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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

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 日々のニュースに接していると、日本はこの先どうなってしまうのかと暗澹たる気持ちになることばかり続いている。そういうことに触れ始めると、恐らく際限がなくなってしまうだろうと思って触れないでいる。ブログは自分の楽しみとしてやっているのだから、基本的に政治問題や社会問題に踏み込むことは避けてきたのである。だが、この映画の感想を述べるに当たって、その内容があまりに現代日本の状況への警鐘になっていることに驚き、同時に日本とのあまりの違いに愕然とさせられたことに触れないわけにはいかない。

 映画はまだベトナム戦争が続いていた1971年、ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズという機密文書(いわゆるマクナマラ文書)をスクープし、時のニクソン政権から有無を言わせぬ圧力がかかる中、ワシントン・ポストが第2弾のスクープを打って世論の流れを変えていくさまを描いている。
 映画の中で、ワシントン・ポストの発行人(社主)であるキャサリン・グラハムが、死んだ夫の言葉として言う「新聞記事は歴史書の最初の草稿だ」という言葉が強く印象に残った。そうなのだ。国家の様々なところで作られる文書とその言葉は、後世に書かれるべき「歴史書」の最も基礎的な資料となるものなのである。国家が権力そのものである以上、国民の側にある新聞などの(同時代の)不断の監視下に置かれなければならないというのは当然のことなのだ。
 現に進行中のベトナム戦争に関する機密文書であっても、それが国民に知らされていなかった戦況の泥沼化を伝え、1965年時点ですでにこの戦争には勝てないという見通しを記していたものである以上は、考えられるあらゆる圧力や不利益を乗り越えて、国民の前に明らかにされなければならないということなのだ。そのことが、この映画にはきわめてストレートなかたちで描かれている。

 われわれの目の前にある日本の現実はどうなのか。国会で行われた不適切発言が、本人からの申告で簡単に取り消され、議事録から次々に消されている(二本線による抹消ではなく、まったく削除して発言そのものがなかったことにされている)という事実。また、森友問題の財務省文書が、政府に不都合な部分を改竄されていたり、自衛隊のイラク派遣に関する日報が、国会の論戦で政府に不都合だからと隠蔽されていた事実など。これらに関して、文書は廃棄されたとか存在しないといった言い方がまかり通り、逃げ口上として通用してしまう現実もある。
 また、刑事訴追の可能性があるからと言って、真実を語らないことが許されてしまう現実もあったではないか。刑事訴追があるかどうかはまったく別の問題であり、真実を語ると宣誓した以上は、いかなることがあろうとその通りにしなければおかしいのではないか。真実を報道することで逮捕される可能性や、会社の存続そのものが危機に瀕する可能性がある中で、敢然と記事掲載に踏み切るこの映画の展開との、あまりに大きな落差に絶望的な気分に襲われる。映画に描かれたのは、すべてアメリカで実際にあった出来事なのである。
 スティーブン・スピルバーグ監督はこの脚本(リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー)を読んだ時、「今すぐこの映画を作らなければならないと思った」と述べているらしい。彼の中には、トランプという無茶苦茶な大統領の下でアメリカはこれからどうなってしまうのかという思いがあったのだと思う。だが、それはそのまま、日本の無茶苦茶な現状に辟易としているわれわれの思いと見事に重なり合うものだったのである。そういう意味で、この映画は、われわれ日本の観客に対してもきわめて今日的な問題提起となっていたように思う。

 映画では、スクープのあと、政権側が国家機密を盾に記事の掲載を差し止める命令を出すが、最高裁はこの差し止めを無効とする判断を下すのである。日本では恐らくこうはいかないだろう。この判決理由の抜粋がプログラムに載っているが、日本など足許にも及ばない民主主義の成熟を感じさせるものになっていると思った。彼我の違いに悲しくなってしまうのだが、少し書き抜いておきたい。
 報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである。報道の自由が守られているため、政府の機密事項を保有し公開することは可能である。制限を受けない自由な報道のみが、政府の偽りを効果的に暴くことができる。そして、報道の自由の義務を負う者は、政府の国民に対する欺きによって多くの若者が遠い外国へと派遣され、病気や戦闘で命を落とすという悲劇を避けるために責務を全うすべきである。

 映画の感想も書いておく。
 26歳で撮った「激突!」で監督デビューしたスピルバーグも、今年で71歳になったらしい。依然として第一線のヒットメーカーとして活躍しているのは大したものだし、その多彩な作品がことごとく第一級の娯楽作品になっていることに驚きを感じる。この映画も、きわめてセンセーショナルな題材を扱いながら、その題材のみに頼ることなく、ワシントン・ポストの発行人キャサリン・グラハムと編集主幹ベン・ブラッドリーに着目して、その揺れ動く心情を繊細に描写し、骨太な人間ドラマを構成しているところは見事と言うしかない。
 特にキャサリンを演じたメリル・ストリープは、若い頃は何となく病的な印象があって好きではなかったが、老境に達して(68歳になったらしい)実にきめ細かい演技を披露していて素晴らしかった。記事掲載の最終判断を下すシーンでの躊躇と黙考の演技は、彼女だから出せたリアリティがあったと思う。編集主幹ブラッドリーを演じたトム・ハンクスもいい年輪を重ねていて、この役を単純な正義感で染め上げなかったところはさすがだと思った。
 当時の新聞社の上層部は、政権中枢にある様々な人物と交流を持っていたようで、キャサリン・グラハムが、ペンタゴン・ペーパーズを作成させた当時の国防長官ロバート・マクナマラときわめて深い友人関係にあったことは知らなかった。文書の中身を暴露する記事の掲載に際して、キャサリンが事前にマクナマラを訪問するシーンは興味深かった。マクナマラを演じたブルース・グリーンウッドという役者も巧みで、このシーンの緊迫した空気も忘れ難いものだった。
(立川シネマシティ1、3月5日)
# by krmtdir90 | 2018-04-06 16:47 | 本と映画 | Comments(0)

「不死身の特攻兵/軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史)

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 鴻上尚史は好奇心の強い作家だと思う。好奇心というのは感性の問題であり、鴻上尚史はみずからの好奇心の指し示す方向を追ってここまで来たのではないか。それは非常に感覚的な過程である。
 彼がこういう本を書いているのが不思議な気がしたが、一旦興味を持ってしまったら、最後まで突き詰めないではいられない気分が生まれたのだろう。ここには、鴻上尚史が自分の好奇心を信じ、それに誠実に対処した軌跡が描かれていると思った。

 太平洋戦争末期、海軍に続いて陸軍でも行われた特攻「作戦」において、「9回出撃して、9回生きて帰って来た」特攻隊員がいたということを、鴻上尚史がたまたま知ったことが始まりである。この本は、その、陸軍第1回特攻隊のパイロットだった佐々木友次という人についてのドキュメントである。
 鴻上尚史はこの人のことを知った後、「青空に飛ぶ」という中高生向けの小説を書いたらしい。その後、やはりフィクションではないかたちでこの人のことを残すべきだと考えて、今回の本を出すことにしたようだ。この人に出会ってしまったことに対する、鴻上尚史なりの責任の取り方として共感できると思う。

 この本はドキュメンタリー(ノンフィクション)として、鴻上尚史の好奇心が正直に現れるような構成を取っている。
 短い第1章で、鴻上は佐々木友次という人を知ったきっかけと、92歳で存命だった当人にインタビューするに至る経緯を説明している。長い第2章では、鴻上がいろいろ調べたり、インタビューを通じて知った佐々木さんの生涯を、特に特攻兵としてどういう体験をしたのかを、小説(フィクション)のような書き方で描き出してみせる。続く第3章が、札幌の病院で行われた5回のインタビュー(面会)の様子になる。この最後の面会から2ヵ月後の2016年2月9日に佐々木さんは亡くなるのだが、最後の第4章は、残された鴻上が何をどう考えたのかという考察の記録になっている。戦後(1958年)に生まれた鴻上尚史が、これまで考えたこともなかった特攻という問題と、どう向き合いどんなことを考えたのかを非常に率直に記述している。
 それゆえ、この本は誰にでも読みやすくわかりやすい本になったと思う。鴻上尚史の人となりが正直に見えていて、彼の思いがスッとこちらに伝わってくるものになっていると感じた。

 特に第4章で、現代の日本に引き付けて問題を考えようとしたところは説得力があり、一々納得し共感しながら読み進むことになった。
 特攻ということを考える時、「命令した側」と「命令を受けた側」とをきちんと区別して考えるべきであり、「命令」だったのか「志願」だったのかというような問題も、上記の区別に基づけばおのずと真実は見えてくるというのは、その通りだと思った。続けて、日本人の性質と特攻というものを関連させ、そこにあった思考の放棄と「集団我」というところに進んで、現代の日本にも見られる様々な「危うさ」に話を展開させるところは、現代の日本を見据えて非常に説得力があると感じた。

 それにしても、これまで一面的に美化され過ぎてきた特攻隊の真実を、こうしたわかりやすいかたちで世に出した鴻上尚史は、なかなか凄い人だと言うべきだろう。帯に印刷された「15万部突破!」という文字に、大きな希望を感じたいと思う。まだまだ部数を伸ばしてほしい本である。
# by krmtdir90 | 2018-04-05 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

「はいすくうるドラマすぺしゃる」で東大附属の舞台(2018.4.3)

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 東京大学教育学部附属中等教育学校のK先生からお誘いのメールがあり、俳優座劇場で行われている「はいすくうるドラマすぺしゃる」というのに出掛けてきた。今回で26回を重ねる高校演劇の催しのようだが、3日間6校の出演校の一つとして東大附属が上演するという。六本木へは都営地下鉄大江戸線で行ったが、この地中深くを走る鉄道はどうしても好きになれない。

 演目は井上ひさし作「父と暮せば」だった。原作は確か二人芝居だったと思うが、これを美津江の一人芝居として上演するのだという。観る前はそんなことができるのかと半信半疑だったが、実際の舞台を観てなるほどと納得した。不自然と言えば不自然なのだが、そういうことを吹き飛ばしてしまう説得力がこの舞台にはあったと思う。
 こういうことをやろうと言い出したのは生徒だったのだろうか。美津江・竹造を一人で演じた横田海香さんの見事な熱演には惚れ惚れした。男子部員がいないわけではないはずなのに、あえて困難なこのかたちを選んだ熱い意図が伝わってくる演技だったと思う。上演時間70分が延ばせる限界だったようで、カットも入れテンポも上げて演じていたが、本来もう少し緩急などをつけたいところはあったと思うが、有無を言わせぬ迫力で一気に走り切ってしまったのは大したものだと思った。
 欲を言えば、演じ分けの意識をもう少し強くした方が(特に喋りのテンポの違いという点で)良かったと思うけれど、逆にそれぞれの思いが交錯し入り交じってしまうような瞬間ができていたのは、こうした方法を取ったことから来る思わぬ成果だったかもしれない。
 70分が片時も緩むことなく、緊迫して少しも長いと感じることはなかった。開演前、つまらなかったら寝ちゃうよとK先生に冗談を言っていたが、とんでもない、どんどん目が冴えてきて、舞台から目を離すことができなかった。
 装置類は東大附属としてはよく飾り込んでいたと思うが、箱馬がそのまま見えていたのはどうだったか。音響・照明・衣装などは自然で、主張しすぎないところが良かった。

 一緒に観劇したSさんと新宿に出て、またわらびやで一献傾け蕎麦をいただいて帰った。劇場には懐かしいKさんの顔もあったが、用事があるとかで早々に帰ってしまったのは残念だった。
 顧問のK先生は確か蕎麦アレルギーだったと記憶するので、今度イタリアンのお店でも探して、一度ゆっくり話せたらいいななどと2人で話していました。
# by krmtdir90 | 2018-04-04 11:33 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)

モロッコの旅⑯カサブランカ、復路(2018.3.9~10)

3月9日(金)

 モロッコでは、ホテルやレストランでの喫煙はそれほど厳しく禁止されていない。客室内は禁煙でも(喫煙可のところもあった。吸わなかったけど)廊下やロビーには灰皿が置かれていたり、分煙もあまり考えられてはいないようだった。昨夜泊まったハイアット・リージェンシー・カサブランカもロビーは可になっていたようだが、やはり迷惑だろうと考えて、玄関の外に出て朝食後の一服をした。
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 ここにいたドアマンは昨日ポストの場所を教えてくれた男で、われわれが帰って来た時も見つかったか?と尋ねてきたりしていた。どうやら顔を覚えてしまったらしく、この朝もわたしが煙草に火を点けようとしていたら寄って来て、それはアメリカの煙草か?と聞くから、日本の煙草だと言いながら一本勧めてみたら、嬉しそうな顔をして受け取った。
 彼は何やら言いながら脇の方に行くから付いて行ったら、陰になったところにあるドアの中に入って行った。倉庫兼控え室のような小部屋で、彼は煙草に火を点けながら盛んにカメラ、カメラと説明する。どうやらドア付近には監視カメラが幾つもあって、それに映るところでは吸えないということらしい。ユーはノープロブレムだと言うから、判ったと言ってわたしは元の玄関先に戻って吸った。何だか面白い出来事だった。

 ホテルの前の道と国連広場。
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 ポストのあった建物はもっと右奥の方にあって、これには写っていない。天気は曇りである(ただし、出発後1時間ぐらいすると雲はどんどん取れていき、青空が広がったので良かった)。

 午前9時にバスで出発。
 バスは市内を少し走った。ここは学校の入口らしい。
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 トラムの線路を渡って、右側の通りの奥で停まった。
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 ここはムハンマド5世広場というところで、正面にある建物は裁判所ということだった。
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 右側の建物は市庁舎だという。
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 だが、わたしはそういうものよりもトラムに興味がある。
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 5連接車2輛の連結部分を写すことができた。
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 再びバスに乗って、少し走る。
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 白い壁にRICK'S CAFEと書いてある。
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 バスはこの右側の道に回り込んで停まった。
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 右側の建物は車の修理屋で、左のリックス・カフェとは関係がない。
 このリックス・カフェは、映画「カサブランカ」の中で、ハンフリー・ボガート演じるリックが経営していた「リックス・カフェ・アメリカン Rick's Cafe American」の内装をそのまま再現したレストランだという。中に入らなければそれは判らないのだが、食事しなければ中には入れないので、今回はまあ外観だけでもということで立ち寄ったようだ。
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 一応、前に立って記念写真などを撮ってもらった。
 これは店の前の風景。
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 因みに、映画「カサブランカ」はモロッコでのロケは行っておらず、リックス・カフェもハリウッドのスタジオに作ったセットで撮影されたものだという。
 だが、そういうことには関係なく、確かにカサブランカという地名もあの映画で記憶したのだったし、カサブランカを訪れる旅行者の多くが、あの映画のイメージに惹かれてここに来るというのも確かなことなのだろう。そういう意味で、映画における不朽の名作と言った時に、「カサブランカ」はまず真っ先に題名が挙がる映画の一つであるのは確かなことだと思う(1942年・アメリカ映画、監督:マイケル・カーティス、出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード)。

 さて、もう一度バスに乗って、最後の見学場所ハッサン2世モスクに向かった。
 バスを降りる頃から雲が薄れてきて、薄日なども差してくる明るい天気に変わっていった。
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 ハッサン2世とは、フランスからの独立を勝ち取ったムハンマド5世の後を受けて、1961~99年にモロッコ王国の現体制を築いた国王で、このモスクは、8年がかりで1993年に完成した、モロッコ最大、世界でも7番目に大きいモスクなのだという。
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 ミナレットの高さは200mで、これは世界最高ということだ。
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 下から見上げると、確かに高い。上の細くなった部分は見えなくなってしまう。
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 モスクも非常に大きなもので、2万5000人が収容可能なのだという。
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 こちらに海があるようなので、
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 出てみる。
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 昨日バスの中から見えた灯台が遠くに見えている。
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 帰る頃になるとすっかり青空になったので、モスク全景をもう一枚。
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 このあとバスは、ハッサン2世モスクを海の向こうに見ることができるというスポットに行った。
 アパートの窓に洗濯物がたくさん干してある。
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 灯台に近づいている。
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 ↑この手前の壁に囲まれた向こう側は、貧しい人々のバラックがひしめき合っている。
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 不法にバラックを建てて、居住権を盾に立ち退かないということらしい。
 さて、お薦めのスポットに行ってみたら、運悪く工事をしていて、
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 工事現場越しに見ることになってしまった。
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 それに、逆光だったし、まあ、仕方がない。こういうこともある。
 灯台はよく見えたんだけどね。
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 以上で今回のツアーの見学はすべて終了した。このあとは空港に向かうことになるが、少し時間が早いので、海岸沿いのカフェで少し休んでから行こうということになった。天気も良くなったし、これはグッドアイディアである。
 で、このお店。
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 左手の海の見える席に陣取って、みんなでミントティーをいただいた。
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 最後なので、わたしはモロッコ風の砂糖の入ったミントティーにした。
 大西洋に別れを告げた。
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 10時50分ぐらいにカフェを後にし、バスは空港に向かった。
 最後の車窓風景。
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 空港への標識。
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 ムハンマド5世空港が見えてきた。
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 到着した時は激しい風雨で閉口したが、この日はのどかな日射しの下である。
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 出国手続き・搭乗手続きなどを済ませ、中のショッピングエリアで最後の土産物などを探した。
 喫煙所。
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 これにはびっくりした。3人も入れば一杯になる小さな素通しのボックスが2つだけ。みんなけっこうはみ出しながら吸っている。わたしもはみ出して吸った。何だか非常に恥ずかしい気分にさせられた。
 搭乗口はA6ゲートだった。
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 われわれの乗る飛行機。
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 これは隣の飛行機。
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 カサブランカ14:35発、ターキッシュエアラインズTK0618便、イスタンブール行きはほぼ定刻に動き始めた。
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 離陸後、高度が安定してシートベルト着用のサインが消えた後、窓から眼下の景色を眺めた。
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 往路で見たのと同じような景色だったが、この荒涼とした景色の中を、どことはとても言えないけれど、確かに旅したのだと思うと何とも言えない充実した気分が湧いてきた。
 サハラ砂漠があるあたりは、砂塵が舞い上がっているのだろうか、砂漠の砂を思わせるピンク色に霞んでよく見えなかった。
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 以下、復路について記録しておく。
 機内でプラス3時間の時差修正を行い、飛行機は22:15、イスタンブールの空港に着陸した(フライト時間4時間40分)。

3月10日(土)

 ここで乗り継ぎを行い、次のターキッシュエアラインズTK0052便・成田行きは02:10にイスタンブールを飛び立った。
 機内で再度プラス6時間の時差修正を行い、成田空港到着は19:50だった(フライト時間11時間40分)。

 手続きが実にスムーズに進み、20:35発のリムジンバス・高尾行きの最終便に間に合ったので、苦労することなく直通で家に帰ることができた。ヨカッタ。

おわりに
 まさか16回もの連載になるとは思わなかったが、そのくらい今回の旅は盛り沢山で充実していたということである。バスの移動が多いと疲れるばかりだと言うが、確かに疲れたことは疲れたが、その目まぐるしく移り変わる車窓の風景が興味深く、まったく飽きることがなかったのが大きかった。また、毎日の見学場所も変化に富んでいて、その都度新鮮な驚きと発見があってワクワクさせられた。
 最後に「モロッコ、面白かったぞーっ!」と大声で言っておわりにしたいと思う。読んでくださってありがとうございました。
# by krmtdir90 | 2018-04-02 18:27 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑮アルジャディーダ~カサブランカ(2018.3.8)

3月8日(木)続き

 アルジャディーダのメディナ(ポルトガル都市)の前から、バスに乗って昼食場所に向かった。バスは海岸沿いの道路を走った。
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 7、8分でレストランに着いた。
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 レストランは海岸通りに面していたから、食事はそこそこに外に出て、道路を渡ったところで海を眺めながら煙草を吸った。
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 大西洋である。
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 みんなが出てきたところで、海をバックに記念写真を撮ってもらったりした。大西洋はもちろん初めてだし、恐らくもう来ることはないのだろうと思った。
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 晴れて良かった。煙草を2本、吸ってしまった。

 さて、再びバスに乗って、最後の宿泊地カサブランカに向かう。
 アルジャディーダの市街を抜け、バスは高速道路に乗った。
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 鉄道線路を越えた。
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 この路線は電化複線のようだ。
 川を渡った。
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 高速だと、あまり写真がない。
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 高速道路を出た。
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 カサブランカ郊外の風景。
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 白いアパート群の手前に、貧しそうな家が固まっている。貧しい家が固まった地域が、あちこちにあるようだった。
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 カサブランカの町並みの色は基本的に白である。
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 15世紀にポルトガル人がこの一帯を支配下に収め、ポルトガル語で「白い家」を意味する「Casa Blanca(カサブランカ)」と名付けたのが始まりだったらしい。町の名前が先か家の色が先かは判らないが、とにかくモロッコの他の町の色とこの町の色ははっきり異なっているのである。
 海沿いに出て少し走った。
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 海は見えなくなってしまったが、灯台が見える。
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 これは、海沿いに建つハッサン2世モスク。
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 ここは明日行く予定。
 市街地に入って来た。
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 カサブランカは人口400万人を超えるモロッコ最大の都市で、首都ではないが商業・金融・貿易などの中心地として発展してきたらしい。ビルが建ち並ぶビジネス街などもあるようだが、そういう方には行かなかった。
 このあたりは比較的古い、雑然とした町並みが続くようだ。
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 カサブランカにもメディナ(旧市街)はあり、この奥がそれに当たるらしい。
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 城壁は昔のままではなく、こんなふうにカフェなどが入る構造のものに建て替えられたようだ。
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 こちらが大きな通りに面したメディナの入口と時計台。
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 時計台も比較的新しいもののようだ。写真の右手から手前の方が国連広場という広場になっていて、そこに面して今晩宿泊するハイアット・リージェンシー・カサブランカというホテルが建っていた。その前でバスを降りた。

 チェックインは午後4時過ぎだったと思う。
 夕食は7時だったか7時半だったか、いずれにせよそれまでかなり時間があったので、部屋でちょっと休んだあと、ガイドブックの地図を頼りに散歩に出てみることにした。

 まず最初に、孫たちに出す絵ハガキをポストに投函しなければならない。フロントでもたぶん受け付けてくれたと思うが、それでは面白くない。ちょうどロビーにいた添乗員に頼んで、ドアマンの男に聞いてもらったら、国連広場の建物に付いていると(あちらの方にある、と指さして)教えてくれた。
 最初、国連広場に「面した」建物と理解して探したのだが見つからず、国連広場の「中にある」(何だかよく判らない)建物の壁面に付いているのを見つけた。
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 妻が投函するところを、証拠写真?として撮影した。
 建物の写真は撮ってなかったのだが、↓この右の壁面の奥にポストがあるのが判るだろうか。
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 ポストの向こうが(人が立っている)宝くじ売場になっていて、覗いてみたら日本のロトと同じようなものを売っていた。なお、道路を隔てた左の白いビルがホテルである。

 このあと広場を横切って、反対側の道路の方に行ってみた。
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 人だかりがしているところがあって、何か音楽の演奏をしているようだった。
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 この広場は、特にモロッコを感じさせるようなところではなく、ごく普通の都市部の広場という感じだった。だから、写真も上の2枚しか撮っていないのである。

 だが、こちらの道路には実はトラムが走っていた。トラムの電停もあった。
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 しばらくウオッチングをすることにした(妻は近くの土産物店などを覗いていた)。
 やって来た。
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 低床式の連接構造で、かなり長い編成だった(5連接車を2輛連結している)。長いのはラバトで見た時と同じだが、車輌はこちらの方が新しいように感じた。調べてみるとラバトは2010年開業、カサブランカは2012年開業だった。
 発車して行く。
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 走り去る方向を追う。
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 こちらはビルなどが建ち並ぶ市の中心方向のようだ。
 次の電車がやって来た。
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 また発車して行く。
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 同方向が2台続いたが、今度は手前の線路に逆方向がやって来た。
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 近づいて来て、
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 こちら側の電停に停まった。
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 ドアが開き、乗客の乗り降りが行われる。
 ドアが閉まり、発車して行った。
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 ここまででウオッチングは終わり。このあと土産物店で妻と買い物をした。

 次に、メディナの時計台を左に見ながら、
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 メディナの壁に沿って広い通りを歩いた。ガイドブックを見ると、この先にカサブランカの鉄道駅があるようなので、ぜひ見に行きたかったのである。妻も一緒だし、途中の写真などはない。
 かなり歩いた先に駅はあった。こちらに入口があるようだ。
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 中に入る。
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 こちらは横の入口だったようだ。
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 地下街があるようだったが行かなかった。ホームは右手らしいが、左の方を回って行く。発車時刻を知らせる電光掲示板がある。
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 ホームとの間には全面ガラスの扉があり、4つほどの入口があった。係員が立っているので、写真を撮ってもいいかと断って(ゼスチュアで)、扉の開いているところから撮ったのが次の2枚。
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 頭端式の櫛形ホームが何面かあり、2種類の列車が入っている。
 扉が閉まってしまうと、ガラス面への写り込みが厳しい。
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 別の入口からガラス越しに。
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 実は、現場ではよく判らなかったのだが、帰ってから調べてみると、このオレンジ色の列車は2階建ての車輌だったようで、上の写真はそれが判るものだったので、トリミングして拡大してみたものである(やはり写り込みは許し難いのだけれど)。
 しかし、列車に近寄れないのでは面白くない。
 こちらがキップ売場と自動販売機。
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 キオスクのような売店。
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 入ってみたが、日本のキオスクと非常によく似た品揃えだった。
 ホームと相対する正面入口と思われる方に出てみたが、そちらは何だか人が少なく、
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 最初に入った入口の方が市街地の方向なので、そちらが主に利用されているようだった。
 駅名表示。
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 カサブランカ市内には鉄道駅が2つあり、起点となっているこちらはカサ・ポール駅と言うらしい。
 広い道路の向かい側から撮ったカサ・ポール駅全景。
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 右の方が市街地、左の方に行くとすぐに港があるようだったが行かなかった。

 来た道を戻った。
 途中でメディナの中に入れるところがあったので、入ってみた。ただ、われわれだけで行動しているわけだし、深入りして道に迷っても困るので、見えている時計台を目標に、壁の内側に沿ったあたりを少し歩いただけで終わりにした。写真も3枚しかない。
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 時計台の脇から外に出ると、ちょうど日が沈もうとしているところだった。
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 夕日を受けるメディナの時計台。
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 メディナ入口の門。
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 ホテルに帰ったのは午後6時20分ごろだった。
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 とうとうモロッコ最後の晩になってしまった。
# by krmtdir90 | 2018-04-01 22:49 | 海外の旅 | Comments(0)


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