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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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手術と禁煙

 これはわざわざ記事にすることでもないと思っていたのだが、今年も終わろうとするいまになって振り返ってみると、わたしにとってはやはりけっこう大きな出来事だったわけで、記録という意味では一応書いておくべきだろうと思ったのである。

 それは、11月25日(日)に市内の南多摩病院に入院し、26日(月)に鼠径ヘルニアの修復手術を受け、27日(火)に退院したということである。「何だ、そんなこと」と思う人もいるかもしれないが、実はわたしは、この歳になるまで入院というのを一度もしたことがなく、全身麻酔の手術というのもまったくの初体験だったのである。2泊3日の入院などというのは、そちら方面の経験が豊かな人から見るとまったくお試し程度の入院に過ぎなかったのだろうし、ヘルニアの手術などというのも、その道のベテランから見ると笑っちゃうくらい初歩的な手術に過ぎなかったのかもしれない。
 だがしかし、である。これくらいのことでも、わたしとしては一世一代の重大な出来事だったのであり、入院や全身麻酔といった、これまで未体験だった分野に関してようやく一人前の発言ができるようになったいうことだったのである。まあ、だからといって特に改まって発言したいことがあるわけでもないが、今回の体験について備忘録的に幾つかの事実を記録しておきたいと思う。
 ①初めてのことなので、せっかくだから病室は個室を希望した。個室は5階にあり、窓から最寄りのJR西八王子駅が見えた。ここに来なければ見ることのできない珍しい視点なので、スマホのカメラで記録して置いた(これは南口になる)。
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 ②個室だったからその費用が余計にかかったが、それでも今回の費用の9割ぐらいが保険で戻って来た。個室を利用しなければ儲かっていたということになる。
 ③この病院の食事は、ちょっと信じられないくらい貧弱だった。短期の入院だったから我慢できたが、これ以上の日数ではとても無理だと思った。
 ④全身麻酔と手術の経過については、当然のことながらまったく記憶がない。病室に戻ったあたりから傷口が痛くなってきて、翌日になってもけっこう痛かったが、切って縫ったのだから当然だと言われて、昼前には退院させられてしまった。
 ⑤退院のその日からシャワーはOKだった。アルコールはしばらく控えるように言われたので、その日だけは我慢して、翌日から数日間は量を減らしていただくようにした。入浴は一週間後からOKになった。
 ⑥幸いにして術後の経過も順調で、先日(12月25日)、術後一ヶ月の診察で異常なしとの言葉をもらい、今回の治療はようやく一段落した。

 一つ、正直に告白しておかなければならないことがある。10月23日(火)からスタートしたわたしの禁煙は、実はこの手術と関係していたのである。
 今回、わたしが鼠径ヘルニアと診断されたのは、まだ夏の盛りの8月のことだった。特に急ぎの対応が必要な病気ではないし、多少気になることはあるかもしれないが、我慢して放っておくという選択肢もないわけではないと言われた。高齢だったり体力がない場合はそうするということだったようだが、もちろん放っておくのでは良くなることはあり得ず、一方、治療しようと思うと手術以外には方法がないということだった。
 わたしとしては「手術だろうな」と漠然と考えながら、それに向けた検査などを受診し、個人的な予定なども勘案しながら11月26日(月)で手術の予約を取ったのである。ところが、そこまで進展したところで担当医が、「煙草は吸わないよね」と軽い調子で聞いてきたのである。わたしが「吸う」と答えると、途端に風向きがおかしくなった。最低でも禁煙して一ヶ月は経過しなければ手術はできないと厳しい口調で言われてしまった。喫煙者の咳や痰が、全身麻酔を行う際にかなり大きなリスクになるのだと説明された。命に関わる緊急手術ならやってしまうが、ヘルニアの手術はそういうものではないから、リスクがあるのにやるわけにはいかないのだと言われた。
 実にもっともな言い分である。この話があったのが10月9日(火)のことで、とりあえず「考えてみます」ということにして、2週間後の10月23日に診察予約を入れて、手術予定のほぼ一ヶ月前になるその日にどうするかを決めることになった。だが、「やってみます」ではなく「考えてみます」だったところに、わたしの消極的な姿勢は如実に表れてしまったと言うべきで、結局この間に禁煙が行われることはなく、23日の診察でわたしは手術のキャンセルを申し出るしかなかったのである。
 始まりというのは、何がきっかけになるかよく判らないものである。この日は診察のあと、わたしは一服する間もなく昭島に映画を見に行ったのだった。始まりは映画「ここは退屈迎えに来て」だったのだ(作品が何だったかは関係ないと思う)。どこからそんな気になったのかはまったくはっきりしないのだが、もしかすると今回の禁煙は、手術をキャンセルしてしまったことから始まっていたと言ってもいいのかもしれない。そして、何日かが経過して、何となく続きそうな気配が出て来たので、一週間後の10月30日(火)、急遽病院に行き、手術予定の復活を願い出たというわけだったのである。

 どの時点だったかは覚えていないのだが、担当医がこんなふうに言ったのが印象に残っている。「禁煙したかどうかは申告してもらうしかないんです。調べる手立てはないのだから、こちらは患者の言うことを信じてやるしかないんですよ」。つまり、自己責任だと判っていれば、嘘をついてもいいということだったのだ。だが、こういうふうに言われてしまうと、気が楽になる反面、嘘をつくことはできなくなってしまうと思った。
 また、担当医はこんなふうにも言っていた。「手術が終わったら、そのあとは吸おうがどうしようが自由なんですよ」。これは強烈だった。この言い方は、ようやく禁煙を始めた初期のわたしに対する、担当医なりの励ましだったのだろうと推測する。だが、それでもこういう言い方ができる担当医は、信頼していい人だと感じたのは確かである。
 つまり、わたしの禁煙は11月26日(月)を境に新しい局面に突入したということなのである。10月23日から11月26日までは、前の記事でいろいろ強がりを書いたりしていたが、結局は手術の条件を作るために「仕方なく」取り組むしかなかった禁煙だったのだ。ところが、それ以降は違う。わたしは自由なのにもかかわらず、わたしの自由意志において禁煙を続けているということなのだ。これは重要なことだと思う。
 このあとどこまで行けるかは判らないが、これだけ続いてしまうと、もう一度元に戻ってしまうのはもったいないという気分になっているのは確かである。たぶん、九分九厘、このまま今年が終わり、このまま来年を迎えるのは間違いないだろうと思っている。こうして書き終えて、以前だったらここでゼッタイ一服だったんだけど、ね。

by krmtdir90 | 2018-12-29 16:36 | 日常、その他 | Comments(2)

映画「ガンジスに還る」

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 インドは一度は行ってみたいと思っている国だが、けっこうハードルが高いような気がしてまだ実現していない。この映画はインドの現代を描いているが、インドとの文化的隔たりの大きさを強く感じてしまって、これが現代のことだというのがちょっと信じ難いような気分にさせられる。
 映画の舞台になっているのは、ガンジス川に面したヒンドゥー教最大の聖地とされるバラナシという町である。信仰厚い人々は、この神聖な場所で死を迎えることが解脱(安らかな死)に至る道だと信じていて、この地で火葬され遺灰をガンジス川に流してもらうのが最大の名誉だと考えているのだという。実際、この地で死ぬことを希望する人たちが、インド全土からここを目指して次々にやって来ているらしい。死ぬために集まって来るということが、何よりも驚くべきことだと思う。

 父親のダヤ(ラリット・ベヘル)は、みずからが見た奇妙な夢によって死期が近付いていることを悟り、家族に「明日牝牛を寄進して、明後日バラナシに行く」と一方的に宣言する。家族は困惑し引き留めようとするが、彼の決意は固く翻意させることはできない。仕方なく息子のラジーヴ(アディル・フセイン)が仕事を休み、バラナシまで父に付き添って行くことになる。
 バラナシに着いた彼らが向かったのは、ガンジス川沿いにある「解脱の家」と呼ばれる施設である。見るからに貧しい建物なのだが、これはバラナシで死ぬことを望んでやって来る人々を、一時的に受け入れている簡易宿泊所といった感じの施設のようだ。バラナシにはそういうところがが幾つもあるらしいが、映画は施設を管理している男とのやり取りを経て、ここに入所して生活し始める二人の様子を追っていく。仕事よりも優先して、息子は父の死を見届けなければならないということらしい。

 率直に言って、この最初の経緯からしてよく判らないし、どうしてそんなことをするのか、われわれとしては理解し難いと言わざるを得ない。ダヤは元教師だが現在は引退していて、妻とはすでに死別しているという設定になっているらしい。一方、ラジーヴの方はバリバリの仕事人間で、付き添いの旅の途中でも片時もスマホを手放せないという描き方になっている。父は77歳というから、恐らく息子は50代半ばぐらいにはなっているだろう。そう考えると、分別ある大の男の行動として、こんなことが本当にあるのだろうかと疑問を感じてしまうのである。
 だが、もちろんこれはそういうことが本当にあるのであって、このヒンドゥー教の聖地では、ここに集まった信者の生と死が、まるっきり隣り合わせになったように人々の生活を縛っているのである。ここには、一方に死を待ち望む人々がいて、もう一方にそれを支えている人々がそれを取り囲んでいるということなのである。映画はその細部をきわめて丁寧に写し取っているが、それはわたしなどからするとまったく想像を絶するようなことである。それについて書き始めたら、たぶんきりがなくなってしまうだろう。
 この映画は結局、これまでずっとお互いにすれ違って生きてきた父と息子が、この聖なる場所で常時死を意識しながら生活することで、次第にそれぞれの心の内に隠れていたものを理解していくという映画である。妻や孫娘も絡んでいるから、一種のホームドラマと言ってもいいのかもしれない。

 ダヤは、ほぼ一ヶ月ほど経ったところで望み通りに解脱するのだが、映画はなぜかその最後の経過を描こうとはしていない。この少し前に、この「家」で懇意になったヴィムラという老女も死んでいるのだが、その死も川岸で行われている葬式のシーンで示されるだけである。ずっと死と向き合い続けてきた人々を描きながら、この映画は死の瞬間を描こうとはしていないのである。
 ダヤの死に際して、最後にラジーヴとの間にどんな会話があったのかといったことが描かれることもなく、彼の遺体を川岸に運んでいく葬列のラジーヴを追うことで、彼らの関係が最後にどうなったのかを想像させるような描き方になっている。死そのものよりも、当人や周囲の人間がその事実とどんなふうに向き合い、どんなふうに受け入れていったのかといったことの方に、映画の意識が向かっていたように思われた。
 後に残された家族が、主のいなくなった「解脱の家」のベッドに腰掛けて、ダヤの書き残した死亡広告を読むシーンが印象的だった。その文言だけ書き抜いても意味は伝わらないかもしれないが、「ダヤナンド・クマルは高名な詩人で作家であった。故人の作品は、いまもごくまれに古書店の片隅で埃にまみれて見つかることがある」というものである。

 印象的なシーンが非常にたくさんあったと思う。だが、それを一々書き出すことは止めておく。ただ、ガンジス川に象徴されるインドの風土といったもの、またヒンドゥー教をめぐる人々の考え方や風俗といったものは、これは現代のことだと言われても、なかなかすんなりと受け入れることは難しいような気がした。インドは一筋縄ではいかない国なのだなと思った。
 なお、この映画のシュバシシュ・ブティアニ監督(脚本も)は、何と1991年生まれの27歳で、驚くべきことにこの映画の撮影時には弱冠24歳だったのだという。若さを売りにするような安直な映画ならそんなこともあるかもしれないが、こんなふうにはるか高年の登場人物を動かし、こんな題材で正面から死と向き合うような映画を撮ったということが信じられないような気がした。これもまたインドという国の深遠さなのかもしれない。
(渋谷ユーロスペース、12月22日)
by krmtdir90 | 2018-12-28 20:44 | 本と映画 | Comments(0)

高校演劇2018・関東大会栃木会場(2018.12.23~24)

 12月23日と24日の二日間、栃木の「関東大会」に行って来た。
 今回は、新座柳瀬の応援に行くなら所沢の応援もしてこないと片手落ちになってしまうので、上演が同じ日になってくれればいいなと思っていたが、何と所沢が1日目の朝イチ、新座柳瀬が2日目の朝イチに決まったと言う。遠路出掛ける側からすると、これ以上は考えられないくらい意地悪な上演順である。しかし、行くと決めたからには文句を言ってはいられない。両日とも「通い」にすることも考えたが、せっかくの機会だから、足利で一泊して他の学校もできるだけ観て来ることにした。

 23日(日)の朝は6時15分ぐらいに家を出て、中央線→武蔵野線で南越谷駅まで行き、東武の新越谷駅に乗り継いで、伊勢崎線(スカイツリーライン)→日光線とたどって、9時過ぎに栃木駅に降り立った。この日光線の4輛編成は、嬉しいクロスシートだった。
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 ここは東武とJRの共用駅になっている。
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 徒歩20分ぐらいで栃木文化会館に着いた。
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 大ホールの中に入ったのは9時半過ぎで、開会式が始まっていた。
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 この日は10時から所沢の舞台を観せてもらったあと、結局7校中6校を観劇した。けっこう疲れてしまって、最後の舞台は失礼してしまった。

埼玉・所沢高校「プラヌラ」
 トップバッターはいろいろ難しいものだが、しっかりと自分たちのやりたいことができていたのではないか。役者がみんな自分の役どころをきちんと掴んでいて、それぞれの思いをちゃんと表現できていたのが良かったと思う。ただ、前寄りの席で観たのでそのせいもあったのか、SEが総じて大きすぎるように感じたのと、セリフが言葉として聞き取れないところが少しあったのが残念だった(後方の席では感じなかったと言う人もいたから、座席によるホールの響き癖が影響していたかもしれない)。
 でも、面白い台本(作・高石紗和子)なのは伝わってきたし、よく挑戦しているなと思った。それを認めた上で、台本を舞台上に立ち上げるに当たっては、もう少し別のやり方もあったのではないかという感じもした。場面が次々に飛躍していく台本だから、それをどう表現するかは非常に難しいところだと思うが、もう少しオシャレなやり方が工夫できたのではないかということである。具体的には次のような点である。
 ①中割を何度も開閉していたが、場面転換としてあれはオシャレじゃない。あんなになびいてしまうのは計算外だったかもしれないが、引き幕である以上、視覚的にはその都度、幕が引かれるという現象を見せられることになり、芝居の流れの中でのスムーズな転換にはならない気がした。そもそも、場面設定で中割を閉めなければならない必然性が感じられなかった。
 ②部分照明(単サスやエリア明かり)が多用されていたが、そればかりで舞台が進行すると、全体の印象が暗くなるし観ていて疲れてしまう。もともと場面設定などに省略の多い台本だし、セリフもモノローグなどやや観念的に流れる傾向があるので、そこでさらに照明が狭められて視覚的な情報が制限されてしまうと、芝居の中に入って行くのがかなり困難になってしまうように思った。
 ③道具プランに一貫性が欠けていたのではないか。突然リアルな観葉植物が置かれた時は、なぜここだけ?と疑問を感じた。だったらベッドだって机だってリアルにしなくちゃおかしいんじゃないですか、ということである。中割を攻めて中央に置かれたまひろの寝床もよく判らない作りだったし、水泳部員たちが立つ台も、その時だけ出て来るというのが意味不明のような気がした。
 結局、全体の作りにもう少し緻密な作戦というか、微妙な調整が必要だったのではないだろうか。様々な部分について、もっと効果的なかたちがあったような気がするし、まだまだ検討の余地があるのではないかと感じた。
 「とこえん」はわたしが昔いたところだし、現顧問のAさんともつながりがあって、そこが優秀校4校に入ったのが嬉しかったので、敢えて少し厳しめに書いてしまいました。応援に行った者としては、要するに「優秀賞おめでとう!」って言いたかっただけだったんですけどね。

長野・塩尻志学館高校「イッテきま~す」
群馬・東京農大第二高校「エレベーターの鍵」
群馬・新島学園高校「カイギはDancin'」
 以上3校はあまり好きになれなかったので、感想は省略します。

新潟・新潟工業高校「室長」
 作・畑澤聖悟とあったが、いままで知らなかった台本だった。一種のシチュエーションコメディと言っていいと思うが、非常に巧みな設定で面白い展開を見せていると思った。新工の皆さんはあまりコメディとしては意識しないでやっていたようだが、人物それぞれを的確に造形して、しっかりと場面のやり取りを作っていたので、真面目なディスカッションドラマとしても大変見応えのあるものになっていたと思う。たぶん、もう少し笑いなどが交じるようにして、ユルい雰囲気が作れるともっと良かったような気がするが、いまのストレートな緊迫感と問題提起もなかなかのものだと感じた。優秀校4校に入ったのも妥当。

栃木・小山城南高校「無空の望」
 LGBTを取り上げた生徒創作台本で、みずからの気持ちと懸命に向き合う主人公たちが、手近なところに安易な解決を求めようとしていないところが良かった。予定調和の感動で終わらせてしまう生徒創作もある中で、この不器用な誠実さには好感が持てた。オトナの審査員が選ぶ優秀校4校に選ばれたのも良かったが、生徒講評委員会がこれを講評委員会賞3校の中に選んでいたのが(生徒はちゃんと観ているんだと感じられて)素晴らしいと思った。

 24日(月)は朝から快晴だった。
 ゆっくり8時過ぎにホテルをチェックアウトして、JR足利駅。
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 両毛線で栃木駅まで30分ほどだった。
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 9時過ぎに、余裕を持って会場に到着した。この日は10時から新座柳瀬を観たあと、さらに2校を観て、13時40分、遅い昼休みになったところで後の2校は失礼した。帰って孫たちとクリスマスケーキを食べなくちゃいけなかったんですね。

埼玉・新座柳瀬高校「Ernest!?」
 まず最初に、これが最優秀に選ばれたことに「おめでとう!」を言っておきたい。その上で、この台本について思っていることを少々書いておく。
 原作を60分の一幕劇に作り直す際に、「Love & Chance!」と比べてこちらはかなり無理を重ねているところがあって、そのあたりを気にならないように修正するのが、地区大会→県大会と続いてきた本作のテーマだったと思う。細部を比較しながら観てきたわけではないから、非常にざっくりとした言い方になってしまうが、よくここまで作り込んだなというのが今回の感想だった。
 本作では結局、観客をいかに「目くらまし」できるかが鍵になっていて、矢継ぎ早に繰り出されるパターン化したギャグの連続とか、観客に立ち止まる隙を与えない、展開のスピード感が重要になっていたように思う。そのため、作りがややマンガ的になってしまったきらいがあって、個人的にはそういう傾向が強まるのは嫌いなのだが、この作品が向かう方向としては間違っていなかったと思う。朝イチにもかかわらず、客席の反応が非常に良かったことがその証左になっていると思った。
 わたしの好みとはかなり異なるところで、最近の稲葉智己は「稲葉智己的大衆演劇のツボ」を獲得しているように感じる。ブラックネルを始めとした誇張したキャストの作り方などは、わたしはあまり好ましいものとは思っていないのだが、それが客席を掴み、大きな笑いを獲得しているのに接すると、彼は観客を手のひらに乗せることに成功したのだなと認めるしかないのである。
 実は、昨夜ここまで書きかけてちょっとツイッターを覗いたら、中部ブロックから岐阜県の長良高校というところが全国出場を決めたというニュースが飛び交っていた。長良高校は、柳瀬と同じオスカー・ワイルドの「The Importance of Being Earnest(まじめが肝心)」を翻案した「My Name!」という作品を上演していたらしい。これが代表を射止めたことで、来夏の全国大会では、同一の外国古典劇から作られたラブコメディが2本並ぶことになったのである。これは凄いことだし、高校演劇のウイングを大きく広げる快挙と言っていいのではないか。これで、佐賀まで応援に行く楽しみが大きく膨らんだと思う。
 最後に、今回の舞台で少し気になったことも書いておく。
 終盤、プリズムとブラックネルが出会うことでアーネストに関わる未知の事実が次々に明らかになるが、その場の人々がそれぞれ感じていたはずの驚きがあまり見えてこなかったように感じた。大袈裟にやれということではないが、事実(新たな事態)に対する受け止めはきちんと行われなければいけないし、気持ちの上での反応をもう少しちゃんと作って見せてくれないとまずいように思った。
 この芝居は、いろいろなことが最後に一気に明かされるようになっているので、その段階ではたぶんスピードよりも丁寧さが必要になっているはずで、そこのところをもう一度見返してみた方がいいように感じたのである。

新潟・新潟中央高校「Damn! 舞姫!」
 けっこう面白かったが、それ以上の感想は省略。

栃木・栃木高校「ミサンガ」
 男子校の男芝居というのは個人的に好きなので期待していた。実際には期待以上で、予想を遥かに超えたパワーに圧倒された。ここまで真正面から押してこられると、それだけで有無を言わせぬ説得力が生まれているように思われた。当然のように勝者と敗者に分断されてしまう世界に、痛烈な一石を投じようとした力作だったと思う。だが、最後がもう一つ決め切れていないようにも思えて、たぶん最初はかなり計算された台本だったのが、いつの間にかいろいろな意図を忘れて闇雲に突っ込んでしまったようにも見えた。何と言うか、そういう型破りの清々しい熱気のようなものを感じた。講評委員会賞3校には選ばれたが、優秀校4校に入らなかったのは残念な気がした。

 以上で終わりだが、実は、この栃木文化会館は、わたしが所沢高校にいた時に、当時の生徒たちが全国行きを決めた思い出の会場だった。1994年のことだったが、パンフレットの記録にはそれがちゃんと記載されているのに、わたしの中ではその時の記憶がもうほとんど失われているのが不思議な気がした。歳を取ったんだなと、いまさらながら再認識させられた。
by krmtdir90 | 2018-12-27 18:03 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

映画「マイ・サンシャイン」

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 何をしたい映画だったのか、よく判らなかった。監督・脚本はデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンというトルコ出身の女性で、ずっとフランスで育ち、フランスを主な拠点として活動している人のようだった。この映画は彼女の長編第2作だったらしく、フランス・ベルギー・アメリカの合作映画となっているが、言語は英語で、アメリカのロサンゼルスでロケを行い、1992年4月末に起こったロサンゼルス暴動を扱おうとしたものだった。
 「扱おうとした」などと遠回しな言い方をしてしまったが、この過去の出来事をいま改めて描こうとするにあたって、どうもこの映画のいまの視点がどこにあるのかがはっきりしていないように感じたのである。
 実際、ロサンゼルス暴動の引き金の一つとなったラターシャ・ハーリンズ射殺事件は、映画冒頭に再現映像でしっかりと描かれているし、もう一つのきっかけとされるロドニー・キング事件とその裁判の様子は、映画の各所でテレビから流れるニュース映像として、繰り返し印象付けられるようになっていた。だが、基本的にそれらは映画のストーリーの背景なのであって、映画はちょうどこの時期にロサンゼルスのサウスセントラル地区で生活していた、主人公たちの日常を追って行くことに主眼が置かれているのである。

 主人公の黒人女性ミリー(ハル・ベリー)は、貧しいこの地区で家族と暮らせない子どもたちの母親代わりとなって、彼ら(7、8人いる)に無償の愛情を注いでいるということらしい。これは血のつながりのない疑似家族であって、この子どもたちはスーパーで万引きをしたりしているから、これはあの「万引き家族」と非常によく似た設定なのである。
 ただし、細かな設定やその描き方などでは是枝裕和監督の足下にも及ばない感じで、はっきりしないところや展開に無理があるところなどが目立つ結果となっている。ミリーと子どもたちにいつも厳しいことを言っている白人の隣人オビー(ダニエル・クレイグ)の設定も曖昧で、ミリーとの関係も、何かお互いを男女として意識するような気配も見せるのだが、結局はよく判らないまま最後まで行ってしまうということになっているのである。
 映画は要するに、このミリーとオビーと子どもたちが、映画の後半になってロサンゼルス暴動の始まりのところに立ち会う様子を描いていく。だが、それが彼らにどんなふうに受け止められたのかといったことが、当然のことながら一人一人の立ち位置やいた場所が違うのだから、まったくバラバラなものになってしまっていて、ストーリーとしてあまり噛み合ってもいないし収斂してもいないように感じられたのである。

 一言で言えば、みんながそれぞれのかたちで暴動に巻き込まれたことは判るのだが、それが彼らのこれまでの生活をどう変えてしまったのかは、実はあまりはっきりしないまま終わってしまった印象があるのだった。ロサンゼルス暴動というものが、子どもたちを含めた登場人物の生き方の問題としてきちんと関連付けられていないという気がしたのである。それでは、いま改めてそれを描こうとする意義が見えないということになりはしないか。
 見ている間は、けっこうハラハラする展開に引き摺られていたのだが、見終わってみると「えっ、どうなっちゃったの?」ということがたくさん残されていたように思う。特に子どもたちの間で起こった殺人については、結果が事実として投げ出されているだけで、映画がこれをどういうふうに捉えようとしているのかが見えていないと感じた。これでは困るのではないか。
 原題の「Kings」が何を意味しているのかもはっきりしないが、邦題の「マイ・サンシャイン」も何のことなのかよく判らない。映画自体が焦点が絞れていないので、配給会社もどう売っていいか決めかねたということだったのかもしれない。
(新宿武蔵野館、12月20日)
by krmtdir90 | 2018-12-21 17:32 | 本と映画 | Comments(0)

伊東温泉(2018.12.18~19)

 久し振りに、妻と温泉に行って来た。住所は伊東市富戸とあったから、温泉地としては伊東温泉のエリアということになるのだろう。伊豆の東海岸のこのあたりは、高度成長期に温泉付きの別荘地がたくさん作られた時期があったようで、最近こうしたところを小規模な温泉宿に作り替えて、各部屋に温泉露天などを付けて高級感を競うようなものが増えているらしい。
 今回泊まった「離れ御宿 夢のや」はそうした宿の一つで、部屋数は離れのみ6室、すべての部屋に温泉の半露天風呂が付いているというものだった。
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 部屋からの眺望はもう一つで、木々の間から海が少しだけ遠望されるという感じだった。
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 半露天というのは、ベランダに面した浴室のガラス窓が折り戸になって、外に大きく開くようになっているということだった。いまのような寒い時期は閉じてしまえばいいのだから、これはなかなか使い易い構造だと思った。
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 部屋の風呂以外にも、時間制の貸し切り露天風呂というのがあったので、夕食前に行ってみたが、湯温がかなり高く設定されているようで、あまり長湯はできなかった。
 食事は、母屋にある個室で取ることになっていた。ゆっくりできたし、料理や接待もかなり良かったと思う。

 今回は二日とも好天に恵まれた。
 朝焼け(6:22撮影)。
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 日の出(6:53撮影)。
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 周囲の木々の間にリスの姿が見えた。
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 かなり大形だと思う。
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 宿の人に聞くと、朝夕にはよく出て来るので、この宿のちょっとした売りになっているのだという。

 10時過ぎにチェックアウトした。天気も良かったので少し寄り道をした。
 伊豆急行・城ヶ崎海岸駅。
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 宿の最寄り駅なのだが、大きく迂回しなければたどり着けないということで、前日周囲を散歩した時は来るのを諦めていたのである。非常に立派なログハウスで、説明にもある通り、これだけのハンドカットはなかなかないだろうと納得した。
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 城ヶ崎海岸の方にも回ってみたが、灯台や吊り橋は以前行ったことがあるので、今回は結局行かなかった。

 大室山は、いままで登ったことがなかったので、行ってみることにした。
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 いざ乗る段になって、このリフトの急傾斜が急に怖くなった。
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 途中に緩急がなく、ずっと急傾斜が続くのが怖い原因だと思った(途中に踊り場がなかった白帝城の石段と同じだ)。それと、上る時の方が下る時より怖く感じるのは、上りは背後が見えないこと、それなのに、そこに何もないことだけはひしひしと感じられて、恐怖を倍増しているのだと思う。高所恐怖症というのは難しいものなのだ。
 上はやはり風が強く、寒かったこともあるが、それ以上に飛ばされそうで怖かった。火口の底に、なぜかアーチェリーの的が並んでいた。
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 火口丘を一回りできるようになっていたが、そんな怖いことをするのはとうてい考えられない。
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 少しだけ上の方に行ってみた。
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 左の大きいのが大島で、右の小さいのが利島のようだ。それにしても、周囲に手摺りなどが何もないこの感じは怖い。
 こちらは伊東の町並み。右寄りの小さな水面は一碧湖らしい。
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 富士山は残念ながら雲がかかってしまっていた。
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 お昼は、道の駅・伊東マリンタウンで近海地魚握り寿司というのを食べて帰った。
by krmtdir90 | 2018-12-20 23:59 | その他の旅 | Comments(0)

映画「僕の帰る場所」

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 日本とミャンマーの合作映画。まったくノーマークの映画だったが、渋谷の最終日に見ることができて良かった。
 藤元明緒監督(脚本・編集も)は1988年生まれと言うから、いまちょうど30歳の若さである。もちろんこの映画が長編第一作であって、その製作に至る経緯は、インターネットで読むことができるインタビューの中に詳しく語られている。彼はミャンマーという国について特に知識があったわけでもないし、難民問題にも特別興味があったわけでもないと正直に告白している。すべてが成り行きだったのであり、縁であり出会いだったと述べている。人生何があるか判らないものだ、と。
 ほぼ5年ほど前、何もないところから始まった企画だったようだが、日本で働くミャンマー人家族の物語を作ると決めて、実際にキャスティングをしてカメラを回したのは2014年の11~12月だったらしい。
 付け焼き刃でミャンマーのことを調べてみると、長く続いた軍事政権から、徐々に民主化が行われてまだ10年ほどしか経っておらず、ようやく文民大統領に移行して、アウンサンスーチーが国家顧問に就任したのが、まだ2年半ほど前の2016年3月だったようだ。企画がスタートして2017年に完成するまでの間にも、ミャンマーの情勢は刻々と変化していたのである。

 映画で描かれた家族の二人の兄弟は6歳と3歳で、彼らは日本育ちで日本語しか喋れないと設定されていた。と言うことは、撮影時点の2014年を基点として考えれば、家族が難民として日本にやって来たのは、2008年より以前ということになる。この映画では、そうした事情などはまったく説明されていないのだが、故国ミャンマーでは生活できないから日本に来たというのははっきりしていることで、そういう家族が当時の日本でどういう扱いを受けていたのかということを、この映画はしっかり記録に残しているのである。
 いま記録という言い方をしたが、この映画はドキュメンタリー映画ではない。だが、見始めてしばらく、ドキュメンタリーかと見紛うような撮り方をしていて、すべてが作られたドラマだったというのが判って大いに驚かされた。ドラマと言っても、この監督の撮り方(演出や編集の仕方)は非常に個性的で、ざっくり言ってしまえば、今年になってから次々に出会ったあの若い監督たち、ホアン・シー(黃熙)、三宅唱、五十嵐耕平といった監督たちの系譜に連なっているような気がした。
 子どもたちを軸にして、演技を意識させずに、あるがままの姿を撮るという姿勢が貫かれていると思った。藤元監督は、ソ連映画の「動くな、死ね、甦れ!」(ヴィターリー・カネフスキー監督、1989年)に衝撃を受けて映画監督を志したと語っていて、なるほどなと思った。

 映画は、前半が日本の東京で、後半がミャンマーのヤンゴンで撮影されたようだ。東京の小さなアパートで暮らすミャンマー人の家族は母親のケインと二人の兄弟で、父親のアイセはいま入国管理局に身柄を拘束されているらしい。彼は日本に来て何度も難民申請をしているが、いまだに認定されていないということのようだ。このあたりのことを映画は断片的にしか示さないし、その事情について説明してくれているわけでもない。そういう描き方はしていないのである。
 だから、ここでまた付け焼き刃で調べてみることになる。日本は難民認定のハードルが非常に高い国で、認定されないまま日本で生活する難民が増え続けているということらしい。難民は認定されなければ退去命令が出て拘束されるのだが、この時、家族や友人、支援団体などが身元保証人となることで暫定的に拘束を解かれる「仮放免」という制度があるようだ。ただし、仮放免中は身元保証人が生活の面倒を見る建前になっていて、当人の就労は認められていない。
 こんな建前が非現実的であるのはみんな判っていることで、彼らは祖国を後にした以上、日本で働かなければ生きてはいけないのである。だが、難民として認定されない限りは、彼らはいつまで経っても在留資格のない不法滞在者(国は不法残留者と呼んでいる)であり不法就労者なのである。現実には、こうして作為的に弱い立場に置かれた外国人労働者が量産され、人手不足を埋める安価な労働力として、日本人が働きたがらない最底辺の労働市場を支えているのである。実態としては、彼らは便利な使い捨て人材として、都合良く利用されているのである。

 映画の中で、父親アイセは友人たちの身元保証で一旦仮放免になるが、不法就労が見つかればまたいつ拘束されるか判らないのである。彼にはミャンマーに帰るという選択肢はもうないのだが、母親ケインの方は先の見えない生活に疲れ果て、国に帰りたいという思いを日々募らせているのも理解できる。日本に救いを求めてやって来た家族が、希望を見出すことができずに引き裂かれていく現実があることを、この映画は描いているのである。
 ただし、この映画は上に書いたようなことを問題提起したり、何かを告発したり訴えたりするような意図はまったく持っていない(ように見える)。そこには様々な矛盾や問題点が見え隠れしているのだが、それらはすべて背景として扱われているだけで、映画はあくまでこの家族の淡々とした日常を見詰め続けていく。この夫婦と子どもたちの生活の、細々とした側面を拾い上げていくことに終始するのである。
 結局、中盤になって母親ケインは身体を壊し、日本での生活に耐えられなくなってしまう。映画の後半は、彼女が二人の兄弟を連れてミャンマーに帰ってからのことを描いていく(父親アイセは日本に残り、彼らは別々に生きることになってしまう)。生活不安に追い詰められていた彼女は、ミャンマーでの生活が始まると次第に精神的安定を取り戻していくが、日本の生活しか知らなかった子どもたち、特に6歳のカウンくんの方は簡単にはミャンマーの生活に馴染むことができない。この状況は当然予想されたことだが、恐らく時間をかけて慣れさせ受け入れさせていくしかないということだったのだろう。

 子どもたちがどうなるのかというのが、後半のドラマの核心になると思われたが、映画はここである作為的な仕掛けを施してしまったのである。これは果たしてどうだったのか。
 悩み抜いたカウンくんは、とうとう一人で家出を敢行してしまうのである。ここまでは展開としてあり得るかなと思うが、このあと空港に向かおうとして街をさまよったカウンくんが、夜になって不意に日本語を喋る子どもたちに出会い、しばらく一緒に遊び歩くシーンが挿入されたのはどういうことだったのだろうか。ここだけ急に前後のつながりが判らなくなってしまい、そのあとの経緯もよく判らぬまま彼は母親たちの許に帰っていて、少しだけこちらの生活に慣れたような雰囲気を漂わせて見せるのである。
 残念ながら、この部分はまったく理解できなかったと言うしかない。ずっと日本で育ってきた子どもたちが、容易にミャンマーの生活に慣れることができないのはよく判ることだが、目に見えるきっかけを無理に作るのではなく、時間だけがこれを解決してくれると気長に考えるしかなかったのではないか。それは子どもたちの成長を信じるということになるはずである。
 どうやらこの映画は、そこのところを何らかの見えるかたちにして提示したいと考えてしまったのかもしれない。そんなふうに解釈するしかないような気がするのだが、これはたぶん必要のない操作だったのではないだろうか。映画としては、ここだけが意味不明の減点になってしまったような気がして残念だった。

 この点以外はホントに良くできた映画で、家族の生活実感が実にリアルに写し取られていて感心した。映画のモデルとなった家族は、一旦は離れて生活することになったが、ミャンマーの民主化の進行で国情がかなり良くなってきたということで、現在は父親アイセもミャンマーに帰り、家族一緒の生活を取り戻しているらしい。
 一方で、日本として外国人労働者をどう受け入れるのかという問題が、昨今のように大きくクローズアップされることになるとは、この映画の製作時には考えていなかったことだったかもしれない。これもまた偶然の成り行きということだが、この映画は非常にタイムリーな映画になってしまったのだ。そうなった時、この映画が安易な主張を前面に出したりせず、あくまでも家族の物語の中に様々なテーマを落とし込んでいたことが、逆に良かったという結果になったのではないかと思った。
(アップリンク渋谷、12月14日)
by krmtdir90 | 2018-12-17 18:06 | 本と映画 | Comments(0)

映画「遊星からの物体X」

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 デジタルリマスター版が作られたのがきっかけとなって、今年リバイバル公開された映画である。1982年のアメリカ映画(ジョン・カーペンター監督)だが、当時の評価はそれほど高いものではなかったと記憶している。そもそもが1951年のハワード・ホークス監督による「遊星よりの物体X」のリメイクであり、設定などはオリジナル版を踏襲しながら、クリーチャーの造形などに当時の映画界の流行が反映されていたようだ。
 この種の気色悪い地球外生物は、恐らく「エイリアン」(リドリー・スコット監督、1979年)あたりが始まりだったのではないかと思われるが、先行作が思い浮かんでしまうというのは、この映画にとってはたぶん不幸なことだったのだろうと推測される。けっこうとことんやってくれていたと思うが、これでもかとやればやるほど結局「おーっ、やっとるな」といった感じになってしまって、二番煎じと受け止められてしまう宿命だったということかもしれない。
 こういうヌルヌルした感じのクリーチャーが、怖くて面白い?という人がどのくらいいるのだろうか。わたしはこういうのは苦手である。苦手なら見なければいいのだが、もともとSFが好きだったものだから、こういうのが出てくると判っていてもつい見に行ってしまうということなのだ。分類上はSFという括りになっているようだが、どちらかと言えばホラー映画と考えた方がいいような気がする。また、見方を変えると、ミステリー的要素を含んだスリラー映画という側面もあって、設定や展開が非常に上手くできているのは確かなことだったと思う。

 外界と隔絶した南極の観測基地というのが一種の密室となっていて、そこが恐ろしい地球外生物の襲撃に晒されるというのが基本設定になっている。正体を現すと非常にグロテスクな姿をした「それ(The Thing)」は、襲った生物をみずからの体内に取り込んでしまい、その外見に同化・擬態して増殖していくという特徴を持っていた。最初は犬の姿をして基地に現れたのだが、次には隊員たちにも食指を伸ばすことになり、そうなると「それ」に襲われて取り込まれてしまった隊員と、そうでない隊員との見分けがつかなくなってしまうという厄介な事態になってしまい、基地の中は急激に疑心暗鬼のパニック状態に陥っていくことになる。
 誰がやられていて誰がやられていないのかが判らない、お互いに誰を信じていいのか判らないという状態は非常な消耗を強いるものであって、どんどん追い込まれていく隊員たちを、映画は恐ろしいスリルとサスペンスで描き出していく。「それ」の気持ち悪いイメージもなかなかのものだが、この人間の気持ちが泥沼に嵌まって抜けられなくなっていく感じもかなり怖い。
 そして、最後には基地のほとんどすべてが破壊されてしまうのだが、そんな段階になっても果たして「それ」は根絶やしにされたのかどうかは判らないのである。最後に生き残った二人も、結局同化してしまったのか、それともまだ人間のままなのかがはっきりしないまま投げ出されていて、しかもこの極寒の中ではどうあがいても生き延びることはできないだろうと思われるようになっている。解決とは程遠い、何ともすっきりしないエンディングなのである。

 この地球外生物は何万年も前に宇宙船で地球に飛来し、不時着した南極の氷の下でずっと冷凍されて生き延びたと設定されている。息を吹き返してこのまま外の世界に出て行けば、人類すべてが侵略され同化されてしまうのは時間の問題だと映画の中でも予測されていた。カーペンター監督は恐らく、もうすでにそうなってしまっている可能性もあるという終わり方にしたかったということなのだろう。最後で様々な解釈が可能になっていることが、この映画がいつの間にかファンの間でカルト的な人気を獲得した理由になっていると思われる。
 まあ、安易に退治成功のエンディングにしなかったところは好感が持てると思う。ただし、冬季はほとんど明るくなることがない南極の気象条件が無視されているとか、クリーチャーの襲撃から身を守りたいなら隊員は全員が固まって行動すればいいのにとか、いろいろ考えれば変なところもけっこうあると思うのだけれど、こういう映画でそれを言い募るのは野暮になってしまうということで、このくらいにしておく。
(新宿ピカデリー、12月13日)
by krmtdir90 | 2018-12-16 20:35 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ジャイアンツ」

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 1956年公開のアメリカ映画である。上映時間は3時間21分。60年以上も昔に作られた映画だが、何度見ても面白いし、やはりいい映画なんだなとその都度再認識させられる。
 実は、NHKのBSで放送された時に録画してDVDにしてあるから、見たければいつでも見られる状態になっているのである(実際、何回か見直している)。だが、今回「午前十時の映画祭」にラインナップされているのを見つけた時、映画館のスクリーンで見られるチャンスはそうあるわけではないから、やはりもう一度ちゃんと映画館で見ておくべきだと思ったのである。古い映画がデジタル化されることで、思いがけずこういう機会が訪れるのは素晴らしいことだと思う。

 わたしの映画ノート(メモ)によれば、わたしがこの映画に初めて出会ったのは高校生の時で、1965年の2月と6月に見たと記録してあった。たぶん、いまはなき立川名画座で見たのではないかと思う。前年にジェームズ・ディーンの「エデンの東」(1955年)を見ているから、その彼の3作目にして遺作というのがこの映画を見る大きな動機になっていたと思われる。
 その時どんなことを感じながら見ていたのかは判らないが、ジェームズ・ディーンの役回りが思いがけないものだったのは確かで、彼の演じたジェット・リンクの変貌に目を見張りながら見ていたような気がする。年を取ってからの彼は、見た目はどう見ても若過ぎる(老けて見えない)のだが、鬼気迫る演技でそのあたりを十分埋めていたのに驚いていたのではないかと思う。
 前半の、若いころのジェットは「エデンの東」のキャルや「理由なき反抗」のジムの延長線上にあり、その集大成ともなる印象的な演技を見せていたと思う。エリザベス・テイラーが演じたレズリーへのジェットの思いというのは、どう転んでも実現することのない一方的な横恋慕なのであって、そういうふうな、どうにもならないことが判っていて見せる彼のちょっとした表情や仕草などを、この映画は見事と言うしかないかたちで写し取っていると感じた。ジェームズ・ディーンが出演した3作のうちで一番いいのはどれかと問われれば、迷うことなく「ジャイアンツ」を挙げるだろう。

 ジェームズ・ディーンはもちろんだが、この映画は多くの登場人物を非常に丁寧に過不足なく描き出していて、いわゆる大河ドラマとしても多面的な広がりがあり、登場人物一人一人のドラマをしっかり組み立てているところが素晴らしいと思う。
 ストーリーの中心となっているのは、テキサスの大牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)の許に東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)が嫁いだことから始まる、30年に及ぶ夫婦と一族のドラマということになるのだろうが、30年を描くのに3時間21分というのは決して長いわけではなく、的確な省略と効果的なエピソードの選択によって、時間の経過と人物の変遷を実に上手に描き切っているのだと思う。実際この2人に限って見ても、出会って恋に落ちて結婚して、彼女が初めてテキサスにやって来て、想像を超えたこちらでの生活に様々な違和感を覚えながら、それでも自分を貫いて、次第に中に入り込んでいく、子どもが生まれ、夫婦の危機があり、それを乗り越えて、子どもが成長して結婚して孫が生まれて、というふうに、とてつもない時間の経過が描かれていて、そこにさらにジェット・リンクや様々な人物がからみ合い、そうしたものすべてを描く中で、豊かで説得力のある物語を組み立てているということなのである。

 わたしがこの映画を素晴らしいと思うのは、主人公たち、ジョーダンとレズリーとジェットの若い時代を描いた後で、彼らが歳を重ねた30年後の姿をじっくり描いて見せたところである。特にジョーダンとレズリーの二人には、最初からお互いの価値観のぶつかり合いが見えていたのであり、それが長い年月の間にどう変化していったのかを、終始ブレることなく見詰め続けていたのが素晴らしいと思った。
 この映画を何度見ても目頭が熱くなってしまうのは、ラスト近いドライブインでの殴り合いのシーンである。あからさまにメキシコ人を差別する店の従業員にジョーダンが抗議して喧嘩になってしまう、壮絶な殴り合いの末、ジョーダンの方がぶちのめされてしまうシーンである。最初に倒れ込んだ時に、衝撃でジュークボックスのスイッチが入り、ワクワクするような「テキサスの黄色いバラ」の歌が大音量で流れ出す。これまで、メキシコ人に対して意識しない差別意識をずっと引きずっていたジョーダンだから、観客としては(もちろんレズリーもだが)彼の思いがけない爆発に胸を突かれ、彼に絶対勝ってほしいと肩入れしてしまうのである。
 だが、彼は負けてしまう。そんな簡単に胸のすくようなエンディングはやって来ない。だが、映画はこのあと、レズリーがこの時の夫のことを肯定し、彼らが生きてきた年月のことを二人で静かに語り合うシーンを置くのである。異なる価値観があったからこそ生まれた二人の強いつながりが感じられて素晴らしかった。ここに到達するために、彼らには30年の歳月が必要だったのだ。

 この映画には、アメリカ社会の底流をなす根深い女性差別や人種差別の問題が描かれていて、60年以上も昔の映画としてはきわめて鋭い問題意識が含まれていたことに驚きを感じる。同時にいま、こうした批判精神がどこに行ってしまったのかと思うような、メキシコとの国境に壁を作ろうなどという剥き出しの差別意識が依然として力を持っていることに、言いようのない空しさを感じてしまうのである。
 しかし、だからと言って、この映画の終わり方を楽観的すぎると否定してしまうのは誤りだろう。60年前にジョージ・スティーブンス監督は、ジョーダンとレズリーがやっとたどり着いた思いを描くことで、子どもたちや孫たちの世代にアメリカの未来を託したのだと考えるべきなのだ。こういう良心的態度を笑ったり茶化したりするのは見苦しいことだと思う。進歩的な考えを持ったレズリーを嫌味なく造形できたのがこの映画の成功の鍵だと思うが、エリザベス・テイラーの美しさが大きく寄与していたと言うべきかもしれない。内容に関しては、まだいろいろ触れたいことがあるのだが、やり始めると長くなりそうなので止めておく。
 最後に、大したことではないが、この映画の原題は「GIANT」であって「GIANTS」ではない。プロ野球の金満球団の名前に引きずられたのか、「ジャイアンツ」と複数形にしたのは誤りだったのではないだろうか。
(TOHOシネマズ南大沢、12月10日)
by krmtdir90 | 2018-12-15 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

「日本が売られる」(堤未果)

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 日本という国に生まれ育ち、この歳になるまで安穏に暮らしてこられたことを考えると、この国はいろいろと気に入らないこともあるけれど、やはり素晴らしい国だったんだなと思うようになった。海外に出掛けるようになって、日本よりはるかに過酷な場所で生活する人々の姿を見たりすると、日本に生まれたのはまったくの偶然に過ぎなかったのだけれど、非常に幸運なことだったのだなと自然に納得させられるのである。
 ところが最近になって、何だか安心していられない状況が次々に生まれつつあるようなのだ。この数年ほどの間に、まったく信じ難いことなのだが、この素晴らしい日本の国のかたちを根底から覆してしまうような、きわめて重大な方向転換が次々と行われているらしい。いろいろなことが、ほとんどの国民にとって何の利益にもならない方向に向かって、どんどん作り替えられているらしいのだ。どうしてそんなことが起こっているのか。

 日本という国の良さが、いとも簡単に捨て去られようとしている。そんなおかしなことは起こるはずがないと思い込んでいた、それがいま国民が知らないうちにどんどん起こっているのだという。国民が知らないうちに、つまり国民に気付かれないようにして、この国のかたちを自分たちに都合のいいように作り替えてしまおうとしている人々がいるのだ。それがいまの政府与党であり、彼らはこの国を自分たちの金儲けに都合のいいかたちに変えてしまおうとしているのだ。
 この本は、いま国民が気付かないでいると取り返しのつかないことになってしまうという、きわめて重大で深刻な事態をまさに現在進行形の具体的事実として列挙している。それは、この日本の素晴らしさを構成していた様々なものを切り刻み、売りに出そうとしているということなのである。まえがきにおいて、筆者はこのことを端的に断じている。
 それは「国民の生活の基礎を解体し」、本来は国や自治体が担うべき「国民の命や安全や暮らしに関わるモノやサービスを安定供給する責任」を放棄して、市場を開放し投機の対象として、外国人を含む企業の前に「ビジネスとして差し出すこと」なのだ。農業、漁業、林業といった基幹産業において、民間活力を入れることで成長産業化するのだという、まったく根拠のない目くらましのかけ声の下で、すでに政府与党と結びついたグローバル企業の参入が着実に進んでいるらしい。企業が金儲けしやすい国にするのが、いまの政府の至上命題なのだ。

 これが、先日閉会した国会などで日々進められていたことである。こうした問題に対するマスコミの反応はきわめて鈍く、どういうことが起ころうとしているのかをきちんと問題提起する報道はほとんど見られなかったようだ(見られなかったというのは言い過ぎかもしれないが、提起はいつも単発的でささやかなものだったような気がする)。
 さすがに国会終盤には、出入国管理法改正案について徐々に問題点が明らかにされてきたが、問題点を隠しておきたい政府与党は、野党の追及を無視して時間をかけずに強行採決してしまった。この法案は、日本がこれから移民をどう受け入れていくのかという大問題に関わるもので、当然しっかりとした検討と制度設計が必要だったはずである。だが、政府与党には最低賃金以下で働かせることができる安い労働力が欲しいという財界からの要求に応えようとする視点しかなく、付随する様々な問題については蓋をしたまま押し切る姿勢しか見えなかったのである。
 結局、国会で彼らに多数を与えてしまったことが誤りだったのだと思う。彼らはみずからの金儲けのためなら、素晴らしい日本の国を切り売りすることなど何とも思っていないのだ。そのことに、そろそろ気付かないとまったく手遅れになってしまうのではないかという危惧を感じる。わたしはあと少しでこの世からいなくなるはずだからいいが、これからもまだ日本の国で生きていく人たちは、ホントにこの本でも読んで少し勉強した方がいいのではないだろうか。

 移民の問題一つをとってもきわめて重大と言うしかないが、問題なのはそれに匹敵するような、日本人としてあるのが当たり前と思ってきた生活上の安寧が脅かされる様々な法案が、ほとんど問題になることもなく次々に成立しているという事実である。
 この国会で成立してしまった水道法改正案もその一つである。水道が金儲けの手段となる恐ろしさについて、もう少し深刻にならなければおかしいのではないか。水道事業が民営化されビジネスの対象となった時、その安全性や公共性は本当に守られるのかどうかという問題である。こうしたことを推進しようとしている側は、それで利益を上げようと目論んでいるのだから、様々な疑問や問題点の指摘があってもまともに取り合う気はないし、大丈夫と繰り返すだけなのである。
 災害で大規模な断水などが発生した時、民間企業となった水道がどこまで対応できるのかは疑わしいと言うしかないだろう。世界的には、民営化が失敗して再度公営に戻す国が続出しているのが現状なのであり、もし今後そうなった時には、すでに金儲けを終えた企業は責任を取らずに逃走するのが目に見えているである。
 そのほかにも、種子法の廃止とか漁業法の改正とか、無関心でいたらとんでもないことになりかねない事態が、いまの政府与党の下でどんどん進行しているのだ。この本は、いま多くの日本人が読んで勉強しなければならない本だと思う。
by krmtdir90 | 2018-12-14 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「台北暮色」

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 ホアン・シー(黃熙)監督は1975年生まれの台北出身の女性で、あのホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の(近作の)現場で学んだのち、2017年にホウ・シャオシェン製作総指揮により発表した長編第一作がこの映画だったようだ。
 台湾では公開以来、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)とエドワード・ヤン(楊德昌)の映画遺伝子(どんなものだ?)を継ぐ新しい才能として注目され、高い評価を受けているらしい。前評判が聞こえてくると、どうしても見る時のハードルが高くなってしまいがちだが、この監督がきわめて特徴的な映画の作り方をしていることは理解できたし、その特異性は確かに際立っていると受け止めることができた。こういう撮り方をする監督は、これまでなかなかいなかったということなのである。

 その第一印象は、特別なことが何も起こらない映画だなということだった。登場人物はきちんと設定されているし、シチュエーションも丁寧に描かれているのだが、そこから先、人物がストーリーを紡いでいくことをしていないように感じた。また、シチュエーションも積極的にストーリーが展開することに寄与していないように見えた。もちろん、その場その場でいろいろな出来事は起こっているのだが、それが何らかのストーリーを支え、それを前に進めるようにはなっていないのである。その時々の細かなディテールのようなものだけが積み重なっていて、そういう一見何でもないようなことに、この監督の視線は集中的に注がれているのだと感じられた。
 結果的にどういうことが起こっていたかというと、登場人物は確かにそこにいて、彼らを取り囲むシチュエーションも確かにそこにあるのだが、そこで映し出されるものからは、何らストーリーらしきものが浮かび上がってこないということだったのである。それは何とも頼りなく、不思議な感覚と言ってよかった。
 人物たちがそこに存在しているというのは、実はよく判らないそういう曖昧さの中にいるということだったのかもしれない。そして、彼らが動き回っているところからは、ある種漠然とした孤立感のようなものだけが立ち上ってきているのである。そこには相互の関係性はたぶん存在しているが、それはけっこう頼りないものであって、彼らはその不確実性の中で揺れ動きながら、その関係性のようなものを必死に確認し合っているということだったのかもしれない。

 ホウ・シャオシェン製作総指揮はこの映画のことを、「彼女にとっての『童年往事/時の流れ』だ」と言っているようだが、1985年製作の彼のこの映画が彼女に影響を与えた点はないとも述べているらしい。むしろ彼女の映画は、エドワード・ヤンが1985年に撮った「台北ストーリー」に近いものがあると見られているようで、その批評の言わんとするところは理解できるが、これがヤン監督の「台北ストーリー」や「恐怖分子」(1986年)に匹敵するものになっているかどうかは、やや疑問符がつくような気がした。
 確かに、エドワード・ヤンを思わせる美しく印象的なカットがたくさんあったと思う。それが台北という街と、そこに生きる人々の姿を的確に写し取っていたことは確かなことだったに違いない。だが、ストーリーではなくディテールに多くのことを語らせるという彼女の行き方が、ややそちらに寄り過ぎてしまった感があって、やや物足りない感じになってしまったようにも思われた。
 と言うか、登場人物たちが抱える様々な事情や思いなどが、この映画でもそれなりに浮かび上がるようにはなっていたと思うが、エドワード・ヤンの映画では、それが彼らの現実にどうしようもなく侵入してきてしまうところに大きな特徴があったと思うのである。それなのに、この映画ではそうしたものが絡んでいることは見えているのに、それが彼らの生にそれほどの影響を与えていないように見えてしまうのが物足りなかったのである。

 30年の時代的隔たりが、台北という街に生きる人々のあり方を変えてしまったということなのかもしれない。あるいは、監督としての両者の資質の違いが大きいのかもしれない。よく判らないが、ここまで淡々とやられてしまうと、もう少し何か描いてほしいという気もしてしまうのである。エドワード・ヤンは、みずからの存在感をもうちょっと明確にしていたぞと思うのである。ホアン・シー監督のこの突き放し方は、わたしにはどうしても不満が残ってしまうような気がした。

 プログラムに、来日したホアン・シー(黃熙)監督と、「きみの鳥はうたえる」(2018年)を撮った三宅唱監督の対談が載っていた。かなり突っ込んだ話し合いになっていて面白かったのだが、それを読む前に、この組み合わせを見ただけで「ああ、なるほどな」と納得できるような気がした。この二人の映画の作り方には非常に似たところがあり、二人はお互いにそのことを指摘し合っているのだが、その発言にはいろいろと肯ける点が多かったのである。
 プログラムにはまた、「泳ぎすぎた夜」(2018年)の五十嵐耕平監督も好意的なレビューを寄せていて、いまやこういう描き方をする若い監督が旬なのかもしれないなと思った。わたしなどはやはり、もう少しストーリーに色気を出してもいいのではないかと思ってしまうのだが、そういうのは予定調和のありふれた行き方として、徐々に淘汰されるようになってしまっているのかもしれない。
 確かに「映画遺伝子」にそれなりの共通性は認められるような気もするが、ホウ・シャオシェンもエドワード・ヤンも、もう少しストーリーはあったぜと思うのである。わたしと生年が同じこの二人の監督あたりが、わたしには率直に共感できる基になっていることが再確認されたような気がした。ホアン・シー(黃熙)、三宅唱、五十嵐耕平といった若く個性的な監督は、これからもできるだけ注目していきたいと思っているが、その作風は理解はできてもストレートに没入することはできないようなものに思われた。
(渋谷ユーロスペース、12月7日)
by krmtdir90 | 2018-12-09 21:32 | 本と映画 | Comments(0)


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