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主なテーマは鉄道旅、高校演劇、本と映画、それから海外旅行、その他少々、といったところ。退職後に始めたブログですが、年を取ったせいか、興味の対象は日々移っているようです。よろしく。
by natsu
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モロッコの旅④フェズ1(2018.3.3)

3月3日(土)

 前日こちらに到着した時には晴れていたし、夜に確認したら星も見えていたので期待していたのだが、朝起きてみたら雨が降っていた。この日は終日フェズの市内見学なので、もうそろそろ晴れてほしかったのだがダメだった。うーん、参った。

 9時にホテルを出発。大した降りではないのだが、傘がないとやはり濡れてしまう感じである。
 ホテル・パレウメイヤの玄関。
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 入口は正面ではなく左手である。
 ホテルは旧市街(メディナ、フェズ・エル・バリと言うらしい)を囲む城壁のギッサ門というのをちょっと入ったところにあった。これがギッサ門。
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 門を出てすぐのところでバスに乗る。バスは昨日までのもの(ブレーキに不具合があった)と異なって、新しいものになっていた。

 バスはまず旧市街を離れて、小高い丘の上に上って行った。帰って調べてみると、南の砦展望台というところだったようで、確かに扉を閉ざした砦のような建物が建っていた。ここから最初に、フェズ旧市街の全貌を見ておくという意図だったようだ。ただ、折からの雨に煙ってしまって、霞んでよく見えなかったのは残念だった。
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 次にバスが向かったのは、旧市街でもフェズ・エル・ジェディドという地域にある王宮だった。王制を敷くモロッコでは、首都ラバトの他にも幾つかの都市に立派な王宮があり、国王はそれらを定期的に訪問して国民と触れ合っているのだという。
 王宮正門。
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 王宮前広場。アラウィート広場と言うらしい。
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 門の右手に、道路を挟んで郵便局があった。
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 写真の左端に(ちょうど黒い車の向こうになってしまったが)ポストがあった。ここで、こちらのポストが黄色なのを確認した。

 引き続き、隣接するユダヤ人街(メッラハと言うらしい)を歩いた。
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 15世紀ごろ、スペインで迫害されたユダヤ人がモロッコ各地に移住してユダヤ人街を形成したようだ。ここもその一つだったが、イスラエル建国に伴ってユダヤ人の多くはここを去ったようだ。
 コウノトリの巣とコウノトリの姿が見えた。
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 ユダヤ人街を抜けたところで、スマリン門という門の前に出た。
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 こういう名前などは、帰ってからガイドブックやインターネットを調べて書いている。実際に歩いている時に説明があったはずだが、一々覚えてはいられないのである。
 これをくぐった先。
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 ここでもう一度バスに乗り、少しだけ移動した(と思うが、早くも記憶がはっきりしない)。

 バスを降りた後、この正面の建物(カフェだった)でトイレタイムを取った。
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 道路に並んでいる赤い車はフェズのタクシーである。なお、こちらでは外でトイレを利用する場合は(もちろん観光客はという意味だが)、入口にいる番人?に1ディルハム(10円強)を払わなければならない。ヴォルビリス遺跡のトイレもそうだったし、ここも、この後も同様だった。
 ここのトイレは階段を上って屋上に出たところにあり、ついでだから屋上からの眺めを撮影させてもらった。
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 このあたりまでで雨はほとんど止んだ。このあともずっと曇り空は続いて、時折パラッと来ることはあったものの、傘の厄介になることが最後までなかったので良かった。

 さて、このあと少し進んで、
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 いよいよ「迷路」と言われるフェズのメディナ(フェズ・エル・バリ)に足を踏み入れる。たった5人のツアーだから迷子になる心配はなかったが、方向感覚もまったくなく、帰ってからガイドブックの地図を見ても、幾つかのポイントは判明するものの、どこをどう歩いたのか皆目見当がつかない。
 この入口から中に入った。
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 最初の路地は食料品の店が並ぶエリアだった。
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 薄暗い通路の両側に様々な店が並んでいる。
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 ここはラクダ肉の専門店らしい。左にぶら下がったラクダの頭が生々しい。
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 ラクダの肉が食べられているなんて初めて知った。
 軒を連ねる肉屋の一つ、秤の上に載せられているのはアヒルだろうか(まだ生きている)。
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 こいつも間もなく殺されて肉となり、食用に供されるということなのだろう。

 進んで行くと小さな橋があり、
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 水路を越えた。
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 今度は金属製品の店が並んでいた。
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 店先で職人が実際に加工しているところもあった。
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 このエリアが終わるところで小さな広場に出た。
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 どうやらサファリーン広場と言うらしい(あれこれ調べていたら、店の一つの看板からやっと一カ所特定できた)。だとすると、正面にあったこの建物は、
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 いまはもう使われていないサファリーン・マドラサ(神学校)だったはずである。

 さらに先に進んで行き、
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 人がすれ違うこともできないような狭い通路を抜けて行った。
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 ガイドが先導してくれなければ、とても歩くことができないような「迷路」なのである。さらに進むと、強烈な異臭が鼻につく狭い路地になった。
 なめし革工房が集まっているタンネリ・ショワラという地区に入ったのである。路地の突き当たりで一つの建物に入ると、入口で(ミントティーに入れるのと同じ)緑の香草を一本ずつ手渡された。香草の香りで異臭を避けるのだとガイドが教えてくれる。建物の狭い階段をどんどん上らされ、最上階(たぶん3階か4階)のテラスのようなところに出ると、眼前に驚くべき光景が広がっていた。
 なめし革の染色をしている作業場だった。
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 中世以来そのままの手作業で、職人たちがいまもこうした辛い仕事に従事しているのが驚異だった。強烈な臭いとともに、目まいのするような衝撃的な気分を味わった。日本の「部落差別」で、部落の人々が従事したという皮革製造業というのはこういうものだったのかと、遅まきながら初めて実感として理解されたような気がした。
 帰りは各階ごとに様々な革製品の売場が設えられていて、
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 そこで買い物をしながら下りていくかたちになっていた。女性陣はけっこう引っ掛かって価格交渉などをしていた。そうしている間にも、ツアーなどの観光客が次々に訪れているようだった。
 入口の写真は撮り忘れている。入口に通じていた狭い通路。
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 外に出て、少し歩いて、
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 次に行ったのがサボテンシルクの工房というところだった。サボテンの一種、竜舌蘭(リュウゼツラン)の繊維から採った糸で織った布なのだが、肌触りがシルクに似ていることからこう呼んでいるようだ。
 最初に、帰りがけに撮った入口の写真を載せておく。
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 狭い通路を入って行くと、昔の商人宿の跡だと言っていたような気がするが、天井のない四角い吹き抜けの土間(中庭だった?)があって、その周囲が2階建ての建物の廃墟のようになっていた。その1階部分が織り場と物置、そして製品の売場になっているのだった。
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 一通り説明が終わると、女性陣は早速、売場の方であれこれ値引き交渉などを始めていたが(因みに、メディナの店の商品は値札がついていないものがほとんどで、交渉の巧拙が値段決定の大きな要因になるのだった)、わたしは離れたところで煙草を吸いながら、それにしても不思議な場所だなあと、建物のあちこちをボーッと眺めていた。
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 また少し歩いて、
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 何の入口だろう。感じとしてはモスクだと思うのだが。
 また、次の小さな入口。
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 ガイドの先導で入って行くと、何と保育所だった。
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 子どもたちは、こうして観光客に中を覗かれることに慣れているのか、まったく物怖じしていない様子なのが予想外だった。女の先生がいたが、こんな狭い部屋でどんな運営がなされているのか不思議な気がした。

 さらに歩いて行く。
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 写真の枚数が多くなってしまい、まだ終わりそうにないので、この日は2回に分けて掲載することにします(続く)。

# by krmtdir90 | 2018-03-19 21:11 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅③シャウエン(2018.3.2)

3月2日(金)

 朝になっても雨は降り続いていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。
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 朝食は7時半からだったが、食堂兼ロビーのある建物との間を傘を差しての往復になった。石畳の通路には水たまりもでき、階段やアップダウンもあるので歩きにくかった。スーツケースなどを運搬可の状態にしてから、再びロビーのある建物に集合したが、出発予定になっていた9時ごろが最も激しい降りになってしまった。この日は徒歩での見学なので、とりあえずしばらく様子を見ようということになった。

 シャウエンは15世紀の終わりごろ、イスラムの聖地として開かれた町だったようだが、山の斜面に広がる青い家並みが(インスタ映えするとかで)人気となり、今回の参加者の中にもここを一番楽しみにしているという人もいた。
 だが、天気ばかりはどうにもならない。9時半過ぎに、雨が小降りになったところで出発したが、ずっと傘を手放せない散策になってしまった。わたしはここにそんなに期待していたわけではないので、まあ仕方がないなという程度だったが、傘が邪魔になって気楽に撮影できなかったことは残念だった。

 ホテルの庭で。
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 右がロビーなどのあった建物。左に普通タイプの客室棟があり、われわれの泊まった離れの客室は右手奥の山の斜面に散らばっていたようだ。客室としては上のランクだったのだろうが、雨の日のことを考えるとけっこう不便だったなと感じた。こういうところはあまり想定されていなかったのかもしれない。
 階段を降りて前の道に出て、これがホテル入口の門。
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 ダール・エクシャウエンというホテルだったようだ。

 最初、ホテルの前のゆるやかな坂を上って行った。
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 右がホテルのあった山の斜面、左が小さな川を挟んでシャウエンの街並みである。
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 屋上の洗濯物は雨でも取り込まないのだろうか。

 山の急斜面が迫っているところで橋を渡り、街並みの最も高いあたりから町(旧市街ということである)に入った。このあとはずっとだらだらした下りになる。
 で、以下はこの「青い町」の写真が並ぶことになる。雨でなければたぶん撮りまくったと思うのだが、濡れるから傘は外せないし、レンズに雨滴もつくし、選ぶほどの枚数は撮れなかった。ブレてしまったものも多い。ただ、光と影がない分、色の深みと透明感はあったのかもしれないと思った。
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 途中、土産物屋のドアが開いていたので、雨宿りがてら中に入って絵ハガキなどを選んだ。
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 入口は小さいが、中はけっこう奥行きのある店だった。入口を外から撮ったものはブレてしまって使えない。

 猫がいた。
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 トリミングして拡大してみる。
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 こちらの猫は動きを追いきれなかった。
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 購入した絵ハガキの中の猫。
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 天気が良ければ、もっとたくさんの猫が出没したのだろう。

 再び「青い町」。
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 次第にお店などが目立ってくる。
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 次は集合住宅と言っていた気がするが、入って行くと中庭になっていた。
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 猫がいた。
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 広場に出た。ウタ・エル・ハマム広場と言うらしい。
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 左側は17世紀にムーレイ・イスマイルが作ったというカスバ、奥に見えるミナレットはグラン・モスクである。
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 反対側にはカフェや土産物屋が並んでいる。
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 ↑この左にあるカフェに一旦落ち着くことになった。狭い町なので、晴れていれば解散してたっぷり自由時間を取ったのだろうが、出発も遅かったし、ここで一応30分ほど自由行動にすることになった。われわれはここでコーヒーを飲みながら休憩することにした。
 店の中には猫が何匹もいた。イスの上で寝ていたこいつは、
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 起き出してあたりをウロついたあと、店内の木に登って遊び始めた。
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 雨は止む気配がないので、少し早かったが昼食のレストランに行った。ここでもアルコールは出なかった。
 食後に外に出て、雨を避けながら煙草を吸った。レストラン外観。
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 右端に猫がいるのが判るだろうか。雨が降るし寒いし、まいったなあという感じだろうか。
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 結局、シャウエンの旧市街を上から下へ縦断したことになる。最後に、外に出てきた門を振り返ったところ。
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 外の普通の道をしばらく歩いた後、待っていたバスに乗ったのは12時45分ぐらいだったと思う。バスは走り始めて少しして、「青い町」のビューポイントというところで一時停車してくれた。降りて行って撮影したが、全体が雨で煙ってしまっていい写真は撮れなかった。
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 午後の予定はずっとバス移動だった。移動距離・約200キロを走って、今晩の宿泊地フェズに向かうことになっていた。
 この後の写真は車窓の風景ということになるが、雨が降っている限りはガラスに雨滴がついてしまって撮影できない。写真が再開するのは2時間あまりが経過してからである。
 かなり大きな町を通過した。
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 町の名前も言っていたかもしれないが、メモを取っていないので判らない。
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 町を過ぎて、何の畑だったか、聞いたかもしれないが覚えていない。
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 川を渡った。名前を聞いたかもしれないが記憶にない。
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 羊の群れと羊飼いの姿をけっこうあちこちで見かけた。
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 モスクとミナレットもあちこちで見かけた。
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 途中でトイレ休憩があったと思うが、写真もないし記憶にもない。

 雨もすっかり上がったので、バスは見通しのいい直線道路の路肩に一時停車した。長いバス移動なので、ちょっと気分転換にバスを降りて写真でも撮りませんかと言う。うむ、それはいい考えだ。
 ちょうどその時、畑の中の道をロバを連れた女性が歩いて来るのが見えた。これは降りてからカメラを向けても顔を背けられてしまうと思ったので、窓越しに車中から撮影させてもらった。
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 それから外に出て、何ということもない周囲の田園風景を写した。
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 これはバス停留所と思われる。
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 再び車窓の風景。
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 基本的には春の田園風景なのだが、点在する民家の形状はモロッコ特有のものだし、岩肌がむき出しの山の姿などもこちらの特徴だろう。
 時々、戸数10~20戸ぐらいの集落を通過したりした。その中の一つで、コウノトリの巣とコウノトリの姿を見かけた。
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 さらに車窓の風景。
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 調べてみると、モロッコの耕地面積は国土の21%を占めているようで、バスはまさにそういうところを走っているのだった。因みに、畜産では羊と鶏が中心となっているらしい。
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 やがてフェズの町並みが見えてきた。
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 市内に入り、
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 ホテルの近くでバスを降りた。
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 パレウメイヤという名前のホテルに連泊したのだが、全室スウィートタイプという部屋は非常に豪華だったが、正面玄関は小さなドアが一つあるだけで、車寄せも前庭も何もないのでびっくりしてしまった。チェックインは17時ごろだったと思う。
 夕食は最上階(と言っても4階だったか?)のレストランで食べた。3人の楽士による民族音楽の演奏と、
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 けっこうキワドイ衣裳をつけた女性のベリーダンスなどが行われた。夕食だけを食べに来たらしい台湾の若いツアー客は盛り上がっていたが、わたしは対応に困りながら離れたソファで煙草を吸っていた(こちらのレストランやカフェは基本的に喫煙禁止になっていないところがほとんどで、吸っていいのだよと言われてしまうと、逆にどこで吸ったらいいのかと考えてしまうことが多かった)。
 なお、この晩から再びアルコールは解禁となり、前日のバス故障のお詫びとして旅行社から赤ワインのボトルが一本提供されたので、そういう意味では十分満足のできる夕食だった。
# by krmtdir90 | 2018-03-18 18:50 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅②メクネス、ヴォルビリス(2018.3.1)

 昨日、ハッサンの塔のところで触れておいた方がよかったのだが、モロッコはイスラム教を国教としている国である。キリスト教なども禁止されてはいないが、国民の大部分はイスラム教徒(ムスリム)で、このあとどんな小さな村を通っても必ずモスクとミナレットが建っていた。ただし、モロッコのミナレットは断面がすべて四角形をしていて、ウズベキスタンなどで円形が当たり前と思っていたのでびっくりした。
 ついでに触れておくと、モロッコ国民の3分の2はアラブ人で、3分の1が古代からこの地に住んでいたベルベル人である。アラブ人は主にアトラス山脈の北側に広がる条件の良い平野部に居住し、ベルベル人は山岳部や南側の砂漠地帯などに住んでいるらしい。公用語はアラビア語とベルベル語で、独立前はフランス統治下にあったため、フランス語も幅広く使われているようだ。

3月1日(木)

 この日はけっこう強行軍で、途中メクネスとヴォルビリスというところを見学しながらシャウエンまで移動する。終日曇り空で、時折青空も見えたりしたが、基本的には雨が降ったり止んだりという変わりやすい天気だった。
 ラバトは朝8時出発となっていたが、たった5人のツアーでは集合もあっという間で、少し早くにホテルを出発したと思う。メクネスまでは約160キロだという。
 朝の通勤時間帯と見えて、ラバト市内に向かう道路はかなり渋滞していた。
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 9時過ぎにトイレ休憩をしたガソリンスタンド。奥に見えているのがわれわれのバスである。
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 途中、高速道路も使いながらメクネスに向かう。車窓の景色。
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 このあたりでは、まだ景色としてそれほど特徴的なものはないが、晴れていれば美しい景色なのだろうと思った。
 高速道路を降り、メクネス市内に入って行く途中で、たくさんの若者の出入りが見られたここは何だったのだろうか。
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 撮影時刻は10時過ぎだったので、工場か何かだったか?
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 バスはメクネスの旧市街(メディナ)に向かっている。
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 メクネスは10世紀ごろから続く古い町で、アラウィー朝の王都となった17世紀ごろが最盛期だったらしい。こうした歴史ある町には必ず城壁に囲まれた旧市街とその外に形成された新市街が並存していて、旧市街には様々な歴史的建造物や雑然とした街並みが残っているようだ。
 ここは両側を高い壁に挟まれた、通称・風の道と呼ばれている道路。
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 左の壁の向こうは王宮のようだ。なお、この写真はバスのフロントガラス越しに撮っているので、上部の青色はフロントガラスの遮光スクリーンの色である。
 ムーレイ・イスマイル廟。
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 ガイドブックなどではメクネスで必見の場所となっているが、現在改修工事中で中に入れないため、バスは前をあっという間に通り過ぎてしまった。

 さて、少し先でバスを降りて、いわゆる旧市街の中を歩いて行く。
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 ↑この左側が整備された広場になっていて、その向かい側、
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 ↓この門をくぐって、
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 少し行くと、
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 これもメクネスで必見と言われるマンスール門の前に出た。
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 17世紀にメクネスの町を繁栄させ、城壁や門、モスクなどを整備したアラウィー朝のムーレイ・イスマイルが最後に手掛けた建造物で、彼の死後、1732年に彼の息子によって完成されたものだという。まあ、こういうことは帰って来てから、ガイドブックやインターネットを調べて書いているのだけれど。

 マンスール門の正面は道路を隔てて広場になっていた。
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 エディム広場というメディナの基点となる広場である(道路を走る水色の車はタクシー)。
 広場に面してタジン鍋などを売る店が並んでいた。
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 広場を横切った先から振り返って、マンスール門(正面左)を見る。
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 広場を抜けて、メディナの中の商店などが並ぶところに入って行く。
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 猫。
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 モロッコは猫の天国のようだった。犬も見かけたが、猫の方が圧倒的に多かった。至る所に猫の姿があった(このあとも出てきます)。
 さらに進んで行く。
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 狭い路地が入り組んだところに入って行く。
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 非常に狭い両側にも小さな店が開いていたりして、
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 その途中に、欧米人の観光客が溜まっている入口があった。
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 わたしは興味があったのだが、われわれのガイド(と添乗員)は欧米人の一団が去るまで待つことをせず、そのまま通り過ぎてしまった。帰ってから調べると、これはブー・イナニア・マドラサ(神学校)というもので、中を見ることもできたようだった。まあ、ツアーだから思い通りにならないのは仕方がない。マドラサは、ウズベキスタンではメドレセと呼んでいたもので、イスラム世界の歴史的な教育施設である。

 さらにメディナの路地をしばらく歩いたのち、昼食のレストランに入った。
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 客席は2階にあったが、その窓からの眺め。
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 四角い箱のような家の屋上が洗濯物干し場になっている。遠望されているビル群は新市街である。
 前菜。
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 メインのタジン鍋。
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 蓋を取ると、イカの腹に詰め物をした熱々のタジン料理だった。
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 食後に一服しに出たレストラン前の通り。
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 入口のところに停まったリヤカーは、いろんな香草を売り歩いているようだ。
 そして足許には猫。
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 レストランを出て、しばらく歩き、
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 メディナの外に出るあたりで雨が降ってきた。中にいる間は降らなかったのだから、悪天候とはいえツイていたと言うべきなのだが、このあと思わぬアクシデントが待っていた。
 バスに乗るはずの広い通りに出てもバスの姿がない。ガイドが電話で連絡を取ると、ブレーキが故障したので修理しているということだった。故障が直るか代車を呼ぶことになるかまだ判らないというので、近くの店で予定外のティータイムということになった。
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 並びにはマクドナルド、ピザハット、ケンタッキーといった店が揃っていたようだが、そういう店は避けたのかもしれない。で、いただいたミントティー。
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 これはこのあと何度もいただいたが、こちらでは最初から砂糖が入っているのが普通で、注文時に砂糖なしと言わなければ甘いのが出てきてしまうのだった。この時はそれを知らなかったから、甘いミントティーでした。
 結局、1時間半も待たされることになってしまった。
 修理ができたということで同じバスがやって来たが、ブレーキに不具合があるのでは安心できないからと、添乗員が日本の会社とやり取りをして、2日後のフェズから別のバスに切り替えることになったようだ。

 さて、バスはメクネスの町を出て北に向かった。
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 雨が降るかと思えば日が差したり、また雲に覆われたりという変わりやすい天気が続いた。
 途中、小さな山にへばりつくように作られたムーレイ・イドリスという町が見えた。
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 ここは、8世紀末にムーレイ・イドリス1世が、土着のベルベル人を改宗させて、モロッコで初めてイスラム王朝を開いたところなのだという。

 次の見学地、ヴォルビリス遺跡に着いた時には、空はまたすっかり黒い雲に覆われていた。
 ここが入口。
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 入口を入るとインフォメーションやトイレのある建物があり、その先の丘の上一帯に古代ローマの都市遺跡が広がっているのだった。
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 昔、世界史の授業で、古代ローマ帝国が支配した地域を示す地図を見た記憶があるが、ヨーロッパの方にばかり意識が行っていたが、北アフリカ一帯にもその支配は及んでいて、モロッコのこのあたりが最も西に当たる重要拠点だったらしい。
 ここでは専門の案内人が付き、その先導で進んで行く。
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 まだ雨は降っていないが、いつ降り出してもおかしくないような背景の黒い空が不穏である。
 小高いところに石柱などが並んでいるのが中心部で、その周囲に、高位にあった人々の邸宅跡などが集まっているようだ。
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 邸宅の床を飾ったモザイク模様が残っているところもある。
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 どういうものの跡なのか説明があったと思うが、例によって覚えていない。
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 次のあたりは確か浴場の跡と言っていたと思う。
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 次はオリーブ油を圧搾する工房だった。
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 オリーブを挽いた石臼だという。
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 中心部にあったバシリカ礼拝堂跡。
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 右の石柱上にコウノトリの巣ができている。
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 姿は見えないが、コウノトリの巣とコウノトリはこのあとあちこちで見かけたので、またその時に。
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 礼拝堂の隣にはキャピトルという神殿跡が残っている。
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 ここはゼウスの神(ジュピター)を祀った場所だったようだ。
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 少し前から運悪く、ポツポツと雨が降り出してしまった。
 急いで先の方に歩を進める。先のところから礼拝堂跡を振り返る。
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 この右手にカラカラ帝の凱旋門というのがあった。277年に建造されたものだという。
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 ここで雨が一気に強くなってきた。風もあるので折り畳み傘があまり役に立たない。
 帰ってガイドブックを見てみると、まだ先には幾つか見どころの邸宅跡などがあったようだが、ここで見学を切り上げて戻ることになった。残念だが仕方がない。すでに駐車場からはかなり来てしまっていたのだ。

 というわけで、この後は写真がない。だが、何とかバスにたどり着き、発車して少しするとあっけなく雨は上がってしまった。にわか雨というのは判っていたが、一番まずいタイミングに当たってしまったようだ。まあ、そういうこともある。

 ヴォルビリス遺跡を後に、バスは今晩の宿泊地シャウエンに向かった。距離は約170キロ。
 途中で虹が見えた(うっすらとだから判るだろうか?)。
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 けっこう晴れ間なども見えたが、
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 シャウエンに着く頃には再び雨模様になってしまった。
 途中バスの故障で時間をロスしてしまったので、町の入口に着いた時には19時を回っていた。あたりはすっかり暗くなってしまった。バスは町の中に入れないので、ホテルまではタクシーに乗り換えて行くことになっていた。

 普通だとホテルに到着した時には写真を撮ったりするのだが、夜だったし雨だったので写真はない。ホテルはなかなかお洒落なコテージ風のものだったが、客室が全部離れの独立した建物になっていて、外に出て歩いて行くかたちだったので、雨だと少々厄介だった。しかも、フロントや食堂のある建物からかなり離れたところが割り振られていて、一旦部屋に入ってから、もう一度傘を差して食堂まで往復というのは(晴れていれば楽しいのだろうが)けっこう大変だった。
 さらに驚いたのは、このホテルはイスラムの戒律に則ってアルコールが出ないホテルだったのだ。こちらではそういう施設もけっこうあるということだった。まあ、ウィスキーのポケット瓶を忍ばせて行ったから、わたしは困らなかったけれどね。
 夜、部屋のベランダで雨を避けながら写したシャウエンの町の夜景。
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# by krmtdir90 | 2018-03-17 11:06 | 海外の旅 | Comments(0)

モロッコの旅①往路・ラバト(2018.2.27~28)

 なぜモロッコに行こうと思ったのかははっきりしない。エジプトもいいかなと思っていたが、行けるうちにもっと遠くへ行っておこうと考えたのだったか。結果的にいままでで一番遠くまで行き、初めてアフリカ大陸に足を踏み入れることになった。
 アフリカだから単純に暑いのかと思っていたら、日本ほど明瞭ではないものの季節変化もあり、気候風土も地域によって多様性があることが判った。調べてみると、中心都市のカサブランカやラバトは北緯33~4度にあり、これは福岡や大阪とほとんど同じ緯度なのだった。
 要するに、モロッコについてこれまで何一つ知らなかったと言っていいので、そんな国に行くというのが何とも新鮮だった。行ってみると、実に変化に富んでいて面白かった。だが、ここ2回ほど楽なリバークルーズに慣れてしまっていたので、バス移動も多く、体力的にはかなり大変だった。

 ツアーは阪神航空フレンドツアーの「幻想のサハラ/エキゾチックモロッコ12日間」というものだったが、最初パンフレットから問い合わせた何本かがすべて満席で、近い日にちではネット上に追加設定されたものが1本あるというので、それを申し込んだ。ところが、こちらはネット限定だったこともあって集まりが悪かったらしく、行ってみたら参加者はたった5人しかいなかった。
 付き合いにくい人がいたら嫌だなと思っていたが、そんなこともなく、わたし以外はみんな女性だったのでやや買い物偏重に流されたきらいはあったが、楽しく同行することができた。ただ、添乗の女性がちょっと我の強い人で、自分を出しすぎるところが難点と言えば難点だったと思う。

2月27日(火)

 夜の出発だったので、最初のあたりの写真はない。今回はビジネスクラス利用なので、専用のラウンジに入れたので、そこでビールと簡単な夕食を済ませた。
 飛行機は、成田空港21:40発、ターキッシュエアラインズTK0053便、イスタンブール行きというもの。最初の機内食の時、さらにワインをもらって寝ようとしたが、シートの形状が身体に合わなかったようで(独立性ももう一つだった)、浅い眠りに終始した感じだった。

2月28日(水)

 機内でマイナス6時間の時差修正を行い、イスタンブール到着は04:20だった(行程表ではフライト時間は12時間40分となっていたが、実際には少し早く着いたようだ)。イスタンブールは雨だった。

 日本とモロッコを結ぶ直行便はないので、必ずどこかで乗り継ぎということになるのだが、それにしても乗り継ぎ時間6時間以上というのは長かった。ターキッシュエアラインズのビジネスラウンジは非常に広く豪華なものだったが、さすがに時間を持て余した。
 ラウンジ内には喫煙場所がなく、外にある喫煙スペースとの間を何回か往復した。喫煙スペースはテラスのようなところを金網で囲ってあって、半分ほどは屋根があったが、半分は金網なので雨では半分が使えなくなるのだった。そちらの眺め。 
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 乗り継いだ飛行機は、11:00発(実際には40分ほど遅れた)、同じくターキッシュエアラインズTK0617便、カサブランカ行きだった。
 最初の飛行機では、妻が眠るのに通路側は嫌だと言うので窓側を譲ったが、今度はわたしが窓側をキープしたので写真がある。
 最初は雨滴に覆われてどうしようもなかったが、
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 滑走を始めると雨滴は飛ばされて、
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 雨雲の下のイスタンブール。
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 やがて飛行機は雲の上に出た。
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 しばらく雲海が続いたが、次第に雲が切れてくると、山頂部に雪を戴いた島影が見えてきた。
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 モニター画面に航路図が映し出されるのだが、それによればエーゲ海の島々のようだ。
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 実はこの時、ギリシャでも雪が降るのかと不思議な気がしたのだが、あとで添乗員から聞いたところによると、ちょうどこの時期、ヨーロッパ各地に記録的な寒波が襲来していて、イタリア南部やギリシャでも何十年ぶりかの雪に見舞われていたらしい。
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 そしてこのあと、この大寒波の影響がモロッコにまで及び、旅の前半は予想外の寒さと悪天候に悩まされることになってしまったのである。

 飛行機は続いてイタリアのシチリア島上空を横切ったようだが、そのあたりはまたすっかり雲に隠れてしまって見えなかった。
 地中海を過ぎるあたりから再び雲が取れ、以後はずっと下の景色を見ることができた。
 飛行機はチュニジアの北部からアフリカ大陸の上空に入ったようだ。
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 右下に飛行場の滑走路が見えている。
 航路図によれば、このあとはずっとアフリカの北岸を飛んだようだ。
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 わたしは左の窓だったので内陸の方が見えていたが、右の窓からは海岸線や地中海が見えていたのかもしれない。
 チュニジアからアルジェリアに入ると(たぶん)、雪を被った巨大な山塊が遠望されるようになった。アルジェリアからモロッコ西端まで連なるアトラス山脈である。
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 このあたりの気候はこの山脈を境にまったく違ったものになり、北側は地中海や大西洋に面した比較的温和な気候、南側はほとんど雨の降らない乾燥した砂漠地帯になっているようだ。
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 カサブランカが近付いてくるとまた雲が広がりだした。飛行機は高度を下げ、その雲の下に出ると、
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 どうやら地面や道路の感じが雨模様の気配である。
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 このあと、着陸の順番待ちだったのだろうか、飛行機はこの高度を保ったまま4、5回、同じところを旋回した。そののち一旦海の方に出た後、
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 再び内陸に入って、
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 ようやく着陸した。
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 たちまち窓が雨滴に覆われてしまった。
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 機内でさらにマイナス3時間の時差修正を行った。日本とモロッコの時差は結局マイナス9時間となり、これはイギリスのグリニッジ標準時と同じなのだった。
 フライト時間は5時間5分、行程表ではカサブランカ到着は13:05となっていたが、実際には1時間以上遅れての着陸になった。

 カサブランカの空港はムハンマド5世空港といい、大半の国際線がここに乗り入れるようだ。ムハンマド5世とは、1956年にフランスから独立を勝ち取った国王の名前である。因みに、モロッコはモロッコ王国であり、王制を敷く立憲君主制国家である。

 入国手続きなどのあと、空港の両替所で日本円から現地通貨ディルハム(DH)への両替をした。外に出ると激しい雨と風で、傘も役に立たない感じである。
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 写真はこの一枚しかない。左手のところが車寄せになっているのだが、狭い上に車がひしめいていて、バスが近寄れないというので、スーツケースを引きながら少し離れたところまで歩かなければならなかった。最悪の滑り出しになってしまったが、まあ、こういうこともある。

 たった5人のツアーだが、バスは普通の観光バスが用意されていて、最後まで座席の移動もし放題の余裕だった。現地ガイドはハディドさんという気さくな男性で、この人も最後まで同じだった。ただ、彼は日本語は喋れず、英語で添乗員とやり取りして、それを添乗員がわれわれに伝えるというかたちになった。こういうこともあるのだ。
 バスは高速道路に入って、今晩の宿泊地ラバト(モロッコの首都)に向かった。ラバトに近付くにつれて雨は小降りになっていった。

 ホテルに入る前に、ラバトで1時間ほど見学を行った。バスを降りると雨は止んでいた。ついさっきまで降っていた痕跡はあるが、雨を降らせた黒い雲は遠ざかりつつあるようだ。
 見学したのはムハンマド5世の霊廟。
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 空港の名前にもなった元国王の霊廟で、1961年の没後、1973年に完成したものらしい。入口の前に衛兵が立っている。
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 中に入ると、周囲の壁に沿ってテラス状の回廊が作られていて、そこから下が見えるようになっていた。中央にムハンマド5世の白い石棺が安置されている。
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 回廊の四隅にも衛兵が立っている。
 天井の装飾も見事。
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 入口の衛兵を背後から。
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 正面に見えているのが、同じ敷地内にあるハッサンの塔である。
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 いつの間にか西の方角に青空が覗き、日射しが斜めに当たっている。で、その光を浴びた霊廟を2枚。
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 背後の空が真っ黒なのが不思議な感じである。
 ハッサンの塔の方だが、
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 これは未完のミナレットである。
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 1195年、ムワッヒド朝のヤークブ・マンスールが、この地で世界最大のモスクとミナレットの建設に着手したが、4年後に彼が死亡して工事は中断、完成時の半分にあたる44メートルのミナレットと、モスクの基礎部分となる石柱が残されたのだという。
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 こちらが現在使われているモスクのようだ。
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 敷地の西側に、古い城壁の一部が残されていた。
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 以上でこの日の見学は終了、午後6時ごろ、ホテルに入った。
 ラバトの街にはトラムが走っていて、ホテルの前の道に軌道が通っていたので見に行った。
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 非常に長い編成で運行されているようで、夕方だからか運行間隔も短い感じがした。
 これがホテル外観(ファラーホテル・ラバト)。
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# by krmtdir90 | 2018-03-16 21:35 | 海外の旅 | Comments(0)

精華高校・新座柳瀬高校 合同東京公演「愛もない 青春もない 旅に出る」

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 高校演劇として昔は到底考えられなかった公演形態が、いまは成立する時代になったのだなと感慨深いものがある。小屋はシアター風姿花伝、木戸銭は2300円だという。高校生の分際で2300円はないだろう(シニアだと映画が2本も観られる)と思うのだが、それで観客を集めてしまうのだから大したものである。
 この2校が、スタイルはまったく異なるものの、ともに高校演劇のウィングを大きく広げていることがよく感じられる公演だったと思う。終演後には、一緒に観劇したSさんと新宿に出て、わらびやで一献傾けながら楽しい時間を過ごした。これも今回の公演のおかげである。ありがとう。以下、少しだけ感想を書いておく(3月14日マチネ観劇)。

精華高校「大阪、ミナミの高校生2」(作・演出:オノマリコと精華高校演劇部)
 昨今評判の高い精華高校の舞台を初めて観た。なるほどと感心した。コンクールなどに縛られることのない、こうした高校演劇があっていいと思うし、非常に魅力的な舞台を作っていると感心した。プロであるオノマリコさんがどんなふうに関わっていたのかとか、同じくプロである木内コギトさんを重要な役回りで絡めてしまうことなど、従来の高校演劇では考えられなかったことだが、生徒たちがこれらの刺激に触発されて伸び伸び演じているのだから、こういう行き方もいまはアリなのだろうと思った(木内さんのところは顧問の先生がやっても面白かったのでは?)。
 生徒のマリーと先生(木内さん)のやり取りが実に面白く、かつてこういう感じの学校で教師をしていたこともあるわたしは、「ああ、こういう子いたよなァ」と妙な懐かしさのようなものに囚われてしまって困った。マリーをやった庵ノ前さんの演技はドキッとするくらいリアリティがあり、プロを相手に少しも引けを取っていないのが素晴らしかった。
 この2人を取り囲む?かたちで繰り出されるモノローグもリアルで、しかし、積み重なってはいくものの、モノローグのままメインの2人と切れてしまうのが惜しいような気がした。いまの作りではマリーの存在だけが特別なものになってしまうので、モノローグの生徒たちとマリーは同じ生徒たち(同列)なのだという描き方がもう少し工夫されてもいいような気がした。そういう意味では、生徒が生徒を隔離するというような図式化(舞台構成)もあまり効果的とは思えなかった。

新座柳瀬高校「Merry-Go-Round!」(作:稲葉智己)
 新座柳瀬高校の舞台は、全国大会まで行った「Love & Chance!」の見事な完成度が頭にあるから、どうしてもそれと比較して「まだまだじゃないか!」と思ってしまう。高校生の舞台が洗練の域に達するのは至難のことと判ってはいるが、前作がそれを実現していたことを考えると、もう少し稽古を積んでから撃って出てほしかった気がしてしまうのは仕方がないことだろう。
 役者たちがまだ役を支え切れていないような感じがした。高い木戸銭を取っている以上は、学年や経験の多寡は関係ない。特にアンジーをやった高橋さんは、マーガレットやエリーと比べて単純に幼なすぎる印象があって、ラストのどんでん返しにつながる隠れたしたたかさというか、周囲を虜にしてしまう若い女性の色香のようなものがもう少しほしい気がした。ここはストーリーの肝にあたる部分だから、衣裳の選び方やメイクの仕方なども含めて説得力のある工夫が必要ではなかったか。
 あとは、芝居が全体にドタバタしているような印象があった。ドタバタというのは、いつもはパンチが敷いてあって気にならない靴音が妙に耳に付いてしまったことも関係している。客席通路を使った出捌けももう一つスマートとは言えず、柳瀬の独壇場とも言うべき展開のスピード感を削いでしまっていたように思う。
 いつも見慣れている柳瀬の舞台だから、どうしても辛口の感想になってしまうのは仕方がない。もうあまり書くのはよそうと思っていたのだが、やっぱり書いてしまいました。
# by krmtdir90 | 2018-03-15 12:31 | 高校演劇、その他の演劇 | Comments(2)


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