭の様子などが主だったが、話しはあちこち飛躍した。こちら出身の方だが、30過ぎまで大阪で生活したそうで、そう言えばどことなく「大阪のおばちゃん」という雰囲気があるなと思った。

 「おばちゃん」が下車して行った下宇和駅というのは、畑などが見えるけっこう田舎の無人駅で、チラッと見せてくれた書き付けには確かにこの駅名が書かれていたが、ホントにここで大丈夫なのかと心配になった。ここは2面2線の交換可能駅になっていて、車内放送で2本の行き違いがあるというので外に出てみた。老婦人は踏切を渡った反対側のホームにいた女性に話し掛けていたから、病院への行き方は教えて貰ったのだろう。まあ、いろんなことがあるものだ。
 この左寄りに写っている赤い服に帽子を被った女性である。
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 行き違いになった特急・宇和海5号・宇和島行き、アンパンマン列車。
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 同じく行き違いになった普通列車・宇和島行き(なぜか3輌編成)。
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 下宇和駅、9:19発車。

 八幡浜駅でまた交換待ち停車があった。時間があったので外に出て来た。
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 行き違ったのは特急・宇和海7号・宇和島行き。
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 八幡浜駅、9:54発車。

 宇和島を出てから、このあたりはずっと非電化単線なのだが、比較的海に近いルートをたどっているのにトンネルが多い。讃岐平野などを除けば、四国は基本的に山の多い地形で、海沿いに山が迫り出したようなところも多いようだった。

 伊予大洲駅に入って行く。
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 ここでまた交換待ち停車。交換したのは普通列車・八幡浜行きだが、すでに入線していたので停車時間は長くなかった。
 ホームの駅名表示。
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 右の行き先の方が2つに分かれているが、ここで予讃線と内子線が分岐しているのである。ホームに路線図が掲示してあった。
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 左側の空色のルートが元々の予讃線で、この伊予大洲から右側上方の内子までが行き止まりの内子線だったのである。1986(昭和61)年に向井原・内子間をつないで、松山方面から直接内子に行けるルートを作り、黄色表示の短絡線が完成してからは、特急などは基本的にこちらを通って時間短縮を実現したということらしい。普通列車はこの両ルートをほぼ交互に運行しているらしいが、いま乗っている列車はこの内子経由の線路を行くのである。
 伊予大洲駅、10:18発車。
 間もなく線路は2つのルートに分岐して行く。
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 左が伊予長浜経由・愛ある伊予灘線で、右がこの列車が行く内子経由の短絡線である。

 内子駅に入って行く。2面3線の高架駅である。
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 10:34着。途中下車する。
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 時刻表によれば、この列車はここで25分停車することになっている。そのため、下車した時にはたいてい写すことにしている発車して行く列車の姿はない。
 エレベーターはあるがエスカレーターは設置されていない。長い階段を下りて、改札口を出る。
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 左手に路線図と発車時刻表があった。
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 見ての通り、わたしが乗って来た普通列車は10:59発なのである。そして、時刻表を埋めるのはほとんどが赤色の特急列車で、次の松山行き普通列車は12:05発である。したがって、ここで約1時間半の自由時間が取れることになる。
 出口のところに「まち歩きマップ」が置いてあったので、かねてから興味のあった重要文化財・内子座に行って来ることにした。
 その前に、内子駅・駅舎外観。
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 左手に旅里庵という観光案内所があったが、行きには寄らなかった。
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 駅前に、
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 C12形蒸気機関車が静態保存されていた。
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 内子線に最後まで走っていた蒸気機関車のようだ。

 さて、駅前の信号のところで「マップ」を見ていたら、散歩中と覚しき男性が「どちらへ?」と声を掛けてくれた。「内子座」と言うと、「マップ」には載っていない最短ルートの行き方を丁寧に教えてくれた。言われた通りの細道をたどると、6、7分で「内子座楽屋」という表示のある建物の角に出た(右手から来た)。
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 角を折れて、写真の左に入って行くと、
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 内子座の正面に出た。
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 ところが、この前庭部分が非常に狭く、すぐ前に民家が建っているため、どこから狙っても建物全体を収めることが出来ないのだ。
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 いろいろやってみたが諦めた。
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 こちらが受付と入口である。
 入場料は大人400円。
 わたしが着いた時、20人ぐらいの団体が出て行ったところで、残っていた2人連れも間もなく出て行ったので、わたしがいる間はずっと貸し切り状態で見て回ることができたのはラッキーだった。
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 内子座は1916(大正5)年に作られた芝居小屋で、老朽化による取り壊しの危機を町民の熱意で乗り越え、1985(昭和60)年に修理復元が完成、1995(平成7)年の改修整備を経て現在に至っているのだという。いまは年間60日ほど、文楽などの公演で活用されているらしい。
 一応の見学順路があって、花道から舞台に向かって入って行く。
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 花道脇に、検閲のあった時代に警察官が座った検察台というのが残っていた。
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 花道途中に切られた「すっぽん」と呼ばれるせり。
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 舞台に上がる。
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 回り舞台とせりがあるのが判る。右手の格子状のところが義太夫席。
 舞台上手から下手を見る。
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 下手の右手隅に奈落への階段がある。奈落はずっと未整備の状態が続いていたらしいが、きちんとしたかたちに整備されたのは1995年の改修時で、中はまだ新しい感じがした。
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 花道に出て行く横に奈落からの出口(まあ、どちらが入口出口ということはなかったはずですが)があって、今度はさらに階段を上がって2階席へ。
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 両サイドの時代がかった広告が楽しい。
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 再び1階に下りて、こんどは桟敷席に座ってみる。
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 桟敷の指定記号が「いろはにほへと」と「一二三四五」の組み合わせであることが判る。
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 神棚があるはずだと探したが、中にはなく(見つけることができなかった)、外に小さな社が作られていた。
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 なかなか風格のある木造の芝居小屋で、見ることができてよかった。きちんとした補修改修がなされているのもよかったと思う。
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 帰路は、ほんの少し遠回りになるが「まち歩きマップ」のルートを通って帰った。
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 この先の方に古い街並み(重要伝統的建造物群保存地区)があるようだったが、そちらに行って来る時間はない。残念ながら今回はそういう旅ではないのだ。
 帰路の途中にあった金比羅灯籠(常夜灯)。説明板に1831(天保2)年建立とあった。
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 同じく途中にあった小さな神社。栄恵比寿神社と言うらしい。
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 20分ほど余して内子駅に戻って来た。駅前に灰皿があったので一本吸ってから、早めに高架のホームに上がった。さっきは単式の3番線ホームだったが、今度は島式の2番線ホームのようだ。ホームからの眺め。
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 内子座や古い街並みは左手の方で、見えないか探したが見つからなかった。
 11:51、1番線に特急・宇和海11号・宇和島行きがやって来て、15人ほどの乗客を降ろして出て行った。
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 わたしの乗る12:05発・松山行き普通列車がやって来た。キハ54形の単行だ。
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 伊予市駅で特急・宇和海13号・宇和島行きと行き違い。
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 終点・松山駅に入って行く。
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 12:53着。
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 ここで2時間あまりの自由時間を取ってある。
by krmtdir90 | 2017-06-16 23:19 | 鉄道の旅 | Comments(0)

四国へ寝台夜行の旅①宇和島へ(2017.6.10~11)

 サンライズ瀬戸にも乗ってやらないと公平さを欠くような気がした。と言うか、出雲に行って何やら勢いがついてしまった感じで、「なんにも用事がないけれど」(阿房列車)サンライズ瀬戸に乗って四国に行って来ようと思ったのである。
 実は「出雲」に乗った時、「瀬戸」が土・日(東京発で言えば金・土)は琴平まで延長運転を行っていることに気づいたのである。高松着は7:27だが、しばらく停車してから途中まで折り返して土讃線に入り、琴平着は8:52になるらしい。ずいぶんゆっくりした時程だが、そこがまた何の用事もないわたしには合っている。

 6月10日(土)。
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 「出雲」も「瀬戸」も同じサンライズだから、写真は代わり映えしないものになってしまうが仕方がない。ただ、行き先表示が「高松・琴平」となっているのがいつもの「瀬戸」と違う点である。
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 往路は1号車27番なので、先頭車輌の2階室になる。前回の「出雲」で1階室が気に入らなかったので、今回は行きも帰りもしっかり2階室を確保してある。意識して写真を撮ってみたが、1階室の低さが判ると思う。
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 22:00、サンライズは定刻通りに東京駅を発車した。

 6月11日(日)。
 予報ではこの日の四国は曇りと雨の混在した空模様で、まあ梅雨の最中の旅なのだからあまり贅沢は言えない。次の写真は姫路・岡山間のどこかである。雲を通してわずかに見えたこの日のサンライズ。
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 岡山での「切り離し」は見に行かなかった。7・8号車まで遠かったのと、何度も見ているからさすがにもういいかと思ったのである。
 間もなくサンライズ瀬戸のハイライト、瀬戸大橋通過となるが、写真に撮るとなるとトラスが邪魔になってうまく写せない。所々でトラスの途切れるところを狙う。
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 四国にはいると、讃岐平野特有のお椀形の小さな山が見えてくる。
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 曇り空だが、雨は降っていない。

 7:27、高松駅着。27分間、停車する。
 高松駅は宇高連絡船に接続していた時代の名残で、頭端式の櫛形ホームになっている。1~9番線のホームにはいろんな列車が発着を繰り返している。
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 サンライズは6番線に入線しているが、「当駅からはご乗車になれません」という表示が出て、
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 改札口の発車を知らせる電光表示にも、サンライズの名前は入っていない。
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 サンライズ瀬戸は7:54に高松駅を発車した。ここで進行方向が変わっているから、1号車は最後尾になってしまった。多度津(8:35)から土讃線に入り、8:52に琴平駅に到着した。
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 土讃線はこの先が非電化なので、サンライズが来られるのはここまでなのである。

 さて、このあとの計画だが、四国に来るのは鉄道旅を始めてから2回目で、前回の時に四国の右半分(真ん中から東寄り)の路線は全部乗ってしまっていたので、今回は左半分(西の方)をできるだけ乗れたらと思ったのである。とは言え、こちらに一泊するだけで、すぐにまたサンライズで帰るのだから(帰りのサンライズは高松発である)、欲張っても仕方がない。とりあえず、この日の宿泊地をJR四国の西南端・宇和島に決めてホテルを確保した。
 それと、今回は18きっぷの旅ではないのだから、ここから先の土讃線は特急列車を使ってできるだけ先に進んでしまおうと考えた。高知までの土讃線は前回の時に各駅停車でたどっているし、高知から先は未乗区間なのだが、鉄道旅からやや遠ざかっているうちに、各駅停車にこだわることもないのではないかと気持ちが変わってきたのである。

 で、琴平駅。前回来たのは2014年4月なのだが、そのあとで内外装の改修工事が行われたようで(調べてみたら、耐震工事に伴っていろいろな改修を行ったらしい)、特に内装はずいぶん洒落た感じに作り替えられていた。
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 実は、サンライズは一台前の特急(高知行き)と接続していたのだが、急ぐ旅ではないし、たぶん少し身体を動かしたくなるのではないかと、それを見送ったのである。その結果、乗り換え時間は1時間3分になるので、こんぴらさんの参道あたりまで散歩しようと思っていたのだが、いざとなると、ことでん琴平駅の鳥居のところまで行って、かったるくなって引き返してしまった。
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 一度来ているのだから無理をすることはない。
 再びJR琴平駅。よく見るとホームの屋根や柱なども改修されているようで、全体が渋めの感じで統一されているので、これはこれで良かったのではないかと思った。
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 2番線に9:55発の特急・南風(なんぷう)3号・中村行きが入って来た。
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 JR四国が誇る?アンパンマン列車である。これに乗りたいという気分もあったと思う(時刻表にアンパンマン列車で運転と記載されているのである)。
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 アンパンマン列車は四国の子どもたちの憧れになっているようで、親に連れられて嬉々として乗り込む小さい子や、下車駅で車体をバックに子どもの記念写真を撮る親子がいたり、沿線でお爺ちゃんと孫が手を振っていたりする光景を何回か見かけた。日曜日ということもあったのだろう。
 ただ、外装には楽しい絵がいっぱい描いてあるが、乗ってしまうと天井にアンパンマンたちがいるだけで、境線の鬼太郎トレインのような派手さはなく、もう一工夫あってもいいのかもしれない。と書いたところで調べてみたら、子どもたちのためには16席限定のアンパンマンシートというのが別の号車に用意されているようで、私の車輌はその車輌ではなかったということらしく、なるほどそういうことなのかと納得した。車体の絵も車輌によっていろいろなものがあるようだった。

 この列車は岡山始発、瀬戸大橋を渡り宇多津・多度津を経由して土讃線に入り、終点・窪川駅から土佐くろしお鉄道の中村・宿毛線に乗り入れて、中村駅まで行くものである。
 特急列車だから交換待ちなどはなく(こちらは待たせる方なのだから)、乗ってしまえばあとは車窓を眺めてぼんやりしていることになる。それはそれで快適なのだが、わたしには何となく手持ち無沙汰の感は否めなかった。
 例の秘境駅・坪尻では、通過する線路と駅の間にもう一本線路が挟まるから、もしかすると撮れるかもしれないと思って狙ってみたが、やはりこちらのスピードが速過ぎて、ブレてピンボケになってしまって完全な失敗に終わった。トラス橋上にある土佐北川駅はあっという間だったし、新改駅は駅の位置が通過線からは見えないので、スイッチバックの折り返し線は確認できたがそれだけだった。

 このアンパンマン列車は、2000系というJR四国の自慢の振り子式特急型気動車で、急勾配・急カーブが続く土讃線を始めとした四国の各線で大活躍している車輌らしい。カーブでもあまりスピードを落とさず、大きく傾きながら駆け抜けていく様子は乗っていて爽快感があった。スイッチバックのような古いものが淘汰されていくのは時の流れなのだなと実感させられた。

 というわけで、途中の写真は一枚もない。特急列車に乗るというのはそういうことなのだ。途中、山越えのあたりで雨が降ってきたが、高知に着くころにはほとんど止んでいた。
 11:30、高知駅着。ここで多くの乗客が降りて行った。
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 停車時間が9分あって、ホームに降りたら駅弁屋が出ていた。時間的にもちょうどそういう感じで、なるほどそういうことなのか。駅弁は4、5種類あったと思うが、中に「かつおたたき弁当」というのがあって、まさかと思ったがホントに鰹のたたきが入っているのだという。おばさんがちょっと中を見せてくれたので、いつもの野次馬根性でこれを購入。
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 早速、車内に戻ってパックの蓋を開けてみると、
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 写真では全然旨そうに見えないが、これが実に旨かった。保冷剤は溶けかかっていたが十分役割を果たしていた。新鮮で歯応えのある大きなのが5切れ。あと2切れ欲しかった気もしたが、十分に賞味した。さすが本場である。

 さて、高知・窪川間の土讃線未乗区間を完乗したのだが、普通列車でないとまったく実感はない。窪川から土佐くろしお鉄道の中村・宿毛線に乗り入れたのだが、これもまた何の実感もない。ただ、乗務員は入れ替わったようで、女の車掌さんがやって来て特急指定席券を回収して行った。JRとの間で料金を配分する時に必要なのだろう。
 この区間では線路が海沿いに出て行くところが何カ所かあって、どのあたりだったか判らないが、とりあえず1枚掲載しておく。
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 曇り空だし、ガラス越しなのでかなり色合いが変なのだけれど、補正してもうまくいかず、まあ記録という意味で目をつぶっておくことにする。

 列車は13:24、終点の中村駅に着いた。ここで13:30発の宿毛行き普通列車と接続している。乗り換え時間は6分しかないが、ここまでずっとだらだら乗っていただけだったから、ここはやはり頑張って動くしかない。6分というのは、なかなかスリリングな時間である。
 2面3線の駅で、アンパンマン列車は改札口直結の単式ホーム(1番線)の方に着いた。駅員さんにことわって、まず外に出て駅舎を撮影する。もう少し正面に行きたかったが、これで我慢。
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 中に戻って、跨線橋を渡って島式ホームの方に行く。階段は急ぐと危ない。単行の普通列車は3番線に停まっている。
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 後方から側面の絵も判るように。
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 中村市は平成の大合併で四万十市と名前を変えたようだが、もともと「土佐の小京都」と言われていたところらしい。その実態はよく判らないが、車輌のイラストはあんまりいただけないような気がした。
 なお、ここには中村・宿毛線の車輌基地が併設されていて、向こう側の側線に別の車輌が停まって作業員が何かしていたようだが、そちらまでは気が回っていない。。
 素朴な感じの駅名板を、アンパンマン列車をバックにして。
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 これで終わりではない。次の写真は、アンパンマン列車の写真を孫に送ってやろうと、こちらのホームに下りた時スマホで撮影したもの。他の写真とサイズが異なっているのはそのためである。
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 やはり忙しくて、カメラではこの構図を撮っていなかったので、スマホの写真をパソコンに移すのはどうやればいいのか、やったことがなかったのでずいぶん手間取ってしまいました。

 6分はあっという間に過ぎ、13:30発車。これが車内。転換クロスのセミクロスシートである。
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 けっこう乗客はいて、わたしは間際に乗車したからロングシートの方に座った。これだけ乗客がいると、車内をウロウロ歩き回る気にはなれない。
 なお、西に向かうにつれて天気はどんどん回復してきているようで、少し前まで雨が降っていた形跡はあるのだが、空は依然雲が多いけれど、時折日射しもさしてくる感じで次第に気温も上がってきているようだ。

 14:00、終点・宿毛駅着。
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 ここは2面2線の高架駅で、向かいのホームにイラストは異なるがまったく同型と思われる車輌が停まっていた。
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 これはTKT8000形と呼ばれる気動車で、1988年の国鉄→第三セクター転換時に登場したものらしい。
 さて、階段を下りて改札を出ると、
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 高架下のスペースが妙に広い空間になっていて(そちらを向いた写真がない)、この左手にテレビの点いている待合室があるのだが、夫婦者らしい小父さんが椅子を幾つか占拠して、寝転んで野球中継を見ている。反対側の離れたところに観光案内所があったが、訪れる人もなくあたりはまるっきりひっそりした雰囲気なのである。ほかに飲食店や店などはなく、外に出てみると片側は駅利用者の駐車場、正面に当たる方も人気のないバス乗り場があるだけで、まったく味も素っ気もないだだっ広いところなのである。
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 宿毛は一応市のはずだが、どうもこの駅は街の中心からはだいぶ離れたところにあるようで、ここで1時間あまり時間があるので、少し街を散歩などと思っていたのだが、何とも時間を持て余してしまうことになった。まあ、駅の周囲がどうなっているかなどということは、実際に来てみなければ判らないのだからこういうこともある。

 このあと宇和島に行くには、鉄道ならもう一度窪川まで戻り、そこからJR予土線を利用することになるのだが、ちょっと気分を変えて、この先は路線バスの旅をしてみようと思ったのである。15:07発の宇和島駅前行きというバスが宿毛駅前から出ていて、これだと1時間50分ほどで宇和島に着くということらしい。
 で、やって来た宇和島自動車バス。広告など一切なく、最近では珍しいスッキリした車体である。
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 これが車内。ま、バスはバスですな。
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 このバスの旅が思いのほか楽しかった。宿毛と宇和島の間には国道だか県道だか、とにかくそれなりの幹線道路が通っているらしいのだが、バスは基本はそのルートを辿りながら、頻繁に旧道と思われる脇道に逸れて、山あいや海沿いの小さな集落などを律儀に縫って行くのである。新しい道が作られても、元から人々が暮らしていたところはそれとは関係がないのだ。最短ルートを行けば恐らく半分の時間で行けてしまうところを、早さよりも大切なものを路線バスが拾っているのだなと思った。
 ただ、バスというのも写真は撮りにくく、集落の中などの近距離の対象ではどうにもならないし、海沿いの道に出た時に撮ったものを何枚か載せておく。やはり色調がおかしいのだが、補正しても直らないのは許し難いのだけれど。
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 時刻表では16:58となっていたが、ほぼそれに近い時刻にバスは宇和島駅前に着いた。
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 このすぐ後ろがJR宇和島駅で、駅のビルの2階以上が今夜宿泊するJRホテルクレメント宇和島になっている。
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 駅前や右手につながるメインストリートには、高いヤシの木が何本も植えられているのが南国らしい雰囲気を作っている。
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 こちらに、宇和島名物・闘牛の像と、
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 宇和島で最初に走ったドイツ製蒸気機関車の復元模型が飾られていた。
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 天気は完全に回復したようだ。
 ホテルの部屋からの眺め。右端の奥に宇和島城の天守閣が見えている。
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 今回は観光に来たわけではないから、ここに行く予定はない。このあと外に出て、宇和島名物・鯛めしを食べながら少しお酒をいただけたらと思っている。それで十分なのである。
 で、メインストリートをぶらぶらと。撮影時刻は17:58。
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 入ったのはこのお店。「かどや」さんと言う。幟が裏返しなのがちょっと気に入らない。
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 これがフカの湯ざらし。お酒は宇和島の地酒・泰山。
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 じゃこてん。
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 鯛めしセット。
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 左手前のお茶碗のところに小さな紙切れが挟んであって、鯛めしの食べ方が書いてあった。
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 この心遣いはいいね。晩酌のあとでは普段はご飯を食べないので、お櫃のご飯は半分ぐらい残してしまったが、たいへん美味しくいただきました。
 次の写真、撮影時刻は19:27。まだ暗くなっていない。
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 たいして時間は経っていないが、宇和島の食とお酒を十分楽しんだので、そのままホテルに帰って寝てしまいました。
by krmtdir90 | 2017-06-15 17:52 | 鉄道の旅 | Comments(3)

映画「光陰的故事」

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 ユジク阿佐ヶ谷では「恋恋風塵」が終わったあと、20時30分からレイトショーとして「光陰的故事」が上映されることになっていた。これも観てしまうととずいぶん遅くなってしまうが、せっかくこの時間にこの場所にいるのだから、意を決して一日2本という若い頃のような行動を取ってしまうことにした。考えてみれば、「牯嶺街」の3時間56分が大丈夫だったのだから、20分ほどインターバルもあることだし、たぶん平気だと思ったのである。
 「光陰的故事」は1982年に台湾で作られたオムニバス映画で、全4作のうちの第2話をあのエドワード・ヤンが担当しているというのだ。文字通り彼の処女作ということになるが、日本ではきちんとした劇場公開は行われておらず、昨年「恐怖分子」のデジタルリマスター版が公開された時、同時に短期間だけ上映されたということであったらしい。こちらはデジタルリマスターとは断っていないから、デジタル化はされたようだがリマスターというかたちの修復は行われなかったようで、画面全体が何となく色褪せて寝惚けたような感じになっていたのは残念だった。チラシも存在しないから、ネットで探した冒頭の写真はDVDのジャケット写真だと思う。

 ホームページもプログラムも作られなかったようなので、とりあえずユジクのパンフレットから4作のタイトルと監督名を書き写しておく。第1話「小龍頭」(タオ・ドゥツェン監督)、第2話「指望」(エドワード・ヤン監督)、第3話「跳蛙」(クー・イチェン監督)、第4話「報上名来」(チャン・イー監督)。
 どうしてこういう映画が作られたのかというと、当時中国や香港の映画に押されて壊滅状態にあった台湾映画の復活に向けて、ほとんど無名だった若手の監督やスタッフに機会を与え、キャストなどにもまったくの新人を多く起用して、過去の映画作法に囚われない斬新な映画を低予算で作ろうとしたということだったようだ。結果的にこの映画は観客に受け入れられ、その後の「台湾ニューウェーブ」の開花へと一気につながっていったらしい。いま見ると、どこがそんなに?という感じの古くさい部分も散見されるのだが、ともあれエドワード・ヤンがこれでデビューしたという歴史的意義は大きなものがあったのだと思う。
 内容は、1960~80年代を背景に、子ども、少年、青年、大人という異なる世代の主人公を設定して物語を組み立てるということだったようだ。エドワード・ヤンは第2話だから、中学生の男の子と女の子を主人公にした物語を組み立てている。タイトルの「指望」とは「希望」の意味らしい。

 基本的に4作はどれも男を主人公に据えるという約束だったようだが、エドワード・ヤンだけは、確かに男の子も描いているが、明らかに女の子の方に大きく力点の置かれた話になっていて、その点を含めて様々な点で異彩を放っていたと思う。彼が描くのは、母と姉と3人暮らしの女子中学生の淡い初恋と大人への目覚めといった内容である。説明的なクローズアップやカットの繋ぎ方など、まだ未熟な部分は見受けられるものの、のちのエドワード・ヤンにつながる作風の萌芽は明らかに見て取れて、他の3人の監督たちとははっきり違っているなと感じることができた。
 それは画面のフレームの作り方や、赤い色彩を始めとする色遣いの繊細さ、そして何よりも暗闇や影の部分の使い方の巧みさといったところに表れているように感じた。物語を形成するエピソードの配置もバランスが取れていて、勉強よりも遊びや性に関心が移ってしまった姉との会話などがやや直接的でありすぎる感はあるものの、主人公少女の憧れや不安といった感情が繊細に写し取られていると思った。
 少女とは幼馴染みらしい小柄で冴えないメガネの少年との経緯も面白く、少女は少年のことを何とも思っていないのに、少年の方は明らかに少女のことを思っていることが判るようになっていて、その気持ちのズレがちょっぴり切なくて微笑ましい雰囲気を醸し出している。いまは背が低いけれど、これから背が伸びたらバスケットの選手になって活躍すると夢見ている少年は、少女に言われてまず自転車に乗れるようになることを目指すことにする。見るからに運動神経もなさそうだし、彼は日夜練習に励むのだがそれは簡単なことではない。
 一方、少女が秘かに思いを寄せるハンサムな同居人の大学生が、あろうことか姉を部屋に招き入れてキスを交わすところを彼女は目撃してしまう。ショックな気分で人気のない夜の街路を歩いて行くと、ようやく自転車に乗れるようになった少年が闇の中から姿を見せる。「乗れるようになったらいろんなところに行けると思っていたけど、いざそうなってみると行きたいところがどこなのか判らなくなってしまった」という少年の言葉は印象に残る。
 エドワード・ヤンは26、7分という短い中に、ちゃんとした物語を組み立て、丁寧に描き切って見せている。まだ鋭さといったものは感じられないけれど、エドワード・ヤンという監督の出発点としては、十分納得のいく出来映えになっていたと思う。

 他の3作については、特に語りたいことが浮かんでこない。まあ、エドワード・ヤンの始まりを確かめたかっただけなのだから、それはそれで仕方がないことである。
 最近、何だかユジク阿佐ヶ谷に入り浸る感じになってしまったが、駅を起点にユジクに向かう路地のあたりの小さな飲食店の並びなど、阿佐ヶ谷の街の雰囲気は非常に魅力的で、酒場放浪記じゃないけれど、ちょっと寄ってみたくなって困った(真っ直ぐ帰りましたけどね。それでも11時半近くになってしまいました)。
(ユジク阿佐ヶ谷、6月8日)
by krmtdir90 | 2017-06-10 09:05 | 本と映画 | Comments(0)

映画「恋恋風塵」

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 映画が製作されたのは1987年、日本初公開は1989年だったようだ。フィルムしかない時代だったら、いまこれを観ようとしても、フィルムの劣化などでこんな美しい映像を観ることは叶わなかっただろう。日本と台湾の協力で修復作業が行われ、デジタルリマスター版として甦ったものが2016年にリバイバル公開された。上のチラシは、1枚目が初公開時のもの、2枚目がリバイバル公開時のものである。
 ユジク阿佐ヶ谷は今月「台湾映画/青春の風」という特集番組を組んでいて、その中にこの映画があったので、時間が夜になってしまって少々辛いのだが、いい機会だと思って観に行ってきた。

 デジタルリマスターというのがどんな技術なのか何一つ知らないのだが、このおかげで「牯嶺街」を始めとするエドワード・ヤンの諸作も観ることができたのだし、フィルムによって残された過去の映画のデジタル化というのは、いま世界の映画界が早急に行わなければならない大きな課題になっていると思った。大作や有名な作品ばかりでなく、目立たない佳作にまで範囲を広げていくことが重要だろう。もちろん、すべてのフィルムがそうしたかたちで後世に残されることが望ましいのは言うまでもない。

 監督のホウ・シャオシェン(侯孝賢)は、エドワード・ヤンらとともに台湾映画の「ニューウェーブ」を牽引した中心人物だったようだが、作風ということで言えば両者はまったく異なっていたように思われる。ホウ・シャオシェンの映画を観るのはこれが初めてなので、あまり断定的な物言いは避けなければならないが、この映画のわかりやすさはエドワード・ヤンと違って大衆にストレートに受け入れられるものだろうと思った。
 それでいながら、この映画は確かに「ニューウェーブ」と呼ぶ以外ないような新しさを持っていて、それはいま観てもまったく色褪せていないところが凄いと思った。この映画は、幼馴染みの男女の恋とも言えないような淡い交流とその終わりを描いているのだが、その描き方に特筆すべき多くの美点を持っているのである。

 それに触れる前に、あらすじを簡単に記しておく。炭坑の村で小さい時から兄妹のように育った中学3年生の少年ワン(阿遠)と2年生の少女ホン(阿雲)の物語である。貧しい家計を助けるために、ワンは中学卒業と同時に台北に出て、小さな印刷所で働きながら夜間高校に通う道を選ぶ。一年後にホンも台北に出て来て、仕立て屋の見習いとして働き始める。思うようにならない仕事に戸惑いながら、2人は同郷の仲間との交流などもあって、励まし合いながら心細い都会暮らしを続けていく。そうした中で、徐々に気持ちを通わせていくように見える2人の姿が捉えられている。
 幾つかの出来事は省略するが、やがてワンのところに兵役通知が来て、2人は2年間別れて生活することを余儀なくされてしまう。最初のうち、2人は毎日のように手紙のやり取りをしていたが、しばらくしてホンからの手紙が途絶え、やがてホンが郵便配達夫の男と結婚したという知らせがワンの弟から届くのである。兵舎のベッドでワンは一人嗚咽する。
 2人は将来を約束していたわけではないが、彼らの家族も含め誰もが2人の結婚を当然のように考えていたと思われる。映画は彼女の心変わりについて、彼女の側に立った描写を一切していない。彼女は台北の駅頭で兵役に行くワンと別れたきりで、その後の彼女が描かれることはないのである。映画は、兵役を終えたワンが一人故郷の家に帰るシーンで終わる。

 男の兵役期間が恋人たちの将来を変えてしまうというのは、あの「シェルブールの雨傘」とまったく同じ展開である。だが、あの映画ではヒロインのジュヌヴィエーヴの側に立って心変わりの過程が描かれていた。一方、こちらはずっとワンの側に立っているから、彼の裏切られた思いだけがひときわ際立つような作りになっている。恐らくホンの中に葛藤がなかったはずはないが、それが描かれていない以上、その後年月を経てからの2人の再会も描かれることはあり得ないのだろう。
 そういう意味で、この映画はあくまで「風塵」のごとく散ってしまった男の純情の物語なのである。女の心がどこにあったのかは判らないままなのだ。
 そうなってみると、2人の間に妙に引っ掛かるところがあったことも思い出されるのである。印刷所を辞めて運送屋に転職したワンが、配達帰りのオートバイにホンを乗せて、お盆の帰郷の土産にする靴を買いに盛り場に行くシーンがあった。彼女の買い物が終わって駐車場所に戻ると、彼の(店の)オートバイが盗まれてしまっていた。この時ワンは、「やられたらこちらもやるしかない」と言って、別のオートバイを盗もうとするのである。もちろんホンは彼を止めようとするが、田舎にいた頃には考えられなかった彼の意外な変化(都会の生活が彼を変えてしまったのかもしれない)を見て、彼女が衝撃を受けていることがありありと感じられた。当然のことのように思われていた2人の将来が、ほんの少しだけ軋み始めた端緒だったのかもしれない。

 先の描き方の問題に戻るが、その特徴の第一は、寡黙であることだと思う。2人があまり言葉を交わさないということもあるが、2人を捉える監督の姿勢が、たぶん映画が多弁になることを避けているのだと思われる。オートバイを盗み返そうとするワンを見て、ホンが何を感じているのかをはっきり言わせることはない。そういうシーンは他にもたくさんあった。店のオートバイを弁償したために、2人揃っての帰郷の途中で、土産も用意できなかったワンは自分は帰れないと言い出し、ホンと別れてどこかに行ってしまう。その時ホンは何を感じ何を言いたかったのか。一方で、ワンの思いも明確に語られることはない。
 もちろん、ホウ・シャオシェンは観客に十分想像できるようには映している。だが、その語り口は実に控え目で語り過ぎないのである。周囲のドラマにおいては言葉は普通に行き来しているのだから、2人のシーンで言葉が極端に少ないことは意図的なものだろう。そのことが逆に、それぞれの内なる思いを浮かび上がらせることになっているのも確かである。だが、この寡黙さが、恋物語には違いないけれど、2人の間に作り出された楚々とした雰囲気が観る者を何とも切ない気分に導いていくのである。
 幼馴染みの2人は、自然とお互いに全幅の信頼を寄せるようになっていたのだろう。それが揺らぎ始めているところがあったのかもしれないと、あとになって思い当たる感じがするのである。

 全体的に見ても、映像が説明的になることは注意深く避けられているようだ。それは人物を捉えても風景を捉えても一貫していて、監督による強調や方向づけが行われなくても、人物や風景はただそこにあるというだけで自然に多くのことを語ってしまうと信じられている。こういうふうにすべての映像が置かれていることが、この映画の第二の特徴である。映像の切り取り方、それを見詰めるカットの長さや繋ぎ方といったもの。一見何でもない情景スケッチのように見えていながら、それらは信じ難いような豊かな奥行きを感じさせるのである。
 台北での一コマとして、先に兵役に行く先輩を同郷の仲間たちと送別する飲み会のシーンがあった。何ということもないシーンなのだが、幼い頃からいつも一緒にいたはずなのに、ワンもホンもお互いが仲間と酒を飲んでいるところを見るのは初めてだったように見えるのである。さりげなく相手を意識し合う2人の様子が微笑ましい。大人になっていくということは、どんなに身近にいた存在であっても、互いに知らない部分が増えていくということでもあるのだろう。
 また、2人の故郷を映し出すこの映画の映像の美しさは、まさに目を見張るばかりである。山深い斜面にへばりつくように点在する集落をロングで捉えた映像が何回か出てくるが、最寄り駅からの途中の道のりや、村の様子を様々に映し出す映像も、非常に印象的なものが多かった。

 ローカル線の鉄道や駅がたくさん捉えられていたのも嬉しかった。冒頭、非電化の曲がりくねった単線の線路を、いわゆる「かぶりつき」の映像として映していくところで、一気に映画の中に引き込まれた。車内の様子も映されて、学校帰りの少年と少女が本を読みながら短く言葉を交わす。ワンとホンである。短いトンネルが連続し、腕木式の信号機があり、青っぽい塗装の単行のディーゼル車が鄙びた駅の島式ホームに停車する。駅名板には「十分(じゅうふん)」とある。
 ここから2人が辿っていく、駅から山の上の自宅までが相当距離があった。線路脇や線路上を歩き、線路の両側に人家や店が並んでいるところを抜けて行く。いまはすっかり観光地になってしまったようだが、この十分駅のある平渓(へいけい)線や近隣の九份(きゅうふん)などは、この映画やホウ・シャオシェンの他の映画のロケ地になったことから広く知られるようになったらしい。この映画では人々が押し寄せる以前の、文字通り忘れられたようなローカル線の様子が収められているのが素晴らしかった。
 台北駅も何度か出てくるが、駅や鉄道が人々の物語の節目を作っていたことが窺われて、その佇まいが何とも印象的だった。わたしが台湾に行った時、残念ながらこれらの駅には行けなかったが、台北駅なども映画の中ではまだ架線もない(電化されていない)ようだったが、いまは高速鉄道も通っているし、もうすっかり変わってしまっているのだろうか。

 兵役に行くことが決まり、故郷に帰るワンとホンの台北駅の別れのシーンも切なかった。彼の列車の発車を待たず、彼女は脇の出口のようなところから振り返らずに出て行ってしまう。大仰な別れのシーンにしなかったところもこの映画らしいと思った。
 この映画は1960年代の終わり頃からの4、5年を描いているが、物語の展開を説明的なものにはしていないから、カットの繋ぎなどに飛躍も多く、製作当時としては若干判りにくい面はあったのかもしれない。しかし、それがこの当時の「新鮮さ」であったことは確かで、いまではそういう繋ぎはまったく普通に行われているものになっている。
 それらしい誇張や作為に流れることもなく、そこにあるものを淡々と見詰めていく撮り方も、恐らく当時としては非常に新鮮だったのだろうと思われる。そういう意味ではホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンは似ていたのかもしれないが、見詰めようとする対象、つまり興味を持つ対象が両者は大きく異なっていたということなのだろう。ホウ・シャオシェンが見詰めるのは、きわめて日常的な人々の行動や気持ちの部分であって、エドワード・ヤンの社会性とか歴史認識などからは遠いところにあったように思われる。もちろんどちらが優れているということではなく、わたしはホウ・シャオシェンの映画も相当に好きだと思う。
(ユジク阿佐ヶ谷、6月8日)
by krmtdir90 | 2017-06-09 16:51 | 本と映画 | Comments(0)

映画「牯嶺街」もう一度

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 ユジク阿佐ヶ谷に「牯嶺街少年殺人事件」(監督:エドワード・ヤン、1991年)が掛かると知って、またこの映画に「人生の一日」を費やす気持ちになった。「この映画には全てがある。人生の一日を費やすに値する3時間56分だ」と書いたのは、ニューヨーク・タイムズの映画評だったらしい。わたしにはもう一つ、ユジク阿佐ヶ谷という映画館にもう一度行きたいという気持ちもあった。44席の座席はほぼ埋まっていたと思う。やはりここは素晴らしい空間だ。
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 3度目にして初めて、この映画に完全に身を任せることができたような気がした。エドワード・ヤンがこの映画で描こうとしたものが、ほとんど丸ごとわたしの中に入って来たように感じた。映画の中で何が起こるのかはもう全部判っているのだが、それを再び同時進行形で体験することが、決して判り切った繰り返しとはならず、新鮮な体験に感じられたのが驚きだった。たぶん、この先何度観ても、この映画が色褪せることはないのだろうと思った。
 登場人物の一人一人が非常に鮮明に見えてきたと思う。エドワード・ヤンは彼らを判りやすく説明的に描くことはしないが、一人一人にきちんとした演出を行っていることは判ったし、そこに彼らが存在し生きているということは確実に見せてくれていたと思う。これだけたくさんの登場人物を動かし、それぞれが様々な思いや経緯を抱え込んでそこにいるというのは凄いことなのではないだろうか。この映画を少年たちの映画とか家族の映画とか、何らかの視点で整理してしまうことは賢い見方とは思えない。これは1960年代初頭の台北、牯嶺街(クーリンチェ)に生きていた人々を、誰一人として手を抜くことなく描いて見せた映画なのだと思う。

 登場人物は、みんなそこに生きていたのだ。生きていくことが思い通りにならない時代だったかもしれないが、彼らはそこで確かに生きたのであり、このあとも生きていったのだと思う。ハニーが殺され、ハニーを殺した山東(シャンドン)も殺され、最後に小明(シャオミン)も殺されてしまうけれど、大部分の登場人物はこのあともこの時代を生きていったということなのである。
 小四(シャオスー)が小明(シャオミン)を刺してしまった「殺人事件」は悲劇に違いないし、多くの人々に衝撃を与え、周囲に大きな悲しみをもたらし、その生き方を変えてしまうような傷跡を残したのかもしれない。だが、それでも人々はその苦しみの先へと進んでいったのだ。小四(シャオスー)への差し入れのミュージックテープを置いて、画面の奥に歩み去る小猫王(リトル・プレスリー)こと王茂(ワンマオ)の後ろ姿に、わたしはこの時代を生きた少年たちへの「希望」のようなものが託されているように感じた。最後に描かれる小四(シャオスー)の家族たちも、時間の経過とともにたぶんこの悲劇を乗り越えて生きていったはずである。

 もちろんこの映画はそんな安易な「希望」を描いた映画ではない。それは判っている。だが、「台北ストーリー」(1985年)「恐怖分子」(1986年)の2作を観たあとでこの映画に接すると、ここに描かれた「闇」や「悲劇」の向こうに、微かな光の気配があるような気がして仕方がなかったのである。前2作が製作時における1980年代半ばの台北を描き、出口の見えない閉塞感に登場人物が立ち往生しているように見えたことを考えると、この「牯嶺街」には何となく、「その先」へ突き抜けていく可能性のようなものが感じられたということなのである。死んでしまった者もいたし、15年の刑に服することになってしまった者もいたが、エドワード・ヤンがこの映画で、たくさんの登場人物の中心に少年たちの群像を据えたというのはそういうことではなかっただろうか。
 「牯嶺街」の時代にも出口の見えない閉塞感は充満していたが、少年たちはその中でとにかく闇雲に動き回り、ただ立ち尽くすしかない親の世代を越えていこうとしたのである。その痛切でひりひりするような空気感と、主人公2人のどうにも言いようのない恋の終わりの切なさが交錯したあとに、彼らの行動すべてを肯定するような不思議な感覚が流れていたように思えたのである。

 3回観たことによって、ここに登場していた少年たちの姿が(もちろん多くの大人たちの姿も)、その一人一人が鮮明に記憶に刻まれたと思う。その大部分が撮影時には素人だったようで、その後俳優の道に進んだ者も多かったが、小明(シャオミン)を演じた楊靜怡(リサ・ヤン)などはこの映画に出ただけで、その後の消息などはプロフィールにまったく書かれていない。小四(シャオスー)の張震(チャン・チェン)は順調に俳優としてのキャリアを積んでいるようだが、王茂(ワンマオ)の王啓讃(ワン・チーザン)は何本か映画に出たあと、現在は映画界を離れてしまったようだ。小馬(シャオマー)を演じた譚志剛(タン・チーガン)は、残念ながら1993年に不慮の事故で18歳で死亡したとあった。
 だが、彼らはみんなこの映画の中に生きたのだ。映画が作られたのは1991年だったが、1960年代初頭の台湾・台北の「牯嶺街」に彼らは確かに生きていたのだ。彼らに会いに行きたいと思った時、まだ日本ではDVDになっていないけれど、上映の機会を見つければ彼らはいつでもそこにいるというのは素晴らしいことだ。

 映画館の暗闇がこんなに似合う映画はない。DVDが発売されたらたぶんわたしは買うと思うけれど、この映画は徹頭徹尾映画館のものである。ここにある「暗闇」はテレビでは表現できないものだと思うし、この映画の「長さ」も、テレビの置かれた日常空間で体験できるとは思えない。
 1回目の時は3時間56分という長さに恐れと緊張を抱いたが、映画の中に入り込んでしまうとこの時間は何とも言いようのない充実した3時間56分になった。あっという間というのは言い過ぎだとしても、夢中になってしまうと時間が経つのは恐ろしく速いものなのだ。そして、映画を観た記憶はどんどん曖昧になってしまうが、この映画は消えることなく残り続けていて、そこに生きた登場人物たちもいつまでもそこに存在し続けるのである。
 繰り返しになるが、凄い映画だ。それだけは確かなことだ。
(ユジク阿佐ヶ谷、6月6日)
by krmtdir90 | 2017-06-07 21:58 | 本と映画 | Comments(0)


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