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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
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映画「女は二度決断する」

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 この映画のストーリーには救いがない。救いがないからいけないと言うつもりはないし、何らかの予定調和で終わられるよりも最後の衝撃は大きかったと思う。だが、映画が終わった後も、こういう終わり方になってしまうしかなかったことへの複雑な思いが残り続けた。
 結末は復讐なのだが、彼女の一度目の決断では後に残るのは空虚だけだということが彼女にも判ったのだろう。二度目の決断は、彼女にとっては夫と息子のいる「向こう側」に行くということであって、そこに積極的な選択という側面があるということである。彼女がそこに救いを求めるしかなかったということは理解できる。一方で、正義がなかなか貫かれない社会の不条理はそのまま残ってしまうわけで、救いがないという印象はそこから来るものだと思う。

 ドイツは移民大国と言われ、それを快く思わない極右集団(ネオナチ)によるテロ事件が実際に起こっているらしい。監督・脚本のファティ・アキンはトルコ系移民の血を引いているというから、こうした社会的な矛盾や暗部を見詰める視線には非常に厳しいものがある。
 主人公のドイツ人女性カティヤは、学生時代に知り合ったトルコ系移民のヌーリと結婚した。彼は麻薬取引に絡んで獄中にあったが、それを乗り越えての結婚だった。出所後、彼は真面目に働き、二人の間には6歳になる息子ロッソができていた。この夫と息子が爆破事件の犠牲となり、カティヤは突然不幸のどん底に落ちてしまうというのが発端である。
 当然彼女は悲嘆に暮れることになるが、この映画のいいところは、彼女を被害者という単一の色に染めてしまわなかったところだと思う。もちろん彼女の絶望の深さはこれでもかと描かれるのだが、やって来た両親や捜査に当たる刑事の描き方などに、ステロタイプに流れることを許さない鋭い目が向けられている。カティヤの描き方にもそれは届いていて、彼女は決して品行方正な受け身の女性としては造形されていない。彼女の身体にはタトゥーがたくさんあるし、タバコやお酒もやり、悲しみを紛らわせるためにクスリにまで手を出したりするのである。両親とのやり取りなどから、彼女があまり幸せな育ち方はしていなかったことも見て取れる。逆にそのことから、彼女にとって夫と息子との生活がどんなに大切なものだったかが浮かび上がるのである。
 警察は最初、麻薬なども絡んだ移民同士のトラブルではないかと疑い、ネオナチの仕業だというカティヤの見方は積極的には受け入れてもらえない。ファティ・アキン監督は、ドイツ社会の根底に移民に対する偏見や差別意識が流れていることをさりげなく感じさせている。
 結局、ネオナチの若いドイツ人夫婦が逮捕され、今度はその裁判の過程が逐一描かれていくことになる。カティヤは友人の弁護士とともにこれに立ち会うが、この裁判の描き方もまったく容赦のないもので、被告側の弁護士の(プロとしては当然のことをしているだけだろうが)嫌らしさなどは唖然とするくらい際立った描写が並べられている。そして、結果は(予想に反して)証拠不十分で容疑者は無罪釈放となってしまうのである。
 この後のことは、まあ一応の礼儀としてネタバレさせずにおくのがいいのだろう。最初のところに少し書いてしまった気もするが、それ以上書くのはやめておく。

 映画の展開の緊迫感は素晴らしいもので、ストーリーはどこまでも暗く救いのないものだが、そこに描かれているものからまったく目を離せないまま、最後のカティヤの決断に向かってぐいぐい引きずられていくしかなかった。これはもちろんファティ・アキン監督の演出力の結果であるが、それ以上にカティヤを演じたダイアン・クルーガーの演技によるものである。わたしは長いこと映画から離れていたから、この女優を観るのは初めてだったが、この繊細で力強い(基本的には押さえた)感情表現の見事さには舌を巻いた。カティヤの最後の決断を、ここまで説得力を持って演じ切るのは並大抵のことではないと思う。
 非常に現代的で多様なテーマを含んだ映画だが、それがこんなふうに完璧な娯楽映画として成立していることが驚きだった。こんなにスリリングでサスペンスフルな映画も、めったにお目にかかれるものではない。
(新宿武蔵野館、4月16日)
by krmtdir90 | 2018-04-17 18:30 | 本と映画 | Comments(0)

映画「港町」

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 分類をすればドキュメンタリー映画ということになるのだろうが、想田和弘監督はみずからが作る映画を「観察映画」と呼んでいて、これはその第7弾になるものなのだという。想田監督の映画を観るのは初めてだったが、その世界にすっかり惹き付けられてしまった。

 プラグラムに監督自身が唱える「観察映画の十戒」なるものが載っている。「被写体や題材に関するリサーチは行わない」から始まって、「被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、原則行わない」とか「台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない」「必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す」といった、なかなかに興味深い「戒め」が列挙されている。
 基本的な考え方は先日観た「苦い銭」の王兵(ワン・ビン)監督に似ていると思ったが、映画としての方向性は少し異なっているように思われた。想田監督は1993年以降、普段はニューヨークに住んでいて、撮影のために(その時だけ?)日本を訪れて、その時の興味のままに日本の何かと向き合って撮影しているということで、恐らくそのことが関係しているのかもしれないと思った。この映画では、瀬戸内海に面した岡山県牛窓町(2004年の町村合併で、現在は瀬戸内市の一部となっている)というところでカメラを回し、その海辺の町に暮らす人々の日常を映画に収めている。
 被写体となるのは主として一人暮らしの老人たちで、彼らはカメラを向けられると、その前で訥々と、あるいは思いがけず雄弁に、様々なことを語ってみせるのである。本来寡黙であっただろう彼らが語り始めるまでに、恐らく長い助走があったに違いないと想像される。だが結果的に、カメラは確かにその撮影過程の中に、彼らの人生、あるいは見え隠れする共同体のかたちといったものを掬い取っているのである。何ということもない日常の細々とした断片なのだが、それらがこんなにも豊かな表現になりうるということが驚きだった。

 この映画のスタッフは考え得る最小の構成である。監督・製作・撮影・編集:想田和弘、製作:柏木規与子。これで終わりなのだ。たった2人で映画を撮ることが可能になったのは、映画がフィルムからデジタルに変わったからである。尺を気にすることなく気の済むまでカメラを回し続ける、こういう「観察映画」が成立するようになったのもこのためである。そして、このことがいま映画の大きな可能性を広げているということなのだろう。
 2人が牛窓でカメラを回し始めた時、多くの住民は遠巻きにそれを眺めるばかりだが、妙に馴れ馴れしく近寄ってくる住民もいるのである。クミさんという老婆なのだが、撮影の2人は(すぐにそれに飛び付くのではなく)彼女とある程度の距離を保ちながら、何となく彼女に導かれるようなかたちで、この町の古い共同体の中に入って行くのである。

 始まりは、彼女がワイちゃんと呼ぶ耳の遠い腰の曲がった漁師である。黙々と魚網を縫う姿から始まり、彼が船を出して網を仕掛け、再び船を出して網を引き上げる過程を、じっくりと「観察」し始める。上げた網に絡みついた魚を、一匹一匹外していく手許を飽きることなく凝視する。港に戻り、水揚げをして、港に付随した小さな市場に運び、仕分けをしてそれが競り落とされていく様子を、引き続き淡々と「観察」していくのである。こうした、これまでこの町でずっと繰り返されてきたであろう日常が、何とも興味深く面白いものに感じられたのは不思議なことである。
 カメラはさらに、数人の競りの中にいた一人の後について、箱詰めされた魚とともに集落の中にある小さな魚屋へと向かう。夫婦が営む魚屋で、今度は魚に若干の加工を施したり、売り場に出すためのパック詰めの手作業などを「観察」する。それを買いに来る近所の人たちや、お得意に配達して回る軽トラックの助手席に同乗して、その先で出会う人たちとのやり取りなどをカメラに収めていく。また、店に来て、捨てられる粗(あら)を貰っていく女性について行ったりする。彼女が狭い台所で粗を煮始めると、どこからともなく猫がたくさん集まって来て、彼女がこれを残り飯と混ぜて猫たちに与えていることが見えてくる。また、カメラの2人がこの女性と(比較的若い女性で、この時は旦那さんも一緒だった)外の路地で話していると、たまたま通りかかった年配の女性がお墓に行くと言うのを聞いて、少し後から山の上の墓地に行って、今度はこの女性に話を聞いたりするのである。
 確かに「行き当たりばったり」であり、話を聞くといっても、こちらから何かを聞き出すというのではなく、相手が自然に話し始めるのを根気強く待っている感じなのである。その姿勢は非常に好感が持てるもので、こちらから何かを仕掛けるということがまったくないから、逆にそこにあるものが見えてきてしまうということが自然に実現されているのだと思った。

 圧巻だったのは、終わり近くになってからのクミさんの独白だった。彼女は時間の経過とともに、しつこいくらいカメラを回す2人に付きまとってくるようになっているのだが、ある日の夕暮れ時、丘の上の小学校跡が病院になっているから行ってみるといいと2人を誘うのである。もう暗くなるからと、2人は一旦は誘いを断るのだが、例によって何度も強く誘ってくるクミさんに根負けした感じで、彼女の後について坂道を上っていくことになる。
 この丘の上で、クミさんは不意に自分の過去について語り出す。幼い時から「まま母」に育てられたこと、息子と無理矢理引き離されてしまったこと(この経緯は、彼女が興奮してしまったこともあってもう一つはっきりしない)、希望を失い死のうとしたことなど。撮影する2人はほとんど聞き返すことをせず、そのため事実関係としてはよく判らないことが多いのだが、クミさんの中にずっと溜まり続けていた澱のようなものが、唐突に溢れ出てしまったこの瞬間を捉えてしまうのである。この時のクミさんは(言葉は変かもしれないが)鬼気迫るようなところがあった。
 まったく予期せぬものを、カメラは捉えてしまうことがある。だが、この映画はそのことに何らかの意味を与えたり解釈を加えたりはしていない。先の「十戒」には次のように記されている。「撮影は『広く浅く』ではなく、『狭く深く』を心がける。『多角的な取材をしている』という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む」「編集作業でも、予めテーマを設定しない」「観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す」。

 映画の最後に、クミさんが映画完成前に亡くなったという字幕が出る。そこには「追悼」という言葉が添えられていた。クミさんを始め、多くの人たちの姿がこの映画の中に捉えられている。予定調和の意味づけや方向づけが行われないことで、彼らは文字通りそこに生きた者として残されることになった。「十戒」には次のような言葉もある。「ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある」。
 この映画はモノクロームだったのだが、それがこの映画に奥行きを与え、観客の想像力をかきたてる力になっていたと思う。監督の言によれば、撮影はすべて(デジタルとして当然のごとく)カラーで行われたのだが、編集段階でモノクロームに変換してしまうアイディアが生まれたのだという。これは素晴らしいアイディアだったと思う。最後の最後にワンカットだけ、牛窓の港の情景がカラーで短く映し出されるのだが、その息を呑むような美しさが(特にどうということもない平凡な情景に過ぎなかったのだが)強く印象に残った。色彩にしてもナレーションや音楽にしても、それを敢えて除外することが限りなく豊穣な世界を作り出すということがあるのだ。
 上映時間122分、映画の思いがけない面白さを発見させてくれた、実に素晴らしい映像体験だったと思う。観に行って良かった。
(渋谷イメージフォーラム、4月13日)
by krmtdir90 | 2018-04-15 11:08 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ラブレス」

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 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督は、海外の映画祭などで高い評価を得ているロシアの監督のようだが、何とも言いようのない冷え冷えとした映画なのに驚いた。現代のロシア(2012年秋~15年冬)を描いているのだが、この崩壊した家族には救いのかけらも見出すことができない。

 主人公の夫婦は現代ロシアにおいてはエリート層(富裕層)のようだが、2人の間にすでに愛はなく、いま離婚協議の真っ最中である。それぞれが外に愛人を作っていて、12歳の息子をどちらが養育するかを押しつけ合っている。自分のことしか考えていないこの夫婦、ジェーニャ(マルヤーナ・スピヴァク)とボリス(アレクセイ・ロズィン)の現状を、ズビャギンツェフ監督は冷ややかな視線で凝視していく。技法的にはカメラをあまり動かさない長回しが多用され、観客としては感情移入しようのないこの夫婦の日常生活の断片や、情事の有り様などを長いこと見せられることになる。人によっては退屈してしまう人もいるのではないか。
 息子アレクセイ(マトヴェイ・ノヴィコフ)は、父母にとって自分が邪魔な存在になっていることを知っており、夫婦喧嘩の罵声を聞きながら涙を流したりする。彼は自身にはどうすることもできない被害者なのだが、映画は彼についてはあまり描こうとはせず、ほとんど点描する程度で彼に感情移入されるのを避けているように見えるのである。アレクセイは映画の中程で失踪し、後半は彼の捜索の様子が描かれていくのだが、彼は最後まで(彼としては)映画の中に現れることはなく、彼の視点は一貫してこの映画の中にはないのである。

 アレクセイは朝学校に行ったきり帰らなかったのだが、夫婦はそれぞれの愛人の元に泊まってその晩は帰らなかったため、2日続けて学校に来ていないという担任の連絡で初めてアレクセイの不在に気づく始末なのである。このあと、ジェーニャは警察に捜索願を出すのだが、ボリスの反応とともにこの2人が事態をどこまで深刻に考えているのかまったく不明である。また、捜索願を受けた警察の対応も驚きで、人手が足りないから民間の捜索救助ボランティアを頼ったらどうかと提案したりするのである。現代のロシアではこうしたボランティア団体が実際に活動しているらしいが、その献身的な捜索活動だけがこの映画の中の僅かな救いになっている。
 夫婦はボランティアのリーダー(コーディネーターと言うらしい)の指示で捜索に加わるのだが、こうした状況になってもどこか他人事のようで、口喧嘩も愛人との情事も自重するということにはならないのである。それどころか、妻の方は自分は結婚する気なんてなかったとか、子どもを産んだのは失敗だったとか、思い通りにならなかったことすべてを夫の責任にするような発言を繰り返す身勝手さなのである。
 一方で、無償の善意で行われるボランティア団体の組織的な捜索は非常に興味深いものだが、その必死の捜索によってもアレクセイを発見することはできない。手掛かりもなく捜索が行き詰まった時に、同じ年格好の少年の死体が発見されたという連絡があり、夫婦はコーディネーターとともに(妻の愛人も同道している)警察の死体置き場に検分に出向くことになる。

 このシーンは解釈の分かれるところなのかもしれない。シートを持ち上げて血だらけの無残な死体が一瞬だけ映されるが、ジェーニャは胸のほくろがないから息子ではないと否定するのである。意外な表情のコーディネーターは念のためDNA鑑定を勧めるが、ボリスも加わって2人はそれを拒絶する。わたしは死体はアレクセイだったと受け取ったのだが、ズビャギンツェフ監督はここのところを明確には描いていないのである。
 わたしが上のように考えた理由は幾つかあるのだが、一瞬映された死体の上半身は血だらけで損傷もあるようだったので、ほくろの判別はかなり難しかったのではないかということ。コーディネーターがDNA鑑定を提案したのも恐らくそういう理由があったと思われること。また、彼は経験上こうした場合に、受け入れたくない現実に対して思わず否定してしまうことが時にあるのだと発言していること。そして、何より大きいのは、外に出てしまったジェーニャは愛人の胸で、中に留まったボリスは床に蹲るようにして、ともにほとばしるような激しい慟哭を見せることである。死体の状況がどんなに目を覆うようなものであったとしても、自分の息子でなかったとしたらこの慟哭は説明がつかないくらいのものだったと思うのである。
 このシーンはこれで終わり、映画はこのあと、彼らのアパートのがらんとしたアレクセイの部屋になり、職人が入って壁紙を剥がしたりし始めるのところを映し出すのである。これがあの日から何日後のことなのかは判らない。何がどんなふうになったのかは描かれることはなく、しかし、事件が決着したことだけは確かに示されているのである。

 この部分の経緯を描かないことで、ズビャギンツェフ監督は実に多くのことを語っていると思う。語っていると言うより、想像させていると言った方がいいかもしれない。しかもこのあと、さらに3年以上の時間を省略して、夫婦のその後を短く描写するのである。その描き方はこれまで以上に冷ややかで、具体的には書かないが、それぞれの愛人と一緒になった彼らが、表面上の平穏さとは裏腹に、いままで以上の空しさを抱えながら過ごしていることが冷酷に示されているのである。
 彼らが息子アレクセイの死をどのように受け止め、どのように後始末をして離婚後の生活に入って行ったのかといったことは、この映画では一切描かれないままで終わる。ズビャギンツェフ監督は最初の段階から、この夫婦のことを一貫して突き放しているのであり、自分のことにしか関心がないこうした生き方が蔓延している現代の病理を、丸ごと提示することに意味があると考えていたのだと思われる。アレクセイは彼らの身勝手の犠牲になったのだが、そのことをいくら言ったとしても、この2人のような人間には響かないことが判っているということなのだろう。自分を省みない人間にとっては、どのような罪の意識も生まれようがないからである。
(新宿バルト9、4月12日)
by krmtdir90 | 2018-04-14 13:38 | 本と映画 | Comments(0)

映画「15時17分、パリ行き」

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 どうやら列車が舞台の映画らしい、監督のクリント・イーストウッドは最近けっこういい映画を撮っているらしい、といったようなことで観に行ったのだが、これは完全なハズレだった。まあ、そういうこともある。書かなくてもいいのだが、記録ということで一応書いておく。

 クリント・イーストウッドの経歴はひとまず置くとして、前作「ハドソン川の奇跡」が2016年度キネマ旬報ベストテンで外国映画第1位を獲得していたことは知っていた。わたしはずっと映画を離れていたから、彼が監督として注目された頃の作品をまったく観ていないのだが(もちろん「ハドソン川…」も観ていない)、いい機会だから一本ぐらい観ておこうと思ったのが裏目に出てしまった。
 「ハドソン川の奇跡」はアメリカで実際に起こった出来事を映画化したようだが、それが評価されヒットしたので、明らかに2匹目のドジョウを狙ったのが本作だったようだ。ところが、今回の出来事は映画の題材としてはまったく面白いものではなかった。出来事そのものがせいぜい10分もあれば終わってしまうもので、列車内で起こった銃撃事件(無差別テロ)に3人の若者が立ち向かい、犯人(単独犯行)を取り押さえたという、ただそれだけのことなのである。確かに勇気ある行動には違いないが、背景も後日談もふくらませようのない単純なものだったのである。

 映画はこの3人に当事者本人をキャスティングして話題性を持たせようとしたようだが、どうやったところで映画としての面白さはまったく作れていなかったと思う。3人の高校時代からのエピソードを並べていたが、それ自体が少しも面白いものではなく、彼らのキャラクターを際立たせるものにもなっていなかった。彼らは、どう考えても魅力のない(平凡で俗っぽい)若者たちに過ぎなかった。一方で、犯人の男の過去にはまったく触れていないから、犯人は単なる悪者であって、3人は悪を退治した勇敢なアメリカ人という構図にしかなりようがないのである。最初から、3人は無事で悪は逮捕されることが判っているのだから、こんなに面白くないアクションもなかった。
 最後に、3人の勇敢な行動に対して、事件の舞台となったフランスから勲章が贈られたり、アメリカの地元に帰ってからのパレードのシーンなどが付け加えられていたが、そんなことを映されても、最初からこちらは娯楽映画として観ているのだから、テレビのニュースならともかく、映画としてはどうなの?ということにしかならなかった。

 まあ、あんまり書いても仕方がないので、今回はこんなところで。
(ヒューマントラストシネマ渋谷、4月10日)
by krmtdir90 | 2018-04-13 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ラッキー」

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 年を取るということは、確実に死に近づいているということである。そのことが他人事ではなく、みずからのリアリティとして感じられる年齢になってしまった。先日、ある事情から車を買い換えなければならなくなってしまった時、果たしてあと何年運転できるのかと考えざるを得なかった。旅行を計画する時も、あと何回出掛けられるかと(金銭的なこともあるが、主に健康上の問題として)どうしても考えてしまう。
 この程度では、リアリティと言っても、いまのところはまだそれほど深刻なものではないとも言える。年を取れば誰もが必ず死ぬのだというリアリティは、まだ少し遠いところにあると言っていい。だが、実のところは、なるべくそれを考えないようにしているだけで、現実にはもういつそれがやって来てもおかしくない年齢に入ってしまっているのも事実である。

 ハリー・ディーン・スタントンは2017年9月15日に91歳で亡くなったのだという。この映画はその少し前に撮られた、彼の最後の主演作である。わたしは彼の代表作とされる「パリ、テキサス」(1984年、ヴィム・ヴェンダース監督)を確かに観ているが、もう昔のことなので内容はほとんど覚えていない。ただ、なぜかハリー・ディーン・スタントンという役者の印象はかなりはっきり残っていて、その彼がこんなに年老いた姿をスクリーンに晒しているのはかなり衝撃的だった。
 映画の脚本(ローガン・スパークス、ドラゴ・スモーニャ)は90歳のハリー・ディーン・スタントンに当て書きされたもので、監督(ジョン・キャロル・リンチ)も共演者もスタッフたちも、当然のように彼へのリスペクトに基づいてこの映画を製作している。映画そのものがハリー・ディーン・スタントンへのオマージュになっているから、映画の主人公ラッキーの生き方は、ほぼそのままハリー・ディーンの生き方とイコールであると考えていいようである。

 神など信じずにこれまで一人で生きてきた90歳のラッキーは、目の前にあるものしか信じない偏屈な現実主義者と設定されている。映画は、アメリカ西部の小さな田舎町に住むラッキーの日々の生活と、町の人々とのささやかな接触について描写していく。年を取った人間にとって、日々のどうということもないルーティーンが非常に重要なものとなっており、ラッキーはそれを毎日淡々とこなしていくのである。
 ある朝、そのルーティーンの途中で彼は倒れ、馴染みの医者に診てもらうが、高齢であること以外にこれといった原因は見つからない。だが、原因が判らないことが彼を不安にさせ、この出来事が彼に死というものを急にリアルに感じさせることになる。彼は言いようのない恐怖に襲われるが、一人で生きて来た彼はそれを周囲に気付かれないように振る舞うのである。
 映画は、死を目前にしたラッキーの心の揺らぎをさりげなく捉えていく。変わらないルーティーンと、少しだけ微妙に変化しているそれを丁寧に写し取っていく。

 この映画の中には、ラッキーのものなのかハリー・ディーンのものなのか定かではないが、様々な哲学的言辞のようなものが散りばめられている。プログラムの中にそれらが収録されているのだが、こんな感じである。
 「現実主義は物なんだとさ。《状況をありのまま受け入れる姿勢や行動と、ありのままの状況に対処する心構え》」。「人はみな生まれる時も、死ぬ時も一人だ。《独りalone》の語源は、《みんな一人all one》なんだ」。「《孤独》と《一人暮らし》は意味が違う」。「つまらん雑談なら、気まずい沈黙のほうがマシだ」。彼の言葉は多くの場面で周囲を戸惑わせるのだが、周囲はこの老人はそういうふうなのだと受け入れている。受け入れるだけでなく、そういう部分も丸ごと認めて愛してさえいるように見える。ラッキーは浮いているわけではなく、町の人々の中にしっかり根付いているのである。
 みずからの死の恐怖に直面しながら、ラッキーが最後に到達する境地は次のようなものである。少し長いが書き抜いておく。「俺は真実にこだわる。真実は実体のある物だ。真実は自分が何者で何をするかであり、それに向き合い、受け入れることだ。宇宙の真理が待っているから。俺たち全員にとっての真理だ。すべてはなくなるってこと。君もお前もあんたも俺も、タバコも何もかも、真っ暗な空(くう)へ。管理者などいない。そこにあるのは無(ウンガッツ)だけ。空(くう)だよ。無あるのみ」。ここで「無ならどうするのさ」と問われた彼は答える。「微笑むのさ」。

 神などに頼ることなく生きてきた者にとって、最後に死と向き合って「微笑む」というのは、みずから取り得る最も自然な態度であるに違いない。映画は、サボテンが林立する町外れの砂の道を、微かな微笑みを浮かべたあとで歩み去るラッキーの後ろ姿を見詰める。彼はまだ死んではいない。手前の地面を大きなリクガメがゆっくり横切って行く。
 リクガメは映画の冒頭にも出てきていて、映画の中ではデヴィッド・リンチが演じたラッキーの友人ハワードが、ルーズベルトと名付けて飼っていたものである。ルーズベルトはある日飼い主の元からいなくなり、ハワードは必死に捜し回ったが見つからず、次のような境地に達したとラッキーに語るのである。「執着を手放そうかと。ルーズベルトが脱走計画に費やした時間と、捜せないようにした手間を考えた。すると彼は去ったのではなく、大切な用事で出かけたと気づいた。これまで私が邪魔していたと。だから捜すのはやめた。縁があればまた会える。私はいつでも門を開けておくだけ」。
 会話の中でリクガメは100歳を超えて生きると紹介されている。ラッキーの孤高な生き方を象徴するものとして登場させられていたのかもしれない。ラッキーとはハリー・ディーン・スタントンのことである。

 印象的なシーンがたくさんあった。面白い映画だった。ハリー・ディーン・スタントンは何一つ演技していないように見えたが、そういえば彼はこれまでも、ただそこにいるだけで演技らしい演技はしていなかったのではないかと思い至った。
(新宿シネマカリテ、3月7日)
by krmtdir90 | 2018-04-09 10:27 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

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 日々のニュースに接していると、日本はこの先どうなってしまうのかと暗澹たる気持ちになることばかり続いている。そういうことに触れ始めると、恐らく際限がなくなってしまうだろうと思って触れないでいる。ブログは自分の楽しみとしてやっているのだから、基本的に政治問題や社会問題に踏み込むことは避けてきたのである。だが、この映画の感想を述べるに当たって、その内容があまりに現代日本の状況への警鐘になっていることに驚き、同時に日本とのあまりの違いに愕然とさせられたことに触れないわけにはいかない。

 映画はまだベトナム戦争が続いていた1971年、ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズという機密文書(いわゆるマクナマラ文書)をスクープし、時のニクソン政権から有無を言わせぬ圧力がかかる中、ワシントン・ポストが第2弾のスクープを打って世論の流れを変えていくさまを描いている。
 映画の中で、ワシントン・ポストの発行人(社主)であるキャサリン・グラハムが、死んだ夫の言葉として言う「新聞記事は歴史書の最初の草稿だ」という言葉が強く印象に残った。そうなのだ。国家の様々なところで作られる文書とその言葉は、後世に書かれるべき「歴史書」の最も基礎的な資料となるものなのである。国家が権力そのものである以上、国民の側にある新聞などの(同時代の)不断の監視下に置かれなければならないというのは当然のことなのだ。
 現に進行中のベトナム戦争に関する機密文書であっても、それが国民に知らされていなかった戦況の泥沼化を伝え、1965年時点ですでにこの戦争には勝てないという見通しを記していたものである以上は、考えられるあらゆる圧力や不利益を乗り越えて、国民の前に明らかにされなければならないということなのだ。そのことが、この映画にはきわめてストレートなかたちで描かれている。

 われわれの目の前にある日本の現実はどうなのか。国会で行われた不適切発言が、本人からの申告で簡単に取り消され、議事録から次々に消されている(二本線による抹消ではなく、まったく削除して発言そのものがなかったことにされている)という事実。また、森友問題の財務省文書が、政府に不都合な部分を改竄されていたり、自衛隊のイラク派遣に関する日報が、国会の論戦で政府に不都合だからと隠蔽されていた事実など。これらに関して、文書は廃棄されたとか存在しないといった言い方がまかり通り、逃げ口上として通用してしまう現実もある。
 また、刑事訴追の可能性があるからと言って、真実を語らないことが許されてしまう現実もあったではないか。刑事訴追があるかどうかはまったく別の問題であり、真実を語ると宣誓した以上は、いかなることがあろうとその通りにしなければおかしいのではないか。真実を報道することで逮捕される可能性や、会社の存続そのものが危機に瀕する可能性がある中で、敢然と記事掲載に踏み切るこの映画の展開との、あまりに大きな落差に絶望的な気分に襲われる。映画に描かれたのは、すべてアメリカで実際にあった出来事なのである。
 スティーブン・スピルバーグ監督はこの脚本(リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー)を読んだ時、「今すぐこの映画を作らなければならないと思った」と述べているらしい。彼の中には、トランプという無茶苦茶な大統領の下でアメリカはこれからどうなってしまうのかという思いがあったのだと思う。だが、それはそのまま、日本の無茶苦茶な現状に辟易としているわれわれの思いと見事に重なり合うものだったのである。そういう意味で、この映画は、われわれ日本の観客に対してもきわめて今日的な問題提起となっていたように思う。

 映画では、スクープのあと、政権側が国家機密を盾に記事の掲載を差し止める命令を出すが、最高裁はこの差し止めを無効とする判断を下すのである。日本では恐らくこうはいかないだろう。この判決理由の抜粋がプログラムに載っているが、日本など足許にも及ばない民主主義の成熟を感じさせるものになっていると思った。彼我の違いに悲しくなってしまうのだが、少し書き抜いておきたい。
 報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである。報道の自由が守られているため、政府の機密事項を保有し公開することは可能である。制限を受けない自由な報道のみが、政府の偽りを効果的に暴くことができる。そして、報道の自由の義務を負う者は、政府の国民に対する欺きによって多くの若者が遠い外国へと派遣され、病気や戦闘で命を落とすという悲劇を避けるために責務を全うすべきである。

 映画の感想も書いておく。
 26歳で撮った「激突!」で監督デビューしたスピルバーグも、今年で71歳になったらしい。依然として第一線のヒットメーカーとして活躍しているのは大したものだし、その多彩な作品がことごとく第一級の娯楽作品になっていることに驚きを感じる。この映画も、きわめてセンセーショナルな題材を扱いながら、その題材のみに頼ることなく、ワシントン・ポストの発行人キャサリン・グラハムと編集主幹ベン・ブラッドリーに着目して、その揺れ動く心情を繊細に描写し、骨太な人間ドラマを構成しているところは見事と言うしかない。
 特にキャサリンを演じたメリル・ストリープは、若い頃は何となく病的な印象があって好きではなかったが、老境に達して(68歳になったらしい)実にきめ細かい演技を披露していて素晴らしかった。記事掲載の最終判断を下すシーンでの躊躇と黙考の演技は、彼女だから出せたリアリティがあったと思う。編集主幹ブラッドリーを演じたトム・ハンクスもいい年輪を重ねていて、この役を単純な正義感で染め上げなかったところはさすがだと思った。
 当時の新聞社の上層部は、政権中枢にある様々な人物と交流を持っていたようで、キャサリン・グラハムが、ペンタゴン・ペーパーズを作成させた当時の国防長官ロバート・マクナマラときわめて深い友人関係にあったことは知らなかった。文書の中身を暴露する記事の掲載に際して、キャサリンが事前にマクナマラを訪問するシーンは興味深かった。マクナマラを演じたブルース・グリーンウッドという役者も巧みで、このシーンの緊迫した空気も忘れ難いものだった。
(立川シネマシティ1、3月5日)
by krmtdir90 | 2018-04-06 16:47 | 本と映画 | Comments(0)

「不死身の特攻兵/軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史)

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 鴻上尚史は好奇心の強い作家だと思う。好奇心というのは感性の問題であり、鴻上尚史はみずからの好奇心の指し示す方向を追ってここまで来たのではないか。それは非常に感覚的な過程である。
 彼がこういう本を書いているのが不思議な気がしたが、一旦興味を持ってしまったら、最後まで突き詰めないではいられない気分が生まれたのだろう。ここには、鴻上尚史が自分の好奇心を信じ、それに誠実に対処した軌跡が描かれていると思った。

 太平洋戦争末期、海軍に続いて陸軍でも行われた特攻「作戦」において、「9回出撃して、9回生きて帰って来た」特攻隊員がいたということを、鴻上尚史がたまたま知ったことが始まりである。この本は、その、陸軍第1回特攻隊のパイロットだった佐々木友次という人についてのドキュメントである。
 鴻上尚史はこの人のことを知った後、「青空に飛ぶ」という中高生向けの小説を書いたらしい。その後、やはりフィクションではないかたちでこの人のことを残すべきだと考えて、今回の本を出すことにしたようだ。この人に出会ってしまったことに対する、鴻上尚史なりの責任の取り方として共感できると思う。

 この本はドキュメンタリー(ノンフィクション)として、鴻上尚史の好奇心が正直に現れるような構成を取っている。
 短い第1章で、鴻上は佐々木友次という人を知ったきっかけと、92歳で存命だった当人にインタビューするに至る経緯を説明している。長い第2章では、鴻上がいろいろ調べたり、インタビューを通じて知った佐々木さんの生涯を、特に特攻兵としてどういう体験をしたのかを、小説(フィクション)のような書き方で描き出してみせる。続く第3章が、札幌の病院で行われた5回のインタビュー(面会)の様子になる。この最後の面会から2ヵ月後の2016年2月9日に佐々木さんは亡くなるのだが、最後の第4章は、残された鴻上が何をどう考えたのかという考察の記録になっている。戦後(1958年)に生まれた鴻上尚史が、これまで考えたこともなかった特攻という問題と、どう向き合いどんなことを考えたのかを非常に率直に記述している。
 それゆえ、この本は誰にでも読みやすくわかりやすい本になったと思う。鴻上尚史の人となりが正直に見えていて、彼の思いがスッとこちらに伝わってくるものになっていると感じた。

 特に第4章で、現代の日本に引き付けて問題を考えようとしたところは説得力があり、一々納得し共感しながら読み進むことになった。
 特攻ということを考える時、「命令した側」と「命令を受けた側」とをきちんと区別して考えるべきであり、「命令」だったのか「志願」だったのかというような問題も、上記の区別に基づけばおのずと真実は見えてくるというのは、その通りだと思った。続けて、日本人の性質と特攻というものを関連させ、そこにあった思考の放棄と「集団我」というところに進んで、現代の日本にも見られる様々な「危うさ」に話を展開させるところは、現代の日本を見据えて非常に説得力があると感じた。

 それにしても、これまで一面的に美化され過ぎてきた特攻隊の真実を、こうしたわかりやすいかたちで世に出した鴻上尚史は、なかなか凄い人だと言うべきだろう。帯に印刷された「15万部突破!」という文字に、大きな希望を感じたいと思う。まだまだ部数を伸ばしてほしい本である。
by krmtdir90 | 2018-04-05 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

「はいすくうるドラマすぺしゃる」で東大附属の舞台(2018.4.3)

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 東京大学教育学部附属中等教育学校のK先生からお誘いのメールがあり、俳優座劇場で行われている「はいすくうるドラマすぺしゃる」というのに出掛けてきた。今回で26回を重ねる高校演劇の催しのようだが、3日間6校の出演校の一つとして東大附属が上演するという。六本木へは都営地下鉄大江戸線で行ったが、この地中深くを走る鉄道はどうしても好きになれない。

 演目は井上ひさし作「父と暮せば」だった。原作は確か二人芝居だったと思うが、これを美津江の一人芝居として上演するのだという。観る前はそんなことができるのかと半信半疑だったが、実際の舞台を観てなるほどと納得した。不自然と言えば不自然なのだが、そういうことを吹き飛ばしてしまう説得力がこの舞台にはあったと思う。
 こういうことをやろうと言い出したのは生徒だったのだろうか。美津江・竹造を一人で演じた横田海香さんの見事な熱演には惚れ惚れした。男子部員がいないわけではないはずなのに、あえて困難なこのかたちを選んだ熱い意図が伝わってくる演技だったと思う。上演時間70分が延ばせる限界だったようで、カットも入れテンポも上げて演じていたが、本来もう少し緩急などをつけたいところはあったと思うが、有無を言わせぬ迫力で一気に走り切ってしまったのは大したものだと思った。
 欲を言えば、演じ分けの意識をもう少し強くした方が(特に喋りのテンポの違いという点で)良かったと思うけれど、逆にそれぞれの思いが交錯し入り交じってしまうような瞬間ができていたのは、こうした方法を取ったことから来る思わぬ成果だったかもしれない。
 70分が片時も緩むことなく、緊迫して少しも長いと感じることはなかった。開演前、つまらなかったら寝ちゃうよとK先生に冗談を言っていたが、とんでもない、どんどん目が冴えてきて、舞台から目を離すことができなかった。
 装置類は東大附属としてはよく飾り込んでいたと思うが、箱馬がそのまま見えていたのはどうだったか。音響・照明・衣装などは自然で、主張しすぎないところが良かった。

 一緒に観劇したSさんと新宿に出て、またわらびやで一献傾け蕎麦をいただいて帰った。劇場には懐かしいKさんの顔もあったが、用事があるとかで早々に帰ってしまったのは残念だった。
 顧問のK先生は確か蕎麦アレルギーだったと記憶するので、今度イタリアンのお店でも探して、一度ゆっくり話せたらいいななどと2人で話していました。
by krmtdir90 | 2018-04-04 11:33 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

モロッコの旅⑯カサブランカ、復路(2018.3.9~10)

3月9日(金)

 モロッコでは、ホテルやレストランでの喫煙はそれほど厳しく禁止されていない。客室内は禁煙でも(喫煙可のところもあった。吸わなかったけど)廊下やロビーには灰皿が置かれていたり、分煙もあまり考えられてはいないようだった。昨夜泊まったハイアット・リージェンシー・カサブランカもロビーは可になっていたようだが、やはり迷惑だろうと考えて、玄関の外に出て朝食後の一服をした。
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 ここにいたドアマンは昨日ポストの場所を教えてくれた男で、われわれが帰って来た時も見つかったか?と尋ねてきたりしていた。どうやら顔を覚えてしまったらしく、この朝もわたしが煙草に火を点けようとしていたら寄って来て、それはアメリカの煙草か?と聞くから、日本の煙草だと言いながら一本勧めてみたら、嬉しそうな顔をして受け取った。
 彼は何やら言いながら脇の方に行くから付いて行ったら、陰になったところにあるドアの中に入って行った。倉庫兼控え室のような小部屋で、彼は煙草に火を点けながら盛んにカメラ、カメラと説明する。どうやらドア付近には監視カメラが幾つもあって、それに映るところでは吸えないということらしい。ユーはノープロブレムだと言うから、判ったと言ってわたしは元の玄関先に戻って吸った。何だか面白い出来事だった。

 ホテルの前の道と国連広場。
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 ポストのあった建物はもっと右奥の方にあって、これには写っていない。天気は曇りである(ただし、出発後1時間ぐらいすると雲はどんどん取れていき、青空が広がったので良かった)。

 午前9時にバスで出発。
 バスは市内を少し走った。ここは学校の入口らしい。
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 トラムの線路を渡って、右側の通りの奥で停まった。
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 ここはムハンマド5世広場というところで、正面にある建物は裁判所ということだった。
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 右側の建物は市庁舎だという。
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 だが、わたしはそういうものよりもトラムに興味がある。
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 5連接車2輛の連結部分を写すことができた。
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 再びバスに乗って、少し走る。
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 白い壁にRICK'S CAFEと書いてある。
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 バスはこの右側の道に回り込んで停まった。
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 右側の建物は車の修理屋で、左のリックス・カフェとは関係がない。
 このリックス・カフェは、映画「カサブランカ」の中で、ハンフリー・ボガート演じるリックが経営していた「リックス・カフェ・アメリカン Rick's Cafe American」の内装をそのまま再現したレストランだという。中に入らなければそれは判らないのだが、食事しなければ中には入れないので、今回はまあ外観だけでもということで立ち寄ったようだ。
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 一応、前に立って記念写真などを撮ってもらった。
 これは店の前の風景。
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 因みに、映画「カサブランカ」はモロッコでのロケは行っておらず、リックス・カフェもハリウッドのスタジオに作ったセットで撮影されたものだという。
 だが、そういうことには関係なく、確かにカサブランカという地名もあの映画で記憶したのだったし、カサブランカを訪れる旅行者の多くが、あの映画のイメージに惹かれてここに来るというのも確かなことなのだろう。そういう意味で、映画における不朽の名作と言った時に、「カサブランカ」はまず真っ先に題名が挙がる映画の一つであるのは確かなことだと思う(1942年・アメリカ映画、監督:マイケル・カーティス、出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード)。

 さて、もう一度バスに乗って、最後の見学場所ハッサン2世モスクに向かった。
 バスを降りる頃から雲が薄れてきて、薄日なども差してくる明るい天気に変わっていった。
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 ハッサン2世とは、フランスからの独立を勝ち取ったムハンマド5世の後を受けて、1961~99年にモロッコ王国の現体制を築いた国王で、このモスクは、8年がかりで1993年に完成した、モロッコ最大、世界でも7番目に大きいモスクなのだという。
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 ミナレットの高さは200mで、これは世界最高ということだ。
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 下から見上げると、確かに高い。上の細くなった部分は見えなくなってしまう。
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 モスクも非常に大きなもので、2万5000人が収容可能なのだという。
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 こちらに海があるようなので、
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 出てみる。
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 昨日バスの中から見えた灯台が遠くに見えている。
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 帰る頃になるとすっかり青空になったので、モスク全景をもう一枚。
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 このあとバスは、ハッサン2世モスクを海の向こうに見ることができるというスポットに行った。
 アパートの窓に洗濯物がたくさん干してある。
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 灯台に近づいている。
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 ↑この手前の壁に囲まれた向こう側は、貧しい人々のバラックがひしめき合っている。
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 不法にバラックを建てて、居住権を盾に立ち退かないということらしい。
 さて、お薦めのスポットに行ってみたら、運悪く工事をしていて、
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 工事現場越しに見ることになってしまった。
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 それに、逆光だったし、まあ、仕方がない。こういうこともある。
 灯台はよく見えたんだけどね。
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 以上で今回のツアーの見学はすべて終了した。このあとは空港に向かうことになるが、少し時間が早いので、海岸沿いのカフェで少し休んでから行こうということになった。天気も良くなったし、これはグッドアイディアである。
 で、このお店。
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 左手の海の見える席に陣取って、みんなでミントティーをいただいた。
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 最後なので、わたしはモロッコ風の砂糖の入ったミントティーにした。
 大西洋に別れを告げた。
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 10時50分ぐらいにカフェを後にし、バスは空港に向かった。
 最後の車窓風景。
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 空港への標識。
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 ムハンマド5世空港が見えてきた。
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 到着した時は激しい風雨で閉口したが、この日はのどかな日射しの下である。
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 出国手続き・搭乗手続きなどを済ませ、中のショッピングエリアで最後の土産物などを探した。
 喫煙所。
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 これにはびっくりした。3人も入れば一杯になる小さな素通しのボックスが2つだけ。みんなけっこうはみ出しながら吸っている。わたしもはみ出して吸った。何だか非常に恥ずかしい気分にさせられた。
 搭乗口はA6ゲートだった。
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 われわれの乗る飛行機。
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 これは隣の飛行機。
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 カサブランカ14:35発、ターキッシュエアラインズTK0618便、イスタンブール行きはほぼ定刻に動き始めた。
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 離陸後、高度が安定してシートベルト着用のサインが消えた後、窓から眼下の景色を眺めた。
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 往路で見たのと同じような景色だったが、この荒涼とした景色の中を、どことはとても言えないけれど、確かに旅したのだと思うと何とも言えない充実した気分が湧いてきた。
 サハラ砂漠があるあたりは、砂塵が舞い上がっているのだろうか、砂漠の砂を思わせるピンク色に霞んでよく見えなかった。
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 以下、復路について記録しておく。
 機内でプラス3時間の時差修正を行い、飛行機は22:15、イスタンブールの空港に着陸した(フライト時間4時間40分)。

3月10日(土)

 ここで乗り継ぎを行い、次のターキッシュエアラインズTK0052便・成田行きは02:10にイスタンブールを飛び立った。
 機内で再度プラス6時間の時差修正を行い、成田空港到着は19:50だった(フライト時間11時間40分)。

 手続きが実にスムーズに進み、20:35発のリムジンバス・高尾行きの最終便に間に合ったので、苦労することなく直通で家に帰ることができた。ヨカッタ。

おわりに
 まさか16回もの連載になるとは思わなかったが、そのくらい今回の旅は盛り沢山で充実していたということである。バスの移動が多いと疲れるばかりだと言うが、確かに疲れたことは疲れたが、その目まぐるしく移り変わる車窓の風景が興味深く、まったく飽きることがなかったのが大きかった。また、毎日の見学場所も変化に富んでいて、その都度新鮮な驚きと発見があってワクワクさせられた。
 最後に「モロッコ、面白かったぞーっ!」と大声で言っておわりにしたいと思う。読んでくださってありがとうございました。
by krmtdir90 | 2018-04-02 18:27 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑮アルジャディーダ~カサブランカ(2018.3.8)

3月8日(木)続き

 アルジャディーダのメディナ(ポルトガル都市)の前から、バスに乗って昼食場所に向かった。バスは海岸沿いの道路を走った。
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 7、8分でレストランに着いた。
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 レストランは海岸通りに面していたから、食事はそこそこに外に出て、道路を渡ったところで海を眺めながら煙草を吸った。
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 大西洋である。
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 みんなが出てきたところで、海をバックに記念写真を撮ってもらったりした。大西洋はもちろん初めてだし、恐らくもう来ることはないのだろうと思った。
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 晴れて良かった。煙草を2本、吸ってしまった。

 さて、再びバスに乗って、最後の宿泊地カサブランカに向かう。
 アルジャディーダの市街を抜け、バスは高速道路に乗った。
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 鉄道線路を越えた。
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 この路線は電化複線のようだ。
 川を渡った。
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 高速だと、あまり写真がない。
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 高速道路を出た。
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 カサブランカ郊外の風景。
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 白いアパート群の手前に、貧しそうな家が固まっている。貧しい家が固まった地域が、あちこちにあるようだった。
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 カサブランカの町並みの色は基本的に白である。
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 15世紀にポルトガル人がこの一帯を支配下に収め、ポルトガル語で「白い家」を意味する「Casa Blanca(カサブランカ)」と名付けたのが始まりだったらしい。町の名前が先か家の色が先かは判らないが、とにかくモロッコの他の町の色とこの町の色ははっきり異なっているのである。
 海沿いに出て少し走った。
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 海は見えなくなってしまったが、灯台が見える。
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 これは、海沿いに建つハッサン2世モスク。
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 ここは明日行く予定。
 市街地に入って来た。
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 カサブランカは人口400万人を超えるモロッコ最大の都市で、首都ではないが商業・金融・貿易などの中心地として発展してきたらしい。ビルが建ち並ぶビジネス街などもあるようだが、そういう方には行かなかった。
 このあたりは比較的古い、雑然とした町並みが続くようだ。
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 カサブランカにもメディナ(旧市街)はあり、この奥がそれに当たるらしい。
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 城壁は昔のままではなく、こんなふうにカフェなどが入る構造のものに建て替えられたようだ。
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 こちらが大きな通りに面したメディナの入口と時計台。
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 時計台も比較的新しいもののようだ。写真の右手から手前の方が国連広場という広場になっていて、そこに面して今晩宿泊するハイアット・リージェンシー・カサブランカというホテルが建っていた。その前でバスを降りた。

 チェックインは午後4時過ぎだったと思う。
 夕食は7時だったか7時半だったか、いずれにせよそれまでかなり時間があったので、部屋でちょっと休んだあと、ガイドブックの地図を頼りに散歩に出てみることにした。

 まず最初に、孫たちに出す絵ハガキをポストに投函しなければならない。フロントでもたぶん受け付けてくれたと思うが、それでは面白くない。ちょうどロビーにいた添乗員に頼んで、ドアマンの男に聞いてもらったら、国連広場の建物に付いていると(あちらの方にある、と指さして)教えてくれた。
 最初、国連広場に「面した」建物と理解して探したのだが見つからず、国連広場の「中にある」(何だかよく判らない)建物の壁面に付いているのを見つけた。
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 妻が投函するところを、証拠写真?として撮影した。
 建物の写真は撮ってなかったのだが、↓この右の壁面の奥にポストがあるのが判るだろうか。
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 ポストの向こうが(人が立っている)宝くじ売場になっていて、覗いてみたら日本のロトと同じようなものを売っていた。なお、道路を隔てた左の白いビルがホテルである。

 このあと広場を横切って、反対側の道路の方に行ってみた。
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 人だかりがしているところがあって、何か音楽の演奏をしているようだった。
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 この広場は、特にモロッコを感じさせるようなところではなく、ごく普通の都市部の広場という感じだった。だから、写真も上の2枚しか撮っていないのである。

 だが、こちらの道路には実はトラムが走っていた。トラムの電停もあった。
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 しばらくウオッチングをすることにした(妻は近くの土産物店などを覗いていた)。
 やって来た。
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 低床式の連接構造で、かなり長い編成だった(5連接車を2輛連結している)。長いのはラバトで見た時と同じだが、車輌はこちらの方が新しいように感じた。調べてみるとラバトは2010年開業、カサブランカは2012年開業だった。
 発車して行く。
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 走り去る方向を追う。
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 こちらはビルなどが建ち並ぶ市の中心方向のようだ。
 次の電車がやって来た。
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 また発車して行く。
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 同方向が2台続いたが、今度は手前の線路に逆方向がやって来た。
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 近づいて来て、
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 こちら側の電停に停まった。
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 ドアが開き、乗客の乗り降りが行われる。
 ドアが閉まり、発車して行った。
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 ここまででウオッチングは終わり。このあと土産物店で妻と買い物をした。

 次に、メディナの時計台を左に見ながら、
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 メディナの壁に沿って広い通りを歩いた。ガイドブックを見ると、この先にカサブランカの鉄道駅があるようなので、ぜひ見に行きたかったのである。妻も一緒だし、途中の写真などはない。
 かなり歩いた先に駅はあった。こちらに入口があるようだ。
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 中に入る。
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 こちらは横の入口だったようだ。
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 地下街があるようだったが行かなかった。ホームは右手らしいが、左の方を回って行く。発車時刻を知らせる電光掲示板がある。
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 ホームとの間には全面ガラスの扉があり、4つほどの入口があった。係員が立っているので、写真を撮ってもいいかと断って(ゼスチュアで)、扉の開いているところから撮ったのが次の2枚。
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 頭端式の櫛形ホームが何面かあり、2種類の列車が入っている。
 扉が閉まってしまうと、ガラス面への写り込みが厳しい。
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 別の入口からガラス越しに。
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 実は、現場ではよく判らなかったのだが、帰ってから調べてみると、このオレンジ色の列車は2階建ての車輌だったようで、上の写真はそれが判るものだったので、トリミングして拡大してみたものである(やはり写り込みは許し難いのだけれど)。
 しかし、列車に近寄れないのでは面白くない。
 こちらがキップ売場と自動販売機。
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 キオスクのような売店。
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 入ってみたが、日本のキオスクと非常によく似た品揃えだった。
 ホームと相対する正面入口と思われる方に出てみたが、そちらは何だか人が少なく、
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 最初に入った入口の方が市街地の方向なので、そちらが主に利用されているようだった。
 駅名表示。
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 カサブランカ市内には鉄道駅が2つあり、起点となっているこちらはカサ・ポール駅と言うらしい。
 広い道路の向かい側から撮ったカサ・ポール駅全景。
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 右の方が市街地、左の方に行くとすぐに港があるようだったが行かなかった。

 来た道を戻った。
 途中でメディナの中に入れるところがあったので、入ってみた。ただ、われわれだけで行動しているわけだし、深入りして道に迷っても困るので、見えている時計台を目標に、壁の内側に沿ったあたりを少し歩いただけで終わりにした。写真も3枚しかない。
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 時計台の脇から外に出ると、ちょうど日が沈もうとしているところだった。
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 夕日を受けるメディナの時計台。
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 メディナ入口の門。
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 ホテルに帰ったのは午後6時20分ごろだった。
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 とうとうモロッコ最後の晩になってしまった。
by krmtdir90 | 2018-04-01 22:49 | 海外の旅 | Comments(0)


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