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主なテーマ、最近は映画ばかりになってしまいましたが、この何年か海外旅行にも興味があって、もともとは鉄道旅、高校演劇、本などが中心のブログだったのですが、年を取って、あと何年元気でいられるかと考えるようになって、興味の対象は日々移っているのです。
by natsu
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」

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 見てからずいぶん日にちが経ってしまったし、書こうかどうしようか迷ったが、非常に興味深く見たのだから、一応記録に残す意味でも書いておくことにする。
 音楽にはほとんど縁のない生活を送ってきたから、クイーンというバンド名を聞いても浮かんでくるものは残念ながら何もなかった。それでも見に行ったのは、映画として何となく面白そうな気配を感じたからである。この予感は的中した。わたしのようなクイーンのことを何も知らない者でも、この映画は何の支障もなく楽しめるものになっていた。

 映画はクイーンのヴォーカルだったフレディ・マーキュリーの半生を軸に展開している。ファンであれば誰でも知っていることなのかもしれないが、彼の複雑な生い立ちや容姿(出っ歯)に対するコンプレックス、メンバーとの出会いやクイーン結成に至る経緯など、まだ何者にもなり得ていない時期を描いた部分がまず興味深かった。彼は17歳の時、熱心なゾロアスター教徒だったインド人の両親とともにイギリスに移住したようだが、家族との折り合いは悪く、バンドをやりたいというひそかな野心を抱きながら、夜ごとロンドンのパブなどを徘徊していたらしい。そうした描写から、映画は彼の音楽に対する一途な情熱を丁寧に描き出していく。
 クイーンのメンバーが4人揃って活動を開始したのは1971年だったというが、映画はその後の、様々な曲の製作過程やレコーディングの様子、またそれらがヒットして世界中に出て行くようになったツアーのライブシーンなどを克明に映し出している。この映画はドキュメンタリーではないから、メンバー4人を始め実際の人物や出来事をすべていまの役者たちで再現することになるのだが、これが実に見事な出来栄えで驚かされた。

 実際のクイーンの映像がたくさん残っているわけだから、中途半端な再現ではとうてい観客を納得させることはできないだろう。フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックを始め、他のメンバーも合わせて、どこまで本物のクイーンになり切れるかというところが生命線となった映画だったのである。演奏の音源はすべて本物の録音を発掘して使用したようだが、映像の方はそうはいかない。実際の映像で本物のフレディを知っている観客もたくさんいる以上、そのステージ上での動きなどは、細かな表情や小さな仕草の一つ一つに至るまで、恐らく驚くべき緻密さで模倣されたのだろうと想像された。
 そういう意味で圧巻だったのは、映画のクライマックスとなった「ライブエイド」での21分間だろう。これは1985年に行われたアフリカ難民救済のチャリティーコンサートで、世界中のアーティストが集結して演奏を行ったものらしい。映画はそのライブシーンを忠実に再現して見せているのだが、7万人を超えた観客はCG合成だったとしても、ライブそのものは生身の役者の肉体によって完璧にコピーするしかなかったはずである。これが映像的に何の違和感もなく、その高揚感や興奮をほぼ完全に再現していたのが驚きだったのである。これは簡単なことではないし、これだけでこの映画を見る価値があるというものだと思った。

 フレディ・マーキュリーはその高度な歌唱力と圧倒的なステージパフォーマンスで、世界中の観客を巻き込み魅了し続けてきたらしい。映画のラミ・マレックはその魅力を十二分に表現していたと思う。実際のフレディ・マーキュリーはきっとこういう感じだったのだろうなと、有無を言わせぬ迫力で納得させてしまう存在感を放っていたと思う。後半、メンバー同士の齟齬やフレディの孤立を描くところも的確に演出されていて(監督:ブライアン・シンガー)、表の華やかさとは裏腹の陰の部分もしっかりと描き出されていたと思う。
 フレディがバイセクシュアルだったことも描かれていたが、現代のようにLGBTがオープンになっていない時代にあっては、彼の孤独や屈折はより深いものがあったと推測される。逆に、いまはそういうことを率直に語れるようになったので、それに呼応してこの映画が(フレディのドラマとして)作られたことも理解できる気がした。彼はエイズ感染によって1991年に45歳の若さで亡くなったというが、この映画は単なるサクセスストーリーではなく、フレディ・マーキュリーという天才アーティストの紆余曲折をしっかりたどって見せた伝記映画として、見事な成功を収めていたのは大したものだと思った。けっこうジーンと来たんだよね。
(立川シネマシティ2、11月15日)
# by krmtdir90 | 2018-11-24 20:38 | 本と映画 | Comments(0)

映画「あん」

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 樹木希林が9月に亡くなって、あちこちの映画館で追悼上映が行われたようだが、それもそろそろ一段落というところで、せっかくだから一本ぐらい見ておくかなと思って選んだのがこの映画。予備知識はまったくなし、久し振りのユジク阿佐ヶ谷なので行ってみる気になった、というところ。ところが、行ってみて驚いた。土曜日だったこともあってか、44の座席はほぼ満席で、さすがは樹木希林、ファンがたくさんいたのだなと再認識した。
 わたしは長いこと映画から離れていたから、特定の役者や監督に注目しても、大概はその人を知らない期間というのがあって、あまり深入りすることができないのを残念に思っていた。樹木希林が癌にかかっていることを明かしたのは2013年だったようだが、わたしが知っている(役者としての)樹木希林は、この死を意識してから出演した幾本かの映画だけなのである。「海街diary」「海よりもまだ深く」「万引き家族」といった是枝裕和作品では、脇役の位置ながら素晴らしい存在感を示していたのに驚いたのだが、先日見た「日日是好日」ではほぼ主役に準じるところで見事な演技を見せてくれていた。
 この「あん」は「海街diary」と同じ2015年に公開された映画だったが、樹木希林の名前がクレジットの最初に出てくる、彼女としては非常に珍しい主演映画ということだったのだ。冒頭に掲げたポスターは今回の追悼上映に向けて特別に作られたものらしいが、「最後の主演作」とあるのはそういう意味だったようだ。

 それにしても、何の予備知識もなく見に行ったから、これがハンセン病のことを扱った映画だというのも見始めてから初めて知った。はっきりとしたテーマと主張を持った映画だと思ったが、かなり踏み込んでハンセン病の悲劇を描いていながら、それを前面に出すのではなく、こんなふうな前向きで温かい人間ドラマとして構築して見せたところが素晴らしいと思った。
 この映画の樹木希林は、とにかく圧倒的な存在感を放っていたと思う。それは樹木希林には違いないのだが、彼女の役である吉井徳江として文字通りそこに存在していたということである。役を演じたというより、その役として生きて見せてくれたという気がした。どんな役をやってもその役者自身にしか見えない役者も多い中で、樹木希林のように自身を限りなく後退させて、役そのものを表現してくれる役者というのは希有なものだなと思った。
 河瀨直美監督(脚本・編集も)の映画を見るのは初めてだったが、徳江と絡む千太郎(永瀬正敏)やワカナ(内田伽羅)といったところも、演じるというより存在するという感じで出てきていたので、たぶんこの監督がそういうふうに撮ろうとしていて、樹木希林やその他の役者たちが、それに見事に応えたということなのだろうと想像した。監督と樹木希林に触発されたのかもしれないが、永瀬正敏が非常に説得力のある演技を見せていたと思う。

 小さなどら焼き屋「どら春」で雇われ店長をしているのが永瀬正敏の千太郎で、アルバイト募集の張り紙を見て働きたいとやって来た老女が樹木希林の徳江である。徳江の作る「あん(粒餡)」の美味しさが評判になり店は繁盛するが、徳江が過去にハンセン病患者であったことが噂になって客足が途絶え、千太郎は店のオーナーに言われて徳江を辞めさせるしかなくなってしまう。
 あらすじだけでは映画の良さは見えてこないが、千太郎が毎日どら焼きを焼きながら、そのことに気持ちが入っているわけではないことが次第に見えてくる。どうやら訳ありの過去を持ち、オーナーに肩代わりしてもらった借金を返すため、甘党でもないのにどら焼きを焼いているのが判ってくる。徳江がやって来た時、千太郎は時給はいくらでもいいと妙に熱心に言ってくる彼女の意図が読めないまま、婉曲な言い回しで断ろうとするのだが、彼女は別の日に自作の「あん」をタッパーに入れて持って来たりする。こうしたシーンの積み重ねの中でやり取りされるセリフや動作など、その何ということもないショットの連続から、彼らの抱えている様々なものがどんどん明らかになってくる。
 これを河瀨直美監督の演出力と言っていいと思うのだが、この映画の、さり気ないものが人物のいろいろなことに結びついていって、彼らの生の様々な側面を次々に浮かび上がらせていくという、この脚本・編集を合わせた監督の描き方というのは実に見事なものだと思った。徳江がハンセン病だという話を千太郎のところに持ってきて、暗に辞めさせるように迫るオーナーは(かつてのアイドル)浅田美代子だったが、出番は少ないもののハンセン病に対する「世間」の現実を、悪意ではなく否応なくそこにあるものとして表現していたと思う。

 わたしはハンセン病についてある程度のことは知っていたが、この映画を見たあと改めて調べて以下を書いておくことにする。
 1931(昭和6)年に制定された「らい(癩)予防法」によって、わが国ではハンセン病患者の人権を無視した強制隔離政策が実行された。映画にも出てきた多磨全生園(たまぜんしょうえん)を始め各地に作られた国立療養所は、医療ではなく断種や堕胎などを強制する終身収容施設として機能してきた。実は、ハンセン病は感染力のきわめて弱い病気であることが早くから判っていて、戦後になって治療法も確立したことから、1958(昭和33)年には国際らい学会というところがわが国の行き過ぎた隔離政策を是正するように勧告しているのである。しかし、信じ難いことだが、「らい予防法」が廃止されたのはそれから40年近くが経った1996(平成8)年になってからで、この間ハンセン病患者の人権は放置されたまま回復されることはなかったのだ。
 わたしはこの間の経過を詳しくは知らなかったし、実際に長期間隔離されてきた人たちがいまどうしているのかといったことは、まったく知ろうともしてこなかったのである。この映画は、主人公の徳江が、すでに完治していたにもかかわらず閉じ込められてきたことを後半明らかにしつつ、彼女の一連の言動に見え隠れする不思議な感性が、ようやく外の世界に出ることができた喜びから来たものだったという、何とも切ない事実を浮き彫りにしてみせるのである。

 見終わって、なんかいろいろなことを考えてしまったが、うまくまとめることができないまま日にちが経ってしまった。まあ、そういうこともある。
 非常にいい映画だったと思って調べてみたら、この年のキネマ旬報ベストテンでは10位以内に入っていなかった。そういうこともあるのかもしれないが、これはちょっと、いくら何でも納得することはできないと思った。
(ユジク阿佐ヶ谷、11月10日)
# by krmtdir90 | 2018-11-16 22:12 | 本と映画 | Comments(0)

映画「ヴァンサンへの手紙」

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 ヴァンサンというのはレティシア・カートン監督の親友だった聾(ろう)者で、10年ほど前にみずから命を絶ってしまった人物らしい。理由は触れられていないが、生前の彼はろう者の生きにくさについて監督に語っていたようで、ろう者のことをもっと知ってもらうため、一緒にドキュメンタリー映画を作ろうと約束していたのだという。約束は果たされぬまま彼は死んでしまい、その後、レティシア監督は一人で少しずつろう者の世界を撮影し始めたらしい。
 レティシア監督はろう者ではないが、ろう者のヴァンサンがなぜ死ななければならなかったのかをずっと考えてきたのだろう。この映画で彼女は、10年間みずからの内に積み重ねてきたヴァンサンへの思いを語ろうとしている。映画の邦題は「ヴァンサンへの手紙」となっているが、フランス語の原題をそのまま邦訳すると「ろう者の視点であなたに寄り添う」というものだったようだ。「聾者」の対語を「聴者」と言うらしいが、聴者であることを当然と考えてしまうと、ろう者は障碍者であり障碍は治療すべき対象ということになってしまう。それでは両者がつながることはできないだろう。
 レティシア監督は、聴者が聴者の価値観でろう者を判断してしまうのは誤りだと気付いている。彼女はこの映画で、ろう者が何を感じ何を考えているのかをろう者の立場に立って見出そうとしている。彼女は聴者だから、彼女が聴者の価値観を持ってしまうのは仕方がないことである。だからこそ、ろう者の視点とはどんなものなのかを突き詰めなければならない。耳が聞こえないことを欠陥と考えるのではなく、様々な個性の中の一つと考えるべきなのではないか。

 わたしはこれまで、身近にろう者がいるという経験はしてこなかった。だから、ろう者についてこの映画で初めて知ることがたくさんあった。申し訳ない気がするが、これは仕方がないことである。以下、それを少し書いておこうと思う。

 ろう者のことを「聾唖(ろうあ)者」と言うことがあるが、ろう者は耳が聞こえないことで音声言語が習得できず、そのままでは言葉を話すことができない(口がきけない)「唖(あ)者」となってしまう。「ろう教育」はこれに対応していくことになるが、ろう者の言語をどのようなものと考えるかという点で2つの異なる立場があったらしい。わたしのような門外漢はすぐに「手話」を連想してしまうのだが、ろう教育では手話に頼ることは子どもの成長を遅らせるとして、1880年にイタリア・ミラノで開かれた国際ろう教育者会議というところで、手話を禁止する決定がなされたのだという。
 この時、手話に代わって提唱されたのが「口話」というもので、ろう者に対する授業はすべて音声で行い、ろう者には読唇術の習得と発音(発声)練習を必須のものとして、彼らを話せるようにする教育がずっと行われることになったらしい。補聴器や人工内耳といった新しい技術も取り入れられ、話せることは素晴らしいことで、話せないのはダメなんだという一方的な価値観でろう者を追い込んでいったようだ。この考え方は、2010年にカナダのバンクーバーで行われた国際ろう教育者会議で、ミラノの決定を棄却することが決まるまでの130年もの間、世界のろう教育のあり方を縛り続けてきたということだったようだ。
 だが、「口話」は結局のところ、聴者をろう者より上位に置き、その言語をろう者に押しつけるものでしかなかったのだ。これがろう者にどんなに大きな負担と苦しみを強いてきたかということに、聴者は気付くことがなかったのである。ろう者は子どもの時から口話教育を受けさせられることで、自己形成のすべての過程で、「聾(ろう)」であることを否定され続けてきたのだった。

 これに対し、「手話」は話せないことを前提とする言語である。手話はろう者に対して、話せないままでいいんだと肯定することから始まっているのである。だから、ろう者は誰でも自然にそれを受け入れることができた。だから、会議や学校で禁止されても、今日まで廃れることなく続いてきたということだったのだ。ろう者は手話を必要としていたのである。
 この映画は、手話をろう者固有の言語と捉え、その素晴らしさと可能性についていろいろな角度から描こうと考えている。死んだヴァンサンと交流があったろう者の家族や、聴者のレティシア監督とつながりができたろう者の仲間たちの日常というような、手話を通した様々な生き方や考え方が紹介されている。禁止が解かれてまだ10年にもならないので、手話の普及はまだ緒に就いたばかりなのだが、その中には私の知らなかった非常に興味深い取り組みも含まれていた。
 フランスのトゥールーズにある、ろうの子どもたちのためのバイリンガル校。ここは手話を第一言語、読み書きを第二言語と設定していて、授業は基本的に手話によって行われている。その様子は初めて見ることばかりで、子どもたちの生き生きとした生活が、口話ではなく手話によって実現されていることがよく判るものだった。また、フランスで唯一のろう者のための劇場、国際視覚劇場(IVT)。ろうの俳優による手話劇や手話詩といった試み、聴者の歌手とろう者との交流など、様々なろう者の文化が形成されていることが記録されている。
 最初の方にあった、ろう者の手話講師による手話教室の様子も興味深かった。音声言語を追い出して、アイコンタクトを基本とした視覚情報に集中することで、固有のコミュニケーションが成立するというのはなるほどと思った。さらに、ろうコミュニティの権利擁護を目指して、パリからミラノまでデモ行進を行う数人のろう活動家のことも紹介されていた。

 この映画の中には様々な手話が捉えられていた。手話通訳がついたり、字幕がついたりしたものもあったが、そういうものが一切ないかたちで、手話する人物と受け取る人物とが、ただそれだけで映し出されるものもあった。手話で絵本の読み聞かせをしているシーンが2回あったと思う。1回は子どもを寝かせつけようとする父親の読み聞かせ、もう1回はバイリンガル校での先生の読み聞かせだった。その目まぐるしく変わる表情や身振りなど、ああこれが手話というものなのかと、その面白さを初めて知ることができたような気がした。
 聴者であるレティシア監督は、常にろう者のヴァンサンならどう考えるだろうと想像しながら、あらゆる場面を撮っていたのではないかと思った。聴者とろう者は違う世界に生きているのであって、その違いを意識した上で、なおお互いを理解し合うことは非常に難しいことである。だが、レティシア監督はそれをやり切ったと言っていいのではないか。この映画を見ることで、われわれ聴者はろう者の世界を少しだけ知ることになるだろうと思った。知らなかったろう者の世界が少しだけ身近なものになり、少しだけろう者の視点に立てるようになるのかもしれない。映画がそういう役割を果たすことは、きっと素晴らしいことであるに違いない。
(アップリンク渋谷、11月9日)
# by krmtdir90 | 2018-11-13 22:17 | 本と映画 | Comments(0)

映画「バグダッド・スキャンダル」

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 湾岸戦争(1991年)とかイラク戦争(2003年)とか、中東をめぐる情勢は複雑で理解し難いことが多いが、これはサダム・フセイン支配下のイラクで、人道支援目的で国連が実施した「石油食料交換計画(Oil For Food Program)」をめぐって起こった、史上最悪と言われた汚職事件を描いた映画である。元国連職員、デンマーク出身のマイケル・スーサンの告発で明るみに出たらしいが、事件がすべて解明されてしまうとその影響があまりに広範に及ぶため(国連職員の他に世界56ヶ国の政府高官や2000以上の企業が絡むと言われた)、各方面から全容解明を阻む動きが加わったようで、真相は結局うやむやのまま現在に至っているということらしい。
 「石油食料交換計画(OFFP)」とは何か。湾岸戦争の際、サダム・フセインのイラクには国連による経済制裁が科せられたが、その内容はイラクの輸出入をすべて禁止するという厳しいものだった。このため、イラク国内は深刻な食糧不足や医療品不足に陥り、貧困層の子どもなどを中心に多くの死者を出すことになってしまった。この事態を人道的に救済するため、国連の管理下で一定量の石油の輸出を認め、その代金を国連がプールして、食料や医療品など必要な人道支援に直接充てられるようにしたプログラムである。しかし、膨大な予算がつぎ込まれる事業だったため、様々な利権や思惑などがからみ合い、底なし沼の汚職スキャンダルに発展していったようだ。

 映画は、告発者マイケル・スーサンをモデルとした24歳の青年、マイケル・サリバン(テオ・ジェームズ)が国連職員として採用され、国連事務次長コスタ・パサリス、通称パシャ(ベン・キングスレー)の下でイラクのバグダッドに赴任し、この「石油食料交換計画・OFFP」に携わっていくうちに、背後のスキャンダルをめぐる争いに巻き込まれていくというものである。
 硬派のポリティカル・サスペンスといった感じの映画だが、こういう難しい題材を文句なしの娯楽作品に仕上げてしまうところが素晴らしいと思った。こういうリアルな背景を持って展開するストーリーというのは、見ていて理屈抜きに面白いし大好きである。デンマーク・カナダ・アメリカ合作の映画だったが、監督・脚本はデンマーク出身のペール・フライという人で、非常に切れ味鋭い演出をする監督だなと思った。

 バグダッドにある国連の現地事務所の所長はクリスティーナ・デュプレ(ジャクリーン・ビセット)という女性で、彼女は「石油食料交換計画・OFFP」が破綻しているという報告書をニューヨークの国連本部に送ろうとしている。マイケルの上司である事務次長パシャは、このプログラムがすでにスキャンダルにまみれていることを承知しているが、それでもないよりは民衆の助けになっているとして、デュプレ所長の報告書を阻止しようと画策している。マイケルの周囲には、この2人の他にもプログラムをめぐる様々な利害関係が錯綜していて、この状況下でマイケルはどう動くのかというのが映画の当面の興味になっている。
 映画ではさらに、通訳のナシーム・フセイニ(ベルシム・ビルギン)という女性をマイケルに絡ませ、2人の間に恋愛模様まで生まれてくるという展開を用意している。このナシームはイラク北部出身のクルド人という設定になっていて、サダム・フセインによって迫害されてきたイラクのクルド人という問題が、さらにもう一つの重要な要素として関係してくることになるのである。

 バグダッドの事務所でマイケルの前任者だった国連職員は、「OFFP」に関するスキャンダルの核心情報を入手したため殺されたことが、ナシームの口から語られる。彼女はこの情報が入ったUSBメモリーを入手していて、今度はこれをマイケルに託すのである。映画としては、このあといろいろなことが目まぐるしく展開し、暗号化されたこの情報は映画の終盤になって解読され、マイケルの手でニューヨークのウォール・ストリート・ジャーナル社に持ち込まれることになる。だが、そこまでにデュプレ所長やナシームも殺害されてしまうのである。
 事務次長パシャはスキャンダルに絡んでいたが、逃亡してしばらく隠遁生活を送ったことが描かれている。多くの国連幹部、政治家や高官、さらに関連企業の幹部などの名前が挙がったが、中で大きな衝撃を与えたのは、経済制裁の対象であったサダム・フセインが、この「OFFP」の取引で100億ドルもの裏資金を得ていたことだった。フセインを追い込むための計画が、逆に彼を富ませる結果となっていたのである。ただ、2003年のイラク戦争勃発とフセイン拘束の後、同年末までにこの「OFFP」は終了することになったようだ。 

 国連主導の人道支援などと言うと、それだけで何となく信じてしまうようなところがあるのではないか。だが、巨額の予算が動くところでは、国連と言えども聖域というわけではないのだ。支援物資の医薬品が横流しされ、病院に届くのはすり替えられた期限切れの薬ばかりだと暴露されるシーンがあったが、救われるべき命が救われないケースも、案外たくさんあったということなのかもしれない。
 国連の平和維持活動などというのも果たしてどうなのかと、疑わなければならない気分になってしまうのは残念なことである。非常に面白い娯楽映画でありながら、重いテーマを考えさせられるものになっているのが凄いと思った。
(新宿シネマカリテ、11月6日)
# by krmtdir90 | 2018-11-08 13:35 | 本と映画 | Comments(0)

映画「日日是好日」

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 「にちにちこれこうじつ」と読む。森下典子の同名の自伝エッセイを映画化したもので、映画の方もあまりドラマチックにはならず、エッセイ風の淡々とした作りになっているのが特徴的だった。原作は、著者が20数年にわたって通った茶道教室でのあれこれを綴ったものらしく、映画も主人公のお茶の稽古を追いながら進んで行く。見る前はそんなもののどこが面白いのかと思っていたが、これが予想外で、けっこう印象的で興味深いことが次々に出てきて、最後までまったく飽きることなく楽しく見ることができた。
 監督・脚本の大森立嗣を始め、主要なスタッフ・キャストが誰も茶道を知らなかったというところが良かったのではないか。原作者の森下典子も最初は何も判らず習い始めたわけで、この、みんながゼロからスタートした(その視点をずっと失わなかった)ことが作品を面白くしていたのではないかと思う。原作は読んでいないから何とも言えないが、少なくとも映画では、未知なる茶道への好奇心といったものがずっと持続されていたのが良かったのだと思った。主人公・典子を黒木華、茶道の武田先生を樹木希林が演じていたのも良かった。

 典子がお茶を習い始めたのは20歳の時で、それも自分から積極的に通い始めたわけではなかった。母に勧められても乗り気になれない彼女は、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子)に一緒にやろうと誘われて、何となく付いて行っただけだったのだ。始まりというのは案外そんなものなのかもしれない。きっかけを作った美智子は途中で止めてしまったが、彼女の方は途中何度も足が遠のくことはあっても、結局40歳半ばになるまで続いてしまったのだ。続いたということはたぶん彼女に合っていたということで、これだけ続くと最初は見えなかった様々なことが見えてきたり、お茶の面白さを感じる時も出てきたりするようになる。
 真面目だけれど融通が利かない、不器用でなかなか思い通りの人生を掴めない、でも彼女には案外一途で粘り強いところがあったのかもしれない。こういう単純ではない、はっきりしない性格の役をやらせると黒木華はホントに上手い。いつの間にか茶道が彼女の支えになっているというような、年齢とともに変化していく様をしっかり見せていたと思う。

 武田茶道教室は、古風な日本家屋の8畳ほどの部屋で行われ、映画はその稽古の様子を逐一細かく写し取っていく。限定された室内で、なおかつ繰り返しが基本となるような稽古風景というのは、映像的には扱いがかなり難しい題材ではなかったかと思われる。だが、この映画はまったく単調さを感じさせないばかりか、むしろ面白くて目が離せなくなってしまうことが驚きだった。
 ガラス戸越しに見える庭先の様子、掛け軸などの室内の設えの変化、また身につける衣装の違いといったものが、季節の移ろいや、その時々の人物の気持ちなど、実に多くのことを語っているのだった。最初は戸惑うばかりだった茶道の「かたち」も、それが次第に身についてくることで生まれる微妙な変化など、こんなにいろんな見どころが発見されるものだとは思わなかった。
 茶道への「導き役」となる武田先生の存在感が、この映画をしっかり支えていたと思う。最初の方で彼女が言う、「意味なんて判らなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」と言う言葉が、非常に印象深かった。
 樹木希林はこの映画が最後の作品になってしまったが、お茶をやったことがないのにいかにもお茶の先生という、その「らしさ」をちゃんと醸し出して見せたところはさすがだと思った。黒木・多部という若い2人を向こうに回して、彼らと交わす絶妙なやり取りや、さり気ない表情や間などから生まれる微妙なユーモアといったもの、彼女が作り出すこの温かい雰囲気は素晴らしかった。

 20数年の間に、典子の上には様々なことが起こっていくのだが、そのほとんどは映画では直接的に描かれることはなく、すべてが週に一度の稽古の中に溶かし込まれていく。彼女の家族のことや美智子との日常も点描されているが、それらはあくまでお茶の稽古の背景なのであって、そちらが前面に来て詳しく描かれることはなかった。大学を出てから、典子は就職に失敗し、出版社でアルバイトをしながら茶道を続けるのだが、対照的な性格だった美智子は商社に就職したのち、結婚を機に仕事も茶道もスッパリ止めてしまう。
 一方の典子は、恋愛をするが失恋に終わってしまったことが短く示されている。だが、映画の中にこの経緯はまったく描かれることはなく、彼女が号泣するショットだけですべてが表現されてしまう。この時の相手は姿さえ見せず、その後もう一度新しい恋人ができた時にも、後ろ姿がチラリと映し出されるだけで終わってしまう。これをこの映画の潔さと言うべきか、こういうことはこの映画にとっては深入り不要のエピソードに過ぎないということなのだろう。
 大好きだった父親が急死した時はそういうわけにはいかなかったようで、この経過はかなり丁寧に描写されている。だが、その中でこの映画がフォーカスするのは、彼女が父親に対して感じた後悔の思いである。直前に会うチャンスがあったのに、なぜ会わなかったのか。茶道教室の縁先で、喪服の典子を武田先生が優しく慰めるシーンは素晴らしい。この映画がピックアップするのは、やはり茶道によって照らし出される2人の心情なのである。ここは2人の抑えた演技が光る、実にしみじみとしたいいシーンだったと思う。

 だが一方で、ちょっと違和感を感じた点についても書いておく。この父親の死を描く一連のシーンの中で、彼女の心象風景のような感じで挿入されていた、海辺でずぶ濡れになりながら亡き父に呼び掛けるシーンはいただけなかった。そんなことをする必要はまったくなかったのではないか。まるで余分で逆効果なだけに終わっていたと思う。
 この映画には、余計な小細工は一切不要だったのではないか。ただお茶を習い、飽きずに習い続け、いつかお茶と自分が一つになっている、それだけのシンプル極まりない設定から、驚くべき豊かな世界が浮かび上がるのである。それは、どこまで行っても不十分で、どこまでやっても満足に行き着くことはない、それでもお茶を続けてきて良かったなという思いである。
 武田先生が確か、「毎年同じことができる幸せ」というようなことを言っていたと思うが、何ということもない繰り返しの中にある「幸せ」というものを、静かに語っていて印象に残った。すでに死期の迫っていた樹木希林が、こういうセリフをサラリと言ってのけていたことも記憶しておきたい。彼女は最後に、素晴らしい芝居をして人生を閉じたのだなと思った。
(立川シネマシティ1、11月5日)
# by krmtdir90 | 2018-11-07 17:12 | 本と映画 | Comments(0)


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