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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「顔たち、ところどころ」

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 アニエス・ヴァルダは1928年生まれだから、現在は90歳、この映画の撮影時には87歳だったと公式サイトに記されている。画面に登場する彼女はとてもチャーミングで、なんて素敵な年の取り方をしたんだろうと嬉しい気分にさせてくれる。それは、彼女の好奇心がいささかも衰えを見せていないことが関係している。
 JRというアーティストのことはまったく知らなかったが、54歳も年下の彼と出会って、一緒に旅をしながら映画を撮ったら面白いだろうと発想してしまうことがまず若々しいし、実際にそれをやってしまうことも驚きというしかない。アニエスの提案を受け、彼女とコンビを組んだJRという青年も魅力的で、彼を同行者に選んだアニエスの慧眼はさすがだと思った。
 JRはいろんな場所で人々の写真を撮り、それをモノクロの巨大サイズに引き延ばして、町中の壁面などに貼っていくというストリートアート(フォトグラファーと言うらしい)を行っている。アニエスはJRと会って意気投合し、後部に写真スタジオを載せたJRのトラックに乗って、フランスの田舎町を回って行くことにする。彼らはその先々で現地の人々と交流し、様々な壁面に人々の顔のアップや全身像を貼り付けて行くのである。
 この映画は、その奇妙な旅の一部始終を、アニエスとJRの共同作業が人々の間に不思議な高揚を作り出すさまを、みずから記録するかたちで追いかけたドキュメンタリーなのである。

 JRのやっているストリートアートというのがまず面白い。奇抜だし、大きなインパクトを持っている。被写体に選ぶのはすべて市井の名もない人々で、彼らに対するリスペクトがこのアートの底流になっていることが判る。撮影し、プリントし、貼り付ける。その巨大なモノクロ写真の前で、被写体となった人々が見せる満足そうな(誇らしげな)表情が印象的である。このアートは、人々の存在を丸ごと肯定するものなのだ。郵便配達夫、元炭鉱作業員、住民のいなくなった炭鉱住宅に一人住み続ける老婦人、工場労働者たち、800ヘクタールを一人で耕作している農夫、角を切らずに山羊を飼育する女性、ル・アーブルの港湾労働者とその妻たち、等々。
 庶民の生活の中にある様々な感情や思いが、JRのアートとそれを見詰めるアニエスの視線を通して見えてくる。彼らは次々に場所を移って行くから、見えてくるものは巨大な写真とともに置き去りにされ、映画の中に積み重なっていく。それはとても豊かな体験である。
 アニエスとJRはそれぞれアイディアを出し合い、会話を重ねながらこの映画を作っている。だから、彼ら自身が実に率直にこの映画と対峙していることが判ってくる。素直な目で、ありのままに対象を見ていることが判るのである。彼らのあり方そのものが、映画の中に次々に開示されてくると言ってもいい。

 アニエスの視力が日に日に落ちてきていることや、それを気遣いながらその事実も映画に取り込もうとするJRのことも描かれている。アニエスは、この旅での多くの人々との出会いのことを、JRの写真によって記憶に定着させようとしていたのかもしれない。
 彼ら2人が何気なく見せる表情や仕草などが、2人の友情の深まりを感じさせて楽しい。JRはアニエスを、100歳になった彼の祖母のところに連れて行く。何ということもない会話が交わされるだけだが、そこに作り出された温かい雰囲気が印象的だった。
 映画の最後は、アニエスがJRを、彼女の長年の友人であるジャン=リュック・ゴダールに会わせようと、スイスのローザンヌまで訪ねて行く一部始終だった。だが、これは予想外の悲しい結果になってしまう。ゴダールが謎めいたメッセージを残して、約束をすっぽかしてしまったからである。
 傷つき失望するアニエスを、JRが「ゴダールはこの映画の脚本に意外な展開を書き足してくれたんだ」というようなことを言って慰める。JRが好青年であるのが伝わってくる言葉だが、彼はさらに、これまで一度も外したことがないサングラスを取って、素顔を初めてアニエスに見せてくれるのである。「優しいのね、よく見えないけど」という彼女の言葉も印象的だった(実際、彼女の視力はかなり減退していて、ぼんやりとしか見えていなかったらしい)。

 フランス・ヌーヴェルヴァーグの作家たちはすでにほとんどが鬼籍に入ってしまい、現在も存命なのはアニエス・ヴァルダとジャン=リュック・ゴダールぐらいしかいなくなってしまったようだ。この2人の顔合わせが実現していたら面白かったとは思うが、アニエスの奔放とゴダールの偏屈が際立つこの映画の結末も、2人の「いま」をよく表していたと言えるのかもしれない。
 この映画のことを最初に聞いた時、どこが面白いのか理解できず敬遠していたのだが、これは理解じゃなくて感じる映画だった。時代の変遷とともにけっこう変節した作家も多かった中で、アニエス・ヴァルダは最初から最後(まだ最後かどうかは判らないが)まで、正真正銘、ヌーヴェルヴァーグそのものだったんだなと感じさせてくれる映画だった。彼女の映画は「幸福(しあわせ)」(1965年)が記憶にあるぐらいだが、この「顔たち…」は新たな傑作として記憶されるのではないか。こんな予想外の面白さを見せてくれた映画、久し振りという感じだった。
(MOVIX昭島、10月25日)
# by krmtdir90 | 2018-10-27 15:26 | 本と映画 | Comments(0)

映画「彼らの原発」

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 福井県おおい町は、2006年に大飯町と名田庄村が合併して生まれた町だという。人口は最新の(2018年4月)データで8100人ほど、若狭湾に突き出した半島の先に関西電力大飯原子力発電所が建っている。住民は原発に複雑な思いを抱えながら、何とかこれと折り合いをつけながら生活してきた。この映画は、2011年3月の福島第一原発の事故のあと、国内で最初に(2012年7月)再稼働した大飯原発の地元に入り、2014年3月の町長選挙を挟んで、そこに暮らす人々の日常生活とその内面に迫ろうとしたドキュメンタリーである(製作・監督・撮影・編集:川口勉)。その意図は、かなり実現されていたと言っていいのではないか。

 原発を受け入れた自治体には、国から莫大な交付金が注ぎ込まれることになり、この町も懸案だった道路整備を始めとして、様々なかたちで豊かな生活を手に入れてきた。原発がなければ、この町はとっくの昔に過疎で消滅の危機に瀕していたかもしれないのである。だが、そのことは十分認めた上で、フクシマ後の現在ではもはや原発の安全神話は完全に崩壊しているのであり、原発で潤ってきた町のあり方にも疑問を感じないわけにはいかなくなっているようだ。
 町民それぞれの心の中には、いままで原発の恩恵によって生きてきたという後ろめたさが少なからずあり、そうである以上、大手を振って反原発に与することは難しいという気持ちになってしまうようだ。それでも、その危険性はもはやみんなの共通認識になっているから、正直なところ、こんなものは無ければそれに越したことはないという思いに駆られることもあるようだ。彼らはいま、脱原発に舵を切るのが恐らく正しい方向なのだと判ってはいるが、だからといって、長年にわたって町が積み重ねてきた生活のあり方を変えることにはやはり抵抗があるということなのだろう。彼らの中には激しいせめぎ合いがあるのであり、そこから彼らの正直な思いにどこまで迫れるのかというのが、この映画の大きなテーマになっているということなのである。

 「彼らの原発」という題名は、何か非常に違和感のある奇妙な題名だと感じた。普通は原発にこんな言い方はしないのであって、どの原発であっても、原発の問題は「われわれ全体」つまり「日本国民全体」と結びつかなければおかしいはずである。原発との関わりを「彼ら」だけに限定してしまうこの題名には、いったいどんな意図が込められていたのだろうか。
 この映画で「彼ら」というのは、「おおい町の住民」を指しているのは明らかだが、それは彼らが原発立地自治体の住民だからである。それは、彼らを特別視しようとすることではなく、この「彼ら」とその他の「我ら」が結びつかなくては、何も始まらないというメッセージなのかもしれない。我らが「我らの原発」を問うことなく、ただ突き放した「彼らの原発」だけを問うているとすれば、それはまったく片手落ちであり犯罪的でさえあるということになるだろう。映画はとりあえず「彼らの原発」を追うけれど、それを少なくとも「我らの原発」というところに引きつけて考えることが、当面何よりも要請されていることなのである。

 おおい町の住民の思いが、誘致から立地に至る曲折した過去の経緯を背景に、複雑に屈折していくしかないことを前にした時、「我ら」が「彼ら」を離れて、単純な「脱原発」を叫んでもそれは何の意味もないということなのである。
 映画はこの町で、実に多様な人々の姿を捉えているが、そういう分け隔てをしない地道な取り組みが、前へ進むための第一歩であることは明らかな気がした。
(新宿K's cinema、10月24日)
# by krmtdir90 | 2018-10-26 10:08 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ここは退屈迎えに来て」

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 山内マリコの同名の連作短編小説を映画化したものだという。原作は8つの短編で構成され、そのすべてに高校時代のヒーローだった椎名クンという存在が絡むことで、全体が連作としてつながるようになっていたらしい。映画でもこの連作短編という形式(物語の構造)が生かされていて、実は最初そこのところがイマイチよく判らず、映画の流れにちょっと乗り遅れる感じになってしまった。
 山内マリコはあの「アズミ・ハルコは行方不明」の原作者だが、本作でも地方都市の閉塞感と、そこで生きる複数の人物の(思い通りにならない)日々を描いている。具体的には2013年、2008年、2010年といった年号が次々に表示されるのだが、これらは各々がそこで「独立した短編」になっていたのであって、各登場人物の現在が相互につながっているわけではなかったのだ(ここがよく判らずウロウロしてしまったというわけだ)。

 実は、これらの登場人物は、2004年にみんな同じ高校の3年生だったという点でつながっており、当時みんなの中心にいた椎名クンとも様々なかたちでつながっていたのだ。昔は同じところ(この退屈な地方都市)にいて、いろんな思いを共有し合っていたけれど、その後はみんな別々の場所で別々の人生を送っている。そういう、独立したストーリーラインが並べられていたのである。これは別に謎解きでも何でもない。たぶん、普通に年代記風に並べてしまったら、何の面白みもないありふれた青春挫折物語になってしまったのかもしれない。
 18歳(2004年)が、彼らそれぞれの物語の基点になっているが、映画は彼らの27歳(2013年)、22歳(2008年)、24歳(2010年)の時点に立ち止まり、そこから18歳だった時(基点)を逆照射しようとしているように見えた。この構造がこの映画の(そしてたぶん原作小説の)肝になっているのであって、そういう操作を経ることで見えてくる彼らの18歳は、非常に客観的で公正な目で捉えられることになったように思う。
 廣木隆一監督はインタビューで、この映画を「『高校の頃はよかったね』というような話にはしたくなかった」と言っているらしい。確かに、この映画は「この子が(22~27歳になって)こんなふうになったのか」というふうに、描写の視点がかなり「後の方」に置かれていて、それぞれが現在の自分に「こんなはずじゃなかった」と感じていることを描いているのだと理解できた。
 高校を出る時には、それぞれいろんな未来を思い描いていたのかもしれないが、時が過ぎるにつれて次第に、そんなに思い通りになるものではないことも判ってきて、といった感じ。そういう中でふと気付くと、いつの間にか22~27歳になっていて、18歳からずいぶん遠いところまで来てしまったんだな、というような、その何とも言えないやるせない気分のようなもの。こんな地方都市では、ホントに何も起こらないんだぞーーーっ、というような感じだけが真実としてあって。

 実際、事件らしい事件は何も起こらない映画なのである。だが、その何と言うこともない一瞬一瞬の中に、実にいろんな思いが詰まっているのだと思った。そういうのを、こんなふうに繊細に掬い上げた映画はあまりなかったのではないか。
 中でも、27歳の「私」(橋本愛)とサツキ(柳ゆり菜)が、高校時代にみんなの中心にいた椎名クン(成田凌)に会いに行くというメインの設定が効いている。設定としてはまったく単純な設定であって、別に何の障害も現れないし、同じ市内なのだから(だだっ広い地方都市であっても)時間的にそれほどかかるものではない。だが、一人だけ異なる世代(40歳)の須賀サン(村上淳)の車で移動しながら、3人が車内で交わすとりとめのない会話から、彼らのパッとしない「いま」(そしてここに至る日々)が徐々に見えてくるところが面白い。
 さらに映画は、この3人とは別のストーリーラインとして、他の幾人かの「いま」を並列的に並べて見せているわけで、その上で、みんなが一緒の教室にいた18歳の時に帰って行くという、この全体の構図が非常に生きていたと感じた。22歳の「あたし」(門脇麦)は高校時代に椎名クンと付き合っていたが、卒業後音信不通になってしまった彼のことを忘れられずにいる。また、24歳の森繁あかね(内田理央)と山下南(岸井ゆきの)は、高校時代は特に椎名クンと接点があったようには見えなかったが、終わり近くで南が結婚して椎名南になったとあかねに告げたりしているのである。
 椎名クンと南というのは思いがけない展開だが、椎名クンの結婚はこの映画にとってはそれほど重要なこととはされていないようだ。時が経てば誰もが現実世界に取り込まれていくことの、それは一つのエピソードに過ぎないということなのかもしれない。

 確かに、高校時代の椎名クンはいつも誰よりも輝いていた。高校3年の時、「私」とサツキは一度だけ彼に誘ってもらって、彼の仲間とゲームセンターに遊びに行った思い出があった。椎名クンには当時付き合っている彼女(「あたし」)がいたから、それはちょっとした気まぐれに過ぎなかったのかもしれない。だが、彼女たちにとってはそれは忘れられない美しい思い出だったのであり、だから、ほぼ10年ぶりに椎名クンに会いに行く「私」とサツキが、妙にワクワクと舞い上がって見えるのをバカバカしいと笑うことはできないのである。
 彼らは途中で、思い出のゲームセンターに立ち寄ったり、母校に行ってみたりする。ゲームセンターでは、たまたま帰郷していた新保クン(渡辺大知)という級友と再会する。彼はいま、ここではないどこかの町のゲイバーで働いているらしいが、かつて仲の良かった椎名クンのことを2人に教えてくれる。卒業後の椎名クンは、思い通りにならないことの連続ですっかり打ちのめされ、いまは地元に戻って、新保クンの紹介した自動車教習所で働いているのである。
 「私」とサツキが椎名クンと再会するシーンは、映画の最後に置かれている。椎名クンは外見的には高校時代とほとんど変わっていないようだったが、いまは何となくくすんだ感じになっていて、あの頃の輝きはもう失われてしまっているように見えるのである。映画はここで、何とも言いようのない印象的なシーンを映し出している。椎名クンは何と、再会した「私」の名前を思い出すことが出来なかったのである。この時の2人の気まずいすれ違いは、もうただ笑ってしまうしかないのだけれど、時の流れの残酷さを示しているようで胸を突かれる気がした。

 この映画が描いたのは、あの2004年からずいぶん時が経って、「私」もサツキも椎名クンも(新保クンも「あたし」もあかねも南も)、みんながこんなに変わってしまった、変わってしまったことを認めたくはないし、そのことに全然納得はできないのだけれど、それでも、それを受け入れて何とか生きていくしかないという、苦い現実なのである。若い人間の「夢の終わり」を浮かび上がらせた、非常に良くできた映画だったと思う。
(MOVIX昭島、10月23日)
# by krmtdir90 | 2018-10-25 17:13 | 本と映画 | Comments(0)

映画「世界で一番ゴッホを描いた男」

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 中国広東省の深圳(しんせん)市に「大芬(ダーフェン)油画村」という一角があるらしい。ここにはゴッホなどの名画の複製画(油絵)を制作する工房が集まっていて、画工と呼ばれる職人が1万人以上働き、複製画制作が主要な産業として確立している場所なのだという。精巧な印刷技術が発達した現代にあって、こうした手作業による複製絵画が流通していることも驚きだったが、主に海外からの発注を受けて、この「油画村」が世界の複製画市場の6割を制作しているというのも初めて知った。中国というのは実に何でもありの国なんだなと思った。
 ドキュメンタリー映画の面白さは、こんなふうにまったく知らなかった思いがけないことを教えてくれて、それが行われている現場を目の当たりに見せてくれることだと思う。監督の余海波(ユイ・ハイボー)と余天琦(キキ・ティンチー・ユイ)は父と娘で、この映画が初の長編ドキュメンタリー映画だったようだ。2016年製作の、オランダ・中国合作映画である。

 この映画は、「大芬(ダーフェン)油画村」で20年もの間、ずっとゴッホの複製画を描き続けてきた趙小勇(チャオ・シャオヨン)という画工を主人公にしている。
 彼は貧しい農村から出稼ぎでここにやって来たようだが、特に絵画の素養があったわけでもなく、まったくの独学でゴッホの筆遣いなどを身につけてきたということらしい。彼はいまでは工房の親方といった位置にあるらしく、この工房では画工たちみんながゴッホの複製画を制作している。それぞれが小さな写真などを見ながら、並んで壁に向かい、次々にゴッホの油絵を仕上げていくところが非常に興味深かった。趙さんは出来上がった絵に細かい修正の指示を出したり、時にはなかなか上達しない若者に厳しく描き直しを命じる場面なども収められていた。20年も描き続けていると、趙さんには趙さんなりの譲れない一線というのがあるようで、画家と呼ばれることはなくても、彼なりのプライドを持ってこの仕事に取り組んでいることが窺えた。

 彼にはこちらで一緒になったらしい奥さんがいるのだが、いまは奥さんも画工として一緒にゴッホを描いているようだ。ゴッホを描くことが、文字通り彼らの生活を支えているのである。
 ゴッホの故郷オランダのアムステルダムからも大量の注文があるようで、月に百枚単位の制作が普通に行われているというのは驚きだった。どこにどんな需要があるのか判らないが、とにかくこれが彼らの生きるための仕事なのであって、ひとたび納期が決まってしまえば、家族の生活も制作一色になってしまうことも珍しくないようだった。完成した複製画を梱包するシーンがあったが、あの「苦い銭」の子ども服を思い出させるような乱暴なやり方で、彼らの描いた絵がどういう扱いを受けているのかが垣間見えて悲しかった。
 彼らには2人の子どもがいるが、上の長女は趙さんの故郷の高校に通っているらしい。久し振りの休暇でこちらに帰って来た彼女が、向こうの学校に馴染めないことを両親に訴えるシーンがあった。どうしてそうなってしまうかというと、趙さんが出稼ぎ労働者だからで、20年こちらに住んでも戸籍を移すことは認められていないのだという。そのため、大芬(ダーフェン)で生まれ育った子どもであっても、こちらの学校に通うことはできない決まりになっているらしい。夫婦は、長女の悩みを聞いてもどうしてやることも出来ないのである。

 この映画は、趙小勇(チャオ・シャオヨン)という画工がどのような来歴を持ち、どのような現在を生きているのかを克明に写し取っている。そして、その生活の中から、彼が一度でいいから本物のゴッホの絵を見てみたいと願うようになるところを、温かい眼差しで見詰めていく。アムステルダムにあるというゴッホ美術館に行ってみたい、本物を見たことがない絵の模倣をずっと繰り返してきた自分に、それは様々な気づきを与えてくれるはずだと、彼は考えるのである。彼のこの純粋な好奇心と向上心は、率直な共感を呼ぶ。しかし、その思いを理解しながらも、そんなお金はないと妻が反対する気持ちもよく判る。彼らの生活は決して豊かなものではない(むしろ貧しいと言った方が当たっている)のである。
 結局、妻は夫の熱意に負け、趙さんの希望を叶えてあげることにする。趙さんはビザを取得するために、一旦故郷の家に帰る。ここで彼は年老いた祖母に会い(子どものころから祖母を大好きだったことが自然に伝わってくるシーンだった)、夜になって懐かしい親族と酒を酌み交わすのである。これが何とも切ないシーンだった。すっかり酔ってしまった彼は、自分の家が貧しかったから中学も中退して働くしかなかった、自分は小学校しか出ていないんだと涙ながらに語るのである。都市部と地方との、埋めがたい格差を感じさせるシーンだった。

 趙さんの旅(数人の仲間も同行している)は、恐らく一生に一度しかない夢のような体験だったに違いない。
 だが、皮肉なことに、彼はアムステルダムの最初で大きな失望を味わわなければならなかった。彼を呼んでくれた画商(複製画の注文主)を訪ねると、そこは彼が想像していたような画廊ではなく、観光客相手の安っぽい土産物店だったのである。彼の複製画はそういうところで、買い取り価格の8倍というような値札をつけられて売られていたのだった。趙さんはまず、自分の描いた複製画が、こういうビジネスの使い捨て商品に過ぎなかった現実に直面させられるのである。だが、知ってしまったからといってどうすることもできない、彼の何とも言いがたい憮然とした表情が悲しい(だが、彼は賃金が安くて画工が居つかないので、もう少し買い取り価格を上げてほしいと画商と交渉するしたたかさも持ち合せているのだけれど)。
 ゴッホ美術館での彼を捉えたシーンは感動的だった。ゴッホの絵に釘付けになる彼の表情が短く映し出されるだけなのだが、それだけで彼が受けた衝撃の大きさが伝わってきた。素晴らしいものに触れてただただ圧倒されてしまう、そんな純粋な驚きと感動が表れていた。彼は「色が違うな」と小さく呟いたりするのだが、彼の心の中にいろんな思いが去来し渦巻いているのが判った。
 彼ら一行はこのあと、ゴッホが入院していたという病院、何度も複製した「夜のカフェテラス」が描かれたカフェ、そして彼の墓地などを訪ねて行く。墓地では深々と頭を下げたのち、3本の煙草に火を点けて、それを線香のように逆向きに立て、それが燃え尽きるまで墓前に留まるのである。ゴッホへの敬愛が無言のうちに溢れる、素晴らしいシーンだったと思う。ホテルでの彼らを捉えたシーンもあったが、夢のような日々に熱に浮かされたようになった趙さんが、仲間とつい飲み過ぎてゲロを吐いてしまう(微笑ましい)場面も収められていた。

 大芬(ダーフェン)に帰った趙小勇(チャオ・シャオヨン)が、若い画工たちと酒を飲みながら、ゴッホと出会った感動を熱っぽく話すシーンも良かった。まるで少年のようなキラキラした瞳で、彼は自分の中に生まれた大きな変化について語るのである。それは、複製画の制作は(生活のために)止めるわけにはいかないが、今後は少しずつオリジナルの絵も描いていきたいという決意だった。ゴッホのような素晴らしい絵は描けないかもしれないが、複製画ではない、自分だけの絵を少しずつでも残したいという願いが湧いてきたのである。
 このあと、彼が最初に取り組んだオリジナルが、故郷の祖母の肖像画だったというのが嬉しい。続いて彼は、彼の仕事場だった複製画工房の内部を描くことにするのだが、制作途中のこの絵を見ながら、彼と妻が何となく若かったころを回想してしまうシーンが良かった。「この隅のあたりにわたしたちがいたのよね」というようなことを妻が言う。長い長い時を経て、夫がようやく自分の絵を描き始めたことへの共感の思いが滲んでくるような言い方だった。しみじみとしたいいシーンだった。
(新宿シネマカリテ、10月22日)
# by krmtdir90 | 2018-10-23 20:37 | 本と映画 | Comments(0)

映画「アンダー・ザ・シルバーレイク」

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 ちょっとカルトっぽい雰囲気がありそうなので、そういうのもたまにはいいかなと思って見に行った。監督のデヴィッド・ロバート・ミッチェルは1974年生まれ(44歳)で、思いがけずあの白石和彌監督と同い年なのだった。結論を言えば、わたしは白石和彌のストレートな「熱さ」(ただし、冷静に計算はしている)の方が合っていると思った。
 3分の2ぐらいまではけっこう面白く見たのである。だが、最後の3分の1で急速にシラけてしまった。思わせぶりに並べてきた伏線(らしきもの)はそのまま残ってしまうし、「街の裏側に潜む陰謀」とか「私たちは誰かに操られている」とか、どう言ったところでストーリーが成立していないのは明らかだと思われた。目くらましだけで観客を幻惑しようとしても、乗せられてしまう客の数には限りがあるということである。内容がないものをカルトに祭り上げることくらい愚かなことはないだろう。

 配給会社は「新感覚サスペンス」などと名付けたり、ヒッチコックやデヴィッド・リンチの名前を出して一生懸命売ろうとしているようだが、全然そんなものではないと思った。この監督が、映画をたくさん見ていたり様々なポップカルチャーに通じているのは判るし、そういうものを(一見)センス良く散りばめてみせるテクニックには長けているのかもしれないが、それだけでは中身の空虚さを誤魔化すことはできないのである。
 例えば、主人公の無職の男がアパートの向かいに住むトップレスの女を双眼鏡で覗いているシーンがあったが、これを「裏窓」(ヒッチコック)へのオマージュなどとするしたり顔の指摘の馬鹿らしさはどうだろう。オマージュとはリスペクトに裏打ちされた行為であって、とうてい原作に届かない表面的なモノマネはオマージュとは言わないのである。

 わたしは どんな場合でも謎解きが必要だと言うつもりはない。だが、主人公の男が謎を追い始めてしまった以上は、その謎をどういうかたちで終わらせるのかという点については、きちんと責任を取る必要があるのではないか。そこには謎が解かれないというケースもあっていい。ただし、曖昧なままほったらかしにするのは仁義に反するということなのである。
 ましてや、最後に登場してくる富豪の男と3人の女の言動などは、あまりに荒唐無稽で鼻白むばかりだった。主人公の男が先のトップレスの女と最後にくっついてしまうのも、そんな支離滅裂な終わり方でいいのかと言いたくなってしまう。いろんな飛躍は3分の2ぐらいまではあってもいいが、最後までこんなことをやっているようでは、結局この監督はうわべの目新しさで観客を振り回すことしかできないのだということになってしまう気がする。
(立川シネマシティ2、10月19日)
# by krmtdir90 | 2018-10-21 22:07 | 本と映画 | Comments(0)


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