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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「14の夜」

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 男の映画である。ただし、この男というのは14歳の中学生たちで、その「呆れる程に馬鹿だった」日々を、温かく率直な距離感で見事に写し取った映画である。まだ何者にもなりえない中学生男子の日常が、笑っちゃうくらい大真面目に語られている。
 1987年という時代設定が効いている。田舎町に一軒だけあるレンタルビデオ屋が、中坊たちにとって非常に重要な「世界に開いた窓」になっている。まだスマホもインターネットもなかったこの時代、レンタルビデオで覗き見るオトナの性のイメージが彼らの頭の中を占拠している。この頃のビデオは、購入すれば1万円以上、レンタルでも一泊千円以上という貴重品だったことを思い出した。まだエロ雑誌のグラビアの方が、彼らには何とか手が届く秘密の性典だったということなのだ。

 脚本・監督の足立紳という人は鳥取県生まれの45歳、すでに脚本家として実績のある人らしいが、監督としてはこれが最初の映画だったようだ。低予算だったため、わずか2週間の撮影期間しか取れなかったというが、安易に流れることのないきわめて正統的な画面作りが印象的だった。若い頃、相米慎二監督に師事したというのが生きていたのかもしれない。
 オリジナルの脚本が大変優れていると思った。中学生というのは案外ドラマのエアポケットであって、真正面からリアリティを持って描くというのが非常に困難な対象という気がする。4人の中学生男子が、特に何をするでもない日常生活の中に、きちんと個性を持って存在させられている。その大部分の言動が性と絡んでいるのだが、14歳の彼らの、端のオトナから見れば何ということもない、しかし当人たちにはこの上なく切実な悩みの数々が上手に掬い上げられている。学年内におけるみずからの相対的位置付けを、主人公のタカシ(犬飼直紀)が客観的に把握してみんなに語るところなどは、その的確さにちょっと驚かされるのである。

 周囲のオトナたちを丁寧に描写していることも効いている。光石研の演じたタカシの父親が出色だったが、母親の濱田マリ、祖母の稲川実代子、姉の門脇麦、婚約者の和田正人といった脇役陣が、オトナのみっともなさ、嘘くささといったものを鮮やかに浮かび上がらせ、そのクソみたいな日常に居ても立ってもいられなくなるタカシの苛立ちにリアルな説得力を与えていた。
 14歳の悩みの原点には、こうしたオトナにだけはなりたくないという、しかしオトナになるというのはこういうことなのかもしれないという、拒絶や恐れや諦めといった様々な思いが渦巻いているのである。この部分にきちんと目配りをした脚本になっていることが、単なる興味本位のチープな映画になることを防いでいるのだと思う。性に対する前のめりな中学生たちの行状を描きながら、彼らを見る作者たちの視線は意外なほど誠実で優しいのである。この種の題材を扱うにあたり、これは簡単にできることではないと思う。

 家を飛び出したタカシの「14の夜」の体験は、いわば様々な通過儀礼を内在した一種のメリーゴーラウンドのようなものだが、思いがけないように見えて案外ありふれているようにも思える、不思議な高揚感の連続する展開が新鮮だった。
 同じ中学生のツッパリグループとの確執や、もう一つ年上の暴走族グループとの経緯、さらに隣に住む幼馴染みのメグミ(浅川梨奈)との対決?など、この一夜にてんこ盛りのドラマが詰め込まれているのだが、マンガみたいな飛躍した展開がリアリティを決して失わないところが見事だと思った。タカシたち4人の中学生グループについては、映画の前半で非常に鮮明な(幼くも悶々とした)存在感を放つのだが、この「夜」のシーンでは、結局タカシ一人が取り残されるかたちでグループは自壊してしまう。代わってツッパリグループのリーダー的位置にある金田くん(健太郎)がクローズアップされたりするが、いずれにせよ「14の夜」の先に抜けて行くのはタカシ一人なのである。

 翌朝、自室に戻ったタカシが、相変わらずヘドが出るようなオトナたちの存在を外に感じながら、何か吹っ切れたような表情で泣き笑いを見せるラストシーンは印象的である。日々の繰り返しは簡単に変わるものではないが、14はやがて15になり、16になっていくのだということが生理的な実感として浮かび上がっていたと思う。
 画面が切れて、クレジットタイトルに移ると同時に流れる主題歌が良かった。キュウソネコカミというグループが歌う「わかってんだよ」というロック曲なのだが、「14の夜」の苛立ちを見事に表現していたと思う(いまはユーチューブで簡単に試聴できるし、歌詞もすぐに調べることができる。便利な世の中になったものである)。
 (テアトル新宿、1月12日)
# by krmtdir90 | 2017-01-13 12:54 | 本と映画 | Comments(0)

「黒書院の六兵衛」上・下(浅田次郎)

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 今年最初に読んだ本である。日本経済新聞に連載されたのが初出で、2013年に単行本となり、今年(2017年)の1月新刊として文庫化されたものらしい。近所の書店の文庫本の一角に平積みされていた。時代小説に手を出すことはまずないのだが、ほかならぬ浅田次郎だし、正月だから(理由になってないか)ちょっと気分を変えて読んでみる気になった。

 不思議な物語だと思った。奇想天外の設定と展開と言うほかない。浅田次郎でなければ思いつかないし、浅田次郎でなければ書き切れない物語だと思った。幕末から維新へという時代背景は、各所にドラマチックな要素を孕む混乱期であって、書き手にとってはまたとないアイディアが生まれる宝庫なのかもしれない。それにしても、浅田次郎の考えるフィクションは際立っている。
 文庫本のカバーの裏表紙に物語の簡単な紹介が載っているので、それを引用させてもらう。

 江戸城明け渡し迫る中、開城のため、官軍のにわか先遣隊長として、送り込まれた尾張徳川家・徒組頭(かちぐみがしら)の加倉井隼人。勝安房守(勝海舟である)に伴われ宿直部屋で見たのは、無言で居座る御書院番士だった。ここで悶着を起こしては江戸が戦に。腕ずくで引きずり出してはならぬとの西郷隆盛の命もあり、どうする、加倉井。

 歴史のことはよく知らないのだが、鳥羽伏見の戦いで徳川幕府を破った官軍は江戸に向かって進軍、江戸城総攻撃の日が迫る中、官軍の西郷隆盛と幕府方の勝海舟が会談して無血開城を決め、戦を回避したという史実が背景になっている。
 トップが話し合いで決めたからと言って、末端まですべてが言うことを聞いて順調に進むとは限らない。上野の山には幕臣たちが彰義隊となって立て籠もっているし、東北では依然として官軍への抵抗が続いていた。主人公・加倉井隼人は、先遣隊と言えば聞こえはいいが、要するに城内に不穏な動きがあればこれを一掃する決死隊ということで送り込まれたのだ。覚悟を決めて城内に入ると、幕臣たちの多くはすでに江戸城から去っていて、全体としては平穏に城の明け渡しが行われることが予想された。ただ一点、説得を拒否して無言で居座り続ける一人の旗本を除いては。

 この設定が実に面白い。この御書院番士・的矢六兵衛が、浅田次郎の仕掛けたフィクション上の謎になるのである。彼はいったい何者なのか、何のために城内に居座っているのか。この男は周囲の詮議や説得に一切耳を貸そうとせず、みずからの意図や要求などもまったく口にしない。ただただ無言で座り続けるだけで、てこでも動かないという意志だけを強烈に発散しているのである。
 力ずくの排除に出てしまうと、幕臣方との間で何とか保たれている薄氷の均衡状態が崩れ、予想外の衝突などに発展する恐れもある。そのため、あくまで話し合い決着を目指すしかない勝安房守や加倉井隼人の苦しい対応が続けられることになる。浅田次郎はこの的矢六兵衛ではなく、周囲で右往左往するしかない人物たちを丁寧に追いかけていく。的矢六兵衛という存在はとにかく動かないのだから、回りが動くことで彼の謎を解いていくしかないのである。

 そういう意味では、この小説は終始ミステリ的であると言えるだろう。実際、周囲の人間たちは様々に動き回り、的矢六兵衛の未知の部分に次第に肉薄していく。しかし、作者は最後まで謎解きに向かう展開を選ぼうとしない。恐らくここがこの作品の肝である。的矢六兵衛がどういう経緯で御書院番士になったのかという謎などは明らかになるが、それが明らかになっても彼の行動の意味は依然闇の中であり、彼の行動はその単純明快さによっていっそう謎を深めていくのである。
 すべての価値観が転覆するしかない江戸城明け渡しの混乱の場において、彼の取り続ける無言の行動は、失われていく武士の矜恃、武士道そのものを体現しているかのような意味合いを帯びてくることになる。この男に何一つ語らせることなく、いわゆるミステリ的謎解きにもまったく背を向けたまま、浅田次郎はこの的矢六兵衛という男の存在感を、驚くべき筆力でじわじわと高めていく。有無を言わせぬ力業で描き切って見せるのである。何の説明もないまま六兵衛が江戸城を後にするラストシーンは、不思議な、しかし圧倒的な説得力を持っている。

 小説というのは作りものであり、どんな破天荒な物語でも自由に作り出していい。しかし、それを説得力を持って語り切るのは簡単にできることではない。ただ面白いだけで後に何かが残るというような物語ではないが、浅田次郎の凄さを十二分に堪能できた本だったと思う。
# by krmtdir90 | 2017-01-11 20:35 | | Comments(0)

「i(アイ)」(西加奈子)

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 昨年最後に読んだ本である。直木賞受賞作「サラバ!」から2年、と帯に書いてある。受賞第1作ではないが、作者全力投球のストレート勝負ということでは、「サラバ!」に続く作品と言っていいように思う。「サラバ!」をあまりいいとは思わなかったが、今度はいいと思った。

 描かれているのは主人公・アイの心の遍歴とでも言うべきものなのだが、それが閉ざされたかたちのドラマとしてではなく、自身の存在が世界中で起こっている様々な現実に囲繞され、それらと無関係ではあり得ないのだという視点が設定されていて、現実世界の理不尽さや残酷さとどう向き合っていくのかという、広がりのある視野によって主人公の心が捉えられている。
 西加奈子にはこれまでもそういう傾向が見えていたのかもしれないが、この作品で初めて意識的に現実の世界と正面から対峙しようと試みたように思われる。現在の世界がどれほど悲惨で矛盾に満ちたものなのか、それを見詰め続け心を痛める存在として主人公が描かれている。こういうことは安易な思いつきでできることではない。

 主人公の名前はワイルド曽田アイと言い、1988年にシリアで生まれた(つまりシリア人)と設定されている。赤ん坊の時ニューヨークに連れて行かれ、アメリカ人・ダニエルと日本人・綾子というセレブ夫婦の養子となった。小学6年の時に父の仕事の関係で来日、現在高校生となって、その入学式翌日からこの物語が始まるのである。
 最初の数学の授業で教師が言った「この世界にアイは存在しません」という言葉が、彼女の成長過程に大きな影を落とすフレーズとなり、物語の中で幾度となく繰り返されている。教師は虚数単位の「i」のことを「愛」に引っかけてシャレてみたつもりのようだが、「アイ」はほかならぬ主人公の名前であり、一人称「I」を意味してもいるのである。この物語は、数奇な出自を持つ主人公少女がみずからのアイデンティティーを探し求める遍歴の物語と言っていい。

 自分の存在について考え始めたアイにとって、内乱が続き貧困が蔓延するシリアの過酷な状況と、すべてが恵まれたみずからの状況との落差は、目を背けることのできない様々な苦しみの原点となっている。選ばれたのはなぜ自分だったのか。自分が選ばれたということは、一方に選ばれなかった多くの誰かがいたということであり、そう考えることは、現在の自分が享受している平穏で豊かな生活を、言いようのない罪悪感で満たしていくのである。
 自分はこんなところでこんなふうに生きていていいのだろうか。彼女は孤独を深め、自分を主張することが極端に不得手な少女になっていく。彼女は世界中から伝えられる悲惨なニュースの死者の数を、ノートに書き留めるようになる。それはなぜ自分ではなかったのか。一方で彼女は、現実社会と関係を結ぶことを避けるようになり、いつしか数学の持つ絶対的な静謐に魅せられる自分を発見していく。

 物語は2004年から2015年に至るアイの成長を跡付けていくが、それと並行して、世界の理不尽と不均衡の犠牲となった膨大な無名の死者の存在を記録していく。それは具体的事実であり具体的数字であるが、読者にとって実感を伴ったものにはなり得ない。しかし、アイの想像力はそこに歩み入り、それをみずからの恐怖と悲しみとして感じ取るのである。
 物語の後半になると、それは彼女の母国であるシリアとシリア難民の現実に徐々に収斂していくが(決して他国の悲劇が捨象されてしまうということではない)、その中で彼女は、自分が偶然の成り行きに生かされた存在ではなく、終始生きた存在としてそこにあったことに気付くのである。「この世界にアイは、存在する」。彼女がみずからのアイデンティティーを発見するこのラストシーンは、恥ずかしくなるくらいストレートで感動的である。こんなふうに率直な表現でストレート勝負できるところが、西加奈子の真骨頂だと思う。

 ここまでアイという主人公のことしか書いてこなかったが、もちろん物語には彼女の成長と関わりを持つ重要な人物たちが登場している。高校時代に出会い、ずっと彼女の理解者であり友人であり続けるミナ、終盤になって登場し、彼女と結婚するカメラマンのユウ。そして、過去から現在までずっと彼女に寄り添っていた養父母など。物語の大半は、これらの登場人物たちとアイとの交流の過程を描き出す。ただ、長くなってしまうからここでそれらに踏み込むことはしない。
 彼女は長い間、ミナやユウや養父母がいてくれるから自分があるのだと感じてきた。特にミナとの間に紡がれた様々な出来事は、彼女にとってこの上なく貴重で大きなものだった。終盤近くの決定的とも思える「運命の試練」を経て、彼女は自分がここにあることとミナがそこにあることとはまったくの「同格」なのだということに気付く。存在というのは互いに許し許されたりするものではなく、それぞれがそこに存在し互いに呼び合っているものなのだと理解するのである。

 ここに描かれているのは普遍性を持った物語だが、現実世界の様々な出来事(ニュース)と向き合っているという意味で、きわめて時代性の強い物語でもある。時の流れとともに消えてしまう物語ではないが、そういう意味ではいま、同時代の中で読むべき本という気もする。西加奈子はこんなにも時代と切り結んでいる作家だったのである。
# by krmtdir90 | 2017-01-10 12:02 | | Comments(0)

ひどい正月

 きょうも更新しないと年末から1週間以上更新しないことになるので、新年最初の記事がこんなものになるのは非常に不本意なのですが、最小限の現況を報告しておきます。

 実は、元日の昼ごろから急速に風邪の症状に襲われ、2日の夜には39度近い熱が出て(この歳になると39度はかなり身体に応えた)、三が日は完全にダウンということになってしまいました(実際には起き出して箱根駅伝などを見ていましたが)。
 昨日(4日)はかなり良くなった感じで、きょう(5日)はさらに回復しているようですが、食欲が回復しないし、まだ元通りにはなっていないようです。インフルエンザではないかと恐れたのですが、この展開ではその可能性はほぼないと思われます。
 こんなわけで、元日の朝には少し飲みましたが、その晩からお酒はまったく飲んでいないし、今年になってまだ一度も風呂に入っていません(きょうは入ろうと思っています)。
 ひどい正月になってしまいました。何かのバチが当たったのかもしれません。

 心配は無用です。快方に向かっているし、間もなく全快します。そうしたら、またちゃんとした記事を載せますから。
# by krmtdir90 | 2017-01-05 17:33 | 日常、その他 | Comments(0)

南東北経由、新潟への旅(2016.12.24・26)

 新潟にどうやって行くか、正直最後まで迷った。膝や足首など、身体のあちこちに不具合が出てからは、鈍行での鉄道旅もずいぶん遠ざかってしまっていた。だが、新幹線で往復するのはやはりつまらないし、それよりずっと安い値段で青春18きっぷが買えてしまう(11850円)のである。新座柳瀬が新潟に行ってくれたのは、わたしにもう一度鉄道旅に戻りなさいという激励なのかもしれないと考えた。前日になってホテルをもう1泊追加し、青春18きっぷを購入してきた。

 12月24日(土)、朝7時少し前に家を出た。天気は快晴である。八王子駅7:19発のむさしの号で大宮に向かう。
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 8:12、大宮駅着。8:27発、東北本線・宇都宮行きに乗り継ぐ。E231系の15輌編成、快速ラビットである。新潟への行き方はいろいろあるが、5年前、同じく青春18きっぷで新座柳瀬の応援に行った時と同じルート、東北本線・磐越西線経由で新潟入りすることにした。当時は18きっぷ初心者だったので、あまり余裕もなく、写真などもほとんど撮っていなかった。

 さて、9:29、宇都宮駅着。9:32発、黒磯行きに乗り継ぐ。205系の4輌編成になった。10:22、黒磯駅着。
 10:27発、郡山行きに乗り継ぐ。黒磯駅は交流・直流の電化方式切り替え駅になっていて、ここまで乗って来た電車は直流方式、この先乗って行く電車は交流方式になっている。したがって、719系は交流電車、4輌編成で車内はセミクロスシートになった。乗り換え時間が少なく、座席の確保を優先するために(わたしも数年前の機動力が失われている)、このあたりまでは車輌の写真は撮れていない。
 11:30、郡山駅着。東北本線はここまで。11:40発、磐越西線・会津若松行きに乗り継ぐ。同じく719系の6輌編成、車内はセミクロスシートである。

 このあと磐越西線で太平洋側から日本海側に抜けて行くのだが、冬の季節の天候の違いが実感できる路線である。快晴だった関東平野と違い、雲も少しずつ出てくるし、雪の痕跡なども見えてくる。
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 やがて、進行方向右手の車窓に磐梯山の姿が見えてくる。
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 磐越西線は郡山駅と新津駅を結んでいる、全線が単線の路線である。郡山・喜多方間は電化されているが、喜多方・新津間は非電化である。
 猪苗代駅で数分の交換待ち停車があった。
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 交換した郡山行きは2輌編成だった。
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 12:29に猪苗代駅を発車。
 磐梯山をもう一枚。
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 12:59、会津若松駅着。13:08発、野沢行き区間列車に乗り継ぐ。
 会津若松駅は磐越西線の途中駅だが、なぜかスイッチバック構造になっていて、磐越西線が使用する1・2番線は頭端式ホームになっている。跨線橋もあるが、改札口に近いところに平面の連絡通路があり、そこから頭端式の様子を見ることができる。
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 右が1番線ホームで、停まっている719系がいま乗って来た電車である(折り返し郡山行きになるようだ)。左が2・3番線ホームで、2番線に停まっているのは非電化の只見線で運用される只見線カラーのキハ40である(ここは磐越西線のホームだから、こちらを走ることもあるのだろうか)。
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 わたしが乗る13:08発はこの車輌ではなく、同じホーム向かい側の3番線に停車中のこの車輌だった。
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 キハE120という新型気動車。ただし、前方に歩いて行くとこれは1輌だけで、前には何の変哲もないキハ110が2輌連結されていた。なーんだ、である。
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 13:25、喜多方駅着。下車する。
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 新津まで行く列車は1時間半ほど後なので、その時間を会津若松で使うか喜多方で使うかという選択肢だったのだ。この間に昼食を食べることになるが、昼食時間としては少し遅くなるが、喜多方ラーメンを食べようと思ったのである。
 駅の観光案内所で町歩きマップとラーメンマップをもらい、お薦めのラーメン店を紹介してもらった。比較的近いところに、大正末期から続く喜多方ラーメンの元祖と言われるお店があるというのでそこにした。源来軒。
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 ここは喜多方なので、特に喜多方ラーメンと名付けられているわけではない。ただのラーメン。650円だったと思う。手打ちのやや太い麺で、スープも美味しかった。
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 まだ時間はあるが、蔵の町と言われる喜多方の古い街並みは案外離れているようで、寒いし、そちらに行くのはあきらめて駅に戻った。
 順序が後になってしまったが、駅舎外観と、
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 駅正面の通り。
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 駅前の喫煙スペースで煙草を吸っていたら、道の向かいに煉瓦造りの古そうな建物が見えた。喫茶店になっているらしい。
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 近寄ったら由緒を記した説明看板があった。
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 鉄道開業から間もない、明治43(1910)年に建てられた米屋の店蔵だったようだ。ここで食後のコーヒーを飲んだ。

 喜多方駅14:50発の新津行きが入って来た。
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 これは14:33に会津若松駅を発車して来たものである。キハ48の2輌編成、車内はセミクロスシート。これに乗車して新津に向かう。
 途中、津川駅で数分の時間調整停車があった。ホームに出て、写真を何枚か。
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 この塗装は新潟色と呼ばれるものである。16:09、津川駅を発車。あたりは急激に暗くなっていく。

 17:11、終点の新津駅着。磐越西線もここで終わり。
 乗り換え時間が20分ほどあるので外に出て来た。これが改札口。
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 橋上駅で、手前が自由連絡通路になっている。一応両側に下りて来た。
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 こちらが繁華な通りのある方だった。
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 連絡通路から駅構内を見下ろす。
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 新津駅は信越本線の駅で、磐越西線のほか羽越本線の起点にもなっている。新津運輸区が置かれているため、側線も多く構内は広い。

 新津駅17:35発、内野行き。
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 信越本線の終点・新潟から越後線に直通し、途中の内野駅まで行くということである。2年ほど前に運用開始された新しいE129系電車の4両編成。車内はセミクロスシート。
 17:55、新潟駅着。

 22時55分撮影の新潟駅。
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 なぜこんな遅い時間なのか。この日の夜、および25日(日)の「行状」については、前の記事を参照。

 12月26日(月)の朝焼け(ホテルの窓から、6時55分撮影)。
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 朝の新潟駅(8時27分撮影)。
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 帰りのルートをどうするか考えたが、上越線経由や飯山線経由は乗ったことがあるし、少しでも乗ったことのない区間を入れたいと思い、米坂線経由とすることにした。米坂線は奥羽本線の米沢と羽越本線の坂町を結ぶ全線非電化単線の路線で、2014年の夏に乗りに行ったことがあるのだが、台風被害で途中に不通区間があり、代行バスで間をつないで往復したことがあったのである。列車で乗り通せば初めてということになる。

 で、これが新潟駅8:43発、白新線・羽越本線経由、米坂線・米沢行き、快速べにばな。
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 これは白新線・羽越本線の区間は快速運転で、米坂線の起点・坂町駅から先の米坂線の区間は各駅停車になるというもの。キハ110の2輌編成、車内はセミクロスシートである。

 実は、クロスシート部分を確保したのだが、発車間際になって向かいの席に若い女性が座り(それはいいのだが)、スーツケースで通路との間を塞がれるかたちになってしまった。何となく身軽に立って行くことができなくなって、結局終点の米沢までそのまま行くことになってしまったのである。途中駅での停車時間などもほとんどなく(今泉駅で交換待ちがあったが、停車時間は短かった)、窓も汚れていたので途中の写真は一枚も撮っていないという結果になった。
 立とうと思えばいくらでも立てたと思うが、前夜の「快挙」の余韻が残っていて、ふとそちらに思いが行ったりして、車窓を撮影することにあまり積極的な気分になれなかったということである。何となく、そちらはいいやという気分になってしまった。だが、もちろん目を閉じていたりしたわけではなく、車窓の変化はしっかり見ていたと思う。

 とにかくそういうわけで、11:31、列車は終点・米沢駅に着いた。
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 米沢駅というのは狭軌(軌間1067mm)と標準軌(軌間1435mm)の線路が混在している駅である。米坂線は普通の狭軌の線路だが、ここに車止めがあって、奥羽本線の線路とはつながっていない。奥羽本線の線路はは標準軌になっていて、山形新幹線が普通に運行ダイヤの中に入り込んでいる。
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 と言うか、米沢・福島間はほとんど新幹線しか走っておらず、朝夕を除けば昼間に米沢から福島に向かう普通列車は13:08発の一本しかないのである。したがって、ここで1時間半余りの乗り継ぎ時間が生じ、この間に昼食を取るという計画なのである。

 前に来た時には食べなかったので、せっかくなので米沢牛なるものを食してみようと思い、駅前のこの店に入った。左に階段があり、2階が食堂になっている。
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 米沢牛の焼き肉定食というのを食べてみたが(ご飯などは省略)、
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 肉は違ったのかもしれないが、焼き肉は要するに焼き肉であって、2000円という値段に見合っていたかどうかはよく判らなかった。
 米沢駅外観と駅前の様子。
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 前に来た時は暑い夏の盛りだった。前回は暑くて町を歩く気がしなかったが、今回は寒くてやはり歩く気はしなかった。で、待合室の椅子でぼんやり時間をつぶした。

 13:08発の福島行きが入って来た。標準軌の台車に置き換えられた719系電車の2輌編成、車内はセミクロスシートである。
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 この日はスタートから写真を撮る雰囲気にならなかったので、途中スノーシェルターに覆われた大沢・峠・板谷といった駅もあったのだが、やはり写真は撮っていない。写真は撮らなかったが、車窓は十分に楽しんだと思う。これからはそういうゆったりした乗り鉄でいいのかもしれないと思った。

 13:54、福島駅着。
 乗り継ぎ時間が20分以上あるので、一応外に出て来た。全景を収めにくい駅なので、寒かったし適当に撮って終わり。
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 駅前広場に芭蕉と曽良の銅像があった。
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 だが、この外に出たのは失敗だった。これが14:20発の東北本線・郡山行き(701系電車・2輌編成)なのだが、
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 わたしが行った時には車内のロングシートはすでに満席になっていて、立っている人もいる状態だった。まあ、仕方がない。途中で何とか座れたが、結局この電車は最後まで混雑したままだった。そういうこともあるのだ。

 15:07、郡山駅着。
 実は、次の黒磯行きの前に、途中の矢吹駅までという区間列車が一本設定されていた。矢吹駅なんて知らないし、こんなことでもなければ降りることのない駅だと思ったので、15:11発のこの電車に乗り込んだ。こちらはなぜか4輌編成(同じく701系)で、当然のことながら車内はガラガラだった。JRはどういうつもりなんだろう。

 15:34、矢吹駅着。少し遅れたので、乗り継ぎ時間は15分弱だった。外に出てみた。
 橋上駅で、これが改札口。
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 手前が自由連絡通路だが、これが何とも奇抜な作りになっていて、
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 興味が湧いたので、一応両方に下りて外観を見て来た。
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 こちらの方が町の中心のようだが、あまりパッとしない駅前通りだと思った。
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 帰ってから調べてみたら、福島県西白河郡矢吹町というところだった。

 さて、矢吹駅のホームに15:51発の黒磯行きが入って来た。701系、2輌編成。
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 今回の旅の写真はこれで終わりである。あまり面白い写真はなかったと思うが、久し振りの18きっぷの旅で、わたし自身はけっこう楽しかったと思う。

 以下、復路の経路と時間を記録しておく。
 16:32、黒磯駅着。16:39発、通勤快速・上野行き(E231系、10輌編成)に乗り継ぐ。18:39、大宮駅着、途中下車する。18:47発、むさしの号に乗り継ぐ。19:46、八王子駅着。
 ずっと快調に来たが、最後の一駅で引っ掛かった。中央線で事故があったらしく、下り電車がしばらく来ていないようだった。八王子駅のホームが人で溢れている。ほどなくして電車はやって来たが、西八王子までの一区間では経験のないようなすし詰め状態だった。やれやれ。
# by krmtdir90 | 2016-12-28 20:45 | 鉄道の旅 | Comments(0)


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