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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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アメリカ南部の旅④欲望という名の電車(2019.2.21)

2月21日(木)

 午前7時10分、部屋の窓から。
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 雨が降っている。キャナル通りあたりのビル群は霧に煙ってしまって見えない。
 午前7時56分、ホテル前のバーボン通り。
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 雨は降り続いている。

 午前9時にロビーに集合して、この日も徒歩で出発。雨はかなり小降りになっているが、やはり傘は必要な感じである。
 最初、ジャクソン広場の先のディケーター通りに行った。ここには観光馬車が列をなして客待ちをしていて、きょうはまずこの馬車に乗って市内を回るのだという。
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 ↑こいつには乗らなかった。もう少し先のところで、3台をグループにして雇ったらしい。われわれは3台目に乗った。出発。
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 馬車とは言っても、これは馬ではなくロバとの交雑種のラバだという。1台目が白、2台目が黒で、われわれのは茶色だった。
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 われわれの御者は女性だった。道々、説明をしてくれるのだが、英語なのでよく判らない。同乗した添乗員が時々通訳してくれるが、同乗者の中に英語の判る人もいるようなので、あまり熱心にというわけにはいかない。
 コースは希望でどのようにも出来たようだが、フレンチクオーター内はすでにかなり歩いているので、同じダウンタウンでもその外側の、昨夜ジャズを聞きに行ったフレンチメン通りを含むフォーバーグマリニーという地区を中心に回ったようだ。

 地図を見てみると、フレンチメン通りの一本外側にElysian Fields Ave.という広い通りが通っている。これはフォーバーグマリニーのメインストリートとして整備されたものだったらしいが、「Elysian Fields」は訳せば「極楽」ということになるのである。↓たぶんこれがその通りなのだが、
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 だとすれば、ここがテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」の舞台となった「『極楽』という名の街路」(ト書き冒頭)ということになる。
 もちろん当時の雰囲気はもう残ってはいないだろうし、今回走ってみて、周囲にはけっこう小綺麗な家並みなどが続いていたので、本当にそれでいいのかとちょっと自信をなくしかけたが、ウィキペディアを調べてみると、20世紀前半のこのあたりの治安はきわめて悪かったという記述があったので納得した。この芝居の初演は1947年だったというから、書かれたのはそれ以前ということになり、ウィキペディアの記述と重なっていたのである。
 なお、「『欲望』という名の街路」はもっと外側になるらしく、これらの街路を走っていた路面電車の路線も現在は廃止されてしまったということらしい。

 馬車はフレンチメン通りも少し走った。
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 昨夜行った「Snug Harbor」の前までは行かなかったが、明日の晩に行くことになる「Blue Nile」というお店の前は通ったようで、その外観が偶然写っていた。
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 見通しのいい角を曲がる時、前の馬車が捉えられる。
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 ↑ここ、また極楽通りだと思う。
 このあと馬車は横道に入り、カラフルでお洒落な住宅が並ぶ通りをしばらく走った。
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 20世紀後半になるとフォーバーグマリニーの治安は劇的に改善し、フレンチクオーターから移り住む住人などもいて、非常に住みやすい町として発展したのだとウィキペディアには書かれていた。
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 家はほとんどが平屋で高床式になっており、道路に面している幅はあまりないが、どの家も奥行きが深くなっているようで、広さはそれなりにあるということらしかった。
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 走っているうちに、雨はすっかり上がった。
 最後にフレンチクオーターの中の通りに戻ったようだ。
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 再びディケーター通りに出て、出発点に帰って来た。
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 約50分ほどの馬車散策だった。

 さて、このあとは路面電車を乗り継いで、アップタウンのガーデンディストリクトというところに行くという。
 まず、リバーフロント・ラインの「Toulouse」駅である。
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 ミシシッピ川の川霧が流れ込んでいるようで、線路が霧の中に消えている。
 反対行きの電車が霧の中から現れて、
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 再び霧の中に消えて行く。
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 この時、空の雲が切れて、少しだけ青空が覗いた。
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 今回の旅で、初めて見えた青空である。なんか、すごく嬉しかった。
 しばらくして、今度はわれわれが乗る電車が霧の中から現れた。
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 乗車。
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 車内。
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 この電車、後方の座席を男が占領していた。
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 酔っ払いだろうか。こんなこともあるんだね。
 運転席(後方)。
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 われわれはこのあとキャナル通りの方に行くので、「Canal St.」駅で乗り換えだと思ってみんな下車したら、この電車がそちらに乗り入れるというのが判って、あわててもう一度乗り直した。
 で、キャナル通りとバーボン通りがぶつかる交差点の駅で、われわれは下車した。
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 実は、キャナル・ストリート・ラインになって駅の姿も変わり、駅名表示がどこにあるのか判らなくなってしまった。それと、ガイドブック(地球の歩き方)でも、リバーフロント・ラインの駅名は載っているが、それ以外のラインの駅名はなぜか載っていない。
 困ってしまって、これらの路面電車を運営しているRTAの公式サイトを探し当て、そこに載っていた路線図を参照してみたのである。これにはすべての駅名が記載されていたが、そこから判ったことは、こちらではどうもそこにある通りの名前が意識されているだけで、改まって駅名というような認識の仕方にはなっていないのではないかということだった。
 われわれが下車したところは「Carondelet St./Bourbon St.」駅と記載されていて、これはこの交差点でキャナル通りに左右からぶつかっている通りの名前そのままなのである。つまり、ここで下車した後、バーボン通りの方に行くならここは「Bourbon St.」駅だし、われわれのようにこの後、キャロンデレット通りの角でセントチャールズ・ラインの路面電車に乗り継ごうとしているのであれば、それは「Carondelet St.」駅ということになるのではないかと推測した。

 RTAの路線図をそのまま転載できればいいのだが、昨日やってみたら、理由は判らないのだが文字がほとんど消えてしまって使えないことが判った。で、①でフレンチクオーターを示すのに使った地図をもう一度、今度はもう少し左のエリアを使いながら利用することにした。
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 右寄りの紫のところがフレンチクオーターで、その左に縦に通っているのがキャナル通りである。路面電車は点線で描かれているのだが、われわれはキャナル・ストリート・ラインで下から進んで来て白い二重丸のところで下車したのである。ここが「Carondelet St./Bourbon St.」駅で、この地図ではセントチャールズ・ラインの駅が分離して描かれている。
 この地図で、左から入って来てキャナル通りに達している点線がセントチャールズ・ラインなのだが、この線はキャナル通りに接するところでぐるりと一回りするように描かれている。これは、この区間の道路が狭いので、ここだけ単線の一方通行になっていることを表している。セントチャールズ通りを左から複線で入って来た線路は、「Lee Circle」という円形部分を通って一本上のキャロンデレット通りに移り、単線になってキャナル通りまで行って、そこで時計回りに下のセントチャールズ通りに入り、ここを左に進んで「Lee Circle」まで戻ってくるようになっているのである。

 いろいろと解説が長くなってしまった。キャロンデレット通りがキャナル通りに出て来た角がセントチャールズ・ラインの「Carondelet St.」駅なのだが、そこにやって来た車輌がこれ。
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 これに乗りたかったのだ。
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 何と優雅な車輌だろう。現役の路面電車の車輌としては世界最古とされているセントチャールズ・ストリートカーである。1922~24年の間にBrill&Perley Thomas Companyによって製造された車輌で、100年近くも走り続けているものなのだという。

 ニューオリンズの路面電車は、このセントチャールズ・ラインを除いて、様々な路線が一時すべて廃止されてバスに転換してしまったらしい。その後、観光を意識したニューオリンズ市が、1988年にリバーフロント・ラインを、2004年にキャナル・ストリート・ラインを復活させ、そこを走る赤い車輌をこれに合わせて新造したということだったのである。
 あのレトロな車輌はもちろん素晴らしいと思うが、こちらの深緑の車輌は、何と言っても正真正銘歴史を背負って走り続けてきたものなのである。細かな補修や部品交換などは繰り返してきたのだろうが、この姿は往年の姿をそのまま残しているものなのだ。これはいまどき凄いことなのではないだろうか。
 あの「欲望という名の電車」でブランチが乗って来たのは、路線は違うけれど、明らかにこの深緑色の電車に違いなかったのである。う~ん、これは感動するぞ。

 さて、この910はけっこう座席が埋まっていて、全員が座り切れないと判断したわが添乗員は、すぐに後続の電車が来ているのを見て一台見送る判断をした。
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 これは実に賢明な判断だったと言うべきで、次にやって来た954は、
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 まるっきりガラガラだった。
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 みなさんは前方から順に座っていたが、わたしは後方に行って、
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 この運転席に座って記念写真を撮ったりしていた(恥ずかしいからその写真は載せません)。
 前の電車との運転間隔を広げるために、この電車はしばらくここで時間調整をした。その間に、車内の座席はほとんど埋まってしまった。
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 天井の車内灯が白熱電球なのを見てほしい。いろんな表示などに使うモニター画面は後から取り付けられたようだが、それ以外にはエアコンはもちろん扇風機すら付いていない。雨が上がってけっこう蒸し暑くなってきているので、みんなあちこち窓を開けて風を入れたりしているのである。なんか嬉しくなってしまう。
 因みに、こちらでは(赤い電車も含めて)駅名などの車内放送は一切なく、乗客は降りる駅が近づいたら、窓枠の上に通っている横紐を引いて運転手に伝えるようになっているらしい。

 さて、窓が開けられているというのは、写真もガラス越しでなく撮れるということである。
 発車後、一区間だけキャナル・ストリート・ラインと併走した電車は、「St. Charles Ave./Royal St.」の角で右折してセントチャールズ通りに入って行った。
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 次は通りに入って3つめか4つめあたりの駅なのだが、
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 駅というよりも停留所と言った方がしっくりくる感じで、右の歩道に立っているポールの先の黄色い部分に「CAR STOP」とあるのがそれを示す唯一の表示で、駅名はどこにも書かれていないようだった。
 次の「CAR STOP」には屋根があったが、やはり駅名は見当たらないようだった。
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 沿道のあちこちに仮設の観覧席が作られていた。
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 明日から始まる「マルディグラ」のパレードのためのものだろう。通りがそんなに広くないので、電車ギリギリのところまで席が張り出している。この通りがパレードコースになる時には、この路面電車も運転を休止することになるのだという。
 少しして、電車は「Lee Circle」に差し掛かった。
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 2方向に分かれていた線路が、ここでCircle(円)を描くことで複線にまとまっていくのである。
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 セントチャールズ通りのこの先は道幅も広がり、中央分離帯の部分がずっと線路になって行くようだ。電車も車も、基本的に右側通行である。
 わたしは右側の座席に座っていたから、すれ違いの電車が来ても写真を撮ることはできなかった。まあ、無理をすることはない。以下、車窓からの眺めである。
 何やら不思議な存在感の建物。何だったのかは判らない。
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 「ポパイズ(Popeyes)」。
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 下にLOUISIANA KITCHENとある通り、フライドチキンを中心とした、このあたりを発祥とするファーストフードチェーンらしい(この日の昼食にキャナル通り沿いのポパイズに連れて行かれた)。
 次はカフェかレストランと思われるが、左に出ている看板の下に「LIVE JAZZ」と書かれていて、こんなところでもそういう店があるのかとちょっとびっくりした。
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 次はかなり高いビルの玄関で、ザ・ポンチャートレインというホテルだったらしい。
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 コカコーラとペプシコーラの配送車(たぶん)が並んで停まっていた。
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 こちらのトラックは大きい。
 次は火事になった家のようで、表にはいろんな車輌が止まっていて、どうやら現場検証が行われているようだった。
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 こんなのに出くわすこともあるのだ。

 この路面電車には30分以上乗っていたと思う。下車したのは「Washington Ave.」というところだった。
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 このあたりはアップタウンのガーデンディストリクト(Garden District)というところで、ニューオリンズ郊外の高級住宅地として最初に開発された地域だったようだ。

 このあとここを散策することになっていたが、その前に近くにあるラフィエット墓地というのを見に行った。
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 一般の墓地に観光客が集まっているというのも不思議な光景だが、それはニューオリンズの墓地が他に見られない独特の形態をしているということなのである。
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 こちらの墓地では遺体を地下に埋葬せず、地上に作った格納型のお墓に棺を納めている。
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 ニューオリンズの土地は標高が低く、たびたび洪水に見舞われているばかりか、地下水位も高く、地盤も軟弱だったので、地中に埋葬しても棺がびしょびしょになったり浮き上がってしまったりすることが起こったようだ。そのため、石や煉瓦で頑丈な家のようなお墓を作り、その中に厳重に棺を格納するやり方が広まっていったらしい。
 人の背丈よりも高いものがたくさんあった。
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 もちろん、こうした立派なものに入れるのは富裕層だけであって、貧しい者の場合はロッカー型の集合墓地に入れられ、一定期間が過ぎると順に廃棄されていく(入れ換えられていく)ということらしい。
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 これで墓地の見学は終わり。

 このあと、高級住宅地ガーデンディストリクト(Garden District)の中をしばらく散策した。
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 スターや有名人の邸宅とか、歴史的ないわれのある建物などもあり、ガイドのマユミさんがいろいろ説明してくれていたが、いまとなってはもうどれがどれやらさっぱり判らないのである。
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 ↓この屋敷はフランス国旗が掲げられていて、
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 フェンスに色とりどりのビーズのネックレスが掛けられていた。
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 このビーズは「マルディグラ」のパレードで観客と受け渡しされるもので、そのお祝い気分を先取りしたということだろうか。
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 ↓ここは何かオペラに関係した建物だったらしく、庭先に蝶々夫人らしき銅像が立っていた。
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 いつの間にか雲が切れ、青空が見えるようになっている。
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 時々日差しも届き、同時に気温も上がってきているようで、相変わらず湿度はあるから、日本で言えばほとんど梅雨の合間のような感じになってきていたのである。
# by krmtdir90 | 2019-03-06 16:03 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅③雨のニューオリンズ2(2019.2.20)

2月20日(水)続き

 昼食のレストランを出たら雨になっていた。しかも、今度はかなりしっかりと降っている感じで、降ったり止んだりの時間帯は終わってしまったように思われた。それでも、フレンチクオーター内を歩き回った午前中は何とか持ってくれたのだから、御の字と言っていいのかもしれなかった。

 この日の午後はミシシッピ川のリバークルーズが予定されていた。雨は残念だが、乗船してしまえば関係ないとも言えるわけで、キャナル通りの突き当たりにある船着き場まで、傘を差して歩いて向かった。

 途中で、大きなビルに立ち寄った。乗船時間まで少し余裕があったということらしく、階上の展望室からミシシッピ川やフレンチクオーターの眺めを楽しもうというのである。
 傘を差していると小まめに写真を撮る気にならないので、何と言うビルだったかははっきりしないのだが、いま地図で確認すると、Westin New Orleans Canal Placeというホテルの共用部分だったのではないかと思う。エレベーターに乗ったが、何階に上がったかは記憶にない。
 で、これがミシシッピ川の眺め。
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 晴れていればなあ、と言ってみても仕方がない。
 これがフレンチクオーターのあたり。セントルイス大聖堂が見えている。
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 クルーズの外輪船。
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 このNATCHEZという船は、別の船着き場から出ている別の観光クルーズ船だったようだ。
 もちろん路面電車も見えている。リバーフロント・ストリートカーで、↓これは手前に近づいて来ているもの。
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 見えている駅は❺番の「Bienville」駅である。
 ↓こちらは向こうに遠ざかっていく。
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 ❹番の「Toulouse」駅に入って行く。
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 この窓から眺めを楽しんだのである。
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 再び地上に降りて、また傘を差して船着き場へ歩く。
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 ↑停まっている路面電車の右側に駅があって、電柱に隠れているけれど❻番の駅番号が読み取れるので、調べると「Canal St.」駅ということが判った。
 船着き場に到着。
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 船名はCREOLE QUEENと書かれている。このクルーズは午後2時出港の「HISTORICAL CRUISE」というもので、第2次独立戦争と言われた1812~15年の米英戦争の時に、激しい戦闘が行われた古戦場まで往復するというものだったのを後になって知った。
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 ↑この右下にあるのは、現地のビジターセンターで貰って来たパンフレットだが、シャルメット古戦場(Chalmette Battlefield)というのはニューオリンズからミシシッピ川を8キロほど下ったところにあるもので、ジャクソン広場で銅像になっているアンドリュー・ジャクソンの指揮で、アメリカ軍がイギリス軍を撃破したところだったらしい。この戦いはニューオリンズの戦い(Battle of New Orleans)と呼ばれ、アメリカ人なら誰でも知っている有名な史実だったようだ。

 午後1時半過ぎから乗船となった。依然として雨は降り続いていて、どこに席を取るか迷ったが、一応屋根はあるが開放的な上のデッキの方のイスを確保した。周囲の甲板には屋根がなく吹きさらしになっていたから、そちらに出て自由に動き回ることが出来ないのは残念だったが、完全な屋内になっている下の階で、ガラス越しに外を見るというのではやはり満足できない気がしたのである。

 さて、午後2時に船は出航したが、実はこの時、カメラの具合が悪くなってしまっていて、遠ざかって行く岸壁の様子などが撮れかったのである。スイッチを入れてもレンズが出て来なくなってしまったのだが、たぶん雨に濡れたのがまずかったのだろうと思う。ちょっと(かなり?)ヒヤッとしたが、何度もオンオフを繰り返しているうちに10分くらいで元に戻ったのでホッとした。
 そんなわけで、航行中の写真はあまり積極的に撮っていない。
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 2時35分ごろ、船は土手から川の中に張り出した鉄製の船着き場に停まり、古戦場に着いたので上陸するという放送が入った。この時、話があまりにうまく行き過ぎているので信じられないかもしれないが、何と!雨がパタッと止んだのである。
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 われわれが上陸していたのは50分ほどだったが、この間(だけ)まったく傘が必要なかったというのは、ちょっとした奇跡と言ってもいいような気がした。
 土手の上からの古戦場の眺め。
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 柵の入口のところに説明看板が立っているが、ここで船の専属ガイドがいろいろ説明してくれた。だが、もちろん英語だったので、こちらのガイドのマユミさんがイヤホンを通して要点を通訳してくれていたと思うが、あまり積極的に聞いていたわけではないので、この建物が何なのかはよく判らないのである。

 一通りの説明があったあと、船の出航時間や出航予告の汽笛のことなどが話され、その後建物の向こう側に移動して、さらにいろいろな説明が行われた(たぶんここでの米英軍の戦闘の詳細だったと思う)。そこからの古戦場の眺め。
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 古今東西どこであっても、古戦場というのはそこに何かがあるというわけではないから、その戦いに強い思い入れでもない限り面白いものとは言えないと思う。アメリカ人には響く話しだったのかもしれないが、われわれには特に興味を引くところはなく、話も長すぎたので、途中で離脱して向こうに見えているビジターセンターと記念碑の方に行くことにした。
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 ビジターセンターに入って、展示を見ながらマユミさんが説明してくれたが、興味が湧かなかったのは仕方がないことだったと思う。
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 記念碑。
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 古戦場の中を散策する道が出来ていた。
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 出航時間が近づいて来たので戻ることにした。
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 ↑建物の右に土手に上がる階段が見えているが、この先に船が停まっているのである。
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 午後3時半ごろ船は出航したと思うが、戻り始めるとまた雨が降り始めてしまったので、帰りは基本的に下の階の室内にいて、時々外の景色を撮影に行くようにした。
 別のクルーズ船が停泊しているのを見かけた。
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 いろんなクルーズがあるのかもしれない。
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 途中、急に風雨が強まった時間があって、水しぶきが吹き上げられるような感じになった。
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 古戦場にいる時にこんな風雨にぶつからなくて良かった。
 セントルイス大聖堂が見えてきた。
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 元の船着き場に戻って来たようだ。
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 出港時よりもはっきりした雨模様になっているようで、ビルの上部が霞んでしまっている。
 船は接岸の前に180度方向転換をした。グレータ・ニューオリンズ橋と大きな外洋クルーズ船が入港しているのが見えた。
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 下船したのは午後4時半過ぎだったと思うが、写真がないのではっきりしない。
 このあとは徒歩でホテルに戻ることになっていたが、雨が降っていたので、急遽路面電車で少しだけ距離を稼ぐことになった。
 乗車したのは❻番の「Canal St.」駅だったと思う。
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 後部ドアからの乗車だった。これが運転席(後部)。
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 車内。
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 木のイスなどもレトロ調で素晴らしい。乗っていたのはリバーフロントの2区間だけだから、アッという間に❹番の「Toulouse」駅に着いた。
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 走り去る。
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 この最後の写真の撮影時刻が午後4時56分なので、ホテルに帰り着いたのは5時15分ぐらいではないかと思う。最後は完全な雨になってしまったが、それでも一日かなりしっかり見学できたので、全体としてはまあツイていたと言っていいのかもしれない。

 この日の夕食は外のレストランに食べに行くことになっていた。雨が降り続いているのはちょっと辛いが、そういうこともある。午後6時15分にロビーに集合して、傘を差して徒歩で向かった。お店はバーボン通りをキャナル通りの方へ3区画進んだ角にあった。↓入口の写真は帰りがけに写したもの。
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 アルノーズ(ARNAUD'S)という1918年創業の老舗レストランだったようだ。店内は非常に落ち着いた作りで、JAZZ BISTROとある通り、クラリネット・バンジョー・ベースのトリオがうるさくない程度の生演奏をしていた。
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 料理の写真を撮ってくればよかったと後で思った。
 外に出ると雨はほとんど止んでいた。
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 ホテルに戻ったのは9時半ぐらいだった。

 ここまでで全体としての日程は終わりになり、このあとはまた添乗員が希望者を募ってジャズスポットに連れて行ってくれることになっていた。今回のツアーではパンフレットに「おすすめのジャズクラブ4選」というのが載っていて、
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 期間中そこには案内してくれる触れ込みになっていた。だが、昨夜はそのうちの2つに跳ね返されてしまったので、添乗員としてはいろいろ調べたり作戦を立てたりしていたようだ。

 この日は大胆にもこの4つを外して、それ以外の店で予約が可能なところを探していたらしい。場所は、午前中に行ったフレンチマーケットや旧造幣局のさらに先、フレンチクオーターの外で地元の人々が集まるフレンチメン通りという盛り場だった。バーボン通りを離れると、夜は観光客はほとんど行かないところだし、途中治安の悪くなるところもあるので、タクシーを使って行くことになっていた。
 タクシーを降りて、ここがフレンチメン通り。
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 店の名は「スナッグ・ハーバー(Snug Harbor)」と言った。これはお店で貰って来た案内チラシとチケット。
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 チケットには10:00PMの回で料金は$30となっている。案内を開くと中に2月のスケジュールが印刷されていて、
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 20日(水)の出演はbig band jazzのUPTOWN JAZZ ORCHESTRAと書かれている。

 われわれが着いたのは10時少し前で、奥の階段から階下のスペースに通された。左側の壁際の席がリザーブされていて、われわれはそこに座って飲み物などを注文した。次の写真はネットで見つけた店の公式サイトに載っていたものだが、われわれはこの左側の席に座ったのである。
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 ステージの方は最初、前座とおぼしき男がギターを弾きながら歌っていたが、
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 一通り飲み物などが行き渡ったところで、10時20分過ぎになってメンバーが入場してきた。
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 すぐに演奏が始まった。
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 演奏は1時間半ほど続いた。ビッグバンドというのはいろんな楽器があって変化もあるし、次々と繰り出されるアドリブの受け渡しなどもエキサイティングで、大いに楽しむことが出来たと思う。
 写真を何枚載せても演奏が記録されるわけではないが、その時の楽しい雰囲気は残ると思うので、以下少し並べておくことにする。
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 演奏を終えてメンバーが退出する。
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 店の外に出て、この撮影時刻が11時56分。
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 余韻に浸りながら、帰りもタクシーで帰った。
 午前0時を回ったバーボン通り(ホテルの前)。
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# by krmtdir90 | 2019-03-03 18:35 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅②雨のニューオリンズ1(2019.2.20)

2月20日(水)

 旅の出発が近付いてきたころ、インターネットの「世界の天気」でニューオリンズの予報を調べたら、何とわれわれが現地にいる間は曇りと雨のマークしか出ていなかった。お日さまのマークはどこにもなくて、う~ん、そういうこともあるのかと気持ちが沈んだ。
 中でもこの日は「一日中雨」という予報になっていて、まいったなあと思っていたが、終日降り続くような最悪の事態にはならず、基本的には降ったり止んだりを繰り返してくれたので助かった。旅の後半になって、日差しがあると相当蒸し暑くなることが判ったから、曇っているだけならそんなに悪いことではなかったのである。

 朝のバーボン通り。
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 撮影時刻は午前8時少し前だが、毎朝必ず清掃車と作業員が出て、通りを入念に清掃していた。
 ↓これは5階の廊下の突き当たりからの眺め。バーボン通りと交差するトゥールーズ通りである。
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 ジャクソン広場の方向を見ているので、左奥にセントルイス大聖堂の尖塔が見えている。

 この日の午前中は、徒歩でフレンチクオーター内の目ぼしいところを散策することになっていた。
 9時にロビーに集合。
 今回の現地ガイドはマユミさんという日本人女性だったが、最初に天気のことを話題にした時、思いがけず「昔『雨のニューオリンズ』という映画がありましたけどね…」と言ったのには驚いた。この映画はシドニー・ポラック監督初期の傑作(1966年)だが、1969年の日本公開時にはほとんど話題にもならず、たった4日で上映打ち切りになってしまったので(プログラムも作られなかった)、知っている人はきわめて少ないと思っていたのである。後で聞いたら、彼女はニューオリンズと縁が出来てからビデオで観たということだったが、わたしの大好きな映画のタイトルがこんなところで聞けるとは思っていなかったので嬉しかった。
 因みに、この映画はテネシー・ウィリアムズの一幕劇「財産没収(This Property Is Condemned)」の映画化で、原作の設定を大きくふくらませた素晴らしい脚本を書いたのが、監督としてはまだ無名だった若き日のフランシス・フォード・コッポラだったのである。物語の大半はミシシッピの田舎町で展開し、ニューオリンズが舞台になるのは終盤の10分間ほどに過ぎないが、それでもこの「雨のニューオリンズ」という題名は映画の中身(田舎育ちのアルバにとっては憧れの町だったのだ)としっかりつながっていて、非常に印象的な邦題になっていたと思う。ニューオリンズという地名がわたしの中にくっきりと刻まれたのは、ジャズよりもこの映画の方が大きかったような気がしている。

 さて、雨で少し予定変更もあったようだが、出発時にはほとんど降っていなかったので、予定通りマユミさんの先導で歩き始めた。
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 午前9時を少し回ったくらいなので、朝の遅いフレンチクオーターではまだ人通りも少ないのである。バーボン通りより一本ミシシッピ川寄りになるロイヤル通りに向かう。
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 ↑この右にある旗の出た建物が、ニューオリンズで最も古く最も高級と言われているアントワンズ(ANTOINE'S)というレストランらしい。
 ↓これがロイヤル通り。
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 右の建物はリブ・ルーム(RIB ROOM)というステーキ屋さん。
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 このロイヤル通りに面して、ひときわ大きな存在感を示しているのがルイジアナ最高裁判所である。
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 1908年建造の建物らしい。
 この向かいにある↓これはカーサ・フォリー(Casa Faurie)と言い、
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 フランス印象派の画家ドガの曾祖父が1801年に建てた建物だという。ドガ自身もニューオリンズを訪れて絵を残しているらしい。なお、ここは現在はブレナンズ(Brennan's)というレストランになっているようだ。
 左隣のこの店はアンティークショップのようだ。
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 バーやパブといったナイトスポットが続くバーボン通りと異なり、このロイヤル通りはお洒落なアンティークショップやギャラリー、高級レストランなどが並び、一本ズレるだけでまったく雰囲気の違う通りになっているのが面白かった。
 ↓この写真の左に、1826年に建てられた旧ルイジアナ銀行の建物を使っている警察署があるのだが、
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 周りのパトカーの写真などを撮っていて、
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 肝心の建物の写真は撮り忘れている。
 なお、ここでは警察署でお土産のTシャツを販売しているということらしく、署内で入手できる(AVAILABLE)と書かれた看板が出ていた。
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 ちょっと信じられない気もしたが、後日行って、娘の旦那へのお土産として一枚入手して来ました。

 昨日載せたフレンチクオーターの地図(ミシシッピ川が下になっている)で言えば、ロイヤル通りを少し左の方に歩いたあと、今度は引き返して右の方に歩いた。
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 ↓これはコート・オブ・ザ・トゥー・シスターズ(COURT OF THE TWO SISTERS)というレストランで、1832年に建てられた豪邸を利用したものだという。
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 セントルイス大聖堂のちょうど裏手に来ていて、庭園に両手を広げたキリスト像があるのが見えている。
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 大聖堂の脇道から正面に出た。
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 ↑この脇道。左に大聖堂がある。大聖堂の右にあるこの建物は、大聖堂の司祭と僧侶の宿舎として建てられた司祭館で、現在は博物館として使われているようだ。
 前の道はチャータース通りで、通りを隔てた大聖堂正面がジャクソン広場である。広場の中から見たセントルイス大聖堂。
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 広場の中央にはアンドリュー・ジャクソン(合衆国第7代大統領)の騎馬像がある。
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 残念ながら先ほどから雨が降り出していて、上の3枚の写真は傘を差しながら写したものである。
 このあと、雨宿りを兼ねてセントルイス大聖堂の中に入った。
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 ここはアメリカにある現役のカトリック司教座聖堂としては最古のものだという。この場所に初めてカトリックの教会が建てられたのは1718年のことだったらしい。上3枚は前方を、次の1枚は後方を写したものである。
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 外に出たら雨はほとんど止んでいて、傘は畳める感じになっていた。
 ↓これは1849年に建てられた、アメリカ最古と言われているアパート。
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 フランス人のポンタルバ男爵夫人ミカエラという人が設計したので、ポンタルバアパートと呼ばれているらしい。非常に横長の建物で、とてもワンフレームには収められない。3階建てで、1階部分には商店が入るようになっている。アパートはジャクソン広場を挟んで2棟あり、広場の一辺と同じ横幅を持っているのである。上の写真で、左の通りがチャータース通り、左手前にセントルイス大聖堂と司祭館があり、右手前がジャクソン広場、アパートのバルコニー下をずっと右にたどって行くと、次のディケーター通りまで続いているのである。
 これをずっと行って、ディケーター通りの方から見たポンタルバアパートの側面。
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 ↑この写真だとジャクソン広場は左になる。
 道端の公衆電話。
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 ポンタルバアパート1階に入っているタバスコ(TABASCO)のアンテナショップ。
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 タバスコはここルイジアナ州に本社と工場があり、こちらの特産品だったのだ。
 ディケーター通りに出て、横断歩道を渡った先にあるのが有名なコーヒースタンド、カフェ・デュ・モンド(CAFE DU MONDE)である。
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 ここも常に混んでいて、案内できなかったからと、添乗員が名物のチコリ入りのカフェオレとベニエ(穴のないドーナツ)を翌日の朝食時に振る舞ってくれた。24時間営業だったようだから、早起きして朝食前にわざわざ買いに行ってくれたらしい。さすが、素晴らしい添乗員魂である。

 さて、ディケーター通りの先は階段を上がって、少し高くなったところからあたりを見渡せるようになっていた。
 そこから見たジャクソン広場とセントルイス大聖堂。
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 手前の通りがディケーター通り。写真には写っていないが、この両側にポンタルバアパートがある。
 反対側はミシシッピ川である。
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 川べりにはムーンウォークという遊歩道が整備されているが、そちらの方には行かなかった。見えている橋はグレータ・ニューオリンズ橋と言うらしい。
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 手前に踏切があって、線路が3本通っている。その奥の線路に機関車が単機でやって来た。
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 パンタグラフが見えないからディーゼル機関車だろうか。
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 車体に書かれた「New Orleans Public Belt」というのを調べてみたら、ニューオリンズ・パブリック・ベルト鉄道という入換専業の鉄道会社のようだった。入換専業とは、通常の路線運行ではなく、他社線連絡輸送と入換作業を専門に行うとあったが、よく判らない。
 機関車がさらに進んで行くと、左手からは路面電車がやって来ているようだ。
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 間に小さな駅があり、路面電車はそこに停車した。
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 拡大すると、駅名は「Dumaine」と言うらしい。なお、頭についた❸という数字は、この先にある終点の駅を❶とすると、3番目の駅になることを表している。
 機関車は向こうに去り、路面電車はこちらにやって来るが、
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 ツアーの皆さんはすでに移動を始めてしまったので、わたしも切り上げて後を追うしかない。
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 このあとディケーター通りをさらに先に(例の地図では右に)進み、フレンチマーケットというところに向かった。。
 途中にあったここはアントサリーズ(Aunt Sally's)という有名なスイーツのお店らしい。
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 プラリーンというお菓子が有名で、この窓の中で、
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 作っていた(ガラスの反射がひどい)。
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 店の中で試食させてくれたが、猛烈に甘くてわたしは好きになれなかった。

 このあたりはフレンチクオーターでもやや外れになるようで、街並みに庶民的な生活感のようなものが混じる気がした。
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 少し行くと通りが斜めに枝分かれしていて、2本の通りに挟まれた尖った三角形の敷地に、ジャンヌ・ダルクの金の騎馬像が立っていた。
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 この少し先にフレンチマーケットの入口があった。
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 200年以上の歴史を持つという市場だが、現在は観光客を意識した店がかなり多くなってしまったようだ。
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 ↑こういうふうに後ろが壁になっているところもあったが、多くは屋外に向かって解放された作りになっていた。
 ↓右側がマーケットで、半屋外になったところから外の通りを見る。
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 突き当たりにあるのが旧造幣局の建物。
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 ここは現在、ジャズの歴史を集めたルイジアナ州立博物館になっていて、4日目に改めて訪れることになった。
 通りの建物。
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 このマーケットでは、奥の方のトイレのある場所まで行って一旦解散し、少ししてから入口のところに再集合ということになったので、早めに戻って、反対側の通りを隔てて走っている路面電車をウオッチングすることにした。

 線路のあるところは通りより少し高くなっていて、塀などもあるので電車は下からは見えなくなっていた。石段を上って塀の先に出ると駐車場があった。
 来た。
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 すぐ前に「Ursulines」という駅があり、電車はそこに停車した。駅番号は❷である。
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 下車するお客はなく、すぐに発車した。
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 前面の上部表示窓に「RIVERFRONT」とあるが、ここを走る路線はリバーフロント・ラインと言う。
 走り去った。
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 次の駅に停まったようなので、望遠をかけてみた。
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 この駅はさっきジャクソン広場の近くから見えていた「❸Dumaine」駅と思われる。また、よく見るとさらにその奥(電柱の左)に、もう一つ先の駅も小さく見えているのが判別できる。調べると❹は「Toulouse」という駅のようだ。

 さて、カメラのデジタル記録によると、再集合は午前11時15分だったと思われる。かなり遠くまで来てしまったが、このあとはホテルの先の昼食場所まで戻らなければならない。雨が止んでいるのが幸いである。
 途中で見かけた建物など。
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 ここでちょっと重要なことに触れておく。
 ↑この上の写真に見られるが、ここまでバルコニーやドアなどに紫・緑・金(黄)の三色を使って飾りが施されている建物がけっこうあったと思う。これは「マルディグラ(Mardi Gras)」というお祭りのための装飾で、この三色は紫が正義、緑が信仰、金が権力を表すマルディグラのイメージカラーなのだった。マルディグラはカトリック由来のカーニバル(謝肉祭)だというが、ニューオリンズでは年間で最大のお祭りとされ、今年はこの本祭が3月5日(火)に行われることとなり、その11日前からパレードなどがスタートすることになっているらしいのだ。
 この期間は毎年すごい人出と盛り上がりになるようで、街ではこのための準備が着々と進んでいるということなのである。今回のツアーは終わりの部分(22・23日)がこれとぶつかっていて、もちろんわれわれもこの両日はパレードを見物することになるが、とにかく観光客の混雑などは覚悟しなければならないということらしかった。

 次の建物は有名なもので、1731年より前に建てられた家とガイドブックには書いてあった(われわれのガイドも説明してくれたと思う)。
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 トウモロコシをかたどったフェンスが特徴になっていて、コーンストーク・フェンス(Cornstalk Fence)と言われているらしい。

 ストリートミュージシャンたち。
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 レストランに着いた。
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 バーボン通りからちょっと入ったところにある「OCEANA」というカジュアルなお店で、ポーボーイというバゲットサンドが出てきたが、大きすぎてわたしにはとても食べ切れなかった。
# by krmtdir90 | 2019-03-01 19:14 | 海外の旅 | Comments(0)

アメリカ南部の旅①往路、ニューオリンズへ(2019.2.19)

 わたしが初めてパスポートを取得したのは、退職してしばらく経ってからの、2013年5月のことである。海外には興味がなかったので必要を感じなかったのだが、妻に誘われて、もう年齢的にはあとどのくらい生きられるか判らないところまで来たのだから、二人で海外旅行をしておくのも悪くはないかなと思ったのである。

 最初に行ったのが韓国で、次が台湾だった。飛行機が嫌いなのでそれで打ち止めにしようと思ったが、思いがけず寝台列車の旅というのが目に止まり、三番目に思い切ってカナダに行ったのがきっかけになって、すっかり海外旅行にはまってしまった。
 ただ、まだ始めて日が浅いから、行った国もわずかで、行ったことのない国の方がほとんどと言っていいのである。この先は歳を取るばかりだし、金銭的なこともあるので、あと何回くらい行けるかまったく判らないが、それでもアメリカだけはなぜか、なるべく早い機会に一度は行っておきたいという気分があった。

 アメリカは広い。興味のあるところはたくさんあった。しかし、この先何度も行けるとは思えないのだから、もうこれ一度限り、二度と行けないとしたらどこに行きたいのかと考えた。そしたら西部でも東部でもなく、わたしの場合は南部だろうなと思ったのである。これは妻の興味とは一致しないことが判っていたが、説得に少々時間を要したが最終的には同意してくれた。
 で、行って来たのは「ジャズとアメリカ南部旅情ニューオリンズの旅(7日間)」という、ルイジアナ州ニューオリンズに5連泊して、ジャズとアメリカ南部の旅情を満喫しようというツアーだった。言ってしまえばかなりマイナーな感じのツアーだったが、参加者は17人もいて、世の中にはこういうのが好きな(変わった)人もけっこういるのだということが判った。

2月19日(火)

 成田集合9時30分というのは、我が家からだとちょうどラッシュ時の都心を抜けて行かなければならない。電車が遅延することなども考えて早めに行動を開始したが、6時18分発の中央線特別快速が完全に予想を超えた混み方で、辛うじて座れたから良かったが、早朝からこんな混雑に耐えて出勤している人もいるのかと申し訳ない気分になった。
 神田で山手線に乗り換えて日暮里へ。日暮里からは京成スカイライナーを利用した。
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 8時半前には成田第2ターミナルに着いた。

 海外によく行くようになったが、飛行機に関する諸々の面倒に慣れたわけではない。一時期、膝が痛くて長距離ではビジネスクラスやプレミアムエコノミーを利用したが、最近はかなり改善してきたので、今回は再びエコノミーの長距離ツアーに挑戦している。ビジネスは確かに楽だが、エコノミーのツアーならもう一本行けるだけの費用を無駄にしている感じがあり、庶民としてはエコノミーの苦痛に無理をしてでも耐えるべきだと考えるようになった。
 結果的に今回、10時間を超える苦行を乗り越えることができたので、今後に向けて一つの大きな自信にはなったと思う。

 以下、往路の行程。
 成田空港11:30発、アメリカン航空AA176便でダラスへ。
 飛行機の時間は予定とは大きくずれることも多く、その都度メモをしているわけではないので、すべて予定表の時間で記載しておく。
 所要時間は11時間45分(実際にはそんなにはかからなかったと思う)。無理に眠ることは出来ないと思ったから、座席の背に付いたモニター画面で往路は映画「ボヘミアン・ラプソディ」「空飛ぶタイヤ」「明日に向かって撃て!」の3本を観た。
 途中マイナス15時間の時差修正を行い、19日(火)をもう一度やり直すかたちの08:15(実際はもう少し早く)、ダラス・フォートワース国際空港に到着した。
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 ここで国内線に乗り継ぐのだが、この空港は世界最大級のハブ空港で、入国手続きやセキュリティーチェックなどが過剰なほど厳重で時間がかかった。
 ここは非常に広大な敷地に5つのターミナル施設が散らばっていて、その間をスカイリンクという自動運転の旅客移動システム(2輛編成の小型電車)が結んでいた。こういうものを使うというのは事前に調べてなかったし、折から雨も降り出していたので(もちろん外に出て濡れることはまったくなかったが)、この写真は往路ではまったく撮影していない(帰路で紹介する)。
 こちらが乗り継ぎ便。ダラス10:46発、アメリカン航空AA2607便ニューオリンズ行きである。
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 機体は小さめのものになった。

 今度は所要時間1時間30分。12:16にルイ・アームストロング・ニューオリンズ国際空港に到着した。ルイ・アームストロング(通称サッチモ)はニューオリンズの出身で、2001年が生誕100周年となったのを記念して、空港名を現在のものに改めたようだ。
 通路にトランペットを吹くサッチモの像があった。
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 小さなステージでゴスペルの合唱が行われていた(ピンボケだ)。
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 これからホテルに向かうが、ホテルのあるフレンチクオーター(旧市街)内は大型バスが入れないので、バスとしてはかなり小ぶりのものが用意されていた(写真はない)。 
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 空港はかなり郊外にあったようで、高速道路を使って市内まで20分ほどかかった。天気は残念ながら雨である。
 アメリカンフットボールの地元チーム「ニューオリンズ・セインツ」の本拠地、メルセデスベンツ・スーパードーム。
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 ニューオリンズは路面電車の走る街である。
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 テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」はこのニューオリンズを舞台にしていたが、そこで走っていたのと同じ電車がいまも走っているのである。この赤い車体は比較的新しいものらしいが、全体がレトロ調に作られているのでいい雰囲気である。
 ここはCBD(セントラル・ビジネス・ディストリクト)と呼ばれる新市街と、旧市街のフレンチクオーターを隔てているキャナル・ストリートという通りで、電車の前面上部の表示窓に「CANAL」とあるのは、この通りを走るキャナル・ストリート・ラインという路線であることを示している。また、その左の表示窓が行き先表示になっているようで、「CEMETERIES(Sは窓枠で隠れてしまった)」とあるのは共同墓地という意味である。「欲望という名の電車」で、登場したブランチが最初に言うセリフが「『欲望』という名の電車に乗って、『墓場』という電車に乗りかえて、六つ目の角でおりるように言われたのだけど……『極楽』というところで」というものだが、その「墓場行きの電車」がいまも走っているのである。

 われわれのバスはキャナル・ストリートを横切り、フレンチクオーターの中でも最も賑わうというバーボン通りに入って行った。雨はほとんど止んでいたが、つい今しがたまで降っていた気配があった。バスは一方通行のバーボン通りをゆっくり進んで行き、通りに面した角地にあるホテルのすぐ前に停まった。
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 この右側に入口がある。
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 名前は「フォーポインツ・バイ・シェラトン」と言い、ガイドブック(地球の歩き方)の格付けでは中級となっていたが、フレンチクオーターの文字通りど真ん中という最高の立地のホテルだった。ここはアメリカで最初のオペラハウスがあった場所だったようで、右側の銘板にその説明が書いてあったようだ。

 チェックインして部屋に入ったのは午後2時半ぐらいだったと思う。時差の関係で、この日は一日が39時間というとんでもないことことになっていたのだが、とにかく長時間の移動で疲れているので、午後7時の夕食まで休憩のための自由時間ということになっていた。
 しばらくベッドに横になってウトウトしていたが、そう都合良く眠れるものではないので、どうやら雨も上がっているようだし、周辺を少し散歩してみることにした。

 ホテル外観。
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 前の通りがバーボン通りである。このホテルは5階建てで、通りに面した部屋は明け方まで外の騒音がうるさかったらしい。われわれに割り当てられた519号室は、裏の駐車場側に向いた部屋だったので、眺めは良くなかったが静かだったので良かった。

 バーボン通りを一区画歩いてから右折した。
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 フレンチクオーターは道路がきれいな碁盤の目になっているので、この時はまだよく判っていなかったが、歩いているうちに位置関係は自然に理解された。
 ここでフレンチクオーターの簡単な地図を載せておく。日本のガイドブックから転載すると著作権上問題があるようなので、現地で貰って来たパンフレットの地図である。
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 白く抜いたところがホテルの位置、ホテルの下を左右に走っているのがバーボンストリートである。われわれは右に一区画行って右折したので、地図では下方のミシシッピ川に向かって歩いている。すぐのところに赤で「Preservation Hall(プリザベーション・ホール)」という表示があるが、それがここ(右の黒っぽい倉庫のような建物)。
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 ニューオリンズを代表するジャズスポットで、毎日開演待ちの行列が出来ることで知られているらしい。われわれは3日目にこの行列に挑戦した。
 次の左の建物はスーパーマーケットである。
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 向かいの右側の建物の前で、ミュージシャンたちが路上演奏を始めていた。
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 二区画ほど行ったチャーターズ通りの先にジャクソン広場というのがあり、その向かいに通りを挟んでセントルイス大聖堂があった。
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 写真右手がジャクソン広場になる。このあたりはミシシッピ川も近く、川霧が流れてくることも多いらしい。空気は湿気を含んで生暖かく、2月とはいえ気温は日本と比べてかなり高めになるようだ。
 この先には行かなかった。
 ホテルのある角まで戻って来た。
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 上の写真の撮影時刻が午後5時2分である(カメラのデジタル記録による)。

 部屋に戻ってゆっくりシャワーなどを浴びたあと、夕食より少し早めに下に降りて通りの様子を確かめた。
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 夜になって、かなり人が出ている。
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 午後7時からホテルのレストラン(個室)で夕食になったが、今回の旅行でも食事の写真はほとんど撮っていない(料理が来ると、つい撮るのを忘れて食べ始めてしまうんですね)。

 食事の後は基本的には自由時間なのだが、今回のツアーでは毎晩ここからがお楽しみの時間帯で、添乗員がいろんなジャズスポットに連れて行ってくれることになっていた。一応自由参加になっていて、各自で行き先を決めて独自に出かけてもいいことになっていたが、英語がダメなわれわれとしては、自分たちだけで歩き回ることなどとうてい考えられず、添乗員に全面的に頼って行くしかなかったのである。
 実は今回の添乗員が、前回中国に上海蟹を食べに行った時と同じ添乗員(女性)に当たっていて、そんな偶然もあるのかと驚きながら、一度一緒に歩いていることから、まったく安心してついて行くことができたのである。

 この日は夜になって一気に人が出たようで、通りは混雑していた。われわれはまずバーボン通りを(先ほどの地図で)右に歩き、最初にホテルから一番近い「メゾン・バーボン」という店に行った。しかし、ここは満席で中に入れなかった。
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 この店は非常に開放的な作りになっていたので、通りから中の様子が見えたし、演奏の音も流れて来ていた。
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 だから、入口にへばりついて、タダで聞いてしまうことも出来ないわけではないようだった。
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 もちろんわれわれはそんなことはしないで、さらに少し歩いて「フリッツェルズ・ヨーロピアン・ジャズ・パブ」という店に行ったが、ここも大混雑で入れなかった(写真はない)。

 行ったタイミングが悪かったということもあったのだろうが、添乗員としてはかなり焦ったのではないかと思う。
 仕方なくバーボン通りを引き返し、ホテルの前を通り過ぎて、今度は反対の方に(地図では左の方に)向かって歩いた。道沿いにはメゾン・バーボン同様ドアを開け放し、大音量の演奏を外に流してお客を呼び込んでいる店がたくさんあった。ジャズではなく、ポピュラーやロックなどをやっている店も多く、自由に出入りできるようになったところもあったので、そうした一つに少しだけ入ってみたが、長居する感じにはならなかった。
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 このあと、3番目に行ったオープンカフェ・タイプのジャズスポット「ミュージカル・レジェンズ・パーク」という店に何とか入ることが出来たので良かった。
 ここは入口を入ってすぐのところに、3人のジャズミュージシャンの銅像が立っている。
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 左からファッツ・ドミノ(ピアノ、ヴォーカル)、アル・ハート(トランペット)、ピート・ファウンテン(クラリネット)とある。昔聞いたのかもしれないが、まったく覚えていない。
 この店はステージとその前方にだけ屋根があり、その両側は屋根なしのオープンタイプのテラス席だった。テーブルやイスがまだ雨滴をつけたままだったので、バーカウンターで雑巾を借りて自分で拭いてから座った。そういう感じだから空いていたのだと思う。 
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 出演していたのはトランペット(ヴォーカル)・ピアノ・ベース・ドラムスという編成のけっこう歳の行ったカルテットで、何と言えばいいのか、淡々とした?演奏であまり面白いものではなかった。
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 ただ、きょうはまだ旅行初日である。体力的にはかなり消耗しているし、早めに店を出て、午後10時ごろにはホテルに戻った。
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 11時ごろには寝たのだが、体内時計が変調を来していたのだろう、午前2時半ごろには目が覚めてしまって、以後は眠れなくなってしまった。まあ、少しはウトウトしたけれど、途中でちょっと起き出して、窓からの眺めを写真に撮った。
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 見えているのはキャナル・ストリートの向こう側、CBD新市街のビル群と思われる。撮影時刻は午前3時40分。雨は降っていないようだが、雲が低く垂れ込めている。
# by krmtdir90 | 2019-02-27 21:57 | 海外の旅 | Comments(0)

映画「ファースト・マン」

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 アポロ11号が月に行ったのは1969年7月のことである。当時わたしはすでに大学生になっていたが、中学生のころは理科部で天体望遠鏡を覗いていたりしたこともあるので、そのころからアメリカと旧ソ連による宇宙開発競争はけっこう熱心に追いかけていた。だから、この年に至る様々な出来事(例えばアポロ1号の火災事故など)もけっこう覚えていて、さらにこの映画が描く以前のことなども、いろいろ記憶が甦ってくることがあって懐かしかった。
 この映画は、人類として初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長の伝記である。彼が生前に出版を許可していた同名の公式伝記というものがあるらしく、その視点を基盤にしながら映画化したものだったようだ。「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼルが監督をし、ライアン・ゴズリングがアームストロングに扮している。

 マーキュリー計画、ジェミニ計画、アポロ計画と進んで行ったアメリカの宇宙開発計画は、常に飛行士を集団として育成し、その中からミッションごとに乗組員を選んでいくかたちを取っていた。したがって、映画がこれら各計画の積み重ねの先に月面着陸を描くのであれば、どうしてもその過程で生まれた集団のドラマを省くわけにはいかないという側面があった。その上、ロケットの打ち上げや飛行計画の達成のためには、管制センターを始め様々な部署での多くの人々の多面的な支えがあったことも明らかで、そうした部分への目配りも非常に重要なことになっていたと思う。
 ところが、この映画の描き方はきわめてユニークな視点を持っていて、それは上記のようなことを前提として認めながらも、その群像劇的な広がりを思い切って刈り込んでしまい、アームストロング船長の私生活とその人間像だけにギリギリ寄り添って行こうとしたことだった。
 そのためもあって、計画実施に関する事実経過のようなところはかなり大胆にカットされていて、ニュースをずっと追いかけていたわたしなどにはある程度判るけれど、その時代のことを直接知らない若い観客層などから見ると、けっこうわかりにくい部分もあったのではないかと心配になった。描き方が淡々とし過ぎているとか、ドラマとして盛り上がりに欠けているといった感想が、ちょっと覗いて見たネットのレビューなどには出てきていたのである。

 ただ、すでに50年もの月日が経過している歴史的な出来事を、いまの時点から改めて映画化しようと考えた時、この映画が選択した行き方は非常に良かったのではないかと思った。説明不足に陥ってしまう危険を冒してでも、あくまで一人のアームストロングという人間そのものに向き合おうとしたこと、そして彼とその家族、また彼自身と密接に結びついていた周囲の限られた部分だけに絞り込んで脚本を構成した(ジョシュ・シンガー)のは正解だったと思う。そのため、妻のジャネットという存在がきちんと浮かび上がるようになり、彼女を演じたクレア・フォイの好演と相俟って、宇宙飛行士の妻という孤独な心情もステロタイプに陥ることなく丁寧に描き出されたのである。
 アームストロングの宇宙飛行士としての体験についても、可能な限り彼の感性や主観に即したところを掬い上げようとしていて、これは切り口としても斬新だったし、寡黙な彼の人物像を見せていく上で非常に良かったのではないかと思った。
 一般に「宇宙もの」の映画というと、宇宙空間を行くロケットとか、いわゆる神の視点からの広がりのある映像が効果的に挟み込まれたりするのが常だったと思う。ところが、この映画にはそうした開放感のあるショットはほとんどなく、中に押し込められるとほとんど身動きもできなくなってしまう狭苦しい宇宙船内部に執拗にこだわって、アームストロングたち宇宙飛行士が実際に体験した飛行感覚を、きわめて生々しいかたちで追体験できるような描き方になっていた。このこだわりは新鮮で、宇宙船は窓もきわめて小さいし、実際に宇宙を飛び続けていた時に彼らが置かれていた状況は、こんなふうに閉所恐怖症にもなりかねない不自由で窮屈極まりない空間だったことがよく判ったのである。この映画はそうした実感をとことん描こうと決めていたように思われて、その延々と続く時間をしっかり体感させてくれたことは素晴らしかったと思う。

 実はきょうの午後、NHKのBSでたまたま「アポロ13」(1995年、ロン・ハワード監督)という映画を放映していて、チェックし損なってしまって途中から見ることになったのである。これは1970年4月に月に向かう軌道上で起こった酸素タンクの爆発事故と、そこから「奇跡の生還」を果たすまでのアポロ13号の乗組員の実話を映画化したものだった。結果的に、同じアポロ計画を扱った「ファースト・マン」と続けて見ることになったので、同じ実話であっても描き方がまったく違っているのが判って面白かった。
 もちろん題材の違いは大きく、こちらは事故による危機的事態をいかにして乗り越えたのかという映画なので、サスペンスフルでドラマチックなストーリーになるのは当然と言えなくもないのだが、それにしても描き方が意図的にそちらに振れているのが見え過ぎているように感じられ、「ファースト・マン」と比べるとずいぶん「作りもの」くさいなと思ってしまった。両作の間には20年以上の時が流れていて、この事実は想像以上に大きかったのだと思った。「アポロ13」も、たぶん製作当時はきわめてリアルな映画化だったと見られていたのではないかと思うが(キネマ旬報ベストテンでも9位に入っていた)、現代ではこういうやり方ではまったく甘いのであって、「アポロ13」を決して否定するわけではないけれど、いまや「ファースト・マン」こそが現代のリアリティを具現しているのだと思った。

 あと、「ファースト・マン」でもう一つ記憶に残ったのは、膨大な予算をつぎ込んだこの計画に対して、差別問題と結びついた反対運動があったことを取り上げていたことである。「白人が月に行くのに俺たちの税金を使うのは許せない」というようなスローガンが出ていたと思う。そうなのだ。当時のアメリカにとって黒人やマイノリティの存在は完全に視野の外なのであって、冷戦下のソ連に対抗した宇宙開発競争も軍備拡張競争も、すべては白人の誇りに関する問題だったのである。
 一昨年公開された「ドリーム」(セオドア・メルフィ監督)が、マーキュリー計画当時のNASAの人種差別を取り上げていたが、50年前のアポロ11号当時になっても管制センターには白人しかいないようだったし、この映画の中に黒人の姿はほとんど見えなかったことが印象的だった。これは「アポロ13」でも同じで、アメリカの宇宙開発は確かに「白人が月に行く」ための計画だったことが理解されるのである。これらの計画がいかに無謀なものだったのかということも、この映画は描写の端々にしっかり捉えていたと思うし、そういうことにきちんと触れようとしていた「ファースト・マン」は、確かに現代から50年前を見直そうとした映画化だったということなのだと思う。
(立川シネマシティ1、2月15日)
# by krmtdir90 | 2019-02-18 20:31 | 本と映画 | Comments(2)


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