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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「私の少女時代」

 タイトルがタイトルなだけに、いい歳をして少女時代もないだろうと思ったが、何となく掘り出し物のカンが働いたと言えばいいか。入ってみたら、客席にはけっこう高齢者?の姿も多く、いまや平日昼間の映画館はシニアの娯楽の場として、思った以上に定着しているのだと認識を新たにした。そしてこの映画、予想以上に面白く愛すべき映画だったので満足した。
 2015年制作の台湾映画である。公開されると、台湾・中国・香港・韓国などで大ヒットになり、今回の日本公開につながったようだ。だが、日本でも大ヒットするかどうかは判らない。少なくとも「君の名は。」などよりずっと丁寧に物語が作られていると思ったが、前半のコメディ的な部分が観客にどう受け入れられるかということが分かれ道なのではないか。

 今回は、台湾と日本の2枚のチラシを並べてみた。
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 こうしてみると、興行側の力点の置き方がまったく違うことが判って、両国の観客の国民性の違いといったものが表れているようで面白かった。
 この女の子が主役の林真心(リン・チェンシン)で、演じたのは宋芸樺(ビビアン・ソン)という若い俳優である。一見したところではとても同一人物に見えないかもしれないが、この変貌ぶりがこの映画の肝であって、台湾版が前半での林真心を前面に出しているのに対し、日本版が後半での林真心をアピールしているということなのである。
 この子は前半では、「男子には興味を持ってもらえない平凡な(ブサイクな)女の子」として登場してくる。その明るいだけが取り柄のサエない日々が、かなり誇張したコミカルなタッチで描かれていく。そして、このどこにでもいそうなドジな女の子が、ちょっとした運命のいたずら(ボタンのかけ違い)によって、思いがけない恋のときめきを体験することになるのである。それまでイロケもオシャレもほとんど興味がなかった女の子が、心に期するところあって一生懸命カワイク変身したのが後半の彼女ということになる。

 この映画は、林真心の少女時代が「入れ子構造」になっていて、仕事も恋も空回り気味の30半ばになってしまった林真心の現在が、思い出の少女時代をサンドイッチするかたちになっている。身も心も疲れ果て、何もかも嫌になってしまったOLの彼女が、ラジオから偶然流れてきた懐かしい歌声によって、自分が一番輝いていた少女時代を回想していくことになるのである。
 したがって、彼女の少女時代は1990年代ということになり、そのことがこの映画に何とも懐かしい手触りといったものを与えていたように思う。この物語は、言ってしまえば設定も展開もまるで昔の少女マンガなのだが(少女マンガのことなどほとんど知らないのだけれど)、ベタと言えばもう最初から最後までベタでありながら、一つ一つのシーンを実に丁寧に作ることによって、観客の心をどんどんこの時代の中に引き込んでいくのである。
 ケータイもスマホも、ポケベルでさえまだなかったこの時代、カワイクなろうと決意した林真心が手本にするため書店で買って帰るのが、日本から輸入されたNON-NOだというのが微笑ましい。
ファッションのことはよく判らないが、登場人物の衣服や髪型などに90年代という時代がノスタルジックに反映していたらしい。

 高校生の林真心が夢中なのは香港の人気スター、アンディ・ラウであり、学年の全女生徒憧れのイケメン優等生、欧陽非凡(オウヤン・フェイファン)なのである(彼はバスケット部の選手で、ギターを弾きながら歌ったりもする)。しかし彼は学年一の美少女、陶敏敏(タオ・ミンミン)と交際中で、林真心のことなどもちろん気付いてもいない。
 優等生の対極に、徐太宇(シュー・タイユィ)という学年一の(学校一か)ワルがいて、林真心はひょんなことから彼と(不本意な)つながりができてしまう(パシリにされてしまう)。この徐太宇が実は陶敏敏のことが好きで、林真心は欧陽のことが好きだということが判ると、2人は欧陽と陶敏敏を別れさせるために共同作戦を開始する。
 などと、あらすじを書き始めると、われながら何をやっているんだと少々恥ずかしい気分になってくるが、学園少女マンガとしてはまさに王道を行く見事な設定になっているのではなかろうか。少女マンガという言葉を、この映画を軽んじるために使っているのではない。むしろこれは一種のほめ言葉である。このあとの展開も実に鮮やかと言うべきで、細かい途中経過は省略するが、いつの間にか林真心の心は次第に徐太宇に惹かれるようになっていくのである。

 さらに経過は省略するが、少女時代の物語は一応、作戦の当初の目的である林真心と欧陽、徐太宇と陶敏敏という2つのカップルとなって終わりを迎える。しかし、林真心と徐太宇の2人は、いつからか自分の心がそれぞれの方を向き始めているいることに気付いている。そして、この2人の恋はお互いにそれと明かされることなく、卒業とともに2人は別々の道を歩き始めて行くことになるのである。ベタだけれども、十分に切ないエンディングである。
 だが、映画はこれで終わらない。20年後の現在の林真心の上に、そこまでやるかという2つの奇跡を用意するのである。20年後も依然として大スターのままというのも驚きだが、アンディ・ラウの台湾コンサートの会場で(チケットは完売で手に入らなかったから、彼女がいるのは会場の外なのだが)、彼女は思いがけない2人の男性に出会うことになる。
 この種のラブストーリーとして、作り方のツボを心得た見事なサービス精神と言うべきだろう。観客は十分に満足し、幸せな気分で映画館を後にすることになるはずである。少女時代の前半部や、20年後の思い通りにならない日々の先に、映画が一つのあり得べき夢を置いて見せるというのは、たぶんこの上なく素晴らしいことであるに違いない。

 映画の中盤のあたりで、共同作戦中の林真心が徐太宇に、女の子の言葉と気持ちの裏腹さを教えるシーンが面白い。女の子が言う「大丈夫」は「大丈夫じゃない」、「何でもない」は「大あり」、「もう知らない」は「とても気になっている」ことなんだという、これらの言葉がこのあとの展開に重要なキーワードとして生きてくるというのも、鮮やかな作戦勝ちと言うべきだろう。
 林真心に「本当の太宇に戻って」と言われ、一念発起した徐太宇は猛勉強をして学年10位に入る好成績を収めるが、新任の生活指導主任が不正があったと決めつけたことに対し、全校集会の場で林真心たちがこれに異を唱えるシーンもわくわくした。マンガみたいな展開には違いないが、こうした中に「自分らしさを決めるのは私たちだ(先生たちじゃない)」というような、ステキなセリフがさらりと口にされたりするのだ。
 細かいところの描き方が、一見やり過ぎにも見えるコメディタッチの部分も含めて、登場人物たちへの温かい視線で貫かれていたことが大きいと思った。戯画化が決して嫌味にならず、全体として質のいいユーモアが隅々まで行き渡っていた。この品のいいユーモアは、「君の名は。」などにはなかったものだと思う。

 すべてが、「平凡な(カワイクない)少女」の物語として始まったことが(20年後の「自分を好きになれない30半ばの女」の物語としても)、思いがけないハッピーエンドに収束していくというのは、ともするとご都合主義の安易な映画になってしまう可能性もあっただろうと思う。この映画がそうならなかったのは、林真心と徐太宇の気持ちの変化を丁寧に追いながら、言葉や行動になかなか素直に現れないそれをしっかり捉えようとしていたからだと思う。
 監督の陳玉珊(フランキー・チェン)は、台湾テレビ界で長年ヒットドラマのプロデューサーとして活躍してきた女性で、この映画が監督第一作だったようだ。テクニックの巧みさはこの経歴で培われたものだろうが、人を見る目の温かさはこの人固有の美点と言っていいのではないか。娯楽映画を作る者にとって、それは最も大切な資質であるに違いない。(鑑賞、12月8日)
# by krmtdir90 | 2016-12-10 17:05 | 本と映画 | Comments(0)

スキンの変更について

 さっき、記事の投稿のためにパソコンでわたしのブログを開いたら、スキン(画面のデザイン)が全然違うものに変わってしまっていた。どうしたことかと設定のページを開いて調べてみたら、exciteから提供されるスキン一覧の中から、これまで使っていたスキンが消えてしまっていた。スキン一覧には随時新しいものが加わっているようだし、あの愛用のスキンは古くなって使用期限が切れたということだろうと推測した。それにしても、何の予告もなくほかのものに変わってしまうというのは少々乱暴な気がした。
 あの単純な緑色は非常に気に入っていたのだが、なくなってしまったものは仕方がない。一度決めたらちょくちょく取り替えるのは好きではないのだが、きょうのところは緊急避難的に適当なスキンを選んでおいて、あとでよく検討して2代目を決めたいと思っている。とりあえず、このスキン変更は降って湧いた災難で、まったく不本意なものであることを断っておきたい(スマホの方は無事だったが、これも突然こんなことになったりするのだろうか)。
# by krmtdir90 | 2016-12-07 17:01 | 日常、その他 | Comments(0)

「坊っちゃんのそれから」(芳川泰久)

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 本来であればまったく感想文を書くに値しない本なのだが、わたしと同様この題名に騙されて知らずに手を出してしまう人を防ぐために、あえてここに掲載しておくことにする。
 それにしても、こんなろくでもない後日談をでっち上げるために、「坊っちゃん」の題名や物語を勝手に利用することが許されていいのだろうか。ここには、漱石の書いた「坊っちゃん」に対するリスペクトはかけらもない。途中でよほど読むのをやめようかと思ったが、読んだ上できちんと批判しておかないと今後のためにならないと思い直した。

 作者は大学で文学を教えている教授先生らしいが、率直に言って小説の書き方がまったく判っていない。信じられないことだが、小説における描写の意味とか描写と説明の違い、会話の成立要件といった基本事項を勉強し直す必要があると思った。
 要するに、幸徳秋水だの大杉栄だの、歴史上の人物についての自分のちまちました知識をひけらかし、歴史的な出来事を自分に都合良く並べてみせるためだけに、坊っちゃんや山嵐の「それから」を利用したのである。この作者には、「それから」の彼らをきちんと人物造形しようという姿勢はないし、ただの操り人形として物語に奉仕させればいいと思っていたのではないか。つまり、この小説には(自分一人がいい気になっている)説明があるだけで描写や会話はない。机上で作られた役割分担はあるが、生きて動いている登場人物は一人もいないと断じて誤りとは思わない。こんなものが小説と称して単行本になってしまうのだからひどいものである。

 坊っちゃんや山嵐の「それから」を考え、それを小説にしようとすること自体を否定するものではない。原作の作り出した人物像にそれなりの敬意を払い、それを傷つけることなく誠実に構築された「それから」であるならば、その展開が予想外のものであっても受け入れることはできるだろう。だが、作者にそうした地道な作業をする気がないのなら、「坊っちゃん」に結びつけることなどやめて、最初から独自の登場人物を設定すればいいだけの話である。それでは面白くないと感じたのだとすれば、面白くないものしか書けない自分について反省した方がいいのではないか。
 実際、ここに書かれた坊っちゃんや山嵐や清は、原作の人物像に結びつくものなどほとんど持っていないと思う。それなのにこういうことをしたのは、その方が注目が集められるという低劣な下心があったからではないか。まんまと引っ掛かってしまったのはわたしの責任だが、こんなことをこんな人にやらせてしまった責任は出版社(河出書房新社)にもあるような気がする。題名に釣られて安易に購入する犠牲者がこれ以上出ないことを願う。

 つまらないものに時間を浪費してしまった。ただ、何十年ぶりかで漱石の「坊っちゃん」を読み直すことができたのが唯一の収穫だった。
# by krmtdir90 | 2016-12-07 16:17 | | Comments(2)

「鉄道復権・自動車社会からの『大逆流』」(宇都宮浄人)

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 留萌本線の留萌・増毛間が12月4日、最終運行を行ったのち廃止となった。この日にこの本を読んだのはたまたまで、ことさら狙っていたというわけではない。だが、きょうはもうあの線路にキハ54のディーゼルカーは走っていないと思うと胸が痛い。

 この本のことは、少し前に新聞だかインターネットだか、とにかく何かで記憶にインプットされていた。散歩の途中に立ち寄る書店で、思い出して購入してきた。奥付は2012年3月発行となっているから、ここ数年のJR北海道の切迫した情勢は反映されていない。
 というより、この本は日本のローカル線が置かれた危機的状況などに、直接切り込もうとした本ではない。日本の問題はひとまず置いて、それよりも外国、特にヨーロッパの鉄道事情や鉄道政策を見渡しながら、いま諸外国では鉄道の役割と必要性を積極的に見直そうという動きが広がっていることを、詳しく紹介した本である。それぞれの国で起こっていることは、もちろんそのまま日本に当て嵌められるわけではないが、鉄道王国であった日本が、いつの間にか世界の趨勢に大きく後れを取ってしまったことを明らかにしている。それは現代社会をどのように捉え、鉄道という最も基本的な交通インフラをどういうふうに考え直していくべきかという問題である。
 それは、少子化や高齢化、人口減少と地域経済の衰退、環境問題の顕在化といった大きな時代の変化の中で、日本の鉄道が経済一辺倒の考え方から脱することができず、理念なき衰退にはまり込んで行きつつあることへの警鐘になっている。なぜ鉄道が必要なのか、なぜ諸外国で鉄道復権(自動車社会からの「大逆流」)が起こっているのか、その理念というのはどのようなものなのかを論じている。日本の現状に、そうした大局的見地からの考察が決定的に欠けていることが指摘されている。

 ヨーロッパ諸国では、日本などよりはるかに早くから自動車や航空機の大衆化が始まり、鉄道の利用率がどんどん低下して、鉄道凋落の趨勢に歯止めがかからなくなっていた。日本同様、多くの鉄道路線が廃止に追い込まれた。だが、今世紀に入るあたりから明らかに潮目が変わったのだという。環境問題が地球規模のテーマとなり、自動車依存からの脱皮が大きな潮流となりつつあることも関係していたようだ。
 この本で詳しく紹介されている諸外国の例を一々たどり直すことはしないが、中で基盤となった「交通権」という考え方は非常に新鮮に感じられた。「全ての人の移動する権利、移動手段を選ぶ自由、並びに輸送を自身で実行し又はある機関若しくは企業に依頼する権利」というもので、これが保障されることが交通政策の根底でなければならないというものである。公共交通機関としての鉄道やバスを、人々がより利用しやすい形態に整備し直すことで、自家用車も選ぼうと思えば選べるけれども、それよりも鉄道やバスを積極的に利用しようという流れを作ること。それが、地方都市などで課題となっている中心市街地の空洞化を解決する大きな力となるということである。
 外国の例を見ると、そこには国や地方自治体などの、この問題に対する一貫した強い姿勢が感じられる。人口減少や経済衰退に直面する中で、人々の生活をどのようなものとして構築し、そこに公共交通機関の果たすべき役割をどう組み込んでいくのかという、しっかりとした長期戦略が見えているのである。一例として、中心市街地から自家用車を閉め出すために駐車場料金を高くし、郊外のパークアンドライド施設やトランジットモール、そして公共交通機関としてのLRT(ライトレールトランジット)の整備など、これからの時代を見通した好ましいまちづくりのために、ある時はかなり強引な施策が打ち出されたりしたようだ。

 一事が万事という気がして仕方がないのだが、日本の行政や政治の場当たり的な施策とは一線を画した、きちんとした理念の下で交通政策が策定され実行されているのである。人々が移動する選択肢の中に、公共交通機関なかんずく鉄道がある(なければならない)ということの重要性がしっかり理解されている。「上下分離」を始めとして、必要な公的資金は潤沢に注入されるようになっている。大型公共工事の経済効果にしか目が行かない日本とは大違いなのである。
 もちろんこうした実例が、そのまま日本でも実現可能だとは誰も考えていない。だが、公共交通機関や地方都市が直面している問題の多くは日本と共通しているのであり、これらの例に学びつつ、日本の実情に即した具体的なモデルを考えていくことは、国や地方自治体にとって待ったなしの緊急課題なのではなかろうか。JR北海道の問題が顕在化して以降、少なくとも北海道知事や道議会の反応が皆無であるのは(報道がサボっている可能性もないではないが)、あまりにも無責任と言わざるを得ないのではないか。
 この本は「正しい事実が理解されぬまま、近視眼的な現状維持志向によって足踏みを続け」ることが、「これからの時代のまちづくりに何が必要なのかを市民が考え」るチャンスを失わせていると、警告を発しているように思えるのである。トラック輸送にすっかり移行してしまった貨物輸送も、本当にそれで良かったのかどうか、トラック運転手の過重労働や人手不足は深刻度を増しているようだし、環境負荷の少ない鉄道貨物輸送をもう一度見直してみた方がいいのではないかといった、小さな提言のようなものもこの本には含まれている。

 もう一度、留萌本線のことに話を戻すが、前に増毛に行った時に丸一本間家の女性が話していた「地元の人間が利用しようにも、利用のしようがないダイヤを組んでおきながら、利用者が少ないと言って運行本数を削ってきたのがJRじゃないですか」という言葉が思い出される。先日発表された「JR単独では維持不能な路線」というのも、時刻表を当たってみれば「地元の人間が利用しようにも、利用のしようがないダイヤ」なのは一目瞭然なのである。
 もちろん沿線の人口は減り続けているから、仮に1時間に1本程度の「利用しやすい」ダイヤを組んだからといって、利用者が大きく増えることは考えられないだろう。しかし、交通弱者である高齢者や高校生たちには、「仮に1時間に1本」であっても外出への動機付けにはなるはずだし、車で増毛を訪れていた観光客の何割かは「1時間に1本」を利用してみようと考えるのではないか。少なくとも、そういうことを最初から排除してしまうのではなく、あるべき町の姿、あるべき北海道の姿をきちんと考えることの中で、あるべき公共交通機関としての鉄道の姿が考えられなければならないと思うのである。「お疲れさま~」と言って盛大に名残を惜しみ、翌日から過去のものにしてしまう風潮には納得できないのである。
 「交通権」というのは、北海道のような広大な土地であっても考えられなければならないし、観光立国を標榜する日本にとって、「移動手段を選ぶ自由」というのはこれからますます重要になってくることも忘れてはならない。少なくとも「上下分離」を知事あたりが宣言して、JR北海道の重荷を解放してやるぐらいのことはしなければおかしいのではないか。このまま、札幌だけの北海道になってしまっていいのかどうか。
# by krmtdir90 | 2016-12-05 16:13 | | Comments(0)

ベトナムの旅⑤ハロン湾・ハノイ・復路(2016.11.17~18)

 11月17日(木)、ハロン湾とハノイ。
 早くもベトナム最後の日になってしまった。朝6時40分ごろ、オウコー号は投錨場所からゆっくり動き始めた。
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 この日も朝のうちは曇り空だったが、次第に晴れてきた。
 6時半からまた太極拳レッスンがあったようだが、スーツケースの整理などが忙しかったので行かなかった。後で聞いたら、この日の参加者は数名だったとか。
 7時からレストランで軽い朝食。

 7時45分、レセプション前に集合して、テンダーボートで3回目の下船観光に出発。島に囲まれた波静かな海上で生活するブンビエン水上漁村というところを訪ねるという。
 村の入口に海上に浮かんだ案内所のようなものがあり(↓この写真の左手奥)、
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 そこで手漕ぎの小舟に乗り換えるらしい。手漕ぎと言っても、ちゃんと船頭さんが漕いでくれるから安心である。
 まず、この地図の前で簡単な説明を受けた。
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 海面が白、陸地が青で描かれているので注意(普通は青が海だろう)。①を出発して、時計回りにぐるっと一周して戻って来るようだ。
 船頭さんはみんな女性のようだ。
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 ここも漁村の人たちの海上生活の場所なのだ。
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 犬がいた。
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 一艘の舟に5、6人ずつ分乗して、順番に漕ぎ出していく。
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 この海面すれすれの視点は新鮮である。
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 松江や柳川でお堀めぐりの小舟に乗ったことはあるが、あれは狭い水路を行くだけで、あれはあれで面白かったが、海上を進んで行くこの小舟の感覚(スケール)はまったく別のものだと思った(舟のサイズもこちらはずっと小さい)。
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 この左の小舟は漁をしているらしい。
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 同乗していたガイドが声をかけて聞いたところ、イカを獲っているという。イカ漁は深夜に投光器を使ってやるイメージがあったが、細々とした漁なら昼間でも可能なのだろうか。
 こちらの小舟はどうやら空き缶などのゴミを集めているらしい。
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 静かである。
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 水上に浮かぶ家が見えてきた。
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 家は数軒ずつ寄り添うように浮かんでいる。
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 同乗していた80過ぎの(控え目な)老婦人は、以前に一度ここに来たことがあると言い、家々がすっかり新しくなっていることに感じるところがあるようだった。ガイドの説明では、やはり住民の数は次第に減少しているのだという(それでもわたしなどは、いまでもこういうところで生活する人々がいるというだけで、十分な驚きだったのだけれど)。
 進んで行くと、家々は次々に現れた。
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 こちらの家には洗濯物がたくさん干してある。
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 さらに村の奥に進んで行く。
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 こちらは人家ではなく、観光客用の中継点で、上陸?施設のようになっているらしい(われわれは降りなかったけれど)。
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 こちらは観光客用のロッジだという。
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 この家には漁船が係留されている。
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 さて、コースのハイライトになっているらしい岩場が見えてきた。
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 ハロン湾の景観は、広大な石灰岩台地が大昔に沈降し、浸食が進んで現在のような姿になったということだが、昨日訪ねた鍾乳洞(他にもあちこちにあるらしい)や、鍾乳洞の変型のようなこうした地形が見られるというのも、石灰岩地形の大きな特徴であるようだ。
 巨大なトントンネルの中に入って行く。
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 上からたくさんの鍾乳石が垂れ下がっている。
 向こう側へ抜けてくれるかと思っていたが抜けてくれなかった。
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 われわれの舟はツアー最後尾でスタートしたので、時間などを気にしたのかもしれない。船頭の女性も他に比べて若干非力だったような気もする(それにしても、これは相当な重労働だと思う)。
 向きを変えてトンネルを出て行く。
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 あとは帰り道という雰囲気になる。
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 元の船着き場が近づいてきたあたりで、
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 ほとんど舟で生活している感じの筏が幾つか浮かんでいた。
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 正味50分ほどの遊覧だったが、非常に興味深い不思議な体験だったと思う。
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 再びテンダーボートでオウコー号に戻ったのは9時10分くらいだったか。われわれが戻ると間もなく船は動き始めた。
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 けっこう忙しい日程だったが、これですべてのプログラムは終了した。このあと各自で船室をチェックアウト。9時45分からレストランでブランチになった。ブランチとは朝昼兼用の食事ということらしいが、この場合は早い(早過ぎる!)昼食という位置付けになっていたようで、しかし朝も一応食べているので、あまり食は進まなかった。
 食後はバーの周囲のデッキで写真を撮ったりしながらハロン湾に名残を惜しんだ。
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 陸地が見えてきた。
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 われわれの船が発着していたのはトゥアンチャウ島というところの船着き場で、一般のクルーズ船の乗り場とは別のところだったらしい。
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 ふと見ると、デッキと操舵室の間のドアが開いていたので、最後に了解を得て操舵中の船長の姿を一枚。
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 見覚えのある桟橋が近づいてきた。
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 実は、オウコー号という船がもう1隻あることをこの時初めて知った。こちらのオウコー号は停泊中のオウコー号の手前にぴったりと横付けし、われわれは向こうのオウコー号の中を通り抜けて下船した。下船したのは11時15分ぐらいだったと思う。 

 バスでまた4時間、ハノイに向かう。
 バスが走り始めてしばらくして、道路と並行して線路があることに気付いた。半分埋もれかかっているようなところもあって、使われている線路かどうか疑わしいと思っていたら、
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 思いがけず、列車がやって来たのである。
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 こんな近距離で、すれ違いながら3枚も撮れたのだから(トリミングなどの修正は加えてある)、列車の方はよほどゆっくり走っていたのではあるまいか。

 帰ってからいろいろ調べてみた。まず路線だが、ハノイとハイフォンの間にハイフォン線というのが通っているが、時間的にまだハイフォンの町を過ぎていないようにも思える。もう一つ、ハノイ北方のケプ駅というところからハロン湾まで通じるハロン線というのがあるが、これはベトナムで唯一の標準軌(軌間1435mm)の路線なのだという。バスからだと線路を横から見るかたちになるので、線路の写り込んだ他の写真を検討してみてもなかなか確信は持てない。
 だが、しばらく時間をかけて幾つかの記事を検討した結果、これはほぼハロン線で間違いないという結論に達した。ハロン線に乗車したという記事に掲載された写真で、列車を牽引しているのは上のわたしの写真に写っているのと同じ機関車だった。また別の記事に載った写真から、これはD14Eという中国製のディーゼル機関車で、標準軌のハロン線で使われているという記述を発見したのである(こんなことをやっているから、いつまでたってもまとめ終わらないのだ)。

 また、上の写真では機関車の後ろに4輌が連結されているが、最後部4輌目の車輌は外観からして明らかに荷物車である。上記の記事によれば、客車のように見える前3輌も、真ん中のもの(2輌目)は車輌中央に荷物用のドアがついているので荷物車(座席はない)、3輌目も荷物車の可能性が高いらしい。とにかく速達性で車に大きく劣っている以上、人を乗せる客車は残っていても1列車に1輌程度なのだという。いやはや。
 この線路。確かに(結論を得たあとでは)軌間がやや広いようにも見える。
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 線路は間もなく道路際から離れて見えなくなった。

 写真の撮影時刻から推測すると、このあたりでハイフォンの町を通過していたのではないか。
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 途中一回トイレ休憩を取った。行きに寄った店も大きかったが、その5、6倍はありそうな、信じられないくらい大きな土産物屋だった。ここで足りない土産を補充した。写真はない。

 午後3時を過ぎた。ハノイの町に入って来た。「KARAOKE」という看板はあちこちで見かけた。
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 ホン河に架かる鉄道橋、ロンビエン橋。
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 ハノイ・ハイフォン間を結ぶハイフォン線の鉄橋のようだ。
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 市内に入って近くから見ると判るのだが、線路の両側をバイクや歩行者が通行できるようになっているらしい。
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 ベトナム戦争時にはアメリカ軍の爆撃による破壊と補修が繰り返され、老朽化が進んで今後が危ぶまれているようだ。

 バスは旧市街を抜けて、
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 生活臭のほとんどない新市街の方に入って行き、3時半過ぎにタンロン遺跡というところに到着した。11~19世紀に栄えたベトナム王朝の城跡らしい。
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 発掘調査が進み、最近一般に公開されるようになったところだという。ツアーとしては最後の見学地だったのだが、ここはあまり面白くなかった。ガイドが不勉強で説明が要領を得なかったこともある。奥の方のいろいろな施設をけっこう時間をかけて回ったが、ほとんど印象に残っていない。
 最後に希望者だけ城門に上った。だが、この上には行けなくなっていた。
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 横の方にいまも行われている発掘現場があった。
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 国旗掲揚塔が見えていた。
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 左手に軍関係の広い敷地(立ち入り禁止区域)があり、掲揚塔はその脇の軍事歴史博物館に立っているものらしい。

 午後5時を回った。バスで夕食場所のレストランに向かった。
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 まだ5時半だったが、昼食(ブランチ)が早かったのでお腹はすいている。ベトナム最後の食事をゆっくり楽しんだ。

 食後に、飛行機の時間(深夜)までまだ時間があるからと、つけ足しで添乗員がタンロン水上人形劇というのに連れて行ってくれた。
 ここが劇場入口。
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 さすがハノイという感じで、中は思ったより広く、優に300人は入れると思われる客席が開演時には観光客で満杯になってしまった。
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 この人形劇は千年もの昔から、農民の収穫の祭などに水辺で演じられていたものを現代風にアレンジし、水面を舞台に、水中に隠された仕掛けを壁(簾)の背後から操ることで、コミカルな人形を縦横無尽に動き回らせるというものである。
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 民話や伝説などに基づいた数分のコントのようなものが連続するのだが、脇からかぶせられる言葉は判らないものの、十分に理解できるものになっていた。わたしはほとんど笑えなかったが、欧米人と思われる観客からはずいぶん笑い声が聞こえてきた。
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 正直に言うと、最初のうちは写真などを撮っていたのだが(一応撮影禁止ということだったが、観光客はまったくおかまいなしにフラッシュを焚いたりしていた)、全体の騒がしさ(演奏やセリフは脇の方で生でやっているのだが、すべてマイクを通して増幅されている)が意外に単調で、夕食時のビールも効いてきたのか、決してつまらなかったというわけではないのですが、後半は寝てしまいました。

 午後8時から始まった人形劇は9時前には終わった。バスで空港に向かう。いよいよベトナムともお別れである。面白い国だったが、人々の生活や町の様子といったことに関しては、若干駆け足の感じになってしまった。ツアーである以上、観光とは少しズレがあるわたしの興味が満たされるのは難しいことなのかもしれない。
 夜9時を過ぎても人々の姿がたくさんある旧市街の通り。
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 9時半過ぎ、バスはハノイ国際空港に到着した。外でのWi-Fiのやり方を覚えたので、待ち時間があったが時間は潰せた。

 11月18日(金)、復路。
 深夜0:25、ベトナム航空VN310便はハノイ空港を離陸、機内でプラス2時間の時差修正を行ったのち、7:00に成田空港に着陸した。所要時間は4時間35分、往路よりだいぶ少ない時間で到着した。
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 成田はやはり寒かった。帰りは八王子に直行するリムジンバスを使った。12時前に家に着いた。
# by krmtdir90 | 2016-12-01 22:48 | 海外の旅 | Comments(0)


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