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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ルイ14世の死」

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 「何だよ、この映画は」というのが、見始めた時の一番率直な感想だったかもしれない。しかし、決して退屈な映画ではなかった。むしろ意外なほど惹き付けられ、最後までまじまじと見とれてしまったというのが本当のところだと思う。非常に面白かったと言っても間違いではない。たぶん普通に考えればかなりかったるい映画なのだが、こういう映画が面白かったというのは不思議と言うほかない。アルベルト・セラというのはスペイン出身の監督(1975年生まれ)のようだが、この人は鬼才と呼んでもいいのではないか。
 かのヴェルサイユ宮殿を建造し、「太陽王」と呼ばれたルイ14世の、死の床にある数週間を描いた映画である。ルイ14世を演じたのは、あのジャン=ピエール・レオなのだ。「大人は判ってくれない」の彼も、この映画の撮影時(2016年)には72歳になっていたようだ。恐らく一世一代の名演と言っていいと思うが、それを的確に写し取ったアルベルト・セラ監督の演出(画面作り)も見事だった。こんな映画があるのだという驚きは大きかった。

 映画として、動きがあるのは最初の10分ほどに過ぎない。ルイ14世はすでに自分だけでは動けなくなっていて、動きと言っても、車椅子に乗せられたり誰かに支えられたりして僅かな距離を移動しているだけなのだ。冒頭に屋外のシーンが僅かにあるが、以後はずっと屋内、それもほぼ彼の寝室とその周りだけに限られている。ジャン=ピエール・レオは、最初の内こそベッドで座位を取ることもあるが、その後はほとんどベッドに横たわったまま動けなくなってしまうのである。
 侍医や召使いなど、様々な人間が恐る恐るその周囲を動き回っているのだが、カメラは極端なアップを多用しながら、ルイ14世とその周囲の人物たちを捉えていく。もちろんすべてはルイ14世を中心に動いているのだから、カメラはそのジャン=ピエール・レオのわずかな動きや表情の変化などを見逃さない。
 基本的にリアリズムが貫かれた映画だから、室内の明かりは蝋燭の火であって、画面は終始かなり薄暗い状態である。人物のアップと薄暗い照明がこの映画の基本的なトーンになっていて、そこのところがスッと納得できないと、この映画はかなり受け入れ難いものになってしまうだろう。衣裳や調度などは丁寧に時代を再現しているが、すべてが仄暗い光の中にあることでその存在を際立たせている。わたしはこの感じが心地良かった。

 時間の経過とともに、ああ、実際にこういう感じだったのだろうなと納得された。
 ルイ14世はすでに自分の死期が近いことに気付いており、そういう場合でも王としてどう振る舞うべきかということと、断続的に襲ってくる身体的な苦痛との間で引き裂かれている。映画はドラマチックな要素を徹底して排除しながら、こうして徐々に死に向かって衰弱していくルイ14世の姿を、まるで生き物の死でも観察するかのように冷徹に記録していくのである。王としての矜恃に必死でしがみつこうとしながら、どんどん思い通りにならなくなっていく過程を、ジャン=ピエール・レオはきわめて克明に演じていた。それは演じるというより、文字通り生きていると言った方がしっくりするように思われた。
 召使いに水を要求し、思いと異なるグラスだったと苛立ちを露わにしたり、食欲がほとんど失われているのに、繰り返し勧められて仕方なく申し訳程度に口にしたりする、ビスケットをワインに浸し、ほんの少し口に入れて咀嚼するところなどを、カメラはじっと見詰め続けるのである。そうなのだ。死を目前にしているからこそ、そこで生きていることが観察対象となりうる。アルベルト・セラ監督がここで描こうとしたのは、ルイ14世という生き物の姿なのだ。

 当然のことながら、死の瞬間はあっけないほど簡明だった。余計な装飾的表現は一切ない。侍医が王の胸に耳を寄せた後、短く「逝かれました」と言う。従者が「記録します」と言う。それだけである。音楽も、どんなドラマチックな表現もない。ルイ14世であろうと誰であろうと、生き物の死は単に生の時間が途切れるだけのことなのだ。周囲の人々の反応がわずかに映されるが、大袈裟な嘆きなどはどこにも見えないのである。これがアルベルト・セラ監督のやり方なのだ。
 直後に、解剖された王の身体から内臓が取り出されるシーンが映し出されたのには驚いた。こけ威しのグロテスクさはなかったが、王の病気(壊疽であったとされている)が想像以上に進行していたことと、それに対する治療方針に甘さがあったことが、解剖にあたった侍医たちの口から語られている。ほとんど壊死してしまっていた王の足を、切断するとは誰も言い出せなかったことが窺える。最後に彼らが「次はしっかり診よう」と呟くところで映画は終わるのである。

 「何だよ、この映画は」という感想は、エンドロールに移った時にも再びあったと思う。だが、それは「凄い映画を見た」という思いと表裏をなしていた。死は人間が生き物である以上、誰にでもやってくるものだが、ルイ14世という歴史上に名を残す人物に拠りながら、死そのものの現実をこんなふうに丹念に、また淡々と描いて見せたことに衝撃を受けた。アルベルト・セラとジャン=ピエール・レオの名は、この映画とともに記憶に刻まれた。
(渋谷イメージフォーラム、5月29日)
# by krmtdir90 | 2018-05-31 10:52 | 本と映画 | Comments(0)

映画「友罪」

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 別にファンのつもりはないけれど、瀬々敬久監督の新作だというので観に行った。薬丸岳の原作は読んだことがなかったが、「心を許した友は、あの少年Aだった」という惹句にも興味があった。原作は神戸連続児童殺傷事件(1997年)に着想を得たものだったようだが、映画が(もちろん原作もだろう)それに結びつけられることを注意深く避けていたのは当然のことだったと思う。当時14歳だった神戸の「少年A」は、成人したあと少年院を退院して現在は社会復帰し、手記を出版して物議を醸したりしていることを考えると、興行的には「少年A」という語が欲しかったのだろうが、こうした売り方はあまり感心できるものではないと思った。
 瀬々監督は、「現実の事件とは切り離して作ろうとした」と述べているが、「ヘヴンズストーリー」(2010年)でも光市母子殺人事件(1999年)を連想させるような、当時18歳だった「少年A」のその後を描いていた。いくら「切り離して」と言ったところで、無関係だったわけではないのだし、加害者だった人間にスポットを当てて、その罪と罰、贖罪といったテーマを描こうとするのであれば、現実には被害者は依然としているわけだし、事件を想起させるような取り上げ方が必要だったのかどうかは、もう一度考えてみた方がいいような気がした。

 未成年が犯した殺人は少年法によって裁かれるしかなく、少年Aは保護された一定期間が過ぎれば社会の中に戻ってその後の人生を生きるしかない。この現実がある以上、罪を犯した人間のその後について考えるというテーマがあるのは理解できるが、それをやるは簡単なことではない。
 この映画は、少年Aだった鈴木(瑛太)を一応の主人公としているが、それとは知らぬ間に彼と「友だち」になってしまう益田(生田斗真)をもう一人の主人公としている。ところが、これは瀬々監督の映画の傾向(好み)なのかもしれないが、この2人の周囲に様々な「罪(間違い)」を犯した人物をいろいろ登場させ、一種の群像劇のように映画を展開してみせたのはどうだったのだろうか。過去の「罪(間違い)」に縛られ、どう生きていいか判らなくなってしまっているという意味では似ていても、少年Aの事件とは相互につながりがあるわけではないのだから、結局テーマを拡散させるだけで、主人公2人を深掘りしていくためには逆効果だったのではないかと感じた。

 息子が運転した車で人を死なせたことに責任を感じ、加害者の父親としての贖罪の思いを背負い続けている山内(佐藤浩市)のストーリーラインは、罪を犯した者が幸せになっていいのかというような問いかけを、主人公2人のストーリーラインに重ねようとしたのだろうが、それ自体が鈴木や益田の罪とは結びついていないのだから、ただ映画の焦点をぼやけさせただけになってしまったと思う。この山内のストーリーは、これだけできちんと描く価値はあると思うが、少年Aのストーリーと一緒にすることには無理があったのではないか。息子やその婚約者の描き方も不十分で、「ヘヴンズストーリー」でも感じたことだが、瀬々監督はこういう抱き合わせのようなやり方について、きちんと自己評価を加えた方がいいように思う。
 AV出演の過去を引き摺っている美代子(夏帆)や、鈴木の少年院時代の教官だった白石(富田靖子)といったところは、鈴木と関係を持っているという一点で登場させてもいいと思うが、白石と娘との確執とか、益田とつながりのある記者の清美(山本美月)などは、メインのストーリーからすると余計な部分だったように思えてしまう。工場の寮(戸建ての住宅)で鈴木・益田と一緒に生活する清水(奥野瑛太)・内海(飯田芳)の2人は重要で、もっと鈴木・益田に絡めることで、2人の関係を際立たせる使い方ができたのではないかと思った。

 益田を、中学時代にいじめを苦に自殺した友人からのSOSを無視し、見殺しにしてしまった「罪」をずっと背負っていると設定したことも、あまり生きているようには思えなかった。鈴木が少年Aだったことを知ってからも、だからいまの「友だち」と向き合おうとしたのだという結末の持って行き方は乱暴だし、都合が良すぎて問題の本質を遠ざけてしまったように感じた。
 何より、周囲の人物の描写に時間を割きすぎたせいもあって、鈴木と益田の間に生まれた(という)「友だち」関係が(セリフで説明されるだけで)きちんと描けていなかったように感じた。ここに説得力がないと言うのは少し厳しいかもしれないが、少なくとも関係ができていく過程をもう少し丁寧に跡付けてくれないと、最後に到達する鈴木の思いは納得されないだろうと思った。
 観ている間は瀬々監督の、力で持って行く演出に引き摺られてしまったが、後から振り返ってみると、もう少し違った描き方が(テーマへの違ったアプローチの仕方が)あったのではないかと感じてしまった。でも、こういう題材が瀬々監督は好きなんだなということは理解できた。
(イオンシネマ日の出、5月26日)
# by krmtdir90 | 2018-05-30 18:40 | 本と映画 | Comments(0)

映画「私はあなたのニグロではない」

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 強烈なタイトルである。「ニグロ(Negro)」とか「ニガー(Nigger)」はアメリカにおいては明瞭な差別用語であり、こうしたタイトルなどに不用意に使える言葉ではない。ニューヨーク市では「ニガー」という言葉の使用を禁止する条例まで制定されているというのだ。だが、ここにはこの映画の製作者たちの明確な主張が込められているということなのだろう。
 このタイトルは原題(I AM NOT YOUR NEGRO)をそのまま訳したものなのだが、その意味するところは「私はあなた好みの(あなたが望むような・あなたが必要とするような)ニグロではない」ということのようだ。この映画は、アメリカにおける黒人差別の歴史と現況について、黒人への偏見は実は巧妙に(強制的に)作られたものであって、無知や先入観が様々な差別のかたちを取って現れてきている構造を的確に解き明かしている。

 ドキュメンタリーとしてのこの映画は、作家ジェームズ・ボールドウィン(1924~87年)が1979年に書こうとして、30ページ書いたところで中断した「Remember this House」という未完の原稿に基づいているらしい。題材となっているのは彼の3人の友人、いずれも暗殺された公民権運動家、メドガー・エヴァース(1925~63年)、マルコムX(1925~65年)、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929~68年)のことである。
 映画は、様々な映像によってこの3人の生き方を追うとともに、ボールドウィンが残した本やエッセイ、インタビュー、講演などの映像と言葉を再構成し、ボールドウィンの主張と行動の跡を真正面から描き出そうとしている。ボールドウィンの鋭い洞察力と、現実に対するどこまでも熱く激しい姿勢は、死後30年を経た現在でも観る者に強く響いてくる力を持っている。
 監督・脚本のラウル・ペック(1953年生まれ、ハイチ出身)は、このボールドウィンの考え方に全面的に共鳴し、それを映画によって描き出そうという明確な姿勢を貫いている。そのため、この映画が訴えかけてくるものは終始明快で、その怒りは痛烈で衝撃的なものになっている。黒人差別の問題をどう考えるかという点で、これほどはっきりした立場で語られたものはなかったのではないか。ボールドウィンその人を映し出した映像はどこまでも熱く、彼の言葉を再構成したナレーション(サミュエル・L・ジャクソン)の口調はどこまでも静かである。
 ラウル・ペックが2016年という時点でこの映画を撮ったのは、2期8年続いたバラク・オバマ時代に対する揺り戻しとして、ドナルド・トランプへの支持が全米に拡大していたことと無関係ではないだろう。映画が振り返るのは30~50年前のアメリカだが、時々挟み込まれる現在の映像にボールドウィンが残した言葉が重なり合う時、アメリカは(その本質的な差別構造において)少しも変わっていないということが見事に炙り出されてくるのだ。そして、映画はあくまでアメリカのことを扱っていながら、その根底にあるものはいまや世界中に拡散していることにも気付かされるのである。

 この映画の上映時間は93分という短いものだったが、その内容は非常に多岐にわたり盛り沢山なものがあった。その間ずっと、ボールドウィン自身の語りとその言葉に基づくナレーションはほとんど途切れることがなく、字幕を追いながらそこにある情報のすべてを読み取ることは、実はなかなか難しいことだったと正直に白状するしかない。そういう意味で、プログラムの末尾に(極端に小さい活字だったが)採録シナリオが完全に掲載されていたのは有り難かった。
 それを読み直してみると、ラウル・ペックはこの映画を非常に論理的に、一つ一つ段階を踏んで組み立てていることが判る。その緻密さが、全体を俯瞰するよそよそしい客観に向かわなかったことが素晴らしいと思う。彼は、ジェームズ・ボールドウィンという一人の黒人の中にあったものを表に出すためにだけ、この93分間を使って見せている。映画は3人の名高い公民権運動家の姿を描きながら、彼らをボールドウィンはどう見ていたか、その死をどう受け止めていったのかを明らかにすることに集中している。それらの死を通過することで作り上げられていった、ボールドウィンの感じ方・考え方の核心に入って行こうとしている。

 映画のほとんど冒頭に置かれたエピソードは印象的である。1948年にアメリカを去り、パリやヨーロッパに住んで執筆活動をしていたボールドウィンが、1957年にアメリカに戻らなければと決意するきっかけとなった出来事である。それは、当時まだ黒人と白人が明確に区別されていたアメリカ南部シャーロットのハイスクールに、黒人として初めて入学することになったドロシー・カウンツという少女の写真を見たことだった。大勢の白人生徒に取り囲まれ、罵声や嘲笑を一身に浴びながら登校する彼女の姿に衝撃を受け、黒人問題をパリで議論している場合ではないと感じたというのだ。以後、ボールドウィンはアメリカで公民権運動に積極的に関わるようになっていく。
 一方で、映画の終わり近くになってから、彼は10年もの間アメリカを離れて執筆していた理由についても率直に告白している。行き先はどこでもよかった。そこはアメリカにいるより安全だったからだ。アメリカでは常に警戒が必要で、命の危険に怯えながら執筆することはできなかったからだと述べている。それは決して被害妄想などではなく、当時の黒人は常に理不尽な暴力の恐怖に晒されていたのだ、と。だからこそ、彼は15歳の少女の写真を無視できなかったのだ。「私は憤怒した。憎しみと同情に駆られ、また恥ずかしくなった。誰かが彼女に付き添うべきだった」と。
 映画はボールドウィンが帰郷したところから始まるのだが、その始めのあたりで、ナレーションは彼の子ども時代のことから語り始める。7歳の時、家族に連れて行ってもらった映画「暗黒街に踊る」(1931年)を見て、ジョーン・クロフォードの踊りに熱中したこと。そして、「ジョーン・クロフォードは白人だと分かっていた」と語っている。また、「その頃、若い白人女性のミラー先生に出会った」。彼女は「私に本を与え、本や世界について話してくれた。ナチスドイツについてもだ。普通10歳児に見せない芝居や映画にも連れて行ってくれた。そんな先生に子供の頃出会ったため、白人を嫌いになれなかった。殺してやりたいと思う奴は何人もいたが、白人が差別主義なのは、肌が白いせいではないと感じた」という。

 この映画には、主にハリウッドで作られた多くのアメリカ映画の断片が挿入されている。最初に置かれているのは「暗黒街に踊る」だが、さすがにこんな昔の映画はわたしは見ていない。だが、ここに映し出される踊り子たちはすべて白人女性で、そこに黒人女性の姿はないのである。そして、この後セレクトされ並べられる映画(テレビ番組やコマーシャルなども)は、どれもアメリカにおける「あるべき白人と黒人」の姿を、繰り返しアメリカ人の中に刷り込む役割を果たしてきたものなのである。
 「駅馬車」(1939年)の映像とともに、ナレーションは語り出す。「英雄といえば白人だった。自分の住む国の現状と、その現状を反映している映画のせいで、私は英雄を憎み恐れた。『自分には復讐する権利がある』と彼らは思っていたからだ。私には分かっていた。我が同胞は我が敵だと。黒人が刃向かわないように、これらの映画を作ったのか。虐殺を英雄の伝説に仕立てた」と。どこかの討論会で発言するボールドウィンがこれを引き継ぐ。「引用できる事例は多々あります。レイプ事件や殺人事件、流血を伴う弾圧行為も日常茶飯事なのです」。そして、「アメリカに生まれた黒人を例に取ります。生まれた時は何の知識もない。だから周りの棒や石、顔が白ければ、鏡を見ていないから、自分も白いと思い込む。しかし5~7歳で現実を知り、衝撃を受ける。『先住民を殺すゲイリー・クーパーを応援したが』『あの先住民は自分だ』。そして自分の国の真の姿に気づくのです。自分が愛するこの国には、黒人が羽ばたく場所はないと知るのです」。

 シナリオの言葉を書き抜き始めると際限がなくなってしまうだろう。ボールドウィンは簡潔な言葉で、問題の本質をズバズバ突いてくる。気付かないまま曖昧にされてきたことを、容赦なく暴き出していく。93分の体験だけでは不確かだったところも、シナリオを読むと驚くような鮮明さで甦ってきた。それは、映像と響き合うボールドウィンの言葉の力強さだ。それらはきわめて論理的に一つの真実に向かって収斂していく。白人は「ニガー」を必要とした。白人が「ニガー」を作り出したのだということである。
 引用された映画はほとんど知らないものだったが、知っているものも幾つかあった。「手錠のままの脱獄」(1958年)と「招かれざる客」(1967年)のシドニー・ポワチエのことは判った。
 「手錠のままの脱獄」ついて、ボールドウィンは映画の前提が受け入れられないと述べている。黒人と白人の憎しみの源について、大きな誤解があるからだという。「黒人の憎しみの源は怒りだ。自分や子供たちの邪魔をされない限り白人を憎んだりしない。白人の憎しみの源は恐怖だ。何の実体もない。自分の心が生み出した幻影に怯えているのだ」というのは、その通りだと思った。また、シドニー・ポワチエが列車から飛び降りた時、リベラルな白人は安堵し喜んだ。白人は憎まれていない、間違いを犯したが、嫌われることはしていないと彼らは思ったのだという。黒人の反応はまったく違った。白人を安心させるために列車を降りた彼を許せなかったというのは納得した。
 「招かれざる客」が黒人に特に嫌われていたというのも理解できた。シドニー・ポワチエが白人に都合良く使われていたというのは、その通りだったと思う。シドニー・ポワチエや一見リベラルな監督の嘘くささは当時わたしも感じていたもので、ボールドウィンのように直裁にに断じてくれると、モヤモヤしていた思いが一気に晴れるような気がした。もちろん、当事者であった黒人のボールドウィンにとっては、わたしなどには想像もできないくらい許し難いことであったに違いないのだが。

 この後に並べられた「夜の大捜査線」(1967年)だけは、かなり好意的な評価を受けていた。シドニー・ポワチエとロッド・スタイガーが駅頭で別れるラストシーンについて、ボールドウィンは「ここで描かれた一種の『キス』は愛の証しではない。性的欲望でもない。和解の象徴だ。それも難しくなってきているが…」と述べている。もし和解ができるのであれば、ボールドウィンは誰よりも真っ先にそれを願っていたのかもしれない。だが彼は、最後まで安易な妥協に逃げ込むことを許さなかったのだ。
 映画の終わり近く、ナレーションはアメリカの現在についてこんなふうに断じている。「アメリカ人は以前より幸せでも善人でもない。なのに、その現実を誰も認めない。少年犯罪が後を絶たない現状は、修正可能な計算ミスだと信じようとしている。無差別で残虐な事件が各都市で起きているが、一握りの異常者の犯行と思っている。燃える情熱や主義主張のない国民が増えているのは、協調性が高いからだと受け止めている」。ボールドウィンは1987年に死んでいるのだから、これらの言葉は少なくとも30年以上前に記された言葉なのだ。
 映画の最後に引用されていたのは、まったく思いがけない「昼下がりの情事」(1957年)だった。ナレーションはこんなふうに述べる。「(現在のアメリカで最大の問題は)盲目で臆病なアメリカ人が、人生はバラ色というフリをしていることだ。危険なほど長い間、この国には2つの層が存在していた。ゲイリー・クーパーとドリス・デイ(「ブロードウェイの子守歌」1951年、日本未公開)が象徴する層が一つ。グロテスクなほど清らかなイメージだ。もう一つは、不可欠なのに目立たず否定されてきた層だ。例えるならレイ・チャールズの歌声に象徴される」。その上で、彼はこう述べている。「向き合っても変わらないこともある。だが、向き合わずに変えることはできない」。

 結局、わたしはシナリオの言葉を次々に書き抜いてしまっている。そうしないではいられないのだから、いいではないか。そうすることで、この映画の言葉とその視点を記憶しておきたいのだ。それは映画を一回見ただけでは記憶できないものだが、映画を見たからこそシナリオのそれらの言葉がこちらに訴えかけてくるのだと思う。
 映画の最後に、アップになったボールドウィンがわれわれに語った言葉を書き抜いておきたい。
 「私は悲観主義ではない。生きてますから。悲観主義で生きていける世の中ではない。生き抜けると思うのは楽観主義だからです。しかし…、この国の黒人は…。黒人の未来は国の未来同様、明るいか、または暗いかだ。すべてはアメリカ国民次第です。議員ではなく国民次第なのです。ずっと敵対してきた相手と向き合い、抱き合えるかどうかが問題です。白人は自分自身に問わねばならない。なぜ『ニガー』が必要だったのか。私をニガーだと思う人は、ニガーが必要な人だ。白人は、自分の胸に聞いてほしい。黒人にとっては北部も南部も同じです。『去勢』の方法は確かに違いますが、去勢される点は同じだ。それは事実です。私はニガーではない。白人がニガーを生み出したのです。何のために?」。そして、映画は彼の次の言葉で暗転する。「それを問えれば未来はあります」。
(アップリンク渋谷、5月25日)
# by krmtdir90 | 2018-05-28 22:10 | 本と映画 | Comments(0)

映画「イカリエ-XB1」

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 チェコスロバキアという国はいまはもうない。1993年1月1日にチェコとスロバキアという2つの国に分かれてしまったからだ。この映画はその、いまはなきチェコスロバキアの映画であって、この国がまだ東側諸国の一員として共産主義体制の真っ只中にあった1963年に作られたSF映画である(監督・脚本:インドゥジヒ・ポラーク)。旧ソ連で作られた「惑星ソラリス」(1972年、アンドレイ・タルコフスキー)などの例もあるが、共産主義とSFというのは意外な親和性があるのかもしれない。
 この映画は、当時の日本で公開されることはなかったが、2016年にプラハでデジタルリマスター版が作られ、この年のカンヌ国際映画祭で上映されたことが契機となり、今年日本で初の劇場公開が実現することになったらしい。実に55年前の映画の初公開なのである。しかも、それが太陽系の外に向かう宇宙船を舞台にしたSF映画とあっては、大昔SFに熱中したことがあるわたしとしては、やはり観に行かないわけにはいかないと思ったのである。

 デジタル化によって非常に鮮明な画面(モノクロ、スコープサイズ)を見ることができたが、もちろん製作されたのはデジタルもCGもまだ登場していないアナログ時代だから、宇宙空間や宇宙船といった空想世界のリアリティをどんなふうに作っているかは非常に興味があるところだった。結論を言えば、様々な点で当時としては非常に頑張って作られているのではないかと思った。1963年というのは、あの「2001年宇宙の旅」(1968年、スタンリー・キューブリック)もまだ作られていない時代なのだ。それなのに、文化・芸術といった面でも閉じられた共産主義社会の映画界にあって、こんなふうな、太陽系の外に生命探査の旅の出るというような映画が本格的に作られていたというのは驚異だった。
 もちろん55年前の映画だから、いまから見れば微笑ましいとしか言いようのないようなところも散見されるのだが、それでも先行作品がほとんどないところで作られたにしては、30人の乗組員が生活する宇宙船の内部などで、ビジュアル的には実によくできた映画だったのではなかろうか。題名の「イカリエ-XB1」というのは、この巨大宇宙船の名前なのである。
 旧ソ連のガガーリンが小さな宇宙船ボストークで初の有人宇宙飛行に成功したのは1961年4月だったから、それに少しは影響を受けたとしても、これを大きく超えたこんな壮大な宇宙飛行計画の細部について、手本となるイメージや資料などはほとんどなかったと思われるのである。

 この映画は、ポーランドの作家スタニスワフ・レムのSF小説「マゼラン星雲」を原作としているという。レムは初期に書いたこの小説の価値を後にみずから否定してしまったため、日本などでは翻訳されることなく終わってしまった小説のようだ。レムは地球外生物とのファーストコンタクトを題材としたSFを幾つも書いていたと思うが、この映画も最後はその可能性を大きく高めて終わりになっている。映画が未知の生物の姿を見せなかったところは良かったが、コンタクトへの期待をここまで手放しで盛り上げられては少々引いてしまう感じもあった(なお、冒頭に挙げた「惑星ソラリス」も原作はスタニスワフ・レムであって、未知の生物とのコンタクトを描いたものだった)。
 55年の間に、それこそ実に多様なSF映画が世に出ているので、正直に言うとこの映画のストーリー展開はそれほど面白いものではなかった。前半から中盤にかけて置かれたエピソードは、当時は目新しいところもあったのかもしれないが、現代ではそれほど驚くようなところは感じられず、盛り沢山の要素がどれも底が浅いと感じられてしまったのは仕方がないことだったかもしれない。
 たとえば、航行の途中で漂流している謎の宇宙船を発見し、探査に向かった2人が乗組員全員の死体を発見するエピソード(死体が腐乱も白骨化もしていないのは変だったが)。この2人も搭載されていた核兵器の爆発で死んでしまうのだが、20世紀のものと思われるこの宇宙船の内部に漂う退廃的な雰囲気などに、この映画の作者たちの皮肉な視線を感じるのだが、言ってしまえば、だからどうなの?という感想になってしまうのは致し方ないことなのだろう。

 この映画は、その後に作られた同様のSF映画に多くの影響を与えたと言われているらしい。乗組員の一人が私物として持ち込んでいるユーモラスなロボットなどは、あの「スターウォーズ」(1977年、ジョージ・ルーカス)のR2D2などを彷彿とさせ、こういうものを設定することの面白さを引き継いでいるような気がした。また、女性乗組員の一人が船内で男の子を出産するというのも、「2001年宇宙の旅」のラストの赤ん坊のイメージと通底していたのかもしれないなどと考えてしまった。。
 いずれにしても、SF映画の系譜というようなことを考える時、この映画の持つ先行作品としての意義は非常に大きなものがあるのだろうと感じた。まあ、わたしはそういうところにマニアックに深入りしたわけではないから、これはこれで、楽しく観ることができたのだから良かったかなという程度で終わりにしておきたい。
(新宿シネマカリテ、5月22日)
# by krmtdir90 | 2018-05-25 09:58 | 本と映画 | Comments(0)

今年もコピスで高校演劇

 今年も「コピス」の季節がやって来た。「コピスみよし高校演劇フェスティバル」は今年で17回目、先日(5月15日)、最初の出演校打ち合わせ会も開かれた。今回は松山女子高と川越高が初めてコピスの舞台に立つ。今年もたくさんのお客さまにおいでいただきたいと思っています。
 きょうフライヤーが届いたので、早速アップしておくことにします。
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# by krmtdir90 | 2018-05-24 16:03 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(0)


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