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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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中国の小さな旅②陽澄湖・蘇州2(2018.11.20)

11月20日(火)続き

 上海蟹は、長江流域に広く生息している中国モクズガニという種類の蟹で、中でも陽澄湖(ようちょうこ)産のものは最も高級な上海蟹としてブランド化されているらしい。一年中食べられているが、旬は10月から11月とされていて、今回のツアーはこの産地と旬にこだわって、現地の養殖場直営のレストランで蒸し立ての上海蟹(雌雄一対)を食べようという、何とも贅沢な昼食プランが組み込まれたものだった。
 上海蟹は日本でも食べられる店はあるようだが、とんでもなく高価なものになるので、もちろんいままでに食べたことなどなかった。

 車窓に陽澄湖が見えてきた。
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 ここの上海蟹が美味で珍重されるのは、湖底の質の違いが大きいと言われているようだ。この蟹が生息する湖沼の多くが泥地の底であるのに対し、陽澄湖は砂や岩の底になっていて、それが蟹の成育に好影響を与えているということらしい。けっこう広い湖だが水深は浅く、平均2メートルにも達していないということだ。

 上の写真の撮影時刻は11時11分で、どうやらバスが順調に来過ぎてしまったようで、レストランに行く前にちょっと寄り道をすることになった。
 脇道に入ったところに、上海蟹を売る露店が並んでいた。
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 みんなで降りて行って冷やかした。
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 予想外に小さいものなのだなと思った。
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 値段を言っていたようだが、興味がなかったので聞いていなかった。

 時間調整をしたけれど、11時37分(撮影時刻)にはレストランに着いてしまった。
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 非常にローカルな雰囲気の店構えだが、上海蟹では定評のあるお店らしい。やはり2つの円卓にいろんな料理が出てきた後、最後に、蒸し上がったばかりの上海蟹が山盛りになって出てきた。
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 最初にガイドが食べ方を教えてくれて、あとは各自黙々と蟹と格闘した。
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 ↑これはオスである。ひっくり返して、腹の模様の違いで見分けるのだという。↓これがオス。
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 ↓これがメスである。
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 肝心の、食べた感想だが。
 ・・・・・・・・・・。
 そんなに大騒ぎするようなものではないな、と思った。味噌はなかなか濃厚で特徴的な味だと思ったが、甲羅そのものが小さいし、量があるわけではない。それ以外の、足などの身の部分はほとんど食べるところがなく、えっ、これで終わりなの?、という感じだった。
 ・・・・・・・・・・。
 上海蟹は味噌を食べるもの、ということらしい。まあ、何ごとも経験してみなければ判らない。この日の昼食に幾ら費用がかかったのかは知らないが、もう二度と上海蟹を食べることはないだろうな、と思った。

 なお、上海蟹は身体を冷やす作用があるので、お酒はビールではなく紹興酒を合わせた方がいいと言われた。その通りにしたが、蟹そのものが量がないのだから、あまり関係ないのではと思った。
 あと、手がけっこうベタベタしたので、食後に石鹸を使って入念に洗ったのだが、強烈なにおいはなかなか取れなかった。
 店の奥に水槽があって、上海蟹がたくさん泳いでいた。取り出されて縛られ、蒸されるのを待っている蟹たち。
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 レストランを出たのは午後1時30分ごろだった。

 バスで5分ぐらい走って、今度はちゃんとした上海蟹の市場に立ち寄った。
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 ↑これが建物の壁面にあった市場の名前なのだが、その前に魚の干物と一緒に衣類や洗濯物が干してあったりして、いったいどういうつもりなのかよく判らない。
 卸売りの店がたくさん並んでいた。
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 ↓こちらの店では、蟹を一匹ずつ鮮やかな手さばきで縛っているところを見ることができた。
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 生きたまま縛って、その状態で各地に発送しているらしい。この日は平日だったので空いていたが、休日には近隣からの買い出し客でけっこう賑わうらしい。

 午後2時前に陽澄湖を後にした。
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 この囲いの中で蟹の養殖をしているらしい。遠くに見える鉄橋は高速鉄道のものだという。

 このあと蘇州市内に戻り、留園の見学はホテルに帰ってから希望者対象で実施することになっていた。ところが、ツアーの17人全員が希望するということが判り、ホテルに寄らずに直接留園の駐車場に向かうことになった。

 留園(りゅうえん)は、世界遺産にも登録されている中国四大庭園の一つである。創建は明代だというが、清代になって当時の建築造園様式で整備されたものだという。例によって荒廃と再建を繰り返し、現在のものは中華人民共和国成立後の大規模な改修を経て、1954年に一般に開放されたらしい。

 留園の前の道、留園路と言うようだ。
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 この右手に留園の入口がある。
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 非常に簡素なものだと思う
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 これは入ってすぐのところ。
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 中はかなりの広さがあり、多様な建築物と変化に富んだ庭園とが組み合わさっている。建物の狭い廊下を進んでいくと、
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 園の中心をなす池の畔に出た。
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 池の中に小島があり、橋を伝って行けるようになっている。
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 島の方から周囲を眺める。
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 ↑この小楼の建つ小高いところは見晴台になっていて、あとでそちらからの写真も載せる。

 池の畔から元の建物の方に戻り、今度はいろいろな建物の中をたどった。
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 建物にはたいてい大小の庭や中庭が付随していた。
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 奇妙なかたちの石があちこちに使われているが、これは蘇州の西方にある太湖(たいこ)という湖の周辺で採れる石灰石(太湖石という)だという。太湖の水で長年浸食され、穴が空いたり複雑な形状になったりしたもので、中国では各地の庭園で珍重されているらしい。
 さらにいろいろな建物と部屋、そして付随の庭を見て回った。
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 ↑この池は最初の池とは異なる。
 このあと、さらにあちこちたどった後、
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 もう一度、最初の池の畔に出た。さっきの、向かいにあった見晴台の方からの眺め。
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 園内を一通り見て回ったが、全体としてはどうも焦点がはっきりしない感じで、名高い庭園だと言われればそうですかと言うしかないが、あまり印象に残るものではなかったように思う。まあ、そういうこともあるということで。
 再びバスに乗って、午後4時ごろにホテルに戻った。

 この日はまだ終わりではない。午後4時45分にロビーに集合、徒歩で10分ぐらいのところにある山塘街(さんとうがい)に向かう。
 途中の何ということもない街並みも、次第に夕暮れになっていく時間帯の感じが、なかなか雰囲気があっていいものだと思う。
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 見えてきた。山塘街への入口の門。
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 これを入って歩いて行くが、このあたりはまだ道幅も広く、車やバイクも入ってくる。
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 右手の方に比較的広い運河が通っているようだ(写真には撮っていない)。
 しばらく行くと、左手に細い運河が分岐していた。
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 この運河に沿って、歩行者だけの小路ができていた。
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 ここからが歴史街区・山塘街の古い街並みになるようだ。

 山塘街は、唐代の詩人・白居易が蘇州の長官であった頃、周囲の運河とともに整備させたのが始まりだったようだが、その後様々な変遷を経て修復され、2014年に世界遺産に登録されたということのようだ。
 少し行った右手に、この日の夕食をとる食堂があった。
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 この写真は食後に、フリータイムになってから撮ったものだが、われわれは「団体」だから、2階の部屋に通された(左上のところ)。その窓から見下ろした山塘街の様子。
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 なお、この食堂は地元の人にも人気のお店で、麺類が売りになっているらしかった。小籠包などの点心のあと「麺」をいただいたが、わたしはあまり美味しいとは思わなかった。
 食事を終えて外に出て、上の写真と同じ方向を撮る。
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 空もすっかり暗くなっている。

 このあと、1時間弱のフリータイムが取られた。お店を覗いたりしながらあちこち歩いたが、写真はあまり撮っていない。
 運河に架かる橋の上から。
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 橋の先に続く小路。
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 この橋。
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 絶好の写真スポットになっているのか、橋の上や周辺はごった返していた。
 昼間はどうなのか判らないが、夜の街路はけっこう賑わっていて、運河と古い街並みの風情といったものはあまり感じられなくなってしまう気がした。
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 見上げると、空には月が出ていた。
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 歩行者だけの山塘街入口にあった御碑亭という建物。
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 この前が集合場所になっていた。
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 再び徒歩で帰った。その帰り道。
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 ホテルに戻ったのは午後7時半ぐらいだった。
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by krmtdir90 | 2018-11-30 23:59 | 海外の旅 | Comments(0)

中国の小さな旅①往路・蘇州1(2018.11.19~20)

 実は、11月に予定していた別の海外旅行ツアーが希望者が集まらず中止になってしまい、ぽっかり穴が空いてつまらないことになったと思っていたところ、3泊4日で手軽に行けそうなツアーが目についたので申し込んでしまった。「陽澄湖(ようちょうこ)で楽しむ旬の上海蟹と蘇州・上海の旅4日間」というもので、見学は実質2日だけの小さな旅だった。

11月19日(月)

 今回は羽田空港発着なので、浜松町からモノレールで行った。集合は11時30分、羽田は成田のように広くないので、あまり歩かないで済んだので良かった。
 上海航空FM816便・上海行き。
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 窓際の座席だったので、往路は写真がある。
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 13時30分、羽田空港を離陸。
 東京湾上空で大きく旋回した時、東京湾アクアラインのPA「海ほたる」が見えた。
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 往路の所要時間は3時間30分、おおむね曇りだったが、途中30分ほど雲が切れる時間帯もあった。
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 中国大陸が近付くとまた雲に覆われてしまった。
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 空港が近付き、高度を下げて雲の下に出た。
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 全体がスモッグで霞んでいるように見える。
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 機内でマイナス1時間の時差修正を行い、16時00分、上海虹橋(ホンチャオ)国際空港に着陸した。
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 天候は曇り、気温などは日本と変わらないようだ。
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 入国手続きの後、空港を出て、バスで蘇州に向かった。17時を過ぎていて、あたりは暗くなり始めていた。
 この後はずっと写真がない。蘇州のホテルに着いたのは19時過ぎだったか。そのままホテル内のレストランに行って夕食となった。今回の参加者は17人なので、円卓は2つになった。食後、時間を取って簡単な自己紹介などを行い、解散して部屋に入ったのは20時40分ごろだったと思う。
 部屋の窓から、蘇州の夜景。
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11月20日(火)

 今回の旅がこれまでと大きく違っているのは、わたしが煙草を吸っていないことである。これまで、海外であろうと国内であろうと、わたしの旅はいつも煙草と一緒だった。いろいろな場面で、煙草を吸うことが一つのきっかけを作り、重要なアクセントになっていたと思う。みずから決めたこととはいえ、それをなくしてしまったのは大きな損失だったと思っている。
 これまでだと、朝食の後は妻より先に席を立って、ホテルの外で一服するのが普通の流れだった。だが、もうそういう寄り道は必要なくなってしまった。でも、レストランからそのまま部屋に戻るのではつまらない気がした。で、妻を誘って玄関の外へ回ってみた。
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 外に出て、朝の空気を肌で感じるのは重要なことである。ここに来ないで真っ直ぐ部屋に戻ってしまったら、その日の気温や湿度を実感することは難しいだろう。これまでは、朝の最初の一本を吸いながら、そうしたことを確認するところから一日が始まっていたのだと思う。その区切りというか習慣というか、それがなくなってしまったのを自分の中に受け入れるしかないのだなと思った。

 蘇州で連泊したホテルはホリデイイン・ジャスミン蘇州(蘇州茉莉花假日酒店)といった。
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 1階の右半分がフロントロビーになっていて、左半分にスターバックスコーヒーが入っていた。行かなかったけれど、これがロビーからの入口で、これでスターバックスコーヒーと書いてあるのだ。
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 部屋の窓からの眺め。
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 これは昨夜の夜景と同じ方角だが、手前にある瓦屋根の古民家群は、すでに取り壊しが始まっているところもあって、早晩すべてが撤去される運命にあるようだ。すぐ向こうは撤去が完了した空き地で、このあと駐車場になるのかビルが建つのか、いずれにせよ再開発の途上にあるということなのだろう。中国では、至るところでそういう工事が行われているのだった。

 8時30分、ロビーに集合。
 この日はまず、バスで蘇州市内の平江路というところに向かう。
 蘇州には北京と杭州を結ぶ京杭大運河(世界遺産)が通っていて、その支流をなす大小無数の運河が市内を走っている。こうした流れに沿って古い街並みが保存されているところがあり、平江路というのはそういう「歴史街区」の一つであるらしい。
 バスを降りた通り。
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 この道路の下を運河が左右に横切っていて、見えている横断歩道は、その運河沿いの遊歩道である平江路をつないでいるのである。
 平江路入口の案内看板。
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 ガイドの先導で左の方の平江路に入って行く。
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 すぐのところに運河遊覧の小舟の乗り場がある。
 午前9時を少し回ったところで、観光客の姿もまだほとんど見えない。
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 店などもやっと開き始めたところのようだ。
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 脇道などもある。
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 この左の入口の奥には「猫カフェ」があるらしい(行ってはみなかったが)。
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 路の右側には運河があって、
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 人々の生活が普通に営まれている。
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 先の方に小さな橋が架かっている。
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 9時半を過ぎて、観光客も徐々に増えてきている。
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 橋の上から。
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 橋を渡った対岸の方は特に古い街並みを意識してはいないようで、こんな感じのアパートなども建っていた。
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 この脇の方に公衆トイレがあって、ここで少し時間を取った。
 対岸の方から橋を見る。
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 ここで奥に向かって運河がT字に分岐している。平江路の方に戻って、そちらを見る。
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 この道沿いにも古い街並みがあるようだが、そちらへは行かなかった。
 再び来た道を戻る。いろいろな店が開いている。
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 スタート地点に戻って来た。
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 このあと、最初にバスを降りた大きな通りを渡り、向かい側にさらに続く平江路の方に行った。そちらで30分ほどのフリータイムが取られた。
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 ずいぶん先の方まで来たようだ。
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 平江路の起点(終点)に来たということだろうか。
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 戻りながら。
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 集合場所近くのお店。
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 右寄りの台にいろんなお饅頭が並んでいた。
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 真ん中の若草色のお饅頭を買って食べた。特にどうというものでもなかった。

 午前10時半過ぎに散策を終え、迎えに来たバスに乗って平江路を後にした。このあと、上海蟹の本場・陽澄湖に向かう。(続く)
by krmtdir90 | 2018-11-29 22:10 | 海外の旅 | Comments(0)

高校演劇2018・埼玉県大会(2018.11.17~18)

 いろいろ事情がありまして、掲載がこんなに遅れてしまったことをまずお詫びします。まあ、たいしたことが書けるわけじゃないので、今年は簡単な感想で終わりにしておくことにします。

 今年も2日間、10校の舞台を見させていただいた。
 全県89校から選ばれた10校ということだったが、中には「ちょっと、これで県大に来ちゃうの?」と言いたくなるような舞台もあって、最近はわたしの感性がついて行けなくなってしまったところもあるような気がした。
 また、今年は埼玉が1校増枠の年に当たっていて、この中から3校も関東に行けてしまうのだと聞いて羨ましく感じた。まあ、門戸が広がるのは悪いことではないが、昔を思うとずいぶん緩いことになっているのだなと思った。

 最優秀の浦和南「緑の教室」にはあまり共感していない。こういう(高校演劇らしい?)のが時々ポンと認められることがあるから要注意だなと思っていたら、その通りになってしまった。生徒創作としてはそれなりに書けていると思ったが、全体に話が都合良く進みすぎるところがあって好きになれなかった。教室に行けない生徒たちを取り上げるのはいいが、一人一人が抱え込んでいるものの多くが、ほぼ言葉で説明できてしまうのが物足りないところだと思った。
 教室に行けない生徒と言えば、坂戸がやった「うさみくんのお姉ちゃん」は気に入らなかった(「台本として」ということで、坂戸はいつものようによくやっていると思ったのだが)。数年前の全国で最優秀になった本らしいが、当該の生徒をこんなふうに戯画化してしまっていいのかと感じた。笑いを取るためなら何をしてもいいという感じがして、何だかなりふり構わず書かれたように思えていい気分はしなかった。
 それに比べると「緑の教室」は節度があって良かったが、それでも最後のあたり、やや感動させようという意図が先行して書き過ぎたところがあったかもしれない。もう少しサラッと終わった方が、後に残るものは大きかったのではないかと思った。

 優秀校の2校は妥当な選出だと思われた。
 新座柳瀬の「Ernest!?」は、地区の時のあざとい作りなどがしっかり改善され、新座柳瀬本来の、やり過ぎることのない品のいい舞台になっていたので良かった。やはり柳瀬はこうでなくちゃいけない。笑いを取る気持ちが先行したら見苦しいのであって、ラブコメディの「ラブ」の部分を衒いなく丁寧に描いてみせることで、観客を幸せな気分に連れて行ってくれるのが本筋なのだと思う。
 この視点で考えると、「Ernest!?」は「Love&Chance!」と比べて(敢えて言うと)、3幕物の原作を60分(しかも一場)に圧縮するところでかなり無理が生じていて、人物の出入りのきっかけ作りに若干苦しいところがあったり、アルジャノンとセシリーという(第2の)カップルにやや説得力が作れていないのが弱点になっている気がした。とは言え、走り出したら止まることなく走り切って見せる手口はますます磨きがかかっていて、装置(街灯)・照明を最後に生かしたエンディングもお洒落に決まっていたと思う。
 所沢の「プラヌラ」は、正直に言うと途中で少し寝てしまったので申し訳ないのだが、いままでまったく(と言っていいほど)寝落ちの経験がないわたしとしては、開き直って、所沢の舞台が「つかみ」のところでわたしを掴んでくれなかったのが悪いと言ってみたい気もしている。最初から単サスとエリア明かりの連続で、舞台上に少ない情報しか与えてもらえなかったこと、さらに、ある意味モノローグ風の単調なセリフ回しが続くことも相俟って、劇世界にうまく入り込むことができなかったような気がした。
 もちろん、そういうことすべてが意図的に作られた舞台だったのは判ったし、それが最後まで貫かれていたことは理解できた。寝てしまったことは(何はともあれ)反省しなければならないし、もう一度見られるチャンスができた以上(所沢は必ずしも縁のない学校ではないのだから)、栃木まで再見に出掛けなければならないかなと思っている。

 秩父農工科学が3校に入らなかったのは意外な気がしたが、今年の「ゼロデプス」は台本として何がしたいのかがはっきりしなかったように感じた。主人公の出生のこととか進路のこととかが少しも深まらず、観客に訴えてくるものが何もないという印象だった。ビジュアルなどは相変わらず素晴らしかったが、肝心のドラマをちゃんと作ってくれなくては仕方がないと思った。
 草加南の「はなまぼろし」は、ずいぶん古い本を持って来てよくやっていたと思うが、こういう舞台を作るなら必須の細部へのこだわりはまだ不足という気がした。赤子が一瞬で花びらになってしまうところはゾクッとしたが、エンディングの花吹雪はもっととことんやってくれないと満足できなかった。

 最後に大会運営について一言。
 終了後の段取りが今年から変わり、いきなり結果発表と表彰があったあと、場所を地下2階の大練習室に移して、改めて講評会を行うというかたちになっていた。
 結果が判っていたからなのか、講評順序も入賞校を優先するかたちとなり、時間配分も入賞校にかなり手厚いものに変わっていた。確かに入賞校に対しては丁寧な講評が行われたと言っていいが、それ以外の学校は後回しにされ駆け足となって、相対的に扱いの軽さが目立つことになってしまった(時間配分も減ってしまったかもしれない)。講評の公平性が失われたわけだが、果たしてそれでよかったのかどうか。生徒の意識としても、結果が判らなければすべての学校の講評に聞き耳を立てるが、結果が出ていてはそのあたりが果たしてどうなっていたか。
 また、出演校以外の生徒にとっては、従来は引き続きホールで行われる講評までは聞いて帰ろうという気分もあったようだが、1時間以上も待たされる上に場所の移動があっては(しかも、講評内容が入賞校中心になり、終了時間も遅くなることが判れば)、今後、講評会への参加はかなり敷居の高いものになりはしないかと危惧を感じた。今回の変更はそれなりの意図があってのことだと思うが、今後に向けて功罪をしっかり検討する必要があるように思った。

 あと、付け加えておくと、3人の審査員の中では、甲府南高校顧問の中村勉氏の講評が、端的な言葉の中に首肯すべき内容がいろいろあって印象に残った。どの学校に対しても率直に断じようとしているのが判り、無理に褒めようとしていないところも好感が持てた。
by krmtdir90 | 2018-11-28 14:35 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」

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 見てからずいぶん日にちが経ってしまったし、書こうかどうしようか迷ったが、非常に興味深く見たのだから、一応記録に残す意味でも書いておくことにする。
 音楽にはほとんど縁のない生活を送ってきたから、クイーンというバンド名を聞いても浮かんでくるものは残念ながら何もなかった。それでも見に行ったのは、映画として何となく面白そうな気配を感じたからである。この予感は的中した。わたしのようなクイーンのことを何も知らない者でも、この映画は何の支障もなく楽しめるものになっていた。

 映画はクイーンのヴォーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を軸に展開している。ファンであれば誰でも知っていることなのかもしれないが、彼の複雑な生い立ちや容姿(出っ歯)に対するコンプレックス、メンバーとの出会いやクイーン結成に至る経緯など、まだ何者にもなり得ていない時期を描いた部分がまず興味深かった。彼は17歳の時、熱心なゾロアスター教徒だったインド人の両親とともにイギリスに移住したようだが、家族との折り合いは悪く、バンドをやりたいというひそかな野心を抱きながら、夜ごとロンドンのパブなどを徘徊していたらしい。そうした描写から、映画は彼の音楽に対する一途な情熱を丁寧に描き出していく。
 クイーンのメンバーが4人揃って活動を開始したのは1971年だったというが、映画はその後の、様々な曲の製作過程やレコーディングの様子、またそれらがヒットして世界中に出て行くようになったツアーのライブシーンなどを克明に映し出している。この映画はドキュメンタリーではないから、メンバー4人を始め実際の人物や出来事をすべていまの役者たちで再現することになるのだが、これが実に見事な出来栄えで驚かされた。

 実際のクイーンの映像がたくさん残っているわけだから、中途半端な再現ではとうてい観客を納得させることはできないだろう。フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックを始め、他のメンバーも合わせて、どこまで本物のクイーンになり切れるかというところが生命線となった映画だったのである。演奏の音源はすべて本物の録音を発掘して使用したようだが、映像の方はそうはいかない。実際の映像で本物のフレディを知っている観客もたくさんいる以上、そのステージ上での動きなどは、細かな表情や小さな仕草の一つ一つに至るまで、恐らく驚くべき緻密さで模倣されたのだろうと想像された。
 そういう意味で圧巻だったのは、映画のクライマックスとなった「ライブエイド」での21分間だろう。これは1985年に行われたアフリカ難民救済のチャリティーコンサートで、世界中のアーティストが集結して演奏を行ったものらしい。映画はそのライブシーンを忠実に再現して見せているのだが、7万人を超えた観客はCG合成だったとしても、ライブそのものは生身の役者の肉体によって完璧にコピーするしかなかったはずである。これが映像的に何の違和感もなく、その高揚感や興奮をほぼ完全に再現していたのが驚きだったのである。これは簡単なことではないし、これだけでこの映画を見る価値があるというものだと思った。

 フレディ・マーキュリーはその高度な歌唱力と圧倒的なステージパフォーマンスで、世界中の観客を巻き込み魅了し続けてきたらしい。映画のラミ・マレックはその魅力を十二分に表現していたと思う。実際のフレディ・マーキュリーはきっとこういう感じだったのだろうなと、有無を言わせぬ迫力で納得させてしまう存在感を放っていたと思う。後半、メンバー同士の齟齬やフレディの孤立を描くところも的確に演出されていて(監督:ブライアン・シンガー)、表の華やかさとは裏腹の陰の部分もしっかりと描き出されていたと思う。
 フレディがバイセクシュアルだったことも描かれていたが、現代のようにLGBTがオープンになっていない時代にあっては、彼の孤独や屈折はより深いものがあったと推測される。逆に、いまはそういうことを率直に語れるようになったので、それに呼応してこの映画が(フレディのドラマとして)作られたことも理解できる気がした。彼はエイズ感染によって1991年に45歳の若さで亡くなったというが、この映画は単なるサクセスストーリーではなく、フレディ・マーキュリーという天才アーティストの紆余曲折をしっかりたどって見せた伝記映画として、見事な成功を収めていたのは大したものだと思った。けっこうジーンと来たんだよね。
(立川シネマシティ2、11月15日)
by krmtdir90 | 2018-11-24 20:38 | 本と映画 | Comments(0)

映画「あん」

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 樹木希林が9月に亡くなって、あちこちの映画館で追悼上映が行われたようだが、それもそろそろ一段落というところで、せっかくだから一本ぐらい見ておくかなと思って選んだのがこの映画。予備知識はまったくなし、久し振りのユジク阿佐ヶ谷なので行ってみる気になった、というところ。ところが、行ってみて驚いた。土曜日だったこともあってか、44の座席はほぼ満席で、さすがは樹木希林、ファンがたくさんいたのだなと再認識した。
 わたしは長いこと映画から離れていたから、特定の役者や監督に注目しても、大概はその人を知らない期間というのがあって、あまり深入りすることができないのを残念に思っていた。樹木希林が癌にかかっていることを明かしたのは2013年だったようだが、わたしが知っている(役者としての)樹木希林は、この死を意識してから出演した幾本かの映画だけなのである。「海街diary」「海よりもまだ深く」「万引き家族」といった是枝裕和作品では、脇役の位置ながら素晴らしい存在感を示していたのに驚いたのだが、先日見た「日日是好日」ではほぼ主役に準じるところで見事な演技を見せてくれていた。
 この「あん」は「海街diary」と同じ2015年に公開された映画だったが、樹木希林の名前がクレジットの最初に出てくる、彼女としては非常に珍しい主演映画ということだったのだ。冒頭に掲げたポスターは今回の追悼上映に向けて特別に作られたものらしいが、「最後の主演作」とあるのはそういう意味だったようだ。

 それにしても、何の予備知識もなく見に行ったから、これがハンセン病のことを扱った映画だというのも見始めてから初めて知った。はっきりとしたテーマと主張を持った映画だと思ったが、かなり踏み込んでハンセン病の悲劇を描いていながら、それを前面に出すのではなく、こんなふうな前向きで温かい人間ドラマとして構築して見せたところが素晴らしいと思った。
 この映画の樹木希林は、とにかく圧倒的な存在感を放っていたと思う。それは樹木希林には違いないのだが、彼女の役である吉井徳江として文字通りそこに存在していたということである。役を演じたというより、その役として生きて見せてくれたという気がした。どんな役をやってもその役者自身にしか見えない役者も多い中で、樹木希林のように自身を限りなく後退させて、役そのものを表現してくれる役者というのは希有なものだなと思った。
 河瀨直美監督(脚本・編集も)の映画を見るのは初めてだったが、徳江と絡む千太郎(永瀬正敏)やワカナ(内田伽羅)といったところも、演じるというより存在するという感じで出てきていたので、たぶんこの監督がそういうふうに撮ろうとしていて、樹木希林やその他の役者たちが、それに見事に応えたということなのだろうと想像した。監督と樹木希林に触発されたのかもしれないが、永瀬正敏が非常に説得力のある演技を見せていたと思う。

 小さなどら焼き屋「どら春」で雇われ店長をしているのが永瀬正敏の千太郎で、アルバイト募集の張り紙を見て働きたいとやって来た老女が樹木希林の徳江である。徳江の作る「あん(粒餡)」の美味しさが評判になり店は繁盛するが、徳江が過去にハンセン病患者であったことが噂になって客足が途絶え、千太郎は店のオーナーに言われて徳江を辞めさせるしかなくなってしまう。
 あらすじだけでは映画の良さは見えてこないが、千太郎が毎日どら焼きを焼きながら、そのことに気持ちが入っているわけではないことが次第に見えてくる。どうやら訳ありの過去を持ち、オーナーに肩代わりしてもらった借金を返すため、甘党でもないのにどら焼きを焼いているのが判ってくる。徳江がやって来た時、千太郎は時給はいくらでもいいと妙に熱心に言ってくる彼女の意図が読めないまま、婉曲な言い回しで断ろうとするのだが、彼女は別の日に自作の「あん」をタッパーに入れて持って来たりする。こうしたシーンの積み重ねの中でやり取りされるセリフや動作など、その何ということもないショットの連続から、彼らの抱えている様々なものがどんどん明らかになってくる。
 これを河瀨直美監督の演出力と言っていいと思うのだが、この映画の、さり気ないものが人物のいろいろなことに結びついていって、彼らの生の様々な側面を次々に浮かび上がらせていくという、この脚本・編集を合わせた監督の描き方というのは実に見事なものだと思った。徳江がハンセン病だという話を千太郎のところに持ってきて、暗に辞めさせるように迫るオーナーは(かつてのアイドル)浅田美代子だったが、出番は少ないもののハンセン病に対する「世間」の現実を、悪意ではなく否応なくそこにあるものとして表現していたと思う。

 わたしはハンセン病についてある程度のことは知っていたが、この映画を見たあと改めて調べて以下を書いておくことにする。
 1931(昭和6)年に制定された「らい(癩)予防法」によって、わが国ではハンセン病患者の人権を無視した強制隔離政策が実行された。映画にも出てきた多磨全生園(たまぜんしょうえん)を始め各地に作られた国立療養所は、医療ではなく断種や堕胎などを強制する終身収容施設として機能してきた。実は、ハンセン病は感染力のきわめて弱い病気であることが早くから判っていて、戦後になって治療法も確立したことから、1958(昭和33)年には国際らい学会というところがわが国の行き過ぎた隔離政策を是正するように勧告しているのである。しかし、信じ難いことだが、「らい予防法」が廃止されたのはそれから40年近くが経った1996(平成8)年になってからで、この間ハンセン病患者の人権は放置されたまま回復されることはなかったのだ。
 わたしはこの間の経過を詳しくは知らなかったし、実際に長期間隔離されてきた人たちがいまどうしているのかといったことは、まったく知ろうともしてこなかったのである。この映画は、主人公の徳江が、すでに完治していたにもかかわらず閉じ込められてきたことを後半明らかにしつつ、彼女の一連の言動に見え隠れする不思議な感性が、ようやく外の世界に出ることができた喜びから来たものだったという、何とも切ない事実を浮き彫りにしてみせるのである。

 見終わって、なんかいろいろなことを考えてしまったが、うまくまとめることができないまま日にちが経ってしまった。まあ、そういうこともある。
 非常にいい映画だったと思って調べてみたら、この年のキネマ旬報ベストテンでは10位以内に入っていなかった。そういうこともあるのかもしれないが、これはちょっと、いくら何でも納得することはできないと思った。
(ユジク阿佐ヶ谷、11月10日)
by krmtdir90 | 2018-11-16 22:12 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ヴァンサンへの手紙」

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 ヴァンサンというのはレティシア・カートン監督の親友だった聾(ろう)者で、10年ほど前にみずから命を絶ってしまった人物らしい。理由は触れられていないが、生前の彼はろう者の生きにくさについて監督に語っていたようで、ろう者のことをもっと知ってもらうため、一緒にドキュメンタリー映画を作ろうと約束していたのだという。約束は果たされぬまま彼は死んでしまい、その後、レティシア監督は一人で少しずつろう者の世界を撮影し始めたらしい。
 レティシア監督はろう者ではないが、ろう者のヴァンサンがなぜ死ななければならなかったのかをずっと考えてきたのだろう。この映画で彼女は、10年間みずからの内に積み重ねてきたヴァンサンへの思いを語ろうとしている。映画の邦題は「ヴァンサンへの手紙」となっているが、フランス語の原題をそのまま邦訳すると「ろう者の視点であなたに寄り添う」というものだったようだ。「聾者」の対語を「聴者」と言うらしいが、聴者であることを当然と考えてしまうと、ろう者は障碍者であり障碍は治療すべき対象ということになってしまう。それでは両者がつながることはできないだろう。
 レティシア監督は、聴者が聴者の価値観でろう者を判断してしまうのは誤りだと気付いている。彼女はこの映画で、ろう者が何を感じ何を考えているのかをろう者の立場に立って見出そうとしている。彼女は聴者だから、彼女が聴者の価値観を持ってしまうのは仕方がないことである。だからこそ、ろう者の視点とはどんなものなのかを突き詰めなければならない。耳が聞こえないことを欠陥と考えるのではなく、様々な個性の中の一つと考えるべきなのではないか。

 わたしはこれまで、身近にろう者がいるという経験はしてこなかった。だから、ろう者についてこの映画で初めて知ることがたくさんあった。申し訳ない気がするが、これは仕方がないことである。以下、それを少し書いておこうと思う。

 ろう者のことを「聾唖(ろうあ)者」と言うことがあるが、ろう者は耳が聞こえないことで音声言語が習得できず、そのままでは言葉を話すことができない(口がきけない)「唖(あ)者」となってしまう。「ろう教育」はこれに対応していくことになるが、ろう者の言語をどのようなものと考えるかという点で2つの異なる立場があったらしい。わたしのような門外漢はすぐに「手話」を連想してしまうのだが、ろう教育では手話に頼ることは子どもの成長を遅らせるとして、1880年にイタリア・ミラノで開かれた国際ろう教育者会議というところで、手話を禁止する決定がなされたのだという。
 この時、手話に代わって提唱されたのが「口話」というもので、ろう者に対する授業はすべて音声で行い、ろう者には読唇術の習得と発音(発声)練習を必須のものとして、彼らを話せるようにする教育がずっと行われることになったらしい。補聴器や人工内耳といった新しい技術も取り入れられ、話せることは素晴らしいことで、話せないのはダメなんだという一方的な価値観でろう者を追い込んでいったようだ。この考え方は、2010年にカナダのバンクーバーで行われた国際ろう教育者会議で、ミラノの決定を棄却することが決まるまでの130年もの間、世界のろう教育のあり方を縛り続けてきたということだったようだ。
 だが、「口話」は結局のところ、聴者をろう者より上位に置き、その言語をろう者に押しつけるものでしかなかったのだ。これがろう者にどんなに大きな負担と苦しみを強いてきたかということに、聴者は気付くことがなかったのである。ろう者は子どもの時から口話教育を受けさせられることで、自己形成のすべての過程で、「聾(ろう)」であることを否定され続けてきたのだった。

 これに対し、「手話」は話せないことを前提とする言語である。手話はろう者に対して、話せないままでいいんだと肯定することから始まっているのである。だから、ろう者は誰でも自然にそれを受け入れることができた。だから、会議や学校で禁止されても、今日まで廃れることなく続いてきたということだったのだ。ろう者は手話を必要としていたのである。
 この映画は、手話をろう者固有の言語と捉え、その素晴らしさと可能性についていろいろな角度から描こうと考えている。死んだヴァンサンと交流があったろう者の家族や、聴者のレティシア監督とつながりができたろう者の仲間たちの日常というような、手話を通した様々な生き方や考え方が紹介されている。禁止が解かれてまだ10年にもならないので、手話の普及はまだ緒に就いたばかりなのだが、その中には私の知らなかった非常に興味深い取り組みも含まれていた。
 フランスのトゥールーズにある、ろうの子どもたちのためのバイリンガル校。ここは手話を第一言語、読み書きを第二言語と設定していて、授業は基本的に手話によって行われている。その様子は初めて見ることばかりで、子どもたちの生き生きとした生活が、口話ではなく手話によって実現されていることがよく判るものだった。また、フランスで唯一のろう者のための劇場、国際視覚劇場(IVT)。ろうの俳優による手話劇や手話詩といった試み、聴者の歌手とろう者との交流など、様々なろう者の文化が形成されていることが記録されている。
 最初の方にあった、ろう者の手話講師による手話教室の様子も興味深かった。音声言語を追い出して、アイコンタクトを基本とした視覚情報に集中することで、固有のコミュニケーションが成立するというのはなるほどと思った。さらに、ろうコミュニティの権利擁護を目指して、パリからミラノまでデモ行進を行う数人のろう活動家のことも紹介されていた。

 この映画の中には様々な手話が捉えられていた。手話通訳がついたり、字幕がついたりしたものもあったが、そういうものが一切ないかたちで、手話する人物と受け取る人物とが、ただそれだけで映し出されるものもあった。手話で絵本の読み聞かせをしているシーンが2回あったと思う。1回は子どもを寝かせつけようとする父親の読み聞かせ、もう1回はバイリンガル校での先生の読み聞かせだった。その目まぐるしく変わる表情や身振りなど、ああこれが手話というものなのかと、その面白さを初めて知ることができたような気がした。
 聴者であるレティシア監督は、常にろう者のヴァンサンならどう考えるだろうと想像しながら、あらゆる場面を撮っていたのではないかと思った。聴者とろう者は違う世界に生きているのであって、その違いを意識した上で、なおお互いを理解し合うことは非常に難しいことである。だが、レティシア監督はそれをやり切ったと言っていいのではないか。この映画を見ることで、われわれ聴者はろう者の世界を少しだけ知ることになるだろうと思った。知らなかったろう者の世界が少しだけ身近なものになり、少しだけろう者の視点に立てるようになるのかもしれない。映画がそういう役割を果たすことは、きっと素晴らしいことであるに違いない。
(アップリンク渋谷、11月9日)
by krmtdir90 | 2018-11-13 22:17 | 本と映画 | Comments(0)

映画「バグダッド・スキャンダル」

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 湾岸戦争(1991年)とかイラク戦争(2003年)とか、中東をめぐる情勢は複雑で理解し難いことが多いが、これはサダム・フセイン支配下のイラクで、人道支援目的で国連が実施した「石油食料交換計画(Oil For Food Program)」をめぐって起こった、史上最悪と言われた汚職事件を描いた映画である。元国連職員、デンマーク出身のマイケル・スーサンの告発で明るみに出たらしいが、事件がすべて解明されてしまうとその影響があまりに広範に及ぶため(国連職員の他に世界56ヶ国の政府高官や2000以上の企業が絡むと言われた)、各方面から全容解明を阻む動きが加わったようで、真相は結局うやむやのまま現在に至っているということらしい。
 「石油食料交換計画(OFFP)」とは何か。湾岸戦争の際、サダム・フセインのイラクには国連による経済制裁が科せられたが、その内容はイラクの輸出入をすべて禁止するという厳しいものだった。このため、イラク国内は深刻な食糧不足や医療品不足に陥り、貧困層の子どもなどを中心に多くの死者を出すことになってしまった。この事態を人道的に救済するため、国連の管理下で一定量の石油の輸出を認め、その代金を国連がプールして、食料や医療品など必要な人道支援に直接充てられるようにしたプログラムである。しかし、膨大な予算がつぎ込まれる事業だったため、様々な利権や思惑などがからみ合い、底なし沼の汚職スキャンダルに発展していったようだ。

 映画は、告発者マイケル・スーサンをモデルとした24歳の青年、マイケル・サリバン(テオ・ジェームズ)が国連職員として採用され、国連事務次長コスタ・パサリス、通称パシャ(ベン・キングスレー)の下でイラクのバグダッドに赴任し、この「石油食料交換計画・OFFP」に携わっていくうちに、背後のスキャンダルをめぐる争いに巻き込まれていくというものである。
 硬派のポリティカル・サスペンスといった感じの映画だが、こういう難しい題材を文句なしの娯楽作品に仕上げてしまうところが素晴らしいと思った。こういうリアルな背景を持って展開するストーリーというのは、見ていて理屈抜きに面白いし大好きである。デンマーク・カナダ・アメリカ合作の映画だったが、監督・脚本はデンマーク出身のペール・フライという人で、非常に切れ味鋭い演出をする監督だなと思った。

 バグダッドにある国連の現地事務所の所長はクリスティーナ・デュプレ(ジャクリーン・ビセット)という女性で、彼女は「石油食料交換計画・OFFP」が破綻しているという報告書をニューヨークの国連本部に送ろうとしている。マイケルの上司である事務次長パシャは、このプログラムがすでにスキャンダルにまみれていることを承知しているが、それでもないよりは民衆の助けになっているとして、デュプレ所長の報告書を阻止しようと画策している。マイケルの周囲には、この2人の他にもプログラムをめぐる様々な利害関係が錯綜していて、この状況下でマイケルはどう動くのかというのが映画の当面の興味になっている。
 映画ではさらに、通訳のナシーム・フセイニ(ベルシム・ビルギン)という女性をマイケルに絡ませ、2人の間に恋愛模様まで生まれてくるという展開を用意している。このナシームはイラク北部出身のクルド人という設定になっていて、サダム・フセインによって迫害されてきたイラクのクルド人という問題が、さらにもう一つの重要な要素として関係してくることになるのである。

 バグダッドの事務所でマイケルの前任者だった国連職員は、「OFFP」に関するスキャンダルの核心情報を入手したため殺されたことが、ナシームの口から語られる。彼女はこの情報が入ったUSBメモリーを入手していて、今度はこれをマイケルに託すのである。映画としては、このあといろいろなことが目まぐるしく展開し、暗号化されたこの情報は映画の終盤になって解読され、マイケルの手でニューヨークのウォール・ストリート・ジャーナル社に持ち込まれることになる。だが、そこまでにデュプレ所長やナシームも殺害されてしまうのである。
 事務次長パシャはスキャンダルに絡んでいたが、逃亡してしばらく隠遁生活を送ったことが描かれている。多くの国連幹部、政治家や高官、さらに関連企業の幹部などの名前が挙がったが、中で大きな衝撃を与えたのは、経済制裁の対象であったサダム・フセインが、この「OFFP」の取引で100億ドルもの裏資金を得ていたことだった。フセインを追い込むための計画が、逆に彼を富ませる結果となっていたのである。ただ、2003年のイラク戦争勃発とフセイン拘束の後、同年末までにこの「OFFP」は終了することになったようだ。 

 国連主導の人道支援などと言うと、それだけで何となく信じてしまうようなところがあるのではないか。だが、巨額の予算が動くところでは、国連と言えども聖域というわけではないのだ。支援物資の医薬品が横流しされ、病院に届くのはすり替えられた期限切れの薬ばかりだと暴露されるシーンがあったが、救われるべき命が救われないケースも、案外たくさんあったということなのかもしれない。
 国連の平和維持活動などというのも果たしてどうなのかと、疑わなければならない気分になってしまうのは残念なことである。非常に面白い娯楽映画でありながら、重いテーマを考えさせられるものになっているのが凄いと思った。
(新宿シネマカリテ、11月6日)
by krmtdir90 | 2018-11-08 13:35 | 本と映画 | Comments(0)

映画「日日是好日」

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 「にちにちこれこうじつ」と読む。森下典子の同名の自伝エッセイを映画化したもので、映画の方もあまりドラマチックにはならず、エッセイ風の淡々とした作りになっているのが特徴的だった。原作は、著者が20数年にわたって通った茶道教室でのあれこれを綴ったものらしく、映画も主人公のお茶の稽古を追いながら進んで行く。見る前はそんなもののどこが面白いのかと思っていたが、これが予想外で、けっこう印象的で興味深いことが次々に出てきて、最後までまったく飽きることなく楽しく見ることができた。
 監督・脚本の大森立嗣を始め、主要なスタッフ・キャストが誰も茶道を知らなかったというところが良かったのではないか。原作者の森下典子も最初は何も判らず習い始めたわけで、この、みんながゼロからスタートした(その視点をずっと失わなかった)ことが作品を面白くしていたのではないかと思う。原作は読んでいないから何とも言えないが、少なくとも映画では、未知なる茶道への好奇心といったものがずっと持続されていたのが良かったのだと思った。主人公・典子を黒木華、茶道の武田先生を樹木希林が演じていたのも良かった。

 典子がお茶を習い始めたのは20歳の時で、それも自分から積極的に通い始めたわけではなかった。母に勧められても乗り気になれない彼女は、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子)に一緒にやろうと誘われて、何となく付いて行っただけだったのだ。始まりというのは案外そんなものなのかもしれない。きっかけを作った美智子は途中で止めてしまったが、彼女の方は途中何度も足が遠のくことはあっても、結局40歳半ばになるまで続いてしまったのだ。続いたということはたぶん彼女に合っていたということで、これだけ続くと最初は見えなかった様々なことが見えてきたり、お茶の面白さを感じる時も出てきたりするようになる。
 真面目だけれど融通が利かない、不器用でなかなか思い通りの人生を掴めない、でも彼女には案外一途で粘り強いところがあったのかもしれない。こういう単純ではない、はっきりしない性格の役をやらせると黒木華はホントに上手い。いつの間にか茶道が彼女の支えになっているというような、年齢とともに変化していく様をしっかり見せていたと思う。

 武田茶道教室は、古風な日本家屋の8畳ほどの部屋で行われ、映画はその稽古の様子を逐一細かく写し取っていく。限定された室内で、なおかつ繰り返しが基本となるような稽古風景というのは、映像的には扱いがかなり難しい題材ではなかったかと思われる。だが、この映画はまったく単調さを感じさせないばかりか、むしろ面白くて目が離せなくなってしまうことが驚きだった。
 ガラス戸越しに見える庭先の様子、掛け軸などの室内の設えの変化、また身につける衣装の違いといったものが、季節の移ろいや、その時々の人物の気持ちなど、実に多くのことを語っているのだった。最初は戸惑うばかりだった茶道の「かたち」も、それが次第に身についてくることで生まれる微妙な変化など、こんなにいろんな見どころが発見されるものだとは思わなかった。
 茶道への「導き役」となる武田先生の存在感が、この映画をしっかり支えていたと思う。最初の方で彼女が言う、「意味なんて判らなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」と言う言葉が、非常に印象深かった。
 樹木希林はこの映画が最後の作品になってしまったが、お茶をやったことがないのにいかにもお茶の先生という、その「らしさ」をちゃんと醸し出して見せたところはさすがだと思った。黒木・多部という若い2人を向こうに回して、彼らと交わす絶妙なやり取りや、さり気ない表情や間などから生まれる微妙なユーモアといったもの、彼女が作り出すこの温かい雰囲気は素晴らしかった。

 20数年の間に、典子の上には様々なことが起こっていくのだが、そのほとんどは映画では直接的に描かれることはなく、すべてが週に一度の稽古の中に溶かし込まれていく。彼女の家族のことや美智子との日常も点描されているが、それらはあくまでお茶の稽古の背景なのであって、そちらが前面に来て詳しく描かれることはなかった。大学を出てから、典子は就職に失敗し、出版社でアルバイトをしながら茶道を続けるのだが、対照的な性格だった美智子は商社に就職したのち、結婚を機に仕事も茶道もスッパリ止めてしまう。
 一方の典子は、恋愛をするが失恋に終わってしまったことが短く示されている。だが、映画の中にこの経緯はまったく描かれることはなく、彼女が号泣するショットだけですべてが表現されてしまう。この時の相手は姿さえ見せず、その後もう一度新しい恋人ができた時にも、後ろ姿がチラリと映し出されるだけで終わってしまう。これをこの映画の潔さと言うべきか、こういうことはこの映画にとっては深入り不要のエピソードに過ぎないということなのだろう。
 大好きだった父親が急死した時はそういうわけにはいかなかったようで、この経過はかなり丁寧に描写されている。だが、その中でこの映画がフォーカスするのは、彼女が父親に対して感じた後悔の思いである。直前に会うチャンスがあったのに、なぜ会わなかったのか。茶道教室の縁先で、喪服の典子を武田先生が優しく慰めるシーンは素晴らしい。この映画がピックアップするのは、やはり茶道によって照らし出される2人の心情なのである。ここは2人の抑えた演技が光る、実にしみじみとしたいいシーンだったと思う。

 だが一方で、ちょっと違和感を感じた点についても書いておく。この父親の死を描く一連のシーンの中で、彼女の心象風景のような感じで挿入されていた、海辺でずぶ濡れになりながら亡き父に呼び掛けるシーンはいただけなかった。そんなことをする必要はまったくなかったのではないか。まるで余分で逆効果なだけに終わっていたと思う。
 この映画には、余計な小細工は一切不要だったのではないか。ただお茶を習い、飽きずに習い続け、いつかお茶と自分が一つになっている、それだけのシンプル極まりない設定から、驚くべき豊かな世界が浮かび上がるのである。それは、どこまで行っても不十分で、どこまでやっても満足に行き着くことはない、それでもお茶を続けてきて良かったなという思いである。
 武田先生が確か、「毎年同じことができる幸せ」というようなことを言っていたと思うが、何ということもない繰り返しの中にある「幸せ」というものを、静かに語っていて印象に残った。すでに死期の迫っていた樹木希林が、こういうセリフをサラリと言ってのけていたことも記憶しておきたい。彼女は最後に、素晴らしい芝居をして人生を閉じたのだなと思った。
(立川シネマシティ1、11月5日)
by krmtdir90 | 2018-11-07 17:12 | 本と映画 | Comments(0)

映画「華氏119」

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 これもアメリカで作られたドキュメンタリー映画だが、「ジャクソンハイツ」とは対照的に、最初から非常に明快な意図と主張を持って製作された映画である。それは、11月6日に行われるアメリカの中間選挙になにがしかの影響を与えたいということで、公開のタイミングを計りながら編集作業が行われていたらしい。こうして完成した映画は、アメリカでは9月21日から公開され、日本でも11月2日に緊急公開が実現して、何とか時期を外さずに公開に漕ぎ着けることができたということのようだ。
 マイケル・ムーア監督は、こんなふうにいつも行動的に、アメリカの現代と対峙するようなドキュメンタリーを撮り続けてきた人で、中でも今回のものは、特にアメリカの「いま」に真正面からコミットしようとした意欲作だったようだ。わたしは彼の映画を見るのはこれが初めてだったが、こういうふうに、ある時を意識しながら見てもらうことに最大の意義があって、時が過ぎればその意義がほとんど失われてしまうような映画作りというのがあってもいいのだという、一種の潔さのようなものは新鮮だった。いま、これを届けなければならないのだという、ムーア監督の切迫した思いは十分に伝わってくる映画だったと思う。

 「119」という数字は「ドナルド・トランプが米大統領選の勝利宣言をした2016年11月9日」を表したものだという。それがなぜ「華氏(温度計の摂氏に対する華氏Fahrenheitである)」なのかはよく判らないが、誰一人彼の勝利を予想していなかったあの日から、アメリカはいったいどうなってしまったのかを考えようとした映画である。
 ムーア監督は、常にセンセーショナルなやり方で映画を撮ってきた人のようだから、これもトランプを様々な角度から批判する映画なのかと思ったら、かなり違っていた。過激な批判ももちろんあったが、これはそれ以上に、きわめて冷静な現状分析に基づいて構成された、これからの望ましい行動指針についての提案の映画だった。フライヤーなどは一見キワモノのような印象を与えるが、実は非常に太い芯が通った、きちんと計算された映画だったのだ。この監督、見かけによらずなかなかの策士と見た。

 彼はもちろん、トランプその人の危険性を正面から指摘しているが、それ以上に、トランプを当選させてしまった原因がどこにあったのかということを明らかにしようとしている。それは、現在の絶望が何によってもたらされたのかを知ることなしには、希望に向かう道筋もまた見出せないはずだという決意表明になっているのである。
 原因はもちろん一つではない。だが、間違いなく言えるのは、アメリカ社会に起こっていた構造的変化を、マスコミも民主党も見誤っていたことが大きい。誰も予測しなかったトランプが当選したと言うことは、誰も予測できなかった地殻変動が起こっていたということであり、そこを突き止めて揺さぶりをかけない限り、中間選挙で方向転換を成し遂げることはできないだろう。
 では、彼がいま「なにがしかの影響を与えたい」と考えている対象はどこにいるのだろうか。トランプに共鳴する共和党支持層がこの映画を見に行くことは、まず100%あり得ない。2年前の大統領選の時、トランプを支持したのは6300万、ヒラリーを支持したのは6600万人だったとされている(選挙人制度によって逆転が起こった)。ムーア監督が注目しているのは、この時投票に行かなかった1億人の棄権者たちと思われる。この時の投票率は史上最低の55%まで落ち込んでいて、サンダースが予備選で敗れたことに失望して投票を止めてしまった層がたくさんいたのである。彼らに「今度はそれではまずい」と訴えることが、この映画の大きな目的になっているように思った。

 ムーア監督は、2年前の大統領選に際して、トランプ当選の可能性を予測していた数少ない著名人の一人だったようだが、そんなことは夢にも考えないマスコミは、視聴率のためにトランプを面白おかしく取り上げ続けたのである。
 ムーア監督はこの映画で、トランプと共和党、またトランプに支援されたミシガン州知事リック・スナイダーの悪行(水道水の鉛汚染放置)などを暴露しているが、同時にサンダースを降ろしてヒラリーを候補に選んでしまった民主党の堕落も具体的に指摘している(オバマ前大統領でさえ、彼の前では批判の対象なのである)。彼はさらに、大統領となったトランプの所業が、あのヒトラーが独裁者となっていく過程に酷似していることも指摘している。

 だが、こうした厳しい批判の一方で、彼は中間選挙でトランプに打撃を加えることになるかもしれない幾つかの動きについても(希望を持って)紹介している。彼はもちろんアンチ共和党だが、近年の民主党の変節にも絶望していて、そういう古い勢力にはもう期待することはできないと考えているようだ。むしろ、アメリカ各地で芽吹き始めている新しい動きをピックアップすることで、これからのアメリカの可能性を示そうとしているように見える。
 今回の選挙では、いままでは考えられなかった背景を持つ候補者が幾人も立候補していること、また、ウェストヴァージニア州の公立学校教員たちが団結して闘ったストライキのこと、さらに、銃乱射事件が起きたフロリダ州パークランドの高校生たちが、SNSで呼び掛けて銃規制強化を求める大規模な集会をアメリカ各地で成功させたこと、などである。映画の最後は、この集会で追悼の言葉を述べる高校生の姿で閉じられている。彼らは今回の中間選挙で投票することはできないが、次の大統領選挙(2020年)には選挙権(18歳)を手にしているはずだからである。ムーア監督は彼らにアメリカの未来を託そうとしているのである。

 中間選挙の結果がどう出るかはまったく判らないが、民主主義が危機に瀕していることを憂えて、それなりに影響力のある人間がこういうかたちで発言できるというのは、やはりアメリカの素晴らしいところなのだと思った。
 日本の総理大臣もトランプ以上にひどいことをしているのに、この国ではそれがあきらめにつながるばかりで、希望の芽がなかなか見えてこないことが悲しい。失望や無力感が広がり、無関心層と棄権者が増えていく時が、独裁者出現のチャンスになるというのは真理だと思う。傍観者的な言い方になってしまうが、日本の危機の方がより深いと感じざるを得なかった。
(TOHOシネマズ南大沢、11月3日)
by krmtdir90 | 2018-11-05 13:59 | 本と映画 | Comments(2)

映画「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」

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 フレデリック・ワイズマン監督は1930年生まれの88歳(ジャン=リュック・ゴダールと同い年だ)、アメリカで精力的にドキュメンタリー映画を撮り続けてきた人だが、その作品の大半は日本では公開されることがなかったようだ。この映画は彼の40本目のドキュメンタリーで、彼の中では主流をなすアメリカ社会を捉えた作品としては、初めて日本で劇場公開されるものなのだという。2015年、85歳の時に発表された、上映時間189分の大作である。
 3時間超えのドキュメンタリーってどうなのよと思ったが、正直、途中でフッと気持ちが途切れてしまうこともなかったわけではないが、おおむね面白く見続けることができたと思う。あの「観察映画」の想田和弘監督は、このワイズマン監督から多大な影響を受けたのだろうと想像された。ワイズマン監督の映画は多くの場合、事前調査や準備をほとんど行わず、ワイズマン+カメラマン+監督助手の3人ですべての撮影を行い、ナレーションや字幕、効果音楽などを用いないで編集するところも、想田和弘監督の行き方にそのまま通じていたのだろうと思われた。

 ジャクソンハイツというのはニューヨークのクイーンズ区の一画を指しているようで、映画はこの町で生きているあらゆる人々の姿を画面に留めようとしている。ここには世界中からやって来た移民とその子孫が暮らしていて、167もの言語が話され、様々なマイノリティも集まって来て、多様な生活文化の集合体を形成しているようだ。ワイズマン監督はこのジャクソンハイツのあらゆる場所、あらゆる人々にカメラを向け、そこに見えてくるものを「観察」し「記録」していくのである。
 撮影は基本的に長回しが中心になっていて、多くの場合、そのシーンで何が出てくるかは事前に想定されていないようだった。ワイズマン監督はプレスの中で「通りの出来事、商売(衣料品店、コインランドリー、ベーカリー、レストラン、スーパーマーケット)、宗教施設(モスク、寺院、教会)を歩いて回ることで、合計120時間のシーンとショットを集めた」と述べている。だが、ここに列挙されているのはほんの一部分に過ぎず、彼はもっと貪欲に様々な場所を歩き回り、なかなか見ることのできない思いがけない場面を集めているのである。
 ここに住む人々は、その多様さを保持したまま、それぞれの場所に固有のコミュニティを作っている。3時間でもそれを網羅できるとはとても思えないが、彼はそうした中から実に興味深いコミュニティを紹介してくれている。たくさんありすぎて、もう全部は思い出せないが、幾つかを思い出せる範囲で書き留めておきたい。

 「クイーンズプライド」というLGBTのパレード。ニューヨークでは6月はプライド月間とされていて、地区ごとにこうしたパレードが行われているらしい。ここにはゲイのコミュニティがあるようで、彼らのミーティング会場にカメラが入って、その発言の様子などが紹介されている。この会場となっているのがジャクソンハイツのシナゴーグで、本来はユダヤ教の集会所として建てられた施設だったが、いまは人種や宗教を超えて、様々なマイノリティの集会場所として活用されているらしい。一人のユダヤ人女性が、その理由を「ユダヤ人が迫害された時、人種や国籍に関係なく命がけで助けてくれた人がいたから」と語るシーンも収められている。
 「メイク・ザ・ロード・ニューヨーク」というNPOの活動。これは、永住権のあるなしにかかわらず、あらゆる移民、あらゆる人種、あらゆるジェンダーの人々をサポートするNPOであって、その幾つかの活動の様子が捉えられている。たとえば、最近国境を越えたばかりの人々が、各自の体験を紹介し合うミーティング。また、タクシー運転手になろうとする移民に、具体的なノウハウを教える講習会。また、こんなシーンもあった。永住権取得の面接に行くらしい移民に、スタッフが「なぜアメリカ人になりたいのか聞かれたら、何と答える?」と質問する。望ましい答えは、民主主義の国に住みたい、信教の自由がある国に住みたい、投票権がある国に住みたい、などだった。
 移民の個人情報が警察に流れていることに抗議し、情報が正当に扱われるよう市役所と市長に認めさせた若者が出てくる。ジャクソンハイツを含む選挙区から選出された、ダニエル・ドロムというニューヨーク市議会議員も出てくる。ムスリムのハラール用の肉を販売する店の奥で、鶏を殺して肉にしていく作業が行われているところが写されたりする。ムスリムの小学校で、男女分かれて授業を受ける子どもたちの様子も写されている。音楽があり、ダンスがあり、タトゥーがあり、老人のとりとめのない会話がある。警官に嫌がらせをされたトランスジェンダーの男が、スマホでその警官を撮影しておく「コップ・ウォッチ」という抵抗方法があると説明されている。長時間労働に対して正当な賃金が支払われていないことを訴えている男もいる。通りすがりの女性に「死が迫っている父親のために祈ってほしい」と頼まれ、すぐに集まって手を繋ぎ祈りを捧げる女たちがいる。

 これらのシーンは相互に関連付けられているわけではないが、映画の中に一つ一つ積み重なっていくことで、この町で長い間に育まれてきた多様性と、それをお互いに認め合うことが、どんなに貴重で素晴らしいものなのかが浮かび上がってくるのである。ジャクソンハイツには比較的富裕な白人層が住む地域もあるようだが、多数を占めるヒスパニック系やアジア系の住民たちとはうまく住み分けが行われていて、それぞれ関わり合うことがないようにすることで、町の多様性はいまのところは保たれているようだ。
 だが、近年はジャクソンハイツにも再開発の波が押し寄せていて、この多様なコミュニティが危機に瀕している実態もこの映画は捉えている。マンハッタンにも近く、ニューヨークの中でも地の利に恵まれていることから、従来の町の空気に沿わない新住民が流入し始め、古くからの住民には徐々に住みにくい町になっているということらしい。再開発はBIDというNPOによって進められているが、これに伴う大企業の参入や家賃の高騰などで、長いあいだ細々と続いてきた零細商店などが営業を続けられなくなるケースが出ているのだという。こうした人々の側に立ち、再開発反対を組織している若者たちの動きも映画は紹介している。
 排他的風潮が高まるばかりの現代に、ワイズマン監督がいまジャクソンハイツを撮らなければならないと考えた理由は明らかなような気がする。ワイズマン監督の視点は一貫して弱者やマイノリティの側にあり、そのブレない立ち位置から見えてくるのは、アメリカがもともと移民の国であり、その素晴らしさは多様性を認めてみんなが共存してきたことにあるのだという事実である。その貴重なアイデンティティーが失われていいのだろうかと、この映画は静かに訴えているように思えた。
(渋谷イメージフォーラム、11月1日)
by krmtdir90 | 2018-11-04 13:26 | 本と映画 | Comments(0)


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