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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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モロッコの旅⑭マラケシュ~アルジャディーダ(2018.3.8)

3月8日(木)

 マラケシュで連泊したホテル、ル・メリディアン・エンフェスの中庭と客室棟。
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 この日は、午前中に大西洋に面した町アルジャディーダまで行き、そこを見学した後、旅の最終宿泊地であるカサブランカに向かうことになっていた。天気は悪くなさそうだ。

 午前8時半にホテルを出発。アルジャディーダまでは約200キロの道のりだという。
 市内を走っている時、鉄道のマラケシュ駅の前を通過した。
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 調べてみると、マラケシュ駅はモロッコ最南端の駅だった。モロッコの鉄道はONCFという国営会社が事業主体となっているようだ。

 アトラス山脈を越えたことによって、車窓はまた穏やかな春の田園風景となった。バスは途中の町や村を幾つか抜けながら北に向かった。始めはけっこう曇っていたのだが、次第に青空が広がってきて、非常に気持ちのいいドライブになった。
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 鉄道線路の上を越えた。
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 左の線路は車止めで終わっているので、単線の非電化路線と思われる。軌間は少し広いかなと思いながら調べてみると、モロッコの鉄道はすべて標準軌(1435mm)と出ていた。
 小さな町並みを抜ける。
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 羊飼いと羊の群れは至るところにいた。
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 黄色い花がたくさん咲いている畑をあちこちで見かけた。これはキャノーラの花だという。スーパーなどで見かけるキャノーラ油のキャノーラである。
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 こちらは小麦畑だろう。
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 小さな集落。
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 小さな町並み。
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 農作業用の馬車。
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 畑の手前に通っているパイプは、灌漑用水を送るパイプらしい。
 牛の姿もこの日はあちこちで見かけた。
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 荷車を引くロバ。
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 ロバか馬かは、遠くからでは実は判然としない。
 かなり大きな町が見えてきた。
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 町の中の通り。
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 道路の様子を見ると、昨日あたりまで雨が降っていたのかもしれない。
 ぬかるんだ道を高校生ぐらいの若者たちが歩いている。
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 これが学校のようだ。
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 時刻は午前11時を少し回ったところで、こういう時間にたくさんの生徒が出てくるというのは、何か特別の行事でもあったのだろうか。
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 再び田園が続く。
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 このオレンジ色の花が咲く畑もけっこう見た。名前を聞いたはずなのだが忘れてしまった。
 実に気持ちのいい天気になった。
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 11時50分を過ぎたころ、バスはアルジャディーダの町に到着したようだ。
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 町の中を走って行く。
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 ほぼ12時に、バスは城壁の前の通りに停車した。
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 アルジャディーダのメディナ(旧市街)はかなり規模が小さく、特にポルトガル都市という名で呼ばれているらしい。これは、ここが1502~1769年の間、ポルトガルの支配下にあったことと関係していて、この城壁とメディナは当時ポルトガルの要塞として築かれたものだったのだ。
 この入口から中に入った。
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 入ってすぐのところにあったこの建物は、現在は小規模ながら劇場として使われているものだという。
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 帰りがけに中を覗いたので、その時に撮った写真を載せておく。
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 何か小さな集会が行われていたようだ。
 この通りを進んで行く。
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 これまで見てきたメディナとはまったく異なり、ごみごみした感じが少しもなく、非常に落ち着いたところという印象を受けた。個人の観光客をちらほら見かけるだけで、土産物などの店も少ししかなく、実に静かで小綺麗な家並みである。
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 ↑この左側の、白いジェラバを着た老人が座っている手前の入口から、ガイドのハディドさんは中に入って行った。

 入口の感じはごく普通の民家のように見えるのだが、中はこんな感じの奇妙な作りになっていた。
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 横に受付のような小さなブースがあり、猫がちょこんと座っている。
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 中の男性とやり取りがあったあと、ドアを入って地下室に案内された。階段を下りていくと、
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 そこには不思議な空間が広がっていた。左の方には水が溜まっていて、右側の水のない部分が歩けるようになっている。
 ここはポルトガルの貯水槽と呼ばれる施設で、1514年にポルトガル人がこの城塞都市を築いた時、同時に倉庫として建設されたものだったようだ。その後、非常の際に城塞の水が断たれた時のために貯水槽として改造され、長年にわたって利用されてきたのだという。
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 天井の円い穴から雨水が流れ込むようになっているらしい。
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 いまはそこから太陽の光が差し込み、何とも言えない幻想的な雰囲気を作り出している。
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 ポルトガルの貯水槽の入口はここ。
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 さて、またメディナの道を歩いて行く。
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 このメディナは商業の場というより生活の場という傾向が強く、民宿のようなホテルは交じるものの、ほとんどが人の住む民家で占められているようだった。

 わずかな時間でメディナの中を横切ってしまったようだ。突き当たりに小さな広場があった。
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 鉄格子の嵌まったアーチの向こうに海があるらしい。
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 ↑この右手の坂になったところから、小さな門を入って右奥の方に進んで行くと、昔の要塞の時代には稜堡(りょうほ、攻撃などに備えて大砲を設置し、見張り台としての機能も持たせた一画)として使われた小高い場所があり、現在はそこが見晴台になっているのだった。
 まず、そこからの眺め。
 小さな漁港がある。
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 防波堤。向こうの海は大西洋である。
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 反対方向。ビーチが見えている。
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 背景はアルジャディーダの町並みである。右に視線を移すと、
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 メディナを囲む城壁(右がメディナ)。ここが海に向かう砦だったことがよく判る、堅固な作りになっている。
 さらに右に見ていく。
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 右の門を手前に入って、傾斜を上ったところが見晴台である。この写真では奥がメディナということになる。
 右手に、大砲が海を向いて残っていた。
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 何枚か前の写真に写っている城壁の上を少し行ったところから、見晴台になっている稜堡の方を振り返る。
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 今度は少し離れて、最初に歩いて来た方から稜堡を見る。
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 さっきとは反対方向の城壁。
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 望遠で、大西洋。
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 最初に入って来た入口の門。
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 この手前で、帰り際にあと3枚。
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 ↑これが最初に見晴台の上から見た方向。漁港(右)と防波堤(左)と。
 最初に入った門。
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 下の広場では子どもたちがサッカーをしていた。
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 上の写真の左にある白い建物には、小さく「カフェ」の表示がある。営業しているようには見えないが、このメディナの中にはこうしたお洒落な建物が、古い土色の建物の間に点在して上手に溶け込んでいる。モロッコのメディナなのに、どことなくヨーロッパの(ポルトガルの?)気配が入り込んでいるような気がした。
 再びメディナの中を、最初に入って来た門に向かって歩いて行く。
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 ↑これは公衆トイレである。もちろん男が向こうから出てきて、一人1ディルハムを徴収して行った。
 さらに何枚か。
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 横のドアから不意に顔を出した少女。
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 以上でアルジャディーダのメディナは終わり。外の通りに戻って来た。
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 上の写真の撮影時刻は12時53分。天気が良かったこともあるが、いままでのメディナと違って、とてものんびりした気分になれる散策だった。
 このあと、昼食に向かう。
 以下、次回。
by krmtdir90 | 2018-03-31 20:26 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑬マラケシュ2(2018.3.7)

3月7日(水)続き

 ジャマ・エル・フナ広場から、徒歩で昼食のレストランに向かった。ガイドのハディドさんはすぐ着くと言っていたのだが、けっこう歩いた。
 メインには何だかよく判らないものが出た。いま写真を見ても思い出せない。
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 これがレストランの入口。
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 ↑この写真の撮影時刻は午後2時03分だった。

 昼食のあと、徒歩でバヒア宮殿というところに行った。これが入口。
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 入口はパッとしなかったが、敷地はかなり広いようだ。
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 オレンジの木があちこちに植えられている。
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 ただし、これは食べられないオレンジらしい。
 この宮殿は19世紀末、アラウィー朝のハッサン1世の宰相だったアリ・バハメットの私邸として建てられたもののようだ。バハメットには4人の妃がいて(イスラムでは一夫多妻が認められている)、24人の側女(妾)たちが仕えていたらしい。宮殿内にはこの妃たちと側女たちの部屋が並んでいるという。俗な言い方をすればハーレムである。
 位置関係をよく覚えていないのだが、こういう脇を通って行くと、
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 こぢんまりした中庭(パティオ)に出た。
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 この周りに4人の妃の部屋があった。
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 部屋を順番に見ていったが、どれがどれだったかはっきりしない。とにかく部屋を回りながら撮った写真である。
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 さっきとは別のパティオに出た。
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 さらに、広い中庭。
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 この周りには側室たちの部屋があったようだ。
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 ↑屋根の向こうにちょっと頭を出しているミナレットの上。コウノトリの巣とコウノトリ。そして、メッカの方向を指し示す矢印。
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 位置が判らないのだが、また別のパティオ。
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 中に入ってさらに幾つか部屋を見て回った。
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 それぞれのところで説明はしてくれていたのだろうが、いずれにせよ、宮殿の平面図を手にしながら回ったのなら別だが、結局どれが何だかよく判らないうちに見学は終わってしまった。地図や平面図上で物事を確認したいという欲求が強いのは、わたしの特殊な性向であって、ほかの人たちはあまりそういうふうには考えないということだろうか。

 さて、バヒア宮殿を出ると、すぐのところに馬車が2台待っていた。
 次はこれへの乗車体験ということになる。乗るところの説明的写真はないから、次は座席から撮った写真になる。
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 分乗する時、前の馬車には2人連れの女性と添乗員とガイドが乗った。後ろにはわれわれと単独参加の女性の3人となったが、座席は2人ずつ向かい合わせだったので、添乗員に促されて席決めのじゃんけんをした。運良くわれわれが勝って前向きの席を確保できたが、同乗の女性には何となく悪い気がした。
 カーブのところで前を行く馬車を撮ることができたが、
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 もちろん自分たちの馬車を撮ることはできない。乗ってしまうと周囲の風景を見ているしか基本的にはなくなってしまう。しかも、ここでもルートを示す地図がないから、見えているものを確認しながら行けないというのは大いに不満なのである。
 次がアグノウ門という門なのも、帰ってから調べてみて判ったことである。
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 2連になった門を抜けて行く。
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 朝に通ったロブ門とは違うようだ。
 馬車はしばらく旧市街(メディナ)の中を走っていたが、
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 一旦外に出て、周囲の広い通りの方も走ってから、再び城壁の中に帰って来た。
 生きたクジャクを抱えながら歩いている人がいる。
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 いったいどうするつもりなのだろう。
 やがて、35分あまりののち、馬車はクトゥビアに近い広場の脇に来て停まった。
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 これがわれわれの乗った馬車。
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 向こう側の馬が見えていないが、写真はこれしかないので仕方がない。
 乗車の感想を言うと、カンボジアのトゥクトゥクなどと違って、この馬車は観光用に仕立てられたもので日常的な乗り物ではない。その点が、乗っていて何となく気恥ずかしく、新鮮な感動に欠けていた理由だろうと思う。まあ、体験としてはそれなりに面白かったのだけれど、ね。

 広場で、迎えのバスを待ちながら。町の人々。
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 バスで一旦ホテルに戻り、1時間ほど休憩したあと、午後5時45分に再集合して、もう一度バスでジャマ・エル・フナ広場に向かった。夜のメディナとスークの雰囲気を味わおうという企画である。

 午後6時過ぎのフナ広場。
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 歩いて行くと、昼間より賑わい始めているようだ。サルなどに芸をやらせている芸人などが出ている中に、コブラを扱っている芸人がいたので、思わずシャッターを切ってしまったら大声で呼び止められてしまった。
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 仕方がないから10ディルハムを渡したが、うーむ、夜になったらますます気をつけなければ。
 で、気を取り直して。
 広場には、昼間にはなかった(たぶん)店などが盛大に軒を並べていた。
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 夜がこの広場のゴールデンタイムということなのだろう。

 あたりが暗くなるまで、さっきのスークの路地の方を歩くことになった。一旦解散して、集合時間は7時(だったと思う)、昼間と同じ(だったと思う)カフェの前ということになった。
 われわれはスークの方をしばらく歩いてから、早めにフナ広場に戻った。あたりが暗くなると、やはり広場の雰囲気は一変していた。広場を横切りながら、今度は十分注意してシャッターを切った。
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 この煙っている方は飲食店の屋台が集まっているようだ。
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 非常に興味があったが、入るわけではないのだから行かない方がいいと判断した。

 時間より早く集合場所に行ったのだが、そこには添乗員が一人いるだけで、他の3人はずっと早く戻って来て、すでにカフェの2階でティーを楽しんでいるという。で、われわれも上に上がった。そこは広場全体を見渡せるテラスの特等席になっていて、最初は席が埋まっていて座れなかったが、少しして空席ができたので、そこに座ってミントティーをいただいた。
 もちろん写真もしっかり撮ったので、その中から。
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 なお、われわれが入ったカフェは、ガイドブックの細かい地図や写真などから判断すると、広場の周囲のこういう2階席のあるカフェの中で一番眺望がいい、ル・グラン・バルコン・カフェ・グラシエというお店だったようだ。

 ここでしばらく休んだあと、カフェを下りてジャマ・エル・フナ広場を後にした。
 迎えのバスが来る広い通りまで歩いた。ライトアップされたクトゥビアが美しい。
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 バスを待ちながら。
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 この晩は外のレストランで夕食ということになっていた。
 このお店。
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 みんなで少しずつ取り分けるようになっていた前菜。
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 メインは何だったか。
 最後のミントティーをウェイトレスが目の前で注いでくれた。
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 ホテルに帰り着いたのは午後9時45分ごろだった。
by krmtdir90 | 2018-03-29 15:33 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑫マラケシュ1(2018.3.7)

3月7日(水)

 この日は一日、マラケシュの市内見学に充てられていた。ホテル出発は午前9時。正面玄関の前に出ると、虹が出ているのが見えた。
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 夜の間に雨が降ったのだろうか。よく判らない。
 しかし、天気は晴れである。やや変わりやすい天気ということはあったようで、最初のうちほんのちょっとだけ雨がぱらついたが、基本的には青空の見える気持ちのいい天気で推移した。

 最初はバスで移動。帰ってからガイドブックの地図で見学ルートを確認しているのだが、バスはロブ門というところからメディナ(旧市街)に入って行ったようだ。
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 門をちょっと入ったところでバスを降り、歩いて行くとミナレットの付いたモスクの前に出た。
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 アル・マンスール・モスクと言うようで、この中にあるサアード朝の墳墓群というのを最初に見学するようだ。
 これは前の道(モスクは左側)。
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 塔の上にコウノトリが巣を構えている。
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 墳墓群の入口は↓この右手前にあり、
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 中に入ると、小さな中庭と幾つかの建物(部屋)が並んでいた。
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 左で欧米人のツアーが覗き込んでいるところに第1の部屋がある。ミフラーブの間と言うらしい。
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 ミフラーブとはメッカの方向を示す壁の窪みだが、正面にはないので、恐らくこちらがそうなのだろう。
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 床のモザイク。
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 棺桶を連想させる模様があるが、ここは子どもたちのお墓になっているらしい。
 次に行く間の中庭にもお墓があった。
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 これは召使いのお墓のようだ。
 次は第2の部屋で、12円柱の間と言われているようだ。
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 ここが最も荘厳な部屋で、中央の大きなお墓がサアード朝の王アフメド・アル・マンスールのお墓とガイドブックには書いてある。ただ、中央には3つお墓が並んでいて、よく見ていると、真ん中のは両側のより心なしか小ぶりのように見えるのだが。
 壁などの装飾は確かに豪華で、
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 天井なども非常に立派に作られている。
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 中庭にはまた召使いのお墓が並んでいて、
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 その先(右側)、第3の部屋は3つのミフラーブの間と呼ばれているらしい。
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 ここはアル・マンスール王の子どもたちや王族たちのお墓で、正面が1つのミフラーブであることは判るが、あと2つがどこにあったかは判らなかった。
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 以上で墳墓群の見学は終わり。
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 最初のうち雨がぱらついていたのだが、もう上がってしまったようだ。

 表の通りに出て、ガイドの先導で少し歩き、
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 次に香辛料のお店というのに立ち寄った。
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 女性陣はいろいろ見ていたが、わたしは興味がないので、例によって外に出て写真を撮ったりしていた。店のすぐ前に門があり、
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 門を出た方から振り返る。
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 この奥にある入口が香辛料屋さんである。門のすぐ横の土壁の上にコウノトリが巣を作っていて、けっこう至近距離からその姿を見ることができた。
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 門の前の通り。
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 モロッコのタクシーは町によって色が統一されていたようだが、マラケシュのタクシーは↑この色だった。

 さて、このあとはバスに乗って、一旦メディナを出て、マジョレル庭園というのに向かった。
 マラケシュのシンボル、メディナの中にあるクトゥビアというミナレットが見えている。
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 ここはあとでまた来る予定。
 新市街の通りを走って行く。モロッコでは、通りが交差するところは大抵ロータリーになっていて、ここには噴水が作られていた。
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 途中、ピザハットと、
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 ケンタッキー・フライドチキンがあった。
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 ムスリムはポーク(豚肉)は食べないが、チキンなどはOKということである。
 こちらは郵便局だ。
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 で、マジョレル庭園である。
 これは入口を入ってすぐのところ。
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 奥に竹林が見えているが、この庭園は1920年代にフランスの画家ジャック・マジョレルが造園したもので、彼の死後、フランスのデザイナー、イヴ・サンローランが買い取ってさらに作り込んだものらしい。中にはヤシの木やサボテンを始め多彩な南国の植物が植えられ、建物や様々なところが鮮やかなコバルトブルーに塗られているのがアクセントになっている。
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 園内には、西欧人と思われる観光客がたくさん入っていた。ヨーロッパの人々にとって、北アフリカというのは意外に身近な「異国」という感じなのかもしれない。
 園内で見かけた、遠足と覚しき現地の子どもたちの一団。
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 子どもたちにとっては、ここはそれほど面白いところとも思えないのだが。
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 終わりに、これが庭園の入口。
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 入る時にはなかった行列が、右の方にけっこう長くできていた。

 マジョレル庭園の前の道から、表の広い通りに出たところ。
 観光用の馬車。
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 われわれは午後にこれに乗った。
 こちらは路線バスの停留所。
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 ここでバス(われわれのバス)に乗って、今度はこのお店に寄った。
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 革製品やモロッコの民芸品などを扱っているお店で、大きな土産物店という感じだった。しばらく中にいたが、わたしはやはり早く外に出て煙草などを吸っていた。横の方に、何かを焼いている屋台が出ていた。
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 再びバスに乗って、
 マクドナルド。
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 交通整理のお巡りさん。
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 噴水のあるロータリー(さっきとは違う)を回って、
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 正面のジェディド門からもう一度メディナの中へ。奥にクトゥビアが見えている。

 クトゥビアの塔に近い道路でバスを降りた。
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 ↑この右手のところから敷地の中に入って行った。
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 クトゥビアはミナレットであり、最上部の窓からスピーカーが覗いているのは、礼拝時間を知らせる放送のためのものだろう。
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 また、金の飾りの右に付いている逆三角形の骨組みのようなものは、外からでもメッカの方向が判るように、そちらの方向を指し示している印なのだという。
 正面を右に曲がり、モスクの横を通って行く。
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 その先のアーチをくぐると、
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 広場に出た。
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 広場を横切り、そちらからクトゥビアの塔を見る。
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 広場の向かいの道路を、
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 横切って行くと、
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 その先からスークと呼ばれる商業地区が始まっていた。

 ここから先はどこをどう歩いたのかまったく判らない。ただ、フェズの時と違って、ここではあまりディープな部分には入り込まなかったようだ。マラケシュのスークは世界最大の広さがあると言われているから、これを攻略するのは並大抵のことではないのだろう。
 以下、写真を並べていく。
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 晴れているから、何となく開放的な感じがする。ちょっとした広場に出た。
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 このあとは例によって迷路のようになる。お店などに引っ掛かりながらゆっくり歩いて行った。
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 フェズで経験しているからもう新鮮な驚きはなく、上にも書いたように、食料品の店とか革職人のエリアとか、ディープなところには行かなかったから、写真もそんなに撮っていないのである。

 30分ぐらい歩いて、ジャマ・エル・フナ広場(通称・フナ広場)というところに出た。出たところで、もう一度30分ほどフリータイムにすると言う。われわれはそんなことはなかったが、他の3人が途中にあった店で買い物をしたいと希望したようだ。フェズの時ほど入り組んだ感じはなかったから、いま歩いたところをある程度戻るのは、それほど難しいことではないように思われた。広場の周りにあるカフェの中の一つを決め、その前を集合場所にして解散した。
 われわれも何となくついて行ったが、特に買いたいものがあるわけではないから、途中で分かれて少しぶらぶらした。ただ、われわれだけで行動するとなると、あまり気軽に写真を撮ることはできないような気がした。こちらでは、不用意に写真を撮るとチップを請求されることがあると聞いていたからである。
 早めにジャマ・エル・フナ広場に戻った。もう午後1時を過ぎている。お腹がすいた。
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 この日も2回になります。以下、次回。
by krmtdir90 | 2018-03-28 18:40 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑪ワルザザート~マラケシュ2・アトラス越え(2018.3.6)

3月6日(火)続き

 アイト・ベン・ハッドゥの村をバスが出発したのは午後2時半過ぎである。たった5人のツアーだからあまり時間に縛られても仕方がないのかもしれないが、予定より1時間半も遅れているというのはやはりいかがなものかと思う。
 まあ、それはそれとして、このあとバスはいよいよ2度目のアトラス越えをすることになる。
 4日(日)に東側ルート(国道13号)で南に向かって越えたアトラス山脈を、今度は西側ルート(国道9号)を使って北に向けて越えるのである。今回越えるオート・アトラス(Haut Atlas、高アトラス)は、アトラス山脈の中でも最も高い山々が連なっているところで、実際に走ってみたら、東側のルートとはまったく違った厳しい道の連続だった。しかも、雪は降らなかったものの、高いところはやはり天気が崩れていて、雨と霧の中の非常に恐ろしいドライブになってしまった。
 始めのところにあまり書いてしまっても仕方がないので、とにかく出発である。

 最初は、荒涼としているものの比較的広がりのある風景が続いた。
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 次第に起伏が出てきているが、こういう砂漠の風景はここまでで終わりである。
 45分ぐらい経過したあたりで、これまでずっと続いて来た赤茶けた岩肌の色が、明らかに変化しているところが交じるのに気が付いた。
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 写真だと色合いが正確に捉えられていないのだが、黄土色にモスグリーン(くすんだ緑色)が混ざったような感じと言えばいいだろうか、岩の組成が異なるのだろうと思われるところがしばらく続いた。
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 少し前から左側に川が寄り添って来ている。
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 向こう岸の丘陵は赤茶けた色のところとモスグリーン混じりのところがまだらになっている。ただ、こういうところはこのあたりだけだった。
 バスは上流に向かって走りながら、次第に標高をを上げて行くようだった。少しずつオート・アトラスのエリアに入って来ているのだ。
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 川の流れが右側に来て、
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 流域にあった小さな村(集落)を過ぎて行く。
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 バスはある程度の標高に来たところで、しばらくアップダウンを繰り返し、
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 奥に見えている残雪の山並みに徐々に近づいて行く。
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 集落は右の窓から見える対岸に、さらに幾つかあった。
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 それもこれが最後だったと思う。
 雨がポツポツ降り始めた。
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 道が次第に曲がりくねるようになり、バスははっきりと標高を上げ始めた。
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 川の流れもなくなり、山の斜面にへばりつくような道路が連続するようになった。
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 道幅はけっこう狭い。とはいえ、東西2つしかないアトラス越えの幹線道路だから、交通量は少ないものの、大型トラックなどともけっこうすれ違った。
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 見通しの悪い山道で、バスとトラックのすれ違いにはギリギリの道幅なのである。ガードレールはなく、路肩にほんのちょっと、申し訳程度のコンクリートの突起が作ってあるだけである。それすらない区間もけっこうあった。
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 しかも、雨で路面は滑りやすくなっている。にもかかわらず、われわれの運転手はあまりスピードを控えているようには思えない。
 急な崖の下で、何やら工事が行われている。
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 このあたりまで来て、わたしは急激な恐怖に襲われてしまった。崖の斜面はどんどん急なものになっているのに、路肩の部分の余裕がほとんどなくなってきているのだ。しかも、谷底はどんどん深くなっている。
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 それを具体的・説明的に示す写真はないのだが、窓から見ていると、車輪が路肩ギリギリのところをたどっているのがいやでも実感されるのだ。カーブを曲がる時や対向車とすれ違う時にはホントにヒヤヒヤした。ほんのちょっとハンドル操作を誤っただけで即転落、転落すればとても生きてはいられないという瀬戸際を走っているのだ。この感じは撮ってきた写真からはとても伝わらない。
 その恐ろしい谷底の上に、美しい虹が出ていた。
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 だが、雨は止んでいない。

 午後4時6分ごろ、バスはこのルートの最高地点、標高2260mのティシュカ峠に達した。ここで少し休憩となったが、雨と強風とで最悪のコンディションになってしまった。とても傘を差せる状況ではなかったが、急いで降りて行って何枚か写真だけは撮ってきた。
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 こちらがいまバスが上って来た方向で、
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 こちらがこのあと向かう方向である。
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 このあと、バスは強くなった雨の中を25分ほど走った。
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 道幅はさっきまでより少しだけ広くなったようだが(ガードレールも部分的に付いているところがあったが、あまり役に立ちそうには思えなかった)、相変わらずヘアピンカーブなどが続く厳しい道だった。こういうところを走る恐怖は消えなかった。

 次にバスが停車したのは、アルガンオイルの専門店として知られているらしいアルガン・ティシュカというお店だった。
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 こんな山奥にそういうお店があるのが驚きだったが、山間に住む女性たちが協同組合のようなかたちで製造直売を手掛けているらしい。アルガンオイルは(わたしは知らなかったが)、女性の間ではモロッコみやげとして第一に挙げられるほど名高いもので、どこでも買うことはできるが、ここのものは品質も良く安価であることから、ツアーの女性陣もみんなここを楽しみにしていたようなのだ。
 店に入ると若い女性が並んで座っていて、右の女性が片言の日本語で説明するのに合わせて、製造工程などを簡単にデモンストレーションしてくれるのだった。
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 そのあと奥のお店で買い物となったが、
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 その間、わたしは外に出て、煙草を吸ったり周囲の写真を撮ったり(トイレに行ったり)していた。
 道路の向かいの土産物屋。
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 商品は並べられたままで、雨ざらしになっている。
 このあたりには、山の斜面にへばりつくようにティシュカ村という集落があるようだ。
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 雨は降り続いている。
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 このお店には30分ほどいた。妻も含めて、皆さん思う存分買い物ができたようだった。バスが出発したのは午後5時5分ごろだった。

 さて、このあとも(基本的にはアップダウンを繰り返しながら徐々に標高を下げて行く)かなり長い山道が続いたのだが、写真はたった1枚、大きくブレて使えないものが残っているだけである。
 理由は、最初しばらくは雨でガラスが曇ってしまったこと、雨が止んだら今度は深い霧で視界が悪くなってしまったこと、そうこうするうちに夜になってしまったことなどである。無理をすればそれなりの写真は撮れたのかもしれないが、様々な悪条件が降りかかる中での山道の走行が、ホントに怖くて怖くて仕方がなかったというのが大きい。

 運転手は割と年のいった男性だったのだが、こういう条件下での運転にも慣れていたということなのだろうか、よくこんなにスピードを出して行けるなというくらい、まったく躊躇の感じられない運転なのだった。やや道幅は広がったとはいえ、路肩がギリギリで谷に落ち込んでいるのは変わらなかったし、日本ならガードレールや急斜面の補強工事などが施されているようなところでも、こっちの道は何の処理もなされていないのである。
 しかも、山脈のこちら側(北西斜面)というのは雲がぶつかって雨が降ることも多いようで、このところの悪天候でけっこう雨が続いたのか、実際に崖が崩れていたり、崖側の斜面から水が流れて冠水しているところなども何ヵ所かあったのである。霧が出てからは、カーブで対向車とすれ違う時など、大袈裟な言い方にはなるが生きた心地がしなかった。モロッコでバスが谷底に転落!なんていう新聞見出しが、本気で脳裏に浮かんだりした。外を見ないようにすれば良かったのかもしれないが、危うい事態が把握できている以上、気をそらすことはとてもできなかった。
 まあ、いくら書いても伝わらないとは思うけれど、いままで生きてきた中で、ホントに、最も怖い体験の一つだったと思う。

 無事マラケシュのホテルに入ったのは、午後7時45分ごろだった。悪天候は山の上だけだったようで、マラケシュは雨は降っていなかった。
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 ホテルの名前はル・メリディアン・エンフェス、われわれはここに連泊する。やれやれ、である。

by krmtdir90 | 2018-03-27 20:39 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑩ワルザザート~マラケシュ1、アイト・ベン・ハッドゥ(2018.3.6)

3月6日(火)

 ガイドブックを見ると、ワルザザートのベルベル・パレスというホテルは、客室数が240もあって、ロビーやレストランなどがある大きな建物の奥の、非常に広い敷地に2階建ての客室棟がたくさん並んでいた。われわれの部屋はけっこう離れたところが割り当てられていたから、レストランとの行き帰りは幾つか角を曲がらなければならず、夕食の時は道に迷いそうになった。
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 朝食はビュッフェ方式で6時半から可となっていたので、この写真は早めに行こうと外に出た時に撮ったものである。部屋はこの右側の1階だったが、部屋面積はこの旅行中に泊まったホテルの中で最大だった(いままでの海外旅行の中でも、と言っていいかもしれない)。
 この日の出発は9時半の予定だったので、少し早めに出て道路の向かいにあった土産物屋を覗いたりした。そちらから撮ったベルベル・パレス。
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 バスは予定通りに出発したが、ワルザザート市内を少し走っただけでアッという間に停車した。これはガイドブックにも載るタウリルトのカスバというもので、
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 右手の方もその一部だった。
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 グラウイという有力部族の首長のカスバ(屋敷跡)で、映画撮影の舞台にも使われたことがあるらしい。この写真は道の向かいの少し高くなったところから撮ったのだが、そちらにあったこの建物は、
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 (入口の文字を拡大してみると)映画博物館というものだったようだ。
 このあと、バスでほんのちょっとだけ移動して、カスバが裏側から見えるところに行って写真を撮った。
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 どちらが表でどちらが裏なのかはよく判らないのだが。

 その後、バスは橋を渡り(ワルザザート川と言うらしい)、
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 少し行ったところで、また停車した。
 川を挟んだ高台に立派なカスバが建っていた。
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 これはティフルトゥトのカスバというもので、タウリルトのカスバと同様、首長グラウイが所有していたものだったようだ。現地でも説明があったと思うが、「アラビアのロレンス」の撮影でここが使われたことを初めて知った。うーむ、そうだったのか。
 右に見える塔の上にコウノトリの巣が載っている。望遠で写したものがピンボケで使えないので、比較的アップになっているものを拡大して載せておく。
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 バスに乗って出発してすぐ、ワルザザート川に架かった橋を渡る時、別角度から見たティフルトゥトのカスバ。
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 また少し行って、あたりに人家もなくなり、平坦な礫砂漠に変わった先に、えらく横に広がった塀と建物が見えて来た。
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 右手の交差点(ロータリー)に、映画撮影に使うカチンコのモニュメントが。ここを左折して、
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 建物の前に来た。
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 降りて見に行ったわけではないが、これは広大な敷地を持つ映画スタジオなのだという。アトラス・コーポレーション・スタジオと言い、世界中の映画がここやこの周辺のロケ地で撮影を行っているらしい。砂漠やイスラムの風景を必要とする映画にとって、いまモロッコは格好の撮影場所になっているということだ。知らなかった。

 さて、このあとバスは20分ほど走った。とにかく車窓の風景がめまぐるしく、興味深いものばかりなので次々にシャッターを切ってしまう。
 こちらは左(恐らく南西)の車窓。
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 雪を戴く山並みが遠望されているが、南西側ということはアンチ・アトラス(Anti Atlas、小アトラス)の山塊だろうか。
 一方、こちらは右(恐らく北東)の車窓。
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 見えているのは、この日の午後に越えるオート・アトラス(Haut Atlas、高アトラス)だが、高いところがずっと雲に覆われているのが不吉である。
 こちらにあった村の名前は判らなかった。
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 川を渡り、
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 小さな町並みを抜けて行く。
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 ラクダ3頭。
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 レンズ雲。
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 やがてバスは、村の入口にある小さな広場に停車した。

 この日の主要見学地、アイト・ベン・ハッドゥである。
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 これから、このてっぺんにある建物のところまで登るのだという。
 斜面にへばりついた、土色の古い村は広い意味ではカスバと言ってもいいが、このように要塞化した村のことは特にクサルと呼んで区別しているようだ。ベルベル人が作った村だが、日干しレンガと粘土で作った家々はかなり傷みが進んでいて、多くの住民が手前の新しい村の方に移住してしまい、現在もここに住み続けるのは5、6家族だけになってしまったらしい。

 舗装道路を逸れて、まず手前の新しい村の中を抜けて行く。新しいと言っても、結局は同じ日干しレンガと粘土の土の家である。
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 土産物屋が出ている。
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 川べりに出た。
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 橋が架かっているが、これができたのは比較的最近のことで、以前は右手の方の河原の、流れの浅いところを歩いて渡っていたのだという。なお、手前に倒れているように見える犬は、別に死んでいるわけではなく寝ているだけである。

 橋を渡って、
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 アイト・ベン・ハッドゥ村に入る。
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 こちらにも土産物屋が並んでいる。村内の道はほぼこのくらいの幅で、
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 角を曲がったり階段を上ったりしながら、次第に高いところに登っていく。
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 上るにつれて周囲の見晴らしが良くなってくる。
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 ↑川の中央やや右寄りに、人の姿が小さく見えているのが判るだろうか。いまでも昔のように、川を渡って訪れる(物好きな)観光客もいるのだという(橋を渡って入るとお金がかかっていたのかもしれない。そのあたりのことは判らない)。
 村の中を抜けた。あと一息だ。
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 このすぐ右手のところで、一人の老人が楽器を弾きながら歌を歌っていた。
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 写真を撮らせてもらった時は、だいたい10ディルハムを器に入れてくることになる。

 頂上に着いた。
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 この建物は村の倉庫で、外敵の攻撃などで村人が籠城を余儀なくされた時のために、穀物や食料など貯蔵していたということらしい。
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 頂上からの眺め。
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 こちらがアイト・ベン・ハッドゥの新しい村である。
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 帰り道は、
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 土産物屋を覗いたりしながらダラダラ下りて行った。
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 途中で、人が住んでいる一軒の家を見学していくという。
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 猫が歩いているのが判るだろうか。
 入口を入るとそこは、元は屋根があったらしいがいまはなくなったままになっているところのようで、小さな竈(かまど)などが並んでいた。
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 雨がほとんど降らないようだから、そんなに不便ではないのかもしれない。見上げると2階の小さな窓がある。
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 奥さんらしい女性が案内してくれたのだが、家に入るとすぐのところに手作りの絨毯や壁掛けなどがたくさん吊してある部屋があり、その先の暗い通路を抜けて行くと、けっこうきれいに片付いた部屋があった。居間だろうか。
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 通路のようなところが一部外に出ていた(あるいは明かり取りの開口部があった)のだと思うが、そこにさっきの猫がいた。
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 次の部屋は寝室に使っていると言う。
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 フェズで見せてもらった家では、けっこう散らかっている感じだったので写真を撮らなかったが、こちらはちゃんと整頓されていたので撮ってもいいかなと。
 屋上に出た。
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 足許に穴が開いていた。
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 明かり取りだろうか。めったに降らないとはいえ、雨の時は何かで蓋をしてしのぐのだろうか。

 この屋上で偶然、日本人の青年と出会った。みんなで少し話しをした。働いて30万円ぐらい貯まったので、一人でモロッコのあちこちを回っているのだという。小ぶりのバックパック一つを背負った貧乏旅行だと言っていたが、日本の青年にもこういう気骨ある若者もいるのだと嬉しくなった。われわれのコースとは反対回りだったので、バスがガラガラだから乗って行けばと誘えなかったのが、みんなちょっと残念な気分だった(と思う)。
 このあと下に下りて、入口横の部屋で買い物になった。
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 写真が平板に見えるのは、色をきれいに出したいのでここだけフラッシュを焚いて撮影したからである。妻は右上の小さなものを購入していた。いくらだったのかは知らない。外の土産物屋などで買うよりは安かったようだ。

 わたしとガイドのハディドさん以外は女性陣なので、このあとの土産物屋が並ぶところは遅々として進まなかった。わたしも少しは覗いたりしたが、主に煙草を吸ったり写真を撮ったりして待っていた。
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 崩れかけた家も多く、
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 かたちを保っている家でも、人が住んでいるかどうかはよく判らなかった。
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 土産物屋も、昼間だけそこに来て夜は帰ってしまうというのもありそうだった。
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 売り物を並べた中に、置物みたいに猫が休んでいた。
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 橋を渡って要塞の村を後にした。
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 だが、こちらにも土産物屋は並んでいて。
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  またけっこう時間がかかった。

 ドア、いろいろ。
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 上の舗装道路に出た時には午後1時になっていた。

 そのまま近くのレストランまで歩き、ビールをいただいたのは1時15分ぐらいだった。
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 レストランの外に出た時には2時25分になっていた。
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 また写真が増えてしまいました。以下、次回。

by krmtdir90 | 2018-03-26 16:35 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑨カスバ街道~ワルザザート(2018.3.5)

3月5日(月)続き

 エルフードの町で4WDから元のバスに乗り換えた。屋根にあるエアコン・カバーの修理は済んだのだろうか。10時半過ぎ、バスは出発した。このあとバスは西に向かい、通称「カスバ街道」を走って、次の宿泊地ワルザザートを目指す。

 エルフードの町を出てしばらくは家や耕作地なども見えていたが、やがて何もない礫砂漠が広がるようになり、その中に不思議な塚のようなものが並ぶ光景が目に入った。
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 バスは道路際に停車し、下車して塚の一つを見に行った。
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 これは砂漠の井戸の跡である。上ってみると穴が開いていて、桶の上げ下ろしに使ったと思われる木組みが残っていた。
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 こうした井戸が列をなして並んでいる。
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 現地でも説明があったと思うが、確認のため帰ってから調べてみると、この下にはカナートと呼ばれる地下水路が通っているのだという。水源が見つかると、それを利用するため用水路で水を引いてくるのだが、砂漠地帯で地上に水路を作れば水はどんどん蒸発して役に立たないので、地下に用水路を掘ったということらしい。簡単な工事ではないと思うが、水はそのくらい貴重なものだったのだろう。水は主に灌漑用として利用され、そこにこうした井戸を並べて水を汲み上げたらしい。
 砂の中に小さな花が咲いていた。
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 こちらは道路を砂から守るための防砂柵。
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 荒涼とした風景の中でも、人々の生活が様々なかたちで行われている。
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 途中、小さな村をいくつか通り過ぎた。
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 少し走り、
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 また別の村(町?)。
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 これらの人々の生活はどんなものなのだろう。
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 また少し走ると、町からかなり離れた荒れ地の中に、ゴールポストだけがぽつんと立ったサッカーコートがあった。
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 テーブル状の岩山に何か文字が書いてある。
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 また別の村。
 これは学校のような気がする。
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 少年たち。
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 少し行くと、今度はわりと大きな町が見えて来た。
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 それなりの通りができている。
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 この黄色い車はスクールバスのような気がする。
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 母親と子ども。
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 町を過ぎて、12時半ごろ、このガソリンスタンドでトイレタイムを取った。
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 次の町が近づいたところで、これまでずいぶん見かけてきたモロッコの民家(主にベルベル人の住むところなどに多く見られる土の家)の建て方について、少し調べてまとめておきたいと思う。
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 特徴は、かたちが四角い箱形であること、窓が非常に少ないこと、前面に大きな開口部を持ち、その扉は頑丈な鉄の両開き戸であること、などだろう。
 材料は日干しレンガというもので、上の1枚目の写真で右下に積まれているのがそれである。レンガは普通、粘土を型に入れて固めたものを焼くことで強度を出している。ところが、砂漠地帯などでは燃料にする木が集められないので、天日干しで固めるしか方法がないということらしい。日干しレンガは当然、強度はかなり落ちるようだ。
 こちらの民家は、日干しレンガを積み上げ隙間を粘土で固めて作ったものである。外側をさらに粘土で(厚く)塗り固めれば完成である。雨が降ったら流れてしまうではないかと思うが、雨が極端に少ないから大丈夫ということらしい。ただ、長い間にやはり崩れてしまい、放棄され崩れかけた廃墟もあちこちで見かけた。基本的に土地はあるから、崩れたらまた別のところに作ればいいという考え方らしい。外側をコンクリートで塗ったと見られる家もあるが、少数派である。
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 なお、多くの家で細い鉄骨が何本も上に飛び出しているが、これはお金ができて2階を建て増そうと思った時のための用意なのだという。2階を途中まで作ったという家もけっこう多く見かける。専門の大工がいるわけではなく、家は自分で作るというのが基本になっているらしい。

 さて、様々なかたちの家を切り取ってみたが、バスは先ほどからかなり大きな町の中に入って来ている。町の中を川が流れている(トドラ川と言うらしい。水は少ない)。
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 バスは町の中を通り抜け、町を見下ろす眺めのいい高台で一時停車をした。
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 ここはカスバ街道のほぼ中間点にあるティネリールという町である。街道沿いに多くのベルベル人が暮らしているが、その中でも中心的な位置を占めているところのようだ。
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 この町はまた、トドラ峡谷への入口の町でもある。
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 再び走り出したバスは、トドラ川沿いのオアシスを縫いながら、次第に険しい岩山が迫って来る道に入って行った。
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 午後1時45分ごろ、バスは岩山に囲まれた狭い道の途中のこのレストランの近くで、われわれを降ろして走り去った(道幅がないので駐車していられないようだ)。
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 遅い昼食になった。
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 この日はミートボールと卵が入ったキョフテと呼ばれるタジンだった。
 食べ終わって外に出ると、午後2時半を過ぎていた。バスが来るのを待ちながら、
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 この岩山の間に分け入って行くようだ。

 やって来たバスは、5分ほど走ったところに停車した。下車する。
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 トドラ峡谷である。このあとは徒歩で少し散策するらしい。とは言っても、この舗装された平坦な道を歩くだけだからどうということもない。すぐ横に川の流れがある。
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 岩壁に沿って土産物屋が出ている。
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 晴れていると、光と影のコントラストが強くて撮り方が難しい。
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 上の方だけ狙えば影の問題はなくなるが、これでは高さがよく判らない。。
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 添乗員の話では、以前のツアーでは↓この右下のレストランで昼食にしていたのだという。
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 ところが上の崖が崩れて建物の一部が潰されたため、廃業してしまったらしい。夜だったから、死者や怪我人はいなかったようだが。
 怖いことだ。こんな岩が崩れてきたらひとたまりもないだろう。
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 ところが、この岩壁が最近ロッククライミングで人気になっているのだという。まったく、こんなところに登ろうとする人間の気が知れない。

 以上でトドラ峡谷は終わり。この先の道はバスで抜けることはできないので、もう一度ティネリールの町まで戻らなければならない。その途中、オアシスの村の広場。
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 すごいところで暮らしているんだなあと、繰り返しになるがまた思った。
 このあとバスは、オアシスの村が見下ろせる眺めのいいところで写真ストップをした。ラクダが2頭、餌を食べていた。
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 実際、すごいところなのだ。
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 ↑左にほんの少し残雪が残る山並みが見えているが、その向こうは白い帯状の雲にすっぽり覆われている。こちらにはオート・アトラスの山々があるはずで、トドラ川もそちらから流れ出ている川である。カスバ街道というのは、オート・アトラスの南側に広がる砂漠化した地域を東西につないでいる道なのである。
 通りかかった2人の少年が近寄って来た。東洋人はけっこう珍しいようなのだ。
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 ティネリールの町に戻ると、バスはさっきとは異なる整備された通りを少し走った。
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 これは軍関係の建物だろうか。   
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 ティネリールを後にして、バスは再びカスバ街道を西に向かって走った。
 左の車窓は南側の景色ということになるが、そちらに見える山の手前に砂丘が続いているのが見えた。
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 午後3時45分ごろ、バスは路肩に停車した。道端にアーモンドの花が咲いているので、ちょっと近くで見てみましょうと言う。ここまでもよく見かけた花で、淡いピンクなのでちょっと桜のようにも見えて、話題になっていたのである。
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 うーむ、なるほど、と見ていたら、近所の子どもたちが寄って来た。
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 再び走り始めて、南側の砂丘が続く方を見たら、強風ですごい砂嵐になっているようだった。
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 こんなふうになってしまった時に中にいたら、まったくどうしようもないだろう。
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 一方、こちらは右の車窓。雲の切れ間から北にあるオート・アトラスの片鱗?が覗いていた。
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 しばらく走ったあと、バスは割と大きい町の中を通り抜けた。
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 調べたが、町の名前は判らなかった。
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 花をつけたアーモンドの木はけっこう見かけた。
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 このあと、午後5時を回ったあたりで、バスはトイレタイムを取った。バラの花のオイルとかいうものを売っている店で、女性陣は興味を示していたが、わたしはまったく興味なし。よって、店の写真もカット。

 さらにしばらく走った。
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 日も西に傾き始めている。午後6時少し前、バスは小さな村に差し掛かったところで、また路肩に停車した。
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 カスバ街道を走っているのに、まだカスバをちゃんと見ていないので見ておきましょうと言う。
 調べてみると、カスバとはアラビア語で城塞という意味で、城壁で囲まれた都市の一画を呼ぶ言葉だったようだ。アルジェリアの首都アルジェのカスバが有名だったようだが、モロッコでは地方の小さな砦や地方官の屋敷、または城壁の中にそれを含む町の一画を指して言っているようだ。ここにあったのは地方官の屋敷跡だった。
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 周囲を囲む壁はすっかり風化してしまい、ボロボロの姿を晒していた。
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 なお、中央にある建物は現在は改装されて、ホテルとして利用されているようだ。

 ワルザザートの町が近付いてきた。町に入る手前で、かなり大きな湖が遠望された。
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 これはダム湖だったようだが、名前までは特定できなかった。
 日没。
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 撮影時刻は午後6時22分だった。

 午後6時40分過ぎ、バスはホテルに到着した。
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 ベルベル・パレスという名前のホテルで、ワルザザート周辺は「アラビアのロレンス」を始め様々な映画のロケ地となってきたようだが、撮影があると俳優やスタッフの宿泊には必ずこのホテルが使われたのだという。夕食を食べたレストランの壁には、いろんな映画のポスターが掲示されていた。
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by krmtdir90 | 2018-03-24 22:58 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑧メルズーガ、サハラ砂漠(2018.3.4~5)

3月4日(日)続き

 午後5時30分ごろ、われわれはエルフードの町でバスから4WD2台に乗り換えた。4WDはかなり使い込まれた三菱パジェロだった。
 エルフードの町中をしばらく走った。
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 やがて町並みが途切れ、
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 パジェロは砂漠の中に走り出た。
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 何だかすごく胸がわくわくした。わたしがモロッコに来たかったのは、サハラ砂漠を見たかったからなのだと気が付いた。サハラ砂漠は「星の王子さま」の舞台になったところである。

 午後6時を回ったころ、パジェロは道路を外れ、右手の砂漠の中に乗り入れた。轍はついていたから、たぶん夕日観賞の定番コースだったのだろう。少し行って、ちょっと小高くなったところで停まった。外に出る。
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 左端についている轍から右手前の轍へと走って来た。右奥にはエルフード~メルズーガの道路も見えている。
 このあと進んで行く方向はこちら。
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 東の方向には、幾つかの建物と砂丘の連なりが夕日を浴びている。
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 これは砂漠の中のホテルだろう(われわれが泊まるのとは違う)。
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 砂丘が鮮やかなオレンジ色をしているのは、夕日のせいもあるけれど、サハラ砂漠の砂は鉄分を多く含んでいて元々赤味を帯びているのである。
 パジェロを運転する2人。
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 そして、沈む夕日。
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 撮影時刻は18:08だった。
 太陽が地平線にかかったところで、われわれはその場所を後にした。本当は太陽が沈み切り、西の空が刻々と色を変えていく様子をずっと見ていたかった。だが、ツアーとしては、ホテルの段取りもあるからそうもしていられないのだろう。

 元の道路に戻って少し行ったところで、車は路肩に停車した。ラクダの群れが休んでいるから写真をどうぞと言う。ちょうどいま夕日が沈んだ方向がバックになっているので、非常に難しい撮影だったが、一枚だけ何とか使えるのがあって安心した。
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 午後6時30分ごろ、今晩のホテルに到着した。入口の門。
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 名前はカスバ・トンブクトゥと言う。正面の建物の入口。
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 入口を入ると、右に受付カウンターがあり、左にソファのある待合所(ロビーと言えるほど広くない)があった。ここを抜けて行くと、
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 中庭に出るようになっていた。周りにコテージタイプの客室棟が並んでいて、われわれはすぐ右手にある建物の2階が割り当てられていた。階段を上ると幾つか部屋があり、その中の一つ、内部はベルベル調の作りということだった。
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 こちらが洗面所。
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 左のドアがトイレ、右はドアのないシャワー室になっていた。

 7時15分から夕食。再び中庭に出て、この奥のところが食堂になっているようだった。
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 けっこう大きなホテルで、他にも欧米人のツアー客や個人の泊まり客がたくさんいたようだが、食堂にはわれわれが一番乗りだった。この晩はビュッフェ方式だったので、まだ誰も手をつけていないところを写真に撮ってみた。
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 アルコール類もちゃんと出るホテルなので良かった。

 夕食を終えて外に出て、夜空を見上げると星が出ていた。中庭は光があるので、脇の暗いところに行って見ると、確かに満天の星空だった。満天の星空というのは国内でも何回か経験があるが、それらに匹敵するような星空だった。それを超えると書かないのは、満天の星空には「そんな凄いのが見られるとは思わなかった」という「思いがけない感じ」がいつも付随していた気がして、一方、今回は「見えて当然」という思いが最初からあったので、その気分が新鮮な驚きを少し邪魔していたように感じたからである。
 しかし、素晴らしい星空だったことは間違いなく、オリオン座の大星雲やプレアデス星団(すばる)などもしっかり確認することができた。緯度が日本と変わらなかったので、星座の見え方(位置に対する高度や傾き方など)も日本とまったく同じだと思った。残念ながら機材を用意して行ったわけではないので、星空の写真が撮れなかったのは仕方がないことである。

 なお、今回の旅では泊まったホテルはすべてWi-Fi接続が可能だった。それにしても、こんな砂漠の中のホテルでも快適に利用できたのには驚いた。こんなところでブログの投稿ができてしまったし、Yahooのニュースも普通に読めてしまったのだから、凄い時代になったものである。

3月5日(月)

 前夜は早寝をして、午前4時前に起床した。
 5時半出発なので、5分前には中庭に下りた。これがわれわれの部屋がある建物の入口。
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 月が出ていた。
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 写真では判らないが、下弦の月の少し手前、月齢20日くらいの月である。

 待合所で皆さんと落ち合って外に出ると、すでに昨日のパジェロが並んで待っていた。これに乗ってラクダの待つ「センター」に向かう。道路には街灯などあるわけもなく、ヘッドライトの明かりだけを頼りにけっこうなスピードで走った。20分ぐらいして、暗い建物の前の駐車場に入った。
 東の空が少し明るくなり始めている。駐車場の横に、ラクダが座って待っていた。

 一頭目のラクダに妻が乗った。乗るとラクダは、まず後ろ足2本で立ち上がり、おもむろに前足2本も立ち上がるのだった。この時、乗った者は一旦前に大きく傾き、次に後ろへ揺り戻すかたちで正常の姿勢になるのだった。
 続いて、二頭目のラクダにわたしが乗った。立ち上がる時がけっこう怖かったが、何とか乗ることができた。座席は鉄パイプらしい芯に毛布を何枚か重ねてあるようで、前にT字になった頑丈な鉄の取っ手がついていた。鐙(あぶみ)は付いていないから、取っ手を握っていないと非常に不安定な感じである。背中にラクダのコブがある(「ひとこぶラクダ」というやつのようだ)。
 引き続き、皆さんが順番に乗る間に、片手で撮った2枚の写真(ピンボケだけど、とにかくこれしかないんだから)。
 わたしの乗った白いラクダの頭。
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 その前の妻の後ろ姿。
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 女性陣はみんな、長いスカーフなどをアラブ風に顔に巻き付けてもらっている。わたしもやられそうになったが、マフラーやマスクが大嫌いなわたしは必死で拒絶した。

 6人が(添乗員も入れて)乗り終わると、ラクダは3頭ずつ隊列を組んだ。こちらは妻のラクダが先頭で、その後ろにわたしのラクダ、さらに後ろにもう一頭のラクダが繋がれた。先頭のラクダに御者の若者がつき、手綱を引いてゆっくり出発した。
 歩き始めると、思っていた以上に揺れた。取っ手を両手でしっかり握っていないと落ちそうである。下は砂だからラクダの足場は悪いし、しかも砂丘のアップダウンがけっこう傾斜があり、緩斜面を選んで歩いていたようだが、乗っている者としては気を許せる時がまったくない感じだった。
 わたしはカメラを長いストラップにつけて首から掛け、いつでも片手でカメラが構えられるようにして行ったのだが、結局、行きに歩いている間は一枚も撮ることができなかった。

 出発した最初はまだ薄暗い中で、西の空に月がくっきりと見えている下を、われわれを乗せたラクダが列を作って歩いて行く。文字通り、童謡「月の砂漠」そのままの世界だった。東の空が明るくなっていくのに合わせ、空の色も刻々と移り変わるのが素晴らしかった。しかも、しかも、何ということだろう、ここはサハラ砂漠なのだ!
 写真が撮れないのは仕方がないことである。この情景をしっかりと記憶にとどめた。

 約30分ほど歩いた後、目的の砂丘の下に着いたようで、われわれはラクダから下りた。下りる時は、乗る時と逆の動作をしてラクダが座るのを待ってから下りるのだった。30分間、あちこちの筋肉を緊張させていたのだろう、下りたら身体全体がが強張っている気がした。

 目の前の砂丘の斜面を上る。高いところに出た。そこには絶景が広がっていた。
 東の方向。
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 撮影時刻は6時30分。日の出までもう少しかかりそうだ。
 左の方を見ると、
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 われわれの他にも多くの観光客が来ていた。ツアーごとに、邪魔にならない距離を置いて場所を確保しているようだ。ラクダで来ているばかりでなく、徒歩で来ている人たちも(若者中心のツアーのようだった)たくさんいるらしかった。
 下の方で、われわれのラクダがおとなしく待っている。
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 御者の若者2人はわれわれと一緒にこちらに来ているから、誰もラクダのそばにはいないのである。ラクダたちはそういうものだと納得して休んでいるのだろう。
 西の方向の砂丘にも観光客の姿がある。
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 こちらは東。日の出までもう一歩か。
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 風紋。
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 そして、日の出。
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 撮影時刻は6時45分である。
 周囲の砂丘にどんどん日が当たっていく。
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 西の砂丘にも。
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 これは北の方向。
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 遠くに、このあたりの砂丘観光の拠点になる施設が散在しているようだ。われわれのラクダ「センター」は砂丘の向こうだろうか。
 そろそろ帰ることになる。用意して行ったペットボトルに、サハラ砂漠の赤い砂を入れた。
 最後にもう一枚。
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 再びラクダの背に揺られて帰る。明るくなったし、来る時より少しは慣れた感じがするが、それでも取っ手を離すのは難しい。
 帰りは時々立ち止まって撮影タイムなどを作ってくれた。御者の若者にカメラを渡し、記念写真を撮ってもらった。せっかくだから顔は隠して公開することにする。
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 平坦なところで歩みが遅くなった時に、何とか片手を離して撮ることもできた。
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 これは定番の写真らしい。
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 もう少し影が長く出た方が良かったような気がした。
 これはもう一方の隊列の先頭のラクダが、途中にあった餌になる草を食べ始めてしまったので、全体が立ち止まってしまった時に撮ったもの。
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 砂丘が終わって、最後の平坦なところに出てからちょっと撮ってみた。
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 このくらい影を引いた方がいいのではなかろうか。

 出発地点に戻って来た。これが妻とわたしが乗せてもらったラクダたち。
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 これが拠点になっている建物。
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 添乗員は「センター」と言っていたと思うが、正式な名前は判らない。撮っているわたしの影が写り込んでしまったが、まあ御愛嬌ということで。
 ラクダくんたち、さようなら。
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 この年になって、サハラ砂漠でラクダに乗ることがあろうとは思ってもみなかった。いい年をしておかしな言い方だが、一生の思い出だな、と思った。
 再びパジェロに乗って、8時少し前にホテルに帰り着いた。

 朝食はビュッフェ方式だから、各自自由な時間に取ることになっていた。
 朝食後、煙草を吸いに外に出て、昨夜星空を見に行った敷地の外れの方に行ってみた。そちらには囲いなども何もなく、そのまま近くの砂丘に続いていたのだった。
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 ラクダたちが何頭も休んでいる。
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 ここから直接出発して砂丘に行くこともできるようだった。今朝、欧米人のツアーなどはそうしたのかもしれない。
 煙草を吸い終わっても、しばらくそのあたりを眺めていた。
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 出発準備を整えてから、時間があったので屋上に行ってみた。
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 こちらは正面の方。左の木陰にわれわれのパジェロがもうスタンバイしている。
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 最後にもう一度、さっきの敷地の外れに、砂丘とラクダくんたちに別れを告げに行った。
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 10時出発予定だったが、5分前ぐらいにホテルを出た。
 昨夜は暗くてよく見えなかったメルズーガの小さな町並みを抜けて行った。
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 パジェロはまたけっこうなスピードで走り、
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 10時半にはエルフードの町に入った。
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by krmtdir90 | 2018-03-23 22:16 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑦フェズ~エルフード2・砂漠への道(2018.3.4)

 始めにちょっと断っておかなければならない。アトラス山脈とサハラ砂漠に関するわたしの理解が不十分だったようで、昨日の記事で、ミデルトの前のガソリンスタンドで「アトラス越えが終わった」と書いたのは誤りだったので、訂正させていただきたいということである(すでに該当箇所は修正させていただいた)。
 調べていくと、この日の午前中にわれわれが越えたのは、詳しく言うと「モワイヤン・アトラス(Moyen Atlas、中アトラス)」と呼ばれている山岳地帯で、ミデルトの町を挟んでこのあと、西方に広がる「オート・アトラス(Haut Atlas、高アトラス)」から東に張り出した高原地帯を越えるのである。ミデルトはベルベル語で「中心」とか「中間」という意味のようだが、この町を境にして、これから進むあたりは相当砂漠化が進んでいるのは確かだが、エリアとしてはまだ、サハラ砂漠と言うよりはオート・アトラスの一部と言うべきところだったのである。この先も、途中にはかなりアップダウンの激しいところもあり、「アトラス越え」と言う時には、ミデルトの町はあくまで中間地点であって、エルフードに着いた時に(厳密にはその手前のエルラシディアで)初めて「終わった」と言うべきだったのだ。
 なお、ミデルトの標高をいろいろ調べてみたが判らなかった。2つの「アトラス」に挟まれたところなので、標高はそれほど低くはなっていないように思われる。

3月4日(日)続き

 わずかな木しか生えないような岩肌に、土で作られた民家が数軒、寄り添うように建っていた。
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 こんなところでどんな生活をしているのか、とても想像できない気がした。

 ウィキペディアで「砂漠」という項目を調べてみると、われわれが普通に連想する砂丘の連なりと美しい風紋といった砂漠のイメージは、砂漠というもののほんの一部であって、岩盤がそのまま露出した「岩石砂漠」とか、礫がゴロゴロ転がっている「礫砂漠」など、様々な姿があることが記されていた。イメージのような「砂砂漠」は、全体の20%ほどに過ぎないのだという。
 砂漠の定義は一応「年間降雨量が250mm以下」とされているようだが、これから通る地域がこれに該当しているかどうかは判らない。該当しているところもあれば該当していないところもあるというのが実態のような気がするが、いずれにしても赤茶けて荒涼とした広がりには圧倒されるばかりだった。
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 バスは次第に標高を上げて行く。
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 ↑下に見える平らな窪地は、一度水が溜まってから干からびた痕跡のように思われる。
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 人影がある(しかも女性だ)。
 こんな山中でいったい何をしているのだろう。
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 遠くに雪の残った山々が見える。
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 恐らくオート・アトラスの東端あたりに違いない。
 次の写真には、何か家畜の影が2つと天幕のようなものが小さく写っていて、人の生活の気配が感じられる。
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 また、左下は一時的に水が流れた痕と思われる。
 次も水が流れた痕で、こちらはもう少ししっかりした川だったのかもしれない。
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 ウィキペディアによれば、砂漠に雨が降る時は一度に大量に降ることが多く、そういう時に一時的に水が流れた痕跡はけっこうあちこちに見られるようだ。
 オート・アトラス遠望。
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 あまりまとまりのある集落ではないが、かなり広い範囲に家などが点在しているところがあった。
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 ここには水の流れがある。
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 これはガソリンスタンドだろう。
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 これは人家。
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 これは何か公共の建物とモスクだろうか。
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 こんなところを人が歩いている。
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 すごいところで生活しているんだなあと驚くばかりである。
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 赤い岩山の下にかなり幅のある川があるのだが、
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 水量は少ないようだ。
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 モワイヤン・アトラスやオート・アトラスから南に流れ出た川は、途中それなりの流れを作ることはあっても、結局どこにも行き先のないまま、最終的には砂漠の中に染み込んで消えてしまう運命にあるのだという。

 すごいところだなあ(同じ感想になってしまう)。
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 われわれのバスはずっと国道13号という舗装道路を走っているのだが、脇にそれて行く無舗装の道の先に、ひとまとまりになった小さな集落が見えた。
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 しっかりしたモスクとミナレットが建っている。周りは土の家だが、これだけはコンクリートだろうか。
 国道沿いにちょっとした通りができているところもあった。
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 川の流れがあり、橋を渡った。
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 川の両岸にそれなりの広がりを持った町(村?)ができているようだ。母と子どもの姿を見かけた。
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 当たり前と言えば当たり前だが、こういう過酷なところで生まれ育つ子どももいるのだ(どういうところに生まれるかは子どもには選べないのだ)。

 こちらの村(集落?)では、
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 背の低い木がたくさん植えられているところがあった。
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 オリーブの木と聞いたような気がするが、はっきり覚えていない。
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 次は、蛇行する川と岩山が素晴らしい景観を作っているズィズ渓谷である。
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 茶色く濁っているが、けっこう水量があるようだ。川の名前もズィズ川と言うらしい。
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 行ったことはないが、アメリカのグランドキャニオンなどを連想させる岩山である。
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 川に沿って小さな村(集落?)が幾つかできているようだ。
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 ナツメヤシが群生しているところがある。栽培されているのだろうか。
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 見事なテーブル状の岩山が続く。
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 最後に村の一つにぐっと近付いたあと、渓谷は終わった。
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 このあと少し走って標高を下げていくと、ズィズ川の流れの先に湖らしき水面が見えてきた。
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 水深はなさそうだが、けっこう広い感じである。
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 これはダムによる堰き止め湖で、岩石を積み上げたロックフィルダムの姿が見えている。
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 少し進むと、ダム湖の向こうにかなり大きな町が遠望された。
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 これはエルラシディアという町で、ここまで来るとオート・アトラスの高原地帯も完全に終わり、いよいよサハラ砂漠が始まったと言えるのである。
 なお、調べてみると、かつてズィズ川の水が氾濫し、エルラシディアの町に大被害が出たことがあったため、上流にさっきのダム建設が行われたということらしい。もちろん、ダムは水力発電も行っているということだ。

 町に入る少し手前で、バスはトイレ休憩のためガソリンスタンドに入った。
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 時刻はちょうど午後4時である。
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 こちらがいま走って来た方向で、
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 こちらがエルラシディアの方向である。 
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 ガイドブックによれば、エルラシディアは人口約7万人のオアシス都市で、カサブランカとを結ぶ国内線の空港もあるという。
 モスクとミナレットがある。
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 スーパーマーケットもある(向こうが正面)。
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 しっかり整備された道路と町並みがある。
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 人の姿に注目しながら、町の様子を4枚。
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 レストラン。
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 水のない川。ズィズ川にしては狭いから、支流だろうか。
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 交通標識。
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 左折すると空港、目的地エルフードは直進とある。いよいよ先が見えて来た感じである。
 町の人々をあと2枚。
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 こうしてここに住む人々の姿を見ていると、この人たちはここに住んでいることをどんなふうに感じているのかと考えてしまう。日本で生まれ育ち、日本で一生を終わるわたしなどにはとても想像できない生活感覚があるのだろうなと思う。ここで生まれ育った子どもたちは、ここをどんなふうに感じ、この先どこでどんな人生を送るのだろうか。

 サハラ砂漠である。
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 これは礫砂漠というものだろう。
 途中、このルートの一つのビューポイントになっているらしい岩山の途中で、バスは写真ストップをした。
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 上の道路がいま走って来た道で、
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 左へ降りて行く道はカーブして下に広がるオアシスの村に通じているようだ。
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 群生しているのはナツメヤシの木で、恐らく栽培されているものである。実は干して食用に供され、その他様々な利用方法があるようで、砂漠のようなところでは貴重な植物の一つなのだという。
 こちらがこれから向かう方向である。
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 再び走り始めて、車窓から見たオアシスの村。
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 サハラ砂漠である!
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 砂漠の砂が風に吹き飛ばされて、一夜にして道路が埋まってしまうこともあるのだという。それを防ぐために、ナツメヤシの葉を使って防砂柵を作っているというのだが、どれほどの効果があるのか判らないと思った。
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 上の写真の撮影時刻が午後5時20分、次に撮影した時刻は5時35分になっている。この15分間で、われわれはエルフードの町に入り、4WDに乗り換えて今晩の宿泊地メルズーガに向けて出発したのだが、この間の写真がないのである。たった5人のツアーというのは、こうした時に人数による時間のロスがまったくなく、あっという間に乗り換えて出発してしまったのだろうと思う。帰って来てから、説明的な写真がないなと思っても後の祭りなのである。

 というわけで、このあとメルズーガと翌朝のサハラ砂漠は、次に1回分を使って掲載することにします(それにしても、やっと青空の写真を並べることができた。やっぱり青空はホッとする)。
by krmtdir90 | 2018-03-22 22:24 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑥フェズ~エルフード1・アトラス越え(2018.3.4)

3月4日(日)

 午前5時20分に、ホテル近くのモスクのスピーカーから、その日最初の礼拝開始を知らせる放送が流れる(ムスリムは一日5回の礼拝を行うが、1回目の礼拝は日の出前に行うとされているらしい)。部屋で最初にこれを聞いた時は驚いたが、2日目になるとちょうどいい目覚まし代わりになった。
 窓を開けて空を確認すると、どうやら天気は悪くなさそうだ。
 7時から朝食。
 4階レストラン前の踊り場から、ガイドブックにも載るマリーン朝の墓地というのが見えた。
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 この日はいよいよアトラス山脈越えである。フェズから、サハラ砂漠の北端にあるオアシスの町エルフード、さらに奥に入った砂漠の中、ホテルのあるメルズーガまで、500キロを優に超える距離を移動しなければならない。最後は4WDに乗り換えて行くことになるから、スーツケースの他に一泊分の荷物をパックして持って行く。4WDにはスーツケースは積めないから、スーツケースはバスに積んだままにして、メルズーガまでは持って行かないのである。
 8:30にホテルを出発。実際強行軍だったが、車窓の景色はめまぐるしく変化し、まったく飽きることがなかった。以下、この日の写真はほとんどがバスの中から写したものである。

 フェズの中心部を離れ、郊外に差しかかると、富裕層が住んでいると思われる高級住宅街の中を抜けて行った。
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 メディナのようなところで昔ながらの貧しい生活を送る人々と、こういうところで豊かな現代的生活を送る人々とがモロッコには並存しているのだ。
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 町を出てしまうと道路は徐々に上り勾配になり、フェズまでの緑豊かな田園風景とは異なり、次第に岩肌などが目立つような山岳地帯に入り込んで行く。
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 耕作地もずいぶん少なくなってしまった。
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 出発から1時間ほど経過して、バスは小さな町を通り抜けた。
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 町の名前は判らなかったが、モロッコ特有の四角い箱のような家は見られず、ヨーロッパの田舎風の切妻屋根の建物が並んでいた。新しく作られた町なのだろう。かなり標高も上がっているようで、すでにアトラス山脈北側の高原地帯に入って来ているのである。

 さらに行くうちに、空はいつの間にか雲に覆われてしまい、とうとう雨がぱらつきだした。
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 出発から1時間半が経過した10時ごろ、バスは再び町の中に入り、トイレタイムを取るために停車した。雨は小降りだったが、傘が必要な感じである。
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 非常に寒い。ここはイフレンという町で、調べてみると標高は1650mとあった。モロッコがフランス植民地だった時代に、要人や富豪たちの避暑地として開かれた町だったようだ。
 トイレに行く前に、すぐ脇の公園にあるライオンの像を見に行った。
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 昔はこのあたりにアトラスライオンというのがたくさん生息していたらしい。像の周りには他のツアー客が溜まって混み合っていた。
 で、トイレを借りたお洒落なカフェ。
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 せっかくだから、ちょっとお茶でも飲んで行こうということになった。これが店内。
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 20分ぐらい暖まってから外に出た。
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 とてもモロッコとは思えない垢抜けた町並みである。イフレンはいまでも、モロッコでは名高い高級リゾート地とされているようだ。
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 近くには、モロッコからはなかなかイメージできないスキー場なども(小規模なものだが)作られているのだという。

 バスはいよいよ山岳地帯に入って行く。
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 雪が残っているところもあった。
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 これはルート途中の休憩地点だろうか。
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 雨はみぞれに変わりつつある。風も強まっているようだ。
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 11時を過ぎたころ、バスに異変が起こった(いろんなことが起こるのだ)。
 天井でガタガタ異音がするとガイドのハディドさんが気にしていたのだが、突然ガンという大きな音がして、バスは路肩に緊急停車した。運転手とハディドさんが見に行ってみると、天井の外側にあるエアコンの室外機のカバーを止めているネジが何本か抜けていたようで、カバーが風に煽られて音をたてていたようだった。とりあえず外れる感じではないようだが、こんなところではどうすることもできない、少しスピードを抑え加減にして行くことにするという。
 それにしても、先日のブレーキ故障の件といい、モロッコの自動車整備はどうなっているのか。などと言ってみたところでどうにもならない。

 小さな集落を過ぎた。
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 バスの窓は、外側の水滴と内側の曇りとで最悪の状態である。気にしていては撮れないから、ティッシュで曇りを拭いながら撮影している。
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 みぞれから雪になりつつあるようで、周囲が次第に白い世界に変わってきている。
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 さらに行くと、降り方は弱くなってきた感じで、風で雲が吹き飛ばされているのか、山並みの彼方で雲が切れて、少しだけ青空が覗いている。
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 バスはアトラス山脈の山中をずっと走っているのだが、日本の道路で山越えをするというイメージとはまったく違う印象になっている。アトラス山脈は地層が相互に押されて形成された褶曲山脈であるため、山塊が列のようになっていて幅があり、これを越えようとすると、幾つもの峠(アップダウン)を縫いながら、標高の高いところ(2000mを超えているあたり)を延々と走り続けなければならないのだった。
 モロッコでアトラス越えをするルートは大きく2つあるようだが、いま通過している東側のルートは、九十九折りの険しい部分はないものの、この高地部分を走る距離が長いのが特徴になっているようだ。両側の崖が道路に迫って来るようなところはほとんどなく、広がりのある景色がずっと続いている。

 11時40分ごろ、バスは見通しのいい直線道路の脇で一時停車した。コンディションは悪いが、周囲が見通せるのでちょっと写真ストップにするという。降りて行って何枚か写したが、あまり面白い場所ではなかったような気がした。
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 バスは再び走り出し、
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 かなり大きな水面が見えたりした。
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 次第に標高は下がっているようで、
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 恐らく見通しも悪くなってしまったのだろう、このあとは30分ほど写真がない。どういうふうに空が晴れていったのか、残念ながら記録も記憶も途切れているのである。

 12時20分、バスはトイレ休憩のためにガソリンスタンドに入った。
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 ちょうどこの方向が青空になっていただけで、全体としてはまだ雲に覆われたままなのだが、とにかく悪天候のアトラス越えはひとまず終わったのである。
 なお、この停車時間の間に運転手は屋根に上って、外れかけた屋根のカバーを点検していた。

 このあとは風景が一変する。
 すでに砂漠化したエリアに入っているのである。その様子は。わたしには目を見張るような驚きだった。
 走り出して少しして、いままでとはまったく異なる集落の姿があった。
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 12時45分を過ぎたあたりで、アトラス山脈が顔を出しているからと、バスは路肩に停車した。写真ストップにするという。
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 見えているのは西の方に連なっている山脈で、われわれのバスが越えてきた方は、
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 ↑この右側で厚い雲の中に消えていた。
 次の一枚はバスの車窓から撮ったもの。
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 間もなく、バスは町の中に入った。
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 町並みを抜けるあたりで、バスはこの建物の前に入って行った。
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 入口の文字を読むと、ここはカスバ・アスマというホテルで、ここのレストランで少し遅い昼食になった。
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 ホテルの名前から、ここがミデルトという町だったことが特定できた(こういうことを調べているから、まとめがなかなか進まないのである。楽しいんだけどね)。
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 出発時刻は午後2時05分だった。
 走り出してすぐ、町外れに、こんなところには不似合いなカラフルな遊具が並んだ児童公園?があった。
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 バスの中はガラガラだったから、このあとは右に左に座席を好きに移動して写真を撮りまくった。
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 ただ、すっかり晴れてしまって太陽の光があるので、これまで考える必要のなかったガラス面の反射や写り込みが、けっこう気になることになってしまった。しかし、気にしていては自由に撮れないし、なるべく注意はしていたが、写り込んでしまったものについてはご容赦願いたい。

 以後、ひたすら続く砂漠化した風景(礫砂漠とか岩石砂漠とか言うらしい)の中の道を走った。砂漠と言っても平坦なところばかりではなく、けっこうアップダウンもあり、変化に富んだ風景が続いたので、撮ってきた写真はどれもなかなか捨てがたいものばかりである。よって、今回もここで一区切りとして、このあとは次回に回すこととしたい。
by krmtdir90 | 2018-03-21 21:30 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑤フェズ2(2018.3.3)

3月3日(土)続き

 次にカラウィン・モスクに行った。
 9世紀に創始された歴史あるモスクで、当時は世界最古の大学(マドラサだが、神学だけでなく自然科学など様々な学問が行われた)も併設していたらしい。現在、収容可能人数2000人というモロッコ最大のモスクになっているが、メディナの狭い路地(と家並み)に囲まれているため、ミナレットやその建物の全貌を見ることはできないのである。しかも、ここはイスラム教徒(ムスリム)以外は中に入ることができないため、何ヵ所か開いた入口から中の様子を覗き見ることしかできない。
 この左の壁がカラウィン・モスクである。
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 手前に入口があり、そこから中を見る。
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 重厚な扉。
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 夜などには扉が閉ざされるのだろう。なお、左に座っている男性は異教徒などの侵入をチェックする警備員ではなかろうか。
 路地の隙間から見えたモスクの塔。
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 最初ミナレットかと思ったが、違っていた。
 別の入口から。
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 ここからは実際に現地の人が中に入って行った。
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 見事な装飾である。
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 また、別の入口。
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 ここからも現地の人が入って行った。
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 さらに別の入口。
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 これがミナレットのようだ。
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 このあと、木工品などの店が並ぶ路地を抜けて行った。
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 写真はないが、店の奥ではたいてい職人が作業をしていた。
 路地の先に、小さな広場があった。ネジャーリン広場と言うらしい。ネジャーリンとは「大工たち」という意味だという。広場に面して建っていたこの建物は、昔の旅人宿を改修した木工芸博物館だったようだ。
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 このすぐ右に、ネジャーリンの泉という水場があった。
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 ガイドブックなどには水が出ているように書かれているが、行った時には水は出ていなかったと思う。

 さて、このあとはどこをどうたどったのか判らない(縦構図が続きます)。
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 12時40分ごろ、昼食のレストランに着いた。
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 店内の様子。
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 アルコール類もあったが、午後も散策が続くので自粛した。
 食事を終えて外に出ると、猫がいた。
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 ここからが後半となる。時刻は13時45分である。
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 子どもたち。
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 歩いて行くと、
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 路地の正面にミナレットが見えた。
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 カラウィン・モスクのミナレットとは違うようだが、よく判らない。

 食後最初に行ったのはブー・イナニア・マドラサ(神学校)。
 これが入口。
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 この写真は帰りがけに写したものだが、正面の木の扉を開いて中に入ると、
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 大理石を敷き詰めた中庭があり、中央に(写っていないのだが)水盤が設けられている。この右側が入口のある面で、左の面だけが奥が見えるようになっている。
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 奥の壁に、ミフラーブと呼ばれる礼拝用の窪みが作られている。
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 これは必ずメッカの方角を指し示すように作られているらしい。ムスリムは必ずメッカの方向を向いてお祈りをするのである。
 2階は学生たちの宿舎になっていたようだが、壁面はタイル模様よりも木材が多用され、精巧に施された彫刻が見事である。
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 建物にはミナレットもついているようだ。
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 このあと、またガイドの先導でしばらく歩き、
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 またかなり狭い路地に入って行った。
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 このあたりは一般の民家が並んでいるようだ。ガイドは↓この左手前の入口から中に入ってしまった。
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 後について入ると、そこは一般民家の居間になっていた。こうしたツアーによくある一般家庭の訪問というやつで、これからここでミントティーの接待を受ける手筈になっていたのである。
 居間の奥に20名ぐらいは対応できそうな応接間?があり、すでにティーポットなどがセットされていた。
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 一般家庭と言っても、当然旅行社と契約してツアー客を受け入れているわけで、この家にとっては家の中を公開することと引き換えになにがしかのお金が得られる、いわば副業のようなものになっているのだろう。
 われわれがソファに腰を下ろすと、この家の奥さんが現れておもむろにティーの準備を始めた。
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 左の男性はガイドのハディドさんである。彼の通訳で砂糖はどうするかと聞かれたので、われわれはみんな「なし」でお願いした。
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 砂糖なしのミントティーをいただいていると、今度はこの家のご主人が現れた。
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 慣れたもので、一通りの挨拶のあと、太鼓やタンバリンといった楽器を順に演奏して聞かせてくれた。
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 お客を楽しませるツボを心得た、大変見事な演奏だった。途中で息子さんも帰って来た。
 このあと、ご主人の案内で家の中を見せてもらった。写真を撮っていいと言われたのだが、何となく遠慮してしまって、各部屋で写すようなことはできなかった。ここは台所。
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 非常に狭い(傾斜も急な)階段を上って、2階の廊下から吹き抜けになった居間を見下ろす。
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 右下が玄関に通じていて、上が応接間である。
 ご主人のベッドスペース(作りが寝室という感じではなかった。散らかっていた)も見せてもらい、それから屋上に出た。
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 洗濯物を干しに、狭い階段を上り下りするのは大変だなと思った。ここでご主人と一緒に記念写真を撮らせてもらったが、掲載はしない。
 準備された一般家庭とはいえ、家の内部を見ることができたのは貴重な体験だった。

 さて、一休みしたあと、再び歩き始めた。
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 道幅が少し広くなって、少し開放的な雰囲気が漂ってくる。
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 そして、この店。
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 モロッコの民族衣装を(たぶん観光客向けに)売っている店なのだが、こういうのが大好きらしい添乗員を先頭に女性陣は中に入って価格交渉を始めてしまった。最初は外にいたのだが、なかなか出て来ないのでわたしも中に入って行った。派手やかな女性の衣装が中心だったが、壁の一面だけ男性のものが吊してあったので、何の気なしに生地の厚さなどを確かめたりしたのである。
 そうしたら横にいた店員が、いきなり竿でその服を外してしまい、着てみないかと(身振りで)わたしに言うのである。ガイドも一緒になってけしかけるので、白けさせるのも悪いと思ってつい袖を通してしまった。三角フードのついた、丈の長いオーバーコートのような衣服(帰って調べたら、ジェラバというベルベル人発祥の民族衣装だった)で、比較的年配の男性が着用して道を歩いているのをよく見かけていたのである。

 鏡を見たら、わたしはどう見ても「ねずみ男」としか言えない風情で、いっぺんで皆さんを大盛り上がりにさせてしまった。こうなると、ますます皆さんを白けさせるわけにはいかなくなってしまい、ちょっとだけ価格交渉をして、まるっきり「ノリ」で購入してしまいました。何ディルハムだったか覚えていませんが、たぶん日本円で5、6千円はしたと思います。妻は、馬鹿なことをするという目で見ていましたが、・・・まあ、いいか。
 で、このジェラバはいまわたしの家にあるのです。孫たちの前で着て見せてやったのですが、もう一つウケませんでした。これです。
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 わたしの着用写真もあるのですが、これはとても載せられるものではありません。冬場の防寒にはいいと思うのですが、もう二度と出番はないでしょう。

 猫がいた。
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 ブージュルード門に来た。
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 ガイドブックではメディナへの入口とされている、最も大きな門である。幾何学模様が内側は緑色のタイルだが、外側は、
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 青色のタイルである。門のアーチの向こうに、メディナの中のミナレットが見えている。
 以上でフェズ旧市街の見学は終わり。
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 時刻は午後4時を回っている。
 少し歩いてから、
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 やや広い通りで迎えのバスに乗った。
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 このあとバスは王宮の外側を走り、
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 フェズ焼きという陶器の製作工房に行った。
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 ロクロを回しての製作は(やったことがあるので)どうということもなかったが、
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 タイル張りのテーブルなどの作り方はちょっと興味深かった。
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 枠の中に模様になる細かいタイルを裏返しにぎっしり並べ、そこへセメントを流し込んで固定するのだという。なるほど。
 一通り説明があったあとは、例によってショップでお買い物タイムになった。一応値札はついているが値引きは可能ということで、また丁々発止の交渉が行われていた。わたしも妻もあまりそういうことは得意ではないが、あとの3人と添乗員は大好きのようだった。

 さらに最後に、新市街のスーパーマーケットにも立ち寄って買い物をした。
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 夕方の道路は車がいっぱいだった。
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 ホテルに近いギッサ門の前では、少年たちがサッカーに興じていた。 
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 ホテルに帰ったのは午後6時15分ぐらいだった。
by krmtdir90 | 2018-03-20 17:22 | 海外の旅 | Comments(0)


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