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3月3日(土)
前日こちらに到着した時には晴れていたし、夜に確認したら星も見えていたので期待していたのだが、朝起きてみたら雨が降っていた。この日は終日フェズの市内見学なので、もうそろそろ晴れてほしかったのだがダメだった。うーん、参った。 9時にホテルを出発。大した降りではないのだが、傘がないとやはり濡れてしまう感じである。 ホテル・パレウメイヤの玄関。 ![]() ホテルは旧市街(メディナ、フェズ・エル・バリと言うらしい)を囲む城壁のギッサ門というのをちょっと入ったところにあった。これがギッサ門。 ![]() バスはまず旧市街を離れて、小高い丘の上に上って行った。帰って調べてみると、南の砦展望台というところだったようで、確かに扉を閉ざした砦のような建物が建っていた。ここから最初に、フェズ旧市街の全貌を見ておくという意図だったようだ。ただ、折からの雨に煙ってしまって、霞んでよく見えなかったのは残念だった。 ![]() ![]() 次にバスが向かったのは、旧市街でもフェズ・エル・ジェディドという地域にある王宮だった。王制を敷くモロッコでは、首都ラバトの他にも幾つかの都市に立派な王宮があり、国王はそれらを定期的に訪問して国民と触れ合っているのだという。
王宮正門。 ![]() ![]() ![]() ![]() 引き続き、隣接するユダヤ人街(メッラハと言うらしい)を歩いた。 ![]() ![]() コウノトリの巣とコウノトリの姿が見えた。 ![]() ![]() これをくぐった先。 ![]() ![]() バスを降りた後、この正面の建物(カフェだった)でトイレタイムを取った。 ![]() ここのトイレは階段を上って屋上に出たところにあり、ついでだから屋上からの眺めを撮影させてもらった。 ![]() さて、このあと少し進んで、 ![]() この入口から中に入った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 軒を連ねる肉屋の一つ、秤の上に載せられているのはアヒルだろうか(まだ生きている)。 ![]() 進んで行くと小さな橋があり、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() さらに先に進んで行き、 ![]() ![]() ![]() なめし革工房が集まっているタンネリ・ショワラという地区に入ったのである。路地の突き当たりで一つの建物に入ると、入口で(ミントティーに入れるのと同じ)緑の香草を一本ずつ手渡された。香草の香りで異臭を避けるのだとガイドが教えてくれる。建物の狭い階段をどんどん上らされ、最上階(たぶん3階か4階)のテラスのようなところに出ると、眼前に驚くべき光景が広がっていた。 なめし革の染色をしている作業場だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 帰りは各階ごとに様々な革製品の売場が設えられていて、 ![]() 入口の写真は撮り忘れている。入口に通じていた狭い通路。 ![]() 外に出て、少し歩いて、 ![]() ![]() 最初に、帰りがけに撮った入口の写真を載せておく。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() また少し歩いて、 ![]() また、次の小さな入口。 ![]() ![]() ![]() さらに歩いて行く。 ![]() ![]() ![]() 写真の枚数が多くなってしまい、まだ終わりそうにないので、この日は2回に分けて掲載することにします(続く)。 #
by krmtdir90
| 2018-03-19 21:11
| 海外の旅
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3月2日(金)
朝になっても雨は降り続いていた。しかも、けっこうしっかりした降り方である。 ![]() ![]() シャウエンは15世紀の終わりごろ、イスラムの聖地として開かれた町だったようだが、山の斜面に広がる青い家並みが(インスタ映えするとかで)人気となり、今回の参加者の中にもここを一番楽しみにしているという人もいた。 だが、天気ばかりはどうにもならない。9時半過ぎに、雨が小降りになったところで出発したが、ずっと傘を手放せない散策になってしまった。わたしはここにそんなに期待していたわけではないので、まあ仕方がないなという程度だったが、傘が邪魔になって気楽に撮影できなかったことは残念だった。 ホテルの庭で。 ![]() 階段を降りて前の道に出て、これがホテル入口の門。 ![]() 最初、ホテルの前のゆるやかな坂を上って行った。 ![]() ![]() ![]() 山の急斜面が迫っているところで橋を渡り、街並みの最も高いあたりから町(旧市街ということである)に入った。このあとはずっとだらだらした下りになる。 で、以下はこの「青い町」の写真が並ぶことになる。雨でなければたぶん撮りまくったと思うのだが、濡れるから傘は外せないし、レンズに雨滴もつくし、選ぶほどの枚数は撮れなかった。ブレてしまったものも多い。ただ、光と影がない分、色の深みと透明感はあったのかもしれないと思った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 猫がいた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 再び「青い町」。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 広場に出た。ウタ・エル・ハマム広場と言うらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]() 店の中には猫が何匹もいた。イスの上で寝ていたこいつは、 ![]() ![]() 雨は止む気配がないので、少し早かったが昼食のレストランに行った。ここでもアルコールは出なかった。 食後に外に出て、雨を避けながら煙草を吸った。レストラン外観。 ![]() ![]() 結局、シャウエンの旧市街を上から下へ縦断したことになる。最後に、外に出てきた門を振り返ったところ。 ![]() ![]() 午後の予定はずっとバス移動だった。移動距離・約200キロを走って、今晩の宿泊地フェズに向かうことになっていた。 この後の写真は車窓の風景ということになるが、雨が降っている限りはガラスに雨滴がついてしまって撮影できない。写真が再開するのは2時間あまりが経過してからである。 かなり大きな町を通過した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 雨もすっかり上がったので、バスは見通しのいい直線道路の路肩に一時停車した。長いバス移動なので、ちょっと気分転換にバスを降りて写真でも撮りませんかと言う。うむ、それはいい考えだ。 ちょうどその時、畑の中の道をロバを連れた女性が歩いて来るのが見えた。これは降りてからカメラを向けても顔を背けられてしまうと思ったので、窓越しに車中から撮影させてもらった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 再び車窓の風景。 ![]() ![]() 時々、戸数10~20戸ぐらいの集落を通過したりした。その中の一つで、コウノトリの巣とコウノトリの姿を見かけた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() やがてフェズの町並みが見えてきた。 ![]() ![]() ![]() 夕食は最上階(と言っても4階だったか?)のレストランで食べた。3人の楽士による民族音楽の演奏と、 ![]() なお、この晩から再びアルコールは解禁となり、前日のバス故障のお詫びとして旅行社から赤ワインのボトルが一本提供されたので、そういう意味では十分満足のできる夕食だった。 #
by krmtdir90
| 2018-03-18 18:50
| 海外の旅
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昨日、ハッサンの塔のところで触れておいた方がよかったのだが、モロッコはイスラム教を国教としている国である。キリスト教なども禁止されてはいないが、国民の大部分はイスラム教徒(ムスリム)で、このあとどんな小さな村を通っても必ずモスクとミナレットが建っていた。ただし、モロッコのミナレットは断面がすべて四角形をしていて、ウズベキスタンなどで円形が当たり前と思っていたのでびっくりした。
ついでに触れておくと、モロッコ国民の3分の2はアラブ人で、3分の1が古代からこの地に住んでいたベルベル人である。アラブ人は主にアトラス山脈の北側に広がる条件の良い平野部に居住し、ベルベル人は山岳部や南側の砂漠地帯などに住んでいるらしい。公用語はアラビア語とベルベル語で、独立前はフランス統治下にあったため、フランス語も幅広く使われているようだ。 3月1日(木) この日はけっこう強行軍で、途中メクネスとヴォルビリスというところを見学しながらシャウエンまで移動する。終日曇り空で、時折青空も見えたりしたが、基本的には雨が降ったり止んだりという変わりやすい天気だった。 ラバトは朝8時出発となっていたが、たった5人のツアーでは集合もあっという間で、少し早くにホテルを出発したと思う。メクネスまでは約160キロだという。 朝の通勤時間帯と見えて、ラバト市内に向かう道路はかなり渋滞していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 高速道路を降り、メクネス市内に入って行く途中で、たくさんの若者の出入りが見られたここは何だったのだろうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ここは両側を高い壁に挟まれた、通称・風の道と呼ばれている道路。 ![]() ムーレイ・イスマイル廟。 ![]() さて、少し先でバスを降りて、いわゆる旧市街の中を歩いて行く。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() マンスール門の正面は道路を隔てて広場になっていた。 ![]() 広場に面してタジン鍋などを売る店が並んでいた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() さらに進んで行く。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() さらにメディナの路地をしばらく歩いたのち、昼食のレストランに入った。 ![]() ![]() 前菜。 ![]() ![]() ![]() ![]() そして足許には猫。 ![]() レストランを出て、しばらく歩き、 ![]() ![]() ![]() バスに乗るはずの広い通りに出てもバスの姿がない。ガイドが電話で連絡を取ると、ブレーキが故障したので修理しているということだった。故障が直るか代車を呼ぶことになるかまだ判らないというので、近くの店で予定外のティータイムということになった。 ![]() ![]() 結局、1時間半も待たされることになってしまった。 修理ができたということで同じバスがやって来たが、ブレーキに不具合があるのでは安心できないからと、添乗員が日本の会社とやり取りをして、2日後のフェズから別のバスに切り替えることになったようだ。 さて、バスはメクネスの町を出て北に向かった。 ![]() 途中、小さな山にへばりつくように作られたムーレイ・イドリスという町が見えた。 ![]() 次の見学地、ヴォルビリス遺跡に着いた時には、空はまたすっかり黒い雲に覆われていた。 ここが入口。 ![]() ![]() ![]() ここでは専門の案内人が付き、その先導で進んで行く。 ![]() 小高いところに石柱などが並んでいるのが中心部で、その周囲に、高位にあった人々の邸宅跡などが集まっているようだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 急いで先の方に歩を進める。先のところから礼拝堂跡を振り返る。 ![]() ![]() 帰ってガイドブックを見てみると、まだ先には幾つか見どころの邸宅跡などがあったようだが、ここで見学を切り上げて戻ることになった。残念だが仕方がない。すでに駐車場からはかなり来てしまっていたのだ。 というわけで、この後は写真がない。だが、何とかバスにたどり着き、発車して少しするとあっけなく雨は上がってしまった。にわか雨というのは判っていたが、一番まずいタイミングに当たってしまったようだ。まあ、そういうこともある。 ヴォルビリス遺跡を後に、バスは今晩の宿泊地シャウエンに向かった。距離は約170キロ。 途中で虹が見えた(うっすらとだから判るだろうか?)。 ![]() ![]() 途中バスの故障で時間をロスしてしまったので、町の入口に着いた時には19時を回っていた。あたりはすっかり暗くなってしまった。バスは町の中に入れないので、ホテルまではタクシーに乗り換えて行くことになっていた。 普通だとホテルに到着した時には写真を撮ったりするのだが、夜だったし雨だったので写真はない。ホテルはなかなかお洒落なコテージ風のものだったが、客室が全部離れの独立した建物になっていて、外に出て歩いて行くかたちだったので、雨だと少々厄介だった。しかも、フロントや食堂のある建物からかなり離れたところが割り振られていて、一旦部屋に入ってから、もう一度傘を差して食堂まで往復というのは(晴れていれば楽しいのだろうが)けっこう大変だった。 さらに驚いたのは、このホテルはイスラムの戒律に則ってアルコールが出ないホテルだったのだ。こちらではそういう施設もけっこうあるということだった。まあ、ウィスキーのポケット瓶を忍ばせて行ったから、わたしは困らなかったけれどね。 夜、部屋のベランダで雨を避けながら写したシャウエンの町の夜景。 ![]() #
by krmtdir90
| 2018-03-17 11:06
| 海外の旅
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なぜモロッコに行こうと思ったのかははっきりしない。エジプトもいいかなと思っていたが、行けるうちにもっと遠くへ行っておこうと考えたのだったか。結果的にいままでで一番遠くまで行き、初めてアフリカ大陸に足を踏み入れることになった。
アフリカだから単純に暑いのかと思っていたら、日本ほど明瞭ではないものの季節変化もあり、気候風土も地域によって多様性があることが判った。調べてみると、中心都市のカサブランカやラバトは北緯33~4度にあり、これは福岡や大阪とほとんど同じ緯度なのだった。 要するに、モロッコについてこれまで何一つ知らなかったと言っていいので、そんな国に行くというのが何とも新鮮だった。行ってみると、実に変化に富んでいて面白かった。だが、ここ2回ほど楽なリバークルーズに慣れてしまっていたので、バス移動も多く、体力的にはかなり大変だった。 ツアーは阪神航空フレンドツアーの「幻想のサハラ/エキゾチックモロッコ12日間」というものだったが、最初パンフレットから問い合わせた何本かがすべて満席で、近い日にちではネット上に追加設定されたものが1本あるというので、それを申し込んだ。ところが、こちらはネット限定だったこともあって集まりが悪かったらしく、行ってみたら参加者はたった5人しかいなかった。 付き合いにくい人がいたら嫌だなと思っていたが、そんなこともなく、わたし以外はみんな女性だったのでやや買い物偏重に流されたきらいはあったが、楽しく同行することができた。ただ、添乗の女性がちょっと我の強い人で、自分を出しすぎるところが難点と言えば難点だったと思う。 2月27日(火) 夜の出発だったので、最初のあたりの写真はない。今回はビジネスクラス利用なので、専用のラウンジに入れたので、そこでビールと簡単な夕食を済ませた。 飛行機は、成田空港21:40発、ターキッシュエアラインズTK0053便、イスタンブール行きというもの。最初の機内食の時、さらにワインをもらって寝ようとしたが、シートの形状が身体に合わなかったようで(独立性ももう一つだった)、浅い眠りに終始した感じだった。 2月28日(水) 機内でマイナス6時間の時差修正を行い、イスタンブール到着は04:20だった(行程表ではフライト時間は12時間40分となっていたが、実際には少し早く着いたようだ)。イスタンブールは雨だった。 日本とモロッコを結ぶ直行便はないので、必ずどこかで乗り継ぎということになるのだが、それにしても乗り継ぎ時間6時間以上というのは長かった。ターキッシュエアラインズのビジネスラウンジは非常に広く豪華なものだったが、さすがに時間を持て余した。 ラウンジ内には喫煙場所がなく、外にある喫煙スペースとの間を何回か往復した。喫煙スペースはテラスのようなところを金網で囲ってあって、半分ほどは屋根があったが、半分は金網なので雨では半分が使えなくなるのだった。そちらの眺め。 ![]() 乗り継いだ飛行機は、11:00発(実際には40分ほど遅れた)、同じくターキッシュエアラインズTK0617便、カサブランカ行きだった。 最初の飛行機では、妻が眠るのに通路側は嫌だと言うので窓側を譲ったが、今度はわたしが窓側をキープしたので写真がある。 最初は雨滴に覆われてどうしようもなかったが、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 実はこの時、ギリシャでも雪が降るのかと不思議な気がしたのだが、あとで添乗員から聞いたところによると、ちょうどこの時期、ヨーロッパ各地に記録的な寒波が襲来していて、イタリア南部やギリシャでも何十年ぶりかの雪に見舞われていたらしい。 ![]() ![]() ![]() 飛行機は続いてイタリアのシチリア島上空を横切ったようだが、そのあたりはまたすっかり雲に隠れてしまって見えなかった。 地中海を過ぎるあたりから再び雲が取れ、以後はずっと下の景色を見ることができた。 飛行機はチュニジアの北部からアフリカ大陸の上空に入ったようだ。 ![]() 航路図によれば、このあとはずっとアフリカの北岸を飛んだようだ。 ![]() ![]() チュニジアからアルジェリアに入ると(たぶん)、雪を被った巨大な山塊が遠望されるようになった。アルジェリアからモロッコ西端まで連なるアトラス山脈である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() カサブランカが近付いてくるとまた雲が広がりだした。飛行機は高度を下げ、その雲の下に出ると、 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() フライト時間は5時間5分、行程表ではカサブランカ到着は13:05となっていたが、実際には1時間以上遅れての着陸になった。 カサブランカの空港はムハンマド5世空港といい、大半の国際線がここに乗り入れるようだ。ムハンマド5世とは、1956年にフランスから独立を勝ち取った国王の名前である。因みに、モロッコはモロッコ王国であり、王制を敷く立憲君主制国家である。 入国手続きなどのあと、空港の両替所で日本円から現地通貨ディルハム(DH)への両替をした。外に出ると激しい雨と風で、傘も役に立たない感じである。 ![]() たった5人のツアーだが、バスは普通の観光バスが用意されていて、最後まで座席の移動もし放題の余裕だった。現地ガイドはハディドさんという気さくな男性で、この人も最後まで同じだった。ただ、彼は日本語は喋れず、英語で添乗員とやり取りして、それを添乗員がわれわれに伝えるというかたちになった。こういうこともあるのだ。 バスは高速道路に入って、今晩の宿泊地ラバト(モロッコの首都)に向かった。ラバトに近付くにつれて雨は小降りになっていった。 ホテルに入る前に、ラバトで1時間ほど見学を行った。バスを降りると雨は止んでいた。ついさっきまで降っていた痕跡はあるが、雨を降らせた黒い雲は遠ざかりつつあるようだ。 見学したのはムハンマド5世の霊廟。 ![]() ![]() ![]() 天井の装飾も見事。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ハッサンの塔の方だが、 ![]() ![]() ![]() こちらが現在使われているモスクのようだ。 ![]() ![]() 以上でこの日の見学は終了、午後6時ごろ、ホテルに入った。 ラバトの街にはトラムが走っていて、ホテルの前の道に軌道が通っていたので見に行った。 ![]() ![]() ![]() これがホテル外観(ファラーホテル・ラバト)。 ![]() #
by krmtdir90
| 2018-03-16 21:35
| 海外の旅
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![]() この2校が、スタイルはまったく異なるものの、ともに高校演劇のウィングを大きく広げていることがよく感じられる公演だったと思う。終演後には、一緒に観劇したSさんと新宿に出て、わらびやで一献傾けながら楽しい時間を過ごした。これも今回の公演のおかげである。ありがとう。以下、少しだけ感想を書いておく(3月14日マチネ観劇)。 精華高校「大阪、ミナミの高校生2」(作・演出:オノマリコと精華高校演劇部) 昨今評判の高い精華高校の舞台を初めて観た。なるほどと感心した。コンクールなどに縛られることのない、こうした高校演劇があっていいと思うし、非常に魅力的な舞台を作っていると感心した。プロであるオノマリコさんがどんなふうに関わっていたのかとか、同じくプロである木内コギトさんを重要な役回りで絡めてしまうことなど、従来の高校演劇では考えられなかったことだが、生徒たちがこれらの刺激に触発されて伸び伸び演じているのだから、こういう行き方もいまはアリなのだろうと思った(木内さんのところは顧問の先生がやっても面白かったのでは?)。 生徒のマリーと先生(木内さん)のやり取りが実に面白く、かつてこういう感じの学校で教師をしていたこともあるわたしは、「ああ、こういう子いたよなァ」と妙な懐かしさのようなものに囚われてしまって困った。マリーをやった庵ノ前さんの演技はドキッとするくらいリアリティがあり、プロを相手に少しも引けを取っていないのが素晴らしかった。 この2人を取り囲む?かたちで繰り出されるモノローグもリアルで、しかし、積み重なってはいくものの、モノローグのままメインの2人と切れてしまうのが惜しいような気がした。いまの作りではマリーの存在だけが特別なものになってしまうので、モノローグの生徒たちとマリーは同じ生徒たち(同列)なのだという描き方がもう少し工夫されてもいいような気がした。そういう意味では、生徒が生徒を隔離するというような図式化(舞台構成)もあまり効果的とは思えなかった。 新座柳瀬高校「Merry-Go-Round!」(作:稲葉智己) 新座柳瀬高校の舞台は、全国大会まで行った「Love & Chance!」の見事な完成度が頭にあるから、どうしてもそれと比較して「まだまだじゃないか!」と思ってしまう。高校生の舞台が洗練の域に達するのは至難のことと判ってはいるが、前作がそれを実現していたことを考えると、もう少し稽古を積んでから撃って出てほしかった気がしてしまうのは仕方がないことだろう。 役者たちがまだ役を支え切れていないような感じがした。高い木戸銭を取っている以上は、学年や経験の多寡は関係ない。特にアンジーをやった高橋さんは、マーガレットやエリーと比べて単純に幼なすぎる印象があって、ラストのどんでん返しにつながる隠れたしたたかさというか、周囲を虜にしてしまう若い女性の色香のようなものがもう少しほしい気がした。ここはストーリーの肝にあたる部分だから、衣裳の選び方やメイクの仕方なども含めて説得力のある工夫が必要ではなかったか。 あとは、芝居が全体にドタバタしているような印象があった。ドタバタというのは、いつもはパンチが敷いてあって気にならない靴音が妙に耳に付いてしまったことも関係している。客席通路を使った出捌けももう一つスマートとは言えず、柳瀬の独壇場とも言うべき展開のスピード感を削いでしまっていたように思う。 いつも見慣れている柳瀬の舞台だから、どうしても辛口の感想になってしまうのは仕方がない。もうあまり書くのはよそうと思っていたのだが、やっぱり書いてしまいました。 #
by krmtdir90
| 2018-03-15 12:31
| 高校演劇、その他の演劇
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