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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
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映画「ポップ・アイ」

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 ポップ・アイ(POP AYE)というタイトルの意味が判らない。出てくる象の名前がポパイだったので「何だ、そういうことか」と思っていたら、ポパイのスペルはPOPEYEなのだった。辞書ではAYE(アイ)は評決の際のYESと出ているだけで、POPとどう結びつくのかはっきりしない。
 はっきりしないと言えば、映画そのものが判ったような判らないような、それらしい解釈を寄せつけないようなところがあって、何だか奇妙な映画だなあと思いながら、いつの間にかその中にすっかり引き込まれてしまっていた。変な映画だが、非常に魅力的な映画でもあった。
 シンガポール出身のカーステン・タンという女性監督の長編第一作だったようで、現代のタイを舞台にしてタイ語で作られた映画だった(シンガポールとタイの合作となっている)。監督は2年ほどタイに住んだことがあって、その時の印象からこの映画の発想が生まれたらしい。それにしても、象と中年男のバディストーリーというのがまず奇抜だし、彼らがバンコクから故郷の町に向けて旅して行くというような発想は、普通の感覚ではとても成立しないとして退けられてしまうものだろう。
 それを敢えてやっているわけだから、この映画はそもそもの設定からどう受け止めていいのかはっきりしないのであって、そこに疑問を差し挟んでも仕方がない映画ということなのだろう。細かいことは言いっこなしで、とにかくそこにあるものをそのまま受け入れて見ていくしかないことが次第に理解されてくる。すると、この何とも言えないゆるゆるした雰囲気が次第に心地良いものに感じられてきて、よく判らないけど面白いというような、説明不能の不思議な気分に満たされていくのだった。「ああ、何だか判らんけど、いいな」というような感じである。

 始まりは郊外の舗装道路を、向こうから象がゆっくり歩いて来る情景だった。その傍らに、眼鏡をかけたサエない中年男がくっついている。ロングショットで、男はワイシャツに普通のズボンをはいていて、象とコンビを組むにしては見るからに不釣り合いな格好をしている。時折トラックなどが通り過ぎて行き、両側に続く電柱や奥に見える工場らしき建物などから、現代の映画らしいことが理解される。だが、その意外な取り合わせが作り出す雰囲気はなかなかシュールで刺激的である。
 彼らが抱えている事情については、このあと時系列を外したシーンが幾つか単発的に挿入されて浮かび上がってくるのだが、あまり説明的にはなっていないから、どうしてそうなっちゃったのかといったことは、必ずしもすべてが明瞭になってくるわけではない。それでも、一応整理しておくと、たぶん以下のようなことになるだろう。
 男の名はタナーと言い、以前は一流の建築家として名を馳せていたらしいが、現在は会社の中で徐々に居場所を失いつつある。彼は立派な家に妻と二人で住んでいるが、妻との間も冷え切っていて、気持ちはすれ違うばかりになっている。彼はある時、バンコク市内で象使いの男に連れられた一頭の象と出会う。いまは「餌やり」の見世物(餌を売ってこの象に食べさせる)をしているらしいその年老いた象を、彼はかつて故郷の家で飼っていたポパイという象だと確信してしまう。彼はその象を買い取って(幾ら払ったかは触れられていない)自宅に連れ帰るのである(彼の邸宅は高い塀に囲まれた広い庭を持ち、象が室内に入り込めるくらいの広い開口部を持っている。いまは落ち目とはいえ、かつては人生の成功者だったのである)。だが、当然妻とは喧嘩になり、妻は出て行ってしまうが、彼もまたその象を連れて家を出て行く。

 タナーはポパイを、小さい頃一緒に遊んだ故郷の村に連れ帰ってやろうと考えている。だが、その行動はどう考えても現実からの逃避であって、彼の職場での位置は失われてしまうかもしれないし、妻との関係を放棄することになりかねない危険をはらんでいる。ところが、この映画はそうした心配にはまったく頓着していないように感じられるのである。考えてみれば、彼は着替えとか身の回りのものなどを持って出た形跡もないし、旅に出るのであれば当然問題になるはずの宿や食事のことなども不問に付されているのである。映画はそうした観点から離れたところで展開し、それらの疑問に答える気はまったくないように見えるのである。
 この監督は、そういう些末?なことはどうでもいいと考えているらしい。この映画は一種のロードムービーだと思うが、タイの田舎町や田園風景の中を象と中年男が歩いて行くことがすべてなのである。映画は彼らのゆるゆるとした旅の過程をたどりながら、彼らが道中で出会う見知らぬ人々との交流の様子を拾い上げていく。それは、どれもまったく偶然の出会いのように描かれているが、もちろん監督・脚本のカーステン・タンは、そこにきわめて意図的な人選を行っているということである。この様々な出会いがことのほか面白い。

 最初に出会うホームレスの男(潰れたガソリンスタンドを寝ぐらにしているから、厳密にはホームレスとは言えないかもしれない)は、一切の係累を捨てているという点で、まだ会社や妻と切れているわけではないタナーの中途半端さを際立たせているのかもしれない。タナーは男と仲良くなり、彼を連れてスーパーマーケットに買い物に行ったり、一緒に食事をしながら彼の身の上を聞いたりする。タナーに問われて男は、昔の恋人を乗せてもう一度バイクを走らせたいなどと言う。タナーは電話して誘えばいいとけしかけて、スマホを男に貸すのである。だが、外に繋いでおいたポパイが姿を消してしまったため、この交流は一旦終わりになる。
 その後、タナーは再びこの男と出会うことになるのだが、男はバイク事故で路上に転がって絶命していた。男はタナーの助言に従って昔の恋人と連絡を取り、さっぱりした身なりに着替えて会いに行く途中で転倒事故を起こしてしまったらしい。こうしたエピソードは映画の展開としてはかなり無造作に置かれていて、そこに浮かび上がってくるストーリーも切れ切れなままのように見える。だが、切れ切れの中から二人別々の人生がしっかり浮かび上がってくるのは、この監督の切り取り方(描き方)がきわめて繊細で確かなものである証拠と言っていいだろう。
 タナーは男の遺灰を持って昔の恋人の家を訪ねて行くのだが、そこで彼女がすでに結婚して子どももいることを知るのである。彼女は遺灰は引き取れないと一旦は言うが、不意に思い直して、タナーを家から離れたところにある木の下に連れて行き、一緒に根元に散骨して男を弔うのである。
 こうして書いていると、そのそばから様々なことがこぼれ落ちている気がするのだが、彼らが何を考えているのだろうと想像しないではいられないようなショットを、カーステン・タン監督は実にさりげなく淡々とした感じで重ねていく。傍らに、何を考えているのか判らない象のポパイがいるというのも大きな要素になっているような気がした。説明不能の不思議な雰囲気がその身体から流れ出してくるのである。

 途中のバー(とプログラムには書いてあるが、どことなくドライブインのような感じも漂う)で出会った年増のニューハーフも、ホームレスの男と同様、社会的には居場所を失った根無し草のような存在である。毎晩のように店に顔を出しているのに、どうやら誰にも相手にされていないらしい「彼女」と、タナーはなりゆきで言葉を交わし、一緒にカラオケを歌ったりするのである。彼は、自分の八方塞がりの身の上を「彼女」に重ね合わせていたのかもしれない。
 同じく途中で関わりを持つことになった警官コンビは、社会的には明確な立ち位置を持っている人間のはずだが、どうもその職務を自信を持って遂行しているというより、どことなく曖昧で自信なさげに動いているように見えてしまう。彼らもまた、警察という社会のシステムにうまく適応できないまま、所在なく日々を送っていたのかもしれない。
 カーステン・タン監督はこの映画で、それぞれ個性的ではあっても、人生にどことなく馴染めない思いを抱く登場人物を並べているように見えた。あるいは、人生に満たされることなどありえないという前提の下で、それでも何とか生きていくしかない人間の諸相を浮かび上がらせようとしたのかもしれない。その脇に象のポパイを置いてみたかったという発想が、彼女の中には絶対的なものとしてあって、それは何らかの説明や解釈とは無縁の思いつきだったのではないだろうか。

 終盤に、少年時代のタナーがポパイと水中で楽しそうに戯れるシーンが挿入されていた。だが、彼らにとっての「いい時代」はすでに失われてしまっているのである。故郷に帰ったタナーとポパイを待っていたのは、子ども時代を過ごした昔の家ではなく、新しく建て替えられたマンションと、そこに住み替えた叔父の家族だったのである。それは時代の流れとしては当然のことであり、タナーは叔父の選択を受け入れるしかない。結局、象のポパイはもうそこで生きていくことはできないし、タナーも彼の居場所はバンコクの家にしかないことを認めるしかないのである。
 ポパイは今度こそ本当に姿を消す。自然の中に帰って行ったように暗示されているが、実際のところは判らない。残されたタナーは、再び(今度は一人で)思い通りにはならないバンコクの家と職場に帰ることになる。その帰路は映画では描かれていない。
 映画の最後は、取り壊されることが決まったがらんとしたビルの上層階に上がり、タナーと妻がバンコクの町並みを見下ろしているショットである。このビルは若いころ彼が指揮して建てたビルだったらしい。短いやり取りから、タナーは妻と仲直りをしたように見える。
 いずれにしても、彼の「冒険」は終わったのであり、様々な迷いや不本意な思いなどとともに彼はこれからも生きていくのである。実は、終わり近くの叔父の言葉から、ポパイはずっと以前に死んでしまっていたという事実が明かされている。タナーは呆然とするが、彼が一緒に旅した象はポパイではなかったのであり、これによってポパイは、彼の中で何らかの象徴として美化される道を閉ざされてしまったことになるのだろう。
(渋谷ユーロスペース、8月31日)
# by krmtdir90 | 2018-09-02 13:29 | 本と映画 | Comments(0)

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

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 非常に正統的なコメディ映画だったと思う。ソ連時代の1953年、独裁者スターリンの急死によって巻き起こった後継者争いを描いているが、それは当事者たちにとってはきわめて切実な問題だったのであり、どんなに滑稽に見えたとしても、当人たちは終始命がけで大真面目だったということである。映画は、そこのところを実に絶妙な匙加減で追いかけている。題材が題材だから、距離の取り方を一つ間違えると悲惨なことになったと思うが、この監督はすべての人物を公平に見ることで、何とも格調高いコメディを成立させていたと思う。
 コメディは、登場人物がその人間を必死に生きることからしか生まれない。悪役を作るという安易な道もあったはずだが、人物の描き方からそういう見方は注意深く排除されている。降って湧いた最高権力者のイスをめぐる争いだから、相互の力関係とか駆け引き、さらに様々な嘘や罠や裏切りといった、いわば何でもありのバトルが展開することになるのだが、全員が少しでもいい位置を占めたいと考えて行動するのは仕方がないことであって、そういう人間のいじましさといったものを、この監督は誰にも肩入れすることなく、等距離を保ちながら正面から写し取っていく。そこに自然に生まれてくる、正真正銘コメディと言うしかない状況は本物である。

 案の定と言うべきか、ロシア政府がこの映画を上映禁止にしたことも、監督には最初から織り込み済みということだったかもしれない。この映画はイギリス映画で、監督のアーマンド・イアヌッチという人はスコットランドの出身だったようだ。こういう政治的なコメディを得意とする人だったようだが、こんなところによく着目したものだと思う。スターリンを始めとして、フルシチョフ、ベリヤ、マレンコフといった、すべて実在した人物を巧みに配置して、いかにもそんなことがあったのかもしれない(たぶんあったのだろうな)というところで動かして見せているのは面白かった。
 そりゃあ、ロシア政府は面白くないだろうというのは判る。それは歴史を笑いものにされたという意味ではなく、ほぼ一党独裁という政治体制下にある国にとっては、まさにいまある体制の、できれば隠しておきたかった恥部が晒しものにされているような感覚があったのだと思う。過去のことを題材としながら、この映画はむしろ現代を射程に捉えた映画になっていたのではないかと思った。序盤のあたりで、生前のスターリンと側近たちが繰り広げるおべんちゃらに満ちた下品な宴会の様子など、先日話題になった「赤坂自民亭」などというのも、要するにこういうことだったのだろうと連想されてしまう気がした。
 実際、スターリンの死に直面した時、これまでずっとスターリンの顔色を覗って地位を守ってきた彼らが、本音を隠して腹の探り合いを始めるのは至極当然のことだったと思われた。強力な権力によって維持される政治体制が、必然的に自分の考えを放棄した取り巻きを作り出すということなのだ。そういうところをこの映画は容赦なく描き出していた。笑ってばかりいられないような笑いが、この映画にはこれでもかと出てきていたと思う。
 一方で、スターリンがベリヤやマレンコフを使って行った「粛清」という名の虐殺や、終盤、権力闘争に敗れたベリヤが逮捕され「排除」される様なども、この映画はきちんとリアルに描き出していた。コメディ映画だからといって、恐ろしい事実に蓋をするというような愚は犯していないのである。こういう題材をコメディにするに当たっても、ないがしろにできないことにはちゃんと向き合おうとしているところが見えて立派だと思った。

 感想は以上で終わり。以下は本編の内容と関係のないことだが、ロシアでは絶対に作れない内容をイギリスで作りたいと考えた時、最後に言葉の問題が残ると思うが、このことはどう意識されているのかということが気になった。これは「ドクトル・ジバゴ」を見た時も感じたことだが、ロシア人をロシア語ではなく英語を喋るものとして描くことに違和感はないのかということである。日本人にとってはそれはほとんど気にならないのだが、当事国の人たちにはけっこうおかしなことではないかと感じるのである。確かに、演劇の世界では翻訳劇の上演などが普通に行われているのだから、映画でもそれほど気になることではないのだろうか。よく判らない。
(立川シネマシティ1、8月28日)
# by krmtdir90 | 2018-08-30 12:16 | 本と映画 | Comments(0)

映画「風櫃(フンクイ)の少年」

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 ユジク阿佐ヶ谷の台湾巨匠傑作選も今週が終わりで、最後の機会にこの映画を見ることができて良かった。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督が1983年に製作した映画で、処女作ではないが、ナント三大陸映画祭(フランスのナントで開催されているアジア・アフリカ・ラテンアメリカの三大陸に特化した映画祭)でグランプリを受賞し、いわゆる台湾ニューシネマの存在を初めて世界に知らしめた作品だったらしい(日本初公開は1990年)。

 見始めてすぐ、これはすごくいい映画だという予感がした。それはまず、画面の作りが際立っているところに表れていた。冒頭から、何ということもないショットなのだが、それが全部美しいと感じられたのである。「ああ、いいなあ」と感じるショットが次々に出てきた。ストーリーの語り方は決して多弁ではないのだが、スッとその世界に入り込めるような気がしたのはそのせいだろう。これまで見た作品からも、この監督の画面作りが巧みなのは一応判っていたつもりだが、その最初の完成品がここにあったのかと納得した。重ねられていくショットの一つ一つが実に的確で、何よりも、これまで誰もこんなふうに撮った監督はいないと感じられるような、みずみずしい衝撃に溢れていたと思う。
 優れた小説に優れた文体があるように、この監督の作る画面には、この監督にしかない特別なスタイルといったものが貫かれていると感じた。ロングショットが比較的多く、そこに控え目な望遠レンズの「寄り」が効果的に組み合わさっていた。ほとんどのショットで奥行きを意識したフレームの作り方をしていて、その切り取り方の美しさに惚れ惚れしてしまった。こうしたことを単なる特徴としてまとめてしまうのは適当でないかもしれないが、「巧いなあ」と感じる画面が連続すると、それだけで見ていてワクワクさせられるものがあったと思う。
 しかも、それは技巧には違いないが、この監督のものは決して奇をてらったものではなく、ストーリーの流れを自然に引き出すような効果を上げているのが素晴らしいと思った。

 題名の風櫃(フンクイ)というのは、台湾の西方50キロに浮かぶ澎湖(ポンフー)島というところにある地名らしい。調べてみると、島には人口6万人ほどの馬公市というのがあって、その行政区画として風櫃里というのが記載されている。映画は、この離島の漁村で育った不良少年たちが、台湾本島の高雄市に働きに出て、少年から大人へと次第に成長していく過程をたどっていく。その二度とない貴重な時間の輝きを描いた「青春映画」ということになるだろうか。
 さっきストーリーという言葉を使ったが、普通にストーリーに奉仕するだけの画面作りや編集をしていないから、逆にそこにいろいろなことが見えてきて、そうしたことが印象的に響き合いながらつながっていくような感じがした。説明はしないし、セリフも少ないが、それがかえって登場人物一人一人の存在を際立たせていたと思う。
 風櫃での少年たちを追った前半で、美しく捉えられた風景を「いいところだな」と感じるのは他所者の勝手な思い込みであって、少年たちにとってはそこはただ退屈なだけで、いつまでもくすぶっている場所ではないと感じられていたのだろう。日々の単調な繰り返しに苛立ちを募らせ、放埒な生活と喧嘩に明け暮れていた彼らが、警察沙汰を起こしてそこに居にくくなってしまったのは、彼らにしてみれば、ずっと待っていた大きなきっかけだったのかもしれない。
 だが、高雄に出ても、彼らの上に何か劇的な変化が訪れるようなことはあり得ない。台湾には兵役があったようだが、徴兵年齢(18歳)に達していない彼らは、まだ何事もなし得ていないし、先のことなど何も考えられないということだったのだろう。

 映画は、恐らく小さい時からずっとつるんでいたのだろうと思われる3人(風櫃では4人)を描いていくが、その中からアチン(阿清)という少年を主人公として定めていく。彼の家族についても点描されていて、子ども時代のことなどもセピアがかった色調の映像で時折挿入されている。他の映画でもそうだったが、家族を描くというのがホウ・シャオシェン監督の大きなテーマの一つになっていることが、この映画でも見て取れたのである。だが、アチンのテーマはそこにはなかった。彼は風櫃も家族も捨てて、ここから離脱することだけを考えていた。
 高雄に出た3人は、その一人の姉が高雄に住んでいたのを訪ねて行き、彼女の紹介で住まい(かなり開放的な作りの集合住宅)と働き口を得ることになる。だが、故郷を出ること以外に確たる目的があったわけではない彼らは、相変わらずその日暮らしの不安定な生活のままである。彼らは集合住宅の別室に住む同じ工場勤めのカップルと親しくなるが、アチンはその女性シャオシン(小杏)に淡い恋心を抱くようになっていく。もちろんそれは一方的な憧れのようなもので、彼女に何か具体的な働きかけのようなことをするわけではない。少年時代にありがちなそうした心の揺らぎを、この映画は実に控え目な視線で、しかし的確に写し取っている。
 シャオシンの彼氏は工場の製品を横流ししたことがバレて工場をクビになり、彼女を捨てて出て行ってしまう。やがて、彼女も住まいを引き払い、新しい仕事を求めて台北に出て行くことになる。いろいろなことは、彼らの思い通りに進むことはないのだ。アチンは結局何も言えないまま、都市間バスに乗って去って行く彼女を見送るのである。

 同じころ、3人の一人には徴兵通知が届いていて、彼らの少年時代が完全に終わったことが暗示されて映画は終わる。ラストで、すでに工場を辞めて露店でCDを売っていた2人の脇で、アチンが突然台の上に立って呼び込みを始めるシーンにはグッと来た。説明できる行動ではないところが、終わり方として非常に納得できたし斬新な感じがした。
 ここまでにも、どうまとめてもこぼれ落ちてしまうものがこの映画には詰まっていた。もっとたくさんのストーリーやエピソードが散りばめられていたのだが、それらすべてを書き留めることは不可能である。だが、そういったものを通して確かに、この映画は少年が大人になっていくかけがえのない時間というものを鮮やかに描き出していたと思う。決して語り過ぎないホウ・シャオシェン監督の良さが、見事に開花した記念すべき映画だったのではないか。

 なお、今回最初に掲げた写真は、発売されているDVDのジャケットと思われる。ネットで日本公開時のチラシも見つけたのだが、添えられている長めの惹句があまりにも通俗的でひどいので、こちらは無視してしまうことにした。
(ユジク阿佐ヶ谷、8月27日)
# by krmtdir90 | 2018-08-29 16:58 | 本と映画 | Comments(0)

映画「英国総督 最後の家」

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 配給会社がどういう考えだったのか知らないが、この映画はもっと本腰を入れた宣伝をして、もう少し公開規模を上げても良かったのではないかと思った。この邦題も、原題(VICEROY'S HOUSE)に即しているとはいえ、何を言っているのかよく判らない。客席は高齢者中心にそこそこ埋まっていたが、これで終わりではあまりにも惜しい気がした。こう思うのは、これが非常にしっかりした意図を持って作られた、見どころの多い映画だったからである。
 映画が描くのは、大英帝国の植民地支配からインドが解放されるまでの、激動と混乱の数ヶ月である。主権譲渡のため任命された最後の英国総督マウントバッテン卿とその家族(妻と娘)を中心に、豪華絢爛たる総督官邸を主舞台として繰り広げられる波乱に満ちたドラマを、多様な登場人物を配しながら重層的に描き出していた。上映時間は106分と短めだったが、もっと長尺にしても十分通用するような多面性も持ち合わせた映画だったと思う。

 現在のインド、パキスタン、バングラデシュの3国が、第二次世界大戦終了時にはイギリスの植民地(イギリス領インド帝国)だったことは一応知っているが、その独立の経緯や事情などはほとんど知らなかった。そのあたりのことを、この映画は非常にわかりやすく描き出していた。独立に際して信じ難いほどの多くの犠牲が払われたことを含め、きわめて重く深刻な出来事であったにもかかわらず、それをこんな第一級の娯楽映画として作り上げたことは賞賛に値すると思った。
 現代でも続く宗教対立の問題は、日本人としてはなかなか実感し難いところがあるのだが、ヒンドゥー教徒、シーク教徒、イスラム教徒が入り交じっていたインドにおいて、マウントバッテン卿が赴任した時には、すでに各地で宗教対立による衝突や虐殺などが起こり始めていたのである。こうした中で、独立後の国のかたちをどのようにするのかは、誰にも簡単に決められることではなかった。統一インドを望む国民会議派(ヒンドゥー教徒とシーク教徒)のネルーやガンディーと、パキスタン建国を目指すムスリム連盟(イスラム教徒)のジンナーとの対立を前に、解決の道を模索しつつ思い悩むマウントバッテン卿(ヒュー・ボネヴィル)の姿が描かれていく。

 この中心の構図だけでも十分ドラマチックなのだが、この映画が娯楽映画として成功している大きな要因は、その周囲に、様々な個人的事情を背負った各階層の脇役を効果的に登場させたことだったと思う。
 特に、総督邸に働く500人の使用人の中に、ヒンドゥー教徒の青年ジート(マニーシュ・ダヤール)とイスラム教徒の女性アーリア(フマー・クレイシー)という2人を登場させ、宗教の違いを超えて恋に落ちた彼らが、インドとパキスタンの分離独立という歴史的展開によって引き裂かれていくところを描いたのは巧みだったと思う。一旦は悲劇的結末を迎えたように見せておいて、最後に再び2人を出会わせるという作劇はあまりにもベタ過ぎるとはいえ、こういう娯楽映画には必須のメロドラマ的な要素をしっかり加えることで、ストーリーに豊かなふくらみを持たせたのは見事と言っていいのではないか。最初に書いたけれど、配給側に売る気があればいくらでも売れる要素は含まれていたように思うのである。
 一方で、当時のインドが置かれていた不幸な状況などもしっかり点描されていたのが良かった。歴史をどう捉えるかというところで、この監督(グリンダ・チャーダ、ケニヤ生まれのインド人で、イギリスで活躍している女性監督らしい)の視点はきわめて公平でバランスが取れていたと思う。当然のことながら総督邸の使用人には3つの宗教信者が入り交じっていて、特に対立が激しかったヒンドゥー教徒とイスラム教徒が、ちょっとしたきっかけで一触即発という睨み合いになってしまうところなど、国のかたちをどう決着させたとしても、これを解決するのは容易なことではないことを浮かび上がらせていたと思う。
 マウントバッテン卿の妻エドウィナ(ジリアン・アンダーソン)の動きも丁寧にフォローされていて、インド民衆の置かれた現況に心を痛めていた彼女が、国民の非識字率が92%であることや、子どもの半数が5歳前に死んでいることを指摘して、イギリス統治が何もやってこなかったことを暗に批判するシーンは印象的だった。調べてみると、イギリスの統治は自国の利益を最優先としてインドから収奪するばかりで(当然と言えば当然なのだけれど)、宗教的な対立も統治の安定のために時に煽って利用した側面もあったということらしい。

 マウントバッテン卿は最終的に、インドとパキスタンの分離独立という結論に達するのだが、妻エドウィナは「インドを解放しに来たのに引き裂いてしまうのか」と非難する。だが、広範にわたる暴動の拡大などによって、いますぐこの結論を出す以外に、インドの崩壊を防ぐ手立てはないという夫の言葉に理解を示すしかない。マウントバッテン卿にとってそれが苦渋の決断であったことはよく描かれていたが、映画はさらに、彼に知らされなかった機密文書が存在していたことを描いて、これがチャーチルによって秘密裏に計画された既定路線だったことを明らかにしている。インドから撤退した後も、イギリスが有利になるような国境線を策定していたということだったらしい。
 いずれにせよ、分離独立という決着によって、宗教的には入り交じっていた国民は、みずからの新たな国籍と住む場所を決めなければならないという、きわめて困難な選択を迫られることとなった。先のジートとアーリアが直面したのがこの選択だったのである。旧インド帝国の所有財産も一定の比率で両国に分配されることになり、総督邸にあった道具類などもすべて分けられることになって、その何とも言いようのない作業の様子なども描かれていた。何十巻にも及ぶ百科事典をどう分けたらいいか判らないというような、滑稽なシーンも中には含まれていた。
 とにかく、新たに決められた国境線によって国民の大規模な移動(インド領内のムスリムはパキスタンへ、パキスタン領内のヒンドゥー教徒はインドへ)が起こり、住み慣れた土地を離れるしかなくなった人々は、大量の難民となって大都市に溢れることになったのである。この過程で略奪や暴行、虐殺といった惨事がいたるところで繰り返された。みずからが下した決定によって引き起こされた悲劇を眼前にしても、もはやマウントバッテン卿にはどうすることもできないのである。

 インドとパキスタンがスタートしたのは1947年8月だったようだ。実は、これはわたしの生まれた年月と一緒なのであって、無論何の関係もないことなのだが、この経緯やその後の両国の歩みについて何も知らなかったことが申し訳ないような気もしてしまうのである。この時の混乱が元になって生まれた大量の貧困層やスラムの問題などは、両国の国家建設のネックとして長く尾を引き、国家間の紛争や対立はその後も何度となく繰り返されることになってしまったようだ。わたしが学校で習った頃には、パキスタンという国はインドの東西にあって、おかしな国だなあと思った記憶があるが、そんな体制は長続きするはずもなく、東パキスタンはいつのまにか(1971年に)バングラデシュとして独立することになってしまう。
 それらすべての根元に何があったのかを知ることができただけで、この映画には大きな意義があったと言うべきだろう。
 なお、この映画では、最後になって一枚の古びた写真が映し出され、そこに写っているグリンダ・チャーダ監督の祖父母(シーク教徒だったようだ)が、あの分離独立の混乱した難民キャンプで再会を果たしたことが紹介される。監督は彼らの孫だったのだと字幕が出た時、この再会がなければ監督はこの世にいなかったのだということが理解され、それが同時に、同じく難民キャンプで奇跡の再会を果たしたジートとアーリアのカップルに、自然に結びついていくように仕掛けられていたのだった。仕掛けなどと言ってしまっては身も蓋もない、わずか70年前に体験した未曾有の出来事に、いまを生きている人々もみんな結びついているのだという、監督がこの映画に込めた思いが見事に浮かび上がってくるラストシーンだったと思う。
(新宿武蔵野館、8月23日)
# by krmtdir90 | 2018-08-24 14:42 | 本と映画 | Comments(0)

映画「縄文にハマる人々」

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 ドキュメンタリーということになっているらしいが、製作意図というか、製作の方向性がはっきりしない映画だなと思った。縄文時代に興味を持った監督(山岡信貴)が、縄文にハマっている人々にインタビューして回ったり、日本各地の博物館で見た土器や土偶などを記録しているのだが、編集の手際が悪いのか、どうも雑然としていてまとまりがないという印象を受けた。
 監督としてどういうところにフォーカスしたいのかがはっきりしていない感じで、あれもこれもといろいろ並べてはいるものの、結局バラバラで統一感のないまま終わってしまったような気がした。最後のあたりで何やら思わせぶりなイメージが出てくるのも意味不明で、たとえばけっこうグロテスクな動物の屠殺シーンなど、どういう意図でここに挿入されたのか理解できなかった。もっと説明的であるべきだということではないが、それで何を浮かび上がらせようとしているのかは、判るようにしておいてくれないと困ると思った。

 ところで、わたしは決して「ハマっていた」わけではないが、縄文時代にはずっと興味を持っていたと思う。この映画で教えられたり気付かされたこともたくさんあったので、そういうことについて少し書いておくことにする。

1、縄文時代は1万年も続いていた。
 映画の中で簡単なタイムスケールが示され、縄文時代が1万5千年ぐらい前から1万年も続いたというのを見せられて驚いた。縄文時代の後には弥生時代が来るが、これは3千年~2千5百年前と考えられているようだから、縄文時代の1万年と比べれば、その後の現代に至る人間の営みはたった4分の1に過ぎないことになる。こういうタイムスケールはどこかで見ていたかもしれないが、今回改めてそれを教えられたのは良かった。

2、縄文人のことはほとんど何も判っていない。
 縄文時代の遺跡が各地で発掘され、土器や土偶といった様々な遺物が出てきているが、縄文人がどういうつもりでそんなものを作ったのかとか、要するに縄文人の感じていたこととか考えていたことなどはほとんど何も判っていないらしい。これが再確認できたのは良かった。
 実際、器であることは確かだが、火焔形土器に代表されるような、実用性を損ねる過剰な装飾がなぜ施されたのかとか、遮光器土偶を始めとして、解釈を拒絶するような奇妙なかたちの土偶は何のために作られたのかといったこと。映画のインタビューでも様々な意見が紹介されていたが、結局判らないからどんなことでも言えるという状況になっているようだった。
 考えてみると、これはなかなか面白い状態と言うべきであって、さすがに宇宙人の姿をかたどったなどというのは突飛すぎるとしても、人間の姿をただデフォルメしたと言うだけではとても割り切れるものではないところが、こんなにも人を夢中にさせるのだと思った。インタビューの中では(誰が語っていたか忘れたが)、「具体的なものを抽象化したというより、抽象的なものそのものへの指向ががあったのではないか」とか、「具象を行うことがタブーであるような世界観があったのではないか」といった意見などは、なかなか傾聴に値するものだと感じた。
 いずれにしても、こういうものを初めて見た時の「何なんだ、これは」という驚きはわたしも経験したことであって、この映画がもう少し整理したかたちで解釈を示してくれるのかと簡単に思っていたが、そんなことはとうてい無理なことなのだった。そういうところに安易に向かわなかったところは、この映画の美点だったのだろうと思う。

3、縄文遺跡は東日本に多く西日本には少ない。
 なぜそうなのかは判らないが、事実としてそういうことになっているらしい。土器の比較においても、過剰な装飾は東日本のものに多く、西日本では少ないようだ。弥生式土器が西日本から始まったことも、これに関係していると考えられているらしい。

 さて、パンフレットの末尾には、この映画で登場した遺跡と博物館が写真とともにすべて紹介されている。こんなにあるのかと驚いたが、この中でわたしが行ったことがあるのは4カ所だけである。そのことについても書いておくことにする。4カ所とは、釈迦堂遺跡博物館(山梨県笛吹市)、井戸尻(いどじり)考古館(長野県富士見町)、尖石(とがりいし)縄文考古館(長野県茅野市)、これに関連する中ッ原遺跡(同)である。
 釈迦堂遺跡博物館は中央高速・釈迦堂PAに隣接していて、PAに車を置いて見学できるようになっている。この遺跡そのものが高速道路工事を契機に発掘されたようで、甲府盆地を見下ろす扇状地に広がる大規模な遺跡だったようだ。井戸尻と尖石は八ヶ岳の麓の標高の高いところにあり、冬場はけっこう気温が低くなるところなので、こんなところに住んでいたのかと驚いた記憶がある。
 これらの博物館で火焔形土器などを見たのだが、確かにあれこれ想像しないではいられない不思議なかたちをしていると思った。尖石で見た「縄文のビーナス」「仮面の女神」という二体の土偶(国宝)も印象的だった。特に仮面の女神は発掘されたのが2000年のことで、当時かなりニュースになったこともあって、のちにこれが出土した中ッ原遺跡にも行ってみたということである。現地には出土した時の様子がレプリカで再現されていた。

 知っているものや知っているところが映画に出てくると、何となく嬉しいものだなと思った。
(渋谷イメージフォーラム、8月21日)
# by krmtdir90 | 2018-08-22 12:04 | 本と映画 | Comments(2)


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