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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「カーキ色の記憶」

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 シリアに関するドキュメンタリー映画が立て続けに上映されているので、いままで行ったことのなかったアップリンク渋谷に連続して通うことになった。ここはスクリーンが3つあるようだが、それぞれ58席、45席、41席という小規模な客席で、雰囲気はあのユジク阿佐ヶ谷に似ていると思った。この映画はいちばん小さな41席のスクリーン3での上映だった。
 「ラッカは静かに虐殺されている」と「ラジオ・コバニ」はIS(イスラム国)との戦いを扱っていたが、この映画はISの絡まないシリアを取り上げていた。シリアという国がわたしの興味の対象になったのはISが勢力を広げたからであって、それまではこの国のことなど何一つ知りはしなかったのだ。だから、今回の映画についてはよく判らないところも多く、衝撃的な映像といったものもほとんどないから、正直に言うと少し眠くなってしまったことも事実である。

 この映画は1980年代以降、様々な理由で国外に去るしかなかった4人のシリア人を取り上げ、彼らに対して行ったインタビューを元に構成されている。監督・脚本・編集のアルフォーズ・タンジュール(1975年生まれ)もシリア人で、シリアやレバノンなどで精力的にドキュメンタリーを撮っている人らしい。
 映画の背景となるシリア現代史は、とうてい一筋縄ではいかない複雑な様相を呈しているが、政治的には父子2代にわたるアサド政権(1971~2000年:ハーフィズ・アル=アサド、2000年~現在:バッシャール・アル=アサド)と、これに対する反政府勢力の衝突というのが基本的構図になっているようだ。長期にわたる独裁政権だが、政権側にも様々な変遷があり、反政府側にも様々な勢力の消長などがあって、そこにクルド人勢力や周辺諸国の思惑が絡んでいて、とても簡単に理解できるようなものではないのである。

 映画が取り上げた4人はいずれも反政府側にあったのは確かだが、その立場やシリアを出るにあたっての経緯などはそれぞれのものがあって、それを理解するのは非常に困難なことだった。プログラムは売っていなかったので、インターネットの公式サイトから4人のことを簡単に整理しておく。最も年長と思われるイブラヒーム・サミュエルは短編小説家で現在はヨルダンのアンマン在住、ハーリド・ハーニーは画家でフランスのパリ在住、女性のアマーセル・ヤーギーはタンジュール監督の母方の叔母でフィンランド在住、最も若いシャーディー・アブー・ファハルは映画監督でフランス亡命後もシリアに潜入して撮影を続けているようだ。
 彼らはみんなアサド政権を批判する運動などに関係し、当局に追われて収監されたり逃亡生活などを余儀なくされた後に亡命したようだが、彼らが経験したアサド政権下での抑圧された生活を、軍服の色であるカーキ色に象徴される記憶として語っているのである。インタビューは当然彼らの亡命先で行われているが、彼らがいま生活している異国の風景は、彼らの複雑な心の内を反映したように、どことなくよそよそしく冷え冷えしているように感じられた。

 それらの映像とともに、彼らが後にするしかなかったシリア国内の様々な情景が、たとえば爆撃などですっかり破壊された建物の連なりとか、駅頭に集まる行き場を失った人々の姿などがモンタージュされている。また、さらに、彼らの思いに繋がるような比喩的なイメージなども次々と挿入され、4人が交互に語る言葉の中身と響き合うような関係になっている。チラシにある軍服姿の少年はそのイメージの一つだが、これは明らかに演出され作られた意図的な映像である。映像的には非常に計算されたもので、一方では、抵抗や自由を象徴すると思われる赤い風船なども映し出されているのである。
 率直に言うと、こうしたドキュメンタリー部分を補完するようなイメージの追加については、映画の芸術性を高めているのかもしれないが、個人的にはあまり共感できるものではないと思った。趣旨は判るのだが、シリアからはるか離れたところにいるわたしのような観客にとっては、こうした処理が、そこに描かれているものとの距離を遠ざけてしまっていたような気がした。こうしたすべてが、シリアの過去と現在、そして未来とをつないでいるということなのだろうが、気分的には妙に醒めた冷静さが強調されているように思えて、ドキュメンタリー映画としての熱量を下げる方向に働いてしまっているように思われたのである。

 つい数日前の新聞に、シリア政府軍が首都ダマスカス南部からIS勢力を駆逐し、首都とその近郊を完全に支配下に置いたというニュースが出ていた。首都でさえ、そんな状況だったのだ。一方で、シリアの内戦状態はいまも続いていて、インターネットで見ることができるシリア国内の勢力分布図では、政府軍が掌握している地域は国土のやっと半分程度の範囲に過ぎないのだった。しかも、各勢力の支配地域は刻々と移り変わっていてまったく安定することがない。
 こうした中で、シリアの現況をドキュメンタリーがどう捉えるかは、それこそ様々なやり方があるということなのだろう。たまたま異なる姿の3本の映画に接することができたが、今後もなるべく注意してチェックしていきたいと思った。
(アップリンク渋谷、5月18日)
# by krmtdir90 | 2018-05-23 23:59 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ラジオ・コバニ」

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 コバニというのは、トルコとの国境に近いシリア北部にある町の名前である。このあたりは住民の大半をクルド人が占めていて、IS(イスラム国)の脅威にさらされる以前に、シリア政府とクルド人勢力との対立が、隣国トルコも巻き込んで複雑に絡み合っていた地域だったようだ。ウィキペディアによれば、クルド人というのは独自の国家を持たない世界最大の民族であって、自治権の拡大や独立を求めて、反政府的立場を鮮明にしているところも多いのだという。
 コバニにISが入って来たのは2014年9月だが、その2年ほど前に政府軍は撤退して(この地域を放棄して)いて、コバニは実質的にはクルド民主統一党(PYD)の軍事部門であるクルド人民防衛隊(YPG)という組織の支配下にあった。そのため、コバニでISの侵入と戦ったのは、YPGおよびその姉妹組織のクルド女性防衛隊(YPJ)のメンバーだったようだ。ISに比べて戦力的にはまったく劣っていた彼らは、一時は陥落寸前まで押し込まれてしまうのだが、その後アメリカを中心とする有志国軍の空爆が開始されてから徐々に押し戻し、2015年1月にコバニからISを完全に追い出すことに成功した。
 このあたりの経過は調べても理解するのがなかなか難しいのだが、戦闘の激化を避けて市民の多くがトルコなどに逃れ、一方で、少なからぬ数の市民がYPGやYPJとともにISと戦うことを選んだようだ。逃げるか戦うか、多くの市民がこの厳しい二者択一に直面させられたのだ。この戦闘によって多くの犠牲者が出ると同時に、町は見る影もなく破壊されてしまった。この映画は、あたり一面が瓦礫と化してしまった町に戻り、友人と小さなラジオ局を立ち上げて、「おはようコバニ」という手作りの番組を放送し続けた、ディロバン・キコという20歳の女子大生を追っている。

 監督のラベー・ドスキーはイラク出身のクルド人で、オランダを拠点に活動している人らしい。撮影のため初めてコバニに入ったのは2014年12月だったというが、この時偶然ラジオから流れていた「おはようコバニ」の放送を聞いて、コバニの復興と並走しながらこの放送の主を追うことを決意したようだ。映画は69分という短いものだったが、非常に印象的なシーンが連続し、片時も目を離すことができなかった。
 2014年12月といえば、コバニにはまだISの勢力がかなり残っていた時期で、YPG・YPJがISと激しい銃撃戦を行う様子なども映画の中には収められている。彼らの上部組織のPYDはあらゆる面での平等主義を貫いているようで、戦闘員の中に当然のように女性の姿が混じっているのが驚きだった。また、捕虜になったIS戦闘員に対する尋問のシーンもあって、この男が自分のした残虐行為を棚に上げてあれこれ言い訳をし、家族に会いたいなどと勝手な言葉を並べるところも捉えている。貧しさからISに身を投じたというのは事実だろうが、だからといってみずからの選択を正当化することは許されるものではない。
 コバニのISが一掃され、復興に向かう最初の段階で、映画は瓦礫の中に埋まった死体を重機で片付けるシーンをかなり長い時間にわたって映し出している。死体はいくらでもある感じで、どれも損傷が激しく、そのほとんどが頭部と身体が別々に掘り出されるのである。説明などはないが、恐らくISによって斬首された市民の遺体だったのだろう。映画では腐臭は伝わらないが、すぐ近くでこの様子を見ている子どもの姿なども捉えられている。この町が直面した不条理な死というのは容易に片付けられるものではないが、復興はその死を一つ一つ掘り起こし、確かめていくことからしか始まらないのだということがいやでも理解される。

 映画は基本的に「おはようコバニ」の放送とともに、コバニの町の復興の様子をなるべく多く取り上げようとしている。だが、彼らが受けた傷は大きく、それらが至るところに現れてきてしまうのをどうすることもできない。戦火を逃れてトルコに行っていた市民が、国境の検問所からコバニに戻って来るシーンは異様なものだった。出迎える側にも戻って来る側にも、笑顔や涙などの感情がまったく見られないのである。誰もが一様に口をつぐみ、疲れ切ったような曖昧な表情を浮かべているのが強く印象に残った。
 「おはようコバニ」でディロバン・キコが行った多くのインタビューも記録されているが、この映画が何より素晴らしかったのは、「未来のわが子へ」という彼女が書いた手紙(詩)が、彼女自身の声で要所にナレーションされることだった。「あなたはまだいない。でも、あなたのために語りましょう。ラジオ・コバニの話を、いつか生まれる子に伝えたい」。ラベー・ドスキー監督からこのアイディアについて依頼を受けた時、彼女は戸惑い躊躇したようだが、彼女たちがやってきたラジオ放送(そして、この映画)が次世代に向けての貴重なメッセージなのだということを理解して、短い言葉ながら非常に率直にみずからの体験と思いを綴っている(この全文がプログラムに収録されている。プログラムは400円と安かったが、内容は非常に充実していたと思う)。
 この映画は一応ドキュメンタリーということになっているが、この手紙を映像とともに伝えるという骨子が設定されたことにより、撮影などで作為的な構成を選んだ部分もあったようだ。彼女を撮った部分にはかなり演出が入っているように見えたが、それがこの映画のドキュメンタリー性を少しも損なってはいないと感じた。現実をそのまま切り取ったシーンとバランス良く配置されることで、むしろ全体としては、彼女と監督の思いが非常にストレートに響いてくるような構成になっていたと思う。

 「わが子へ」の手紙の中には、ISとの戦争で彼女の家族がバラバラになってしまったことなども書かれている。彼女は「戦争に勝者などいません。どちらも敗者です」と書く。また、「コバニに入る時は思い出して。この地は私の友達の血で覆われています」と続ける。彼女の大切な幼なじみがISによって斬首され晒されたことを語る。「あの日、私の感情は死にました。あの子の笑顔や瞳、きれいな髪、2人で話したこと。シーリーン(幼なじみの名前)と私は約束していました。街が解放されたら、公園で男の子に声をかけようと」。
 人々が受けた心の傷の深さは、人々一人一人の数だけ積み重なっているのだ。そこにはさらに、無残なかたちで生を断ち切られてしまった一人一人の思いが結びついている。映画は、瓦礫の町に彼女のラジオ放送が流れ、人々が少しずつ生活を取り戻していく様を記録していく。「閉めていた店をまた開いた女性がいました。戦士だった鍛冶屋がまた鉄を打っています」「同志のアリはまた歩けるようになりました。子供たちは外に出て、伸び伸びと遊んでいます」。
 映画は最後に、ディロバン・キコの結婚式の様子を映し出す。ささやかな式だったが、白いウェディングドレスで周囲から祝福を受ける彼女の姿に、ラベー・ドスキー監督はこの町とクルド人の未来を託していたのだろう。あまりにベタ過ぎないかなどと言ってはならない。彼女の手紙は最後に次の言葉で閉じられる。「わが子へ。あなたが喜びと共に生まれ、幸せに生きられますように」。こうした言葉に対して、率直な共感だけが溢れてくるような映画だったと思う。

 ディロバン・キコの結婚式のシーンでは、彼女からDJを引き継いだ新しい女の子が「おはようコバニ」の放送を続けている。プログラムには、結婚後のディロバン・キコがラジオから手を引き、現在はコバニの小学校で教師として子どもたちを教えているということが書かれていた。教師になるのが以前からの夢だったのだという。
 一方で、コバニの復興が思うように進んでいない現状についてもプログラムは明らかにしている。クルド人問題が影響してトルコとの国境は封鎖されたままで、シリア政府からも復興支援の動きは非常に鈍いままなのだという。シリアで生きること、クルド人として生きることの、二つの困難を痛切に感じさせられる映画だった。
(アップリンク渋谷、5月17日) 
# by krmtdir90 | 2018-05-19 14:03 | 本と映画 | Comments(0)

映画「フロリダ・プロジェクト/真夏の魔法」

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 このラストシーンをどう考えたらいいのか。母親と引き離され、もうこのモーテルにいられなくなってしまうムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)が、仲良しだったジャンシー(ヴァレリア・コット)に別れを告げに行き、この映画の中で初めて涙を流す。これは現実である。これまではいつもムーニーに引っ張られるばかりだったジャンシーが、初めて自分からムーニーの腕を掴み、外に駆け出す。ここもまだ現実である。
 二人は道路を駆け抜けていく。だが、二人に行ける場所があるとは思えない。ジャンシーがどんなに願ったとしても、彼女はムーニーを助けることはできないし、ムーニーも直面する現実から逃れることはできないだろう。二人はこの先どこまでも走り続けることはできない。二人はどこかで残酷な現実に連れ戻されるしかないのだ。それは動かせないエンディングである。
 にもかかわらず、この映画は二人を「夢の世界」に連れて行く。その夢のようなディズニー・ワールドの中に、二人は後ろ姿になって消えて行く。それは何の解決でもないし、どのような希望でもあり得ない。それは誰にも判っていることである。

 この映画は貧困を描いた映画である。ムーニーもジャンシーも、いくらその近くに住んでいるからといって、「夢の世界」であるディズニー・ワールドに行くことは絶対にできないところに生きている。彼らの親は彼らにディズニー・ワールドのチケットを持って来てくれることはない。そんなことは絶対にできない貧困の中に彼らはいるからである。
 だから、このラストシーンはどう考えても「幻」であり、二人にとっては不可能でしかない「夢」と言うしかない。しかし、映画はそういう風に終わってみせる。そういう風に終わらせたのはショーン・ベイカー監督だが、彼にとってこれは微かな希望だったのだろうか。
 恐らく違うだろう。彼はここにいる人たちの過酷な現実を痛いほど理解している。ムーニーと母親のヘイリー(ブリア・ヴィネイト)はもう一緒に生活することはできない。これが突き付けられている現実であり、この展開に夢のような抜け道を用意することは監督にもできないのである。この映画は最後に何の解決も用意していないし、その微かな道筋を感じさせることもしていない。
 それがこの映画の潔い誠実さなのだと思う。母娘の良き理解者であった管理人のボビー(ウィレム・デフォー)も、この決定的な現実の前では何もしてやれることはないのだ。6歳のムーニーはそれらすべてを理解したからこそ、ただ泣くしかなかったのだ。必死に我慢していた彼女の顔にみるみる涙が溢れてくる、このシーンは何とも切なく悲しい。子どもは、どういうところで生まれ育つかを選ぶことはできないのだ。

 ディズニー・ワールドという「夢の世界」のすぐ傍らに、こういう出口のない貧困が転がっていることを映画は容赦なく描き出す。しかし、そのやり方は怒りや告発などとは無縁の、思いがけないほどの明るさに満ちたものである。
 アメリカでは、実質的にはホームレスに近い貧困層が、安モーテルに寝泊まりしてその日その日をしのいでいる現実があるらしい。舞台となるモーテル「マジック・キャッスル」は、外壁をパステルカラーの紫色で塗られたカラフルな佇まいで、そこが生活苦にあえぐ人たちの最後の砦になっているとは、なかなか窺い知ることができないのである。
 しかも、映画はそこに暮らす子どもたちの視点から様々なものを映し出すから、大人たちの厳しい現実はもちろん見えてはいるものの、その語り口はあくまで明るく影のないものになっているのである。それにしても、この子どもたちの悪びれることのない傍若無人ぶりはなかなかのものだった。こういうところに生まれてしまった以上、彼らはここでいかに楽しく生きるかを考えるしかないのだ。6歳の子どもたちにとって、この場所を「夢の世界」とすることだけが日々のテーマなのである。
 そこでは貧困は動かすことのできない所与の前提であり、彼らのしでかす悪戯などは、すべてその前提を受け止めた上でのことになっている。彼らは「上の世界」があることにたぶん気付いているが、だからといって、それを羨んだりみずから卑屈になったりすることはないのだ。彼らはいまの場所で十分以上に楽しくやっているように見える。

 だが、一方でショーン・ベイカー監督は、母親ヘイリーを始めとする大人たちの現実も厳しく写し取っている。例えばシングルマザーのヘイリーは、ムーニーのことをどこまで責任を持って考えているのか定かでないようにも見える。場合によっては育児放棄ギリギリのところで、ようやく踏みとどまっているようにも見えてしまうのである。
 6歳のムーニーは、どんな状況であってもヘイリーに付いて行くしかない。ヘイリーは子どもにとってはひどい母親に違いないが、彼女自身が未成熟の子どものようなところがあって、決して幼児虐待というような方向に向かうことなく、ムーニーを友達のように溺愛していることは大きな救いになっている。描き出される現実は過酷なものだが、この映画があっけらかんとした明るさを失わないのは、そこが信じられているからなのだろう。
 モーテルの管理人ボビーの存在も大きい。彼は立場的にはヘイリーから宿泊費を徴収し、年中トラブルを起こす彼らを管理しなければならないところにいる。だが、彼らが置かれた貧困の現実にも思いを致す優しさを持ち合わせていて、口ではきついことも言いながら、ムーニーやヘイリーのことを折に触れ見守っているのである。だからこそ、ラストの現実を見詰める彼の悲しげな眼差しが強く印象に残るのである。
 ヘイリーを母親失格と断ずることは簡単だが、そちらには向かわないこの監督の姿勢に共感が持てる。まったく八方塞がりの貧困を描いていながら、この映画がまったく暗さとは縁がない、瑞々しい明るさに貫かれていたことは驚きである。そういう意味で、かなり鮮やかに記憶に残る映画だったと思う。
(新宿バルト9、5月14日)
# by krmtdir90 | 2018-05-15 10:23 | 本と映画 | Comments(0)

映画「孤狼の血」

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 こういう映画を年に何回か無性に見たくなる。こういう映画というのは、ヤクザやチンピラや暴力団が抗争を繰り広げる映画なのだが、最近はそういう映画がなかなか見られなくなってしまった。この映画の予告編をどこかで見てから、ずっとこの封切りの日を待っていたような気がする。岩に砕ける波しぶきの東映マークが出て、いやが上にも期待は高まった。こういう映画には似合わない製作委員会方式が採られたようだが、出来上がった映画は東映が元気だった時代を十分に彷彿とさせるものになっていた。期待通りだったと言っていい。日本映画では、こういうストレートに危ない映画を年に何回かは見たいものだと思う。

 この映画は、暴力団の抗争を向こうに回して闘う常識外れの無法マル暴刑事と、それとコンビを組まされた新米刑事の二人組を描く、いわゆるバディものというジャンルの映画だった。広島県呉市でオールロケを敢行したらしいが、架空の呉原市というのが舞台になっていて、行き交う広島弁はあの「仁義なき戦い」をかなり意識しているということなのだろう。
 呉原東署刑事二課の巡査部長・大上章吾というのがそのマル暴刑事なのだが、その捜査手法たるや暴力団も顔負けの無茶苦茶ぶりで、最初から違法かどうかというような視点はまったく持ち合わせていないのである。ベテラン役所広司がさすがの存在感で、この役を伸び伸びと楽しそうに演じている。
 コンビを組まされた広大出の新米巡査・日岡秀一を松坂桃李が演じていて、最初はとてもついて行けない感じの反撥から始まって、次第に大上という刑事の本当の姿を知って行くにつれ、その「孤狼の血」を受け継いでいくというのがストーリーの骨子となっている。ストーリー的に役所の方が主役かと思いきや、彼は終盤近くであっさり殺されてしまい、実はこの日岡が主人公だったという展開は面白かった。松坂桃李というのは初めて見る役者だったが、その終盤あたりの変貌をなかなか見事に演じ切っていて感心した。

 監督の白石和彌はあの「日本で一番悪い奴ら」(2016年)の監督だが、今回の映画でその力量を遺憾なく発揮したと思う。この吹っ切れた撮り方は誰でも簡単にできるものではない。いま東映でこういう映画を撮ることへの覚悟のようなものがひしひしと伝わってきた。テレビでは絶対に放映できないような危ないシーンが続出するし、あまりえげつないのは好きではないが、まるでたがが外れたような過激な暴力描写などは、ここまでやるのかとびっくりした。まったく突然に、そういうものがマックスのかたちで噴出する感じは怖かった。
 こういう世界を描く時、東映というブランドが用意する役者の顔ぶれはやはり凄い。呉原市に対峙する2つの暴力団組織を始めとして、様々に配置された人間関係を構成する役者たちの存在感が半端ではなかった。一々挙げていくとキリがなくなるが、江口洋介(尾谷組若頭・一之瀬)、竹野内豊(加古村組若頭・野崎)、ピエール瀧(右翼団体代表)、石橋蓮司(加古村組の上部団体会長)といったところを始めとして、一癖も二癖もある面々が実に贅沢にキャスティングされていた。呉原の人気クラブ「梨子」のママをやった真木よう子も良かった。

 この映画には同名の原作(柚月裕子作)があったようで、それは2015年下半期の直木賞候補作になっていたらしい。ちょっとインターネットで選考経過を調べてみると、残念ながら9人の選考委員全員が否定的な意見を述べていた。映画でも感じたことだが、ストーリー展開のポイントとなる死体の処分方法で、船があるのだから沖に出て海底に沈めればいいものを、わざわざ島に上陸して埋めてきたというところなど、ご都合主義と言われても仕方がないと思った。
 また、映画では原作にない薬局の娘・桃子という役(阿部純子)が作られたようだが、松坂桃李の日岡とのエピソードが非常に生きていたと思った。大上が吸っていたハイライトを小道具としたラストシーンも洒落ていて良かった。映画になって原作にふくらみが出て、人物にリアリティが注入されたということなのかもしれない。元々、別にだからどうだというストーリーではないが、映画が違和感なく面白く見られるかどうかは、現実離れしたストーリーであればあるほど、登場人物の存在感が重要なのだということがよく判る映画だったと思う。
(MOVIX昭島、5月12日)
# by krmtdir90 | 2018-05-14 22:37 | 本と映画 | Comments(0)

映画「悲情城市」

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 去年、いわゆる台湾ニューシネマの作品を少し追いかけることになり、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の映画も「冬冬(トントン)の夏休み」(1984年)と「恋恋風塵」(1987年)の2本を観ることができた。この「悲情城市」(1989年)は、非常に興味があったのだが観る機会に恵まれなかった作品である。
 新宿K's cinemaで「台湾巨匠傑作選」という特集上映をやっていて、その中に「悲情城市」がラインナップされていることを知って出掛けてきた。かなり時間の余裕を見て行ったのだが、ロビーにはすでにかなりの人が待っていて、購入したチケットの整理番号は54番となっていた。その後も訪れる人は続き、開場前に84席はすべて売り切れてしまったようだ。
 そんなわけで、完全な満席での鑑賞というのは(たぶん)初めてだったが、わたしとしては好みの前寄りC列の座席が確保できたので良かった。それと、この回は終映後にトークショーが設定されていて(行ってから知ったのだが)、字幕翻訳家の田村志津枝さんという方のお話しが聞けたのも良かった。この映画の背景や、台湾で公開された時の反響などについて、非常に興味深いお話しを聞くことができた。たいへん参考になったと思う。
 あと、上映が始まって驚いたのは、これが昔のアナログフィルムによる上映だったことである。調べてみるとすでにDVDも発売されていて、デジタルリマスター版が製作されているはずだから、どうしてこういう上映方式になったのか、そのあたりの経緯はよく判らない。30年近く前のフィルムが使われたようで、特に継ぎ目のあたりではキズなどの損傷も目立ち、何より色彩がかなり劣化してしまっていたのが(仕方がないとはいえ)残念なことだった。

 この映画は、日本による長い台湾統治が終わりを告げる1945年8月15日から始まり、蒋介石が大陸での国共内戦に敗れ、国民党政府が台湾に渡って台北を首都とした1949年12月まで、4年あまりの台湾社会を描いている。日本の統治から解放されたのだから良かったではないかなどと、日本人の一人としてきわめて浅薄な知識しか持っていなかったことを恥じなければならない。
 「台湾光復」と呼ばれた日本降伏以降、大陸から入って来て政治的実権を握った外省人と、日本統治を経験した本省人との間で対立が激化し、1947年に台北で起こった二・二八事件という大規模な衝突を契機に、外省人の本省人に対する徹底的な弾圧が常態化して、多くの犠牲者を出すことになった。1949年以降は国民党政府の一党独裁が強まり、1987年まで40年近く続くことになる戒厳令の下で言論の自由が制限されて、知識人や左翼分子を弾圧する白色テロの恐怖政治が続けられた。
 この映画が作られた1989年は、その戒厳令が解かれてまだ2年経過したに過ぎず、それでもようやく見えてきた民主化への動きの中で、それまでタブーとされて来た二・二八事件を初めて描いた台湾映画ということになったようだ。先の田村志津枝さんのお話しによれば、この映画が公開されて台湾全土で爆発的な大ヒットとなったのは、長く続いた戒厳令下の厳しい生活を経験した人々に、複雑な共感とも言うべきものとともに受け入れられたということだろうという。もちろん、当時はこんな生やさしいものではなかったという批判も一部にはあったと彼女は付け加えていた。
 この映画は、戒厳令下ではとうてい作ることのできなかった映画だが、その間に「冬冬の夏休み」とか「恋恋風塵」といったある意味私小説的な小品を撮りながら、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督が時代情勢の変化を睨みつつ、着々と準備を重ねていたことが素晴らしいと思った。この映画を発表した時、彼は42歳で、この映画に力を得たと思われる盟友・エドワード・ヤン(楊徳昌)が、1950年代末から60年にかけての戒厳令下を背景とした「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を発表したのは1991年、44歳の時のことだった。

 さて、わたしはどうしてもこの「悲情城市」を「牯嶺街少年殺人事件」と比べてしまうのだが、映画としては「牯嶺街」の方が圧倒的に共感度が高いと感じたのである。それは、それぞれの映画に登場してくる多数の人物に対する共感度の差だったと言っていい。人物の多彩さとそれに対する目配りの確かさは、「悲情城市」は「牯嶺街」にやや及ばないように感じた。
 それは恐らく、「悲情城市」が戒厳令が終わってまだ間もない時に、最初に台湾現代史の暗部を取り上げようとしたという、映画製作の歴史的意義を考えた結果として避け難いものだったのかもしれないと思う。その時代を生きた人々にどう共感されるかというところで、この映画はまず何よりも台湾(の人々)のための映画であることが必要だったのだ。
 「牯嶺街」にとって「悲情城市」という先行作品の存在は非常に大きなものがあったと思うし、2作の間にある2年という時間差は、想像以上に大きなものだったのだろうと思う。「牯嶺街」が、歴史に翻弄され押し潰されていく大人たちの前に、圧倒的な少年たちの瑞々しい群像を置くことができたのはたぶんそのせいである。
 しかし、そうは言っても、それはやはりエドワード・ヤンとホウ・シャオシェンという2人の映画監督の、人間を見る目の差(視点の置き方の差)ということが影響しているようにも感じられる。比較すれば、どうしてもエドワード・ヤンの方が深く根源的であると言わなければならない。ホウ・シャオシェンの作り方がつまらないと言うつもりはないのだけれど、「悲情城市」に出てくる人物たちというのは、その切り取り方や並べ方において、やはり少し図式的で俗ではないかと感じてしまうのである。これは、「牯嶺街」は3回も見直したのに、「悲情城市」はまだ1回しか見ていないということも関係しているかもしれない。

 「悲情城市」が描くのは、台湾北部の町(基隆市)で代々船問屋を営む林家の人々と、その周囲にいた人々がたどった運命である。林家の当主・75歳の阿祿の4人の息子たち、次男は日本軍に徴用され南洋で行方不明となっていて登場しないが、長男・文雄、三男・文良、四男・文清にスポットが当てられている。この周囲にはさらに多くの人物が配されており、その関係や動きなどが錯綜してやや判りにくいと感じるところがあり、また、三男・文良については戦争帰りの狂気と正気の間を行き来するところがもう一つ判然としなかった。
 これは、「牯嶺街」と同様、この映画もあまり説明的な描き方をしていないということがあって、1回だけの鑑賞では全部を追いかけるのが難しかったということかもしれない。だが、両者を比較して言えば、ホウ・シャオシェンの方が人物の外面的なものに寄った捉え方をしている感じがあって、そのぶん主要人物の運命を突き放して見ているような印象があったと言っていいように思う。ホウ・シャオシェンは人間の運命を翻弄する時代(歴史)状況の方に興味が向いていて、エドワード・ヤンは時代背景の前面で生きる人間そのものにより強い視線を注いでいるように思われた。
 ホウ・シャオシェンが四男・文清の生き方に力点を置いているのは明らかだが、恋人・寛美の兄で親友でもある寛榮を反体制(反国民党)の活動家になっていく一途な青年として登場させ、文清をその影響を受ける純情な青年と設定したところに、台湾現代史を描くに当たってのこの映画の立ち位置が鮮明に表れているのではないかと思った。文清は映画の終盤で寛美と結婚し、男の子が生まれて未来への光を感じさせる展開となるが、結局は国民党軍に逮捕されてその後の消息は不明となったまま映画は終わるのである。それより前に、三男・文良もスパイ容疑で軍に逮捕されており、一家を支えた長男・文雄は、一方で悪事に絡んでいだ文良のトラブルに巻き込まれて射殺されてしまう。最後には、林家には老当主・阿祿と女性と子どもたちだけが残されるのである。

 「牯嶺街」の236分には及ばないが、この映画も上映時間159分という大作であり、細部に触れ始めるとキリがないことになってしまう。この映画には非常に心に残る場面がたくさんあったのだが、描かれたエピソードの多くが、ああこの時代にはこんなことがあったのかという、戒厳令下では触れることが許されなかった多くの歴史的事実を表に出したという意味で、貴重な記録の集積になっている面があったということなのだろう。二・二八事件についても、この映画は直接その現場に入って描いているわけではないが、寛榮と文清が事件の起こった台北に行ったことで、彼らが受けたであろう影響についてはきちんと描いているのである。
 日本の降伏を伝える玉音放送が、台湾のラジオからも流れていたオープニングの場面は印象的だった。ここから、その後の一時の開放感が、外省人と国民党の流入によって次第に暗転していく空気感を、この映画は実に丁寧にすくい上げていると思った。それぞれのエピソードの背後にあるものを、その微妙なニュアンスというものを、日本人の自分がどこまで感じることができたかは判らない。だが、知らなかった歴史を知ることによって、日本人もそれを理解することは可能なのだと信じたい。半世紀に及んだ日本統治の結果として、このように混乱した辛い期間を台湾に生じさせてしまったことは事実だからである。
(新宿K's cinema、5月9日)
# by krmtdir90 | 2018-05-11 22:01 | 本と映画 | Comments(0)


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