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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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朝霞西・新座柳瀬のクリスマス公演(2015.12.23・高校演劇2015⑳)

 昨日はyassallさんと2人で高校演劇の「はしご」をしてきた。この時期、活発な活動をしている演劇部ではクリスマス公演と称して校内公演を打つところが多い。調べてみたら、上記2校が午前午後で「はしご」できるようなタイムテーブルになっていた。両校はコピスのフェスティバルでも注目株の西部A地区のホープである。

 朝霞西高は10:00開場、10:30開演となっていた。電車の接続が良すぎて、開場前の一番乗りになってしまった。あまりに寒いので外で時間調整という気分にもなれず、会場の社会科室に行ったら顧問のM(×2)先生が暖かく迎えてくれた。
 今回上演した作品は既成の台本で、諸般の事情で作者名・題名は書かない約束になっているが、1時間半ほどの本を1時間にカットしたものだという。現代的な素材(カメラマンやオカマ)を巧みに取り入れた大人のウェルメイドプレイといった感じの台本である。

 高校生がやるにはかなり背伸びした台本だが、朝西の生徒たちは正面から真面目によく取り組んでいたと思った。背伸びはどこまで行っても背伸びで、大人のやり取りを高校生が無理をしてやっているという印象は拭えなかったが、だからこんなものをやるのは無謀だとは言えないだろう。無理を承知の背伸びというのはいいものだとわたしは思う。高校生らしくて応援したくなる。
 たとえばオカマのブンちゃん。高校生の男子はふざけてオカマをやりたがることがよくあるが、このブンちゃんは全然違った。高校生の背伸びには違いないが、照れやためらいを克服して、こんなに真面目に真剣に演じられたオカマはわたしが観てきた高校演劇では初めてだったと思う。この汗びっしょりの熱演は清々しかった。
 基本的に5人のキャストは、このブンちゃんに代表される精一杯の背伸びを見せてくれたと思う。カメラマンKとその妻も実によくやっていたし、1年生2人も(まだちょっと固かったが)十分及第点の芝居をしていたと思った。結果的に、無謀な背伸びだったとしても、そこにそれなりのちゃんとしたドラマが成立させられていたのではないか。セリフのやり取りをきちんとやろうという意識が浸透しているから(テンポや間の計算なども)、そこから生まれるコメディ的な笑いを、まだある程度としか言えないが、時々は獲得できていたように思う。

 手持ちの照明機材が数本しかない状態で教室公演をする場合、演技エリアの上にある蛍光灯を生かしてみる(他を全部抜いてしまう)というやり方もあったのではないか。リビングが舞台になっているのだから、たぶんおかしくはなかったと思う。
 あと、小道具の大半を用意していなかった(マイムで処理した)が、やはり観ていて違和感があるし、そこまで手が回らなかったのかもしれないが、公演である以上それは言い訳になってしまうと思った。壁パネルも同様で、細かな造作までは要求しないが、やはりそれなりのものを立ててくれなければ、観客としては納得できないだろうと思った。

 新座柳瀬高は13:30開場、14:00開演となっていた。yassallさんの車で移動しながら、昼食をとり珈琲館で時間調節をした。開場数分前に5階の多目的室に行ったら、前の廊下にすでに在校生らしい数人が待っていた。やはり寒いので顧問のM先生を呼んだら、ちょっと早めに開場して中に入れてくれた。ありがとう。
 今回上演したのは久し振りの既成台本(倉持裕「鎌塚氏、放り投げる」)だが、これまでずっと柳瀬が上演してきたラインの延長線上にあるような、コメディタッチのこれもウェルメイドプレイと言っていい台本だった。柳瀬のカラーに合った台本をよく探してくるなと思った。こちらはノーカットで上演したようで、2時間15分をしっかりと演じ切ってくれた。これは簡単なことではない。出来はかなり良かったのではないだろうか。

 いつものことながらキャストはほぼ安心して観ていられる水準で、今回の台本ではそれぞれの役どころを楽しそうに演じていた。台本によっては時折、役と同調できない苦しげな芝居のキャストが目に付く場合もあったりするのだが、この台本はそんなことはなく、みんな伸び伸びやっているなと思えたのが良かった。満席の観客からもけっこう笑い声が出て、台本の面白い箇所はかなりのところまで作れていたのではないだろうか。
 伯爵や男爵といった貴族階級、そこで働く執事や女中頭といった役どころは、柳瀬の生徒諸君にはお馴染みの役どころとはいえ、高校生にはあまり向いているとは言い難い、かなり背伸びした芝居が必要になってくると思われる。朝西の舞台とは違った意味で、彼らはその背伸びを最後までやり切っていたのではないだろうか。セリフのやり取りというような演技の基本をきっちり作っているから、背伸びは背伸びに違いなくとも、観る者をきちんと舞台のシチュエーションに引き込んでくれたのだと思う。ここまでやってくれれば上出来である。
 宝塚を意識したM先生の創作台本でもそうだが、いわゆる高校演劇とは異質な背伸びというのは、そういうことをするのは無謀なのではないかという、排除のレッテル貼りに近い批評に晒されやすい一面を持っていると思う。しかし、わたしはこの背伸びに満ちた異質を愛する者である。これもまた、いかにも高校生らしいチャレンジ精神の一つの姿だと思っている。

 いろいろな場面が錯綜する台本で、M先生の話ではオリジナルは回り舞台を使ったらしいが、今回の公演では客席の両サイドギリギリまで使って場面を設定していた。仕方がなかったのかもしれないが、そのためけっこう重要な芝居が行われる執事室がサイドに来てしまって、かなり観にくくなってしまったのが残念な気がした。
 せっかく天井板を少しずつ剥がして骨組みにライトを吊れるようにしたのに、聞くところでは、クレームが付いて元に戻されることになってしまったというのは残念である。でも、管理職は数年で代わるし、ほとぼりが冷めたら、ね(笑)。

 終日曇り空の寒々とした一日だったが、両校のハートウオーミングな熱演のおかげで、暖かい気分で帰路につくことが出来た。両校の皆さん、お疲れさまでした。
# by krmtdir90 | 2015-12-24 14:01 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

「さよなら妖精」「真実の10メートル手前」(米澤穂信)

「さよなら妖精」「真実の10メートル手前」(米澤穂信)_e0320083_22102223.jpg
 「王とサーカス」の主人公・太刀洗万智が、米澤穂信氏の小説の中に初めて登場したのが「さよなら妖精」という作品なのだという。何となく興味が湧いたので、行きつけの書店の文庫本の棚から探し出し、買ってきて読んでみた。2004年に単行本として出版され、2006年に文庫本になったものらしい。
 米澤穂信氏のデビューは2001年だから、「さよなら妖精」はかなり初期の作品ということになる。最初は角川スニーカー文庫といったいわゆるライトノベル系の作家として世に出たらしく、この作品も4人の高校生とユーゴスラヴィアから来た少女・マーヤとの交流を描いた、青春ミステリとでも呼ぶべき(ライトノベル系の)作品になっている(出版社は東京創元社に移り、ミステリ・フロンティアというレーベルから出されたようだ)。

 わたしは決して熱心なミステリファンというわけではないから、以下は付け焼き刃的なにわか知識に過ぎないのだが、ミステリの中には死体の転がらない(殺人を扱わない)作品の系譜というものがあって、日々の暮らしに転がる小さな謎にスポットを当て、そこに意外な真相を読み取ることで成立するミステリというのがあるらしい。この作風を「日常の謎」派と呼ぶらしいが、「さよなら妖精」はそういう作品系列でデビューした米澤穂信氏の初期の代表作となったもののようだ。
 このところ3冠達成と話題になった3つのミステリ・ベストテンのうち、このミステリーがすごい!ベストテン(2005年)では20位、3つには含まれないが4つ目?のベストテンとも言うべき本格ミステリ・ベストテンでも22位と、圏外ながら米澤氏としては初めてランクインしたのがこの作品だったようだ。その後、2年連続3冠達成まで上り詰めることになる米澤穂信の、文字通り出発点となった作品と言ってもいいのかもしれない。

 この作品は「おれ」という一人称で書かれている。その語り手は守屋路行という高校3年生で、語り手だから一応主人公という位置付けになっているが、その相手役として主人公とほぼ同等の重さで登場してくるのが太刀洗万智ということになっている。この時点では米澤穂信は、太刀洗万智という登場人物を後年再登場させて新たな物語を作ることなど考えてもいなかったと思われるが、書いた後である種愛着の残るキャラクターだったのだろうというのは、何となく想像できるような気がした。
 ライトノベルというものをこれまで全く知らないのだから、それが一般的にどの様な登場人物を登場させ、どのような物語を展開させるのか判らないままに勝手な印象を述べるのだが、この作品の落ち着きのある話の進め方や記述の仕方というのは、米澤穂信という作者に固有の美点と考えてよかったのだろうか。太刀洗万智の一見判りにくいように見える個性的なキャラクター設定も、他にはあまり見ることのできないようなものなのではないかと想像した。

 今回は作品の内容にあまり踏み込んで書くつもりはないのだが、マーヤが民族対立と各民族の独立を賭けた内戦が勃発していたユーゴスラヴィアに帰った後、6つあった共和国のうち戦火の激しかった地域に帰ったのか、それとも比較的平穏な地域に帰ったのか、住所を明らかにしなかった彼女の安否を思いながら推理するところが本作最後の「謎」となるのだが、答はマーヤの兄から太刀洗万智の許に届いていた手紙によって守屋路行に明かされることになる。
 ライト(軽い)ではない現実が一気に流れ込んでくる結末は、その背景をきちんと書き込みながらも、日本のライトな日常生活の続きの中で位置づけられるしかない。この結末ではもう一つ、太刀洗万智によって守屋路行に投げつけられる短いセリフも印象的である。ずっと素っ気ない無関心とも見える態度で守屋とマーヤに接してきた彼女は、マーヤの運命に衝撃を受ける守屋に「でも守屋君、あなたちょっと、わたしを冷たく見積もりすぎじゃないの!」と叫ぶのである。

 これは太刀洗万智の、彼女なり精一杯の「告白」ではなかったか。それにしても、これはかなり予想外の展開だった。それなりの伏線は張られていたし、この展開に違和感のようなものは全く感じなかったけれど、最後の最後に彼女にこういうセリフを吐かせることで、太刀洗万智というキャラクターを一気に魅力溢れる忘れ難いイメージとして定着させたのだと思う。古臭い言い方かもしれないが、Boy-meets-Girl、仲良しの高校生の男子と女子に、そういう要素が絡まないことの方がおかしかったと言うべきなのだろう。
 爽やかで品のある「日常の謎」ミステリとしてしっかり完結していながら、この作品は崩壊するユーゴスラヴィアという国家の悲劇をきちんと描き出し、その犠牲となったマーヤというヒロインを最後に浮かび上がらせ、さらにその上に、太刀洗万智というもう一人のヒロインの「恋」をも鮮やかに浮かび上がらせて見せたのである。そのいずれもが、浮かび上がらせ方としてははなはだ控え目な感じであったことが、この何事もこれでもかと言い過ぎる時代、わたしには非常に好感が持てるという気がしたのである。

 米澤穂信氏は「王とサーカス」のあとがきで、「王とサーカス」は「さよなら妖精」と同じ太刀洗万智という人物が登場しているが、「内容的には連続していません。『さよなら妖精』をお読み頂いていなくても問題はありません」と断っている。それはその通りで、わたしも「さよなら妖精」を後から読んだが全く「問題」は感じなかった。しかし、読み終わってから「王とサーカス」を見返してみると、なるほどなと思わされる「関連」が幾つか埋め込まれていた。
 「王とサーカス」の本編が始まる前に、「マリヤ・ヨヴァノヴィチの思い出に」という献辞が記されていた。マリヤ・ヨヴァノヴィチは「さよなら妖精」のマーヤの本名である。また、本編の中でライターとして「なぜ伝えるのか」という問いに「誰かのためじゃない。わたしが、知りたいからだ」という結論に到達する太刀洗万智が、次々に「知りたい」ことを列挙する最後に(米澤穂信は)こう記すのである。

 わたしの大切なユーゴスラヴィア人の友人は、なぜ死ななければならなかったのか?
 なぜ、誰も彼女を助けることができなかったのか?
 わたしが、知りたい。知らずにはいられない。だからわたしはここにいる。目の前の死に怯えながら、危険を見極めて留まろうとしている。なぜ訊くのかと自らに問えば、答えはエゴイズムに行き着いてしまうのだ。知りたいという衝動がわたしを突き動かし、わたしに問いを発させている。それが覗き屋根性だというのなら違うとは言えない。どう罵られても、やはり知りたい。知らねばならないとさえ思っている。

 「王とサーカス」の太刀洗万智は、「さよなら妖精」の太刀洗万智と確かにつながっている。そう確認できるように書かれている。みずからのアイデンティティーに関わる問いの前で、それと必死に向き合おうとする太刀洗万智の原点に、ユーゴスラヴィア人の友人・マーヤの死と、そしてもう一つ「でも守屋君、あなたちょっと、わたしを冷たく見積もりすぎじゃないの!」という叫びがあったような気がするのである。
 恐らく、それが彼女の誠実さの原点である。太刀洗万智を再登場させることで、米澤穂信は「日常の謎」ミステリのサイドストーリーとして、太刀洗万智の「成長物語」とでも言うべき魅力的なストーリーラインを獲得したのだと思った。

 「真実の10メートル手前」は、まだ発刊されたばかりの単行本である。奥付は2015年12月25日となっている。米澤穂信氏は「王とサーカス」以前に太刀洗万智を主人公とした短編を幾つか書いていたようで、本書にはそうした6編が収録されている。1編は書き下ろしだが、他の5編は様々な異なる経緯を経て生み出された作品であるらしく、最も古いものが2007年、最も新しいものが表題作の2015年となっている。
 表題作は太刀洗万智が新聞記者だった時代を扱っており、あとがきによればこれは「王とサーカス」の冒頭に、プロローグのように置かれる予定で書き始められたものだったらしい。
 それはともかく、6編を読み終わっての最初の感想は、太刀洗万智の「成長物語」はまだ始まったばかりで、これからも米澤穂信氏のライフワーク的なシリーズとなっていくのではないかという気がした。大学時代の太刀洗万智についてはまだ何も語られていないし、なぜ新聞記者になったのか、なぜ新聞記者をやめてフリーのライターになったのかといった、重要なタイムエポックに関わるミステリがこれから書かれるのではないかという期待を抱かせられるのである。

 この6編の中の一作、「ナイフを失われた思い出の中に」は後味の悪い殺人事件を扱っているが(後味のいい殺人事件なんてないか)、これはヨヴァノヴィチという外国人の一人称で語られる(もちろん日本語で書かれているが)物語になっている。「さよなら妖精」に登場したユーゴスラヴィア人・マーヤの死を太刀洗万智に伝える手紙を書いたマーヤの兄である。
 ミステリとしてのストーリーは後味の悪いものだったが、一方に「さよなら妖精」に結びつくこうした設定を配したことによって、この物語はマーヤや守屋路行から始まった太刀洗万智の紆余曲折を経た人生を想起させ、そこから「成長」した現在の太刀洗万智の姿を鮮やかに描き出す、後味のいい物語になることが出来ていたと思う。

 また「さよなら妖精」の文庫本に戻るが、創元推理文庫というのは日本人作家の作品であっても、扉の裏に英訳されたタイトルが付されているのが特徴になっている。手近にある黒川博行の「キャッツアイころがった」なら「THE CAT''S-EYE ROLLED」といったふうに。
 ところが、この「さよなら妖精」の英訳タイトルは「THE SEVENTH HOPE」となっていて、他とは明らかに趣の異なるかたちになっていた。「7つ目の希望」とでも訳せばいいのだろうか。6つの異なる民族・異なる文化を持つ共和国による連邦国家であったユーゴスラヴィアが、それぞれの独立を求めて内戦に突入していく中で、お互いの違いを止揚した全く新しい「7つ目」を夢見ていたマーヤの思いを表したタイトルである。

 わたしが高校生だった頃、ユーゴスラヴィアという国は確かに存在していたと思う。だが、それがいまはなくなって、6つの異なる独立国家になっていることはよく認識してはいなかった。
 何と言えばいいのだろう、米澤穂信というミステリ作家の書くものは、ミステリの枠を超えて、いろいろなことを考えさせてくれる面白い側面を持っていると思った(数日前のニュースでは、残念ながら「王とサーカス」は直木賞候補にはなれなかったようだが)。
# by krmtdir90 | 2015-12-22 22:11 | | Comments(0)

第14回竹間沢車人形公演(2015.12.20/於・コピスみよし)

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 今年6月に行われたコピスみよし第14回高校演劇フェスティバルの打ち上げの席で、総合舞台監督をお願いしている丸山さんを中心に、ひとしきり盛り上がった話題がこの車人形公演のことだった。
 その存在については知っていたが、コピスみよしにお世話になっていながら、これまで誰もこの公演を観たことがなかったのである。今年はぜひ観せていただこうとみんな積極的な気分になっていたのだが、当日集まったのはyassallさんと川西のUさん、それにわたしの3人だった。現役の皆さんは学期末の忙しい時期で、日曜日とは言えいろんな仕事(学校説明会やクリスマス公演の準備など)が重なって働いているようだった。これは確かに仕方がない。

 この竹間沢車人形というのは三芳町の旧竹間沢村に古くから伝わる伝統芸能で、この公演は三芳町芸術文化推進事業として今年で第14回を数えているものだという。14回というのはわれわれの高校演劇フェスティバルと同じ回数で、つまり三芳町文化会館・コピスみよしが出来た時から続いている重要な催しなのだということに、迂闊にも今回初めて気が付いた。町民の中にもしっかり根付いているようで、客席もほとんど埋まっていたのは(失礼ながら、かなり地味な公演だと思っていたので)驚きだった。
 丸山さんにもロビーでお会いすることが出来たが、保存会の粋な法被を羽織ってずいぶん力が入っているように見えた。公演の演出兼舞台監督を務められたようで、ロビーに飾られていた稽古風景の写真パネルの中には、演出をなさっている丸山さんの(若々しい)姿が何枚も写っていた。

 さて、プログラムの方は、最初に「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」という舞台幕開けの舞があり、続いて市民参加(人形遣いや朗読に参加)による昔話「姨捨て山」というのが上演された。その後、車人形教室というのが行われ、Uさんも舞台に上がって車人形の操作などを体験した。ここまでが前半。
 後半は竹間沢車人形保存会の十八番とも言うべき演目「佐倉義民伝」より、甚平渡し場の段と宗吾郎住家子別れの段が上演された。実は、八王子にも車人形は残っているらしいのだが、不勉強のわたしは車人形の公演を観るのはこの日が初めてで、なるほどそうなのかという非常に新鮮な体験をさせていただいたと感謝している。
 文楽など人形浄瑠璃では、普通は3人で一つの人形を操作するが、車人形は1人で操作するのが大きな特徴のようで、それだけに素朴だが操作は非常に難しいものがあるようだった。舞台の構成にも様々な工夫があったようで、例の打ち上げの席で丸山さんがわれわれに熱く語っていたことが思い出された。舞台には張り詰めた緊張感があり、語りと三味線を一人でこなす三代目若松若太夫さんの説経節の名調子も相俟って、しっかりとした物語世界を作り上げていたと思った。
 なお、上演は撮影禁止になっていたので、残念ながら舞台の写真はない。
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 終演後はみずほ台のビックで楽しいお酒をいただいて帰りました。今回は観ることができなかった高校演劇実行委員の皆さんも、いつか観てみるときっと面白いと思います。
# by krmtdir90 | 2015-12-21 16:32 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)

上弦の月(2015.12.18/17:37)

上弦の月(2015.12.18/17:37)_e0320083_22275510.jpg
 いまはカメラだけで簡単にこういう写真が撮れる時代になった。中学生の頃、天体望遠鏡を一生懸命覗いていた者としては感無量の気持ちがある。

 数週間前、散歩の途中で八王子駅前のビックカメラに寄ったら、Nikonから超望遠ズームカメラが発売されていることを知った。COOLPIX・P900は光学83倍、P610は60倍だという。35ミリ換算で2000ミリと1440ミリ相当になるらしい。これは凄いと思った。月面写真が撮れることがパンフレットや店頭の掲示に謳ってあった。値段を見ると6万円台後半と4万円ちょっとということで、そのくらいで買えてしまうのかと驚いた。
 もちろんP900の方が倍率は高いのだが、手に取ってみると当然のことながら重量もかなりある感じで、P610の思いがけず軽い感じの方がしっくり来る気がした。天体望遠鏡を覗いていた感覚からすると、2000ミリは確かに魅力には違いないが、1440ミリでも月を撮るには十分のはずだと思った。結局、何度か店頭を冷やかしているうちに、コストパフォーマンスと本体の軽さを考えれば選択肢は絞られるような気がしていた。 

 とは言え、決して安い買い物ではないから、ムラムラと欲しい気持ちは高まっていたが、何となく躊躇する感じもあって日にちが経過してしまった。月面写真を撮りたいだけのために4万円を超す買い物をするのは、さすがにちょっと馬鹿げているという感じも拭えなかったのである。
 そんなわたしの逡巡を見抜いたかのように、数日前、歳末から正月にかけてカメラ・レンズ全品10%ポイントアップ(つまり20%のポイントが付く)というダイレクトメールが届いた。絶妙のタイミングである。これはもう買うしかないだろうと決意して行ってみたら、何とP610が3万8千円台に値下げされていた。正確には(レシートによる)38800円、消費税込みで41904円になるが、ポイントが何と8381ポイントも付与されている。けっこうお得感があって満足できる買い物だったと一人納得している。

 というわけで、日が暮れるのを待ちかねて撮影したのが上の写真。部屋にあったコンパクト三脚に載せたが、あとは何の操作もしていない。オート撮影モードのまま、ただシャッターを切っただけである。それでこれだけの写真が撮れてしまうのだから、凄い時代になったと驚くしかない。
 これから日ごとに満月に近づいて行くが、晴れていれば毎晩撮影しようと思っている。本箱のどこかから月面図の載った本を探して、クレーターの名前などを確認しようとも思う。かつて科学少年だった頃の記憶が甦ってきて、今夜はえらくワクワクしているのである。
# by krmtdir90 | 2015-12-18 22:26 | 日常、その他 | Comments(4)

塩原温泉・木の葉化石園(2015.12.16・17)

 また温泉に行って来た。10月31日に圏央道が東北道とつながったので、これまで車ではほとんど行くことのなかったそちら方面に行ってみようということになった。選んだのは塩原温泉で、また源泉掛け流しの熱めの湯を満喫してきた。
 だが、確かに便利になったことは実感したが、高速を走るというのは基本的にそれほど面白いものではないと思う。圏央道も東北道も関東平野を走っている限りは変化に乏しく、走り慣れた中央道が変化に富んでいるのに比べるとつまらないものだと思った。宇都宮の先の上河内SAで、往きも帰りも宇都宮餃子の昼食を食べた。

 泊まったのは「彩つむぎ」という宿で、こぢんまりしたなかなかいい宿だった。ただ、山あいの温泉としては12月中旬というのは完全なオフシーズンになるらしく、しかも平日などというのは泊まるお客もほとんどないようで、われわれを入れて3組の夫婦しか泊まっていなかったと思う(ダイニングでの食事だったので、自然に判ってしまうのである)。
 こちらとしては、ほとんど貸し切り状態で大浴場(浴場自体はけっこう狭かった)や露天風呂を堪能できたのだから、ツイていたと言うか文句のあろうはずもなかったが、働いている従業員は少なくともお客の倍以上はいたはずで、少し申し訳ないような気分になったのも確かである。

 帰りに、塩原温泉街を車で流したあと、街はずれの「木の葉化石園」というところに寄ってみた。ここが大変面白かった。
 駐車場に車は一台もなく(最後までわれわれの車だけだった)、奥がちょっとした林になっていた。間に小さな川があって、小さな橋の手前に小さな小屋が建っていた。中に男の人が座っていて、ここで入園料1人400円を払った。正規の料金は4~11月・500円、12~3月・450円となっていて、さらに65歳以上は50円引きと書かれていたのだ。

 林の奥に飾り気のない黒ずんだ建物があって、
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 左手にきれいな地層が見えている崖があった。
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 説明看板もあった。
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 建物の中には、この地層(塩原湖成層)から見つかった木の葉や昆虫の化石標本が所狭しと飾られていた。
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 最後はカエル。シオバラガエルと言うらしい。
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 館内には他の場所(外国など)で見つかった化石や様々な鉱物の標本なども並べられていた。出口近くの広いスペースが土産売り場になっていて、ここで採集されたいろいろな化石に値札が貼られて並んでいた。売り場には男の人が1人いたが、館内にはそれ以外の人はいないようだった。
 地層の露出した崖には近寄れないようになっていたが、探せば化石が見つかりそうに思えて(実際、見つかるのだろうと思う)、柵を乗り越えて行ってみたかったが我慢した。
# by krmtdir90 | 2015-12-17 23:59 | その他の旅 | Comments(0)


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