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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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モロッコの旅⑭マラケシュ~アルジャディーダ(2018.3.8)

3月8日(木)

 マラケシュで連泊したホテル、ル・メリディアン・エンフェスの中庭と客室棟。
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 この日は、午前中に大西洋に面した町アルジャディーダまで行き、そこを見学した後、旅の最終宿泊地であるカサブランカに向かうことになっていた。天気は悪くなさそうだ。

 午前8時半にホテルを出発。アルジャディーダまでは約200キロの道のりだという。
 市内を走っている時、鉄道のマラケシュ駅の前を通過した。
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 調べてみると、マラケシュ駅はモロッコ最南端の駅だった。モロッコの鉄道はONCFという国営会社が事業主体となっているようだ。

 アトラス山脈を越えたことによって、車窓はまた穏やかな春の田園風景となった。バスは途中の町や村を幾つか抜けながら北に向かった。始めはけっこう曇っていたのだが、次第に青空が広がってきて、非常に気持ちのいいドライブになった。
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 鉄道線路の上を越えた。
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 左の線路は車止めで終わっているので、単線の非電化路線と思われる。軌間は少し広いかなと思いながら調べてみると、モロッコの鉄道はすべて標準軌(1435mm)と出ていた。
 小さな町並みを抜ける。
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 羊飼いと羊の群れは至るところにいた。
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 黄色い花がたくさん咲いている畑をあちこちで見かけた。これはキャノーラの花だという。スーパーなどで見かけるキャノーラ油のキャノーラである。
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 こちらは小麦畑だろう。
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 小さな集落。
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 小さな町並み。
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 農作業用の馬車。
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 畑の手前に通っているパイプは、灌漑用水を送るパイプらしい。
 牛の姿もこの日はあちこちで見かけた。
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 荷車を引くロバ。
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 ロバか馬かは、遠くからでは実は判然としない。
 かなり大きな町が見えてきた。
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 町の中の通り。
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 道路の様子を見ると、昨日あたりまで雨が降っていたのかもしれない。
 ぬかるんだ道を高校生ぐらいの若者たちが歩いている。
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 これが学校のようだ。
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 時刻は午前11時を少し回ったところで、こういう時間にたくさんの生徒が出てくるというのは、何か特別の行事でもあったのだろうか。
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 再び田園が続く。
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 このオレンジ色の花が咲く畑もけっこう見た。名前を聞いたはずなのだが忘れてしまった。
 実に気持ちのいい天気になった。
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 11時50分を過ぎたころ、バスはアルジャディーダの町に到着したようだ。
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 町の中を走って行く。
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 ほぼ12時に、バスは城壁の前の通りに停車した。
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 アルジャディーダのメディナ(旧市街)はかなり規模が小さく、特にポルトガル都市という名で呼ばれているらしい。これは、ここが1502~1769年の間、ポルトガルの支配下にあったことと関係していて、この城壁とメディナは当時ポルトガルの要塞として築かれたものだったのだ。
 この入口から中に入った。
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 入ってすぐのところにあったこの建物は、現在は小規模ながら劇場として使われているものだという。
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 帰りがけに中を覗いたので、その時に撮った写真を載せておく。
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 何か小さな集会が行われていたようだ。
 この通りを進んで行く。
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 これまで見てきたメディナとはまったく異なり、ごみごみした感じが少しもなく、非常に落ち着いたところという印象を受けた。個人の観光客をちらほら見かけるだけで、土産物などの店も少ししかなく、実に静かで小綺麗な家並みである。
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 ↑この左側の、白いジェラバを着た老人が座っている手前の入口から、ガイドのハディドさんは中に入って行った。

 入口の感じはごく普通の民家のように見えるのだが、中はこんな感じの奇妙な作りになっていた。
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 横に受付のような小さなブースがあり、猫がちょこんと座っている。
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 中の男性とやり取りがあったあと、ドアを入って地下室に案内された。階段を下りていくと、
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 そこには不思議な空間が広がっていた。左の方には水が溜まっていて、右側の水のない部分が歩けるようになっている。
 ここはポルトガルの貯水槽と呼ばれる施設で、1514年にポルトガル人がこの城塞都市を築いた時、同時に倉庫として建設されたものだったようだ。その後、非常の際に城塞の水が断たれた時のために貯水槽として改造され、長年にわたって利用されてきたのだという。
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 天井の円い穴から雨水が流れ込むようになっているらしい。
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 いまはそこから太陽の光が差し込み、何とも言えない幻想的な雰囲気を作り出している。
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 ポルトガルの貯水槽の入口はここ。
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 さて、またメディナの道を歩いて行く。
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 このメディナは商業の場というより生活の場という傾向が強く、民宿のようなホテルは交じるものの、ほとんどが人の住む民家で占められているようだった。

 わずかな時間でメディナの中を横切ってしまったようだ。突き当たりに小さな広場があった。
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 鉄格子の嵌まったアーチの向こうに海があるらしい。
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 ↑この右手の坂になったところから、小さな門を入って右奥の方に進んで行くと、昔の要塞の時代には稜堡(りょうほ、攻撃などに備えて大砲を設置し、見張り台としての機能も持たせた一画)として使われた小高い場所があり、現在はそこが見晴台になっているのだった。
 まず、そこからの眺め。
 小さな漁港がある。
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 防波堤。向こうの海は大西洋である。
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 反対方向。ビーチが見えている。
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 背景はアルジャディーダの町並みである。右に視線を移すと、
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 メディナを囲む城壁(右がメディナ)。ここが海に向かう砦だったことがよく判る、堅固な作りになっている。
 さらに右に見ていく。
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 右の門を手前に入って、傾斜を上ったところが見晴台である。この写真では奥がメディナということになる。
 右手に、大砲が海を向いて残っていた。
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 何枚か前の写真に写っている城壁の上を少し行ったところから、見晴台になっている稜堡の方を振り返る。
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 今度は少し離れて、最初に歩いて来た方から稜堡を見る。
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 さっきとは反対方向の城壁。
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 望遠で、大西洋。
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 最初に入って来た入口の門。
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 この手前で、帰り際にあと3枚。
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 ↑これが最初に見晴台の上から見た方向。漁港(右)と防波堤(左)と。
 最初に入った門。
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 下の広場では子どもたちがサッカーをしていた。
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 上の写真の左にある白い建物には、小さく「カフェ」の表示がある。営業しているようには見えないが、このメディナの中にはこうしたお洒落な建物が、古い土色の建物の間に点在して上手に溶け込んでいる。モロッコのメディナなのに、どことなくヨーロッパの(ポルトガルの?)気配が入り込んでいるような気がした。
 再びメディナの中を、最初に入って来た門に向かって歩いて行く。
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 ↑これは公衆トイレである。もちろん男が向こうから出てきて、一人1ディルハムを徴収して行った。
 さらに何枚か。
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 横のドアから不意に顔を出した少女。
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 以上でアルジャディーダのメディナは終わり。外の通りに戻って来た。
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 上の写真の撮影時刻は12時53分。天気が良かったこともあるが、いままでのメディナと違って、とてものんびりした気分になれる散策だった。
 このあと、昼食に向かう。
 以下、次回。
# by krmtdir90 | 2018-03-31 20:26 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑬マラケシュ2(2018.3.7)

3月7日(水)続き

 ジャマ・エル・フナ広場から、徒歩で昼食のレストランに向かった。ガイドのハディドさんはすぐ着くと言っていたのだが、けっこう歩いた。
 メインには何だかよく判らないものが出た。いま写真を見ても思い出せない。
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 これがレストランの入口。
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 ↑この写真の撮影時刻は午後2時03分だった。

 昼食のあと、徒歩でバヒア宮殿というところに行った。これが入口。
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 入口はパッとしなかったが、敷地はかなり広いようだ。
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 オレンジの木があちこちに植えられている。
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 ただし、これは食べられないオレンジらしい。
 この宮殿は19世紀末、アラウィー朝のハッサン1世の宰相だったアリ・バハメットの私邸として建てられたもののようだ。バハメットには4人の妃がいて(イスラムでは一夫多妻が認められている)、24人の側女(妾)たちが仕えていたらしい。宮殿内にはこの妃たちと側女たちの部屋が並んでいるという。俗な言い方をすればハーレムである。
 位置関係をよく覚えていないのだが、こういう脇を通って行くと、
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 こぢんまりした中庭(パティオ)に出た。
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 この周りに4人の妃の部屋があった。
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 部屋を順番に見ていったが、どれがどれだったかはっきりしない。とにかく部屋を回りながら撮った写真である。
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 さっきとは別のパティオに出た。
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 さらに、広い中庭。
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 この周りには側室たちの部屋があったようだ。
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 ↑屋根の向こうにちょっと頭を出しているミナレットの上。コウノトリの巣とコウノトリ。そして、メッカの方向を指し示す矢印。
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 位置が判らないのだが、また別のパティオ。
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 中に入ってさらに幾つか部屋を見て回った。
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 それぞれのところで説明はしてくれていたのだろうが、いずれにせよ、宮殿の平面図を手にしながら回ったのなら別だが、結局どれが何だかよく判らないうちに見学は終わってしまった。地図や平面図上で物事を確認したいという欲求が強いのは、わたしの特殊な性向であって、ほかの人たちはあまりそういうふうには考えないということだろうか。

 さて、バヒア宮殿を出ると、すぐのところに馬車が2台待っていた。
 次はこれへの乗車体験ということになる。乗るところの説明的写真はないから、次は座席から撮った写真になる。
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 分乗する時、前の馬車には2人連れの女性と添乗員とガイドが乗った。後ろにはわれわれと単独参加の女性の3人となったが、座席は2人ずつ向かい合わせだったので、添乗員に促されて席決めのじゃんけんをした。運良くわれわれが勝って前向きの席を確保できたが、同乗の女性には何となく悪い気がした。
 カーブのところで前を行く馬車を撮ることができたが、
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 もちろん自分たちの馬車を撮ることはできない。乗ってしまうと周囲の風景を見ているしか基本的にはなくなってしまう。しかも、ここでもルートを示す地図がないから、見えているものを確認しながら行けないというのは大いに不満なのである。
 次がアグノウ門という門なのも、帰ってから調べてみて判ったことである。
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 2連になった門を抜けて行く。
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 朝に通ったロブ門とは違うようだ。
 馬車はしばらく旧市街(メディナ)の中を走っていたが、
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 一旦外に出て、周囲の広い通りの方も走ってから、再び城壁の中に帰って来た。
 生きたクジャクを抱えながら歩いている人がいる。
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 いったいどうするつもりなのだろう。
 やがて、35分あまりののち、馬車はクトゥビアに近い広場の脇に来て停まった。
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 これがわれわれの乗った馬車。
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 向こう側の馬が見えていないが、写真はこれしかないので仕方がない。
 乗車の感想を言うと、カンボジアのトゥクトゥクなどと違って、この馬車は観光用に仕立てられたもので日常的な乗り物ではない。その点が、乗っていて何となく気恥ずかしく、新鮮な感動に欠けていた理由だろうと思う。まあ、体験としてはそれなりに面白かったのだけれど、ね。

 広場で、迎えのバスを待ちながら。町の人々。
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 バスで一旦ホテルに戻り、1時間ほど休憩したあと、午後5時45分に再集合して、もう一度バスでジャマ・エル・フナ広場に向かった。夜のメディナとスークの雰囲気を味わおうという企画である。

 午後6時過ぎのフナ広場。
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 歩いて行くと、昼間より賑わい始めているようだ。サルなどに芸をやらせている芸人などが出ている中に、コブラを扱っている芸人がいたので、思わずシャッターを切ってしまったら大声で呼び止められてしまった。
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 仕方がないから10ディルハムを渡したが、うーむ、夜になったらますます気をつけなければ。
 で、気を取り直して。
 広場には、昼間にはなかった(たぶん)店などが盛大に軒を並べていた。
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 夜がこの広場のゴールデンタイムということなのだろう。

 あたりが暗くなるまで、さっきのスークの路地の方を歩くことになった。一旦解散して、集合時間は7時(だったと思う)、昼間と同じ(だったと思う)カフェの前ということになった。
 われわれはスークの方をしばらく歩いてから、早めにフナ広場に戻った。あたりが暗くなると、やはり広場の雰囲気は一変していた。広場を横切りながら、今度は十分注意してシャッターを切った。
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 この煙っている方は飲食店の屋台が集まっているようだ。
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 非常に興味があったが、入るわけではないのだから行かない方がいいと判断した。

 時間より早く集合場所に行ったのだが、そこには添乗員が一人いるだけで、他の3人はずっと早く戻って来て、すでにカフェの2階でティーを楽しんでいるという。で、われわれも上に上がった。そこは広場全体を見渡せるテラスの特等席になっていて、最初は席が埋まっていて座れなかったが、少しして空席ができたので、そこに座ってミントティーをいただいた。
 もちろん写真もしっかり撮ったので、その中から。
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 なお、われわれが入ったカフェは、ガイドブックの細かい地図や写真などから判断すると、広場の周囲のこういう2階席のあるカフェの中で一番眺望がいい、ル・グラン・バルコン・カフェ・グラシエというお店だったようだ。

 ここでしばらく休んだあと、カフェを下りてジャマ・エル・フナ広場を後にした。
 迎えのバスが来る広い通りまで歩いた。ライトアップされたクトゥビアが美しい。
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 バスを待ちながら。
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 この晩は外のレストランで夕食ということになっていた。
 このお店。
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 みんなで少しずつ取り分けるようになっていた前菜。
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 メインは何だったか。
 最後のミントティーをウェイトレスが目の前で注いでくれた。
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 ホテルに帰り着いたのは午後9時45分ごろだった。
# by krmtdir90 | 2018-03-29 15:33 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑫マラケシュ1(2018.3.7)

3月7日(水)

 この日は一日、マラケシュの市内見学に充てられていた。ホテル出発は午前9時。正面玄関の前に出ると、虹が出ているのが見えた。
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 夜の間に雨が降ったのだろうか。よく判らない。
 しかし、天気は晴れである。やや変わりやすい天気ということはあったようで、最初のうちほんのちょっとだけ雨がぱらついたが、基本的には青空の見える気持ちのいい天気で推移した。

 最初はバスで移動。帰ってからガイドブックの地図で見学ルートを確認しているのだが、バスはロブ門というところからメディナ(旧市街)に入って行ったようだ。
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 門をちょっと入ったところでバスを降り、歩いて行くとミナレットの付いたモスクの前に出た。
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 アル・マンスール・モスクと言うようで、この中にあるサアード朝の墳墓群というのを最初に見学するようだ。
 これは前の道(モスクは左側)。
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 塔の上にコウノトリが巣を構えている。
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 墳墓群の入口は↓この右手前にあり、
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 中に入ると、小さな中庭と幾つかの建物(部屋)が並んでいた。
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 左で欧米人のツアーが覗き込んでいるところに第1の部屋がある。ミフラーブの間と言うらしい。
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 ミフラーブとはメッカの方向を示す壁の窪みだが、正面にはないので、恐らくこちらがそうなのだろう。
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 床のモザイク。
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 棺桶を連想させる模様があるが、ここは子どもたちのお墓になっているらしい。
 次に行く間の中庭にもお墓があった。
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 これは召使いのお墓のようだ。
 次は第2の部屋で、12円柱の間と言われているようだ。
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 ここが最も荘厳な部屋で、中央の大きなお墓がサアード朝の王アフメド・アル・マンスールのお墓とガイドブックには書いてある。ただ、中央には3つお墓が並んでいて、よく見ていると、真ん中のは両側のより心なしか小ぶりのように見えるのだが。
 壁などの装飾は確かに豪華で、
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 天井なども非常に立派に作られている。
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 中庭にはまた召使いのお墓が並んでいて、
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 その先(右側)、第3の部屋は3つのミフラーブの間と呼ばれているらしい。
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 ここはアル・マンスール王の子どもたちや王族たちのお墓で、正面が1つのミフラーブであることは判るが、あと2つがどこにあったかは判らなかった。
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 以上で墳墓群の見学は終わり。
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 最初のうち雨がぱらついていたのだが、もう上がってしまったようだ。

 表の通りに出て、ガイドの先導で少し歩き、
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 次に香辛料のお店というのに立ち寄った。
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 女性陣はいろいろ見ていたが、わたしは興味がないので、例によって外に出て写真を撮ったりしていた。店のすぐ前に門があり、
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 門を出た方から振り返る。
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 この奥にある入口が香辛料屋さんである。門のすぐ横の土壁の上にコウノトリが巣を作っていて、けっこう至近距離からその姿を見ることができた。
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 門の前の通り。
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 モロッコのタクシーは町によって色が統一されていたようだが、マラケシュのタクシーは↑この色だった。

 さて、このあとはバスに乗って、一旦メディナを出て、マジョレル庭園というのに向かった。
 マラケシュのシンボル、メディナの中にあるクトゥビアというミナレットが見えている。
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 ここはあとでまた来る予定。
 新市街の通りを走って行く。モロッコでは、通りが交差するところは大抵ロータリーになっていて、ここには噴水が作られていた。
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 途中、ピザハットと、
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 ケンタッキー・フライドチキンがあった。
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 ムスリムはポーク(豚肉)は食べないが、チキンなどはOKということである。
 こちらは郵便局だ。
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 で、マジョレル庭園である。
 これは入口を入ってすぐのところ。
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 奥に竹林が見えているが、この庭園は1920年代にフランスの画家ジャック・マジョレルが造園したもので、彼の死後、フランスのデザイナー、イヴ・サンローランが買い取ってさらに作り込んだものらしい。中にはヤシの木やサボテンを始め多彩な南国の植物が植えられ、建物や様々なところが鮮やかなコバルトブルーに塗られているのがアクセントになっている。
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 園内には、西欧人と思われる観光客がたくさん入っていた。ヨーロッパの人々にとって、北アフリカというのは意外に身近な「異国」という感じなのかもしれない。
 園内で見かけた、遠足と覚しき現地の子どもたちの一団。
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 子どもたちにとっては、ここはそれほど面白いところとも思えないのだが。
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 終わりに、これが庭園の入口。
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 入る時にはなかった行列が、右の方にけっこう長くできていた。

 マジョレル庭園の前の道から、表の広い通りに出たところ。
 観光用の馬車。
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 われわれは午後にこれに乗った。
 こちらは路線バスの停留所。
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 ここでバス(われわれのバス)に乗って、今度はこのお店に寄った。
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 革製品やモロッコの民芸品などを扱っているお店で、大きな土産物店という感じだった。しばらく中にいたが、わたしはやはり早く外に出て煙草などを吸っていた。横の方に、何かを焼いている屋台が出ていた。
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 再びバスに乗って、
 マクドナルド。
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 交通整理のお巡りさん。
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 噴水のあるロータリー(さっきとは違う)を回って、
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 正面のジェディド門からもう一度メディナの中へ。奥にクトゥビアが見えている。

 クトゥビアの塔に近い道路でバスを降りた。
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 ↑この右手のところから敷地の中に入って行った。
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 クトゥビアはミナレットであり、最上部の窓からスピーカーが覗いているのは、礼拝時間を知らせる放送のためのものだろう。
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 また、金の飾りの右に付いている逆三角形の骨組みのようなものは、外からでもメッカの方向が判るように、そちらの方向を指し示している印なのだという。
 正面を右に曲がり、モスクの横を通って行く。
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 その先のアーチをくぐると、
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 広場に出た。
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 広場を横切り、そちらからクトゥビアの塔を見る。
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 広場の向かいの道路を、
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 横切って行くと、
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 その先からスークと呼ばれる商業地区が始まっていた。

 ここから先はどこをどう歩いたのかまったく判らない。ただ、フェズの時と違って、ここではあまりディープな部分には入り込まなかったようだ。マラケシュのスークは世界最大の広さがあると言われているから、これを攻略するのは並大抵のことではないのだろう。
 以下、写真を並べていく。
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 晴れているから、何となく開放的な感じがする。ちょっとした広場に出た。
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 このあとは例によって迷路のようになる。お店などに引っ掛かりながらゆっくり歩いて行った。
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 フェズで経験しているからもう新鮮な驚きはなく、上にも書いたように、食料品の店とか革職人のエリアとか、ディープなところには行かなかったから、写真もそんなに撮っていないのである。

 30分ぐらい歩いて、ジャマ・エル・フナ広場(通称・フナ広場)というところに出た。出たところで、もう一度30分ほどフリータイムにすると言う。われわれはそんなことはなかったが、他の3人が途中にあった店で買い物をしたいと希望したようだ。フェズの時ほど入り組んだ感じはなかったから、いま歩いたところをある程度戻るのは、それほど難しいことではないように思われた。広場の周りにあるカフェの中の一つを決め、その前を集合場所にして解散した。
 われわれも何となくついて行ったが、特に買いたいものがあるわけではないから、途中で分かれて少しぶらぶらした。ただ、われわれだけで行動するとなると、あまり気軽に写真を撮ることはできないような気がした。こちらでは、不用意に写真を撮るとチップを請求されることがあると聞いていたからである。
 早めにジャマ・エル・フナ広場に戻った。もう午後1時を過ぎている。お腹がすいた。
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 この日も2回になります。以下、次回。
# by krmtdir90 | 2018-03-28 18:40 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑪ワルザザート~マラケシュ2・アトラス越え(2018.3.6)

3月6日(火)続き

 アイト・ベン・ハッドゥの村をバスが出発したのは午後2時半過ぎである。たった5人のツアーだからあまり時間に縛られても仕方がないのかもしれないが、予定より1時間半も遅れているというのはやはりいかがなものかと思う。
 まあ、それはそれとして、このあとバスはいよいよ2度目のアトラス越えをすることになる。
 4日(日)に東側ルート(国道13号)で南に向かって越えたアトラス山脈を、今度は西側ルート(国道9号)を使って北に向けて越えるのである。今回越えるオート・アトラス(Haut Atlas、高アトラス)は、アトラス山脈の中でも最も高い山々が連なっているところで、実際に走ってみたら、東側のルートとはまったく違った厳しい道の連続だった。しかも、雪は降らなかったものの、高いところはやはり天気が崩れていて、雨と霧の中の非常に恐ろしいドライブになってしまった。
 始めのところにあまり書いてしまっても仕方がないので、とにかく出発である。

 最初は、荒涼としているものの比較的広がりのある風景が続いた。
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 次第に起伏が出てきているが、こういう砂漠の風景はここまでで終わりである。
 45分ぐらい経過したあたりで、これまでずっと続いて来た赤茶けた岩肌の色が、明らかに変化しているところが交じるのに気が付いた。
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 写真だと色合いが正確に捉えられていないのだが、黄土色にモスグリーン(くすんだ緑色)が混ざったような感じと言えばいいだろうか、岩の組成が異なるのだろうと思われるところがしばらく続いた。
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 少し前から左側に川が寄り添って来ている。
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 向こう岸の丘陵は赤茶けた色のところとモスグリーン混じりのところがまだらになっている。ただ、こういうところはこのあたりだけだった。
 バスは上流に向かって走りながら、次第に標高をを上げて行くようだった。少しずつオート・アトラスのエリアに入って来ているのだ。
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 川の流れが右側に来て、
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 流域にあった小さな村(集落)を過ぎて行く。
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 バスはある程度の標高に来たところで、しばらくアップダウンを繰り返し、
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 奥に見えている残雪の山並みに徐々に近づいて行く。
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 集落は右の窓から見える対岸に、さらに幾つかあった。
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 それもこれが最後だったと思う。
 雨がポツポツ降り始めた。
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 道が次第に曲がりくねるようになり、バスははっきりと標高を上げ始めた。
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 川の流れもなくなり、山の斜面にへばりつくような道路が連続するようになった。
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 道幅はけっこう狭い。とはいえ、東西2つしかないアトラス越えの幹線道路だから、交通量は少ないものの、大型トラックなどともけっこうすれ違った。
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 見通しの悪い山道で、バスとトラックのすれ違いにはギリギリの道幅なのである。ガードレールはなく、路肩にほんのちょっと、申し訳程度のコンクリートの突起が作ってあるだけである。それすらない区間もけっこうあった。
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 しかも、雨で路面は滑りやすくなっている。にもかかわらず、われわれの運転手はあまりスピードを控えているようには思えない。
 急な崖の下で、何やら工事が行われている。
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 このあたりまで来て、わたしは急激な恐怖に襲われてしまった。崖の斜面はどんどん急なものになっているのに、路肩の部分の余裕がほとんどなくなってきているのだ。しかも、谷底はどんどん深くなっている。
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 それを具体的・説明的に示す写真はないのだが、窓から見ていると、車輪が路肩ギリギリのところをたどっているのがいやでも実感されるのだ。カーブを曲がる時や対向車とすれ違う時にはホントにヒヤヒヤした。ほんのちょっとハンドル操作を誤っただけで即転落、転落すればとても生きてはいられないという瀬戸際を走っているのだ。この感じは撮ってきた写真からはとても伝わらない。
 その恐ろしい谷底の上に、美しい虹が出ていた。
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 だが、雨は止んでいない。

 午後4時6分ごろ、バスはこのルートの最高地点、標高2260mのティシュカ峠に達した。ここで少し休憩となったが、雨と強風とで最悪のコンディションになってしまった。とても傘を差せる状況ではなかったが、急いで降りて行って何枚か写真だけは撮ってきた。
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 こちらがいまバスが上って来た方向で、
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 こちらがこのあと向かう方向である。
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 このあと、バスは強くなった雨の中を25分ほど走った。
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 道幅はさっきまでより少しだけ広くなったようだが(ガードレールも部分的に付いているところがあったが、あまり役に立ちそうには思えなかった)、相変わらずヘアピンカーブなどが続く厳しい道だった。こういうところを走る恐怖は消えなかった。

 次にバスが停車したのは、アルガンオイルの専門店として知られているらしいアルガン・ティシュカというお店だった。
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 こんな山奥にそういうお店があるのが驚きだったが、山間に住む女性たちが協同組合のようなかたちで製造直売を手掛けているらしい。アルガンオイルは(わたしは知らなかったが)、女性の間ではモロッコみやげとして第一に挙げられるほど名高いもので、どこでも買うことはできるが、ここのものは品質も良く安価であることから、ツアーの女性陣もみんなここを楽しみにしていたようなのだ。
 店に入ると若い女性が並んで座っていて、右の女性が片言の日本語で説明するのに合わせて、製造工程などを簡単にデモンストレーションしてくれるのだった。
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 そのあと奥のお店で買い物となったが、
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 その間、わたしは外に出て、煙草を吸ったり周囲の写真を撮ったり(トイレに行ったり)していた。
 道路の向かいの土産物屋。
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 商品は並べられたままで、雨ざらしになっている。
 このあたりには、山の斜面にへばりつくようにティシュカ村という集落があるようだ。
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 雨は降り続いている。
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 このお店には30分ほどいた。妻も含めて、皆さん思う存分買い物ができたようだった。バスが出発したのは午後5時5分ごろだった。

 さて、このあとも(基本的にはアップダウンを繰り返しながら徐々に標高を下げて行く)かなり長い山道が続いたのだが、写真はたった1枚、大きくブレて使えないものが残っているだけである。
 理由は、最初しばらくは雨でガラスが曇ってしまったこと、雨が止んだら今度は深い霧で視界が悪くなってしまったこと、そうこうするうちに夜になってしまったことなどである。無理をすればそれなりの写真は撮れたのかもしれないが、様々な悪条件が降りかかる中での山道の走行が、ホントに怖くて怖くて仕方がなかったというのが大きい。

 運転手は割と年のいった男性だったのだが、こういう条件下での運転にも慣れていたということなのだろうか、よくこんなにスピードを出して行けるなというくらい、まったく躊躇の感じられない運転なのだった。やや道幅は広がったとはいえ、路肩がギリギリで谷に落ち込んでいるのは変わらなかったし、日本ならガードレールや急斜面の補強工事などが施されているようなところでも、こっちの道は何の処理もなされていないのである。
 しかも、山脈のこちら側(北西斜面)というのは雲がぶつかって雨が降ることも多いようで、このところの悪天候でけっこう雨が続いたのか、実際に崖が崩れていたり、崖側の斜面から水が流れて冠水しているところなども何ヵ所かあったのである。霧が出てからは、カーブで対向車とすれ違う時など、大袈裟な言い方にはなるが生きた心地がしなかった。モロッコでバスが谷底に転落!なんていう新聞見出しが、本気で脳裏に浮かんだりした。外を見ないようにすれば良かったのかもしれないが、危うい事態が把握できている以上、気をそらすことはとてもできなかった。
 まあ、いくら書いても伝わらないとは思うけれど、いままで生きてきた中で、ホントに、最も怖い体験の一つだったと思う。

 無事マラケシュのホテルに入ったのは、午後7時45分ごろだった。悪天候は山の上だけだったようで、マラケシュは雨は降っていなかった。
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 ホテルの名前はル・メリディアン・エンフェス、われわれはここに連泊する。やれやれ、である。

# by krmtdir90 | 2018-03-27 20:39 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅⑩ワルザザート~マラケシュ1、アイト・ベン・ハッドゥ(2018.3.6)

3月6日(火)

 ガイドブックを見ると、ワルザザートのベルベル・パレスというホテルは、客室数が240もあって、ロビーやレストランなどがある大きな建物の奥の、非常に広い敷地に2階建ての客室棟がたくさん並んでいた。われわれの部屋はけっこう離れたところが割り当てられていたから、レストランとの行き帰りは幾つか角を曲がらなければならず、夕食の時は道に迷いそうになった。
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 朝食はビュッフェ方式で6時半から可となっていたので、この写真は早めに行こうと外に出た時に撮ったものである。部屋はこの右側の1階だったが、部屋面積はこの旅行中に泊まったホテルの中で最大だった(いままでの海外旅行の中でも、と言っていいかもしれない)。
 この日の出発は9時半の予定だったので、少し早めに出て道路の向かいにあった土産物屋を覗いたりした。そちらから撮ったベルベル・パレス。
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 バスは予定通りに出発したが、ワルザザート市内を少し走っただけでアッという間に停車した。これはガイドブックにも載るタウリルトのカスバというもので、
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 右手の方もその一部だった。
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 グラウイという有力部族の首長のカスバ(屋敷跡)で、映画撮影の舞台にも使われたことがあるらしい。この写真は道の向かいの少し高くなったところから撮ったのだが、そちらにあったこの建物は、
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 (入口の文字を拡大してみると)映画博物館というものだったようだ。
 このあと、バスでほんのちょっとだけ移動して、カスバが裏側から見えるところに行って写真を撮った。
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 どちらが表でどちらが裏なのかはよく判らないのだが。

 その後、バスは橋を渡り(ワルザザート川と言うらしい)、
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 少し行ったところで、また停車した。
 川を挟んだ高台に立派なカスバが建っていた。
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 これはティフルトゥトのカスバというもので、タウリルトのカスバと同様、首長グラウイが所有していたものだったようだ。現地でも説明があったと思うが、「アラビアのロレンス」の撮影でここが使われたことを初めて知った。うーむ、そうだったのか。
 右に見える塔の上にコウノトリの巣が載っている。望遠で写したものがピンボケで使えないので、比較的アップになっているものを拡大して載せておく。
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 バスに乗って出発してすぐ、ワルザザート川に架かった橋を渡る時、別角度から見たティフルトゥトのカスバ。
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 また少し行って、あたりに人家もなくなり、平坦な礫砂漠に変わった先に、えらく横に広がった塀と建物が見えて来た。
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 右手の交差点(ロータリー)に、映画撮影に使うカチンコのモニュメントが。ここを左折して、
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 建物の前に来た。
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 降りて見に行ったわけではないが、これは広大な敷地を持つ映画スタジオなのだという。アトラス・コーポレーション・スタジオと言い、世界中の映画がここやこの周辺のロケ地で撮影を行っているらしい。砂漠やイスラムの風景を必要とする映画にとって、いまモロッコは格好の撮影場所になっているということだ。知らなかった。

 さて、このあとバスは20分ほど走った。とにかく車窓の風景がめまぐるしく、興味深いものばかりなので次々にシャッターを切ってしまう。
 こちらは左(恐らく南西)の車窓。
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 雪を戴く山並みが遠望されているが、南西側ということはアンチ・アトラス(Anti Atlas、小アトラス)の山塊だろうか。
 一方、こちらは右(恐らく北東)の車窓。
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 見えているのは、この日の午後に越えるオート・アトラス(Haut Atlas、高アトラス)だが、高いところがずっと雲に覆われているのが不吉である。
 こちらにあった村の名前は判らなかった。
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 川を渡り、
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 小さな町並みを抜けて行く。
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 ラクダ3頭。
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 レンズ雲。
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 やがてバスは、村の入口にある小さな広場に停車した。

 この日の主要見学地、アイト・ベン・ハッドゥである。
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 これから、このてっぺんにある建物のところまで登るのだという。
 斜面にへばりついた、土色の古い村は広い意味ではカスバと言ってもいいが、このように要塞化した村のことは特にクサルと呼んで区別しているようだ。ベルベル人が作った村だが、日干しレンガと粘土で作った家々はかなり傷みが進んでいて、多くの住民が手前の新しい村の方に移住してしまい、現在もここに住み続けるのは5、6家族だけになってしまったらしい。

 舗装道路を逸れて、まず手前の新しい村の中を抜けて行く。新しいと言っても、結局は同じ日干しレンガと粘土の土の家である。
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 土産物屋が出ている。
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 川べりに出た。
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 橋が架かっているが、これができたのは比較的最近のことで、以前は右手の方の河原の、流れの浅いところを歩いて渡っていたのだという。なお、手前に倒れているように見える犬は、別に死んでいるわけではなく寝ているだけである。

 橋を渡って、
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 アイト・ベン・ハッドゥ村に入る。
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 こちらにも土産物屋が並んでいる。村内の道はほぼこのくらいの幅で、
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 角を曲がったり階段を上ったりしながら、次第に高いところに登っていく。
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 上るにつれて周囲の見晴らしが良くなってくる。
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 ↑川の中央やや右寄りに、人の姿が小さく見えているのが判るだろうか。いまでも昔のように、川を渡って訪れる(物好きな)観光客もいるのだという(橋を渡って入るとお金がかかっていたのかもしれない。そのあたりのことは判らない)。
 村の中を抜けた。あと一息だ。
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 このすぐ右手のところで、一人の老人が楽器を弾きながら歌を歌っていた。
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 写真を撮らせてもらった時は、だいたい10ディルハムを器に入れてくることになる。

 頂上に着いた。
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 この建物は村の倉庫で、外敵の攻撃などで村人が籠城を余儀なくされた時のために、穀物や食料など貯蔵していたということらしい。
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 頂上からの眺め。
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 こちらがアイト・ベン・ハッドゥの新しい村である。
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 帰り道は、
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 土産物屋を覗いたりしながらダラダラ下りて行った。
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 途中で、人が住んでいる一軒の家を見学していくという。
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 猫が歩いているのが判るだろうか。
 入口を入るとそこは、元は屋根があったらしいがいまはなくなったままになっているところのようで、小さな竈(かまど)などが並んでいた。
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 雨がほとんど降らないようだから、そんなに不便ではないのかもしれない。見上げると2階の小さな窓がある。
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 奥さんらしい女性が案内してくれたのだが、家に入るとすぐのところに手作りの絨毯や壁掛けなどがたくさん吊してある部屋があり、その先の暗い通路を抜けて行くと、けっこうきれいに片付いた部屋があった。居間だろうか。
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 通路のようなところが一部外に出ていた(あるいは明かり取りの開口部があった)のだと思うが、そこにさっきの猫がいた。
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 次の部屋は寝室に使っていると言う。
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 フェズで見せてもらった家では、けっこう散らかっている感じだったので写真を撮らなかったが、こちらはちゃんと整頓されていたので撮ってもいいかなと。
 屋上に出た。
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 足許に穴が開いていた。
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 明かり取りだろうか。めったに降らないとはいえ、雨の時は何かで蓋をしてしのぐのだろうか。

 この屋上で偶然、日本人の青年と出会った。みんなで少し話しをした。働いて30万円ぐらい貯まったので、一人でモロッコのあちこちを回っているのだという。小ぶりのバックパック一つを背負った貧乏旅行だと言っていたが、日本の青年にもこういう気骨ある若者もいるのだと嬉しくなった。われわれのコースとは反対回りだったので、バスがガラガラだから乗って行けばと誘えなかったのが、みんなちょっと残念な気分だった(と思う)。
 このあと下に下りて、入口横の部屋で買い物になった。
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 写真が平板に見えるのは、色をきれいに出したいのでここだけフラッシュを焚いて撮影したからである。妻は右上の小さなものを購入していた。いくらだったのかは知らない。外の土産物屋などで買うよりは安かったようだ。

 わたしとガイドのハディドさん以外は女性陣なので、このあとの土産物屋が並ぶところは遅々として進まなかった。わたしも少しは覗いたりしたが、主に煙草を吸ったり写真を撮ったりして待っていた。
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 崩れかけた家も多く、
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 かたちを保っている家でも、人が住んでいるかどうかはよく判らなかった。
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 土産物屋も、昼間だけそこに来て夜は帰ってしまうというのもありそうだった。
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 売り物を並べた中に、置物みたいに猫が休んでいた。
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 橋を渡って要塞の村を後にした。
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 だが、こちらにも土産物屋は並んでいて。
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  またけっこう時間がかかった。

 ドア、いろいろ。
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 上の舗装道路に出た時には午後1時になっていた。

 そのまま近くのレストランまで歩き、ビールをいただいたのは1時15分ぐらいだった。
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 レストランの外に出た時には2時25分になっていた。
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 また写真が増えてしまいました。以下、次回。

# by krmtdir90 | 2018-03-26 16:35 | 海外の旅 | Comments(0)


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