18→81


主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
最新の記事
最新のコメント
記事ランキング

<   2018年 01月 ( 16 )   > この月の画像一覧

映画「花筐/HANAGATAMI」

e0320083_14231725.jpg
 キネマ旬報と並んで毎年恒例の毎日新聞映画コンクールの結果が先日発表され、この映画が日本映画大賞(第1位)を受賞したと出ていた。キネマ旬報の方では第2位だったが、監督賞はこちらの大林宣彦監督が受賞していたので、どこかやっているところがあれば観てみようかと思った。

 大林監督の映画は「時をかける少女」を始め何本かを若い頃に観た記憶があるが、その後長いこと映画から離れていたので、まったく久し振りの対面ということになった。監督もいつの間にか79歳になり、この映画は自ら肺癌で余命宣告を受ける中で撮影されたものだったようだ。檀一雄の原作は監督が映画を撮り始めた頃から温めていたもので、その実現は大林映画の集大成になるのではないかと言われていたらしい。ベストテンやコンクールは批評家など映画関係者の投票によって決まるものだから、案外そういうことが評価に影響した面はあったのではないかと思った。
 大作には違いないが(上映時間169分)、率直に言ってわたしには、これがそれほどのものとはどうしても思えなかったのである。これまで社会性や主義主張(テーマ)といったものとは一貫して無縁だった監督が、年齢を重ねる中でこれを言わなければならないという強い思いに突き動かされたことは判る気がするが、それが一方で、大林監督が撮り続けてきた映画のアヴァンギャルドな特質を突き詰めることとうまく重なったようには思えなかったのである。

 これぞ大林映画とも言うべき奇抜な映像やカット割りなどが冒頭から次々に繰り出され、とうとう最後までそれですべてを描き切ってしまうというのは驚きだった。登場人物のいる場所は映像的にすべて大胆な加工が施され、反リアリズムの作りものの空間に変質させられていた。そして、途絶えることのない音響音楽や大きくデフォルメされた事象や色彩などが、その世界をいっそう不思議な雰囲気に満たしていくのである。耽美的と言ってもいいその映像世界の中で、戦争に向かって急激に傾斜していく時代を感じながらもがく青年たちの群像を描いていく。
 大林監督のシュールさは観ているうちに気にならなくなるのだが、ある意味それに目を眩まされてしまう部分があるから、戦争は嫌だというテーマがどのようなかたちに描かれていたか(掘り下げられていたか)は、案外はっきりしないところがあったような気がした。というか、大林映画的な絢爛たる映像表現が、79歳という年齢からはとうてい考えられない力業だったことは認めるとしても、テーマを際立たせるために本当に効果的であったかどうかはよく判らないという気がしたのである。映像に目を奪われるのは確かだが、テーマに関しては案外図式的(説明的)に終わっているところも多かったように思う。

 映画の最後に、生き残った俊彦の70年後の姿を追って失われた青春を哀惜させるのだが、ここで何とはなしの違和感のようなものを覚えてしまった。主人公たち8人の中では女子2人(千歳とあきね)も生き残ったはずだが、彼女たちはどうなってしまったのだろうと考えた。そして、この映画が主人公たちの様々な思いを描いているように見えて、案外一部分しか描いていなかったのではないかと気付いたのである。男性陣はそれなりに個性的に生かされていた(作られていた)と思うが、女性陣の方は男性の目に映った(男性の目を通して美化された)ものとして造形されていたのではないかと感じたのである。わたしは原作小説を読んでいないから、そのあたりが大林宣彦のものなのか檀一雄のものなのかは判らないが、徴兵されることのない(そういう意味では男性とは異なる)彼女たちが、あの時代とあの時代の中で死んでいった主人公たちをどう感じていたのかは(思わせぶりなばかりで)あまり描かれていなかったような気がした。
 男性陣は比較的年齢の行った役者たちに17歳を演じさせていたが、やはりいくらなんでも無理があると感じつつ、それぞれの個性を表現する上ではそういう配役もありかなと感じた。だが、女性陣はそれほど年齢の離れない役者を配置していて、その美しさや可愛さが際立つようにしていたことなども、男性目線を優先させた映画作りだったのかもしれないと邪推してしまった。

 まあ、上映時間を長いと感じることはなく、終始面白く観ることはできたと思うが、繰り返し挿入される軍隊の行進シーン(その作り方)など、時代を描く大林宣彦的味付け(飛躍)はわたしの好みとは言えないということを確認させられた映画だった。仮にわたしがベストテンを選ぶとしても、これは10本の中に入って来る映画ではないなと感じた。
 吉祥寺プラザというのは初めて行く映画館だったが、サンロードを抜けた先の五日市街道沿いに、昔からあったような単独の映画館が残っているのを見て感動した。いまではこういう映画館はすっかりなくなってしまったかと思っていた。入口の横に小さな窓口がついていて、中にはちゃんと男の人が座っていて(機械ではなく)言葉を交わして入場券を買った。昔はどこの映画館でも同じだったペラペラの入場券である。階段を上るとそこ(2階)が受付で、立っていた小父さんが入場券をちゃんともぎってくれたのが嬉しかった。
(吉祥寺プラザ、1月29日)
by krmtdir90 | 2018-01-31 14:23 | 本と映画 | Comments(2)

映画「デトロイト」

e0320083_15511460.jpg
 1967年7月、デトロイトで発生した暴動を扱った映画なのは知っていたが、こんなにシビアな内容を描いているとは思わなかった。アメリカにおける人種差別(レイシズム)はいまも克服されていないし、近年は逆に息を吹き返しつつあるようにも見える中で、この映画が敢えて50年前の「ある事件」にスポットを当てた意義は大きいと思う。決して後味のいい映画ではないが、自国の「恥ずべき出来事」を炙り出そうとする動きに対して、まったくフリーにそれを実現させていることに、アメリカ映画の底力のようなものを感じた。

 デトロイト暴動はアメリカ史上最大級の暴動の一つと言われていて、死者43人、負傷者1100人以上、逮捕者7000人以上を出したとされている。映画は、暴動発生から3日目の夜に起きたアルジェ・モーテルでの「黒人殺害事件」を描いている。このモーテルで黒人の若者3人が殺されたが、手を下したとされた白人警官3人がその後の裁判で無罪となり、「事件」はそのまま時の流れの中で闇に葬られていたのである。
 監督・製作のキャスリン・ビグロー、脚本・製作のマーク・ボールらは、当夜現場で「事件」に巻き込まれ、何とか殺されずに生き延びた証人たちを捜し出し、徹底的に取材したその証言を元にこの映画を製作したのだという。それは人種差別主義に凝り固まった白人警官による、一方的な暴力と迫害の結果起こった忌まわしい出来事だったのである。映画はその経過を克明に追い、狂気に駆られた警官たちのおぞましい行状を徹底的に描き出して見せている。

 いま「狂気」と書いたが、人種差別意識が警察官という圧倒的な優位性の下で、彼らを際限のない暴力的スパイラルに巻き込み、どんどん歯止めがきかなくなっていく様子が何とも恐ろしい。
 デトロイトは自動車産業の町だが、その労働力として移民や黒人が大量に流入し、67年当時は市民の4割が非白人になってしまったという。これを嫌った白人たちが郊外の住宅地に移り住んだため、市の中心部は黒人を始めとする貧困層しか残らないという歪んだ状況が生じていた。ここで起こった暴動に対し、鎮圧の前面に立ったデトロイト市警は98%を白人が占めていたらしい。その多くが黒人たちに少なからぬ差別意識を抱いていたというが、それは増え続ける黒人たちに対する恐怖の裏返しであり、優位であったはずの白人社会が瓦解するのではないかという、一種の被害者意識(被包囲心理)とも言うべきものにつながっていたようだ。
 暴動の背景には、頻発する白人警官による黒人などへの不当逮捕や虐待、射殺などがあり、直接的なきっかけとなったのも、黒人たちが集う酒場への警察の高圧的な取り締まりだったのである。確かに無許可営業ではあったようだが、警官たちによる日常的な抑圧の続きとして住民たちの怒りに火を点ける結果になったようだ。

 暴動は一気に拡大し、州兵や軍隊までが出動する騒ぎになった3日目の夜、まったく偶発的な経緯からその「事件」が起こってしまう。比較的平穏な場所にあったアルジェ・モーテル(黒人たちが泊まる安モーテルである)で、泊まり客の一人がいたずらに撃ったオモチャのピストルの音を、周辺の警戒に当たっていた警官隊が自分たちへの狙撃と誤認してしまうのである。彼らはモーテルに踏み込み、一方的で凶暴な捜索を開始する。この段階で黒人の一人が有無を言わせず射殺されてしまう(撃った警官は黒人がナイフで向かってきたように偽装する)。
 警官たちは泊まっていた若者全員を1階の廊下に出し、壁に向いて手を上げて並ばせて尋問を開始する。撃ったのは誰か、銃はどこにあるのか(しかし、いたずらにオモチャを撃った若者はすでに射殺されているのである)。この理不尽にエスカレートしていく執拗な尋問の一部始終を、映画は際限もなく(「衝撃の40分」とチラシには書かれている)追い続ける。
 延々と続くこのシーンは目を背けたくなるほど容赦のないものだが、キャスリン・ビグロー監督(女性だ)はそれこそ正視しなければならない事実なのだと強烈に主張しているように見える。警官を主導するのがクラウスという童顔で小柄な男(ウィル・ポールター)なのだが、その目が次第に制御不能の狂気を帯びてくるさまが恐ろしい。差別意識というものが極限まで行った時、どういう醜い相貌を現すのかをこの映画はしっかり捉えている。

 クラウスら3人の白人警官たちは殺人罪で起訴されるが、陪審員制度が常に白人優位の中で運用される下では当然のように無罪になってしまう。犠牲者の家族や現場で恐怖にさらされた人々の絶望は深い。あれだけのことが起こっていたにもかかわらず、真実は何一つ明らかにされず、底流をなしていた差別意識や差別構造は丸ごと見過ごされてしまったのだ。
 3人の警官は現場復帰はしなかったようだが、いまも時々報道される白人警官が丸腰の黒人を射殺したという事件でも、ほとんど罪に問われることなく終わってしまうということを聞くと、アメリカ社会の根深い病巣は50年前と何ら変わっていないことを見せつけられるようで辛い。
 翻って我が国のことを考えてみても、世の中にはびこる差別のかたちはどんどん極端なものになっていて、人心が異質なものを全否定してしまうような方向に向かっていることに危惧を感じる。差別は自己と他者への不安から引き起こされるものだと思うが、社会の風潮が次第に不寛容に支配されつつあるように見える時、この映画の投じた一石はきわめて大きなものだったように思う。
(立川シネマシティ1、1月26日)
by krmtdir90 | 2018-01-27 15:51 | 本と映画 | Comments(0)

映画「アランフエスの麗しき日々」

e0320083_1433116.jpg
 ヴィム・ヴェンダースの映画は「パリ、テキサス」(1984年)や「ベルリン・天使の詩」(1987年)などを観ているが、それほど印象に残っているとは言えない(だいたいが、昔観た映画はほとんど忘れてしまっているのだ)。今回出掛けて行ったのはその名前に釣られたからだが、調べてみると彼も今年で72歳になっていて、かつて観たことがある映画監督がどんなふうに歳を取っているのかというのは、けっこう興味深いことだと思う。
 だが、結果はまったく期待外れだった。あまり決めつけてしまうのは良くないかもしれないが、ヴェンダースもいまや巨匠の一人になったのだろうに、いまだにこんなことをやっているのかと信じられない気分だった。当人は「生涯で初めて100%自分の思いのままに撮り上げた映画だ」などと言って悦に入っているようだが、30前後の若造ならともかく、歳を取ったらもっとみんなに解りやすい映画を撮った方がいいのではないですかと言いたい。

 映画の元になったのは長年の盟友ペーター・ハントケの同名の戯曲だったようだが、大半の責任はこの原作の方にあるとしても、それをこういう観客無視(と敢えて言ってしまおう)のかったるいかたちで映像化したのはヴェンダースなのである。現実離れした観念的な言葉のやり取りは原作にあったものだろうが、映画がその男女の姿をただ映すことに終始するのでは観客は飽きてしまう。原作にはなかった作者と覚しき男を登場させたのはヴェンダースだったようだが、基本的な設定がはっきりしないから少しも面白くはならないのである。
 そもそもこの男女2人がどういう関係なのかも明らかでないし、だらだらと続く2人の会話がどういう動機から行われているのかも定かではない。作者らしき男も含めて、ただいわくありげな言葉が行き交うだけで、彼らの関係性も関係性がどう変化したのかもさっぱり見えてこなかった。会話の中身は、女のセックスや子どもの頃の記憶、男のアランフエス(スペイン中央部にある基礎自治体の名前らしい)の思い出といったものだが、比喩なのか何なのか、具体的かと思うと実はまったく抽象的で曖昧な言葉の連なりは、果たして2人の間に会話が成立していたのかさえ怪しい感じがしてしまった。

 若い頃の尖ったわたしなら、こうしたゲージツ映画に必死に食らいつく気分になることもあったかもしれないが、いまはもうそんなヒマ人ではないのである。まあ、わたしは映画や芝居の途中で眠くなるということはまったくないから、この映画も最後まできちんと観たと思うが、残念ながら心に引っ掛かってくる要素はまったく見い出せなかった。
 ジャンゴ・ラインハルトを演じたレダ・カテブが男を演じていた。役者は仕事だから一応最後までやるのだろうが、こんな役をやっていて手応えを感じることがあるのだろうか。ジャンゴ役がとても良かったから、こんな役で残念だったと言うしかない。今回は書かなくてもいいかとも思ったが、記録だから一応書き残しておくことにした。
(立川シネマシティ1、1月24日)
by krmtdir90 | 2018-01-25 14:33 | 本と映画 | Comments(0)

「銀河鉄道の父」(門井慶喜)

e0320083_15394960.jpg
 先日発表された2017年下半期の直木賞受賞作である。門井慶喜氏の小説を読むのは初めてだったが、非常に楽しく読了することができた。
 石川啄木と比べて、宮沢賢治の生涯というのはどうももう一つ理解しにくいところがあって、これまで何となく敬遠気味になっていたような気がする。真面目な理想主義者にしては奇矯とも思える言動も目に付くし、内面を窺い知ることの困難な作家という印象が消えなかった。そこをこの小説は鮮やかに解き明かしてくれたように思う。
 この小説が設定した父・政次郎の視点というのは実に新鮮だった。その視点から見ると、なるほどそういうことだったかと気付かされる点がたくさんあった。もちろんこれはフィクションだから、どこからどこまで事実に即しているのかは判らない。だが、年譜や伝記などからはなかなか推し量ることのできない事柄も、父との関係で見ていくと見えてくる部分も多いということのようだった。作者の門井慶喜氏はかなり大胆を解釈を行っているのだと思うが、それはなかなかに説得力のある解釈だったように思う。父の視線を通すことで見えてくる宮沢賢治の実像というのは、思いがけないところもあったが大いに納得させられることも多かった。

 宮沢賢治はその作品も生涯も謎の多い作家とされているが、少なくとも生涯に関して言えば、父という座標軸を一本引くことが大きな手掛かりになっていたのだ。そういう意味でこの小説は、宮沢賢治というミステリーに対する一つの謎解きになっていると思った。
 裕福な質屋の長男として何不自由なく育てられた賢治だが、結局父の期待には何一つ応えることなく37歳で病没するまで、その存在は父・政次郎の目にどのようなものとして映っていたのか。それはまた、父という存在を終生意識し続けた賢治の心の在りどころをも明らかにしていく。政次郎は父としては「父でありすぎる」と形容されているが、父親が息子に寄り添い続けるのはある意味当然のことであって、問題はその父を超えられないと知ってしまった賢治の思いを、この小説が自然に浮かび上がらせてくれたところが大きいと思った。
 賢治の突然の反抗や突飛な行動の裏側に、父に対する複雑な思いがいつも貼り付いていたという解釈はよく判る気がした。その屈折を意識しながらも、常に息子を受け入れていく父の愛情もまた非常によく描かれていた。息子・賢治の誕生から死後に至るまで、父・政次郎の生き方を丁寧にたどりながら、この小説は宮沢賢治という判りにくい生き方をも見事に照射していたのである。

 石川啄木と違って、宮沢賢治の作品は生前はほんの一部に知られるだけで、出版した2冊の本(「春と修羅」「注文の多い料理店」)もほとんど売れなかった。
 生前は様々な経緯はあったが、誰よりも早くから賢治の作品の最も熱心な読者だった父の姿が、賢治の死後のこととして小説の最後に少しだけ描かれている。5人の孫たち(次女シゲの子である)を前に、「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」を朗読して聞かせてやるシーンである。
 よく理解できない孫たちに、「雨ニモマケズ」を「なーんだ、現実にそういう人がいるって話じゃなかったのか。ただの夢じゃないか。こっちは拍子ぬけってわけだ」と決めつけるところがいい。「伯父さん(賢治のこと)はただ、鉛筆を持って、ことばで遊んでただけなんじゃい」と言うところに、父としての政次郎の言葉に尽くせぬ愛情を感じた。
 40年に及ぶ長い年月を描いた小説だが、展開がスピーディーで省略や飛躍にも無理がなく、文章も読みやすいのでどんどん惹きつけられてしまった。表現の仕方が軽すぎるきらいはあるが、けっこう深刻な場面もサラッと書けるというのは恐らく強みに違いない。
by krmtdir90 | 2018-01-23 15:40 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」

e0320083_1316938.jpg
e0320083_13164458.jpg
 一昨年の夏に公開された映画だが、その時は(興味はあったのだが)何となく足が向かなかった。今回もう一度公開していることを知って出掛けて行ったが、見逃さないで良かったと思った。これは凄い映画である。ずっと圧倒されっぱなしで観ていた。
 チベットを舞台にした中国映画だが(言語もチベット語)、政治的色彩は皆無で、チベットに生きる人々の姿が実に興味深いかたちで写し取られている映画だった(上のチラシは、1枚目が最初の公開時のもの、2枚目が今回の公開で作られたものである)。

 世界地図を引っ張り出して眺めてみると、まずチベットという地域の広大さに驚く。日本の国土面積の3倍を優に超えていて、その大半が4千メートル級の高原地帯なのだという。映画はその東端に位置するマルカム県プラ村というところに住む3家族11人が、遙か西方にあるチベット仏教の聖地ラサと、さらに遙か西方にあるカイラス山を目指していく「巡礼旅」の様子を描いている。サブタイトルに2400kmとあるが、これは日本で言えば本州の両端を往復するのに近い距離である。
 彼らはこの距離を徒歩で旅して行くのだが(それだけで十分驚くべきことだが)、それが普通の徒歩ではなく、「五体投地(とうち)」という仏教で最も丁寧な礼拝のかたちを繰り返しながら歩いていくのである。ちょっと信じ難い巡礼のやり方なのだが、「五体投地」とは、両手・両足・額(五体)を地面に投げ出して祈る方法で、数歩(7歩ぐらいが標準のようだ)歩いてはこれを繰り返していくという、われわれからすると気の遠くなるような難行なのだった。しかし、彼らはそれを特に困難とも感じていないようで、ごく当たり前のようにそれをやり続けて行くのである。
 画面で実際にその様子を見た時の驚きは大きかった。ずっとこんなことをしながら進んで行くのかと呆気にとられてしまった。彼らをこうした「巡礼」に駆り立てているものは何なのか、信じ難いばかりでいくら考えても判らなかった。

 この巡礼を敢行する11人は決して特別な修行者というわけではない。ごくごくありふれた、どこにでもいる庶民に過ぎないのである。2400kmを五体投地で行くためには優に1年以上はかかるのだが、どうして彼らはそんなことをしようと考えつくのか。
 この映画はドキュメンタリーではないが、実際にチベット東端の村に住み、巡礼旅に出たいと考えていた11人をキャスティングして、それに同行しながら撮影を行ったのだという。旅の過程で遭遇する出来事には作られたエピソードもあったようだが、大半は実際に起こった出来事に即していて、何よりも現実に五体投地の巡礼を行っている彼らの存在は本物なのである。彼らはこの映画の中で自分自身を演じていたということになる。
 11人の顔ぶれは多彩である。老若男女、最高齢は70歳の男性、最年少は7、8歳と思われる少女で、中にお腹の大きい妊婦が混ざっていたのには驚いた。70歳の男性と妊婦の女性は一行の先頭に立ち(五体投地は行わず)、後尾には50歳のリーダーの男性が運転するトラクターが、一行が野宿するための大きなテントや生活道具一式を満載してゆっくりついて行くのである。

 彼らが旅して行く道は一応舗装された国道だ(と思う)が、時折かたわらを車や大型トラックが通り過ぎて行くことで、これが現代のことなのだということを思い出させてくれる。行けども行けども、周囲には何もない荒涼たる高原地帯が広がるばかりなのである。カメラがロングに切り替わってこの景色の広がりを捉えるたびに、何という過酷なところを行くんだとその都度驚嘆するしかなかった。自然の雄大なスケールに対して、本当に米粒のように小さい一行がゆっくりゆっくり進んで行くのである。このショットは(何度もあるのだが)、彼らの行っている巡礼の遅々たる歩みと果てしなさを際立たせて忘れ難い印象を残した。
 彼らが巡礼旅を始めたのは凍てつく冬の最中で、最初はなぜこんな時期に出発するのかと疑問に感じたが、1200km先のラサに到着するのが暖かい季節になるようにと計算されていたのかもしれない。しかし、いくら身体が順応しているからといって、高地だから空気も希薄だろうし、冬の寒さは恐らく尋常なものではないはずである。だが、一年がかりの旅になるのであれば、いつ出発しようとこの厳しい自然と丸ごと対峙する以外に道はないのだと納得するしかなかった。
 映画はロードムービーの体裁を取っていて、彼らの旅の様子(共同生活の実態)を克明に写し取ると同時に、途中で起こる様々な出来事も淡々と描写していく。人間関係が縺れたりすることは一切なく、そういう意味では単調と言ってもいい映画なのだが、これがもう隅から隅までまったく眼が離せない感じで、まったく何という世界なんだと終始唖然としながら観ていた。

 妊婦の女性が途中で産気づき、近くの(たぶんそんなに近くはなかったはずだ)病院で出産するのは大きな出来事だったが、さすがに彼女(と赤ん坊)はここでリタイアするのかと思っていたら、彼女が退院するまで一行は待っていて、彼女と赤ん坊を加えて当然のように旅を再開したのには驚いた。これは撮影の途中で実際に起こったことだったようだが、巡礼に復帰する選択をしたのは恐らく彼らの方だったのだろう。文字通り生まれ落ちた瞬間から、この赤ん坊が徐々に成長していく過程を映画は当然のこととして写し取っている。
 しばらくは母子ともトラクターの荷台に乗って行くが、少しすると赤ん坊だけ荷台に置いて、母親も五体投地に参加して行くようになる。さらに少しすると、赤ん坊を背負ったまま五体投地をする姿も捉えられている。何でもないことのようにそんなことが行われるのは、われわれにはちょっと想像を超えたことである。
 トラクターが事故に巻き込まれ使えなくなってしまうのも大きな出来事だったが、とにかく一行は何とかラサにたどり着く。丘の上のポタラ宮が遠望された時の彼らの喜びは大きかったはずだが、映画はそれを大仰に描いたりはせず、相変わらず淡々とした調子で静かに見詰めるだけである。ラサは繁華な通りもある都会だったが(この都会の風景がこの映画では非常に新鮮に見えた)、そんなところでも彼らが五体投地をやめないで進んで行くのが印象的だった。

 ラサに着くまでに手持ちのお金などをほとんど使い果たしてしまった一行は、ここで数ヶ月にわたり逗留して、土木作業などでこの先必要な資金を稼ぐことにする。彼らの目的地はさらに1200km西方にある聖地・カイラス山なのである。映画はこの後半の旅の途中までを描いて終わるのだが、最後には季節は再び冬となり、雪に覆われた山岳地帯の厳しい道を、彼らはまた五体投地を繰り返しながら進んで行くのである。
 カイラス山への旅が始まって間もなく、最高齢だった男性が亡くなるという大きな出来事が起こる。近くの(たぶんそんなに近くはなかったはずだ)僧侶を呼び、鳥葬のかたちを整え、道端に墓標を設えて祈った後、一行はまた出発して行く。赤ん坊が生まれても老人が死んでも、五体投地の巡礼はあくまでも続けるのだという強固な意志が見えるのである。
 それは、現代のわれわれなどには到底理解することができない強烈な意志である。それを悲壮な苦行としてではなく、まるで当たり前の楽しい行為であるかのように行っていく彼らの姿が、最後には神々しくさえ見えてしまった。

 わたしはまったくの無宗教としてここまで生きてきたのだが、この映画で「祈り」というものの最も原初的で究極の姿を見ることができたような気がした。細かなシーンなどで印象に残ったところもまだいっぱいあるのだが、書き始めるとキリがなくなりそうなのでやめておく。冒頭しばらく映し出された村の生活のディテールなども非常に興味深いものだったが、今回は、とにかく観ることができて良かったという感想に一応集約させて終わりにしておきたいと思う。
(渋谷イメージ・フォーラム、1月19日)
by krmtdir90 | 2018-01-20 13:17 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ル・アーヴルの靴みがき」

e0320083_1836289.jpg
 アキ・カウリスマキ監督が「希望のかなた」の前に撮った映画である。製作は2011年、日本公開は2012年だったようだ。この「ル・アーヴルの靴みがき」を撮った時、カウリスマキ監督はこれを《港町三部作》の第一作と名付けていたようだが、「希望のかなた」を撮るに当たり、これらを《難民三部作》に変えると述べて話題になったらしい。
 「希望のかなた」はヨーロッパが直面する難民問題を、カウリスマキ流のやり方で正面から描いて見せた佳作だった。だが、この「ル・アーヴルの靴みがき」の時点では、難民問題を扱ってはいるが、監督の問題意識がまだそれほど深まっていなかったのかもしれないと感じた。「希望のかなた」を先に観てしまって、遡るかたちで「ル・アーヴルの靴みがき」を観たので、いっそうそのように感じたのかもしれない。「希望のかなた」と比べると、「ル・アーヴル」のストーリーは単純だし、難民問題に対する踏み込みもあまり行われていないような気がした。

 フランス北部の港町ル・アーヴルが舞台である(したがって当然ながら、これはフランス語映画である)。ここでベトナム移民の男とともに靴磨きをしている初老の男・マルセルが主人公。彼は妻のアルレッティ(それと愛犬のライカ)と貧しいが満ち足りた生活を送っている。
 冒頭から少し観ただけで「ああ、カウリスマキだな」と思った。登場人物の寡黙と無表情、ブスッとした顔と感情の見えないセリフ回しなど。これがカウリスマキ映画の際立った特徴だった。そして、そこから何とも言いようのない無愛想な?ユーモアが漂う。それと、犬だ。犬もまたカウリスマキ映画の特徴だったのだ。
 ストーリーを構成する要素は大きく2つである。
 一つは妻アルレッティの突然の病気だ。彼女は病院で余命幾ばくもないと宣告されるのだが、医師を口止めして夫マルセルにはこのことを秘密にする。
 もう一つがストーリーのメインだが、ある日、港にアフリカ・ガボンからの船が入港する。中には十人以上の密航者がいる。警察が捜査に入った時、一人の少年が隙を見て逃走する。この黒人少年イドリッサが靴磨きマルセルと出会い、マルセルは少年を助けてやることになる。あとは基本的に「希望のかなた」の展開と同じである。

 「ル・アーヴルの靴みがき」のストーリー展開は複雑なものではない。マルセルの生活範囲にいる人々、パン屋の女主人、八百屋の夫婦、行きつけのバーの女主人、そして靴磨き仲間の男などは、みんなごく普通の善意の人々であり、マルセルが少年を助けようとしていることを自然に受け入れ、当然のように応援するのである(決して大袈裟ではなく、ささやかなかたちで)。
 少年をロンドンにいる親戚の元に送り届ける(密航させる)のに大金が必要になり、バーでくすぶっていたリトル・ボブという冴えない中年男が(ロッカーだったのだ)コンサートをして協力する。一曲まるまる演奏させるのもカウリスマキ映画の特徴である。
 少年を船に乗せて送り出す寸前、彼を追っていた警察がやって来て万事休すというところで、これまでちょくちょく顔を出していた堅物の(無表情でぶっきらぼうだからそう見えていただけだったのかもしれない)モネ警視が、マルセルたちの人情にほだされたのか、無言で見逃してくれるどんでん返しが用意されている。
 どんでん返しと言えば、最後に妻アルレッティの病気が奇跡的に回復して、驚く医師を尻目に二人は仲良く家に帰り、ささやかな生活を再開するというエンディングも用意されている。

 すでに「希望のかなた」を観ている者としては、そこにつながる様々な要素がここに胚胎していたことに気付く。だが、少年イドリッサとガボンからの密航者たちの背景や運命はほとんど描かれていないし、マルセルや彼を囲む人々があまりにもいい人ばかりなのもどうなのかという感じがした。最後に警視が少年を見逃したり妻の病気が奇跡的に全快するのも、観客はそうあってほしいと願っているとしても、これではちょっと「おとぎ話」になってしまわないかと感じるのである。
 もちろんカウリスマキがそれを良しとしていることも判るし、社会の底辺に生きる人々に寄り添いながら、現代では失われつつある人間性の回復と人間賛歌を描くのが、カウリスマキ映画の真骨頂なのも理解できると思う。だから、これはこれでいいのだと思いながら、それでも何となく物足りない気分が残ってしまったのも事実なのである。
 やはり「希望のかなた」を先に観てしまったのが良くなかったのだと、無理に自分を納得させている。2本目のカウリスマキ映画、十分に楽しんで観たんですけどね。
(イオンシネマ日の出、1月16日)
by krmtdir90 | 2018-01-18 18:37 | 本と映画 | Comments(0)

映画「勝手にふるえてろ」

e0320083_2024244.jpg
 綿矢りさが史上最年少の19歳で芥川賞を受賞したのは2003年下半期だったようだが、その「蹴りたい背中」は読んだ記憶があるが、その後をずっと追いかけたい作家というふうにはならなかった。映画の原作になった「勝手にふるえてろ」という小説は2010年に出ていたらしいが、わたしはこれを読んでいない。

 新年になって最初に観た映画だったが、これが大当たりだった。
 この映画に溢れる小気味いいセリフやモノローグは恐らく原作にあったものだと思うが、一方で映画にしかできないような表現やアイディアも随所に見られて、これは脚本化の過程でかなり大胆なアレンジが行われたのだろうと推測された。監督・脚本は大九明子という(50歳近い)女性で、わたしは知らなかったが素晴らしい才能の持ち主だと感じた。
 この映画の魅力は、原作の面白さももちろんだが、大九明子という人の感性と演出力から生み出されたものが大きかったのではないかと思った。

 魅力的ということでは、主人公ヨシカを演じた松岡茉優も素晴らしかった。初めて見る女優だったが、眼や口許に自然に現れる表情の変化に惹きつけられた。
 24歳OLの尋常ではないひねくれぶり、こじらせぶりを実にキュートに小気味よく演じていた。言ってしまえば内閉した根暗な主人公なのだが、この主人公をこんなふうに愛すべき存在として造形できたことが、この映画の大きな成功要因になっていたと思う。ちょっと「スウィート17モンスター」のネイディーンを思い出したが、このヨシカの暴走ぶりは到底比べものにならないくらい楽しかった(魅力的だった)。
 この過激さはたぶん原作にもあったものと思われるが、松岡茉優(と大九明子監督)はそれを実に軽やかなタッチで具現化して見せていた。けっこう孤独で悩ましい状況が連続しているにもかかわらず、松岡茉優はそれを何ともあっけらかんと演じていて、大九明子監督はそれを深刻にならない温かい視線で見詰めていると思った。
 この主人公のあれこれに、密かに共感を覚える女性がかなりいるのではないかという気がした。

 中学時代からの片思いの相手「イチ」(北村匠海)と、いま彼女を好きと言ってくれる同じ会社で同期の「ニ」(渡辺大知)と、この2人の間で揺れている主人公・ヨシカ、というのがストーリーの骨子になっている。相手の男を「イチ」とか「ニ」とか呼ぶのは(「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」を思い出した)面白いが、そのことに特別な意味があるというわけではない。
 それより、そもそも卒業以来十年近くが経つ相手を忘れられず、一途に思い詰めて美化しているというのが尋常ではないし、ほとんど妄想に近い一方的な思い込みで右往左往していることの方が信じられない(面白い)。中学時代の彼らの姿が時々フラッシュバックするのだが(彼女はこれを召喚と呼んでいる)、いずれにせよこれはすべて彼女の脳内における出来事であって、様々に揺れ動く思いは基本的には閉塞したオタク的内向に過ぎないのである。
 本来は彼女の中で完結しているこれらの思いを、映画は彼女が通勤途中で出会う幾人かの(選ばれた)他人と会話させるという、思いがけないやり方で表に出していく。もともと彼女の内側にあった感情の起伏が外に出てくることになり、この一喜一憂が何とも面白く笑えるのである。

 ヨシカにとって「イチ」は徹頭徹尾美化された王子さまなのだが、現実の世界で彼女の前に現れた「ニ」はタイプでもないし王子さまでもない。それでも、これまで「脳内恋愛」に熱中して「現実恋愛」の経験はゼロだった彼女が、突然やって来たそれに「人生初、告られた~!」とはしゃぎ回るところが可笑しい。他人との会話で感情を出すという仕掛けが、彼女の有頂天を十分拡大して表に出してくれるのである。
 この仕掛けはまったく素晴らしいアイディアだったと思う。ヨシカの松岡茉優が、緩急自在のキレのいいセリフ回しで彼女の繊細な内面を表現している。
 そして、映画の後半になって、彼女が決定的なダメージを受け絶望の底に沈んでしまう段になって、自分は誰とも話しなんかしていなかったということが明かされることになる。これが何と、ミュージカルでもないのにヨシカが突然歌い出して明らかにするのである。これには驚いた。そして、なんてお洒落な展開を作るんだと舌を巻いた。

 これまで何度も(妄想の中で)会話してきた人たちと、彼女との実際の距離(実際は会話なんかしていなかったこと)が映像で示され、そこで彼女は歌いながら事実を明らかにしていくのである。このカットの重ね方が絶妙で、ダンスこそないものの、本格的なミュージカルシーンのように鮮やかに決まっていたと思う。歌われる歌詞も素晴らしかった。
 プログラムに歌詞が収録されているのだが、「この人の名前を私は知らない/だって私はこの人と話をしたことがないんだもの」と始まり、「そんな勇気ありません」とか「これ以上近づいたことだってない」といったフレーズの後で、「この距離が私と世の中の限界」と正直に告白するのである。実際の彼女は人一倍怖がりで、周囲の様々なものと自然な関係が作れなかったのだ。彼女が見せる反発や強がりは、周囲と折り合いがつけられない不器用な(弱い)自分を隠すための必死のガードだったということである。
 歌詞は「絶滅すべきでしょうか?」と何度か繰り返し、「ねえアンモナイト、生き抜く術を教えてよ/どんだけねじくれたら、生きやすくなるの」といったフレーズで終わっている。アンモナイトというのは、彼女の趣味が絶滅した動物をインターネットで調べることで(暗い)、大きなアンモナイトの化石を博物館から払い下げてもらって大切にしていることと結びついている。

 彼女は孤独には慣れているが、それで仕方がないと諦めているわけではない。こんな自分は絶滅すべきかもしれないと思う一方で、何とかそこから脱け出したいと願う気持ちも失ってはいない。
 ストーリーの紆余曲折についてはネタバレさせずに書くが、最後はまあ落ち着くところに落ち着くことになったと思う。そこに行き着くまでの暴走ぶりはなかなかのものだったが、最後まで「好きだ」と言い続けてくれた「ニ」と結びつくのは至極当然のことだったと思う。だが、映画はこれを何一つ解決はしていない(先が見えていない)状態のまま投げ出しているように見えた。「イチ」との夢は一応終わったが、彼女の性格やら生き方やらが簡単に変わるものとも思えないのである。
 「ニ」は優しい男だが、この先ずっとヨシカを大切にしてくれるかどうかは判らない。ヨシカがどう変わっていくかも見えないところで、ただ一歩前に踏み出したことだけは確かなことになっている。そのことが確認できればいいというのが、この映画の終わり方になっている。

 最後に彼女は、捨てゼリフのように「勝手にふるえてろ」と呟く。アッと思ったが、これはこれまでの自分に向かって投げられた別れの言葉なのだろう。この先どうなるかは判らないが、ラストシーンに一種の清々しさのようなものが漂ったのはこの言葉のせいである。
 小説ではこの言葉は別のところで別の相手に向かって発せられたようだが(どこかに書いてあった)、だとすると、これをこんなふうに変えた脚本と演出は大ヒットだったと思う。
 それにしても、最近はこうした一筋縄ではいかない厄介な主人公(女性)が登場してきていることが面白いと思った。男の目線では考えが及ばないようなところで、ようやく女性の感性が解放されてきたのだと思う。こういうのが出てくると男の一人としても楽しいし、いろいろ考えさせられるところもある。男にもヨシカと似たような傾向はあると思うが、男ではこんなふうなかたちでそれが出てくることがないように思えるのは、案外男の限界なのかもしれないなどと考えてしまった。
(新宿シネマカリテ、1月15日)
by krmtdir90 | 2018-01-17 20:25 | 本と映画 | Comments(0)

キネマ旬報ベストテン雑感

 数日前の新聞にキネマ旬報ベストテン(2017年)の結果が載っていた。毎年この時期になると雑誌の発売に先駆けて発表されるものである。昔、映画を浴びるほど観ていた頃はこの発表を非常に楽しみにしていた。あの頃は自分なりのベストテンもちゃんと考えてあって、それとの差異や一致を楽しんでいたのだと思う。

 この数年、また映画館通いを再開してしまったから(以前に比べれば観る本数はずっと少なくなったが)、やはりこうして発表された結果を見るとそれなりの興味が湧いた。若い頃と比べると、いまはどんな映画でもそれなりに楽しんで観られるようになったので、自分としては観た映画に順位を付けることにはほとんど気が向いていなかった。
 だから、発表された結果の妥当性を云々するつもりはないのだが、第1位に選ばれた映画については「良かったな」という感じがした。日本映画は「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(石井裕也監督)、外国映画は「わたしは、ダニエル・ブレイク」(ケン・ローチ監督)だった。わたしとしてはどちらもかなり思い入れのある映画で、好みという点でも完全に一致する結果になっていたので、何となく嬉しい気分に浸ることができた。どちらも非常に地味な小品であって、こういう映画が評価されるのはとてもいいことだと思った。

 外国映画の方は以下、②位が「パターソン」、③位「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と続いて、④位の「ダンケルク」だけは見逃しているが、⑤「立ち去った女」、⑥「沈黙/サイレンス」、⑦「希望のかなた」、⑧「ドリーム」、⑨「ムーンライト」、⑩「ラ・ラ・ランド」まで、全部を観ていたのも(わたしも悪くない選択をしていたのだなと)また嬉しい気分になった。
 一方、日本映画の方は、あと⑥位の「バンコクナイツ」と⑧位の「三度目の殺人」を観ただけで、それ以外の7本を観ていない結果になってしまった。日本映画の方が観に行く選択に好みが出やすく、わたしの興味が少し偏っていることを示しているのかなと思った。

 個人的にこの一年の映画を振り返ってみると、非常に印象に残っている映画が(わたしには初見であっても)過去に初公開が行われていることから除外されているのが残念だった。「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」「冬冬(トントン)の夏休み」「動くな、死ね、甦れ!」といった映画である。公開年に観ることはできなかったが、遅ればせであっても見逃さずに済んだことが幸運だったと感じられる映画だった。特に「牯嶺街」と出会ったことは、今年の映画を語る上でわたしにとっては最大の出来事だったと思う。

 一方、今年公開の映画について言えば、上記ベストテンに入っていない映画にも良かったと思うものはたくさんあって、「沈黙/サイレンス」や「ムーンライト」「ラ・ラ・ランド」などが入って来るのであれば、良かった映画は他にもあったのではないかなどと思ってしまう。だが、そもそもベストテンというのは一種のお遊びなのだから、出た結果にムキになっても仕方がないということである。だから、それはそれとして、幾つかの題名を以下に記しておくことにする。
 外国映画では「未来を花束にして」「逆行」「タレンタイム~優しい歌」「カフェ・ソサエティ」「ローサは密告された」「サーミの血」「人生はシネマティック!」「リュミエール!」など(キリがない)、日本映画では「14の夜」「火花」といったところか(こちらは観た本数が少ないのだ)。ブログに感想を書くようになったので、記憶にかなりしっかり残るようになったのはいいことだと思っている。映画はやっぱり楽しい。
by krmtdir90 | 2018-01-15 21:59 | 本と映画 | Comments(0)

メコンの船旅⑩アンコール遺跡2(2017.12.21~22)

12月21日(木)続き

 小型バスでアンコール・トムに移動した。
 アンコール・トムは12世紀末に作られた一辺約3キロの城壁に囲まれた王都で、中には様々な遺跡が残されている。時間が限られているわれわれのツアーは、ここでギリギリまで見学箇所を絞り込んだようだ。まあ、仕方がない。
 バスは遺跡の東側から城壁の中に入ったようで(大型バスだと中に入れないらしい)、バスを降りてここが見学のスタートになった。
e0320083_21512638.jpg
 王宮正面の王のテラスと呼ばれる部分である。右の方に行くと有名なライ王のテラスがあるようだが、そちらへは行かなかった。われわれは左の方に歩いて行った。
 こちらには側面にガルーダ(神話上の怪鳥、カンボジア国立博物館に像があった)のレリーフがあり、
e0320083_21521011.jpg
e0320083_21523293.jpg
 その先にはゾウのレリーフが続いていた。ゾウのテラスと呼ばれているところである。
e0320083_2153116.jpg
e0320083_21532093.jpg
e0320083_21534055.jpg
 テラスの角のところまで行き、
e0320083_21541984.jpg
 さらに先の方に進んで行った。
e0320083_21551510.jpg
 しばらく歩くと、前方に見えてきたのがバイヨン寺院である。
e0320083_21554056.jpg
 こちらから入って行く。
e0320083_2156662.jpg
 ここは正面にあたる東門なのだが、午後3時を過ぎていて、完全な逆光になってしまっている。
e0320083_21563853.jpg
 ぐっと寄ってやれば写るのだが、
e0320083_2157418.jpg
 引いていくと厳しくなり、
e0320083_21573288.jpg
 全景を撮ろうとするとこうなってしまう。
e0320083_2158095.jpg
 まあ、仕方がない。ここでガイドから、バイヨン寺院についての概括的な説明があった。ここも帰ってからの付け焼き刃なのだが、ガイドブックから最小限の知識を仕入れておく。これが建てられたのは12世紀末のジャヤヴァルマン7世の時で、当初は仏教寺院だったが、のちにヒンドゥー教の影響を受けている(タ・プロームと同じだ)。回廊の壁画(レリーフ)と塔に刻まれた観世音菩薩の顔が有名らしい。
 で、ガイドはわれわれを壁画(レリーフ)のある第一回廊の方に案内した。
e0320083_2159388.jpg
e0320083_21593198.jpg
e0320083_21595543.jpg
 ↑この右側のところに壁画があり、ガイドが熱心に説明しているのだが(それはイヤホンガイドを通じて聞こえている)、例によって事前学習をまったくしていないわたしは、人が溜まってうまく写真が撮れないこともあって、関係ないところにばかり目が行っているのである。
 遅ればせに撮った2枚。
e0320083_2203916.jpg
e0320083_221185.jpg
 なかなか凄いレリーフである。
東面から南面に回り込んで行く。
e0320083_2212956.jpg
 相変わらず関係ないところを写している。
e0320083_222444.jpg
e0320083_2222658.jpg
 そして遅ればせの2枚。
e0320083_2225394.jpg
e0320083_2232295.jpg
 さすがにこのあたりでは興味を覚えて、かなりしっかり見学したのだが、近距離で人が写り込むのは許せなくて、撮った写真は少ないのである。
 わたしの興味はすでに奥にある塔の方に移っている。
e0320083_2235587.jpg
e0320083_2242036.jpg
e0320083_224538.jpg
 南面から階段を上って、塔の近くに進むようだ。
e0320083_2253175.jpg
 壁画のあったところを第一回廊、この上を第二回廊と呼ぶらしい。
e0320083_2264058.jpg
 第二回廊はけっこう狭いところで、観光客でかなり混み合っていた。しかし、撮影対象は基本的に上の方になるから、それほどストレスを感じることなく見て回ることができた。
 中央にある一番高い中央祠堂。
e0320083_22724100.jpg
e0320083_2275251.jpg
 あとは周囲にある四面塔(四面に顔が刻まれた塔)である。
e0320083_2282528.jpg
 観世音菩薩のお顔をアップで。
e0320083_2210261.jpg
e0320083_22103455.jpg
e0320083_2211922.jpg
e0320083_22114454.jpg
e0320083_2212797.jpg
 さて、こんなところで第二回廊の見学はおしまい。
e0320083_22123617.jpg
 戻ろうとして階段のところに来ると、折悪しく某国のツアー客でごったがえしていて、外に出るまでえらく苦労した。某国の人たちって、みんなわれ先にという感じで、ゆずり合いということがまったくできないんですね。
 出て来たところは南門で、そこからの眺め。
e0320083_2213384.jpg
 バスの待っているところまで少し歩いた。日射しを受けた順光のバイヨン寺院。
e0320083_22141195.jpg
 面白い作りの欄干。
e0320083_22144122.jpg

 また小型バスに乗って、最後の見学地アンコール・ワットに行った。ここは駐車場も完備していて、降りてからかなり歩いた。
e0320083_221540100.jpg
 両側には観光客向けのお店なども完備?している。望遠で撮っているからたいして遠くないように見えるが、けっこう距離はあった。この日見た3つの遺跡の中では、アンコール・ワットが一番歩いたと思う。
 アンコール・ワットは広い堀割に囲まれている。
e0320083_22162815.jpg
 ここでまたガイドによる概括的説明。わたしもガイドブックなどで後からの知識収集。アンコール・ワットは12世紀初頭、アンコール王朝(クメール王朝とも)のスーリヤヴァルマン2世によって30年かけて建設されたヒンドゥー教寺院である。9世紀からこの地に都を構えたアンコール朝は、1431年に他国の侵略を受けてここを放棄、アンコール寺院群は密林の中に忘れ去られてしまう。その後いろいろな経緯ののち、アンコール・ワットは1860年にここを訪れたフランス人アンリ・ムーオによって西欧に紹介され、世界に知られるようになった。と、まあこんなところ。

 右手の方に観光客用の幅広の浮橋がかかっていて、そこを渡って行く。
e0320083_22183999.jpg
 これが西の塔門。
e0320083_2219520.jpg
 ここから中に入る。手が何本も付いた仏像が立っていた。
e0320083_22193435.jpg
 帰ってから、由緒あるヴィシュヌ神像というものであることを知った。
 門を出たところでガイドが、壁面に歯を出して笑う珍しいデバター(踊り子)のレリーフがあると言って説明を始めた。みんな面白がっていたようだが、わたしは興味が湧かず離れたところにいて、みんなが動き出した後で行ってみたがどれがそうなのか判らなかった。
 というわけで、これは歯を出して笑うデバターの近くにいたデバターである。
e0320083_22202020.jpg
 さて、西の参道を進んで行く。
e0320083_22205179.jpg
e0320083_22211396.jpg
 中央祠堂(寺院の中央にある建物)の尖塔は5つあるのだが、ここからは3つ見えているだけである。
 これは左手の経蔵。
e0320083_2224156.jpg
 このあと、正面から伽藍に入るのではなく、ガイドは途中にある階段を左手に降りて、われわれを聖池のほとりに連れて行った。ここが絵ハガキや写真などでよく見る代表的な撮影スポットなのだという。
e0320083_22245459.jpg
 なるほど。尖塔も全部見えているし、水面に映った影も非常に美しい。ここでしばらく撮影タイムになり、みんな思い思いにカメラを構えた。ツアーの集合写真なども撮影した。
e0320083_22253162.jpg
e0320083_22254957.jpg
 それから池の外を回り込んで行くと、結婚したばかりと思われるカップルが記念写真を撮ってもらっていた。
e0320083_22262059.jpg
 その後、この角のところから回廊に入った。
e0320083_22265049.jpg
 第一回廊である。壁面にはラーマーヤナやマハーバーラタなどを題材にした壁画(レリーフ)がずっと描かれていた。
e0320083_22272926.jpg
e0320083_2227551.jpg
e0320083_22282248.jpg
 伽藍の正面から中に入った。これは沐浴の池の跡だという。
e0320083_22285294.jpg
 若い僧侶が一人、座っている。何をしているのだろうか。
e0320083_22292178.jpg
 途中、1632年に徳川幕府の命を受けて祇園精舎の調査に赴き、ここを訪れた森本右近太夫一房という人物が壁に残した墨書というのを紹介された。それらしき文字が確認できたが、非常に不鮮明なものなので写真には写していない。何だか信じ難い話しだが、史実には違いないようだ。
 この先に5つの尖塔を持つ中央祠堂があるようだが、ここからは行けないようになっている。
e0320083_22302277.jpg
 横の方から狭い第二回廊の中を少し行くと、外に出られた。
e0320083_22305796.jpg
 ここは第二回廊の内側の部分で、中にある中央祠堂の周囲を一回りできるようになっているらしい。
 時計回りに歩いて行くと、
e0320083_22313198.jpg
 尖塔に向かう非常に急な石段があるのだが、登れないように柵がしてある。
e0320083_223231.jpg
 だが、この上の部分に開いた窓の奥に人影が見えるのである。
e0320083_22323381.jpg
 石段は何ヵ所もあるが、みんな通行できないようになっている。
e0320083_22334665.jpg
 しかし、もう少し進むと、見えてきた。
e0320083_22341562.jpg
 一カ所だけ、上に行ける補助階段が設置されているところがあったのだ。
e0320083_22345379.jpg
 それにしても、急角度なのはまったく同じで、わたしはこんな階段は死んでも登りたくない。幸いわれわれのツアーの予定にはなかったので安堵したが、昔(十数年前)は補助階段もなくて、申し訳程度についた手摺りだけを頼りに、でこぼこした石段をヒーヒー言いながら上り下りしていたらしい(そんなことを話している人がいた)。現在は人数制限と時間制限があるるらしいが、いずれにせよとても正気の沙汰とは思えない。
 とにかくこの上は第三回廊というところで、眺めがいいとガイドブックには書いてあったが、こんなところに登る人の気が知れない。
 第二回廊の壁面の方も見ておく。
 デバター(踊り子)のレリーフ。
e0320083_22364581.jpg
 この窓は連子窓と言うらしい。
e0320083_2237143.jpg
 アンコール遺跡特有のもので、他でも見かけた。
 最後にもう一度、尖塔に行く石段の恐るべき傾斜を確認。
e0320083_2238055.jpg
 十数年前の手摺りって、この左に付いた細い奴なんだよね? まったく信じられない。
 このあとは再び第一回廊に戻り、
e0320083_22383890.jpg
 さっきとは違う壁画(レリーフ)を見ながら、来た時とは別の出口に向かった。
e0320083_22391156.jpg
 次の写真の撮影時刻は17:20。
e0320083_22394079.jpg
 疲れてしまって、どんなふうに外に出たのか、写真もないしはっきり覚えていない。来た時の駐車場には戻らず、少し歩いて道路際からバスに乗ったような気がするが、はっきりしない。最後は、歩いている途中で見かけた遺跡のような古い建物。撮影時刻は17;25。
e0320083_22402031.jpg
 ともあれ、こうして超・駆け足のアンコール遺跡見学は終わった。

 このあとは旅の帰路ということになる。
 バスはシェムリアップ市内に戻り、とあるホテルの前に横付けになった。一泊はしないけれど、ホテルの部屋が一時的に使えるようになっていて、シャワーと着替えができるように手配されていた。このまま泊まってしまいたかったが、一泊削った旅行社としては最大限の配慮だったのだろう。部屋にどれだけいられるかは昼間の行程の進捗次第とされていたが、結果的に40分というのはギリギリセーフという感じだった。晴れていて汗もかいたし、埃にもなっていたからこれは有り難かった。
 このあとバスでシェムリアップ空港に向かったが、普通だとここで行程に入ってくるレストランで夕食というのがカットになっていた。代わりに一人20ドルが手渡され、空港内で各自お済ませくださいということになった。それでまったく構わないし、シャワーと着替えの時間を確保したのはヒットだったと思った。

 シェムリアップ空港は一応国際空港とされていて、小さいながら中の施設も完備していた。出国手続きのあとで、吉野家が出店していることを知って牛丼を食べた。
 これがお店の外観。
e0320083_22434235.jpg
 これがレシート。
e0320083_22441165.jpg
 牛丼並(Beef Bowl R)が5.5ドル、温泉卵(Onsen Egg)が1ドルで、これがわたしの分。妻はコーラと味噌汁(Miso Soup)が付いたセットにしたので7ドルだった。日本よりは高いが味はまったく同じで、こんなところで牛丼を食べることになるとは思わなかった。
 搭乗開始時間になると、順次外に出て飛行機まで歩いて行くかたちだった。
e0320083_22451187.jpg
 飛行機はすぐ目の前だった。
e0320083_22454713.jpg
 シェムリアップ発20:30ベトナム航空VN834便ハノイ行きはほぼ定刻に飛び立った。
 所要1時間45分、22:15、ハノイ・ノイバイ国際空港に到着。
 乗り継ぎ時間は2時間以上あった。

12月22日(金)

e0320083_22465013.jpg
 ハノイ発ベトナム航空VN310便・成田行きは0:40に離陸した。
 機内で時差修正を行い、時計の針を2時間進めた。
 所要時間は4時間20分、エコノミーだったので、眠る気もなかったし眠れなかった。
 成田空港到着は7:00、ほぼ定刻だった。

 今回の旅はとにかく天気に恵まれた。前回のロシアの時の悪天候を完全に挽回した。最終日の強行軍はいただけなかったが、毎日の行程が変化に富んでいて楽しかった。満足したので、船旅はこれで打ち止めかなと思っている。おしまい。

by krmtdir90 | 2018-01-11 22:48 | 海外の旅 | Comments(0)

メコンの船旅⑨トンレサップ湖、アンコール遺跡1(2017.12.21)

12月21日(木)

 最終日は非常にきつい日程になっていた。もともとこのツアーは、シェムリアップで一泊してアンコール遺跡を見学することになっていた。それが旅行社の事情で、最後の一泊をカットしたい、その代わり費用も少し安くなるという連絡があり、了解して貰えるかと言われた。了解するもしないも一度行くと決めたツアーだから、それでいいと答えるしかなかった。
 アンコール遺跡の見学時間が短いのは最初から判っていたことだからかまわないが、二日に分けていた日程を一日で一気に回ってしまうというのは少々辛い気がした。結果的に全部で2万歩ぐらい歩いたのではないかと思う。
 まあ、とにかくそういうことになってしまったのだから、気合いを入れて行くしかない。

 午前5時にモーニングアナウンスが入ることになっていたが、われわれは4時半には起き出していた。まだあたりは真っ暗である。
 5時半から朝食、6時までにスーツケースをドアの外に出すことになっていた(みんな朝食に行く前に出していた)。
 6時過ぎ、食後の一服をしにサンデッキに行った。
e0320083_22271361.jpg
 朝のうちは全体に雲が出ていたが、これは時間とともに次第に取れていき、この日もしっかり青空の見える晴れの天気になった。予想最高気温は28度だという。
 少しして、われわれが乗るスピードボート(高速艇)がやって来た。
e0320083_22281775.jpg
 一旦キャビンに戻り、6時半過ぎにもう一度サンデッキに行ったら、2艘になっていた。
e0320083_22284341.jpg
 1艘はスーツケース運搬用だったようだ。

 7時、メコン・プレステージ号に別れを告げて、慌ただしくスピードボートに乗り移った。窓はあるものの座席はあまり余裕がなく、密閉されていて天井も高くないので圧迫感があった。
 乗船が終わるとすぐに出発した。
e0320083_22293991.jpg
 さすがにスピードは出ている。だが、このスピードでもトンレサップ湖を縦断するのには3時間半かかるのだという。トンレサップ湖は南北に細長い湖だが、この南端から北端まで行くのである。北端で上陸した先にシェムリアップの町とアンコール遺跡がある。
 出発した時はまだトンレサップ川にいたが、どのあたりからトンレサップ湖に入ったのかは判らない。いずれにせよ水深が浅く、水位が下がれば平らな地面が現れるのだろうと思われる景色を、あちこちで見かけた。
e0320083_22303474.jpg
e0320083_22305295.jpg
 小舟もいろいろ見かけた。
e0320083_22311656.jpg
e0320083_2231334.jpg
 このあたりも水深はほとんどないのだろう。
e0320083_2232588.jpg
e0320083_22322923.jpg
 出発して約1時間、岸が見えないような広いところに出て来た。
e0320083_2233925.jpg
 青空が徐々に広がっている。
 飛沫が窓にかかり水滴が付いてしまったので(それに広いところに出てしまったし)、このあとは写真撮影はお休み。

 10時半を回った。
 前方の岸が見えてきた。
e0320083_22334936.jpg
 スピードボートは湖から水路のような川筋に入って行った。
e0320083_22341850.jpg
e0320083_22343837.jpg
 水深は非常に浅い感じで、ボートが作る波が(速度が遅くなったこともあるが)遠浅の海辺でできる波のようになっている。
e0320083_22351640.jpg
 船着き場が見えてきた。
e0320083_22354391.jpg
 上陸は11時ごろだった。予定より30分ほど余計にかかったことになる。
e0320083_22361856.jpg
 2台のバスが待っていたが、スーツケースの積み込みなどに手間取り、出発が遅れた。
 バスでシェムリアップ市内のレストランに向かう。途中の風景。
e0320083_22365499.jpg
e0320083_22372027.jpg
 ホテル付属のレストランで昼食。
e0320083_22375123.jpg
 ここで、これまで同行してきたカンボジアのガイドと別れた。同じ国内であっても、アンコール遺跡の案内は一般のガイドにはできないことになっているらしい。また、ここでバスが小型のものに切り替わった。23人ずつの2グループをさらに2分割し、4台の小型バスに分乗することになった。新たなガイド4人がそれぞれのバスに付いた。
 バスはまずこの建物の駐車場に入った。アンコール遺跡の料金所である。
e0320083_22385960.jpg
 ここでは全員が窓口に行く必要がある。窓口に据え付けられた簡易カメラで写真が撮られ、一人一人に顔写真入りのチケットが発行されるのである。チケットは一日単位になっているので、複数の人間に利用されるのを防ぐためらしい。これがそのチケット。
e0320083_2240024.jpg
 首から掛けておくと、幾つかのポイントで提示を求められる。しっかり見比べられるわけではないから(そんなことは不可能だ)、恐らく予防効果という意味が大きいのだろう。
 発行はテキパキ行われるからそんなに時間はかからなかったが、再び小型バスで移動して、見学開始は1時をかなり過ぎた時間になってしまった。

 アンコール遺跡のうち主要な3つを駆け足で見て回ったのだが、われわれはタ・プローム→アンコール・トム→アンコール・ワットの順に見学した。
 で、まずはタ・プローム遺跡である。
 ここから中に入る。
e0320083_2241142.jpg
 こちらに来て一番印象的だったのはこの赤土である。日本でも赤土は珍しいものではないが、こちらのは(乾燥していることもあったかもしれないが)ピンクに近い明るい色合いで、粒子が細かくサラサラした感じがした。
 続く参道のような道を、この赤土を踏みながら歩いて行く。焦げ茶の靴を履いていたのだが、たちまち表面が白っぽくなってしまった。
 道の途中で、腕など身体の一部を失ってしまった人たちが楽器を演奏していた。
e0320083_22424283.jpg
 戦争が終わっても、残った地雷に触れて亡くなったり、身体の一部を失う人がたくさん出たのだという。シルクアイランドに行った時も、入口で両腕のない青年が器用に果物を売っていた。ポル・ポトの時代も大変だったが、ベトナム戦争がカンボジアに残した後遺症も大きなものがあったのである。

 さて、タ・プローム遺跡の見学についてだが、われわれはガイドの先導で中を見て回ったのだが、いろいろ説明はあったと思うが、一々記録しているわけではないから、どこをどう歩いたのかよく判らないのである。ガイドブックを見れば詳しい平面図なども出ているが、この際そういうことはどうでもいいかという気持ちになっている。とにかく歩いた順に写真を掲載していくが、そういう説明はなしということで行きたいと思う。
 まず最初はここ。
e0320083_2244229.jpg
e0320083_22442670.jpg
e0320083_22444981.jpg
 ここでタ・プロームについての概括的な説明があったと思う。最小限の知識としてガイドブックから確認しておくが、ここは1186年に作られた仏教寺院で、のちにヒンドゥー教の影響も受けている。他のアンコール遺跡同様、長い間熱帯の密林の中に埋もれていたが、発見された時、建物を侵食するように根を張ったスポアンの木(ガジュマルの一種、榕樹とも)が人々を驚かせた。その状態をどうするか結論が出ないまま、ここは修復の手があまり加わらない状態で現在に至っている。
 説明のあと、この右手のところから裏側に回り込んで行ったのだが、
e0320083_2246183.jpg

 途中で写した石材表面のレリーフ。
e0320083_22463596.jpg
e0320083_22471823.jpg
 結構細かなレリーフが様々なところに施されていたのだが、写真はほとんど撮ってきていない。もう少し気にすれば良かったとあとで思ったが、木の根に目を奪われてそこまで気が回らなかったのである。
 で、これが最初に見た木の根。
e0320083_22482361.jpg
 すぐ近くまで行けるのだが、ツアーだとすぐ人でいっぱいになってしまうので、早々に脱出して少し離れたところから。
e0320083_22491057.jpg
e0320083_22494925.jpg
e0320083_22501894.jpg
 それにしても、自然というのは凄いことをやるものである。地球の歩き方の表紙はこの木の根のイラストになっている。
 次に、こういうところを通って、
e0320083_2251696.jpg
e0320083_22513172.jpg
 狭い回廊のようなところを抜けて行くと、
e0320083_22521473.jpg
 その先の木の根は完全に上からのしかかっている感じで、
e0320083_2252496.jpg
 いまにも押し潰されそうになっているところを、取り敢えず鉄パイプで補強してあった。
e0320083_22532187.jpg
 でも、これではいつまで保つか判らないと思った。
e0320083_2254626.jpg
 遺跡そのものもけっこう崩れかけていて(崩れた石材なども至る所に転がっている)、
e0320083_2255044.jpg
 この状況では修復をどのようにするのかは難しいところだが、のんびりしてはいられない事態になっているような気もした。
 こちらにも木の根の侵食がある。
e0320083_2256795.jpg
 観光客はけっこう多く、某国のツアーとぶつかるとうるさくて仕方がない。
e0320083_22564278.jpg
 また狭い回廊のようなところを通って、その先にあった木の根はまるで違った姿だった。
e0320083_22572359.jpg
 これはスポアンの木の上に別の木の根が侵食してきたらしい。
e0320083_2302059.jpg
 木の根ばかりに気を取られているが、遺跡そのものもいままで見たこともないようなかたちをしていて(駆け足で通り過ぎてしまったのだが)、このあとも随所で見ることになるこの形は非常に印象的なものだと思う。
e0320083_2311174.jpg
e0320083_2313654.jpg
 レリーフ。もっとしっかり見てくればよかった。
e0320083_2321168.jpg
 次の木の根は何ともユーモラスで、根を張るのをやめて横の方に伸びたのが「ちょっと一休みかな~」という感じがして面白かった。
e0320083_2325818.jpg
e0320083_2332967.jpg
 先へ進む。
e0320083_234340.jpg
 木の根は至る所を侵食していて、
e0320083_2343737.jpg
 その全部を案内してくれたわけではないようだが、この状態で保存されていることが、この遺跡を非常に興味深いものにしていると思った。
 回廊を通って広いところに出て来た。
e0320083_2351842.jpg
e0320083_235518.jpg
 どうやら遺跡の反対側に抜けて来たようだ。中は迷路のような感じだが、タ・プロームはそんなに広い遺跡ではないのだ。なお、インターネットでこの遺跡のことを調べていたら、一つ前の写真の左寄り壁面に注目すべきレリーフがあると出ていたので、拡大してみた。
e0320083_2364767.jpg
 タ・プロームで見られる装飾の中で、最も保存状態のいいものの一つだとあった。どういう点が興味深いのかはよく判らないが、言われてみると何だか魅力的に見えてきた。
 出口の門に来たようだ。
e0320083_2373036.jpg
 四面に大きな顔が彫ってある。これ、観音菩薩らしい。
e0320083_238567.jpg
e0320083_238274.jpg
 外に出た。
e0320083_239845.jpg
 これは西門というもので、どうやらわれわれは東から入って西に抜けて来たようだ。

 以上でタ・プローム遺跡の見学は終わり。小型バスに乗って、次はアンコール・トムに向かう。
 続く。
by krmtdir90 | 2018-01-10 23:10 | 海外の旅 | Comments(0)


カテゴリ
以前の記事
画像一覧
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
メモ帳
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
ブログジャンル